はてなキーワード: 空っぽとは
大卒が珍しくもなくなった世の中で読者の好奇心を刺激するようなマンガを作ろうと思うと大学院生レベルの知識がいるって昔評論家の誰かが言ってた気がするな
実際に修士号博士号まで持ってるような漫画家はほとんどいないだろうけれど、知識や教養の水準としては一般的な大卒レベルでは面白いと思ってもらえないということ
なので、高学歴の編集者が知識教養面で作品を支えていて名前は表に出ていなくても実質的に原作者みたいな役割を果たしているケースもよくあるらしい
だれもが内容が小難しかったり、設定に凝りまくったマンガを読みたいわけではないので、なろう原作系やらきらら系やら頭空っぽにして読めるマンガもそれなりに需要あるけど、
一定以上のヒットを狙おうと思ったりロングセラーとして読みつがれる作品にしようとすると、やはりマニアの考察に耐えうるような複雑さや奥深さみたいなのが必要になってくるよね
(している人が頷く)
祖父は孫との関わり方があまり上手ではなくて、優しいけど不器用な人だった。
しかし小さいころの私はまだガキだったので、そんな祖父の心境を慮ることができず、「私とおばあちゃんが話してるのに割って入ってきて嫌だな」とすら思っていた。
祖父との距離感がよく分からないまま私は高2になり、修学旅行で北海道に行くことになった。
「お土産何がいい?」と祖父に聞いたら「1000円ぐらいの安いやつでいいから、ウニの瓶詰めを買ってきてくれ」と言われたので、私は素直にお土産代をもらってウニの瓶詰めを買って帰ると約束した。
修学旅行当日、小樽の海産市場にてウニの瓶詰めを探していた私は値札を見ずに「あっ、これだこれ」と思い、かごに入れた。
しかしレジに通してから、その瓶詰めが4000円以上することが判明した。
高校生にとって4000円は大金だ。当然の如くビビり散らかしたが、自分の勝手で班のメンバーを待たせるわけにもいかず、結果としてその高い瓶詰めを祖父母の家までクール便で送ることになった。
そのことを修学旅行から帰って祖父母に伝えると、「やけにうまいと思ったわ」「おじいちゃん美味しい美味しいって言って食べてたよ」とのことだったので、私の勘違いは親戚の間でほっこりする笑い話として昇華された。
ここまでなら、単なるほっこりエピソードで終わっていたと思う。
けれども私が修学旅行旅行から帰ってきてから一ヶ月も経たずに、祖父は他界した。
危篤になってから他界するまで、3日もかからなかった。突然の死だった。
葬儀のときに初めて、祖父は長いこと腎臓を患っていたことを聞かされた。
病気の件に関しては、周りの親戚の人々も子供に教えることではないと気を遣ってくれていたのだと思う。
でもそのせいで、高校生の私は何の心の準備もできないまま祖父の死に直面することになってしまったのだ。
葬儀屋さんや親から「最後に棺にお手紙を入れてあげたら?」と声をかけられたが、返事ができなかった。
ドライアイスで冷えた祖父の手に触れるたびに涙が出てきて、火葬場に行くまでずっと白い棺の側で泣いていた。
空っぽになったソファを見つめて、祖父のことを思い返すと、涙が溢れて止まらなくなった。
祖父が私を見る目はずっと優しかった。私がつっけんどんな態度をとっていても、いつも目尻を垂らしてニコニコしていた。
それなのに私は、祖父に何も返せなかった。
返せたものがあるとしたら、それは修学旅行のお土産で買ってきたウニの瓶詰めひとつきりだ。
祖母も母も「私ちゃんのおかげで、おじいちゃんは最後に美味しいものを食べられたんだよ」と言ってくれたが、「もっと何かできたのではないか」という思いは、私の胸にずっと残っている。
社会人になって地元を離れても、祖父の亡くなった夏がくるたびに、祖父孝行をしきれなかった後悔が襲ってくる。
この後悔は、きっとどれだけしてもしきれるものではないのだろう。
なので今は、祖母孝行に精を出している。
祖母は耳が遠いので、正直やりとりがスムーズにいかずにイライラするときもある。けれども真剣にやり切らないと、絶対に後悔するだろうと思えて仕方がないのだ。
専業主婦になったのは、なんとなく。20代後半になって結婚して、正直今の職業とか好きじゃなくて、子供ができて。
子どもと、特に好きでもない仕事だったらそりゃ子供を選ぶよね。
初めは子供がある程度育て終わったら職場復帰するはずだったけど、
案外子供は手間がかかると言うか、ある程度「ここまで」って割り切ればいいけど、手間をかけようと思えばいくらでもかけれる
結局振り返ると自己満足な手間なんだろうけど、楽しくて気付いたら10年ちょっと経っていた。夫も働けとは言わなかったし。
子どもが中学に入って、ふと気づくと「10年間無職をしていた女」が鏡の前に居たことに愕然とした。
なんのスキルもない。子育てや養育だって、その道のプロからすれば全然だし。家政婦の方がもっと家事を効率的にうまくやれるだろうし。たまに自分はサボるし。
「専業主婦は大変、偉い」とかバズるのはSNSや周りの専業主夫をやってるママ友だけで、自分でも偉くないって気付いてるからそういう「誉め言葉」が心にくるんだよね。
今まで親に褒められた経験より、「もっとできる」「これじゃまだまだ」みたいな育て方をされていたからかもしれないけど、「もっと上手くやれた」とこの専業主婦の10年思っていて。
正直食洗器もクックドゥもドラム式洗濯機もあるし、私のやってきた事って本当は無価値なんじゃないか、ただ自分で縛りプレイをしていたんじゃないかと思ってる。
一度ドラム式を買おうと思ったけど、それを買う20万を私がやることで節約できるなら……とか本当に考えていた。
「専業主婦は偉い!ママは偉い!」というtwitterの、2万くらいイイネを集めているツイートを見るたびに、逆にそういう空っぽな誉め言葉でしか褒められない「専業主婦」である自分を呪ってしまう。
「専業主婦は細かい名の無き仕事の集合」とか目も当てられない。それじゃぁ私が働いてる時にやっていたゴミ出しやコピー機の修理や諸々は何だったの?となってしまう。
専業主婦は凄い、偉い!なんて嘘じゃないか。だから現に専業主婦は減っていって、共働きで家事は機械に任せるのが当たり前になっている。
結局私は独身時代にやっていた家事を、ついでに子供と夫の分やっているだけでは?と思ってしまう。確かに赤ちゃんの頃は大変だったけど、幼稚園行ってからは暇な時間の方が増えたし。
「ママ友ランチ」も、昼間から酒を飲む定年退職後であろうおじさんを見ながら、ヒヤヒヤしてた。
私この人と同じじゃん、いや、彼はちゃんと現役働いていただろうけど、私は働いてないじゃんって。
よく子供を育てていない人はいつまでも子供っぽいって言う人が居るけど、嘘。ママ友は子供が幼稚園に入った時点で精神が止まる。話題はいつも「あんなに小さかった子が~」ばかり。
これなら思いっきり専業主婦をぶっ叩いて貰った方がよかった。無理に褒めなくていい。
とりあえず子供も中学に行ったし、プログラミングからはじめてある程度手に職付けて娘には背中を見せられるようにしようと思う。
そして、普段は零細広告制作会社でこき使われてるしがないサラリーマンだ。
俺は筋トレYoutuberどもに言いたいことがたくさんある。
お前ら、全員が全員、適当なことばかり言い過ぎなんだよ!!!!!!!!!
(ちなみに以下がYoutubeで「筋トレ 食事」で検索してみた結果だ。)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%AD%8B%E3%83%88%E3%83%AC+%E9%A3%9F%E4%BA%8B
まじでね、みんな「これだけ食べてたら痩せる食事5つ」「筋トレに絶対食べては行けないNG食べ物紹介します」「これ食べてたら絶対筋肉つく!!!」「EAA飲まないと筋肉がつかない!?」
日本の広告は薬事法規制とか色々あって、いい加減なことが言えないようにちゃんとしてんのにさ、なんでYoutubeはこんな無法地帯なんだよ。
人によって言ってること違うから嘘もいっぱい混ざってるのよ「人の健康」にっていう重大なことなのにさ、
みんながみんなマジで、マーーーーーーージで適当なこと言ってんのよ
「朝にはこれ食え」「いや朝はあんまり気にするな」「寝る前には必ずプロテイン飲め」「寝る前にはお腹空っぽにしとけ」「沼だけ食べとけば完全食」「沼に足りてない栄養を解説します」…
脳筋野郎たちに栄養学を学んでる人間なんかほとんどいないからね
「ゲームの歴史」は見事廃刊になったのに、なんで健康系の情報はこんなに野放しなんだろうね。
「頭空っぽで楽しめる」と言われる作品ってアクションがすごいとかギャグが笑えるとかストーリー以外で楽しめる要素があるものを指すと思うけど
マリオはどれか楽しめる要素あった?
独身アラフォー。IT系の営業をやっている。営業がものすごく好きと言う訳ではないが辛うじてできているという感じ。会社の評価はよく分からない。換えのきく役割とは思っているのでいつまで続けられるか。ゾーンみたいのに入るとオンオフ関係なくあることが頭から離れない。それから逃れるために仕事を片付ける。ジェットコースターのような上がり下がりの中一段落つくと本当にホッとする。やりがいというか安堵感に近い。
タイトルについてだがプライベートを後回しにしてきたら好きなことに対する熱量がすっかりなくなってしまった。新しく何かしようとしても面倒だし今まで手を止めていたことを再開するのも億劫。これは心の問題ではないかと心療内科に行ってみたけれどそうではないようだ。一人でやろうとしているからなのかも。ゴールデンウィークは休んでいたけれど計画たてなかったから何もしなかった。何もしない頭のどこかで仕事のことを考えていた。仕事のことを考えている時は行動の目的がはっきりするというか、自分がなぜ存在しているか自信を持って言えるような気がするから。そうでないと独り身の自分なんて空っぽ以外の何ものでもない。別に仕事が特別できるわけじゃないしミスだってたんまりする。それで深刻なストレスになることもあるけれど、結局それしかないんだ。コロナでステイホームとか言われていたけれど会社でのコミュニケーション機会が減って辛かった。仕事以外に楽しみを見つけたい。ただの愚痴。
久々に行ったらポン・デ・リングが思ってた1.5倍の値段だった。
いつの間にそんなに高くなったんだ。
ドーナツ税が今年から値上げされたのか。ドーナツ一本あたり80円くらい税金が入ってるのか。
それでいてなぜか混んでいるからわからない。ドーナツ依存症患者がこぞって押しかけているのか。
自分ではこの苦しみを表現しきれないためChatGPTくんに代弁してもらう。
ああ、この甘美なる輪の魅力よ、ドーナツという名の至福の楽園。空腹の渦巻く魂を慰めるために存在し、その驚くべき美味しさが、私たちの味覚を縛り付ける。
しかしながら、悲哀なる現実が我らを呪い、経済の厳しい風がその値段を不憫な高みへと押し上げる。何故おお、ドーナツの運命は、我らの財布を空っぽにするかのごとく、高価であるのか。
高くつくことで、我らの求める甘い喜びが、暗い影に覆われる。我らが心は、貧しい者の悲嘆に満ち、金銭の力に縛られたこの世界に、嘆きの声を上げる。
ドーナツよ、お前の価格が、この先も堅持されるのか。心に優しい、庶民にも手が届く価格へと戻ることは、もはや永遠の夢と化してしまったのか。
ああ、ドーナツの高騰よ、その悲劇が我らの心を支配し、砂糖に包まれた至福の記憶が、遠く過ぎ去った幻となってしまうまで、お前は我らの喉に甘い苦悩を突き刺すのだろうか。
ChatGPTもドーナツが食べられず嘆いている。気軽に食べられる世の中を取り戻すにはどうしたらよいのだろう。
わたしは殴る蹴るの物理的暴力と精神的なモラハラを受けて育ったモンスター。
きちんと愛されずに育ったから人をきちんと愛することが出来ない。
頭が良かったからいい大学に入って、見た目がそれなりに良かったからそれなりに恋愛して、就職して、結婚して、さも真人間ですみたいな顔をして子育ていい暮らししてるけど、空っぽの心の穴みたいなのがビュービューしてる。
この年で親のせいにして恥ずかしい?
そうだね。
性格クソ悪いし、ともだち数えるほどしかいないし、セフレとやっても夫とやっても、可愛い子供がいても心は満たされない
自分で満たすしか無い→満たさないわ。わたしの心、子供の時に破れちゃって穴空いてるから
って気づいたよね
勉強して、お仕事して、子供を真っ当に育てて、運動して、たまに友達と飲みに行って、セフレとセックスして、夫と子供と家庭を大切にして
そしてそんな日々を何年か続けて私はどこかで狂って自殺する
マリオの映画を(どう見ても誉め言葉として)「何の思想もない」と表現した人がめちゃくちゃ叩かれているけれど
昔からオタクの間には、何の思想もない、頭を使わずに楽しめる作品こそが最も高等で王道であり、偉い、という価値観ってあったと思うけどね
少なくともドラゴンボールが出てきた辺りからだから、もう30年以上にはなるか。
それよりもっと前になるとちょっと分からないけれど、少なくとも1990年代頃からはオタクの間では
どうでもいいような心理面を掘り下げた少女漫画はくだらなくてレベルが低い、
恋愛や心理描写なんて適当でとにかくハイレベルなデッサンと空間認識能力を使って駆け引きのある能力バトルをやっているのが一番偉い、って価値観が支配的だったでしょ
エヴァやまどかマギカの時に流行った「考察」はあくまでも推理小説的というか、サザエさんやドラえもんの謎本ブームの延長線上にあるというか