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2022-11-15

anond:20221115120605

自分も当時は高校三年生だった

卒業式の2日後に地震が起こった

夜になるにつれ若干ワクワクしてた記憶がある

あの非日常が今でも忘れられない

こんな事を思うのは揺れと停電だけで津波被害が無い地域だったからかもしれない

その後、4月余震の影響があって大学入学も1ヶ月遅れたけど普通に通いだした

大学がある場所もっと揺れも大きい所で、津波被害地域に住んでた同期たちもいた

生き延びたからか、当時の事を武勇伝に話してたよ

例えば、ダメなんだけど食料が無いから壊れて人が居なくなったコンビニからかっさらったとか

下敷きになった人を救ったとか

悲しげに話してる人はいなかった

2022-05-11

こころに残る昭和の歌 ベスト100

ジャムの若手アーティスト平成の曲を選ぶアンケート企画話題になっている。

https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252

そういえば昭和から平成に変わった当時でも同じような企画NHKがやってたなと思い出しちょっと調べてみた。

無作為抽出2000人に対する電話アンケートで思い出の曲を聞くという当時のNHKらしい力強さを感じるが平成になったばかりなんでこんな曲が何故そこにというのもゴロゴロ

NHK昭和の歌・心に残るベスト100(1989年10月10日発表)

Best 1位~100位

1位 ◇青い山脈(1949_昭24藤山一郎奈良光枝

2位 ◇影を慕いて(1932_昭7)藤山一郎

3位 ◇リンゴ追分(1952_昭27)美空ひばり

4位 ◇上を向いて歩こう(1961_昭36)坂本 九

5位 ◇悲しい酒(1966_昭41)美空ひばり

6位 ◇柔(1964_昭39)美空ひばり

7位 ◇瀬戸の花嫁(1972_昭47)小柳ルミ子

8位 ◇岸壁の母(1954_昭29)菊池章子/二葉百合子昭和51年カバー

9位 ◇リンゴの歌(1945_昭20並木路子霧島 昇

10位 ◇津軽海峡景色(1977_昭52)石川さゆり

11位 ◇星影のワルツ(1966_昭41)千 昌夫

12位 ◇北の宿から(1975_昭50)都はるみ

13位 ◇お富さん(1954_昭29)春日八郎

14位 ◇高校三年生(1963_昭38)舟木一夫

15位 ◇シクラメンのかほり(1975_昭50)布施 明

16位 ◇有楽町で逢いましょう(1957_昭32)フランク永井

17位 ◇恋人よ(1980_昭55)五輪真弓

18位 ◇知床旅情(1970_昭45)加藤登紀子

19位 ◇矢切りの渡し(1983_昭58)細川たかし 他(競作)

