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2020-07-15

一度腐ったら普通にはなれない

今年22歳になる。同級生達は大学4年生で就活真っ只中だ。もう進路が決まった人もそれなりにいるだろう。

私には夢がある。それは普通の人になることだ。仕事に行って、パソコンの前に座って仕事をして、同僚や上司他愛ない話をして、多くなくていいからお給料を貰って、そのお金から税金を払って、生活をしていく。一般的に想定されるような、なんてことなOLになりたい。

でも多分なれない。タイトルにも書いてある通り、一度腐った人間から

思えば挫折高校三年生の時から始まっていた。勉強が好きだったか進学校と呼ばれる高校受験勉強を頑張っていたけど、家が貧乏で進学を断念した。

こう言うと聞こえはいいけれど、今時貧乏でも母子家庭でも奨学金を借りてバイトもしながら苦学生をやっている人なんて珍しくもない。私は勉強は好きだったけれど分野を絞ることが出来ず、かつ多額の奨学金を借りることにどうしても抵抗があり(高三時点で社会不適合者の自覚があり、ちゃん就職して返済できる自信がなかった)、一言で言えば気概のない子供だった。

高校を出ていくつかバイト経験したあと派遣社員として1年ほど働いていたが、セクハラパワハラの多い職場で、気概のない私は最終的に抑うつになって辞職した。

派遣社員だった頃、中国語の歌にハマったことが理由中国語勉強を始めた。前向きに取り組めることがあることが嬉しくて、独学だったけど勉強はどんどん進んだ。大した資格ではないが、勉強を始めてから1年くらいであ中国語資格の最高級を取った。Skypeの講座を取り、会話練習も欠かさない。

中国語勉強を楽しむ自分がいる一方で、社会と接するとき自分はどんどん腐っていった。

派遣社員を辞めたあと、どうしても働きたくなかったけど生きていくために働かなきゃいけなかった私は、風俗仕事を始めた。ブサイクだけど若いから受かった。

中国語をやりながら、デリヘルで働いた。最終的にソープで働きはじめ処女喪失した。

中国語のレッスンで自己紹介をする時、職業を偽らなければいけないのが虚しかった。

手垢のつきまくった言葉だけど、客とセックスするたび気が狂って叫び出したくなった。薬を飲んで仕事に行き、待機中はずっと勉強をした。待機室でよく一緒になった実家暮らし女子大生に真面目だと褒められた。鬱は悪化し続けた。

鬱の悪化と同時に、なぜか語学勉強をしたいという気持ちがどんどん強くなった。中国留学するか日本で進学するかで悩んだが、英語に興味が湧いており、普通の人のように就職をしたかった私は国際系の専門学校に進むことにした。

収入が途絶えたら死ぬから風俗は続けた。セックスしながらまた勉強をした。大した資格ではないが英検準一級を取った。

あっという間に1年が経ち、いまは専門学校の2年生だ。鬱は治っていないが、ここでまともにならなければ一生まともになれないと思いながら就活に奮闘している。

いまは就活に集中するため風俗は辞めている。

気概もなければ誇れるものもないけど、語学勉強だけは人並みくらいには頑張ってきた。中小企業だけを受けている。内定ひとつもない。

就職課の先生曰く、コロナウイルスの影響で、外国語必要とされるような航空や観光業が軒並み採用中止となっている上、例年だと専門学生がメインに受けるような企業に四大生が受けに来ているらしく、国際系の専門学生就職が厳しいらしい。

先生の話を聞きながら、たとえコロナがなくても私を採りたい企業なんてないだろうなと思った。

私は英語中国語が話せる。それ以外で明確な専門分野はないけど、簿記プログラミング勉強したことがある。インキャだけど風俗で働いていたかコミュニケーション能力はある。派遣だけど事務で働いた経験もあるし、普通接客とかのバイト経験もまあ豊富だ。人に感謝されたこともある。人に頼られたことも頼ったこともある。家事自分でやるし身体を売って稼いだ金で学校に通い、家賃を払ってる。高校時代はしょぼい部活だけど部長もやってた。エクセルワード資格も取った。

それでも誰も私を採りたいと思わない。なぜなら一度腐った人間から

この国は、この世界は一度腐った人間普通になれないように出来ているから。

運命は生まれた時に全部決まっているから。

明日自殺するのでこれを書いた。誰にも話したことがなかった自分の話ができてスッキリした。

2020-07-02

つまんない話です。自己満で書いてます

愚痴すみません。私は高校三年生なんですが

、今のクラス友達がいません。友達居ないどころか浮きまくってます。いままでの私の行いにも色々問題があることはわかってます。そういう諸々が今の状況を引き起こします

でも辛いです友達がいる時は、いなくても大丈夫、いてもいなくても一緒と思っていたのが、いなくなったらいきなり学校生活がきつくなりました。

最近はどこにいても悪口言われてるような気がしてなりません。

実際言われているのは分かってるんですが、明らかに自分の事じゃなくても悪口っぽいワードが聞こえてくると反応しちゃいます

今まで、自分も今の自分がされているようなことを無意識したことがあります

意識的したこともあります

けど自分がされるまでことの残酷さに気づけませんでした。本当に終わってると思います

親にも悪口言われてるみたいなのはフワッと言ったんですが、結局心配されたくないため強がってしまい逆にまた気が重くなってしまいました。

他校とかに友達がいましたが、自分で切ってしまって連絡も取れないし、

前まで食い気味というか積極的に関わってくれてた友達も私があからさまにぼっちになったのに気づいたらよそよそしくなってしまいました。

それは普通にしかったです。

そういう感じで今気が許せる人もいないし、何となく全然キツくないはずのことがものすごくきつく感じるようになってきました。

今まで、自分で乗り越えられると思ってたことが、全く自分に何かを乗り越えたりする精神力なんてないと分かって(薄々知ってはいたのですが)

下らない自意識ばかり肥大してて割と限界です。

そして周りの人を憎む悪循環になってますが、周りの人は別に悪くないし、私が興味持ちすぎなだけで、誰も私に興味無いことはわかってます

全て私が悪いことだし、自分でどうにかしなきゃいけないとおもいます

でも、私自身はもう性根腐ってるので治らないと思います

学校生活あとわずかですがギリギリで耐えられるように頑張ります

耐えた後に何があるか分からないけど頑張ります

色々と親にも申し訳ないし、頑張ります

2020-06-08

顔をあげて歩くようになった

私は昔歩くときは下を向いてばかりだった。

記憶にあるのは登下校の道の側溝を塞ぐ蓋の穴ばかり。

別に意識して下を向いていたわけでもないし完全に無意識なのだけど、とにかくそ景色けが鮮明に残ってる。

そんな奴普通にしかけたくないしあと普通に考えて前見て歩かないと危ない。

学校休みがちで友達といえば休み時間教室で絵を描いているようないわゆる陰キャの子たちばかり。

当の私も立派な陰キャだったし今だってそれは変わらないけれど、私はいつの間にか顔をあげてまっすぐ前を見ながら歩くようになった。

当時の友達、いつも一緒にいるようないわゆるいつメンとも普通に仲良くしていたし仲良くしてもらってたと思うけど、今考えてみれば心の内にあることを話せるような本当の友達は一人もいなかった。

学校休みがちだったのは大人になってから病気が判明してそのせいだったとわかったけど、失った思春期青春は帰ってこない。

高校に入って小学校の頃よりは学校にも通えるようになり、友達も増えた。

高3の頃、体育祭きっかけでいろんな子と仲良くなった。

今連絡を取っている子は数人に減ったけど、当時はとても楽しかったしまさに青春!って感じだった。

私にとっての人生ピークは絶対にここだと思ったし、それでいいと思った。

その頃にはもう顔をあげて歩いていたんだと思う。

高校三年生がとても楽しかったし、青春人生ピークはやっぱりここかなとは思うけど、今もそれなりに楽しくやっている。

病気かいろいろ大変なことは多いけど、大好きなアイドル出会ってからから大好きで信頼できる友達も年齢問わずたくさんできた。

しかしたら人生ピークは更新されているかもしれない。

今はこんな状況(世間的にも個人的にも)でアイドルにも友達にもなかなか会えない日が続いていて大変だけど、またこからいろんな青春に気付いていきたい。

また明日からも顔をあげて歩こう。

2020-05-22

コロナ禍に思うこと

私は就職氷河期世代ロストジェネレーションなどと呼ばれる世代です。

コロナ禍の影響で世界が今後どうなっていくかはわかりません。

twitterでは高校三年生悲鳴などが話題になったりしました。

この話題に関して伝えておきたいことがあって、文章を書くことにしました。

勢いで書ききるつもりなので誤字脱字などはご容赦いただければと思います

から伝えたいこと、それは

氷河期世代の苦しみや悲しみは繰り返してはいけない」

です。

氷河期世代の過ちを繰り返してはいけない

氷河期時代に起きた過ちを細かく述べるなら、


さて、以降は私が経験したできごとを大きくわけて2つあげてみます

この経験から上記のような結論に至っています

1つ目は日本医療、もう1つが経済です。

その前に私について軽く述べておきます

西日本まれ東京就職です。

小学生の時分瀬戸大橋の完成、バブル崩壊などを経て、消費税導入がありました。

中学卒業の頃には氷河期が始まりつつあり、早めに進路を決める必要がありました。それは大学に行くかどうかも含めてです。

高校2年の時に阪神淡路大震災がありました。

私の家は、家の修繕や親戚関係お金を失っていました。

私は大学には行くことはできず、専門学校バイトを掛け持ちの進学。やっとIT系就職したものの、ブラック企業ばかりの状態でした。

自己責任という名のもと、必死に耐え忍んで、20後半の年代もっとまともな仕事に着こうと転職活動を始めた矢先にリーマンショック

リーマンショックが落ち着いて、立ち直りつつ今度こそと思っていたところへ東日本大震災

そういう世代です。

医療について

コロナの影響で日本医療崩壊が懸念されてはいものも、「何をもってして医療崩壊とするか」が個々人によってバラバラのため、議論が進まず、言葉けが独り歩きしていると感じています

さて、医療崩壊と併せてよく言われる言葉。「命の選別」というものがありますが、私の家族はそれによってこの世を去りました。

もう10年以上前のことです。

祖父の死

田舎の隅のほうに家がありましたので、先進的な医療は受けられません。

医療設備の整った病院まで車で一時間くらいかかるような田舎です。

ある日、心臓病が発症して県庁所在地病院まで搬送されましたが、もはや助かる見込みは無い状態でした。

親戚もそれは解っているため「仕方ない」「田舎から」と諦めた様子でした。

田舎とはそういうものですし、年齢的なものもありましたから。

父の死

数年後、世間リーマンショックで騒いでいる時代です。

父も同じ病気発症しました。

父の家、すなわち私の実家は少しだけ都市に近い場所でした。病院にも数十分で搬送されたとのことでした。

しかし助かりませんでした。

医者がいませんでした。」

「手術まで数時間待ちでした。」

「なんとか手術は終えましたが、合併症脳梗塞発症したため助かる見込みはありません」

これが私の父そして祖父に対して強制的に行われた「命の選別」です。

時代はちょうど小泉内閣の時です。

合併で多くの町が市になり、色々な予算が削られていきました。

医療制度が新しくなって、地方医者(研修医)が来なくなりました。

(興味がある人は調べてみてください。研修地方に来る人が居なくなり、その結果何が起きたか。)

その結果がこれです。

経済について

バブル崩壊消費税導入

私が小学生の頃、瀬戸大橋が完成して本州四国が一本に繋がりました。俗にいう「一本列島」ですね。

先行き明るいと思われていましたが、バブル崩壊消費税導入が押し寄せてきました。

家の家計は数十年先まで給料が上がり続ける前提で組まれたローンとなかなか上がらなくなった給料で苦しかったようです。

それでも父と母が共働きでなんとか学費などを貯め続けてくれていました。

進学と就職氷河期

高校に進学する頃には就職が難しいという話題があがりはじめていました。氷河期です。

高校大学と進んでも先行き不透明のため、中卒で力仕事従事する道を選んだ子も居ました。

大学進学までを希望していた子でも、普通科ではなく商業高校工業高校に切り替えたりしていました。

もちろんその道を選んだ人の自己責任と言われます

大学進学断念と阪神淡路大震災

高校2年の頃には阪神淡路大震災がありました。

私の家は大きな被害は受けなかったものの、親戚関係で色々あり、、、省略。

そして本格的な就職氷河期が始まりました。就職先はほとんどありません。

就職組の競争率は2倍、3倍。公務員に至っては10倍近い倍率もあります

なぜそうなるのか?

