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はてなキーワード: 西洋人とは

2021-05-01

anond:20210501234507

GIMP開発者コミュニティめちゃくちゃ閉鎖的で人種差別普通にあるとか2.6~7付近の頃ある人が嘆いてたけどな。

何でもその人がsvnかなんかに投げたコード却下されて他の西洋人のより複雑で重たい意味のないコード採用され、のちのバージョン勝手にこっちのコード剽窃した西洋人のもの採用されてもてはやされていたとか。嫌気が差してその人はコミュニティを去って、絵も描かなくなってしまった。プログラムと絵ができる数少ない人材だったのにね。

日本関係なくオープンソース界隈自体に閉鎖感があるのでは?

2021-04-20

在宅勤務で暇すぎるのでコロナの事を書いてみる

仕事もねぇし、だらだらネット三昧

サラリーマンは気楽でいいね

親の事業を継いでたら今頃ひどい目にあってたわ。

セフセフ。

 

そんなわけでコロナで思うことを書き留めておく。

長いしムカつくだろうから読まないことをお勧めする。

まぁ読むやつはいねぇだろうがw

 

2,3年後にそらみたことかと言えるようにネットに残しておきたいだけだ。

実名だとフルボッコだろうからこっちでw

 

では、始める

自粛マスクワクチン感染者や死者を減らす施策勘違いされたま

政府専門家の誰もこれを正さずここまで来ちゃったわけだ。

辟易している。

 

最初は正しくピークシフトだと言うてたがいつの間にか説明を諦めたようだ。

国民リテラシーが低すぎてさじを投げたように見える。

 

自粛しようがマスク着用しようが全国民ワクチン打とうが

感染者数も死者も総数は変わらない。

山が平らになるだけ。

減らない。

なんで減ると思ったの?

伝播速度を緩める効果しかない。

日常生活を送っててコロナウイルスから一生逃れ続ける事は不可能

手洗いとか殺菌でどうにかなるものではない。

 

そんなもんで撲滅できるならインフルエンザなんてとっくに撲滅できてる。

風邪なんてこの世から消えて無くなってる。

無理なの、不可能なの。

 

人類がこれまで撲滅できたウイルス天然痘だけで

これは死亡率が高く感染メカニズムや皮膚に症状が現れるなど撲滅できる条件が整ってた。

世界中が右も左も西も東も手を取り合って全世界的に撲滅作戦執行した。

人の移動もまだ緩やかだった時代にようやく達成できた。

これを現代コロナでやるのは無理。

どこかに残り続ける。

そしていつかは全員に回ってくる。

コロナウイルス撲滅の可能性がわずかでもあればロックダウンだのマスクに意義があるが。

2万%無理です。

 

ワクチンさえ間に合えば無敵になるんだからセーフだろって?

なりません、そんなもんで救えるならとっくに風邪インフルでやってる。

 

まず、コロナウイルスってどこにでもいる普通ウイルスなの。

風邪、原因になるウイルスは無数にあるけどその代表格が

ライノ、RS、コロナ、パラインフルなど

コロナ風邪の2割の原因。

ちなみに、風邪ウイルス罹患したら全員もれなく発症するようなものではない。

症状がでるのは2割。

普通の人は一年に1,2回は風邪を引くけど実際にはその4,5倍は無症状なだけでウイルスには感染してる。

免疫あんじょう処理して気づかずに終わってる。

ウイルスには感染しているのだから気道などで増殖しくしゃみをすれば飛沫をばらまいてる。

そうやってウイルスは街の中でジワジワと生き延びる。

気温や湿度など条件が整えば一気に広がる。

 

日本は年間130万人が死ぬがそのうち10万人程度は風邪が原因。

ところがこの数字正確な統計すら無い。

 

人が死んでも基本的に原因は調べない。

末期がん患者死ねば死因はざっくりガン、高齢者なら肺炎老衰ごまかす。

肺炎も概ね誤飲肺炎とする。

ごまかすってのは言い方が悪いが

 

ところが今、誤飲肺炎だろうが末期がん患者だろうかコロナ罹患して死ねコロナ死とカウントしている。

そもそも誤飲肺炎というのも相当因果関係なだけで、

年寄りが軽い風邪を引く、もともと筋力が落ちてるところにウイルス筋肉が炎症を起こせば

身体機能が低下し。つまり正しく飲み込む筋肉が働かない。

結果誤飲肺炎になる。

直接的な原因、つまり死因は誤飲肺炎と診断で間違いは無いが。

なんか違うよね。

でもコロナ感染者だと死因はコロナ

なんだかなぁ

 

ともかく実際の死ではそんな細かい事は調べない。

調査もしない、だから風邪で何人死んだかなんて統計もない。

だけどサンプリング病理解剖をしている。

老衰と診断された人も詳しく調べると原因がわかる。

心筋や脳からウイルス細菌が見つかる。

心臓止めたのはこいつだなと。わかる

 

そういう研究から推測すれば年間10万人程度が風邪で死んでる。

 

風邪で人が死ぬのは当たり前すぎて誰も研究調査もしないわけ。

 

ところがコロナは数千人死んだだけで大騒ぎして緻密な調査して怖い怖い言うてる。

肺炎球菌だけで年間4,5万人が死んでるけど

医療崩壊は起きないし大騒ぎにもならない。

はいつか死ぬよね、あの人は肺炎球菌だったってさ、へぇ

で終わり。

でも新型コロナは大騒ぎ。

 

いやでもワクチンで死者は減る、重症化を抑制できるだろって。

できません。

インフルワクチンで立証済み。

インフルワクチンですら寿命増進には寄与していない。

死亡率が下がると思うだろ?

