「西洋人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 西洋人とは

2019-05-20

anond:20180719105340

西洋人が初めてはてらぼをネットサーフィンした際、

匿名ダイアリーを示して「このサイトは何と言うのか?」と訊ねたところ、

現地人は西洋人言葉理解できないため、

自分名前を聞かれている」と思って「増田」と答えたが、

訊ねた側は「あのサイトは“増田”という名前らしい」と誤解してしまい、これがこの増田通称となった。

2019-05-19

anond:20180719105340

パンダ名前は1825年に西洋人ヒマラヤ発見したレッサーパンダ名前を現地人に訪ねたところ、「竹を食べる者」と言う意味の「ネガリャポンヤ」だと答え、「ポンヤ」が「パンダ」に変わったとされる[15]。

初めはレッサーパンダは単に「パンダ」と呼ばれていたが、後にジャイアントパンダ発見されて有名になると、単に「パンダ」といった場合ジャイアントパンダの方を指すようになってしまい、英語においては、従来のパンダの方に「小さい方の」という意味英語「レッサー」(lesser)を付けて、レッサーパンダと呼ぶようになった[16]。いわゆるレトロニムの例である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80

レッサーパンダ

2019-05-16

anond:20190516002807

単に白人さんというだけだと体型や顔立ちも様々ですしちょっとわかりません。でもなんか体型に関わらずおおらかに肌を出せる感じはいいなあと思います。やっぱ洋服を着慣れてますよね。

私は職業白人モデルに囲まれたりすることも多いのですが、こうなるともう別の生き物なのでなんとも思いませんね。

でも基本的洋服西洋人のものですから日本人にはあまり似合いません。似合わない衣料を大多数が選択し続ける事実には何となく劣等感が。みんな和服にしたらかっこよくなるのになあ。でも着付けがめんどくさいからねえ。

2019-04-27

anond:20190427172208

日本人西洋人直腸とはちょっと構造が違うらしいので日本人和式の方がしやすいって話もありますよね

和式トイレようの足場とかあります

2019-03-27

これだから日本人は〜って言ってるやつ全員

もうあれだろ。お前ら全員ほぼイキかけてるんだろ?気に入らない日本人を見つけて「これが!これこそが日本人!!あー日本人はだめだー」って言って悦に浸ってるんだろ?鼻息フンフン鳴らしてツイート、してるんだろ?俺は!私は!日本人評価できる立場なんだ、俺はこいつとは違う!優越感に浸ってるんだろ?その上RTいいね承認欲求まで満たせちゃうからもうこれは「イク」よね。脳内麻薬バドバ出ちゃうよね。やめられないよね。

俺は日本を過剰に叩く連中が出てくると危険だと思うんだよ。明治になって過剰に西洋文明を持て囃し、日本咎めたせいで揺り戻しで武士道神風特攻とか言い始めた。貴重な美術品は数多く海外流出して伝統は廃れた。その結果出来上がったのは半端な西洋。そのせいで戦争に負けた。その後も日本人自分たちはどうあるべきなのかで苦しみ続けている。とりあえず西洋人になろうと必死になっていつの時代も「欧米に比べて日本は〜」とか言ってる。最近では西洋落ち目から中国を礼賛してる。もし将来イスラム教が強くなってきたりしたらイスラム教礼賛を始めるんだろうか。日本人がどうあるべきかということを海外をあてにしてないで少しは自分達で考えるべきだ。

2019-03-24

anond:20190324073344

場所はタダだったよ。

西洋人たちがやってきてこういう社会を作る前は

anond:20190324073344

場所はタダだったよ。

西洋人たちがやってきてこういう社会を作る前は

2019-03-17

浮世絵に影響を受けて影を描かなくなったゴッホ美的センスについて

本当に凄いと思うか?