自分高校だけの話ではなくて、全国的就職先が無い状態です。

すると、偏差値の高い高校本来大学に行くような人たちが公務員などの就職試験を受けに来ます

これでは中堅の高校が敵うわけがありません。

では進学すればいいかというと、そうでもありません。世間では「即戦力」が求められた時代です。

そしてお金がない家庭に何が起きるかというと、とても居心地が悪くなるわけで、今でいう虐待に相当する行為が起きてしまうわけです。

それでも学校先生はこう言います。「勉強していい成績とれば、家庭環境も良くなる」

前提として「勉強」があるわけですが、それを阻害する要因の「虐待」が発生しつつあるので、もはやどうしようもないです。

今にして思えば父も母も不安だったのだと思います。もし受験失敗したら、浪人するお金はない。すなわち高卒で働くことになる。

滑り止めで私立は無理。震災お金が無く、そもそも受験費用の捻出だけで今は精一杯だったので。

公務員などの就職は難しい、、、では最初から少しでもマシな企業就職するか?

色々考えた結果、私は専門学校という苦肉の策を選びました。自己責任です。自分の選んだ道ですから

派遣改悪就職

進学、就職をなんとか乗り越えても、次の罠がやってきます派遣改悪です。

就職先を増やすためとの名目ですが、実態奴隷商売人身売買です。

私は派遣ではなく正社員として就職したものの、派遣会社に限らず下請けソフト会社などにありがちな二重、三重下請けの一部が派遣に切り替わったりしていきます偽装請負ってやつですね。

偽装請負二重派遣派遣法で禁止されていますが、派遣会社社員がそれを言い出せるでしょうか?

もしそれを訴えてしまうと「誰が訴えたか」が伝わってしまい、次に仕事に就くのが困難になります

労働基準監督署に依頼しても、そこまで保護してくれません。つまり誰も言い出せない。そんな状況です。

ならばスキルを高めてから転職。。。と考えます

なんとか実務経験を積んで、転職を繰り返すことで少しずつ待遇は良くなりました。

送別会で初めて会うN次受けの営業さんに「お世話になりました」などと大人対応で去り、次に行く。

しかし、転職ブラック企業をひくかどうかという、精神的に負担が大きいギャンブルです。

ギャンブルを繰り返し、少しづつまともなところへと向かっていった中で。。。リーマンショック東日本大震災が襲ってきました。

東日本大震災直後の年収は額面240万でした。計算やすくていいですね。

リーマンショックでは助成金があるから、その金額おかしいのでは?と考えるかもしれませんが、残念ながらあの助成金企業に対して支払われるもので、そこのやりとりに一般社員が関与することはできないんですよね。

労働基準監督署?もし訴えて未払い残業代を手に入れたところで、その業界で働けなくなったら意味なくないですよね。

脅しだから無視してよいと言われても、ずっとこういう生活を続けているとそれが当たり前になってしまうのです。

そもそも労働基準監督署リーマンショック震災などの有事の際は忙しいですし、一人ひとり真面目に相手になんてしてくれません。残念なことです。

最初に述べた意見の詳細説明

自己責任論で弱者(まだ世間を知らない学生さん等)に責任押し付けはいけない

自己責任論と言われて育ってきましたが、あれは間違っています

まだ世間の荒波を知らない20台の若者に「責任をもて」「経営者目線で」と言いつつ安月給や非正規雇用で働かせる。それは間違いです。

コロナでの「自粛」と同じく、「自己責任」は当人自主的に口にするべきものです。

そもそも選択肢が無い状態で仕方なくその道を選んでいるのに「自己責任」と投げかけるのは間違いです。

就職先無いけど、どうする?自分責任で選んでね。というのは無茶ぶりです。

強者弱者に対してこの言葉を使うのは「責任転換」です。

仕事があるかどうかは時代の流れが大きい。本人の能力問題すり替えはいけない

自己責任論とかぶる部分が大きいですが、就職先が無い状態学生さん能力が低いからと責めるのは間違いです。

たとえば競争率10倍の公務員試験であれば、100個しかない椅子1000人押しかける状況です。

そのような状況下で本人の能力問題など小さなものです。

学力をあげれば就職できる」論も間違いで、私の例でいえば家庭環境が終わっているのにどうやって勉強するのか?という話です。

当時の私には食事すらまともに出てきませんでした。生きるためにバイトしましたが、そうすると勉強時間が減ります

すなわち、環境悪化している状況下で本人に問題があると論点すり替えるのは間違いです。

twitterなどで話題になっていた高校生の悲鳴は「勉強できる環境づくりが難しい」という点だと思っています本来なら大人サポートするべきところです。

そして進学が不安だというのも納得です。

氷河期当初、進学するはずだった人たちが公務員試験を受けに来たという状況。それは当人にはどうしようもないし、平時であれば合格できたはずです。

それを「勉強不足だ」などと本人の責任にしてしまうのは間違いです。

世代間争いをしている場合ではない

ももう40台となってしまいました。失われた時間は返ってきませんし、怒りや憎しみを次の世代なすりつけるつもりもありません。

度重なる過労と鬱で子供を作る能力すら失われてしまいました。だからこそ、この文章を見ている人にお願いします。

年寄りから」「若者から」といがみ合って、物事本質を見失っていないでしょうか。

身の回りの小さなことに苛立つのではなく、そんな状況にしてしまった世界日本、そして政治をなんとかするべきです。

労働者階級同士でいがみ合い、会社間でいがみ合い、それでは誰も幸せになっていません。

消費税では福祉医療をまかなえていない

当初の導入では福祉医療などをまかなうため(という建前)の消費税でした。しか実態どうでしょう

父の命に対して

医者がいないので手術できませんでした」

という言葉を受けたからこそ言います

都会/田舎高収入/定収入所属企業を問わず皆が平等に収めている消費税

平等に収めた税金にもかかわらず「(田舎から)医者が居ません」と人の命を切り捨ててしまった。故に消費税不要です。

法人税はどんどん下がっているのに、消費税はどんどん上がっていく。そして消費税生活を圧迫し続け、私自身は生活も苦しい状況が続いています

さいごに

勘違いしてほしくないので最後に少しだけ書くと、犯人捜しや不幸自慢を推奨しているわけではないということです。

消費税が悪、政府が悪といった「犯人捜し」に躍起になったところで、誰も幸せになっていません。

氷河期は不幸だと不幸自慢したところで救われません。

過去にこのような問題があり、私自身がそれを受けて多くの不幸に見舞われたからこそ、新しい世代にはそうあってほしくないと願っています

2020-01-30

anond:20200130135351

卑近な例に置き換えると、

たとえば高校三年生文芸部員が、

試合に勝ったという高校一年生の剣道部員に、

「よかったやん」って言って背中を叩いたら、

「敬意がない」「マウントとってる」と思うんか?

よくわからんで。

2019-12-31

さよなら







推し、めちゃくちゃ好きで超会いたくて会いたくて気づいたら五年くらい経っていたんですが、ついに今年推し名前事務所から消えてテニパにもメッセージ無くてテニミュも全国立海後編始まったしこれ以上ないタイミングなのでさよならブログを書こうと思って書いています

かなりとっ散らかった文章ですが、読んで頂ければ幸いです。

大好きなので、大好きなのは辞めないと思うんですが、思い出にして前に進みたいのでさよならします。



さようなら岡崎寛くん



私が岡崎寛くんを知ったのは高校三年くらいの時でした。当時、テニミュを好きな友達がいて、テニプリ原作が好きだった私はものの見事に引き摺り込まれました。

高校三年生は受験遠征もできず(地方貧乏学生だったこともあり)、短大一年生になって初めてテニミュに行きました。最初に行ったのは公演ではなくて大運動会2014だったけれど。

そこで初めてテニミュを浴びて、目の前で動く推しを見て、岡崎寛くんが好きなフォロワーとも会いました。幸せだったな〜〜楽しかった!障害物競走でビリになってみんなに見守られながらゴールする岡崎寛くんの深司めちゃくちゃ可愛かった。本当に可愛かった。夜公演の前にブロマイドが売れ残っててフォロワーと落ち込んだのはいい思い出(よくないけど)(公演後は売り切れてた)

運動会神尾が欠席で、公演の後に神尾のスペースを空けて不動峰写真撮っててすごいほっこりしたなぁ。

その後、セカンド国立海が始まって、岡崎寛くんが好きなフォロワー友達と観に行きました。実はその全国立海の公演期間中に私を岡崎寛くん肯定される出来事が起きてしまいました。確実に身バレするから書けないけど。

私は親やクラスメイトにずっとずっとそれを否定され続けていて、それをすること自体はすごく好きなんだけど、時々ものすごく嫌気が差すことがありました。しかもその出来事の直前に、ショックな事があったので余計にきつい時でした。

うーん、ぼかして書こうとしているので訳の分からない文章になっていて申し訳ないです。でも、とにかく自信がなかったとだけ分かっていただければ大丈夫です。

 

そんな時に推しに"それ"を肯定されてしまったんですよね。今考えればそりゃやばいですよ。ずっと否定され続けていたことを推し肯定されたんだから




それからはなんかもうすごくて、超しんどかったけど何とか立ち直ってそれを続けられて、今でも続けられています。こんな幸せなことあるか〜〜?!ない!

そのきっかけで不動峰オタクフォロワーができたし(それまで岡崎寛くんが好きなフォロワーリアル友達くらいだった)なんなら今でも超仲良いフォロワーがいます

高校個人ホムペを見ていた頃、好きだった方と繋がれたりとかもありました。いや〜〜すごいな?!

岡崎寛くんのおかげで、好きなことを続けようと思えて、狭いインターネット世界がすこし広がって友達ができました。





国立海の公演期間中、ほんとうにほんとうに幸せハッピークソ野郎でした。

所詮行く公演も少ない在宅オタクだったのですが、日替わりレポをチェックしたり、かずくんとゆうきくんの差し入れ合戦を見てニコニコしたり、体調を崩してるらしいかずくんを心配したり、バルズのお揃いのキャップに湧いたり、全部新鮮だったので在宅でも楽しかった。



俳優オタク一年生だった私は何もわかっていなかったので、金を出すべきとか、公演沢山入るべきとか思いつきもしませんでした。周りにもそういう人がいる訳でもなかったし。本当に何も知らなかったしわかっていなかった。



今思えば沢山公演入っとけって思うけど。結局こうなってしまったんだから




いやでもかずくんの日替わり天才だったよな〜〜〜〜本当に大好きなんだよなぁ。日替わりで日吉や裕太と仲良くなっていく過程をやって最後には友達になれたりとか。『深司信じられない』もかずくんはゲーム元ネタって知らなくて、偶然思いついて使ったらファンレターゲームネタだと知った、みたいなのとか。日替わり毎日考えなきゃいけないのに、全国立海終わった後は楽しかったです!の一言で終わらせてるんだもんな。

やっぱ天才だよなぁ

国立海の大千秋楽をライビュで観て、最後の日替わりで泣いて(本当にあれはずるいけど天才だと思った)、映画祭があって(ドラキュラのかずくん会いたかったな〜〜行けばよかったな………)、ドリライがありました。



ドリライライバルズの出番が鎬だけで謀反……って気持ちだったな。ソロ聴きたかったな。でもはじめてのドリライしかった。

ゲイ術的なテニスのしんじくんバカみたいに可愛かったな………

ドリライでは初めて岡崎寛くんハイタッチして驚きすぎて腰抜かした。いやだってまさかできると思ってなかったし俳優オタク一年生だったし。同行者の方にちょっと心配された(それはそう)

あの時通っていった岡崎寛くんの深司、綺麗だったなぁ。

大好きだなぁ。



でもまさかドリライ2014が最後岡崎寛くんに会える機会だと思わなかったなぁ。



いや普通思わないよな?それで終わりだなんて。

かにドリライの後に仕事決まってなくて不安だった気はするけど、元々仕事が多い人ではなかったし(書いてて悲しくなってきた…)そのうち決まるだろうと思ってたな。能天気だなその時の私。決まらいか安心しな。


ドリライが終わって、かずくんの仕事が決まらなくて不安で、サードキャストが発表されて、そのなかに健人とまちゃがいて二人とも全国立海のアンダーやってて、サードのお披露目が近づいてて、かずくんの誕生日が近づいていった。

かずくんの誕生日アメスタ配信が決まって、喜んで見た。すごい酔っ払ってたな笑 でも楽しそうでかわいかったな。

仕事と言える仕事はそれが最後だったな。

多分アメスタの次の日か前の日のどっちかだったんだけど、サードのお披露目にかずくんが行って、サード不動峰キャストに囲まれててああもう先輩なんだなって思った。

健人とツーショット撮ってて嬉しかったけど複雑だった。多分まだいまいち健人を受け入れられてなかった。





それからサード不動峰公演が始まって、チムライがあって、やっと健人の深司が受け入れられて、ルドルフ公演があって、ドリライがあって、サード不動峰が一旦テニミュから離れた。

