「保健室」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 保健室とは

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

赤ちゃんの声が嫌い

これって同じ症状(?)の人いないのかな。

赤ちゃんが泣いてる声が嫌い。

ウザいとか子供嫌いじゃなくて、生理的に受け付けない。

長く聞いてたら心臓をギュって掴まれたような不快感に襲われて、鳥肌と冷や汗が止まらなくなる。ひどいときは吐きそうなぐらい気分が悪くなる。心臓バクバクして過呼吸になりかける。

電車特にすぐ降りられない特急とかで赤ちゃん泣かせてて、それを放置してる親とか最早テロ

でも他に乗り合わせた人は大丈夫よ、とか元気な子ね、とか優しく声かけたりしてるのに私だけが泣き声少しでもかき消すためにヘッドフォンつけて、それ以上気分悪くならないように車両変わったりして。

時には車両変わるとき、それを見てたおばさんとかお年寄りに嫌な態度。当て付けみたいとか、今の子は我関せずで思いやりがないなとかわざと聞こえるように言われて。

所詮、同じ症状を持たない他人には私は人でなしにしか見えないのか。

赤ちゃんの声を受け付けないのがそんなに悪いことか。

親に一度相談したことがあるけど、

女なのに赤ちゃんの声が嫌いなんて酷いね自分赤ちゃんだったんだよ。とか

お母さんは悲しい。自分が親になった時どうするつもり?

かいって怒られた。

学校保健室先生は、

みんな赤ちゃんの時は人に迷惑かけながら成長したんだからそんな事思ったらいけない。

って見当違いなことばかり言う。

別に迷惑と思ってるから嫌いなんてひとことも言ってないのに。聴いたら具合が悪くなるぐらい受け付けなくて困ってるって話なのに、ただの私の狭量みたいな問題すり替えられてさ。

からどうせ誰にも分かってもらえないと思ってそれ以来公言しないって決めた。

けどそれはつまり今後一生私一人で抱えていかないといけない問題ってこと。そうすると具合悪くなるのだって一生治らない。

たとえつらくても、誰かに打ち明けて軽蔑されるか、あの吐き気も動悸も過呼吸とかも全部一人で耐え続けるかの2択しかないということ。

それに多分この先、高校卒業して成人してそしたら、

大人にもなってこの人は何わがまま言ってるの?

って一方的批判されて誰にも理解されないんだろうなってわかる。マジ無理。

2018-06-18

アラサー処女婦人科に行けない理由

処女でも婦人科に行こう』という記事を読んだ。今までも、「処女だって婦人科検査を受けるべき」という言葉は何回も見掛けたし、体の健康を思うならその通りだと思う。

私は生理痛が重い。他の人と比べるなんて出来ないけど、1日目2日目はベッドの上で子宮を伸ばさないように丸まっていないとつらい。仕事の時は薬を飲まないと動けない。病気の恐れもあるから婦人科に行くべきだと思う。思うけど、どうしても行けない。それは、高校生の時の体験所為だ。思い出しながら書くから長くなるかもだけど、吐き出したくなったから全部吐き出させてほしい。

私は高校生の時、今よりずっと生理痛が重かった。薬を飲んでも下腹部の鈍痛を忘れられず、脂汗を滲ませるのが常だった。更に冷え性お腹が弱かったので、生理中かどうかに関わらず、制服スカートは足が冷えてつらかった。ただ、有り難かったのは、しょっちゅうお腹を壊してトイレに駆け込む私を誰も笑わないでいてくれた事。女子高生の私にとっては有り難い事だった(陰では耐えがたいあだ名とかつけられていたかもだけど)

授業を抜けてトイレに長時間籠る為には保健室先生許可必要だった。だから必然と、保健室先生は私の生理痛の重さを把握していたし、心配もしてくれた。そして2年生の秋頃だったと思う。遂に保健室先生に「学校抜けて今から病院行ってきな」と言われた。痛みには慣れないけど痛みがくる事には慣れていた私は大袈裟な、と思ったけど、そろそろ受験視野に入れなくてはいけない頃で、3年生になれば今程授業を抜けられないというのも分かっていたので、先生が呼んでくれた母親の車に乗って、婦人科に向かった。先生には「エコーでしっかり診てもらって、薬も貰ってきなさい」と言われた。婦人科は初めてで、膣に何か入れるんだろうかと、処女の私はそこがすごく不安だったけど、結果的にはそれをやってもらった方がずっとマシな結果になった。

学校からは遠いけど地元ではそれなりに大きい婦人科病院(家から近い)に行った。待合室で待っている間の事はあまり覚えてないけど、付き添ってくれた母に「すぐ終わるよね、痛い事はないよね」と不安気持ちで聞いた事だけは覚えてる。そして看護師さんに呼ばれた。中に居たのは60歳くらいの院長先生。ここまで来たら腹を決めろと思って、院長先生生理痛があまりに酷い事、授業を受けられない事を話した。そして開口一番、院長先生が言った。

処女なんだね。帰って良いよ」

は?と頭が真っ白になった。何を言われたか本当に理解出来なかった。母も何か思ったのか、本当に毎月つらそうで診てほしいと院長先生にお願いしてくれた。そしたら言われたのだ。

処女なんだよね? いるんだよ、君みたいな子。性行為経験もないのに子宮内膜症じゃないかとか疑って来る子。処女ならほぼその可能性はないし、体質だから仕方ないんだよね。他にも患者さんいるから、はい、お大事に」

アラサーになって色々ネットで調べられる今なら、この院長先生がクソな事は分かる。けど、勇気を出して婦人科に行った当時の私には面倒臭そうに上から目線説教するような言葉が怖くて、自意識過剰と言われたようで恥ずかしくて、仕方なかった。それでもお腹が痛いのは本当だし、保健室先生エコーで調べてもらえと言われた事を言ったら、それはもう面倒臭そうに顔をしかめてエコーを取ってくれた。ただ、そういうものなのか知らないけど、その場で画面を見つつ「異常なし」と言われただけで終わり。帰らされた。

こうして、私の人生初の婦人科体験は、『処女は来るな』の一言で終わった。

他の人からしてみれば大した事ない体験かもしれないけど、それから私はずっと婦人科が怖くて仕方ない。何故ならアラサーになった今も処女のままで、当時と変わったのは年齢だけだからだ。リスクが上がってるのは分かるんだけど、婦人科、と考えただけで、あの面倒臭そうな院長先生の顔が思い浮かぶ。「処女から病気可能性はないよ」と声が蘇る。婦人科検査を受けたい気持ちはずっともってる。だけど、婦人科に行くのが怖い。テレビに出てくるような有名な先生なら処女でも相手にしてくれる気がするけど、地元医者処女である私を相手してくれる保証がない。ここまであの院長先生言葉に縛られてしまっているのは、数年後、その病院で働いてる人に会ってしまった事も大きいかもしれない。

「院長先生結構評判良いよ」

私にとっては最低最悪トラウマ植え付けてきたクソオヤジだけど、私以外にはそれなりに良い医者であるらしい。なら私が間違っているんだろうか? 本当に処女子宮内膜症とかにはならないのだろうか? そんな事を思いながら今日病院に行けず、生理痛に魘されながらベッドの上で過ごしましたとさ。

2018-06-12

anond:20180611234251

あーめっちゃわかるわ

先生に言ってみたら?

