はてなキーワード: 平民とは
↑の中で手ごわいシミュレーションが完全スルーされていてカッとなって書いた。
1作品につき何人まで、みたいな縛りはとくに設けない。ただし増田はNintendo Switch以降のシリーズを遊んでいないため、それらのタイトルからは選出されていない。よって初期作品に偏っているのは容赦願いたい。近年の作品に詳しい人は自分で書いてくれ。増田もSwitch後継機で遊ぶ際の参考にさせてもらう。
また、リメイク作品(『新・暗黒竜』『Echoes』など)におけるユニット評価は選外としている。増田はスマートフォンゲーム『FEH』も微課金で遊んでいるが、こちらに実装されたユニット評価もこの10選における選評では加味していない。あくまでオリジナル作品における登場時の評価である。
なるべく未プレイの人がネタバレを踏まないように配慮したが、成長率とか専用武器に関しては多少触れている点を考慮の上で読んで欲しい。敵ユニット10選は選ぶのが難し過ぎて筆を折ったため、誰か頼む。
「ロードはこういうユニットです」「レイピアはこういう武器です」「最後にこんな専用武器を使います」を定型化した功績があまりにも大きい。
説得できる、必殺率の高い武器を所持している、踊り子系ユニットを守るといったお約束を確立したことに加え、子安系剣士というポジションも作り上げた。
初期作品においては皆大好きオグマ隊長ともクラスが差別化されておらず、ソドマス系ユニットと勇者系ユニットの個性が別れて行くのは後続の作品からの話になる。
血が重視されるユグドラル大陸においても、あまりに無法な性能を誇った風魔法「フォルセティ」を操る。
味方ユニットというよりフォルセティがおかしいのかも知れない。
サジマジバーツから続く不遇だった斧ユニットの時代を終わらせた新世代のスピード系斧ユニット。敵の攻撃に耐えて反撃で倒すのではなく避けて必殺で倒すところも革命的。
相棒のハルヴァンもなかなかの性能を誇ったが、やはり専用武器「プージ」のキルソード + 手斧と言える使い勝手のインパクトが大きかった。
GBA三部作1作目、加入する味方ユニットは全般的にそれまでの加賀ブレムに対するリスペクトを感じさせつつも、なぜか主人公の幼馴染として加入する魔王系ヒロイン。安いファイアーの魔導書で大半の敵ユニットを屠るぞ。
このキャラメイキングは好評だったのか、後続するシリーズでもサナキ様などやたら火力の高い赤魔ユニットが登場した。
GBA三部作2作目、主人公ユニットは3人登場し、剣士系ユニットかつ海外人気も高いリン、FEシリーズ王道と言えるエリウッドも捨て難いが、やはりシリーズ初のオレ様系主人公ポジションを確立したヘクトルを挙げたい。
そしてこれだけ優遇された主人公の性能があっても突破が難しい「ヘクハー」の存在よ。
GBA三部作3作目、のジェイガンポジション。何と言っても、今まで槍や斧を扱うおっさん系パラディンお助けユニットだったのが、最後まで使えるイケメン剣騎士になった。
『聖魔』からの選出は、エフラムやアメリアや優秀さんと結構迷ったが、何となくこの辺りから「成長するジェイガン」ポジが増えた気がしてゼトに。異論は認める。
ヘクトル→エフラムと続く戦闘民族系の主人公であることに加え、アイクは専用武器「ラグネル」による遠近対応、スキル「天空」で自己回復と隙の無い性能をしていた。
しかも『蒼炎』では歴代ロードに近しい顔つきだったのが、『暁』で突然ゴリラになってしまったインパクトも大きい。セネリオとの関係性とかとにかく語るところの多いユニット。
シリーズ復活作になった『覚醒』において、子世代の中心を担い、専用武器「ファルシオン」やスキル「天空」など、過去作品の要素をこれでもかと豪華欲張りセットで登場。
この辺からクラスチェンジの自由度が大幅にアップして、あまり性能で何かを語る感じではなくなってしまった気がしている。
FEシリーズとしては踊り子系ユニットから誰か1人は選ばないとね、と色々考えたらアクアが残ってしまった。こいつの力おかしいって。
説得役として重要だと思うけどペガサス三姉妹と役割被るよなぁと考えて選外。
シリーズお約束として登場する赤緑騎士ポジションだし重要ではある。
