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2019-03-16

公立不登校落ちこぼれだった妹が東京大学合格した

先日、妹が大学合格した。

印象的な出来事だったので、ネットの海のどこかに残してみたいと思った。この場のことは代名詞増田さんなことくらいしか知らないが、唐突自分語りをしても許されそうなのでここに書くことにする。

妹と私は年が離れており、私は妹の生まれた時から姉と母親中間みたいな立場で妹の成長を見守ってきた。

幼い頃の妹は、子供らしくて可愛い子だったけれど、あまり要領の良い方ではなく、優等生タイプだった私としてはヒヤヒヤすることが多かった。たとえば、自分から率先してクラスの中心にいる意地悪な女の子取り巻きになって、何でも借りパクされてしまうような子だった。

この頃から成績は良くなく、田舎公立小学校テストでも平気でひどい点をとっていた。妹曰く「提出さえすれば自由時間になるから半分は解かずに出してた」とのことだったが、それを差し引いても何をどこまで理解していたのかはわからない。たぶん人間関係的に、良い点を取らない方が便利だったのだろうと思う。

そんな妹は、地元中学校に入ってから、当然のように性格の悪い女の子取り巻きになって媚びへつらうようになってしまった。成績は5教科で280点くらい。そして、案の定といっては可哀想だが、ひどいいじめに巻き込まれ不登校になってしまった。

このとき私はちょうど東京国立大学合格一人暮らしを始めたところだったのだが、電話で親と話しながら妹の気持ちと将来を思うと、心がヒリヒリした。妹の体験と比べたら大したものではないが、自分にも荒んだ公立中学校独特の空気の中で、自己肯定感を失っていく気持ちには身に覚えがあった。

妹が幸運だったのは、両親が進歩的な考えの持ち主だったことだろう。

保健室登校で今の学校に通ったらどうかと言う私や学校教師意見無視し、両親は妹を不登校児の集まる遠方の私立中学にさっさと転校させてしまった。とにかく制服が可愛く、規則が緩い学校だった。集合写真を見ると、男子生徒の地味さと女子生徒の派手さがアンバランスな程際立っていて、私は「こんなのいかにもじゃないか」と心配した。

しかし、妹は、この特殊学校への転校という大きな賭けに勝ったようだった。半ばカウンセラーのような先生方と一緒に時間をかけて精神回復させ、1年ほどすると転校前の同級生がいない遠方の遊び場になら外出出来るようにもなった。

また、この頃から、いつかは昔の同級生を見返してやりたいと思うようになったようで、美容勉強を頑張るようになった。特に勉強に関しては、多くの同級生通信制定時制高校に進学する中、普通科高校に行きたいと強く希望した。当初の妹は不登校時代ブランクのため中3頭になってもbe動詞活用だとかx^2-4=0の因数分解だとかが分かっていなかったのだが、元が低いだけにやる気になってからはぐんぐん伸びた。そして、進学校ではないものの、偏差値60弱くらいの私立高校の進学系のコースに最低点で滑り込んだ。なぜ最下位なのを知っているかと言うと、入学後に先生から異例の二者面談を組まれ、激励されたからだ。

そこからの妹は一層、人が変わったようだった。「JKっぽい遊びは中学でもうこりごり」とばかりに、不登校時代にやっていた痛いSNSネット上の囲いも捨て、半ば遊びだった彼氏もいなくなり、字が綺麗になり、プリクラが減り、電車内で英単語帳を読むような高校生になった。高校レベルクラスも、半年で1番下から1番上まで上がり、これには両親と私も驚いた。

特にビリギャルに倣ったのだろうが高1高2では英語ばかりを熱心に勉強していた。英語系の塾にも通い出し、1年ほどで当時TOEIC800点の大学院生だった私をゆうに追い越してしまった。中学まで不勉強だった名残で、英単語帳に出てくる日本語単語の方を知らない、漢字が読めないということが多発し、英語の語彙が増えるに連れて日常会話がルー大柴化した。その後、次第に英語以外も徐々に勉強するようになり、成績はうなぎのぼりだった。もちろん本人の中では、伸び悩んだり、不安になったりすることもたくさんあったそうだが、側から見ていると面白いほどに成長していた。志望大学もどんどん上がっていった。