いや、芸術品だし最終判断は人それぞれでいいんだけど

良し悪し以前にCOOLジャパン()の流れで持ち上げるのが当然になってるように思える

 

西洋人にとって日本浮世絵異文化だったのはよく分かる

それに影響を受けた画家たちの絵も同じく刺激的だっただろう

でも、新しいもの価値基準が大抵曖昧で、とりあえずその目新しさだけで評価される、ということが多々あるわけよ

一方で、ゴッホの絵に日本的な良さがあるかと言えば、少なくとも自分は『ひまわり』や『寝室』からはそういったものは感じない

 

だとしたら、ああした絵に対する現在評価は不自然に思えてくる

自分業界で同じようなことをしている人がリアルタイムにいたら、と想像してみ?

新しく入ってきたものを表面的に真似したキャッチーなだけの作品、単なる「東」洋かぶれと見る方が自然じゃないか

当時の画家パトロンたちはそんな気持ちで見てたかもしれんよ(ゴッホ生前全然売れてなかったそうだし)

 

自分価値基準を持っている人でも古典は無条件に肯定してしまうことが結構あると思う

でも、古典所詮はかつての大衆(多数派)の評価の結果でしかないのよ

今、もの価値を分かってない大多数が持ち上げていて、でも自分は全く良いと思っていないもの、それが100年後の古典であっても何もおかしくない

同様に100年前の、うまくマーケティングして話題になっただけ、みたいな作品が今の古典である可能性も考えるべきなんじゃないか

 

色々書いたけど、結論としては「ちゃん自分判断しようね」ってことで

2019-03-15

anond:20190315112649

最近はA.D. (Anno Domini)をC.E. (Common Era)に、B.C. (Before Christ)をB.C.E. (Before Common Era)に呼び替えてポリコレを気取ってる連中多すぎてヤバいキリスト教暦がコモンだと思ってるんだぜ奴ら。

メリークリスマスハッピーホリデーに言い換えてポリコレぶってる連中の同類そもそもクリスマスホリデーになってるのがキリスト教の影響なんだからハッピーホリデーキリスト教中心で動いてる社会を祝えって意味だろアホか)。

ほんとC.E.とか人類紀元とかハッピーホリデーとかを使ってる奴は軽蔑する。

結局こういう言い換えをする西洋人って、疚しさから逃れたいんだよね。自分たちキリスト教世界中押し付けてまわった歴史自分たち押し付けキリスト教由来のものデファクトスタンダードになってしまった現実、その疚しさから逃げたいだけなんでしょ、って思う。

え? 日本人で使ってる奴もいる? ああ、そりゃ単なるバナナですわ。

2019-03-06

anond:20190306142347

西洋人がすするのを嫌うのは自分らができないからだぞ。

直せるのに直さなクチャラーはただの迷惑

ネパール人は鼻呼吸ができないってなら我慢しようが

クチャラーを嫌う文化、ススラーを嫌う文化

食事マナーにおいて日本では殊更嫌われるクチャラーだが、

最近ネパール人と仕事する機会が多く、食事に行くことも増えてきて気がついたが、

そこの社員の大半がクチャラーだった

別にそういうの気にする文化じゃないんだろうなって思って考えるのをやめた

逆に西洋人日本人が麺をすすって食うのを嫌うらしいし

2019-02-26

anond:20190225234557

かれらは子供を育てることよりカップルの仲を良くすることを大切に考えるようだよ。

数百年前から西洋人の文献には「(東)アジア人は非常に熱心に子供を育てる」といった記述散見される

2019-02-20

日本人のどこが個人主義なんだ?西洋の方が集団主義じゃないか

日本人のどこが個人主義なんだ?西洋の方がよほど集団主義じゃないか

井上章一が知っている西洋人はしばしばこんな内容の感想を言うという。

その西洋人は日本を論じた本を読み、日本人集団主義である来日前までは信じていた。

しか来日してみるとバラバラ個人主義建築が群がっているという印象を受ける。

この日本のどこが集団主義的なのか?西洋の方が余程集団主義である、という。

井上章一  日本の醜さについて 都市エゴイズムによる。

井上章一

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E7%AB%A0%E4%B8%80

井上 章一(いのうえ しょういち、1955年1月13日 - )は、日本建築史家、風俗研究者国際日本文化研究センター教授

2019-02-13

社内の人を「さん付け」して呼ぶのは"日本語"だから

これは「なんで社内の人を「さん付け」して呼んじゃダメなの?」へのひとつの応答だ。

だが、これは応答であって回答ではない。

 

