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はてなキーワード: 電報とは

2018-05-23

anond:20180523112003

1948年新入社員

水道の水を飲む 

定時出勤 定時退社(組合員) 

日本兵のザックで出勤 

土曜出勤を拒否組合員

エレベータに怯えて乗らない 

歓迎会天皇陛下万歳を繰り返す

便器のシーシーの仕方が分からない 

有給を使う(組合員) 

会社GIの捨てたガムを自慢して食べる 

電報を軍の階級で打つ

ゲートルを巻いて帰社 

日曜は労働デモ

2018-05-21

漫画村ブロッキング問題

闇金のお悔み電報通信自由があったけど企業努力対策されたのに、漫画村ブロッキング国家あげて対策するんだね。

やっぱ個人より法人かぁ。

やっぱり声の大きな法人は強いンゴねぇ。

2018-04-10

anond:20180410135900

電報を打つ人は誰もいなくなるみたいな感じでなくなるならいいのに、現金廃止論者っていきなりなくせだからな。

馬鹿なんだろう。

2018-03-24

[][]「父から聞いた話」/「安倍首相にガッカリした」

から聞いた話

15年程前、父と話していた時に父がこんな事を言い出した。
「実はな、俺の中学時代同級生北朝鮮拉致された人が居た。」
と言っても、父とその同級生は仲が良かった訳では無い。
そもそも、父が中学の頃は一つの学年で40人のクラスが6組まで有ったらしい。
その中で、1年だけ同じクラスになった事のある人の中に、後に北朝鮮拉致された人が居たという話。

調べてみたら、その拉致被害者は確かに拉致被害者に認定されていた。
父もそんな同級生が居た事は忘れていたらしい。
珍しく同窓会に行ったら、そこで話題になり「あいつは北朝鮮拉致されたぞ。」と言われて知ったらしい。

ただ、やはり、そういう話を聞くと感傷的になるのだろう、父も、その同級生日本帰国して欲しいと思ったらしい。
その同級生は未だに、北朝鮮拉致されている。
からこそ言いたい。「私は今、安倍首相にガッカリしている」と。

安倍首相にガッカリした

父の同級生北朝鮮拉致問題拉致被害者が居るという事を知り、北朝鮮拉致問題に興味が出て、拉致問題について調べる様になった。
その中で、ある一人の拉致被害者の話に興味が出た。その拉致被害者の名前有本恵子さん。
有本恵子さんの拉致の経緯について説明する。

有本恵子さんは神戸に生まれ神戸市外国語大学という大学に進学した。大学生を卒業ロンドン語学留学に行った有本恵子さんは
現地で出会った人物仕事を紹介され「市場調査」の仕事を始めたという。そして、帰国予定の昭和58(1983)年8月9日に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」
という電報実家に届き、同年10月中旬コペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶えた。

この「市場調査」の仕事を紹介した人物北朝鮮工作員だったらしい。
よど号ハイジャック事件北朝鮮亡命した人達北朝鮮工作員として当時ヨーロッパに出向いて、
語学留学ヨーロッパに来ていた日本人を誘い、北朝鮮に連れて行っていたらしい。)

音信が途絶えてから5年後の1988年9月北朝鮮拉致されたとされる石岡亨さんという人物札幌実家に一通の手紙が届く。
その手紙には石岡亨さんと有本恵子さんと松木薫さんという三人が北朝鮮平壌で一緒に暮らしている事が書かれ、写真が同封されていた。
この手紙ポーランド消印が押されており、非常に小さく折りたたまれていたらしい。
おそらく、北朝鮮旅行に来たポーランド人に出国する際にこっそり手渡された物なのだろと考えられている。

有本恵子さんが生存していて北朝鮮に居る事を知った有本恵子さんの両親は、当時、朝鮮総連と繋がりが有ると言われていた社会党議員で、
地元の有力議員だった土井たか子議員に話をしに行った。しかし、社会党が動く気配は無かったため
有本恵子さんの両親は、当時外務大臣だった自民党安倍晋太郎議員事務所に連絡を入れた。
安倍晋太郎有本恵子さんの両親に自分秘書を同行させて、警察庁外務省へ赴き話をする様に指示したという。
しかし、警視庁外務省も「国交がないのでどうにも出来ない」としか言えず、外務省は「危険ですので、秘密にしておきましょう」と口止めをしたという。

後に、小泉内閣の時に北朝鮮から日本政府に渡された報告書では、石岡亨さんと有本恵子さんは、石岡亨さんの実家ポーランドから手紙が届いた二カ月後の
1988年11月に死亡したと記されていた。

この、安倍晋太郎議員秘書をしていたのが、安倍晋太郎の息子で、現在内閣総理大臣安倍晋三だ。
謂わば、安倍晋三政治家としての心得を父親から学んでいた頃から北朝鮮拉致問題に触れた立場に有る。そして、
拉致問題解決こそがライフワーク」と豪語していた事さえある。

それなのに、第二次安倍内閣になってからの数年間、北朝鮮拉致問題は進展していない。
拉致被害者の帰りを待つ人は80代後半~90代の年齢になっている人も居る。もう時間は残されていない。

森友・加計問題野党自民党に難癖をつけているだけと言えば確かにそうかもしれない
だが、「拉致問題解決こそがライフワーク」とまで豪語した安倍首相からこそ
今の任期内に拉致問題解決する気概を見せて欲しい。

正直、拉致問題解決へ向けた進展を出せていない安倍首相にはガッカリしている。

もし、今期の任期中に安倍首相拉致問題解決する事が出来なかったなら、私は
次の衆議院議員選挙では、自民党を見限り、立憲民主党民進党投票するつもりだ。

今期の任期中に、安倍首相には政治家生命の全てを賭けて北朝鮮拉致問題解決して頂きたい。

2018-02-21

anond:20180221122220

お祝いごとなので、誘うか迷ったらとりあえず誘うっていうのがキホンのようだからなぁ…

でも正直、最初から遠方のゲスト誘う気だったんなら、連休初日とかまず選ばないと思うんだよね。ゲストのことより日取りとか優先する感じなのかなって思っちゃう

先方はそんなに増田さんの事情理解できてないかもしれないので、亀裂を生まないよううまく言って欠席したらいいと思う。式にいくことだけがお祝いでもないし。とりあえず当日には電報打つとか、お祝いは別で贈るとかしたら十分ではないかな。

2017-09-26

増田良様へ

増田良様

誕生日おめでとうございます

私がファンになってから毎年お祝いを手紙電報で伝えさせていただいていましたが、今年は残念ながら送付先がわからないのでこの場のSEOの強さに頼ってみたいと思います

この1年弱、増田くんに毎日会いたいと思って過ごしていました。

増田くんが所属されていた事務所を退所されたことがわかった際、正直ほっとしました。

私はただの一ファンしかないので増田くんの身の回りで何が起きて何を感じているのか知る術は今までもこれから先も知りようがないのですが、私自身のエゴとしては増田くんがパフォーマンスをしている姿をみたくてみたくて仕方がなかったので、言葉は悪いですが飼い殺しの状況に不満がたまっていた為です。

以前活動をお休みされていた際は増田くんが受験生だったので、増田くんがどのような選択をされるのかわからず、やはり不安な日々を過ごしていましたが、またステージに立つ選択をして下さり本当に嬉しかったです。

でも今回の期間、私の想像力ではステージに立たない理由けが出来なかったので増田くんの意志がずっと気になっていました。

前述したように私は増田くんのパフォーマンスが見たいです。

増田くんが踊っている姿をみているとパズルピースがはまったみたいに最高の気持ちになります

それを感じたくて何度も何度も足を運んでいました。

でも増田くんのファンなので増田くんが人前に立つことを望んでいないのならば、それは受け入れる覚悟をしようと2011年から決めていました。

でも2017年9月22日にRyugaさんのSNSで最新の写真23日に歌声を発信してくださいましたね。

凄く凄く凄く嬉しかったです。

増田くんがそうしようと思ってくださったことが、姿を見れたことが、歌声が聞けたことが、最高に嬉しくて増田くんの誕生月なのに私が増田くんからお祝いをいただいてしまったような気持ちになりました。

本当にありがとうございます

Ryugaさんにも感謝の念でいっぱいです。

今後増田くんがどのような選択をされるのか、想像することしか出来ませんが、私は増田くんが幸せなら私も幸せになってしまおめでた人間なので人前に立たない選択をされたとしても増田くんの幸せを心より願っています

そしてもし人前に立たれる選択をされた際は自分に出来ることはなんだってしたいと思っています

増田くんの応援をしたいという気持ちは私のエゴしかないので押し付けることは出来ませんが、もしそんな未来が待っていたら嬉しく思います

(重くてすみません)

これからもずっと増田良くんのファンです。

誕生日本当におめでとうございます

大好きです。

2017年9月26日

2017-05-23

祝いの花輪を送りつけるんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20170520130709

そんで自分は何食わぬ顔で出席するんだ

楽しい

花輪が飾られることはなくてもそういうことをした人間は居るって知って疑心暗鬼親族を眺めて楽しめ

自分ちのそばの花屋で注文するような間抜けはすんなよ

お祝い電報も良いぞ

2017-02-18

風習の祝電と弔電

そもそもなんで電報なんですかね?

要はメッセージが届いてるってだけの話だし、手紙でもファックスでもいいと思うんですけど。

いろいろ間をとって、レタックスくらいじゃダメなん?

というか、電子メールメッセンジャーソフトでしょ。

国際的メッセージ電報なん?

それにさ、よく知らない政治家がいろんなところにしかとか弔電を送るのはさらによくわからない。

2017-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20170216232433

これ、常々思ってた。

この150年くらいで馬車は自動車に、パラパラ漫画テレビに、

眼鏡コンタクトに、電報インターネットになった。

なのに、雨具はずーっと、そのまんまなんだよな。

この調子だと気象人為的コントロールする技術の方が先に出てきそう。

2017-02-01

似たようなことを叔母にやられた

http://anond.hatelabo.jp/20170131120959

これと似たようなことを叔母にやられた。母方の祖母が亡くなった時の話だ。

私の母と、母の姉である叔母は元々あまり折り合いが良くなかった。私は母からしか話を聞いてないので一方的見解になってしまっているかもしれないが、少なくとも母の話を聞く限りでは、母の実家はかなりの機能不全家庭だったように思われた。