20位 ◇丘を越えて(1931_昭6)藤山一郎

21位 ◇人生並木路(1937_昭12ディック・ミネ

22位 ◇北国の春(1977_昭52)千 昌夫

23位 ◇酒は涙か溜息か(1931_昭6)藤山一郎

24位 ◇昴(すばる)(1980_昭55)谷村新司

25位 ◇襟裳岬(1974_昭49)森 進一

26位 ◇南国土佐を後にして(1959_昭34)ペギー葉山

27位 ◇ここに幸あり(1956_昭31大津美子

28位 ◇湯の町エレジー(1948_昭23近江俊郎

29位 ◇別れの一本杉(1955_昭30)春日八郎

30位 ◇アカシアの雨が止む時(1960_昭35)西田佐知子

31位 ◇君恋し(1929_昭4)二村定一/フランク永井昭和36年カバー

32位 ◇雪国(1986_昭61)吉 幾三

33位 ◇こんにちは赤ちゃん(1963_昭38)梓みちよ

34位 ◇神田川(1973_昭48)南こうせつかぐや姫

35位 ◇誰か故郷を想わざる(1940_昭15)霧島 昇

36位 ◇君の名は(1953_昭28織井茂子

37位 ◇銀座の恋の物語(1961_昭36)石原裕次郎&牧村旬子

38位 ◇赤城の子守唄(1934_昭9)東海林太郎

39位 ◇くちなしの花(1973_昭48)渡 哲也

40位 ◇涙の連絡船(1965_昭40)都はるみ

41位 ◇黒い花びら(1959_昭34)水原 弘

42位 ◇この世の花(1955_昭30)島倉千代子

43位 ◇悲しき口笛((1949_昭24))美空ひばり

44位 ◇せんせい(1972_昭47)森 昌子

45位 ◇さざんかの宿(1982_昭57)大川栄策

46位 ◇王将(1961_昭36)村田英雄

47位 ◇喝采(1972_昭47)ちあきなおみ

48位 ◇ブルーライトヨコハマ(1968_昭43)いしだあゆみ

49位 ◇娘よ(1984_昭59)芦屋雁之助

50位 ◇月がとっても青いから(1955_昭30)菅原都々子

51位 ◇港町十三番地(1957_昭32)美空ひばり

52位 ◇いつでも夢を(1962_昭37)橋 幸夫&吉永小百合

53位 ◇長崎は今日も雨だった昭和44年_1969)内山田洋とクールファイブ

54位 ◇長崎の鐘((1949_昭24))藤山一郎

55位 ◇奥飛騨慕情(1980_昭55)竜 鉄也

56位 ◇函館の女(1964_昭39)北島三郎

57位 ◇与作(1978_昭53)北島三郎

58位 ◇人生いろいろ(1987_昭62)島倉千代子

59位 ◇湖畔の宿(1940_昭15)高峰三枝子

60位 ◇夜霧よ今夜も有難う(1967_昭42)石原裕次郎

61位 ◇誰よりも君を愛す(1959_昭34)松尾和子和田弘とマヒナスターズ

62位 ◇命くれない(1986_昭61)瀬川瑛子

63位 ◇氷雨(1977_昭52)佳山明生/日野美歌昭和57年カバー

64位 ◇君といつまでも(1965_昭40)加山雄三

65位 ◇異国の丘(1948_昭23)竹山逸郎

66位 ◇東京だよおっ母さん(1957_昭32)島倉千代子

67位 ◇東京ブギウギ(1948_昭23笠置シヅ子

68位 ◇贈る言葉(1979_昭54)海援隊

69位 ◇おーい中村君(1958_昭33若原一郎

70位 ◇世界は二人のために(1967_昭42)佐良直美

71位 ◇酒よ(1988_昭63)吉 幾三

72位 ◇三百六十五歩のマーチ(1968_昭43)水前寺清子

73位 ◇憧れのハワイ航路(1948_昭23)岡 晴夫

74位 ◇ルビーの指環(1981_昭56)寺尾 聰

75位 ◇二人は若い(1935_昭10ディック・ミネ&星玲子

76位 ◇夢追い酒(1979_昭54)渥美二郎

77位 ◇わたしの城下町(1971_昭46)小柳ルミ子

78位 ◇また逢う日まで(1971_昭46)尾崎紀世彦

79位 ◇おもいで酒(1979_昭54)小林幸子

80位 ◇潮来笠(1960_昭35)橋 幸夫

81位 ◇人生劇場(1938_昭13)楠木繁夫/村田英雄昭和34年カバー

82位 ◇見上げてごらん夜の星を(1963_昭38)坂本 九

83位 ◇北酒場(1982_昭57)細川たかし

84位 ◇てんとう虫のサンバ(1973_昭48)チェリッシュ

85位 ◇大阪しぐれ(1980_昭55)都はるみ

86位 ◇上海帰りのリル(1951_昭26)津村 謙

87位 ◇かえり船(1946_昭21)田端義夫

88位 ◇からたち日記(1958_昭33島倉千代子

89位 ◇テネシーワルツ(1952_昭27)江利チエミ

90位 ◇喜びも悲しみも幾歳月(1957_昭32)若山 彰

91位 ◇アンコ椿は恋の花(1964_昭39)都はるみ

92位 ◇真赤な太陽(1967_昭42)美空ひばり

93位 ◇ブルーシャトー(1967_昭42)ジャッキー吉川ブルーコメッツ

94位 ◇みちづれ(1979_昭54)牧村三枝子

95位 ◇赤いハンカチ(1962_昭37)石原裕次郎

96位 ◇おふくろさん(1971_昭46)森 進一

97位 ◇もしもピアノが弾けたなら(1981_昭56)西田敏行

98位 ◇骨まで愛して(1966_昭41)城 卓矢

99位 ◇浪花節だよ人生は(1984_昭59)木村友衛/細川たかし

100位 ◇雪の降る町を(1953_昭28)高 英男

Best 101位~200位

101位 ◇バラが咲いた(1966_昭41)マイク真木

102位 ◇啼くな小鳩よ(1947_昭22)岡 晴夫

103位 ◇白いブランコ(1969_昭44)ビリーバンバン

104位 ◇無法松の一生(1958_昭33村田英雄

105位 ◇よこはまたそがれ(1971_昭46)五木ひろし

106位 ◇別れても好きな人(1979_昭54)ロス・インディオス&シルヴィア

107位 ◇昔の名前で出ています(1975_昭50/昭52年ヒット)小林 旭

108位 ◇君こそわが命(1967_昭42)水原 弘

109位 ◇東京ナイトクラブ(1959_昭34)フランク永井松尾和子

110位 ◇東京キッド(1950_昭25)美空ひばり

111位 ◇星はなんでも知っている(1958_昭33平尾昌晃

112位 ◇小指の想い出(1967_昭42)伊東ゆかり

113位 ◇青葉城恋唄(1978_昭53)さとう宗幸

114位 ◇銀座カンカン娘(1949_昭24))高峰秀子

115位 ◇星の流れに(1947_昭22)菊池章子

116位 ◇千曲川(1975_昭50)五木ひろし

117位 ◇大利根月夜(1939_昭14)田端義夫

118位 ◇俺は待ってるぜ(1957_昭32)石原裕次郎

119位 ◇イヨマンテの夜(1950_昭25)伊藤久男

120位 ◇花街の母(1973_昭48/昭52年ヒット)金田たつえ

121位 ◇チャンチキおけさ(1957_昭32)三波春夫

122位 ◇恋の季節(1968_昭43)ピンキーとキラーズ

123位 ◇古城(1959_昭34)三橋美智也

124位 ◇いとしのエリー(1979_昭54)サザンオールスターズ

125位 ◇港が見える丘(1947_昭22)平野愛子

126位 ◇勘太郎月夜唄(1943_昭18)小畑 実

127位 ◇兄弟船(1982_昭57)鳥羽一郎

128位 ◇哀愁列車(1956_昭31三橋美智也

129位 ◇長良川艶歌(1984_昭59)五木ひろし

130位 ◇祝い酒(1988_昭63)坂本冬美

131位 ◇青春時代(1976_昭51)森田公一トップギャラン

132位 ◇麦と兵隊(1938_昭13)東海林太郎

133位 ◇夜霧のブルース(1947_昭22)ディック・ミネ

134位 ◇東京バスガール(1957_昭32)コロムビア・ローズ

135位 ◇九段の母(1939_昭14)塩 まさる

136位 ◇若いお巡りさん(1956_昭31曽根史郎

137位 ◇高原列車は行く(1954_昭29)岡本敦郎

138位 ◇ふたり酒(1980_昭55)川中美幸

139位 ◇月の法善寺横丁(1960_昭35)藤島桓夫

140位 ◇東京ラプソディ(1936_昭11藤山一郎

141位 ◇みちのくひとり旅(1980_昭55)山本譲二

142位 ◇時には母のない子のように(1969_昭44)カルメン・マキ

143位 ◇星のフラメンコ(1966_昭41)西郷輝彦

144位 ◇東京音頭(1933_昭8)小唄勝太郎三島一声

145位 ◇夢は夜ひらく(1966_昭41)園まり

146位 ◇愛と死をみつめて(1964_昭39)青山和子

147位 ◇白い花の咲く頃(1950_昭25)岡本敦郎

148位 ◇北上夜曲(1961_昭36)多摩幸子&和田弘とマヒナスターズ

149位 ◇嫁に来ないか(1976_昭51)新沼健治

150位 ◇私は街の子(1951_昭26)美空ひばり

151位 ◇時の流れに身をまかせ(1986_昭61)テレサ・テン

152位 ◇別れのブルース(1937_昭12淡谷のり子

153位 ◇野崎小唄(1935_昭10東海林太郎

154位 ◇ジョニイへの伝言(1973_昭48)ペドロ&カプリシャス

155位 ◇ガード下靴みがき(1955_昭30)宮城まり子

156位 ◇下町太陽(1962_昭37)倍賞千恵子

157位 ◇旅笠道中(1935_昭10東海林太郎

158位 ◇国境の町(1934_昭9)東海林太郎

159位 ◇あなた(1973_昭48)小坂明子

160位 ◇笑って許して(1970_昭45)和田アキ子

161位 ◇学生街喫茶店(1972_昭47)ガロ

162位 ◇愛ちゃんはお嫁に(1972_昭47)鈴木三重子

163位 ◇お座敷小唄(1964_昭39)松尾和子和田弘とマヒナスターズ

164位 ◇桃色吐息(1984_昭59)高橋真梨子

165位 ◇赤いランプの終列車(1952_昭27)春日八郎

166位 ◇おひまなら来てね(1961_昭36)五月みどり

167位 ◇好きになった人(1968_昭43)都はるみ

168位 ◇知りたくないの(1965_昭40)菅原洋一

169位 ◇東京の花売娘(1946_昭21)岡 晴夫

170位 ◇圭子の夢は夜ひらく(1970_昭45)藤 圭子

171位 ◇浪花恋しぐれ(1983_昭58)都はるみ&岡 千秋

172位 ◇裏町人生(1937_昭12上原 敏

173位 ◇関白宣言(1979_昭54)さだまさし

174位 ◇北帰行(1961_昭36)小林 旭

175位 ◇黄色さくらんぼ(1959_昭34)スリー・キャッツ

176位 ◇りんどう峠(1955_昭30)島倉千代子

177位 ◇夜明けのスキャット(1969_昭44)由紀さおり

178位 ◇魅せられて(1979_昭54)ジュディ・オング

179位 ◇スーダラ節(1961_昭36)植木 等

180位 ◇涙を抱いた渡り鳥(1964_昭39)水前寺清子

181位 ◇蘇州夜曲(1940_昭15)霧島 昇&渡辺はま子

182位 ◇ダンシングオールナイト(1980_昭55)もんた&ブラザーズ

183位 ◇希望(1970_昭45)岸洋子

184位 ◇愛人(1985_昭60)テレサ・テン

185位 ◇ゲイシャワルツ(1952_昭27)神楽坂はん子

186位 ◇待つわ(1982_昭57)あみん

187位 ◇高原の駅よさようなら(1951_昭26)小畑 実

188位 ◇舟歌(1979_昭54)八代亜紀

189位 ◇サン・トワ・マミー(1964_昭39)越路吹雪

190位 ◇僕は泣いちっち(1959_昭34)守屋 浩

191位 ◇島育ち(1966_昭41)田端義夫

192位 ◇真夜中のギター(1969_昭44)千賀かおる

193位 ◇天城越え(1986_昭61)石川さゆり

194位 ◇港町ブルース(1969_昭44)森 進一

195位 ◇新妻鏡(1940_昭15)霧島 昇&二葉あき子

196位 ◇柳ケ瀬ブルース(1966_昭41)美川憲一

197位 ◇哀愁波止場(1960_昭35)美空ひばり

198位 ◇東京行進曲(1929_昭4)佐藤千夜子

199位 ◇女のみち(1972_昭47)ぴんからトリオ

200位 ◇プレイバック・パート2(1978_昭53)山口百恵

2022-04-03

成人年齢18歳で養育費の支払が成人までだと、

早い場合には高校三年生になった途端に養育費打ち切りって事になるよね

遅ければ高三の春休みまで続くけどさ

2022-03-22

3回目

集団接種会場のバイトしてる友人から3回目の待ってるのに全然来ないのよって話を聞いた

日祝は予定してた人数の数割くらいしか来なかったらしい、自治体跨いだ大都市から越境希望はいたって。

モデルナだったのも来なかった原因なのかも・・・・って(対象18歳以上なので子供は無理)

高校三年生が打たれる気満々できたけど18歳の誕生日にちょっぴり足りなくて打てずに帰ったのかわいそうだったと

生産世代社会人は土日に打っても翌日翌々日の副反応が平日に出てくると思うと

日祝で会場あいてても金土に打ちたいって思うよねーって

持病持ちの年上の友人がシオノギ特効薬が出たから3回目は行かないの罹ったらそれ使うからもう打つ気はないっていうの

集団の会場で何かあったら怖いからと近所のかかりつけで順番待ちしたから接種時期はびっくりするほど遅くなってた)

あとずっと外出も控えてたけどちょっと調子悪い気もしてたか

今思うと知らずに罹っててたまたま症状が出なかっただけで免疫はついてると思うよのねって

それって政治家が得意気にリークしたふうになってるけどまだ全然治験進んでないやつじゃん?

実用化って何年後??とは言えなかったすごく自信満々にもう安心だよって言われちゃった

抗体獲得してるかどうかはワクチンまだ行ってないわっていう数人の友人に何か信念があって???と聞いたら

流行り初めの頃ちょっと風邪っぽくて絶対あの時かかったと思ってるから抗体持ってると思うのって人が何人かい

それってもう2年も前の話でしょ

増田は職域で早めに打ち終わっててアラフィフ副反応は3回とも微熱程度でした。

2021-12-08

観たBLと読んだBL雑記

ドラマ『美しい彼』第3話

あらすじ

 コンテストに出場した清居だったが、一位にはなれず。コンテスト終了後に一人きりで悔しがる清居を追いかけ、声を掛ける平良だったが、拒絶されてしまう。夏休みが終わると、教室ヒエラルキーが一変。清居はコンテスト入賞を逃した。たったそれだけの事で城田達、元清居のグループが清居外しを始め、それはやがて露骨イジメへと進展してしまう。城田達による清居への悪辣嫌がらせに遂にキレた平良は……。

増田感想

 これまで、原作に比べると純朴で可愛い印象だった平良が、ここへ来て原作通りの根暗アグレッシブ俺様ぶりを発動! マシンガンを構える平良の闇の深すぎる目線にシビれた。てか、「マシンガンがあればいいのに」って独白バッチリマシンガンをぶっ放すシーンで表現してしまうの面白いw なのに平良が城田に殴りかかってボコボコにするシーンは写さないし、平良の顔や身体に跳ね返ってるのは血糊ではなくトマトジュース(城田が清居にぶっかけたやつ)にしてしまうという、謎の表現規制w

 平良役に萩原利久を当てたことに当初は批判の声もなくはなかったんだけれども、萩原利久で本当に良かったとしみじみ思った第3話だった。あの平良の目つきを再現出来る役者は他にいないのではないかと思った。あと、跪いて清居の手の甲にキスするシーン、腐女子の夢がめっちゃ詰まってた!

