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はてなキーワード: 過敏性腸症候群とは

2020-05-20

新宿駅の隅っこでうんこを漏らして不貞寝した話

事件当時履いていたデニムを捨てることになったので記録として残したいと思う。

10年ほど前の今くらいの時期、僕は基準+1単位で進級した理系大学の2年生だった。その日は一限から必修の実験があり、それは、ギリギリで進級した僕のような学生遅刻は許されない科目であった。

学校は家から2時間かかることから、9時半の一限に間に合うために、最低でも7時半には家を出なければならなかったが、僕は母親という最強の目覚ましを使用し、7時過ぎには家を出ることができた。

通学にあたっては、私鉄新宿駅に行き乗り換えをする必要があったが、新宿は近づいたとき、"それ"は唐突に僕を襲った。"それ"とは腹痛と便意である。腹痛と便意は波となって出現した。谷の部分では何も感じず穏やかこの上無かったが、山の部分では冷や汗を流し、肛門解放自粛すべく全力で閉めていた。新宿に到着する頃には完全に谷はデフコン5、山はデフコン1であったが、下車した際は何故か完全に平時だった。

この時、僕はまあまあ出来の悪い頭をフル回転させた。「駅のトイレに飛び込めば、1限に遅刻する可能性がある」、「しかしもう一度山が来たら大変なことになる」、「今は谷じゃないか。このまま波は無くなるかもしれない。」、ということで出た答えは「乗るしかない、このビッグウェーブに。」、そう、波を乗りこなそうと判断したのである。今思えば愚策まりないが、まあまあ出来が悪い、ギリギリで進級するような僕にはそれが良策に思えたのである

ということで新宿駅で下車、JR線ホームに到着すると、今までに感じたことの無いほどの山を感じた。例えるなら、格闘マンガ喧嘩自慢が主人公の殺気を浴びて死を感じるのと同じような、絶望的なほどの便意を感じたのである

「これは一度出す必要がある」本能的にそう感じた僕は、トイレを目指すことにした。しかJR新宿駅トイレには行ったことがないため、使い慣れた私鉄トイレに行くことにした。

トイレにつくと、トイレの外にも2人出てる行列ができていた。その頃には波は谷の部分にきており、僕は落ち着きを取り戻していた。朝だけあってトイレの回転は早い。列は順調に短くなっていった。その間僕の後ろでは、走ってトイレに来た人が列を見て、「クソ!」と壁をブン殴ったりしていた。僕は「分かる分かる、その気持ち。俺も「クソ!」って言いたいし、クソを出したい。だがオッサン死ぬかもしれないけど俺は生きるぞ!」等と思っていた。

しか自分の前の待ちが2人となったとき絶望的な便意がまた襲ってきた。「大丈夫、今回も落ち着くはず。」と自分に言い聞かせるが、一向に治まらなかった。そこで僕は閃いた。「少し出してみよう。そうすればパンツ死ぬかもしれないけど、自分の番まで待てるかもしれない。」人は窮地に追い込まれると訳の分からない選択をするものである。僕もまた、訳の分からない選択をしてしまった。

ということで肛門非常事態宣言を解除することにした。僕の想定では、コンビニ海苔巻き1本くらい出すつもりだった。しかし、肛門には思っていた異常の便圧がかかっており、一瞬で僕は海苔巻き3本分ほどのうんこを出してしまった。うんこパンツから溢れ、その一部はデニムの膝まで来ていた。その暖かさと、何故か爽快だった気持ちは、今でも鮮明に思い出すことができる。

こうして僕が人間尊厳を失った時、僕の前には誰もいなくなっていた。僕は壁に寄っかかり、膝を僅かに曲げてうんこをせき止めながら、「まー出してしまったものしょうがない。切り替えていこう。」と考えていた。そんなことを考えているとまた便意がきた。

「もう一回出してるし、さすがに我慢できるでしょ。つーかまだまだこれからっしょ!」と盤石のメンタリティでいた僕。しかし、肛門の防御力はゼロだった。「あれ?俺我慢したっけ?」と思うくらい、ノーストレスうんこが出た。今度は海苔巻き2本分出た。当然パンツから溢れ、膝でせき止めてたうんこは、お気に入りナイキスニーカーの踝の部分まで来た。ここまで来ると笑うしかない。

前の個室が空き、自分の番が来た。僕は踝のうんこを落とさないように摺り足で歩き、個室に入った。ズボンを脱ぐと、全体的にうんこが付着していた。ここで運が良かったことを紹介したい、1つ目の幸運は、水っぽくはなく、「2日目のカレー」くらいの水分量だったこである。僕は前日に食べたラーメンメンマが入ったうんこトイレットペーパーで拭った。2つ目の幸運は、実験だったため袋に入った作業着(ツナギ)を持っていたこである。僕は袋にパンツデニムを積め、腸の中に残ったうんこを出し、ノーパンツナギを着た。得もいえぬ開放感を感じた。その後は、「うんこ漏らして一限もクソもないだろ。。。」と自嘲しながら、30分前に乗った電車ノーパンツナギで乗り、僕は家へと帰った。

家に帰ると母親が驚いた顔で出迎えてくれた。驚くのは当たり前である。1時間前に見送った息子が、ツナギ帰宅したわけだから

驚き「どうしたの?」と聞く母親に、僕はぶっきらぼうに「新宿うんこ漏らして帰ってきた。」と伝えた。すると更に驚いた母親は「パンツズボンは?」と聞いてきたので、「袋入れて持って帰ってきた」と答えると「自分で洗いなさい!」と怒られた。当たり前であるしか20歳にもなって、うんこ漏らして母親に「自分で洗いなさい!」と怒られるなんて、どうかしてると僕も思う。

