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2024-11-13

小中不登校高校中退大学中退

自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき心因性頻尿になって外に出られなくなった。

金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。

それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自自分に何が起こったのか理解できなかった。

学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。

学校に行けなくなった。

学歴主義権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。

私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、

リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。

そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校不登校になって、高校も退学した。

大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、

中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で

MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。

田舎を出て、東京で姉と二人暮らしをすることになった。

大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。

自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。

復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。

私の時代不登校発達障害時代最先端社会問題で、まだ数が少なく、学校大学側も対応に苦慮していた。

体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。

大学地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学勉強し、

ヴェーバーやデュルケム、フーコーマクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。

大学時代地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワーク初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。

それから何冊か自分ネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、

自分文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。

しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。

大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。

毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。

ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分計算し、心が折れた。

何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。

大学中退後は、大学時代にできなかったことをしようと思い、

画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真けが自分が唯一続けてきたものだった。

それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。

父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。

父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳年金を取得した。

初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分家具を買っていいことに気づいた。

家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。

友人が美術館バイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。

が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。

休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館スタッフを少しやって、年末年始地元に帰った。

両親に、戻ってくるように言われた。

父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。

利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない

人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。

私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。

地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。

それからバイトを増やしたが、結局駄目になって初夏に辞めた。

すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。

小さめの不動産会社事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。

私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援ギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。

課税世帯なので、返済する必要はないか安心して、説明された。

自分決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、

それを使い生活保護でもやっていける物件引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。

就労移行支援は少し通ったが、この時間バイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。

並行して勉強を進め、基本情報技術者試験合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社資料作りのバイトをし、

その間にMOSExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。

翌年バイト契約終了になったので、ネットワーク仕事チャレンジすることにした。

人生で初めてのフルタイムバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。

柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。

価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。

それから3ヶ月ほどは、毎日法人向けのNW開通をしていた。

薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。

ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。

毎日現地作業員電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。

障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。

ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。

ネットワークエンジニアになりたかった。

諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワーク仕事をやることになった。

今度は客先常駐仕事に出る前に第一陸上特殊無線技師資格を取った。

高校数学赤点だったので、選抜試験養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。

そのあと1時間半ほどかかる場所夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。

夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。

心が折れて、障害者雇用仕事を探し始めた。

大手IT企業の子会社で、採用仕事をした。面接はいずれIT仕事を回してくれると言っていたが、

一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。

障害者雇用契約社員として、またIT企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、

今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。

ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。

今の案件は年内で終了するらしい。

数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。

貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。

まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、

リモートから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。

私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと

自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。

から、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。

今の時代障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。

何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、

マイノリティ自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。

社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。

今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。

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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。

