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2018-11-18

社会に出て10年経ってから、体育に感謝する日が来たよ

学生時代は本当に体育が苦手で苦手で。

小5くらいから、運動した後は必ず頭が痛くなって、体育の後は毎回保健室

辛うじて筆記や提出物で、1を取ることはは免れつつ、2とか3とかばっか。

走ればビリ、球技やればボールが回ってこない、二人組は作れない、逆立ちはできない。

典型的な「体育なんてイラネ」側の人間として大学まで過ごして、体育なんてイラネのまま社会に出た。

そんで、社会に出て10年ばかりしたところ、つまり三十路を越えたあたりで、段々身体にガタが出てきた。

運動の習慣がないから当然体力も筋力も無い。肉付きが良くなってきた。体重が増えて関節が痛い。あかんやばい

この年になって初めて自発的に「身体を動かさなくては!!!!」と強く思った。

自分が「身体を動かしたい!!」と思う日が来るなんて、学生時代は全く予想していなかった。

運動なんてかったるい」のまま年を取るんだと思ってた。

でも違ったんだよ!身体・・・動かさなくては・・・!!と思う日は来るんだよ・・・

お金に余裕があるならジムでも行こうかって思うんだろうけど、所詮キモくて金のないオタクなので、続くかも分からん運動にそんな金は掛けたくない。

筋トレもなんか、変なやり方するとダメとか聞くしよく分からん

となれば出来ることは一つ、ランニング!!!

持ってる中で一番動きやすい服を引っ張り出してきて、後はスニーカーさえあればすぐ出来る。ヨッシャ走ろう。

いきなり調子に乗って長距離走ると心が挫けると聞いたので、初日目標は5分。目標は挫けないこと。

で、走り出そうと外に出て、ここで気付く訳ですよ、「おっとまずは準備運動」と。

屈伸して伸脚して、アキレス腱ひとつも伸ばして、軽くジャンプして・・・って、これ学校で習った事じゃねえか!!と。

そしてのたのたと走ること4分、当然既にヘロヘロになっている訳だけど、そこで鮮やかに蘇る学生時代の持久走大会記憶

「あと少しのところで休んで歩いてしまうと、走り出す時にもっとしんどい

「ペースを落としてもいいから、とにかく走り続けた方がしんどくない」

中学時代自分が教えてくれる。諦めなければゴールにたどり着けるのだと・・・

そして苦しい息の下やっとたどり着いたゴール!

たった5分のランニングで既にへとへとになっている訳だが、ここで立ち止まってはいけない・・・!って先生が言っていた・・・

息が整うまで歩き、その後整理体操をしてメニュー終了・・・ってやっぱりこれ全部学校で習った事じゃねーか!!!

そうか・・・あの辛く苦しいばかりだった体育の授業、身体が若々しかった当時は無意味に思えた準備体操に整理体操企画者を散々恨んだ持久走大会・・・それらは全て、大人になってから突然、運動しなければ!という気持ちに目覚めた瞬間に、身体を痛めずに適切な運動ができるよう、運動のお作法身体に叩き込む為に存在していたんだ・・・とその時気付き、生まれて初めて体育の授業の存在感謝し、どいつもこいつも腹立つ奴ばっかりだった体育教師にも少しだけ感謝した。

