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2018-02-20

人として好きなのか恋愛として好きなのか分からない

私はアラサーOL

 

好きな人がいる。

その人は同じくアラサー男性

好き。とっても好き。

でもその「好き」が人としてなのか、恋愛としてなのかが自分ではよく分からない。

 

その人は数年来の友達で、ことあるごとに飲み、相談に乗ってもらったり、愚痴を聞いたり聞いてもらったり。

いつも複数で飲むだけだったけど、最近はじめて二人で会った。楽しかった。

 

私が彼について思ってること

①また二人で会いたい。

もっと会話をして、その人のことを知りたいし、私のことも知ってもらいたい。

尊敬できる部分があって、年が近いのにすごいな、見習いたい。

④何かあったとき相談に乗ってもらいたい。

⑤私は料理をするのが好きなんだけど、その人にごはんを作ってあげたい。

末永く仲良くしたいから、恋愛関係にならないほうがいいかも、と思ってる。

⑦でも、一番近い存在として、恋人になりたいなとも思う。

⑧彼が仕事遠くへ引っ越ししまうかも?という案件があるんだけど、嫌だ。

⑨でも、彼のスキルアップキャリアアップにつながるのなら応援したい気もする。

⑩彼の好きなタイプ自分とはかけ離れた女性だと知ってちょっとショックだった。

 

どうなんだろう。

私には恋愛として好きなように見える。

恋愛については私は積極的なほうだけど、今回はあまり自分からアクションを起こしていない。

長いこと友達だったから、気が引けてるのかもしれない。

 

人として好きっていうのと恋愛感情ってどうやって区別をつけるものなのかな。

どうやって判断すればいいのかな

2018-02-13

anond:20180213013518

親に育て方間違えたとか大学入らなきゃ良かったなとか言われるけど

そんな親は捨ててしまえ!

から自由に生きたまえ。

増田人生は親のものじゃない、増田自身のものから、遠慮は要らない、自由に羽ばたけ。

まずは、海外旅行とくに春以降のイタリアアメリカ西海岸おすすめする。あと意外とロンドンもいいかもな。

言葉が分からなくて心配ならツアーがいいぞ、楽だ。

 

行き詰ったら旅にでるといい。なるべく遠くへ

2018-02-10

とにかくゆっくり出来る旅2018、腰が重い1、無駄

ゆっくりしようぜ!

ちんたら荷造りして、とろとろ鈍行で遠くへいって、宿着いたらゴロゴロして、上げ膳据え膳でだらだら呑み食いして、ぬる湯に脳髄ふやけるまでゆっくり浸かって、髪乾くまで黙ってひたすら扇風機にあたって、部屋のミニ冷蔵庫開けていつまでもちびちび酒啜りながら夜空眺めて、じっくり温いセックスして、目覚ましかけずにぐっすり寝る、起きても布団の中でゆっくりしてて、熱い朝風呂で目を瞑って目を覚ましてるんだか何なんだか、朝食の納豆いつもより多めにかき混ぜたりする時間だってある、そんで日が高くなったこにゆっくり帰ってこよう、土産駄菓子なんか食べたりしながら

2018-02-02

高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。

しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかいかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビング数学課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。

その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。

そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。

そしてその人が通っていた難関大学志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死勉強した。


次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部院生で(院生から学部おかしいか)俺は文系比較偏差値が低い方だ。

それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったか約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメール告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションエントランスで話して、付き合うことになった。


それから彼女卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼント背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。

冬が過ぎ、また春がきて、彼女就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。

学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。

それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。

箱根に泊まり旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。

本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。

それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位結構取り落としていた。それからまた大学バイトゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。

就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女就職した会社ブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。

そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばいそもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手いるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。

電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。

突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。


そんな彼女明日結婚します。

2018-01-26

anond:20180126020432

休日、本を数冊持って、二三日外で暮らしても足りるぐらいのお金を財布に入れて、電車でどこか遠くへ遠くへ行く。

一応、連絡手段としてスマホは持つけど、基本バッグに入れっぱなし。

から出かけて、夜に帰ってくる。翌日も休みならどこかに一泊してもいい。替えの服も一泊くらいなら下着だけでいいし、荷物も少なくて済む。

そうすると、ずーっと本にしか触れられない貴重な時間が出来上がる。

読むのに疲れたら、車窓がある。遠くへ行けば行くほど、知らない車窓が待っている。

車窓にも飽きたら、適当な駅で降りてもいい。腹ごしらえに近くの定食屋に入ってもいい。座りすぎてお尻が痛くなったら、知らない街並みを歩いてみるのもいい。

とにかく、物理的に日常範囲から遠ざかる。何か違う自分が見えてくる。

本は、そういうときけがえのないものになる。

2018-01-18

ピザが食べたい

さっき昼飯を食べたばかりなので、今はビタイチ食べたくないんだけど、いつか食べたくなる。

単に腹が減っただけなら、ピザよりも先に食いたくなるものがたくさんあって、ピザ選択する機会はまずないけど、それでもいつか食べたくなる。

具体的に言えば、ダイニングバーとかでみんなでワイワイガヤガヤ騒がしく盛り上がっていると、誰かがピザを頼んだりして、本当にそういう時にしか飲まないジャックコークと一緒にピザを食べたい。

いつも行っていたあの店もなくなってしまったし、あのころの仲間も結婚したり、遠くへ行ったり、死んでしまったりでそろうことが

ないのだけど、そして僕自身仕事と家庭と住宅ローンに追われて友達と飲みに行くこともまったくなくなってしまったのだけど。

似たような店に入ってもかつての僕たちのような一党が楽しく、騒いでいて、もう僕の来る場所じゃないと痛感させられるのだけど。

あの時の安っぽいピザがいつか無性に食べたくなるとわかっている。

そして、それがどうしようもない郷愁であることもわかっている。

2017-12-12

消えてしまいたいと時々思う

時たま全部が面倒になって、どこか遠くへ消えてしまいたい、休みたいという気持ちになる。

そこそこの会社に勤めてそこそこのお給料を貰って彼女もいるんだけど、

仕事のことにしても彼女のことにしても、なんか嫌なことがあるとすぐ逃げ出したくなる。

転職したってたぶん同じような気持ちになるだろう。会社を休んでも変わらないだろう。

何をしても満たされない。何かが足りない。何が足りないのかわからないけど。

今そんな気持ち。たまにぶっ倒れて意識不明のまましばらく入院したいって思ってしま自分もいて、

何かがやばいんだろうけど実際に何がやばいのか全くわからない状況だ。

この不安とかモヤモヤを、部分的には相談できる人は何人かいるけど、

全部相談できる人間は誰もいないから、それもそれでつらい。

ストロングゼロが手っ取り早そうだけど、僕は酒が飲めない。

どうしたらいいんだろうか。

2017-12-09

「おまえがストロングゼロを知らなくても、ストロングゼロ

そのとき、コウスケのiPhone7が鳴った。俺も一緒に買いについていったから覚えている。そのときはなぜだか頭の奥では一瞬冷静になってそんなことを考えていた。考えていたというか、自分をどこか観察していたというか。コウスケは画面を見るなり、電話に出ながら部屋の奥へと戻っていった。これは今でもふと思うけれど、俺はそこでそうすべきじゃなかったのかもしれない。けれども俺が選んだ行動は、コウスケの後ろ姿を眺めドアが閉まるのに任せたあと、自宅へ戻ることだった。その日以降コウスケから連絡がくることはなかった、俺もこちからとることはしなかった。気づいた頃にはもう遅かった。正確には、その日から俺はコウスケの姿すら見ていない。大家によると、あの日の翌日には空っぽになっていたそうだ。

***

イズミと会ったのは、高1になってすぐの頃だった。といっても最初はすれ違った程度だけど。初めて話したのは高2になってからだった。タクヤイズミが話してて、俺は偶然通りかかったついでにタクヤに話しかけた。もちろんイズミが気になってたからなんだけど。そしたらイズミが「ねえ、君、イトウくんでしょ」って言ってきた。イズミは初めから適当だった。俺の名前イトウじゃなかった。けれどもそのときは、俺もノリで「おう」と応えた。その日から俺はイトウくんと呼ばれるようになった。イズミが俺の本当の名前を本当は知ってたのか、知らなかったのかは今でも知らない。他称イトウの恋は8月の大爆発と一緒にどこか遠くへ行ってしまった。タクヤが泣いていたのを思い出す。思えばその頃から歯車は狂い始めていたんだろう。あのとき俺がイズミを誘わなければ。

https://anond.hatelabo.jp/20171208141640

2017-12-04

慎重に転職

35歳

給与29万円(額面)

既婚(子なし)

VBAがほんのちょっと使える

マネジメント経験無し


家庭の事情遠くへ引っ越さなければならなくなった。必然的転職となる。

こんな経歴で出きる仕事なんて限られている。

慎重に選ばなければいけないが、そんな悠長なことも言っていられない。

2017-11-30

猫のような男の話

ここ1ヶ月ほど、猫のような男を飼っている。

二つ歳下の、職場部署の違う後輩。

最初は、会えば少し話をするだけのただの先輩後輩関係だったはずだった。同じ出先の仕事を任されたことがきっかけで、ふたりで数回ご飯を食べた。そのまま酔った勢い我が家にあげたのが、思い返せば「先輩と後輩」の道から逸れ始めた原因だったのだろう。あの選択肢が間違いだった。