私は君みたいに違和感言語化できなかったので保健室に逃げてしまった

体育の授業でできなかったこと今友達に教えてもらってやるとできたりするんだよな〜

練習ももちろん必要だけども

2018-04-24

あのとき死ねなくてよかった

小学校卒業して入った先は、神奈川田舎にある公立中。援助交際を行う女子先生ともめて暴力走る男子、学期ごとにターゲットを変えてクラスみんなでいじめ合う。教師教師部活の生徒に体罰を行う……。

メチャクチャに荒れてるそんな中学で、自分も虐めのターゲットになった。無視、陰口、暴力暴力エトセトラエトセトラ

不登校になれるものならなりたかったが、周囲に理解してもらえず、わたし暴力を振るわれるために毎日登校していた。学校を休むと親に叱られ、登校すればボコボコにされ、「死にたい」以外の感情を失うのにそう時間はかからなかった。

その後わたし自殺未遂を起こした。失敗して生き残りました。

そうして虚無を耐え抜き、学校をぽつぽつ休みつつもわたしはなんとか卒業した。卒業式では涙も出なかった。

そうしてまともな高校に滑り込んだものの、勉強する気が起きず偏差値は30を切り、先輩の名前も覚えないうちに部活をやめた。

中学時代いじめ抜かれたおかげでわたし精神はずたずた。無気力で、何もする気が起きなかったし、自分に何かできるとも思えなかった。

もういじめられるまいと周囲に適応しようと必死で、目線のすべてにびくつき、笑い声は自分嘲笑うように思えた。

いじめから逃げ切ってなお、わたし精神はぐらつき続けていた。

そんなとき熊本で大きな地震が起こった。そこで、被災した男の子が、よくある『季節外れの転校生』として隣の席にやってきた。

これがマンガなら不思議物語が始まるのだが、彼はごく普通高校生で、わたしによく話しかけて、よく笑っていた。

彼はドイツ人ハーフで、あだ名は『進撃の巨人からとってエレン。彼は復興に携わる仕事を目指していた。

 「――という訳で、この人は二回の戦争かいくぐり、生き残ったんですね。しかし周囲の人間や職を失い、差別に遭った――これは不幸でしょうか、幸福でしょうか。考えてみましょう」

英語の授業。教師の問いかけに、エレンわたしを見やった。

 「あまり辛い夜は、いっそ殺してくれたほうがまし、とか思いそうなもんだけど」

プリントを2つ折りにしながら、エレンはくすくす笑った。

 「それはよっぽど病んだ時だけだね」

瞳には真剣な色があった。

 「生きることに不幸なんてないよ」

エレンはよく笑う。

エレンクラスに馴染んで、しばらくした時のことだった。

 「揺れてる」

教室がざわめく中、エレンはまっさきに机の下に逃げ込んだ。わたしもそれに合わせて机の脚を掴み、体を縮めた。

この地方地震は少ない。揺れが収まってから一気にクラスメートが這い出てきて、ニヤニヤ笑いながら談笑する。揺れたね、感じなかったよ、なんて。いつもはひょうきん者の男子が怒鳴った。

 「放送がある!静かにしろ!」

 「携帯の電源は付けておいて。窓は開けたほうがいい」

神妙な顔つきでエレンが立ち上がる。学級委員長カーテンと窓を開くと、冷たく焦げ付いた匂いが吹き込んで来た。

やがて待機の放送流れると、エレンは立ったり座り込んだりを繰り返して落ち着かないようだった。

熊本地震の恐怖が癒えない中、避難先での地震。怖くて当たり前だ。

 「今日の小テスト範囲どこだっけ?」

エレンは気を紛らわすように、いつものようにわたしに話しかけてくる。教科書を持つ手が、ぶるぶる震えているのに気付いた。

 「……平気?」

 「大丈夫

 ――そんなに手を震わせて、何が大丈夫なもんか。わたしはその言葉を飲み込んだ。

傍にいたいと感じつつも、彼が経験した地震の凄絶さはわたしにはわからない。PTSDに苛まれエレンに、何と声をかければいいのかも。

エレンは真っ青な顔で自分右手を見やり、大きな目に涙をいっぱい溜めた。そして彼はそのまま、保健室に行ってしまった。

 しばらくして帰ってきたエレンは顔色が悪かった。早退するらしい。鞄の支度をしながら、神妙な表情で切り出す。

 「これ、余震かもしれない」

 「もっと大きな地震が来るってこと?」

 「うん。もし本震が来るなら、明日明後日

 鞄を取り去って消える背中を、わたし呆然と眺めていた。また明日、と言うこともできないまま。

空っぽになった隣の席を見ながら、わたしは何も言えなかった自分について考えていた。

わたしは生きる苦しみをエレンほどに知らず、生き残る美しさを知らない。

復興の進む故郷を懐かしむ彼が、生き残ることに不幸などないと言い切る彼が、手を震わせながらも変わらずに笑う彼が、人としていとおしくて、器と視野が小さな自分が汚くて、ひどく切なかった

エレンは死を前にしながらも必死で立ち直ろうとして、故郷復興のために尽力している。それなのに、いじめっ子たちから既に逃げ切った自分無気力のまま怠惰な日々を過ごしている。比べるようなことではないにしろ、情けなく思えた。

「このままではいけない」

モヤモヤが心に爪痕を残した。

高校3年生に昇級してエレンとは別のクラスになり、目線を交わすこともなくなった。

そしてわたしは、その年の夏にアメリカ短期留学する。

アメリカといえば、前年、トランプ大統領就任した国だ。人種差別的な主張を繰り返す彼が選ばれた土地。正直、有色人種として差別されるのではないかという恐怖もあった。

けれどアメリカは思いのほか楽しい場所だった。(まだ『お客さん』扱いだったか差別を受けなかったのだろうが)

アメリカにも慣れたわたしは、ホストブラザーショッピングモールに買い物に行った。そのおもちゃコーナーで、彼は短く呻いて足を止める。

「うわっ、ヘイトスピーチ……」

彼が手に取ったのは、真っ赤なパッケージカードゲーム黒人奴隷使役して儲けよう!みたいな内容。

ホストブラザーはかなり憤慨していたので、わたしは「自分差別されるのではないか」と懸念していたことを話してみた。すると彼は笑って、

「そんなこと絶対にしないよ、人間として間違ってる!肌の色や性別に、人間本質関係ない!」

彼は留学生ホストファミリーとして受け入れるくらいだから、あまり差別的な考えを持っていなかったんだろう。

肌の色と性別が同じ人達からグシャグシャいじめられていたけれど、海を超えた先でこんな人に出会たことが嬉しかった。

ホストブラザーとの別れの日はただただ悲しかった。頬を伝う涙を感じながら、やっと人間の心を取り戻してきたような気がした。

あれから1年。

いまだに私は人間不信が抜けきらず、人と上手にかかわることができない。過去の苦い思い出が脳内を駆け巡って鬱状態に陥ることもある。けれど、たくさんの人の温かさに触れてきた。

復興に尽くすエレン差別ダメだ、とはっきり口にしたホストブラザー

びくつく私を「あーしがあんたのこと馬鹿にすると思ってんの?そんなことするわけないじゃん」って笑い飛ばしギャルちゃん

成績を上げようと奮闘するわたしに、つきっきりで勉強を教えてくれた教員志望の男の子

誕生日に登校して、黒板に「〇〇、お誕生日おめでとう!」って書かれてて、みんなから祝ってもらったときには泣いてしまった。学校はもう地獄ではないと。

人間は人との関わりで傷つくことも高めあえることもある」、本当にそう思う。

今、わたし社会問題解決する仕事につくため勉学に励んでいる。

歪んだわたしを助けてくれたみんなのように、傷ついて「死にたい」って追い詰められている誰かを助けられるような人になりたい。

あのとき死ねなくてほんとうによかった。

2018-04-15

中学時代クラス全員から無視され、かと思ったら聞こえるようにコソコソと悪口を言われ、一挙手一投足をクスクス馬鹿にされる、そんなイジメに遭ったことがあった。

そんな時、私が学校行きたくないとグズグズ泣いた際に一緒に泣いて怒ってくれたのは母だったし、無理しなくていいけど勉強はしなさいって言ってくれたのも両親だったので、親には頭上がらないというか、有り難かったなあと思う。