この文章は社内の人を「さん付け」して呼んじゃダメ理由説明ではないからだ。

ただ、「納得する理由が欲しい」という増田一言に対しての応答である

 

それは日本語には特定場所言葉視点が移動する現象があるからだ。

ちょうどいい論文がある「日本語の親族呼称・人称詞に見る自己と他者の位置づけ─ 相互行為の「場」における文化的自己観の考察 ─

抜粋しよう。

 

ある時、電車が駅につき大勢乗客の入れ替わりがあった。多くの人の動きの中、ある老婦人自分の隣りの席を叩きながら、「ママここにいらっしゃい」と叫んだそうだ。すると乗客の中から赤ん坊を抱いた若い娘が現れて老婦人の隣りに座ったという。つまり、ここでは、赤ん坊母親をその老婦人が「ママ」と呼んでいたということだ。要するに、この老婦人は孫である赤ん坊視点に立って自分の娘を「ママ」と呼んだと言うことになる。これらは日本人感覚からするとさほど驚くことではないが、西洋人からすれば何が何だかからないという現象であろう。つまり日本語で誰を中心に、誰の視点親族名称が用いられているのかということは、西洋から見ればかなり複雑なことであり、さっぱりわからないということになってしまうようだ。

これらの例で見られるような視点の移動現象鈴木(1973:168)は、共感的同一化(empatheticidentifi cation)と呼んでいる。

 

日本語はその人の呼び方がその場でかなり変わる。なぜなら誰が中心になるかが言葉遣いを支配しているからだ。

これを踏まえて、なぜ取引の場で社内の人の呼び方が変わる(「さん付け」する)のかと言うと、社外の人に言葉視点が移動したからだ。

少なくとも、上の例と増田の件のどちらでも誰もが対等でお互いに「さん付け」するような場では無く、誰かが中心になっている。

 

それに、上の「ママ」の例ではそう呼んだ老婦人はその赤ん坊母親を本気で「身内」だと思ってはないだろう、ただ視点の移動が起こったら親族に遣うのと同じ呼称が現れてくるのが日本語なのだ

 

もちろん、商習慣としてこの言葉遣いを続けるべきかということは別問題だが、追記にあるように増田の周りでは「さん付け」している人が"普通に"いて「さん付け」しても"恥かかない"環境にいる増田がなぜそこまで強くそこまで憤っているのかが私には謎であり、内(自社)と外(他社)の間で起こる視点移動の話になぜその"内"の内部構造社員会社、そして働き方など)が後半の主題になっているのかも不思議で仕方がない。

 

しかし、日本語ではそのような現象があり、それは視点移動ということで説明ができ、業務の場では取引相手側に視点に移動することで「さん付け」で呼ぶのであり、それは現状の日本語からするとそこまで不自然じゃないというのが、私からの応答である

さら日本語にはなぜそのような現象があるのかと問うことも出来るが、それは私も知りたい。

 

---

増田を読み始めたときは以上のような日本語の話かと思ったけど違った。

次に、他人言葉遣いを強制されて憤ったのかな?と思ってたけど、追記を読むとそうでもないようで混乱した。

実際、特に恥かかないよ。先輩も上司も言ったりするし。社外の人も普通に言うよ。BtoB仕事ってのも理由にあるかもね。

それなら最初から問題ないじゃん!むしろ増田言葉遣いを他人強制したいんじゃないの?

最終的には会社個人話題になってびっくりだよ!

