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はてなキーワード: 精神安定剤とは

2019-09-10

しげの秀一、新作のカーレースものでもしつこくレースクイーンのお色気を書いてるのが目ざわり

でも巻末のコメント見る限りかなり精神的にやばそうだから、そんななかでの唯一の精神安定剤なのかもしれないと思うと、書くなとは言えない

しかしなあ・・・書くなら書くでもっと勉強してほしいわ・・・

正直三峯徹の一歩手前の抜けなさ具合だぞはっきり言って

2019-09-09

anond:20190908235850

糖尿病が酷過ぎて血糖値が600を超えるようになり、低ナトリウム状態になり感情的失禁を起こし、怒りも悲しみもコントロール不可能になった。

鬱状態で身動きもできず、それ以降投薬されたパキシルと言うのが致命的で、池田小学校事件だとかナントカ連続殺傷事件は全部この薬が原因らしい。

ほぼ寝たきりの人間でも背中ロケットを載せて貰ったように動ける代わりに、学校で一度たりとも殴り合いの喧嘩などしなかった気が弱すぎる者が、目の前で赤になった信号機に向かって怒鳴り散らし、こんな設定をした奴は今すぐ死ねとか信号が青になるまで怒鳴り続けられる悪魔の薬。

SSRIと呼ばれるセロトニン再吸収阻害薬。本当に苦しい鬱の方には効くが、糖尿など別の理由で動けない、感情おかし人物に処方すると殺人鬼になる。

他の人物もこの薬の薬害で怒りがコントロール不能になり、警察相談して「人を殺さないうちに逮捕してほしい」と名乗り出て保護を求める人物が続出した模様。

何度頼んでも「アレもできませんこれもできませんそんなこと絶対にできません」と逃げ続けた市役所保健所と違い、こちらも警察生活安全から精神病院に連れて行ってもらい、警察なら対応してもらえた。

それでも精神病院医者と言うのは、プライドの塊で患者マウントして偉そうに説教ばかりして馬鹿にして蔑むのが精神科医と言う生き物。

内科外科追放されたキチ*イがなる診療科のようで、当たった主治医もキチの典型

パキシルを停止するという処置は後から知って正しいと思ったものの、精神安定剤だとか何にも処方せず入院費だけ取られるなら意味が無いと退院

次のアナフラニールと言うのもsnriセロトニンノルアドレナリン再吸収阻害薬で、パキシルよりはましなだけで充分に殺人鬼量産薬。

もう15年から20年に渡って怒りはコントロールできない。

どんな薬も意味が無かったが、最近内科血圧の降下剤を貰い始めてから多少マシになった。

2019-08-26

初めて風俗に行きました

 風俗店を利用する同級生あるいは同僚を、心の中で「俗物」と罵っていた。先輩社員の奢りでピンクサロンへと吸い込まれていく同期を、心の底から軽蔑していた。私は今日その男根への承認という勲章を求めて風俗店を利用する許されざる「俗物」となった。最もなりたくなかった存在へと身を落としてしまった。それだけではない。下らない自尊心と間違った配慮、そして醜い自意識によって、正常に風俗店を利用する彼らよりも程度の低い存在へと成り下がったのだ。そして、自分の汚れた心の言い訳にこのような俗物的な文章を書き残すことが、さら私自身を俗物へと貶めるのだ。

 私は鬱病だった。毎日のように精神的発作を起こし、衝動的な自傷行為――主に私が許し難いと感じている非道徳的な行為私自身が行うこと――に明け暮れ、一人孤独に単調な日々を過ごしていた。それでも、他者を私の精神的安定の材料として利用しない、という規範自分に課していた。それが今日、あろうことか破られたのだ。気づいたときには風俗街にいた。私は自身脳内で散々に罵倒していたあの「大学生」あるいは「社会人」達と同じ線の上に立っていた。ここ数ヶ月の見窄らしい自らの行いを、許されざる粗相の数々を精算するため、最も忌み嫌う場所へとこの脚が無意識に私の身体を運んだのだ。私は鞄から精神安定剤を取り出し、僅かに残っていた飲料水でそれを胃の中へと流し込んだ。

 何度も嘔吐しそうになりながら、それまで未来永劫に自分とは関係のない場所だと思っていた欲望の通りを歩いていく。私はこれから、今まで見下してきたあの俗物達と同じ存在となる。価値のない私にはそれくらいの地位が相応しい。しかし、ああ、なんということだろう! 真面目に労働として性交提供している女性が、そんな卑俗な目的のためにこれから私と交わるという悍ましき状況が発生しているのだ。なんと失礼なことだろう。なんと不誠実なことだろう。彼女らはその吐き気を催すような目的に協力するため労働時間とその身体提供することに同意するだろうか? ――するはずがない! もしそうでないのであれば、同意しないことを強く勧める! 性産業従事するということ自体が――その産業構造が現実的女性への搾取を含まざるを得ないという事情こそあれど――世間一般で言われているような尊厳を切り売りする行為だとは思わない。しかし、私のこの悪意に満ちた目的を拒絶せず性交に応じることは人間尊厳を切り売りする行為だと言っていいだろう。根源的な悪人である私は、黙ってその目的を達成しようとしているのだ。他者を利用してまで!

 最も店舗の密集する地帯に入ってから入店まではそう時間を要さなかった。雨が降っていたこともあってか、休日の夜にしては人通りがかなり少なかった。私は「これ以上ここを歩くのは耐えられない」と感じた地点で歩みを止め、二、三歩戻って完全に初めての領域へと足を踏み入れた。目に映った中で一番美しいと感じた風俗嬢を選び、直後にはその行為が行われる部屋へと導かれていた。他者の外見を値踏みするようなことをしてしまった自分がいやになった。自分は最低の人間であるという自覚が床板を踏みしめる毎に強くなっていった。

 部屋に入ると彼女は料金表を提示した。風俗を利用したことのない私には躊躇いの気持ちが生まれるような数字が並んでいた。しかし、高ストレス仕事には高額な給与が支払われるべきであるから、私はちょっとした電化製品を買うくらいの紙幣を財布から取り出して嬢に渡した。報酬をどこかへと持って行った後に戻ってきた彼女は「じゃあ、脱ごうか」と言った。私は大袈裟に恥じらうような態度を見せ、服をすべて脱ぎ、私の小柄で貧相な身体露出させた。嬢の身体は今までに見たこともないほど整った曲線を描いていた。乳房乳首も、腰のくびれも、肌の質感も、すべてがお手本のように綺麗だった。陰毛が除去されているのも相まって、その造形は芸術的ですらあった(後から考えると、このことも私の陰茎の勃起を妨げる一因だったのかもしれない)。

 彼女は私に寝転ぶよう促し、乳首を舐めた。あまり気持ち良いと感じなかったが、私は童貞のごとく過剰に喘ぎ声を捻り出した。ある程度ペニスの固さが保たれてきた頃に避妊具を装着し、口淫を施した。口淫にも少し物足りなさを感じたが、私は情けない声で喘ぎ続け、呼吸を速くした。嬢は私の童貞的な反応を楽しんでいるように見えた。不誠実な利用客である私ができるせめてもの償いは、彼女仕事に伴い感じるであろうストレスを少しでも減らすことだった。私が彼女リードしてもらう形で性交が行われた。仰向けになった私の九割ほどの固さになった陰茎の上に、彼女女性器が乗った。騎乗である性交が始まってしまったのだ。私はだんだんと罪悪感に侵食されていった。実際、何度も中折れし、心配する嬢に謝罪を繰り返した。「なんだか、とても悪いことをしているような気がしてくるのです」と私は言った。嬢は相変わらず整った顔で、ふふっと笑った。嬢に導かれるがままに体位を変え、騎乗位、正常位、後背位、そしてまた正常位で必死に腰を動かした。彼女の顔は何年も前に別れた元恋人に少し似ていた。正確には、元恋人の加工に加工を重ねたセルフィに似ていた。嬢はそれほど美しかった。しかし、中折れは何度も繰り返された。そうこうしているうちに制限時間は迫り、残り時間が少ないことを告げるベルが鳴った。嬢は残り少ない時間でもう一度挿入をして射精させようとしてくれたが、陰茎の固さを保つために実施された手淫の間に射精してしまった。私は「すみません」と謝った。嬢は数十分間ずっと私の童貞的な反応を楽しみ、時間内に射精できるよう最大限協力してくれた。とても申し訳ない気持ちになった。