教室に居たくないと保健室メソメソ泣いた時、母は学校から電話をもらったのかわざわざ仕事を早退してまで迎えに来てくれて、そのままサクッと「じゃあ映画ちゃおっか」って地元に出来たばっかりだった映画館に連れて行ってくれたことが忘れられない。周りがコソコソ悪口言ってくるなら本読んでなさいってそのまま観た映画ノベライズを買ってもらって、その帰り道にまた車の中でグズグズ泣いた私に買ってくれたコンビニ肉まんを、10年以上経った今でもはっきりと覚えている。

たぶん母は、もう覚えていないだろうけど。

その後、飽きが来たのか私のいじめもそれなりに収まり、そんな折にとある子が私に遠出のお土産をくれて、それを母に告げたらまた母は泣いてくれたことを、今でも私は鮮明に覚えているし、父が折に触れて頭をワシワシと撫で回してくれていたことが、何よりも安心したのは確かだった。

両親のおかげで思春期の頃の私は壊れなくて済んだと思っているし、面と向かってはなかなか言えないけど、心から感謝している。

成人して随分経った今でも時々大喧嘩することもあるが、それでも両親は大好きだ。今は訳あって離れて暮らしているが、出来れば早く地元に帰りたいし、長生きしてほしいと思う。

2018-04-08

高木さん」原作アニメ対照

1巻

消しゴムアニメ第1話

プールアニメ第2話

変顔アニメ第1話

筋トレアニメ第3話 //回数が10倍から3倍になった。よかったね

空き缶:アニメ第3話

日直:アニメ第1話

傘:アニメ第3話

風邪アニメ第4話

本屋さん:アニメ第5話 //「ヒミツなんかじゃないもん」が削られている

2巻

雨宿り:アニメ第5話

テスト勉強アニメ第5話

テスト返却:アニメ第5話

手紙アニメ最終話

掃除当番:アニメ第4話

二人乗り:アニメ第6話

腕ずもう:未アニメ化。高木さんと腕相撲勝負

夢:未アニメ化。よくわからない回

3巻

肝試しアニメ第6話

質問:未アニメ化。私の好きな人って誰だと思う?

背比べ:アニメ第10話

席替えアニメ最終話 //ハンカチを渡すのはアニオリ。きれいに纏めた

英訳アニメ第2話

逆上がりアニメ第4話

わき腹:アニメ第8話

習字アニメ第2話 //油断大敵はアニオリ

尾行アニメ第4話

4巻

水道アニメ第6話 //ハンカチはアニオリ。最終話に繋げるためですね

部屋:アニメ第7話 //原作では現状維持は貼ってない

21ゲーム:未アニメ化。西片が私にキスできたら西片の勝ちね。

占いアニメ第11話

お誘い:アニメ第10話

ポーカー:未アニメ化。個人的にとても好きな回

ネコアニメ第11話

ケータイアニメ第9話

写真アニメ第9話

5巻

想い出:未アニメ化。未来編。元高木さんと娘

買い物:アニメ第7話

水着アニメ第7話

マラソンアニメ第8話

二択クイズアニメ第10話 //お誘いから繋げたのはうまいと思う

コーヒーアニメ第3話

台風アニメ第8話

ホラーアニメ第9話 //ポーカーをやらなかったため日直を手伝う理由が変わったのは残念

クリティカルアニメ第11話 //神回その1

6巻

デート:未アニメ化。夏休みの話

石蹴り:未アニメ化。しかしこの話の扉絵はEDに一瞬出てくる

似顔絵アニメ第11話

ウォータースライダー①:OVA予定

ウォータースライダー②:OVA予定

ウォータースライダー③:OVA予定

宝探し:未アニメ化。普通日常

お悩み:未アニメ化。神回その2

目薬:未アニメ化。目薬対決。巻末おまけ漫画北条さんという一発キャラが登場

7巻

入学式アニメ最終話 //過去回。自己紹介のくだりがやや原作と違う

スポーツテスト:未アニメ化。過去

お土産:未アニメ化。すごい好きな話

催眠術:未アニメ化。西片催眠術にかかる(?)高木さん

大福:未アニメ化。休み時間日常

Tシャツ:未アニメ化。休日

宝くじ:未アニメ化。会話しながら帰るだけ

教科書:未アニメ化。高木さんの予知能力が凄い回

約束:未アニメ化。西片勇気を出す

8巻

バレンタイン①:未アニメ

バレンタイン②:未アニメ

けん玉:未アニメ

自転車:未アニメ

保健室:未アニメ

体育倉庫:未アニメ

雪だるま:未アニメ

氷:未アニメ

水切り:未アニメ化 神回その3

2018-03-22

給食が嫌い

給食が嫌いだった。幼稚園から中学校までずっと。

もう大人から食べる機会とかないけど、食いしん坊で大食らいのわたしがこの世の中の食べ物で群を抜いて嫌いだったのが給食

元々偏食気味で家族が作ってくれたご飯以外があんまり得意じゃなかったんだけど、あの冷えた感じと味付けがどうにも苦手でいつどこで食べても同じ味がする白米と牛乳以外は口に入れたくないな〜って給食の時はいつも思ってた。あとネギ類とトマトの食感がどうにも苦手で、このふたつが頻繁に入ってるのも辛かった。

(この辺はASDADHDの傾向が見られるからそれ由来の味覚過敏もあって給食云々の問題ではないと思うけど)

なんだけど、たまたまこの前の飲み会で『思い出の給食メニュー』みたいな話になって、なんでこんなに給食嫌いなんだろう?って思った。

嫌だけど食べられるものっていっぱいあるのに、どうして給食だけ思い出すだけで吐き気がするのかな?って。別に得意じゃないっていうだけで、外食に出かけた先で何も食べられなくて辛い思いをしたことはないし、お友達の家で出されたもの死ぬほど嫌悪感を抱いた記憶もない。給食以外だったら冷えた食べ物も嫌だけど普通に食べてたんだよね。

じゃあなんでこんなに給食だけ嫌な思い出があるんだろう?って疑問に思ったんだよね。で、よく考えたらふたつぐらい原因になるっぽいことが思い浮かんだ。

一つ目は幼稚園の時の話。

通ってた幼稚園方針で『給食で出た料理は最低でも必ずひとくち食べないといけない』っていうのがあって、嫌でも食べないと遊ばせてもらえなかった。

わたしが食べるのを嫌がって泣いていたら、先生が開いた口に味噌汁ネギを突っ込まれた。もうその瞬間嘔吐

わたしはもう成人済みで相当昔の話だけど、母はお迎えで「随分大きなお口だったので入れちゃいました、お母さんのしけが足りないからこうなるんですよ」と言われて唖然したことを覚えてるらしい。

二つ目小学生の時。

小学校はこれがさらレベルアップして『給食は全部完食しないとダメ』だった。

友達に頼んで1ミリぐらいしか盛らないでもらったりこっそり交換したりしたけど、先生給食当番手伝ってたらもうアウトだった。

さらに食べるのも遅い子供だったか時間内に完食なんて無理で、昼休み給食組の常連だった。先生の机の横で給食を食べさせられるんだよ、めちゃくちゃお小言くらいながら。

だんだん給食時間になるとお腹痛くなるようになって、保健室で寝てるようになった。そうすると担任が「給食食べたかお腹痛いんだろ?」ってみんなの前で鼻で笑ってくるんだよね。それが嫌でしょうがなかった。