そしてこの春、妹は通常より1年余分にかかったものの、早慶MARCHの滑り止め受験校3校をすべて合格したのち、晴れて第一志望の大学に進学する。妹は「これでようやくお姉ちゃんと肩を並べられるわ~。姉が○大生とか、これまでは人に言えなかったんだからね」と言った。

からすると、どん底から這い上がってきた妹の方が、とっくに自分よりすごいと思っていたので、妹がまだそんなことを思っていたことに驚いた。でも、自分プレッシャーになっていたと同時に、ひとつの道しるべにもなっていたようでそれは嬉しい。

もともと地頭が良かったんだろうとか、親に金があったからできたことだとか思う人もいるかもしれない。また、大学合格なんてまだ単にスタートラインに立っただけじゃないか、まだ何も終わってないぞという指摘があるかもしれない。ごもっともだ。それでも、私はここまで来た妹の努力がすごく誇らしいのだ。

この先の人生私たち出身地田舎じゃできないことをたくさんしていってね。姉はあなたのことを応援しています

増田より

2019-03-14

会社に雇われてエンジニアやるの楽だったなと思う。労働環境毎日終電とかで全然楽じゃなかったけど。

人手不足から適当に雇われて、未経験でろくな教育もなしに客先に放り込まれて。迷惑かけたりもしつつできないなりにググりながらなんとか仕事して。

まあまともなエンジニアから見たらゴミなんだけど同じような境遇でやってきた人が多いからそこまで絶望的に落ちこぼれ扱いされるわけでもなく、優秀な人はほんとすごいんだけどダメな人は自分よりダメで。

そうやって醸造されて残業でぶっ壊れた残り滓みたいな自分なんて雇いたい企業ないだろうな。実績に書けることも特になく、ポートフォリオ作るにも困ってる。

あのぬるま湯にはもう戻れないし戻ったところで茹でガエル。

2019-03-05

バカみたいだけど、弟と俺は違う人間だと気づいた

自分語りしたくなった。

親共働きで、ベビーシッターの人によくお世話されてた。それが普通だった。お世話になるのだから行儀良くしなさいと言われてたし、実際他人だ。冗談も言い合うし頼りもする、無理も言った。でも、それなりの距離感を取って暮らしてた。

他人が家にいるのもそれほど苦じゃなかったんだな。

暫くして弟ができた。俺が小学校にあがってすぐ産まれた。その数年はホント幸せだった。帰ったら家に親がいて、色んな事を話したりした。

母のお腹がおおきい時は、一緒に名前を考えて、呼び掛けたりした。今の子はヒョンタなんて呼び掛けるのかな。俺の時代はそれが普通だった。

まれたらオシメも替えた。うんちだったとき俺もビビって泣いたよ。小学生にうんちのショックは大きかったんだ。

成長して、母も仕事に復帰した。シッターさんと俺と弟で夕方まで一緒にいて、遅くに両親がそろう日常に戻った。

俺には日常だったが、弟には違った。オネショをしたり、シッターさんに癇癪起こしたりしてた。親は特に問題視してなかった。夜グズっても構わず寝るし、躾たり叱ることはあっても、一度も声をあらげたことはなかった。もっぱら俺の役目で、いつも「お母さんたちこまるでしょ」と言って宥めた。

弟は小さいうちから、見てわかるくらい落ちこぼれた。それを咎める人は誰も居なかった。勉学もそうだが、素行が悪く、しょっちゅうシッターさんが謝りにいった。親じゃなかった。

夜更けになるとみんなそろう。そこで俺は幸せだった。でも弟はどうやらそれも耐えられなかったようだ。親の前でイライラした態度が増えた。

親は特に咎めもしなかった。「そう」とだけ言って不機嫌さを受け流してた。

俺には昔からの弟だった。自然体で接してたと思う。

俺も大学生になって、弟は中学生になった。俺にはずっとそのままの態度だった。オネショが止まったのを俺はからかった。

家で吠えずに、外で発散したらしい。家は一見平静になった。授業もサボるようになってたが、俺も含めて咎めはしなかった。自由にすればいい、彼の人生なんだから。ポツリと父が言ったのを覚えてる。

