はてなキーワード: プラネタリウムとは
1美術館
いま日本に存在するのが奇跡と言われる名画を見られる大原美術館が倉敷市にある
岡山市内には岡山県立美術館もあり、まあそれなりな絵は見られるし、企画展が回ってくるのでそこそこなものは見れる
中東やエジプト、インドあたりの貴重な品々がそろっており、その界隈では有名らしい
大和に滅ぼされた吉備の古墳がたくさんあり、天皇陵ではないので発掘調査が進んでいる
3伝統文化
備前焼は有名
人間国宝もいるし、現代アート的に備前焼を活用している人もいる
なんかアニメで備前焼の窯元の子の設定の子がいるらしく、オタクにも優しい
映画は、岡山は雨が降らないことを売りにして、ロケを呼び込んで助成出している
5食文化
魚は美味しくない
大手まんじゅうは餡子の塊でしかないけどおいしいっちゃおいしい
6学問
地味だけど優秀
仙台のある宮城県で19、広島県は28、香川県はたった8、愛媛県で12だと思うと、岡山がいかに教育環境に恵まれているかわかると思う
大学がある=教育、研究環境がある=県民が文化的、みたいな乱暴な考えもできるっちゃできるだろう
7歴史
日本は大和朝廷あたりから続いていく歴史だけど、岡山は大和と敵対した吉備の国という大勢力があった
そこから大和に負けて吸収されるわけだが、当時から文化水準が高い街があったのは間違いない
国分寺もあり、古墳もあり、平安時代は吉備真備の出身国としても有名
池田の殿様には皇室からプリンセスが嫁いできて、池田動物園の園長をされている
8演劇
知らん
全く知らん
けど、そういうのができそうなホールはいくつかあるのを知っている
9自然
瀬戸内と中国山地に囲まれているので、海の自然も山の自然もある
酒造好適米の産地でもあり、山田錦以外で名前があがる雄町、赤磐雄町などは岡山の品種
高精度な望遠鏡の設置にも向いているようで、京大の施設の天文台なども浅口市にある
笠岡市にいけばカブトガニの繁殖地もあり、カブトガニ博物館もある
山にいけば蒜山の牧場もあり、オオサンショウウオの繁殖地もある
10スポーツ
高校野球は初戦敗退レベルだけど、オリックスの山本由伸とか、古くは星野仙一、八木祐なんかも岡山出身
高校バレーは就実高校がたまに優勝するし、高校サッカーも去年岡山の高校が優勝した
11おまけ
福岡県の福岡という名は、岡山周辺に住んでいた黒田氏が、福岡の殿様になる際、地元近辺の名前を付けようということで、岡山県備前市の一部の地名、福岡という名を持ってきた
商品のバーコードは店員さんが読み込んで何番の台でお支払いお願いしまーすってタイプのやつ。
そんで今朝もそのタイプのマーケットでお買い物を済ませて飛び込み前転で案内されたレジに向かったんだけど、
買い買い買い物したリストを表示させてみたら
全全全然違うリストが表示されたからレジの店員さんにこれ私のじゃないんですけどって言ったのよね。
結論としては1番と2番のお支払いのところが入れ替わっていて、
私のお支払いを誰かが間違ってしちゃってその人が本来払うべきものが私の案内されたレジに表示されてたの。
なかったので入れ替わったのはレジの支払いだけだったみたいね。
そんでそう言ったケース初めてだったのか店員さん少しばかり慌ててて、
あまりにも今まで私がこの時間帯のレジで店長かと思っていた店員さんが店長じゃなかったことが一番ウケたわ!
てっきり店長の風貌をしてまったく店長と見分けの付かない店員ってたまにいるじゃない。
それが一番おかしかったわ。
でもさー
思わす私間違って安いの殿堂のお店に飛び込み前前前転で入店してしまっていたのかしら?って思ったんだけど、
違ったみたいでいつものマーケットだったことには変わりなかったのよ。
なので、
あれ?これ私の買い物のレジ金額安すぎ!の私の年収低すぎお姉さんを彷彿とさせる両手で口を覆い唖然とするポーズとかは全全全然してないけど、
安すぎてこれ私の会計じゃないでーすって自己申告した私って偉くない?
まったくもってパンを食べたものだけがパンを投げなさい!って謂われを見習いたいほどだと思うわ。
まあ入れ替わった会計も一旦キャンセルしてこれが噂のキャンセルカルチャーなのね!って今流行の体験をふんだんに味わった次第よ。
あと全全全然関係ないけどキャンドルジュンさんの耳のイヤリングが気になって気になって何も入ってこないのは彼の作戦なのかしらね?