少しずつじわじわと既成事実を積み上げて、敢えて表現するとしたら「都合のいい男」と「都合のいい女」の関係になった。余計な言葉は何もなくて、彼は私が呼べばうちに来たし、呼ばなくても来た。彼の住む古びた木造アパートは今時期凍えるほど寒くて、「ここの部屋は人がいるし鉄筋コンクリートだし暖かい」などとのたまいながら、私のアパートの部屋で私のジャージを着込んで、私の買ってきた缶ビールを片手に私の用意した夕飯を食べ、気が向いたら時々私を抱き、そして我が家で寝て我が家から職場へ向かった。

私は私で頼られたり拠り所にされたり尽くしたりすることはやぶさかではなかったし、私自身しばらく男女の関係というものがご無沙汰だったこともあり、名前がついていなかったとしても、この関係性は嫌いではなかった。時にはでろでろに甘やかしてくれたし、時には頼りになって、案外この関係を楽しんでいる自分がいた。それは分かっていた。

私にはタイムリミットがあった。

この年末で今の職場ーーー彼と同じ職場からの異動が決まっていた。それは彼が我が家に居着き始めたころとほぼ同時に確定していた話で、もちろん彼もそれを(社内公示よりもずっと先に)知っていたし、異動と同時に私がこのアパートを引き払って、遠くへ引っ越すことも把握していた。

まり、この関係はあと1ヶ月もしないうちに決着をつけなければいけないという、暗黙の終着点が設置されている上でのスタートだった。もちろんお互いそれを理解した上でこの関係性を良しとしていたし、正直に告白すると、私はそのことを出来るだけ考えないようにしていた。それを口に出してしまうと、猫のような彼はきっと我が家に出入りしなくなると思っていたからだ。

彼は、首輪のついた猫だった。

あくまでも、その首輪は私のものではない。

彼はどこまでも自分時間リズムで生きていたし、私よりもずっと「自分」を持っている人間だった。自分に自信がなく、周りに流されて他人の目を気にして生きていた私は、彼の生き方や考え方そのもの目から鱗だったし、自分真逆人生を歩んでいるような彼は、泥のように見窄らしく「自分」のない私には、あまりにも眩しかった。

でも「自分」がありすぎる彼に付き合うのは私にとって時々大変だったし、そこそこ気も使いつつ、柄にもなく彼に合わせるために多少の背伸びもした。

でもそれすら楽しいと思っていた。浮かれていたのだろう、たぶん。でも長く付き合ったらお互い疲弊するのだろうな、とは薄々感じてはいたが、見て見ぬ振りをした。

昨晩、またも酔った勢いで、つるっと口を滑らせた。

きっかけは些細なすれ違いだった。何かをしたとかしないとか、そんな程度のことだったと思う。

それでも私は口にしてしまったのだ。

私は君の何なの、と。

その瞬間、彼の時が止まったし、それを見た私も口にしたことをひどく後悔した。

それはこの1ヶ月避け続けていた言葉だった。名前のない関係名前をつけろと言ってしまったのだから

彼は言葉を選びつつ静かに言った。

「いつかはそう言われる日が来ると思っていた」

そこから先の空気は最悪だった。深夜1時。翌日彼は仕事で、お互い静かに背を向けて、お互い静かに寝た。昼間ははしゃぎながら遠出をして、おいしいご飯を食べていたのに、数時間後はお通夜だった。

今朝、彼は休みで早くから起きなかった私の耳元で、「ごめん」と謝罪言葉を小さく口にして家を出て行った。荷物をまとめて出ていくかと思ったら、なぜかすべて置いて行った。

昨晩の結論は、まだ出ていない。

先程、彼からの連絡が来ていた。

きっと今晩も彼は我が家の門を叩くし、私は冷えたビールと夕ご飯を用意して彼のことを出迎えるのだろう。それでもパンドラの箱に手をかけてしまたことは間違いない。昨晩のことは常に心に引っかかっていていたとしても、それでも必死に見て見ぬ振りをして、お互いこの中途半端関係に甘えて束の間の夢を見るのだ。

私が異動してこのアパートを去るまで、あと1ヶ月弱。

あの猫の首輪は、きっと私のものにはならない。

2017-10-26

[]10月25日

ホテル徒歩圏内出張だと

終電も始発も関係なく朝の4時からこの時間までというような仕事になるから電車って偉大だな

電車ってすげえな

地元に帰ったら電車感謝しよう

サンキュー近鉄

マジ感謝近鉄

なんなら乗り鉄になろう

電車乗って遠くへ行こう

津田美波の遠く遠くって曲あるじゃ無いですか

あれを歌いながら電車乗って

あれ?

この歌歌うとまた東京に行っちゃいそうな気がするね

はーあ、言っとくけどさ、目覚まし時計も昔の恋人も一切非はないのだから、物に当たるなよな

種田梨沙さんおめでとう!

あれ、種田梨沙さんがキスティーで、伊福部崇さんにキックしたんだっけ?

そうえばさ、未だにライトニングスカーレットに何があったのかイマイチ把握できていないから誰かわかりやすく教えてほしいな

ソウルキッチンっていう映画が好きなんだけどNetflixにあるね

お家帰ったら見るんだー

木曜と金曜日の残り2日なので張り切りマンだぜー

2017-10-14

山岡ミヤ『光点』の感想

すばる文学賞受賞作
山岡ミヤ『光点』

実以子のこと

主人公の実以子の名前は一文字ずつ指でなぞらないとうまく漢字変換できない
そしてそのもどかしさに呼応するように、彼女自身自分のことをうまく表現することができない。
両親に対しても一言一言飲み込むように話をすることしかできず、その不器用さが母親理想を外れ彼女を更に追い込んでしまう。

実以子に対してはがゆさを僕らがより感じさせられるのは、彼女によって語られている地の文が多分に豊かで鮮やかなところ。
彼女自身言葉で綴られるその言葉は、美しいものもそうでないもの等価値で、控えめな色彩が空気の透明さを際立たせる。
しかしこのあふれる語彙たちはどうやっても、今の実以子からこぼれることはできないのだろう。
また、つい自分の興味の方へ流されてしまうその語り口は、彼女純粋さと同時にどこか未成熟さを感じさせる。
19歳にしては幼い。それは彼女の祈りが〈祈るかたち〉にしかならないこととも無関係ではないように思う。

祈るかたちはいわゆる二礼二拍手一礼のかたちだけを抜き出したもの
言葉と同じように祈ることもうまくできない実以子が、神前でなぜ祈るかたちを繰り返すのか、明確には描かれない。

神さまを信じることと祈ることは別である彼女は言う。信じなくても祈ることはあると。
しかしそれについて話す彼女言葉はいつも心もとない。
繰り返される、信じる、祈るというモチーフはそのたびにゆらぎ、確かさを失っていく。

祈りというもの希望産物ではないだろうか。
僕らが何かを祈る時、そこには想いや願いや目標がある。
時には自分の変化を、時には何かから恩恵を、僕らは合わせた手と額の間から上のような前のような何処か遠くへ届くように祈りを捧げる。
届く先が神さまなのかそれはわからないけれど、その先のものを信じて僕たちは呼吸を止めて祈りを捧げることができる。

閉鎖された町、変わらない毎日、それに満足しているわけではないが、変化を起こす術を彼女は知らない。
父親からの家をでたいと思うかという質問に驚くことがあっても、答えを持ち合わせていない彼女こころは外の世界にはまったく向いておらず、自分のことに切羽詰まらない実以子は挫折もない代わりにまだ本当の希望も知らないのだろう。

実以子はさいごにたったひとつ自分言葉を口に出す。
それを言うために来たというそ言葉は、おそらく音になる前に失くしてしまった方が多いのだろうけれど、これは確かに彼女が起こした最初の変化なのではないか

「どうしても祈りたいなにかを、ひどく祈っているように見える」祈るかたちは、繰り返すほどに祈りに近づくのかもしれない。
しかしそれは彼女求めない限り本ものの祈りにはならない。

そして結局その祈りを、叶えるのは自分自身しかないことを大人になった僕らは知っている。
僕らにとっての祈りは、未来自分への誓いとほぼ同意である
その覚悟の片鱗をまだ強くはないけれどさいごの実以子には見ることができる、気がする。

選評のひとつには暗い話と記されている。
しかにうねるような展開や、抱きしめたくなるような感動は存在しない。
しかし閉鎖感のある言葉ばかりで綴られるこの世界は、不思議なことに重苦しさや圧迫感は感じられず、僕らの記憶にはっきりと影を落とす。
それは語り手である実以子がこの世界に決して絶望しておらず、この物語は実以子が確かに、それは大きくないかもしれないが、先へ進むことがわかるからであろう。

いくつかの断片が組み合わさるラストは秀逸と言える。読了後しばらくは空調の設定がおかしいのではと思った。
山岡ミヤ『光点』は冷え込みで服の選択に迷う今にあっているかもしれない。

第四十一回 すばる文学賞

2017-10-12

まさか友達とすれ違った増田酢魔たっが地レスト千田もとか様(回文

千田とかちゃんって

ありそうな名前よねと調べてみたけど、

誰も出てこなかったので大丈夫よね。

おぎやはぎさんの「有名人じゃない名前を言うゲーム」で

言ってもいいレヴェルね。

そんな千田ちゃんと

バッタリ街ですれ違ったみたいなのよね。

私の目の前通っていって、

しかしたら千田ちゃん?って思ったけど

もう5~6年も会ってないか

似た人がいるもんだなぁ~

武田鉄矢

思えば遠くへ来たもんだばりに思ったんだけど、

声は掛けなかったのね。

そしたら、

しばらくして

フェイスブックメッセージ

「さっきすれ違ったでしょ!久しぶり」って

来ててちょっと笑っちゃったわ。

やっぱその時声かければよかったけど

まさか千田ちゃんとはね。

今度ばったり出会ったら

ランチ一緒にしてみようかしらね

うふふ。


今日朝ご飯

ひょっとして炭水化物って

そんなに摂取しなくてもいいんじゃない?と思う今日この頃

実際はどうなのかしら?

