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はてなキーワード: 保健室とは

2021-05-14

いま保健室登校同級生

あなた給食保健室に届ける係のものです。出席番号があなたと近いか指名でなりました。正直負担です。なので、来週からボイコットします。

給食保健室に届けるのは完全にボランティアです。私はほかにクラスの係とか委員会とかあるんです。給食を受け取った時、最初は目を合わせないでお礼を言ってくれました。今は届けるのが当たり前みたいな態度ですね。まあ、元から、私はあなたのお礼なんていらないです。価値がない。

給食自分から取りに来てください。

2021-05-11

anond:20210511015840

法律相談先生に各学校に常駐してもらってもいいかもしれんよね。保健室先生司書先生みたいに。

いじめだけじゃなく虐待相談場所にもなるかもしれんし。

2021-04-29

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった


中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。

学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったか勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。

勉強はしたくなかったか高校普通科ではない少し特殊学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいクラスメイトも優しくて、初めて学校いじめられなかった。高校卒業したら同じジャンル専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学いじめフラッシュバックメンタル限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学指定校推薦で進学した。

大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかたかもしれない。

勉強の習慣がなかったか毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学心理学哲学法律外国文化歴史英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。

人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生講義は楽」

だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強やすくなるから友人はいた方がいい。

大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係講義発達障害存在を知った。

俺のことかと思った。

俺が発達障害

気になるとそのことしか考えられない。

数日後には県内発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。




「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害可能性があります




絶望した。


自分障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。

俺は「あなた発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分普通なのだとその証明医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。

今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。

医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。

waisの結果は最悪だった。

総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。

典型的ADHD、その上自閉もあるからコミュ力もない。

自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。

俺はメンクリに来たことを、誰にも言えなかったから。

それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。

一番飲んでいた頃は一日で

ストラテラ120mg

インチュニブ2mg

コンサータ18mg

ルーラン12mg

セロクエル12,5mg

ルネスタ3mg

レンドルミン0,25mg

を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。

卒論は何とか間に合い、俺は無事大学を卒業できた。

大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。

その状態一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。

ストラテラもやめた。

一気にやめたら副作用なのかちょっとしんどかったけど。

貯金がなくなったら自殺しようと思う。

もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイト接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。

俺は空気が読めなくて、喋り方もおかしいかダメなんだって

普通じゃないってなに?

数が多いってだけでお前らが正しいの?

俺がおかしいから、お前らに合わせないといけないの?

