はてなキーワード: 学割とは
年が開けてから元気が出ない。年末年始はコロナで病床に伏していたし、何よりも就活と期末試験のプレッシャーが心を蝕んでいる。夏のインターンシップで気に入った会社の早期選考が来ているが、どうも手がつかない。
教授が話す就活失敗談、順調に就活を進める友人の話、Youtubeのおすすめに出てくるFラン大学就活チャンネル、そういった些細な日常の出来事に触れるたび、私の心身は虚弱になっていった。
今日は家の事情で外食しなければならない。講義が終わり帰り支度をしながら思案する。駅前のマクドナルドや立ち食い蕎麦屋であれば安くあがるしすぐに食べられる。
しかし、どうしても二郎が頭から離れなかった。二郎の脂と炭水化物は弱った体に良いはずもないが、私の体と心が、あのどんぶりからでしか得られないエネルギーを欲していた。
夕方の五時過ぎ、私は新宿小滝橋店に着いた。2、3人の客が店の外に並んでいる。食券を買って外で待っていると、店員さんが外で待つ客に注文を聞き始めた。
ニンニクはマシマシ、前来たときは脂が少なかったから追加しよう、麺は2/3でいいかな。店に向かう道中、私はそう考えていた。しかし、「麺はふつうでいいですか?」と聞かれたとき、私はお願いします。と答えていた。今まで多くても麺は2/3サイズで精一杯だったのに、一人前は食べきれるだろうか。口を滑らせたことを後悔しつつ、覚悟を決めたのだった。
店に入り席につき、しばらくすると、学割ラーメン(麺ふつう、液体アブラ、ニンニクマシマシ)が着丼した。3ヶ月ぶりに向かい合う二郎は、前よりも魔力であふれているようだった。
野菜をどかし、そこから麺をたぐり、すする。ちょうどニンニクが盛られたあたりから麺をすするので、スープのコクとニンニクの風味が口いっぱいに広がる。少しだけ強めに塩味を含む麺は、追加の液体アブラと程よく絡まり、心地よいのどごしで喉を通って胃袋に落ちていく。
ブタもいい。今日のブタは脂をタップリ蓄えていて、口の中でホロホロと崩れ溶けてしまう。まだ数回しか二郎を食べたことがないが、一番のブタに巡り会うことができたと思う。
二郎を黙々と食べ進める。2年前、はじめて三田本店を訪れたとき、私は大盛りのヤサイとブタに気をとられて痛い目にあった。それ以来、麺を先に食べるようにしているが、今日はそんなこと頭になかった。ただ夢中で麺を口に運び、太くモチモチとした麺をかみしめていた。
二郎の麺は太麺なので、見た目以上に一口一口が重い。半分以上食べきり、どんぶりの中で麺とヤサイが混ざってくる頃には、腹が重くなってきて苦しくなってくる。
目の前のどんぶりに向き合い、ヤサイとわずかに残った麺を必死になって口にかきこむ。ブタにかじりつき、飲み込む。コロナの後遺症なのか、食べていて美味しいのかどうかよく分からなくなってくる。
しかし、そんなことはどうだってよかった。必死にどんぶりに食らいついていると、体の芯からこんこんと力が沸いてくるようだった。いちばん美味しい二郎ではなかったかもしれないが、間違いなくとびきりの喜びを感じる二郎であった。
最後のヤサイを平らげ水を飲み干し、「ごちそうさまでした!」と挨拶して店を出た。新宿の街はすっかり日が暮れて、店や街灯の明かりが街を照らしている。しかし、ビルの谷間から見える遠くの空は、まだかすかに明るい。
※個人の感想がメインです。店のシステムとかが知りたい人はネットで調べてください。
※緊張していてまともに覚えてない部分もあるので、後からこうだったはずと思い出しながら書いています。
※「かぐや様は告らせたい」のネタバレが含まれます。
地方住みの大学院生である自分が初めてピンサロに行ったときの体験記です。タイトルにある通り自分は童貞で女性経験は皆無です。しかし、このまま人生を過ごしていくのは生物としてヤバいんじゃないかといった危機感を漠然と常に抱いていました。そこで、都会へと行く機会があったので、そのついでに風俗で少しでも女性との経験を積みたいと思いました。ピンサロを選んだのはソープやデリヘルと比べてコスパが良いと感じたのと店舗型ならばある程度成り行きに身を任せてもどうにかなりそうだと思ったからです。