この頃は家政婦さんって呼ぶ方が正しいのだろうけど、俺にはずっとシッターさんのイメージがある。補導された弟の迎えはいつもシッターさんだったから、子供の世話をしてたと言える。親は来たことなかった。

弟の誕生日に、両親共早く帰れるから、皆で家族ご飯食べようと言った。弟は表情を押し殺して「気が向いたら」とだけ言った。

母は急な仕事ダメだった。弟は無表情に「そっか」と言って、俺のカレーと親父の買ってきたケーキ食った。

暫くして、大学友達と飲んでたら、電話があった。知らない番号だったけど。どこかの店舗らしい。弟が万引きしたと。

補導はされてたけど、深夜にうろつくとかが理由で、ホント犯罪って初めてだったとおもう。飛んでって、道中で親へ連絡した。

「知ってる、連絡が来たけどいけないから、シッターさん呼んで」怒りがわいたが、そんなもんかとも思った。

店に行くと、事務室に案内された。

「ご家族が来ましたよ」

弟の顔がパッと明るくなったのを良く覚えてる。俺の顔を見て、ばつの悪そうな顔になったが。

盗もうとしたのはガム一個らしい。今回だけはと言うことで、二人でペコペコ謝って済ませてもらった。

帰り道、店から出たら、即座に怒りに任せて一発かました。弟は痛そうに頭を抑えて聞いてきた。「怒ってる?」

当たり前だ、と怒鳴り付けた気がする。そっかぁと言いながらぼんやり俺の顔みてた。

「お母さん怒ったかな」と恐る恐る聞かれた。なんて答えたらいいかからなかった。

「怒ってないよ」と言った。「怒らないよあの人は」

弟は苦笑いしてた。「そうだよなぁ」小さな声で「ありがとう」と言った。俺は聞こえないふりした。

そのあたりから、急に弟の素行が落ち着いた。高校卒業して、家を出た。結婚して、この間子供ができた。

俺は全く作る気になれない。良い家庭が想像つかない。でも弟はたぶん違うっぽい。

なんか違って、たぶん良かったんだとおもう。

2019-02-25

さしあたって。

非常に言いにくいことで,しかしながら,ずっと言わなければならないと思っていたことを,伝えなければならない人(もしくは人たち)に,過不足なくそしてタイミング良く伝えることは皆が思っているよりもずっと困難である

特に私のようなやらなければならないことを後回しにする癖を持っている人間にとってみれば,直接伝えることよりも間接的に目的の人(もしくは人たち)が伝え聞くように,その計画時間をかけて用意し,数十年のスパンで実行する方がたやすいことのように感じられる.

最初の,そして最も基本的な伝えたいことは,齢30を過ぎてから最近気づいたことだが,

私は,私の人生に興味が無い.

私の生きている理由はたった一つ.生まれてきてしまたかである.そして,私がこれまでに生きてくる上で大切に守っていたルールもたった一つ.敵も味方も作らず,ただ平穏に,喜びや悲しみや,それに付随して生じる感情の起伏もただひたすらに最小化することに腐心することであった.善を追い求めず悪を憎まず,ただ単純に生まれたから生き,死ぬまで低空を水平に飛び続けること,それのみを望んできたのである.それが単純に楽であったか大学に行き,職を得,とびぬけた業績を上げるわけでもなく,落ちこぼれるわけでもなく,常に可もなく不可でもない中庸の目立たない位置を確保してきた.そしてそれをこれからも続けていくつもりの私にとって,向上心とは人生において最も必要でないものの一つに過ぎない.悟りと言えば悟りなのかも知れないが.

妻と結婚したのも,それが単純に楽だったかである.両親から結婚をせっつかれ,それに嫌気がさしていたちょうどそのころに,同じような境遇だった妻と偶然にも出会い,お互いにお互いをよく知らなかったが,これ幸いにと入籍をしたのである特に好みの女性タイプを持たない私にとって,彼女の見た目や性格,育った家庭などが,良い方向にも悪い方向にも極端に偏ることなく,全てにおいて中庸であったことが,私の世間体を満足させるのに必要十分であった.