そんな低炭水化物摂取を目指してみようと思って食べる

ゆで玉子よ。

最近それにハマってるわ。

しばらく様子と見てみるとしましょう。

痩せたらいいわね。

デトックスウォーター

グリーン緑茶ウォーラーも季節柄終わりかなと思った矢先

また暑くなってきたので、

ちょっとまだ継続ね。

この時期の寒暖の差は油断大敵よっ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-10-06

anond:20171006145105

何も反応が無いってことは、どこか遠くへ旅立ってもう帰ってこないかもしれない…

貴重な新人を!!貴様!!

2017-09-14

評判イマイチアニメ映画観たらピンポイント直撃を食らい時が飛んだ

子供の頃、大好きな女の子がいたんだ。

俺はあの子のことが、本当に、本当に大好きだった。

でもあの頃はそれの正体がよくわからなくて、なんて言ったらいいのかもよくわからなくて、結局、俺は最後まであの子自分気持ちを伝えることができなかった。

中学1年の夏休み、あの子は家庭の事情で突然住んでいた街から引っ越していくことになって、終業式の日に教室で見た姿があの子についての最後の思い出になった。


あれからずいぶん時間が経って大人になり、人生の大きな選択みたいなこともいくつかあったけれど、事あるごとに「もしも」「あの時ああしていたら」というようなことを考えることがあると、真っ先にあの中学1年の終業式の日のことを思い出すんだよね。

あの時、あの子に「好きだ」と言えていたらって、その頃の中学1年生によくありがちっぽい、そんなささやか出来事を考えてしまうんだよ。

別に、もしそのもしもが叶っていたとしても、きっと何も変わらないんだとは思う。あの子は何も変わらずあと何日かしたら遠くへ引っ越していくし、そのあと何ができたわけでもないんだろう。でもあの時、俺はあまりに幼くて、かっこ悪くて、無力だったよ。

の子小学校の真ん中くらいの時に転校してきて、それからずっと同じクラスだったんだ。

まり女の子友達がいなかったけれど、あの子とはその時からとても気が合ってよく一緒に遊んだ。俺の小さな世界にいる数少ない女の子だった。

きりっとした綺麗な顔立ちで、ちょっと気が強くてお姉さん肌の明るい女の子だった。実際、同級生だったけどほぼ1年誕生日が早かったあの子はいつも少しだけオトナで、俺はよく背伸びをしていた気がする。それこそ13歳のとき奥菜恵みたいな誰から見ても完全無欠な美少女、というわけではなかったとは思うんだけど、間違いなく、俺にとっては世界で一番の女の子だったんだよね。

そうこうしているうちに中学生になったんだけど、入学式に行って最初確認したのは、あの子がどこのクラスにいるのかだったのを覚えている。

の子は俺と同じクラスだった。その頃地域マンモス校だった中学校で1学年9クラスもあるのに、同じところに一緒に名前が載っていて、嬉しかったのもあるけど、なんだかとても安心してしまったのも覚えている。ああ、これから不安もあるけど、きっと、2年生になっても、3年生になってもまた一緒のクラスになるんだ、なんてなんとなくぼんやりと思ってた。

1学期の間、あの子とは隣同士の席になった。なんだろう、子供だった俺はその状況に満足して、当然のように思って、そしてそれ以上何かをするということは無かった。学校に行って、好きな漫画アニメの話なんかを話して、ずっとこの席にいられたらいいななんて思ってた。

俺があの子のことが好きなことは、おそらくクラス中にバレていた。同じ小学校から来た友達もいたし、何より俺がずっと隣の席を見ていたからだ。

でも、そんな日は長く続かなかったんだよね。

あと一週間で夏休みだ、となった7月の半ば、俺はあの子の様子がなんとなくおかしいことに気づいて、とんでもなく不安気持ちになっていた。

急に態度が冷たくなった、とかそういうことは一切なくて、その逆のことが起こっていた。終業式の数日前からいつになくいろんなことを話しかけてきた。初めて会ったころのことや、小学校林間学校ときのことを話した。何か、とても嫌な予感がした。

終業式の前の日の放課後に家に帰ろうとしていると、掃除当番だったあの子が後ろから

掃除、一緒に手伝ってよ!」

と言い、俺のシャツの裾をギュッと掴んで引っ張った。

一瞬時間が止まった気がしたよね。あの感触を、今でもありありと鮮明に覚えている。

絵に書いたようなお約束少年だった俺は、たぶん嫌だよヘヘーン、みたいなことを言って、あの子から逃げた。

クラスの他の女子からなんかヒューヒューと茶化された。廊下に出ると、心臓バクバクしていた。

俺は教室の前の廊下で前の入り口と後ろの入り口の間を5往復くらいウロウロして、やっぱり教室に戻れなくて逃げるように帰った。

そんな日々はその次の日に、映画みたいな出来事もなく、あっけなく終わった。

終業式のホームルーム担任先生はあの子を黒板の前に呼び出して、突然ですがご家庭の都合で転校することになりました、と紹介した。

本人の希望があって、今までお知らせしていませんでした。


なんとなく薄々様子がおかしいことに感づいていたから、動揺はしなかった、フリを全力でした。

の子のことを見ることができなくて、礼が終わった瞬間隣の教室にやっぱり逃げるように入った。特に用事は無かったのにね。頭が真っ白だった。

隣の教室でぐだぐだしていると、小学校とき一緒のクラスだったちょっとおませなお節介焼きの女子がやってきて、俺を見るなりあんた何やってんの、あの子にちゃんと自分気持ち伝えて来たんでしょうね?ちゃんと告白してこいよ、後悔するぞとかなんとか言いやがった。12歳の世界において、女子男子よりもだいぶオトナだと思い知らされたね。

その時俺が口走った言葉を思い出すと我ながらひどすぎて死にたくなるんだけども、確かこんなことを言った。はぁ!?ばっかじゃねーの!?やめろよ、そんなんじゃねーよ。

って、漫画かよ。今でも死にたくなってくるよ。

でも、それもそうかとなんとか思い返して、人影もまばらになってきた自分教室エイヤーと戻った。

この日が最後だったあの子は、まだ教室にいた。

が、それとあと2人くらい、普段まり話したことのない女子が何やら残念だねと話していた。

そこで俺は黒板の前にバン、と立って、ちょっといか今日は俺と一緒に帰ろうぜ!

と言い放つ妄想をあとから何度もしたのだけれど、現実の俺はそんなことはなくて、2人の女子に怯んでまた廊下に出てしまい、やっぱり前のドアと後ろのドアの間をウロウロウロウロとしていた。

そうしていると、友達が通りかかって、何やってんの帰ろうぜ、と言った。

お、おう、そうだねみたいなことを言って、学校を出た。

それが、あの子を見た最後だったよ。


帰る途中、意味もなく遠回りをした。また、とんでもなく受動的なバッタリに一縷の望みを掛けていた気がするけど、すぐに忘れようともしていた。

その友達が、ああそういやあの子転校するんだろ?と言ってきた。ああ、そうみたいだね。と答えたら、ふーん、と返ってきた。そいつになぜか無性に腹が立った。彼は別に何も悪いことしてないんだけども。

歩きながら、無理やり色々なことを考えて納得しようとした。そうだよ、そんなどうせあと何日かでいなくなるのに、今更何か変なこと言ったって迷惑だ。俺の自分勝手だ。そうだ、どうにもならないんだから、何も言わないのが正しいのだ。だから、これでいいんだ。とかなんとか。

映画を観ていたら、アタマがあの頃に飛んでいた。

何もできなかった。あまり子供で、勇気が無くて、情けなくて、後悔とも無念ともなんとも言えなくて、ほろ苦いというか、苦かった。

あの時こうしていれば、って何度も何度も繰り返して、何パターンものルート妄想した、そんな10代の時間だったよ。

大したことじゃないってことはわかってるんだよ。誰にだってあることで、よくあることで、ちっぽけなことだよ。

でも、12歳の心の風景っていうのはとても、とても不安定ものなんだよね。オトナでも子供でも無くて、気持ちだけそこにあるけれど、どうしていいのかわからないんだよね。イマドキの中学生はまた違うんだろうなっていう気もするのだけれど、少なくともあの頃の12歳はそんな感じだった、きっと。