早い時間だと人もいないし値段も安いということで午前中1発目の予定としてピンサロに行きました。店の入り口までスマホの地図を頼りにたどり着きドアの前に立ちました。この時点で緊張は高まり心臓はバクバクでした。ドアを開けると男性店員が待ち構えていました。中に入ると店員から利用するのは初めてか、女の子の指名はするか、何かしらの割引は使うか聞かれて自分はそれぞれ、初めての利用で、指名なし、学割利用と答えました。学割で2000円も安くなるのは相当ありがたいです。指名の有無や割引の有無で値段が決まるのでその値段に対応したチケットを券売機で買いチケットを店員に渡します。爪のチェックをされOKをもらうとトイレで手洗いうがいをするように言われました。トイレには洋式の便器と水道がありうがい薬も置かれていました。緊張で尿意が高まっていたので用を足し、手をハンドソープで洗い、うがい薬を使ってうがいをして下準備は完了です。
トイレから出ると店員が待ち受けておりそのままプレイ場所へと案内されました。緊張しつつ注意事項を読み、スマホの使用も禁止されているので何も出来ずにただ待ち構えました。このときもひたすら緊張して怖かったです。途中で店員がもう少しで女の子が来ますと伝えに来てさらに緊張が高まり本当に自分は大丈夫なのか心配になってきました。女の子に会う前から興奮して勃起しちゃうんじゃないか(前日に体験談を読んでいるだけでフル勃起していたので)と変な心配をしていたけど逆に緊張で縮み上がって勃起どころではありませんでした。
伝言の1分後くらいに女の子が烏龍茶とおしぼりを持って来ました。下着だけみたいな状態の女の子が現れ緊張でまともに見られませんでした。頑張って顔を見るとすごい小顔!って感じて、すぐに顔から少し下に目を移して胸を見るとおっぱいは小さめだと感じました。店を出た後にHPで確認するとB86のCカップとのことでした。顔のかわいさに関しては本当に緊張していてまともに顔を見ていないので判断できません。出会ってすぐに少しだけ会話したのですがテンパっていたのでどんな話をしたのかは覚えてません。唯一の記憶としては初めてなんですよね?私も新人で〜みたいなことは言われました。
ソファの背もたれに、もたれる状態になるように促され、指示通りにすると女の子がいきなり正面に乗って来てハグをしてきました。もうこの時点で何をすればいいのか完全に分からなくなりしばらく何もせずに抱き合っていました。さすがに何もしないのはおかしいと冷静になってくると背中をさすりました。久々の他人の肌。一人暮らしで恋人どころか親しい友達も全然いない自分にとっては他人の素肌なんてものに触れる機会は全くないのでこれは一体いつぶりだろう?とか考えていました。
背中を触った感想として、ものすごくスベスベしていたのでつい「スベスベだね」と口に出してしまいました。
笑われました。
そのまましばらく背中をさすっていたが、徐々に落ち着いて来てこの店はそういう店なんだからそういうことをしてもいいんだよな!と少し気が大きくなり背中から近い場所にあるというだけの理由でお尻の方に手を伸ばし始めました。
そっちから行くの珍しいですねと言われました。
こっちは背中をさするのですら決死の思いでやってるんだから性癖の問題ではないんだよ!と内心では思っていました。
とりあえず笑って誤魔化したりしながら尻を触っていると女の子からキスをしてくれました。人生初のキス、いわゆるファーストキスを風俗嬢に捧げてしまいました。ファーストキスはレモンの味だとか甘酸っぱいだとか巷では言われているようだが、そんなのは嘘でファーストキスはイソジンの味ですっきり風味でした。
キスをするとすぐさまに舌をねじ込んできました。ディープキスです。何をどうすれば良いのか分からないのでとりあえず舌をぐるぐる回したりしてなんとか対応しました。
ファーストキスでディープキスをするといえば「かぐや様は告らせたい」の四宮かぐやもやっていたなぁとか思い出しました。初めて読んだ時はいきなりで舌をねじ込むとか淫乱だろとかピュアな感想を抱いていました。だけど、今となってはもう自分は風俗の女の子にファーストキスを捧げていきなりディープキスをするような存在です。初恋の人とファーストキスをしてテンションが上がってついつい舌まで入れてしまうかぐや様の方がよっぽど爽やかで美しいのだとこの経験を通して思うようになりました。
キスだけでも気持ち良くなることがあると聞いたことがあったけど全く快感とかはなく、緊張でそれどころではないのでただ単にやることをやったという達成感だけを大きく感じていました。そのままキスしつつ、背中と尻を触るだけの時間をしばらく過ごしていると女の子が体から離れ、「脱ぎますね」と言ってくれました。ヘタレなので自分からは何も出来ず主導権は完全に向こうのものです。
ついにこの時が来たかと戦慄が走りました。家族以外の女性の裸なんて画面の中でしか見たことがなかった自分が一つの壁を乗り越える時が来ました。女の子が服を脱ぐのをただ観察しつつおっぱいが現れるのを楽しみにしていました。脱がせるなんてことは出来そうにないし、それを女の子のほうも察してくれてありがたかったです。そして初めての生おっぱいとの対面を果たしました。
脱ぐ前から分かっていたことではありますが、やはり何も着ていない状態での評価も改めてしてしまいます。世のアニメやソシャゲなどの女の子の巨乳化が進んだせいで、比較対象がそれしかない人間にとって現実おっぱいは物足りないものになってしまっていました。別に巨乳キャラが好きとかではないんですが、せっかく触れるなら大きい方が良かったと思いました。
ご本人も小さいよねと言って恥ずかしそうにしていました。たぶん普通の人ならこの状況を可愛いと思うのでしょうが、悲しいことに自分は「女の子が胸の大きさを気にするアニメだ!」と変なテンションの上がり方をしていた。(なんだよそれ?って思った人はTwitterで“女の子が胸の大きさを気にするアニメ”と検索してください。)アニメと同じ状況が現実で起きたら喜んでしまうどうしようもないオタクとしての側面がこんなときに現れてしまった。
そして自分もついに服を脱ぐ時が来ました。Tシャツを脱ぎ、ベルトを外し、ズボンを下ろし、パンツも脱ぎました。女の子が脱がせてくれようとしていましたが、恥ずかしくて頼むことも出来ず結局全部自分でやりました。パンツを脱いで自分のちんちんを確認すると真冬の季節に外にいたのかよというぐらいに縮こまっていました。緊張ってこんなにサイズが小さくなるものなんですね。女の子が胸を小さいよねって言ってたので、自分も小さいよねと言おうかと一瞬だけ思ったんですがキモイし情けなさすぎて言えないし、本当はもっと大きいんですとか言い訳しても更に情けなさすぎて全く気にしていないフリをしながら次の行動に移ります。
裸になって最初にしたのは正面からのハグでした。裸だったので当たり前ですが柔らかいものの感触が直に体に伝わってきました。いわゆる「あててんのよ」状態を経験することができました。その後少し体を離してくれた後はおっぱいを揉みました。初めての生おっぱいに感動しながら揉みました。揉み心地については見た目通りのボリューム感で特に言うことはありません。大きかったら満足感が違うのだろうか。しかしながら、「自分は今、おっぱいを揉んでいるのだ!」という事実だけで喜びに満ち溢れて今日は来て良かったなと思えてきました。おっぱいを揉みつつたまに乳首を弄ると女の子が喘ぎ声を出してくれました。あからさまに演技な声の出し方だったので自分のテクニックが云々などとは言えませんが、弄るときの強さに合わせて声の大きさを変えてくれていたのが嬉しかったです。こちらが起こした行動をしっかりと受け止めてリアクションをしてもらえるというのはとても喜ばしいものですね。喘ぎ声が演技か本物なのかが問題なのではなくコミュニケーションとして成り立っているかが問題なのだと理解しました。