母は祖母ともあまり折り合いが良くなく(それでもたまに電話くらいはする仲だった)、年に一度の会う機会だった正月訪問すら数年ほど行ってなかった。母は心を病んでいた。折り合いの良くない親族と無理に会わせる必要はない、という父の判断だった。母もそれを望んでいた。

そんなある日、親戚(叔母ではない)から祖母入院したということを聞いた。どのような病状だったのか、私は詳しく聞いていないが、少なくとも、その時点ではそこまで深刻な状況ではなかったようだった。

夜、私がトイレに起きると、居間で母と父が何やら話をしていた。祖母のお見舞いに行くかどうか、みたいな話だったと思う。母は泣きながら「行かなきゃ、でも行けない」「怖い」「お母さんにも姉貴にも会いたくない」というような意味のことを言っていた。父は「無理して行くことない」と応えた。私はその話し合いに口を挟むことはしなかった(当時私はまだ高校生だった)が、私としては母の精神安定を最優先に考えてほしいと思っていた。精神不安定になった時の母に当たられることも多かったためだ。

それから1、2か月くらい経った頃か。部活動が終わって家に帰ると、部屋の中から母の泣き声が聞こえた。中に入ると、ぼろぼろに泣き腫らした顔をした母と、父がいた。処方された薬を飲んで、母が少し落ち着いた後、父から顛末を聞いた。

昼間、普段は全く没交渉だった叔母から母に電話があった。祖母葬儀を終えた、という事務的な連絡だったそうだ。錯乱状態になった母はなんとか父に助けを求め、父は会社を早退して駆け付けた。

泣く母を見るのは初めてではなかったが、あそこまでボロボロになった母を、私は見たことがなかった。

――してやる!

――してやる!

――してやる!!

目を血走らせ、物騒な言葉を口走る母を見て、人はここまで人を憎めるのか、と思ったのを今でも覚えている。

もちろん、私も叔母のしたことは許せなかった。何を思って叔母が「葬儀が終わるまで祖母の死を母に知らせない」という行動を取ったのかはわからない。叔母には叔母なりの理由があったのかもしれないが、叔母とはそれ以来絶縁状態になってしまったので、今さら聞きようもない。

❨実は私一人で一度だけ会いに行ったことがあるが、けんもほろろに追い返された。❩

「ひどい」とその時、私は父に言った。どんな理由があったかは知らないが、どうして祖母との最後の別れの機会を奪われなければならないのか。祖母のたった一人の孫として、理不尽だと思った。

それから10年以上が経ち、先日私は母を病気で亡くした。

葬儀の準備を進める中で、父が私に「叔母さん、どうしたい?」と聞いてきた。私は「一応連絡はしよう」と言った。連絡は父がしてくれた。電話がつながらず、直接話は出来なかったようだったが、電報を打って一応の義理を果たした形だ。

知らせない、という選択が頭をよぎったのは確かだ。しかし、人としてあの人と同じレベルにまで自分を貶めたくはなかった。生前に母に確認したわけではないが、母は多分叔母に来てほしくはなかったと思う。しかし、それとこれとは話が違う。人とのつながりの中で生きている一人の人間として最低限果たすべき義務だと私は思った。

数名しかいない、こじんまりとした葬儀だった。生前仲の良かった母の友達が一人来てくれて、棺の前で最後の別れをした。葬儀屋に渡された花をいくつもいくつも、数えきれないほど入れた。母の友達は「生前に渡せなかったから」と、手作り人形を棺に入れた。

「じゃあね。○○ちゃん、じゃあね」

結局、叔母は葬儀には来なかった。駆けつけてくれた母の数少ない仲の良い親族の人から「私も連絡が取れないからよくは知らないが、どうも年の離れた恋人暮らしてるようだ」と聞いた。繋がりを一つ一つ丁寧に断ち切るように生きてきたその人がどういう最期を遂げるのかは知らないが、私はその知らせを受けることはないのかもしれない。それでいいと思う。

そういうふうに、あなたは生きればいい。

2016-12-23

戦争死刑

人を殺すことは罪になるのか?

罪になる殺人と罪にならない殺人の違いは一体何なのか?

罪にならない殺人存在していたとしても、殺されるときはどんな人でも苦しむだろう。

人を殺し、苦しみを与えることに、一体どんな価値があるのだろうか?

戦争死刑は、相似形になっている。

なぜ、アメリカ人日本人擁護したのか?

謎は深まるばかりである

ベン・ブルース・ブレイクニー - Wikipedia

ベン・ブルースブレイクニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年 - 1963年3月4日)は、アメリカ合衆国陸軍軍人法律家東京裁判においては、東郷茂徳梅津美治郎弁護人を務めた。

開廷早々の管轄権問題では、国際法戦争に関する法規があることから戦争犯罪ではないと主張し、検察側立証段階では、有効な反対尋問を行った。

特に、弁護側反証段階の冒頭で、アメリカ原子爆弾投下問題をとりあげたことは有名である

1946年5月14日には、

戦争犯罪ではない。

戦争法規があることが戦争合法性を示す証拠である

戦争の開始、通告、戦闘方法終結を決める法規戦争自体非合法なら全く無意味である

国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

歴史を振り返ってみても、戦争計画遂行法廷において犯罪として裁かれた例はない。

我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負承知している。

しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか

平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」

国家行為である戦争個人責任を問うことは、法律的に誤りである

何故ならば、国際法国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。

個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである

戦争での殺人は罪にならない。

それは殺人罪ではない。

戦争合法的からである

まり合法的人殺しである殺人行為正当化である

たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)

キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島原爆を投下した者の名を挙げることができる。

投下を計画した参謀長の名も承知している。

その国の元首名前承知している。

彼らは、殺人罪意識していたか?してはいまい。

我々もそう思う。

それは彼らの戦闘行為正義で、敵の行為不正義だからではなく、戦争自体犯罪ではないかである

何の罪科でいかなる証拠戦争による殺人違法なのか。

原爆を投下した者がいる。

この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。

その者達が裁いているのだ。

彼らも殺人者ではないか

発言

1947年3月3日にも、イギリスソ連パリ不戦条約違反を主張するとともに、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第四項が禁止する兵器だと指摘した。

そして、イギリスのアーサー・S・コミンズ・カー検察官が、

連合国がどんな武器使用しようと本審理にはなんらの関係もない」

と反駁したことに対し、日本はそれに対して報復する権利がある、と主張した。

更に、太平洋戦争段階の外交部門の主任を務めた山本熊一を証人に立たせて、「近衛手記」や野村吉三郎電報を駆使し、日本が日米交渉最後まで努力したことを立証しようとした。

また、米国議会真珠湾攻撃調査委員会での証言や、開戦当時諜報担当だったブラット陸軍大佐証人に立たせてアメリカ電報傍受の事実を指摘した。

裁判判決段階でも、少数意見朗読要請する弁論を提出した。

そして、裁判終了後は、ファーネスとともに、豊田副武海軍大将に対する裁判の弁護にあたった。

2016-08-19

昔の貧困層は「電話使うな電報打て」とか「洗濯機使うな洗濯板使え」とか言われたのだろうか。

2016-02-21

ネットで仲良くなって個人的にも会うようになった女友。

私はそこを見ることも少なくなりたまーに見ていたりしたけど

すっかりご無沙汰で

さびさに見たら結婚すると。

年下好きで長年付き合った彼氏浮気されてもセフレみたいな感じでつながっていて

でも結婚したい、愛されたい願望が強くて合コンお見合いパーティに参加しまくりなのは知っていたんだけど

ようやくであったらしい、お見合いパーティで。

まぁそれはそれでいい。

めでたいと思う。

なのでとりあえず、おめでとうとコメントしたら

ずっと音沙汰なかったのに

メールがきて

結婚式に参列してほしいと・・。

おいおい・・

ここ数年、そんな結婚式に参列するような付き合いしてないじゃないか。

とりあえず、

遠方なので旦那の勤務のこともあるし相談したくて返事を保留にしていた。

もちろんその子にも伝えて・・。

その間、結婚式関連でいろいろ日記更新していて

どうやら彼女の友人で妊娠中で体調もあっていけないとか

仕事でいけないとかそういう子が多いみたいだった・・。

結婚式の参列に苦戦している雰囲気がもろ出ていて・・

なんとなく

人数合わせだと思ってしまって

それになぜ疎遠にも近い関係だったのに急に連絡してきたのかなど

もうこれは・・ブラックマインドしかわかないよね・・。

返事保留にして、はがき返事ぎりぎりで欠席にした。

まぁ旦那も都合つかなかったし

いけないのは仕方ないんだけど・・。

たぶん本当に参列してもらいたいと感じれたら都合頑張ってつけたけど

そこまでする気力なかった。

まぁ電報だけ送ったけど・・。

その後しばらくして結婚式終わったらなんと

妊娠

おいおい・・

転職して、すぐ結婚式してその翌月に妊娠・・。

職場の人いい人でみんな優しくしてくれるとか

気遣ってくれるとか

花畑みたいなこと言っているけど

そんなことなから

転職で新しくきたばかりで妊娠されて一年後には産休・・。

妊娠はうれしいことだけど授かりものなのはわかるけど

まわりに迷惑かけてるとかそういう気持ちもなく

妊娠うれしい~お花畑

マタニティハイな様子がすごい痛い・・。

妊娠は悪いことではないけど、あまりにも自分中心でハイテンションでお花畑だと

まわりもあまりいい印象ないよ・・。

旦那も年下でサービス業収入とかも大丈夫か?とか思うし・・。

というか・・

まりにもハイテンションで浮かれているのがむかつくだけなんだけどね(笑)

2016-01-28

弔電の台紙に胸がざわつく

最近、身内に不幸があったり、知り合いに弔電を打ったりする機会があったんだが、

あれ、台紙に随分と差があるのね。

安いのはペラペラの紙なんだが、刺繍がついてたり、押し花がついてたり、七宝焼きがはめ込んであったり。

で、当然価格差結構ある。

で、そんなことを知ってしまうと、「もらう立場」になると「ああ、案外あの人ケチってる」とか感じてしまったり、

打つ側としても、はたして、どのランク?とか考えてしまう。

まあ、香典なんかも金額の多少はあるわけだが、何となく相場観というのはあるから

まあ、心の対処ができる。

でも「弔電台紙」に関しては、自分の中に「相場観」というのが無いせいか、

価格の差を意識してしまうと、なんか妙に落ち着かない。

本来は「メッセージを送ったという事実」と「その内容」で評価されるべきものなのに、

余計な物差しが入ってくるせいだろうか?