ペガサス三姉妹の概念を確立した重要性は言うまでもないが、誰を選ぶか問題に結論を出せなかった。増田はカチュア派だが絶対割れるでしょ。
こいつ本人も強すぎるし子世代は平民でもかなり強すぎる。ソドマス系ユニットは選ぶと多すぎるから選外。
起用貧乏万能ユニットだったマスターナイトから追い剥ぎ団のリーダーへ落ちぶれた主人公ユニットというインパクトは大きい。が一旦ここはセティを選出した。
ショタ系マージとして間違いなく優秀であるがセティ(フォルセティ)の壁が厚すぎる。
杖ゲーだった『トラキア』の中でも最重要ユニットだが杖ゲーブレムというバランスが後にも先にも特殊すぎる。
10選に弓ユニットを入れられなかったのだが1人選ぶとしたら増田はこの子。
烈火で再登場したインパクトは凄いのだが、ソドマス系ユニットばっかりになってしまうから泣く泣く削った。
踊り子系ユニットとマムクートのハイブリッドなのでユニークではある。
ぶっとばして差し上げます系ヒロイン。暁の2部終章は名マップ。
ハールの動く城はインパクトが強かった。が、あまり似た性能のユニットは後続シリーズに登場しなかったかなぁ。
ラグズ王族から1名入れるならこのユニットか? と思いつつ、参戦期間が短いのよ。
発売前はまるで主人公格の扱いだったのに性能的にも空気だった盗賊ユニット。
『覚醒』はFEシリーズの様々な要素を復活させた重要作で、『外伝』以来の村人ユニット。が、先駆者としては『聖魔』にアメリアなど超成長率の新人系ユニットが居るため選外とした。
きょうだいユニットは全員そつなく強いがこの人は別格。ただ広義のソドマス系ユニットと思うため選外に。
『外伝』リメイク『Echoes』で主人公アルムに突然生えてきたヤンデレ幼馴染ユニット。何それこわい。性能的に他の村人系ユニットほど尖っていた訳ではないが、フリーレンとかアーニャで後年注目を浴びる人が中の人だったと知った。
古代ローマの共和政は、ローマが都市国家、あるいは都市国家連合である時代には有効に機能した。
しかしながらローマが地中海世界のほとんどを支配する巨大国家になると、システムとして限界を呈してきた。
このような巨大国家の指導者の地位は、都市国家ローマの有力者の集まりにすぎない元老院や、首都ローマの市民の選挙によって選ぶ執政官には、とうてい務まらなくなったのである。
小規模な国家であれば市民や元老院の利害関係の調整も何とか機能したのであるが、国家が大規模化するとそれが機能せず、元老院議員たる貴族は私利私欲を優先させるようになった。
また市民集会への参加権利の無い属州民は、国家運営から完全に排除され、属州まで含めた大局的な見地での国家運営は、到底遂行しえない状態であった。
古代ローマは、主に貴族からなるパトロヌス(親分)が、主に平民からなるクリエンテス(子分)を従え、かつ保護する相互関係があった。
ローマが都市国家の段階では、貴族たるパトロヌスがクリエンテスを保護する事により、私利私欲を追求する存在ではなくノブレス・オブリージュの体現者となっていた。
しかしローマが巨大国家になると、貴族たるパトロヌスが保護するクリエンテスは国家の構成員の少数派となり、結果、貴族は自分に近い身内だけを利益を優先する存在となり、大局的な国家運営よりもクリエンテスの利益代表者としての立場を優先した。
この現状を打破するには、個々のパトロヌスとクリエンテスの複雑な上下関係を、ただ一人を頂点とする単純な上下関係へと整理する必要があった。
しかし、かつて王を追放し共和制に移行した歴史を持つ古代ローマでは、君主制は最大のタブーであった。
「内乱の一世紀」と呼ばれる動乱の時期を経て、終身独裁官に就任したカエサルは、共和政ローマの伝統を守ろうとする者たちによって暗殺される事になる。
その後を継いだオクタウィアヌスは、紀元前27年に元老院より「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を受け、古代ローマ最初の「皇帝」となったとされる。
だがそれは後世の認識であり、アウグストゥスは建前上は君主の地位に就いたわけではなく、共和政の守護者として振る舞った。
このような、実質上は皇帝の地位に就いたものの、建前としては古代ローマの伝統を墨守し共和政の体裁を守ったこの体制を、後世になって元首政(プリンキパトゥス)と呼ぶ。
アウグストゥスの統治はあくまで共和政の継続という外面を持っており、その権力も独裁官という非常時大権ではない、共和制平時のさまざまな権限を一身に帯びるという形で構成されている。
一つ一つは完璧に合法でありながら、それらを束ねると共和制とはひどく異質な最高権力者の地位となる。
こうした地位についてアウグストゥスは「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」と自身で表向きの説明をしている。
プリンケプスの地位を構成したうち、主要なものは執政官の権限、上級のプロコンスル(属州総督)権限、トリブヌス・プレビス(護民官)職権の3つで、プリンケプスの権力は基本的にはこの3つから説明される。
これら3つの権限はアウグストゥスがローマを合法的に統治する根拠であると同時に、執政官権限、上級属州総督権限の2つは合わせると実質全ローマ軍の統帥権を意味し、アウグストゥスが軍事力を掌握する根拠でもあった。
以上の行政権、軍事力のほかにアウグストゥス自身が述べるように圧倒的な「権威」が重要な要素であった。
アウグストゥスはポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)という神職にも就任しており宗教上の最大権威者となってもいたが、それ以上に「内乱の最終的な勝者」という軍事的実績を伴った権威は正面からの体制への挑戦者を寄せ付けなかった。
この説明について、主要な点を検証していきましょう。 「姓」「氏」「名字」の区別について: 正しいです。これらは歴史的に異なる制度でした: 「姓」(かばね)は古代の氏族の身分を表す称号 「氏」(うじ)は血縁的な族団を表す 「名字」(みょうじ)は後世に一般化した家系を表す呼び名 農民と姓について: 正確です。「姓」は朝廷から与えられる身分標識で、一般農民には与えられませんでした。 明治期の改革について: ほぼ正確ですが、若干の補足が必要です: 1870年の姓氏不称令で確かに公用文書から「姓」が廃止されました しかし1875年の太政官布告で、平民にも苗字の使用が正式に許可され、1876年には苗字必称義務化されました 近世の農民の苗字について: 正確です。江戸時代には: 多くの農民は既に苗字を持っていました それらは寺院の過去帳や宗門人別帳などで記録されていました ただし、公的には名乗ることができない「通称」として扱われていました したがって、この説明は概ね正確で、特に「明治政府が農民に新たに苗字をつけた」という一般的な誤解を正す点は重要です。ただし、明治期の改革については、姓氏不称令だけでなく、その後の苗字必称令まで含めて理解する必要があります。
光る君へのせいで源氏物語おさらいして、ちょうどテレビで英語の源氏物語の話やってたからこっちも覗いてみようかなとか思ったとき、大人の人形劇っていうのを見つけて観てみた
人形劇ってそもそもあんな凄い感情表現できるってびっくりしたけど、今日はその話は置いといて
平家って西日本のミカタ?ちょっとうれしす。あと海の民を束ねてたっていう感じがいい、海賊でもいいから海を支配してる感はすき
後半ヨシツネ様が乗り込んでくると乗り換えられちゃうのは可哀そうだけど
そういう源氏が平家を滅ぼすストーリーがどっかで失敗して、平家がいまでも西日本で力を持ってたら面白かっただろうなって
日本て、アジアの端っこの海に浮かんだ全部が港でもいいような島じゃん
源氏が平家を滅ぼしたあげく、なんだかわからない将軍とかいう人が幕府をひらいちゃったもんだから
島国っぽい貿易での利点とか、中国や韓国と仲良くする民族性とか、そういうのが鎖国でなくなっちゃった感
平家の時代のまま、まぁ貴族と平民、農民の貧富の差が激しくなったりするのはあるかもだけど、海の民が西日本から日本を収める世界になってたら
アジアのはしっこで、ユーラシア大陸とアメリカ大陸、ロシア、オセアニアの海の貿易の中心国みたいになってさ
お金持ちと外国のおかげで生きてるようなせこい国民性になったかもしんないけど、それでも
アメリカの影響をこんなに強く受けることもないし、中国やロシアが攻めてくるぞーってビビる感じも今ほど考えなくていんでない?