別にとんでもない大事件なんか起きなかった。宇宙人も、未来人も、超能力者も出てこないし、況してや隕石が落ちてくるようなことなんてないし。

でも、12歳の世界にとって、好きな女の子に「好きだ」って言えるかどうかっていうのは、時に隕石が落ちてくるよりも大きな問題だったりすることもあるんだな。

あの頃の、あの「純度100%の『好き』のカタマリ」って一体なんなんだろうな。

なぜそうなのかという理由も問わず、えろい下心もなく、ただただ純粋な何かだった。あの頃のあれと同じ気持ちって、一生戻ってくることは無いんだろうな。

そんなことを考えていた。


インターネットの普及した現代のせいだ。俺はムクムクと出来心が湧き上がって、ついFacebookを立ち上げて、検索窓にあの子名前入力してしまった。

便利な社会残酷だ。もの10秒だった。この長い長い時間は何だったんだっていうくらいあっという間に、あの子がそこに存在しているのが見つかった。

どこからどう見ても、間違えるはずもなく俺が知っているあの子の顔がそこにあった。

あの時の歳の何倍もの時間が経って相応の歳の女性になってはいたけれど、変わらずちょっと気が強そうな美人だった。

その写真を見て、今まで薄々感じながら自分に気づかないフリをしていたことにやっぱり気づいてしまった。

俺はどうやらその後の人生において、好みのタイプだとか、好きな芸能人だとか、そういった気持ち基準が、すべてあの子になっていて、いつも面影を追いかけていた。


の子は、独身だった。

からだっていうことはない。

そんなことをしていたらハッと我に返って、今度はとても自分気持ち悪くなって、そっとその画面を閉じ、Facebook検索履歴を消した。

子供の頃、初めてあの子の家に遊びに行った時に一緒にコースを作って遊んだエキサイトバイクのプイーンというBターボの音と、出してもらった麦茶の味と、あの日グイッと引っ張られたシャツの裾の感覚がぐるぐると回って、それからゆっくりと消えていった気がした。

もう、検索することはきっと二度と無いだろう。


そんなこんなで挙動不審になりながら「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を3日連続で観に行こうとしていたら、今年中学1年生の息子が、あーあれ俺も観たいんだ、一緒に行くわとかなんとか言ってついてきた。

映画を観終わったら、息子が

「何だよ、めっちゃいい映画じゃんか。何で評判イマイチなんだよ。俺すげー好きだよこれ。」

と言った。


オッケー、わかったよ。

君がそういうなら、俺はもう、それでいいよ。

2017-08-16

絵文字とemoji

Is it OK to use black emojis and gifs?

http://www.bbc.com/news/av/world-40931479/is-it-ok-to-use-black-emojis-and-gifs

絵文字がemojiになった頃

日本向けに偏りすぎてて差別になりかねないからと色々議論して調整して、漫画表現もあまり理解されないか説明して…って苦労話を読み、

とぐろまいたうんこうんことして広く通用するようになってて笑い、

肌の色や同性カップルシングルマザーファザーの家族スカーフ被ったムスリム女の子や色々なものが追加されるのをそうだよなあと納得し、

今日黒人以外が黒人絵文字(やリアクションgif)を安易に使うのはデジタルブラックフェイスで良くないってオピニオンを読み…

だいぶ遠くへきたもんだなと肌の色など存在しなかった白黒液晶絵文字を思い出していた。ポケベルの。

ちなみにBBCのこの記事ツイッターリプライは反発で黒人gif絵文字で溢れかえっている。

果たして定着するのかな。

2017-08-12

30歳から手帳人生設計

私はもうアラフォーですが人生設計ぼんやりしています。けれど手帳を書きあれこれと考えるのは好きです。手帳を持ち、日々の出来事や予定を管理するようになったのは30になる少し前からです。読み返したりすると、この日に何をしていたか、誰といたか、何を感じたかいくら使ったかを把握出来るので楽しいです。それを活かして、今度はこうやってみようかと考えて1人でニヤニヤしている週末の時間が好きです。ふと、中学生くらいか手帳を書く習慣があったなら、もっとしかっただろうなぁと思うことがありますアラフォーだと予定もある程度固定してきますし、時間も確保しづらく、出会いも減り、遊ぶ相手も減っていきますタイムマシンがあったなら過去自分手帳を渡して、使い方をレクチャーしてあげたいなぁと空想したりします。しかし、実際に昔の自分手帳を持っていても使えなかっただろうと思いました。実家にいた頃はプライバシーは無かったんだと、実家を出て大人になって初めて知りました。高校の頃、一時期日記を書いてみた事があるのですが、ある日の夕食時に母親が当然のことのように、日記しか書いていないことを話題として出してきました。今考えるととても怖いことですが、当時は日記というもの自分の考えを知られる恥ずかしいものだと思いました。それ以来書くのをやめました。実家にいた頃は自分の考えや意見を言えば拒否され、両親の意向だけを飲み込むしかありませんでした。自分の考えというものを構築できないまま、両親の操り人形としてまず18年を浪費しました。進学して故郷を離れ、親の干渉から逃れられたものの、自分の考えを自分設計出来ない。今度は周りに流されるまま行動するしかなくなりました。今は客観的に当時の状況を見れますが、当時は自分フラストレーションの原因が何なのか分からないまま、どうしていいかからないまま30が目前に迫りました。合計29年の浪費となりました。今振り返るとメモなど一切とらずによく働けていたなと思います。その分生活は荒んで、仕事ブラックでしたが。ちょうど仕事の都合で更に故郷から遠くへ引っ越しました。その頃には両親の老いが進んだこともあり、気軽に会いにこられることもない環境が出来ました。新しい職場心機一転頑張って仕事を覚えようと思いノートを買いました。仕事ノートから見られても恥ずかしくないと自分に言い聞かせたことを覚えています。教わったことをノートに書いて整理すると驚くほどスッキリします。こんな風に自分の考えや悩みも書いて整理すれば解決出来るのではないかとあれこれ試してみるようになりました。その頃はまだ手帳ではなくノートを使って時々書く程度でしたが手帳に移行するのは結構早かったです。当時は何を買っていいかからず、ほぼ日手帳を買いました。ホームページを見ると、とても楽しそうに手帳について語られていて、恥ずかしいことではないのだと思いました。通勤時間が長かったので、手帳本を読んだり読書に充てました。沢山の言葉自分の中に注ぎ込まれ、30を過ぎた頃からやっと自分意見を持てるようになり、言葉表現できるようになってきました。そしてそれを手帳に書き、後から読み返す。書き始めの頃はグチャグチャだったノートの取り方も段々と綺麗になっていきました。通勤時間読書アルジャーノンに花束をを読みましたが、それと同じように感じて面白いなぁと思いました。と同時に自分人生いかに惨めかも把握出来て悲しくなったりもしました。今はほぼ日手帳をやめて、複数手帳ノートファイルで項目ごとに管理をしていますアイアンマン自分自分アップデートしていくように、自分手帳システムアップデートしていきます。落ち込んだ時はアイアンマンを見て元気を取り戻します。今はお盆休みなので、手帳を見てじっくり考える時間が確保できます連休中のやらなきゃいけないことやちょっと先の事を考えたりしています。私はもうアラフォーですが人生設計ぼんやりしていますしか手帳を見て今後の事を考えて1人で過ごす週末が好きです。

2017-07-31

サラリマン心の声

なんだか全てが、もうたくさんだという気分。

朝も夜もない生活をしていた頃にこんな気持ちによくなったものだ。

多分、あの頃は何もしていないから、なんでも出来る気になっていた。

本当は一歩一歩やらなければならないことなのに、目の前の事から目を逸らして、ひたすら夢を見ていた。

成し遂げられない性質がすっかり身に染み込んでしまったようだ。

悲しいけれど、変えられるのかもわからないけれど、なんとか、どうにかしなきゃならない。

こうして気の向くままに書きなぐっているのも、ひとつの、現実逃避に他ならない。

繰り返す毎日がどこか遠くへ連れて行ってくれる訳がないんだなぁ。

2017-07-11

丘の上の教会へ のぼる石だたみ

心が弱ってるからで、信仰心があるわけではないけれど、今週末に恩師のいる教会へ久しぶりに行きたいのです。

 

恩師は中学1年のとき聖書(という科目)の先生でした。

ときどき学校の七不思議を話してくれたせいかも、中学2年時には定年で辞められたけれど、ずっと先生といえばこの方が思い浮かびました。

 

もう27年経つけど、心が弱ると多くの人に紛れて賛美歌を歌いたくなります

 

ブクマカキリスト教信仰されてる方が何名かいらしたなと思い、書いてみたくなったのです。

 

心がまとまらなくえて具体的な相談もないんです。

先に書いたブクマカさんへ届かなくてもよくて、でもなんか遠くへいる誰かに話しかけたくなりました。

 

(改行、むずかしいですね。)

2017-07-08

如何にしてプロデューサーアイドルから離れたか

それらがまだ、モバマスと呼ばれていた頃、わたしプロデューサーだった。

あってないようなストーリーイベントはひたすら連打連打連打の絵に描いたようなポチポチゲー、しかし綿密に設定されたプロフィールから描き出される彼女たちは確かにアイドルであり、そこに可能性を見た。

しかしわたしは結局、よきプロデューサーにはなれなかった。

緑の悪魔

いわゆるコンプガチャ規制後も、名物の月末ガチャ地獄様相だった。

不毛なことは分かっていたのでたまの10連1回以上は手を出さないようにしていたが、精神的に辛いことが有った際に(担当アイドルではなかったが)ストレス解消も兼ねて出るまで回したところ15万少しかかってやっとSR1枚。ボイスがつき始めた頃だったのでそれはそれは満足度は高かったが、冷静に考えればこんなのは狂気しかない。わたしの心はほんの少し傷ついた。

そして来てしまった約束の時、担当アイドルSRならばそこに撤退文字はない。

しかし40万ほどかかって他のSR複数枚出ても肝心の1枚は出ず、撤退文字を見ることになった。フリトレで入手した1枚と自力で引いた1枚、それは同じ電子データかもしれないがプロデューサーにとってはやはり違うのだ。わたしの心はまた少し傷ついた。