ということで風呂場でパンツデニムを洗った。サイズが大きくて流れなかったうんこの一部は、排水溝にねじ込んだ。

風呂場でパンツデニムを洗って、ついでにシャワーを浴びた僕は、煙草に火を付けた。その時は、言葉に表すのは難しいけど、決してネガティブ感情ではなかったことを覚えている。

母親は「学校はどうするの?」と聞いた。僕は「病院行くわ(病院に行った証拠があれば休みが不問になるため)。前からお腹弱かったしIBS(過敏性腸症候群)だと思うし。」と答え、不貞寝した。文字通りのクソ野郎である

そして夕方起きた僕は消化器系の病院に行きIBSと診断され、帰りにストッパ下痢止めを購入した。その後、夜はバイクで友人のところに行き、ラーメンを食べながら事の顛末を話した。「お前マジもんのクソ野郎だな。」、友人はそう言うが僕は言い返せなかった。だって僕はマジもんのクソッタレになってしまたから。

この話しを最後まで読んでしまった酔狂な人、あなたは腹痛・便意を感じたら、すぐトイレに行ってください。決して波を乗りこなそうとしないでください。その波は決して乗りこなせません。

それでも乗りこなしたいと思った人に向け、この名言を送ります

波は神様がくれたおもちゃ

2020-04-14

anond:20200414124926

お疲れ様でした。

増田でのうんち漏れた報告って男性が多い気がするけど何か性差はあるのだろうか。

そもそも男性下痢が多いと聞くけれど、急な便意下痢)って過敏性腸症候群だよね。お大事に。

2020-04-08

神経性頻尿になって7年が経った

中学生半ばくらいの頃に、突然トイレが近くなったのをきっかけに、それからずっと神経性頻尿の治療をしています。とは言っても、最近は少しマシになってきました。もし自分と同じように苦しんでる方いらっしゃったら、参考になるかは分かりませんが、対処法と、自分場合時系列を書いてみます

対処

正常な泌尿器であるとお医者さんに確認してもらうことができたら、我慢する訓練をする。これにつきます。「漏れそうになっても、たとえ漏れたとしても、一分でも長く我慢する訓練」(神経性頻尿専門のお医者さん談)を行います。そしてトイレに行くときは必ず、計量カップで何mlたかを記録する。これを何度も繰り返して、少しでも膀胱に多く貯められるように、長く貯められるように訓練します。ちなみに介護用のおむつはどの年齢の人でも履くことができますし、薄手のものであれば外からでは履いていることは全く分かりません。

そこまでの道のり

中学

中学2年生のときくらいに、突然授業中にトイレ我慢できなくなりました。多分小中学校の授業は40分か50分か、それくらいだと思うのですが、その時間我慢できなくなった。直接の理由は未だに分かりませんが、思い当たるはいくつかありました。もう暫く前になってしまうので、詳しいことは覚えていないのですが、いくつかの病院検査をしても異常は見つかりませんでした。異常が無いので、神経性頻尿と診断され、いくつか薬をもらいました。同じく神経性頻尿だという先生が声を掛けてくださったのですが、うまく頼ることができませんでした。今考えればもったいなかった。

高校

高校の間も良くなることはなく、授業中にトイレに行きたいのは変わりませんでした。なおかつ高校になって授業時間も伸び、かなり辛かった。今から思えば「授業中にトイレに行けばいい」だけのことだったのですが、授業中にトイレに行くとき一言言ってから退出するタイプの授業だったのと、自分にはその発想が無かったので、仕方がないので居眠りしてやり過ごす授業も多くありました。案の定全く授業には着いていけなくなりました。

大学受験ときは、診断書を出してもらい、出願の前に連絡して事情を伝えたところ、しっかり配慮してもらえました。面接などがある試験だったのですが、面接自分の番が回ってきたら係の人が「お手洗いは大丈夫ですか?」と聞いてくれたのがとても助かったのと、「ちゃんと言えば配慮してもらえるんだな」と分かり始めたのはこの頃です。

大学

大学に入って、まず何よりも心配だったのは、授業時間の長さ。100分も持つわけがないと思い、診断書をまた貰ってきて担任先生へ渡しました。その時どうすればいいか聞いてみたところ、「普段の授業は別に抜けてもいいと思う、ただ試験ときはあまり出入りしていると言われるかもしれないから、先に言っといたほうが良いですね」とのアドバイスを貰ったので、その通りにしました。具体的には普段の授業はトイレに行きたくなってきたら行く。最初は30分に一回くらい行ってました。それから試験が近づいてきたら、「自分トイレが近いんで、試験中に行くかもしれないんで宜しくお願いします」と一言伝えておきます。そうすれば試験中もトイレに立つことができて、安心できます

1年の終わり頃に、そろそろ何とか治療をしたいなと思い、「神経性頻尿 (地区名)」で検索し、出てきた医院へ言ってみました。そこでは診察前にこれまでと同じ様な検査(尿検査など)を行い、いざ診察室に入ってみると第一声で「我慢です、我慢する訓練をします」と言われました。やはり泌尿器には異常は無いため、何度も貯める練習をして自信をつけるしか無いとのことでした。具体的な方法が「対処法」のところに書いたものです。実際に自分実践した方法としては、大学の授業のうちの、ちょっと楽な授業で我慢する練習しました。我慢している間は殆ど話を聞くことができないので、楽めな授業でやります。大体同じ時間が経つと行きたくなってくるので、「今回はあと1分長く我慢しよう」と決め、頑張ります。次の楽な授業では、「もう1分我慢しよう」と言う感じで、少しずつ伸ばしていきます

現状

100分授業は保つようになりました。ただたまにストレスフルなときは行きたくなるときもあります試験も大体一回は抜けていますが、どの先生自分トイレが近いということを知っているので、気にせずに行くことができます