子供が生まれたのは,入籍してから1年が過ぎたころであった.入籍の後の数回の性行為のあと,妻が体調が悪いと病院に行き,一旦,単純な風邪であろうとの診断が下ってから,妻も思い当たることがあったのであろうか,産婦人科受診妊娠が発覚したのであった.特に問題もなく自然分娩で生まれたのち,これまで大きな病気もなく育ってくれていることはありがたいことである

だが,しかし.私はこの辺りで私の人生を終わらせたくなってきたのである自分うつ病などの精神的な病気に掛ってしまったのだろうか考えてもみたが,特に私の精神状態が変化したかというと何も変わっていない.特に悩みもなければ,うつ病ありがちな心的疲労が蓄積しているわけでもない.ここ数か月,これまでの人生を振り返り,現在自分の心境を把握し,そしてこれからどうしていきたいのかを考えてきた結果,人生自分の手で,自分の好きな時に終わらせるのが私にとって最良であり,その理由として私が唯一自分で納得できるのが,私は私の人生に興味が無いということだけであった.

私には妻子がいる.愛していないわけではないが,最愛の人たちかと問われるとよくわからない.最愛であるべきだ,と心で感じるのではなく,頭で理解している.

それでも,私には責任がある.妻子を養い,自立させ,彼女らが(子供は娘である)一人で生きていけるようにする責任がある.それまで少なくとも14年,すなわち西暦2033年まで私は生きていこうと決意した.

そのあとは妻には申し訳ないが,妻と離婚し,海外にて消息不明になった後,自殺をしようと思っている.

もちろん,それまでには色々不測の事態もありえるであろう(妻から離婚を言い渡される,妻,もしくは娘と死別するなど)から,これはあくまでも予定である.この人生の予定を記録するのがこの日記目的である.いつまではてなのサービスが続くかどうかも不明だが,いつの日か,願わくば私が死亡した後に,私の知っている人がこの日記を読み,そして私のことだと気付いてくれるかも知れないと考えるとき,私の心拍数は僅かではあるが大きくなるのである

2019-02-24

anond:20190224221503

学校の成績が悪い人が落ちこぼれるのは本人のせいでもあるけど教え方の問題でもあるよね。

でも、そこでなんとかわかるように周囲からいろいろと教えてもらっても社会のせいだとかまわりが自分に合わせないのが悪いとかあれこれ言い訳して全く勉強してなかったら成績上がるわけないよね。

そんな人が毎日勉強してる人とか、生まれつき物覚えがいい人と同じ成績にしろって言うのはわがままってわかるよね?

そゆこと。

2019-02-21

結局、SNSってなんのか?

5chの落伍者が集まるスレ > 重過ぎた

Twitter基地外

増田 > ちょうどいい落ちこぼれおっさんスノッブ

・・・そう思っていたのだが、そんなことは無かった

結局、実名でやれないことはネットでもやるなに尽きるのだろう

SNSってなんなのか考えるキッカケになったのは良かったかも知れない

2019-02-09

努力しない人にあわせる社会は衰退する(日本国も同じ)