 性交を終え、受付の中年女性との短い談笑を済ませ、来た道とは別の経路で自宅へと急ぎ気味に歩みを進めた。身体を人通りの多い道へと近づけながら、私は自分の心にあいた穴がまったく埋まっていないことに気がついた。自罰行為と、それに伴う射精は私の心の問題解決する方法ではなかったのだ。家に着いた頃には、嬢の顔も思い出せなくなるほど記憶曖昧になっていた。ここまで書いた文章以上のこと、すなわち映像的な記憶は綺麗に脳内から消し去られていた。ただ、彼女容姿が美しかたこと、私が情けない姿を他者に見せてしまたことだけが今日の出来事の象徴としてぼんやりと頭に浮かぶだけだった。私は本当に風俗店を利用したのだろうか? それすら疑問に思うほど、私の体験密度は急速に小さくなっていった。確かなのは、財布の中身が随分と減っているということと、私が以前より私自身を嫌っているということだけだ。

2019-08-07

もしもキョンハルヒキスしなかったら→なろう系

結論→なろう系が流行してしまったのでハルヒ時代は完全に終わった。

「非日常より日常大事」と言ってしまったハルヒはもう世の中の空気と合わないので続編は出ない。

そもそもオタクフィクションに求めてるのは「面白い嘘」であって、

「刺激的な非日常より退屈でも日常のほうが大事」なんていう

「楽しくない正論」が聞きたくてアニメラノベに触れてるわけじゃないので、

憂鬱(もしくはアニメ1期)のラスト個人的がっかりだったんだが、

その後のらきすたけいおんの流れで日常系が覇権を取ったこともあって

ゼロ年代はあれが最適解っていう空気ではあった。おれとは考えが違うけど。

だけど平成の終盤でなろう系が大流行するということは、

本当はみんなやっぱり「楽しくてご都合主義な非日常」を求めてたわけで、

ゼロ年代オタク達は自分に嘘ついてハルヒ正論を受け入れて、

日常四コマ精神安定剤として摂取することでやり過ごしてたのが、

だんだんクスリが効かなくなってきた結果、欲望我慢しなくなったのでなろう系の時代になった。

であるなら、はじめからキョンハルヒキスなんかしないで、

ハルヒ世界面白おかしく改変して非日常満喫する内容にでもしてれば、

今でも続編が作られ続けてオタクコンテンツトップランナーでいられたんじゃなかろうか。

とにもかくにもハルヒ時代は終わった。あの頃ハルヒ熱狂してた俺以外のオタク達は今何を思うのか。

2019-07-23

”はやく人間になりたい”と思ってた

窮鼠、ねこをはんでごめんな!噛むよな!これまで、ずーーーっとはんでた。

さておき、先週末、tofubeatsライブの前売りを買った。

ライブに行くのなんて、本当に久しぶりで、ちょいビビってる。

まぁ、これで取り敢えず、秋までは大丈夫

あれを書いた時点で、俺はまだ境界線上にいると思ってたけど、

よくよく考えたら両親は捨て置けないだとか、

色んなアルバムやら、映画がすげぇ楽しみだとか、tofu見にいく約束だとか。

そういう事が続く限りは、もう、だいそれた事なんて、できっこないとわかった。

油断はしないし、悲しいことをしないよう努力し続けるよ。

から俺が無敵の人ってのは、もう正しくなかった。指摘してくれた人ありがとう

改めて、今、身の回りにあるもの豊かさに気づいた。

正しくは、引きこもり歴すげー長くて、発達障害おっさん夜間大学生だわ。

昔は、毎朝シャワー浴びながら、黒歴史こすり倒して

"ファックファックファーーック(@勝手にふるえてろ)"言ってた。

最近、そういうのほんとに少なくなってた。

あと指摘があったけど、引きこもりなのに夜間学生ってどういうこと?ってのは、

まり書きこんでなかったから年表書いた。世の中こういう奴もいる的な。

長くなりすぎたから、暇な人だけね。最初に謝る。

13-23歳 

ひきこもっていた。よく覚えていない。

母と折り合いが悪く、父と住んでいた。

20くらいのとき高認取得

22のとき合宿免許に放り込まれ

すんげーデブいじりされた。同室の元ヤンと買い出しに行ったときに、

一番デカポップコーンを手にしたら、"納得だわー"といじられる。

俺もすげー納得したので後にジムに通った。

11ヶ月ほどで102kgから62kgくらいまで落とした。

おかげで妊娠線はばっちり刻まれた。

元ヤンは大型取りに来てる人で、車をもってきてた。こっそり海に連れて行ってくれたりした。

浜辺に転がっていたウニに車の鍵を突き立てて、中身をすすった。粗野な味がした。密漁だよな。

ちなみに適正検査は全て最低だったし、VRで受けた危険予測講習では、

飛び出したボール子供もみーんな轢いてしまった。すまん。

24-26歳

引きこもりから、使えねーやつになる。バイトはじめる。

ミスりまくる。高校生バイトdisられまくる。

より良くなったる!と決意。

一時期、はてなに氾濫していたlifehack英語記事を全ブクマ自己啓発書を読みあさる。

"道は拓ける"したかったし、"思考現実化する"したかった。全部、真に受けた。元気だけはあった。

5時に起き始める。勉強する。音読する。運動する。

じっとできない、瞑想できない。野菜350g取れない。今も取れてない。

(でも、キムチ鍋と蒸し野菜は時々やるようになった。)

作業熟練するも、同期より能率悪いことに気づく。

職場に居づらくなる。シフトを減らされる。ジョブチェン

何度か上記の流れを繰り返した後に、

家族の紹介で、初めてスーツを着るような仕事をする。

非正規だったが、二年後には正規に、という今思えばクソほど有り難い話だった。

博多駅そばにある誰もが名前を知ってるような企業だった。

仕事内容はちょっぴり特殊事務って感じだったけど、

これまでの職場で一番人が穏やかで、一番仕事が楽だった。

公衆面前で誰かを痛罵する人もいなければ、生ゴミぶっかけるやつもいなかった。

周りのおいちゃん達はすきあらばタバコ休憩とソリティアしてたから、

コツコツやってればうさぎと亀というか、そこそここなせていた。

なんとなく職場女性が気になったりもした。

お互い読書音楽が好きだったこともあり、すこし話すようになった。

本の貸し借りを何度かした。俺は穂村弘とか、向田邦子とかを貸した。

向こうから江國香織エッセイを借りた。

売れっ子かぁ、と舐めてかかって読んで、ビビりまくった。超よかった。

一緒に中洲ジャズにいった。後ろ姿が凛としていて、綺麗だった。

あと一歩で某委員会に送れるエピソードだったのではないか

職場を離れ、数年後に再会するが、詳細は割愛する。

やれたか委員会の各エピソードは、それがその夜の最適解だと思う。

5時起きは続けてた。DUO3.0やall in oneの例文を単語アプリのflashcards deluxeに突っ込んで、

ひたすらシャドウイングしていた。こういう反復作業めっちゃ得意だった。ADHDで良かった。

ああ、中学行ってないから、導入に教科書発音用にフォニックスは挟んだ。

完全英語上達マップとか、ライフハック記事に踊らされまくってた。俺だけじゃないよな?

あと語彙蓄えた後で、速読英単語音読とかも勿論やった。

例文でコアラの生態を知って戦慄した。毒ばっか食うてんのかよ。

交通事故でしにがちなんかよ。なんか、ごめんと思った。

そこらへんから、色々と英語で読み下せるようになり、面白くなった。

アクセスできる情報が一気に増えて、"ネットは広大だわ”ってなった。

ご多分に漏れrarejobもやった。英会話学校も通った。放送大学の単科受講生にもなった。

超冷や汗かいて、ふるえて、人前で英語を話す度胸がついた。

もっと学びたいと思った。本当に楽しかたから。

何も知らずに上辺だけでやり通すのに無理も感じていた。

貯金もある程度できてたので仕事をやめ、バイトしながら夜間大学に行こうと思った。

一番行きたかった神戸市外大の2部には落ちた。地元の2部に通うことにした。

親の力も多分に借りて、一人暮らしを始めた。

27-今

少し背伸びして部屋をしつらえて、初めて友達を家に招いたりした。

ikeaがある事に感謝した。それっぽいけど、リーズナブル

一年の頃、大分辛かった。生徒の大半は学習に意欲的でなく、先生もそのことに疲れていた。

鳥が先か、卵が先かというような話ではある。

放送大学講義面白かったなぁ、とか思ってた。大学の使い方がよくわかってなかった。

二年になると生徒が減り(体感4割減)、大教室だけではなく、

狭い教室での講義も増えた。すこし質問もできるようになり、楽しくなった。

英語で行われる講義や、留学生混合の講義に参加するようにした。

先生に"どこで育ったの?"と聞かれるくらいには話せた。結構、込み入った議論もできた。

ありがとうはてなありがとうライフハックアジアから留学生の賢さにびびった。

何人かの女性デートする機会があった。

そのうちの一人とは縁あって付き合いが長くなり、同棲した。喧嘩もよくした。

母国語でキレたときやばいと学んだ。まぁ、未だにビビッドな記憶なので、詳細は割愛する。

ただ当時、元彼女家族skypeするのを見ながら、家族観もだいぶ影響された。

俺は正月お盆すらも帰るか帰らないかというぐらいだったが、

元彼女はほぼ毎日おかんと"鯖?"、"じゅてーむ、おぶわー"の人だった。

散々、罵倒しあってきて、今も仲良しこよしじゃないけど、

俺は両親のことを愛してる、といえるようにはなった。

彼女と別れる直前ぐらいから、通院を始めたり、

家族間でのトラブルがあったりして、すごく荒んでいた。バイトもきつくなりはじめた。

弁護士相談とかしながら、家ではおっさんなのに泣いてばかりいた。

まりに身内ネタでエグくて、身内同士でやりあうと行くとこまで行っちゃう感じのやつで、

彼女には心配をかけるばかりで、内容を話せなかった。凄く未熟だった。

ちゃんと話をしない事で元彼女大分傷つけたと思う。

彼女スポイルしてしまう気がして、一緒にいるのが本当に申し訳なくて、別れてもらった。

それから一年半くらい貝になった。よく覚えてない。

休学した。バイトやめた。宅建落ちた。奨学金は打ち切られた。

妹に絶縁された。家から出られなくなった。知り合いにあいたくなかった。

寝れなかった。薬の量が増えた。netflixつけた。

"その他の決済手段選択してください"

限度額だった。水が止まった。未払い2、3ヶ月で止まると知った。

親父がきた。前より老けてた。凄く泣いた。

それから家族と、様々な人の助けを得て、復学できた。

久々に参加した講義で、全く英語が話せなかった。超久々にflashcards deluxe開いた。

DUO3.0やら金のフレーズやらやった。すげぇ楽しかった。一ヶ月くらいで話せるように戻った。

それ以外の、少し背伸びして選んだ講義は歯ごたえあるけど、楽しかった。

質問も良くするようになった。わかんない事が多すぎるし、

三十路になった分、面の皮も厚くなった。

たまに喜んでくれる先生もいて、何だかありがたかった。

後輩だった似たような境遇おっさんが、大学事務室で働くようになってた。

涙が出るぐらい嬉しかった。

食堂のおばちゃんが、まだ俺のことを覚えてた。少し痩せてた。

最近元彼女ともジムで再会した。幸せそうにしていて、ほっとした。謝った。

"学校はいってる?"だとか、"仕事大丈夫?"だとかひどく心配された。

あんな別れ方をしたのに、まだ友人でいてくれるのが有難かった。

それで、この間のやつを書いた。ついたブコメは本当に全部読んだ。

読みすぎるくらいに読んだ。なんか泣いたりもしたし、

俺の考えが至らなくて悪かったと思うことも沢山あった。

一つ一つ返事したかったけど、明日からテスト期間でちょっと難しそうだ。

でも、それぞれのブコメに本当に感謝してる。

昔も今も、俺にとってはブコメの方がその他のメディアよりもずっと距離が近くて。

色んな人が大真面目に、時に露悪的に、物事について話してるのに影響されてきた。


はてぶには、どんなポジションの人でも、弱者に対する視線が柔らかい人が多いような気がする。

そういうのに日々、助けられた。外に出始めてから出会った人々の中には、

本当に人を削るようなことを躊躇わない人も多かった。

みんな、人のこと構ってられるほど余裕がないから。

学もスキルもない俺がアクセスやす職場ほど、ポリコレやら、

アファーマティブ・アクションやら、そういう横文字綺麗事から距離があった。

から、建前であれ、誰かに優しくあろうとする人は本当に凄いと思う。

ポリティカル・コレクトネスの是非とかあるけど、

たとえば"次の007は、若い黒人女性"となったときに、

それを(建前でも)歓迎できない世の中は、ちょっと息苦しいから。

うそう。勿論、joy divisionも好きだし、UniqloコラボTもゲトった。

James Blakeも好きだよ。今年はtoro y moiとかも新譜出したし、

chillwaveが流行ってた頃のアーティストリリースが多くて、嬉しかったな。

あと去年だけど、小袋成彬とか本当にやべー日本人でてきて、それも嬉しかった。

Asianとして、88risingの躍進は楽しんでる。Yaejiかわいい


映画も超好きなまま。最近ラースフォントリアーの"ハウスジャックビルト"を観たかな。

相変わらずの胸糞映画で、芸風変わってねえな!と思った。

あとnetflixリラックマを定期的に見返してる。

恐ろしい労力をかけて作られた、最高の精神安定剤やで。

リラックマたちのフラダンスみてたらどうでも良くなんねん。

シュヴァンクマイエルもびっくりや。

時系列に起こしてたら、はてぶの記事に流されまくりだったわ。

おかげで教育うけられたわ。恋愛できたわ、貝になったわ、もう色々だったわ。

そう言えば、引きこもりやめて、初めてできた友達もはてぶのユーザーだったわ。

まだ見てるんだろうか。

"早朝、パン屋の前を通ると世の中が動いてる感じがして少し嬉しい"って会話、未だに覚えてる。

あの頃、通勤経路に大楠のウーパンベーカリーがあったから、

たまに思い出し笑いしてた。元気にしてたら、うれしい。

さて書いてる途中でエモくなりすぎて、長くなった。もう朝だわ。

でも今は"太陽は僕の敵"ってよりも、"Everybody loves the sunshine"な感じだ。

完全に薬切れてる。

"started from the bottom"だけど、もう"life's a bitch"なんて思わないよ。

たまに食らって"I'd rather be the devil"とか考えるけど、悪墜ちはしない。

"shit, damn, mother fucker"とかいいながらも、

基本は"love is everywhere"だと信じてたい。

まぁ、オールドスクールな言い方すると長文スマソってやつ。





以下、引用とか。

"太陽はぼくの敵" by Cornelius 言わずと知れたクソ野郎。曲はいい。

"everybody loves the sunshine" by Roy Ayers 鉄琴叩いてるファンキーな神。

"started from the bottom" by Drake 元子役。本当はあまり"Started from the bottom"でもない。

"Life's a bitch" by Nas クソみたいな日々だが、俺、お酒控えめにして宝くじ買うぜ!って曲。

"宝くじ愚者への課税"という言葉もよぎるが、団地育ちの20そこそこの黒人が夢を買う手段でもあった。

"I`d rather be the devil" by Skip James NTRソング。切ないファルセットを持った牧師

映画Ghost world"でも使われている。良い映画なのでオススメしたい。

"Shit, damn, mother fucker" by D'angelo NTRソング2。D'angelo現代Prince的な存在

とりあえず天才。そして繊細。キャリアの大半は引きこもったり、薬中してたりする。最近復活した。

"love is everywhere" by Pharoah Sanders 御大。恐ろしくながい曲を作りがち。そしてそのどれもが美しい。

Toro y moi

"Still Sound"

https://www.youtube.com/watch?v=0Gqh4e1S6j0

"So Many Details"

https://www.youtube.com/watch?v=O0_ardwzTrA

Jamese Blake

"The Wilhelm Scream"

https://www.youtube.com/watch?v=isIABK-0ohQ

tofubeats

"Run"

https://www.youtube.com/watch?v=c0wsotqcKr0

小袋成彬

"Lonely One"

https://www.youtube.com/watch?v=OFvyPVWYnK4

Yaeji

"Drink I'm Sippin On"

https://www.youtube.com/watch?v=xoxCItHxLiM

2019-07-21

コンビニの廃棄は精神安定剤

たとえ給料が安くても

とりあえず食べ物に困らないってことはとても重要だと思うんだ・・・

2019-06-05

結局引きこもり対策は連れ出せになってる

全てのタイプは違うといいながら、全部強制収容が一番みたいな話になって、皆納得してる

むかしから、結局危なければ隔離という精神安定剤を求めるために、いろいろ理屈をつける。

2019-05-30

世間と完全に断絶か スマホパソコン所持せず 川崎殺傷

https://www.sankei.com/affairs/news/190530/afr1905300046-n1.html

 捜査関係者によると、自室は片付いていたが、充電器やコードの類いすら見当たらず、スマートフォン携帯電話は所持していなかったとみられる。パソコン発見できなかった。ただ、テレビテレビゲーム機、携帯ゲーム機はあったという。

 さらに、飲食店ポイントカードレンタルビデオ店などの会員証がなく、捜査関係者は「誰とも接点を持っていなかったのではないか」とみている。

 県警の捜索では、睡眠薬精神安定剤といった薬物も見つからなかった。

 完全なる孤独の中で妄想を拡大していったということだろうか……

2019-04-29

人生を振り返る

私の体に異変が起こり始めたのは、中学生の頃だった。

眠い。とにかく眠い寝不足かと言うとそうではない。10時には寝て6時半に起きていたので、けして夜更かしはしていなかった。

授業中に居眠りが増えた。成績は良かったので、先生にはおそらく調子に乗っていると思われていたんだろう。ネチネチ言われることもあった。普通に居眠りはよくないことなので反省するけれど、一向に治らない。

私の居眠りはついに不可解な展開へ。合唱練習の途中に、立ったまま寝るようになった。隣の子にぶつかって慌てて起きて、しばらくするとまたうとうとして前の人にもたれかかって、を繰り返した。みんな優しかったので「ウケる〜」と笑ってくれたのが救いだったが、私は「やべえ」と思っていた。

仲のいい国語先生がいた。いつも私を褒めてくれた。(でもむっちゃ厳しくって同じくらい怒られた)その先生最近居眠りやばいんだよ〜、って話をした。他の先生みたいにてっきり怒られるかとおもったが、国語先生は顔色を変えて「はやく病院に行って診てもらいな!」と、印刷したWebページを見せてくれた。

そこには「ナルコレプシー/特発性過眠症」と、耳慣れない言葉が書いてあった。

結論から言うと、私はナルコレプシーではなかった。特発性過眠症の特発性、というのは原因不明みたいな意味なので、当てはまるとしたら後者ですな、と医者に言われ、薬を処方された。

発達障害ADHD)が睡眠障害を併発する。このことを知ったのは、大学生になってからADHDの診断を受けた時だ。中学生当時、このことは、まだ知られてなかったか、もしくは研究の段階だったのだと思う。だから私の居眠りは「特発性過眠症」として処理された。

まあ、ともかく、診断名がついたことで、誤解が解ける!そう思っていたのが甘かった。

居眠りをしてしまった分、積極的に授業中に発言をしたし、テスト結構対策して8割は維持していた。成績も、体育以外すべて5になった。でも、そのうちわけの「関心・意欲・態度」はずっとBだった。Aをくれたのは国語先生だけだった。

職員室で、とくはつせいカミンショーなんです、と言ってみた。「ほんとにそんな病気あるの〜」と笑われた。悲しかった。

今なら、中学生なんてガキの言うことだし、真面目に受け取られなかったんだろう、とか、成績のつけ方も決まりに従っただけで、理解されなかったわけじゃないんだろう、と思える。しかし、当時の私はそれはそれはショックで、ついにふてくされてしまった。

「頑張っても報われないじゃないか」「だったらもうこれ以上がんばりたくない」そう思うようになった。

私は、「がんばる」ことは他者から評価を得る、ということでしかなく、自己評価他人依存しすぎていた。褒められなくなったら頑張る必要もない、そう切り捨ててしまったのだ。なまじさかしらだったために。

早熟は未熟に終わる。そんな言葉をずっとあとに知ってから、私のことだ、と思った。

高校入学してその傾向は加速した。しかしまだ、1年生の前半は、部活勉強に、頑張っていた。部活合宿も楽しかったし、成績は中学に比べて落ちたけど、がんばって平均点を超えよう、なんて思ってたのだ。

秋の中間テストは、ばっちり対策をして、いい感じだった。明日は最も苦手な数学だけど、いつもより勉強たか大丈夫、そう思いながらお風呂に入っていた時だった。

部活楽しい彼氏もできた。成績は良くないけど勉強もがんばろうって思える。なんて幸せなんだろう。充実感に浸りながらふと、せっかくこんなに楽しい人生なのに、いつか終わりが来るのか、と思った。その瞬間、地獄の引き金が引かれた。

私は風呂を飛び出して、リビング晩酌をしていた父に、「死んでしまう、怖い」と泣き叫んだ。父は困惑していた。

そこから記憶は飛び飛びだった。怖い、怖い。一晩中叫んでいた。母親はいい加減にしろと怒られた。

目に入るすべてのもの死の恐怖に結びついた。窓を開けたら飛び降り死ぬ電球の紐で首をつって死ぬ。好きだったバンドポスターを見ても、メンバーが二人死んでいる。死ぬってことは全てなくなるということ。なくなるのが怖い。怖すぎる。

ほんとうにほとんどのことをどうやって乗り切ったのか、記憶がない。必死病院に行きたいと訴えて、精神安定剤を処方されてから、ましになった。たった一錠の薬にあれほど感動したことはない。

こうして私は、特発性過眠症にくわえて、パニック障害も背負うことになった。そのせいで過眠症の薬も一時中断した。もう、ここまでくると、頑張る気力もすべて削がれた。部活もやめ、勉強もしなくなった。彼氏には振られた。ギャンギャンうるさく愚痴をこぼす私に、親友は当たり前のように愛想をつかした。

高校時代は、たくさんの人に迷惑をかけた。誰にも理解されないという思いをこじらせて、奇行に走った。宿題は当然出さなかったし、私はこれでいいって思っていた。突然泣き出したり、人に迷惑をかけても、「こういう風にしか生きられないんだから仕方ないじゃん」と開き直っていた。いつも自分被害者だと思っていた。

人に迷惑をかけるメンヘラっていうのは、自分は変わらないと思っている。変えようとしても無駄から、人に迷惑をかけて生きていく。そうしてますます孤独になって、こじらせていって、それでもどこかで、こんな自分をそのまま愛してくれる人が現れてほしい、と都合のいい幻想を抱いている。

変わろう。そう思って、やっと生活が劇的に向上したのは、

もっと後の大学2年の時だった。それまでずっと、私は被害者ヅラをして生きていた。

そんなこんなで、当然受験もうまくいかなかった。ほぼうつ状態で、毎日寝るかスマホいじるか、勉強しようとノートを開いても、ノートの綴じ目を見つめるだけで平気で2時間くらい経ってた。親にためしにうけなさいと言われて受けたいわゆる早慶は、受験料と、地元から上京資金で、合計20万近く払ってもらったが……白紙で出して帰ってきた。雪の深い日だったと覚えている。

親は私が進学校に入ったこである程度頭いいものと思っていたようで、まさか滑り止めに落ちるとは考えておらずショックを受けていた。私は滑り止めは白紙で出さなかったので、普通に頭が悪かった。

私は浪人したいと親を説得した。どこかで、開き直りきれずに、また中途半端プライドを振り回して、早慶に受かろうと決めた。

なんとなく、学歴があればクソみたいな人間でも生きていける気がした。

上京して寮に入った。狭い世界で生きていた私は、自分がどれほど恵まれいるか当時わからなかったが、こうして東京に出てきたことは大きかった。

パニック発作ピークより治まりつつあったが、たまに思い出したように襲われる日々は変わらなかった。過眠症も変わらず、せっかく高い学費を払って予備校に来ているのに一日中寝ている時もあった。そして、圧倒的に集中力がなかった。みんな平気で8時間とか勉強しているのに、私は1時間と持たない。そんな自分イライラしたし、当然E判定ますます腹が立った。

ある日、英語の長文読解を説いていた時。課題文は、『アメリカにおけるADHD診断の増加』。ADHDとは…?