キスをしながらおっぱいを揉み楽しくなってきたところでついに女の子がちんちんに手を出しました。おっぱいとキスと手コキを同時に楽しむ状況です。ちんちんを初めて他人に触られたのですが何とも言えない気持ち良さがありました。普段は自分で自分のものを触るので自分の手の触感もあるのだが、他人に触られる場合はちんちんへの刺激だけに純粋に集中できるのが良いのだろうと考えられます。そして、この気持ち良さのおかげか遂にちんちんが大きくなり始めました。自分は緊張に打ち勝って勃起できる人間だと分かって、少し成長した気がしました。
そしてフル勃起になった頃に女の子がおしぼりに手を出しちんちんを拭いてくれました。ピンサロについての予習はしていたのでいよいよフェラが始まるのだと理解できました。心の準備をする時間として使えたので予習をしてきて良かったと思いました。遂にフェラが始まりました。体勢は、自分がソファにもたれながら女の子が横から土下座をするような姿勢で股間に顔を埋めているような状況でした。ちんちんが人の温かさに包まれているのはとても気持ち良かったです。そして何よりも、金の関係とはいえ、自分のためにこんなことをしてくれる人がいるという事実が嬉しかったのです。フェラをされている最中は背中をさすったりお尻を揉んだりおっぱいをたゆんたゆんさせたり乳首を弄ったりして楽しんでいました。女の子のほうはフェラをしたり手コキに変えたりしながら頑張ってくれていました。
一度勃ったとしてもそこからフィニッシュまで行けるとは限らない絶望。
確かに振り返ってみると性的に興奮しているというよりも、嬉しさと楽しさが勝っていたし緊張もしっぱなしだったので萎えるのも仕方のないこと。
せっかくお金を払ってまで射精しに来ているのだから出さずに帰るのはもったいない。
初風俗は緊張で射精できない場合があるという話はネットでよく聞くので 、この日のために1週間もオナ禁して確実にフィニッシュできるように準備していたのだ。
女の子の方もおそらくちゃんと満足させられない可能性があると考えて動きが速くなっていたのだが、その努力も虚しく完全に平常状態に戻ってしまった。
情けない気分になっていたが特に何も言わずに女の子はフェラをやめてキス&手コキに切り替えてきました。これで勃起させたのだからもう一度やれば復活すると思ってくれたのだと思います。フェラからのキスということで自分のちんちんと関節キスをすることになりました。これを嫌がる男もいると聞いたことはあるが、自分としてはまだ性知識も浅く精通もしていない小学生の頃の思い出が蘇りました。
「フェラチオ」という行為の存在を知り、一体それはどういうものなのか好奇心に駆られて自分の股間に自分の口を持っていこうとしたがどうしてもできなかった。それでもどうにか似た状況を作り出そうとちんちんを擦り、擦った手を舐め唾液がついた状態でまた擦りと繰り返して唾液をつけながらフェラを再現しようとしていた小学生の自分。
その頃の原初の性欲を思い出し、ついに自分は今さっきフェラを経験したのだぞと考えたら興奮が戻ってきました。そして無事にまた自信と大きさを取り戻したちんちんは手コキをされ続けました。
勃起状態になってしばらく手コキしてからキスは終了し、またフェラに戻りました。しかし、再び小さくなっては困ります。自信と性欲を取り戻した自分は、性的興奮を高めるために女の子の下腹部のほうに手を伸ばしていき「触って良い?」と聞くことができました。
女の子のほうは普通に「うん」と答えてくれたのでさらに手を伸ばし陰毛の部分までたどり着きました。少しだけサワサワしてこの時点でもかなり興奮しましたが、ここから更に手を伸ばし割れ目の部分まで遂に手が届きました。
アソコは濡れていた。
これが濡れているということなのかと感激した。
予習をしっかりしていた自分はアソコが濡れているのは事前にローションを仕込んでいるからだという可能性もあると知っていました。だけどそんなことはどうでも良い。とにかく伝聞でしか知らなかったものを体験したことに喜びと興奮を感じていました。どこをどう触ればいいのかはよく分からなかったので、とりあえず丁寧に指先で撫でる程度のことをしました。それでもたまに喘ぎ声を出して何が正解かを教えてくれたのが本当に嬉しかったです。