ただこれが良くなった反動なのか何なのか、お腹に来るようになりました。過敏性腸症候群です。イリボーとミヤリサンを飲んでかなりマシになりますが、ストレスフルなときお腹に来るようになってしまい、これはこれで辛いですストレスにめちゃくちゃ弱い。

これまでの反省

恥ずかしいことに、最近になってやっと周りの人への伝え方が分かってきて、楽になってきました。別に僕がトイレに近かろうがなんだろうが、大して他の人は気にしていないんです。ただ困ってることはしっかり伝えたほうがお互いのためになります特に、頻尿は「トイレに行ければ」とりあえず問題ないこともあるので、やり過ごしてしまうのも手です。しっかりトイレに行って、しっかり授業は聞くべきです。高校数学勉強が足りず、今苦労しています

困っている方へ

他に同じ様な方(特に若い方、中高生の方)などが居ましたら、自分もずっと苦しんでいたのでその苦しみはとても分かります。同じ様な年齢では周りに誰に頻尿の人なんて居ないし、自分からトイレが近いです」なんて話をしたくないのも分かります。ただ直接関わっている大人の人に話してみると、誰も悪いようにはしないはずです。是非相談してみてください。治療には繋がらずとも、QOL(生活の質)は向上できるかもしれません。それから話してみるとトイレが近い人って意外といます高校同級生にも一人居ました。

ここまで下手くそ文章を読んでくださってありがとうございました。書くにあたって、自分が気になったのは「また再発するんじゃないか」ということです(そういう心構えで生活してるのが、ストレスに弱い原因だとも思うのですが…)。でももしそうなっても大丈夫です、また同じ方法で頑張ります

おまけ

頻尿あるある苦労

映画館車椅子席の近くがバリアフリーのため出口へ近いことが多いです。ネット予約などするとき車椅子席と動線を参考にすると、スッとトイレに行ける席が見つけられたりします。

  • 駅とかよく行く店のトイレ場所も完全に把握している

友達ピンチときに案内できて心強い

2020-03-31

過敏性腸症候群

生きているだけで辛い。

15年前から過敏性腸症候群だが、学生時代社会人である今も臭いと言われる。

勝手に屁が出てしまうから外食も満足にできないし、友達もできない。

昔は友達がいたが、臭い迷惑になると思って自分から離れて行った。

今は完全に友達がいないし、もちろん彼女もいない。

これから友達はできないだろうし、彼女もできない。

せめて彼女が一生できなくてもいいから、この病気が治って欲しい。

毎日臭い死ぬまで言われるなんて生きている意味がないし、生きた心地がしない。

2020-02-13

辛い

大学を辞めることにした。

・授業中屁が止まらない(医者過敏性腸症候群と言われた)

・空腹じゃないのに腹が鳴りまくる

コミュ障友達0

上3つが原因で精神病んで大学に行けなくなった。

自分でも情けないと思うけど地獄の日々にもう耐えられない。

大学で失敗したか仕事では失敗したくない。そもそも中退人間正社員になれるかすらわからないけど…。

2020-01-18

持病カードバトル

があったら割とランカー狙えると思う

アトピー不安障害過敏性腸症候群ワキガ社会不適合者デッキ相手蹂躙できる

サポートアレルギー性鼻炎(通年)とイボと腰痛もあるし限りなく発達障害に近いとか言われた事もあるし

働いてるだけ偉いと思うわこれ医療費半端ないけど

2020-01-10

過敏性腸症候群わたし

からお腹が弱く、今思えば物心ついた時から過敏性腸症候群だったのではないかと思う。

小さい頃、小学校5年生くらいまで外食をするのが怖かった。なぜなら落ち着いてトイレへ行けないから。

から(2.3歳の頃から)便秘下痢を繰り返し、お腹を壊すとなると1時間以上はトイレで苦しんでいた。

もし出先でお腹が痛くなったらどうしよう、という不安が余計に腹痛を煽る。お店へ着くや否やトイレへ駆け込み、一回の外食で3.4回はトイレへこもっていた。(だが、そういう時はお腹は痛くなるのに便は全く出ない)

トイレへ行くたび両親からはまたか大人しくしろと怒られる。それも相まってさらに私のお腹は痛くなるばかりだった。

だが、小学六年生からは親へ口答えもできるようになったり、自律神経が整ったのか外食へ出かけても腹痛を起こすことがほとんどなくなった。相変わらず便秘下痢は繰り返していたが、昔ほど酷くはなくなった。

だが、中学3年生の冬。卒業間近に悪夢が襲った。

ある授業を受けている時、突然強烈な腹痛が私を襲った。我慢しようとしたがシャーペンを握る手が汗でビチャビチャになりノートが濡れた。これはやばいと思い恥を忍んでトイレへ向かった。

だが、トイレへ向かっている途中で腹痛はすっと治った。

あれ?と思い再度教室へ戻り席へついた瞬間また猛烈な腹痛。

全身尋常じゃない汗が流れた。少しでも気を緩めば屁も身もでる、全身をガッチガチに硬直させ奥歯が割れるほど食いしばった。

だが、十数分も待たずして再度トイレへ。またしても廊下を歩いている途中で嘘みたいに便意がなくなっていく。

その日から地獄の日々が始まった。

幸い、卒業間近だったこともあり登校日も少なくなっていたのだが、試練は終わらない。

友人とバスで出かけようものなら1人だけ途中離脱。親と車に乗ってどこかへ行くこともできない。静かな場所や人が大勢いてなおかつトイレはすぐ行けない場所密室にいると強烈な腹痛に襲われた。