人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。

特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。

私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから

小中不登校高校大学中退でも、なんとか生きてるよ。

…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。

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追記

思ったより反響があって驚きました。

タイトル自分人生象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という

素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。

励ましの言葉アドバイス叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます

わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。

障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。

ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。

カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります

高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語IQ動作IQ結構な隔たりがありました。

当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。

一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。

今は人から障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。

慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦しか生きていけないと思います」という

大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に

自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。

大学でも発達障害中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので

これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります

自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。

人を観察して、絵文字顔文字ちゃんと使って明るく取っつきやすイメージを持ってもらえるよう修正し、

見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって

人格の中に融合されたのかな、と思う部分もあります

人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが

とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います

お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。

まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。

人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまものですが

そのように思う瞬間はあっても、絶対客観性を失わないようにしようと常に思っています

同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。

自分もまだまだこれから乗り越えなければならないことがたくさんあります

同じように大変な境遇の方の励ましになったらいいなと思います

2024-11-02

「親の代わりはいないんだから」にモヤモヤする

子供が熱を出して早退したりする時に、「仕事の代わりはいくらでもいるけど、親の代わりはいないんだから」って言われるとモヤモヤする。

大前提として、この言葉育児しながら仕事してる人間に対して最大限の配慮を伴ったものであり、感謝してるし、言った本人にとやかく言う気は全くない。

でも、モヤモヤする。それって「私はあなたの子供の『親の代わり』はしませんよ」という表明じゃないか

なんとなく、私はうす〜〜〜〜く広く、全ての人の親でありたい、という気持ちがあるんだと思う。

この気持ちは、めちゃくちゃな家庭環境で育ったことが起因していると思う。

いろんな人が、薄く広く「親の代わり」をしてくれた。

小学生の頃、私の家の状況を心配して優しく見守ってくれていた友達のお母さん。

高校の頃、保健室に入り浸っていた私の話を聞いてくれた保健の先生

新卒の頃、どうしようもない新人だった私を育ててくれた周りの人たち。

親が教えてくれなかったこと、教えられなかったことをいろんな人から学んだ。

それでなんとか今、こうして社会的生活を送ることができている。そういう気持ちがある。

から「親の代わりはいない」という表現に納得ができないし、逆に「仕事の代わりはいくらでもいる」というのも、しっくりこない。たぶん仕事で関わる人に対しても「薄く広く親」の意識なんだろう。今この人のプラスになるために何ができるか、考えて仕事しているから、「代わりがいる」と言われると残念なのだ

なんだか矛盾してきた。とにかく、「代わりがいる職場人間関係」「代わりがいない親子関係」で単純に二分化したくない。

2024-10-30

中学生ぐらいの頃に読んでた漫画がつまらないと酷評されてるのを今知ってなんともいえない気持ちになった

それでも第13保健室性癖の原点なんだ……

2024-10-01

anond:20241001070845

昭和の頃にストーブに近づき過ぎて火傷したら保健室アロエの葉肉を押し付けて包帯を巻かれるという処置を受けたことがある

昔話で膏薬を貼るとき味噌ベース調剤してたっていうけど、今でも効能あるのかなぁ(患部に塩分ってどうなん?)

2024-09-30

おかーさんに言ってもどうせ何にもしてくれないしな

ぼーっとしてる時に浮かぶ考えの一つに「おかーさんに言ってもどうせ何にもしてくれないしな」っていうのがあって、

今までどうとも思ってなかったんだけど、冷静に考えてみたらこれなかなかだな。

母に打ち明けて解決したことって記憶にないんだもん。なんなら親身に話を聞いてくれるという印象すらない。

お腹痛いって言ったら気のせいだからビオフェルミン飲んどきなさいになるし、

アトピーかゆいって言ったらおかーさん悲しくなっちゃうから掻かないで、だし。

さらにヤベェことに、自分もう40代で、にもかかわらず、「母は助けてくれないし他の人も同様」で止まってる。誰かに助けてもらった記憶で上書きされてない。

強いて言えば大学時代保健室臨床心理士さんは月に2回、一回1時間ちゃんと話を聞いてくれた印象があるな。

心理士さんだから話聞いてくれるだけでこれと言って解決はしなかったし、あくま仕事上の付き合いだけど、話聞いてくれるのは嬉しかったな。

あー、その後20代後半で彼氏っぽい人ができて、彼も話を聞いてくれた印象があるが、あい奥さん子供がいて私のこと騙してたんだよな…。

だめだ。誰かに相談したらいいことが起きるというイメージがまるでない。

親身に話を聞いてくれる人はいないし、聞いてくれる奴がいるとしたらそいつは嘘つき、というイメージしかない。

相談…する…とは…。もしや世の人々は相談したら解決すると思って相談しているのか。

いや、いうて、相手メンツを立てるためとかに相談しているのであって、解決目的じゃないでしょ、みんなも。うん。

2024-09-24

anond:20240924192332

どっちか甲乙つけられんけど


1. 尿路カテーテルを抜いた時

全身麻酔で手術を受けた後、意識が戻ってからバサナースにぶっこぬかれた

めっちゃ痛かったうえに、気絶したらしく1時間ほどそのあとの記憶がない

翌日初トイレに若干血混ざってたし、多分どっか擦ったんだろうなと…


2. 高校運動会組体操から落ちた後

背中から落ちてしまい、退場した後あたりで足が一歩も動かせなくなった

股間から下の感覚がなく、猛烈に腰に違和感が来た

動けない、と周囲に話したところで担架で保健室に運ばれ、ベッドに置かれたところで激痛が走り始めて外聞なく呻いた

しかも動けないからただ我慢するしかできないので苦痛しかなかった

結局夕方閉会式前になってようやくよちよち歩けるようになったものの、しばらく持病の腰痛腰椎分離症起因)が悪化した

2024-09-12

保健室の思い出

小5のとき保健委員だった。委員活動時間、保健委員保健室で保健の先生となにかの話し合いをするはずだったんだけど、先生が急用でいなくなり、6年生の男子と5年生の私の二人だけ保健室に取り残された。