ところで現在の状況を振り返ると、手コキとフェラを交互にされながら片手で手マン、片手でおっぱいを触っています。
ということで何かを舐めたいと思ってきたのだが、目の前には女の子の背中がある。
せっかく空いているのだからという理由で背中を舐め始めました。特に感慨も女の子からのリアクションもなかったけど持てる力を全て使っている感じがして満たされた気分になりました。
そのまましばらく手コキorフェラ、おっぱい、手マン、背中舐めを続けているとようやく射精感がこみあげてきました。このまま幸せに浸りながら出したいと思ったので我慢なんてする気もなく成り行きに身を任せていました。そして手コキをされながらイキそうになり、あっ...あぁと情けない声を上げてそのまま出しました。1週間オナ禁して、しかも前日はピンサロの予習で激しくムラムラしたうえでの射精だったのでこれまでの人生で1番大量に出た気がします。女の子からも「いっぱい出たね」と言われました。出した量を褒めると男は喜ぶのでとりあえず言っておこうみたいなことが風俗穣向けの情報サイトに書いてあったりしたので客観的に見て本当に多いのかは分かりませんが、結局自分も単純な男なので「いっぱい出たね」でなんとなく嬉しくなりました。男として優れてると思えるからなのでしょうか。その後はおしぼりで精液を拭き取り、服を着て終了です。
終了までの残り時間は今日の予定の話とかをしました。そしてついにお別れの時です。女の子は手紙を書いてきますねと言って出て行きました。自分は女の子が最初に入ってきたときに持ってきてくれた烏龍茶を一気飲みし、特に何をするわけでもなく感慨に耽っていました。1分くらいで女の子が戻ってきて一緒に出て行くことになりました。女の子と手を繋ぎながら店の中を出口に向かって歩いていき最後にはお別れのハグをしました。
もちろん背中をさすりました。
以上が彼女いない歴=年齢の童貞による初風俗体験記です。人生経験をアニメや漫画で予習しておくことで、実際にその状況になったときに楽しくなれるのはとても良いものだと思いました。(パニックになったりしないので。)1回の射精に数千円もかかるのは高いと思っていましたが、実際に体験してみると射精だけではない満足感や幸福感があったのでなんやかんやで楽しめましたし、これは初体験だからこそなのでしょうが、値段以上の体験ができたと感じています。
そして全く予想だにしない変化としては、それまでは何とも思っていなかった背中を好きになってしまいそうになったことです。多分これからも、性行為をするときに背中をめちゃくちゃさするし、舐めたりしちゃうと思います。背中からもたらされた安心感と喜びは忘れられません。
この体験記が、風俗に興味があるけど行くのが怖かったりする人の勇気づけになったら嬉しいです。また、風俗店の女の子にはこれが童貞側の気持ちなのかと参考にして欲しいし笑ってくれても良いです。
これを青メガネ界隈のなりすましだと思ってる向きもあるようだけど、そんなものとは一緒にしないで欲しいね。
大学で長年研究・実証されてきた「特権」理論というのがあるんだよ。
中野アナ:出口さんは、“特権”について研究されていますね。“特権”とはどんな概念ですか。
出口さん:私の定義は、アメリカのいわゆる社会公正教育(social justice education)の文脈での“特権”(privilege)で、「マジョリティー側の属性を持っていることで、労なくして得ることができる優位性」というものです。
大学の授業で学生たちに聞くと、特権という言葉は「学割が使えるのは学生の特権」「ディズニーランドが近いのは地元住民の特権」「女性専用車両って女性の特権」という風に使うことが多いです。でも、それらは“特権”ではない、というのが私の立場です。
自分の努力ではなく、たまたまマジョリティー性を持った側に属していることで、下駄を履かされていることはないでしょうかという視点です。
男性は女性に対して、シス女性はトランス女性に対して、日本人は外国人に対して、白人は黒人・アジア人に対して、それぞれ特権を持っている。