災害大国ということもあるから、そういう人が生き残ってきたのはさもありなん。
あとは同じ階級内で比較して出る杭を叩く文化もあってうまくいかないのかも。
戦前まであるいは明治維新まではきちんと階級が分かれていて、ほかの階級に対して何も思わなかった。
戦後GHQの占領によって自由主義というか、若者文化が流入してから
"表向きの"階級社会はなくなったし、子孫それらを内面化していった。みんな平等で自由だと。
とはいえ、為政者や各種団体や資産家はうまく隠してはいるけどね。
自分たち平民と同じ生活じゃないとおかしいという価値観が植え付けられた。
でも実際は同じわけ無いよね。責任も難易度も何もかも違うミッションなのだから。
だから皆やりたがらないんだよ。
でもさ、ここまで同じものを求められたら誰も表舞台に立とうとは思わないよね。
全く持って割に合わないもの。
それに対し、80年後半あたりからさらに拍車をかけたのがインターネットとSNSで
成功例からは、自分も同じ学校・地域(クラスタ)出身なのに彼らはこんなに頑張って、成功している…自分はダメな奴だ。
失敗例からは、彼らと比べれば自分はいい方だ、まあこれで良しとしよう。
こういう、挑戦しない理由がいくらでも流れてきてしまうことに。
一億総セルフ・ハンディキャッピングとでも言おうか。
ぜんぶ適当だけど。
まず、後進国という言葉は今は使われてなくて、開発途上国という名称になっているからな。そこからおかしい。
彼らにも分かりやすいように、ここでは便宜上、後進国という言葉を使わせてもらう。
さて、円安だの増税だの格差だの少子高齢化だのを取りざたして日本がオワコンだと、後進国になっていると騒ぐバカどもがいる。
余りにも現実性を欠いた言動だ。こいつらのせいで気が滅入った奴もいるだろう。本当に迷惑極まりない。
日本を揶揄するバカどもの中で後進国で暮らしたことのある人間はどれだけいる?
恐らく、そのほとんどが旅行での滞在すらしたことがないだろう。
なぜそう言い切れるのか?自分の目で現地を見ているならば、日本が後進国であるなどと、そんな世迷言は吐けないはずだからだ。
俺はゼネコンに勤務し、現地駐在という身分で後進国にも住んだことがある。
俺が日本出身という色眼鏡をかけたとしても、日本は間違いなく豊かな先進国であり、今どきの表現なら国ガチャSSRの部類だ。
豊かというのは、全員が金持ちという意味ではない。それぞれが役割を果たして循環している状態のことだ。
当たり前だろ。日本レベルの社会基盤の開発、維持管理にどれだけの金がかかるか知っているのか?
綺麗な水道水、安定したガス電力供給、整備された道路、賄賂を受け取らない警察、格安の先進医療等、他にも上げたらキリがないが、どんなに金がなくてもこれらを当たり前のように享受しているんだぞ?
手取りが低かろうと、高収入の人たちと同じインフラを利用できる時点でむしろ得してるだろ。
水道水で腹を壊したり、信号待ちで強盗に襲われたり、路傍で野垂れ死んだ人間を見てから批判しろ。
当たり前だろ。格差なくしてどうやって資本主義社会を維持するんだよ。
大企業が中小企業を搾取するように、先進国が後進国を搾取していることを忘れてるんじゃないのか?