少なくとも今回の言葉遣いの件についてはそこは関係無いと思うが……だって第三者視点を移すタイプ言葉遣いにおいて自分と同僚や上司との関係性なんてどうでもいいし。

それに、取引相手との場で社内の人を「さん付け」したからって上司自分会社と対等になるわけでも働き方が変わるわけでもないしなぁ。

2019-02-08

日本人はじぶんたちがアジア人ではなく西洋人だと思っている

2019-02-02

慶應大学福澤諭吉像を撤去するべき

福澤諭吉新聞寄稿した社説脱亜論』にて「中国韓国人文明国際常識を身につけることを期待するべきではなく、むしろ西洋人から中国人や韓国人と同一視されないよう、この両国を見捨てるべき」と主張したレイシストであり、

このような人物銅像掲示していることは、口では国際化を言っていても実際には「我々は中国人や韓国人と友人になるつもりはありません」というヘイトスピーチとして受け取られる。

中国韓国から留学生学者慶應大学にやってきてこのような銅像を見たら傷つくに違いない。

そのような事態を防ぐためにも慶應大学は早急に福澤諭吉像を撤去するべきである

2019-01-27

日本会議は本物の保守ではない。鬼畜米英面従腹背売国奴の集まりだ。

原爆投下日本人大量虐殺したアメリカに抗議しない日本人愛国者ではない。

残念だが天皇を始め日本人売国奴ばかりになってしまった。

杉田もただのアメリカ下請けしかない。

 

(1)そもそも国家とは何か

単純には、同じ言語を話す者同士が集まって社会形成し、国家という単位縄張りを維持している。

日本人島国単一国家だが、地続きの大陸では民族が混ざった国もある。

自動翻訳が発達して、言葉の壁が消滅したら、国家という単位も、人間管理するツールとして役目を終えるだろう。

 

(2)国家は何のために存在しているのか。

ルソー社会契約論」のアイデアを参考にすると、無秩序の中に秩序を形成するために「契約」を使う。

同じ言語をしゃべる者同士が徒党を組んで、縄張りを作るために、国家を作った。

国家の仕組みは、いろいろなアイデアで作られている。共和制君主制共産主義など。

ネットワークが発達して、人類全員が自由意思疎通ができるようになれば、合意形成の仕組みが発達して、その結果国家形態も変わるだろう。

エストニアなどは社会実験で実証している。

 

(3)日本という国家において、諸制度はどのような思想設計されているのか(特に婚姻関係扶養

日本歴史分岐点は、「公武合体の失敗」にある。失敗した結果、明治維新開国し、海外進出を始めた。最初は快進撃を続けたが(日清日露戦争勝利)、アメリカと対戦して完敗した。敗戦後の日本制度は、戦勝国アメリカ設計した。

アメリカ歴史分岐点は、1913年オーウェン・グラス法の成立にある。FRBが作られ、アメリカ経済ユダヤ人管理するようになった。近代アメリカ制度は、ユダヤ人設計した。

ユダヤキリストイスラムなど西洋一神教は、教会権威を作るために一夫一婦制を普及させた。昔の日本自由婚に近かったが、敗戦後の日本西洋的な風潮で一夫一婦制に変えられた。

宗教には「人間管理する道具」という側面がある。一神教の仕組みを分析すれば、彼らの人間管理方法が分かる。すなわち、婚姻制度人間を縛るための1つの道具なのだ。本当に愛し合っている人同士なら、国家による承認婚姻届など)なんて別段必要ない。当人同士の合意契約を守る努力けが愛の維持に有効だ。

 

(4)日本という国が目指している方向性はどこなのか。

敗戦後の日本人は、アメリカとその背後にいるイスラエル面従腹背で生きている。異教徒日本人はゴイムであり、彼らの養分となるべく飼育されている。

日本人が再び自立するには、日本人一神教欠点改善する方法を、彼らに提示できなければならない。

そのためには縄文時代以前の日本文化復興させる必要がある。

なぜか?