他のメンバーはその日休みだったのかな?忘れたけど、とにかく二人だけだった。

きっかけは忘れたけど、6年の男子が私にエロ用語を教える流れになった。

オナニーって知ってる?クンニは?みたいに一つずつ聞かれて、私は5年生の割にエロ知識があったのでほとんど知ってたんだけど、「処女」だけ知らなかった。

セックスしたことない女の人のことだよ」って説明されたけど、いまいちしっくりこなかった。

その言葉いる?セックスしたことあるかどうかで分ける必要ある?したことない人に名前つける必要ある?と思って、小6男子に聞いたけど、当たり前だけど明確な回答はなかった。

その後、その6年の男子とは何も起きなかったんだけど、エロ漫画とかだったら「試してみよっか」って流れになったんだろうな。

2024-09-08

学校健診での上半身問題

学校健診で上半身裸「完全に全部見えている状態ですよね」 文科省が「子供気持ち配慮」通知 「着衣でも診察に問題ない」と医師

https://www.fnn.jp/articles/-/658761

記事に登場している医師が診察の場合上半身である必要は無いって言ってるけど、じゃあ虐待兆候はどうやって発見するんだよって話なんだが。

ちょっと調べてみると文科省がこんな資料出してた。

保健室等における児童虐待の早期発見の機会と視点

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/05/21/1233279_006.pdf

身体虐待

……

● 不自然な外傷

……

・服で隠れている部位の外傷

↑これをしっかり主張すべきと思うんだけど。

医師という医療プロの目による診断で虐待の早期発見につながる大事な機会だろうし、または親が気づかない疾患にも気づいてくれるかもしれないなど、メリットは計り知れない。

だというのに元記事の頭の足りないクソバカ女の主張ときたら

「隠すもの何も持っていない上半身裸の状態でお医者さまの方と正面に座る。もう完全に、全部見えている状態にはなりますね」

呆れて言葉もねえわ。

2024-09-07

anond:20240907141632

学園漫画頻出シチュエーション

転校生がくる

・隣の席になる

学級委員になる

ゴミ出しに行く

保健室に行く

・体育で怪我をする

修学旅行に行く

文化祭で出し物をする

体育祭をやる

委員会の集まり

図書委員をやる

下駄箱に何か入れられる

・昇降口でまちぶせ

・校舎裏に呼び出し

トイレで噂話を聞く

屋上で昼飯を食べる

図書室で勉強する

・傘を忘れて、借りる

・補修を受ける

・日誌を書く

2024-08-31

アメトークの「男子校芸人」を見てるのだが、「学内女性が居なさすぎて、学食・購買・保健室のオバちゃんを異性として見る。誰が好きか話し合う」と言っていて

そんなことあるかと笑ってしまった

いくら男子校であっても学外には女が山の様に居るわけで

何も身近な女で済まそうとしなくてもいいじゃんという話

まあ、世の中「同じ学校・学年・クラス部活サークル職場恋愛」が溢れていることを考えると、手近で済ませるのも仕方ないのことなのかもなと思うけれども

そういうのも別に「面倒だから」じゃないんだろうけどね。単に「いつも傍に居るから」という理由で好きになるとかなんだろうけれども(自分だってそうだし)

でもなあ

男子校でオバちゃん狙いとか、冗談だろうって思う。「ちょっと年上の女教師」とかだったら分かるけれども

…違うのか?

女ならなんでもいいのか?

オバちゃんなんて自分の母ちゃんと同じじゃないのか?

それとも最初から婆専なのか?

2024-08-29

anond:20240829100744

×倒れた女性の脈をはかる

保健室で安静にしてる女性の胸を触りスカートをめくる

anond:20240829094934

「代わりに対応できる女がいた」


違います

保健室先生対応してベッドに寝かせてる生徒は保健室先生に任せましょう」って当たり前のこといってるだけ

すでに対応済みで保健室のベッドに寝かせている緊急性のない患者勝手ベタベタ触るなんて

医者でも許されませんよ

2024-08-28

救命で叩かれたことあるの女だけだから

AEDしたら逮捕された➡男が流したデマデマ流した本人もデマと白状している。弁護士が一件も起きたことがないのも調べてくださっている。

男性教師救命セクハラ扱いされた➡養護教諭保健室で脈も呼吸も異常なしと判断してから、生徒と二人きりになった男性教師が脈をみるためと胸を2回触り熱中症スカートをめくれと聞いたことあるとめくっていたら女子生徒が目を覚まして養護教諭にチクられてセクハラ認定を受けた。