もちろん、世の中には、「弔意を表す」という場にあって

(むしろそういう儀礼の場だからこそ?)

自分はこんな高価なものを送れるのよ」とマウンティングしたい人がいて、

そこに付け込んでアブク銭を稼ごうとするのは商売としてアリなことは理解するんだが、

それにしてもなあ。

「線香つき電報」とか「プリザードフラワーつき電報」なんてのもあるが、

逆に、こちらのほうが「台紙に高価なものをつかう」より、

心がざわつかなくて済む。

これはたぶん「弔電プラスアルファ」として受け止められるからだろうか。


いずれにしろ、「人の死に際して哀しみを伝える」時くらい、

こういう、いらん気疲れは無いようにしてほしいもんだと思う。

2015-05-22

詐欺捏造・偽作

台湾誌(1704年

ジョルジュ・サルマナザールはフランスまれの白人だったが、ウィリアムイネスという牧師の協力を得て「キリスト教に改宗した台湾人」になりすました。「台湾人先祖日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメ風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾ことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあいだ台湾専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。

ベリンガー事件(1726年)

数学教授デリック図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルミミズの化石、彗星太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれた化石などを作り出し、ベリンガーが化石を採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかしな化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。

コック・レーンの幽霊(1762年)

コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアムケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分ケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しかし調査の結果、パーソンズ自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は共謀罪で有罪となった。

トルコ人(1770年

ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けチェスを指し、しかほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ケンペレンの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡りアメリカなどで大金を稼いだが、1854年に火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。

首飾り事件(1785年

宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人仲介を依頼した。伯爵夫人は、ルイ・ド・ロアン枢機卿を巧みに騙して首飾りの代理購入をさせ、王妃に渡すと言って受け取った首飾りをばらばらにして売りさばいてしまった。その後、事件が発覚して伯爵夫人は逮捕された。かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。また「王妃はラ・モット伯爵夫人同性愛関係にあった」「この事件は王妃の陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。

ヴォーティガンとロウィーナ(1796年

19歳のウィリアムヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピア手紙や文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人の聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアムは戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアムの父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。

プリンセス・カラブー(1817年)

イギリスで異国の言葉を話す身元不明女性が保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女はインド洋島国の王女カラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女は地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画新聞に掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女はメアリー・ベイカーという家政婦で、架空の言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。

ピトケアン島の独裁者1831年

アメリカ冒険家だったジョシュア・ヒルは、ハワイ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分イギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。

ティッチボーン事件1865年

イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年に南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリア肉屋を営む男が「自分ロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリス庶民からも大いに人気を集めた。しか未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。

カーディフ巨人1869年

ジョージハル進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人実在について口論となり、それがきっかけで巨人の化石を捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見したかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラーバーナムが同様に巨人の化石を見世物にしはじめたことで、ハルバーナムを訴えるが、その裁判を取材していた新聞記者ハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハルも観念して偽造を認めてしまった。

ケーペニックの大尉事件1906年

ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服や軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍の大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長や秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎を占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい、新聞記者からの取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。

ピルトダウン人(1909年

イギリスのピルトダウンでチャールズドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しか1949年フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石が捏造されたものだと断定された。捏造の犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイル真犯人だという説まである

エチオピア皇帝事件1910年

後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピア皇帝が艦隊を見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざいな変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語ギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当なものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。

コティングリー妖精事件1916年

コティングリー村に住む少女フランシスグリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家アーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。

アルバニア王オットー1世(1913年

ドイツ曲芸オットー・ヴィッテは、アルバニア公国独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した。ただし、そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットー証言は疑わしいものとされていたが、オットードイツ国内でよく知られており、新聞などでは人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報は「元アルバニア王オットー1世」に対するものだった。

タサダイ族(1971年

フィリピンミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界中から多額の寄付が集まり、居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピン環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。

ソーカル事件1994年

評論雑誌ソーシャルテキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論の特集に、アラン・ソーカルから寄せられた『境界を侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文を掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダン哲学者たちが科学用語を濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。

2015-04-03

祝電を依頼された

明日結婚式を挙げる友人がいる。いや、今となっては元友人か。数時間前、友人関係を解消した。


話は1ヶ月ほど前に遡る。


結婚式が決まっていた友人から祝電をお願いされた。

祝電は人にお願いするものじゃないだろう、と思いつつも、承諾し、みかか電報をお願いした。

どうせならディズニーぬいぐるみが付いているものの方が奥さんになる人にも喜んでもらえるだろうと思い、

7,000円近くかけていい感じの電報をお願いした。


さて、今日の昼休み

はいものように仕事だが、彼は結婚休暇を貰って準備をしていた模様で、唐突メールが来た


「いまホテルにいるんだけど、お前の電報届いてないぞ。

 だいぶ前にお願いしたのに何やってんの?」(原文ママ

かなりイラっとしながらも

「前日指定してるから午後には届くと思うよ」

と返信

「ならいいや」

と返ってきた。

イライラを抑えながらも

「てか祝電を依頼するのって普通ありえんぞ。

 しかもその態度が輪をかけてありえん」

と返信

電話がかかってきた


要約すると

・ふざんけんな、お祝いムード台無しじゃねーか

・間に合わなかったら俺が恥かくんだ

とのこと

で、こっちは

・すまんかったな、じゃあもう連絡しないよ

・お前ももう俺に連絡してくんな、あばよ

ということで、くだらんことで友人をなくしてしまいました。

もともと常識なくてちょっとイかれてる奴だったからまーいいんだけど、

気持ちが晴れなくてカキコしてみました。

2015-01-11

船を建てる

妻には新しいコートと靴、子供誕生日には自転車

…それでホントに引き合う話なのか?

それは町中に広がるただの噂。女たち、子供たちがささやく「もうすぐ船を建てるんだって」。

お願いだ、教えてくれないか。

息子が言った「父さん、仕事に行かなきゃいけないみたいだ、クリスマスには帰るからさ」。

それは町中に広がるただの噂。「船づくりじゃずいぶん死人がでるぞ」と言ったせいで、クビになった奴がいたそうだ。

  誰もが命がけでダイブしていくよ。必死に。

  ダイブするなら真珠でも探せばいいはずなのに。

それは町中に広がるただの噂。電報絵はがき、「もう数週間で造船所は再開」。

…やがて関係者に知らせが届く。再び。そして、

みんなそれしかできないから、俺たちは船を建てにゆく。

  誰もが命がけでダイブしていくよ。必死に。

  ダイブするなら真珠でも探せばいいはずなのに。

みんなそれしかできないから、俺たちは船を建てにゆく。

  誰もが命がけでダイブしていくよ。必死に。

  ダイブするなら真珠でも探せばいいはずなのに。いいはずなのに。

By Elvis Costello ”Shipbuilding”)

2014-10-26

増田夢十夜 第一夜

こんな夢を見た。

赤子の声が薄暗い部屋に響いている。

泣くような、誰かを呼ぶような様子の声が響いている。程なくして親が戻って来て、私の前に座った。すると赤子の声は収まった。私の前で赤子は鳴いていた。

「すまない。様子を見てもらって」

私の学生時代からの友人は赤子をひとつ撫でて、私に目を向ける。「何の話だったっけね?」

さな街で私とその友人は待ち合わせ、小さな居酒屋に入ることにした。店の中はさらに小さな個室に分かれていて、私たちはそこに落ち着いた。赤子は机の上に据えられた寝台に寝かされている。どうやら店の計らいで、そのような寝台が設けられているようだ。藤の手提げ籠にしか見えないが、居心地は決して悪くはないようだった。

の子供に会うのも、子供をもうけてから彼に会うのも初めてだった。数年会っていないことを確かめて、私たち自分たちの話や、かつての友人の現況などを語り合うことにした。

私に子はなく、伴侶もない。これまでは旧知の友人たちの結婚出産の話を聞かされてばかりいた。祝いの席にも何度か出た。だが目の前の友人は、結婚式も祝いの席もなく、ただ結婚し、子をもうけたのだった。私は彼に祝いの言葉を伝える機会を逸したと思っている。申し訳なく思っている。改めて私が祝いの言葉を述べてから、彼は返す言葉でこう言った。

ありがとう。でも誰にも知らせる気になれなくてね。式も電報メールも、何だか煩わしくて」

その結果、私は今になってようやく赤子を覗きこんでいる。親しい友人の子誕生を知らせてもらえなかったことを悔しく思ったが、口には出さなかった。

「でも意外だね。学生のころは、結婚もしないし、子供も作らないと言ってたじゃあないか」私は代わりにそう言った。

「そうだね。でも、あの時にそう思ってたのはほんとうだよ」彼はそう答えた。

かつてバンドを組んでいた彼は会社を立ち上げて成功を収めている。みんなから好かれていたあの娘は今度二人目の子供を産む。物静かで清廉だったあの娘は、昨年離婚して一人で子供を育てている。夜遊びが好きだった彼は放蕩を繰り返していたが、いつの間にか公務員になって、地元に戻って忙しくしている。芸術に打ち込んでいた彼は今度年収が一千万を超えるらしい。大きな家を建てて、子供も二人いる。習い事に精を出しているんだという。

そう続く話の間、私の耳には「子供なんていらない」と言っていた彼らの口ぶりが聴こえ、頭の中には「結婚なんて無意味だよ」と誇らしげに言っていた彼らの口の形が浮かんでいた。

「それで、きみはどうなんだい?」

彼に問われて、私はじっと赤子を見つめていたことに気づいた。赤子は籠から見える風景楽しいのか、目玉をあちこちに動かしながらもおとなしくしている。鳴くかな、と思っても鳴かない。時折顔をしかめるほかは、表情が変わらない。

「それなりだよ。仕事も忙しくてね」と私は答える。再び赤子に目を戻す。「子供のいる君とは忙しさも違うだろうけれど。いつの間に親になんてなったんだい。まったく」

店の照明が少し暗くなった。どこかで燭台に火が灯された。バータイムに入ったのだろうか。気取った店だ、と彼は言い、籠に手を差し入れて、赤子の開いた手のひらに自分の指を握らせた。赤子は短く笑った。