下がらないんだわ。

若年層がワクチン打っちゃう免疫獲得の機会を逃すことになるから

 

ミクロで見れば効果はあるんだけど一生、社会全体のマクロで見るとなーんの効果も無い。

せいぜいが高齢者だけ。

 

コロナワクチン高齢者の接種は否定しないよ。

高齢者も若年層も同じウイルスだろうって。

 

体力が違う。

 

ワクチンは獲得免疫のチャンスを逃す。

免疫ってのは人体が強いダメージを食らうほどその抗原を強く長く記憶するようにできてる。

しか免疫諸刃の剣で、人体を守る機能ではあるがそれが暴走すると体そのものを壊す。

アレルギーアトピーがその代表的な症状。

体内の異物を見境なしに敵とみなして排除するわけにはいかんのです。

人間の体は様々な細菌ウイルス共生している。善玉菌など。

そもそも飯を食うというのが異物の挿入なわけで。

これを免疫機能排除しちゃったら生きられない。

実際に米や小麦アレルギーを持つ人もいる。

困るよね。

 

では人体はどうしているかと言うと体調が崩れた時に体内にいた異物を敵とみなすシステムになってる。

さらに何段階かあり、めちゃくちゃ体調が崩れた時は超ヤバい敵と認識する。

一度記憶した敵は一生涯敵とみなせばいいじゃないかって?

ところが免疫システムもっと利口で、敵を誤認するであろう事もシステム設計で考慮されてる。

人体すげぇ

 

から短期免疫と長期免疫に別れてる。

よほど重い症状でなければ短期免疫で済ませる。これなら誤認であっても時間が経てば解除される。

例えば一時的に米アレルギーになっても数ヶ月でまた米が食えるようになる。

 

免疫の最終段階はキラーT細胞で、これは体内の異物をとにかく殺しまくって体内を一度リセットする最終兵器

免疫にはIgA、IgM、IgGなど各種あるけど、活動場所が違い、どれが発動するか、体の不調の検知は炎症、発熱トリガーにしてる。

 

人間の体でヤバいのは人体の損傷、つまり炎症なわけで、炎症を起こせば筋肉発熱する。

人体がエネルギーを熱に変換できるのは筋肉で、炎症箇所の筋肉発熱する。

これを免疫細胞が検知し、周辺にいる異物を排除しようとする。

 

年寄りが死にやすいのは筋力が低下しているので発熱ができず免疫が起動しないから。

 

で、西洋医学はここに目をつけた、そや、炎症を抑えればええやん。

抗炎症薬の登場。

とりあえず大本の炎症を抑えれば発熱もすることなく、時間が経てば自然治癒するだろと。

寝込むこともなく日常生活継続できる。

まぁ間違っちゃいない。対症療法

 

ところが、これだと免疫活動する必要が無い。

白血球がそれなりに異物を食うてくれるのでそのうち治まるが。

 

西洋人アスピリン化学合成からこの作戦で半世紀、百年やってきた。

 

東洋医学はこれとは逆で炎症、発熱にはそれなりに意味があるものと考え解熱、炎症鎮圧をやらない。

発熱を許容し葛根湯を飲んでおとなしく寝てなさい。

これで数百年やってきた。

 

コロナ回復後も後遺症がある、つーが

従来の風邪でも山程症例あります

後遺症は新型コロナだけの特別症例では無い。

 

風邪回復後にウイルスは検出されないのに微熱が続く、頭痛するようになった。

いくら精密検査しても原因不明

こんな症例はいくらでもある。

 

そもそもタバコも吸わない健康的な生活してても年を取れば小中学校の頃のように走り回ったり飛び跳ねたりできなくなる。

これ後遺症と言うか?

人生何度も風邪やら怪我やら各種疾病を繰り返しながら大人になる。

そのたびに肺や人体の損傷が蓄積される。

風邪が治ったからって体は完全に元通りにはなってない。

ちょっとずつダメージが蓄積される。

老化ってそういうもんですから人間ですもの

なぜか新型コロナだけ後遺症だと大騒ぎしてる。

 

新型コロナ国民一丸となって頑張ったから抑え込めたのだ、この程度で済んでいるのだと主張する人。

99.99%の国民勘違いしてる。

努力には意味がないと報われないよね。

ところが、実際には意味がない。

ただのピークシフト

いずれ一度はかからなきゃならない。

今かかるか先にかかるかってだけ。

 

で、大騒ぎせずにただの風邪と扱ってりゃ一般病院で診察できるんだから医療崩壊は起きない。

逆に言えば大騒ぎしてる連中が殺してるんだよ。

 

ヒステリック特別病気として扱えと騒いでる連中が医療リソース制限をかけ

受けられるはずの治療を奪ってる。

大阪はとうとう溢れた。

医療リソースが枯渇したのではない、コロナ対応できる医療リソースが枯渇しただけだ。

指定感染症なんだから仕方がない。

ただの風邪なら一般病院でエクモできるのに、指定感染症だからできない。結果、たらい回しにされ見殺し。

肺炎球菌だけで年間4,5万人死んでて、医療はそれで逼迫するわけではない。

十分に受け入れられるんだよ。

 

で、今回のコロナ騒動西洋医学が敗北を認めりゃ終わった話

まり解熱剤飲むなボケ対症療法ではなく自己免疫刮目しなさいって話なの。

 

