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2019-01-03

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

2019-01-02

東大受験の思い出(文系おっさん篇)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

触発されるところがありました。増田にも、コメントにも。

家庭環境など

百姓家の倅です。3人兄弟長男比較的小さいころから「下がつかえているかあなたオール公立で。それだけの頭はあげたでしょう」と母親からいわれて育ちました。母方の母方は庄屋(糀屋)、母方の父方は漢学者家系です。父方はよく知りません。父親東京教育大の出、全共闘火炎瓶を作って安田講堂に攻め入ったことを生涯の語り種にしていました。いまはアルツハイマーで息子たちの見分けがつきません。発話も失われて久しい。

その倅たる僕はプロテスタント幼稚園に騙されて入り、地方二期校の教育学部の附属小学校に騙されて入り、そのまま持ち上がって附属中学校へ、高校東大合格者を年に15人から20人くらい出すいわゆる県立トップ校です。中学校男子90人のうち35番くらいまでにいればトップ校に入れた。塾には行かせてもらえなかった。習字水泳英会話歯医者、これはよく通わせてもらいました。中学は共学でウェイウェイしていました。藤井郁弥の影響でテクノカットに前髪が顎下までありました。高校男子校です。圧倒的な絶望です。キルケゴールに耽溺しました。

どこで勉強をしたか(中学まで)

田舎から街中まで通うのにバスで片道45分かかります。退屈なので寝るか教科書を聞くか路線図や料金表を覚えるか(後に)音楽を聞くしかありません。小1から、時折(4割程度)の自転車通学を挟んで、半分以上はバス通学です。小6までは学期の始まり教科書を配られると最初の1週間で読んで覚えてしまます

教科書本体よりも便覧や資料集が好きでした。面白かった。地図帳も、資料集も、地勢統計も。中学に入っても英会話は通わされていたので楽ちんです。中間/期末/学力試験の前1週間くらいにざっと教科書見直して500点満点で425点。リスニングは、携帯プレイヤーはなかったので、ウォークマン英会話学校の教材やNHK英会話を入れて、まあ適当に。中3で県のスピーチ大会に出させられ(て、落ち)る、そんな感じです。

部活はやりませんでした。お金時間もないし、水泳通ってたし、弟のバスケットと体操に両親は夢中になっていました。素行不良のため内申点が足りなくて合唱団に入れられました。

どこで勉強たか(高校)

うちの高校合格すると「入学式までの30日間の重要性」とかいって英数国の宿題が課されます。それと直近の大学受験結果を分析した資料ざっと見て、学年360人、2年次から文系150人理系210人の、まあ自分文系だろうから文系30番くらいにいれば、努力で入れるといわれていた東北大、東京外大に入れるかなという目算がつきました。東北大はかっこいいし、外大女性比率が高い(放っておいてもモテそう)。まあでも、適当です。それで入学式直後のテストで、学年で50番くらいに入った(いちおう、ビビって用意はしていました)。

でも生活の基本パターンは大きくは変わりません。教科書は行き帰りのバスでだいたい読んで、物理科学不要なので捨てる。家に帰ったら数学問題演習(4STEP)、英語古文単語を。同じころ僕を溺愛してくれた婆さんが脳梗塞から前後不覚に陥り、街中の病院に入ることになった。学校帰りに爺さんと待ち合わせをして立ち寄る。病院は暇ですからお茶を入れて飲んで、英単語を覚えるくらいしかやることがない。たまにノートを開いて、数学は先取り。ざっと、次の単元に目を通して(授業中に指されるのが不安から…)。そうそう、効果のあった教材は「パターン演習」でした。今はもうないのかな。「現代文 例の方法」もよかった。古文は聖文社の薄い本意識の高い友だちから、いろんな情報が入るようになってくる。それを病院に立ち寄る前に市内の書店でチェックして、合いそうなものを買います

大学受験意識する

東大意識したのは高校2年の11月です。恩師(英語先生)に、冗談で「おれ東大無理ですよね。ははは」みたいに話したら「お、ようやくやる気になったか」なんてその気にさせられて。帰りに本屋ペンギンか何かの洋書を買って、1日2ページ、英文解釈和訳です。朝持っていくと、帰りまでに真っ赤に添削してくれる。古文や、数学先生も噂を聞いて「おお、あのあいつが」みたいに様子を覗き込んでくる。ひとり、ふたりノートを見てくれる先生が増えました。でも、だれも僕がまさか東大に入るとは級友たちは思っていなかったと思います

受験戦略

受験戦略は至ってシンプルです。後期には絶対の自信がありました。読書感想文論文も出せば県予選までには行った。英語も出来ました。社会世界史日本史現代社会、どれでも満点近くとれました。参考書は「世界史Q&A」「日本史Q&A」です。資料集を見てビジュアルで頭を刺激して(例、ザビエル。毛の話ではない)大掴みし、後はひたすら反復練習です。高3初夏の時点の大手模試で文3後期はB+くらいの判定でした。前期はさすがに無理です。