中学になったらだいぶ緩くなって楽になったけど、未だに給食で食べさせられて辛かった料理とか食べられない。

学校、まだこういうことってあんのかな〜。別に食べられなくても普通に大きくなるし、食べたくない理由があってみんな食べないんだから周りの大人は無理やり強制しないでほしい。それで学校行きたくなくなったり食べられるメニューが限られて健康問題が出たりすることもあるから

偏食がちなまま大人になったけど、別に不都合ことないよ。

2018-03-09

勉強なんてしなきゃよかった

私はただのゲーム漫画アニメが好きな、好きなことには熱中するよくいるオタクだ。

成績も、中学入る辺りまでは特に何も言われたことなかったし親が話題したことだってなかった。

中学入ってからだってようやくできた友達と好きなアニメで盛り上がって楽しむようなオタク趣味満喫していた。

ただ、しばらくしてその唯一の友達がその地域の難関高校に入ると宣言した。

私は思い出した。彼女アニメが好きだけど秀才だった。

成績とコミュ力のある彼女のおかげで私はスクールカーストから免れていたらしい。

両親はそれを知って、多分順位が下から数えた方が早かった私に発破をかけるつもりで言った。

「このままじゃ彼女と離ればなれになるよ。あんなに良いお友達大事にしなさい」

小学生の時ぼっちで本ばかり読んでいたせいでいじめられていた私はもうあの頃に戻りたくなかった。恐怖から必死勉強した。

成績が低かったうちは簡単順位は上がった。

先生の覚えがよくなって色々話してくれて褒めてくれるようになって、より勉強するようになった。

模試合格圏内に入って、その友人が自分のことのように飛び跳ねて喜んでくれたのが今でも忘れられない。

無事同じ高校に入ってしばらくは友人の他にもやや話せる人が増えてきて楽しかった。

でも面談担任にこの成績なら難関国公立を狙えますよと言われて、聞いた母がおかしくなった。

漫画を読んでいると何をしているの!と勉強を促すようになった。

漫画アニメゲームをすることは悪いことになった。

大学受験が近づいて、その友人もアニメ漫画封印した。話すことが学校の授業の難しい話になっていって、ついていけず話せることもまだアニメしかなかった私はいらないものになって、その友人は別の友人とずっと話しているようになった。

最初よくわかってなかった私はそれでも彼女にかまってしまたから、彼女に私のいやな点をたくさん挙げて縁切りをされた。

彼女は親の言うとおり頭の良い正しい人だから、全部自分が悪いんだと自分を責めるようになった。

わたしは、大事にしなければいけない友人を失ってしまった。もうこの先友達なんて一生できないんだと思った。

あの頃テストの点数成績だけが自分肯定してくれる気がした。でも、全然あがらなくなった。

ゲームアニメ漫画もやめて、勉強だけして受けたテスト全然だめで、嘘つきっておもった。

私がだめな理由を私が好きなもののせいに、友人親先生みんなしてきたのに。

日中すごく眠くなって、弁当とかの匂い吐き気がするようになって、明確に体がおかしくなってきた。

拒食や自傷癖がでるようになって、唐突に暴れたり、ひたすらぼうっとしたりするようになって保健室通いになった。

保健室先生、みんなから評判悪かったらしいけど、あんたの親おかしいから何が何でも家をでるべきと私には言っていた。親は正しいと思い込んでいたからそれは大分びっくりだった。

両親は私がほんとうに壊れたとわからなかったらしくて、あちこち連れて行っては次の日また呆然としている私にあれだけやったのに、と怒った。まだ成績の良い私を取り返せると思っていたそうだ。

結局受験までに回復せず、親や先生希望より偏差値の低い、実家から遠い大学になんとか入り一人暮らしを始めた。

結局その大学もうまくいかなくて退学したけど。

面接で、あの大学ですか、すごいですねえ、よく頑張ったんですねえと言われて泣きそうになった。そんなことを言ってくれる人が、あの頃いれば良かったと思った。

国公立大学しか認めず授業料偏差値について散々口を挟んでヒステリーを起こした両親は、塾をサボり月謝を着服した弟を情報専門学校に行かせた。どこにも行き場がなかったからだそうだ。

それを聞く度、思い出す度、じゃあ、私はなんだったんだろうと思う。

あんなに勉強なんてしなきゃよかった。

今でも中学高校あたりの楽しかった時期の、クラスメイトたちといるときの夢をみる。

あっちが現実だったらなあとまだちょっと思ってしまう。

ただの昔語りだね。嘘ももちろん混ぜてるから、これと同じような人が身近にいてもその人私じゃないから、迷惑かけないであげてね。ただどうしても、どうしたらよかったんだろうってやるせない気分になるのを誰かにわかってほしかっただけだから

そうだ、友達はあの後何人かできたよ。私が話に詰まっても気まずい空気にならない人が。

年を取る度に、子供の頃恐怖していた「良い成績とって良い大学出て新卒で良い会社いかなきゃ人生終わり」の外で普通にしまずに暮らしている人がいるってわかった。でも勉強はそこそこならさすがにした方がいいとはわかってる。

ただ、がむしゃらに勉強をしてる子を見る時、頑張れと言うのに戸惑ってしまうんだ。

2018-03-07

今日大学留年たから心境を綴る

大学留年しました。まあ去年の夏ぐらいから薄々わかってたか特に驚きもしてないんだけど。どうせならネタにしてやろうと思ってこの記事を書いてます



なんで留年したのかっていうと単純に単位が足りなかったからですよね。僕の場合一年の時から大学に対してやる気がなかったので、結果こうなりました。まあ自業自得ってやつよ。

僕は大学に入って一週間で図書館に引きこもるようになったんだよね。一応第一志望のとこだったんだけど、なんか思ってたのと違うぞ、この授業受けて意味あるのか、友達ってどうやって作るんだっけ?って色々混乱した結果ぼっちになり図書館引きこもりました。これが一年の時。

この時は救いを求めるように本ばかり読んでました。もちろん学術系の本なんて一冊も読んでない。この頃の僕に必要だったのは現実逃避と立ち直り方だったから、小説とかビジネス書ばっかり読んでた。

まあそんな僕でも二、三年は部活やってたから、それなりに充実してたかもしれないね。この頃には友達とか知り合いも増えてた。女遊びもそこそこにって感じ。



そんで四年になってまた引きこもるようになります。あれ、とりあえず四年になったけど俺ってなんのために大学通ってるんだっけ?状態に陥り今度はさらに深刻で大学カウンセリングに通ってました。

その頃スポーツジムにも通いだしていたので、ジム保健室を往復する日々。おい、大学はどうした。

この頃から自己肯定感崩壊自己嫌悪スパイラルに陥りました。なんかわからんけど人の視線が怖い。大学行く意味からない。夜眠れないか精神薬を飲む日々。SNS愚痴ることしかできない。



唯一の楽しみは筋トレだった。ジムに行けばバーベルが待ってる。今日も追い込める。なぜかそれだけで安心したんだよね。

周りは文句言いながらもスーツ着て就活している。なんでみんなサラリーマンになりたくないと言いながらなるための努力をしてるんだ。結局みんな同調圧力に流されてるだけじゃないのか。