かずくんはたまにツイッター更新して、その度に私はひっくり返るような気持ちになったりフォロワーからリプ飛んできたり、インスタ始めたり、インスタのお陰で数年ぶりに動いてるかずくんを見れたりした。

Love's by keyパーカー買ったりもしたなぁ。まだ家にある。捨てられない。

なんか五年ってすごく長い時間のはずなのに、アメスタからかずくんのことで何があったかが数行で終わってしまうの、とても悲しい。数行ぶんくらいしか私は知らない。

当然といえば当然だ。その時から岡崎寛くん俳優仕事をしないつもりでいたのだろう。むしろ気まぐれでツイッター更新したり、インスタを更新していたことが奇跡だったのかもしれない。

インスタのタグ付け?で岡崎寛くんが何か他の仕事してるんだろうなっていうのを知ったもんな。





岡崎寛くんが今何の仕事をしているのか、結婚しているのか、してないのか、なにもわかんないけど、わかんなくていいけど、幸せ暮らしていてくれればいいなと思います





話がすっ飛びますが、12月19日からサード国立海後編が始まりました。ライバルズ、つまり健人の深司くんが出ています

健人にとってはセカンドでアンダーで出ていた公演にようやく出るってことなんだなと思うと本当にエモすぎて死んでしまう。

ここまで長いようで早かったなぁ。いや長いか

私の取れたチケット12月23日の公演でした。あれだけの倍率で取れたチケットがこの日ってもうめちゃくちゃ笑ってしまった。だってこの日岡崎和寛くん誕生日だよ、私早くこの日をなんでもない日にしたかったよと思った。軽い気持ちで申し込み出すもんじゃないなと学んだ日でもありました。(あとでにちかちゃん誕生日だってことも知った。おめでとう)

今年もまた12月23日特別な日になりました。きちんと岡崎寛くん誕生日ケーキも食べました。テニミュを観ました。凄かった。

もうね、私絶対これ岡崎寛くんに観て欲しい。絶対絶対観てほしい。健人の中に岡崎寛くんが生きているよ。本当だよ。でもそれを伝える手段が無いに等しいんだから笑っちゃうよなぁ。

から少しネタバレなのでまだ全国立海後編を観ていない方は数行飛ばしてください。

まさかスポットをねらえが聴けるなんて思ってなかった。メドレーがファーストのままだからだろうけど。

あとやっぱり一番は日替わり………かずくんがセカンド国立海で日替わりやってたシーンと同じシーンで健人も日替わりやると思わないじゃん。ビックリしすぎてひっくり返るかと思った。そんなのエモすぎて死ねるじゃん。それにまさかGMKKもやるなんて思ってなかったし。

健人が。セカンドでアンダーで出てた健人がサードの全国立海でGMKKやってるの、マジでマジでエモい以外の言葉でどうやって表せばいいんだ。こんなことってあるか。

とどめはGMKKのコールだった。深司だった。

都合のいい深読みしすぎなオタクから岡崎寛くん誕生日から深司がコールだったんだなと思ってしまった。

本当にこんなの死んでしまう。

チケットはその日の公演一枚しかなくて、まあ実際観たらもっと観たくなるだろうなと思ってたけど、とんでもなく満足してしまったので今のところその欲があんまりない(いや、チケットがあれば行きたいけど………)

最高の公演をありがとうテニミュ…………

あと、色々見てて気付いたことがあるんだけど、健人のなかに岡崎寛くんが生きている。どうとか具体的にはあまり書きたくない…………けど確実にそうだと思う。

健人にかずくんの深司がどう写ってたのかずっとわからなくて、正直かなり不安だったけれど、健人のなかに岡崎寛くんが生きてることが分かってすごく嬉しかった。本当にうれしい。

よかったな〜〜本当に良かった。





いや、いや〜〜!岡崎寛くん、会いたいな!

さよならします!思い出にします!って言ってここまで書いた癖に会いたくて仕方ないな。かずくん、本当にキモくてごめんなさい。

私はずっとずっと岡崎寛くんに直接会って、私を肯定してくれたことにお礼を言いたくて5年も引きずっていました。もうここまできたら呪いだよ。どうしてこの程度のことぐらいが叶わないんだろう。不思議だなあ。

つくづくオタク推しを繋げているものって脆いなものなんだなと思う。推し行方くらましたらもうオタク推しが何をしているのか、生きているのかすらわからないままなんだよ。

改めて考えるとめちゃくちゃしんどいな。当然のことだけれど。

推しにはオタクことなんて気にせずに生きていてほしいと思う反面、推しのことが知りたくて仕方ない生き物だから仕方ないのかな。矛盾しかなくて本当に面白い


岡崎寛くんサード国立海後編に行ってくれたらもう思い残すことがないので、安心して死ねるなぁ。人生短いけどできるだけ思い残すこと無い方がいいじゃないですか。自分ではどうにもできないけど。

どうにか行ってくれないかな〜〜そしてそれを教えてくれたらいいな………

だらだらと色々書いてみて、とんでもなく短い間だったけど私は岡崎寛くんにいろんなものを貰ったんだなと思いました。

テニミュがめちゃくちゃ楽しいと思えたこと、付き合いが長くなるフォロワーと知り合えたこと、自己肯定感幸せな思い出、沢山沢山貰いました。岡崎寛くんがいなければここまで沢山幸せなことがあったかどうかわかりません。本当にあの時は幸せでした。岡崎寛くんにはどんなに感謝してもしきれません。

岡崎寛くん、本当にありがとうあなたがいなければ私は今どうやって生きていたのかあまり想像ができません。多分今よりもっと死にたかったと思う。

直接会ってお礼を言うことはもう叶わないので、届きもしそうにないところからお礼を言わせてください。

本当に本当に、たくさん幸せをくれてありがとうございました。これからも大好きです。

2019-11-13

嵐という神様、嵐という人間

二宮和也結婚

嘘だろ、と思った。正式報道される前からツイッタートレンドに上がってはいたが、どうせフェイクニュースだろうと信じていなかった。ファンクラブに届いたという直筆メッセージもそうだ。会員がそうやすやすファンクラブ情報を漏らすわけがないと。だが時間が経つにつれその信憑性は増していき、ついにはテレビ速報で事実だと叩きつけられた。

私は嵐のファンクラブに入っていない、せいぜい20曲くらいしか曲名を言えない非ジャニオタだ。俗に言うアニオタで、好きなキャラはいくらでも言えるがパッと思いつく芸能人なんて数える程しかない。ドラガリアロストの曲を九割は担当しているDAOKO氏とか、オタクイメソン文化で馴染みのある米津玄師氏とか、そのくらいだ。活動休止の発表だってプロメアという映画を見た直後にツイッタートレンドで知った。

その時も、今と同じくらい衝撃を受けた。

私は現在高校三年生であり、嵐より後に生まれ人間だ。物心ついた頃にはもう、彼らは当たり前に国民アイドルだった。 (下積み時代があった事も、この間のしやがれで初めて知った) 身近に居て、身近に居ない。言うなれば神様だ。この先彼らをテレビで見かけない日なんてずっとないだろうと思っていたから、活動休止の発表には本当に驚いた。そして泣いた。芸能人詳しくないし……と避けていた「好き」という気持ち自覚してしまったのだ。誤解のなきよう述べておくが、ここで言う「好き」とは憧れ、感動、敬意、そういう感情をひっくるめた「信仰」を指す。好き=恋愛感情という式は令和にもなったので改めてほしい。

当たり前だと思っていた概念が止まる。そんな情報を心の準備も出来ないうちにぶつけられて、あの時は本当に衝撃的だった。人生びっくりランキングの上位に入るだろう。活動休止の発表がRealize部門とするなら、結婚の発表はShocked部門か。

結婚が表す主語基本的人間だ。アイドルという神様が、人の営みに参加する。人という土俵に降りてくる。しかも、誰かの為に。「好き」という感情は色んな物事を線で繋いだ先にある。その線がイヤホンのようにこんがらがってパニックになってしまった。ようするにショックを受けた。今まで偶像として見ていたから、神が人と同じ立場に立って結婚という行動に出ることが信じられなかった。神様人間のような振る舞いをして、いつしかただの人間になってしまうのではないかと思って泣いた。芸能人だろうと人間だけれど、違うのだ。神様偶像象徴、そういう目で彼らを見ていたんだ。ステージに立てば割れんばかりの歓声が上がり、目を細めてしまうほどの光と笑顔が溢れる。それがアイドルで、それを人は希望という。

希望が形を変えることに恐怖を抱いた。正直言って、芸能人結婚に苦言を言うファンには辟易していた。「ファンならおめでとうと声をかけるだけでいいだろう」と。だがそれは違った。ファンのあるべき姿を他人に求めるのは、自分趣味他人に押しつけているだけだ。好きだからこそ、信仰を捧げているからこそ愛憎を抱いてしまうのだと実感させられた。事実だとしても拒絶してしまうのは、自我防衛本能だ。

結婚報道後の今でも好きの気持ちは変わらない。だけど、この先どうなるのか、それを考えるのが怖い。神様人間になってしまうのが怖い。だけど、その恐怖は悪いことではない。どんな気持ちであれ善悪も貴賎もない。傷つけるような言葉にしない限り許されるものだ。言葉に枷は必要だけど、気持ちはいだって自由の身だ。おめでとうと言えなくても別にいい。他人の「あるべき姿」という趣味に付き合わなくても別にいい。これを読んでいる人に件の話が認められない人が居るなら、どうか胸を張ってほしい。もやもやしている感情があれば、的確で明瞭な名前を付けてしまえ。たとえ感情の行き先が人間だろうと、神様に向ける信仰心のような「好き」は変わらない。神様人間になってしまうことへの恐怖は仕方のないことだ。自分の抱いた感情を認めてやってほしい。負の感情は、隠れていた願いを明示してくれるものだ。自分が抱いていた願いをつまみに、「人間だけど神様だし、神様だけど人間なんだ……」と呟きながらお酒でも飲んでおくれ。私はタピオカでも飲みます未成年なんで。

こうやって書いてるうち、ふと色々な記憶が蘇ってきた。二宮氏は、バラエティ番組台本で「いじり」があったもののそれには一切触れず、ひとりの人間としてそのいじりの対象となる芸能人に接してくれたこと。そもそも人の容姿をいじるような台本テレビ局が作るなという話だが、あれから二宮氏の人間性に敬意を持った。また、活動休止記者会見で行われた質疑応答。あの時も素敵な人たちだ、と感涙したことを思い出す。信じる、信じたい、そう思わせてくれる嵐5人の人間性が好きだ。好きだという私が居るのなら、ずっと変わらず好きなんだろう。神話と同じだ。自分の神を信じ、愛を叫んでしまうからこその信仰であり好意であり敬意である。そんな自論に導かせてくれた事だけでもうありがたいし、多分一生好きだと思う。ありがとう

気持ちのゆくままに書いてしまった。私の腕では直しようもないので、このまま投下する。読んでくれた人々、ありがとう

最後に。ご結婚おめでとうございます結婚式は神々しく華々しく、笑顔を咲かせて、一人の人間として、心ゆくままに楽しめるものにしてほしい。祝福あれ。

2019-10-01

anond:20191001112356

ボーダー付近からな。

小学生大学生ならアウト判定やろうけど、

高校三年生boyとかなり大人びた中学1年生girlなら無くも無い、って感じやろ。

2019-06-27

[]anond:20190627201151

■頑張るってな~んだ!(虚無)

今私は高校三年生で、時期的にはまさに就職大学専門学校かと進路を決めて周りの人間が頑張っているであろう時期なんだけど、何一つ頑張ってない。努力もしてない。というかよくわからない。努力とか頑張ってるとかってなんだ?誰の基準なんだ?自分か?他人か?

