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2024-11-15

Netflixマインドフルに殺して

面白かった

マインドフルネスについては懐疑的気持ちなのでマインドフルネスって、良いんですよ〜サイコパス爆誕テーマ自体で優勝だったしちゃん最後まで観させてくれた

マインドフルネスって色々種類というか段階があるんやね…

最初映像のつかみよかった

「よくないものを売ってるんだ」的なセリフ

「チャックを開ける」動作武器パンパンに詰まった鞄が開けられたりとか薬物?が入った鞄とか娼婦の胸元を開けられたり一瞬で映像がきりかわり「やましいこと全部コンプリートしてます」感を1,2秒で的確に伝えてくれてた

・直接的なゴア描写がなくてボストランク蒸し焼きのときみたいな暗喩が逆によかった

なんでだろ 

・マジの幼稚園の「組長」パターンだ…

・鳥のお人形自白ちゃうのはガバすぎるし

1000%警察に見つけられるやつじゃん!だったけどマフィアのゴタゴタがおもろかったのでヨシ!

吹き替え声優さんの飄々とした喋り方がすごくキャラクターに似合ってた

滑らかで理知的でかつらつとしてるけど「なんやこいつ」感 作品主人公モノローグメインで進むのと相まって本人的には「マインドフルネスでいい感じ!」はたからみたら「おいおいおい」のズレ感を終始感じさせてくれて作品のやりたいことを視聴者己によく伝えてくれとる…!ってなった

anond:20241115111424

戦前日本は娘を担保お金を借りることができた

ただ、娼婦として働かせる場合は娘が売春する許可を得られないと働くことはできない

なお、虚偽申請が相次いだのか娘を担保にするクソ野郎が多いのか定かではないが、この手の許可制度は戦後廃止されたので、今はできない

2024-10-26

anond:20241026192019

月50万円稼げるなら場末じゃないだろ

場末娼婦や男娼は収入10万円前後寮生活からギリ暮らせるぐらい

親族に居場所知られたら殺されるかもしれないか生活保護には頼れない類

2024-10-24

異世界NTR親友のオンナを最強スキルで堕とす方法~』を読んだ(漫画版)

異世界転移した人間不信チャラ男が、自分を救ってくれた無垢童貞に心酔し、チート能力を持つ童貞が人の良さから騙されないか警戒し、近づいてくる女を片っ端から手籠めにして童貞から遠ざける作品

女とセックスしまくる一方で、「童貞を守るため、女なんかどうでもいい、童貞のことが一番大事で一番好き」というBL臭さも漂う

抱いた女たちは「街を守ってもらいたいので旅に出ないよう媚びて引き止めてる」という悪心からではないが打算を持って童貞に接する者もいたが、

結局のところ悪意を持つ女というのは誰もいなかった

チャラ男の行動は全部無駄で、空回りしているだけだった

無垢童貞を守りたい、怪しい女は遠ざけたい、そんな思いが結局童貞を決定的に傷つけて修復不可能になってしま

出落ちセックスしまくるだけの漫画だと思っていたら、意外にも話が進行してから面白い

ちな、「最強スキル」とは、人間モンスターと深く接触することで相手スキルコピーできるというもの

死にかけの魔物トドメを刺す前に、体内に腕を突っ込むと毒耐性やら超聴覚やらを得られる

そして女とセックスすることでも相手スキルを盗める

異世界では負傷などで冒険者引退して娼婦をやっている女が多く、娼館に通うだけで彼女たちが過去習得した剣術や魔術のスキルを得られて気持ちよく強くなれる

異世界転移ものは、海外古典ファンタジー小説よりもJRPG雰囲気が強い

この作品面白いところは、ゲームによくある「二周目」がはじまるところだ

空回りして童貞を決定的に傷つけ心身を救えない状態にしてしまったチャラ男は、異世界転移した最初の瞬間からやり直しする道を選ぶ

童貞を守りたいというのは驕りだった、童貞そば自分のような汚れた人間がいない方がいいと悟り、思い出の初対面の瞬間からすぐに童貞袂を分かつ

その結果として一周目とは人間模様の多くが変わっていくそ差分面白い

まだ読んでる途中だからこれからが楽しみ

2024-09-18

映像化による史上初の原作レイプは「ティファニーで朝食を」説を主張している私としてはユニオシが知られたのはよかったと思うけど、「ティファニーで朝食を」はそれだけじゃない