そんなどうでもいいことを毎日考えてました。ちなみにちょっと就活してたけど、ここは今回は割愛

そんなこんなで時間が過ぎて、今の正直な心境綴ると、大学無駄だったなあ4年間何してたんだろうなって感じですかね。

それについて後悔してるかと聞かれれば、まあ全く後悔してないわけじゃない。けど、これがもし普通に卒業できてて就職できてれば満足してたかって言われると、そうでもない気がするんですよね。

まあ、こんなこと書くと強がりみたいであれですけど。僕がやりたいこと見つけられたのはほんとに最近なので、もっと早く出会いたかったなってのはあるかな

ザックリまとめるとこんな感じ。今の僕がどうしてるかはまた別の記事でいつか書きます過去を悔やんでも仕方ないからね。

とりあえず酒でも飲んでくるよ。またね。

記事

http://blackmagician.heavy.jp/topbuzz/2018/03/07/たった今大学留年たから心境を綴るぞ/

2018-03-05

斜視から3D映画が見れない

最近というほど最近でもないけど、3D映画とか3DSとか、とにかく3Dをウリにしたものが巷には溢れている。

タイトルの通り、自分は生まれつきの斜視なので3D全般認識できない。


斜視人口の3%というからそれほど珍しい病気じゃない。の割に、「黒目の位置おかしい人」くらいの認識しかないように思う。少なくとも自分は今までそういう風に言われた。

斜視は重大な病気じゃない。でも、日常絶妙なところで不便なのだ。ということを今日は書きたいと思う。


見た目が悪い


まんまだ。

斜視とか外斜視とか色々種類はあるけど自分は外斜視。昔はロンパリって言ってたらしい。

見たい対象に焦点を合わせようとすると、どちらかの黒目が外側に流れていく。そっちの目は使っていないことになる。

二回手術をした。小学生の時に全身麻酔をかけて一回、中学生の時に局部麻酔で一回。

目の中の筋肉を切って縫い、正しい位置に黒目を調整する手術だ。全身麻酔の時は覚えてないから良かった(でも尿カテーテルがショックで暴れた)けど、局部麻酔の時は意識があって、目が見えてるのに、目の中にハサミだのメスだの針だの入れられる。ブツってなんか切れてる感覚ぼんやりわかる。めちゃくちゃ怖い。人造人間にされてる気分だった。

そんな怖い手術をしても、見た目は完治しなかった。普段普通の目だけど、疲れてくると斜視が出る。あと手術との相関性はわからないけど、術後目が悪くなった。特に乱視がひどいので、コンタクトが合わなくてずっと眼鏡をかけてる。


立体視ができない

これ。

目が悪くなるのも見た目がキモいのもまあ別にいい。問題はこれだ。

前述の通り、斜視の人は片方の目でしかものを見ることができない。対して、立体的にものを見る時は、両目から得た映像を脳が組み合わせて、奥行きや距離感認識させるのだ。

小学生の頃、保健室に「立体的に見える絵本」がなかっただろうか。上の方に黒い点が二つ付いてるやつ。あれも同じ原理で、脳の錯覚3D空間認識させている、らしい。当然それができたことはない。

そしてこの立体視能力は、生後〜幼年時にのみ獲得できるそうだ。その機を逃すと、後から立体視できるようになるのは難しい。訓練することはできる。実際したけど、やっぱりダメだった。

あんなおそろしい手術をしても、この根本的なところは全く治らないのだ。


立体視できないと何が不便か。

まず、階段下りるのが怖い。

階段の段差が飛び出して見えない。飛び出して見えるとか奥行きがあるとかがまずどういうことかわからないけど、とにかくのっぺりとした一枚の絵みたいに見えている。全国の階段はふちにラインが引いてあるタイプに今すぐ切り替えてほしい。

球技ができない。

ボールサイズで「あ、このくらいの距離だな」とはわかるけど、正確な感覚がわからない。テニスとか野球とか、球が小さいと余計に無理だ。まあこれは自分運動できないからかもしれないけど。

3Dが見れない。

黒っぽい眼鏡をかけて見るやつは、ちゃん普通映像には見える。でも、飛び出すとか広がるって感覚そもそもいから、本当に普通映画と一緒なのだ

青と赤のセロハン?みたいなので見る簡易的なやつは、右目と左目でバラバラに見えるだけで一つに結びつかない。赤と青の世界が変わりばんこに点滅する感じだ。


3Dナントカ所詮娯楽なのでいいけど、下り階段は本気で困っている。

同じ悩みを持つ人がいたら是非斜視あるあるしたい。逆に、治ったよという人がいたら話を聞きたい。

もう一回手術するかって聞かれたけど絶対嫌だ。

2018-02-23

浪人確定ガチャ現役国立受験生叫び

ヤケになった受験生の色々な方面への愚痴

支離滅裂文章になってしまっているので訳が分からいかもしれない。ただただ、僕の状況を思い出しながら書き連ねただけの文章

まず、僕の状況から説明する。某都道府県トップレベル進学校に通っている地方国立大理系志望の受験生。判定はセンターで無事爆死して、出願大の二次試験で満点かそれ以上の点を取ってやっとボーダーに乗るか乗らないかのところ。なお、私立大はMARCH受験はしたけれど受かっても行けない。親が行かせてくれない。現役ではダメ、と言われたため国立に受からなければ浪人早慶ならいいと言われたが残念ながらそのレベルには達せなかったため受験をしていない。

こんな所に書き込みなんてしてないで、最後最後まで諦めるな、って言われても残念ながら、この状況でいけると思えるほど強靱な意思を持ち合わせていない。

どう言っても敗者の言い訳しかならないから気にせず言うが根本的に高校選びから間違えたと思っている。

親、周囲の「できる限りレベルの高いところに行きなさい」という言葉の言いなりにしかなれなかった自分が悪い。自己分析が不十分で、頭のいいやつがいっぱい集まればその中での序列が更にできる、ということに気づけなかった自分がただ悪い。

中1の終わりの時点で義務教育分の学習はだいたい済んでいた。

僕は一小一中の地元学校に通って成績でトップ位置していた。先取りをして進める勉強は楽しかった。トップに居れることの快感からだと高校入学して気づいた。

高校の内容を学習し始めてからは進度が遅くなって中学卒業の時点での進度はぎりぎり高校二年の内容に入るか入らないかくらいだった。先取り学習の進度が実際の学年に追いついてしまった事が少し怖かった。

高校で様々なテキストを渡されて気づいた。常に渡された教材を解き続けることで勉強していた僕は一学年分の教材を渡されてどこから手をつければいいか見当がつかなかった。

今思えば、そんなの最初から片していけばいい、ということくらいすぐに思い至る。でも、当時の自分は通学時間も、周りにいるメンバーも大きく変わった状況で混乱していたのだと思う。

そして、高校にぎりぎり、滑り込み入学した自分は多分周囲から1歩か2歩出遅れていた。そこで勉強を始められていたら今が違っていたかもしれない。

僕はどうしたらいいかからなくなって勉強をやめた。やめたと言うよりはしなくなった、が正しいかもしれない。表現はともかく勉強時間ゼロに等しくなった。

勉強時間が無くなった僕と初めから少しリードしていて少しでも勉強時間を確保した同級生格差なんて一気に広がった。

模試の全国偏差値が初め65あったものが2年の夏には30まで落ちた。校内偏差値なんて気にするものではないと言うけれど、数字があるのなら気にしてしまう。

トップであることが勉強モチベーションになっていたような人間にこの状態から受験勉強普通に始められる、と思う方が失礼だがどうかしていると思う。

偏差値が最低を記録した2年の夏頃から鬱の様な症状などの心の方の不調が出た。特に親にも言わず、言えず、病院にも行かなかったから断言はできないが鬱だったと思うし、自律神経もおかしくなっていたと思う。2年の夏休み明けから学年が変わるまでは、大体保健室にいた。