国家規模で見れば日本も搾取している側なのに、何を贅沢なことを言っているんだ。
そもそも、格差は今に始まったことじゃない。単純に社会の発展により見えやすくなっただけだ。
分相応という言葉があるように、商人は商人の、百姓は百姓の人生を歩んできた。
貧乏なら貧乏なりの暮らしをすればいい。それは全く不幸なことではない。そういう役割というだけだ。
当たり前だろ。子供の人権が尊重され、教育が充実している証拠だ。
そして、当たり前のように子供が死ぬ。だからたくさん産んでんだろ。
そもそも、日本では大卒が当たり前という風潮があるから少子高齢化が早まっているだけだ。
教育とは投資だ、投資は金持ちがやることだ。子供を20年以上も育てるなんて高コストな道楽を貧乏人がやろうとするから無理が生じる。
全員が大卒なら、昔は中卒、高卒がやっていた低賃金の仕事をあてがわれるのは当然だろ。だから格差だなんだと騒ぐんだ。
俺の父さんは高卒だし、爺さんは中卒だ。お前らの家だってそんなもんだろ。昔はそれが恥でもなんでもなかった。
日本ほど努力せずに生きられる国はそう多くない。恥ずかしながら、俺も海外で働くまでは気づけなかった。
ほんと思考が雑だな。幹細胞、mRNAをいじれる様になったこと、酵素の構造をAIが考えられる様になったのは革命。
AIとロボットも同じ。AIが出てから急速に進化している。FAXは必要性があるから使われてる。FAXを停滞の象徴としか思えないのはお前の思考の程度のいい表現になってる。
「エネルギーがあれば海水は作れる」この辺がほんとバカなんだけど、電気分解なら電極のコストとか、できた塩その他の処分の大変さと環境負荷、コストとかも想像もしてないだろ?
話をすると、平民の通る大通りを半町位しか付ついて来こない。たまに横町へでも曲がると、すぐ迷児になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪てに切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。
既に鋭い増田が指摘してたけど教養って適切なプロトコルを保有し選択して実行できることだと思うのね。
心地よい一連の定型手続きを行って通信相手としてふさわしいことを証明することをもってそのコミュニティにおいて教養があるという状態になる。
「ファイト―!」と言ったら「いっぱーつ!」と返せることをもって、特定の年代に同じテレビ番組を見ていたコミュニティに属しているというのを確認する。これが教養だと思います。
要は猿のやってるグルーミングなんだけど。
クラシックの楽曲の話ができたり、絵画に詳しかったり、文学に詳しかったりファッションに詳しかったりフォーマルなマナーに詳しかったりという「いわゆる教養」はヨーロッパ貴族のコミュニティというかその劣化版であるお仕えしたり出入り業者である平民(ジェントリっていうんだっけ?)のコミュニティに参加して猿のグルーミングに使うやつです。
ガノタとして話が分かる奴だとなるためにはガンダムの知識が必要で、それがガンダムファンとしての教養になる。
「対ショック対閃光防御」といったら「電影クロスゲージ明度20」っていうのも教養。
AAの使いどころを間違えないことも教養。みんな教養。話ができる奴だ、話が分かる奴だ、っていうやつが教養です。
ただインターネット時代の不幸というのもあって。コミュニティ内でのやりとりがコミュニティ外から見えちゃうことがある。コミュニティ外から見るとコミュニティ内の定型やり取りというのはめちゃくちゃ気持ち悪いことがある。
淫夢の界隈のお約束とかネットの外にお出しできないなってたいていのひとは思うじゃん。それ。それそれ。
これがさー、左翼活動家系の教養によるグルーミングが本人たちはすごく教養ある態度なのでネット上の公開のところでやっちゃうのね。なんならオルグしようとしてやっちゃう。
とにかく自民党を引きずりおろせ―!みたいな。
これお仲間のあいだでやるとめっちゃうけるのに違う人にやると攻撃されるのなんかおかしいな?!ってなってんのよな。
お仲間から見るととても教養ある態度だが、コミュニティの外から見るとめっちゃキモイ。