そのくせトイレへ向かう途中やトイレに座った途端すっと腹痛が何処かへいってしまう。

私は発狂しそうだった。というか発狂した、泣いた、わめいた。

ご飯を食べなくなり下剤を多用した。整腸剤も飲みまくった。

出すもの出せば仮にお腹が痛くなってもでるものがないと思ったし、食べ物を食べなければ便が作り出せないからだ。

そんなある日、私はこの腹痛の病名と出会った。

過敏性腸症候群

お前か!!!!!お前だったのか!!!とめちゃくちゃ感動した。

その頃はおそらくあまりメジャーものではなかったが、いろいろな情報ネットから手に入った。心療内科へ行き診断もしてもらった。

からお腹が弱いというのも原因だったのもあるが、私の場合は厳しい親も原因の1つだったようだ。

怒るとなるとかなり厳しく、また、小さい頃は虐待じみた教育を受けていたこともありよくお腹が痛くなっていた。

成長するにつれ親も私が手がかからなくなり昔より穏やかに接するようになり、私も生意気にも口答えができるようになったのでストレスが少しずつなくなってきたから腹痛の症状が出なくなったのかなと思う。

だが、受験シーズンになり、推薦で高校が決まっていた私は勉強をしていなかった。仲のいい友人は勉強に追われていたが私はのんびり過ごしていた。そんな私に友人は八つ当たりをよくしてきていた。

今思えば自分が行きたいと選んで塾へ行き、自分が行きたいと選んだ高校なのだから黙って勉強しろよとは思ったのだが当時の私はその子八つ当たりを頑張って受け止めていた。

また、入学予定の高校では部活で進学したのだが、今じゃあり得ないくらいの暴力蔓延している部活で、これからそういう環境に身を置くことに対しても強いストレスがあった。いくら覚悟を決めていても無意識に心に負担があったのかもしれない。

いろいろなストレスが少しずつ私を蝕んでいき、一番弱いお腹負担がかかったのだと思う。

卒業式の日は前日から絶食、お守りがわりに整腸剤を持って挑んだ。隣の席の友人には病気のことを話し、式中はずっと小声で話し合っていたおかげでなんとか乗り切ることができた。

高校入学後も、事前に学校側へ事情を話しており、なおかつ校風自由で友人みんなに病気のことを話したり、テストは別室でうけたり、本当に申し訳ないが授業中は寝ることによってお腹から意識を逸らした。(教室にいることもとても辛かったが、皆んなが病気を受け入れてくれているという安心感や、申告なしでトイレへ行ってもいいと学校から許しをもらっていたので、安心感が大きく眠りにつくこともできた)

高校一年生の夏、期末試験の時、初めて教室テストを受けた。

担任から「受けてみないか」と提案があり、無理ならすぐ保健室へ行ってもいいと言ってくれた。

テストが始まった直後、教室は一気に静まり返った。

心臓が痛いくらバクバク鳴っていた。手汗が出た。お腹も痛くなった。

だが、我慢できる。

それどころか、少しずつ、少しずつ腹痛が治まっていく。

気づいたらテストが終わっていた。

その日から私は腹痛で保健室へ行くことは無くなった。

あれ以来、普通の人よりもお腹が痛くなることはやはり多い。映画館で腹痛になり、楽しみにしていたメリーポピン●は1時間しか見れなかった。居酒屋へ行きすぐにトイレから出れなくなることもあった。

けれど、昔より悲観的じゃない。大人になるってこういう時とても便利で楽だなって思う。

昔みたいにビクビクしながら外へ出ることがなくなったのはとても心地いい。もちろん痛くなったら絶望的にはなるが。

あの高1の期末試験体験が私の勇気となっている。あの日、目の前がとてもキラキラして見え、あ、もう大丈夫だと心から安心したことは忘れない。

2019-12-27

学校なんか行かなきゃ良かった

教室からボール持ってきて」って言われてその通りにしただけでつけ込まれるとかある?

なんとなく持ってきただけだったのに彼らにとってはパシリだったらしい

それから気づいた時には何か断れば生意気とか言われるし

その後精神的にまいって過敏性腸症候群になったけどこの病気ってマトモに仕事も出来ず保険も入れずでクソだよ本当イリボー高いし何も楽しくない

あの時学校から逃げていれば健康だけは守れたかもしれないのになあ

2019-11-27

社会人になってから凄い旅行に行きたくなった

学生の頃はそんなに旅行って好きじゃなかった。

しろ出不精でホームシックインドア趣味

さらに軽度のパニック障害過敏性腸症候群というコンボを決めまくり、基本外出自体が好きではなかった。

ましてや、家から遠く離れた土地に行くなどもってのほかである

家族旅行ですらとても憂鬱で、例えばディズニーに行くと言われても面倒と不安気持ちが先行する。

旅行が好きじゃなかったといった。違う、嫌いだった。

……ところが社会人になり、急に物凄く旅に出たくなる時が出てきた。

初めての所に行きたい。いつもと違ったことがしたい。非日常が欲しい。新鮮さが欲しい。

ちょうど前述のパニック障害過敏性腸症候群の症状が結構落ち着いたというのもあって、その気持ちは増すばかりだ。

大人って楽しいけどなんか少しだけ悲しいなと思いながら、今旅行計画を立てている。

2019-10-22

日本人の1800万人が羅患しているという「過敏性腸症候群

7人に一人って多すぎね?

anond:20191022191633

うんちをしたくないのに踏ん張り続け、

それアカンやつ

胃腸科行って便秘薬か過敏性腸症候群のお薬貰っておいで

2019-10-05

anond:20191005113646

なんかそういうことが普段からあるのなら過敏性腸症候群やろ

とりあえず人生適当って考えてる方が楽じゃね?

2019-10-03

大腸カメラ日記

anond:20191002130321

たまたま日大カメラ初体験したタイミング胃カメラ日記を読んだので、私も書きたくなった。

軽い気持ち受診した大腸肛門科レントゲンで、下行結腸が細くなっていると指摘され、カメラをやることになった。

前日用に朝昼晩のレトルト検査食セットを処方された。普通レトルト食品と変わらない味で量も十分だった。

前日用の下剤がよく効き、深夜のうちに数回下した。

当日午前中、2リットルの下剤を飲む。コップ1杯の下剤を10分かけて飲む、もう1杯、10分かけて飲む、水を1杯、5分かけて飲む、でワンセット。これを5セット繰り返す。

寝不足のせいかなかなか効き目が現れず、ラジオ体操したりお腹をさすったりして忙しい。クリニックがポケモンジムなのにレイドに参加する暇はなかった。

3セット目でようやくもよおし、ますます忙しくなった。

13時に、尻に穴の開いた紙パンツに着替え、点滴を入れて狭い検査室に通された。血圧計や心拍計に繋がれ、横向きになってドクターを待った。

ナースが私の腰と肩に優しく手をのせて、ぼうっとする薬を点滴しているから眠くなったら寝てていいですよ、と声をかけてくれた。私もそのつもりだった。

経験したことのある友人たちからも、変な感じはするけど痛くはないと聞いていた。

ドクターは、強い近視の私には顔は確認できなかったが、声が優しく穏やかな雰囲気だった。

いよいよ始まった。

器具肛門を通る瞬間は気持ち悪かったけど、そういうものだと思っていたので緊張もなく乗り越えられた。

そして、カメラが奥に入って、入って……?

「痛ーーあーー!」

声が出てしまった。下腹部が収縮するような強烈な痛み!!

「痛いよね、ごめんね」とドクター

私の呼吸はハッハッと短くなり、手の先が痺れ、口はカラカラになった。目も開けていられなくて、ドクターナースの会話だけがから入ってくる。

「ドキドキしてるね」「すごくドキドキしてますね」「増田さん、深呼吸して」

痛みがマシな隙にフウフウと深呼吸する。ああこの感じ、遥か昔経験したことあるわ。陣痛だ。ヒッヒッフーとかやるべきかな。それどころじゃねえわ。

「あー、これはすごいね。グニグニに曲がってる。ヨッと。うーん、進まないねー。増田さん、体勢反対向きに変えられる?」

術着がはだけるけどもそんなことを気にする余裕はなく言われた通りに体を動かす。ドクターの指示でナースが私のお腹を上へ下へ右へ左へと引っ張る。

お腹の中にカメラ存在感を強烈に感じる。痛い!痛い!力が入ると余計痛いだろうから叫んだりはしない。吐く息とともに「いたたたたたた」となんども漏らす。

お腹の中のものを早く出したい!もう産ませてくれ!やっぱり陣痛か!

痛い箇所があって、そこを過ぎれば痛くないんじゃないか、もうすぐ痛くなくなるんじゃないか、そうあってくれと祈ったが無駄だった。

ドクター休み休みやってくれてたんだと思う。カメラが移動しないときは多少楽になる。でも、奥まで入れないわけにはいかない。

最後は仰向けにさせられて、腹を中から突き破られるような痛みと圧迫感に血の気が引くのを感じながら、ドクターの腸内実況を聞いていた。

「もう一回入れろって言われても俺ムリだわー」

おそらく本気ではなくて、痛みに共感を示してくれているのだと口調でわかった。

で、奥に到達して終わりではなくて、戻りつつ中の様子を診察するのだ。

上行結腸、横行結腸、下行結腸スムーズに進むが、S字結腸に入ると、カメラの前をすぐに壁が塞いでしまう。

腸をまっすぐに伸ばしながらでないと、カメラに何も映らないのだ。

復路も、お腹を押されながら、呻きながらのものになった。

検査後、処置室のベッドでガスを出しながらうとうとした。腹の中のものを産ませろって気持ちが強く、ガスの大きな音も全く恥ずかしくない。

小一時間ののち、ドクターから診察結果を聞いた。

ちょっと意外なくらい、丁寧に説明してくれた。腸のことに詳しくなった。

私は子宮がない。とある病気全摘した。その病気に関連して内膜症がびっしりとできていたため、摘出手術のときに腸側もだいぶ焼いたと聞いている。

子宮があった空間には、S字結腸が降りてきて収まる。そして癒着する。

どんな形で癒着するかは運任せで、私の場合、折り畳まれたような状態でくっついてしまった。

ほとんど完全に塞がれたようになる人に比べると運がいい方だけど、構造的に非常に便秘になりやすい。あと、腸カメラが痛い。

レントゲンに下行結腸が細く写っていたのは、S字結腸が下に溜まって引っ張られていたから。

腸の中は何も異常なくきれい

私は以前に過敏性腸症候群便秘型と診断されたことがあったが、今回否定的という結果が出た。こういうこともカメラで分かるとは知らなかった。

カメラは痛くないものと考えて、ほとんどの人は問題ないと思う。でも、何らかのお腹の手術を受けたことのある人は、私みたいな目に遭うこともあるので担当医とよく相談した方がいい。

検査結果の紙に、

3年に一度程度大腸内視鏡検査を受けることを勧めます癒着があることを伝え、上手な先生にしてもらう事。

メモがあった。

上手い下手はともかく、次は絶対全身麻酔にしてもらう。あんな痛み二度とごめんだ。

2019-07-13

おすすめ虐待関連本

ママにもいえなかった… ミカエルルンドグレン、ウルフグスタフソン

虐待気づくべきこと、できること 全国養護教諭サークル協議会

子ども虐待 西澤 哲 ★オススメ

子どもへの性的虐待 森田 ゆり ★オススメ

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ドメスティック・バイオレンスや性暴力における援助のあり方 研究会報告 女性被害者に対して、援助者はとくに何を留意すべきか 女性のためのアジア平和国民基金 ★オススメ

レイプ二次被害を防ぐために 被害者回復を助ける7つのポイント 女性のためのアジア平和国民基金 ★オススメ

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暴力 読売新聞大阪本社社会部

境界パーソナリティアダルトチルドレン共依存愛着障害虐待によって高確率発症する)

境界パーソナリティ障害 (幻冬舎新書) 岡田尊司 ★オススメ

境界性人格障害(BPD)のすべて クライスマン,ジェロルド・J ★オススメ

境界パーソナリティ障害 疾患の全体像精神療法の基礎知識1 ★オススメ

境界パーソナリティ障害 疾患の全体像精神療法の基礎知識2 ★オススメ

境界性人格障害=BPD実践ワークブック はれものにさわるような毎日をすごしている方々のための具体的対処法 R.クリーガー

ボーダーライン 自己を見失う日本青年たち 町沢 静夫 ★オススメ

絆の病 境界パーソナリティ障害の克服 岡田尊司、咲セリ ★オススメ

死にたいままで生きています。 咲セリ ★オススメ

こころ科学 185(特集パーソナリティ障害現実スキーマ療法) ★オススメ

思春期病棟少女たち スザンナ ケイセン

戦争ストレス神経症 中井久夫加藤寛

あなた家族が心の病になったとき まわりの人はどう接したら良いのか? 久保田正春

愛着崩壊 岡田尊司 ★オススメ

愛着障害 岡田尊司 ★オススメ

アダルト・チルドレンの子どもたち もう一つの共依存世代 アン・W.スミス

アダルトチルドレン 愛されたい、愛せない 秋月 菜央

恋愛依存症 伊東 明 ★オススメ

「母と子」という病 高橋和巳 ★オススメ

共依存症 心のレッスン ★オススメ

共依存自己喪失の病 吉岡

依存症家族 斎藤学

人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション 小林桜児 ★オススメ

黙りこくる少女たち 教室中の「性」と「聖」

自分を傷つけずにはいられないー自傷から回復するためのヒント 松本俊彦

自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 1 生きづらさを理解し、こころ回復力を取り戻そう 伊藤絵美 ★オススメ

自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 2 生きづらさを理解し、こころ回復力を取り戻そう 伊藤絵美 ★オススメ

つらいと言えない人がマインドフルネススキーマ療法をやってみた。 伊藤絵美

マインドフルネス人間関係」の教科書アサーション・傾聴・マインドフルネス

過敏性腸症候群認知行動療法 脳腸相関の視点から ブレンダ・B・トナー ★オススメ

ケースワークの原則 F・P・バイステック ★オススメ

ケースワークの臨床技法―「援助関係」と「逆転移」の活用 尾崎新 ★オススメ

2019-05-06

腹が冷えてる

手のひらでへそ回り触ってみると手より冷たいんだけど

最近の暴食で下痢と屁でゴロゴロだったからかなぁ

左横向きに寝ると左下痛むし

過敏性腸症候群って前いわれたことも

今はどうだか、…、

2019-03-18

anond:20190318175551

トイレが近い原因として過敏性腸症候群や神経性頻尿などが考えられるけれどどちらもメンタルの不調が原因だから

もちろん他の病気が原因のこともあるだろうけれど、日常生活を一応普通に過ごせ、なおかつトイレの回数が多い病気となるとこのどちらかである可能性が高いと思う。

2019-03-01

生きるのがつらい

仕事に行けない

つらい、生きていたくない

精神科には2年通っている

家の近くに唯一あるクリニック

会話が難しいのでワードに2週間分の紆余曲折を詳らかに書いて毎回持っていったら、医者がぶち切れて「あなたと会話しているとムカつくから診察したくない」と言い出す

会話なんてしてない……

あれから2ヶ月、病気悪化する

家族からは以前通っていたクリニック(引っ越した)を勧められたが、ひとりで電車に乗るのはこわい

昼間の元気があるとき市役所相談したら保健所相談しろといわれた

保健所相談したら保険センター相談しろといわれた

保険センター相談したら誰がうちを紹介したんだ、といわれた

無料弁護士相談したら、ボイスレコーダーの中身を証拠に訴えればお金が取れるといわれた

行政への相談電話は、とても疲れてしまって、1,2件でしんどくなる

この間「あなたはムカつくから診察も診断もできないし、しない」と言った医者に、「だったら転院するから診断できる医者を紹介してくれ」と言ったら、「その医者自分で探すものだ」とキレられている。いつしか私は国も存在確認できていない超難病ということになっている

半年前に一度、頑張って別の病院に行ったことがある

そしたら、お薬手帳に書いてある以前アレルギー蕁麻疹だらけになった薬を出された

「これはアレルギーがでた事があります」と言ったら「1mgでアレルギーがでる訳がない。この薬を飲まなかったら以前の処方箋そっくりそのまま出す事しかしない」と言われた。とても怖かった。ただの薬依存から、飲めは治ると言われた。

頑張って飲んだら、その夜は喉の奥が痒くて溺れたみたいに息ができなくって、朝までのたうちまわった

それを話したら「それは思い込みパニック発作だ。パニックは5分で治るから薬は効かない。薬が効く頃には治っている」と言われた

肘の内側や喉の周りが真っ赤になってるのは気のせいで、前の病院の薬に依存しているからそんなアレルギーになるらしく、このクリニックのやり方が気に入らないなら他の病院を探せと言われた