中野アナ:ちょっと自分も点検してみたいと思います。まず人種は、僕は日本国籍なので日本人です。次に、出生時に割り当てられた性は、男性です。
画像(出口さんが示した特権チェックの図。「アイデンティティ」について、マジョリティーかマイノリティーをチェック。「人種」は日本人と、外国人、在日韓国・朝鮮人、アイヌなど。「出生時にわりあてられた性」は、男性と女性、他。「性的指向」は、ヘテロセクシュアルに対して、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、アセクシュアル等。「性自認」は、シスジェンダー(身体と性自認が一致)に対して、トランスジェンダー、エックスジェンダー等。「学歴」は、高学歴と低学歴。「社会的階級」は、高所得と低所得。「身体・精神」は、健康に対して、病気、障害を抱える。「居住地域」は、大都市圏在住と地方在住)
ひとつずつチェックしてみると、中野アナウンサーは、すべての項目でマジョリティー側にあてはまりました。“特権”を多く有しているということになります。
マジョリティが特権を自覚して、やがて成長し、マイノリティのために立ち上がり、特権を捨てるという理論。
正しいことが科学的に実証されており、既に実践に移すフェーズになっている。
出口さんのアドバイスは、差別に触れたときのマジョリティーの心理は6段階で推移するという、アメリカの心理学者・ヘルムズの「白人の人種的アイデンティティ発達理論」に基づいています。
これは、アメリカで圧倒的特権をもつ白人が、みずからの特権に向き合うことで、マイノリティーに対してどう変わっていくかを示したものです。
それによると、最初、マジョリティーは「①“特権”に無自覚な段階」にありますが、“特権”に気づくと「②罪悪感を抱く段階」や「③周囲のプレッシャーに負けてマイノリティーを避ける段階」に移り、その後「④マイノリティーのことを知ろうと、一歩を踏み出す段階」へ進みます。
しかし④の段階は、まだ確固とした信念があるわけではなく、迷いや不安から、前の段階に戻ってしまうことも少なくありません。中野アナウンサーのように、相手に関心を持ち取材しながらも葛藤を抱えるのは、この段階にあたります。さらに進んで「⑤自身を見つめ直し、現状を知ることに没頭する」や「⑥抑圧のない社会を実現するため、自主的に行動する段階」に進むためには、仲間が必要だというのです。
私の場合は5時半起き
・筋トレ
・お弁当、朝食作り
・授業の予習
をしてました。
2.授業をめちゃくちゃ真面目に受ける
真面目に受けて、真面目に予習復習して、単位をしっかり取ることを最優先
4.婚活
サークルが主戦場。大手メーカーに内々定が決まっている男性を捕まえて、卒業後すぐ結婚。
5.全身脱毛
通うのは面倒でしたが、早いうちにやっておくとめちゃくちゃ楽。学割で安い。
6.ワキガの手術
4泊5日、退院後も1ヶ月ほどは両腕の可動域が制限。夏休みを利用しないとできなかった。
7.自動車免許の取得
8.インターン
製薬会社でインターンした。病院と製薬会社、どちらに就職するか迷っていたので参考になった。
仕送りを節約してつみたてNISAを少額でやってました。実際にお金を動かすことでリテラシーや資産運用の知識も身に付く。
成人式に出れなくても、振り袖でスタジオで写真は取っておいたほうが良い
毎日少しずつやってたおかげで、日常会話はこなせる。薬剤師の仕事でも役に立ってる。
同じ大学でキャバクラ、ガールズバー、デリヘルなどでバイトしてる子いたけど、私は節約して仕送りのみ。楽にお金を稼ぐと金銭感覚も狂うよー。
衝撃的だった。国会が動いたんだから。一人の母親の叫びは国を動かした。今でも凄いと思う。
話は変わって、てんかんがメディアに取り上げられる時は大体悪印象を持たれる。なぜなら死者が出るから。
