元カレのことは忘れておじさんと付き合おう^-^
「算数ができない」「数学ができない」ていうのはよく聞くことだと思う。
もっと具体的に言うと、一桁同士の計算の答えすらパッと出てこない。
1+2は分かるよ。
でも5+8とか言われると4秒くらいかかる。
1人の時はこっそり指使って計算するんだけど、テストの時は5+8を例に出すと、ペンで丸を書いて9、10、11…と加算して数える。暗算するときは8に5を指を使って計算する要領で普通に加算していく。5+6とかなら(5×2)+1ができるので簡単!!
この話をしてもまたドン引かれた。
「5+8ってパッとでるじゃん?」
なんで?
私ってもしかしてやばい?何か人より違う?と焦りに焦って最近必死に調べた。
結論を言うと、私は幼い頃に教えられたやり方が染み付いちゃっているみたい。
リンゴの絵が3つ並んでいて、リンゴを一つ一つ指をさして数えて………あ、3つだ!!
というやり方が、今もそのまま。
世の中には親切な人がいて、「5+8なら10を基準にする。8に2を足したら10になり、残りの3を足せば答えが出るよ」と教えてもらった時は感動した。そんなやり方考えたこともなかった。すごいすごいすごい!!!すごく簡単!!!
数学のすごい人ってこういう発見でうわ!おもしろ!他も探してみよー!てなるのかな。まだ理解はできんけど。
何が楽しいん。
なんだかんだこんなに計算できなくても成人できたし、ぶっちゃけ電卓っていう神アイテムあるし、生きていけるよ。
計算苦手な子たち、がんばってこー
母親に「〇〇いいよ」っておすすめしたら気に入ったらしく、「〇〇いいね!」と言われた
でもそのあと「△△よりいいね。△△は途中で飽きちゃう」と続けてきたので、「突然△△を持ち出して悪く言わないでくれ。いいものを褒めるのに他のものと比較して下げる必要はないだろう」とたしなめた
比較なんて普通のことだろう、そんなこといちいち気にするお前は偏屈でおかしい、と怒られた
納得いかない
どうだろうね。
たとえば、誰かが死んだことを祝うのは品のない行いであるとされる。少なくとも若くして亡くなった人の死ならばそうだ。100歳で死んだ人なら「大往生でしたね」でも構わないかもしれないが。
一方で、かつてのブラック上司や意見の徹底的に合わない人など、「死んだら『ざまぁ』と祝杯を上げたい」と気持ちの上では思う相手は存在する。
そのような人が実際に死んだ時などに、リアルでは発言せず5chか増田に書いて済ます、というのは人格的に問題のある行為なのだろうか?
「性表現に接しない自由」や「公共空間で不快な表現に接しない自由」が話題のようですが、平成30年司法試験論文式試験(憲法)では、「不快」感を覚える「卑猥な」図書等に触れない利益の保護が重要な立法目的といえるかなどが出題されました
https://twitter.com/YusukeTaira/status/1471869799236247554
これを見て唖然とした。いち弁護士の意見ならともかく、司法試験を出題する側までこのような「女性の人権」「不快にならない権利」を無視した感覚を引きずっているのだとしたら日本の法曹会は世紀単位で時代遅れなのではないか。
立憲民主党や共産党は是非とも、政権を取った暁には島岡まな先生をはじめとする女性の権利も含めた21世紀の人権を考えられる人をを最高裁判所の長官や判事に指名し、
わざわざおしゃれ着洗剤買うのも別で洗濯回すのも面倒だし、手あらいなんてもってのほか
だけど去年GUに登場したスウェットライクニット、これが革命だった
100均にある適当な洗濯ネットに入れて、普通の洗濯物と一緒に放り込んでも、縮んだり型崩れしたりしにくい
こんなガサツな扱い方だったけど、ワンシーズン着倒せて今年2シーズン目に突入した
おまけに肌触りが良い、チクチクしない、毛玉もできにくい、高級感というおまけまでついてくる
そしてGUなのでもちろんお値段もお手頃
今年は1枚買い足そうと思う。
転職が活発になってきたと言っても、それまでの社歴や実績が評価される。
新卒でつまづくと取り返すのは大変だ。
大学時代は理系で勉強を頑張ろうと思ったが、就職に役立つスキルが身につきづらいところだった。というか講義より就活に専念することを目的とする学生が多いところだった。そのことに気づかず、ぬるい環境でのんきに過ごしてしまった。
就活に励んで学業が疎かになるのは本末転倒という意見もあるし、そう考えていたが、英語や理系の専門知識、コミュニケーション力などは大学の研究でも重要なものだ。
結果、学業も就活も上手く行く学生とどちらもダメな学生に分かれることになる。
就活のためにスキルを身につけることを意識していたほうが、モラトリアム的に自分探しをして役にも立たないことをするよりも良かったと思う。