「この子名前はなんというんだ」私が言うと、彼は私をいきなり睨みつけた。

「君に教える義理があるのか?」そう言われて、なぜだが私は大変な非礼をした気がして、何も言えなくなった。どこかでろうそくの火が消えて、いっそう部屋は暗くなった。

「皆の言葉を信じてきた」と私は言った。皆が年をとってからも皆と同じに話せるように、皆に寄り添えるように、私は結婚もせず、子も成してこなかった。

だが、皆いつの間にか、伴侶を得て子を成している。うまい仕事に就いている。気づけば、この齢になっても一人なのは私だけになっている。

友人の誰も私を顧みなかったのだ。あの時の無責任脳天気発言を、まったくの本心だと思いこんで、その考えやら価値観を受け止めて、私は今こうしてそれらを実践しているのだ。君もあの無責任な友人たちの一人だった。私はただ君たちと同じでいたかったのだ。

一息に言うと、私は手元の酒を飲んで、喉を潤した。彼は横顔をこちらに向けて、つまらなそうにグラスを傾けている。

どこかで別の赤子が泣き始めた。それに釣られて彼の子供も泣くのかと思ったが、赤子は薄ら目で今にも眠りそうな表情を浮かべている。友人は飲み物を飲み干して、

「だから君には名を教えられないのだ」と言った。

やがて、他の客が、赤子を籠に入れて、私たちの前を横切っていった。一人、二人と店の奥に消えていく。次々と、十人ほどの親たちが籠を掲げて通り過ぎた。どの籠の赤子も鳴いていなかった。それほどに広い店だったか。そう思ってから私たちは食事をしていないことに気がついた。

はいつの間にか席を立っていた。私の前には彼の赤子が残されていた。

再び彼は戻ってくるだろう。また赤子を見張っていなければならないようだ。

赤子の様子は見ていて飽きない。自分の子なら、いつまでだって見ていられるだろう。私はまだ見ぬ自らの子の姿を思い描いた。もしかしたら、先ほど通り過ぎた籠の中に、私の子供がいたのかもしれない。そうなのだとしたら、もう会うことはないのだろう。そう思った。

父親はまだ帰ってこない。手慰みに、赤子の開いた掌に指を乗せてみる。

赤子の手は、私の指を握らなかった。

2014-05-21

私が10年以上通ってたヘアサロン常連をやめた話

当時20歳くらいだった私はいわゆるヘアサロン難民で、あちこちでカットしてもらいながら自分に合うところを探してた。

その時出会ったのがとあるヘアサロンで、地元でも何店舗支店がある割と名の知れたとこだった。

担当してくれたAさんは同性、しかも同い年、地元も近いという事で話も盛り上がり、自然とその店に通うようになった。

当時付き合ってた彼氏(今の主人)や高校同級生をお客さんとして紹介したりもした。

10年くらい前にAさんが仲間と同じ市内で独立するという話を本人から聞いて、当然のように新しいお店に私も移動した。

オープンの時はお花や電報を送ったりもした。


それから時間は過ぎて今年の話になるのだけど、近くでアパートを借りている義姉が遊びに来た際に

「私ちゃんが髪を切ってもらっているところに私も偶然こないだ行ってきたんだよー」

と言ってきた。

クーポン雑誌に頻繁に載せているようなので、それを見て行ってみたら「もしかして親戚ですか?」と言われたらしい。

うちの苗字はそんなに珍しくもないけどなかなかお目にかかれないレベルなのでAさんもピンときたとか。

義姉は海外生活が長く、同居してた期間も短い為あまりこちらのプライベートには詳しくないので同じ店だとは知らなかったらしい。

その時は特に何も言ってはこなかったのだけど、次の日に義母がこっそり話をしてきた。


「あの人、こないだ切ってきたところで息子の事をいろいろ言われてきたらしいのよ」


内容を聞いてみると

•いつもボサボサの頭で来るんですよぉー

家電量販店クレーマーまがいの事してるみたいですよ

などなど。

主人の名誉の為に言っておくと、髪を切りに行くのにある程度伸びてるのは仕方ないし、

ヘアカットだけでもそこそこのお値段だから家計を気にして頻度を昔より少なくしているから。

家電量販店の件は、パソコンを買ったのにメーカー不良が何度もあって交換をしていたから。

決してクレーマーまがいの事なんかしてはいない。

多分そこも踏まえて主人は話をしたんだろうけど、義姉にはそのように喋ったらしい。


おまけに、8千円のプランで予約したはずなのに、プラン外のトリートメントやら何やらで結局2万円近く取られたとか。

(これは一概に向こうが悪いだけではなく、オススメを断らなかった義姉も悪い)


この件があって、一気にその店に行く気が無くなった。

私はあまりそういうトークが得意な方ではないのでなんやかんやお喋りをする方ではないけれど、

いつ自分の知り合いが行って私や主人の話をされるかわからない。

というか、いくらキョウダイはいえ他のお客さんのマイナスイメージに繋がるような事をおもしろおかしく言う神経がわからない。


結局義姉はその後他のヘアサロンに通うようになり、あの店の話はしなくなった。

私は自宅の近くで手頃な値段でカットしてくれるところを見つけたので行ってみた。

10年以上同じ人にカットしてもらっていた髪を他の人に任せるのはなんとなく不安があったけど、そこそこ綺麗に仕上げてくれた。


主人にはその話をされた事を伝えてないので、私が突然他のとこで髪をカットする事をかなり不思議に思ったらしい。

まあ私が行かなくなれば自然と足も遠のくだろうし、このままフェードアウトでいいかなーと思っている。

2014-02-11

暦はまわる。

「俺の還暦パーティーやるからお前も来いや」

って、先月、専門学校時代に付き合ってた元彼女のお父さんからメールをもらった。

元彼女と別れてからは全く接点もなく、8年ぐらい連絡を取ってなかった。

何の因果か、お父さんとはちょいちょい仕事で付き合いがあって、そしてお父さんは娘と元カレ(僕)について何も言わず仕事の付き合いとして呼んでくれた。

というのも、僕は4年前に結婚して、その祝電もくれていたのがその「お父さん」(電報は取引先として頂いた)なのであって。

お父さんは、豪快で、酒好きで、笑い上戸で、関西弁楽しいことが大好きで。僕も大好きだった。

加えて日頃から大変お世話になっていることもあって僕も喜んで還暦パーティーに参加した。

当然、元彼女パーティーに参加していて、8年ぶりに普通に挨拶だけ交わした。

僕は既婚者で向こうはまだ、未婚だった。

僕らの関係エンディングについてお父さん(取引先)に詳しくは話していなかった。

お父さんから「お前、娘にふられた勢いで結婚したようやろうけど、結局娘が残っとるわ!かいいやつ紹介せえよ!わはははは!」って言われて豪快にまた、笑ってた。本当は彼女浮気が原因で僕が一方的に別れを切り出した、なんて到底言えないまま、終盤のカラオケが始まった。

カラオケが終わって、パーティーがお開きになっても、僕は元彼女と会話することはなかった。

別れ際にその元彼女がすこし、切なそうな、しおれたバラを嗅いだような顔をしてたけど、気にしなかった。

気にしないように、してたのかもしれない。




そして今日仕事とあるイベント運営を任された時、今度は専門学校彼女の前に付き合ってた、高校時代彼女が観客として来ていた。

高校時代3年間と卒業後、計4年ほど付き合っていた彼女で、今の奥さんの次に一緒にいた時間が長かった人だ。

高校当時、コンビニバイトしてた彼女は僕に首ったけで、本当に僕しか見えてなかった。

「今さあ、仕事が暇で売り物のエロ本勉強のために読んでたんだけど、こんなこと恥ずかしくてできないよー!」

とか

「ねえねえ!今、◯組の◯◯君がコンドーム買ってったよ!お父さんのかな!!」

とか、事ある毎にメールをしてくる。一切僕は返信しないんだけど。

あとはハートでうめつくされたラブレターを3年間ほぼ毎週もらってたけど一回も返さなかった。たまに「殺す」だけとかもあったけど。

意味不明だけど、愛嬌があって、顔は別に可愛くもなく、ブサイクでもない本当に普通の子だったけど、僕はその独特の愛情表現に癒やされてた。


でも、僕は田舎住まいだった高校時代に嫌気がさして、東京専門学校に出ることを決めた。

そしてその子とも別れた。当時、僕が東京で住んでいた駅でその、うしろ姿を見送ったのを最後に。

まだ通勤ラッシュが始まる前のとても冷える朝だった。

専門学校卒業して、しばらくしてから地元に戻って、地元企業に勤めて結婚した。

今はまだ、子供もいないけど、犬一匹と奥さんと一緒に幸せ暮らしてる。でも今日、その高校時代彼女イベント先でばったり会ってしまったのだ。

向こうは全然変わっていなくて、3人の子供を連れてた。

「久しぶりー。元気?なにしてんの?」ってとこから始まって、1〜2分立ち話をした。


まりの驚きと忙しさも相まって、会話はほとんど頭に入ってこなくて、唯一、当時彼女最後に別れたときの駅での後ろ姿を思い出してた。

いまの彼女はあの時とは違って幸せそうに、子供を連れて前を向いていた。

僕はきっと、しおれたバラを嗅いだような顔をしていたと思う。

そういえば今日はとても冷える、朝だった。

ぼくの今の奥さんは、躁うつ病なんだ。

僕自身、本当に折れそうで自殺したいという気持ちと葛藤してる、こんなときに。

いろいろ、思い出しちゃうじゃないか。なんでいまなんだ。


僕は気づいたんだ。当時僕が救ってたように思って、僕はずっと救われてた。


しおれちゃ、だめなんだよ。

僕はまた、救われた。

明日から、がんばろう。


僕もいつか、みんなを還暦パーティーに呼んでやるんだ。

2013-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20131028105258

やめとけ、やめとけ。

死者は君が苦しむことを望んでいない。と言うか、そうなってしまったらもう何も望めない。

祈りたいのであれば、遠くからでも祈ればいいし、友人としてのメンツなら立派めの電報で事足りる。

君の満足心の問題から、助言として聞いてくれればいいけど、行かずともOKです。

君を責める人はいません。

あと、そういった後悔も、君を形作るピースの一つになるので、あまり否定してはいけませんぜ。

その分、友人の事を偲ぶ時間も増えるよ。

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