日本精神科学会かにいる偉そうな肩書医者だった

ここに通うのはしんどいと思って、逃げてきて、また家の近くの病院に通い始めた

それから今に至る

診察拒否する医者には毎回「一度裏切ったのにまた戻ってきた」と罵られる

かといって他に当てがない

精神科は、相性があるから、と、皆くちにするからドクターショッピングが当たり前になっている

から医者患者をすてる

いっぱいいるから金には困らない

患者は治りたいだけで何時間も待つ

書いていて一緒治らないなと思った

死にたい

この時間帯は毎日死にたくなる

行政も、福祉も、職場も、社会も、医者も、助けてくれない

どうやったら生きられるのだろう

どうやったら普通に生きられるのだろう

週5日フルタイムで働けるようになりたい

外に出て散歩してみたい

買い出しを全部アマゾンにするのやめたい

昼に来る宗教NHK勧誘が怖い。この間はjcomもテレビがないのにテレビ電波を測定するとか通知してきた。

おはようからおやすみまでとは言わないから、困った時に助けてほしい

具体的には、電車に乗れないとき、お風呂入ったり洗濯したりができないとき

日雇いバイトも、とうに2ヶ月行けていない。一度どうしてもお腹が痛くなってしまってトイレに行かせてもらったら「あんたが平気でも他の人に感染するんだよ」と怒鳴られた。過敏性腸症候群なんだが……

めちゃくちゃだ。

ごめんなさい。聞き流して

一番つらいのは、こんな夜中に、ほぼ毎日死にたい理由が原因不明のまま泣き出す自分を、自分自身が持て余していること

電話をしたくても、たいていの人は寝ているし、その人は朝になれば仕事

世界で一番いらない層の死にたいなんか踏んでいってしまえ、私のことなんか捨ててしまえ、気にすんな、俺の屍こえて仕事いけ、もう本当に気にすんなよ、って顔してほんとは少し気にしてほしい、できたら助けてほしい、具体的には平日の昼に病院行くの付き添ってほしい。でも無理なの知ってるから言わない。迷惑かけるの知ってるから言えない

死にたくて死にたい理由もよくわからなくて、寝たら朝にまた何もかも嫌な気持ちで起きてを繰り返してる。しんどい

はてなの人はきびしいか相談するの怖いって思ってたんだけど、もう行き場がないよ、行き場がはてななんだなあ、って喜んだらいいのか嘆いたらいいのかわからない

自殺したい人の緊急ダイヤルがたいてい朝9時から17時までなので、世の中の自殺は昼が主流なんだろうか

自殺願望があって生産性もなくて、病気回復の見込みもわからない(医者は常にキレてて教えてくれない、高齢なのにキレやすいのは、私が嫌いだからだろうが、)

人間使い捨てって、色んなところで問題になるのに、有能な方が過労死するより、私が死んだ方がいいって思っても死ねない

苦しい

苦しくてどうにもならない

頑張って病院行くから、診察して、診断して、アレルギーがでない薬を下さい、それができないなら、私を診れる診療科目の先生を紹介して下さい、このお願いは、私が知らない間に、とても難しいお願いになってしまったらしい。生きることさえ赦されてなくて、真綿みたいに首を締める

2018-12-17

anond:20181217122805

IBS過敏性腸症候群)には、その症状によって「下痢IBS」、「便秘IBS」、「混合型IBS」、3つに分類できない「その他」の4タイプがあります。便の形状によって分類されます

以前、急性腸炎と診断された事はあった。

過敏性腸症候群は聞いた事はあったけど、自分がそれとは。

今度内科行った時に聞いて見るよ。

ありがと。

2018-12-16

入院するかもしれない

からよく高熱を出す子供だった。

小学生の頃よく吐いてしまい、親に迎えに来てもらうことなんて当たり前で、点滴を打った回数も覚えきれないほどだった。

中学生の頃に過敏性腸症候群で何時も無自覚にオナラをしてしまい、クラスメイトに遠巻きにされた。ファブリーズをかけられたこともある。

緊張するとお腹が痛くなり、運動神経がない(バレーのレシーブもできないレベルで)から体育が憂鬱で緊張するものになって、結果お腹が痛くなる。見学になったり保健室で休んだり。体育の先生には嫌われていたと思う。

3年生になると受験ストレスで体調を崩してしまった。自律神経がおかしくなった。3学期にはほぼ毎日早退。過呼吸をよく起こし、授業も受けられず先生には心配された。数少ない友達にも焦りから辛辣にあたってしまい、遊びに誘われることもなくなった。

受験は倍率2倍の高校入学でき、さて新生活だと意気込んでいたけれど、膨大な課題につき寝るのは12時、7時からの朝学ための5時起き、満員電車ストレスコンボ5月意識を失ってしまった。救急車で運ばれ、一体何が原因なのかと色々質問されたが結局はなにもわからなかった。親に心療内科に連れて行ってもらったけど、何もわからず。その1年はただ眠って過ごした。次の年になったら復学できるように祈ることしかできなかった。

結果から言うと、復学はできなかった。それどころか体調はもっと悪化した。体がそわそわと落ち着かず、ずっと吐いていたし、海にいけと何度も何度も幻聴が聞こえた。行ったけど何もなかったが。

そして1番最悪だったのは夜中に外に出ることだった。記憶にはないけれど、親によると雨の日の深夜2時に大きな通りの1歩手前でぼうと立っていたらしい。もしかしたら車に轢かれていたのかもしれないと思うと今でもぞっとする。

これはさすがにおかしいと心療内科先生相談、即日保護入院が決まった。一応と頭のレントゲンを撮って、肉体的な病気ではないと診断される。

そこから3ヶ月の精神病棟での入院生活が始まった。

私は隔離病棟に入れられた。

最初はずっとトイレで吐いて、歩き回らないと足が死んでしまいそうで、心臓が嫌に跳ねていた。落ち着きがなく、貰えないとは分かっていたけれど(一日2回4時間あけての薬だから)ナースステーションで何度も薬を強請った。

あとご飯が美味しくない。高齢者が多いから納得ではあるのだが、若い私はもっと洋食を出して欲しかった。しかも量が多くて食べ切れない。残したら食べた方がいいよと言われ、口に詰め込んだがすぐにトイレで吐いてしまった。