3年に無事進級してから受験が迫ってきたこともあって荒療治に出た。自分勉強せざるを得ない状況に置いた。塾の授業の出席状況は親に筒抜けだったし、塾の希望制の特訓に参加したりもした。

はじめの頃は机に向かうだけで吐き気頭痛腹痛のオンパレードだった僕も調子に波がありつつも、休憩を挟みながらも一日机に向かえるようになった。

ちょっとやれば成績は上がる。その通りだった。V字回復とまでは行かなくとも『へ』の字をひっくり返したくらいの傾きで成績は上がった。模試の全国偏差値が55になるくらいまではすぐだった。秋以降になると伸び悩んだがまだモチベーションがあった。

冬になってセンターが終わった。数学で序盤にミスを連発したため数学だけで約80点を落とした。この時点で出願した大学に受かるのは絶望的になった。

僕は、進学と浪人、どちらでも選べるようにしたいと出願大のレベルを下げる事を親に提案した。親は僕の提案を認めて次の日学校先生候補大学を出して貰いなさい、ということを言った。

次の日、先生面談して幾つか候補国公立大学を出してもらって親に見せた。そこで、意訳するとこう言われた。

あなたセンター得点率で行けるような大学に行かないで。」

意訳ではある。もしかしたら違うことを意図して言葉を発したのかもしれない。でも、受け取る側の僕はこう受け取った。びっくりした。同時に今年度の試験に対するモチベーションゼロになった。

昨日と言っていることが違う。訳が分からなくなって僕はその日の話し合いを打ち切りにしてふて寝した。もしかしたらその場で真意を問うて意思疎通を図るべきだったのかもしれない。そうは言っても、センターが思わぬ結果に終わってショックを少なからず受けた受験生がそんなに冷静でいられるか。否である

自分の事は、他の誰よりも自分が分かる。僕は勉強の事で大きなスランプに陥ったから、そしてまだ完全に回復したわけではなくて状態に波があるから、どちらの選択肢も用意したくて提案をした。僕にだって無駄に高くはあるがプライドのようなものもある。出来ることならできるだけ上位の大学に進みたい。でも、心身の状態がそれを許さないことも起こり得る。最悪の事態にならないためにも避難先を用意したかった。

出願を行ったのも自身であったか勝手に出願先を変えることもできた。しかし、しなかった。できなかったのかもしれない。そんな親の言いなりになっている僕が悪いと言われるのならそうなのであろう。

親は自身体験から僕に苦労して欲しくないと思って様々な事を言ってくれている。そのことには感謝しているし、言う通りにすれば一般に言われるような幸せが訪れるのかもしれない。

でもその途上で僕の人生が絶たれたら?親が辿った時代現代事情が変わっていたりもする。親は親で、僕は僕だ。その先にあるものが万が一にも僕の幸せでなかったら?全てとはいわなくとも多くのモノが無に帰すのではないか

僕はリスクを減らしたかった。ぎりぎりまで行きそうになったことがあるから分かる。もし、もう一度心が壊れたら多分ダメ理系から院にまで進学もするつもりでいる。大学と別の院に進もうと思えばそれもできる。そういう選択肢も教えてもらった。先延ばしにして猶予が欲しかった。自分体制を整える猶予が。

残念ながらその機会は失われた。僕には、高い確率でもう一年死にそうになりながらやる道しかない。もう腹は括った。やるからには自分が許す限りやってやろう。

書いてみるとこうすれば良かったのではないか、というのが出てくる。でもそれは客観的に見た最善策であって当時の選べる最善策ではなかった。勉強の悩みなんて親に話せるはずもなかった。もし、話せたのなら理解もされただろう。日本語は通じるはずであるしかし、そんな事を許すような親ではないと思っている。僕から見るとそう見える。

他の人から見れば何をやっているんだ、と言われそうだが僕がその時に尽くせるベストを尽くした結果である

内容が飛躍するが、親への不満、入試の仕組みへの不満、何より自分への不満がとにかくある。

もちろん、親に関しては自分金銭時間投資をしてくれた事への感謝もある。けれどもいつかは不満を、一覧にしたものを、突きつけたい。突きつけられるようになりたい。自分意見をきちんと突きつけられるようになりたい。

出る杭は打たれるような所ではあるが打たれてなお出ていよう。自己で決定ができるようになろう。

かなり長い文章になってしまたから、最後まで読んでくれた方はいいかもしれない。もし、ここまで見た方が、この文を読まれたのであるならば感謝を伝えますありがとうございます

2018-02-14

【追記】AQMさんって

AQM氏の過去実体験ってキラキラしすぎじゃないか高校生の時に24才の保健室先生チョコレート渡すって、クラスイケてる部類と自認してない限り出来なくない?羽田のチューや雪の日の交流やらどんどん光の色が強くなっていくな…。

【追記】

大承認タグをつけろ

2018-02-12

きたない話

小学生の時に小学校トイレで用を足してたら「〇〇音丸聞こえ(笑)」って言われたことがある。その時、学校トイレ行くのは嫌だなーと思った。だから水分を取らないようにした。流石に月経の時はトイレ行かないわけにもいかないのでめちゃくちゃ困った。

中学生になって、校舎の作りの関係マジでほとんど人が来ないトイレを見つけた。めっちゃ「助かった~~~」って気持ちだった。まあでもその頃になると水分取らない習慣も根付いててトイレ行くことなんかほとんどなかった。

高校に上がってもその習慣は続いてたけど、いろいろあってなんか週一くらいで「バス高校に近づくと確実にトイレに行かなければならない腹痛が襲ってくる」ようになった。これはほんとにめちゃくちゃ困った。大抵途中下車してコンビニトイレにでも行かないと社会的に死にそうだったので、そうさせてもらっていた。ごく稀に高校に無事到着してから腹痛が襲ってくることがあった。一年の時は中学の時みたいに「都合のいいトイレ」を見つけてなかったので自分教室の近くのトイレを人がいない瞬間を見計らって使っていた。だけど一度だけ失敗したことがあった。用を足して個室を出た瞬間同じクラスの子がいた。くっそ~~って思った私にその子が「大丈夫?」と声をかけてきた。そりゃまあ確実に腹下してるなあって他人に感じさせるバッドスメルが充満してたから仕方ないんだけど、やっぱり学校トイレなんか使うもんじゃねえなあって思った。それから保健室先生相談して「保健室に行く」つって教室を抜けてトイレに行くことにした。あんまり関係ないけど問題児だったのでトイレに行くついでに保健室先生に話聞いてもらったりしてた。

そんな私は大学生になってもトイレに行くのを戸惑ってしまます

2018-01-26

風邪引いちゃった

あー。

なんか朝からぼんやりすると思った。

昼前になってもキツさが取れない。

こりゃ、風邪かもしれんな。

仕方がないから中休みの終わりに保健室に行った。

保健室先生に熱を計らせてもらう。

37.8℃。

おっ、まあまあ出てるじゃん。

これはいけるか?