フィリピン人種的にはマレー系子供には蒙古斑が出るアジア系なのだが。

統治経験から文化的医療制度西洋医学なわけで、

 

アジアで見るとフィリピンコロナの死者、感染者数で悪い結果が出てる。

この国、解熱剤、鎮痛剤、抗炎症剤、抗生物質大国です。

途上国ということもありセルフメディケーションが浸透してて

薬局日本では医師処方箋な薬を手軽に薬局で買える。

そして東洋医学知識は無いので薬をガブガブ飲む。

 

免疫が育たんわけです。

西洋と同じ。

 

東洋医学が強く残っている対岸のベトナム対象的な結果になった。

ベトナムフィリピンいずれもBCG実施国。

 

ここにきてイスラエルすげぇさすがユダヤ様とか言い出すアホォが現れた。

ワクチンの素早い確保と接種、さすが優等民族だと。

あのね、数字みてる?ちゃんと見てる?

 

一日あたりの感染者数は日本イスラエルも1月初旬がピークで8000人程度。

ところが、イスラエル人口は900万人、日本はその13倍1.2億人

あれ?

イスラエルコロナ死者数は6000人、日本は9600人

わぁ日本の方が多いって、人口13倍ですから人口比で比較しろよ、統計学的に。

てか高齢化率、コロナ死者の9割は高齢者

日本人口の3割がお年寄り高齢者高リスク

イスラエル若い国でお年寄りは1割しかいない

それでもこんだけ死んでる

ダメじゃん

ダメダメじゃん

 

イスラエルコロナ感染者数の推移みりゃわかるがワクチン接種開始してから

感染者数の減少傾向も他国と変わらん

 

どうみても犠牲を伴った集団免疫状態が完成しただけ

イスラエル国民免疫特にIgA抗体の推移を調査すりゃ感染者減少のメカニズムが解析できるんだろうが

ワクチン打っちゃったからもはやわからんだろうな。

IgAとワクチン効果は数ヶ月だから、数カ月後変異種で再度感染爆発もありえる。

まだ結果を評価できる段階ではない。

 

そもそも人口あたりで比較すりゃ日本の数十倍の死者を出してるわけで

ただの集団免疫だとすればイスラエルは大失敗だったわけで、

この失策を隠すためにワクチン接種を急いだとも考えられる

 

でもでも日本も1万人近くが死んでるんだから大事だって

普通風邪だけで年間10万人が死にます、命なんてそんなもんです。

肺炎球菌だけでも4,5万人が死んでる。

9600人がナンボのもんやねん、統計誤差にもならん。

 

はいつか全員死ぬの、例外は無いの、避けられないの。

コロナにさえかからなければ健康不老不死だと思ってる?

なんでそう思ったの?

 

でもリスクがあるなら避けるべきじゃないかって。

あのな

厚労省生命表ってデータ作って公表してる。

年齢ごとに一年後に生きてる確率なんてのがわかる。

40歳男性

まれからその歳まで生き延びられた確率は98.4%

まり1.6%すでに脱落してる。

さら一年後41歳だと98.3%

まり千人の40歳のうち一人は一年以内に脱落する

てめぇは今年0.1%の確率死ぬの。

 

じゃぁ40歳コロナ死ぬ確率って?

40台のコロナ死者が10人か20人か知らんが、テキトーで20人でいいや。

40台の人口は2000万人だから割ってみる。

 

0.000001

 

0.0001%

 

キ ニ ス ル ナ

 

ちなみに40台、死因トップ自殺な。

どーでもいいことをクヨクヨ悩むからまらん事で死を選ぶんだよ。

人生楽しめ。生きてる間は精一杯笑え

 

高齢者ハイリスク群だから隔離なり、ワクチン否定せんよ。

だけど、莫大な国費を投入する経済合理性があるのかは疑問だわ。

 

命に値段は付けられない、やれることは全部やれ、政治家が口にするには美しいセリフだが。

無責任セリフだよ。眉に唾つけて聞きなさい。

国家予算無限にあるわけではない、医療に割ける予算には限度がある。

科学合理的経済性を図って予算を使うべきで。

一億円かければあと一日延命できます

こんなもん皆保険無限に許してたら制度破綻する。誰でもわかる。

どこかで線引しなきゃならない。

経済性で線引するしかしょうがねぇの。

10日なのか100日なのか、10年なのか。

これは厚労省がきっちり計算して制度に落とし込んでる。

 

実際の医療現場でも救える命を無制限に金とリソース浪費して救ってるわけではない。

標準医療には制限があり、実際にはまだやれる事、医学的、科学的に延命余地はあっても

どこかで生命維持装置スイッチを切ってる。

しょうがねぇの。

 

だけど厚労省は結果を出してる、世界で一番長生きな国を作ってる。

厚労省すげぇ

 

西洋医学安易追従して、セルフメディケーションとかやらなかった。

医薬品業界はこっちにシフトさせようと必死だけど、厚労省良心ギリギリのところで止めてる。

まぁ昨今ズルズルだけど。

東洋医学の影響を残し強い解熱剤は抑制的にやってきた。

お陰で国民の大半はコロナ免疫を獲得済みで、今回の新型コロナでも交差免疫が効いている。

 

子供発熱する、病院に駆け込む、A病院では薬が処方されすぐに熱が下がった名医だ。

B病院は薬を出し渋る、なんだあの医者ダメだ。次からA病院しか行かない。

初めての子育て、頼れる人も相談できる人もいない、心配で仕方がない。わかるよ。

熱が下がればホッとするよね。

 

でもそれ子供免疫力をスポイルしてるからね。

何度も何度も同じ風邪を引くよ。

一発罹って発熱して免疫獲得すりゃ次からは軽い症状で済むのに。

ちった利口になれよと。

 

でさ、マスクをいつ外すの?