地獄イベント

月末ガチャ爆死の副産物として大量のドリンク(いわゆる課金アイテム)が来たこともあり、担当アイドルSRが上位報酬イベントを一度走ろうとしたことがある。が、濡れ手で掴んだ泡程度のドリンク貯蔵では上位報酬なんて夢のまた夢でしかなかった。

イベントを走っているプロデューサー配信動画を見たことがあるが、ブラウザモバマスを開きひたすらクリック蛇口から流れる湯水の如くドリンク消費を延々としていく狂気映像だった。もちろん理論上はこうするしか上位にいく方法は無いことぐらいわかっている。が、理解していも知りたくは無かった。

後日の話になるが、モバマスイベントを「軽く」走った人が「今回は安く上がったので出費は差し引き8万ぐらい」と言っていてガチャでもないのにそこまで掛かるのかと思うと同時に、むしろ10万未満で確実に取れるならむしろ安いのでは?と気付いてしまい、やはり狂気世界だと知った。わたしの心はより深く傷ついた。

地獄モバマス経済圏

多くのプロデューサーは言う、モバマスとは経済であると。

上記のように、たまのガチャを回して爆死したりイベントを走れず報酬取れなかったりするのはこれを理解していないからだ。

たとえば強いカード、新しいカードほど人気で高価だと思われがちだが実際には相場確定までには波がある。

またイベント特効がつくカードイベント中は人気だがイベントが終了すれば人気が落ちる。

まりいずれも、安いとき仕入れ高いときに売れば差益を得ることができる。実に商売の基本と言える。

そしてガチプロデューサーは同僚とのドリンク/カード融資・交換を存分に活用してイベントを走るので上位ほど実際の出費は多くない(※仮想通貨アイテムアイドルを"資産"と呼ぶ界隈の感覚であることに注意)。

わたしの心はやはり傷ついた。

約束された勝利(だったはず)のアニメ

レアニは株主総会

しかし、スーパーポエム大戦が見たいとは言ってない。わたしの心は微妙に傷ついた。

悪ノリ運営

正直、それまでにもちょっと「ん???」と思うことは幾つかあったのだが、美嘉とみりあの絡みネタ声優から逆輸入ネタだと知ったとき、全てに納得がいったと同時に全てに引いた(アイマス界隈では声優から逆輸入は珍しくないらしいがそういう問題ではない)。

なるほど、作っている側がこういう感性から新田美波シングルドラマパート執拗に「ラクロス連呼させたり、みくにゃんのファンやめますネタをぶっ込んできたりするわけだ。わたしの心はひどく傷ついた。

さようならシンデレラ

あれからアイドル達は大きく成長し、コンテンツとしてもすっかり一級品になってしまった。

結局のところアイドルコンテンツというのは、自分応援している実感がモチベーションになるのだろう。

もう、わたしの出る幕もなければ支えたかったアイドル遠くへ行ってしまった。わたしの心はすこし晴れやかになった。

2017-07-01

LGBTsであるのはそんなにも悪なのか

 バイ当事者として思う。

 中学生時代、実はその気があるのではないかと気がついてからはや数年がたった。幸いにも生来オツムの弱い俺は自身マイノリティであることを深くは気にも留めず、それより目下のところの悩みは人間関係をうまく構築できないことにあった。

 高校に上がるときに状況は変化した。うまく人間関係が行くよう、仮面かぶることで自分自身を作ってしまえば良いと悟ったのである高校生になるまでそんなことにも気がつかない程度には頭が悪かった。考えてみれば、あたりを見渡すと、みんな真っ白で、まるで自分には負い目がないかのように振る舞っていたのだった。美しい世界だった。互いが互いを牽制し合うことで、負の部分は徹底的に平らかにされ、狭い学園内に、その生態系特有の標準像が形作られていた。もちろん、個々に特徴はあった。しかしそれは決してマイノリティではなかった。それを知った途端、皆がよそよそしくなり、あるいは全力で忌避しだすような。

 まんまと学園の標準像を手に入れ、学園内における人間関係に満足できるようになった俺は、初めてやっと自分マイノリティであることそれ自体直視し、その孤独に深く怯えた。暇ができれば「ゲイ 割合」でググった。ググったところで孤独がどう収まるわけでもないのにね。けれど、動揺は表に出さないようにして、ひたすらに勉学に打ち込み、孤独不安がよぎりながらも結局はマイノリティであることを見ないようにする努力を重ねた。

 大学に入った俺は、Twitterで界隈の情報を知るようになっていた。そもそも自分自身性的志向を隠していたこともあり、いわゆる「お仲間」は一人も知らなかったから、出会人達が本当にLGBTsであることが信じられなかった。

 そこには様々な人が暮らしていたのであって、ウェイ系や趣味謳歌する者、社会人や地味な者が渾然一体として存在していた。それはもう殆ど社会と変わらないのであって、一つ違うのは皆がマイノリティであることだった。彼らは一緒にコミュニティ形成し、つるむことで根底にある孤独を紛らわしているかのようだった。

 そして同時に、ネット文化(淫夢など)やネットでの論調を目にするにつれて、俺にある疑問が浮かぶようになった。

 「LGBTsであることはそんなにも悪なのか」



 一部のLGBTsに対して進んだ国・都市ではPrideを大きなスローガンとして、市民権を得られるような活動が続けられてきた。日本にもPride文化は輸入されたのであって、実際にパレードも行われているし、わりと盛況しているようだ。だけど、違うんだ。そうじゃない。そもそもそれらの国・都市アイデンティティ個性を重視する文化を長い間かけて育んできた。この文化が素地としてあってこそ、LGBTsにかぎらず、他の多くのマイノリティも声を上げることで市民権を得ようとしてきた歴史がある。だからPrideなんて言葉を使うようになったのだろう。

 でも日本はそうではない。少なくとも日本にはアイデンティティ個性を重視しようという文化はない。こんな文化自然発生するものではないのであって、意図的に育んでいくものだ。日本は残念なことに育んでは来なかった。日本において個性尊重しているようにみえるのは、実際には個性見世物にして消費するか、あるいは黙認という形式を取り、なかったことにするかにすぎない。高校時代の美しい世界もまさにその通りで、別に性的マイノリティに限った話ではなく、ひたすら皆が標準像を追い求める一方、標準像として収束される先にも残り続ける、ただひとつの「日本人」という個性の姿や文化といった共有資産が賛美されることに満足を得る人間も出現し始めた。マイノリティに関して言えば、ゲイアイコンとしての「オカマ」や「淫夢」は見世物として消費され、その他のゲイはなかったことにされている。そんな国でPrideなどと言ってみても滑稽なのだ。だからこそ輸入されたコンセプト・スローガンでは対処ができない。


 ゲイ理解されないことの一つに、「自分にも危害が加わる可能性があるから」というのがある。でも、考えてほしい。人が自分好意を持ってくれることは少しも危害ではないのではないのではないかそもそも性的暴力実力行使に出るような輩は、ゲイ理解云々の以前に一定確率行使しようとする。でもそれは、ヘテロ男性の中に女性強姦する人がいるのと変わらないので、ご指摘には当たらないような。

 そして、ゲイのくせにヘテロ男性告白してきたらキモいというのもよくわからない。そのような人たちの中で、告白相手女性レズビアンである可能性を少しでも考え、躊躇した人間がどれくらいいるのだろう。結局、物事はすべてマジョリティが当然のこととして行っていることは当然のことで、同様のことをマイノリティが行おうとして、マジョリティの行動との間に違いが生まれた途端声高に主張し始める。マジョリティは自らの行動を顧みず、棚に上げた上で我々の一挙動を観察する。人から愛を向けられることがそんなに嫌なのだろうか。俺だったら、自分に魅力があるのだと知れて誇らしいことだと思うのに。


 どんな社会を望むのかといえば、答えは明白で、「LGBTsの存在が当然のこととされている」社会だが、まあ無理だろう。こんな世の中じゃ。何か新たなネタが見つかるたびに、徹底して皆が食いつき叩き上げ、消費し尽くす。そこには様々意見が入るものの、結局はネタを消費する手段にすぎないから、意見平行線上をたどったまま、次のネタ、次のネタへと移っていく。誰もが同じ生け簀から出ようともせず、古い水を変えようともしない。食い散らかした餌の破片と糞尿で薄汚れた生け簀の中で、同じ境遇であることに何故か安心感を覚える。そして誰も自分意見を変えようとしない。それぞれが意見を表明し、その意見はどこか遠くへ流されていくのみだ。寛容などとは程遠い。日本の体質自体が変わらないと始まらない。俺だってなにも好き好んでこう生まれてきたのではないのに。


 それにしても、「生物学的におかしい」とか「自然の摂理に反する」とか、「異常」「変態」「公の場には出ないでほしい」みたいな言説は読み飽きてしまった。もう死んでしまいたい。

2017-06-23

https://m.facebook.com/note.php?note_id=10155518526459066

田中 絵里緒

豊田真由子さんと私の関わり

今日 · 公開

2017年夏、豊田真由子さんがメディアで騒がれて議員を辞職されるというタイミングで、この文章を書いています。

この騒ぎ自体は「人の噂も75日」のことわざの通り、やがて収束していくでしょう。しかし、彼女自身も私の大切な友達であるとともに、お子さんもいらっしゃる。私も子供をもつ母親として、心を痛めております。

どんな事情があるにせよ、自分の親が、よく知りもしない多数の人から悪しざまに言われるということは、非常に悲しく悔しいと思います。お子様達がお気の毒です。

お子様たちにとって、その傷は大人になるまで何十年も残るとともに、何十年経ったら事情を知る人も居なくなっており、もしかしたら豊田さんや私もこの世にいないかもしれない。知りたくても情報が散逸して、調べようもなくなっている。そんな状況は、さらに辛いと思います。

この文章を、豊田さんのお子さんが数十年後に読むかもしれないことと考えて、私の確かに経験して知っている事だけを、隠さず記録しておこうと思います。

豊田真由子さんと私とはともに、私立桜蔭中学校1987年4月入学、同高校を1993年3月に卒業しました。東京大学文科一類に、ともに1993年4月入学同法学部を1997年3月卒業で同じでした。

中1と中2は別のクラスで、互いに知らない存在だったので、中3で同じクラスになったところから交流が始まりました。

私、田中絵里緒は、名門学校の中でかなり異端児。中学の時点で学校にエロ本を持ってくる、パーマをかけてくる、もちろん校則違反の色つき模様つき髪飾りは日常茶飯事、などなど。自分先生に怒られるだけでなく、パーマの時は親も学校に呼び出されて怒られる、ということもありました。うちの親は私に対して怒り「呼び出されちゃったじゃないの!」と言いながらも、この悪ガキ娘はしょうがない、とある程度分かっていました。

豊田真由子さんは、私とは全く対照的。問題を起こして先生からのお説教などは完全NG、親が呼び出されて親に恥をかかせるなどはさらにもってのほか。うちの親など比べ物にならないほど、よっぽど厳しいご家庭で、彼女もその親に正面から背くまでの事は出来なかったのでしょう。先生からの評価はパーフェクトな優等生でした。この点は中高生活を通して全く変わらなかったと思います。

そんな対照的な二人が、なぜか仲良くなったポイントは、「ダサい女でモテない人生を送るのはイヤ」「男の人に愛されたい」という所で気持ちが通じ合ったことでした。

親や学校の締め付けが厳しく、自分もっと自由にしたい気持ちがある。でも、名門学校をやめたくないし、頭の悪い女の子たちに交じってバカばっかりやるのも納得がいかない。東大には入りたいし、将来成功するコースを進んで社会的にも認められたいけど、イイ女にもなりたいよね、そのためには学校の言う事だけ聞いてダサくしてちゃダメよね、というようなことを、よく話し合いました。

その裏には私たち二人とも、深く刻まれた「寂しさ」「劣等感」があったので、そこの所が互いにピーンと通じ合ったのでしょう。

その寂しさ、劣等感、不安、自分への自信の無さ、といった要素は、どこから来ているのか、というと、幼少期の親からの育てられ方・自尊心形成の所で、かなり問題があったと思います。

豊田さんも私も、頭もよくて可愛くて健康な体を持っていた。もっと自分に自信をもってドッシリしていても良いはずの存在だったと思いますが、私達は、自信の無さと、寂しさを共有していたのです。

このことを、今子育てや若者の育成をしている皆さんにも、しっかりと知ってほしいし、参考にしてもらいたいのです。

「キレる」「暴力」「暴言」といった要素も、全て「自分への自信の無さで、もがいている人の姿」なのだということ。

その痛みを理解しないで、いくら批判しても何も変わらないということ。

私も、キレる少女だったのですが、母親と取っ組み合いのけんかをしたり、妹と弟に暴力をふるったりということはありました。

キレると人の迷惑だし、嫌われる・・・。頭のいい私達はそんなことは分かり切っています。そんな自分にも嫌気がさしていたからこそ、「男の人にモテたい」「いい成績を取ってホメられたい」という二つの願い、そこは絶対譲れないこだわりでした。

「現状への多大な不満足」による、「現状変革の夢」、それも「とてつもない変貌を遂げたいという大きな夢」です。

名門校に入ってガリ勉している子供たちに、こういう子は多いと思います。

現状にそこそこ満足して、楽しい子供時代を送っている子が、そんなにガリ勉などはしないし、する必要を感じません。

世の中「名門校に入ってガリ勉する子は素晴らしいんだ」という価値観で覆いかぶされていますが、「本当にそうなのか?」、私は少女時代を振り返って、非常に疑問に感じています。

豊田さんは、学校で皆の前で怒鳴ったりカッコ悪い自分を見せるということは全くありませんでした。

学校の教室の中ではない所で、私に対しては、男の人と付き合う付き合わないのやり取りを通じて、ごくたまにですが、電話や対面でキレて怒鳴るということはありました。

「女の友情、男で崩れる。男の友情は、女で崩れないのにね。」と豊田さんがある日ぽつりと言ったことがありました。寂しいんだろうなと思いました。

私は「崩れないよ。友達やめないよ。親友だよ」といいました。

よく覚えているのは、豊田さんがうちの高校の文化祭の時に話していた男の子のことを、私が気に入って、紹介してほしい、と話した時のことでした。

「ああ、あれでいいなら、あげるよ」。

その男の子は、豊田さんのお目当ての彼氏ではなく、たくさんいる男の友達の一人だったのです。

だから絵里緒ちゃんに紹介してあげる、といってデートの場を作ってくれたりしました。彼と二人で会うようにもなりました。

でも、彼は豊田さんのことが好きで付き合いたかったようです。私のことは、紹介はされて会ったものの、ラブラブモードが盛り上がることも無く友達モードでした。

私の方は絶対彼氏が欲しかったので、他の友達にも男子の紹介などをお願いしてました。

それを知って、豊田さんが怒って電話かけてきて、「なんで××君を紹介したのに他と二股かけてんのよ!!」といったキレ方でした。

でも、私は恋愛は自由だと思っていたし、早く彼氏が欲しいから他の友達にも頼んだ、と平然と答えたので、その話はそれで終わり、友達関係も続きました。

ああ、彼女怒ってるな、という程度で、私は、怒られたから友達やめるというようなスタンスではありませんでした。

それに、この件は、友達に紹介してあげた男の子自分のことを好きなので友達と付き合わなかった、すなわち、自分の方が優れたオンナであった、ということにもなるので、彼女の優越感はくすぐられたのかも・・・。と思いました。

男の子と集団で会うとか、合コンの人数を集めるというときに、豊田さんは、自分が負けるほどメッチャ可愛い女の子が来て、自分が添え物にされる展開を恐れ、嫌がっていました。「あの子可愛いから私負けちゃう・・・。」ということをいつも気にして口にしてました。

この田中絵里緒という存在は、適度に自分より可愛くない、だけど「あんな変な子を連れてきて、なんなんだよ!」と男子サイドに言われずに、そこそこ自分の添え物になってくれる存在として、置いときたかったのかもしれません。

別にそんならそれでいい、という所も、私は飄々としてました。

自分の彼氏はちゃんと欲しいけど、友達とケンカしたり、女の友情がドロドロになるほどの関係は要らない、と思ってました。

彼女と張り合って「アタシの方が可愛いでしょ!」とか、同じ男の子を取り合って泥沼ケンカ、ということにはなりませんでした。それも、友達関係が長続きした要因だと思います。

彼女とは、男性の好みが、不思議とかぶらなかったのです。

文化祭で私が一目で気に入った彼も、「どうして真由子ちゃん付き合わないの?」と私が聞いたら、「落ち着きすぎて、おっさん臭い」と言ってました。

私は、穏やかで落ち着いた、優しい、おっさん臭い人、大好きなタイプでした。

彼女の方が気に入る男の人は、なんか性格悪そうというか、私には「初対面で論外」と思う人ばっかりでした。

それで「なんであんな人たちが好きなの?」と聞いた時に「お父さんが暴力をふるう、精神的にも完全に威圧するタイプ。お母さんが耐えていて、自分も辛いけれど、そういう男の人ばかり選んでしまう傾向はある」と答えてました。

芸能人で言うと「東幹久吉田栄作!!」と、当時のバブル人気王道タイプを答えていたので「私はパス!もっと地味でも優しそうな人がいい!」と言い返してました。

吉田栄作まではさすがにその辺にはいないけど、豊田さんは見た目は気にしていて、友達にも「真由ちゃんの彼氏かっこいいね」と言ってもらえる人じゃないとイヤ、といった所でもプライドは高かったと思います。

「誰が何と言おうが、かっこ悪かろうが、王道から外れていようが、自分はこうしたい」というものが定まっていると、人間の軸が定まっていきますが、「人からの高い評価」自体を求める生き方というのは、もとより非常につらいものです。優等生の永遠の悩みともいえるものです。

人の評価なんか、捉えどころがないし、コロコロ変わるものです。

そんなわけで、私達もなんだーかんだーと現状不満を言い合いながら、フラフラフラフラ少女時代を送っていました。

あの青春時代のしんどいフラフラ感を共有し、一緒に苦しみ悩み励まし合った同志として、私は豊田さんとの友達関係を誇りに思っています。豊田さんをよく知らない人から「極悪モンスター」みたいに言われるのは、とても耐えがたい思いがします。

男性関係で一つの思い出になったのは、高校2年生の京都修学旅行でした。

夜に自分たちで出かけていい自由時間が少しあったのですが、その時間は豊田さんと私二人で出かけようと計画していました。

「絶対男の人を見つけて遊んでこようね」。と。

京都で誰かと知り合って、その後遠距離恋愛するわけでもないし、ケータイもない時代です。完全にその数時間だけのことなのですが、「男の人と会おう!」と約束しました。

それくらい、私達は現状に満足せず、ひと時のアバンチュールでも求めていたのだと思います。

他の生徒たちに見られては大変なので、自由時間開始の号令と同時に、バーッと二人で遠くへ動いて、他の生徒が全く来ないエリアに移動しました。

そこで、豊田さんが見て気に入ったちょっと遊び人風の20代前半らしき男性に声をかけました。私はその男性と二人連れでいた、ちょっとダサい20歳前後らしき太めのお兄ちゃんとペアになりました。

私は遊び人風の人は気に入らなかったので、ダサい人は誠実そうで好感が持てて、この時間おしゃべりするだけなら、という感じで適当に話を合わせていました。

旅館に帰った後に酒臭いとばれるので、私達はお酒は飲まなかったと思うけれど、カラオケのある小さいバーで、男たちは飲み、豊田さんと遊び人兄ちゃんは完全に即席ラブラブカップルでした。私とダサ男君は「よーやるなー」と目が点になりながら傍で見ていました。

その後バーを出て、鴨川のほとりの土手でラブラブな二人と、少し離れて手も握らず、地味におしゃべりする二人に分かれました。

ちょっと、学校にばれないように、制限時間内には帰らないといけないので、間に合うように出ますね!」と私は時間管理係。ダサ男くんもその点は協力してくれました。

私がいなくて、あの2人だけにしちゃったら、時間もオーバーし、彼女がどっかへ連れてかれてしまう、とハラハラでした。

いま42歳まで生きてきましたが、「一歩間違えばあの16歳の時点で、二人とも犯罪に巻き込まれて遺体で発見されててもおかしくなかったんだよなー」と、危なっかしい私達を改めて振り返りました。豊田さんも私も、生きていただけでも本当に良かった。

女子高生援助交際やら売春やら、時々取りざたされては何も根本的解決がされないままですが、私が言いたいのは「少女の寂しい気もちや、自暴自棄がどこから芽生えてくるのか」ということを、社会全体として、しっかり見据えて改善してほしいのです。

少なくとも、これからの子供達が、こういう事をする少女に育ってほしくないし、そのための対策は、ガミガミ禁止することではなくて、自分を大切にする気持ちを、幼少時から身につけてほしいのです。子供が問題なのではなく、大人の育て方の問題です。

あの名門校私たちけが特殊だったのではなく、先生に聞くと「あなたたちが卒業したしばらく後から、手首を切る生徒たちが出てきて問題になっていた」という話です。苦しんでいる少女は今も存在する、いや、さらに増えているのではないか、と私は危惧しています。

もう一つ、豊田さんと私の二人が共犯で行ったイタズラがありました。高校3年生の時のことです。

大手予備校が、夏・冬など長期休みの時に行う、東大対策模擬試験。1番からある程度上位の所までは、名前が個人成績表と一緒に受験者全員に配布されるので、「あ、あの子何番。私は何番」と、それぞれに優越感・劣等感をもたされる全国模試です。

高3の夏、模試の日程を見たら、全国完全に同一日程ではなくて、会場確保の関係か、少しずれた日程が存在していました。

「ねえ、高崎、三島、沼津とかの東京近郊なら、日帰りで行って模試だけ受けられるじゃない。私が早い日程で受けて問題を持ち帰るから、真由ちゃんは、それで勉強して一番を取ったら?」

もちろん、こんな悪さを考え付くのは、私です。

「えー、ほんと?」

「うん。受けてきたらすぐ問題渡すね」

それで実行したら、豊田さんはとにかく勉強家なので、全科目に近い一番・満点近いトップ独走ぶりの成績で順位表に載りました。

いくら事前に問題を渡されたって、根性なしの私だったら、ろくに勉強しないから、全国1番なんかとても取れません。

後から同じ学校の生徒たちが、成績を見てザワザワしました。

「ねえ!黒い噂が立ってんだけど!豊田さんこんなに全科目一番なんて、おかしくない!?」

私は、心の中でクククと笑いながら「さぁ?豊田さんはすっごく頭いいから、よほど勉強したんじゃないの」、シラッととぼけてました。

もちろん、こんなイタズラは高3の夏、一度きりです。高3の秋冬ともなると、本試験が近いので、模試は実力を測らなければ意味がないし、私達ももっと本気で必死でした。

くどいですが念のため、東大の本試験や、公務員の本試験豊田さんがカンニングしたはずはなく、あれはちゃんと実力です。

思い返せば、中3で出会ったときは真面目一筋だった優等生豊田さんに、いろいろ悪さをさせたのは私の罪かもしれません。が、私たちの数年間の関係の中で、ケンカはわずか数回のもので、ほとんどはなんだかんだと楽しく言い合って笑いあう、真面目じゃない自分たちを堪能し、ふざける、スリルを楽しむ、という、今思い返しても楽しかった大切な友情でした。

ストレスをためる関係ではなく、ほかでたまったストレスを解消して和らげる、ラクになれる関係を作りたくて、互いに試行錯誤していたと思います。

これだけのことをして、先生や親にチクると互いに大問題になるのですが、二人とも「あの子がチクリはないよね」と信頼できていました。

春、無事に東大に受かって、卒業式も済み、東大入学式を前にした春休み

当時大流行のディスコ「『ジュリアナ東京』に行こう!このタイミングが一番!」と、また二人で企てました。

ソバージュパーマかける!ボディコン着る!もう学校の先生にも何も言われない!私たち自由だね!」

そして二人で繰り出して、ジュリアナに着く前に、繁華街で何か、全然関係ない取材をしているテレビ取材陣がいました。

街頭インタビューで、何か特定のテーマについて取材している人たちだったので、そのテーマに沿ったコメント以外は放送されないのに、豊田さんがわざわざ「私たち東大に受かったんですけど!!!」とマイクに向かって発言していたので、「もぉー、これは東大生の取材じゃないんだから意味ないでしょ」と、ぶつぶつぼやく私。

でも、そんな関係ない所で目立ちたいアピールする彼女のことも「面白い、子供みたいで可愛いじゃん」と笑っていた私でした。

ジュリアナに着いた私達、女子大生やOLのお姉さんたちに交じって、ドキドキしながら尻を振って踊りました。この時は私の方がジュリアナで出会った男性と泊まりに行ってしまったので、豊田さんがその後どうしたか見てませんが、ちゃんと帰ったと思います。

結局私の方は親にばれたので、「そんな、知らない男と、ホテルに行って怖くないのか!?」と父親に真剣な顔で聞かれましたが「うん、怖くない。」と答えた私でした。

今母親になった自分としては、自分の子がこのようになったらショックだと思うのですが、この男性依存モラルのズレは、当時を振り返っても、なかなか言葉で説明できないものがあります。

なにかとてつもなく大きなプレッシャーがかかって、その反動として「ハジけたい!」という思いの共有がありました。その危なっかしさ、不安定さを共有していた豊田さんと私でした。

勉強はできるけれど、テストのための勉強社会的な分別には結び付かず、いわゆる非行少年、不良少年といわれる人たちと、共通する危なっかしさだったと思います。

こんなに一緒に無鉄砲な行動をしてきて「ほんとにほんとに、死ななくてよかったなあ」という気持ちがあります。

悩んで苦しんで、その悩みや苦しみから、必死に目をそむけるための行動をしていた・・・。途中まで、私達は同じ道を歩いていました。

私はそこから「ストレス解消しないと自分が壊れるから、東大を出て就職もしない、徹底的に自分を甘やかしてストレスの少ない人生を送る」と決めて、逃げました。22歳でニートになったのです。

豊田さんは、そんな暴挙には出ず、けなげに努力し、社会的にも東大卒として好ましく思われる「国家公務員」の道を歩んで、順当に活躍していきました。私に想像もできないほど、一生懸命頑張ったのです。

その後政治の道に進んだと聞いて、彼女の本意であれば喜ばしいことだと思いました。

でも、あの頃あんなに繊細に揺れ動いていた彼女が、今、ストレスの解消はちゃんと出来ているのだろうか・・・。幸せになれているのだろうか・・・。ということが疑問・心配でした。

私がもはや、豊田さんの近くにいないので知る術がなく、ただただ遠くから、幸せでいてくれることを願っていました。

今、過去を振り返って、大切な友人として思う事。

「あまりに大変すぎる仕事を担わされて、中・高・大学の時とは比べ物にならない心の負荷がかかって、心が折れてしまったのだと思う。これ以上続けられないというSOSだった。」

「心の平穏を取り戻して、自分に向いている別の道を見つければ、また活躍できるし輝ける人。今度は、自分もお子さんも幸せになれるようにしてほしい。周りももう一度、応援してあげてほしい」

豊田真由子さんは、頭脳明晰、細やかで、才色兼備な人であり、記録された時の暴言だけをもって「極悪人」と決めつけるのはやめてほしいと私は思います。

もちろん暴力や暴言のものを肯定することはできないし、自分がしてしまったことは反省してほしいけれども、これから精神の安定を取り戻して、十分やり直せる人だと信じています。

彼女の精神がそこまで壊れるまでに、周りからどういう扱いを受けていたのかも不信感が湧いてきます。

人材を潰して排除していくのではなく、人材を伸ばす社会であってほしい。

「あれほどの人材が潰されるような社会なら、どんな人材だって潰れてしまうよ!」 私はそう思います。

今も変わらず、豊田真由子さんのことは大切な友達と思っています。またいつか、彼女と二人で笑いあえる日が来ることを願っています。

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中谷 康一

「毒島ゆり子のせきらら日記」的な話ですね。ぶっちゃけたものは仕様がない。

4時間前 · いいね!返信 · もっと見る

古謝 厚夫

お子様が可哀想でどーのこーのだと??

じゃあ訊くが秘書に対して『オマエの娘が仮に車に轢かれて脳ミソぐちゃぐちゃ云々』と脅かされた相手の気持ちはどう思うんだ?

おい!答えてみろ!💢

4時間前 · いいね!4人返信 · もっと見る

池 明

お友達ならカウンセリングを紹介してあげなさい

http://topisyu.hatenablog.com/entry/2017/06/23/080000

「あんな(暴行・暴言する)男の代議士いっぱい」ということなら、議員離職したほうがいいし、専門家にかかり、アンガーマネジメント習得させないと - 斗比主閲子の姑日記

自民党豊田真由子衆議院議員が秘書への暴行を週刊誌にリークされ、自民党に離党届を出したそうです。

topisyu.hatenablog.com

3時間前 · いいね!返信 · もっと見る

長谷川

なんだこれwフォローに見せかけた自爆テロ

3時間前 · いいね!1人返信 · もっと見る

井桁 和浩

友達スキャンダル便乗して、善意の自分語りとは、意味不明すぎwww

3時間前 · いいね!3人返信 · もっと見る

Yoshio Shimizu

えーっと、殺人者エリートの道を歩いた人で、ラスコーリニコフのように冷静に事件を起こした場合、経歴とか、10代はこうであったとか、実は子供思いの優しい人だったとか、そんな弁明が役に立つとは思えないのです。しかしアベカケのように友人は有りがたいもんですねーーー。

3時間前 · いいね!返信 · もっと見る

駒込 博幸

だから何?って感じ…人の痛みが解らない人間が国家議員になんかなるんじゃないよ!お前は何様だ?!本当の友人ならそれ位のこと言ってやれ!弁解の余地無し。

3時間前 · いいね!返信 · もっと見る

西条

湊かなえ原作のしらゆき殺人事件みたいですね👀

犯人に疑われた主人公を庇う親友。邦画作品の親友役と同じ事している。

2時間前 · いいね!返信 · もっと見る

返信3件

坪内茂

貴女に対して、あのような事をされてもオッケーなの?

2時間前 · いいね!返信 · もっと見る

Kaoru Furutono

爆笑 とにかく爆笑した

2時間前 · いいね!2人返信 · もっと見る

観学院 称徳

お友達を思うお気持ちは分かりますが、残念ながら主権者である国民に代わって立法にたずさわる代議士としては失格です。

お子様には何の罪もありませんし、イジメ対象にならないようにしっかり守られる必要があります。

しかしご当人は大きくなったお子様にこの録音を聞かせ、自らの非をきっちり説明できますか?

人の噂は…確かにそうですが、いつまでも記録の無くならないインターネットの社会では、お母様の名前を検索するだけでお子様がこの録音を発見し聞いてしまう時が来るということですよ。

逃げて人の噂が消えるのを待っているだけでは問題の解決にはなりません。

2時間前 · いいね!2人返信 · もっと見る

佐藤一郎

「みんながこれ読んで『身近にいる変人の傷みも理解しよう』って考えたら不幸な人減るかな」って思うけど、みんな豊田議員の良し悪しだけ話すから、社会の規格にあわない人は切り捨てられ続けるのかな…

1時間前 · 編集済み · いいね!1人返信 · もっと見る

野々村 耀

何かと思って読みかけたが、バカバカしくてすぐやめた。

1時間前 · いいね!4人返信 · もっと見る

中尾 央

絶歌。

1時間前 · いいね!2人返信 · もっと見る

伊佐杯 隆治

やはり類は友を呼ぶのですね。勉強になります。

1時間前 · いいね!3人返信 · もっと見る

森平勝

勉強ができるのと頭が良いのは違いますよ🤗一般常識豊田さんアウトですね。

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綱川智彦 つなっち

案の定、彼女はDⅤ家庭の育ちだったんですね。

昔、やはりそうした家庭で父親から殴る蹴るされて育った女性と関わったことがありますが、その時に何度もあの音声とそっくりな口調で滅茶苦茶に罵倒されました。正直、思い出してきのうから気が重いですが…。

こういう「虐待の連鎖」は、やはり治療困難(決して不可能ではないですが)な病気なのだろうと思いますよ。

あと感情に任せてボロクソに叩いてるコメントが多数ついてますが、衝動を抑えられずに過激な言葉を書き殴ってる時点で彼女と同類、人のことを言えないのでは?送信ボタンを押す前に立ち止まって考えるべきでしょう…。

1時間前 · 編集済み · いいね!2人返信 · もっと見る

藤原 亮太郎

身内の擁護は相手に逆に迷惑になることを自覚した方が良いかと。

1時間前 · いいね!2人返信 · もっと見る

Hiromi Sato

文章が変です。下手です。自ら、名門校っていうんだ??

1時間前 · いいね!3人返信 · もっと見る

Peter Lee

https://www.youtube.com/watch?v=5NdcUtahcEI

「犯人の彼女も実はかわいそうな人なんだ…」って名探偵コナンの結末のつもりですか?あなた大事なお友達って加害者なんですよ。

Detective Conan Soundtrack 12

youtube.com

1時間前 · いいね!返信 · もっと見る

照子内野

リコ君へ来週の時間割り教えて後宿題もよろしくね

1時間前 · いいね!返信 · もっと見る

植村 トラ

何があっても暴力反対。

52分前 · いいね!返信 · もっと見る

小棚木 美香

伊藤塾に勤めていたみたいだけど、司法試験に受かっているってことなのかな?

擁護しているつもりで、悪行を暴露するような弁護士には頼みたくないなー。

24分前 · いいね!返信 · もっと見る

返信1件

土橋 雅之

頭がいい人達の考え方が読めるのかと思ったら"「ダサい女でモテない人生を送るのはイヤ」「男の人に愛されたい」という所で気持ちが通じ合った"で吹き出してしまった。"

2017-04-11

ユナイテッド航空オーバーブッキング話題になっているので

30年位前、僕はカルカッタダムダム空港にいた。

当時のインドはまだ外貨が不足していて、USドルキャッシュ航空券を購入する場合に限り、インド国内航空インディアンエアラインカルカッタバンコク間の片道切符が60ドル程度の格安で手に入った。

今でこそIT大国なんて言っているけど、その頃は空港チェックインカウンターには端末もモニターも無くて、空港職員が奥の部屋へ引っ込んでいったかと思うと、暫くして漸く乗客リスト印刷されてるらしいパンチ穴のついた長い紙を引きずる様にして出てくる有様だった。

そうして、どうやらオーバーブッキングらしいと言うことが、周りの乗客の話し声から聞こえてきた。中には職員金銭を渡してるらしきツーリストもいた。

外貨が不足する中でインド出国しようとするインド人には、厳しい外貨の持ち出し制限があった。確か一人400ドル位じゃなかっただろうか。全然足りないよね。遊びに行くわけじゃない。殆どビジネスだったと思う。

そして、航空会社非情方針が伝えられた。

外国人ツーリストを優先する。」

僕のツーリストビザの期限にはまだ余裕があったし、予定があるわけでもなかったので、別にこの便に乗れなかったところで一向に差し障りがあるわけじゃない。

対して、インド人ビジネスマンは違う。どうしても、その便に乗らなければならない事情もあるだろう。一人のインド人男性職員に食って掛かった。インド人が手を出すのはよっぽどのことがあってなんだけど、彼は職員に対して相撲突っ張りのようなことをした。職員もやり返した。お互いに突っ張りの張り合いをしながら、二人とも遠くへ小さくなって見えなくなった。

その様子は、まるでチャップリン喜劇を見ているようだった。

僕はこの時に、国力の無い国家国民の悲哀の様なものを強く感じた。

2017-03-27

愛はハーゲンダッツストロベリー

たとえばデパートで手に入るような高級なものではなくて。はたまた有名なパティシエが手掛けた感じのブランドものでもなくて。

きみが心から欲していた“幸せ”って、本当はハーゲンダッツみたいなものだろう。

きみの求める幸せなんて、近所のコンビニエンスストアで買える。そんなことにはもうとっくに気付いていたくせに、わざわざ遠回りをして、遠くで見つけたものほど価値があるんだって錯覚していたんだ。

遠くへ遠くへ彷徨った挙句に疲れ果て、長旅に気が済んだ人から順々にここへ帰ってくる。いらっしゃいませ。おかえりなさい。


他のアイスクリームに比べると確かにちょっと高価かもしれないけど、手が出せないような値段ではない。高価だから好きってわけじゃないし、広告イメージがカッコいいから好きってわけでもない。

ただ単純に、それを口にするだけで無条件に幸せになれたんだ。そんな体験がきみにもあっただろう。きみの頭が憶えていなくても、きっときみの味覚が憶えている。今はただ、思い出せないだけで。

手を合わせて何かを祈ることが宗教だというのなら、きみもまた何かの信者だといえるだろう。

誰かがきみのためハーゲンダッツを買ってくる。それは、きみのことを考えて選ばれたストロベリー味かもしれない。きみのためストロベリー。きみだけのストロベリー。愛の発明とはその特別さに気づけるかどうかだ。

付加価値自分自身で見いだせる。物や感情事象に、特別価値を付け加えるのは自らの想像力だ。そしたらもう誰にも騙されないよ。先生にも、広告代理店にも、教祖さまにも。

<愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ>

あるシンガーがそんなふうに歌ってから20年が経った。

この20年で、きみは一体いくつの愛を見つけることができただろう。一体いくつの愛を見過ごしてきただろう。

きみの愛はここにある。

愛はハーゲンダッツ

愛はハーゲンダッツストロベリー

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