 城田が平良八つ当たりした理由がわかりにくいような。といって私も原作の部分を正確には覚えていないけど……二学期初日に城田と二人で自撮りしてた元清居ファンロリ巨乳ちゃんが清純そうな顔して二股かけたせいで別れた、というやり場のない怒りを通りすがり平良にぶつけたとか、そんな感じだったような気がした。そんなドロついた背景のある城田とロリ巨乳ちゃんが、卒業式には何事もなかったかのように和解しているのには笑った。平良と清居の同級生達は小学生かよってくらい幼い。城田があまりにもアホな言動をする子にされているせいで、やること最悪なのにいい子っぽく見える。そもそも高校三年生なのにクラスで亀を飼っていたりとか、夏休み宿題を写し合いしてるとか、謎にリアリティの無い高校生描写なのは一体何故なんだ。

 清居がハブられたせいで思いがけずに訪れた平良と清居の二人だけの時間が、萌え萌えしくてよかった。お家で一緒に宿題したりとか、自転車二人乗りで帰ったりとか。

 さて、残りあと2話。次回にはあのビーバー小山が登場する訳だが、陰のあるイケメン平良&清居とは真逆陽キャ爽やか系イケメン高野洸小山役を担当しており、半端ないラスボス感が! しかも爽やか良い人そうな役作りでありつつ、なんだか「お前自分イケメンだってこと良く分かってるだろ」って感じさせる、うっすらとした嫌味のある演技。ビーバー小山ハンパない。予告では平良小山の前に立ちはだかる清居……これまたキングオーラを放っており、来週も見逃せないな。

 平良役の萩原利久、清居役の八木勇征小山役の高野洸は将来ビッグ役者になりそう。今もう既にすごいし。


『ENNEAD』(Mojito)

あらすじ

 正直読んでもあらすじが今ひとつからなかったのだが、エジプト神話の話。

 1話全部と2話の殆ど神話パートで、2話の終わり辺りでアヌビスが父のセトに歯向かい、そこにホルスがやって来て、ボコられた。3話でイシスがセトに殺されかけて、ホルスがセトを刺す。

増田感想

 シーモアで3話無料だったので読んだのだが、3話までではさっぱりストーリーがわからない。分からなさ過ぎるよ!

 ENNAD(エネアド。ヘリオポリス九柱神)の一人セトが暴虐の限りを尽くし、ホルスがそれを止めようとセトと王座を巡って闘うわけなのだが、Pixiv百科によれば、どうやらセト←ホルスBLであるっぽい。なるほどわからん面白そうではある。買って読むかというと……保留かな。

 なんか……たまに韓国BLを試し読みしてみると、ストーリーがかなり殺伐としているので驚く。海を超えてまで人気が出るような作品からこそ過激作風なのかもしれないけど、愛憎の憎の部分がめちゃ強いのはなんなの……。



ただの日記

 とあるBL書きのコミュニティで、BLと非BLの違いってなんなの? と聞かれた。

 アマチュア字書きの書くBL場合は単に男同士が愛し合ってるかセックスしてるかというだけで他に確たる決まりはなさそうだよ、でも商業BLはそれだけでなく他に守らなきゃいけない掟があるようだよ、と私は答えた。

 そしたら質問者が「じゃあ私の作品BLではないってことですか。私はBLだと思うんですけど、BLというジャンル設定で小説投稿サイト投稿したらダメなんですか」と食ってかかって来たので相手をしたんだけど、どうも要領を得ないというか……。そもそも最初アマチュアの字書きの書くBLは男同士が愛し合ってるかセックスしてるかというだけで他に確たる決まりはないって言ったじゃん! アマチュアなんだから好きに投稿すりゃええがな。誰も文句なんか言わぁしねえよ! と思ったけどそんなこと言ったら怒りそうだから丁寧にリプライした……。

 質問者自分作品なんかクソクソのクソだからプロになるなんて夢もまた夢だと言いつつ、BLってなんですか? 女性向けってなんですか? ライトノベルってなんですか? 等、アマチュアWeb上で投稿する限りにおいては別にそこまで厳密に考えんでもいいことを、あくま商業作品定義としてどうなのか? っていう意味で聞いて来るので困った。一体、この人は何なの? 死ぬほど自信が無いと言いながら実はプロ目指していたりするの?

 段々相手するのが馬鹿らしくなってきたけど、真面目に対応しないとキレ散らかしてコミュニティーを荒らし荒らしから垢消して去る系かなと思ったので、「ggrks」と言いたいのを抑えて分かる範囲で答えた。

 最終的に、

ジャンル分けを気にするのはプロになろうと思ってコンテストに応募する時だけで、ただ投稿サイトに投稿するだけなら、自分BLと思ったらBL投稿すればいいってことですね」

 と分かって貰えた……。と思ったら、

「で、私の作品BLなのでしょうか?」

 と、話が振り出しに戻った。

2021-11-15

感情が死んだ時の話

自分はそこそこ裕福な家庭に生まれました。

中学受験すれば?」と親に聞かれ、当時小学生の何も知らない自分はなんとなく「やる」と答えてしまいました。「お前がやると言い出したんだ。最後までやれ」と圧をかけられ、凄く嫌がりながらも中学受験をさせてもらいました。案の定結果はボロボロで、適当に受けた適当中高一貫校入学する事になりました。思えばここからまりだった気がします。

部活動ソフトテニス部に入部しました。中高一貫校なので高校生の先輩もいました。そんな先輩方に体操服を引きちぎられたり、羽交い締めにされて「携帯パスワード教えろ」と言われ勝手に中を覗かれたり、その他諸々、所謂いじめを受けて、それが無理で1年で辞めました。

辞めてからは新しく吹奏楽部に入部しました。吹奏楽部ブラック部活とは良く言う話ですが、うちの吹奏楽部も似たようなものでした。部活動は平日はもちろん休日も朝から夜まであり、中学生朝練は当たり前、お昼を食べる時間は15分、理不尽な事で怒られたりもしました。合奏ミスをすれば女性の先輩に胸ぐらを捕まれ女子トイレに連れ込まれ正座をさせられてペチペチされながらこっぴどく叱られました。今思えば異常ですが、(自称メンタルの強い自分はなんだかんだ上手くやっていたと思います高校に上がり、自分達が先輩になった時にはそんないらない伝統ルール文化廃止させていきました。

ソフトテニス部でイジメられた時も、吹奏楽部でボロカスに怒られた時も、涙を流す事はありませんでした。むしろ自分にも非があったとも思いますし、先輩の機嫌も悪かった、仕方が無かったと捉えています。そんな自分が突然、涙を流した事件がありました。

高校三年生になり、大学受験視野に入れる歳になりました。部活動12月末まであったため、勉強部活の両立をしていました。部活動の同期は徐々に病んでいき、気付かぬうちに自分も病んでいました。病んだ同期は、部活練習使用する教室の机に置いてあった赤の他人教科書グシャグシャ丸めて捨てたり、リスカ痕を僕らに見せつけては笑顔で「今日も切ってきたよ!」と報告したりしました。それを見た僕らも「またかよ!笑」「今回はどんな形?」と、リスカ心配する素振りもなく楽しく話していました。僕らは壊れていました。日々死にたいと思い、明日が来ない事を毎日祈り、眠れない夜が続きました。それでも怖くて死ねない自分が情けなくて仕方ありませんでした。

とある日、急に毎日微熱が続いたので親に相談しました。「気の持ちようだ」と言われましたが、どうしても勉強部活サボりたかった自分病院に連れて行って貰えないか交渉しました。何故か親は頑なに断り、「甘ったれてんじゃねーよ!」と怒られました。諦めの悪い自分は、夜寝れてない事、もしかしたら心を病んでいるかもしれない事、辛くて学校行きたくない事を打ち明けました。きっと心配してくれる、休ませてくれると願いました。

「原因それじゃん。夜は無理矢理でも寝なよ」

「だから、無理矢理でも寝れないんだってば」

学校もさあ、金払ってるの私なんだから行けよ」

学校は行くから病院に行かせて欲しい。本当に寝れないし、熱も出てる」

微熱じゃん。気の持ちよう。明日には治ってる」

「だから寝れないんだってば」

「だから無理矢理でも寝ればいい」

「寝れないんだって!!!

初めて親に怒鳴りました。母の言葉を遮るように叫びました。ここから先はあまり覚えていませんが、母は変わらず何度も何度も何度も何度も何度も何度も同じ事を言い続けていました。「無理矢理寝ろ」 と。話にならないと思い自分の部屋へ逃げました。

自分の怒声を聞いた父が部屋へやってきて、「どうしたの?」と声をかけてくれました。自分は夜に眠れず、病院に連れて行って貰いたいことを打ち明けました。ですが父の返答は驚くものでした。

「○○(自分名前)の気持ちも分かるけど、怒鳴っちゃあだめだよ。」

自分は一瞬、理解が追いつきませんでした。この人は心配にし来たのではなく、怒鳴った自分を注意しに来ていました。怒鳴ってはいけない事くらい高3にもなればわかります。母も父も、僕の味方ではありませんでした。

自分は「わかった。1人にさせて」というと、父は何か言いたげでしたが、言わせる前に「いいから出てってよ!」と叫ぶと、僕の事を心配しながら出ていきました。

父が扉を閉めると同時に、涙が溢れました。頭の中は真っ白で、何故泣いているのか理解できませんでした。自分はその状況にゲラゲラ笑いました。涙を流しながら、声高らかに笑い転げました。感情が、文字通り「死んだ」瞬間でした。その日は夜通し涙を流しながら笑っていました。泣き終えた後が怖かったんだと思います。朝になりリビングに行くと母が居ました。母は「父が心配してたよ。可哀想に」と言いました。その言葉を聞いた時にはもう何も思いませんでした。

この人達は僕の味方でいるつもりで、僕を理解しているつもりかもしれませんが、僕に金をかけているだけで、全くそんなことはありませんでした。結局、当時の僕の事を思ってくれている人はいませんでした。

その日からはどんなに面白い動画を見ても笑う事は無く、何をされても苛立つことも無く、泣く事も、楽しいと思う事もありませんでした。屍のように生き、大学受験も見事に失敗し、適当大学入学する事になりました。大学受験をせずに適当専門学校へ行った姉に「そんだけ金かけてもらって大学落ちてんの?笑」と言われましたが、なんとも思いませんでした。僕をイジメていたソフトテニス部の先輩は超有名国立大学合格しており、理不尽な事で怒っていた吹奏楽部の先輩達は指定校推薦で超有名私立大学入学していました。僕の高校卒業後の部活動は、秩序の無いただの動物園のような場所になっていました。自分は今まで何をしてきたのか。全てがどうでも良くなりました。惨めな人生だなぁと心の底から思いました。

今では大学での出会い吹奏楽団での出会いバイト先での出会い等で息を吹き返しました。人から大事にされる事がこんなに嬉しいなんて知りませんでした。父や母も、なんだかんだ大学通わせてくれてますし、なんと奨学金無しで通っています。本当に感謝です。

第三者からみれば僕の経験など大した事ではないかもしれません。ですが、もし似たような状況に置かれている人がいればこれだけは伝えたいです。戦わずに逃げる事も戦略です。僕は逃げる事が出来ず追い込まれました。死ぬくらいなら全てを投げ出して逃げてしまいましょう。

大丈夫です。

きっと誰かが手を差し伸べてくれます

2021-11-08

女が感情的というより男が感情的な女が好きなのでは?