ただ、「やるだけやった」ことは自分言い訳を残したくなかった。病院で婆さんが「うちの孫はいい子で」「末は大臣から」って、看護婦さんや主治医に言いふらしたらしい(後に爺さんの仕業だと判明するのですが)。それで先生方が「東大を受けるって聞きました」「がんばってね」って声をかけて下さいます。病状のことも聞きました。当たり前ですが、下り坂です。いっときは、医学部を目指そうかとも思った。でも入って出て研修医になるまで7(6+1)年です。婆さん、間に合いそうになかった。爺さんも肝硬変になって、爺さんに「どこがいい?」って聞いたら「そりゃ天下の一高がいいさ」というから「わかった」と返事をしました。

再び受験戦略の話

本戦略は4つです。

1. センターは満点をとる。二次は天下の俊英が集まってくる。勝てるわけがない。センターなら勝てる。1:4(800→110):440の圧縮傾斜とはいえ、110点とって無駄にはならない。田舎凡才がまず考えるべきは足切り回避です。足切り回避したら「二次で逆転」なんて赤本成功譚を鵜呑みにせず、センターで1点でも多くの上乗せをと考えました。

2. 後期は受かろう。英国世界史満点を目指す。論文素面でいけるはずだ。

3. もし現役で東大がだめだったら地方公立医学部に切り替えよう。そのために、生物をメインで、化学も少しはやっておこう。

4. 問題は、前期で東大を受けるか、A日程で外大を受けるかでした。こう考えました。A日程で外大に受かる(東大後期の足切りにあわなければ後は外大用の英語対策です。外大二次英語東大二次よりもやや歯ごたえがあって格好の対策になります)、そして後期で東大文3に受かる。これがベストシナリオだ。そのとき東大に行くだろう。だとしたら、A日程は無駄ではないか?

教科別の話
現代文

岩波講談社現代新書、などを、手当たり次第に読んで咀嚼しました。また、Z会添削(これだけは母親に頼んだ)を受け、「模範解答をできるだけ歯切れのいい単位自分言葉に分解して、とことん納得するまで書き換える」を行いました。添削はあまりしませんでした。毎月送られてくる薄い模範解答の本がありがたかった。小説は、ごめんなさい、蓄積があったので(うちは1950年代60年代70年代文庫季刊誌文学全集が堆くあるような家でした。数少ない父親の正の遺産です。片っ端から読んでいました)、あとは「例の方法」で、受験とはこういうものかと調整する程度。

古文

品詞分解と2,000語レベル単語暗唱です。高2の11月からセンターまで400日。1日50語。予習(N-1日)、当日(N日)、復習(N+1日)のサイクルで、ということは150語/日ペースで頭を通す計算になります。「あさきゆめみし」を読みました。明治書院(?)の作品解説集をバスの行き帰りに読みました。

漢文

ごめんなさい! 爺さん漢学者の家柄なもの(笑)。「蒙求」「戦国策」とか。「戦国策」はよかった。いまでも、なるなら刺客です。司馬遷ありがとう!

英語

単語は5,000語レベル単語集を1冊日割りで。効果的だったのは、ある単語を覚えた/引いたとき辞書の同じ見開きページに載っている重要単語はぜんぶその機に覚えてしまうやり方です。

文法桐原発音アクセント英会話教室からもらった対策本。英字新聞は読みませんでした。代わりに、前にも記した高校先生から受ける日々の添削

日本史世界史

「Q&A」です。「一問一答」ではなくQ&A。

数学

苦手にしていました。系(?)の拡張、みたいな感覚になかなか付いていけなかった。虚数単位とかです。仕方ない、というので「4STEP」を繰り返し、センター200点満点を180点とることに集中。二次は、大問4のうち、かき集めて1つ、配点で80点中15点とれれば合格には御の字。15点ならセンターの延長でとれます文系微積が苦ではなかったのが本番でも生きました。

理科生物

高校の授業です。これだけは、参考書の目利きが自分にない。熱心な先生でしたので、出されたご飯は残さず食べるの精神です。

受験結果
センター試験

国語:190点

英語:192

世界史:98点

数学:180点

生物:92

合計:752点

(あれ? 756点だった気が。)足切り回避です。よかったですね。

二次試験の結果

国88/120

英104/120

世界史40/60

日本史35/60

数学25/80

292/440点

自己採点です)250点あれば十分、220点でも年によっては受かるといわれていました。勝因は英語です。よかったですね。

合格発表の日

これでも、自分には無理という思い込みがありますから赤門をくぐってまず後期合格者の掲示板のほうを見にいきました。前期は絶対に無理、でも、後期の足切りには確実に通っている。「国語古文漢文選択肢に引っかかったのが痛かったなあ。あれがなければ前期だって」と頭を抱えていました。

そんなことを思いながら後期(追記:足切りクリア)の掲示板の前まで来ると、自分の番号がない!

「さすが東大は違う。おれはもうだめだ」と、代ゼミに向かい踵を返そうとしたとき、同行していた父母が「せっかくだから前期のほうも見てみよう。どんな人が受かるのか顔を見てみたいじゃない」「予備校それからでいい」というわけです。

ありました

ありました。

公衆電話実家にかけると、すでに電報が届いていて、いまかいまかと祖父母電話を待ち構えていました。祖母許可を得て病院から戻ってきていました。もう、東大に受かることの社会的な意味合いは、わからなかったろうと思います。でも、みんなが喜んでいるからといって、赤飯を炊く準備に、これから近くで豆を買ってくると電話口でいうわけです。「そんなのはいから」「とにかくそのまま家でお日さまに当たっていて」と僕がいうと「ご親切さま。うちのは、ほんとにいい孫でね」と僕にいう。僕は思わず「おばあちゃん、よかったね」って。

結びに代えて
英語だけは

言い古されたことですが、東大学歴というのは、かなり費用対効果のいいLadder of Success(成功の階梯)です。その中でも、ひとつたつを添えて、本記事を締めたいと思います

それは、文法的な意味での英語力の最初ピークは、大学受験直後ということです。その勢いを駆って、TOEICなり、英検なり、お受けになれば、さしたる苦もなくCertificateを取れるのではということ。僕自身大学年の初夏(だったか)に準1級、以来、TOEICが(維持のための努力だけで)だいたい945点くらいをかれこれ25年、続けています

1年くらいは

間もなくセンター試験です。もし、2019年のセンター二次に間に合わなくてもと思う現役生がいたら、1年くらい、大きな気持ちで構えていいのではないでしょうか。長い人生、1年くらい、駒場の3年目や、離婚や、放浪放蕩や、悪所通いでたちどころにトントンになってしまます

受験生のみなさんのご武運を、ねこちゃんたちと共に心よりお祈りします。長文、失礼いたしました。

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-06-21

http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/yoppy/4592

あとは誰か任せた

https://api.gnavi.co.jp/api/

 

北海道

・「みよしの」の餃子カレー

・「ラッキーピエロ」のハンバーガー

・「インデアン」のカレー

青森

・「長尾中華そば」の津軽ラーメン

・「一心亭」の焼肉

秋田

・おばちゃんが売る「ババヘラアイス

・「TREnTA」のパスタ

・「ナガハマコーヒー」のコーヒー

岩手

・「ぴょんぴょん舎」の焼肉冷麺

・「南部家敷」のそば

・「福田パン」のあんバター

山形

・「龍上海」の赤湯ラーメン

・「十一屋」のチルミー

・「とん八」のとんかつ

福島

・「メヒコ」のカニピラフ

・「マンママリィ」のイタリアン

・「三万石」のままどおる

宮城

・「ラーメン仙台っ子」のラーメン

・「まるまつ」の和食

新潟

・「フレンド」のイタリアン

・「みかづき」のイタリアン

・「くいどころ里見」の和食

長野

・「あっぷるぐりむ」の旨ハンバーグ

・「テンホウ」のラーメン

・「ラーメン大学」のラーメン

山梨

・「小作」のほうとう

・「ほうとう不動」のほうとう

千葉

・「としま弁当」のお弁当

・「赤門」の焼肉

・「やまと」の回転寿司

茨城

・「サザコーヒー」のコーヒー

・「ばんどう太郎」の味噌煮込みうどん

・「とんQ」のとんかつ

栃木

・「フライングガーデン」の爆弾ハンバーグ

・「宇都宮みんみん」の餃子

・「正嗣」の餃子

群馬

・「シャンゴ」のシャンゴスパゲッティ

・「おおぎやラーメン」のみそラーメン

・「登利平」の鳥めし

埼玉

・「山田うどん」のうどん

・「馬車道」のピザ

・「るーぱん」のピザ

東京

・「富士そば」のそば

・「ねぎし」の牛タン

神奈川

・「ハングリータイガー」のハンバーグ

・「元祖ニュータンタンメン本舗」のタンタンメン

・「崎陽軒」のシウマイ弁当

石川

・「チャンピオン」のカレー

・「8番ラーメン」のラーメン

富山

・「氷見きときと寿司」の回転寿司

・「まるたかや」のラーメン

福井

・「ヨーロッパ軒」のソースカツ丼

・「オレボ」のお惣菜

静岡

・「さわやか」のハンバーグ

・「五味八珍」の餃子

・「スマル亭」のかき揚げそば

岐阜

・「岐阜タンメン」のタンメン

愛知

・「パスタ・デ・ココ」のあんかけパスタ

・「味仙」の台湾ラーメン

・「長命うどん」のうどん

三重

・「あじへい」のラーメン

・「おにぎり桃太郎」のおにぎり

・「一升びん」の焼肉

奈良

彩華ラーメン

天理スタミナラーメン

滋賀

・「ちゃんぽん亭総本家」の近江ちゃんぽん

・「バリバリジョニー」のラーメン

京都

・「からふね屋珈琲」のパフェ

・「志津屋」のパン

・「横綱」のラーメン

大阪

・「551蓬莱」の豚まん

・「わなか」のたこ焼き

・「だるま」の串カツ

和歌山

・「グリーンコーナー」のグリーンソフト

・「パン工房カワ」の生クリームサンド

兵庫

・「もっこす」の中華そば

・「らぁめんたろう」のラーメン

岡山

・「岡山木村屋」のバナナクリームロール

・「海都」の回転寿司

・「ミスターバーク」のハンバーグ

広島

・「徳川」のお好み焼き

・「我馬」のラーメン

・「ちから」のうどん

山口

・「いろり山賊」の山賊焼き

・「どんどん」のうどん

・「たかせ」の瓦そば

島根

・「服部珈琲工房」のコーヒー

・「たまき」のうどん

・「羽根屋」の出雲そば

鳥取

・「すなば珈琲」のコーヒー

・「澤井珈琲」のコーヒー

・「北海道」の回転寿司

徳島

・「徳島ラーメン 東大」のラーメン

・「セルフうどん やま」のうどん

・「祭り寿司」の回転寿司

愛媛

・「大介うどん」のうどん

・「がんば亭」のうどん

・「チャイナハウスすけろく」の中華

香川

・「こだわり麺や」のうどん

高知

・「アイスクリン」のアイスクリン

・「豚太郎」のラーメン

福岡

・「ひらお」の天ぷら

・「牧のうどん」のうどん

・「資さんうどん」のうどん

・「ウエスト」のうどん

佐賀

・「井手ちゃんぽん」のちゃんぽん

・「喰道楽」のラーメン

・「からつバーガー」のからつバーガー

長崎

・「庄屋」の和食

・「若竹丸」の寿司

・「牛右衛門」のハンバーグ

大分

・「大分からあげ」のからあげ

・「鳴門うどん」のうどん

・「寿司めいじん」の寿司

熊本

・「ヒライ」のお弁当

宮崎

・「味のおぐら」のチキン南蛮

・「きっちょううどん」のうどん

・「桝元」の辛麺

鹿児島

・「鹿児島 餃子の王将」の天津飯

・「なべしま」の焼肉

・「そば茶屋吹上庵」のそば

沖縄

・「A&W」のルートビア

・「ジェフ」のハンバーガー

・「ブルーシール」のアイス

2016-01-20

僕が高学歴を嫌いになったワケ

あれは何年ほど前だっただろうか。僕は田舎に住んで居たのだが、旅行東京に行った。

出発する直前、父親に「時間があればでいいんだが、東大赤門写真撮影して来て欲しい」と頼まれた。割とスカスカに日程を組んでいたおかげて時間も作れそうだったので、「いいよ」と了承した。

そして東京3日目、御茶ノ水にある日本サッカー協会に行ったついでに、近くにあるらしい東大赤門写真を撮りに行こうと地図を広げた。

地図を見ながら東大を目指す。歩く。しかし一向にたどり着かない。道に迷った。かなり歩いたが結局東大を見つけることは出来ず、僕は諦めて秋葉原へ向かった。

その時痛感した。「東大はかなり頭が良くなれけば入れないが、馬鹿赤門の姿を見ることすら出来ない」

高学歴傲慢さに悲しみを覚えながらついた秋葉原。頭の悪そうなメイドさんとの会話はとても心躍るものだった。

2015-08-28

さぁ諸君、逃げて逃げて逃げまくれ!

仕事の合間に話題図書館ツイートを耳に挟んだから久しぶりに思い出したことがあるの。

苦くて真っ黒な小・中学生時代の話。

真っ当な理由があったわけじゃないのよ。人とお話しするよりも、空に浮かぶ雲を動物にたとえて遊んだり、みんなで校庭で鬼ごっこするよりも図書室でサーカス団にはいって冒険するのが好きだっただけなの。それでも、今よりももっとふつう“が正しいという風潮だったから、“ふつう“じゃない私は先生にとってもクラスメイトにとっても、目の上のたんこぶだったみたい。5歳の時優しい母親死別していたからね、忙しい父と二人きりの暮らしだったの。父は確かに私に愛情はあったのよ。私が1人にならないようにってシッターさんや家事手伝いのお姉さんたくさん来てくれたけれど、それも“ふつう“じゃない原因だったみたい。片親だからダメねって。隣の席の高橋くんのお母さんが言ってるのを聞いちゃったこともあったの。

今思えば、不登校なんて大したことじゃないわ。そうでしょう?学校で真っ当に学んだって人は失敗するもの学校がそこまで偉い場所なんて思わない。それでも最初の頃は頑張ったの。それでも疲れちゃって、また悪口言われるのかな、とか。今日は何を隠されるんだろう、とか。朝起きると気持ちが悪くなっちゃって、足が震えちゃって、ベッドからでれなくなっちゃったの。だから、私逃げたわ。