コロナが終わればOKなの?

なんで?

奇しくも立証しちゃったよね。

超過死亡が下がってる。

あれ?

 

こーゆー生活をみんなで我慢すれば毎年数万人の命を救える

立証しちゃった

 

あれ?

 

インフル肺炎やらの患者が激減してる。

そりゃ減りますよ、こんだけ潔癖で生活抑制してりゃ。

 

マスク自粛のお陰でコロナとは別に数万人の命を救ったわけだ。

マスクし続ければ、飲食店を潰しまくれば来年以降毎年それだけ救える。

 

え?戻すの?

数万人殺すの?

 

何時の時点で、どの条件でマスクを外すのか。

次はこの議論しなきゃならんのだが覚悟できてる?

 

コロナにさえかからなければ不老不死ってわけじゃないよ。

意味わかる?

 

二歳の子供と公園に遊びに行く

マスクなどしない、子供にもマスクをさせている親は怪訝そうにみる。

逃げていく親もいる。

乳幼児 Permalink | 記事への反応(4) | 16:37

2021-03-19

西洋人バトロワよりも麻雀をパクった方がいい

西洋人バトロワ世界一面白いと思っててパクってると思うんだけど、世界一面白いゲームバトロワではなくて麻雀なのである

西洋にもMajongというゲームがあるんだけど、内容は麻雀ではなく上海であり、麻雀英語化したゲームは1つもない

2021-03-14

anond:20210314034250

日本アニメキャラが『白人モデルにしている』ってのは定期的(誤用)に出てくる指摘なんだが、俺はそうは思わんのよな。

そもそも日本人の美意識的に『色白』で『目がパチクリ』している顔を好む傾向があるように思えるし、アニメ絵の『彫りが浅くてのっぺり』している顔は日本人的とすら言えると思う。

からあれは誇張された表現ではあるけど、『白人モデル』ってのは言い掛かりだと思っていた。

例えば浦沢直樹の描く西洋人キャラは『アニメ絵の日本人顔』とは一線を画す描き方をされてると思うんだがどうだろう?

2021-03-11

ベッドの上で朝食を食う気持ちがわかった

なんかセックスした次の日の朝に彼氏くんが朝食を持ってきてベッドで食べるとかあるじゃん。あれなんでベッドで食べるのか不明すぎて西洋人は変な人たちだと思ってたのよ

それが今、コロナの影響で安くなってたからノリで選んだクイーンサイズベッドの部屋に泊まってるんだけど、いやこれ確かにベッドの上で飯食いたいわ。ソファなんかより100倍居心地が良くて落ち着く。まあ俺が食べるのは餃子ストロングゼロなんですけど。あークイーンサイズベッドで食べる餃子ストロングゼロは最高

2021-02-19

もも西洋人もそんなに宗教熱心じゃないよ 意外に仏教徒結構いる

2021-02-04

繋がることのできない民族

他人価値を認めることの時間が、どうしても日本人は足りない。

それは西洋人が1500年かけてやってきたことを日本人は300年でやっている。それならあと1200年かかる。

私はどういうわけかしらないが、ヨーロッパマナーを身に着けた人間らしい。ほかの全国の小学生も似たようにピアノ作曲ヴァイオリンを習っているのに、彼らには全く身についていないのはどういうことなのか。

私はこれがわからないままデビューした。

年を取って、血液系の病気もして、今だから言えるが、「日本人は繋がりを嫌って」生きているのではと考えることが多くなった。

現在、氏名は伏せるが、派手な資金力で未成年から留学し、傑出した結果を出す日本人もちらほら見かける。しかし、このタイプ昭和期にはいなかった。

なぜいないのかというと、語学力問題とか、お金問題かいろんなことが言われたが、本質的にこれらの指摘は、すべて違っていた。

昭和期の日本人は「繋がりを嫌って」いるため、どこの国とも仲良くなれなかったのだ。

令和期の日本人は、もうそうではないタイプも少なくない。

私は人と繋がる前に、楽譜というメディアと繋がって生きてきたのである

この自覚小学生存在するケースはあまりない。私のような買い方をしている同世代日本人が見当たらない。普通の日本人学生は人に買えと言われて、しぶしぶ買うものらしい。しかし、私はリコルディから出たベートーヴェン弦楽四重奏曲全集を買いに行って、面白がるタイプ高校生だった。

楽譜は欲しかったが、買ってくれなかった」という幼少期の体験からヨーロッパマナーを導いた私のような人間は、日本から増えない。

2021-01-30

金髪女性

後ろ姿でも脚の長さを見れば日本人西洋人か見分けつくようになった

2021-01-21

anond:20210119213654

韓国日本以上に儒教国家日本侵略する前は中国属国儒教思想が強く女性名前すらないのが当たり前、〇〇の奥さんとかそういう呼び方韓国を訪れた西洋人に「韓国女性人間として扱われていない、いつも不幸な顔をしている」とまで言われたらしいか

  

夫や父が死んだら三年の喪がはじまるんだけど墓の近くにほったて小屋を作って三年間薄い布一つとさもしい食事で喪に服すなんて極端なやつ

その間に夫や父の後を追って自殺すると烈女として称えられ家紋になるから親族自殺を装って殺したり結構酷かったからその反動がきてるんだろ。過剰な抑圧は爆発すると大きな被害を出すから