車を運転していて、意識を失ってハンドル操作を誤った…なんていうのがよく見るものだと思う。ヤフーニュースのコメント欄には「てんかんの奴は運転するな」とか書かれている。他にはてんかん患者の意見があるが、大半は前者のコメントで占められる。まあ、実際てんかん患者は自動車は勿論、バイクの運転免許の取得が出来ない。条件として、発作が2年以上起きていないこと、薬の副作用が運転に支障がない(眠気などがないこと)などがある。医師の診断をクリアして初めて教習所に行くことができる。人によっては一生車を運転出来ない人もいる。そういう人たちの移動手段は公共交通機関が主流だ。でもこういう事故が起きるのは、社会福祉の制度に問題があるからと思う。「てんかんって障害者手帳取れるんでしょ?それ使えばいいじゃん」と考える人もいるでしょう。確かにてんかんは障害者手帳の取得が出来る。でも、多くの人の交通の足であるJRの割引は適用されない。なぜなら、てんかんは精神障害者保健福祉手帳の対象疾患だからだ。
高校2年生の時、発作が起きてその9日後にまた起きた。それを踏まえて、病院で自転車に乗ることを止められた。自転車を漕いでいる時に発作が起きて意識を失って転んだり、車とぶつかったりしたら、命に関わるからだ。学校までたった一駅の距離を電車で通学することになった。定期代もかなりかかった。ちなみに、自転車に乗れるようになったのは、半年経ってから。乗ってもいいとは言われたけど、あまり良い顔はされなかった。今でも教習所には行けないので、移動手段は限られている。
学割が効いて安くはなったけど、ふと思った。もし私が社会人だったら?会社が交通費を負担してくれるというのはさておき。バスやタクシーは、割引してくれるところはたまにあるけど、JRはない。定期代、バカにならない金額になるのでは?自転車に乗れない上に、車も運転出来ない。事故が起きて誰かが死ぬよりも、国が社会保障関係費にお金を回す方が良いんじゃないの?それに、てんかんは精神疾患じゃない。神経だよ。なんで「精神障害者保健福祉手帳」の対象なんだよ。症状が軽くなって要らなくなる可能性があるから?なんでなんだ。もしこれを政治家の方が見ていたらちょっと頭に置いてください。
精神障害者保健福祉手帳に、JRの割引を加えてください。悲惨な事故を一件でも減らす為に必要なことであると思います。
これで国が動くとは思えない。でもこれに賛同してくれる人が沢山いれば、動くのかもしれない思っている。
押しにも欲望にも弱いといえど弱すぎる。相手も悪いのは当然だけど私も悪かった。叩かれるの必至な気もするがこんな機会なので戒めのために書こうと思う
状況的には中田氏こそしていないがしばらく生で入っていたという感じ。日常的にピルは飲んでいない。
相手と別れたあと急に不安になり日曜日でもやっているクリニックを検索。運良く15時まで営業しているところが見つかったため急遽向かう。
クリニックはめちゃくちゃ綺麗で美容関係メインでやってるとこっぽく、なんとなくゴージャスな内装だった
患者さんは他にも3人くらい、番号で呼んでくれたり個人情報守られてる感をビシバシ感じた。雰囲気としては脱毛サロンのような感覚。
受付のお姉さんに個室へ呼ばれて説明を受ける。3種類あって、日本製72時間以内、ジェネリック72時間以内、国内製120時間以内、とかだった気がする。120時間以内のものが1番効果が高いとのことだったが、僅かな差らしいので1番安いジェネリックのものにした。それも悲しい。躊躇なく1番安心なものを選べるようになりたい。
生理不順を治すために飲んでいる薬があるので兼用しても問題ないか聞く。注意事項の説明を受ける。受付へ戻る。どうやら学割があるらしく、びっくりした。素晴らしいことだ。
受付で番号を呼ばれて、薬と妊娠検査薬を手渡される。受付にあるウォーターサーバーで薬を飲んでも大丈夫ですとのことなのでそれに従う。めっっっっちゃ小さい薬2粒で、ほんまにこれで回避できるんか?とも思ったが信じるしかない!人間の体って不思議!
妊娠検査薬は3週間後に自分で行ってください、もし妊娠していた場合はアフターピル代金は返金します、とのこと。すごいシステム〜
ネットで予約してから行ったからかもだけど、合計30分もかからないくらいで終了。受付の人も根掘り葉掘り聞かないし、終始丁寧で感じが良かった。