カポーティは主演がオードリー・ヘプバーンになったことにブチギレている

カポーティヒロインホリー・ゴライトリー役にマリリン・モンロー推していたが、マリリン・モンロー側は娼婦役(ホリー・ゴライトリー)はイメージ悪化すると断った

その結果、なぜかオードリー・ヘプバーンになった

オードリー・ヘプバーンマリリン・モンローでは全く違うホリー・ゴライトリーになる

それを知れば小説を読んでいなくても映画ティファニーで朝食を」が原作小説いかにかけ離れたもの想像がつくと思う

実際、カポーティもブチギレた

この機会に原作小説の「ティファニーで朝食を」、さらに「冷血」を読んで、ついでに映画の「カポーティ」も見よう

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-09-04

なぜシスター淫乱なのか

まんこ二毛作

→昔娼婦だった

→昔売春やってた

→昔風俗経験あり

 

モンスター人間に犯されてた

→肉奴隷だった

→淫紋入ってた

→元から淫乱気質だった

 

・魔族だった

サキュバスだった

 

峰不二子だった

スパイだった

→財宝を狙ってた

国家の一大事だった

 

・夢だった

→なんだ夢か

夢オチ

2024-08-31

大久保公園動画を観たら、そのあと世界売春街みたいなのばかりサジェストされるようになったんだけど、

置き屋どころか、売春婦路上に出てるし、路上では露店が服を売っていて、プレイで使うコスプレとか揃ってるし、

屋台出てるから、客も娼婦も金さえあれば食事には困らないし、なんかエコシステムができてて笑った…😟

これさあ、なんで映画の中で明確に悪として描かれている異常連殺人犯行為をもって、作品自体問題点かのように批判してんの?

鬼滅の刃を読んで無惨を作者と同一視したり、ジョジョを読んで作者とディオを同一視して叩いたりしているようなものじゃん。


momo

@momo25397038

最近「セブン」っていうブラットピット若い頃の映画を観てたんだけど、

その中で異常連殺人犯娼婦七つの大罪の肉欲の罰として殺される展開があるよね。

そこで私はモヤモヤしたんだけど

これ、肉欲の罰というなら娼婦を買った男の方に与えるべきじゃない?

まさか娼婦が好きでその仕事をして

https://x.com/momo25397038/status/1828961892007833969


セブン』の犯人って悲しき悪役とかもう一つの正義とかそういうのではなく完全な悪役扱いだし

最後主人公の妻を殺して生首を見せつけてくるような異常者じゃん

そんな異常者の行為に何故正当性を求めるのか…

ていうかフィクション作品に出てくる男女混合の七つの大罪ネタだと、

色欲担当女性なのってポリコレ的に持ち上げられてる『鋼の錬金術師』や『エクソシストを堕とせない』がそうだよね。それはいいのか?

(鈴木央の「七つの大罪」や、由貴香緒里の「天使禁猟区」、VOCALOIDの曲の大罪シリーズSoundHorizonアルバムMärchen」では色欲担当男性であり、男性に割り振られている作品普通に多い)

2024-08-29

anond:20240829185445

アジア人は「硬さ」がいいらしいよ

昔の話で何だが、フランス娼婦しか数百人のアンケートを取ったところ日本人男性はその項目が抜群だったそうだ

 

 