2020-12-21

文化としては例のJK大事にしといたほうがいいか

なぜならこの手の技術中国に移行しつつあるから。彼らは西洋的な手法中国的な水墨画感性日本的な線画をミックスさせた面白い塗り絵を出すようになってきている。

韓国勢もうまい。彼らの場合セクシャル感覚肉感的な感覚に優れているので人体描写がとて秀でいている。一方で萌としての広がりは日本が圧倒的で、表情やポーズなどの表現力は西洋人が圧倒的。

しかしこれらは日本を飛び越えて混ざりつつある。萌え宗主国である日本発言権は多分将来的にとても小さくなる。だからうちら萌えの中心なんですよ、漫画イラストの中心なんですよ、というアピールはやっておいたほうがいい。

なんにせよ日本人はアピールせずに黙るのが美徳という風習があるから(謙譲の美徳は違う気がする)。

とても広い話を言えば、インド仏教シルクロードを渡るうちにヘレニズム文化習合してさらには道教と結びついたように、日本等国が宗主であった記憶は少しは残るだろうけど。

新・銃・病原菌・鉄

西洋人コロナを次の武器にするってことか?

西洋で猛威を振るっているが対岸の火事と笑っていられないな

2020-11-30

ベリーダンスマーニャふんどし

ベリーダンスとの出会い

幼いころに観た、「ドラえもん のび太ドラビアンナイト」には、ぜんまい仕掛けの舞姫が出てくる。しかし、まだ自分はそれに欲情することはなかった。パンツエッチもの認識はあったのに、しずちゃんのへそ出し衣装にも、それどころかオアシスでの全裸水浴にも何の感慨も抱かなかったのである

もう少し大きくなってからとある学習漫画で見たベリーダンスには、なぜかエッチ気持ちになった。確か、アラビアと聞いて半裸の女性が踊っている不埒妄想をしているシーンだったような気がする。性の目覚めとは不思議もので、その時に出会ったものタイミングによって、その後の性癖に多大な影響を与えてしまうし、パンツの向こうにある女性器に興味が出てきたのは、中学生以降になってからだった。

文学ベリーダンス出会ったのはオルハン・パムク2006年ノーベル文学賞作家を読んでいた時だ。結婚式などの場にベリーダンサーを呼ぶべきかどうかについて議論している個所が作中に出てきた。どうやら、ベリーダンスの持っているイメージ社会的意味が、ヨーロッパとはかなり違うのではないかと気づいたのはこの時である

イスラーム圏におけるベリーダンス

今回はかなり日英のウィキペディア記事が充実しているので、そこから抜粋しよう。

そもそもベリーダンスには二種類の社会的コンテクストがある。一つはRaqs BaladiまたはRaqs Shaabiと呼ばれる社交ダンスで、別に露出度の高くない通常のファッションで行われる。保守的地域では男女別に踊るものとされている。もう一つがパフォーマンスとしてのダンサーだが、社会的地位はまだ高くない。想像する通り、イスラームでは禁忌とされる肌の露出を行うからである

衣装はbedlahと呼ばれ、典型的なのはぴったりしたブラトップ、臀部のベルト、そしてロングスカートハーレムパンツの組み合わせでできている。ブラとベルトはビーズスパンコールクリスタルコインビーズ刺繍で飾られている。ベルトはスカートと一体のこともあれば、別々のこともある。

起源

ベリーダンス起源は諸説存在するが、地中海世界中東アフリカ関係があるという証拠が最も多く挙げられている。たとえば、紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操姿勢に似ている。ウィキペディアにはこんなことが描かれているが、画像がないのがもどかしい紀元前14世紀のネブアメンの墓には、少女が帯だけを身に着けて裸で踊る姿が描写されているが、紀元前5世紀とは年代が合わない。紀元前13世紀のもので、トップレスのダンサーの姿を描いた陶片も出土している。

健全精神がどうたらという言葉で有名なユウェナリスや、風刺詩人のマルティアリスは、現在スペイン小アジア地方で波打つ動きやカスタネット、太ももを震わせて床に沈み込む所作のある踊りを記録している。

そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンス描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる、とあるが、これもウィキペディアリンクを貼っていない。やれやれ

ちなみに、アンダルシア地方ロマ人の踊りと融合してできたのがフラメンコだという説がある。

エジプト

エジプトベリーダンス西洋人最初に見た様式とされる。ナポレオンエジプトに侵攻した際、ナポレオン軍は芸人音楽家としてられるガワーズィー族と遭遇した。フランス人たちは重たげな宝石髪型に飾り立てられた踊りに徐々に引き付けられた、という。

現在エジプトベリーダンスの多くはカイロで行われ、その起源ナイトクラブにある。多くのダンサーエジプト映画に出演し、エジプト様式ダンスの発展に寄与した。

プロダンスエジプト人に限られていないが、2004年当局外国人ダンサーパフォーマンをすることを禁止した。現在は解除されてはいるが、排他的雰囲気は残っているようだ。

エジプトでは、ダンサーはbedlahを着用している。また、メッシュで覆われた切り込みの入ったドレスを着ることもある。エジプトには、ダンサーが着用できるものとできないものに関する法律があり、文学作品検閲に関する法律第430号によると、ダンサー乳房や腹部を含む下半身を覆わなければならない。事実衣装については「Raqs sharqi」の項にも詳しいが、1950年代以降、エジプトではベリーダンサーが腹部を露出して公の場でパフォーマンスをすることは違法とされ、ワンピースガウンを着用することが一般的になってきている。

と、書かれているそうだが、一般的には、肌色の薄手のメッシュ生地で腹部を覆うだけで十分である、という記載もある。カイロの多くのダンサーはこの規則無視しているが、この規則はそこまで厳密に施行されておらず、腹を出してパフォーマンスをした場合は単に罰金を科されるだけであるしかし、外国人ベリーダンサー衣装を着て逮捕されるという事件が何度も起きているとのこと。

ブラとスカートを別々に着用する場合は、ベルトはほとんど使用されず、タイトでなめらかなlycra(?)のスカートに直接刺繍が施されている。腹をカバーするために、薄手のストッキングを着用しなければならない。

エジプトダンサー伝統的に素足で踊るが、最近では靴を履いてハイヒールを履くことも多い。また、抑制のきいた正確な動きでも知られている。

トルコ

子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、中東各国では結婚式に欠かせないそうだ。なるほどパムクの小説に出てきたのもこれで説明がつく。

トルコベリーダンス衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていた。

多くのトルコ衣装の特徴的な特徴は、V字型または三角形ベルトが含まれており、上端の周りに形を整えたり、輪郭を描いたりすることができる。また、ブラジャーベルトの両方に多くの装飾やビーズフリンジが含まれる。スカートは、しばしばエジプト対応するものよりも充実しており、lycraよりもむしろシフォンベルベットで作られている可能性が高い。

1980年代から90年代にかけては、両足をヒップまで露出させたスカートや、広く開けたブラジャーやはなはだしくはスパンコールのみなど、非常に露出度の高い衣装採用された。何があったのだろう?

今日ダンサーエジプトスタイルを想わせる、淑やかなマーメイドスタイルスカートを穿いている。ダンサーたちはハイヒールプラットフォームシューズ(厚底靴)を履く事でさらに、ターキッシュスタイルである事を強調する。ト

トルコベリーダンスオスマン帝国スルタン宮殿にあるハレムに深いルーツを持ってはいた。しかし、今日トルコベリーダンスは、エジプトシリアレバノンと言った姉妹様式よりも、ロマ民族やローマ人様式により強く影響を受けている。現に、現在トルコダンサーの多くは、ロマ民族にルーツを持つ。トルコ法律は、エジプトのようにダンサーの踊りの様式衣装制限を課さなかった。

レバノン

エジプトトルコ様式中間であると言われる。レバノンダンスは、古典的オリエンタルダンスベースにしながらも、現代的でもある。大きなステップ体幹の後方への傾き、ヒップローテーションのねじれ、大きくて忙しい腕、そして多くのシミー(体自体は動かさず、肩のみを前後に動かす所作)がある。

衣装については、腹部を見せることを禁じる規定存在しないため、bedlahスタイル一般的であるスカートエジプトのものよりも透けている傾向にあり、ダンサー身体がよく見える。ヴェールエジプトと比べて広く用いられ、ハイヒール一般的レバノンダンサーエジプトよりも衣装自由享受している。

イラン

アラビア様式によく似ており、イランではベリーダンスのことをアラブダンスと呼ぶ。

tribal style

その他の伝統的な様式がある。興味深いのは、民族的スタイルのブラに着けられたコイン中近東のものとは限らず、日本や中後のものらしいものが含まれることだ。参考、ブラトップ。乾隆通宝とあるので、18世紀のものだ。当時からそこまで交易網が広がっていたことがありありと浮かぶインド洋交易歴史もっと古いが)。

欧米におけるベリーダンス

ベリーダンスという名称も、https://en.wikipedia.org/wiki/Belly_dance#/media/File:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_011.jpg:title-ジャン=レオンジェロームの絵画]の俗称に由来しているという説がある。この絵画では腹部どころか乳房をあらわにして兵士たちの前で踊っているが、この画家空想を織り込むことで有名だ。たとえば別の有名な蛇使いの絵画]

の後ろにある青い壁と床の組み合わせも、確かどっかの宮殿モスク適当に組み合わせたもので、正確さに欠けている。異国情緒あふれていて魅力的だが、今ではたぶん許されない表現だろう。実際、ベリーダンスからイメージされるものは、元来その地域のものであったものとは異なる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_-_Le_charmeur_de_serpents.jpg

普通ベリーダンス衣装としてまず想起されるものは、1930年代エジプトダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装で、たいていビーズコインがブラの周辺に飾られたブラジャー風のトップスで、腰のベルトにもビーズコインが飾り付けられている。下半身ハーレムパンツストレートタイプスカートサーキュラー・スカートパネル飾りがあしらわれたスカートである

20世紀バーレスク映画産業がこうした幻想を広めたのだが、当のエジプトダンサーたちもまたまたビーズで全面を飾り立てた衣装を身に纏うようになった。映画でも、セクシーな悪役のイメージとも結びつき、胡散臭いものとして見られることも増えてしまった。このイメージ払拭には時間がかかった。

今でもカイロにあるナイトクラブオーナー、バディア・マサブニは西洋人旅行者の期待に添うために露出度の高いドレス採用している。身体輪郭を覆い隠し、ダンスのたびに強調されるのはスカーフやお尻に巻かれたベルトくらいであエジプト民族衣装とは異なるのである

日本ゲーム漫画アニメベリーダンス

マーニャ

https://dic.pixiv.net/a/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9C%8D]

踊り子と聞けば川端康成ではなくこっちを思い出してしまう人は多いだろう。

たぶん、日本ゲームベリーダンス的な幻想を多くの青少年に植え付けたもっとも古いものの例だ。今に至るまで踊り子といえばへそ出しであり、無数の同人誌で多くの人を悶絶させたはずである。ただ、中東ベリーダンス伝統的にはここまで脚を出さない。

ファンタジーの謎の前垂れの起源もこれだろうか?