上の話で盛大に被害者面してる男達どうなってんだよ。

土俵で倒れたおじさんを助けた看護師達は、穢れてるから救命やめて土俵から下りろと言われて、ネットでも救命に何人も必要ないのに野次馬土俵に上がって下りなかった糞女とかバッシング受けてたけど。男が救命理不尽に叩かれたってこんな話ばっかじゃん。

なのに男は女を見捨てろ助けるなーって必死になってて見苦しい。

anond:20240828140558

発表によると、男性教諭は7月8日、体調不良で気を失って保健室のベッドで寝ていた女子生徒に対し、心拍などを確かめようと胸を2回触り、スカートもまくった。女子生徒は意識が戻る中で行為に気づいたといい、病院搬送中の救急車内で、同乗していた別の教諭被害を申告した。

 男性教諭は府教委に対し、「自分しかいない時に生徒に何もせず、何かあったら大変だと思った。スカート熱中症が疑われる際にまくるよう言われたことがある」という趣旨説明をしたという。

 保健室では養護教諭がすでに生徒の脈を測っており、府教委は弁護士らの意見も踏まえ、男性行為必要性はなく、セクハラにあたると判断した。

どう見ても熱中症で気を失ってるのを良いことにエロ心起こしたおっさんでは。

これで男に救命をやるなというのかー!男は女を助けない方が良いー!とぶち切れる男達さぁ…。

anond:20240828140558

保健室で専門の養護教諭もいたのに、何で男性教諭が胸さわったりしたの?しかスカートまでめくって。

anond:20240828140558

 発表によると、男性教諭は7月8日、体調不良で気を失って保健室のベッドで寝ていた女子生徒に対し、心拍などを確かめようと胸を2回触り、スカートもまくった女子生徒は意識が戻る中で行為に気づいたといい、病院搬送中の救急車内で、同乗していた別の教諭被害を申告した。

 男性教諭は府教委に対し、「自分しかいない時に生徒に何もせず、何かあったら大変だと思った。スカート熱中症が疑われる際にまくるよう言われたことがある」という趣旨説明をしたという。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240828-OYT1T50017/

こんな苦しい言い訳でも男は無条件で擁護され

「そら見ろ、やっぱ女は見殺しにして命を絶たせるべき」って女殺せ論が盛り上がるんだからなあ

2024-08-25

フラッシュバックを供養する

山梨国立小に通っていた

午後に体育の授業があった

私は直前で体操着を忘れたことに気づき保健室で借りてから遅れてグラウンドへ向かった

グラウンドでは、生徒たちが体育座りで集合、先生説明を受けているところだった

ハードル走の授業だった

私も座ろうとしたら、先生

「今から◯◯さんに、ハードルのお手本を見せてもらいます」と言い出して

わたしびっくり

遅れた罰、という意味合いもあったのか

私はハードルを何本も倒しながら、のろのろ、みっともないフォームで50mを走り切った

元々運動に自信はなかった

走り終えたあとの先生苦笑いと、生徒たちの微妙な表情

はい拍手!の掛け声

今思えばこんなにみじめな拍手もないだろ

のしょーもない出来事が、記憶の底からフラッシュバックしてしまった

遅れてすいませーん!って明るく言えばよかったのかな?てへへ失敗しちゃった、、って愛嬌が発達してたら良かったな

から暗い人間で、世渡りが下手だった。発達障害の気はあるのかも

今は身なりを綺麗にして、明るい振る舞いも多少できるようになったし、

運良くそこそこの会社に勤めることができた

でも表面を整えたところで、私の本質はあの頃から変わっていないと感じる

小学校中学校もしんどかった

のびのび通いたかったな

すべての子どもが健やかに幸せでありますようにと願う

2024-08-19

anond:20240819175920

法律相談先生を常駐させるべきだと思うんだよね。

保健室先生みたいに。


カツアゲ恐喝罪だし、ケガをさせたら傷害罪だよ。

こどもだからとかじゃなく法律裁定されるべきだよ。

2024-07-20

内科検診のため、上半身裸で廊下に立たされた小2の春、雨の日。

私は、20代半ばの女性

最近ニュースになっている「学校検診で上半身裸になりたくない」みたいな問題を見るたびに、自分経験を思い出す。

私は、小学2年生のとき内科検診のため、長時間上半身裸で廊下で待たされていたことがある。

クラス全員、教室を出るときに服を脱ぎ、上半身裸になってから名前の順で整列(男子女子の順)。

私は、女子かつ名前の順が一番最後だったので、クラスの一番最後だった。

上半身裸の30人の生徒が、一列になり、保健室へ向かっていった。

男子から順に診察していくなかで、女子上半身裸で、保健室前の廊下で待たされていた。

みんなお互いに顔を見合わせながら、身をよじる、腕を組むなどして、自分なりに胸を隠していた。

すれ違う先生や生徒たちが、ぎょっとした顔でこちらを見る。

なぜなら、私が所属するクラスの子供だけが上半身裸になっていたからだ。

他のクラスの子供たちは、肌着を脱いで、素肌の上に体育着を着て待機するよう言われていたのだ(といあうか、それが学校方針だったっぽい)。

私は、さすがに不快気持ちになり、担任先生に言った。

「私はまだまだ順番が回ってこないので、服を着させてもらえませんか。」と。

先生は、「だめです。あと少しなんだから我慢してください。」と言った。

私の前に並ぶ女子が「恥ずかしいから、服を着させてください」といったが、先生は、「まだ男女の体は、そんなに変わりません」と言った。

私は、がっかりしながらも、『でも、まだ女子だけでも十数人いるし、ひとりじゃないから…』と思い、我慢していた。

上半身裸の生徒の待機者は、私一人になった。

真後ろに続く隣のクラスの生徒は、皆、体育着を着ている。 

廊下にたった一人、上半身裸の女子わたし

胸元を腕で隠す、情けない姿。

恥ずかしくてたまらなかった。

隣のクラス先生心配して、「服、着てないの?寒くない?」と聞くので、「担任先生が着ちゃだめというので」と返した。苦笑いをしていた。

隣のクラス男子がまじまじとこちらをみていた。

ようやく診察に呼ばれ、診察を終えると、教室へ戻る。

誰にも見つからないように走って戻った。

教室へ戻ると、私以外の生徒は皆、服を着て授業を受けている。

上半身裸の私を皆がジロジロ見る。 

私を置いて先に教室に戻っていた担任先生が、私に早く服を着るように言う。

私だけが変態露出狂みたいな空間だった。

小2の、雨がたくさん降って、寒い日の春の話だった。

これは、2000年代小学生だった私の、関東圏のとある公立小学校での実話です。

担任先生は、50代半ばのおばあちゃんで、考え方が古いタイプのひとだった。

クラスメイトの男子が、水泳の授業後に下半身露出し、踊っていたところ、その先生は、その生徒を殴って怒ったことがあった。

男子のち◯こが駄目で、女子の胸はいいのかよ。

学校検診で、医師の前で裸になるのが嫌だっていう話を見るたびに、このやばい経験を思い出してしまう。

2024-05-24

学校集団検診で服を脱ぐ話しは

自分記憶では、保健室に集合した女子肌着を脱いで待っていた記憶もあれば、肌着は着てて検診時だけ脱いだりめくったりした記憶もある。

嫌だけど仕方ないことだと思っていたら、同時期に病院で診察を受けた時の服は脱がずめくらずに診察されたときの衝撃は覚えている。

大人になってから集団検診で人数がいても、人前では脱がなかった。心電図も順番が来てから服をずらして、終わったら整えて、外で待つ次の人と交代。レントゲンも順番が来てから診察着に着替えて、終わったら服を着て次の人と交代する形だった。

脱ぐ必要があるにしても、クラス女子が一斉に脱いで待ってる必要はないよね。

待機組は廊下で服を着たまま待ち、順番の近い数人が室内で準備して、1人ずつ診察。終わったら服を着て待機組の1人と入れ替わる、とかの流れでいいんじゃないの?保健室の衝立とかで仕切って他の子には見えないようにしてさ。

あとは、生徒に事前に検診内容と手順の説明が欲しいよね。

いきなり集合させられて、なんの説明もなく上半身脱ぐように指示され待たされて、男性医師に診察されるならショック受ける女子はいるでしょうよ。

大人だって検査説明は欲しいし、検査によっては何度もしつこく説明があるんだから

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