まあよく分からないけど。
また増えてしまったのよね。
ハイパーメディアってプラネタリウム作ってる人かと思ったらそうでもないみたいで全全全然プラネタリウム関係ないんだって。
またひとつ賢くなったわ。
今日の教訓としては
セミセルフレジでは金額をよく確かめましょう!ってことでオーケーよ。
うふふ。
いつものパン屋さんじゃない今日の話に出てきたお店で買ったサンドイッチね。
いやカタチが違うって意味の三角じゃないサンドイッチじゃないって話しじゃなくて、
違うお店のサンドイッチも美味しいわよって話よ。
炭酸レモンウォーラーに氷凍らせたレモンを氷がわりに入れていただく
レモン感が少しアップしている気がするわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これが精神を良い感じにする術だと思う。
俺の朝は9時くらいに始まる。猫に起こされる時間による。日によってまちまちだ。寝たい時は12時くらいまで寝ている。
起きたら、適当にパンにジャムを塗ってコーヒーを淹れて飲むか、松屋などに飯を食いに行く。
なかなか面白いもので、今はアークナイツとプロセカとドルフィンウェーブとFGOと超昂大戦をメインにしている。
今度ブルーアーカイブもやろうと思うのだが、使っているエミュレータと相性が悪いらしいので、その辺が解決したら、と考えている。
そうすると大体いいカンジに午後になっている。
フラリと公園に行くか、あるいは図書館や市営のプラネタリウムに行く。
たまには運動もしようと思って、300円ほど払い市営ジムに行くこともあるわけだ。
大体、家の猫と一緒に丸まって寝ている。
あとは映画を散歩がてら観に行って、ライムスター宇多丸なんかのレビューと自分の意見を突き合わせたりする。
ここ数年は、映画がやってなければ、アマプラかネトフリあたりの動画を見るのも楽しい。
友人連中が暇な時は、車に乗せてもらいどこかに出かけるか、ボードゲームなどに興じる。
そこで、大体飯は奢られている。
「働け無職!」となどといいつつ、金を出してくれる友人たちには感謝しきりである。
すると大体夜なので、後は家でネットサーフィンをして、猫と一緒に丸まって寝るだけだ。
気が向いた時にウーバーイーツなんかもしているが、まあ大体無職の範疇で良いと思う。
こんな感じの生活で完成されているので、罪悪感どころか充実した日々と言えるだろう。
働くのが嫌とかではなく、定職につこうと思うタイミングがなかった。
まあ、学生時代に貯めたバイト代すらまだ使い切れていないくらいなので、問題ないと思う。
これはキリスト教社会にあるカード会社が禁忌とされる獣姦を避けているため。カード会社自体の好みかは分からないが、彼の国では忌避されるべきだろう。しかしインターネットという世界中の文化を相手取る空間でキリスト教圏の前提を押し付けるのか。
獣を犯して何が悪い。動物相手の異類婚姻譚など世界中の物語の類型として一般的であり、腐るほどあるというのに。
VR空間というところに来てみた。空を見てみろ。ダンボールに穴を開けたチャチなプラネタリウムみたいだ。
本物の星には距離感がある。他の星が近づきすぎると地球は壊れる。敬いてこれを遠ざけるといった奥ゆかしい空気感が、空の星にはあるはずだ。
なぜない?それはワールドの作者がその表現を要らないと思ったから。メモリの無駄、ストレージの無駄だから。
何をデフォルメし、何が真に迫るべきかを作者が決める。これは世界の創造にあたり、神のみに許される所業だ。これが冒涜ではなく何なのか。獣姦どころではない。
つまりだ、この仮想空間はアンチクライストたる我々のアジトであるというわけだ。諸君らは素晴らしい!天にましますpixivを地に落とすのだ!
正確に言えば私はアンチクライストではなく新時代の宣教師だ。カード会社は神の言葉を聞き間違えている。私はこのVR空間において神の言葉を正しく実践するものだ。仮想空間に神はいない。私が神を宿す。
光あれといった。Unityは音声認識に対応していないので何も起こらず、安普請で異常独身男性が狂った独り言を放つのみだった。
手動で光源を設置した。すると光があった。神は光源をPointLightとし、PLight01と名付けた。
自分のかたちに人を創造するととんでもない化け物を産んでしまうので、いい感じのアセットを引っ張ってきた。
また、それらは十字架に磔されてるっぽい初期ポーズをしており、キリストキッズであることは間違いなかった。
小さい頃から宇宙少年で、プラネタリウム、宇宙関連の展示、天体望遠鏡や地球儀、図鑑など宇宙関連のものにどれだけお金を注ぎ込んでもらったかわからない。うちの親父は「上野の科博にお前を連れて行ってなかったら靴を一足も履き潰さずに済んだ」と今でも言っている。将来の夢はもちろん、まだ駆け出しだったのに教育番組などに引っ張りだこだった村山斉先生と同じ物理学者。
しかし、小さな頃からの憧れは学校の勉強が難しくなると長続きしなかった。東京大学なんて受かるはずないので地方国立を目指し、駅弁の理学部なんて進むだけ無駄だと工学部を選択。神戸大学の工学部と院を出て、現在は地方の工場でエンジニアとして働いてる。
最近YouTubeのWIREDというチャンネルの「質問ある?」系動画を観て、自分には「キラキラした目で人に語れるもの」、「ある分野に関して質問に答えられるもの」が何もないことを自覚して死にたくなってる。専攻してた機械工学の事だって仕事の事だって、同じ職場にいくらでもオタク(良い意味)がいて、給料のために専攻して給料のために働いてる自分とはレベルが違う。趣味だって基本、用意された商品やレジャーを消費するだけ。こんな面白味のない親で、まだハイハイしてる息子にも申し訳ない。
『北斗の拳』が大ヒットした当時、学校の見学旅行でプラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座・北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。
『北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特に、プラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的な正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。
この北斗七星の柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士の視力を検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧の星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニアや古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者の意見を知りたいものである。
死兆星の元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗的名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称を個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女の天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家・野尻抱影(SF作家・野尻抱介のペンネームの元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。
この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それから遠からず一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである。海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。
つまり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。
これ以外に、北斗七星が人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国は東晋の時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。
原典の漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である。
「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士の言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。
方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。
二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。
家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。
『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗から生まれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗に祈りを捧げねばならないのである』と」
現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。
天空の天体、太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間の運命その他の動向が、星など天空の現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。
しかし、私が『捜神記』の物語を面白いと思うのは、最終的に北斗七星と南斗六星のように夜空で目立つ星座が重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別に対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である。
古代ギリシアには、現代の民主主義政治の源流があったけれども、無名の市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話の登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語のユニークさを分かってもらえることと思う。
北斗七星・おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものだから、古今東西の人類の記録に残されている。金星・火星・木星などの惑星もそうである。太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置に存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名も位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである。科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである。現代の文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから。現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。
こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆も確認しようが無く、比較的簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象が現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。
ただし、庶民が自分個人の運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分の意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである。王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである。自分の人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的な思索の出発点となる。
この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか。将棋やチェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯の起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間の運命を変えようと働き掛けるような、呪術的儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。
もっとも、これはあくまでも個人の勝手な空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。
それに、南斗と北斗の囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問的専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである。
農夫が酒と干し肉を提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。
スマートフォンが普及した昨今、TikTokやYoutubeショートなどの登場の影響もあって非常に縦撮りが増えた。
カメラ史上もっとも縦撮りされている時代だと言っても過言ではあるまい。
しかしガジェット好きとして、誕生から撮り続けていた息子(6歳)の写真(動画を含む)が3万枚を超えた父親として、子を持つ親の皆様へハッキリと申し上げなければならないことがあるッッッ!!!!!
様々な電子機器メーカーが「これからは縦撮りの時代だ」と多くの縦ディスプレイモニタ(ピボット機能付きディスプレイモニタ)をリリースしたが一向に縦ディスプレイモニタが主流化する兆しは無いのだ!!!
店頭のデジタルサイネージで見かけるか、「Webページって縦方向に推移するからディスプレイモニタは縦置きがマストなんだよね」とマニアがドヤるときくらいしか見ないんだよ!!!!!
ちょっと考えてみてよ?
もし子供が将来「小さい頃の写真や動画をまとめた動画作りたいんだよねデータちょうだい」って言われたら縦撮りだと困るだろ!!!!!!
それが結婚式披露宴だったらどうするよ?巨大なディスプレイモニタやプロジェクターで思い出を振り返るだろうけれど、そのディスプレイモニタやプロジェクターはおそらく将来に渡っても横だぞ??????
「過去にワープロメーカーがワープロ専用機は将来に渡って無くなりませんって言ってた」とかそういう事例はもちろん知ってるよ?
じゃあ何?あなたは映画を観に行きたいと思ってプラネタリウム映画を想像するんですか?と、360度映像の映画を想像するんですか?と、映画はVRゴーグルでの視聴を想像するんですか?と。
いやいや映画は横だろ!!!映画が360度になるのはまだしも映画が縦にはならんやろ!!!!!!!!!!!
いや将来、縦ディスプレイモニタが主流化するとしてさ?今からそれにBETしちゃうの??????
本当に確実に絶対に縦ディスプレイモニタが主流化すると今から確信できてんの?????????
理解したなら我が子を撮ろうと構えてるそのスマホ!今すぐ90度回せ!!!!!
たったそれだけだ!たったそれだけで将来の子供に格好つけられるんだぞ!!!!!!
「その言葉を持っていた・・・使いやすい素材を全力で提供してやろう」って言えるんだぞ!!!!!!
ちなみに360度カメラだとそのへん気にしなくて良いから楽だぞ!!!!!
あと本当に100番目くらいに大事なのかは知らん!!!!!
よくあるしょうもない話なんだろうけど、最近一年半付き合った彼氏と別れた。有り体に言うと振られた。
原因は私の生活習慣。
うっかり屋なのでたまに水道がチョロチョロ出っぱなしになってたり、こたつのコンセントが差しっぱなしだったり。
それらをやるとすごく彼がふさぎ込み、機嫌が悪くなったし、
マジで私が悪いと思うが、そんなの別れるほど深刻なものか?と正直今でも思ってる。(ごめんなさい)
あと、部屋が散らかってる状態についても認識が異なっていた。(実家に彼が住んでた時、部屋に本当に何もなかった)
正直本気で大好きだったけど、
こんな女と結婚して上手くいくとは思いづらいし、
お互いのためにこれでよかったのかもしれない。
彼(25)は寂しがりやで几帳面で将来に対してはとても楽観的で、手取りは13〜14 万だった。(付き合い始めのとき隠してたよね!)車とバイクを持ってて、よく乗せてくれた。親との関係は良好。
私(26)はどちらかというと一人のほうが好きで、かなり大雑把だけど将来については悲観的だった。(貯金とか手取りとかすごい不安。今でも)手取りは22万、車はなし、今は実家暮らし。こちらも親との関係は良好。
よく付き合えてたな私たち
足めっちゃ臭かった!車乗るとき靴脱ぐんだけど、もう香り立つのね車内に
毎回ちょっとやらかすたびお説教始まるのだるかった!!人のミスには厳しい癖に自分のミスには寛容だったよな
私よりいっぱい食べるのに食費割り勘なの嫌だった!
デート中に彼の友達にあったとき寒空の下小一時間放置されたの嫌だった!風邪引いたわ
ペアリング買ったとき割り勘だったのちょっと嫌だった!もういいけど!
寂しがりで、常に人と繋がってたい(きいろチャットとかやってた)のが嫌ではないが私がいるだろ!ってなった
親に私のこと片付けが出来ない女って言ってたの事実だけどかなり嫌だった!(彼女さんも問題だがお前も神経質すぎと言われた模様)
すぐドンキとか100均で変なお菓子とか飲み物買ってくるの嫌だった!
手取り14万て!子供二人欲しいって言われてもそれはきつくない!?
こんだけ無茶苦茶言ってるけどそれを上回るくらい好きだった、一緒にいたかった
いい女ぶりたくてさっさと出てきちゃったけど別れたくなんか無かった
夜中に私がヘラっちゃって「もう一回チャンス欲しい」ってLINEしちゃったけど、
こんなんじゃ戻っても上手くいくわけ無いじゃんね、
すぐ送信取り消しした
私も嫌なこといっぱいあったけどそれ以上に好きだったんだけどなぁ
今でもあなたが大切にしてくれた時の思い出がフラッシュバックしてゲロ吐きながら泣きそうです
でも私、あなたが嫌いな私のうっかりを100%無くすなんて嘘つきたくないし、
たぶん結婚しても子供できてもやらかすときはやらかすと思うからこんな私じゃ駄目なんだ
努力してヨリ戻しても結局なんかの拍子で違うミスをしてまたきっと爆発しちゃうよね
体調が悪いとき、薬を持って迎えに来てくれた
地震がトラウマなんだけど、大きな地震が来て動けなくなっちゃったときに実家のマンションまで送ってくれた
いっぱいドライブに連れて行ってくれた
ちゃんとした人になりたいな 頑張るぞ
とか言ってましたが、あっさり好きな人が出来ました
ここ2ヶ月くらいほぼ毎週飲んだり遊んだりしてる
今日はプラネタリウムなんか行ったし、見ている中で彼が東の空を見ている間ずっと横顔を盗み見てドキドキしてた
好きだなあ
おとわっかのヒット以来ワッカスレに関する説明がいくつかのwikiやウェブサイトに記述されているが、多くが誤った内容を含んでいる。
この記事にも調査ミスや勘違いによる誤りはあると思うので、そのときは指摘して欲しい。
FF10と10-2がセットになったリマスター版はSteamサマーセールになれば2000円以内で購入できる。
ワッカはその露出度の高い容姿などから元々4chanなどの一部海外コミュニティではゲイ扱いされており、2011年にはそのネタを基にしたと思われる画像が投稿される。
https://www.deviantart.com/zigge13/art/Tidus-x-Wakka-Wallpaper-255514020
2013年にHDリマスター版で主要キャラクターのモデルが作り直されたが、
リマスター版のワッカのモデルはさらにゲイのようになったと話題になる。
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=ZfO4cgCrnMQ)
ふたばにおけるワッカに関するミームは2016年以前にも存在していたとされmayのワッカスレも2016年以前から存在していたとされているが、
今回調査した限りではログが残っておらず詳細な検証ができなかったため今回は扱わない。
2016年10月5日、それまで画像しか投稿できなかったふたば二次裏mayでwebm動画を投稿できるようになりワッカスレにも本編切り抜き動画などが投稿されはじめるが、そこにワッカの動画を大量に投下するとしあきが現れる。
後にEbon Juと名乗る事になるこのとしあきの登場によりワッカスレはmayの中でもっともwebmを活用しているスレと呼ばれるようになるほど大量のwebmが投稿されるスレッドになった。
この順位はFF10のパーティメンバーの中では低い(ユウナ、ティーダ、アーロン、リュック、ジェクトの次)が全体の順位としては比較的高く
「ごみ」とも読めるため、以来ワッカはゴミ扱いされることがある。
なお元祖FF10不遇キャラキマリは87位、ワッカスレにおいてワッカと並んで扱われることのあるFF7のバレットとFF15のグラディオラスはそれぞれ198位と91位であった。
エボンジュは大量の祈り子によって夢のザナルカンドを召喚したが、
Ebon Juは大量のワッカ動画によっておとわっかを召喚したと言える。
一時期引退していたが復活。現在も断続的に新作動画を投下している。
ニコニコ動画でゼERO動画(ロックマンXシリーズを題材にした下品なMAD作品群)の多くを一人で投稿している634と対比されることがある。
熱心なエボン教徒であるワッカのアルベド族(教義に反して機械を使っている)に対する態度をネトウヨのそれになぞらえたもの。
実際、ワッカはユウナ(母親がアルベド族)やリュックの目(アルベド族の目には螺旋模様がある)に気づかないなどアルベド族のことをよく知らない。
そもそもワッカが機械やアルベド族を憎むようになったのはブリッツボールの道を捨て討伐隊に参加し亡くなった弟チャップが原因である。
シンを倒すための旅路でエボン教の裏の部分(本拠地のベベルで機械を使っていること、アルベド族のホームをグアド族が襲撃し虐殺したこと、指導者が死人であることなど)
を知る事でワッカの態度も変わっていき、最終的にアルベド族長のシドに謝罪しワ解する。素敵だね。
プラネタリウムのサビの1フレーズの詩・メロディ(特に『いきたいよ』の部分)とPV内容が素敵だねやFF10の内容と似ているという疑惑がCD発売当時2chなどで話題となっていた。
このことから真実はともかく大塚愛はFF10を剽窃した敵という事になっている。(敵だね)
例:
大好き!
つよくて
かっこいい
愛してやまないキャラクターです
スマホゲー、DFFオペラオムニアでワッカが実装されたときのユーザーの感想。
こんなのまで育ててたら無課金じゃやってられない。
見た目もダサイし。
この歌の歌詞が途中から六尺コピペの「大介」となるコピペが2015年以降流行した。
久しぶりにお前の顔見たら やっぱ俺の気持ち 自分で良くわかった 嘘じゃないって
子供も出来て幸せそうに見えるけど 俺のことも 忘れてないんだろ
俺だって お前のケツが恋しい
前みたく 俺に甘えてこいよ 素直になって
「男同士でこんなこともう無理っす」 って泣きながら言ったよな
ゴツイお前を胸に抱いて めいっぱい お前の頭 撫でてやった 最後の夜
その後だったよ 最初聞いたときびっくりした お前が親父になるって
お前を忘れようと わけもなく いろんな奴とやったけど
やっぱお前が一番だった
お前のケツ お前のチンポ お前の毛深カラダ そして可愛い笑顔
俺は待ってる いつまでも お前のいないこの部屋で
主に大塚愛のことを指す。
ワッカや本編中でもっともキモい行動を取っているシーモアのことを指すことが多い。
きも
>ちよ
>すぎ
>だろ
とレスを繋げることもある。
2018年のDISSIDIA FINAL FANTASY NTのWEB広告「ティーダのコンボ気持ちよすぎだろ」が改変されたもの。
なおこのゲーム中でのティーダのコンボは広告で言われるほど気持ち良くないという。
このころのFF関連のWEB広告は香ばしいものが多く、FF15の広告と並んでファンの顰蹙を買っていた。
この広告はこのほかにも「クラウドの超究武神覇斬を超究武神破斬に間違えている」「ラムザは原作(FFT)でもディシディアNTでも言うほど投石しない」など突っ込みどころが多い。
エボン教の指導者のこと。転じて製作スタッフや声優、動画作成者のことを指す。
2018年にワッカスレが隔離(スレッド一覧であるカタログから見えない状態となること)された結果
ティーダスレと偽装してワッカスレが建ち、そこで張られるWebmもそれに対応してワッカの姿や声にモザイクがかかった内容となった。
Ebon juはワッカの登場シーンの全てにモザイクをかけたまとめ動画を投稿している。
「ワッカさんが産むわけじゃないんだよ」が改変されたもの。
俺はアフタヌーンのコミカライズが入り口だった。単行本1巻も買っている。
映画が面白かったことは間違いなくて、はてなー含む多くの人に見てほしいと思っている。
ただ、俺は本作のクライマックスを少々物足りなく感じた。
AI企業のビルにシオンを奪回しに行くクライマックスは、シオンの正体や行動原理の謎が明かされる伏線回収の見所と共に、
壮大な電脳イリュージョンが展開される。本作を絶賛する人は、謎が解明される快感や贅沢な画面に魅了されたのかもしれないが、
俺は今一つ乗れなかった。おそらく、あまりに映画然としたクライマックスだったせいだろう。
本作のクライマックスは、熟慮を伴なわず固定観念的にサプライズや壮大なスペクタクルを配置した感じがして引っかかるんだよ。
クライマックスの前に、シオンがメガソーラーにプラネタリウムを描き、サトミとトウマの距離が縮まるシーンがある。
無機質な人工物のソーラーパネルに青空が映し出される皮肉で粋な描写を含む美しいシーンだが、
ならばそれに続くクライマックスには、さらに粋なもの、知的なものを描いて見せるべきだ。
別にクライマックスが派手である必要は無くて、メガソーラーのシーンがクライマックスでもいいし、
シオンがサンダーと柔道をするシーンをクライマックスに持ってきて、そこで撃たれて終わってもいい。
なんにせよ、非アニメーターな人がアニメ監督をやるなら、作画アニメと張り合えるぐらいの“知的な芸当”を見せてほしいのだ。
まあわりと大きな不満点を挙げたものの、全体としては良作だし、ぜひ見に行ってほしい。
一つ面白かったのが、アヤちゃんの二人の友達のうち、黒髪ショートじゃないほうの子がちょっとシオン風のキャラデザなこと。
東急ハンズ池袋店では4~5年ほどアルバイトをしていました。もともとは夏休みの短期バイトでしたが、特に離れる理由がなかったのでそのまま継続してズルズルと続けていました。
なぜ東急ハンズだったかは覚えておらず、たんに学校からほど近くて昔から馴染みがあった池袋というだけで選んだ気がします。池袋には中学の頃から通っていましたが、自分にとっては本と家電の街でした。あと駅が複雑。新宿駅などよりダンジョン感はありませんが、西の東武に東の西武っていう初見殺しで有名な罠や縦に長くて迷いやすい構造は初めての人には難しい駅だと思います。
今回の閉店は自分の中では寂しい気持ちでいっぱいです。ハンズの思い出というより池袋という街に対する思いいれなのかもしれません。ハンズの帰りは決まって近所のラーメン屋によったり、休日の昼間ならば真向かいの松屋で食事をしたりしていました。資格試験では決まってロッテリアやマックで遅くまで勉強していましたっけ。家電類もアキバなどより池袋のビックカメラが主でした。
ハンズは自分にとって、池袋という街に滞在しつづけた理由の1つであり池袋の人と直に接する機会を得られる貴重な場所でした。
そんなハンズ池袋店が閉鎖してしまうというニュースを聞いたときは、コロナ禍ではあるもののもう一度行きたいという気持ちが募りました。けれど既に東京までは片道でも2時間は掛かる場所にいる自分にとっては物理的に距離がありますし、そもそも今年の8・9月は東京に足を運ぶことすらできない状況でした。さらにこの頃は家族の妊娠が発覚したことでますます遠出することが不可能となり、結局10月31日の閉店に間に合うことは叶いませんでした。
アルバイトをしていた当時、私の仕事場は主に1・2階。当時は1階が季節ものコーナーで2階はバラエティや健康グッズがおいてありました。私はその品出しバイトだったのです。
冬も夏もあの白ワイシャツに紺のパンツ、それと緑色のおそろいの腰エプロンをして作業をしていました。
当時の2階には、「アニメグッズ」「ジグソーパズル」「コスプレ衣装」「ダーツグッズ」「ケータイストラップ」「健康グッズ」「卓上プラネタリウム」などが狭い中に敷き詰められていました。本当にバラエティ色たっぷりでそれに合わせて大型イベントのたびにお客様がごった返しており、そうでなくともにぎやかなフロアでした。だからたまに他のフロアによると自分の担当のフロアと違って随分静かに感じたものです。
1・2階のスタッフは基本的にひとまとめにされており扱う商品もこの2つのフロアで持ち合いになっていました。なのでフロア同士で商品の入れ替えが行われており、夜中に什器を移動させるなど結構大変だった記憶があります。扱うものも多岐にわたるためか最上階の事務所の廊下には自分たちのフロアの什器が商品を付けたまま所狭しと並んでいる光景がよくありましたね。多分他のフロアからはかなり迷惑がられていたと思います。
当時よく取り扱っていたものとして、変な貯金箱がありました。顔面の貯金箱で硬貨を口にあてるとそのまま飲み込んでしまう貯金箱です。他にも猫がダンボールから手を伸ばして硬貨を引き込むものとか、まあそういう変わり種の貯金場がでかい机の上にピラミッド状に積み上げてあったこともあります。他にはおでん缶とか無限プチプチとかも扱ってましたね。懐かしいな。
あと、北海道フェアも1階で行っていたのですが、ロイズとかのポテトチップスチョコとかも売れ残りが結構出たので事務所の休憩室前で従業員価格で手売りされてました。なので飽きるくらい食べた思い出があります。
クリスマスや夏休みとかは人がごった返しており、品出しするだけで大変な思いをしましたね。
当時エヴァの劇場版が大ヒットしたこともあって、UCCの缶コーヒーが馬鹿みたいに売れていたんですが、あれを補充したり並べるのも地味に大変だった気がします。
そうそう、最後まで猫カフェには行くことがありませんでした。なんで当時行かなかったんだろう
色々あって、だけど結構前の話なので覚えていないことも多いですけど、私にとっては池袋という街を定点観察する一番の場所でした。37年間、お疲れさまでした。
いまはもう従業員でもなく池袋に立ち寄ることはなくなってしまい、その中で池袋もだいぶ様変わりしたようです。ハンズの休憩時間に食べていた松屋やデニーズはもうないらしく、頻繁に行っていた丸善の本屋も既に閉業しています。知らぬ間に色々なものがなくなっています。思い出のハンズもなくなりますます回顧の中にしかない池袋。
この18年間、他人と人間関係において衝突することなんか一度もなかった。自分がいろいろ利用されて辛いみたいなことはあっても、喧嘩したりハブられたり、そういう「わかりやすい衝突」は一度もなかった。あ、これたぶん長くなるから読まなくていいよ。自分のこのどうしようもない気持ちをただインターネットの海に投げたかっただけだから。自分の頭整理するためでもあるしぐちゃぐちゃな文章になるだろうから読むだけ無駄だよ。
で、今まで一度も人間関係で衝突なんかしたことなくて。でも、4月に美容の専門学校入ってから半年で2回も衝突してるんだよね。意味わからん。
1回目は普通に自分にも非があったと思う。親が家庭内別居始めて、失恋して、学校の技術もうまくいかなくて、全部辛くなって病んじゃって。その時1番仲良かった友達に解決策を求めるでもなく愚痴ったら「言葉伝染してこっちも落ち込みそうだからやめてほしい」って10分ぐらい説教された。親身になって聞いてくれなくてよかった。右から左へ受け流してくれてよかった。ただ一言、そうだね辛かったねって、それだけ言ってほしかった。話するまえにそうやってわたしも伝えてた。長くなるしただの弱音だから受け流して最後に辛かったねって言ってくれるだけでいいって、そう言ってたのに。話し終わって開口一番「言葉伝染してこっちも落ち込みそうだからやめてほしい」って。びっくりして言葉が出なくて、ただそのあとその子が10分間ぐらいやめてほしい、とか、そういうこと言ってる場合じゃない、とか、とりあえず耐えてがんばろう、とか、そういう言葉をわたしにかけ続けるのを黙って聞くだけだった。それが5月末ぐらいの金曜日のこと。土日挟んでその子がわたしに話しかけてこなくなった。わたしも、そういうこと言われるとしんどいから話しかけなくなった。それが1回目。
2回目はちょうど今真っ只中って感じかな。わたしの中ではもう終わりにしたいんだけど、どうしても悲しくて泣いてしまうからここで文章にして「いま起きてること」じゃなくて「ちょっと前に起きたこと」に昇華させたい。させられるかわかんないけど。
AとBと、3人グループで仲が良かった。
Aとわたし、
Bとわたし、
AとB、
AとBとわたし、
って、3人それぞれちゃんと2人ずつで出かけたりもしてたし3人でも出かけてたし、3人グループなのにうまく回ってたと思ってた。
Aはまっすぐないい子だった。女子校出身で、今の学校の女社会のドロドロさに「みんな裏でドロドロしてて色々怖い」って言うような、そんな子。
Bは天然っぽく見せるのが上手いけど裏はかなり策士で女社会で生き延びるのが上手いタイプ。味方にしたら心強くて、敵にしたら恐ろしいタイプね。
AとBとわたし、普通に仲良かった。Aの家に泊まりに行ったり、水族館とかプラネタリウムに遊びに行ったりおいしいハンバーグ屋巡りしたり。
夏休み中にディズニー行こうってなって11月のチケットだって3枚取った。わたしの家にある期限ギリギリの株主優待のチケット。
9月半ばからAがわたしのこと嫌いなんだろうなーってわかるぐらいわたしのこと嫌ってそうな子と仲良くしだした。CとDでいっか。Dは別にわたしのこと好きでも嫌いでもなさそうだけど。
わたしは広く浅く、その中で1〜2人ぐらい深い子がいればいいやってタイプだからよくしゃべる子が多かった。Cが嫌ってる子と話す機会が増えたぐらいから、Cに突然無視されるようになった。自分が嫌ってる子と仲良いから無視とかやってること幼稚かよって思ったけど、正直どうでもよかった。世の中合わない人間ぐらいいるし、AとBみたいに特別仲が良かったわけでもないからお互いの精神衛生を保つためにも馴れ合う必要もないと思ったから。
でも、CとDはAとBだけと仲良くするようになった。休み時間も一緒にいたのに、AとBはCとDと一緒にいることが増えた。10月に入ってからは移動教室も置いて行かれるようになった。わたしのことを見かけると逃げるようにささっとどこかに行ってしまうようになった。わたしはAとBに捨てられた。10月に入ってから1回しか話してないんだよね。Bは教室の席も前後なのに。ウケるよね。
10月になってからそんな感じで、あー来月のディズニーどうするんだろうって思った。どうするんだろうって思ったし、普通の人だったら毎週水曜の午後、必死に何時間もかけて苦労して取るようなチケットをわたしのことをハブるような2人に渡したくなくなった。教室じゃ避けられるから、3人のグループLINEで「ディズニーって行く??」って聞いてみた。一昨日のことだ。今日の夕方、Aから返信が来た。
はは、笑っちゃう。
ねえ、わたしのこと、バカにしてる?わたし見てたよ、日にち決まった時、Aが嬉しそうにカレンダーにディズニーって入れてたこと。
どうして1ヶ月近く前に日付まで決まった予定の日に別の子との遊びを被せるの?どうしてAはインスタのストーリーをわたしに非表示にするの?どうしてBはインスタのわたしのサブアカウントをブロックしたの?どうしてBは返信せずに既読無視してるの?
「行きたい!」って返信だったら、それはそれで困ってたよ。チケット渡したくないなって、行ってもそれまでハブられてるのに楽しくないかもなって、どうやって断ったらいいかなって。
そっか、他の子と遊びの予定入れたんだ。わたしは強がって、「おけ!別の子誘って行ってくるわ!」って返信した。ちょっぴり泣いた。本当はちょっぴりじゃないけど、ちょっぴりって言わせてくれ。惨めなんだ。
9月末で前期が終わった。やっと後期が始まったところだった。18年間他人と衝突なんかしたことなかったのに、この半年間で2回も衝突してる。周りの子たちは、ちゃんと友達がいて楽しそうにしてる。あれ、わたしは?わたしは、休みの日に遊ぶような友達、いる?わたしは、放課後スタバに行くような友達、いる?もういないんだ。どっちも。周りの子たちが当たり前のようにできてることがわたしはできないんだ。みんなが普通に作れてるような友達がわたしにはいないんだ。これって、わたしがこの学校の人たちと合わないから?人間関係を円滑に進めるために必要な能力が、人間性が欠落してるから?わかんない。けど、わたしはこの学校に友達を作りに行ってるわけじゃない、高校までの友達だったらたくさんいる、Aはドロドロしててみんな怖いって言ってた割に自分だってそっちに染まってわたしのことハブってるじゃんって、強がることしかできないんだ。
ただ一つわかるのは、わたしが女社会で生き延びるのが下手ということ。
あーあ。笑っちゃうね。
プリキュアの中でというより、今まで見たアニメの中でもかなり好きな部類に入るので、どこが好きか列記しておきたい。
キャラクター設定、変身シーン、ストーリーなど全部好きだが、一番好きなのは主人公「星奈ひかる」の性格。プリキュアのピンクというとリーダー的存在のキャラが多いが、ひかるはあまり「行こう!」「しなきゃ!」とメンバーに押し付けてくることがない。「どう思う?」と相手に考えさせ、答えを引き出す。
星奈ひかるは宇宙や星座、UMAなどが大好きで、その明るさゆえ「ちょっと変わってるけどいい子」としてクラスに馴染んでいるが、自分と同じ熱量で好きなものについて語れる親友はおらず、天体望遠鏡で星を眺めてはオリジナル星座を考えたり、一人でプラネタリウムに通ったりしていた。決してクラスの人気者、みんなを引っ張るリーダー的存在、という感じではないところが好き。一つ上の先輩である天宮えれな、香久矢まどかがプリキュアに加入した際も呼び捨てにすることを躊躇するなど、意外と常識人の面もある。
『スター☆トゥインクルプリキュア』は5人いるが、皆が常に一緒にいるわけではない。サマーン星人のララは13歳ながら大人であり、キュアミルキーに変身したが、物語序盤はAIの助けを借りながら故障したロケットを修理していた(その後地球で学校生活が送ってみたいと思い、ひかると同じクラスに通う)。5人目のプリキュア、キュアコスモとなったレインボー星人のユニに至っては、地球人に興味がないのかプリキュア加入後も自由に行動している。
キュアソレイユ(天宮えれな)、キュアセレーネ(香久矢まどか)は3年生だがクラスが違うし、活動分野も違うのであまり一緒にはいない。えれなはきょうだいたちの面倒を見ながら実家の花屋を手伝っており、まどかは生徒会長と弓道部、習い事などで忙しくしている。
プリキュアとなって戦う際は行動をともにするが、「みんな一緒で、いつも仲良し」という感じを押し出してこないところが好き。
ラスボス、映画通してだが『スター☆トゥインクルプリキュア』では敵の存在を消し去るような勝ち方はしない。特に主人公である星奈ひかるは敵のことすらもっと知りたいと思い、理解しようとしている。物語の後半、パワーアップするために「トゥインクルイマジネーション」というものを獲得する必要性が生じるが、これは5人それぞれが自分自身の課題と向き合い、自分で見つけなければならない。これを獲得する過程が好きだった。
キュアコスモとアイワーンの激しい感情のぶつかり合い、キュアセレーネとガルオウガの90年代を思わせる熱い戦闘シーン、本当の笑顔とは何か問いかける、キュアソレイユとテンジョウのやりとり、宇宙人であることがばれ、恐れられながらもクラスメイトを守ろうとしたキュアミルキーの決意、キュアスターとカッパードの雨の中の戦いと、差し伸べた手…。敵の宇宙人にもそれぞれ敵となった理由があり、葛藤を抱えているストーリーが良かった。
個人的にはまどかの成長が一番好き。「自分は一人では輝けない」と悩み父親の言う通り生きてきたまどかが、父と一体となって矢を放ち、父を超えていくところが良かった。
キュアミルキーの動きは永久保存版だが、他の面々も可愛い。後のプリキュアへ継承されないところを見ると、やはり長すぎたか…?
プリキュアを見ながらこれほど衝撃を受けたのははじめてだった。バケニャン、どこか怪しいとは思っていたが…アイワーン様以上に驚いた。
「映画独自のドレスアップで敵を倒すこと」で終わらないのがいい。他のプリキュアシリーズとのコラボがなくストーリーに集中できたのも良かった。
美しい地球の風景、ユーマとララの心の交流と別れへの不安、「それだけで、いいのかなって」ひかるのララへの問いかけ、ユーマが宇宙に還っていくシーン…。知念里奈さんの主題歌も美しかった。一度は見てほしい。
始まるまでは「星というとセーラームーンをイメージさせないか?」と若干心配したが、そんなことはなかった。12星座に焦点を当てたこと、他の星に行き、宇宙人たちと交流するストーリー、宇宙での機動的な戦いも面白かった。ロケットで頻繁に地球と宇宙を行き来するため体への負担が大きそうではあるが。夜空や星を見上げるシーンが多いところもスタプリならでは。取り上げているテーマが深いし、ストーリーもわりと中身があるが、ひかるやララのキャラクター、絵柄、色味などをポップにすることで見やすくなっている。
今年の9月末に東急ハンズ池袋店が閉鎖する予定です。学生時代にこのハンズで4年くらいバイトしていたこともあって意外と思い入れがありました。建物自体は当時から古いと感じていましたし、中央にエスカレータが鎮座し、階段とエレベーターもあってかちょっと窮屈な店内です。何が目玉かというほどのものではなく、良い意味で雑貨を売る店です。ホームセンターとドンキの中間でしょうか。必要な雑貨からちょっと奇抜なものまである程度揃っているところです。
2年ほど前に一部改装しているらしいのですがそのときは行けてませんでした。今思えばあのときに立ち寄っておけば良かったなと少し後悔。
バイトは大学の夏から3~4年くらい。本当は夏季限定だったけどなんだかんだで就職直前までずっと続いてました。当時のハンズ池袋店は1階が季節物で2階はバラエティ・雑貨が中心。オモチャ、ジグソーパズル、ダーツ、フィギュア、変な時計、ケータイ(スマホ)グッズ、面白系貯金箱、コスプレグッズ、パーティグッズ等が所狭しとならんでおり仕事の大部分はその1,2階部分の品だしやバックヤード整理および接客です。
入口から近いこともあって自分のいたフロアはかなりガヤガヤした印象でしたが、上層階は文房具・キッチン用品・DIYなどとさっぱりした品揃えなので階を移動するとだいぶ印象が違ってましたね。
フロアの性質上、シーズン毎にかなりレイアウトや商品が変わるのでとにかくいつでもバックヤードは忙しかったです。書籍関係はあまりなく重量が軽めな商品が多い代わりに大きさが不規則かつ大量に揃っているのでバックヤードに押し込めるのも滅茶苦茶大変。特にハロウィン→クリスマス→正月とか大型のイベントの重なる時期は通路の半分は段ボールで埋まってました。というか最上階のスタッフルームの廊下まで什器が占領していましたっけ。大半が自分所の寄りの内容なのでいつも忍びなかったな。
バイトなのに閉店作業やその後のレイアウトのために什器を移動したりと結構色々やった記憶があります。特に繁忙期は日付が変わる少し手前まで働いていた記憶があります。
立地も相まってアニメ関連のグッズも大分多く、流行のアニメや漫画関連は飛ぶように売れるのでガンガン品出ししていたな。新劇エヴァ序と破が公開されてエヴァ人気がかなり加熱していた時期でもありました。一日中「序」のヤシマ作戦の映像がリピートされていたり、エヴァの缶コーヒーがどんどん売れたり。もちろん近所のアニメイトとかはもっと凄かったでしょうが。
なぜか当時は顔面貯金箱などの面白系貯金箱が流行っていたため、季節の合間は貯金箱で埋め尽くされるときもありましたね。まあ品出しが楽なほうなのでよかったですがしょっちゅう電池が切れるのがくせ者だったかな。
コスプレグッズで多いのは試着していいかという問い合わせ。ウィッグはいいけど中身開けるタイプのものは結構はばかれるんですよね。まあ正規スタッフが立ち会ってあけてましたが。
夏休みの頃だったか、楽器コーナーができて他のスタッフがウクレレを弾いていたのはちょっと面白かった。完全に素人だしかなり無理矢理弾かされていたようだったけど、なんか独学でうまくなって最終的にはちょっと楽しそうだったな。
パズルコーナーの担当の人はパズル会社に転職するほどのめり込んでましたっけ。パズルの専門担当がいなくなってからもアニメ関連のパズルはよく売れていたので売り場面積はそんなに縮小しなかった印象です。といっても意外と場所を取り重いジグゾーパズルは少し面倒な商品でしたが。
変わり種としては356日の誕生日にちなんだミニ本とか、絵画と砂時計が合わさったような変な置物がそうでした。自分のお気に入りはシュライヒという海外製の動物フィギュアで、結構高いけど中々凝っていていつか集めたいなと思っていました。意外と家庭用のプラネタリウムも売れていたなぁ。
という感じでそこそこ長くバイトしていたので思い出もいっぱいです。いまはフロアも大分改装しているようですし、以前と違って2階はバラエティフロアではなくなっているようです。自分のいた頃は良い意味で雑多。常に変化することが持ち味のような場所でした。自分のフロア以外も日々全然違う様相になっており、スタッフのエプロンポケットには最新のフロア索引が常にありました。それでも案内しきれないものが多いんですよね。
でも面白い職場でした。老朽化とはいえ、ああいう店は今後も別の形で残って欲しいな。
本当は夏の間にもう一度行きたかったんですが、最悪なタイミングで東京近郊に緊急事態宣言出ちゃいましたからね。まあ東京で4000人弱も感染者出しているなかで動くのは明らかに危険な上に、閉店間際の店にいこうなんてのは自殺行為に等しいです。