マギ

【マギ】モルジアナさんの踊り【ぬるぬるな高画質】 - ニコニコ動画

現代漫画オリエント幻想を一番前に出しているのはこの作品だと聞いたのでリンクを張る。読書の傍ら、漫画も読もう読もうと思って全然読めていないのが悔しい。短篇ばっかり読んでいる。

ただし、書かれているのが謝肉祭とのことであり、結婚式の場ではないようだし、伝統的な衣装とは幾分異なる。

翠星のガルガンティア

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21377022]

英語版ウィキペディアアニメの中のベリーダンスとして紹介されたのがこの作品だ。鳴子ハナハル作品については、エロ漫画ソムリエの友人から薦められて楽しく読んだ。大体、彼が進めてくれるのはストーリー重視で性欲があまり刺激されないものが多いのだが、それはさておいて、上の動画深夜アニメなだけのことはある。

しかし、衣装や腰の動きは半ばリオのカーニバルじゃなかろうか。未来舞台から文化が混交しているのかもしれないが。

イスラームと親密さ、異性に見せてもいい場所

Intimate parts in Islam - Wikipedia

で、実際イスラームにおけるへそ出しファッションってどのくらいのタブーに当たるのか?

上記記事によれば、身体のどの部分を覆うべきかについては大きな差があるようだ。主要な見方をまとめると次のようになる。

とはいえトルコのようにかなり世俗化しているところもあるし、特に教徒に対して顔を隠すべきかはかなり差があるようだ。

長くなったが、結論

実際のところ、イスラーム圏でへそ出しダンスって普及しているの? と思っていたので、意外と広まっていたのには驚いた。しかし、あれだけ広い地域に広がっている宗教なのだから戒律をどのくらい守っているかには地域差があって当然だし、都市農村では法の運用方法にも差があってもさほど驚くべきではないだろう。悪名高い女子割礼や名誉の殺人にしたところで、イスラーム本来の教えというよりはその土地部族の慣習が強化された面もあるようだ。海外に行くと善意から両手を合わせた挨拶をしてくれることがあるが、タイ人日本人を混同するような誤解を、きっと僕らもしていることだろう。

2020-11-07

うなぎ鬼っていう、web広告でやたら出てくるマンガ読んでるんだけど

食った肉が人肉かもしれないと気づいて主人公ゲロ吐いたりしてるだが、

からこういう「人肉絶対食べられない」とか「人肉食った生物の肉は食えない」的なキャラが大げさな気がして仕方ない。

そういう人もいるだろうけど、実際には繊細な人だけじゃなかろうか。

別に食った事はないけど、ただの肉だろ。

牛とかでも食肉になるのは若い牛だけで、歳くった牛の肉は食えたものじゃないというから、大抵の人肉も多分ゲロまずなんだろうけど、味の問題クリアすれば別に問題も感じられない。

外国のどこかの部族は、葬式で故人の肉を食べるのが風習らしいし、三毛別羆事件の人食い羆も、狩られた後に供養で食われたそうだ(不味かったらしい)。

太平洋戦争で飢えた時は尻の肉を食ったと言うし、腹が減れば人間何でもアリだろう。

どっかで性転換手術した人が、睾丸試食会やって結構応募した人がいたと言うし。

三国志でも劉備普通に食ってるし、反三国志でも確か馬超于禁を食ってたような記憶がある。

「気にしない人は気にしない」レベルの話だと思うのだが、妙にオーバーリアクションする創作物があるんだよな。

マルコ・ポーロ東方見聞録だと日本人は人食い人種になってたり、ロビンソン・クルーソーで人食い人種に襲われたりしてるわけだが、

多分昔の西洋人が、遠い国の野蛮な民族想像した時に人肉を好んで食ってるようなイメージを広めたから、人肉食が恐ろしげなイメージを持たされたんじゃなかろうか。

大体、人間だって自然のサイクルの一部なのであって、直接食えないならまだしも、人間を食った生物も食えないとか言い出したら野菜も食えんだろう。

っつー事で、あのweb広告見ても「大げさやなあ」としか思わなかったし、実際の作品を読んでも「主人公繊細やな」としか思わなかった。

そのうち、平然と人肉食ってる主人公が出てくる小説でも書いてみるかな。

2020-09-01

anond:20200831162341

こういう主張って、「報復」と「正義の実現」のどっちがメインなの? すごい気になってる。

ちょっとでも腐女子的な発言をするとバッシングされた」→腐女子への迫害はひどいよね。許してはいけないことだね。

「なのにバッシングしてきた連中は自分たちの嗜好をおおっぴらにしている」→ダブスタだね。よくないよね。

「嗜好をおおっぴらにするのは間違っている。周囲に配慮するべきだ」→??????

私たちにあれだけ厳しいマナー要求したお前らは当然そのマナーに従うべき」という話がしたいの?

それとも「検索避けなどの配慮社会で当然のマナーなんだからお前らはマナーに従うべき」という話がしたいの?

どっち?

この2つの主張、結論が同じでもそこに至るまでの論理が違うからそこはハッキリさせといてほしい。

日本人クジラを食うなと言ってきた西洋人が豚や牛を食ってるのはおかしい」と「動物を虐げるのは間違っているので西洋人が豚や牛を食ってるのはおかしい」って全然別の話じゃん?

もし前者なら、

「確かに腐女子迫害していた男オタクはいたが、俺はそんなことをしていないし、後続の世代にはそもそも罪が無いだろう。関係ないやつらの罪を背負えと言われても困る」

反論するし、後者なら、

「そんな配慮特に必要とは思わない。自由市民社会で生きる上ではとき自分にとって不快表現に遭遇することもありえるし、それは自由主義のコストとして甘受すべきだ」

反論するけど。

報復がしたいのか、正義を実現させたいのか、ハッキリさせてくれ。

2020-08-31

anond:20200831150112

WIREDという、人類歴史において極めて短期間の特殊世界において、のみね

WIRED, ワイヤード,とは奇妙でおかしな「西洋人世界」を茶化したものです。ウィヤードワイヤード)はWEIRD頭文字をならべた略号(acronym) です。すなわち Western, Educated, Industrialized, Rich and Democratic の意味です。つまり、(1)西洋の、(2)西洋教育をうけた、(3)工業化社会の、(4)経済的に豊かな、(5)民主主義標榜する、人たちです。

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

2020-08-04

anond:20200804144500

つーかそういうのって身体臭いからだよな

西洋香水が発達したのも身体臭い&清潔なトイレがなくて臭いからだし

日本がそういうのが続かなかったのは

元々西洋人より体臭薄い&時代が進んで風呂とかトイレが発達して香で悪臭ごまさなくても良くなったからだよな

anond:20200803185603

山口瞳エッセイが出典ではね。新渡戸稲造は『武士道』でこう書いている。

I have noticed a rather superficial notion prevailing among half-informed foreigners, that because the common Japanese expression for one's wife is "my rustic wife" and the like, she is despised and held in little esteem. When it is told that such phrases as "my foolish father," "my swinish son," "my awkward self," etc., are in current use, is not the answer clear enough?

To me it seems that our idea of marital union goes in some ways further than the so-called Christian. "Man and woman shall be one flesh." The individualism of the Anglo-Saxon cannot let go of the idea that husband and wife are two persons;—hence when they disagree, their separate rights are recognized, and when they agree, they exhaust their vocabulary in all sorts of silly pet-names and—nonsensical blandishments. It sounds highly irrational to our ears, when a husband or wife speaks to a third party of his other half—better or worse—as being lovely, bright, kind, and what not. Is it good taste to speak of one's self as "my bright self," "my lovely disposition," and so forth? We think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self, and self-praise is regarded, to say the least, as bad taste among us,—and I hope, among Christian nations too! I have diverged at some length because the polite debasement of one's consort was a usage most in vogue among the samurai.

http://www.gutenberg.org/files/12096/12096-h/12096-h.htm

これは有名な一節である。「武士や多くの日本人は、自慢や傲慢を嫌い忠義信条したことに触れ、家族や身内のことでさえも愚妻や愚弟と呼ぶが、これらは自分自身と同一の存在として相手に対する謙譲の心の現れであって、この機微外国人には理解できないものであろう」といった意味

なお『武士道』の初版1899年。「戦後あたりから間違った意味で使われるようになった」というおまえの説と矛盾する。新渡戸稲造によるとWe think praising one's own wife or one's own husband is praising a part of one's own self(おのれの妻や夫を褒めるのはおのれ自身の一部を褒めることだと、我々は考える)というのだ。だからmy rustic wife(愚妻)のような表現を使うのだ、と新渡戸は言っている。したがって─

高島俊男さんの「お言葉ですが…2」では、「愚」はわたし意味だと説明した上で、実はこのような一人称二人称という発想は西洋人の発想だとことわり、日本人の発想は、「こちら側」と「あちら側」に分けるのだという。

http://takusen2.seesaa.net/category/1656458-1.html

これも「こちら側」にいる私と妻をまとめて「愚」と呼んでいる、と読むのが正確だろう。

もっとも、高島説でも新渡戸説でも「どうして自分師匠を『愚師』とは呼ばないのか」という問題説明がつかない。門弟から見れば師匠は「こちら側」だ。

2020-08-01

逆に、海外引用作品が多い理由

そもそもキリスト教自体引用文化から

〇〇が教えている、こう伝承されていると書物の中で引用を始めたのは宗教で、同じように老師から始まる哲学継承してきた中国もその後の書物思想を多く引用している。

割合はわからない。日本だって書物があるし、口伝もある。

ただ、引用宗教から始まったのではないか、という説は何となくこれなんじゃねーかという感触がある。

面白いことに、西洋場合顕在的な教えが多いにも関わらず、宗教違和感なくカルチャーに取り入れている。

日本潜在的な祟や天罰、徳の文化でそれぞれが思っているだけでいい。

とはいえキリスト教もそれだけで全てが理解できる明快な物語ではない。

かなり不可解でオカルティックなごまかしを含んでいるが、西洋人はそれらを面白がってまずは小説戯曲内にふんだんにと入りれた。

いや、面白いと思ったかどうかはさして重要ではない。

重要な点として、西洋小説には嫌になるほどキリスト教が顔を出すという事実がある。

中国人も日本人もおそらく中世まで特に仏教系発想を能や茶の中に取り入れてきたことだろう。

おそらく近代的な映画などに引用作品が少ないのは、日本西洋文化圏ではなく、キリスト教引用する歴史と地続きではないからだ。

そして今日映画小説は極めて西洋的だ。

日本的な書物文化特に明治期に分断され、棄却されたのではないか

ナショナリズムリズムではないよ。たんなる増田らしい想像に過ぎない)

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