調べると、すごく自分に当てはまっている。これ、私のことでは?

しかし、病院で診断を受けるまでに長い時間がかかること。お金もかかること。なにより親に言い出しづらかった。

頭をひねっていると、私が過眠症の時に処方されていた薬が、かつてADHD治療に使われていることを知った。確かにあのころ、居眠りに薬は効かなかったけれど、成績がすごく上がっていたのを思い出した。これだ!

私は過眠症診断書を持って睡眠クリニックに駆け込み、無事薬をゲットした。

そこから成績はみるみる伸びた。(⇦ことわっておきますが、こういう薬の使い方はダメでした。スマドラってやつです。安易にこういうことをすると、規制されてほんとうに必要な人に処方されなくなってしまうかもしれないので、ダメです。私はたまたま睡眠ポリグラフデータ等諸々あったので処方されたので、普通の人が過眠症かもって病院に行ってもこの薬はもらえません。)

生活に余裕ができると、友達も増えた。隠れ家バーで行われる読書会とか、社交的な場にも参加するようになり、たくさんの大人相談に乗ってもらえた。地元にいた頃じゃ考えられなかったような出会いに恵まれて、少しずつまともになろうと思い始めた。けれど、そうすぐには変わらないので、一進一退を続けた。

春、私はなんとか早慶に補欠合格し、進学した。

今度こそ、人生は良くなる、と思った。

そんな期待に反して、私はうつ病を患った。友達もいたしきぼうの専攻にも進めたのに、生きていくだけで溜まり続けたストレスが爆発した。居眠り、パニックを経て、「どうせ頑張ってもどうにもならない」という無力感が次第に私を蝕んでいった。おまけに、どうがんばっても遅刻するし、レポートも出せない。だんだんすべてがプレッシャーになり、気づくと一日中ベッドで過ごしていた。電車に乗ると酔って一駅で吐いてしまう。がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、ここまできたんだから。そう自分に言い聞かせても、からだは動かない。部屋はぐちゃぐちゃでハエが集り、三日風呂に入れなく、自分から信じられない臭いがした。ますます参っていった。

精神ますますやばい方向へ向かっていった。私は悪くない。世の中が悪い。本気でそう思うようになった。よく、ツイッターで「沼w」と笑われている、電車でさわいでいるおばさんの動画。私はあんな感じだった。だから私は、大学でみんながちしょ*とかいってるのが怖い。あの人たちの気持ちがわかってしまう。余裕がなくなってしまったのだ。

電車で隣の人の靴をわざと踏んだ。そういうことした日は家で泣いた。優しい自分になりたいのに、人に悪意をぶつけてしまう。

歯医者の予約に間に合わなかった日。受付の人に、「三十分以上の遅刻診療できません」と言われた。私は遅刻したくてしたわけじゃないのに!

受付のお姉さんが差し出した手を、わたしははたき落した。お姉さんの顔は、恐怖でも驚きでもなく、ゴミを見るような目だった。

泣きながら家に帰った。精神科医には、「他害が出るなら、入院検討してもらいますが」と強い口調で言われた。

変わりたい、でも被害者のふりがやめられない。私はもうわかっていた。私は加害者だと。

発達障害の診断をしてくれたのは、別の医師だった。主治医斡旋で、専門の医師のもとに行った。

あなたはもともとすごく天真爛漫で…でもきっと、いろんなことがうまくいかなくて、自信をなくしてしまったんだろうね。もう大丈夫だよ」

その言葉は、今でも忘れられない。こんなクズに、優しくしてくれる人がいるなんて。そう思った。

私はすべてをぶちまけた。中学のこと、高校での過ち、自分の態度が悪くて人に嫌われたのに開き直ってしまたこと、部屋が汚いけど本当はともだちを呼んだりしたかった、高校の時ひとりでお弁当を食べたくなかった、大学サークルでがんばりたかった、それなのに全部自分台無しにしてしまった。

医師は、すべて受け止めてくれた。彼が主治医になって、心理検査カウンセリングを行い、新たな治療がはじまった。

発達障害向けの治療を始めて私はぐんと生活が向上した。鬱、パニック障害ともに、今では症状は寛解。居眠りだけはまだたまにしてしまうけれど、生活に支障はない。レポートも出せるようになったし、部屋もそれなりに片付いた。まあまあ安定した生活を送れるようになった。

副作用が出たので、現在は薬も飲んでいない。ひとをいたずらに傷つけることもなくなり、たくさんの友達ができて、ずっと欲しかった日々が手に入って、2年以上経つ。

この2年は、本当に幸せだった。

人に悪意を向けることもなくなった。なんか考えてもしょうがないな、と思えるようになったし、ほんとうにあの時はどうかしてたんだと思う。

自分が報われない悲劇のヒロインだと思っていた頃が恥ずかしい。

今、ことさら自分が不幸とは全く思わないけれど。新たな悩みができてきた。

この2年間で、人並みに社会生活を送れるようになり、「私もやればできる」という自信がついた。

最近、また不注意が増えた。しかも、自分がそうと気づかないうちに失敗は起こる。

バイト先で、店長に渡してと頼まれ荷物を、頼んだ人も荷物も目の前にあるのに、店長が来てからもすっかり忘れていた。思い出したのは一週間後だった。普通の人だったらしないような不注意が増えた。

出席カードを隣の人の分も回し忘れる、メールを一方には返信してもう一方には返信し忘れ、無視しているのかと怒られる、数えたらきりがないが、その全てを私は「大丈夫」だと思って行動している。だから疑いようがないうちに、ミス回避できない。普通の人はそんなミスしないから、怠けか、悪意か、そういった目で見られる。これは当たり前だと思う。

なんとかして、ミス回避したい。人にもうこれ以上迷惑をかけたくない。それが新たなプレッシャーになりはじめた。

メモをこまめにとるようにしてはいものの、一向にうまくいかない。

まあ、自分も変わるわけだから、不注意が増えたら今までとは違う対策をしなきゃいけないのはそうなのだけれど…。

考えすぎて、いったい何なら自分は確実にできるのか、確信が持てなくなってしまった。

また私は自信を失い始めている。私はできる!と思ったところから、「やっぱりできなかった」という事実はけっこうしんどい

しかも、誰にも相談できない。友達にも、ましてや彼氏なんてもってのほかADHD言い訳にしていると思われたくない。世の中、ADHD認識されたからって、それらに理解が進むわけじゃないのだ。実際、ADHDで社会を生きていくことは厄介だ。だから誰にも相談できない。私はなにもできない可能性が高い、と思って生きていくのもしんどいが、はじめからそう予防線を張っているほうがいいのかもしれない。そんなことを考える。

この間、デート中に居眠りをしてしまって、彼氏に怒られてしまった。そりゃそうだよな。寝不足自己管理問題、って認識が先にくるもの。実際その日は体調管理が悪かったので、謝って許してもらったが、これが自分でどうにかならないことが原因でも、世の中ってのは常に自分のことをみてはくれないので、さてどのようにカバーしていくか、考えなければならないのである

障害はつらいし、理不尽だけれども、これは障害があるなしではなく全ての人に言えることで、ありのまま自分を受け入れてもらうことは空想の中にしかない。ちゃんと、素材は洗って、下ごしらえをして、味をつけて、調理して、盛り付けて…そうしないと、まず食べてもらえない。

言うなればゲテモノ素材に生まれしまった私は、よっぽど才能があるとか、愛嬌があるとか、真面目であるとか、そういう味付けでいくらかマシにならないと、食べてもらえないので。

から日々、自分をどう調理しようか考えている。

世の中、努力でなんとかなるわけではないが、ある程度頑張らなければ先に進まないのは事実だ。私の今の生活にせよ、自分メンヘラからできない、と諦めていたら絶対手に入らなかった。だから、これからも私は頑張りたいと思ってる。

ただ最近ちょっと疲れている。だからって、昔みたいに「やってもどうせ報われない」と腐りたくない。

今ここで頑張って不注意を直さないと、やばいなって思いながら、ゴールがわかんなくなっちゃったからこのグダグダ文章増田に投げる。

2019-03-30

幼少期に受けた兄から性的虐待のこと

もうすぐ20歳になる大学生です。

秘密はくるしいので、書き残しておきます

ずっと相談たかったけど、できなかった。

長くなります文章は書き慣れていなくて、ぐちゃぐちゃだけど、誰かが見てくれますように。

わたしは、小学1.2年生くらいから3歳上の兄から性的虐待を受け、小学卒業あたりまで性的な目で見られていました。

まずはお風呂性器や胸を見られ、触られるところからまりました。

まだ幼かったので、それが性的なことだとは理解できませんでした。

兄は必ず、わたしがお風呂に入るとついてきて、そのようなことをしました。

何故かだんだんと怖い気持ちになって、お風呂に兄がついてきそうなときは、父親を呼んで3人で一緒に入りました。

ある日、兄と2人きりでお風呂に入ってしまい、「胸を吸わせてほしい」と言われました。

嫌だと言いましたが、何度も言われるので、応えてしまいました。

これは駄目なことなんだと察し、わたしは怖さと気持ち悪さを感じました。

何日後かにあったピアノの発表会の帰り道で、そのことを思い出して震えて動けなくなったことも今でも覚えています

わたしは汚いんだ、と思うようになりました。

母にも心配されましたが、本当のことは言えませんでした。

誰にも言えない秘密になりました。

しかし、兄がお風呂についてくるのが耐えきれず、 ついに母親に「お風呂にお兄ちゃんが入ってくるのが嫌だ」と打ち明け、お風呂に兄がついてくることはなくなりました。

それでも、兄から性的行為は終わりませんでした。

小学2年生か、3年生の頃です。

わたし和室で本を読みながら眠ってしまい、ふと目を覚ますと、兄がわたしの服に手を入れ、「(わたし名前)、起きなよ、起きなよ」と言いながら胸を揉んでいました。

まりの恐怖に叫びました。

寝起きで上手く声が出せず、息が苦しくて、足で兄を蹴って抵抗しました。

ほんとうにこわかったです。

ずっと覚えてます

うたた寝すらもできない、

気付かなかっただけで、今までも寝ている間に何かされていたのかもしれない。

兄と自分に対する嫌悪感気持ち悪さ、不安、そして自分は汚れているという感覚でいっぱいになりました。

からの直接的な行為は覚えてる限りだとここで終わりました。

でも、性的な目では小学卒業くらいまでずっと見られていました。

わたし小学生の頃から胸が人よりも大きく、目立っていました。

小学校高学年くらいから、兄に「(自分名前)は、胸が大きいよね」と言われてきました。

性的目線や笑いがまとわりつきました。

その頃、同学年の男子からも同じようなことを言われ始め、「わたしはそんな目でしか見られないんだ」と悲しくなりました。

普通は気にすることではないのかもしれませんが、兄とのことがあったため、妙に気になりました。

運動会は、胸にさらしを巻いて出ました。

それから月日が経ち、兄は性的行為発言をすることはなくなりました。

なるべく、会話もしないようにしていたし、関わることも少なくなりました。

あれは幼くて、善悪判断がつかなかったから起きたこと、性的好奇心から出来事だと思うようになりました。

兄は、その時のこともきっと忘れているんだろうな、と。

そう思うと、前よりは普通に接することができました。

しかし、中学生になったある夜に

から「一緒に寝てほしい」と言われました。

「一人だと寂しくてたまらない」と。

なんとなく昔のことを思い出して断ると、

兄は言いました。

「小さい頃みたいなことはしないから。」

聞いた瞬間に背筋がゾワっとしました。

やっぱり、まだ覚えてたんだ。

忘れてなかったんだ。

かに縛られたように、その場から動けなくなりました。

絶対に無理だから」と言い、わたし自分の部屋に戻りました。

この時、兄は笑っていました。

この人にとっては、そのくらいの出来事だったんだ、と。

わたしけがずっとトラウマを抱え込んでいるんだ、と。

そのときわたしは一生このことに縛られて生きていくんだな、と思いました。

兄の少し肩が触れただけで、目が合うだけで鳥肌が止まらなくなります

自分はきたない、価値がない、知られたら気持ち悪がれる秘密がある、

毎日、昔のことを思い出します。

自己肯定ができません。

明るく振舞って、本当の自分を隠しています

もっと酷いことをされた人もいるのに。

しかし、そのこととは裏腹に、異性との距離感がわからず、どこまで性的なことに及んでいいのかもわからないでいました。

何故か、いけないことの区別がつかないのです。

貞操観念がわからないのです。

しろわたし性的なことをするために生まれ人間なのだと思うようになりました。

兄との記憶や、兄の手や舌の感触を別の人で塗り替えたくてたまりませんでした。

こんなわたし純粋に人を好きになるなんて気持ち悪いことで、本当は駄目なことだと思う。

中学生の頃に好きな人性的関係になってしまったり、高校に入っても何人かから同じ扱いを受けました。信頼していた男友達に襲われた時から、人を心から信用できなくなりました。2.3人とお付き合いしましたが、わたし依存されやすいようで、いい思い出はありません。

わたしは断れない性格なので、相手けが悪いわけではありません。

もう、抵抗の仕方を忘れていました。

押し倒された瞬間に無感情になります

しかし、わたしは性行為ちゃんとできませんでした。

痛くてしょうがないのです。

初めても、無理矢理されて血がたくさん出て泣き叫びました。

今でも、長時間入っている状態を保てません。

なんて中途半端価値のない人間なんだろうと思います

今は優しい方とお付き合いしており、その人以外と性的関係になることはもちろんありません。その人のおかげで、悲しい記憶も、思い出さない日はないけど、少しずつ薄れています

でも、こんな身体でごめんね、と思ってしまます

こんな自分では、離れてしまうのではないかと涙が出ます

本当の自分を見せたいけど、見せたら彼の負担になってしまうのではないかと。

自己肯定ができず、日々のストレスでこの前身体を壊し、

最近まで彼には言わず精神安定剤を少しだけ飲んでいました。

副作用があるため、今は控えています

明日、兄が家を出ます

やっと解放されるんだ、と肩の荷がおりた気持ちでした。

母に「見送りに行かないの?」と聞かれました。

行けるわけがありません。

一刻もはやく離れたいのです。

母に、行かないと言うと

「酷いね家族愛がないねがっかりした。

そんなに冷たいなんて。」

しょうがないの。

ごめんね、親不孝で。

本当に無理なの、

20年弱一人でたたかってきたの。

責めないで。

思い出させないで。

こんな娘でごめんね。

涙が溢れました。

部屋にこもって泣きました。

ここに書いてないことや、今までのことをひとつずつ思い出しました。

生きるのはすごく難しいです。

自分を大切にするのは、すごく難しいです。

わたし自分肯定できない代わりに、わざと明るく振舞うとき自分を愛します。

周りの人を愛します。

傷は一生癒えないから、忘れるしかない、

自分を認めるしかないのかな。

方法がわからない。

すごく長くなってしまいました。

ぐちゃぐちゃな文章でごめんなさい。

読んでくれた人がいたら、本当にありがとう

怒りと嫉妬

何かしらの物事に怒ったら「嫉妬乙www」ってすぐ嫉妬認定してくる奴が本当ウザい

あいう人って自分他人より人間的に上なんですアピールしたいの?