「何がしたいか」なんて聞かれてもなにも思いつかないし、ましてや将来の夢なんてなにもない。強いて言うなら絵を描くことだけは小学生の時から好きだった。って言ってもクオリティは大したことないし、服とか小物描くのは苦手だし男も描けない。背景も描けない。女(しかも肩から上)しか描けない典型的底辺絵描きなんだけど、この間学校の進路ガイダンスに行って、専門学校もいいかもなとちょっと思った。今まで進路のこととか本当に考えずに過ごしてきたから「今?」って感じだけど、イラストといえば小学生のころから唯一続いてきた趣味でもあったし、好きだから

昨日、成り行きでその進路ガイダンスにあったパンフレット学校説明会にひとりで行った。ちょっとから思ってた「キャラクターデザインとかやりたい」っていう思いが若干強くなって、いい話も聞いて、ルンルンしながら家に帰った。でも、家に帰って即行お父さんにガッツリダメだ」って言われて、なんかお先真っ暗みたいな気持ちになった。

イラスト業界に進んで金もらえる人間なんて一握りだ。お前がその一握りになれるか?」

「せめてもうちょっと現実的専門学校だったらまだいいよと言えたかもしれないけどイラスト業界ダメ

まぁ、わかる。私もそっちに進んで安定した金をもらえる自身もないし、今のところ技術もない。それはこの歳になる前からでも思っていたことだし、その道に進んでもずっと考えてると思う。それに、イラストレーターとかデザイナーとかで働いてる人がなんだか違う次元の人のように思えて、現実味がなかったこともある。実際咲けてない漫画家が知り合いにいるし、難しい世界なのはわかっている。かといってそこで根性発揮してくらいついていける自信も根拠も親の信用もないし、この時点で「イラスト関連の専門学校は無理かな」と自分でも思っていた。親の言葉くらいで簡単あきらめるようじゃ、せいぜいこれから趣味レベルでやっていくのが私の限界なんだろとも思っていた。

私がお父さんに腹を立てているのは、専門学校に行きたいと言ったことを真っ向から否定されたからではない。大したクオリティではないとはいえ、私が小学生のころから八年程続けられてきた唯一の趣味を「所詮お遊びレベルだ」と一蹴されたことだ。

私は昔から、なにをやらせても中途半端三日坊主だった。音楽番組に影響されたお母さんに触発されてなんとなくでギターを買いたいだのと言いだし、そのギターはここ数か月クローゼットの中だ。小説っぽいものを書くのも好きだが、極めようとはしていない。せいぜい私の書くものを好きだと言ってくれる数人に見せているだけのようなものだ。作曲作詞にも興味はあるが、せいぜい興味があるレベルで、作曲勉強をしようとはしていないし作詞もただ思春期女の痛いポエムしかない。言ってしまえば生産性が皆無だ。先述したが絵のクオリティも「これどうなん?w」という感じだし、まあそりゃ本気でやってる人からすればお遊びだといわれても仕方ないような人生だ。ただそれを、小学生のころから絵を見せて「上手くなったな」などと言ってくれていたお父さんにガッツリ否定されて本気で傷ついてしまっている。実際図星しかないのでさらに腹が立ったんだろう。

「今までギターをやりたいというからギターも買ったし、絵を描きたいというから液タブも買わせたが、俺からすればお前のやってることは全部お遊びだ。イラスト関連の道に進みたいといわれても、これ以上お前のお遊びに俺たちを付き合わせるなとしか思えない」

と言われた。言われたのは昨日のことなので、超ハッキリと覚えている。あーあ、と思った。今までお父さんは私のやることなすことに対してそんな風に思っていたのかと。

その流れで「もしその道に進んだとして、途中で投げ出したらそのウン百万はドブに捨てたことになるんだぞ」とも言われ、これもまた私を傷つけた。私は高校一年生の時にそれなりに苦労して入った全日制の高校を辞めて通信制に転学している。その全日制に入るために進学塾に通ったりとまあ色々と金を使ったわけだが、お父さんはその金をドブに捨てたと思っていたんだと気付いた。それは、金を払っている親の立場からすればかもしれないし、私もいつか親になって多額の金を出して入った場所をやめたいなんて言い出したら「は?」と思うかもしれない。でもその時の私も余裕がなかったし、この心理状況で全日制の高校毎日通って単位を取って卒業するなんて無理だと思ったので、ほぼ勢いで転学を決めた。それまでも金が無駄になることや、憧れていた全日高校とずっと着たかった制服への未練が捨てきれず悩んだりもした。そこで小学生のころからお世話になっていた塾の先生に「経験無駄にならない」という趣旨で励まされてなんとかここまで来たものの、今になって「ドブに捨てた」なんて言われても私はどうすればいいのかわからない。いや、実際には話的には専門学校に行くために払う多額の金の話であって、私が辞めた全日制の話はひとつもされていない。ただの私の被害妄想しかない。

ここまで書いて自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、別にどこかに出す正式文章でもないので開き直って続けることにする。

最初に言っていた「頑張っていない」「努力していない」「そもそもよくわからない」という話に戻るが、私は本当に頑張るということができない。進学塾に通っている頃も私は自分で頑張っていると思い込んでいたが、先生に「お前は頑張ってない」と一喝され、普通に足りていないことを自覚した。かといってそれから特に何か伸ばそうとすることもせず、課題も「めんどくさい」からとやらなかったり、先生強制されていた毎日自習も渋っていた(先生は私が家にいると全く勉強しないことを知っているので強制していた)。

周りの人間は、私が見る限り頑張っていた。暗記のテストもいい点数を出すし、課題も全部やってくる。当たり前だと言われればそれまでだが、私はその当たり前ができなかった。頑張るということがよくわからないし、めんどくさい。別にそこまでして高校行きたくないし……と思っていた。その「頑張れない」ということをはっきり自覚たころ、スクールカウンセラー先生などと喋る機会があったのだが、その時は「無理に頑張ろうとしなくてもいい」などと言ってもらえた。「頑張れないのが悪いんじゃなくて、当たり前のことを当たり前にできる人がすごい」とも聞いた。一時はその言葉に救われたのだが、よく考えると私は「頑張れない」のではなく「頑張ることから逃げているだけのクズなのではないか」とふと気づいてしまい、そこからはいもの自己嫌悪だ。中学のころからずっと自己嫌悪だけは止まらない。自己PR欄書けるような長所と言えば「学校生活で掃除をさぼったこしかありません」ぐらいのことしかないが、普通に特技を聞かれれば自己嫌悪となんでもマイナス思考で考えることだと思う。

このネガティブ思考のことについて考え始めるとマジで負の連鎖に陥るのでやめたほうがいいのはわかっているが、ポジティブに考えるというのが全くできない。えっ、私は何が言いたいんだろう……突然正気になってしまった……

とにかく、頑張れない。頑張るのがめんどくさい。ただそれだけだ。マジでめんどくさい。何をするのもめんどくさい。風呂に入るのもめんどくさいし、そのあと髪を乾かすのもめんどくさいし、パソコンを使うためにリビングから自分の部屋まで移動するのもめんどくさいし、液タブを使うために線を繋ぐのもめんどくさいし、趣味の絵の練習ですらめんどくさい。痩せたいとは思うがストレッチは二度と続いた試しがないし、結局大して太ってないからいいだろと思考停止して終了。なるほど、クズだな。

ここまで長々と意味の分からない言い訳を綴ってきたけど、結局何が言いたいってなにするのもめんどくさいっていうことなんだよな。あーやだな。自己嫌悪止まんねえな。どーーーーーせ陰キャコミュ障クソオタクの私は誰からも愛されずに親の死んだ実家孤独死するんだろうな……ウケる

マジで頑張るのめんどくさいし、進路な~~~~んにも考えたくない。てか金ないし覚悟いか専門学校ダメ!じゃあどうせ金はないし勉強もしてないか大学ダメ!ってなったら就職ニートか死しか残されてなくない?素直に死ぬか?wあーヤダな。波風立てたくないし好かれたいし嫌われたくないしなんか意味もなくめっちゃ評価されたいな。は?何甘えてんだボケカス

ここまでクソな人間たことない。適職診断とかよくさせられるけど、適職とかマジないからハナからやらないほうがいいよ。

何やってんだろな 唯一見つかったかもしれないやりたいことを否定されて振り出しに戻ったな 私は何がしたいんだろう、ていうか社会に出て何ができるんだろ?どうせ死ぬまでこんな誰にも見られないようなクソ長文の弱音と愚痴ネットの海に投げて自己嫌悪してるんだろうな

な~~んにもしたくないな ずっとTwitterタイムラインにかじりついていたいな 今からバイト探してもすぐ辞めるのわかってる進路未定の高校生なんて誰も採ってくれないよな。マジで嫌だな……何のために生きてるんだろうか……すごい疑問……長いな、この文章……

頑張るってな~んだ!(虚無)

 今私は高校三年生で、時期的にはまさに就職大学専門学校かと進路を決めて周りの人間が頑張っているであろう時期なんだけど、何一つ頑張ってない。努力もしてない。というかよくわからない。努力とか頑張ってるとかってなんだ?誰の基準なんだ?自分か?他人か?

「何がしたいか」なんて聞かれてもなにも思いつかないし、ましてや将来の夢なんてなにもない。強いて言うなら絵を描くことだけは小学生の時から好きだった。って言ってもクオリティは大したことないし、服とか小物描くのは苦手だし男も描けない。背景も描けない。女(しかも肩から上)しか描けない典型的底辺絵描きなんだけど、この間学校の進路ガイダンスに行って、専門学校もいいかもなとちょっと思った。今まで進路のこととか本当に考えずに過ごしてきたから「今?」って感じだけど、イラストといえば小学生のころから唯一続いてきた趣味でもあったし、好きだから

 昨日、成り行きでその進路ガイダンスにあったパンフレット学校説明会にひとりで行った。ちょっとから思ってた「キャラクターデザインとかやりたい」っていう思いが若干強くなって、いい話も聞いて、ルンルンしながら家に帰った。でも、家に帰って即行お父さんにガッツリダメだ」って言われて、なんかお先真っ暗みたいな気持ちになった。

イラスト業界に進んで金もらえる人間なんて一握りだ。お前がその一握りになれるか?」

「せめてもうちょっと現実的専門学校だったらまだいいよと言えたかもしれないけどイラスト業界ダメ

 まぁ、わかる。私もそっちに進んで安定した金をもらえる自身もないし、今のところ技術もない。それはこの歳になる前からでも思っていたことだし、その道に進んでもずっと考えてると思う。それに、イラストレーターとかデザイナーとかで働いてる人がなんだか違う次元の人のように思えて、現実味がなかったこともある。実際咲けてない漫画家が知り合いにいるし、難しい世界なのはわかっている。かといってそこで根性発揮してくらいついていける自信も根拠も親の信用もないし、この時点で「イラスト関連の専門学校は無理かな」と自分でも思っていた。親の言葉くらいで簡単あきらめるようじゃ、せいぜいこれから趣味レベルでやっていくのが私の限界なんだろとも思っていた。

 私がお父さんに腹を立てているのは、専門学校に行きたいと言ったことを真っ向から否定されたからではない。大したクオリティではないとはいえ、私が小学生のころから八年程続けられてきた唯一の趣味を「所詮お遊びレベルだ」と一蹴されたことだ。

 私は昔から、なにをやらせても中途半端三日坊主だった。音楽番組に影響されたお母さんに触発されてなんとなくでギターを買いたいだのと言いだし、そのギターはここ数か月クローゼットの中だ。小説っぽいものを書くのも好きだが、極めようとはしていない。せいぜい私の書くものを好きだと言ってくれる数人に見せているだけのようなものだ。作曲作詞にも興味はあるが、せいぜい興味があるレベルで、作曲勉強をしようとはしていないし作詞もただ思春期女の痛いポエムしかない。言ってしまえば生産性が皆無だ。先述したが絵のクオリティも「これどうなん?w」という感じだし、まあそりゃ本気でやってる人からすればお遊びだといわれても仕方ないような人生だ。ただそれを、小学生のころから絵を見せて「上手くなったな」などと言ってくれていたお父さんにガッツリ否定されて本気で傷ついてしまっている。実際図星しかないのでさらに腹が立ったんだろう。

「今までギターをやりたいというからギターも買ったし、絵を描きたいというから液タブも買わせたが、俺からすればお前のやってることは全部お遊びだ。イラスト関連の道に進みたいといわれても、これ以上お前のお遊びに俺たちを付き合わせるなとしか思えない」

 と言われた。言われたのは昨日のことなので、超ハッキリと覚えている。あーあ、と思った。今までお父さんは私のやることなすことに対してそんな風に思っていたのかと。

 その流れで「もしその道に進んだとして、途中で投げ出したらそのウン百万はドブに捨てたことになるんだぞ」とも言われ、これもまた私を傷つけた。私は高校一年生の時にそれなりに苦労して入った全日制の高校を辞めて通信制に転学している。その全日制に入るために進学塾に通ったりとまあ色々と金を使ったわけだが、お父さんはその金をドブに捨てたと思っていたんだと気付いた。それは、金を払っている親の立場からすればかもしれないし、私もいつか親になって多額の金を出して入った場所をやめたいなんて言い出したら「は?」と思うかもしれない。でもその時の私も余裕がなかったし、この心理状況で全日制の高校毎日通って単位を取って卒業するなんて無理だと思ったので、ほぼ勢いで転学を決めた。それまでも金が無駄になることや、憧れていた全日高校とずっと着たかった制服への未練が捨てきれず悩んだりもした。そこで小学生のころからお世話になっていた塾の先生に「経験無駄にならない」という趣旨で励まされてなんとかここまで来たものの、今になって「ドブに捨てた」なんて言われても私はどうすればいいのかわからない。いや、実際には話的には専門学校に行くために払う多額の金の話であって、私が辞めた全日制の話はひとつもされていない。ただの私の被害妄想しかない。

 ここまで書いて自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、別にどこかに出す正式文章でもないので開き直って続けることにする。

 最初に言っていた「頑張っていない」「努力していない」「そもそもよくわからない」という話に戻るが、私は本当に頑張るということができない。進学塾に通っている頃も私は自分で頑張っていると思い込んでいたが、先生に「お前は頑張ってない」と一喝され、普通に足りていないことを自覚した。かといってそれから特に何か伸ばそうとすることもせず、課題も「めんどくさい」からとやらなかったり、先生強制されていた毎日自習も渋っていた(先生は私が家にいると全く勉強しないことを知っているので強制していた)。

 周りの人間は、私が見る限り頑張っていた。暗記のテストもいい点数を出すし、課題も全部やってくる。当たり前だと言われればそれまでだが、私はその当たり前ができなかった。頑張るということがよくわからないし、めんどくさい。別にそこまでして高校行きたくないし……と思っていた。その「頑張れない」ということをはっきり自覚たころ、スクールカウンセラー先生などと喋る機会があったのだが、その時は「無理に頑張ろうとしなくてもいい」などと言ってもらえた。「頑張れないのが悪いんじゃなくて、当たり前のことを当たり前にできる人がすごい」とも聞いた。一時はその言葉に救われたのだが、よく考えると私は「頑張れない」のではなく「頑張ることから逃げているだけのクズなのではないか」とふと気づいてしまい、そこからはいもの自己嫌悪だ。中学のころからずっと自己嫌悪だけは止まらない。自己PR欄書けるような長所と言えば「学校生活で掃除をさぼったこしかありません」ぐらいのことしかないが、普通に特技を聞かれれば自己嫌悪となんでもマイナス思考で考えることだと思う。

 このネガティブ思考のことについて考え始めるとマジで負の連鎖に陥るのでやめたほうがいいのはわかっているが、ポジティブに考えるというのが全くできない。えっ、私は何が言いたいんだろう……突然正気になってしまった……

 とにかく、頑張れない。頑張るのがめんどくさい。ただそれだけだ。マジでめんどくさい。何をするのもめんどくさい。風呂に入るのもめんどくさいし、そのあと髪を乾かすのもめんどくさいし、パソコンを使うためにリビングから自分の部屋まで移動するのもめんどくさいし、液タブを使うために線を繋ぐのもめんどくさいし、趣味の絵の練習ですらめんどくさい。痩せたいとは思うがストレッチは二度と続いた試しがないし、結局大して太ってないからいいだろと思考停止して終了。なるほど、クズだな。

 ここまで長々と意味の分からない言い訳を綴ってきたけど、結局何が言いたいってなにするのもめんどくさいっていうことなんだよな。あーやだな。自己嫌悪止まんねえな。どーーーーーせ陰キャコミュ障クソオタクの私は誰からも愛されずに親の死んだ実家孤独死するんだろうな……ウケる

 マジで頑張るのめんどくさいし、進路な~~~~んにも考えたくない。てか金ないし覚悟いか専門学校ダメ!じゃあどうせ金はないし勉強もしてないか大学ダメ!ってなったら就職ニートか死しか残されてなくない?素直に死ぬか?wあーヤダな。波風立てたくないし好かれたいし嫌われたくないしなんか意味もなくめっちゃ評価されたいな。は?何甘えてんだボケカス

 ここまでクソな人間たことない。適職診断とかよくさせられるけど、適職とかマジないからハナからやらないほうがいいよ。

 何やってんだろな 唯一見つかったかもしれないやりたいことを否定されて振り出しに戻ったな 私は何がしたいんだろう、ていうか社会に出て何ができるんだろ?どうせ死ぬまでこんな誰にも見られないようなクソ長文の弱音と愚痴ネットの海に投げて自己嫌悪してるんだろうな

 な~~んにもしたくないな ずっとTwitterタイムラインにかじりついていたいな 今からバイト探してもすぐ辞めるのわかってる進路未定の高校生なんて誰も採ってくれないよな。マジで嫌だな……何のために生きてるんだろうか……すごい疑問……長いな、この文章……

2018-12-02

痔で病院に行った。

自分は二十代後半の男で高校三年生の時から痔になってたんだけど、最近とうとう病院に行くまでの事態になってしまった。

自分がなったのは、血栓性外痔核というやつだ。いつもは濡らしたトイレットペーパー肛門に押し戻していた痔がが戻らなくなり、出血も続く。痛みも半端ないので、観念して病院に行った。

ネット適当に調べた近所の病院だったけども、あまり良い病院ではなかったかもしれない。50は超えていそうな男性医師だった。診察台で横になる前に、「あ!」と思い出して、下着が汚れないように生理ナプキンを着けていることを伝える。横になっていたのでよくわからないが多分ジェルを塗った指か棒状のもの肛門に突っ込まれた。思いやりのかけらもなくグイグイやられたのでめちゃくちゃ痛かった。「っつーー……」と痛みに悶絶しているこっちに構わず向こうは質問を投げかけてくる。痛すぎて答えられるわけがないし、痛すぎたので質問内容すら覚えていない。

その後、医師が描いた簡単肛門の図で説明を受けた。「治るのに3週間はかかるねぇ。この病気は座れなくなる人もいるから切っちゃうこともあるんだけど、君は座れてるようだから薬だけ出しとくね。あと、アルコール絶対飲んじゃだめだよ」と言われた。

薬局で処方されたポステリザン軟膏を受け取り、自転車で自宅に戻った。帰り道、3週間は長いなぁと思いと、たった3週間で治るのかという思いが頭を巡った。

病院に行って数日たったが、特に治っているという実感はない。ドラッグストア適当に買った生理ナプキン適当に選んだらまさかの多い日用だった)がそろそろ切れるのでまた買いに行かなきゃならないんだけど、でかくて汚れが広がっても大丈夫な多い日用ナプキンか、薄くて小さいゴワゴワが気にならなそうな普通ナプキンを買うかで迷ってる。ちなみに、今までトランクス派だったけど、ナプキンフィットしないのでしばらくはボクサーパンツで過ごすことになりそう。

早く、健康なお尻を取り戻したい。。

2018-10-19

anond:20181019173228

高校三年生だったかなあ。

今もカワイイけど、将来さらに綺麗になりますよーみたいな感じで。

2018-10-15

ノンセクな私の話

直球すぎて自分でも笑っちゃう。そう、これは自分語りだ。自分でも受け入れられない、けれど認めざるをえない私について、誰かに話したくて、けど理解されなくて、不可解な目で見られることが怖い私の、自己満足

私はノンセクだ。ノンセクシャル。平たく言えば「恋愛感情はあるけれど性欲はない」セクシャルマイノリティのこと。認知度は低く、カミングアウトしても大体の人からは首を傾げられる。私はこの、ノンセクシャルである自分のことが本当に嫌いだ。受け入れられない。大嫌いだ。何で私はこんな出来損ないに生まれしまったんだろう。どうして他人と同じように、当たり前に好きな人告白して、結婚したりとか、夢見ることができないんだろう。どうして、どうしてはいつも頭にこびりついていて、それを思い出すたび私は、ヘテロではない自分を殺したくなる。

何かがおかしいと思ったのは、高校生の時、初めてキスした時だった。それまでずっと、ぼんやりとした思いで、いつかはキスしたりとかしたくなるんだろうな。セックスとかもするんだろうと、思ってた。けど、付き合って一年以上経っても私はそれを全然したいと思わなくて。キスがしたい、と当時の彼氏に言われてキスをして初めて、それに対して「何とも思っていない」自分に気づいた。

好きならもっとキスがしたいだとか、したら幸せだと思うとか、あるんじゃないの? そう思うと、私は彼のことが好きじゃないのかもしれない、好きじゃないのに、こんなにまっすぐな愛情を受け取り続けるのか、と思ってしまった。そう思うと辛くなって、高校三年生の夏に、別れてしまった。問題はその後だった。

きじゃなくて別れたはずなのに、彼のことを考えてしまう。他の人に取られるのは嫌だ、私以外の女の人と幸せになるくらいならいっそ私が死ぬか、彼が死ぬかしてしまえばいいのに。恋人らしいことをしたいと思えなくて、でも彼のことは他の誰にも取られたくないほど大好きで。わけがからなかった。彼のことを受け入れられないのに好き? いいやこの好きは、情が移っただけの勘違いだ、もっと別に好きになれるような人がいるはずだ。でもこんなに好きなのに、恋愛じゃないのはおかしいんじゃないの? ぐるぐる頭の中で回って気持ち悪かった。

そんな気持ちにケリがついて、同時に自分を憎んで殺したくなったのは、大学二年生の時。ノンセクシャルという概念を知った時だった。納得して、同時に絶望した。私はもうこれから先二度と、普通の人が当たり前に手にできる幸せを手にできないのだ。

大学一年生の時に一度よりを戻した彼氏の、「別れていた間、ずっと忘れられなかったほど好きだよ」という言葉を思い出す。こんなにも彼は私を好いていてくれているのに、私と彼は絶対に一緒になれない。だって私がノンセクだから。好きでも、セックスしたいと思わない。彼は好きだからセックスしたいと思う。この差がどれだけ残酷か、誰もわかってくれない。

どんなに好きでも私は、肉体的に相手を受け入れることができない。性行為嫌悪があるわけではないからできるのだろうけど、何も感じないし高ぶらない、言ってしまえばマグロになる。相手から向けられた感情熱量に、同じだけの大きさで応えることができない。私が我慢して演技して受け入れることを、優しい彼はきっと望まない。けど、そんな優しい彼に我慢をさせることは私が望まない。一緒になっても誰も幸せになれない。好き合ってるのに、こんなに大好きなのに、好きだと言ってもらえたのに。

私に性欲があればよかったのに。あればこんなに苦しい思いもせずに、彼の隣で笑っていられるのに。彼に「好きだよ」と伝えて、手をつないで、キスをして、そんな幸せ未来だって描けるのに。私に性欲がないから。私が全部悪いから、幸せ未来だって望むこともできないんだ。どうしてこんな出来損ないに生まれてきたんだろう。私はどこで間違えて、こんな頭に、体に、心になってしまったんだろう。頭と心と体がチグハグで、それぞれが違う方向へ行くから自分が引きちぎれそう。彼のことが好きな私と、性行為に何も感じない頭と体。わけがからない。気持ち悪い。私は本当に、自分が憎くてしょうがない。

こんな話を他人にすると「それなら次は、受け入れてくれる人を探そう」と言われる。違う、違う。私が好きなのは彼なのに。そうじゃないのに、彼と一緒に居たくて、彼と幸せになりたくて、彼と同じように彼を愛したいのに。だからこんなに苦しくて辛くて痛いのに、受け入れてくれる人を探そうだなんて。私に性欲があったなら、絶対もっと別なアドバイスをするくせに。次じゃない、現在進行形で好きなのに。

仮に次があったとしても、私は告白もできない。向こうから好かれていたって、受け入れることはできない。だって私はノンセクだから。もし相手ヘテロだったら? ヘテロじゃなくても、性欲をちゃんと持ってる人だったら? はいだめ、もう私は一緒になれない。そんなこと考えないでしょ? 相手がどんなに私のことを好いていても、私がどんなに相手を好いていても、絶対に付き合ったりなんてできない。普通の人が悩むようなことよりも、もっと手前のことで私は諦めなきゃいけない。そんな苦しさ、誰もわかっちゃいない。

「本当は恋じゃないんじゃないの?」なんて言葉は失礼にもほどがある。じゃあなんで私は、こんなにも大きな感情に苦しんでるの。好きで好きで大好きで、誰にも取られたくなくて取られるくらいなら死んでほしいくらいに大きいのに。これは友情? 絶対ノーって答えるでしょう? じゃあ何になるの? そうだよ、浅ましい嫉妬独占欲も詰まった、立派な恋愛感情だよ。なのに、私は、一般的恋愛感情と一緒にあるはずのものがない。かけてる欠陥品なんだ。

たった一つ、他人にあるものがないだけで、こんなに生きづらい。苦しい。どうしようもならないから、引きずって生きるしかない。私は、性欲を持てない私が大嫌いだ。

2018-09-09

anond:20180909125629

 《先生の子供を孕む刑》それが麻衣ちゃんに下された罰です。麻衣ちゃんは二週間先生性交をし続けました。それも完全公開で。すぐさま実験施設ひとつが完全にふたりの閨房として改造されました。私たちはというと、先生麻衣ちゃんセックスを見届ける観客として一日中二人を見守る役をさせられました(先生は見られて興奮するタイプなのです)。誇り高い麻衣ちゃんがそんな恥辱に耐えられるはずもありません。しか麻衣ちゃんは二週間ひたすら先生性交をし続けました。プライドが高いがゆえにそのような恥辱には耐えられないはずですが、むしろプライドこそが彼女を支えていたのかもしれません。麻衣ちゃん先生に負けたくなかったか性交を受け切ったのです。実際先生は三日も経つと体力も限界に達してふらふらに見えました。しかし彼もまた国会議員として高いプライドを持つ者であり、ついに二週間耐久性交をやり遂げてみせたのです。憎しみ合うふたりの間には何か他のものが生まれていても不思議ではありません、が、それは私の勘違いです。訪問最後先生が車に乗り込むときになり、麻衣ちゃん先生男性器に隠し持っていたフォークを突き立てたのです。すぐに麻衣ちゃんは取り押さえられ独房に入れられました。スーツが血だらけになっていた先生がその後どうなったのかはわかりません。麻衣ちゃん独房自殺しました。私は彼女のことを忘れません。

 同居人がいなくなり寂しくなりました。美少女狩りは日本各地で行われているようですが、良質の絶頂エネルギーを産出できる美少女は限られているため、すこしかわいい程度ではいけないのです。日本人材はいつも乏しく、朝鮮半島超兵器危機は間近に迫っていると大人たちは焦っていました。

 本来なら私は高校三年生。私の青春兵器開発のために消えました。今更どうしようというのでしょう。失った時間は返ってきません。二学期が始まるな、そう思ってすぐのことです。先日、北海道大地震が襲いました。研究所も揺れに揺れてちょっとしたパニックになりました。研究所電気は完全に途絶えました。不安の中で私は麻衣ちゃんのことを思っていました。彼女ならどうするかと。彼女なら私に脱走しようというだろうと思いました。脱走防止用の入り口機関銃が起動しない今しかないと。私は大地震パニック状態と夜陰に乗じて研究所を抜け出しました。もちろんあのワンピースの姿でです。二年ぶりに壁の外に出てだんだん私は自分感情というものが復活してくるのを感じました。押し殺し、存在しないものとして扱っていた私の感情人間らしさ、尊厳というものが鬱勃と私に沸き起こってくるのを感じます

 私は山の中をひたすら走りました。真夜中でしたが、走って走って、転んで、また走って、とにかく走り続けました。涙が止まりません。とにかくがむちゃらに走って走って走りまくりました。やがて時間感覚がなくなったころ、私は前方にたいまつのような明かりを見ます。こんな山奥に人が、こんな時間に、と不思議に思いましたが、やっと見つけた手がかりなので明かりの方へ向かいました。近くまで来ると人影に呼びかけましたが、彼が振り向いたとき私はしまったと思いました。未開部族だったのです。毛皮をまとい奇妙なお面をかぶった未開人は私に気づくとうぉううぉうと唸り声を上げて警戒のポーズを取りました。私は早口で何かまくしたてますが、当然未開人には理解されません。未開人はたいまつを掲げて、大声で私に何かを訴えています。彼らの言語についての知識がまったくない私には何も理解できません。しかし、彼がこういったのだけは聞き取れました。

「さあたああんだあぎぃ!?

サーターアンダーギー!」

 私は全力で「サーターアンダーギー」と叫びました。未開人はぶるっと身震いすると、その場でひざまずいて私に対して祈りを捧げ始めました。顔を上げてとお願いしても彼は祈り言葉を唱えたままです。肩に手を乗せると、ふごぉという音を立てて未開人がひっくり返りました。彼の持っていたたいまつで山火事になりそうなところでしたが、なんとか私が奪い取ってやりました。

「さあたああんだあぎぃ!?

サーターアンダーギー!」

 未開人は手を振ってついてこいというようなジェスチャーしました。脱走の興奮も収まり、冷静になってみると体はもうぼろぼろで体力の限界が近づいていました。私はまた麻衣ちゃんのことを思いました。国会議員先生にも負けなかった麻衣ちゃんのことを。私も今倒れるわけにはいきません。自由になるんだ、そう強く念じました。闇夜の中をどれくらい歩いたのか、しばらくすると未開人の集落らしきところにたどり着いていました。まさか未開人がいるとは思ってもいませんでした。この辺りはもともと政府政府とつながりのある裏社会管理下に置かれていて、結社研究所が作られてからはなおさら一般人が立ち入ることはありませんでした。この時代にまだ未開部族日本にいたのかと、まさかこんなところに未開の土地があったのかととても驚きました。しかさらに驚いたことに、集落には文明人の先客がいたのです。黒のライダースジャケットデニムパンツ登山靴ではなくイタリア風の革靴、縦長の登山用のリュックという格好で、髭を蓄え、未開人とコミュニケーションを取っていました。話を聞くと彼は諸事情あって芸能界引退した後、旅に出てこの場所にたどり着いたとのこと。髭を蓄えだいぶ顔つきは変わっていましたが、私も彼をテレビで見たことがあります

「酒に酔った勢いトラブルを起こしてしまってね。とても反省しているよ」

 星がとてもきれいでした。未開人たちは粗末な小屋から出てくると私を取り囲みました。彼らが「さあたああんだあぎぃ!?」というと、私は「サーターアンダーギー」と答えます。すると彼らはひざまずいて私に祈りを捧げます。とにかく私は「サーターアンダーギー」といいました。私たちコミュニケーションはその程度のものでした。しかしすべてがそれで通じていたのです。

 元芸能人は今は佐藤と名乗っているといいました。

「いい名前ですね」

「いい名前だ」

 文明人がふたりと未開人が多数、原始的キャンプファイヤーのような火を囲んで私たちは穏やかなときを過ごしました。夏の夜は明けかかっていましたが、安心しきった私はいつの間にかその場で眠りに落ちていました。起きた頃には正午近かったでしょうか。佐藤さんのGPS時計によれば午前十一時近くになっていました。昨夜のうちに私の状況はなんとなく話してありました。佐藤さんも最初は信じてくれなかったようですが、事細かな説明を聞いていて、それに私の着ていたわいせつ衣装というのも説得力があったのでしょう、やがて佐藤さんは私の話を信じるといってくれました。

「これからどうする?」

警察に行きます

警察グルに決まってる。警察になんて行けばきみは研究所とんぼ返りさ」

「それじゃ、どうすれば」

「俺の別荘に行こう」

 佐藤さんは放浪生活の末に北海道のこの地が気に入り、莫大な資産を使って郊外に別荘を作ったのだそうです。山を降りると佐藤さん所有のベンツが停まっていました。私のこの格好では万が一人に見られたとき大変だからと、佐藤さんはレインコートを貸してくれました。大地震からまだ半日も経っていませんでしたが、ひと気のない道路平和のものといったように見えました。北海道全域が大停電だなんて私はそのときまだ知りませんでした。見送りに来た未開人たちが手を振ってくれました。屈強な男たちの数人は車を追いかけてきました。が、すぐに彼らの姿も見えなくなりました。田舎道をずっと行き、文明人の暮らす町を目指します。佐藤さんは地震のことが気がかりな様子でした。

「少しでも人の役に立って罪を償いたいんだ」

 うとうとしているといつの間にか周りの風景が変わっていました。そこここに人の気配、生活のにおいがします。人の世界に帰ってきたんだと思いました。佐藤さんは別荘に一人暮らしのようでした。地下一階、地上三階建ての独身男性ひとりには広すぎる豪邸です。居間には高そうなギターベースが飾ってあり、大型のテレビ映画館並みの音響設備が客人を圧倒します。もっと停電中なので電化製品はすべてガラクタ同然となってはいますけど。冷蔵庫ももちろん止まっていて、缶ビールチーズがぬるくなっていました。お酒はやめられなかったのだと知ると少し残念に思いました。

「行き先が決まるまでここを拠点にするといい。使っていない地下室はきみの自由にしなさい」

 佐藤さんは着替えを持ってくるといって螺旋階段を上がって行きました。数十万はしそうな白い革張りのソファに座ってほっと息をついて待ちます。思えば性奴隷としての二年間は私をすっかり変えてしまいました。この世の地獄を生き延びた人間として、これ以上悪いことは起こりえないという確信があるからです。もはや私は些細なことで動じる少女ではないのです。かといって自分大人かといわれればそれも違う気はしますが。特殊すぎる体験によって自分少女でも大人でもない何か非人間的な存在になってしまったように感じられます。少しずつ元の社会に順応していけたらと思います

 足音が聞こえてきました。螺旋階段から降りてきた佐藤さんは学ランに着替えていました。

「これに着替えなさい」

 手渡されたのは女子校の冬服と使用感のある白い下着でした。制服の方はよく見れば女の子なら一度は憧れる東京の名門女子校のものでした。なぜ佐藤さんがこんなものをと訝りながらも、今着ている衣服と呼ぶにはあまりにも特殊デザインである研究所の服よりはましであるというのも事実ですから、私は素直に制服に着替えました。佐藤さんは私の着替えを目の前で見ていました。本来なら私は男性の目を気にして着替える場所要求するべきだったでしょう。しかし私はまだそういった当たり前の羞恥心を取り戻すところまでは精神回復していませんでした。

「すごくいい……」

 佐藤さんの表情が変わりました。そして私ににじり寄ってきました。

佐藤さん……?」

 私は頭を両手で押さえられ、思いきりキスされました。佐藤さんの髭が当たってちくちくします。

佐藤さん!」

 佐藤さんは鼻息を荒くして口の中に舌を入れようと試みてきますわずかの抵抗はあったものの私は突入を許し、彼の舌と私の舌が絡み合いました。佐藤さんは獣のような激しい息遣いになり、慣れた脚の捌きで私を床に押し倒しました。馬乗りになった佐藤さんの日焼けした顔はまるで本物のヒグマのようでした。芸能人として現役だったとき肉体派として人気を博した佐藤さんの筋肉は見せかけではなく本物で、私はそれまで研究所の男たち相手では感じたことのない凄まじい力で蹂躙されました。抵抗無意味、ほんの少しの希望もない、体の内側から動きを止められている、そんな圧倒的な侵略でした。顔を舐めまわされた後、佐藤さんの舌は首を経由して鎖骨に向かいますそれから優しい手つきで、しか抵抗永遠に諦めさせる圧倒的な力で、私の上半身はむき出しにされました。佐藤さんはブラの上からかめるように乳房を揉み、やがて耐え難い欲望の高まりに動かされて荒々しくブラも外し(少し痛かったです)、乳首に噛み付いてきました。

「痛いです」

 左の乳に、右の乳に、行ったり来たりむしゃぶりついてくる佐藤さんはもう理性が吹き飛んでいるようでした。それから連続的な淀みない動きで佐藤さんの右手が私のスカートの中にするりと入り、下着の横から中指(だと思います)が膣へと入ってきました。

「ん、んっ」

 佐藤さんの右手の動きは熟練職人技といったもので、私の急所を的確に捉えてきます。獣としての本能に目覚めた佐藤さんは私の微妙息遣いの変化や体の動きからその場所を割り出しているようでした。素早く、的確に、効率的に私を攻め落としていきます自分の顔が真っ赤だとわかりました。体がほてって、頭がぼうっとしてきました。膣はじゅくじゅくで、私の頭の中もとろとろに融けてしまいそうです。

佐藤さん、佐藤さん」

 絶頂に達すると私は痙攣し、泥の中に沈みました。私が行動不能に陥っていると、佐藤さんはソックスを脱がせて指一本一本に多量の唾液を垂らしながらしゃぶりつき、それから下着を脚からするりと脱がせて、ちゃぷちゃぷ音を立てながら性器にむしゃぶりついてきました。私はもう声も出せません。されるがままで自分がどこまで行ってしまうのか、それはすべて佐藤さん次第でした。学ランを着ていた佐藤さんはついに脱ぎ始めました。といっても上半身そのままで下半身だけずり下げたという格好です。完全には脱ぎませんでした。佐藤さんのふるふると怒張した男性器が現れました。黒々した血管に野性味を感じる極太の一物でした。あんなに大きなもの身長百六十センチ程度の私に入ってきたら、私の股は裂けてしまうかもしれない、一瞬不安がよぎりました。しかし考える間もなく佐藤さんの男性器が私を貫いていました。

 感じたことのない衝撃でした。経験したことのないほど膣が押し広げられ、その刺激によって女性としての機能が目覚めたのか、膣もまた佐藤さんの一物に吸い付き、快楽を根こそぎ享受してやろうと超反応しました。私のすべてが脈打ち、快楽に耳を傾けています。どんな小さな快楽の芽もしっかり開花させてやろうと、私の全身のすべてに研ぎ澄まされた超鋭敏な感受性が宿りました。

 芸能界トップで鍛え続けてきた佐藤さんの腰振り運動はまさに本物。修羅場を潜り続けた一流の元芸能人からこそ、誰が相手でも最高の戦果を得るのです。妥協はありません。激しいコミュニケーションの中で私は何度も絶頂に達しました。最後佐藤さんは膣の中で射精するのではなく、紳士礼儀として顔にかけてくれました。私は佐藤さんの優しさに包まれていました。疲弊しきったふたりは荒々しい息遣いでしばらく床に横たわっていました。お互い全力を出し合って快楽を貪ったのです。

 その後、私たちはあまり会話をしませんでした。佐藤さんは私を地下室に連れて行くと、停電中で真っ暗な中に放置しました。鍵がかかる音が聞こえました。激しく愛し合ったふたりに何が起こったのか、理解が追いつきませんでした。佐藤さんはその日顔を見せませんでした。

 何時間経ったでしょうか、次に佐藤さんが顔を見せたとき、外は明るくなっていました。食事として渡されたのはカロリーメイト四箱と二リットルペットボトルでした。

佐藤さん」

炊き出しに行ってくる」

 そういって佐藤さんは地下室に鍵をかけて出て行ってしまいました。まだ電気は復旧していないので地下室は真っ暗です。カロリーメイトの箱を手探りで開けて、袋を切って、もさもさと食べ、二リットルペットボトルに直に口をつけて飲みます。食欲はあまりありませんでした。

 私はまた監禁されていると理解しました。佐藤さんは「行き先が決まるまでここを拠点にするといい。使っていない地下室はきみの自由にしなさい」といっていましたが、あれは私を安心させるための罠だったのでしょうか。拠点というのはそこから外へと行動し、補給や休息のために戻ってくるから拠点なのです。拠点に引きこもる場合、それを拠点はいわないでしょう。ここから出たい、私はそう思いました。しかし地下室には鍵がかかっていて私の力では脱出不可能です。まただ、どうして私の人生はこうなんだ、そう思って絶望しました。しかし涙は出ません。私はまた無意識のうちにこの状況に順応しようとしていました。

 真っ暗闇の中でうとうとして寝てしまったでしょうか。ふと気づくと激しい打撃音が聞こえます。何かを打ち壊すような荒々しい野蛮な音です。複数の巨漢が暴動を起こしているような、そんな音が地上から響いてきます。何か声が聞こえます。さあた、ぎぃ。あん、さあ。だあぎぃ。

サーターアンダーギー!」

 私は状況を理解しました。未開人たちが私を取り戻しに来たに違いありません。とてつもない嗅覚と体力、人間の潜在能力には恐れ入ります。私は力の限り「サーターアンダーギー!」と叫びました。すると文明人が失ってしまった身体能力を今でも保有している未開人の聴覚が聞き取ったのでしょうか、彼らもまた、あの舌足らずな「さあたああんだあぎぃ!?」で応答してくれたのです。未開人たちの声が大きくなり、打撃音も大きくなります。数分間の格闘の末、未開人たちは佐藤さんの別荘に突入しました。私は「サーターアンダーギー!」と叫び続け自分位置を知らせます。未開人たちは地下室への扉を見つけると石斧で破壊にかかりました。それはあっという間の出来事でした。すぐに扉は打ち壊され、光が差しました。すぐさま二十代と思われる三人の屈強な未開人が顔を出しました。彼らは部族の中でエリート戦士なのでしょう。着ている毛皮も一等のものです。

「さあたああんだあぎぃ!?

サーターアンダーギー!」

 戦士たちは私の前でひざまずき、祈りを捧げました。私は彼らをひとりひとり抱きしめました。

ありがとうあなたたちは恩人。とにかくここを出ましょう」

 佐藤さんの別荘を出た私たち四人は人目につかない場所を選んで移動しました。佐藤さんがいっていたように私は警察に出向いて事情説明保護を求めることもできません。文明人のすべてが敵に見えました。

 逃走の中で私はスマートフォンを拾いました。ブラウザを起動してみると「はてな匿名ダイアリー 名前を隠して楽しく日記。」とあります。これしかないと私は思いました。三人の未開の戦士たちに見張りを頼み、私は今この文章を書いています。私は誰かにこの事実を知ってほしいと思いました。日本では野蛮な人体実験が行われていて、美少女たちが日々絶頂エネルギーを抜き取られているということ。その結社には国会議員などが関わっているということ。朝鮮半島を消し去るほどの破壊兵器製造しているということ。

 味方はあまりにも少なく、敵は権力も数も備えています。私に勝ち目がないことはわかっていますしかしどこかの誰かにこの話が伝わってほしい、そして頭の片隅で覚えておいてほしいと願います日本平和未来のために犠牲になっている美少女たちがいるということを。

2018-09-07

真性包茎自力で治せる

タイトルで「治す」という表現を使ったが,真性包茎病気ではない。単に亀頭が皮で包まれているだけだ。ただ,治したい人も多いと思うので自分体験談を紹介する。

俺は今高校三年生

中一の頃から,俺は真性包茎であることを悩んでいた。大人になったら手術でもするのだろうと考えていた。

高2になり,俺は真性包茎であることを本気で悩むようになった。

どうすれば治る?と思い,色々と検索してみた。同じように検索すれば,おそらく「キトー君」というものが出てくるだろう。

藁にもすがる思いで買ってしまいたくなるが,買わなくていい。自分で治せる。

治し方。

真性包茎は,入口が本当に狭い。そのわずかにある穴の皮をつまんで左右から引っ張る。最初は本当につまみにくいし,伸びる気がしないかもしれないがとりあえずやってみる。お風呂に入ってる時や,寝る前に5分か10分くらい伸ばす。

多少痛いくらいなら大丈夫だと思うが,痛すぎるほど伸ばさなくていい。

伸ばし始めて数ヶ月経つと,穴の中に指が入るようになる。穴に指を入れて外側に伸ばすほうがつまむよりも楽なはず。真性包茎入口だけでなくその周りも皮が伸びていないのでそこも伸ばしておくといい。

ここで注意事項だが,もし剥けそうになっても剥かなくていい,カントン包茎になるリスクもあるし,普通に痛い。刺激に慣れてないから。

基本的に上に書いたことを特に何も考えず習慣にしてもらえれば,なんだかいつのまにか剥けるようになっている。

皮を被っていた亀頭は非常に敏感で痛いので,無理はしない。弱いシャワーを当てたり,柔らかいタオルとかで慣らしていくのがいいかもしれない。

とまあこんな感じなんだけど,日本人で悩んでる人がいたらこ記事が役に立つと嬉しい。なんといっても股間という非常にデリケートな部分なので無理をして怪我とかはしないでほしい。ゆっくりと長い目で治せばいい。最初マジで伸びない。1ヶ月は何のためにやってるか分からいくらい伸びないが,頑張ってほしい。

真性包茎必然的に皮オナニーになってしまうと思う。しかしそれは普通オナニーではない。俺も剥いてから皮を使わないオナニーに変えたのだが,刺激が少ないし,痛いしで慣れない。だけど慣れなくちゃいけない。その代わりイッた時に精子が皮の中に入ってくなんてことはないし,精子の"出"の良さに驚く。個人差あるかもだけど普通に顔まで飛ぶ。

亀頭の刺激に慣れてくれば,新しいオナニーもできる?かもしれない。

清潔感で言えば剥けているに越したことはないはず。

"皮は伸びる。"

2018-08-30

大学受験

今年大学受験高校三年生2000年まれの揃い踏みだ。私たち2001年まれ2000年逃しちゃったベイビーズなんて適当に呼んで生きている。

森絵都のつきのふねで2000年が来ないと信じていた世界があったことを知った。わたしは思う。たしか世界は一度死んだのかもしれない。自分が生まれ世界の以前の証明を、何人たりともわたしにすることはできないのだから

そんなことばっかり考えてたクソガキも、絵ばっかり描いて小さいころから本の虫で、時にアングラ世界に揉まれながら、適当に生きて、今や人生の岐路に立っている。

わたしという個人美術予備校先生には金属勉強をしたいといい、学校先生には工芸作家になるといい、母親には漫画家になるといい、友人にはアニメーターになるという。何者なのかわからない。自分でも驚くほど、息を吸うように嘘をついてしまう。否、嘘でないのだろう。すべてが本当なのだ。体は美術大学の受験に備え、脳は小説映画に溺れ、妄想漫画家として輝く自分だ。

高校進学のために勉学に励んでいた自分が懐かしい。進学校合格したまではよかったが、自分より賢い友人たちに揉まれ、甘えることを覚え、わたし視野は不必要なほどに広くなり、遠くのことばかり考えている。

眼前の大学受験がたまらなく不安だ。わたしは何者になるのだろう。夢を現実にしなければならない歳になり、つくづく思い悩むのだ。夢は夢のままがいいものか、現実にすべく努力すべきか。

ただ栄光の道を歩む自身妄想し、甘い世界に浸って死んでゆくのだろうか。

2018-08-23

10年ほど前に見つけたお気に入り絵描きさんの画集を買った

当時の私は中学生で、親にネットの利用は許されていても書き込み禁止されていた

自分パソコンアドレスも持たせてもらえなかった

まあスマホもなかった当時、田舎パソコン所有率と言ったらひどいもんで

そんな中で小学生のころからパソコンを使わせてもらえるだけ幸せ環境だったか文句言えない

親としては周囲のネットリテラシーも高くない中でむやみやたらと扱わせたくないのもわかる

そういうわけでPixivアカウント登録もできなかったわけ

そんな中、Pixivでとってもとってもお気に入り絵描きさんを見つけた

きっかけはマイナーゲーム擬人化絵だった

ろくなソフトも使ってないんだろうガタガタの線なのに明らかにうまいとわかる

何より全ての絵の構図が最高

一目で惚れた

でもさっき言ったようにアカウント登録できなかった私はあなたの絵は最高です!の一言すらその方に言えなくて

なんならお気に入りでこっそりと応援もできなくて歯がゆかった

高校生になった私はパソコンアドレスを持つことを許可してもらった

ただし書き込みNG

それでも私はうれしくて、すぐにPixiv登録してあの絵描きさんのすべての絵をお気に入り登録した

そういえば前Twitter過去の絵は黒歴史からいいねしないで!って流れてきたけど、私みたいな人間もいるので大目に見てほしい

高校三年生のころだっけ、とんでもないニュースが流れてきた

なんとあの方が某アニメキャラデザ担当することになったのだ

意味が分からなかった、だってその方はそれまで目立ったイラストレーター業はしていない(普通に別の仕事をしていたからだ)