かに黒人白人(それぞれn人しか知らんが)はなんというか

日本人男性に比べると硬くなりきらないという印象がある

2024-08-26

悪い男に引っかかて痛い目を見る女

例えば真面目で優等生美人な女が居たとする

でもその女が悪い男好きで、悪い男に引っかかったとする

その男に最終的に酷い目に遭わされたとして

当然悪いのは男なんだが、なんだろうかこの自業自得感、同情しがたい感じ

 

例えば悪い女と悪い男が居て、女が男に酷いことされた場合

個人的に女への同情は100%できるんだけど

その女が善人やまともな人であればあるほど、同情心が薄れる

これっておかしくない?直感的には逆なはずだよね

 

これは果たして理不尽に対する心の防御反応なのか

それか「自業自得感」がそうさせるのか

 

これ不思議だなあ

よくさ、露出の多い女性批判的な声ってあるけど、あれちょっと理解できちゃうんだよね

 

例えば治安の悪い夜道で女性が襲われたとする

女性の格好が

1.ガードの固い格好

2.ある程度露出のある格好

3.娼婦のようなあからさまな格好

 

だと、なぜか2に一番批判が行く気がするんだよね

まり、「何やってんだお前は回避できただろう?」っていう残念感が同情心を減らすのかもしれないな

 

別のパターンで考えてみるか

ある男がギャンブルで大負けしたとする

1.普段ギャンブルはしない、真面目だが頭は悪い

2.普段ギャンブルはしない、賢いエリート

3.ギャンブル狂い

 

同情できるのは1だよね?なぜか2は同情しづらい、「アホだな何やってんだよ」となる、3は何とも思わない

やっぱ「回避可能性」のせいじゃないか

 

津波で以下の3人が亡くなったとする

1.逃げなかった人

2.逃げた人

3.海辺で遊んでいて逃げ遅れた人

 

ほら、1だけ同情しづらい!

だって遊んでたのにまだ同情できるだろ?

逃げなかった人は、全然被害者なのに「自業自得だ、回避できたはずだ」と思ってしま

これ良くないよね

 

あれだな、不良が良いことすると評価高くなる現象の逆バージョンかな

あるいは、「人間はどうしようも出来ないことに対してしか同情しづらい」とか?

だって回避しない」なら誰だってたちどころに不幸に成るしね

同情してほしいシーンでは、なぜか被害者が「どうしようもなかった」と弁明しなきゃいけなくなる

これ良くないよね

 

____

 

日本人って特にこの性質強くないか自己責任論みたいな

2024-08-23

最近やったゲーム

もうすぐ20世紀が始まるという時代ニューヨークには高層ビルが建っているけどアメリカの片田舎はまだ文明化されず土人じみた連中がいる

主人公時代遅れのカウボーイみたいな格好したギャングの一味で、昔は大きな強盗事件起こしても離れた場所に移動して数年大人しくしていればほとぼりが冷めたが、

近頃は追う側も組織化して執念深く、なにもかもうまくいかなくなってきていた

30人弱いる仲間を食わせるために狩猟したり、コツコツ個人宅に押し入って金目のもの強奪

仲間の中には戦闘員ではない老人や女や子供もいる

唯一の子供はまだ4歳で、若い娼婦を哀れんでギャング保護した結果、その女がギャングの男と結ばれて生まれ子供

幼いので、反社の中で養われている境遇異端である認識がない

ギャングのみんなでわいわい酒飲んで歌うのは楽しいが、仲間は少しずつ殺されて減っていき終焉が近いと予感させる

10代の黒人少年という、ポリコレシールドありそうな仲間ですら殺され、4歳児でも死ぬ展開がくるのかと怯える

でも最終的に主人公死ぬも、4歳児と父母は生き残り、追っ手もこないド田舎でなんとか家を建て牧場をつくり、自給自足農家になり平和な終わり方を迎える

12歳の少年になった息子は「親父って反社だったし、優しかったあのおじさんたちも反社だったんだな」と気づき父親とはギクシャクしがちだが、

反社生活とは無縁の読書好きで農家仕事ちゃんとこなす真面目な子に育った

主人公死んじゃったけど、この一家ハッピーエンドでよかったーとほっとした

この作品シリーズ4作目だが、3作目は一家ハッピーエンドより3年後の未来の話だと知り、ゲーム環境からそっちはやれないのであらすじだけ見た

父親は真面目に農夫をやっていたが、結局かつてギャングを追っていた行政側の者たちに見つかってしま

彼らは妻子を人質に取り「かつての仲間たちをお前の腕前で全員始末したら妻子を返す」と脅す

一緒にわいわい歌ったギャング仲間の数少ない生き残りを殺す旅に出るはめになる

なんとか殺し切るも、「いや、お前だけ生かすわけないじゃん」と父親殺害される

それから数年後、母親も失意の中で弱って死に、18歳になった息子は腕を磨いて父の仇を討つために反社の道に堕ち、父殺害命令を下した者を皆殺しにした

4歳でチビっちゃかったあの男の子がそんなことになるのが辛い

この作品PC版出るらしいけど、先に結末知ってるとプレイしてても辛そうだ

過去主人公は息子がいたけどすぐに亡くして4歳児のことを可愛がってたのに、結局あの子反社なっちゃうのか

どうすればよかったんだよ

2024-08-19

anond:20240819035334

一個一個のエピソードトークはあるけどね

隣で一緒に街を歩いてくれれば5分に一個のペースで指摘できると思うよ。

でも書き込むとなると難しいな

日本に久々に帰ったときのことを考えるか

まず女が男と同じくらい強くて怖い大人とは思われておらず、女がやたら媚びて弱そうカワイイ子供みたいな話し方をするのがキツいな

意見が軽視される存在なのがもう分かるよね

ハッキリガンガン意見を言えない規範を内在化した人間社会存在してたら、そいつ性格の優しい人しかいない職場以外ではすぐに舐められて良いように扱われる傾向にあるだろうね

何かある時に裁判を起こすなり交渉するなり強気の「出るとこ出る」力が半減させられた人間存在を見るのはキツい。後回しになるし軽視されるわな。

キッチンが小さくて食洗機がついてなくて乾燥機もない家ばかりでそこもキツい

まりこの国の家の作りは、女に無料で皿を洗わせることが前提なんだよね

普通欧米の家庭は家事は少ない方がいいんだよ、だって家なんだし、と考える

食洗機があるのにわざわざ皿を手洗いするやつなんているか

日本の女は家に住む主人じゃないんだよね、家事労働をする娼婦



どの女も、街ゆく女みんなやたらカラフル可愛い服を来てヒラヒラして髪がフワフワしてメイクばっちりなのもキツいね

男はそうでもないのに

着飾らなければ人権すら与えられず下に見られるという強い社会圧に屈してるんだろうね

この社会にもし民という王がいたら、着飾らなければ自分には人権がないし恥ずかしいと考えるだろうか?いるだけで尊敬される権力があるんだからオシャレを追求することがあっても、利便性ばかり追求したり、興味なかったり、それはもう自由だよね

これは社会圧を作る側に女がいないことを意味している。権力がなく、社会を作る側に立つことがない。ジャッジされる側にしか立てないということだ

もう目に映る全てだね

2024-08-17

LiSAとRosalliaのあれ

ニューウーマンといいながら娼婦の待機部屋なんちょっともやる。娼婦コスプレっていってもたとえば時代感をずらして花魁風なら芸術的に見えるけれど、たとえば国内ソープとかデリヘルとかの風俗モチーフにするとやっぱりもやると思う。

https://www.youtube.com/watch?v=UxXY_hR_wzo

2024-07-31

anond:20240731131730

時代海外娼婦やってて日本人に身請けされたと思ったら

また娼館に売られた女がいたけど

普通奥さんになりたいわ言うてたぞ

2024-07-04

みんなゴディバ夫人の言う通りにした方がいいし法で制限すべきかもね

ゴディバ夫人コヴェントリー領民被害者なのに叩かれてるけど領主レオフリック伯爵圧政はやめてって懇願するの至極まっとうな話じゃない?

詳しい人に言わせれば完璧税制はない、らしい。

なら今は対岸の火事でせせら笑ってる人もこの先いずれ重税による生活苦に遭うかもしれない。

それは塩税や酒税や馬税かもしれないし、商品の購入歴や馬車の搭乗履歴掲示板書き込みの記録かもしれない。

その時にあなた資産徴税され放題の社会にしたいですか?

嫌でしょう?

個人的には馬を裸で乗り回す必要ないんじゃないかなと思った。

裸婦画とか娼館娼婦を紹介する女衒違法になったと思うんだけどあんな感じ。

ゴディバ夫人コヴェントリーの街を行進する時間だとか覗きに繋がる情報を書くのもNGにする。

ゴディバ夫人心配する体で面白がって騒いでるピーピング・トムたちいるよね。

盲目にでもしてああいう人たちから集めたお金領民に配れたら良いな。


anond:20240704093457

anond:20240704123811

昔は、娼婦とか賤業の女性でも、けっこう皇后になってたのにね。東ローマ帝国のテオドラとか、後漢の何皇后とか。

娼婦は日陰の存在でいろ」って感じの発言現代からも出てるのか

世も末だわ。キリストが聞いたら石投げつけると思う

2024-06-22

ドンペリロマネ・コンティが一本作られるたび、どこかの国で貧民が飢えて死ぬ

不当に高い酒が世の中を豊かにすることはない。あんなのは味のいい麻薬にすぎない。大麻クッキーのお仲間だ。「帝国ホテルの一流シェフが丹精込めて作った最高級の大麻クッキー」みたいな存在だ。

そして、どこかの金持ちがそれを飲むための利益下請けの儲けからピンハネする。金持ちからすればある日の晩酌を高級娼婦と楽しむための一瓶、それを買うために平気な面して立場の弱い誰かの金庫に手を突っ込んで金をまさぐる。その影響は下へ下へと広がり、そしてどこかの国でクビが回らなくなった貧民の人生が狂っていく。

金がなさすぎて強盗をする。数ドルを得るために誰かが刺される。子供学校をやめさせられる。女は体を売って病気になって死ぬ。男は炭鉱で働かされて肺を悪くして死ぬ

どこかの金持ちがある日の晩に、ボジョレー・ヌーヴォーでも飲んでおけばいいものを金で買った美女に格好つけたいからとやたらと高い酒を開ける。その影響は、地平線の彼方や、近所の路地裏へ広がっていく。そして誰かが死ぬ。誰かのほんのささいなメンツのために、誰かが簡単死ぬ

実に無慈悲で、薄気味が悪く、非人道的だ。その引き金を引いたのは、誰かが高級大麻クッキーを焼いたせいだ。大麻クッキーなんてキマっちまえばなんでもいいはずなのに、一流シェフに焼かせてみせた自分達の懐の温かさを自慢するために、うず高く金を積んでそれを買う。それを当て込んで誰かが作る。

そして、誰かの人生が狂って、誰かが死ぬ

悪徳だよ。

高い酒ほど下劣ものはない。結局は酔っ払いいから飲んでおきながら、その味を気にしているような素振りを見せる。教養があるような顔をする。どこか教養だ。無教養象徴だろうが。何人もの人間を殺してまで買うようなもんじゃなかろうに。純度の高いコカインを精製しようとする連中のほうがまだ何がやりたいのか分かるってもんだ。少しでも上品ぶって酔っ払おうって態度が、実に下劣だ。

2024-06-15

anond:20240615100013

コイツパパ活なんて言ってもやってる事は実質買春から野良娼婦相場しか払ってないやろ

ディナー奢って1万2万とかそういうパパ活じゃないよ

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