保健室先生に体温計を見せると、先生メモを書いてくれた。

「早退させたほうがよいでしょう。」

やったね。これが合法的学校休める魔法の紙なんだよな。


体温を測っていたので授業の始まりちょっと遅れた。

ドアを開けると先生とみんなが俺を見る。

みんなに見られながら、先生にさっきの紙を渡す。

「あら、大丈夫荷物片付けて、早退しなさい。お大事にね。」

俺はざわざわと注目を浴びながら自分の席に戻り、教科書ランドセルに片付ける。

「元気?おだいじにね」

となりの席の女子が声をかけてくれた。

ありがとう、と返事して俺は教室を出る。

ドアを閉めると授業が再開した。

俺はもう家に帰る。

風邪なのに何となく誇らしい気持ちだ。

給食ゼリーじゃんけんだろな。



家に帰ると、連絡を受けた母さんが心配そうに出迎えてくれた。

いつもは怒りんぼの母さんも、こういう時はちょっぴり優しい。

冷蔵庫からポカリをくれた。

母さんがソファに布団を敷いてくれる。

俺はそこにもぐりこみ、TVを付ける。

いつもは学校いるから見られない番組

みんなはまだ授業中。

ふふふ、羨ましいだろう。

家事が片付いたら病院に連れてかれるらしい。

病院に行って風邪が治るのが、なんだか惜しいような気もする。

布団でじっとしてたら眠くなってきた。

体は熱くてだるいのに、変にしあわせな感じだ。

風邪って不思議だなあ。

2018-01-18

トイアンナ氏の恋愛障害について雑な解説

トイアンナ氏について特に詳しいわけじゃない。

ただ、「クリスマス4℃アクセサリーを貰って喜ぶ女はチョロい」というブログホットエントリーしたときにはカチンときた。

この記事魚拓が残っている。

http://megalodon.jp/2016-1221-2320-10/toianna.hatenablog.com/entry/2016/12/21/222010

何なのこの人?と思って当時ほんの少しだけ調べた。

トイアンナ氏は歴代彼氏に「愛されたいのに愛されない」扱いを受けてきたらしい。

このことを「恋愛障害」と呼ぶ。

何をどうしたのか知らないけど、「恋愛障害」を見事克服して結婚

恋愛障害解決・克服方法書籍にして販売

https://www.amazon.co.jp/dp/B01I2W9M4W/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

読んでないけど、レビューを見た感じ「自分を好きになれ」ってことらしい。

さら恋愛オンラインサロンを開設。

このサロンについては、はあちゅう氏のTwitterスクショが残っている。

https://twitter.com/ha_chu/status/747583386449903617?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=https%3A%2F%2Flineblog.me%2Fha_chu%2Farchives%2F62457495.html

タイトルは「恋愛障害保健室」、副題に「愛し愛されるあなたになるエクササイズ」。

2,000円/月で100人募集したようだ。

ちなみに写真は本人じゃないらしい(知らんけど)。

トイアンナ氏は別居婚を大絶賛している。

https://tofufu.me/toiannna_16/

今回のブログを読むと、離婚しても元夫とは仲良しらしい。

なら別に何の問題もなくね?って思うじゃん。

トイアンナ氏が何にダメージを受けたかというと、「夫に愛されていなかった」ってことにつきる。

だけど友達やら取引先の人やらの愛があるので、「離婚をしたけれど、私の世界には愛しかない」わけ。

恋愛障害、治ってなかったじゃん。

ゲスの勘ぐりだけど、この人が愛されない理由って、男を見てくれで選んでるからだと思うね。

2018-01-02

anond:20180101134256

元増田子供を産むべきではないと思うのね?

一方で、堕胎をするべきでないと考える人たちもいるのね。

両者とも子供のためと言いながら真逆結論になるのは面白いよね。

この違いはおそらく人生観の違いから来ているのだと思う。

まず1つめは「幸せかどうか」。ブコメにもあるのでここでは繰り返さない。

次に2つめは「自分の足で生きているかどうか」。

世の中には「人生自分コントロールしている人」と「人生を誰かに乗っ取られている人」がいるのね。

後者は「障碍を持って産まれたり、ひどい親の元に産まれたら人生おしまいだ」と考えるかもしれない。

たとえばさ、大きな障碍を持って産まれたとしよう。

自分人生コントロールする人」は治療お金必要からもっと支援してとか、この施設バリアフリー化してとか、要求する。世間のこんな理解必要ですと声を上げる。

一方で後者自分を産んだ親を恨む。

ちょっと踏み込んだことを言うと、前者にとって後者は非合理的な行動に見えたりするのね。

不幸になる子どもがいる =>「子供責任持って幸せしましょう」とか「すべての生まれて来た子ども幸せになれる社会の仕組みを作りましょう」

だったら支持されるのだけれども

不幸になる子どもがいる =>「子供を産むな」

だと、え?そっちを望むの?なんで?となるわけ。

おそらく後者自分人生を変えることができると考えていない。

この差は自分への自信とか、社会への信頼があるかどうかと言い換えてもいいかもしれない。

元増田はどうなの?

ひょっとして親に人生を乗っ取られている人?中高生かな?

なんでこんなことを書いているかというと、元増田の2人は助けが必要な人なのではないかと思ったから。

幸せな人はあんエントリを書かないだろうからね。

何に苦しんでいるのか書かれていないので具体的なことは何もいえないけれど、

まず虐待関連なら189ね。あとは保健室先生とか相談やすい人。

それからもしあなたが成人なら役所の人に悩みを相談するといろいろ教えてもらえたりするよ。

誰か一人に相談して冷たくされても絶望しないで。また別の人に相談しよう。

いらないおせっかいだったらごめんね。

勘違いならそれに越したことはないのですが、ちょっと心配なので書きました。

あなた幸せ一年でありますように。

講談社 就活 思い出

就職活動講談社に行ったことがある。体育館みたいな所で、十個ほどの、ちょうど保健室のベッド同士を区切っているようなアレ(何て言うのか分からない)で区切られたブースがあり、そこで各々二人ほどの社員面接される形であったが、その面接の前に、高校教室ほどの広さの場所で、順番を待つことになった。

パイプ椅子が30ほど並んでいて、順に座らされたが、怖い用務員のような人が隅っこに座っている。用務員のような人(以下用務員さん)は、まず一人一人名前を誰何し、続いて「講談社雑誌で最も面白いものは何か?」と各人に聞いて回った。

そこで驚いたのは、

「えっと、知りません」

と答えた学生いたことだ。

だってそんなに講談社が好きなわけではなく、まずエントリーシートが通ったかひとつ物見遊山的に受験したところがあったけれども、さすがに「モーニング」ぐらいは知っている。

用務員さんの眼光はにわかに鋭くなり、

「知らないだと?」

と聞いたが、当該の学生は、

「ええ……」

と答えるのみである。本当に知らないのか。

講談社面接に来たんだろう、君は。本当に一つも知らないのか」とか、

「一冊ぐらいは分かるだろう」とか、

学生に用務員さんは聞くのだが、やはりその学生は「はあ、」とかなんとか曖昧に返すだけである

用務員さんは最後に、

「いいんだね、そのように報告するよ」

とかなんとか言って、質問を打ち切ったと思う。

僕はその学生がどうなったかは知らない。天下の講談社にまで来て講談社雑誌ひとつも知らないというのはいかにも驚くべき話だが、しかしその「用務員さん」が何者であったかについても、やはり気になってしようがない。

もしかして、有名な人だったりするのだろうか。

あるいはもしかしすると、その学生も、今はかなり有名な人になっていたりしないだろうか。

どちらもベクトルは真反対かもしれないが、かなりの大物のような気がしてならない。

そんなことをこの時期になるたびに思い出すのである

ひとつ就活に役立つ話をしておくと、面接担当者の手元のシートには「特A」「A」「B」「C」という欄があるのを見つけた。特Aとは一体どのような人材なのだろうか、やはり何年も経った今も気になってしようが無い。)

あなたの一番好きな講談社雑誌はなんですか?)