友達がフラれたので2人でヤケ酒して、その場に盛り上げてくれそうな人呼ぼうかってTinder男性を呼び出した。

「どんな人が好みなの?」と男性。友人がにこにこしながら「頭いい人!」と言うと、「俺はそこ自信あるよ」とガッツポーズをした。

しかし困った。ここにいる女は2人とも東大に籍を置いているのだ。他方彼は、Tinderプロフィール真実なら同志社大卒。申し訳ないがあまり期待は出来ないと思いつつ、高校三年生時の偏差値では測りきれない頭の良さもあるので、試しに色々話を聞いてみた。

だが15分ほど経ったあたりで、男性が「こんな話を女の子と初めてした」「女の子ちょっと馬鹿なくらいがいいんだよ」と言い始めた。彼の仕事の話を聞きながら、気になったことを質問していただけのつもりだった。

「理詰めは可愛くないよ」と言って去っていく彼の背中を見ながら、なんか一般論的に見ると男女逆の現象だな〜と思った。

よく「女は感情的」と言われるし、自分自分恋人よりは感情的だと思う。それも含めて、男の人って「自分より感情的」な、自分比較して理詰めで語る言葉を持たない、子どものような女性が好きなのかなと思った。

女が明らかに女を殴りそうな男と付き合うのに似てるとも感じる。

個人の感想です

2021-09-04

24女子から告白された、49歳おじさんの話

文字を読めば分かると思うが、学がある訳では無い。身バレ予防のために少し変えている部分もある。ただ教職ではない。

文章を書くのは得意ではないから、間違いがあったとしても、許してほしい。

俺はただのキモいおっさんだ。

身長も165程

見た目が良くない。権力や金がある訳でもない。

昔はモテない結婚出来ない、で悩んでいた時期もあったが、それも俺か。と受容しつつあった。

緩やかに絶望しながら、生きていた。

俺に告白してきた女の子は、彼女高校三年生の時に、ボランティア先で出会った。

多感な年代女子ありがちな、薄幸そうな雰囲気を醸し出していた。

性別が違うので、濃く関わっていたつもりは無かったが、会うたびに話はしていた。

の子は時が経つにつれて少しずつ、自分の話をしてくれた。

話を聞くと、親がよく暴力を振るっていたらしい。ボランティア先では珍しい話ではなかった。

彼女にとって男性暴力的で、恐怖の対象だったそうだ。だから彼女には、俺のような一見穏やかに見える男性は初めてだったらしい。

そう話していた。

今思えば、「俺さんのこと超好きですよ」と冗談交じりに言われることは何度かあった。 ボランティア中に子どもからそう言われることは偶にあるので、「それは嬉しいな~」と適当に流していたが。

去年、コロナ感染が拡大する前、あの子に久しぶりに会った。

の子は垢ぬけて、綺麗なお姉さんになっていた。

本人曰く、自分で使えるお金が増えたかららしい。冗談交じりにそう言った。

おこがましいかもしれないが、自分の子もの成長を見届けたようで嬉しかった。

暫くして、つい最近、あの子から連絡が来た。

大学時代から今まで、俺のことが好きだったらしい。

どうやら、就職して自立出来るようになってから、本格的に告白しようと思っていたそうだ。

本音を言えば、嬉しさよりも、困惑した。

年配者への尊敬する気持ちを、恋愛感情と履き違えているのではないかと感じたからだ。

から孵った雛が、たまたま目の前にいた人を親だと思うように、あの子は俺にたまたま愛着が芽生えただけではないだろうか。その愛着に、恋愛感情や性が混ぜこぜになっているのではないだろうか。

一週間ほど悩んだが、断った。

「そうですか…。」とだけ連絡が来た。

ただ、

もし、俺の生まれ時代が違ったら。

もし、あの子の産まれ時代が違ったら

また違う世界があったのかもしれない。

自分恋愛をして、結婚をする未来があったのかもしれないと、少しだけ泣いた。

人づての話によると、あの子はしばらく落ち込んで、泣いて過ごしたらしい。

俺もあの子も、しばらくは、引き摺るのかもしれない。簡単に切り替えられないのかもしれない。

自分に過度に期待せず、これからも緩やかに絶望しながら生きていこうと思う。

読みにくかっただろうに、最後まで読んでくれてありがとうな。

2021-07-14

文章を書くのは難しい

高校三年生

 

 

いうなれば殆ど大人である選挙権だってもう手に入るし、子供金も適用されない。バイトだってできる。もうなんでもできるから大人だ。

 

 

と思っているのが大半だと思うし、私もその大半である1人だ。

 

 

 

しかし、文章力がない。

 

 

しかし”?接続詞おかしくない?あっそういう技法文章力ないことの強調??

 

とか、ここまで読んでそう思った人も居ると思う。いて欲しい。今の高校生には文章力が足りないような気がする。

 

現代日本ではグローバル化だのグローバリゼーションだの…まぁ国際化が進んでいるわけだ。海外留学するためにそういう大学行ったり、そうじゃなくても必死英語勉強をしたり。時代によって価値観も変わるし、それに沿って個人の考え、やりたいことが変わっていくのは自然なことだと思う。

 

しかし、そのように英語を頑張っている諸君国語は得意かい日本のことは理解しているかい?

私はそうじゃない。でも、自国のことを知らない留学生が来てその国は嬉しいだろうか。英語を学ぶ前に学ぶことがあるんじゃないだろうか………。

 

 

ここで先程の話に繋がる。高校生文章力がない問題

とても英語ができる友人がいる。私は英語が苦手。

でもその子国語が出来ない。私は国語ができる。

実際、英語ではその子に負けるが現代文は私のほうが出来るのだ。

 

 

1度その友人の文章を読んだことがある。“それっぽい”文章を書こうとしすぎて支離滅裂…というか意味が二重三重してしまって、よく分からなかった。

の子は頭が良くて、私は頭が悪い文章力は私のほうがあるんではないか……と思ってしまった。その子プライドがあるだろうから言わなかったけれど。

 

いくら数学が出来ても、暗記が得意でも文章力が書けなかったり、日本語力がないのでは将来困るんじゃないか…。

要するに、日本語を磨けと言いたいのだ。

 

さて、ここまで読んでくれた優しい読者の皆様、

導入と結論が繋がっていないことにお気づきだろうか。もっと言うならずっと繋がりがないような気もしてくるだろう。

 

これは高校三年生文系女子が書いているものなのである

したがって高校生なんてこの程度なのだ

2021-02-15

90年代の曲と60年代の曲

先日、日曜夕方ももクロラジオをなんとなく聴いていた。そのラジオは、ももクロメンバー二人と、40代半ばのアナウンサーの三人で進行する番組なのだが、その中でKANの「愛は勝つ」が流れて、それについてひとしきりトークをする、というくだりがあった。

愛は勝つ」は、90年のヒット曲から40代半ばのアナウンサーがひとしきりエピソードを語って、ももクロの二人はただ、へー、っていう反応だった。

俺も40代半ばだから、そのアナウンサーの語っていることは肌感覚としても理解できるけど、ふと、今の10代、20代はどう思うんだろう、と思った。

この件に限らず、割と今の40代10代、20代のころに流行ったもの話題が、テレビラジオネットなんかでよく見かけるような気がする。

翻って、俺が20代の頃って、そんなに昔流行ったものって、そんなに話題にされていたっけ?とも思った。

たとえば90年代からの30年前は、60年代になる。60年代ヒット曲ってなんだろ、と思って調べてみたら、なんとなく知っているのが、

上を向いて歩こう

いつでも夢を

こんにちは赤ちゃん

見上げてごらん夜の星を

高校三年生

明日があるさ

幸せなら手をたたこう

君といつまでも

ブルーシャトー

・帰ってきたヨッパライ

ブルーライトヨコハマ

・黒ネコタンゴ

だった。意外に多いな、と思ったし、すぐはでてこないけど、聴けば、あああれか、と思う曲も含めれればもうちょいあるだろう。

今の10代、20代にとっては、俺がこれらの曲を若い時に耳にしていたのと同じような感覚なのかな?

2021-02-12

バイト日記

 前回のバイトまたまたストーカーから菓子を貰ったが、その場で「ありがとうございます」と言っただけで、私は無反応を決め込む。

 今日はすごく可愛い女子大生アルバイトさんとシフトが被ったので、女子大生アルバイトさんに「大学何年生?」って聞いたら、「まだ17歳高校三年生です」って彼女は言った。マジか!? 大学生というのはデマだったのか……。それにしても、そんなに若いのにずいぶんしっかりしているんだな、すごいや。

 ストーカー客が来たが、私は什器掃除に夢中になって気付かないふりをして無反応を貫いた。そしたら、私しかレジにいない時間帯を見計らってストーカー客はまたやって来た。二度来る時はいつもそうだが、父親らしき人を連れていた。私は無言でレジ打ちをした。

 あと三ヶ月で、ストーカー客にストーカーされ始めてから三年経つけど、一言雑談すらしていないのにストーカー客の中では関係が進展していることになっているのか。気持ち悪いな。

2021-02-08

社会勉強は才能じゃない!学歴努力証明書勉強平等!」←これ

小学校レベルですら全体の3割が脱落

中学校レベルにもなると全体の5割が脱落

・他方で上記のような現実など何処吹く風とばかりに鬼畜な超名門進学校入試問題難易度

センター6割ですら高校三年生上位2割の学力

・それですら上位層からしたら「ありえない点数」

・やはり知能の個人差は本当に凄まじい

受験において最重要である数学能力遺伝の影響が8割越え

数学はあらゆる分野の中でも音楽に次いで才能がモノを言う分野である

・そのため難関国立大入試国主導の差別であると言っても過言ではない

マーチは同世代の上位1割

・当然一般組はそれ以下なので実際は同世代上位数%

・故に知的下位層からしたらマーチは雲の上の領域である

・にもかかわらず上澄みの層はマーチを「失敗」扱い





欺瞞だよね

2021-01-30

推し、燃ゆ」を読んだ

高校二年生の冬、推し出会った。

「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。

けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。

その日から人生が変わった。

この本の主人公あかりは、推し出会った時の私そのものだった。

あの時の私も推し生活の全てだった。

部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。

けれど、幾ら推し推している時間楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。

気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイト自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。

けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。

「折角、良い高校に入ったのに。」

気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。

推し出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分ダメ人間なんだろう、と自分自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。

推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。

しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議もので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。

結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)

気づけば推し出会って二年が経っていた。

現実世界の私は、もう本当に、どうしようもなかった。

こんなにも自分怠惰堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分詐欺師にでもなったかのような気分だった。

推し出会って四年が経った。

未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。

大学生になった。

詐欺師から普通人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。

推し、燃ゆ。

こうなっていたかもしれない私の、話。

私の推し今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。

私の背骨はいつの間にか、推しから現実生活に変わっていた。

2021-01-15

学歴プログラミング英語投資したら年収1000万円にたどり着いた

学歴プログラミング英語は、「将来のために大事」と言われる三種の神器ではなかろうか。

それらを反映し乱立する、学習塾プログラミングスクール英会話教室

これらの広告を見ない日は無いといっても過言ではないだろう。

そして比例し増え続ける、カルトじみた集団や過度な誇大広告――そしてあふれ返る失敗談。

――曰く、東大を出るも、就職活動で失敗し非正規雇用

――曰く、就職成功するも、激務で健康を害し退職

――曰く、プログラミングスクールに莫大なお金投資するも、就職先は薄給

――曰く、英会話教室に通い続けるも、生かせる機会は皆無

東大を出れば、プログラミングができれば、英語ができれば年収1000万円とは何だったのだろうか?

消費者を騙すための嘘、誇大広告なのだろうか?

まりに暗い話が多く目につくので、事実に基づく私の成功体験を記したい。

私は大きな情熱を注ぎ続けるタイプではない。

しかし、やりたいと感じたことに対し、しっかりと投資をしてきた。

学歴プログラミング英語は、その中の三つである

まずは学歴

高校時代、正直言って成績も授業態度もあまり良いほうではなかった。

大学受験勉強を本格的に始めたのも、高校三年生の春過ぎであり、比較的遅いと言えよう。

受験勉強を始めたきっかけは、何のことはない、友人たちの熱に当てられたのだ。

高校三年生ともなると、受験戦争が完全に本格化し、話題の中心は自然大学受験となる。

そして、はたと気づく。これは、ヤバいと――。

気づいてからの行動は早かった。

勉強投資した。投資効率の良い科目に絞った。

英語のような投資効率の悪い科目は潔く捨てた。

塾に通い、大量の参考書を買いあさり模試を受け続けた。

Aランクと言われる大学入学することに成功した。

流石に東大京大は無理であったが、スタートの遅さを考えると十分な成果だろう。

当初は妄言しか思えなかったであろう子供言葉を信じて、お金を出してくれた両親には感謝しかない。

大学生活はあっという間に過ぎ去り、就職活動の時期がやってきた。

学歴を存分に生かし、推薦で有名企業入社することにした。

学歴への投資が実を結んだ瞬間である

そしてプログラミング

入社した先はIT企業だ。大手と言われる企業だった。

コンピューターが好きという安易理由で、大学ではコンピューターサイエンスを専攻した。

そのため推薦で入れる企業IT企業が多かった。

大学時代特にプログラミングに熱中したわけではなかった。

からこそ大手IT企業を選んだ。大手ではプログラミングをしないと聞いていたのだ。

おかしなことが起きた。プログラミング楽しいのだ。

新入社員現場を知るためにまずはプログラミングをやらされる。

これが無性に楽しい。語彙力のなさに呆れかえるが、そう、とにかく楽しいのだ。

プログラミング勉強を始めることにした。とりあえず本をたくさん買った。

プログラミングをするならMacと言われたのでMacBookを買ってみた。少ないボーナスが消えた。

プログラミングへの本格的な投資が始まった。

そして気づく――プログラミングをしないキャリアパスに乗っていることに。

当然だ。プログラミングをしないで済むが、専門を生かせるという理由大手IT企業を選んだのだから

さらに気づく――特に作りたいものがないことに。

最初に述べたように、私は大きな情熱を注ぎ続けるタイプではない。

何かを作るには大きな情熱必要だ。私にそのようなものはなかった。

ただ、プログラミング技術のものを楽しく感じてただけだったのだから

転職した。

転職先は中小企業だ。周りの人には止められた。

でもどうしても、プログラミングスキルを伸ばすために、作るべきもの、作るべき機会が欲しかった。

情熱のない自分には、それらを得るには仕事にするしかなかった。

プログラミング投資し始めた結果、大企業を捨てることになった。

なんとも面白い展開だ。勢いだけで生きているのがありありと伝わってくる。

転職先では晴れてプログラミングの日々が待っていた。まさに望んだ日々だ。

来る日も来る日もわからない用語が飛び交い、心が折れそうになる。

だが、新しいことを学んでいくのは楽しかった。それも自分が好きになったプログラミングに関することならなおのことだ。

ある日、尊敬する先輩プログラマーたちは、英語が堪能であることに気づいた。

しかすると、自分英語力が壊滅していることに気づいただけかもしれない。

これも当然だ。大学受験効率を優先し、英語勉強をしなかったのだから

プログラミング言語のベース英語だ。そしてITの中心はアメリカだ。英語の国だ。

優秀なプログラマープログラミング言語だけじゃなく英語も華麗に操るのだ。簡単な話だ。

英語勉強を始めた。

既にパターン確立されている――本だ。

英語参考書を大量に買った。自分に合わず捨てた本もたくさんある。

英会話も始めた。TOEICも受け始めた。最初は400点台だった。酷すぎる。

こうして英語への投資が始まった。

TOEIC英会話は正解だった。成長が実感できる。

もちろん、無成長を突き付けられて心が折れそうにもなるときもある。

転換点が訪れた――TOEICで900点を取った。

ギリギリだ。手ごたえは特になかった。おそらくまぐれだ。

でも、とてもうれしかった。伸び悩みを超えてからの900点だ。

結果、燃え尽きた。

正確には、道しるべを失った。先が見えなくなった。

900点という転換点が訪れたことで、TOEICを受ける気力が失われてしまった。

一つ確かなことは、自分英語力がTOEICの点数ほど優れてないという実感だけ――。

転職した。

プログラミングの時と同じだ。仕事で本格的に使うようにしてしまえば良い。

プログラミングスキルTOEIC900点引っ提げて外資系転職した。

予期せぬ副次的効果があった――年収だ。

年収があがった。年収750万円で入社した。

中小企業プログラマー年収と比べると雲泥の差だ。

プログラミング英語に囲まれ日常が始まった。

なんてことはない、単にそれはプログラミング英語悪戦苦闘する日々だ。

投資を続けていたプログラミングスキルは既にある程度、花開いていた。

英語はつたなくとも、仕事は、そう、プログラミングはできる――そうして数年が経過した。

30歳になった。

年収は1000万円になっていた。

2021-01-03

コンセプトカフェキャストに入れ込みすぎて、破滅している。

自己紹介すると、

女、OL20代後半、レズ都内在住というのが私。

秋葉原のコンセプトカフェ年末からハマり、もう40万円は支払ってる。

私が行っているコンセプトカフェは、ゴスロリ風の制服を着た少女(多くは16歳から19歳の未成年)が、一対一で接客してくれるという形態のもの。料金は1時間1100円(女性料金)と、女の子へのドリンク代。女の子は時給1000円➕ドリンク代のバック(4割)が手取りとなる。

これに、私は麻薬のように中毒になっている。バンバンシャンパンとか入れまくる。

なぜ中毒になるか。まず、セクシャルマイノリティの話ができる相手って、少ないんだ。私は二丁目が好きではないし、友達も限られている。親身になって話を聞いてくれて、笑顔をたくさん見せてくれる女の子存在は、涙が出るほどありがたい。もちろん、マスクは私も相手も常につけているし、飲食もほぼしない。ドリンクは捨てているのだと思う。

私は、さみしいんだと思う。今後も婚姻できることもなく、友人たちが結婚していく現状が、泣くほど辛い。彼女は、その隙間を埋めてくれる存在なんだ。

コンセプトカフェ女の子はとてもいい子で、連絡先を交換した。プライベートでも会ってくれるって。でも、それは申し訳いから、時給分はお小遣いとして払おうと思う。相手の子は18歳の高校三年生で、私はロリコンではない。

それでも、だ。愚かにも、彼女が私を好きになってくれる未来を、夢想せずにはいられない。哀れな中年レズ の、夢物語だとわかっていても。

この先、どうなるんだろう。老後の貯金バンバンなくなるので、誰かに止めて欲しい気持ちと、突き進みたい気持ちが入り混じっている。

ああ、レズに生まれたくなかったなあ。

2020-12-14

anond:20201214213958

元増田の言うことが嘘だと断言するわけではないが、あまりピンとこない。

高校生にもなれば自らバイトして金を稼いだりバイク免許を取ったりと自立するので、義務教育中の小中学生のように人生相談などを教師に頼るというのはあまりないと思う。元増田高校生子供扱いしすぎだ。

高校三年生が「受験期の不安定メンタルケアをしてくれた」云々も意味が分からない。高校一年生・二年生なら文系理系選択だったり就職・進学だったりと進路で悩むのはわかるが、三年生にもなれば悩むことは無くなるからだ。進学校なら生徒に模試を受けさせるから模試の結果に合わせて受験校を決めて勉強するだけだからだ。

仮に元増田の言う通り「生徒に手を出す教師の数は多い」というのが真だとしても、その逆に「教師に手を出されてしまう生徒は多い」は必ずしも成り立つとは言えない。なぜなら人数が大幅に異なるからだ。生徒は一学年に数十人から数百人といるが、それに対する各教科の担当教師はせいぜい十人程度だからだ。教師が一度に複数人の生徒と同時並行的に交際をするというわけでなければ、教師交際する生徒は圧倒的少数派となるのは必然だ。だから最後段落高校生の子供を持つ親に提言するのは的外れと言わざるを得ない。

職業倫理というか私立高校教師の単なる呪詛

教師と生徒の恋愛漫画の中だけだと思うじゃん?教師同士よりあるんだなこれが。もちろん在学中の生徒と付き合ってんのがバレたら教師は一発クビだから、大抵は卒業後に会ってるうちに…っていう体だけど、まあ在学中から噂が立ってるようなのが殆どですよ。隠してはいるんだろうけど、人の目が多い狭い空間関係の隠し事はなかなかに難しい。校長副校長も目を光らせてるけど、クビが絡む事案だけに証拠がないと動けないらしく、あくまで噂立ってるから気をつけてね程度の注意で終わる。だから減らない。

そもそも生徒が教師に思いを寄せがちなのが私立高校である自分も何度か告白されたことがあるが、それは別に自分スペックが高いわけじゃなくて、うちの学校高校三年生担当する若手教師で、未婚で性格によほど難がなければ生徒に告白される経験をする羽目になる。なんでかっていうと簡単で、受験期の不安定メンタルケアをしてくれた大人への感謝を、恋愛感情だと勘違いしてしまう子が毎年一定数出るからだ。特にうちの学校だと、受験期後半は家より学校にいる時間の方が長いような生活を送ることになるのも拍車を掛けている。

これは仕方ないことだ。高校生と言ったってまだ子である自分感情コントロールや自制が効かないのは当たり前だし、ましてや人によっては人生一番の精神の荒れどきになるであろう受験期の出来事だ。教師がきちんと断ってアフターケアして終わりになる恒例行事みたいなものである教師ちゃんと断れば。

断らないクズが山いる。これはうちの学校に限らない。生徒と教師卒業結婚しました♡みたいな美談は沢山あるが、大抵はまあ高校でであった二人だろう。そのきっかけは100%上記の「不安定精神状態の生徒が教師相談解決してくれたためその感謝恋愛感情勘違い」「その勘違いにつけこんで教師OK」だ。未成年淫行どうこう以前に倫理的に完全にアウトだと自分は思う。

塾や予備校ではなく受験勉強を学校で見るタイプ私立高校入学する生徒は、人生相談をほぼ必ず教師にすることになる。家庭問題から進路問題、本人の抱える病気精神問題など重い問題を、教師に預けることになる。子供からしたら他人にここまで自分のことを打ち明け、共に考えるのは初めてだろう。さっきも書いたが精神不安定な時期だ。くわえてまだ子供で判断力も鈍い。簡単教師が唆せるのである

受験当時、先生と連絡先を交換してもらっていた。夜遅くても質問に答えてくれたり、電話に出て相談に乗ってくれたりしてとても嬉しかった。思えばそこから好きだったのかもしれない」

「◯×さんにしかそういうことはしていなかった。当時は彼女努力に報いるつもりだったが、今思えばその頃から彼女のことが好きだったのかもしれない」

これは美談として結婚後に彼らが話していたことだが、うちの学校教師と生徒の連絡先の交換は禁止だ。そもそも教師も当時から恋愛感情があったことを認めている。でも簡単にこういう風に唆せてしまう。精神的に不安定子供を褒めて支えて甘い言葉を吐いて、自分を好きにさせちゃえるわけ。

そんなこと言って上手く行くとは限らないとかアプローチ自由とか好きになったのは生徒の自由意志とか思うかもしれないけどさ、実際の生徒見てたら簡単にできるなってわかると思うよ。それくらい受験期の高校生ってのはメンタルやられてるし、頼れる大人自分教師しかいない。家にいる時間より学校にいる時間の方が長いし、進路や家の問題を同じように受験に苦しむ友人に話すわけにもいかない。必然的教師を頼るしかない。この状態の生徒の好意勘違いだと正してやらないこと、この状態につけ込むことって、生徒の信頼にあまりにも不誠実だし、教師以前に人間としてアウトだと自分は思う。

受験期じゃなくたって、親に言えない相談をできる相手は生徒にとって教師しかいない。自分の弱みや悩みを教師に開示「せざるを得ない」。自分意思で友人や恋人など信頼のおける相手を「選んで」相談するのとは全く違う。病院患者医者が結ばれたのが気持ち悪い増田と同じ感情だと思うんだけど、義務的に見せるしかなかった弱みを恋愛に利用するのは、あまり卑怯行為じゃないだろうか。

というのが自分意見だが、生徒と教師はそれでも結ばれていく。職場卒業後の生徒と結婚することになったと言われても、愛想笑いで誤魔化すしかない。それがまあまあ辛かったので、増田呪詛を書きにきた。これを見ている中に高校生の子供を持つ親がいるかは知らないが、もし自分の子供が教師結婚すると言い出したら死んでも反対しろ、死んでも別れさせろ。絶対ろくな相手じゃない。

2020-12-01

逆ギレのような妬みの話

要は楽しそうにしてる人達が憎い話です。

気分が落ちてる時にここ見つけたからついでに書いてこうと思う、多分わかる人が読んだら僕が誰かわかっちゃうかも。分かっても言わんでね。

あと、自分ぼっちな事にコンプレックス持ってたりする人は読まない方がいいかも。

僕は結構外に出るタイプオタクだ、つってもココ最近のご時世になってからは前みたいにあっちこっち行かなくなったけど(ヨドバシかには行く)

そうやってあちこち行くたびに目につくのがやれ手繋いで歩くカップルだ、やれ楽しそうにグループで行動してる若い人たちだ。

僕は高校1年が終わると同時に引っ越した。引越しが多い家庭だったけど僕はそこで10年近くも過ごすことが出来た。友達もそこそこ出来た。今でも通話しながらゲームなんてしょっちゅうやってる。ネットで会ったゲーム仲間なんてのもいる。だから友人関係には不足はない……とも自分は言い切ることが出来ない。

どっちも「実際に会う」事が出来ないから。

10年も過ごして、少し出かけたら見掛けた顔に会うなんて事を経験していたら知らない土地で知り合いもいない状態の僕からすればとても寂しい。

そしてもうひとつ妬む要因になったことがある。

高校1年の終わりに引越したと書いたが、もう2年間は通信高校に通った。最初に行きたかった所だった。レポート提出も成績も全日制の前の高校にいる頃よりずっと良かった。

けれど恥ずかしいことに僕は友達作りに失敗した。

その高校には引っ越す前の地域編入、実際に活動したのは引っ越した後の地域で、クラスチャットにいる子は皆前の地域近辺に住んでいたからだ。

スクーリングに行ったってチャットで話した子なんかいないし、僕に出来るのはその場凌ぎのコミュニケーションで踏み入った事は当然できなかった。

けど、こんなのはまだ序の口だった。

高校3年、最後スクーリングの時だ。

通信から見た目の制限がないことは皆ご存知だろう、その恩恵を受けたかのような淡い金色の綺麗な髪の子がいた。

僕は「せめてこの子とは一言でも会話したい」と思った。

けれどスクーリング間中、結局一言も話すことは出来なかった。

そしてあろう事か教師に取り持って貰おうとしたのだ。高校三年生にもなってだ。今思ってもゴミクズ過ぎると思う。

こんなことを今では笑って話せるが、正直黒いものは胸の底に残ってる。

から逆ギレのように妬む。

俺はお前らと違ってこの土地に知り合いもいなくてひとりぼっちなのに、楽しそうにするなようるさいな

って。

それなら別にカップルかに感情向かないんじゃない?と思うだろう。ここまで読んでくれてるのならの話だが。

告白って知ってるだろうか、罰ゲームのあれだ。

僕は小学生の時点でそれを2回、中学生で1回くらって

Twitterを始めてからその事を話せる仲にまでなった人からそれでも好きだと言われて数週間したら連絡が無くなったというのを2回経験している。

おかげでオタク好意を向ける女は全員裏があると思っている。

からカップルも妬む。僕はそこにたどり着けなかったのに、こんなに寂しい思いをしてるのにと。

我ながらこんな事思うのは間違ってる、全部自分が悪いんじゃないかって理屈では分かってる。

けれど用事で外に出てそういう人達を見る度にそう思ってしまうのだ。

楽しそうにしてる人達が僕は許せない。

最近じゃコスプレ併せして写真上げてる人とか見てもそう思う。

オタクは暗く影にいるべきなんだ、なんでそんな明るくしてるんだって。酷い偏見だと思うけどそう思ってしまうんだ。TI〇〇OKとか上げてたらもう最悪だ。

ただ吐き出したくて書き始めたものからオチがなくてごめんなさい。

僕はどこで間違えたんだろう

ただただ見知った顔が見たい。

寂しい。

2020-07-15

一度腐ったら普通にはなれない

今年22歳になる。同級生達は大学4年生で就活真っ只中だ。もう進路が決まった人もそれなりにいるだろう。

私には夢がある。それは普通の人になることだ。仕事に行って、パソコンの前に座って仕事をして、同僚や上司他愛ない話をして、多くなくていいからお給料を貰って、そのお金から税金を払って、生活をしていく。一般的に想定されるような、なんてことなOLになりたい。

でも多分なれない。タイトルにも書いてある通り、一度腐った人間から

思えば挫折高校三年生の時から始まっていた。勉強が好きだったか進学校と呼ばれる高校受験勉強を頑張っていたけど、家が貧乏で進学を断念した。

こう言うと聞こえはいいけれど、今時貧乏でも母子家庭でも奨学金を借りてバイトもしながら苦学生をやっている人なんて珍しくもない。私は勉強は好きだったけれど分野を絞ることが出来ず、かつ多額の奨学金を借りることにどうしても抵抗があり(高三時点で社会不適合者の自覚があり、ちゃん就職して返済できる自信がなかった)、一言で言えば気概のない子供だった。

高校を出ていくつかバイト経験したあと派遣社員として1年ほど働いていたが、セクハラパワハラの多い職場で、気概のない私は最終的に抑うつになって辞職した。

派遣社員だった頃、中国語の歌にハマったことが理由中国語勉強を始めた。前向きに取り組めることがあることが嬉しくて、独学だったけど勉強はどんどん進んだ。大した資格ではないが、勉強を始めてから1年くらいであ中国語資格の最高級を取った。Skypeの講座を取り、会話練習も欠かさない。

中国語勉強を楽しむ自分がいる一方で、社会と接するとき自分はどんどん腐っていった。

派遣社員を辞めたあと、どうしても働きたくなかったけど生きていくために働かなきゃいけなかった私は、風俗仕事を始めた。ブサイクだけど若いから受かった。

中国語をやりながら、デリヘルで働いた。最終的にソープで働きはじめ処女喪失した。

中国語のレッスンで自己紹介をする時、職業を偽らなければいけないのが虚しかった。

手垢のつきまくった言葉だけど、客とセックスするたび気が狂って叫び出したくなった。薬を飲んで仕事に行き、待機中はずっと勉強をした。待機室でよく一緒になった実家暮らし女子大生に真面目だと褒められた。鬱は悪化し続けた。

鬱の悪化と同時に、なぜか語学勉強をしたいという気持ちがどんどん強くなった。中国留学するか日本で進学するかで悩んだが、英語に興味が湧いており、普通の人のように就職をしたかった私は国際系の専門学校に進むことにした。

収入が途絶えたら死ぬから風俗は続けた。セックスしながらまた勉強をした。大した資格ではないが英検準一級を取った。

あっという間に1年が経ち、いまは専門学校の2年生だ。鬱は治っていないが、ここでまともにならなければ一生まともになれないと思いながら就活に奮闘している。

いまは就活に集中するため風俗は辞めている。

気概もなければ誇れるものもないけど、語学勉強だけは人並みくらいには頑張ってきた。中小企業だけを受けている。内定ひとつもない。

就職課の先生曰く、コロナウイルスの影響で、外国語必要とされるような航空や観光業が軒並み採用中止となっている上、例年だと専門学生がメインに受けるような企業に四大生が受けに来ているらしく、国際系の専門学生就職が厳しいらしい。

先生の話を聞きながら、たとえコロナがなくても私を採りたい企業なんてないだろうなと思った。

私は英語中国語が話せる。それ以外で明確な専門分野はないけど、簿記プログラミング勉強したことがある。インキャだけど風俗で働いていたかコミュニケーション能力はある。派遣だけど事務で働いた経験もあるし、普通接客とかのバイト経験もまあ豊富だ。人に感謝されたこともある。人に頼られたことも頼ったこともある。家事自分でやるし身体を売って稼いだ金で学校に通い、家賃を払ってる。高校時代はしょぼい部活だけど部長もやってた。エクセルワード資格も取った。

それでも誰も私を採りたいと思わない。なぜなら一度腐った人間から

この国は、この世界は一度腐った人間普通になれないように出来ているから。

運命は生まれた時に全部決まっているから。

明日自殺するのでこれを書いた。誰にも話したことがなかった自分の話ができてスッキリした。

2020-07-02

つまんない話です。自己満で書いてます

愚痴すみません。私は高校三年生なんですが

、今のクラス友達がいません。友達居ないどころか浮きまくってます。いままでの私の行いにも色々問題があることはわかってます。そういう諸々が今の状況を引き起こします

でも辛いです友達がいる時は、いなくても大丈夫、いてもいなくても一緒と思っていたのが、いなくなったらいきなり学校生活がきつくなりました。

最近はどこにいても悪口言われてるような気がしてなりません。

実際言われているのは分かってるんですが、明らかに自分の事じゃなくても悪口っぽいワードが聞こえてくると反応しちゃいます

今まで、自分も今の自分がされているようなことを無意識したことがあります

意識的したこともあります

けど自分がされるまでことの残酷さに気づけませんでした。本当に終わってると思います

親にも悪口言われてるみたいなのはフワッと言ったんですが、結局心配されたくないため強がってしまい逆にまた気が重くなってしまいました。

他校とかに友達がいましたが、自分で切ってしまって連絡も取れないし、

前まで食い気味というか積極的に関わってくれてた友達も私があからさまにぼっちになったのに気づいたらよそよそしくなってしまいました。

それは普通にしかったです。

そういう感じで今気が許せる人もいないし、何となく全然キツくないはずのことがものすごくきつく感じるようになってきました。

今まで、自分で乗り越えられると思ってたことが、全く自分に何かを乗り越えたりする精神力なんてないと分かって(薄々知ってはいたのですが)

下らない自意識ばかり肥大してて割と限界です。

そして周りの人を憎む悪循環になってますが、周りの人は別に悪くないし、私が興味持ちすぎなだけで、誰も私に興味無いことはわかってます

全て私が悪いことだし、自分でどうにかしなきゃいけないとおもいます

でも、私自身はもう性根腐ってるので治らないと思います

学校生活あとわずかですがギリギリで耐えられるように頑張ります

耐えた後に何があるか分からないけど頑張ります

色々と親にも申し訳ないし、頑張ります

2020-06-08

顔をあげて歩くようになった

私は昔歩くときは下を向いてばかりだった。

記憶にあるのは登下校の道の側溝を塞ぐ蓋の穴ばかり。

別に意識して下を向いていたわけでもないし完全に無意識なのだけど、とにかくそ景色けが鮮明に残ってる。

そんな奴普通にしかけたくないしあと普通に考えて前見て歩かないと危ない。

学校休みがちで友達といえば休み時間教室で絵を描いているようないわゆる陰キャの子たちばかり。

当の私も立派な陰キャだったし今だってそれは変わらないけれど、私はいつの間にか顔をあげてまっすぐ前を見ながら歩くようになった。

当時の友達、いつも一緒にいるようないわゆるいつメンとも普通に仲良くしていたし仲良くしてもらってたと思うけど、今考えてみれば心の内にあることを話せるような本当の友達は一人もいなかった。

学校休みがちだったのは大人になってから病気が判明してそのせいだったとわかったけど、失った思春期青春は帰ってこない。

高校に入って小学校の頃よりは学校にも通えるようになり、友達も増えた。

高3の頃、体育祭きっかけでいろんな子と仲良くなった。

今連絡を取っている子は数人に減ったけど、当時はとても楽しかったしまさに青春!って感じだった。

私にとっての人生ピークは絶対にここだと思ったし、それでいいと思った。

その頃にはもう顔をあげて歩いていたんだと思う。

高校三年生がとても楽しかったし、青春人生ピークはやっぱりここかなとは思うけど、今もそれなりに楽しくやっている。

病気かいろいろ大変なことは多いけど、大好きなアイドル出会ってからから大好きで信頼できる友達も年齢問わずたくさんできた。

しかしたら人生ピークは更新されているかもしれない。

今はこんな状況(世間的にも個人的にも)でアイドルにも友達にもなかなか会えない日が続いていて大変だけど、またこからいろんな青春に気付いていきたい。

また明日からも顔をあげて歩こう。

2020-05-22

コロナ禍に思うこと

私は就職氷河期世代ロストジェネレーションなどと呼ばれる世代です。

コロナ禍の影響で世界が今後どうなっていくかはわかりません。

twitterでは高校三年生悲鳴などが話題になったりしました。

この話題に関して伝えておきたいことがあって、文章を書くことにしました。

勢いで書ききるつもりなので誤字脱字などはご容赦いただければと思います

から伝えたいこと、それは

氷河期世代の苦しみや悲しみは繰り返してはいけない」

です。

氷河期世代の過ちを繰り返してはいけない

氷河期時代に起きた過ちを細かく述べるなら、


さて、以降は私が経験したできごとを大きくわけて2つあげてみます

この経験から上記のような結論に至っています

1つ目は日本医療、もう1つが経済です。

その前に私について軽く述べておきます

西日本まれ東京就職です。

小学生の時分瀬戸大橋の完成、バブル崩壊などを経て、消費税導入がありました。

中学卒業の頃には氷河期が始まりつつあり、早めに進路を決める必要がありました。それは大学に行くかどうかも含めてです。

高校2年の時に阪神淡路大震災がありました。

私の家は、家の修繕や親戚関係お金を失っていました。

私は大学には行くことはできず、専門学校バイトを掛け持ちの進学。やっとIT系就職したものの、ブラック企業ばかりの状態でした。

自己責任という名のもと、必死に耐え忍んで、20後半の年代もっとまともな仕事に着こうと転職活動を始めた矢先にリーマンショック

リーマンショックが落ち着いて、立ち直りつつ今度こそと思っていたところへ東日本大震災

そういう世代です。

医療について

コロナの影響で日本医療崩壊が懸念されてはいものも、「何をもってして医療崩壊とするか」が個々人によってバラバラのため、議論が進まず、言葉けが独り歩きしていると感じています

さて、医療崩壊と併せてよく言われる言葉。「命の選別」というものがありますが、私の家族はそれによってこの世を去りました。

もう10年以上前のことです。

祖父の死

田舎の隅のほうに家がありましたので、先進的な医療は受けられません。

医療設備の整った病院まで車で一時間くらいかかるような田舎です。

ある日、心臓病が発症して県庁所在地病院まで搬送されましたが、もはや助かる見込みは無い状態でした。

親戚もそれは解っているため「仕方ない」「田舎から」と諦めた様子でした。

田舎とはそういうものですし、年齢的なものもありましたから。

父の死

数年後、世間リーマンショックで騒いでいる時代です。

父も同じ病気発症しました。

父の家、すなわち私の実家は少しだけ都市に近い場所でした。病院にも数十分で搬送されたとのことでした。

しかし助かりませんでした。

医者がいませんでした。」

「手術まで数時間待ちでした。」

「なんとか手術は終えましたが、合併症脳梗塞発症したため助かる見込みはありません」

これが私の父そして祖父に対して強制的に行われた「命の選別」です。

時代はちょうど小泉内閣の時です。

合併で多くの町が市になり、色々な予算が削られていきました。

医療制度が新しくなって、地方医者(研修医)が来なくなりました。

(興味がある人は調べてみてください。研修地方に来る人が居なくなり、その結果何が起きたか。)

その結果がこれです。

経済について

バブル崩壊消費税導入

私が小学生の頃、瀬戸大橋が完成して本州四国が一本に繋がりました。俗にいう「一本列島」ですね。

先行き明るいと思われていましたが、バブル崩壊消費税導入が押し寄せてきました。

家の家計は数十年先まで給料が上がり続ける前提で組まれたローンとなかなか上がらなくなった給料で苦しかったようです。

それでも父と母が共働きでなんとか学費などを貯め続けてくれていました。

進学と就職氷河期

高校に進学する頃には就職が難しいという話題があがりはじめていました。氷河期です。

高校大学と進んでも先行き不透明のため、中卒で力仕事従事する道を選んだ子も居ました。

大学進学までを希望していた子でも、普通科ではなく商業高校工業高校に切り替えたりしていました。

もちろんその道を選んだ人の自己責任と言われます

大学進学断念と阪神淡路大震災

高校2年の頃には阪神淡路大震災がありました。

私の家は大きな被害は受けなかったものの、親戚関係で色々あり、、、省略。

そして本格的な就職氷河期が始まりました。就職先はほとんどありません。

就職組の競争率は2倍、3倍。公務員に至っては10倍近い倍率もあります

なぜそうなるのか?

自分高校だけの話ではなくて、全国的就職先が無い状態です。

すると、偏差値の高い高校本来大学に行くような人たちが公務員などの就職試験を受けに来ます

これでは中堅の高校が敵うわけがありません。

では進学すればいいかというと、そうでもありません。世間では「即戦力」が求められた時代です。

そしてお金がない家庭に何が起きるかというと、とても居心地が悪くなるわけで、今でいう虐待に相当する行為が起きてしまうわけです。

それでも学校先生はこう言います。「勉強していい成績とれば、家庭環境も良くなる」

前提として「勉強」があるわけですが、それを阻害する要因の「虐待」が発生しつつあるので、もはやどうしようもないです。

今にして思えば父も母も不安だったのだと思います。もし受験失敗したら、浪人するお金はない。すなわち高卒で働くことになる。

滑り止めで私立は無理。震災お金が無く、そもそも受験費用の捻出だけで今は精一杯だったので。

公務員などの就職は難しい、、、では最初から少しでもマシな企業就職するか?

色々考えた結果、私は専門学校という苦肉の策を選びました。自己責任です。自分の選んだ道ですから

派遣改悪就職

進学、就職をなんとか乗り越えても、次の罠がやってきます派遣改悪です。

就職先を増やすためとの名目ですが、実態奴隷商売人身売買です。

私は派遣ではなく正社員として就職したものの、派遣会社に限らず下請けソフト会社などにありがちな二重、三重下請けの一部が派遣に切り替わったりしていきます偽装請負ってやつですね。

偽装請負二重派遣派遣法で禁止されていますが、派遣会社社員がそれを言い出せるでしょうか?

もしそれを訴えてしまうと「誰が訴えたか」が伝わってしまい、次に仕事に就くのが困難になります

労働基準監督署に依頼しても、そこまで保護してくれません。つまり誰も言い出せない。そんな状況です。

ならばスキルを高めてから転職。。。と考えます

なんとか実務経験を積んで、転職を繰り返すことで少しずつ待遇は良くなりました。

送別会で初めて会うN次受けの営業さんに「お世話になりました」などと大人対応で去り、次に行く。

しかし、転職ブラック企業をひくかどうかという、精神的に負担が大きいギャンブルです。

ギャンブルを繰り返し、少しづつまともなところへと向かっていった中で。。。リーマンショック東日本大震災が襲ってきました。

東日本大震災直後の年収は額面240万でした。計算やすくていいですね。

リーマンショックでは助成金があるから、その金額おかしいのでは?と考えるかもしれませんが、残念ながらあの助成金企業に対して支払われるもので、そこのやりとりに一般社員が関与することはできないんですよね。

労働基準監督署?もし訴えて未払い残業代を手に入れたところで、その業界で働けなくなったら意味なくないですよね。

脅しだから無視してよいと言われても、ずっとこういう生活を続けているとそれが当たり前になってしまうのです。

そもそも労働基準監督署リーマンショック震災などの有事の際は忙しいですし、一人ひとり真面目に相手になんてしてくれません。残念なことです。

最初に述べた意見の詳細説明

自己責任論で弱者(まだ世間を知らない学生さん等)に責任押し付けはいけない

自己責任論と言われて育ってきましたが、あれは間違っています

まだ世間の荒波を知らない20台の若者に「責任をもて」「経営者目線で」と言いつつ安月給や非正規雇用で働かせる。それは間違いです。

コロナでの「自粛」と同じく、「自己責任」は当人自主的に口にするべきものです。

そもそも選択肢が無い状態で仕方なくその道を選んでいるのに「自己責任」と投げかけるのは間違いです。

就職先無いけど、どうする?自分責任で選んでね。というのは無茶ぶりです。

強者弱者に対してこの言葉を使うのは「責任転換」です。

仕事があるかどうかは時代の流れが大きい。本人の能力問題すり替えはいけない

自己責任論とかぶる部分が大きいですが、就職先が無い状態学生さん能力が低いからと責めるのは間違いです。

たとえば競争率10倍の公務員試験であれば、100個しかない椅子1000人押しかける状況です。

そのような状況下で本人の能力問題など小さなものです。

学力をあげれば就職できる」論も間違いで、私の例でいえば家庭環境が終わっているのにどうやって勉強するのか?という話です。

当時の私には食事すらまともに出てきませんでした。生きるためにバイトしましたが、そうすると勉強時間が減ります

すなわち、環境悪化している状況下で本人に問題があると論点すり替えるのは間違いです。

twitterなどで話題になっていた高校生の悲鳴は「勉強できる環境づくりが難しい」という点だと思っています本来なら大人サポートするべきところです。

そして進学が不安だというのも納得です。

氷河期当初、進学するはずだった人たちが公務員試験を受けに来たという状況。それは当人にはどうしようもないし、平時であれば合格できたはずです。

それを「勉強不足だ」などと本人の責任にしてしまうのは間違いです。

世代間争いをしている場合ではない

ももう40台となってしまいました。失われた時間は返ってきませんし、怒りや憎しみを次の世代なすりつけるつもりもありません。

度重なる過労と鬱で子供を作る能力すら失われてしまいました。だからこそ、この文章を見ている人にお願いします。

年寄りから」「若者から」といがみ合って、物事本質を見失っていないでしょうか。

身の回りの小さなことに苛立つのではなく、そんな状況にしてしまった世界日本、そして政治をなんとかするべきです。

労働者階級同士でいがみ合い、会社間でいがみ合い、それでは誰も幸せになっていません。

消費税では福祉医療をまかなえていない

当初の導入では福祉医療などをまかなうため(という建前)の消費税でした。しか実態どうでしょう

父の命に対して

医者がいないので手術できませんでした」

という言葉を受けたからこそ言います

都会/田舎高収入/定収入所属企業を問わず皆が平等に収めている消費税

平等に収めた税金にもかかわらず「(田舎から)医者が居ません」と人の命を切り捨ててしまった。故に消費税不要です。

法人税はどんどん下がっているのに、消費税はどんどん上がっていく。そして消費税生活を圧迫し続け、私自身は生活も苦しい状況が続いています

さいごに

勘違いしてほしくないので最後に少しだけ書くと、犯人捜しや不幸自慢を推奨しているわけではないということです。

消費税が悪、政府が悪といった「犯人捜し」に躍起になったところで、誰も幸せになっていません。

氷河期は不幸だと不幸自慢したところで救われません。

過去にこのような問題があり、私自身がそれを受けて多くの不幸に見舞われたからこそ、新しい世代にはそうあってほしくないと願っています

2020-01-30

anond:20200130135351

卑近な例に置き換えると、

たとえば高校三年生文芸部員が、

試合に勝ったという高校一年生の剣道部員に、

「よかったやん」って言って背中を叩いたら、

「敬意がない」「マウントとってる」と思うんか?

よくわからんで。

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