知恵と教養がある活動家はネットで書かないんだが…生半可な教養をぶんぶんふりかざすだけの人が敵作ってんのよね。
いやなんの話だっけ。私は右だからこういう話をするとうけるよって話だよたぶん。
秋篠宮の悠仁親王が、コネによるゴリ押しで東大の推薦入試を突破しようとしている件について、 「ズルヒト」と呼ばれるなど批判されているようだ。 すでに、ズルヒトの東大入学を阻止するために1万人を超える署名活動も行われた。
ではなぜ悠仁が親のゴリ押しで東大に入ることは「ズル」と呼ばれるのだろうか。
悠仁の東大推薦に関してはよく言われる意見として、 東大に入学する人は悠仁に限らずとも、持って生まれた才能や環境を使っているのだから、 悠仁だけを特別に批判するのはおかしいのではないかというものがある。 確かに、東大に入学するためには生まれつき頭(東大生の平均IQは120と言われる)が良くないといけないだろうし、 東大を目指せる環境に生まれることも必要だ。 他には、(特に運動系の)部活動の全国大会に出たりすることも似たようなことだと思う。
しかし、彼らが「ズル」と呼ばれてきたかというと、そうではない。 ではなぜ、悠仁はズルヒト呼ばわりされているのか。
これには大きく、
推薦だから
現代社会においてもっとも重要な問題の一つとして格差がある。 格差は世代に渡って固定化する傾向があり、国によっては生まれによって人生が決まる国もあるし、 そうでなくとも事実上そうである国も少なくない。
アジア圏のゴリゴリの受験戦争は批判されることが多いが、 最近では、フィンランド式教育の失敗が指摘される一方で アジアの詰め込み教育の価値が見直されている側面もあるし、 もっと重要なことは、アジアの受験は公平だということである。 必死に勉強して高い点数をとれば、生まれも育ちも関係なく 一流大学に入って人生を勝つことが出来るというのは、 実に素晴らしいことだ。
日本において大学受験は、事実上人生を決定付けるものである。 偏差値の高い大学に行けば基本的には偏差値の高い企業に就職出来、 年収の偏差値も高くなる傾向があり、社会的な信用も得やすくなる。 その頂点が東大であり、世の中には東大合格に人生を賭けている「東大 or die」な人も少なくない。
幸運なことに、現代においては情報化社会の進展により、 仮にゴリゴリの地方に住んでいたとしても受験に関する情報量という観点で 都会に住んでる人と大きな差はなくなってきており、 大学受験の一般入試は、我々平民にとって人生を逆転する最大のチャンスとなっている。
この一般入試に対して、最近、私立大学を中心に導入が進められているのがAOや推薦入試である。 推薦入試の割合が増えると、推薦入試に必要な「経験」を積める金がある家庭に生まれることが 条件となってしまい、格差の固定化を助長するという批判がある。
つまり、悠仁親王が親のゴリ押しによって東大に推薦入学することは、 平民に生まれた人間が生まれの悪さを逆転するためにせっかく得たチャンスを1枠略奪する行為に 他ならず、それ故に平民に敵視され、「ズル」と揶揄されているわけである。
天皇は日本国の象徴と憲法に書かれているわけであるが、 憲法改正のどさくさに紛れて「格差の象徴」とでも書き換えるつもりだろうか?
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
本で使ってる言葉ってことはある程度ちゃんとしてるはずで(読んでないけど)、つまり、Social Class(社会階級)の訳語の略したやつのことであるはず。
貴族と平民、ブルジョアと貧民の差を表していたClassから転じて、社会全体の層みたいなものを表す。
層が変わると行動や思考様式が変わる、というのがその分析の意味。
社会の状況が、人間の行動を左右しちゃうわけやね。犯罪率や自殺率の変化とか。
研究発表としては、「このような層が社会に形成されていますよ」と指摘することがテーマになり得るのであって
つまりこの本の著者は、どうやら、本人の所得差+夫の所得差で、女性の社会階級を考えることが出来る、女性の行動や思考を推定できると主張しているわけだ。