から、「今」役に立たないことでも、十年後、二十年後、三十年後にふっと役に立つ瞬間がくるかもしれない。どんなことであれ、学んでおくと言うことは良いことである

ちなみに、ランニングの習慣はなんと三日も続いた。

・・・やっぱり若いうちに運動の習慣を身につけておくのって大事だと思う。後付けするのはなかなか大変だよほんとマジで

2018-11-14

BTSジミンのTシャツの件

うまくまとめられないと思うけど、気持ちを吐き出したくて書き留めることにしました。

タイトルの件については検索したらいくらでも出てくるし、検索してこのブログがかかるようなものだと思うので説明は省きます

前置きとして。私は広島出身の者です。

20代半ばまで広島で過ごしました。

小学校入学前に初めて平和記念館へ行き、小学生中学生平和学習と何度も平和公園へ訪れています

原爆の日夏休み中の登校日で黙祷をし、原爆を題材とした映画鑑賞をするのが毎年恒例な小学生時代でした。

就学前の資料館への訪問で強烈に"怖い"という感情を持っていたので、映画鑑賞は開始10分も経たないうちに気分が悪いと保健室へ行くのも毎年恒例でした。

祖母原爆被害者被曝者健康手帳を持っており、小さい頃から原爆についての話を聞いて育っています

さて本題に戻ります

今回の件を見かけた時に真っ先に感じたことはビルボード以降アンチ記事が目立ち始めた。でした。

過去事象を持ち出し、テレビ出演がキャンセルになるほど問題視される。異常だなと感じています

ひとつ情報操作を見た。そう思いました。

そこで怒りの発端となる原爆です。

原爆について詳しい方がどれくらいいらっしゃるのでしょうか。

何を根拠、信念とし怒っているのでしょう。

広島で生まれ育ち、被曝した祖母から生の話を聞いてきた私は今回の件はどちらかといえば擁護派なのかもしれません。

なぜなら、原爆悲惨さを知っていて原爆揶揄する為にあのTシャツ存在すると思えないからです。

現にTシャツデザイナーからもそのような意見が出ているという記事を見かけました。朝鮮独立を祝う象徴に過ぎないと。

その意見尊重して続けます

無知は罪なのでしょうか。

そして、広島出身であり原爆被害者家族もつ私がこの件を憎まないことは罪なのでしょうか。

私は韓国教育されている歴史に興味ありません。

また、自分が受けた原爆教育経験があってもこの件が必ずしも許されないことだとも思いません。

そして日本活動する韓国人に日本歴史を学ぶべきだとも思いません。

ただひとつ

広島で生まれ育っていない縁のない人間広島を持ち出して批判していることは許せません。普天間問題と同じです。

叩きたいだけで広島原爆を利用しないで欲しい。

11月13日東京ドームの公演へ行きました。

この目でジミンの様子を観察しました。

私は自分の目で見て感じたことを信じたいと思います

彼らの真意がどこにあろうと。私は自分が見て感じた彼らが全てで、彼らの真意以外の意見は私の見て感じた彼ら以上になり得ないです。

そして彼らの真意は表に出ることがない。それでいいと思っています

公演レポートを見ただけで判断してファンを辞める方、溢れんばかりの批判記事鵜呑みにしている方。

韓国叩きにこの件を利用している方。

きっといなくならないでしょう。

私のこのブログも本当に広島出身者なのか本当だとしたら頭がおかしい、そんな風に思われるだろうなと思っています

嫌韓反日が歩み寄ることがないように、己の批判一時的にでも中断し相手を知ろうとすることはできないでしょうから

原爆を、広島を、叩く為に利用しないで。

広島出身者が必ずしも批判側にいる訳ではないという思いでこのブログを残します。

2018-09-30

anond:20180929122613

大学卒業しただけレベル素人が数たくさんいたってどうにもならんってのはIT業界でも周知でしょうが

 

素人じゃない保育士でさえ自分の子供を雨の日の自転車3人乗りで車輪に傘挟む事故で殺して書類送検されたりしてる。

母親歯医者フッ素塗ってもらおうと子供をつれてったら弗酸つかわれて激痛で殺された事件もある。

もう今の日本で「安心して子供を任せられる」の要求レベルバク上がりすぎてる。

犯罪者どころか保育士医者でさえ子供を殺すんだ。

教師教育と称してアレルギー食品食わせられたくらいで死ぬ生き物はそっちが悪いだろみたいな話もたくさん見聞きする。

1型糖尿病児童学校注射もちこんでも、トイレでも保健室でもうたせない(覚せい剤連想させるから?)とか。

みんなバカなの?リスク押し付け合うしかできないの?見たことないもの理解できないの?

本人の話を疑うところから入るのなんで?

  

 

せめて1ケタ児強姦犯罪者はICチップ埋め込もうぜ。痴漢麻薬の累犯もな。

エピペンとかの教育もしよう。保健体育・家庭科お題目にしないで国語とおなじくらいしっかりと男女に教えよう。

余談だが、優しさを教えるのなら、道徳目的)より保体家庭科手段)が先だろが、文科省自民党バカめ。

国語源氏物語目的)をひらがな手段)より先に憶えさせるか?

 

安全で男も女も爺さんも婆さんも普通に育児に手出し(補助)できる世の中はそういうとこからだ。

  

高校とかほんと大学予備校に張り合うの勘弁してほしい。

高校先生大学の方ばっかりちらちら見てるバカばっかり。

果実ばっかりみて根を育てることをしない教育なんか風が吹いたら倒れる木をつくるばっかじゃねえか。

てかもう運良く倒れなかった木があつまって先生ごっこしてるだけだからな。

 

親は先生医者も足りないとこ全部補わないといけない無理ゲー

カネ出したくらいで子供を見てもらえるのに専業主婦バカにするのやめろ。

2018-09-16

足を痛めた荒廃女子をおぶって

保健室に連れて行ったんだけど、その時

「重くないですか?」って訊かれて

わず「いや、柔らかいよ」と答えた

それが今の嫁

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-09-06

anond:20180906133946

はいわゆる保健室先生なのですが、男子生徒の痴漢被害相談されることも多いのですよ……。

痴漢男性被害があることは当方承知している。

からこそ女対男の構図はやめて、加害者社会未成年を助ける大人、という構図にできないものかなあと思って反論を試みました。

平気な顔をして「女性専用車両」などという差別的施策を利用し、その協力に感謝するならまだしも無実の男性罵倒らする

こんな女性がいる限り、共同戦線は組めない。

女性専用車両反対派が周回したときに訪れた集団を調べてみるといい。

論理の欠片もない罵詈雑言を数の力で浴びせ倒す。

話の通じない相手差し伸べる手はない

anond:20180906124433

はいわゆる保健室先生なのですが、男子生徒の痴漢被害相談されることも多いのですよ……。

からこそ女対男の構図はやめて、加害者社会未成年を助ける大人、という構図にできないものかなあと思って反論を試みました。

稚拙議論にお付き合いいただきありがとうございました。

2018-08-28

授業中のトイレ遅刻扱い? #ブラック校則

もしこれを読んでくださった方がいたら、なんでも良いので意見をお聞きしたいです。

私の高校では、授業中にトイレに行くとどんな理由であれ遅刻扱いになります。3回遅刻すると授業を一回欠席の扱いになります。欠席が規定の回数に達すると授業の単位がもらえません。

数年前まではこの規則はありませんでしたが、あるクラス休み時間中にトイレに行こうとせず、授業が始まってからトイレに行き出すことがあったそうで、それを禁止するため全校でのルールとなりました。

しかし、その行為をしたのはそのクラスだけで、さらにその生徒たちは今はもう卒業しています

このルールがあるせいで、今までズル休みをするためにトイレに行っていたわけではない普通の生徒まで、授業中にトイレに行きづらくなっています

特に、推薦を狙っている生徒は、大学の定める条件に欠席数があるためトイレに行けません。また、皆勤賞を狙っている生徒も欠席が付くのを恐れトイレに行けません。このルールは、授業中のトイレを実質禁止しているようなものです。

実際に、1つ上の学年では、ある生徒が具合が悪くトイレに行きたいのを我慢した結果、顔面蒼白で倒れてしまたことがあるというのも聞きました。

このことを先生に訴え、ルールをなくすように言っているのですが、どの人も

「授業中にトイレに行かないのくらい我慢すればいい」

休み時間に行けばいい」

先生だって授業中は我慢してる、あなたたちも我慢しなさい」

社会に出たら勝手トイレなんて行けない」

と言うだけで、あしらわれてしまます

このことは世間一般の人もおかしいと思うはずだ、と言っても、「こんなルールはあって当然」と言われます

先生の言い分としては、もともと保健室に行くことは遅刻扱いだったので、同じ授業中の退出でも、トイレけが許されていることがそもそもおかしかった、ということです。それもわからなくはないんですが。

クラスのほぼ全員が文句を言っています特に私の学校女子が多く、例えば授業中に急に生理が来ることだってあります。でも、同じ女の先生はわかってくれないどころか、むしろ推奨派です。

このルールのせいでトイレに行きづらく、不便だし不健康なのでなくすべきだと私は思っています。この考えはおかしいのでしょうか。全国に似たようなルールがある高校も多いということも知っています。けれど、私はやっぱりおかしいと感じます。見てくださった方はどうですか?このルールはあって当然ですか?ない方が良いですか?どうすれば先生たちが納得するでしょう。ご意見よろしくお願いします。

2018-08-12

まくらを噛んでいたあの子が死んだ夏

俺が小学生5年生のときの話だ

女の子が枕を必死に噛んでいた

全身を震わせ、足を棒のように伸ばし、何かに必死に耐えていた

ちょうど給食という至福の時間が終わり、昼休みに入った時間帯だ

俺は当時、今とは全く違って、休み時間になればロケットのようにドッジボールをしにいくような子供だった

そんな俺が保健室に訪れたのは、とにかく腹が痛いからだった

同級生サッカーを楽しそうにやっている中、自分だけは腹痛でこんなところに来ているという状況が憎かったのを覚えている

保健室先生はいなかった

俺は椅子に座り、窓の外で同級生たちが遊んでいるのを眺めていた

ベッドのしきりの間から、何かが聞こえた

人の唸り声だ。とにかく痛そうで、悲痛だった

なんだろうと思って、俺はしきりの隙間からベッドを覗き込んだ

いたのはベッドでとにかく痛そうに、何かに耐えている彼女だった

汗をダラダラかき、堂々見られているのに気づかずに必死に何かに耐えていた

中でもよく記憶に残っているのは、枕を噛んでいたことだ

文字通り保健室の枕に食らいつき、まるで声を出したら何者かに連れ去られてしまうかのように、必死に声を押し殺していた

本当に辛そうに、かわいそうに

彼女は、4年生の頃に転校してきた

髪を腰まで伸ばしていて、足や腕が傷だらけだったのを覚えている

何かの難病を抱えていて大変だということを説明された

すぐにイジメにあったのは言うまでもない

俺は興味なかった。その時期の小学生なんて、そんなもんだ

ただ彼女のことで覚えていることがある

当時、仲の良かった友達

俺が一人寂しくグラウンドの端の方でセミの死骸を棒で器用にはさみ、アリの巣の近くに持っていく遊びをしていたとき

例の彼女がどこからか現れて、俺に

「それ、楽しいの?」と訪ねた

俺はなにも返事をしなかった。楽しくないよ、そういえば良かったと今でも思う

彼女はため息をつき、俺から離れていった

この程度のことで俺は彼女のことを好きになっていた

それが小学生

彼女は6年生になった春頃、またどこかへ転校していった

俺は何故か悲しくなかった。いつかまた会えると思っていた

なんの根拠もないが絶対に会えると、そう思っていた

今年、俺は大学卒業した

同時に今夏に小学校同窓会が開かれた

俺は彼女に謝りたかった。あのとき無視してしまたこ

そして保健室とき、何も声をかけてあげられなくて申し訳なかったこ

彼女絶対に覚えていないだろうが、とにかく謝りたかった

久しぶりに合った同級生の話によると、彼女最近自殺したらしい

なぜかはわからない。ただ自殺したという話だけが会の小ネタになっていた

とにかく彼女は死んだのだった

もう枕を噛むこともないのか、そう思ってちょっとホッとした

2018-08-09

世の女には2種類います

それは「かわいい服の脱ぎ方をする人」と「かわいい服の脱ぎ方をしない人」です。

かわいい服の脱ぎ方」っていうのは腕をバッテンに交差して服(トップス)の裾を掴んでそのまま引き上げて脱ぐやり方のこと。

僕の初恋をキミに捧ぐ」って映画井上真央がやってたやつ(たしか保健室のシーンで)です。

まー、正確に言うと、女には3種類いて、この脱ぎ方が自然にできる女と、あとからそっちの方がかわいいって気づいて習得した女と、最後までしない女がいますけど、

自然にできる女が強いです。

あとから習得した女は所詮ニセなので。

皆さんも今度から女の服の脱ぎ方に注意して見てみてください。

もしあなたが男なら、リアルで女の着替えを覗き見すると相手好意を持たれてない場合警察沙汰になると思うのでまずは映画とかの着替えシーンから始めましょう。

私は女なので会社更衣室とかで普通にみれますけど。普段荒っぽい人が意外とかわいい脱ぎ方をしたりするのでおもろいですよ。

終わり。

2018-08-06

anond:20180728090909

医学用語でいう希死念慮が出ている。それはメンタル医者しか直せないと思う。

 

だれかに相談して治るようなことなかなかないと私も思う。

本当に親身になってくれる人はとりあえず最初だけでもお金払って聞いてもらわないと無理。

おなじお金払うなら医者あたりが良いと思う。医者を通じて行政から援助をうければ最終的にお金はどうとでもなることが多い。

 

ホストとかのほうがいいと思う人も多いけど、なにしろ割高で保険がきかない。それに決定的な手段は持っていないのでおすすめしない。

 

学生だと親が「うちの子がそんな」って言って信じないので、

医者にお財布保険証もってきてくれないことが多いとおもうけれど

「すべてちゃんとした医者しか話せない。

話すのも辛いけど、1度だけ話す。先生になら全部話すようにがんばる。

親さんは全部先生にあとで聞いて。

とにかく今ちゃんとした医者に行きたい」って粘るしかない。

もし運良く保健室先生担任が信頼できる人ならその人から親に医者に行くよう話してもらうようにしてもいい。

ただ担任念頭が「出席日数=卒業」の規則に縛られてることが多い。日中の通院を渋る。

病気通院はどんどん公欠出すって先生は今は一人もいなくなってしまった。

人生から離脱を考えてしまときにいったい、頼りにならないものだ。大人として申し訳ない。

2018-08-02

杉田氏の文章を全文読んだ上で批評する

要約を最下部に載せています。全文読んでない方は要約も見て下さい。

反論

彼女エッセイの主張はシンプルだ。

A)そもそも日本は古来から同性愛に寛容だが、欧米同性愛者が迫害されてきた。社会構造が違うのに、欧米的な多様性容認していく流れを見習うべきという論調が目立つ。

B)多様性に寛容になり様々な性的指向を認めていくと際限がなくなる。「常識」や「普通であること」を見失うと秩序が保てない。

C)多様性肯定的報道はそれを助長することになりかねない。

以上が主な主張だ。反論は下記。

a)日本LGBTに寛容という点は、男色文化があるし同意できる部分もあるが、杉田自身が示した朝日新聞記事( https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html )に「『周りの人の多くは性的少数者偏見を持っていると思う』と回答したのは、性的少数者層の当事者の48%に上った。」「性的指向性自認に関する言葉嫌がらせを受けたことがあるのは、非当事者の10%に対し当事者は29%。」とある。これで、寛容といえるのだろうか。

b)際限がなくなる危惧理解するが、現状では際限をなくしたい訳ではない。いままで「常識」や「普通であること」の外にいる人も包摂した社会にしたい。それまで中にいた人にとっては苦痛だろうが、心の中まで犯そうとは思っていない。男と男が手をつないでいて違和感を感じたとしても、その違和感自体否定しない(違和感がないことは理想だが)。ただ、その人たちも同じ日本に暮らす仲間として受け入れ、そういうパートナーシップがあることを理解し、異性愛者と同様の社会制度を作って欲しい。

c)肯定的報道が際限のない多様性拍車をかけているという因果関係を具体的に示していないので、報道云々の箇所は論拠を示して下さいとしか言えない。(そもそも多様性は既に現に「ある」のに、どう広げるというのだ)

以上。

感想

枝葉に目をこらすと、看過できない表現もあった。

1、『LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がないのです。』

この文章が置かれている文脈では、議論右往左往しているので掴みにくいが、概ね下記の主張だろう。

日本では実際LGBT差別されているか疑問だ

  →LGBTの「生きづらさ」は親の無理解が大きい

    →親は自分の子供が同性愛者だと孫ができないのでショックを受ける

    →親の無理解クリアできれば、だいぶ「生きづらさ」は解決する

      →しかしそれは制度を変えることでは解決しない

  →そもそも社会は「生きづらい」のにリベラルメディア社会制度のせいにする

    →「生きづらさ」を自分で乗り越える力をつけさせるのが教育

    →「生きづらさ」を行政解決することには賛成する

      →しかし、行政が動くということは税金を使うということだ

        →子育て支援などは少子化対策という大義名分がある

          →しかし、LGBT子供をつくらないのに税金を投入すべきか疑問だ

しかに、少子化対策の枠でLGBT支援をするのは難がある。だが、全ての予算は「子供をつくる」ためにある訳ではない。「生産性」を広い意味で捉えたとしても、すべての税金の使いみちが「生産性」を追い求めるべきなのか。であるなら、クールジャパンファンド赤字を、ぜひとも批判してほしい。

なお、エッセイ後半の多様性容認のくだりをみるに、彼女が指す「LGBT支援とは、カップルに関することだけではなく、学校においてトランスセクシャル向けのトイレ制服を作ることも含まれていると思わる。性的マイノリティ暮らしやすく、「自分らしい」生き方ができる社会を整備することは充分に税金効果はあると思うが、そうした整備にも税金を使うことが躊躇われるようだ。

 

 

2、『「多様性時代から女性男性)が女性男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。』

それは同性愛者だったということであり、「これでいいんだ」と思えたなら、素晴らしいことではないか

同性愛になるか異性愛になるかは、人にどうこう言われて変わるものではない。

 

 

3、『LGBTからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。』

杉田氏は『成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった』と述べてる。つまり、異性と恋愛せず結婚しない同性愛者は「普通ではない」というのだ。

一方、エッセイ最後で『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく』とも書いてある。

『「普通であること」を見失っていく』の主語社会と捉えるにせよ、その発端は「普通でない」同性愛である

杉田氏は、同性愛者に対して「あなた存在は秩序を崩壊させる」と言っているのだ。

これが差別以外のなんなのか。

 

 

4、『自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。』

藁人形である

文科省は通知を出していて「好きな性別トイレを使っていい」という指針にはなっていない。

トイレ多目的トイレ職員トイレ更衣保健室多目的トイレを利用することを推奨している。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/04/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369211_01.pdf


さいごに

私はLGBT当事者ではない。同性とセックスすることはあるが、あくまで性欲に紐づくものであって、愛に紐づくものではない。なので、基本的にはストレートだと自認している。

そして、前提として、日本無秩序にしたい訳でもない。

従来の「ふつう」以外も認めて欲しい。そして、「ふつう」以外の人も包摂する社会制度を再設計したい。

もちろん、いままでの「ふつう」を崩すとどこまで崩すのか、と不安になる気持ち理解できる。

私は、他人に深刻な不利益をもたらさない限りで、かつ、従来の根本的枠組(人の定義etc.)の延長で、最大限の多様性を許容する社会制度

また、「同性を好きになったり、同性とセックスするヤツは気持ち悪い」と思うのを止めたい訳ではない。思うのは無意識化だから仕方がないことだ。

それを個人的感情にも関わらず「ふつう」という、さも一般化した言葉に置き換えるのをやめて欲しい。

杉田氏や反LGBTの人も含めた、すべての人が最大限の幸福を得られる社会になってほしいと心から願っている。

参考:杉田エッセイの要約

LGBTで各新聞キーワード検索したところ、朝日新聞毎日新聞記事数が多い傾向があった。この2紙はリベラル系でありLGBT権利を認めて支援する動きを報道することが好きなようだが、違和感がある。背後には権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方が伺える。

しかし、LGBTからといって実際に差別されているか疑問だ。私は自分の友人が同性愛者でも気にしないし、職場でも仕事さえできれば問題ない。多くの日本人も同様ではないか

キリスト教イスラム教社会は、教義によって迫害されたり命に関わる問題にもなっていた。一方で、日本には同性愛者を「非国民だ!」という風潮はないし、迫害歴史もない。むしろ寛容な社会だった。欧米日本では社会構造が違うのに、日本マスメディア欧米を見習うべきという論調が目立つ。

LGBT当事者から聞くと、親に理解してもらえないことの方が社会的な差別よりつらいという。親は自分の子供が自分と同じように結婚して、子供をもうけてくれると信じているから、それができない同性愛者だと分かるとショックを受ける。LGBTの両親が受け入れてくれれば、日本はかなり生きやす社会になるのではないかしかし、これは制度を変えれば解決できるものではない。

リベラルメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにする。しかし、そもそも世の中は生きづらく、理不尽である。これを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育目的のはずだ。「生きづらさ」を行政解決するのが悪いことではないが、動くには税金必要である

・例えば、子育て支援子供ができなカップルへの不妊治療税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がある。しかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものなのか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいことなのか。にもかかわらず、行政LGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

・ここまでLGBTという表現を使ってきたがLGBと、Tは分けるべきだ。トランスジェンダーは「性同一性障害」とい障害であり、自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのは辛いだろう。政治家として、医療行為を充実させることは考えていいことかもしれない。

・私は中高一貫女子校出身だ。女子校では、同性の同級生や先輩が疑似恋愛対象となるが、それは一過性で、成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった。しかし、マスメディアが「多様性時代から同性を好きになってもいい」と報道したら、普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねない。

朝日新聞調査LGBTが281人、自分が男女いずれでもないと感じるXジェンダーが508人、性自認性的指向が定まっていないQ(uestioning)が、214人いた。合わせて1003人にもなる。LGBT世間が騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。また、思春期から社会の枠組みへの抵抗もあるだろう。(記事https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html

・多様な性に対応するために、自分認識している性にあわせて自由制服選択できることに肯定的報道をよく目にする。例えば朝日記事で「多様性、選べる制服」。また、オバマ政権下では公立学校において、自分認識した性に応じて更衣室を使えるように通達を出した。果たして、それはいことなのか。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能だってある。自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱する。(記事https://withnews.jp/article/f0180330006qq000000000000000G00110601qq000017068A

最近LGBTに加えて、QやIやPなど訳が分からない。なぜ、男と女の2つではいけないのか。パスポート性別欄に男でも女でもない「X」と記載できる国がある。タイでは18種類の性別があるというし、Facebookでは58種類の性別が用意されている。冗談のようなことが本当に起きているのだ。

・様々な性的指向も認めたら、同性婚容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚や親子婚、はたまた、ペット婚、機械結婚させろという声が出てくるかもしれない。どんどん例外を認めると、歯止めが効かなくなる。

・「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねない。朝日新聞が「LGBT」は、冷静に批判してしかるべきではないかと思う。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく。私は日本をそうした社会にしたくない。

記事リンクは、筆者が探した。杉田氏が示した大阪版とリード部などが異なるが、本文はほぼ同一。

2018-07-26

小学校しんどい

昨日、仕事教師相手の授業をしてきたんだけど、そこに小学校五年生の時の担任が来た。六年生だったかな、もはや記憶がないんだけど、下の兄弟と一緒にもろもろ迷惑をかけた人だったのでよく覚えている。

途切れつつ二十年余り年賀状を送ったりしているし、多分来年も送る。

名簿はあとから確認させてもらったんだけど、顔を見たら「見覚えがあるな」って思うし、実際合ってた。帰るところを呼び止めて二言三言会話した。

どうやら向こうも「増田の親に似てるな~」って思ってたらしく、じゃあ声かけてくれよ、とは思った。まあこちらも名簿確認するまでは確証が持てなかったかお互い様ですね、はい

田舎小学校での思い出はろくなものがない。小学校時代、と区切れば別に楽しい思い出も沢山あるんだけど、小学校に限ると本当に楽しい思い出が見当たらない。

学習発表会で主役をやる羽目になったとか、運動会応援隊長に据えられたとか、華々しい役割の裏でしこたまdisられたり、再会した先生担任の時は修学旅行に行ったとか、弟のクラス学級崩壊してそこの担任が心を病んで辞めていったとか、それを嬉しそうに誇らしげに語る母が気持ち悪かったとか、芋づる式にしんどかった記憶が出てきてやってられない。

今も診断受けるのが怖くて病院に行ってないんだけど、自閉症スペクトラムのクチで、周りとうまく馴染めなくて、いじめられたわけではないけど不登校になったり、いい思い出が特に見当たらないのでひたすらにしんどい。

図書室と保健室けがオアシスだった。本がたくさんあって、司書さんとも保健の先生とも相性が良くて、多分この二人がいなかったら六年通いきれなかった。

ただやっぱりそこには同級生の影があったりするわけで、思い出すのはつらい9割美しい1割みたいな感じで今すごくしんどい

再会した先生は一ミリたりとも悪くないんだけど、付随する思い出がしんどい

いい大人になったのにたった一人が切欠になって食欲が失せて生きる気力が削れていくし精神的に不健康になってしまうの、しんどい…。

2018-07-22

anond:20180722172053

>逆に言えば、今中止にしろと叩かれている体育館での全校集会や、運動会、その他のイベントはこの程度の対策を取れていない

 

いやいや保健室ありますがなw

コミケエアプか知らんけど

直射日光コンクリ照り返し&長時間待機の待機列に比べたらむしろ天国だよ

日傘なんて差せば厄介扱いだしな

2018-07-21

anond:20180721115843

からORSが最適解なんだよ

でも子供に持たせるようなもんじゃない

学校なら、具合悪くなった子に保健室で飲ませるのが現実的

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

赤ちゃんの声が嫌い

これって同じ症状(?)の人いないのかな。

赤ちゃんが泣いてる声が嫌い。

ウザいとか子供嫌いじゃなくて、生理的に受け付けない。

長く聞いてたら心臓をギュって掴まれたような不快感に襲われて、鳥肌と冷や汗が止まらなくなる。ひどいときは吐きそうなぐらい気分が悪くなる。心臓バクバクして過呼吸になりかける。

電車特にすぐ降りられない特急とかで赤ちゃん泣かせてて、それを放置してる親とか最早テロ

でも他に乗り合わせた人は大丈夫よ、とか元気な子ね、とか優しく声かけたりしてるのに私だけが泣き声少しでもかき消すためにヘッドフォンつけて、それ以上気分悪くならないように車両変わったりして。

時には車両変わるとき、それを見てたおばさんとかお年寄りに嫌な態度。当て付けみたいとか、今の子は我関せずで思いやりがないなとかわざと聞こえるように言われて。

所詮、同じ症状を持たない他人には私は人でなしにしか見えないのか。

赤ちゃんの声を受け付けないのがそんなに悪いことか。

親に一度相談したことがあるけど、

女なのに赤ちゃんの声が嫌いなんて酷いね自分赤ちゃんだったんだよ。とか

お母さんは悲しい。自分が親になった時どうするつもり?

かいって怒られた。

学校保健室先生は、

みんな赤ちゃんの時は人に迷惑かけながら成長したんだからそんな事思ったらいけない。

って見当違いなことばかり言う。

別に迷惑と思ってるから嫌いなんてひとことも言ってないのに。聴いたら具合が悪くなるぐらい受け付けなくて困ってるって話なのに、ただの私の狭量みたいな問題すり替えられてさ。

からどうせ誰にも分かってもらえないと思ってそれ以来公言しないって決めた。

けどそれはつまり今後一生私一人で抱えていかないといけない問題ってこと。そうすると具合悪くなるのだって一生治らない。

たとえつらくても、誰かに打ち明けて軽蔑されるか、あの吐き気も動悸も過呼吸とかも全部一人で耐え続けるかの2択しかないということ。

それに多分この先、高校卒業して成人してそしたら、

大人にもなってこの人は何わがまま言ってるの?

って一方的批判されて誰にも理解されないんだろうなってわかる。マジ無理。

2018-06-12

anond:20180611234251

あーめっちゃわかるわ

先生に言ってみたら?

私は君みたいに違和感言語化できなかったので保健室に逃げてしまった

体育の授業でできなかったこと今友達に教えてもらってやるとできたりするんだよな〜

練習ももちろん必要だけども

2018-04-15

中学時代クラス全員から無視され、かと思ったら聞こえるようにコソコソと悪口を言われ、一挙手一投足をクスクス馬鹿にされる、そんなイジメに遭ったことがあった。

そんな時、私が学校行きたくないとグズグズ泣いた際に一緒に泣いて怒ってくれたのは母だったし、無理しなくていいけど勉強はしなさいって言ってくれたのも両親だったので、親には頭上がらないというか、有り難かったなあと思う。

教室に居たくないと保健室メソメソ泣いた時、母は学校から電話をもらったのかわざわざ仕事を早退してまで迎えに来てくれて、そのままサクッと「じゃあ映画ちゃおっか」って地元に出来たばっかりだった映画館に連れて行ってくれたことが忘れられない。周りがコソコソ悪口言ってくるなら本読んでなさいってそのまま観た映画ノベライズを買ってもらって、その帰り道にまた車の中でグズグズ泣いた私に買ってくれたコンビニ肉まんを、10年以上経った今でもはっきりと覚えている。

たぶん母は、もう覚えていないだろうけど。

その後、飽きが来たのか私のいじめもそれなりに収まり、そんな折にとある子が私に遠出のお土産をくれて、それを母に告げたらまた母は泣いてくれたことを、今でも私は鮮明に覚えているし、父が折に触れて頭をワシワシと撫で回してくれていたことが、何よりも安心したのは確かだった。

両親のおかげで思春期の頃の私は壊れなくて済んだと思っているし、面と向かってはなかなか言えないけど、心から感謝している。

成人して随分経った今でも時々大喧嘩することもあるが、それでも両親は大好きだ。今は訳あって離れて暮らしているが、出来れば早く地元に帰りたいし、長生きしてほしいと思う。

2018-04-08

高木さん」原作アニメ対照

1巻

消しゴムアニメ第1話

プールアニメ第2話

変顔アニメ第1話

筋トレアニメ第3話 //回数が10倍から3倍になった。よかったね

空き缶:アニメ第3話

日直:アニメ第1話

傘:アニメ第3話

風邪アニメ第4話

本屋さん:アニメ第5話 //「ヒミツなんかじゃないもん」が削られている

2巻

雨宿り:アニメ第5話

テスト勉強アニメ第5話

テスト返却:アニメ第5話

手紙アニメ最終話

掃除当番:アニメ第4話

二人乗り:アニメ第6話

腕ずもう:未アニメ化。高木さんと腕相撲勝負

夢:未アニメ化。よくわからない回

3巻

肝試しアニメ第6話

質問:未アニメ化。私の好きな人って誰だと思う?

背比べ:アニメ第10話

席替えアニメ最終話 //ハンカチを渡すのはアニオリ。きれいに纏めた

英訳アニメ第2話

逆上がりアニメ第4話

わき腹:アニメ第8話

習字アニメ第2話 //油断大敵はアニオリ

尾行アニメ第4話

4巻

水道アニメ第6話 //ハンカチはアニオリ。最終話に繋げるためですね

部屋:アニメ第7話 //原作では現状維持は貼ってない

21ゲーム:未アニメ化。西片が私にキスできたら西片の勝ちね。

占いアニメ第11話

お誘い:アニメ第10話

ポーカー:未アニメ化。個人的にとても好きな回

ネコアニメ第11話

ケータイアニメ第9話

写真アニメ第9話

5巻

想い出:未アニメ化。未来編。元高木さんと娘

買い物:アニメ第7話

水着アニメ第7話

マラソンアニメ第8話

二択クイズアニメ第10話 //お誘いから繋げたのはうまいと思う

コーヒーアニメ第3話

台風アニメ第8話

ホラーアニメ第9話 //ポーカーをやらなかったため日直を手伝う理由が変わったのは残念

クリティカルアニメ第11話 //神回その1

6巻

デート:未アニメ化。夏休みの話

石蹴り:未アニメ化。しかしこの話の扉絵はEDに一瞬出てくる

似顔絵アニメ第11話

ウォータースライダー①:OVA予定

ウォータースライダー②:OVA予定

ウォータースライダー③:OVA予定

宝探し:未アニメ化。普通日常

お悩み:未アニメ化。神回その2

目薬:未アニメ化。目薬対決。巻末おまけ漫画北条さんという一発キャラが登場

7巻

入学式アニメ最終話 //過去回。自己紹介のくだりがやや原作と違う

スポーツテスト:未アニメ化。過去

お土産:未アニメ化。すごい好きな話

催眠術:未アニメ化。西片催眠術にかかる(?)高木さん

大福:未アニメ化。休み時間日常

Tシャツ:未アニメ化。休日

宝くじ:未アニメ化。会話しながら帰るだけ

教科書:未アニメ化。高木さんの予知能力が凄い回

約束:未アニメ化。西片勇気を出す

8巻

バレンタイン①:未アニメ

バレンタイン②:未アニメ

けん玉:未アニメ

自転車:未アニメ

保健室:未アニメ

体育倉庫:未アニメ

雪だるま:未アニメ

氷:未アニメ

水切り:未アニメ化 神回その3

2018-03-22

給食が嫌い

給食が嫌いだった。幼稚園から中学校までずっと。

もう大人から食べる機会とかないけど、食いしん坊で大食らいのわたしがこの世の中の食べ物で群を抜いて嫌いだったのが給食

元々偏食気味で家族が作ってくれたご飯以外があんまり得意じゃなかったんだけど、あの冷えた感じと味付けがどうにも苦手でいつどこで食べても同じ味がする白米と牛乳以外は口に入れたくないな〜って給食の時はいつも思ってた。あとネギ類とトマトの食感がどうにも苦手で、このふたつが頻繁に入ってるのも辛かった。

(この辺はASDADHDの傾向が見られるからそれ由来の味覚過敏もあって給食云々の問題ではないと思うけど)

なんだけど、たまたまこの前の飲み会で『思い出の給食メニュー』みたいな話になって、なんでこんなに給食嫌いなんだろう?って思った。

嫌だけど食べられるものっていっぱいあるのに、どうして給食だけ思い出すだけで吐き気がするのかな?って。別に得意じゃないっていうだけで、外食に出かけた先で何も食べられなくて辛い思いをしたことはないし、お友達の家で出されたもの死ぬほど嫌悪感を抱いた記憶もない。給食以外だったら冷えた食べ物も嫌だけど普通に食べてたんだよね。

じゃあなんでこんなに給食だけ嫌な思い出があるんだろう?って疑問に思ったんだよね。で、よく考えたらふたつぐらい原因になるっぽいことが思い浮かんだ。

一つ目は幼稚園の時の話。

通ってた幼稚園方針で『給食で出た料理は最低でも必ずひとくち食べないといけない』っていうのがあって、嫌でも食べないと遊ばせてもらえなかった。

わたしが食べるのを嫌がって泣いていたら、先生が開いた口に味噌汁ネギを突っ込まれた。もうその瞬間嘔吐

わたしはもう成人済みで相当昔の話だけど、母はお迎えで「随分大きなお口だったので入れちゃいました、お母さんのしけが足りないからこうなるんですよ」と言われて唖然したことを覚えてるらしい。

二つ目小学生の時。

小学校はこれがさらレベルアップして『給食は全部完食しないとダメ』だった。

友達に頼んで1ミリぐらいしか盛らないでもらったりこっそり交換したりしたけど、先生給食当番手伝ってたらもうアウトだった。

さらに食べるのも遅い子供だったか時間内に完食なんて無理で、昼休み給食組の常連だった。先生の机の横で給食を食べさせられるんだよ、めちゃくちゃお小言くらいながら。

だんだん給食時間になるとお腹痛くなるようになって、保健室で寝てるようになった。そうすると担任が「給食食べたかお腹痛いんだろ?」ってみんなの前で鼻で笑ってくるんだよね。それが嫌でしょうがなかった。

中学になったらだいぶ緩くなって楽になったけど、未だに給食で食べさせられて辛かった料理とか食べられない。

学校、まだこういうことってあんのかな〜。別に食べられなくても普通に大きくなるし、食べたくない理由があってみんな食べないんだから周りの大人は無理やり強制しないでほしい。それで学校行きたくなくなったり食べられるメニューが限られて健康問題が出たりすることもあるから

偏食がちなまま大人になったけど、別に不都合ことないよ。

2018-03-09

勉強なんてしなきゃよかった

私はただのゲーム漫画アニメが好きな、好きなことには熱中するよくいるオタクだ。

成績も、中学入る辺りまでは特に何も言われたことなかったし親が話題したことだってなかった。

中学入ってからだってようやくできた友達と好きなアニメで盛り上がって楽しむようなオタク趣味満喫していた。

ただ、しばらくしてその唯一の友達がその地域の難関高校に入ると宣言した。

私は思い出した。彼女アニメが好きだけど秀才だった。

成績とコミュ力のある彼女のおかげで私はスクールカーストから免れていたらしい。

両親はそれを知って、多分順位が下から数えた方が早かった私に発破をかけるつもりで言った。

「このままじゃ彼女と離ればなれになるよ。あんなに良いお友達大事にしなさい」

小学生の時ぼっちで本ばかり読んでいたせいでいじめられていた私はもうあの頃に戻りたくなかった。恐怖から必死勉強した。

成績が低かったうちは簡単順位は上がった。

先生の覚えがよくなって色々話してくれて褒めてくれるようになって、より勉強するようになった。

模試合格圏内に入って、その友人が自分のことのように飛び跳ねて喜んでくれたのが今でも忘れられない。

無事同じ高校に入ってしばらくは友人の他にもやや話せる人が増えてきて楽しかった。

でも面談担任にこの成績なら難関国公立を狙えますよと言われて、聞いた母がおかしくなった。

漫画を読んでいると何をしているの!と勉強を促すようになった。

漫画アニメゲームをすることは悪いことになった。

大学受験が近づいて、その友人もアニメ漫画封印した。話すことが学校の授業の難しい話になっていって、ついていけず話せることもまだアニメしかなかった私はいらないものになって、その友人は別の友人とずっと話しているようになった。

最初よくわかってなかった私はそれでも彼女にかまってしまたから、彼女に私のいやな点をたくさん挙げて縁切りをされた。

彼女は親の言うとおり頭の良い正しい人だから、全部自分が悪いんだと自分を責めるようになった。

わたしは、大事にしなければいけない友人を失ってしまった。もうこの先友達なんて一生できないんだと思った。

あの頃テストの点数成績だけが自分肯定してくれる気がした。でも、全然あがらなくなった。

ゲームアニメ漫画もやめて、勉強だけして受けたテスト全然だめで、嘘つきっておもった。

私がだめな理由を私が好きなもののせいに、友人親先生みんなしてきたのに。

日中すごく眠くなって、弁当とかの匂い吐き気がするようになって、明確に体がおかしくなってきた。

拒食や自傷癖がでるようになって、唐突に暴れたり、ひたすらぼうっとしたりするようになって保健室通いになった。

保健室先生、みんなから評判悪かったらしいけど、あんたの親おかしいから何が何でも家をでるべきと私には言っていた。親は正しいと思い込んでいたからそれは大分びっくりだった。

両親は私がほんとうに壊れたとわからなかったらしくて、あちこち連れて行っては次の日また呆然としている私にあれだけやったのに、と怒った。まだ成績の良い私を取り返せると思っていたそうだ。

結局受験までに回復せず、親や先生希望より偏差値の低い、実家から遠い大学になんとか入り一人暮らしを始めた。

結局その大学もうまくいかなくて退学したけど。

面接で、あの大学ですか、すごいですねえ、よく頑張ったんですねえと言われて泣きそうになった。そんなことを言ってくれる人が、あの頃いれば良かったと思った。

国公立大学しか認めず授業料偏差値について散々口を挟んでヒステリーを起こした両親は、塾をサボり月謝を着服した弟を情報専門学校に行かせた。どこにも行き場がなかったからだそうだ。

それを聞く度、思い出す度、じゃあ、私はなんだったんだろうと思う。

あんなに勉強なんてしなきゃよかった。

今でも中学高校あたりの楽しかった時期の、クラスメイトたちといるときの夢をみる。

あっちが現実だったらなあとまだちょっと思ってしまう。

ただの昔語りだね。嘘ももちろん混ぜてるから、これと同じような人が身近にいてもその人私じゃないから、迷惑かけないであげてね。ただどうしても、どうしたらよかったんだろうってやるせない気分になるのを誰かにわかってほしかっただけだから

そうだ、友達はあの後何人かできたよ。私が話に詰まっても気まずい空気にならない人が。

年を取る度に、子供の頃恐怖していた「良い成績とって良い大学出て新卒で良い会社いかなきゃ人生終わり」の外で普通にしまずに暮らしている人がいるってわかった。でも勉強はそこそこならさすがにした方がいいとはわかってる。

ただ、がむしゃらに勉強をしてる子を見る時、頑張れと言うのに戸惑ってしまうんだ。

2018-03-07

今日大学留年たから心境を綴る

大学留年しました。まあ去年の夏ぐらいから薄々わかってたか特に驚きもしてないんだけど。どうせならネタにしてやろうと思ってこの記事を書いてます



なんで留年したのかっていうと単純に単位が足りなかったからですよね。僕の場合一年の時から大学に対してやる気がなかったので、結果こうなりました。まあ自業自得ってやつよ。

僕は大学に入って一週間で図書館に引きこもるようになったんだよね。一応第一志望のとこだったんだけど、なんか思ってたのと違うぞ、この授業受けて意味あるのか、友達ってどうやって作るんだっけ?って色々混乱した結果ぼっちになり図書館引きこもりました。これが一年の時。

この時は救いを求めるように本ばかり読んでました。もちろん学術系の本なんて一冊も読んでない。この頃の僕に必要だったのは現実逃避と立ち直り方だったから、小説とかビジネス書ばっかり読んでた。

まあそんな僕でも二、三年は部活やってたから、それなりに充実してたかもしれないね。この頃には友達とか知り合いも増えてた。女遊びもそこそこにって感じ。



そんで四年になってまた引きこもるようになります。あれ、とりあえず四年になったけど俺ってなんのために大学通ってるんだっけ?状態に陥り今度はさらに深刻で大学カウンセリングに通ってました。

その頃スポーツジムにも通いだしていたので、ジム保健室を往復する日々。おい、大学はどうした。

この頃から自己肯定感崩壊自己嫌悪スパイラルに陥りました。なんかわからんけど人の視線が怖い。大学行く意味からない。夜眠れないか精神薬を飲む日々。SNS愚痴ることしかできない。



唯一の楽しみは筋トレだった。ジムに行けばバーベルが待ってる。今日も追い込める。なぜかそれだけで安心したんだよね。

周りは文句言いながらもスーツ着て就活している。なんでみんなサラリーマンになりたくないと言いながらなるための努力をしてるんだ。結局みんな同調圧力に流されてるだけじゃないのか。

そんなどうでもいいことを毎日考えてました。ちなみにちょっと就活してたけど、ここは今回は割愛

そんなこんなで時間が過ぎて、今の正直な心境綴ると、大学無駄だったなあ4年間何してたんだろうなって感じですかね。

それについて後悔してるかと聞かれれば、まあ全く後悔してないわけじゃない。けど、これがもし普通に卒業できてて就職できてれば満足してたかって言われると、そうでもない気がするんですよね。

まあ、こんなこと書くと強がりみたいであれですけど。僕がやりたいこと見つけられたのはほんとに最近なので、もっと早く出会いたかったなってのはあるかな

ザックリまとめるとこんな感じ。今の僕がどうしてるかはまた別の記事でいつか書きます過去を悔やんでも仕方ないからね。

とりあえず酒でも飲んでくるよ。またね。

記事

http://blackmagician.heavy.jp/topbuzz/2018/03/07/たった今大学留年たから心境を綴るぞ/

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