指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、

もう何も考えたくない

何も考えたくないよ


貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。

多様性を認める社会

ダイバーシティ

そんないつ実現するか分からない理想社会を語るんじゃなくてさ、今困ってる俺を今助けてくれよ。

発達障害に生まれた俺が全部悪かった

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった

2021-04-25

anond:20210424185039

これはもう当事者じゃないとわからんと思うわ。

うちもこれほどひどくはないけど、学校行けんかったことあったから。

外野ときは、親の対応が悪いんじゃねーか、学校対応もまずいよねとか、好き勝手言って批判できたけど、

いざ当事者になるとオタオタすることばかりだったよ。

発端の娘さんの件だって、なかなか担任が原因って疑うってできるもんじゃない。基本的には担任といい関係信頼関係を築きたいと思ってるわけだからね親は。

ゲーム機バケツ事件だって最悪だけど、わからんではない。

子供不登校って「日常」じゃないわけよ。非常事態なの。

非常事態がずーっと続いてて、それを打開するためいろいろ動いて考えてってやってたら、本当ストレスたまるもんよ。

だって人間からね。非常事態が続いてるとこに体調やら精神状態やらの加減が重なると、何かの拍子にブチって限界越えちゃう時もある。

あきらめてそれが「日常」だと思えばいい、親も一生懸命になり過ぎない方がいい、って思うだろうけど、

そこまで腹くくるにはもがいたり足掻いたりする時間必要なんだよね。

「散々、色々な関係機関への相談や、色んなことをしたけれど、何も出来なかった」

っていうのも実感できること。

うちも散々いろいろ相談したけど、結局決定的な打開策はなかったし、子供時間を待つほかなかったって感じだよ。

何がきっかけで学校に行けなくなったのか、そして行けるようになったのかもよくわからんかった。

その間、違う先生からは「原因がないなんてあり得ない、なにか原因があるはずだ」とか言われたりとかさー、

じゃあどうすりゃいいわけ?どうやって聞き出せばいいわけ?って思っちゃったわよ。そんなん言うんならうちの子と話してよってね。

もうなんか非常事態の間は、自分視野狭窄に陥ってんなーってわかるんだけど、最中はどうしようもないのよね。

今思えば、原因はたぶん一つじゃない、子にも要因があり、親にも要因があり、学校にも要因がありって感じなんだろうけど、

じゃあその親の要因、私は夫はどうしたらよかったのか、どうすればいいのかって、最中暗中模索状態なのよ。

もう一度言うけど、一人で悶々考えてんじゃないのよ?学校にも相談機関にも散々話してるのよ?決して一人で勝手に抱え込んだりしてないよ?この増田もそうでしょ。

スクールカウンセラーには発達障害可能性も提示されたりして、いや違うんじゃないかなーって思いつつ、病院予約する一歩前までいったこともある。

(のちカウンセラーから必要ないと判断されて止められた。幼い頃から見てきても、当てはまる要素がほとんどなかったし。)

でも本当にもう悩みつつも、その状態である子供を受け入れるしかなかったというか。

殴打事件も褒められたもんじゃないし、暴力肯定する気はないけど、結果的には決定的な打開策になったような感じだよね。

だけど、この親子の事例で、結果的に良い方向に進んだってだけで、すべての引きこもり事例に当てはまることじゃない。

こうすれば解決するよみたいなもんがない、いつまで続くかもわからない。先が見えないって本当に地獄だよね。子も親もね。

結局は子供の力を信じて待つしかないのかなーと思いつつ、何もしないで手を拱いてるわけにもいかないし、というジレンマ

追記学習面はどうしてた?というコメがあったので。

不登校以前から算数だけ進学塾に行ってたので、算数だけはなんとか手当てできてた。不登校中も通塾や習い事だけは意欲的だったし。

学校宿題もできる限りやってたし、保健室テストを受けることもあった。担任学習面の心配はしてなかったかな。

中学年だったのでなんとかなってた感じ。理科とか、のちのテストのでき具合見て、あー不登校時に抜けてたところだなと思うこともあった。

高学年とか中学生とかで、塾も嫌がって、勉強もしたくないとかだと、どうしてたかなーとも思う。

2021-04-18

アトピーだった私は不良として扱われた

まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。

特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。

小学校田舎公立だったので、制服等はなく、着るもの特に苦労はしなかった。

問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎公立中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。

端的に言って、クソだった。校長こちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。

といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。

それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。

学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールから」と強制してくる。

小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。

まず、毎週火曜日実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。

次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。

保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。

授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。

そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。

受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。

私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科選択する必要がある。

が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。

そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。

幸いにも、理科数学けが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。

その言葉の通り、大丈夫普通に合格した。中学校同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。

高専天国だった。まず私服である。全てから開放された。

一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪普通にいる。

制服呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。

授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。

その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。

最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。

だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代自分中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。

ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピー悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。

あと、高専はいいぞ。

2021-04-15

(オトナの保健室)正しい性知識、届けたい:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S14871030.html

助産師で「性教育ユーチューバー」」

イラストつきのトイレットペーパー製作している(会社代表

現場での工夫や葛藤を聞きました」

こちらは無料会員が読める会員記事です。」

個人の印象)マサカ、おめーら「保健室」ってタイトルで気軽さを演出して、お安く雇えてPV稼げそうなシャベリ手引っ張ってきてアヤシイ記事を書かせているんじゃねーだろうな?

2021-04-13

ウマ娘に学ぶ間違ったレベルデザイン

ウマ娘には寝不足気味というバッドステータスがあるが、これを考えたやつは今すぐクビにしたほうがいい

なぜならこいつは正しいゲームデザイン理解していないからだ

 

寝不足気味とは?

休憩して体力を回復すると50.70.30回復ランダムで発生するが、その時30を引いた場合に追加で寝不足気味というステータスがつく。保健室に行って確率で直すか、放置して確率で体力10減少、やる気ダウンを受け入れるかになる。

 

何がダメか?

寝不足気味がついて嬉しい人が誰一人存在しない。そもそも体力回復コマンドステータス上昇とトレードオフなのでなるべくしたくない、そもそもマイナス行動なのに、その中でさらマイナスを引いてしまう。マイナス報酬マイナス報酬をつけるという行為ゲームデザインのもの理解できていない。

寝不足気味がついた回はそもそも捨て回になるので、無闇にユーザー萎えさせて離脱を進める効果しかない。

 

ではなぜ寝不足気味をつけたのだろうか?

同じゲーム開発者からわかるが、回復という行為自体を分離してみた場合回復力がランダムだった方が面白いからつけたのだろう。しかし、ゲーム全体で見た時回復という行為自体マイナスなのだからマイナスを加えてはいけない。

 

でも成功してるじゃん

他の部分がいいからだろ?萎えさせてジワジワ減らす爆弾抱えてる意味あるか?

サイゲームス

今すぐ謝罪して修正しろ

そしてこのデザインをした契約社員専門学校なり大学院に行かせろ

そいつは何一つ理解してない地雷

2021-04-08

耳を塞ぐ恐怖を克服したい

何が原因か、いつからそうなったか全くわからないのだが、耳を塞ぐことに対して強い恐怖感がある。

手で塞ぐことはもちろん、イヤホンヘッドホンを付けることにも恐怖を感じる。数秒で気持ち悪くなって軽いパニックを起こしてしまう程度には苦手で、中学校の授業でヘッドホンを着けた時(どうしても怖いと説明したが、無理矢理に着けさせられた)、貧血を起こして動けなくなり、保健室に運ばれた。

当然創作物の中で登場人物が耳を塞がれる描写も怖く、登場人物自分から耳を塞いだりイヤホンなどをする描写ならまだ我慢できるものの、誰かに突然耳に触られたりイヤホンなどをさせられる描写文句なしに怖い。

爆発や銃撃、耳なし芳一などで耳を怪我したり物理的に失うのなら大丈夫なのだが、とにかく“塞がれる”ことがとても怖いのだと思う。

大学生になった今も全く変わらない恐怖を抱いているが、耳を塞がないといけない状況なんてそうそう訪れない。音楽動画を鑑賞したかったらスピーカーにして見れば良いし、友人たちに耳を塞がれることが本当に苦手だということを説明しておけば、悪ふざけでされる心配もない。殆ど不自由なく生きて来れていた…のだが、一つ問題が発生している。

自分は今自宅で大学オンライン授業を受けているのだが少し前から家の隣で大きな工事が始まり、その轟音が授業を聞くのに支障をきたしている。イヤホンを着ければおそらく解決する。だが怖い。

もういい歳だし克服のいい機会だと思い、付けては外し付けては外しを繰り返し、一日二時間ほどイヤホンと格闘しているのだがそれでも怖い。最長記録は泣きそうになりながら三分半である。授業の時間に届かない。

親に半泣きになりながら電話をしたところ、普段滅多に泣かなかった自分が、親の見ていたドラマの「無理矢理ヘッドホンを付けられ、大音量音楽を流され苦しむ」シーンで号泣したという話を聞いた。おそらく小学校低学年の時だと言うので、少なくともその時にはこの恐怖症を発症していたわけだが、そのドラマを見た記憶がないので、これを見たことが原因というわけでもなさそうだ。親にもなった原因は分からなかった。

そして今日イヤホントレーニング生活一週間目だ。何も変わっていない。正直精神科案件な気もしなくはないが、特殊すぎて行ったところでなんとかなるのか?という気持ちもある。そもそも十年以上怖いものが克服できるものなんだろうか。だけどいい加減治したいともやっぱり思う。家の外で音楽聴いたりしてみたいし。聞く音楽で癒されようと思って森の音から勇気づけて貰おうとうっせえわまで試したんだが何を聞いてもダメだった。どうしたらいいんだろうな、これ。

2021-04-07

小学校高学年のとき、清掃の時間?に廊下で一人泣いてる低学年の女の子がいて

誰も声をかけようとしないのをずっと見ていて、勇気を振り絞って声をかけたことがある

転んでけがをして泣いていたみたいだった

「と、と、とりあえず保健室? あ、歩ける?」とコミュ障丸出しで声かけ保健室に連れて行った

保健室先生に預けて診てもらって、何か先生から「ありがとう」くらいは言ってもらえるかなと思ってたけどそうでもなくて

ガンスルーされて悲しくなってそそくさと保健室を出た

あの時の「いいことしたんだから、褒めてもらいたい」という気持ちが未だに消えない

2021-04-03

クソザコトレーナーハルウララの話

最近、なにかと話題ウマ娘をはじめた。

TwitterでTLに流れてきたレースの様子の動画が流れてきて、ゴールドシップごぼう抜きに度肝を抜かれたのがきっかけだった。


はじめての育成は初回のガチャで手に入れたダイワスカーレットSSRの交換は一目ぼれしたライスシャワー

ウマ娘を始めて一週間ほど。育て方は正直今でもよくわかっていない。とりあえずたくさん育てて☆3因子なるものを手に入れなければいけないと知った。

いまのところ最高ランクサクラバクシンオーのBランク。このあいだようやくダイワスカーレットグランプリを獲らせてあげることができた。


キングヘイローアグネスタキオンゴールドシップと育てていくと、チームが編成できるようになった。

そして気が付く。ダートレースなるものがあり、芝ではなくダート適正のある娘を育てなければいけない。

そこで手持ちのダートに適正のある子を確認した。桜色の髪と笑顔が可愛らしい、小柄な少女を見つけた。彼女が「ハルウララ」だった。


とりあえずいつも通り育てるかと、お任せで引継ぎ元とサポートを選んで、ハイハイいつものね、とイベントスキップしつつ育成開始。

まあとりあえずスピード上げとけばなんとかなるっしょ、と軽い気持ちステータスを上げ、さあいってらっしゃい、とハルウララメイクデビュー戦に突っ込んだ。


結果、4位だった。


正直に言うとめちゃくちゃびびった。

初回のメイクデビュー戦は、1位しか取れない仕様だと思っていた。今まで誰を育てても1位をとってきていたので、4位という順位に思わずスペキャ顔をした。


まあでもそんなこともあるんだな、調子普通だったしな、お出かけしてやらんとな、と気持ちを切り替えて、次のレースへ。

どうやら、次はレースではなくファンを集めなくてはいけないとのことだったので、上に出てくるたづなさんのヒントに従って、根性やらパワーやら賢さをトレーニングで上げつつ、ダートレースがあるタイミングを見計らってレース出馬する。


勝てない。ぜんぜん勝てない。酷い時は7着だった。

どうしても勝てないし、ファンも集まってくれない。

えっこれ積んだ? 育成しっぱいしたんじゃね? どうして?? 一番人気で紹介してもらってるのに何で???


どうすればよかったんだろう、トレーニングもうちょっと詰めたほうがいいのかなと続けるも、

トレーニングには失敗ばかりで練習ベタまで付いて、絶不調まで落ちてしまった。


私のようなトレーナーのせいで、ハルウララが勝てない。

どうしよう、やばい

ハルウララ申し訳なさ過ぎて、早く育成を終了して、なかったことにしたい気持ちでいっぱいになった。


私の気持ちまで沈んだまま挑んだレース

初回、出遅れ順位最下位にまで落ち込んだ。これももうだめだ、と諦めつつも眺めていた。

そうしてレースの中盤。ハルウララ最後から追い上げてきた。

はじめてみたゴールドシップのようなごぼう抜きを見せて、レースの終盤。ハルウララが先頭争いに加わっていた。


何が起きたのかわからなかった。いままで4着、7着と低迷していた彼女が、ここにきて1着になろうとしている。

気が付いたら小さなスマホ画面を握り締めて、がんばれと声を掛けていた。

そうすると、実況のお姉さんが「ハルウララがんばれ! 初めての勝利が見えてきた!」とハルウララ応援をはじめてくれた。

それを聞いて、泣きそうになった。私が不甲斐ないトレーナーだったばかりに、ハルウララは1着を獲れていない。

それでも実況のお姉さんはハルウララのことを見守ってくれて、応援までしてくれている。


今まで、ファン数が増えていくのは見えていたけれど、数値もしくは一つのパラメーターという認識しかなかった。

レースに勝てば勝手に増えていくものだと思っていた。

それでも育てたハルウララにはファンがいて、好成績を残せない現状でもレース場に駆け付けて応援してくれている。

その期待に応えるように、ハルウララスキルが発動し、加速した。並んでいたところから抜け出した。


そうしてハルウララは1着になった。

ほとんど2着と差がなかったが、確かに1着だった。


その後、ほっと息を吐きながら手を振るハルウララを見守り、詳細を見る。

それからライブを見ることにした。曲は何度も聞いて聞きなれた「make debut」だったけれど、

ハルウララセンターに立って、笑顔で歌を歌っているところを見て、なんだか涙が出てきた。

ゲームで何言ってるんだって話だけど、本当に涙があふれてきてしまった…)


その後、その1着がバネになったのか、ハルウララ保健室一発で練習下手を克服して、レースで1着を重ねていく。

目標達成は絶望的かと思ったけれど、なんとかマイル距離レースも入着を重ねてくれた。

しかし、JBCスプリントで1着を獲ることができず、私とその時のハルウララレースは終わった。

ハルウララの最終ステータスはC+。いったんこのハルウララダートレースエースに据えた。


私は競馬については全く詳しくないし、知っている馬と言えば祖母の影響でキタサンブラックくらいだった。

さらに言うとウマ娘を始めてたった一週間程度の私がいうのもおこがましいし、「にわか」と怒られてしまうかもしれないけれど。


ウマ娘面白いいちばん推しハルウララになった瞬間でした。

同じ時を過ごしたハルウララとまた同じトレーニングの日々をすることはないけれど、

はじめて育成をしたハルウララのことはずっと覚えていたいと思った。


最後までこんな意味不明文章を読んでくれてありがとう

この気持ちをなんとかして吐き出さないと眠れなさそうだったんや…

2021-03-23

生理貧困女児だった過去

ちょっとだけ追記

私の家庭は父親と兄と私の三人家庭だった。母親は私を産んで四年後に事故で亡くなった。父方の親戚縁者との関わり合いもあまりなく、父親収入は人並みにあったので金銭面は問題なかった。

小学校五年生の時に学校トイレで股から血が出ているのに気付いた。初潮だった。四年生の時に月経について学んでいた私は保健室に行った。養護教諭先生は私に昼用数枚と夜用を一枚くれた。

初潮だったからかその月は最初にもらった昼用一枚だけで済み、次の月も一枚で済んだ。汚したパンツ風呂で手洗いして洗濯機に放り込んだ。

数カ月を一枚ずつで済ませたが、経血の量も増え、夜用も使ってしまった。だがどうしても父に言えなかった。

スーパーでの買い物は父の役目だったし、小学生の小遣いで買うにはナプキンはなかなかの値段だった。

百均で買った数枚入りのナプキンを、朝学校に行き夜の風呂の前に付け、風呂の後に付け、また朝取り替え、一日二枚で過ごした。夕方にはだぶだぶになっていて際まで真っ赤だった。もう吸収できないと思ったらトイレットペーパーを上に敷いて挟んでいた。もしかしたら臭いもしていたかもしれない。ゴミ学校に持って行って捨てていた。

夜に昼用を使っていたので何度か下着パジャマを汚し、股の間にきつく挟んでトイレットペーパーをパジャマの中の尻の周りに詰めて寝た。朝になるとトイレットペーパーには血がついてパリパリと硬くなっていた。

中学校に上がるまでそういう形でしのいでいたが、中学入学前に出会ったある女性が気にかけてくれて、父に生理必要ものを買うよう説明してくれた。

父はその場でその女性に一万円を渡し、私は女性と一緒に近所のドラッグストアナプキンを買いに行った。サニタリーショーツというものを知ったのもその時だった。

父にはほぼ知識がなかったようで、男の自分しかいなかったので知らなかった、申し訳ないと女性に話していた。

パリパリの尻の感触記憶などについては何となく誰にも何も言えないまま、私は成長して、先日結婚した。

私が女の子を産んだ後にもしも先立ってしまったら、夫は娘の生理周りまで気にかけて育ててあげられるだろうか。現段階の夫では難しいと思う。いつかそうなっても大丈夫なように、ある程度は教えておかないといけなさそうだ。

女生徒保健室ナプキンもらえるなら

男子児童保健室先生に手コキしてもらえるようにしよう

anond:20210323115141

周知は確かにやってもいいな。でもやるとすれば小学校生理の授業で「保健室にもあります」と一言添えるぐらいが適切だろう。

 

貧困の話じゃないよこれ。

anond:20210323114653

ベースにある貧困虐待は何十年と解決できてないし、抵抗勢力が強すぎて今後も何十年と解決できないだろうが

そちらが解決できないうちは小さな対症療法すらしてはいけないか

比較的すぐできるであろう保健室ナプキン置く事すらしてはならない、該当する子供は何十年と今後も我慢してろって事か?

anond:20210323114332

それって、別口の使途を限定した予算いるかな。

もしも生理用品買って保険室の予算がたりなくなったら、次年度で足りなかったんでみたいな申請をする。

そういう風になるというか、しているだろう。

 

そもそも実在するのか。生理用品が不足している保健室とやらは

なんでみんな保健室ナプキンないと思っているの?

anond:20210323113414

そもそもからして「貧困被虐児童の為にナプキン学校保健室に置いたらどうか」って話なので要は現物支給しろって話なんだよね

(金で支給しないのは金じゃ親に取られるだけだからって意味で正しい)

それをなぜか成人女性限定して生理用品も買えない成人女性自己責任!だから何もする必要なし!って言ってる奴がいるだけ

この元増田へのレスでも既にそこは複数増田が散々説明してるのに、そこは分からないふりをしてる

2021-03-20

波とうまく付き合うことに関する雑記

さて、今年度の7月適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。

この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います文脈崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。

【読んでくれると嬉しいなーという人】

自分の心の状態と向き合っている方

自分と関わりのあるお友達

1、診断の効用と注意点

自己理解・波と付き合うための方法を身につける

診断が下ったことで、自身状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。

(これについてはあとで詳しく書きますね)

②「自責をしないためのラベル

一度自身精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います

そうなったときに、一点不安だったことが、自分アイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり病気だ」というラベル自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットデメリットもあることだと思います

例えば、症状がひどかった当時は、診断書かばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分価値がない」という精神シャカリキから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。

また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います

③別の病気への移行

適応障害ストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています

この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまり病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます

2、波とうまく付き合うためのあれこれ

感情を記録する

「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリデザインかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。

もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリデザインあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。

依存先について

どっかの大学熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります

ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンターこころ相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織リソースガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談ハードルを元気なときに下げておくことも大事です。

個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンライン手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。

あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています

③過敏さとの向き合い方

今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます

【音】

音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレキッチン換気扇冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています

最近耳栓が役に立ったのは、水族館イルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近電車ですね、地下鉄JR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。

【光】

これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだからしんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。

睡眠

ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいていますキャパティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています自分はまだ眠剤使用していないですが、場合によっては。

【教えて】

スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。

【その他】

鬱の状態とき衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だからホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います

3、最後

新年度が始まり社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。

こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法環境をゆるゆる作っていきたいものです。

2021-03-08

anond:20210308181126

・たづなを追いかける

これも有効だと思う。何回か追いかけると彼女と出かけることができるが、5回中4回くらいは体力回復+調子アップ、それに加えて2と4回目は保健室の代わりにもなる。

あと1回目たづながいるところでトレーニングするとき調子が上がるのでこれもマスト

まり最初はたづなのいるところでトレーニング⇒お出かけで調子を二段階アップ、が鉄則になる(逆でも可)。

なぜかというと、絶好調だと普通ときに比べてトレーニング効果20%上がるからだ。

この辺はパワプロを知っていると逆に引っかかる(パワプロサクセスだと調子試合での能力に影響するが、トレーニングには影響なかったはず)ポイントで、

このゲーム調子は絶好調を維持するのが鉄則。あと体力はレースに影響しないので、レース前に回復する必要がないのもポイント

anond:20210307134831

攻略サイト全く見てないけど↓でウォッカエアグルーヴはURAファイナル1着、他もだいたいURAまで行けた。

継承サポートおすすめ

キャラアイコンがたくさん出てる項目か、!か虹色が出てる項目をトレーニング、失敗率10%越えたらやらない

トレーニングできる項目がなくなったらレースの「予想」で一位狙えるようになるまで

ヒントLV上がってるスキルの中で次のレースで有利になるもの習得

レーススキルpt稼いで、試合選択肢で下を選んで体力減らす

・体力が0になったらおやすみしてトレーニング

夏合宿前は体力満タンになるよう調整

虹か!を二回と、キャラアイコンが出たとき勉強二回やる

体調不良になったら保健室

・やる気が普通になったらおでかけ

選択肢は割りと適当

オグリキャップは↑だと無理だったからそろそろ攻略サイト見るかなあ

2021-02-04

anond:20210204172730

中学校の思い出

小学5年の終わりに転入した小学から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。

もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループクラスストーカーも全部持ち上がり。

よそ者の私は、ストーカー最下位からスタートだった。

けど、中学に上がる少し前に、ストーカー上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくストーカー上位の子たちと仲良くなれた。

ストーカー最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。

途中でクラスに入った私立から転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラスストーカーが崩れかけていた。

進級のタイミングで、私は名字が変わった。

そして、同じクラスになったストーカー上位の子から無視されるようになったし、小学から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。

家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。

私は一気にストーカー最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。

そして、部活と塾にもその余波はやってくる。

小学からストーカー上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。

C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。

いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。

しばらくして、C子は別室登校を始めた。

同じクラスの元仲良しグループメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。

私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。

けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちら必死になって勉強してる間、ずっと保健室手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。

つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。

あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。

E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険先生だったかは覚えてないけど。

C子は、3年生に進級したタイミングで完全に教室復帰した。

A子やD子、E子とクラスが別れたのも理由かもしれない。

一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。

中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。

大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からストーカーが見えなくなった。

卒業間際に私は色んな人に謝られた。

「助けてあげられなくてごめんね」

「ひどいことしてごめんね」

中には、私が音楽先生推し採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。

けど、私が本当に謝って、理由説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。

A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。

私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。

育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。

けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。

から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。ストーカー意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。

人に話すと同情されることが多いけど、私にとってはこれもまた、大切な過去の一つなのだと思う。

anond:20210204172730

中学校の思い出

小学5年の終わりに転入した小学から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。

もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループクラススカートも全部持ち上がり。

よそ者の私は、スカート最下位からスタートだった。

けど、中学に上がる少し前に、スカート上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくスカート上位の子たちと仲良くなれた。

スカート最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。

途中でクラスに入った私立から転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラススカートが崩れかけていた。

進級のタイミングで、私は名字が変わった。

そして、同じクラスになったスカート上位の子から無視されるようになったし、小学から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。

家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。

私は一気にスカート最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。

そして、部活と塾にもその余波はやってくる。

小学からスカート上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。

C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。

いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。

しばらくして、C子は別室登校を始めた。

同じクラスの元仲良しグループメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。

私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。

けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちら必死になって勉強してる間、ずっと保健室手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。

つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。

あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。

E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険先生だったかは覚えてないけど。

C子は、3年生に進級したタイミングで完全に教室復帰した。

A子やD子、E子とクラスが別れたのも理由かもしれない。

一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。

中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。

大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からスカートが見えなくなった。

卒業間際に私は色んな人に謝られた。

「助けてあげられなくてごめんね」

「ひどいことしてごめんね」

中には、私が音楽先生推し採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。

けど、私が本当に謝って、理由説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。

A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。

私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。

育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。

けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。

から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。スカート意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。

人に話すと同情されることが多いけど、私にとってはこれもまた、大切な過去の一つなのだと思う。

中学校の思い出

小学5年の終わりに転入した小学から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。

もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループクラスカーストも全部持ち上がり。

よそ者の私は、カースト最下位からスタートだった。

けど、中学に上がる少し前に、カースト上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくカースト上位の子たちと仲良くなれた。

カースト最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。

途中でクラスに入った私立から転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラスカーストが崩れかけていた。

進級のタイミングで、私は名字が変わった。

そして、同じクラスになったカースト上位の子から無視されるようになったし、小学から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。

家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。

私は一気にカースト最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。

そして、部活と塾にもその余波はやってくる。

小学からカースト上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。

C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。

いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。

しばらくして、C子は別室登校を始めた。

同じクラスの元仲良しグループメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。

私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。

けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちら必死になって勉強してる間、ずっと保健室手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。

つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。

あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。

E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険先生だったかは覚えてないけど。

C子は、3年生に進級したタイミングで完全に教室復帰した。

A子やD子、E子とクラスが別れたのも理由かもしれない。

一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。

中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。

大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からカーストが見えなくなった。

卒業間際に私は色んな人に謝られた。

「助けてあげられなくてごめんね」

「ひどいことしてごめんね」

中には、私が音楽先生推し採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。

けど、私が本当に謝って、理由説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。

A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。

私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。

育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。

けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。

から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。カースト意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。

人に話すと同情されることが多いけど、私にとってはこれもまた、大切な過去の一つなのだと思う。

2021-01-30

心室中隔欠損症をもって生まれた。の続き。

https://anond.hatelabo.jp/20210130055110

中学生時代

高校生時代

大学生時代

2021-01-13

anond:20210112165321

読んで思い出したのを。

自分小学生の時、小4~小5の前半まで「女の子ボス」のコミュニティにいた。

当時は学級崩壊とか、そういうのが凄く問題になってた次期でその子イメージ的には漫画GTOの「ミヤビ」がめちゃくちゃ近い。

お転婆でもあり、陰湿でもあり「キモい」というワードだけで、その個人の全てを否定し、そして周りもそれに同調し「イジメ」になる。そんな渦の中心みたいな女の子だった。

の子が気にいらず、少し火種を投げ込めば周りが大火事にしてしまう。そんな感じ。

ちょうど、本当にイジメられる事が運命付けられたような女の子がいて、ミヤビターゲットは完全にその子だった。

もうとにかく周りはイジメた。実際にイジメに参加しない子も嫌っていた。もちろん自分イジメてた。その子を蔑む事が「普通」だった。

ミヤビイジメ方だったり、仕向ける力とかっていうのは今思えば本当にある種"センス"を感じるものだったと思う。

ミヤビに気に入られる事、ミヤビの敵では無い事、それがステータスだった。

んでクラス変更は2年に一回で5年あがる時にクラス変更があった。

自分学校は1クラス25人で2クラスしかないような凄く田舎の小さな学校だった。

5年生のクラス編成でもミヤビとは同じだったんだが、これまで隣のクラスのガキ大将だった男の子と一緒になった。これまでずっと女の子ボスだったコミュニティ

よくある男の子コミュニティに変化した。

自分最初ミヤビグループにいたが、新しいガキ大将と家が近かったため、急速に新しい男の子コミュニティに移っていった。

そんなある日、ミヤビグループに残り続けていた、自分親友が何故かミヤビターゲットにされていると相談を受けた。

理由は「なんか女みたいできもいから」という理由だったと思う。

これまでのミヤビ頂点の世界観であればそこで親友はTHE ENDってなもんだったが、すでに男の子コミュニティが出来上がっていて

自分はガキ大将とめちゃくちゃ仲が良くなっていたのもあって、その親友男の子コミュニティに入れる事にした。

ガキ大将に「〇〇くんがミヤビイジメられてるみたいだからこっちのグループいれていい?!」

みたいな。そのガキ大将にこういう事が言えるっていうポジションは割と上位ヒエラルキーだったか

何ていうか、自分としては親友を新しい「男の子コミュニティ」に取り入れる事に優越感みたいなのも感じていた。

んで、その親友の「移籍」をドラマチックにするため、色々と吹聴してまわったのも覚えてる。

「〇〇くんは何も悪くないのにいじめられてるんだ!」みたいな。

んで、この時自分は「ミヤビ」を攻撃するつもりはまったく無かったんだけど

自分の一連の吹聴で、これまで不満を持ってた子達が一気に盛り上がってしま

何か知らないけど、今度は「ミヤビ」がいじめられる側になった。散々これまでイジメてた子と同じ、保健室にこもるようになった。

それを見て「自業自得だ」と笑う周り。

あーそんなつもり無かったんだけどなぁ…とは思ったが完全に火種を投げたのは自覚してたし

これまでボスきどりだった女の子を引き釣り落とした実績?みたいなのに酔いしれていたのは正直な所だったと思う。

んでしばらくの間はミヤビはいじめられ続けた。主に男の子から。俺も無関係を装いながらちょいちょい火種を投げていた。

1ヶ月ぐらいして、女の子の優しいグループが「可愛そうだ」という声を上げてミヤビを仲間に入れるようになった。

これまでミヤビがその優しいグループに対して陰口を言っていたのも知っていたので、その事をその女の子達に吹き込んだりもしたが

「それでもやっぱ可愛そうだよ」という天使のような回答で論破されたのを覚えてる。

そんなこんなでミヤビはじょじょにクラスに戻ってきた。もちろん、その時にはこれまでミヤビが総ていた男の子達も

新しいガキ大将グループに属していた。完全に男の子女の子の壁がこの時出来た。

その後もミヤビ陰湿だったと思う。中学校に上がっても陰湿イジメコミュニティみたいなのをまた作っていたし。


何か思い出をただ書きなぐってしまった。

この増田の主は何かもっと根深く、そしてもっと本質的な部分にフォーカスしているようにも思えるが

この人の人生ベクトルを決定づけてしまった「女性による男性への加害」っていうイベント

あの時の俺みたいなのがいたらばこの人の人生は変わってたんだろうな。

あ、何か書いてて思ったけど「俺がいればなー!」みたいな武勇伝みたいに聞こえるかもしれないけどそういう事じゃないよ。

何ていうか、人生分岐点って凄くアレだなーっていうはなしね。

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