ひとまずこれで受診は終わったけど、もちろん効果があったかどうかを確かめないことには安心できない。もうこんな思いをするのはごめんだし、本当に反省している。みんな、一時の欲に流されず、自分のこと大事にしましょうね!!
どっかのブログで一重瞼デー 太っちょデーがあったらおかしいでしょ、レディースデーは女性をカモにしているってあった。
自分はそうは思わん……
いいじゃん、レディースデー。
そこには何も、女を消費しようとか、割引につられるバカ女めとかないでしょ。少なくとも自分は思ったことないし、もしお前ら思ったことあるならそれはお前らがおかしいよ。
レディースデーを設けたら、売り上げが伸びるようになった。
なら企業的にはやる他ないでしょ。
シニアデー設けたら、たくさんお客さん来てくれたから続けてるんでしょ。
それ以上でもそれ以下でもないし、もし社内で、やっぱ女と老人は割引が好きっすねww自分はそんなのには釣られないっすwwとか言ってる社員がいたら、それはそいつの問題。
レディースデーにやってきたLGBTの人たちが苦労するのはまた別の問題。それは対応する受付窓口の人たちや会社側の話。自分が女だと思ってるなら胸張って行けばいい。
学割がなくなって社会人料金になって値段跳ね上がったときから思ってんだわ。
男女平等に基づくなら、利益を得ている女性が上にたって、男性は利益を受けられず下にいることになる。
おい男ども、声をあげて自分たちが差別されていることを訴えようではないか。
といっても声はあげないんだろうな、差別されてる意識がないもん。
映画代とかだから感じてない人多いのかもしれないけど、電車賃とかだったら反感大きいんだろうな。
これは電車賃安くしたところで利用者数は変わんなさそうだから、ただの優遇だって捉えられるのかな。分からん。
まあそういうことです。
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企業的にはレストランの2人席は2人で埋めてくれたほうがいいし、デート先おでかけ先に映画館選んでくれたら儲かるじゃん。
そゆことよ。
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる。フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
元ニートの高卒45歳。多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聴いて、仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーをなんとなーくしていて、他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いていた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。年俸制という糞システムのおかげで1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれなし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
理不尽の例1)
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
理不尽の例2)
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
パワハラ1)
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たぅった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも新人には丁寧に接している。私はまだ恵まれていた方なのかもしれない。
パワハラ2)
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!」「なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。