結論から言うとね、逃げて正解だったわ。だって逃げなかったから潰れちゃっていたもの。ぺちゃんこペラペラ空気が抜けたように潰れちゃっていたもの学校に行かなくなってもね、勉強はきちんとしたわ。高校偏差値の高いところへ行ったから、前よりは辛くなくなったの。それでも学校ってもの自体に苦手意識があったからね、休むことなく行ったなんて嘘はつけないけれども。でもテスト期間は行ったし読書好きな友達もできたの。大学もっとしかったわ。だって勉強しかしなくてすむんだもの。みんな他人ことなんて気にしてないわ。あの赤門をくぐる時、初めて心地の良いドキドキを味わえたの。

私は今、読書好きを生かして翻訳家をしてるの。大学ちょっと珍しい言語出会って、現地に行って、仕事をして、現地の素敵な人と結婚して、子供もいるわ。私は学生青春を知らないわ。でも、そんなもの知らなくても私は今幸せよ。逃げることは攻撃よ。さぁ、逃げて。今辛いならそんなもの捨ててしまいなさい。

2015-07-18

自転車排斥するネット情報が、歩道を塞ぐDQN助長している問題

本郷通り赤門の前当たりの歩道を、ゆっくり自転車で走っていたところ、
横に並んで歩いていて道をふさいでいる20代前半くらい、学生風の男二人組がいた。
口頭で「すいません」と言っても話に夢中で聞こえていないみたいだったので、小さめに自転車ベルを鳴らした。
ちなみに、こちらは、彼らの歩行速度に合わせて、度々停車しながら、後ろを追っている状態。

そしたら、彼らはあえて動作を緩慢に、呆れたように道を譲った後、
自転車車道を走らないとダメですよ」とこちらに注意してきやがった。
その歩道自転車通行可能の標識がある歩道だったので、その旨を指摘したのだが
彼らには理解できなかったらしく「何いっているんですか?そんなことあるわけないんじゃないですか?」
バカにしたような態度を取ってきた。
都心の主要道の幅の広い歩道には、たいてい自転車通行可能の標識があるのだけど、
そんなことは信じられないといった具合だった。

歩行者優先だからといって、道をふさいでるDQNに合わせて後ろでずっと待機しないといけない義理はない。
はてな利用率の高い地域だけに、
おそらく彼らは、はてなあたりで「自転車歩道を走ってはいけない」という話を聞きかじって、
不十分な知識のまま、自分が道を塞いでいるのを指摘されたのを逆ギレしたのだろうか。
あるいは、twitterツイートで、「自転車歩道を走ってはいけない」というのを見て、
義憤かられちゃったのだろうか。

やり場のない怒りを増田に書いてみる夏の夜。

2014-03-14

京浜東北線に乗りながら考えたこと

 「あの人は○○だから、頭が良い」という言説は果たして成り立つのか。例えば、「あの人は東大卒から、頭が良い」というのは一般的にかなり思われている様だが、これはどこまで正しいのか。一般に、大学は入るのが難しく、卒業するときはそれほど難しくないという。(もちろん、入学に要する労力に比べてという話であって、卒業研究等、大変な困難を伴うのは当然である。)すると、「東大卒から頭が良い」という言説は正確でないように思われ、東大入学試験時(当日)に、東大入試相当の問題(国、数、英、理、社)を解ける知識を有していた、ということが少なくとも言える程度だと思う。けして、東大卒業したからといって未来永劫の頭脳を持ち続けるわけではない。仮に、年老いて東大の問題が解けたとしても、京大の問題は解けないかもしれない。(極端な話)

 ここで起こっていることは、一種の逆転である別に東大でも頭の悪い奴がいるとか、僻んでいるとか、そんな類の話がしたいわけではない。ラベルと中身の倒錯を問題にしたいのである

 科学が進展して、今まで分からなかった事が種々の法則で解析して説明できるようになってきた。でも時々、解析結果と実際の現象が一致しないことがある。法則が上手く現象を説明しない時、人は現象に問題があると考える。実験系が法則の様な理想的な条件にないのだと。本来は反対で、まず現象が先にあって、解析結果がそれに一致しないのは、我々の持っている法則が完全でないためである。そこで、法則特殊な結果を説明できる様、書き換えられ、さら普遍的理論(統一理論)へと近づいていく。それが科学分野において真のあるべき姿だと思う。

話を戻すと、「東大卒から、頭が良い」のではなく、「頭が良いから東大に入れた」のである。更に言えば、東大入試テストされる知性(頭の働き)を持っていたか東大に入れたのである。短い時間で幅広い分野の知識を試され、どれが落としてはいけない大問で、どれが捨てから見極める。応用よりは基本を押さえた問題設計集中力、判断力、記憶力に特化した知性を東大は求め、それに応えた人々が赤門をくぐっていく。それ以上でも以下でもないのではないのだろうか。

 社会に出ると東大は使えない。高学歴ほど仕事ができない。こういった言説は前述の倒錯に憑りつかれている。知性とは、もっと伸びやかでフレキシブルものであるアメーバの様にその形を変えながら、様々な知的能力に特化しているものである。それが人々に多様な個性を与えている。画一的試験で評価、定量化できるのは知性の一部に過ぎない。

 知性に対するラベリングという状況は大変残念だが、人間認識限界もあって致し方ないという向きもある。そこで、知性からささやかな「反撃」というのはどうだろう。つまり東大卒くらい頭が良くなるのではなく、あなた頭脳(知性)ならばどうすれば東大に受かるかを考えるのである東大入試で求められているもの集中力記憶力、判断力…。今あるポテンシャルを活かして、アメーバ触手をどう伸ばしていくか、それを考えてみる。「頭の悪い」あなたは、似たような作業で単純なミスばかりするのではない。あなたの知性がその作業を苦手としているので、「頭が悪い」というラベリングをされているだけであるあなたの知性を使って、次のミスをどう防ぐか、その時こそ知性が試されている。

 ラベリングされた通りの中身に変わるのではなく、中身が変わって、そこにラベリングがついてくる様にする。

 世界の見え方が少し変わってきた様な気がしませんか。

2013-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20130822031600

ふむ、そしたら東大の1,2年は駒場お茶大とは遠く離れていることも知ってるよね?赤門がある所には1,2年生は居ないよ?(2年の後期になれば授業があったりはするけど)

できれば東京女子とか、まだ白百合とか、その辺の方が現実味があったのにね。

2011-03-03

TOEIC 900と、マラソンサブ4と、ゴルフ100切りと。

 を達成したんだけど、共通点に気がついたので自慢まじりに書く。

スペック

 男 子供2匹 マイナー系外科医 現在留学


やれば出来そうにみえる地点(YDPと名付けよう)


 TOEICの900も、マラソンのサブ4も、ゴルフの100切りも、始めた頃には遠くにみえる。そして、たぶん最初目標地点。そこを目指すマニュアルはいっぱいあって、それにお金を払う人もいっぱいいる。俺もいっぱい払った。。

 YDPは、目標として切りがいい。数字で表されていて到達したか客観的に評価できる。まわりを見渡せば到達した人が必ず目に入る、そんなレベル

 YDPに到達するためには日常ルーティンから時間を確保しなくちゃいけない。努力が必要。難しいのは、確保すること、続けること。マニュアル通り。その2つぐらいなら出来そうな気がするし、出来た人が近くにいる。そんなレベルがYDP。

YDPに到達すると、経験者として振る舞うことが出来る


 TOEIC900なら、一応の英会話は出来る。相手が何を言うか分かる時は問題ない。電話パターンを知ってれば対応可能。読むのはまず問題なし。メールのやりとり、自分の専門分野で知らない単語は出てこない。書くのも英借文でクリア

 マラソンサブ4なら、「今週末フルマラソンます。」って同僚に言える。練習方法を誰かに教えることが出来る。ナイキショップiPod Sports Kitの前で話しかけられても恥ずかしくない。

 ゴルフ100切りなら、突然の週末のラウンドに誘われる。人のパットライン踏んだりしない。自分の球の行方は追える。他の人の球も見つけてあげることが出来る。ラウンドの全てのショットを思い出せる。


YDPに到達すると、YDPは所詮入り口に過ぎないことが分かる


 でも、TOEIC900なんて、所詮入り口。気の利いたことは一切言えない。映画の細かい筋は追えない。ネイティブと同じに笑えない。いつの間にか主人公の恋人死んでる。YDPに来るまで、こんだけやってきたのに、あと何倍の努力ラスボスに会えるの?

 でも、マラソンサブ4なんて、所詮入り口。順位とか考えられないし、週に4,5回走ってこのタイムなんて、もうこれ以上どうやって練習するの?タイムも縮まらなくて、もうモチベーション限界

 でも、ゴルフ100切りなんて、所詮入り口。握ったら確実にむしられる。パーとかボギーとか、名前が付いている打数で終われない。楽しいというよりストレスたまる。わざわざバックティーからまわる意味が分からない。

YDPに到達すると、トップのすごさに気がつく


 英語が出来るって、もうTOEICではかれるレベルじゃないってことを知った。

 マラソン2時間前半って、俺がダッシュしてるぐらいのスピードだって知った。

 18回パーをとっても負けるとか。

 

 YDPにたどり着いても、達成感とかない。テスト結果とかスコアが出た瞬間だけ達成感を感じてすぐ消える。もうこれ以上努力しなくていいやなんて思えない。どこからも、もう休んでいいよって声が聞こえてこない。もう残りの人生の方が少ないってのに。こんだけやって、やっとの思いでYDPにたどり着いてもそれが通過地点って。

 留学する前、「英語はもう勉強しなくてもいい」って自分で分かる瞬間がくると思ってた。そんなものは来なかった。もう帰らなきゃいけないのに。

 俺がYDPに到達したこと思い返してみた。どれもこれもそんな瞬間はやってきていない。

YDPに到達すると感じる共通のこと。


1. トップのすごさ。

2. トップとの埋められない距離。始める前は目標がみえなくて距離が測れない。YDPに来て距離が測れると絶望できる。

3. YDPに到達したってことはわかる。

4. YDP到達後、さらに進もうかどうか迷う。成長カーブプラトーに近づく。

YDPに到達するってこれぐらいのことだよね。

俺の経験から(ここ自慢だから聞いてくれ、disってくれ)。

1.国立大学に入る。俺は宮廷の医学部。そこまで行くと、赤門と鉄門の差が分かる。

2. サッカー天皇杯地方予選ベスト8ぐらい。本気モードサッカー部出身者に軽くあしらわれる。Jリーガーはそれよりすごくて、日本代表は… その先考えたくもない。

3. クロールで4km泳げる。距離はいくらでも行くけど、スピードは出ない。

4. 夜中一人で救急病院で当直してても怖くない。トリアージと応急処置は出来る。自分の専門以外の治療は無理。

5. 自分の専門分野の手術が一人できる。やっとゴッドハンドがゴッドな理由が分かる。理由が分かっても真似できない。

6. IF 5点ぐらいの雑誌投稿できる。留学して基礎実験始めて、ボス名前借りてやっとこのレベルCellとかNatureとかScienceとか意味が分からない。

7. 狙った増田で、はてブ100超え。


 結局、一つに集中してこなかったから、どれもこれも中途半端中途半端すぎて、自慢なのか自虐なのかすら判断できないレベル。だれもdisってもくれない。

 ここまでやっても、こんなもん。掲示板中の人たちの「明日から本気出す」って強い共感を覚える。向こうから共感してもらえないけど。

 こっちで「灯台みたいな三流大学出て恥ずかしいけど、日本人には面と向かってそれを言えない。」って言ってる人がいる。優越感を感じられるはずと思って頑張ってここまでやってきたのに、まだまだ劣等感は無くならない。

2011-02-26

ちょっと昔の話

わりとよくある話なんだけど、調子こいた若者が、大物の知り合いだとか騙ったり、いかに金を持ってるかだとかを騙ったりして、夜の街でブイブいわしたりしている事がある。男と女の間なんて騙したり騙されたりって事もあるから、その程度の話ならモメたって痴話喧嘩のうちだ。だけど、その騙りで金を騙し取ったり、他人の名前を使って無理を通したりしようとすると、ちょっと面倒な事になる。そういう行動は"シマ"を荒らす事になるから

もちろん、そういう事は敵対グループ挑発行為だったりする事もあるんだけど、この平和な世の中じゃ、そういう事も滅多に無い。ホントにアホボンが恐いもの知らずでやってる事が多い。そういうアホボンをちょっとシメるのは、そういう行動を見かけた大人としては当然の行動である訳だ。

お兄さん、ずいぶん楽しそうだね、頑張ってるね、俺も一緒に遊ばしてくれよ。と声をかけるとそれだけで消えてしまうのもいるけど、たいていは、あんまりやんちゃしていると恐いオジサンに連れてかれちゃうよ。と言って上げると、やっと意味が解るようだ。意味が解ったら話が早い。説教してやるから、親か兄弟か、もしくは上司社長を連れて来いと言う事になる。

かに学生だったりして、こっちがびっくりする事がある。あの赤門のところだったりとか。何故か面白いもので、それなりに名のある大学だと、ちゃんとそういう時にやってくる担当者がいて、きちんと挨拶をしてくる。

あの時のあんちゃんも学生だった。知ってる大学だったけど、大学担当者は連れてこず、飲食店経営者を連れてきた。カタギではあったが、こっちの業界をよくわかっているようで、後日、別の人間を連れて挨拶してきた。ちょっとびっくりしたが、ここまでのお方が、あの学生を預かるので今回の件は穏便にという事で話は決着。

後で何回かその学生を見かけたが、ちゃんと挨拶してきた。まあそりゃそうだろう、あれだけの人を連れ出すハメになったのだから、お返しは膨大なものになる。なんだか必死な様子であった。学生なんだし、虚勢張らずに素直に頭下げときゃいいのに、その場しのぎでいらんことするから、後々ツライ事になる。グレーゾーンで遊んでいたつもりだろうが、いつのまにか真っ黒。可哀想に。

そうやって簡単に取り込まれていく若者。よくある事だ。

よくある話のよくある若者。その存在なんかとっくに忘れていた。ところがネット上でひょんなところで見かけた。面白いもんだ。また面倒な事になっているようで最初は本人とその周辺だけの些細な問題だったのに、人間関係が暴かれ、背後関係までもが全て繋がってしまった。面倒なことに、侘びを入れる相手が特定できない不特定多数の集団なので、どうにもならない。

これもよくある話で、どんなに助けても助けても、どっかでおかしな事をしてしまうやつがいる。根がバカなんだろうね。己の行動がどこまで影響するのか、想像が付かないバカ。だから、まーたお前かよ・・・みたいな話もほんとによくある。何か悪さをすると、上の人間を連れてきて謝らせるから、逆に勘違いするアホもいるみたいだし。

さあ彼はどうするのだろう、どうなるのだろう。どうやら、不特定多数の集団は、その学生就職を潰したいようだ。潰せば勝利だと思っているようだけど、どうなるやら。本人からすりゃ、実は就職を潰されて、外に放り出された方が幸せ。きっと後は無関係でいられる。一番恐ろしいのは、そのままそこに就職するか、もしくは関連会社就職させられるかだ。不特定多数の集団はそうなるのは面白くないのかもしれないが、本当は、そっちの方が恐いんだよ。

俺達は恐いと思われているようなんだけど、本当は優しいんだ。いつまでもいつまでも世話してやるからね。

2010-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20101205183957

類例

2010-09-02

学校の門が閉まる時間メモ

東大本郷キャンパスの門の閉まる時間

  • 龍岡門 常時開放
  • 正門

大扉午前7時~午後6時閉鎖

小扉午前7時~午前0時30分平日と同じ

大扉午前7時~午後6時閉鎖

小扉午後6時~午後10時午前7時~午後10時

大扉午前7時~午後6時閉鎖

小扉午前6時~午前0時30分平日と同じ

  • 池の端門

大扉午前7時~午後10時閉鎖

小扉午前6時~午前0時30分平日と同じ

  • 農正門

大扉午前7時~午前0時30分閉鎖

小扉午前6時~午前0時30分平日と同じ

大扉午前7時~午後10時閉鎖

小扉 常時開放

  • 鉄門

大扉午前8時~午後5時 緊急車両専用平日と同じ

小扉午前6時~午前0時平日と同じ

  • 春日門午前7時~午前0時30分平日と同じ
  • 懐徳門午前7時~午前0時30分平日と同じ

http://anond.hatelabo.jp/20100902030033

すみません山手線の内側を表したつもりでした。

ちょっと具体的に言うと、赤門の近くに住んでますよ。

2008-09-23

東大卒を騙るときに気をつけるべき5つのポイント

id:kokorosha 誰か「東大卒を騙るときに気をつけるべき5つのポイント」という記事を書けば、こういうミスが減るんじゃないかしら…

はてなブックマーク - 無題のドキュメント 東大卒無職だがなんか質問ある?

  1. 東大生は1年生、2年生時には必ず駒場キャンパスにいます。赤門があるのは本郷です。最近、柏キャンパスもできました。
  2. いわゆる「進振り」について学んでください。科類ごとに状況が違います。しっかりググってください。
  3. 卒論がない学科が少なくありません。ゼミが必修でない学科もあります。司法試験公認会計士等の試験があるためとか、理系の場合はほぼ確実に院進学するためと言われています。どのようになっているか学科レベルリサーチしてください。逆にいうと、「詳しく話すとばれる」という言い訳が使えます。
  4. 本郷駒場も敷地内には自由に入れるので、学科の掲示板を覗いたり、食堂の学生の会話を聞く等、足を使った調査をすると良いでしょう。
  5. 東大生同士といえども学科が違うとウワサ程度にしか他学科のことは知らないのが普通です。「他学科の話はあんまり良く知らない」とすることも保身のために重要です。

じゃあ、頑張って!

追記、というか、思い出

ブクマで突っ込まれてますが、なんか、後半は一般論になってしまいましたね。

あとはどれだけ具体的なエピソードが書けるかだと思うので、やっぱ足つかって取材してください(笑)

で、補足ついでに少々。

アルバイトについて

家庭教師塾講師系は確かに多いようですけど、知り合いにバーテンダーとか、ホテルフロントもいたし、バイト関連は結構個人差が大きいんじゃないでしょうかでしょうか?

高校派閥

開成みたいな東京進学校出身の学生だと、知り合いがかなり多かったりする。

ラ・サールみたいな地方進学校も、石を投げればぶつかるとは言わないけど、多い。男子校出身者多すぎ。

サークル部活動以外でもスタート時点で既に知り合い多いという学生は結構いるんじゃないかと思う。

そこらへんは東京六大学京大も一緒だろうけど、地方の公立出身者は、違和感あるんじゃないかな?

その点、東大より「芸」があって、芸大より「学」がある学芸大は、地方の公立出身者が多くて、高校時代の知り合いはなかなか見つけられないと聞く。

ついでだけど、

笑ってしまったのが筑駒出身で後期過程で教養に行って大学院も広域科学に行った人。

中学校から何年間駒場だよ!」だってさ。

食い物の話

id:y_arimさんが書いていたので、自分も少々。

駒場だと苗場チャーハン大盛り。あれはまだあるのだろうか?あれは好きだった。

本郷(内部的には本郷と呼ばれない某所)にいたころは、赤札堂時間セール餃子とか。

デジチッの常時3割引の石焼ビビンパもよかった。

 
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