僕の持論だけど、努力しない人にあわせる社会は衰退する。

身近なところでは高校運動部が手を抜く生徒にレベルをあわせていると強豪にはなれないし、

企業だって頑張っている人に報いる人事評価システムがなければ、人材流出したり手抜きや現状維持が横行したりしてしまう。

外発的動機よりも内発的動機重要、とはいわれるが、

普通の人は外発的動機や周囲からの刺激で努力を始めることが多いのだから

努力する人に有形無形の報酬を与えたり、ちょっとストレッチすれば届くところに目標を設定してあげて努力するように促すことは重要だ。

けれども、努力してなくてもやっていける。このような環境では創意工夫するインセンティブがなくなってしまう。

では日本社会はどうか。

ちょっと高い自動車電気製品が発売されたら、ネット上で「俺たちは金がないのに!」と怒る人たちがいて、そういう主張が普通に受け入れられている。

転職して収入を上げようという議論のほうが健康的な考え方だと思うが、そういった方向に話が進むことはあまりない。

昔、年金制度ができたときには日本人平均寿命が65歳、年金受給開始が60歳だった。ギャップわずか5歳だ。

今、日本人平均寿命は80歳に伸びたのに年金受給開始はそこまで伸びていない。つまり働かずに食っている老人が増えた。

65から年金受給して当たり前という雰囲気があるが(まあ、法的な意味では当たり前ではあるのだが)、その分現役世代負担が増えている。

まり働かない人にお金を与えて、はたらく人からお金を取るという構図が、昔よりも強化されている。

障害を持っていて働けない人や出産育児で忙しい人に再配分するのは当たり前だが、

働ける人には働いてもらおうというのが普通の発想だと思う。

働ける人をわざわざ定年で会社から追い出して、しかもその人たちにお金を配っているのはおかしい。

日本人は、僕を含めて、外国人よりも努力していないと思う。

社会人の勉強時間といった統計データもそうだし、実感としてそう感じる。

僕の職場にはアメリカ人ドイツ人中国人インド人などがいるが、みんな日本人よりも努力している。

社会人になってから努力もそうだし、

うちの職場は最低で修士号、3割くらいは博士号という感じなのだが、大学を出たばかりで入社してきた時点で日本人よりも優秀。

アメリカ中国を出てうちみたいな会社に来るくらいだから本国ではどちらかといえば落ちこぼれなはずだけど、それでも日本人よりは優秀。

大学には、カリキュラムの内容をもっと最新の研究の動向に合わせて更新していってほしい。

大学に行く余裕が無いので就職したという人がいるが、

大学学費生活費奨学金でまかなえるとして(そのようにすると僕みたいに大学を出た時点で何百万円もの借金を追うことになるが、それでも高卒で働くよりも裕福になれる)、

高卒で働かないと家族が食っていけないか大学には行かないという人がいるのが滅茶苦茶だ。

そのような親は親としての義務果たしていないと思う。もしくは、障害などで働けないなら国が障害年金支給すべきだ。

そんな貧乏な家庭の子供が大学に進んで努力したいという意思を持っているなら、国はそれを救ってあげないといけないと思う。

国民全員に100億円給付してもらって全員が大富豪になることができればいいのだけど、

あいにくと日本は失われた30年で没落し続けてきたし復活の見込みが無いのだから

誰にでも無限にばらまく訳にはいかない。努力する人をまずは支援すべきと思う。

ちなみに、努力じゃなくて結果に対して報酬を支払うべきだという話も多いけど、

僕の考えとしては努力と結果の両方に報酬を支払うのが当たり前だと思う。

努力が結果につながるまでは時間がかかるわけで、結果が出るまでの間もインセンティブを与え続けて努力を促してあげないとやる気を無くしてしまう人が社会には多い。

日本は30年後には中国征服されているだろうし、早くアメリカ永住権を取りたいなあ。

アメリカ世界中に軍を展開しているのに対し中国東アジアにのみ注力していればいいのでいずれ中国が優勢に立つし、核兵器を持つ中国に対して日本自衛隊はほぼ無力なので人民解放軍東京湾に来て「今日からここは中国領土だ! 日本人男性は去勢するし日本人女性は漢民族結婚させる!」と言ったら抵抗できないと思う)

2019-02-07

うまくいってないと全否定される

むかし高校落ちこぼれになった時、親とか先生とか同級生かに「だからお前はダメなんだ」ってめっちゃ言われるようになった。

些細なことでも指摘されて俺がダメ人間である理由にされた。

長所短所は表裏一体の関係と言われるが昔は長所として評価されてたのが全部短所とみなされて直すよう言われた。

ダメな時は全否定されるんだ。

逆に社会的成功してると奇行個性だと思われたりするから人間評価なんて当てにならないと思った。

2019-02-01

ほぼ同年代で親しみを感じていたくるりが近寄りがたい存在になってしまった

興味が失せた、ではない。近寄ってはダメだ、という心理的ブレーキがかかってしまう。

そんなの、どう考えても当の御本人方には不本意だろうし、そんなふうになるつもりなんて1mmもないだろうに。

なんでだろうと考えると結局、ある程度人生進んじゃった状態でおれは世間のレールから外れ、落ちこぼれ一般人キャッチアップするのがほぼ絶望的な状況になって、そんな時に同年代比較対象、それも社会的にかなり成功している人々に注目することは自身精神さら破壊することになるので本能的に避けざるをえない、好きだけど避けざるを得ない、という状況なのだろう

2019-01-28

anond:20190127211255

文学邦画なんてまったくダメで、アニメこそが日本の誇るべき文化なんだ、という論調が一気に広がった。社会学者文芸評論家もこぞってアニメを語るようになった。

そんなの目立ってた一部のアホだけじゃないの。すごく狭い世界の話。

正統派研究で食べていけない落ちこぼれが何とか食っていこうと知恵絞ってオタクを利用していただけ。オタクバカから権威偽装した人にそれっぽい言葉で語られると真に受けてしまう。

関係ないけど、日本アニメも「日本すごい」エンタメの一つだと思えば、ネトウヨアニメ大好きなのも当然の流れといえるかも。

2019-01-26

アンケート増田毎日はてブの人気記事に上がってくるのは全はてなユーザーにとって損失である

はてなユーザーもやはり人との交流に飢えているということだろうか。もはやインテリ気取りすら存在せず、群れてわーきゃー戯れたい大衆しか残っていない。由々しき事態だと私は思う。

しかアンケート増田という安易交流手段によって手軽に孤独感を紛らわすのは気持ちがいいかもしれない。人と繋がっている気がするし、スターをもらえれば自分を認めてもらえたような気持ちになるだろう。しかしこういった行為は徐々にはてなユーザーからなけなしの知性をもぎ取っていく。ネット上で比較知的SNSというイメージのあるはてなだが、アンケート増田によって確実に知性が剥ぎ取られていっている。

アンケートの内容はどうだ。ほとんどがアニメ漫画映画ラノベアニソン等々、オタク好みの話題ばかり。まるで専門性がない。大衆にヒットするというのは非専門的であるということだが、知的SNSというスタンスはてなでこの程度のアンケートしか盛り上がらないのはどういうことなのか。「海外サイトブクマされてないはてなで今更何言ってるんだ」たしかそうかもしれないはてなにはインテリなどほとんどいない。ウィキペディア入門書新書で得た知識知ったかぶるような知的コンプレックスを持った落ちこぼればかりだ。

なぜか知的SNSはてなでもアニメ漫画ラノベに詳しい人たちが知識人として尊敬されている。専門性を持たないただ大量消費するだけのオタクがもてはやされている。彼らは専門性を持たないかネットのどこかで見たような誰かの受け売りしか語れない。サブカル知識だけは大量に吸収しているが、彼らは考えが浅い。というか考えることを完全にやめて知識を吸収することだけを続けている。物事の皮相しか捉えることができない。彼らは広大な表面で生きている。世界の深みに触れようとしない。すべては一問一答式の知識配列でどうにかなると思っている。すべてを軽く捉える。すべてを冷笑する。なけなしの知性を大量消費社会に捧げてしまった人間にとって世界に謎は存在しない。すべてが解決済みだ。だが、世界解決していない。それが真実だ。大量消費という麻薬によってオタクは考えることをやめ、現実世界から目を背けた。

アンケート意味はない。なぜならアンケートとは大衆による人気投票からだ。真の知識人と考えることをやめたオタクの一票が同じ扱いをされる世界だ。そんな世界に真の知識人がいつまでも残っているだろうか。ばかばかしくなってそんな世界からは去ってしまうだろう。結果的アンケート増田流行によって、考えることをやめたオタクけが選別され残ることになる。はてなは何も考えない空間になるだろう。「これはひどい」「炎上タグをつけて勝った気になり、世の中を冷笑してかっこつけるオタクけが残るようになるだろう。そこは考えることをやめたオタクにとって最高に居心地の良い世界だ。はてなにおいて「小説家になろう」が一定の評価を受けているのは、はてな自体が「俺TUEEE」的言論空間になっていることと相性がいいからだろう。大量のサブカル雑学摂取して、膨れ上がった脂肪を見せ合って、「俺たちすげー」をやっているわけだ。ますます考えることをやめたオタク熟成されていく。その一体感危険なのだ

アンケート増田には参加するべきではない。一歩離れて、アンケート増田に参加しているはてなユーザーを観察する側に回ってみることをおすすめする。最初は彼らの一体感に憧れを感じるかもしれない。自分もそこに混ざりたい、スターもらいたい、そう思うかもしれない。そこでぐっとこらえてしばらく安易な一体感から離れてみてほしい。そうすると見えてくるものがあるだろう。そのとききみは人間として考え始めるのだ。

2019-01-24

anond:20190124123340

中学受験って東大入る為だけではなくて、あまり出来の良くない子を中堅私立エスカレーターで入れる為ってパターンもあるので…

とりあえず付属中学に入れさえすれば大幅に落ちこぼれない限り付属大学には行けるから保険になる、

って意味で入れる親も多い。

中高生になると反抗期になって親に逆らって勉強しなくなるパターンも多いけど、小学生は親の命令勉強させられるから

自我が芽生えないうちに保険になる学校入れとけってパターン

2019-01-23

anond:20190123030501

空気に飲まれると終わる。学校で補修や追試の常連だった奴はみんな落ちこぼれのまま卒業した。中には心を入れ替えて早稲田に行った奴もいたけど。俺はダメだった。

2019-01-22

anond:20190122092537

フリ幅がでかい、というが

そもそも他の病気を併発していることが多いので

ダウン症だけのせいかがわからない

実例として

20前半で大学卒業できる人もいれば

いつまでもオムツとれない子もいる

でもオムツとれないのは、ダウン症問題なのか、身体発達の問題なのか、他の病気問題なのか切り分けがむずい

そしてどういう教育を与えてきたかにもよる

例えば将棋の子で有名なモンテッソーリ教育ってのは、元々健常児にやるものではなくダウン症誰のような子供にやっていたものなんだ

それが日本では高等幼児教育みたいになって

取り合い激しくて困っている

モンテッソーリ等を積極的やらせることができたダウン症と、そうでない子では学習能力にはやはり違いがでてくるわけで

大事なことは、その成長度合いにあった学年にいれておき、ゆっくりでも教育することなんだと思うんだが、どうかな?

例えば、10歳児の知能の15歳がいたとして

の子必要なのって、10歳児に与える教育と同じになるんじゃない?

健常児だって、仮に12歳だけど10歳児並みなら、10歳児の教室で学ぶべきじゃないか

12歳組で落ちこぼれるくらいなら、10クラスをもう一度やるべきちゃうか?

と思っているんだが、どうかな?

追記

質問に答えれてない気がしたので追記しま

うちの子でいうと、中程度知能障害の診断が下っているので

現時点での福祉教育レベルであれば

成人後の精神年齢や知能的には小3から四年になると予測してます

ただ、日本制度的に、年齢的な問題で成人後に、知能指数に応じた適切な教育をし続ることができないだけなので

適切に、教育し続けることができれば、まだ伸びると考えています

年齢的な問題うんぬんで、最近直面した小話を一つ

しまじろうのチャレンジ一歳児用の教材

今年のやつおもろそうやん!はてなんだくんほしいわ

と思い申し込もうとしたら、三歳児は申し込めないって断られました、年齢枠というか、年度製のせいで、適切な教育から漏れる例として、笑っていただければ幸いです

2019-01-21

anond:20190121011153

今でもC++は開発の主流だよ。

ウェブ系の言語ではないというだけで、ウィンドウズで動いているアプリほとんどはC++で書かれている。

そもそもC++を批判している連中は、C++を使いこなせかった落ちこぼれからね。

その言い分を鵜呑みにしてはいけないよ。

2019-01-20

anond:20190120194703

優秀な子どもを育成するために飛び級留年が良いのは分かるけど、

逆に落ちこぼれ海外制度だとより一層落ちこぼれていくのかな?

2019-01-12

妄想ってすげえ

妄想って自由だし最高だ

例えば俺の妄想だと桃白白ヤムチャ交尾しているところをプーアルが目撃してしまい、プーアル発情、そこへウーロンがあらわれ、プーアルに劣情をぶつけ出す

落ちこぼれだったウーロンはプーアル支配することが長年の願いで、それを叶える

しかプーアルヤムチャに羨望を抱いている

その想いがあるにも関わらず、ウーロンに蹂躙され、快楽に身を硬ばらせる

とざっくりでこんなんだ。

妄想って万能だなあとしみじみ思う

2019-01-09

anond:20190109200256

 理系大学院を出てても、周りの人と比べて人間的に落ちこぼれたら、スーパー就職するのも珍しく

ないと思う。僕も理系大学院卒だし、自分を含め、周囲にもそういう人は何人かいるけど、

たいていの人は、それなりに普通人生を送っているし…。

 以上、アラフォー税理士意見でした。

2019-01-08

落ちこぼれ受験生の話

僕は落ちこぼれ受験生だ。

落ちこぼれっていうのは、いろいろ捉え方があると思うけど僕は一応進学校って呼ばれるところに通っている。が、その成績は底辺に近い。

そんな僕でも、一応受験生ってやつをやっている訳だが、今まで散々勉強してこなかったやつが本気を出したところで、まぁ未来はわかっていた訳だがとりあえずまわりも塾に行ったりしているわけであるので僕もそれに同調して塾に通っていた。

そこではちゃんと予習もして、授業も必死で聴いて、ノート取って、と正直周りと比べてもかなり頑張っていた方だと思う。

だがね、世の中そんなに甘くない訳だ。高校に入ってから2年弱、殆ど勉強してこず赤点ギリギリだったやつが勉強したらどうなるか。夏くらいまではすごい勢いで成績が伸びる訳だよ。そりゃぁ何だかんだ成績伸びれば嬉しいし、まわりも褒めてくれた。でもその後演習を重ねていくにつれて自分限界が見えてくる。

例えば英語場合、ざっくりいうと文法と読解に分かれている。文法をまず身につけようと思い勉強すると文法は大幅な伸びを見せた。次に読解を勉強していくとこれまた読解も大幅な伸びを見せるわけだ。ならいいじゃん、とおもうだろ?なんと文法は元のレベルまで後退してしまっているのだよ。あわてて文法見直しをすると元に戻るのだが読解が...

まぁこんなわけだ。ここが自分限界なのかなぁとおもってしまう。

さら学校レベル微妙に高いせいで、まわりは満点とれなかっただとか、東大B判定だとか騒いでるわけ。自分の小ささを改めてわからせられるんだよ。塾に行ってもまわりは期待をかけられてる中自分は何をやってんだと思う日々。

多分これを見た人は「いや、もっと頑張れよ」って思う人が大半だ思うけど、もし同じ境遇で苦しんでる人がいたら仲間がいるんだよってことをこの日記で示したい。

2019-01-04

anond:20190104135659

俺もそれやってるわ英語数学に関して

趣味プログラミング必要になったからってだけなんだけどね

俺はあんたと違って自信満々だから「やれば出来るものをやらなかっただけ」「いま必要になったからやる」としか思ってない

国語とかは一切勉強しなくても日本一レベルだったので勉学については慢心に慢心を重ねて生きてきた

とはいえ、いいよね中高生勉強のおさら

純粋楽しい


ところでなんかで読んだんだけど

数学の授業はほとんどの生徒にとって当人理解段階にマッチしてない」

「だからAI個人個人の段階に合わせて別々の問題を与える」

みたいなやり方ができつつあるんだって

そうすると数学落ちこぼれる子は激減するんだろうねえ

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

2018-12-27

中卒だと思ってた人が中央大学卒だった

Twitterで知り合った人でプログラマらしいんだけど

いつか大学の話をしてたと思うんだけど、その人は中卒って言っててそれを鵜呑みにしてた

忘年会オフ会を兼ねてさっきまで飲んでたんだけど、さらっと「え?おれ中大だよ?」だって

おれは日東駒専のどこかの大学出ててきっとその人を見下してたんだろうな

中卒でプログラマってのもすごいなと思いつつ勉強とかできない落ちこぼれだって

一番腹がたったのが「嘘はついてない」ってこと

かに略したら中央大学卒は中卒だけど、普通高校も行ってない引きこもりだって思うだろ

なんか心の中でむしゃくしゃしてる

2018-12-23

トラバを消したクソ雑魚野郎晒す

>>妄想披露する精神病患者

>>AVの見過ぎで頭がおかしくなったとか

逃亡癖のある臆病増田がこいつだ。

消して逃げる。チキン野郎

トラバを消してすぐ逃げる。チキン増田

臆病で泣き虫で哀れな増田

まり可哀想落ちこぼれ増田だ。

anond:20181223095837

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