はじめてそのアニメを見た日、私はあの方の絵が動いていることに感動し泣いた

アニメの出来もめちゃくちゃよかった

なけなしの金で資料集dvdを買ったけど今思えばBlu-rayで買いたかった

今その方はイラストレーター転職し、華々しく活躍していらっしゃる

高校生までの間、応援したくても廃れていくのを見過ごすしかなかったものが多くあった

その理由は人気であったり、売り上げであったりしたが、当時の私は両方とも貢献することができない立場であった

こちらがどんなにその作品が好きでも、相手に伝えることができなければそれは「ないもの」に等しい

からその方が今も活躍しているのがうれしい反面、描き始めた初期に目に見える形で応援できなかったことを心苦しく思っている

今のネットには多くの若い人が日々書き込み発信している

それが今の常識なのだけど、正直とても羨ましい

ファンの想いが作り手にダイレクトに伝わることに関しては賛否両論あるだろうけど、+の感情を届けるツールが増えたことは喜んでいいと思うんだよね

応援できる、その環境大事にしてほしいなと思う

しっかしなー応援できるようになったとはいえ10年前からあなたの絵が好きですなんて今更伝えるのも恥ずかしいな

2018-08-21

anond:20180821003454

日本人ほんと読解特化だよな。

早慶合格レベル高校三年生でも辞書あれば向こうの大学生が読むような論文も、下手すりゃ人文系評論文と読めるもん。

逆に小説幼児向けの絵本が読めなくて愕然としたけど。

平易な単語が使われていてなおかつ日本大学受験じゃまず必要とされないイディオ厶を多用されるとマジで読めない。

英作文もイケるって日本人も多いけど、あれきっとネイティブからしたら「通じるけどなんか変な文章」だろうな。

会話は言わずもがな

コミュ力特化型のリア充女はキレイ発音ペラペラ喋ってるけど文法はめちゃくちゃ。

2018-07-30

デレステなんかやめてときドルをやれ

デレステが各所で炎上してるようだが

愚痴や不満を言ってまでしがみつくくらいならとっとと捨てて別のコンテンツ移住したほうが得策

別に移住たからと言ってデレステアカウントは消えないし、改善されたらそっちに戻ればいい

移住先としてKONAMIからリリースされているときめきアイドル(通称ときドル)というアプリを強くお勧めする

ときめきアイドルの特長

・オートライブによる自動プレイ

ミリオンでもオートライブ実装されたが、音ゲー自動プレイときめきアイドルが初でありミリオンパクリなのだ

ときめきアイドルのオートライブは一回実プレイすれば一週間ずっとオートライブ可能仕様であり、音ゲープレイするのは週一でいいという非常に労力が少ないものである

豊富衣装アクセサリー

ときドルは全カード衣装がついており、SSRじゃなくてもRやSRで3D衣装を着せてライブで踊らせることができる

そのRやSRブルマジャージスク水といった定番衣装が中心で、鑑賞という意味ではSSRを引く必要がないほどクオリティが高い

また、アクセサリーを付け替えできる機能も備わっており、これはデレステミリオンにはない独自機能である

アイドル帽子を被らせたり、眼鏡をつけたり、また猫耳やしっぽなども付けることができる非常に自由度が高く楽しいシステム

・少数精鋭である

ときドルに登場するアイドルは15人であるデレステの183人やミリオンの53人と比べるととても少なく感じるが

逆に少ないがゆえにガチャの出番やイベント登場回数の不公平感など全くないのだ

少ないといっても中学生一年から高校三年生構成されており多彩なアイドルが登場し、必ず気に入って担当になれる娘が見つかるだろう


以上、デレステ民に向けたときドル布教でした

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

2018-06-27

陰謀論とか意味わからん

高校三年生バリバリ受験生

高校一年の頃からお世話になっている数学家庭教師先生最近陰謀論にハマっている。

まあハマっているだけなら別にいいけれど、それを嬉嬉として自分に話してくる

「こんなこと聞いたら鬱になるよ」とか「人口削減のためにワクチンに毒を入れている」とか「日本は〇〇(国名)の奴隷だ」とか……

先生真実を教えてあげているつもりなのだろうけど、かなりうっとおしい

そして話の締めは「それを知ったところで自分たちには何も出来ることなんてないんだけどね」が定番

正直、そんなこと言われても自分にはどうすることもできないし、受験という大事な時期にそんな不安を煽るような話をしてくる先生も嫌いになりそう

陰謀論とか知らんし、意味わからんし、バッカじゃないの?

ふざけんな

2018-05-22

母と売り手市場

私は就職活動中の大学四年生です。

お祈りの連続内定は一つも持っておらず、選考中の会社もほぼないため、まだまだ会社説明会に通う日々が続いております

この文章地元から東京へ行く高速バスの中で打っていたものです。

私には持病があります

持病と言っても大したものではなく、激しい運動ができないだけで日常生活問題なく送れるものです。

私の持病にもっとも不理解だったのは母でした。

体育の授業や、運動会やマラソン大会を休むことは決して許してはくれませんでした。

思えば、これまでの人生で母が私の要望を聞き入れてくれたことは一度もありませんでした。

高校受験で、私は工業高校へ進もうとしていました。

それは自分の家は母子家庭で裕福ではなく、兄の学費貯金もないから、高校卒業後はすぐに働きたいと考えていたからです。

しか母親三者面談で大泣きをし始めました。

どうやら母は私に家から自転車で通える場所にある公立進学校に行って欲しかったようです。

結局、教師母親から言葉によって私はそこへ通うことになりました。

元々勉強は苦手ではありませんでした。

苦手な数学を除けば、高校勉強で苦労をすることはなかったですし、楽しいと思える分野もありました。

から大学東京私立大学(MARCHのうちの一つ)に通いたいと思えるようにまでなりました。

しかしそれは許されませんでした。

「うちは母子家庭で、お兄ちゃん学費でもうお金がないから。大学は家から通える場所にある国公立大学じゃないと絶対にだめ」

母の言う条件に当てはまり、私に選択できる大学は一つしかなかったです。

滑り止めを受けることは許されませんでした。

浪人なんてもってのほかでした。

落ちてしまったらどうするの?と聞くと、やはり母は激怒して「落ちるんじゃない受かるの!」と叫びました。

多分落ちたら殺されるんだと思いました。

同時期に、兄が通っていた学校中退して実家に帰ってきていました。

高校三年生の一年間は、うんざりする日々でした。

兄に邪魔をされて、家は勉強できるような環境ではなかったので、勉強は全て学校で終わらせて家では休んでいましたが、それすら母親は許してはくれず、「どうして勉強をしないの!?どうしてそれで大学へ行けると思ってるの!?」と毎日毎日ヒステリックに叫んでいました。

母が私を大学へ通わせたいのは、世間体や、周りの友人や親戚などを見返すためだけでした。

兄の中退によって、母親プライドはズタズタだったのです。

大学には結局合格をして、母親に他の子と同じように遊ぶことを禁止され、監視されながら大学へ通い、今に至ります

就職活動の状況はとても悪いです。

学歴フィルターは仕方ないとしても、持病のことが不採用理由になってしまったときはとても落ち込みました。

一番悲しくなるのは企業の人から「今は売り手市場から」と言われることです。

初めて会社説明会へ行った企業で、そこの社長から言われた言葉は今でも忘れられません。

あなたたちは売り手市場で、苦労をせずに就職先を見つけられるはずです。そして学生気分のまま社会人になる」

その後、延々と今の学生いかに甘えているか聞かされた後、適性検査を受けさせられ(これは事前に知らされていなかった)、後日お祈りのメールを送られました。

CMを流すことのできるそこそこ有名な企業でした。

「今は売り手市場 あなたたちは恵まれている」

どこへ行っても、この言葉を聞かされました。

そして圧迫面接や、選考の場でセクハラなどを受けました。

ひどい否定言葉を投げられたこともあります

遅刻をしてきた面接官が謝ってくれなかったりましました。

サイレントお祈りしょっちゅうでした。

「売り手市場から〜」というのは企業勝手に言ってるだけではないのでしょうか。

売り手市場だったとしても、学生に失礼な言動をしてもいい理由になるのでしょうか。

その言葉免罪符にはなりません。

私たちには立派な社会人になることを求める人たちは、そもそも私たち人間として見てくれていないように感じています

最低限の礼儀すら、そこにはないのだから

こんなことなら、大学なんて通わなければよかったと強く感じています

私に大学へ通わないという選択を許してくれなかった母親すら、今は憎いです。

以上です。

まだまだ言いたいことは山ほどあります

言い足りないです。

でもキリがなさすぎて、書き切れません。

2018-05-01

底辺校出身田舎者が、東京に来て絶望した理由

これらの記事話題になっているので田舎出身の私の事をここに書いておこうと思う。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505

私は今年で30才を迎える正真正銘東北田舎底辺校出身都内勤務の人間である

私の両親は共に高卒父親土木業、母親スナックママという家庭に育った。

勉強しろと言われたことは人生で一度もなく、部活動アルバイトをして早めに社会勉強しろといって育てられ、中学生の時から新聞配達をはじめ、高校に入ってからコンビニスーパー引越し屋アルバイト等をしながらお小遣い自分で稼いでいた。

テスト赤点であっても宿題をやらなくても怒られることがなく、お小遣いが貰えなかったため自分アルバイトし、また勉強を疎かにしてバイトを増やしても怒られない家庭だったので、お小遣いが欲しかった私は勉強はまったくせずアルバイトに精を出し稼いだお金ゲームに費やして過ごした。

さらに遡ると小学校低学年の時に分数計算でつまづいていた私は家で父親宿題を見てもらおうとしたが「わからいからオレに聞かないで」と一蹴された事もあった。

さてそんな環境で育った私が高校三年生を迎えた時に進路について考える必要性がでてきた、周りの友人に話を聞くとだいたいが就職するか専門学校に進学すると言い、大学に進学すると答えるものクラスに1、2人くらいだったと思う。

私も友人同様、当時ハマっていた漫画ゲームの影響で車関連の専門学校に進学しようと思ったが家庭の環境がちょうど悪くなっていた時期でもあり進学するのが厳しかったため進学をせず、また就職するわけでもなく、アルバイトして貯めたお金東京上京フリーターになった。

そこで一番最初に知り合ったバイト仲間は予備校生だった。

私は当時、専門学校自分が就きたい職業専門性を磨くという場所でとても大切な場所だと思っていたのに対し、大学に行く意味というのが全くわからなかった。

大学に行っても中学のように相変わらず”将来役に立つとは思えない”5教科を勉強する場所と思っていたのだった。

そこで、そもそも大学に行く意味がわからない私が、その大学に入るために1年ないし2年かけて大学に入る勉強をするという予備校生出会ったのだから私にはとても衝撃的な出来事だった。

しかし、それからそのバイト先で出会うさまざま大学生と仲良くなるにつれ自分の考えがおしかった事に気づかされていく。

そのバイト先では東大生慶應生、早稲田生、明大生と、日本で上位に位置付けられる大学生達と出会い、仲良くなり、彼らの頭の良さ、教養の高さ、人間性、将来目指している(自分とはまるで縁のない)職業、育ちの良さを目の当たりにしてしまったのだった。

また彼らと話していて大学というのがどういう場所想像することができ、その中で私がショックだったのが、彼らには当たり前のように配られている弁護士官僚新卒大企業に入るというエントリーチケットを私は持っていないという事だった。

もちろん全員が夢叶うわけではないが、そもそも私は今のままではそのエントリーチケットすら持っておらず彼らとは全く別の人生を歩まないと行けないんだという事実にその時初めて気が付いたのであった。

そもそもそれまではそんな職業に就く人や、目指す人が自分と同い年にいるという事をまったく想像すらできなかったのだ。

医者弁護士は元より大企業で働くサラリーマンですらどこか異世界の話、自分とはまるで縁のないものと思っていたのだ。(プロ野球選手芸能人を思い浮かべればわかりやすいだろうか?)

彼らは小中高と勉強をしてきて、当たり前のように塾に通い、進学校入学し、予備校に入り模試を受け、入試を受けいい大学に入る。

これらが彼らの周りでは至極当たり前のことで、彼らにしてみれば私の方が異端児だったのだ。

その時19才の私は、例えるならレースをしていてスタート地点から1/3程度進んでから貴方が走っているのはコースではないのでコースを外れた地点まで戻ってレースに戻って下さいと言われているようなとても理不尽感覚に襲われた。(コースアウトしていたのであれば、コースを外れたその瞬間に教えてくれないとあまり先行者と差がつき過ぎて追いつく事ができないよと)

私の場合スタートした時点で明後日の方向に走ってしまたかスタート地点をグルグルと回っていたのだ。

そして世の中の仕組みを教えてくれなかった両親や生まれ育った田舎を恨むようになった。

誰も世の中のルールを教えてくれなかった、知ってさえいれば努力ができたはずだと涙する事もあった。

間はだいぶ端折るが、その後私は一念発起し世間一般ブラックと呼ばれるような待遇零細企業就職し、自分学費を捻出し国立の夜間大学へ通い、無事卒業し、転職をして最終的に東証一部に上場している業界大手企業に勤める事ができた。

私はまだ人生のやり直しが聞く時期に、たまたま運良くバイト先でそういった人たちと巡り会うことができ、気がつき、努力ができた為、今はそれなりに普通暮らしを送ることができているが、もしそういった気づきが今だになければ30才の今フリーターを続けていた可能性もある。

こんな経験をしてきたから思うのだが、

世の中には私が若かった頃と同じような境遇の人が沢山いて、そういう人たちに勉強してこなかった自分が悪いんじゃんと一蹴することは簡単だが、そもそも勉強の意義を知らない人は勉強するはずもなく、単に怠けて努力しない人とは違うということである

そして私は宝くじに当たったのと同じように運良く気がつくことができた為、そこから脱出できたのである

もし全員が生まれた瞬間に同じカードを配られていたとしたら、それをどう使おうが(または使わないか)は個人勝手だが、はなから配られたカードが違うのでは理不尽である

人生というのは往々にして理不尽ものだが、せめてその理不尽が少しでも縮まるのであればそういう世界の方がいいと私は思う。

田舎と都会の情報格差が少しでも縮まればいいなと私は思うのである

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