夜寝る頃になると相部屋の人がボソボソと呟き出す。お母さんごめんなさい、とか、なんでそんなことせないかんと、とか、あんたらが悪いから私はこうなったんだ、とか恨みつらみを一通り呟いて泣いていた。私は眠れなかった。

そんな生活にようやく慣れたのたとき仲良くなったのは自傷癖のある人(今後Aさんとする)と二重人格の人(今後Bさんとする)。どちらもいい人なんだけどBさんは被害妄想が酷く卑屈だった。

お見舞いに来た私の父(初対面)に突然「生きててごめんなさい」って言ったぐらい卑屈。3人で話している時に「私その話苦手なんでやめてくれませんか」とか言ってくるしAさんと話してたところ入ってきて「私の悪口ですよねすみません」って言って勘弁してくれって思った。「私年下の子を見ると嫌悪を感じるんですよね」私もその時精神的に不安定だったからしんどくて。私も年上の方と話すの苦手です、ぐらいしか言えなかった。とある日、ふいに人格が現れた。どうやら主人格のお兄さんらしい。暇すぎて何往復もしていた短い廊下で呼び止められ「こいつお前の社交性があって素直な性格嫌いだから」って言われてそうなんだ…とちょっとだけ傷ついた。

1ヶ月経たころ、人数の関係で病室移動。アルコール依存症かつ躁鬱病の人、統合失調症の人、夫に自殺きっかけに鬱になってしまった人と相部屋になった。色々身の上話をし合って、色んな人がいるんだなあと思った。

今日は眠れなかった」は挨拶みたいなもので、決して不健康アピールではないのだと知った。

いきなり叫び始めて八つ当たりし始めたおばあさん、食後お腹痛くなったらしくて看護師さんに「ご飯に毒を盛りましたよね」とか言ってる人などもいた。

私はパーキンソンの症状が出て体の震えが止まらなくて常に視線が上を向いて口から泡が出そうになった。夜になっても眠れない時に看護師さんに言ったら「我慢出来るならしてほしい。皆そうだから」って言われた。あいにく土日を挟んでいたので、その2日間はその状態が続いた。出勤してきた主治医に症状が辛いから何とかしてくれと頼んだら「えっ、なんで」との反応。パーキンソンの薬はちゃんと出すように言ってあるとのこと。「あー、薬が切れてるみたいですね…ナースセンターにっと言っときますね」っていう明らかに病院側の過失だった。

特に謝られることもなく薬は出された。飲んだら治ったから、まぁ、よしとしよう。

入院して3ヶ月目、高校はどうするかのはなしに。さすがにこれ以上留年するのは…と思い通信制高校を探し始めた。

退院間近になると外泊や外出で外からの刺激を受けて大丈夫かどうかのテストをした。そこで何も無ければOK。私はポケモン映画を見に行った。

何も無かったから無事に退院することが出来た。

退院してからはなるべく刺激を受けないように、テレビ動画を見ないようにと忠告された。眠たくて眠たくて、昼も夜もひたすらに寝ていた。

すると指で広げないと目が開かないという状況に。眼科に行ったけど、ドライアイの薬しか貰えなかった。

通信制高校は登校が楽そうなところを選んだ。暫くはゆったりとそこに通っていた。しかし今年の2月悪夢をよく見るようになった。人を殺す、人が死ぬ自分が殺される、など。しかもどれもがリアルで起きた時に感覚が残っていた。首が痛かったり、虫が肌を這いずる感覚があったり。

それがきっかけだったのか、私は記憶をなくした。

小学4年生から記憶がなくなっていたのだ。朝起きると難しい漢字が読めない。上手く計算もできない。けれど記憶をなくしたのは3週間程度だった。よかった。

記憶が戻った今も精神年齢は10歳な気がする。その頃から家族に、それこそ子供のように甘えるようになった。

それからはまた家でのんびりしたり登校したりしてゆったりと暮らしていた。開かない目のことが気がかりだったが。

しばらくすると6月になって、また幻聴が聞こえ始めた。今度はひたすらにしねしねしねと耳元で囁かれるような幻聴

鬱が酷くなる。

それからは高い建物を見るとあそこから落ちたら死ぬかな、風呂に入ってるとここで寝たら溺れるのかな、睡眠導入剤をたくさん飲んだら眠るように息絶えるのかなとずっと死ぬパターン妄想していた。

そこで現れたのはヒョウモントカゲモドキ

ペットショップ一目惚れをした。元々爬虫類が大好きな私にとってその子はとても魅力的に感じた。親と相談して買ってもらい、毎日かごを眺めるようになった。すると生活が一変する。ヒョウモンに餌をあげるために、と義務感が湧いていたのか、今まで夜型だった生活から夜8時に寝て朝4時に起きるようになったのだ。毎日3食、十分な睡眠時間の確保など健康的な生活を送ることが出来た。

そうなると気になってくるのはやはり目が開かないこと。神経内科はどうだろうかと主治医に言われ、紹介状を書いてもらい行ってみた。結果は特に異常なし。それを主治医に報告すると、もしかしたら薬が悪いのかもしれない、とのこと。あまり主流じゃない副作用から確信は持てないけれど、これ(薬の名前は忘れた)減らしますねと薬を出された。それから体調が悪くなった。吐いて寝込んで精神的に不安定になって泣き出して。1週間後に予約を入れたのでふらふらとしながらも病院へ。目は開かない、具合は悪い、最悪な状況だった。次の薬で良くならなかったら入院してもらいますね、と薬の量を増やして服用している。

それで今日に至るのだが、目は開くようになった。吐き気もない。ただ睡眠時間が狂ってるだけ。

これは入院しなくていいのだろうか。そう思う午前1時。

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