最近そういう精神安定剤思考流行ってるみたいだけど、性格悪いようにしか見えない

少女をレ〇プした男に対して怒ったら「お前も少女とヤりたいんだろww嫉妬乙ww」とか言われるとムカつくし、そんなこと言う奴完全に頭おかしいだろ

すぐ嫉妬認定する奴ほど、人間的に大人ぶりたいだけの浅い人間なんだろうな

2019-03-24

子供宗教勧誘させてる奥さん吐き気がするほど嫌い

奥さんは熱心な仏教徒学生時代奇跡的な体験をしたのがキッカケで、本当に心の底から信じている。

自分はまったくの無宗教。誰が何を信じようと構わないと思ってる。

我が家には子供が3人いる。結婚前に子供宗教については「本人たちに決めさせる」と口約束をしていたが、いざ生まれたら当然のように宗教行事に毎週参加させ、毎日朝と晩にお経をあげている。

子供たちが少しでも嫌がろうものなら、怒り狂う。「ご先祖様のためにお経をあげなさい!!」とヒステリーを起こす。こういうとき奥さんは、吐き気がするほど嫌い。正直、死んでほしい。

もちろん自分にもしつこく言ってくる。お経をあげろ。集会に参加しろもっと勧誘しろ

最初は付き合っていた。でも信仰心なんて、持とうと思って持てるものじゃない。ムリがたたって次第に精神安定剤がないと眠れなくなってしまった。

お経、集会ぐらいだったらまだ許せたんだけど、今日奥さん子供あてに書いた手紙を見つけた。

そこには「宿題が終わったら、いつもどおり一緒に勧誘に行こう」と書いてあった。まさかそんな日常的に宗教勧誘をさせているなんて、知らなかった。

離婚できるならしたい。でも子供たちのことは心の底から愛している。だから離れたくない。もっといえば両親がいる子供でいさせてあげたい。

今は自分我慢していればこの家は平和自分が壊れるのが先か、子供たちが成人して家から出ていくのが先か。

たぶん自分おかしくなるのが先だろうな…。

2019-03-22

奥さん子供宗教強制しているのが吐気がするほど嫌い

奥さんは熱心な仏教徒学生時代奇跡的な体験をしたのがキッカケで、本当に心の底から信じている。

自分はまったくの無宗教。誰が何を信じようと構わないと思ってる。

我が家には子供が3人いる。結婚前に子供宗教については「本人たちに決めさせる」と口約束をしていたが、いざ生まれたら当然のように宗教行事に毎週参加させ、毎日朝と晩にお経をあげている。

子供たちが少しでも嫌がろうものなら、怒り狂う。「ご先祖様のためにお経をあげなさい!!」とヒステリーを起こす。こういうとき奥さんは、吐き気がするほど嫌い。正直、死んでほしい。

もちろん自分にもしつこく言ってくる。お経をあげろ。集会に参加しろもっと勧誘しろ

最初は付き合っていた。でも信仰心なんて、持とうと思って持てるものじゃない。ムリがたたって次第に精神安定剤がないと眠れなくなってしまった。

お経、集会ぐらいだったらまだ許せたんだけど、今日奥さん子供あてに書いた手紙を見つけた。

そこには「宿題が終わったら、いつもどおり一緒に勧誘に行こう」と書いてあった。まさかそんな日常的に宗教勧誘をさせているなんて、知らなかった。

離婚できるならしたい。でも子供たちのことは心の底から愛している。だから離れたくない。もっといえば両親がいる子供でいさせてあげたい。

今は自分我慢していればこの家は平和自分が壊れるのが先か、子供たちが成人して家から出ていくのが先か。

たぶん自分おかしくなるのが先だろうな…。

2019-03-05

娘が寝てるとうれしい

うつ病ひどかった話は前に書いた、あとでここにトラバするかも

人力にまた子のうつ対応できない親が来たか最近日記つけてないと思い出しメモ

とりあえず学校企業も切り離しつつアッシーしてあげたり友達とはなるべくつないだりした

娘は寝られなかった、ずっと溺れるひとがわらを掴むようにスマホにしがみついて腹ばいでベッドにいた

朝方ようやく疲れ果ててねるので午後起きで1日ベッドにいる、シーツが二枚擦り切れた、なお風呂は疲れ果てるからなかなか入らない

よるひとりになると寂しさ、というよりイライラに耐えかねスナック食べ血糖値ごまかす。ひるも食べる、のむ。太って肝臓黄色信号甲状腺ホルモン疑いで二回検査、二回とも正常値、ただ経過観察とはいわれた。気持ちの安定のためスナックは以前より多めに買っている

たまにカラオケなどでかけると低血糖なのか自室まであるいてあがれず四つん這いで階段にいて泣いていたことがある、尻を押した。

低血糖発達障害の本よんだのがだるさの理解に役立った

とにかく寝られないのだ、寝ようとする努力などしたくもないくらイライラしていたのだ、最初常識判断して逆だと思ってしまっていた

転機というか、向上への気づきはたくさんあった、とにかくむりじいはしない、とは言え、でかけたがる(認めてヘルプしないと医者必要場所にも行かない)のでアッシー補助する、お金を財布から抜かれても気づかないでいてあげるなど。家計簿が合わない額は年間30万くらいだから小遣いが月3万弱足りなかったのだろう。最近現金をあまり降ろさないのと、抜いてもいいけどメモ残してといって知っていることをしらせている、うつ病介護がなくなったら30万どころか100万くらいはパートでかせげるので安いものだが、どうしてもがなりつけたいしだめならチクチクくらいはいいたいだんなの説得に手間取った

で、睡眠の転機のひとつはかゆみが出たこと。貧血治療のため鉄剤を飲ませたら鉄剤の飲み過ぎか体が夕方かゆくなった。毎晩9時になると出て痒すぎて寝られない。風呂に入ってる最中にもかいみみずばれがふえる。寝ると治る。毎晩違うところに出る。アトピーなどの普通の湿疹は固定されたところに出るのでこれとは違う。調べたところ精神安定剤有効だということだ。そこでSSRIと一緒にもらってあったが過眠になるとおもってたため使わなかった睡眠精神薬を飲ませてみたら楽になったと言うので毎晩、かゆみが出るすこしまえの時間帯に継続して飲ませることにした。その後医者相談して飲ませていいと言質をもらって追加処方された。

まあ、お金のほうが効いてるのかもなあ。まじめな親って経済DVなのかもなとおもう。うちもダンナテストの成績で決めるとかいって進学校なのに無理言うからだんだんさがって私がいさめなければ月3000円のまま高校卒業するところだった。もちろん服やスマホは買って与えてるけど、曲などに課金できるお金がないのがつらかったようだ、夏は一日一本アクエリ買ったらなくなる額だし、月末に通学定期を盗癖ある同級生に盗まれたら一巻の終わり。

小さい頃からお金頂戴なんてずうずうしいことをいったことがない。高校になってもお年玉もらえるから帰省したがったけど実の娘でもがなりつけたくなるような失礼すぎる祖母相手に頑張り過ぎたことで心の折れが始まってたんだろう。

折れてからニートにはしたくないって頑張っても意味ない。けっきょく正社員なんて多分なれなそうだけど、勉強できないってバカにしてた幼馴染にも学歴では抜かれたけど、なんとks大学に通ってるし、そういうしあわせな家庭もいっぱいある。うつ病は図々しくなれずに幸せ自分で遠ざけてしまう。いちどそうなるとじゃぶじゃぶうえから幸せをかけないとなおらない。というよりかこころ幸せ受け入れ窓口が年間360日くらい閉じてるので毎日薬飲ませて確率上げながら朝今日は窓口開いてる?と確認し、空いてたら質のいいのをねじ込むって感じ。

ようやく治っても再発するっていうけどね。

みんなは子供幸せにしてね。

2019-02-25

安定剤ってすごい

今日試験問題が超難化してたんだけど、精神安定剤飲んだら心臓がドキドキせず冷静に解けた

まあ難しすぎて結局太刀打ちできなかったんだけど

過去あがり症過呼吸気味になってたり、心臓のドキドキを抑えるのに30分かかったりした回とかに安定剤使ってたら受かってたんだろうな…

でも、これだけ人を変えるんだから、薬物は怖いね

2019-02-17

上司父親ダブルパワハラモラハラ

私には上司Aとマネージャーがいます。言うまでもなく、力関係としてはマネージャーの次に上司A。

マネージャーから指示されたことを進めれば、「どうして進めるんだ!」と上司Aから詰められ、進めなければ「どうして進めてないのか」とマネージャーから詰められます。いわゆる板挟み。

そういったことが2回程続いたこともあり、先日上司Aから「ほんっとにめんどくさい」「もう話す気も起きない」など、ほかの人たちが仕事をしている目前で怒鳴られました。

この現状に耐えきれず、マネージャーに「もうやってられません」とお伝えし、しばらくお休みをもらうことにしました。翌日、精神科に行き、精神安定剤ももらいました。

そして、家族にも辞めようかどうか相談したところ「自分で決めたこともできないお前は高橋まつりさん以下」「お前が必要いか会社から追い詰められたんだ」「お前の仕事内容も前から気に入らなかった」などと言われ、精神がポッキリ。

家族と縁を切るにはどうすればいいのでしょうか。もういろいろやってらんねーな。

2019-02-16

疲れた

誰か誰か誰か助けてって思うけど、何を助けて貰えばいいのか自分でもわからないし、誰も、いない。

なのに悲鳴のようなメールが来る。

睡眠導入剤精神安定剤なら私も飲んでるよ。

家族に助けて貰えるアンタが羨ましいよ。

私には頼れる人なんて誰もいない。

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-01-10

anond:20190110115010

じろじろ見たいんならどうぞ

見ても何も出ないけど

歯切れが悪くなってきたけど精神安定剤とか飲まなくて大丈夫

2018-12-23

親と話すとパニック発作が起きますが、実家に帰らされることになりました。

 タイトルが全てです。

 今の私には上手い対処法が思い浮かばないので、

おとなしく従おうと思います

以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。

疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。

再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。

わざわざ読んで時間無駄にすることはありません。

キチガイ勘違い被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。

1.経過

 幼少期から両親に苦手意識があり、情緒不安定子供でした。

理由不明です。

強いて言うなら、母は精神疾患持ちでヒステリックであり、

父は素面とき過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。

また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。

(※発達障害の診断自体は成人後に受けました。

 (ADHDASD協調性運動障害

 しかし、小学生の頃には担任発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います

変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙ラインだと自己認識しています

(※母に、子供日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています

 そもそもそれを私に告白してどうしたいのでしょうか。

 私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります

 n年前、就職と同時に上京し、一人暮らしを始めました。

(※家族親戚一同から地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)

就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、

生来不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活業務に困難を抱えるようになりました。

発達障害者社会適応、正直無理ゲーじゃない?)

一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、

それがとどめとなってか、

結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。

 診断は双極性障害の2型です。

現在の症状は典型的鬱状態のため、詳細な説明は省きます

なお、躁鬱の自覚症状自体はは高校生の頃にはあり、

ちょうど入社直後に大きく躁転したことを切欠に、

上手くコントロールできなくなりました。

 復職と失敗を繰り返した結果、

現在会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。

 休職となると私が東京に留まる理由もなく、

しろ経済的に厳しくなるため、

帰省余儀なくされているところです。

(父がそういうふうに展開を誘導したことは否めません)

2.実家の現状

 現在実家の状況は、あまり芳しくありません。

 私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。

なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代入院歴もあったことを知りました。

それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイからなのだと信じていました。

母はその後入退院を繰り返し、今は入院中です。

(※母の疾患に関する詳細は省きます

 父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。

般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。

また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。

彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。

部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)

そもそも何故か私は部活自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)

 我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。

(遅くなりましたが、私は一人っ子です)

ただし、ストレスの発散方向は、

父→母→私で固定されていたので、

直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。

もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリー悪化したため、

そのヒステリーを受ける私の精神ダメージは結局増大するのですが。

 また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。

休職中の同僚に対する悪態を聞いたことがあります

(なんで母と結婚したんだ?)

父は入退院を繰り返す母にあからさまにうんざりしており、

私が帰省したとき、父は明らかに母に精神DVを振るっていました。

正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣諌める元気はなく、

少し口出しはしましたが、ほぼ見て見ぬフリをしました。

そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。

 この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)

現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います

 余談ですが、入社直後に大きく躁転したのは、

入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。

あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。

(発生していたトラブルの詳細は省きます。思い出したくない)

3.懸念事項

 下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。

もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。

 まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、

父の不機嫌さがさら悪化する恐れがあります

父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢限界は来るでしょう。

 次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります

正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からDVによって悪化しているのではないかと私は考えております

しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。

一々病院に行くより近いですから

ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。

療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。

再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、

無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。

 3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます

私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。

また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります

父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、

母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。

(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)

 あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。

雑多なところで言えば

・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある

地元気候身体に合わない。

地元友達が(東京より)少ない

そもそも東京のほうが圧倒的に住みやす

などがあります

全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。

外出も覚束ない状態ではあまり関係のない話でした。

ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。

問題は何も解決していません。

 先程、父と2時間くらい会話した結果、

5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、

文章に吐き出せて良かったです。

そもそも書き殴りなので文章の体を成していない)

肉体は疲れ果てました。

 パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医相談したことはありません。

流石にこの状態では色々と怖いので、主治医頓服精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います

主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。

お金がないのは仕方がない。

治療する気があるのかって叱られても文句は言えない。

 カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、

カウンセリングできる病状ではない

・傷を掘り起こすことで悪化する

のでやんわりと断られました。詰んでる。

 実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、

父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。

私は父が怖いです。

 しばらく前に、母の蔵書の目立つところに

『「子供を殺してください」 という親たち』

が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。

 余談ですが、この話の最大の被害者は父です。

本人が身体障害手帳持ち)というハンデを背負っている上に、

妻は精神障害者(手帳持ち)、

娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。

私の将来の夢は、

私が責任を持って両親の介護をして、

解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老い死ぬことでしたが、

それも果たせそうにありません。

(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、

本人に気づかれない程度のちょっとした嫌がらせです)

 最後に。

上京してから色々なことがありましたが、

基本的地元にいた頃よりもずっと良い事ばかりでした。

初めて生活が少し楽しくなりました。

初めて泣かない日ができました。

挨拶をしてもしなくてもランダム罵倒されることがないのは、とても快適でした。

残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。

東京趣味に関するショップイベントコミュニティ豊富だし、

社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。

私の様子を見ておすすめ心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。

もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、

家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。

手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。

都会、楽しいです。

実家の外は、安心できます

 主旨も何もないメチャクチャ駄文を吐いてしまって申し訳ありません。

以上、乱文失礼いたしました。

(これで文章を締める癖が抜けないちょっと昔のオタク

追記(1223-1910)

はてなに長文を書くのは初めてなので常連ではないです。

誤解を産んでしまったならごめんなさい。

証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます

強いて言うなら、私はAセクかつ性嫌悪なので、

彼氏旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。

というか想像すると気持ち悪くて無理。

なお、生活保護の方向も検討しましたが、父をどう言いくるめるか考えて諦めました。

アドバイスいただきありがとうございます

2018-12-15

ADHD障がい者手帳を取った

正確には手帳申請受理されて手帳が出来上がったので、役所に取りに来てと昨日電話があった。

動作IQ言語IQの差はほとんど無いが、作動記憶が若干低めで、処理速度はボーダーレベル

思えば、物心ついた頃から自分宇宙人みたいな存在だとなんとなく感じていた。

保育園では感覚過敏でほぼ毎日ゲロを吐き、小学校喧嘩ざんまい中学はろくに通わず高校半年中退、二十代前半まで半引きこもり半フリーターみたいな曖昧身分だった。

二十代半ばで地元零細企業正社員として雇われそこの仕事があってたのか、3年ぐらいうまくやって、恋人も出来、自分宇宙人じゃなくなったのかなんて思ってたんだが、

身内の死が続いたことをキッカケでドミノ倒しのように、仕事崩壊して退職し、恋人とも別れ、精神科へ駆け込んだところADHDの傾向があると診断され、ストラテラ精神安定剤を処方されるようになった。

ストラテラ効果は劇的なもので、特に大きいのは眠気の改善だった。どんなに夜寝ても、仕事中に眠気が止まらず寝てしま人間だったのだが、これが全くなくなった。

以前は普通に働いたり学校行ったりする人間が羨ましくて妬ましくて普通になりたくて仕方がなくて結構な無理を重ねてきた。

でも、別に普通人間なんて1人もいないんだしそういう風な方向の努力の仕方は間違ってたんだという風に認識を改めて、頼れるものは頼った方がいいと考えることにしたんだ。

2018-12-14

精神安定剤の代わりになるような食べ物

いかなー

バナナはいいっていうけど、

2018-12-11

低学歴薄給非正規雇用実家暮らし31でもう若くないし、父親介護必要状態で、母親は父の介護ヒステリック毎日暴言を吐いている。夢も希望もない。

将来を誓い合った恋人には振られ、精神安定剤と日々を消化していくだけ。虚しい。

2018-12-10

精神安定剤

精神的に追い込まれて辛いときって本も漫画も読めない映画も観れない音楽ですら聴けなくなったりするんだけどなぜか美味しんぼ(初期)にはすっと手が伸びて読んでいるうちにほんのすこしだけ気分が落ち着いてくる。

皆さんにもそんな精神安定剤的な漫画ってありますか?

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