 

 

現在一神教本来形態を失い形骸化している。その結果、ユダヤキリストイスラムなどの分派を繰り返し、互いに戦争ばかりしている。

正統派ユダヤ日本人が、西洋人に真実歴史を教え、世界平和に導かねばならないのである

縄文時代とは、単に土器を作っていただけの文化ではない。多様な人々が共存共栄する思想を作り出した時代だった。

日本人日本歴史文化について思い出し、全世界に発信すべきである

 

https://anond.hatelabo.jp/20190127221613 杉田水脈の論文や、LGB関係団体の主張を見るたびに、モヤっとしている自分がいるんだけど、何がどうモヤっとしているのか言葉にできない。

2018-12-12

そもそもラーメン食ってる時点でお前は西洋人じゃねえよ

タイトル以外にも突っ込みどころがありすぎる。

(1)ラーメンなんて味覚破壊ジャンクフードを有り難がってる時点で食文化を語る資格がねえ。

(2)「恥ずかしい」なんて言葉陰湿他者攻撃する典型的島国根性で「世界」を語るな。

(3)ヘッドホンしながら飯を食ってる人間が偉そうにマナーを語る違和感

(4)論拠もあげず「常識」なんて言葉によりかかる時点で便所の落書き以下。

(5)我慢してまでラーメン食ってくれって別に誰もお前に頼んでねえ。

そもそも「『世界』的にはずかしい」と言うが、レスにあるように同じように箸を使って麺を食う中国系世界では「音を立てて啜る」ことが普通なわけで、お前のやってるのは単なる日本disでなく、アジア人西洋目線アジア文化糾弾する行為なんだよ。その行為自体が、俺としては「周囲を不快にさせる恥ずべき日本文化」の典型なわけだが、その辺はどう思ってるんだ?

異文化理解の基本を欠片も認識していないお前さんは、自分いかに狭い世界に生きてるかに気づくべき。

お前みたいのがそのうち突然反転して得意げに「日本サイコー」言い出すんだよ。やだねえ。

anond:20181211122520

2018-12-11

anond:20181211122520

人前で裸になるのは下品同性愛悪徳、などといった道徳?は幕末あたりから西洋人に半ば強制されてきました。

江戸時代までの日本人は裸に対しても同性愛に対してもおらかだったようです。

麺類をすすって食べるのが下品だというのも、元々は西洋人道徳だったのではないかと思います

科学技術では、西欧は優れていましたが、全てにおいて正しかったとは言えないと思います

また、一部のヨーロッパアメリカでは、裸のタブー同性愛に対する差別も、克服されつつあるようです。

僕は、蕎麦屋ですすって食べることができず、一生懸命蕎麦を打っている職人申し訳なく思っています

すすって食べるのが正しい作法だと思うからです。

また、「タンポポ」伊丹十三監督)という映画では、レストラン先生日本人)が生徒にスパゲッティをすすらずに食べろと教えているそばで、イタリア人?がすすって食べているという場面がありました。

現代の街中は音であふれています麺類をすする音くらい、気にせず、自分食事を楽しみませんか?

2018-12-08

近頃の外人二次エロ絵の進歩は凄まじいものがある

かつての、如何にも海外コミック風、ディズニー風なバタ臭さ100%作風は、

適度にジャパニーズヘンタイと混じり合い、

十分に実用に耐えうる画風となってきている

質量を感じさせる肉感表現させれば、既にジャップなど足元にも及ばない領域に到達してる絵師さえいる

ギリシャ彫刻に見られるように肉感表現こそ西洋人真骨頂であることを思えば、

しろそれも当然かという感さえある

ジャップが描く肉体は、浜辺に打ち上げられだらしなく膨らんだ軟体生物のようで情けない限りだ

エロ絵の変遷について、最近になってようやく美術表現史的整理を行おうという動きが見えてきたが、

まだまだ外人二次絵の文脈については考慮されているとは思えない

しかし、今後世紀の単位で見たときに、重要になってくるのは、

日本国内の瑣末な様式の変遷ではなく、海外絵師様式ではないかと思う

2018-11-23

anond:20181123133310

「みんなひげを生やして禿げかかっていた」「四人の中年白人男性」や「弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年」や「バカっぽい外国人男性達」はアジア人女性彼女ができるのに私には恋人ができないのは、どう考えても日本人男性が悪いと考えている「レイシスト」で「俗物」呼ばわりは免れない西洋人女性の話です。

anond:20160702203952

日本人女性でさえまともに付き合えないのに、西洋人なんかぜったい無理よね

2018-11-22

anond:20181122111300

西洋人文化レベルの劣る有色人種をむしろ称揚して味方するっていうのは、

ターザンとかダンスウィズウルブスとかラスト・サムライとか定番ジャンルなんだけど、

未開の土地文明を作ろうとするなろう系の現代知識チートとはちょっと流れが違うんだよね。

2018-11-19

ナンバ」は偽伝統

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90_(%E6%AD%A9%E8%A1%8C%E6%B3%95)

まあ、ぶっちゃけこれだけ読めばいいんだが。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/japanbujut.exblog.jp/21221813/

ナンバの厄介なところはそもそもナンバの定義がされていないことだ。

ナンバとは右手右足を同時に…」

「いやナンバは手を振らない歩き方で…」

上半身を揺らさないというだけ…」

「重心の移動が…」

「地面を蹴らない歩き方だ…」

「つまり摺り足のことだ…」

飛脚しか知らない特別走法だ…」

他の偽伝統疑似科学でもよくあることだが、

「○○のここがおかしいのではないか」と突っ込まれると、

「いや真の○○はそういうものではなくて…」とヌルヌルと形を変えて逃げてしまう。

ここではこの論文を参考にしよう。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181119154744.pdf?id=ART0009639792

ナンバ」は蘆原が当初「舞踊」で用いていたが、その後、武智によって広く知らされることとなる。

武智の「ナンバ」に関する考察は、後に三浦野村の「ナンバ論」に受け継がれている。

武智とは演劇評論家武智鉄二のことで、「ナンバ論」の元祖のような位置づけであることが分かる。

この時点で「歴史学とか民俗学とかの研究者ですらねえの?」って感じだけど。

武智鉄二ナンバのことを何と説明したのか。

ナンバというのは、農耕生産のための全身労働においてとられる姿勢で、右手が前に出るときは右足が前に、左手が前に出るときは左足が前にという形になる。

まり現代人の歩行の体様において、手が足と逆の方向にふられる姿勢と、まったく逆の動きとなる。

ナンバとは右足と右腕をそろえて前に出したいわゆる半身の構えのことで、簡単に言えば、農夫が鍬を手にして畑を耕す姿勢である

これって「踏ん張りの効く姿勢を取るとき利き足を前に出す」ってだけの話じゃん?

西洋人だって鍬を振ったり剣で斬ったりするときは「半身の構え」だよ。

武智はもちろん実際にそういう歩き方をしている人々を見たわけではない。

ただの思いつきだ。

それ以降の理屈も「風が吹けば桶屋が儲かる」式の妄想しかない。

ナンバとは手を振らない歩き方だ」の原型らしきもの武智鉄二の論に見られる。

しかし、このような歩行は、全身が左右交互にむだにゆれて、むだなエネルギーを浪費することになるので、生産労働の建て前上好ましくない。

そこで腰を入れて、腰から下だけが前進するようにし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬されるような形になる。

(中略)

ただし、日常行動では能ほど厳格でなくてもよいので、上半身の揺れを最小限にとどめる程度であるかもしれない。

「かもしれない」ですよ。やっぱり思いつきじゃん。

てか誰だよナンバはエネルギーロスが少ないとか言ったやつ。

まあ「江戸時代は草鞋や下駄からそれに合わせた歩き方だった」というなら分かるけど、

それは現代人も草鞋や下駄を履けば摺り足っぽくなるわけだし、

ナンバは疲れない、現代人の歩き方はダメ」みたいな話にはならないよね。

え、フェリーチェベアト写真

写真用のポーズでしょ。

飛脚って利き手荷物を持ってるから、常にそちらの手を前に出す形になっているわけで、

そこでポーズを取るとき利き足を前に出せばナンバっぽくなるってだけ。

浮世絵を見ても、両手で荷物を持ってたりするから

「どっちの腕を振っているか」という点ではあまり参考にならないよね。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん