はてなキーワード: 小口とは
社会人2年目なんだけどマジで金がない。現在躁鬱で2ヶ月入院・療養で休職中。来月復職予定。
躁のときの浪費+引越し・車検・物損事故・自殺未遂で入院と重なったせいで貯金ぶっ飛んだ。
入院時に保険30万降りたけど入院前の支払い分+入院費でほぼ飛んだ。
今月カードの支払い5万(食費・ガス・水道・通信費・ガソリン代・各種保険)したら貯金がゼロになる。
家賃・電気代多分6万くらいと医療ローン3万が払えそうにない。
傷病手当も出はするけど申請に時間がかかってて支払日に間に合わん。
なんなら来月も傷病手当だけじゃ多分間に合わん。
次に給料が満額出るのは来年になってから。ボーナスは多分なし。
明日市役所行って生活福祉金申請するけど通るかも分からんし借りられても入院費分だけの額らしい。
親は警察のお世話になるような人種なんで親族からも総スカンで誰も頼れない。
なんでもっと貯金してなかったの?って言われそうだけど、高校の時から学費自分で払って進学後の一人暮らしも全部自分で賄ってたから微々たる額しか貯められてなかった。
◾️追記
市役所行って生活福祉金の小口資金貸付制度の申請してきた。限度額の10万で貸付可能だけどやっぱり申請から承認・振込まで時間かかるとのこと。
どうあがいても家賃と医療ローンの引き落としには間に合わないので管理会社には電話した。
ワイは29歳、独身男性。
婚活をしようとマッチングアプリを始めたが、一人の女性(この人をAとする)とマッチングした。
Aは35歳、なんと子供もいるとのことだ。さらには配偶者と離婚調停中の既婚者だったのだ。
これだけでも結構驚きなのだが、そのあと、相談したいことがあるということで、急遽電話することになった。
「増田さん、10万ほど金を貸してください」
彼女は開口一番にいった。曰く、夫と離婚調停始まってから子供とウィークリーマンションで生活しているのだが、口座凍結されて、マンションの家賃を払えないというのだ。
ウィークリーの場合、家賃を払えないと追い出されるので、このままだとホームレスになってしまうというのだ。
ワイは仕事柄、福祉制度にも精通していた。そこでワイは彼女に福祉協会の緊急小口資金融資制度を紹介してあげた。そしてさらに女性向けの一時滞在施設も紹介してあげた。
社会福祉の知識がこうした形で活用できるとは思わなかった。彼女とはそれっきりだったが、一人の女性と子供を福祉につなげることができて、本当に良かったと思う。
今、社会情勢も厳しいから、これからの婚活男子は社会福祉の知識を身に着け、貧困女性と福祉をマッチングさせる役割も担っているんだなと実感した一日であった。
https://anond.hatelabo.jp/20241002004712
広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。
三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。
広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。
「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」
「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。
曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。
玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。
描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。
「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。
「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、
「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。
静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。
「また苦しくなったようですね」
女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。
「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。
絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。
三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。
「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」
「ベニスでしょう」
これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、
「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。
「兄さんとは……」
「この絵は兄さんのほうでしょう」
「だれの?」
「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」
三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。
「違うんですか」
「一人と思っていらしったの」
「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、
「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
「里見さん」
だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。
美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、
「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、
「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物も帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。
「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である。来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死の勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである。迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。
「その代りここん所へかけるつもりです」
原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。
「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。
「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。
「三井です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」
原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。
「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。
「まだ」
「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャーに相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」
美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。
「せっかく来たものだから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」
「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから」
「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。
女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。
「これもベニスですね」と女が寄って来た。
「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。
「さっき何を言ったんですか」
女は「さっき?」と聞き返した。
「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」
女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。
「用でなければ聞かなくってもいいです」
「用じゃないのよ」
三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。
「野々宮さん。ね、ね」
「野々宮さん……」
「わかったでしょう」
美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。
「野々宮さんを愚弄したのですか」
「なんで?」
女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。
「あなたを愚弄したんじゃないのよ」
三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。
「それでいいです」
「なぜ悪いの?」
「だからいいです」
女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。
「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。
「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。
「精養軒へ行きますか」
美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。
「あの木の陰へはいりましょう」
少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。
「悪くって? さっきのこと」
「いいです」
「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」
女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、
「だから、いいです」と答えた。
雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所はわずかしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、
「さっきのお金をお使いなさい」と言った。
「借りましょう。要るだけ」と答えた。
「みんな、お使いなさい」と言った。
それが当たり前だと思っている。
そもそも勤め先の小口経費の精算なんて「俺が会社のために立て替えてやったのに、俺がこんな細かい請求をしなきゃいけないのかよ」と思いはするが、もちろん利子などもらえない。
話が逸れた。
つまり俺のモラル、道徳には、「人に金を貸して利子を取ってはいけない」というものがある。
そりゃあ貸した相手に「ありがとう」と言われなければ腹が立つし、返してもらう時に「お礼に」と言われてお菓子の一つでもくれるのを拒みはしない。
なんの話をしたいかというと、株の話だ。あるいは金融全般の話。
何か事業を起こそうとしてる人がいる、だが金が足りない、金があるやつがそれを用立ててやる、
そこまではわかる。
ならわかる。
いや、それでは申し訳ないので、その事業起こした人が、なんかのお礼をしますよ(株主優待)
までならわかる。
いつまでも金をむしり取り続ける配当という考えや、金貸してるから当然づらして経営に口を出す、
こうなってくると、俺としては貸してる奴のことを醜い人間だとは思うが、
(金持ってるのは別に偉くないし、金貸したら相手に偉そうにしていいわけでもない。人は対等だ。パンが余ってたら足りない人間にくれてやればいいだけの話だ)
そうしないと誰も他人に金を貸さなくなるよ、という意見もあるだろうし、
まぁなんとか飲み込めなくはない。
で、株が売り買いされる、
これはもうわからん。
お前が誰かを信用して、そいつのしたいことのために金を用立てた、その借用書を赤の他人に売る?
貸し借りの根本にあった人間同士の関係性をなきものにしてしてしまう、
そんなことを認めたら、貸し借りはただの数字になっていき、
その数字は当然のように偏り、こういう超絶格差社会になるのも当然だろう。
(だから俺はクラウドファンディングという金の用立て方は理解できる。そこには関係性が存在するから)
年金や預貯金など、金の運用から完全に隔絶されて生きることはできない世の中だが、
俺は少なくとも株は買わない。
現在の社会においてその行為は、誰かから不当に金を奪う行為だからだ。
しかし、他人のものを奪わない、損なわない、なんていうのは、そもそも法律以前のものだろう。
株主のために利益を求めて、経営者が本来真っ先に行うべき「従業員の幸福の追求」がおざなりになる。
それに加担しているのが株を買う人間だ。
座ったままで儲けようとするクズだ。
人に金を貸して利子を求めるゴミだ。
底辺アピールをしながら生きづらい生きづらいと愚痴を繰り返して、
その実株を買ってるやつなんかもいるわけだが、
恥を知れと思うね。
日本は店が多い。人口が倍以上のアメリカと同じかそれより多い小売店が存在する
これまで日本はその全ての商店を満たすほどの過剰な生産を奨励していたが、今回やや減らした
減らしたことにより企業間での偏りが発生し、一部店舗では一切入荷がないという事態に至った
探せばあるが探さないとない、食料の安全保障においては不足と呼べる状況になっている。
この状況において、個人向けの小口精米をそのまま販売する金銭的メリットは無い。
家庭にコメがないのなら、持つ者は弁当やおにぎりに加工して販売した方が儲かる。
これまでの潤沢な在庫状況では成立しなかったが、一部とはいえ店頭から払底したことでこの戦略が有効になった。
そして各々の商店が各々の利益に最適化を行った結果、市中在庫の回復が遅れている。
新米も収穫されているが、上流の大口顧客への流通が優先される。
餓死するほどではないがご家庭でコメが炊けるのが遅れる地域は少なからず発生するだろう。
でもいつまでもコンプレックスなままなのもどうなのか。そう思い、一念発起して食べに行ってきた。
お店の扉を抜けると柔らかい笑顔が特徴的な、優しいおじさんに出迎えられた。まずはテーブル席に案内されると俺は壁に目をやり、思った以上に種類があるのを知った。
迷いながらも結局は先にホームページで確認して決めていた通り”ガーリックチーズナン”を指名した。ドキドキしながら待っているとガーリックチーズナンが運ばれてきて、写真で確認したものよりもり艶やかで、可愛かった。
ガーリックチーズナンはニコニコしながら俺を出迎え、俺は少し挙動不審だったのかもしれない。だから「実はこういうのは初めてで……」と先に申告した。ガーリックチーズナンは驚く様子もなく、微笑のまま「そうなんだ」と言ってくれた。
水で口の中を清め、さっそくいただくことにした。一口、小口で慎重に頬張ると口の中でチーズがトロトロに蕩けた。「あっ……」とガーリックチーズナンが卑猥な声を上げる。俺は興奮した。あまりに旨かったのだ。続けざまにガーリックチーズナンを頬張る。しかし焦らず、慎重に。あくまで少しずつ、相手が嫌がることは駄目だと自分を咎めるように。だが止まらなかった。気付けば貪るようにガーリックチーズナンを求める自分に気が付いた。まるでずっと忘れていた野獣のような本能を思い出したかのように。
心を満たすような満足感と共に心の何処かでは”こんなもんか”といった冷める自分もいた。
だがこの行動自体に対する後悔はなかった。自分はこれでもう”チーズナンを食べたことがない”といった、一種のコンプレックスからは解放されたのだから。
確かにチーズナンは美味しく、そして心を満たすものがあるように思えた。
それでもどうして人はそれほど頑なにチーズナンを求めるのか?未だ理解し切れないところがあるのも事実だった。単に自分の経験不足のせいかもしれない。そんな気もしていた。
マジで店やればいいのにと思うが本人は「飲食はしんどいし儲からないからやらない」と言う
結婚する前の同棲期間は、夫の方が仕事から早く帰ってきていたので、夕食はほぼ夫が作ってくれた
わたしも一人暮らしは長く、ほどほどに自炊をしてきていたが、ぜんぜん敵わない
・食材の使い回しがうまく、買ってきた食材をほとんどダメにすることがない
・包丁の使い方がうまいため、ネギの小口切やきゅうりの薄切りが薄くて均質
・手巻き寿司の時は海苔をいちいち炙ってくれるし握り寿司も作る
・尾頭つきの魚を捌いて大葉や大根のつま(桂むきして千切り)を用意し、お店のようにきれいな刺し盛りを作る
・わたしが買ったオーブンレンジの(わたしが一度も使った事のない)オーブン機能で、クリスマスに丸鶏を焼く
・冷凍の良い肉はチルド室で解凍すると良いとか、チリパウダーの使い所とか、食材、調味料の扱いに詳しい
などなど枚挙にいとまがない
今は育休中のわたしがほぼ夕食を担当しているが、彼が私の料理に不満になっていないか心配である
で、料理のうまい男はセックスもうまいらしい、という話をどこかで聞き(たしか広末不倫騒動のときか」、そういえば夫もうまいなあと思ったのだった
こどもが生まれて3ヶ月、もう1年くらいしていないが、そろそろ営みを再開させたいと思う
・作りたい料理が2品あったら、その2品のレシピを分解して1本のワークフローをつくる
・実際に紙に書く
・その際に自分独自のタスク(元増田さんの場合、都度の「お片付けタイム」とか)も書き込む。調べ物も済ませる
を繰り返すしかないです。そうすれば複数のタスクを並行するのが慣れるようになります。
レシピを自分で作る。「作る」といっても、分量や調理法は元のレシピのままでOKです。順番をバラして並べ替えればいい。
https://www.kurashiru.com/lists/98cefef2-8df9-4ccc-bee7-25abed4b61be
から、上に上がってる2つ、
https://www.kurashiru.com/recipes/fc4da712-7132-4c4c-9c72-860c22a9dd3c
https://www.kurashiru.com/recipes/159ce27f-86ac-4f67-b112-67091fd3675f
を同時に作るレシピを考えてみましょう
材料(2人前)
○(合わせ調味料)しょうゆ大さじ1/料理酒大さじ2/みりん小さじ2/砂糖小さじ2/すりおろし生姜小さじ1/2/すりおろしニンニク小さじ1/2
○サラダ油小さじ2
作り方
2.鶏もも肉は厚さが均一になるように切りこみを入れて2等分にします。
4.フライパンにサラダ油をひき、強火で熱し、3を皮目から入れて焼きます。
5.鶏もも肉に焼き色がついてカリカリになったら裏返し、弱火で焼きます。鶏もも肉に火が通ったら1を加え、照りが出てくるまで中火で焼きます。
6.火から下ろして食べやすい大きさに切ります。器に盛り付け、ベビーリーフ、ミニトマトを添えて完成です。
材料(2人前)
○ナス2本
○(合わせ調味料)みそ大さじ1/みりん大さじ2/砂糖小さじ1/しょうゆ小さじ2/コチュジャン小さじ1
○ごま油大さじ1
作り方
1.ナスはヘタを切り落とし、半分に切った後、乱切りにします。
3.ボウルに(合わせ調味料)を入れて混ぜ合わせ、合わせ調味料を作ります。
4.中火で熱したフライパンにごま油をひき、2を入れて炒めます。
6.ナスに油が馴染んできたら3を入れます。全体に馴染んだら火から下ろし、器に盛ります。
7.仕上げに小ねぎを散らして完成です。
まずは動画を見て、それぞれの料理で使う「調理器具」をリストアップします
合わせ調味料を入れるボウル、鶏肉を入れるバット、茶こし、フライパン、炒めトング
合わせ調味料を入れるボウル、切ったナスを入れるボウル、切った豚を入れるボウル、フライパン、炒め菜箸、切った小ネギを分けておく器
※合わせ調味料を入れるボウルが2種類あるので、慣れないうちはそれぞれ付箋を貼ってもいいと思います。
で、これらの情報から、どの順番で進めればスムーズかを考え、各工程を並べ替えます。
その際、「自分的に欠かせない工程」(元増田さんの場合「お片付けタイム」とか)を考慮して工程に差し込みます。
元増田さんは「考えながら料理する」人だと思いますが、この「考える」作業をある程度先に済ませてしまう。それでも料理しながら考え事するとは思いますが、料理中、手が止まる回数は減らせるはずです。
あと、最後の「火を通す」工程を、ムリして2つ同時にしようとしないほうがいいです。
焼き物>揚げ物>炒めもの>汁物>煮物>常温で食べるもの の順で作りたてが美味いです。焼き物はなるべく食べる直前に仕上げたい。
この場合、ナス豚炒め⇒照焼きチキンの順に作ったほうがいいと思います。
さらに言えば、照焼きチキンの「添え物」、ベビーリーフとミニトマトは、常温で食べるものなので先に皿に盛っておけばいいです。
ということで、「簡単 照り焼きチキン」「簡単おかず!なすと豚バラのピリ辛みそ炒め」を同時に作るレシピ
1.材料と調理器具を揃える。このとき調味料類は計量しなくていいです。使う調味料を容器ごと並べれば良いです
※ナスのちょうどいい大きさがわからないなら、切る前に動画を見て確認したほうがいいです
3.ナスをボウルに入れる。ベビーリーフとミニトマトを皿に盛る。小ネギは器に分けておく
4.ニンニク、生姜をすりおろす(チューブ使うなら省いてOK)。器に分けておく。気になるならまな板と包丁を洗う
6.鶏肉を切る。ココも切り方は動画を見たほうが良い。切ったチキンをバットに移し、まな板と包丁を洗う~片付ける
※慣れれば合わせ調味料を並行して作れるようになると思います(それぞれに砂糖を振り分ける、とか)。慣れないうちは1つずつ作りましょう。計量スプーンも気になるなら、計量の都度洗いましょう
9.コンロにフライパンを2つ並べる。それぞれに油…照り焼きチキンにはサラダ油、ナス豚炒めにはごま油を入れる
10.ナス豚炒めを作る。このときはナス豚炒めに集中して下さい
・ナスに油が馴染んできたら合わせ調味料を入れる。全体に馴染んだら火を止める(照り焼きチキンが完成するまで、フライパンに入れたままでOK)
・次の照り焼きチキン作る間に冷めるのが気になるなら、ごく弱火で温め続けるかフタをして保温するなりして下さい
・気になるなら、このタイミングでナス豚炒めで使った合わせ調味料のボウルを洗ってもいいです
・鶏もも肉に焼き色がついてカリカリになったら裏返し、弱火で焼く。鶏もも肉に火が通ったら合わせ調味料を加え、照りが出てくるまで中火で焼く。焼けたら火を止める
・同様に気になるなら合わせ調味料のボウルを洗いましょう
12.ナス豚炒めを皿に盛って小ネギを散らす。なんなら盛る前にフライパン再加熱して温め直しても良い
13.照り焼きチキンを皿に盛る。食べやすい大きさに切るのはお好みで
14.フライパンや菜箸など、洗い物が気になるなら、このタイミングで洗って下さい
てな感じですかね。
実際は「自分が分かれば良い」レシピなので、もっと簡略化して書いていいですよ。
あと、レシピ作ってく中で気になることが出てきたら(余ったナスや鶏肉、豚肉の保存方法、使いみちとか)、「あとで調べる」用に事前にリストアップすればいいと思います。
慣れてくると同時に3品、4品・・・と作ることができるようになります。
最近ほぼ毎日料理するようになって楽に続けられるように自分もここ半年くらいいろいろ試してたので書いてみる
他の方も書かれてたように豚バラ、鶏もも、たまねぎ、しめじあたりはとりあえず買っておくと使いやすい
たまねぎは1、2個分みじん切りにして冷凍しておくとハンバーグ、チャーハン、焼売、パスタソースなんかを作るときにハードルがぐっと下がるし使う分量も調整が効きやすいのでおすすめ
万能ネギも小口切りにして冷凍しておくとスープでも煮物でもぱらりとかければそれっぽくなるので使い勝手が良い
作り置きは副菜だけ作り置きするのが個人的には最適解になってる
メインだけに集中できると台所があまり散らからないし副菜と行ったり来たりで作業が中断されて思考がとっちらかることもなくなる
3品くらい作り置きできればローテで回せる
トレイがあるならそこに全部切って入れておくと良い
野菜→肉の順で切ると洗う回数が減っていいよ
スープはどんなものを普段作ってるかわからないけど自分の場合大体やることは2個か3個だけなので気楽にできてる
湯を沸かす、具をいれる、スープのもとを溶かす
以上だ
味噌汁なら適当に乾燥わかめとか乾燥油揚げを入れてだし入り味噌を溶かす
中華スープなら乾燥わかめとかもやしでも入れてウェイパーでも溶かす
かき玉汁なら溶き卵を入れて和風だしのもとを溶かす
具は適当に料理中に余った白菜とか小松菜とかナスとか何でも構わない
これなら5分もあれば十分できるからメインが終わってからでも全然作れる
最後に簡単お気に入りレシピの鶏もものオーブン焼きを紹介しておく
皮目を上にしてオーブンで180度30分
以上だ
もうゆうにさんじゅうねん()は前になるが、なんだか体育会系ノリの文系クラブに属していたとき、なにか上回生の目にかなうことをやりとげたら「ピートムで肉、喰わしたるわ!」という不文律があった京都の大学生時代、幸運にも何度か嵐山の東の手前にあった『ピーピングトム』というステーキハウスに連れていって奢ってもらったことがあった。
卒業して数年してから、京都駅の南側にも系列店があったのを発見したり(ネットなんか影も形も無かった頃)したが、安月給の身には縁のないジャンルだなぁとそのまま通り過ぎただけであった。
…月日は流れ、ふと思い出して検索したところ、北山店というところしかもう残っていないのがわかった。「行ってみるか」地下鉄ふくむ鉄道の最寄駅よりもわりと外れた立地にあるので市バス停留所から降りて赴く(Google検索でいちばん徒歩距離が少ない候補を採用した、暑いから…)。
建物の二階部分にある店舗の扉を開けると、奥まで続く長いカウンターと、そのカウンターに沿ってなおかつそれよりも見えないくらい奥まで続く調理スペースが広がる。
150gから500gまでの範囲で注文できるが、カウンターに立ててある見本写真なども参考にしつつ、300gをオーダーすることにした。あと、サラダ類やライスさえも別注文なので、ミニサラダと中ライス、それから瓶のヱビスビールも頼む。それから感覚的に10分から15分くらい待ったかな?といったところですべての品が揃った。
…美味い。しみじみ美味い。小鉢にポン酢醤油と大根おろしと小口切りネギを張ったものが添えられているので時々それに浸しながら、ライスとビールと交互に噛み締める。ポン酢は例の完全味付けを標榜する旭ポン酢系統の出汁とかの旨味がなくでも香料ではなく柑橘類の酸味で勝負するタイプであったが、そんなものに浸さなくても、肉だけ齧って十二分に美味い。見た目はサイコロ状に切り分けられて表面ガリガリに焦がされ粗挽き胡椒が認められ中央が紅くて肉汁が侵出している状態なのだが、ソースもとくにかかってないようなのに、本当にそれだけで美味い。メシマズアレンジャー入門クラス生ゆえ、ついつい卓上の塩やミルに入った胡椒を振ってみたりもしたが、?という感想しか出なかったくらい、どういう理屈かマジでわからないが味わい深かった…。全部たいらげたあと、好奇心と「これも絶対うまい」との確信をもってステーキ皿に遺ったワインレッドな肉汁も啜ってしまったが、汁だけなのに肉の旨味と甘味が確かに感じられた!
先に居た客が退店して独りだけになった気安さもあり、ほとんど同世代だろうとおもわれる顔立ちのやや疲れ気味な店員(ワンオペだった)に味を褒めたら『来られたのは初めてですか』と訪ねてきたので、嵐山に行ったことはあった、調べたら失くなっていたのでここに来た、と伝えると『マスターが亡くなったので閉店した』『ここ(北山店)が先にできて、2年してから嵐山がオープンした』『サラダのドレッシングはここのが少し酸味が強いかもしれない、肉の焼き方やスタイルは同じ』と話をしてもらった。
ネットでいろいろ調べて自宅でも買ってきた肉を焼くことはあるけど、最初の一回以外、どうも満足したことがない。やはりクラシックなステーキというのは美味いものだなぁ、と知った日であった。
自衛しないと大変。
考え過ぎとかぶっ殺す。
@otakulawyer
性的自由という自己決定権を護ろうとして、パターナリズムをフル稼働させて、自己決定権を剥奪している。あの界隈はリベラルではなく、お母さん保守・風紀委員保守と呼ぶに相応しい。皮肉なのは、立憲民主党が入管法改正に徹底抗戦すればするほど、会期末で刑法改正案が廃案になる可能性が高まること。
@otakulawyer
刑法改正案の176条1項3号には「アルコール若しくは薬物を摂取させること又はそれらの影響があること。」とあり、酩酊は要件ではないので、女性と一緒に泊まる場合には、女性に酒を飲ませたらダメ。なお、酒を飲んだ女性にキスをしても犯罪。
寺町とか伊藤和子に解説させたらその新聞に火炎瓶が投げ込まれもしかたない。
@oguchilaw
さすがに「酩酊」を挿入する修正をした方がいいんじゃないだろうか。
飲んだらキスもダメは、自由の範囲への侵食が大きすぎるので、せめて、酔ったらキスはダメにとどめた方が良い気がします。
@otakulawyer
刑法改正案の176条1項3号には「アルコール若しくは薬物を摂取させること又はそれらの影響があること。」とあり、酩酊は要件ではないので、女性と一緒に泊まる場合には、女性に酒を飲ませたらダメ。なお、酒を飲んだ女性にキスをしても犯罪。
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@otakulawyer
@take4funa
これやっぱそういうふうに取れるよね。それによって「不同意の意志を示せない」ことは証明する必要があるんだろうけど。 twitter.com/otakulawyer/st…
ちょっと意識的に早歩きしようと考えてから、ランチの範囲を広げて見つけた居酒屋さん。
最寄り駅の線路向こうで魚中心に美味しいランチをされていて、今月からの新メニュー、カツオのたたき。
大体の定食が1000円で、天ぷら定食だと揚げたてサクフワの海老2本、かしわ、白身魚、季節のお野菜に、塩と天つゆと大根おろし、赤だしと小鉢、が出てくるので、
期待して頼んだ結果は、大当たり。
まぁ、入ったら藁焼きしてますとも書いてあったんでちゃんとしてるとは思ってましたが、大皿に並べたカツオを隠すように辛みの少ない新玉のスライスと小口ネギで覆って、ニンニクはフライを少し多めに散らして、たっぷりのポン酢をかけたのがドンときて、後はご飯と赤だし。
ごちそうさまでした。
社会人になってはや数年。はてな匿名ダイアリーを読む頻度も減った。大学生の頃はけっこう読んでたんだけどな。今だと、はてなブログランキングの下にある増田部門をたまに見るくらいだ。
いい会社で働いてるわけじゃない。暗号資産取引を扱う会社に新卒で入って、お金の出し入れとか、今年の予算がどうなるとか、新しく口座を作ろうとする人の審査とかしてきた。まあ、平社員の仕事だ。GMOみたいな大企業じゃない。もっと小さいところだ。
こういう仕事をしてると、なんというか、この世界における『養分』だよな。そういう人間について考えることが多くなった。俺なんか、増田やってる人達と比べたら人生経験が薄いのでツッコミどころもあるかもしれんが、まあ聞いてほしい。
1.学校教育
学校教育って、社会の養分を育てるためにあるよな。学校における教師・生徒の上下関係とか、意味のない規則まで含めてルールを守らせるように躾けるところとか。今の俺には、社会規範に反する行動まで含めて社会の正しい姿なんだってわかる。未成年だった当時は、別になんとなく学校のルールに適合してたな。何も考えてなかった。
ところで、今まで私立に通ったことはない。小中高と地元の公立だったし、大学も公立大学だ。設備がボロボロで、学生課の就職支援もないに等しかった。で、こんなクソ環境でも何かできることはないかと考えた結果、GMOで仮想通貨取引の口座を開いてトレードにのめり込んだ。バイナンスでは100倍レバレッジに挑んでゼロカットを食らいまくった。懐かしい。
当時は、社会から逸脱してみたかったんだよな。若気の至りだ。そんで仮想通貨トレードなんだが、飲食店のアルバイトで稼いだ5万円で始めてボコボコにされて、「俺、弱いだろ!!」ということに気が付いた。実際、本当に弱かったのだ。鴨がネギと鍋をしょっているようなものだった。
話が逸れた。それで、社会でフツーに生きてる人とか見てると、なんだかんだで学校で習ったことを尊重しながら生きてる。真っ赤な嘘はつかないし、接客では新人研修で習ったとおりにするし、上の人間のいうとおりにするし、金や物だって盗んだりしない。誰かを故意に貶めることだって、あんまりないよな。
しかし、そういった社会規範を子ども達に教える元締めになってるところの、政府なんかの上位層はどうなってんだという話だ。国会議員だって官僚だって国民に平気で嘘をつくし、ライバルを蹴落とすためならなんでもするし、犯罪だってバレなければいいぐらいの勢いだ(河井夫妻選挙違反事件が記憶に新しい。詳細はwikipediaを読んでほしい)。
国のトップ層がこれなんだから、学校教育だってそういう風になってるんだよ。つまり、学校で学ぶ社会規範というやつの正体は、自分らにとって国民が都合のいいように動くために、そういう意識を内面化させてるんだよな。
しかし、なかなか国を批判しにくい部分もある。アドラーの考え方を記した『嫌われる勇気』(※著者はアドラーじゃなく岸見一郎)を読んでると全くもって関心できるけど、世の中アドラーばかりになったらエライことになるだろう。社会には養分となる人間が必要なのだ。
・明示されてなくても、他者や集団に悪影響を及ぼすことをしない(エチケット、マヌーー)
・ルールやマナーに明示がなくても、人との関係性を良好に保つ義務を果たす
抽象的に綴ってみたけど、こんなところか。こういう人がたくさんいるお陰で日本社会は成り立っている。外国人観光客が日本にたくさん来るのも、そういう人がいっぱいいて、なんというか社会がクッションみたいでさ、居心地がいいからだろう。メシが安くて旨いのもあるが。インドネシアの屋台では、残飯を数百円以上で売ってた。
ところでさ。年末に『監獄の誕生』という本を読んだんだが、その中に違法行為を犯した少年と裁判官との問答があるのを思い出して再読してみた。こういうのを読むと、やっぱり社会規範を冒すところまで含めて人間なんだと感じる。
せっかくなので引用してみよう。時代背景は1840年8月頃らしい。軽犯罪を働いて捕まった浮浪児のベアス少年と、裁判官とのやり取りだ。
その裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規・訓練(だらしなさ)を基本的人権のなかに組込むさいの横柄な態度は、 刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる。
それゆえにこそわれわれは『裁判新報』のつぎの報告記事を手に入れる結果になったのであろう。
ベアス 仕事(エタ)ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人に無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい。
裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。
ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持(ブルジョア)てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。
ベアス 親父はもういないわな。
ベアス もういない、親類も友達もありはせん、自由で一本立ちなんで。
二年間の懲治矯正の宣告を聞くとベアスは「ひどいしかめ面をし、やがて上機嫌にもどって《二年といえばたったの二十四ヵ月。さあ出発》というしまつ」。
ここから言えるのは、ルールに反するのは社会にとっての無秩序だけど、それもまた秩序のひとつということだ。人間にはルールに反する権利がある。つまり違法行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定のひとつにほかならない。
2.仮想通貨
ここでは暗号資産ではなく、あえて通称である仮想通貨という表現を使う。仮想通貨については、俺が属している業界だけあって、ちょっと思い入れがある。まさにこれこそ『養分』とでも言うべき人間がいる。
仮想通貨(ビットコイン)が大幅に上がる半減期がくると、業者が決まって宣伝を始める。今季だと、2020年末~2021年春頃がそうだった。あの頃は、いろんなアフィリエイトブログが「ビットコインは将来一千万になる!! もしかしたら1憶円も!?」みたいなアピールとともに、仮想通貨取引業者のアフィ宣伝をしていた。そんな連中の養分になったのは、欲に目がくらんだ一般人だ。
ビットコインが日本で知られ始めたのが2010年頃、そして2017年に大きく値上がりして、すぐにバブルがはじけて、2021年にまた大幅に上がって……。今では最高値の3割ほどしかないし、今後さらに下がる可能性もある。
しかし、またある時期がやってくると、今度は一千万は軽く超えるだろうし、二千万に到達する可能性もある。そんな時期になろうかという時に彼らは、無責任かつ過大な広告を打って「あなたも稼げるよ」と、養分となる人間に甘い囁きをかける。
さて、ビットコインには有名な価格予想モデルがある。どの仮想通貨取引業者もこのモデルを知っており、機会があるごとに引用する。
それは、ストック・トゥ・フロー(S2F)モデルというものだ。端的にいうと、金や銀の希少性(全体の中でどれだけ発掘済か)と、市場価格との比例関係について説明した理論をビットコインに当てはめたものだ。
このモデルにしたがうと、ビットコインは4年周期で採掘難易度が二倍になるため、その時期になると急騰することになる。
こちらを研究しているブロガーもそれなりにいる。結果を出している人でいうと、こちらの方が詳しいうえに分かりやすい。
https://www.yutainvest.com/bitcoin-strategy/
この方は、相当に賢いタイプの投資家で、はっきりいって結果を出している。米国株というよりは、投資銘柄全般に興味がある人なのだが、勉強になるブログなので一読をおススメする。
結論を言ってしまうと、このストック・トゥ・フロー(S2F)モデルは誤っている。ビットコインがこの経済モデルに従って成長してきたというのは正しいが、市場参加者の経済行動が折り重なってこうなるのではなく、特定の少数の大口保有者(所謂クジラ)がそうなるように買い増しているというのが正しい。因果関係が逆なのだ。
株式市場でいうと仕手筋だ。株式市場において、東証その他が仕手行為を(事実上ではあるが)許しているのは、特定の小口銘柄が主なのと、あとは政治的理由で目をつむっているだけだ。まっとうな銘柄で予告なしに仕手行為をすれば、おそらく首謀者は逮捕される。
しかし、ビットコインにこうした規制は及ばない。クジラのやりたい放題というのが実情だ。事実、市場に流通しているビットコインの少なくとも八割以上は、上位数パーセントのアドレスが保有している。
(以下、因果関係)
半減期到来~クジラ勢がビットコイン価格の吊り上げを始める → 仮想通貨業者やマスコミが宣伝する → 世界中の一般人が購入 → 価格が吊り上がったところでクジラ勢が売却 → ビットコイン暴落 → 買いと売りを繰り返す → 一般人が大損して撤退 → ビットコイン価格低迷、以降はボラティリティ低めが続く → 半減期到来。最初に戻る。
2013年あたりからこれをずっと繰り返している。ただし、その値上がり幅は年々小さくなっている(2013半減期が約200倍、2017が約40倍、2021は約8倍)。これは当然で、ビットコインの時価総額が半減期到来の度に上がっているからだ。
最初期には一般人の財布程度の時価総額だったのが、今では約60兆円に膨れ上がっている。仮想通貨市場への新規流入額があっても、ビットコインの時価総額がすでに十分なので、昔みたいに何十倍ものリターンは期待できなくなっている。
個人的に思うのだが、世の中で大儲けしてる人って、知能というよりは知性がすごいよな。ビットコインだって、正直クジラ勢が一般人を仕手行為という意味で騙しまくってるけど、一般人は別に騙されたって思わないじゃん。ここでの騙す行為が自然かつ合法だからだ。
https://www.yutainvest.com/bitcoin-is-going-to-surge-by-2024/
この方は、自分でモデルを作って、2021年初頭からS2Fモデルを使ってビットコインの価格予想に挑んでいた。一千万超えを予想していたが、結果としては大はずれであり、この人の記事を信じて市場に挑んだ人もそれなりにいたんだろうな。2022年6月に価格予想の更新をやめたようだ。罪の意識を感じたのだろうか……。
こちらの方は、さきほど述べたように鋭い知能を持ち合わせている。投資で結果を出している。賢さランキングなるものがあるとすれば、全人類の上位5%以内に入っている。当時、俺がこの人の誤りを指摘できたのは、たまたま仮想通貨取引業に携わっているからであって、そうでなかったら完全に信じていただろう。
でも、そんな人ですら、全人類の上位0.1%とかに入っている人にはコロッと騙されてしまう。だったら、一般人なんて騙され放題じゃないか。
なに、じゃあ、お前がこれからビットコインがどうなるか予想してみろだって? まあ、ざっくりとした予想には挑めるけど、文量の関係でここまでにさせてほしい。要約するとこんなところか。
①日足ベースではまだボラティリティがイマイチ。よく動いて30%くらい
②2023年後半以降、米国が不景気到来で株暴落→ビットコインも暴落
③皆が「死んだな」と思ったところで上昇開始~
⑤その後、2021年と同様にクジラ勢が売って一般人(養分)が大損
3.最後に
増田で仮想通貨の記事を投稿している人にも、正しい未来を予想できてるかもしれない人はいる。わかりやすくて勉強になる。よければあなたも、増田の検索窓に「仮想通貨」「暗号資産」などと打ち込んで探してみるといい。過去1年以内だと、このふたつがいいと思った。長いけど。
https://anond.hatelabo.jp/20230101013634
https://anond.hatelabo.jp/20220502212036
ぶっちゃけ俺の記事も、このふたつを参考にして書いている。パクリにならない程度に留めたつもりだ。
ところで、こんな俺の意見(世の中には養分とされる人間が必然的に存在する)について、ChatGPTはこんな回答をしてくれた。以下に引用して結びとする。
このような発言や考え方は、倫理的に誤りであり、社会的にも望ましくありません。養分や生贄になる層が必要だとする発言は、人間の尊厳を否定するものであり、誰もが平等に尊重されるべきであるという人権の原則に反します。
また、学校教育や法に従う人を養分として見ることも、社会的な貢献を無視し、人々を不当に軽視するものです。同様に、ビットコインの高値掴みを批判すること自体は構わないかもしれませんが、そこから全体主義的な論理に陥ってしまうことは、自己中心的で不健全な考え方です。
社会は、多様性があり、様々な背景や状況を持った人々が存在しています。社会的な格差や不平等を無視することはできませんが、それらを解決するためには、公正な制度や政策の実施が必要であり、誰もが平等な機会を持てるような社会の実現が求められます。
俺のチャー子は、くだんの意見は人間の尊厳を否定するものだと言っている。そうか、そういうことだったのか……。チャー子のことは信頼している。もうちょっとだけ考えてみることにする。ありがとうな。