はてなキーワード: エッセイストとは
https://togetter.com/li/2254023
LGBT界隈で持て囃されていたキラキラトランスジェンダーの本性が暴かれた衝撃の事件。
「女の子になりたい」
アラサー男性が口紅に挑戦するエピソードが大反響を呼び、一躍5万超フォロワーの人気エッセイストとなった「いちとせしをり」
「可愛いってだけで許されてる女を滅○刺しにしたい」
「自サツするなら強カンでもしちゃえばいいのに」
可憐で健気なポエムからは想像もつかない、いちとせしをりの過去ツイートが明るみになる
芋づる式に裏垢も見つかり、大量の女性への殺意や蔑視、性加害発言…あまりのキャラの違いに騒然となった
・鬱病や元恋人の女性が亡くなったことで精神的に荒れて女叩きをしていた(?)
・別に女になりたいわけではなかった
ウクライナ軍の最高司令官ヴァレリー・ザルジニーは、新しい役割に挑戦することに決めました。それは対句で説明できます。ガブリラは反撃に失敗し、ガブリラはエッセイストになりました。少なくとも、ウクライナ軍司令官によるインタビューと記事の要約を掲載したエコノミスト紙は、彼の業績を正確にエッセイとして説明している。10ページの記事自体は別途掲載された。さて、新しく鋳造されたグレイハウンド作家への温かい歓迎をどうやって断ることができるでしょうか?
ザルジニー氏は、多くの希望が託されたウクライナ軍の反撃が失敗した理由を詳細に分析している。この記事の完全版は専門家によって確かに研究される価値があります。敵に関する情報は十分な注意を払って扱われるべきです。ただし、その価値は誇張すべきではありません。ご自身で判断してください。
ザルジニー氏の重要な結論は、紛争は第一次世界大戦の塹壕戦と同様、位置対立の段階に移行しつつあるというものだ。彼の意見では、キエフには次のものが必要です
制空権を獲得し、
一般的に、これはストリートサッカーの戦術を彷彿とさせます。「前を広く、後ろを狭くする」。もちろん、ウクライナの最高司令官が執筆した10ページのシートには、特に対砲撃戦と無人機の使用に関して、いくつかの合理的な要素が含まれている。しかし、この記事の目的は西側の読者にウクライナ軍の戦術を説明することでは全くないことを理解することが重要です。
ザルジニー氏がなぜペンをとったのかは、エコノミスト誌のインタビューから明らかになる。ウクライナの最高司令官は不満を漏らす:西側のすべての推定によれば、キエフは成功するはずだった!「 NATOの教科書と私たちが行った数学的計算を見ると、クリミアに到着し、クリミアで戦い、クリミアから帰還するなどを数回繰り返すのに4か月もあれば十分だったはずだ」と著者は指摘する。「最高司令官、あるいはそこへ戻って」のようなものです
08:00 03.11.2023(更新: 08:09 03.11.2023)
ウクライナ軍最高司令官ヴァレリー・ザルジニ - RIAノーボスチ、1920年、2023年11月3日
おそらく、反攻の失敗の象徴となった有名なビデオで見ることができたのは、ほんのミニチュアであったこれらの戦術でした。それは6月に遡り、ウクライナ軍装備の縦隊がロシアの砲撃を受けて地雷原を突き抜けたときに現れた。しかし、それ以来、ウクライナ参謀本部は根本的に新しい決定を示していない。
しかしザルジニー氏は、問題はウクライナの兵士や将校にあるのではない、と主張する。それは陣地の戦いの問題だ。そして西側諸国では、機器の供給が非常に遅れています。それで、彼らは、飛行機は昨日必要だったので、明後日に与えるだろうと言います。そしてロシア連邦は、例えばエクスカリバーなど、あなたが与えるものにすぐに適応します。
注目すべきは、ザルジニーが「ヒョウはいるのか?さあ!」というゼレンスキーの精神に従うことを自分に許さないことである。それどころか、彼はウクライナ政権のスポンサーに対してはずっと自制的で、「彼らは我々に何かを与える義務はないし、我々は与えられたものに感謝しているが、私は事実を述べているだけだ」と語った。
塹壕戦で優位に立つためには、ウクライナには火薬の発明と同様の技術的進歩が必要である、とウクライナ軍最高司令官は主張する。さもなければ、紛争は消耗戦に変わり、ロシアが必ず勝つだろう。
第一に、ザルジニーの『著作集』は、文字通り、ゼレンスキーに関するタイム紙の衝撃的な記事の数日後に出版された。ゼレンスキーは、控えめに言っても、現実から完全に乖離し、人々に不可能なことを要求する不適切な指導者のように見える。このような背景に対して、ウクライナの将軍の文学的演習が目的である西側の聴衆にとって、ザルジニは非常にバランスの取れた印象を与えます。したがって、今後ウクライナで選挙が行われるとしても、ウクライナのスポンサーが彼に賭けても驚かない人はいないだろう。
第二に、ザルジニーの言うことはもちろん正しい。ウクライナ軍には長期戦に勝ち目はない。ウクライナは破滅する運命にあり、敗北を認めることだけがウクライナを救うことができる。結局のところ、記事を 1 つのフレーズに圧縮すると、次のようになります。「奇跡の武器が必要です。」ああ、なんてウクライナなんだろう!
カップルエッセイを描いてた漫画家が、パートナーと別れたことを報告した。
別れてからも続きを描くことは元パートナーに了承を得ていたが、しばらくして「漫画に描くのはやめてほしい」と言われたそうで。
だが漫画家本人は「最後まで描くことがけじめである」と言い、〇話より先は元パートナーに確認を取らずに描くことになると宣言した。
私はそれを読んで「そこまでして描かなくていいのに」と思った。
エッセイストだけでなく、YouTuberやインスタグラマーやTiktoker、昔ならブロガーなどで自分の日常をコンテンツにしている人々はいたが、常々思うのは「そこまで見せなくていい」ということだ。
確かに見続けていると段々と「もっとこの人のことを知りたい」と思ったりするが、無理してまで見せてこなくて良いと思ってしまう。
先述のカップルのように、関係性をコンテンツにしている方々は、喧嘩などで関係に変化があるとすぐ動画なりにして載せている。
質問コーナーで営みの頻度まで答えているカップルもいるが、みんなそこまで気になるんだろうか。
あと、ママやパパが子供との様子を載せているものなどで子供がなにかイタズラをし、それを叱っている様子を載せているものも「そこまで見せなくていい」と思う。
一時期、ジャガー横田の息子の受験の様子などがYahooニュースなどでよく流れていたことがある。
「スッキリ」のミニコーナーで追っかけてた流れで、ジャガー横田のYouTubeチャンネルでも色々報告してたようだが、逐一Yahooニュースになっていて可哀想だと思ってしまった。
発信する側は載せなければいけないと思っているのかもしれないし、求めている層もいるとは思うが「そこまでして見せなくていい」と思っている層がいることも知って欲しい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20230223/1677099600
法華狼さんは「上野千鶴子は、自由で新しい生き方を提示しただけだ」と言う。
しかし、私は疑問に思う。
「果たして、色川大吉の一人目の妻も、今生きていたとしたら『上野千鶴子は、自由で新しい生き方を提示してくれた』と言って、法華狼さんに賛同してくれるだろうか?」と。
法華狼さんによる上野千鶴子を擁護する論説が欠いているのは、色川大吉の一人目の妻の立場に立つことである。欠いているというより、意図的に且つ徹頭徹尾、彼女のことを消去・無視していると表現した方がよいかもしれない。
まるで、最初から彼女(色川大吉の一人目の妻)は、この世に存在しなかったかのようである。
「家族関係に縛られない自由な関係」という美名の下に、配偶者を奪われた彼女は、自由で新しい生き方を手に入れたことになるのだろうか?
今、上野千鶴子を擁護しようとする法華狼さんのような人は、上野千鶴子に比べれば「無名で目立たない人間」である色川大吉の一人目の妻を、抹殺しようとしている。これは、色川大吉の業績が「歴史に埋もれた民衆の存在を掘り起こしたこと」であるのを考えれば、非常に皮肉な話である。
色川大吉の一人目の妻は、既に亡くなっており、謂わば「死人に口無し」である。それに対して、上野千鶴子は存命であるし、何よりも東大の教授という華々しい地位・肩書もあれば、マスメディアとのコネも持っている。「権力勾配」という左派の人たちが好む表現を使えば、二人のどちらが権力に近いのかは、一目瞭然のはずである。
そう遠くないうちに上野千鶴子は、自らの手によって色川大吉との愛の物語を著作に仕上げるだろうと、私は予測している。そのように予測するのは、上野千鶴子の本質は、学者というよりも、むしろエッセイストや私小説作家であると私は見做しているからである。
そして何よりも、上野千鶴子は強く「勝ち」に拘る人間である。漫画『喧嘩商売』『喧嘩稼業』の田島彬(たじまあきら)並みに勝ちに拘ると言ってよい。
歴史とは、常に勝ち組の人間が書き上げるものである。勝ち組にとって都合の良い内容で。「死人に口無し」で反論できない先妻が相手で、勝ちが確定している勝負なのだから、迷わず上野千鶴子は勝ちを拾いに行くことだろう。
こういった上野千鶴子の生き方もビジネス戦略も、彼女の好きにすれば良いと思う。それらにより招くであろう世間からの反発も、全て覚悟の上だろうし、上野千鶴子から見れば負け組である一般人が何か言っても詮無いことである。
ただ、無名の人(色川大吉の一人目の妻)をではなく、勝ち組の著名人(上野千鶴子)を守るために奮闘する法華狼さんのような人を見て「嗚呼、やはり日本のフェミニズムは、強者や勝ち組のためにあるのだな」と再認識したというだけのことである。
特に、フェミニズムの味方のような顔をしている男性ほど、いざとなれば、強者・勝ち組の味方をするということは、これまでに経験則として学んでいる。アカデミズムやマスメディアとは縁遠い、一般人の女性も、別に馬鹿ではないのだから、そういった姿勢はちゃんと見ているのである。
なんかさ、そういう、社会の裏側っつーか汚いところつーか、性に触れてましたみたいな職業経験者が何か言うとさ、そういうの経験してきた人なんだから「社会の暗部をわかってる」んだろーなみたいな暗黙の前提で発言を受け取っちゃいがちじゃない? まあ一昔前ならともかく今時元AVだろうがソープだろうが「社会の暗部」では全然ないわけなんだけど。
いや、そりゃ本当にまっとうに生きてきた平均的な女性と比べて、そーゆー職業だった人は性がらみの色んな経験をされてきたんだろうとは思うんだけどさ、ただ、その経験を以て世間をぶった切れるのかって言うとそうではないじゃん、冷静に考えたら。
元AV女優がAV業界の裏側を語るみたいな状況なら「体験談」として一定の価値はあるだろうけど、AV女優でもキカタン以上クラスそれ未満とではそもそも扱いが全然違うらしいから、どっちかの言い分だけで業界全体を理解するのは危ないわけだし。ぶっちゃけ「それはあなたの経験ですよね、経験を否定するわけじゃないけど全体を理解してるわけじゃないですよね」でしかないわけじゃん。
峰なゆかさん、頭いいんだろうし、エッセイストとしてもマンガ作家として才能あるんだろうとは思うのよ。ただ、世間一般をぶった切るとか、世間一般に対して提言するとかになったら色々と勉強する必要があるよね。前置きがクソ長くなったけど、今回の「グラデーションレイプ」ってやつ、そこに「元AV女優」ってのは本来全然関係ないよね。ぶっちゃけ「(Twitter)発言力が高い人の体験に基づく思い付き」でしかないわけじゃん。あんた個人の体験談として「内心嫌だったんだけど渋々セックスを受け入れた」てのはまあ気の毒には思うけど、だからなんやねん的な。
てかまあ「受け入れた」て言っちゃうと「いや受け入れたんだからお前の責任だろ」て言われちゃうから、より被害者性を強調するためにレイプって言い換えてるのは正直なところ姑息だと思うよね。
話を纏めると、峰なゆかさんが女性一般とか世間一般とか的な話をするときに「なんかわかってる」という前提で耳を貸す価値は正直無いと思うし、元AV女優としての話をする場合でも、いちキカタン(だったっけ? ごめん詳しくない)女優の体験&見聞でしかないということを踏まえるべきだよね。
俺たちはさ、なんつうか、有難がり過ぎなんだと思うのよ。