2017-12-15

その昔、学校の授業中に同級生の一人が気分悪くなっちゃって。

周りの生徒が騒ぎ出して、それで先生も気づいて、「大丈夫?」ってその子背中をさすってあげたりしてたのよ。

そしたらついに堪えきれなくなったらしくて、急にえろえろともどしちゃってさ。

俺も一瞬あっと思ったんだけど、すぐ横にいた先生がとっさに両手差し出して、その吐いたものを受け止めて。

なんとなく教室がざわっとなって、青ざめたその子が「ごめんなさい」って涙声で先生に謝ったんだけど、先生は「大丈夫だよ、気にしなくて。じゃあちょっと保健室行こうか」って優しく答えてあげてたのね。

その言葉通り教室ほとんど被害はなかったし、手を洗って帰ってきた先生はもう何事もなかったように普通に授業始めてさ。

それがものすごく自然だったから、しばらくして帰ってきたその子クラスの誰も変なこと言う雰囲気はなくて。

俺はそういう先生の態度とか光景を見て、『すげえな』『かっこいいな』って子供心に強く印象づけられたんだ。

将来自分もとっさにそういうことができる、手を差し伸べることができる人間になろうってたぶん思ったんだよ。

……まあ正直この出来事は今の今まで忘れてたんだけど、ついさっきNTRもの動画見ながら最後最後ティッシュ箱を机の向こうに落としちゃって慌ててとっさに手で受け止めた時に、あっ!って思い出した。

2017-12-09

小学生時代に2回学級崩壊に巻き込まれ

寝つけられないけど横になってて、ふと思い出したから殴り書き

自分が住んでいた故郷田舎中の田舎

生活に車は必須だし、故に使われない電車は1時間に1本あるかないか

市営バスは早々に廃止された

町は田んぼだらけでコンビニは当然、スーパー農協のみ

そんな田舎でも学級崩壊は起こった

1度目は、3年の時

正確には崩壊とは言わないと思う

担任だったかで、若い女の教員メンヘラをどんどん悪化させていって授業所じゃなくなった

最初の春はまだ授業受けられていたけど夏辺りからおかしい行動が増えていく

授業中に黒板に書いていた途端、突然「前を見るな!」とヒステリック叫び生徒に机に伏すよう命令したり、

体育で開始の礼で生徒皆が「お願いします!」と大声で言うと(決まってる挨拶)、「お願いしますじゃないだろ!!」とか叫んだり

ちなみにその時確か手に持ってたボール顔面にぶつけられた記憶がある

私の挨拶の声が煩かったからかもしれないし、偶々かもしれない

20年近く昔だから殆ど記憶がないけど、その後家に帰ったら校長教頭が謝りに来たらしい

(日常的に私に体罰下す親父は暴力肯定派だから上記詳細を聞かずに許したらしい。教師が罰で手を出したと勘違いしたのかもしれない。そして当事者であり被害受けた私には謝罪されてないよ…。)

担任につくベテラン教員は、おかしくなり始めた頃には教室に来なくなった。

秋以降は授業は自習ばかり。

メンヘラ担任保健室登校(?)し、生徒を排除した保健室で養護教員と話している(カウンセリング?)所を自習中の教室を抜け出しては覗いた記憶

から、3年の授業は殆どしていない

次に起きたのは6年時

これは生徒が教師の授業をシカトし、私語したり遊んだり、仕舞いには担任を苛めたりとやりたい放題

ちなみにこの担任は上の問題教師と同学年の別クラス担当していて、自習の時とか代わりに担任代わりしてくれた人

自分は手こそ出してないけど、その問題行動を起こす生徒達に注意できるほど人間出来ていなかった

そもそも私自身が影口やエンガチョ的なのされていたから余計強く言えなかった

で、また殆ど6年の授業してなかった記憶

2017-10-10

anond:20171010211249

頼りになる大人、近くにいるといいね

市役所区役所とか、相談出来る窓口が近くにあるといいけれど。

学校保健室先生と、相談出来るといいね

2017-10-03

anond:20171003205022

ネットや本の情報だけではなくて、学校保健室?(保健センター?)とかに相談したら?

  身体壊すと大変だよ。

一度掛かると、治すのに時間が、掛かってしまうし。

まだ、10月でしょ。。3月までならば、4ヶ月以上ある。

2017-09-29

[]柳本光晴「きっと可愛い女の子から」全1巻

いろんな男子高校生女子高校生女教師恋愛模様を描く短編

関口さん

陰キャだけどやさしくしてもらった男子にほれてしまって自分と彼以外滅びないかなとか中二病考える

でも男子には彼女いるんだって知る

から告白はせずに、おすすめの本だけ渡す

でも泣いちゃう

男子のほうも察して、明日までに読んで感想いうといってくれる

どこまでもイケメン男子と、陰キャな女子ギャップがすごくつらい話

教師と生徒の正しい恋愛

一年ときにオカタイ女教師告白した男子

卒業するまでダメと断られ、自分はもてるのに断りまくる

卒業式後、ようやく女教師OKして自室に招待してお酒のむと、お堅いおんな教師がすごく弱気にふにゃふにゃになる

もう三十路前だし自分に自信がなかった女教師を見て男子ますますかわいいと思う

そんで同棲することになる

保健室にて

リア充男子とつきあってる地味なメガネ女子

でも男子リア充女子と楽しげに会話をしているのに嫉妬する

保健室に逃げてしまってメールを待つが来ない

休み時間になると男子保健室にやってくる

男子は察して、もうほかの女子とは一切話さない、というが、

メガネ女子はそこまでしなくていいという

そのかわりに「他の女子と話した後は私が満足するまで好きといって」と言う

男の子はあまりにもそれをかわいく感じて抱きしめる

教室に戻ると、また男子リア充女子が話しかけてきて話をする

しかし会話の後、男子はほかのクラスメート面前メガネ女子に「好きだ」と言ってしま

女子男子に「みんなのまえでいうな」というが実はうれしかった

裏編として、実はよく男子に話しかけてた女子男子が好きで、好きだ事件のあと、

どうでもいいと考えつつ未練たらたらでちょっとかわいそう

図書館LOVER

ギャルと地味黒髪ロングメガネ女子図書館で本読んでる

でも実の目的は、メガネ女子図書館にいる男子をのことが好きだからギャルが付き合わされてる

ギャル女子に、自分から行動しなきゃだめだと伝えて、告白させる

でも男子には彼女がいたから断られる

でもギャルは見返してやればいいといって女子力を教えるようになる

ギャル女子男子彼女街角出会ったときギャル女子に、「男子に対して好き勝手いってやれ!」とけしかける

慣れてない女子かわいいあっかんべーをするのだった

ギャル子さん

大学進学の勉強秀才男子に教えてもらうことになったギャル

ギャル男子にいろいろモーションかけるが、男子ヘタレなせいでろくに何もしてこない

最後卒業式の日、最後からギャルから告白して男子もそれに返すが、ギャル男子に、男子から告白してほしかったといってさよならを告げる

でも男子ギャルを追いかけて付き合うことになるのだった



感想

再読

★5だなあ

めっちゃ好きだわ

短編クオリティがそれぞれで漫画1冊分くらいあってもいいくら

百合的なのもあるし、もどかしさ、安心失恋などおっさんが読んでも傷つかない程度にほほえましい話で、

すごく好み

小説家になる方法の作者だったのか

あっちは読んだことないけど読んでみようかなあ

絵柄が少しこんちきににてる

あとギャルかわいい

中二病、陰キャの失恋からリア充のはなしまで幅広い

1冊の満足感がすごく大きい

最後後日談が書き下ろされてるのもすごくサービスあってうれしかった

時間おいて何度でも読み返したくなる漫画

心の本棚入りだわ

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん