はてなキーワード: 寝返りとは
腰パワー温存で腰異常ステータスが付いたままな今日この頃いかがお過ごしかしら?といいたい風な優雅に装いたいところね。
ゲーム三昧だわ。
このゲームの話しばかりで恐縮なんだけど、
おかげさまで!
ついにやったわよ!
いやクリアと言うべきなのか、
今まで思っていたゴールが、
もはや序章だったというオチ!
おそらくラスボスだと思っていたボスの階より下の謎の方を解き明かすために、
噂では真のラスボスがいるらしいのよ。
そんで、
残りの階の敵がマジ太刀打ちできなくて、
こっちは最強装備で楽ラクだぜ!って余裕ぶっこいていた分、
辛い思いだわ。
でも人は涙の数だけ強くなり成長するものよ。
全滅してもすぐに救出部隊を投入して復活させられるようになったのよ。
あの全滅したら絶望的になるのには、
もうさようならよ!
行方不明や石化されて置いてけぼりされた仲間も全員救出したし!
あの行方不明者捜すアビリティーの仲間の近くに来たら表される数値、
でも一瞬でそのルールが分かった途端、
なんだか本末転倒な気もするけど
宝物が隠されてあるマップの座標の数値が
私は数学大嫌い苦手なので
あと、
この形のマップの箇所を探せ!もそこにお宝が埋まってるんだけど、
全99階ある中から覚えているピンポイントで目指さなくちゃいけないので、
これもお宝探し骨が折れそうよ。
再三言うけど
いままでさー
それ以降の深階分は本当に歯が立たないのよね。
どれぐらい歯が立たないかって言うと
こっちのヒットポイントは30000台ぐらいなんだけど
私がチラッと見た敵とかだと1,000,000台のヒットポイントの敵とかいて、
相手の的のアクティブタイムバトルのゲージが貯まるスピードも異常に速いし、
お手上げね。
もうさ、
このぐらいの敵クラスになると
こっちが強くなってもとてもヒットポイントだけだとしても
上回れる自信が無いわ。
もうこのゲームやってない人から言うと何言ってるかよく分かんないと思うけど、
やっと倒してゲームが終われると思ったけど
終われなかったわ。
でも一段落ついてるのかどうだか分かんないけど、
そう90階のラスボスはね。
でもここからが本番なのかも知れないわね。
とりあえず、
一旦私はしばらくは『ダンジョンエンカウンターズ』から離れたいところね。
あのカービィのほのぼのした世界で敵をなぎ倒すんだ!って思いつつ、
『ダンジョンエンカウンターズ』にはクリアしてハッピー!って演出すらない味付けだけど、
やっぱりもうここまできたら、
90階より下のダンジョンを制覇すべくべきまくるべきなのよね。
散々これまで全滅させられて救助隊をむかえて助けに行ったこと幾数回、
全滅なれしたので
もう全滅は怖くないわ!
うふふ。
しばらくはまた腰パワー王のところに通わなくてはいけない
ミッションがあるのでね。
しばらく大人しくしておかないと、
って言うより寝返りが緊張するわ。
激痛が走るのよね。
怖いわ~。
慎重よ。
私はこれかな!
昼間はうんと暑くなりそうだって言うし、
水分補給はしっかりとね。
とねとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
4.16の土曜日深夜、ちょっとしたハプニングに出くわし、警察の人にお世話になる事態に発展した。
が、その際の警察官の対応により「これからはなんでも警察の人に協力しまっす」的な気持ちになった。
ので、かなり長くなるが共有したい。
東京ドーム初のキンプリライブが行われていたその日、私と夫は友人らとともに後楽園60周年還暦祭を観戦。
帰りは行きつけの飲み屋で楽しく飲み倒し、夜23時頃解散となった。
コロナ禍以降閑散としていた水道橋は賑わいを取り戻し、友人のトークも冴え渡っており、非常に楽しい時間を満喫できた。
で、調子にのって夫と「水道橋から蔵前まで夜散歩しなから帰るかぁ」と水道橋を後にしたのが、事の始まりである。
その日は満月。どうやら一年に一度の恋の願いが叶う「ピンクムーン」だったらしい。後から知った。
燦然と輝く月明りで夜道は明るく、順調に湯島あたりまでやってきたところで、夫が「せっかくだから湯島天神にお参りして帰ろう」という。
で、湯島天神の正門から入り、つつがなくお参りした後、裏手に抜けて御徒町にショートカットできる「学問の道」へ行こうとした。
その学問の道の入り口、江戸時代からある急な石階段「男坂」の前で事件は起きた。
街頭もないない闇の中、人もそう来ないはずの裏階段の降り口に、うつ伏せで人が倒れているではないか…。
最初は「浮浪者が寝てるのか」と思ったが、近づいてみると、割と小綺麗でいいものを身に着けている男性だとわかる。
近くには彼のものと思しきレザーのメッセンジャーバッグが転がり、さらになぜかパンツ用の革のベルトも落ちていた。
夫が近づき、大きな声をかけて軽く揺さぶるがまったく反応がない。
「さ、殺人?ベルトを使った自殺未遂?し、死んでたらどうしよう~!?」
私はふたりを遠巻きに見ていたものの、足がすくんで一歩も動けない。
夫が何度か大きな声をかけるが、男は微動だにしない…。
さすがにこのままにしておくわけにいかない。
考える間もなく、咄嗟に110番を押してしまったが、ワンコールしたところで、突如男がかすかに呻いた。
慌てて電話を切る。すると、即折り返しで警察から電話がかかってきた。その間わずか1秒。
警察に事情を話したところ「こちらで救急車を手配する。近くの交番から警察官をすぐ行かせるので、そこにいてほしい」と言われるので、おとなしくふたりで警察官を待つことに。
その間約3~5分。
男は何度か呻いて、そのたびに夫が声をかけるが、返事もなく起き上がる気配はない。
万が一頭を打っているかもしれないので、簡単にこちらも動かせない。
急な階段の頂上、しかも今にもずり落ちそうな場所に倒れているので、少しでも寝返りを打てば落ちてしまいそうで、はらはらしながら警察を待った。
私が「警察を呼びました。もうすぐ来てくれますよ」と声がけしたら、突然男がむくっと起き上がる。
ぴくりともしなかった屍状態からの動きに、私も夫も驚いた。が、男は一言も発しないまま、再び倒れ込んだ。
この時点でようやく「単なる酔っ払いか…」と結論付け、安堵したが、様子がいろいろとおかしいので、やはり放っておけない。
急に暴れだしたりしたらどうしよう・・・と、正直生きた心地がしなかった。
わずかな時間で警察官が到着。交番からすごい勢いで走ってきてくれたのが、こちらは高台なので確認できた。
正直、全力で走ってくる姿がマジでヒーローに見え、「ここだよ~(半泣)」と負けじと全力で手を振ってしまった。
しかしふらふらでなので、階段から転げ落ちそうになるのを夫と警察官が抱きとめる。
「お名前は?ここがどこか分かりますか?どこで飲んでたんですか?」
と警察官が丁寧な口調で男に質問するが、頭が回っていないのか、個人情報をいいたくないのか
「誰だよお前は」「言いたくない」「わからない」「言いたくない」「仕事何してるかって?頑張ってますよ!」
そのうち救急車が階段下の大通りに到着するも「誰が呼んだんだ」「お前が呼んだのか」「絶対に乗らない」と次第に怒りがヒートアップ。
警察官に食ってかかって掴みかかり、いまにもケンカになりそうな勢いに。
警察の人が絡まれている!ヤバい!と変な正義感から、私が自分から「私が呼びました。すいません」と申し出ると、男は急におとなしくなった。
「女性にからんだらいけいない」と理性が働いたのか…思ったよりもいい人かもしれない。
「とりあえず救急車には乗らなくていいですから、救急隊に、もう大丈夫とご自身で説明をしてください」
と警察官に促され、男は「俺が呼んだんじゃねぇぞ」とブツブツうわごとのように呟きながら、救急車に向かっていった。
私たちは「そろそろもう帰っていいですかね…」と警察官に訴えると、簡単な事情聴取をしたいので、その場に残ってくださいと言われ、さらに待つこと5分。
で、遠目でふたりを見守っていたのだが、救急隊に事情説明して帰ってくる頃には、なぜか男が警察官に打ち解け心を開いて戻ってきたのには心底驚いた。
酔いが醒めて正気を取り戻してきたのか、男は「そんなに若いのに、どうして僕にこんなに優しくしてくれるの」と警察官に話しているのが聞こえる。
男の年齢は私たちと同い年か、少し上ぐらいか…さみしさから泥酔してしまったのだろうか。
いろいろとしんみりくる。
戻ってきた警察官に簡単な個人情報を聞かれたあと、警察官は男を途中まて送っていくとのことで、私たちはようやく解放された。その間約30分。
男から丁寧に「ありがとうございました」と言われ、私たちも「お気をつけて」と気遣い、最後には気持ちよく別れられた。
しかし、目覚めたばかりの時に「単なる酔っ払いじゃくなてヤク中では?」と思うぐらい恫喝的で完全にヤバい人だった男に対し、随時丁寧な口調で接し、あんなに荒れていた男の心をいつの間にか懐柔していた若い警察官には、本当に頭が下がる思いだ。
上野御徒町湯島の客層を考えれば、こんな通報は日常茶飯事なのだろう。
目出度く「ゴルディアン・ノット」作戦こと21世紀型ABCD包囲網の打破を目指すロシアン真珠湾の概要が公表されたので訳す。なお註釈のうち文中のものはすべて英訳者により、数字のものは註釈ではない和訳者のたわごとである。例により和訳者は頭の悪いのと精神病質者が大嫌いだがまあ共産趣味者とかインテリゲンツィヤとかアリストクラットが労働者を"対象"と捉えるのは今に始まったことではないから特に後ろめたく考えてはいない。
第三次世界大戦は始まったようだ; 同僚たちはシャンパンの封を切っている[1] - イラン・米国間の戦争は核合意を阻害しロシア産原油のイラン産原油による置き換え余地を封じる。ホルムズ海峡の避けられぬ封鎖は原油価格をうなぎ上りにする。筆者は[ロシア・イラン間の]一般的には理解不能な合意がある可能性すら信じているが、裏付けるいっさいの事実は持ち合わせていない。
今日はただわれわれ[組織としてのFSBにとって、#WindofChange個別ではなく]の目から見て差し迫ったロシアの"出口"と、クレムリンの"廷臣"について伝えようと思う。(帝政における皇宮について言っている)
これは(実際の摘要の)"複写"ではないがきわめて正確な再話であり、いかように扱ってもかまわず、内容を伏せずに全文を転載してもよい。
この作業はまだ取り掛かったばかりであるので現在はまだ輪郭があるのみで、最終的な報告書は分量があり、詳細で、より堅固になる。今はイラン-米国紛争にかかりきりであるので、筆者はのちより自身の(この新計画に対する)意見をくわえる予定である。『ゴルディアスの結び目』は深く修正・適合される(イランが在イラク米軍基地へミサイルを発射しているため)。
ウクライナの歴史について語っている「赤い大公」という名前の本を読んだ。
てっきりスターリンの話かと思ったら全然違って、本書の主人公の名はヴィルヘルム・フォン・ハプスブルクという。
彼はウクライナ王になろうとして策謀を巡らしたり、ナチスへの接近と寝返り、そしてソ連に捕らえられ獄死するという壮絶な人生をたどった。
彼は中欧に長らく存在したハプスブルク君主国の皇族の一人にして、ヒトラーとスターリンのはざまでウクライナ国家建設を目指した数奇な生涯を送った人物である。
ハプスブルク家の皇族の中には帝国内諸民族の民族自決を進めつつ、そこをハプスブルク皇族をおくりこんで君主として支配するという事を考えている者もいた。
その流れの中でヴィルヘルムは帝国領内最貧民族とされていたウクライナ人の自由と独立を支援することを選ぶ。
彼はやがて自らの名もウクライナ語で「ヴァシル・ヴィシヴァニ」と名乗り、ウクライナの民族国家を作らせ自らをウクライナ王とする国家の建設を目指していく。
そして、第一次世界大戦ではハプスブルク君主国の陸軍将校として参戦し、その時にウクライナ陸軍兵士に国家建設のための指導を行っていく。
WWⅠ後はウクライナを独立させようとして策謀を巡らせるも失敗し、パリへと逃亡。
しかし野望は大きくとも実務能力に乏しいヴィルヘルムはパリで自堕落な生活を送り続けたあげく、詐欺事件に連座してパリから逃亡するという体たらく。
そんなヴィルヘルムはソ連を排除してウクライナに独立国家を打ち立てようと考え、ナチスへ急接近していく。
しかし結局ナチスからも離反していき、今度はイギリスの情報部でスパイ活動をするようになり
第二次世界大戦期にはドイツ、戦後にはソ連の情報を提供するようになっていく。
スパイとなったヴィルヘルムはソ連から逃れることはできず、戦後ウィーンでソ連軍に逮捕された。
ここでネット民なら「なるほど、シベリア送りだ」となると思うかもしれないがスターリンはより残虐だった。
1948年、ヴィルヘルムは彼が王となろうとしたウクライナのキエフの獄舎で結核のために死去するという数奇な生涯を送った。
民族自決と君主政を同居させるというアイデアを抱き、独立したウクライナ国家の建設を目指しつつ
民族主義や全体主義が高揚するヨーロッパの中で右往左往し続け、ファシズムにまで接近したり
その過程で突如反ユダヤ主義になってみたりしたヴィルヘルムの生涯はかなり面白い。
ヴィルヘルムがかつて進めていこうとした「ウクライナ化」は
その後のソ連の苛烈なウクライナへの制裁にもつながっている一方で
乳首の表面に傷ができて流血している。
我が子は口が小さいらしく、どの体勢で飲ませても傷を吸うので激痛で泣きそうになる。
乳頭保護器も役にたたない。
幸い血液入り母乳は嫌がらず飲んでくれるけど、吐き戻した母乳がほぼ鮮血でビビる。
だからといって吸わせないとおっぱいがパンパンに張って痛さで寝返りすらうてなくなる。
搾乳や自己マッサージは100%乳腺炎になり、母乳外来でマッサージを受けるまで
熱と全身の痛みでまるで老人のようにノロノロとしか動けなくなる。ので諦めた。
ありがたいのかなんなのか、飲ませていれば乳腺炎にはならないので、薬を使うまでには至らない。
夜泣きやグズりは誰かに助けを求める事ができるけど、こればかりはどうにもならない。
陣痛よりはまだましと痛みに息を止めながら飲ませている。
今朝見てた夢を今思い出した
実家(大きな洋館)に帰ってきて家族とくらすようになった夢の中の自分
妹や弟には大きなベッドに専用のバスタブ
けれど自分にはない、バスタブも小さくて体を横たえるだけでいっぱいのサイズ
どうせベッドも私の分は無いか簡単なものなんでしょう、と母を詰ってベッドルームに行くと
想像通りの簡易ベッドが脇に置いてあって泣き出した
急に帰ってきたのは自分だから、自分の分の家具がないのはしょうがないと思いながらも、母は弟妹たちと同様のものを私に準備してくれるのではと期待してた
詰りながらも甘えと期待があった
それが裏切られた
母はしょうがないでしょうとでも言いそうな態度で、私は寝室から飛び出した
弟妹たちの寝室スペースの横を通る、子供2〜3人は寝れそうな天蓋つきの大きなベッド2台を並べて、弟妹たちは遊んでた
悲しくて惨めで目を合わさず通り過ぎた
大阪市在住で20代、一人暮らしをしており、慢性的な体調不良(肉体的、精神的)があり、生活保護を利用している
症例がほとんどない病気の疑いがあり、継続して微熱・アレルギー様症状・筋肉痛・倦怠感・気力の低下がある
症状はコロナ副反応、慢性疲労症候群、LOH症候群などに類似している
二回目の副反応で三日ほど、発熱・倦怠感があり、腕を上げたり、寝返りを打つのが辛いモデルナアームも出ていた
医療扶助があるが生活が厳しく、診察費がかかる場所に行くのは難しい
また、自身から二次感染を発生させるリスク、自身がコロナに感染するリスクを考え
できるだけ公共交通機関を利用せず、無料で診断が受けられる病院を探した
電車移動、自宅で少し話をする
マスク、手洗い、換気はしていた
その後は現在に至るまで一度も外出をしていない
腹痛は良くあるので少し様子を見ることにした
消化器症状が継続していたので、かかりつけ医にて診察を受けたいと伝える
コロナの可能性があるのでまず、コロナの診療を受ける様にと言われる
断続的に数回電話をかけるが繋がらない
その後、#7119、病院に連絡後を含め計七回電話をかけ、一度繋がったが自動音声で混み合っているので後ほどおかけ直しくださいと切断される
#7119
二箇所が近かったので連絡
繋がらない
有料の場所を二箇所案内される
風邪などの症状があり、かつ保健所から医療機関に紹介された場合に限られると案内される
厚労省のページにあり、excelとpdfで見ることができますと案内される
昨日同様、合計九回、断続的に電話をかけたが、一度も繋がらなかった
咳、発熱、消化器症状の(程度を問わない)いずれかの症状がある場合は無料で検査を受けられる対象ではないと案内される
つまり、何の症状も出ていない健康体でないと対象ではないということか?と聞くとその通りですと案内される
慢性的な体調不良が継続している人間が、医療崩壊が進行している中で消化器症状を発症させた場合
コロナの可能性があるため、一般の病院にかかるのを控える様に言われる
複数の窓口に電話してもコロナの症状は具体的に何か?という回答は得られず
詳しくは保健所にと言われるが繋がらない
保健所から診察する指示が出ない場合は行政検査にならず、自費診療になる
費用は概ね3000円から30000円程度であり、比較的安価な検査は梅田・なんばなど人出が多い場所で行っている様だ
症状が出ていれば病院判断でも行政検査が可能な様だが、具体的な症状の記載がなく、医者による判断になる
結果、コロナかどうかが不明確な状態で安価な検査しか受けられない場合
公共交通機関を利用し、コロナの感染拡大に寄与してしまうリスク・自身の感染のリスクを犯して
ただただ症状が収まるのを待機するかの判断を迫られる
おととしからずっと腰が痛い。原因は分かっている。ベッドのマットレスだ。
厚さ12cmの薄型マットレスで、タイプはポケットコイルタイプ。12000円で購入したものだ。これが硬くて、それ以来寝起きに腰痛を感じるようになった。
2年我慢したので、何度も家具屋に通って試した結果、今年に入って4万円くらいの、厚さ20cmのポケットコイルマットレスを購入。硬すぎず柔らかすぎず、個人的には寝心地も良かった。
しかし、これを使い始めて2周間になるが、腰痛がさらに酷くなった。なぜだ。2週間もすれば慣れるはずなのに、朝も痛いし、日中も痛い。これは困った。前のマットレスは捨ててしまったし、もう後戻りはできないぞ?
いや、もしかしてこれ、マットレスの問題じゃないのか?そう思ってググってみる。
・・・なるほど、朝に腰痛の原因はいくつかあって、寒くて血行が悪くて腰痛になる、または自律神経が不調で寝返りが打てず腰痛になることもあるみたいだった。
ああ、もしかしてこれか?冬でも俺はシャワーで済ませてるし、寝るときはエアコンを消してる。これが冷えの原因かもしれない。あと自律神経も、仕事のストレスで偏頭痛がするんだよな。もしかしてこっちか?
そう思って俺は今、風呂に入り、体が温まる食べ物を食べ、寝る前にストレッチをして、スマホ見るのも控えてから寝るようにしている。これで腰痛が治ればいいのだが。マットレス買ったのが失敗ということだけは嫌だ。
【重要声明】私は呉座勇一氏を巡るオープンレターについて、「賛同人に私の名前がある」と昨年末ごろ辻田真佐憲氏より連絡を受けました。私が賛同人を受諾した事実も、呉座氏との面識もありません。マネージャーにも照会した結果、承諾の事実はありません。第三者による無断使用なら厳にお控え下さい。 pic.twitter.com/Z0IyR8hulf— 古谷経衡@新刊『敗軍の名将-インパール・沖縄・特攻』 (幻冬舎新書) 重版決定! (@aniotahosyu) January 17, 2022
ガチで筋金入ったリベラル以外はこの辺りの問題から足抜けしようとしてるな
古谷なんてもともとネトウヨで名前売ってから「目覚めた」組だし、ここからさらにリベラルの旗色が悪くなればあっさりネトウヨ側にまた寝返りそうだ
実家を出たいな〜〜とず〜〜っと思っていて、会社の出向を機に2年ほど実家を離れ、出向が終わったので実家に戻ることになった。
地元には友人が多く、車がないと困るけれどなんだかんだ住みやすい町だったなと思うので、地元に戻ること自体は嬉しく思っている。
ただ、実家がちょっとやっぱり嫌だなあということで、ちまちまと物件を探すことにした。
良さそうな物件はいくつかあって、戻り次第内見しようと思っているのだけれど、問題が2点ある。
①お金がない
貯金が40万ほどしかなく、引っ越しにあたっては100万はあった方が良いと聞くので不安。
・実家のエアコン買い替え費用8万円と洗濯機の買い替え費用7万を負担
・貯金で車校代と車と任意保険(初回30万くらい)を現金一括で払ったので1回すっからかんになっている
この辺りが痛かった。
実家の仕送りはあの手この手で止めようとしてみたが、うつ病の母が「裏切るんだね…」と泣くのと、バカの兄が実家に一切お金を入れておらず弟は給料が安いので入れる額が少なくカツカツとのことなので断念。
そもそも、けして高給ではない母と子3人の母子家庭で賃貸暮らしなので、母には育ててもらった恩もありあまり強く言えなかった。
あとは、田舎ゆえか母がどうしても兄と弟贔屓なところがあり、母にいい子だと思って欲しい自分がいる。
②母のメンタル
上にも書いたが母は現在うつ病を患っており、更年期も重なってあまり調子が良くない。
出向で実家を離れると話した時も泣くわ会社に電話すると騒ぐわで大変だった。
単純に、家事をやってくれて、顔色を伺って察して動いてくれて、家にいれば5万は入れてくれて、頼めば追加でお金を払う存在は便利なんだと思う。
多分また家を出ると言い出したらものすごく揉める。
とはいえ、実家に住んでいる兄と弟は、甘やかされただけあって体調などを気遣って動くということがドン引きするほど一切ないので、単純に心配というのも大きい。
問題①の金銭面については、一旦実家に帰るので社宅代+食費+仕送りが実家に入れるお金+食費(大幅減額)になるので、頑張って貯めるしかない。
問題②の母については、どうにか納得させるしかない。まずは家を出たい理由を列挙していく。
・狭い。成人4人で狭めの3DKは無理があると思う。
・狭さゆえに兄と弟の深夜に及ぶAPEXなどが非常にうるさい
・調子の悪い母はともかく、健康な成人である兄と弟の面倒を見たくない
・田舎なので、実家に5万入れるくらいなら家出たほうがなんなら安上がり
・実家のカビがひどい。玄関もリビングも自分の寝室もカビてる。
・家にいるとずっと母に干渉されるため、一人の時間が皆無(狭いので母と同室)
・寝ている時、兄だか弟だか知らないが体をまさぐられるため安心して過ごせない
実家の物件が諸々ヤバいことについては、母の収入で子供3人とどうにか暮らすことのできる物件がここしかなかったんだな、ということは理解している。
全員子供も就職したので、もう少しいい物件に引っ越さないかと以前言ってみたが、収納の多さや立地のよさで却下された。立地と収納の多さと家賃の安さは本当にいい。それ以外は割と最悪だけれど。
家族の問題については、母の干渉については言わないことに決めている。
母とまともに会話をする子供が自分しかいないため、寂しいのだろうと思うし、否定して情緒が不安定になるのは望むところではない。
兄と弟の騒音問題については何度も話し合った上で改善されないため、これを理由として話すのはありだと思っている。
正直理由として最も大きく、また言うべきかどうか迷っているのが、就寝中に体をまさぐられる問題だ。
友人にも相談したことがないし出来ないので、増田に書くしかない、と思い立った次第である。
当時両親は離婚しておらず、一軒家で自室を与えられていたので、当然の如く一人で寝ていた。
眠りの浅い方なので、違和感で目を覚ましたところ、誰かが自分の胸や性器を舐めていた。
パニックで、どうしたらいいかわからず寝たふりをしたが、パジャマも下着もほとんど脱がされた状態でその兄だか弟だかは出て行った。
あまりの恐怖に、ティッシュで体を拭いて何事もなかったかのように寝ることしかできなかった。
1番ひどかったのが一軒家に住んでいた小5〜中2頃で、当時兄弟全員ガラケーを持っていたから、フラッシュを焚いて撮影されたこともあった。
インターネットに流出していたらどうしよう、と眠れないことが今でもある。
引越しと同時に母と同室になったため、流石に頻度も減ったし上に跨って何かされることもないが、寝ている時に手が入ってくることは未だある。
少し目が覚めたふりをして寝返りを打つとやめることに高2の時に気がついたので、今はそうしている。
元々スキンシップの多い家庭で、何かにつけてハグなどが多いのだが、不自然に嫌がると怪しまれるかもしれないと思い逆に自分からやるようになった。苦痛だった。
自分でも何をしているのかよくわからないが、心理学を齧った人だと何かわかるだろうか。浅学なのでわかんないけど…。
本当〜〜〜〜〜に家を離れて安眠したい。
もし言って、どちらが犯人かわかった場合は痴漢とかの矯正プログラムに行って欲しいなとも思っている。
このことで眠れないことも多いし、自覚はなかったがどうも男性に対して若干の不信感があるようなので、精神科かカウンセリングに行ってどうにかしたい。(絶対に二人きりにならない、手をつなげない程度の距離を空けて歩く等、ものすごく警戒してしまう。このせいか彼氏ができたことはない。)
でもこれを正直に母に言うには母の精神が現状不安定すぎるし、家庭崩壊まっしぐらになってしまう…。
話す
・狭い。成人4人で狭めの3DKは無理があると思う。
→オブラートに包んで「お母さんにも一人部屋が必要だと思って」等話し方次第ではあり
・狭さゆえに兄と弟の深夜に及ぶAPEXなどが非常にうるさい
・調子の悪い母はともかく、健康な成人である兄と弟の面倒を見たくない
→兄弟問題は何度も訴え話し合っているので理由の1つにするのはあり
・実家のカビがひどい。玄関もリビングも自分の寝室もカビてる。
→度々カビててこの家イヤ!とは言ってきたので、理由の1つにするのはあり
話さない
・家にいるとずっと母に干渉されるため、一人の時間が皆無(狭いので母と同室)
→これを言うとおそらく病む
・田舎なので、実家に5万入れるくらいなら家出たほうがなんなら安上がり
→言う必要性を感じない
→言う必要性を感じない
保留(出来れば言いたくないが、理由として切実すぎるため)
・寝ている時、兄だか弟だか知らないが体をまさぐられるため安心して過ごせない
と考えている。
保留部分本当にどうしようかなあ…家庭ぶっ壊せとか黙って墓まで持っていけとかなんでもいいので何か背中押すかして欲しい。
こんな掃き溜めでお願いすることじゃないけれど。
無理すぎてストレス半端ないせいでなんか楽しみを用意して自分を労ってやらないと電車止めてしまう気がしてホテル泊まることにした
今日は昼まで寝て、午後からデパートのレストラン街でランチして、その足でデパ地下の惣菜とケーキ買って、ホテル近くのコンビニで缶酎ハイとスナック菓子買って、ホテル着いて、きれーにセットしてあるベッドでごろんごろん寝返りうって暴れて、ケーキ食べて、湯船でソシャゲしてYouTubeみて、久しぶりにテレビでニュースなんか見ちゃったりしながら惣菜とアルコールで良い感じに酩酊してこれから寝るわけだ
明日の朝は朝食バイキングも待ってるわけなんだけど、そこから仕事行かなきゃいけないのが唯一の欠点なんだよな〜〜〜
でもここから会社まではホームドアある地下鉄だから飛び込む心配はないだろうからそこは安心だな〜〜〜
寝よ寝よ
タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分の気持ちに整理をつけられればと思い、はてなに新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います。
物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可の新築のマンションに引っ越してから数ヶ月が経った頃。
せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだが夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン。
生まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。
しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。
(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)
初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワに喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間のご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます。
共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。
2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。
電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。
当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)
そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。
ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。
父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。
麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さな小さな黒い腫瘍になっていました。
その腫瘍は癌の一種、メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきます。トイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。
その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます。
大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。
酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。
酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がります。ご飯を吐くようになりました。
1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。
母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。
いつも行っていた公園をカートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。
最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。
目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。
そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。
帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっとお散歩行けたのにね。
家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。
2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。
寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。
会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまいます。
でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛い。クリクリの耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球の香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。
まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。
大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から、一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。
私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています。
何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います。
ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます。
たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。
一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かいお言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます。
一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。
で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。
彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日を確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!
毎日毎日浮遊感と戦っています。雲の上を歩いているような感覚です。頭の動きと目が追いついてない感覚で疲弊しておりますが!!!元気です!!!
めまいと戦っている方頑張りましょう!!ちょっとでも励みになりますように!!!めまいとの出会い壮絶な苦悩、奮闘、現在までを書いて行けたらと思います。(運命な人との出会いみたいに言う)
え?恋ではありません(うっぜ)
え?何が起こっているのか理解できませんでした。
このときはすぐ起き上がったので回転は5秒ほどでした。すごく心臓がバクバクしたのを覚えています。
妊娠中ということもあり、心配だったのですぐ毛布のセールに向かいました!ん?
閉店セールなんです!はがき来てるんです!朝から並ぶつもりだったんです!毛布ないんです!
無事お目当ての毛布を購入しめまいもすっかり忘れてましたが一応病院に行きましたが、特に薬をもらうわけでもなく経過観察になりました。
毎日毎日眠たかったので寝不足かなとも思いましたが初めてのことで怖かったです。。。
~出会い編~(薄い)
毎日毎日浮遊感と戦っています。雲の上を歩いているような感覚です。頭の動きと目が追いついてない感覚で疲弊しておりますが!!!元気です!!!
めまいと戦っている方頑張りましょう!!ちょっとでも励みになりますように!!!めまいとの出会い壮絶な苦悩、奮闘、現在までを書いて行けたらと思います。(運命な人との出会いみたいに言う)
え?恋ではありません(うっぜ)
え?何が起こっているのか理解できませんでした。
このときはすぐ起き上がったので回転は5秒ほどでした。すごく心臓がバクバクしたのを覚えています。
妊娠中ということもあり、心配だったのですぐ毛布のセールに向かいました!ん?
閉店セールなんです!はがき来てるんです!朝から並ぶつもりだったんです!毛布ないんです!
無事お目当ての毛布を購入しめまいもすっかり忘れてましたが一応病院に行きましたが、特に薬をもらうわけでもなく経過観察になりました。
毎日毎日眠たかったので寝不足かなとも思いましたが初めてのことで怖かったです。。。
~出会い編~(薄い)
寝返りして、元にも戻れず前にも後ろにも進めず、首を上げ続ける力も尽き果て、一人ではもうどうしようもなくなって、顔突っ伏して両手両足をバタつかせながらうぎぃぃぃーーーー!!!! と泣いている。
こんな時間はあっという間なんだよ。あとひと月したら寝返り返りも覚えて部屋中コロコロ転がってるんだよ赤ちゃんってのは。この子が二人目だから知ってる。もしかしたらずり這いする方が早いかもしれないけど、いずれにしろ、こんなことで泣くのは長い人生からしたら一瞬なんだよ。
でもまだ今は何にもできない。だからひたすら泣いている。
可愛いなあって思いながら仰向けに戻してあげる。さて、と用事に戻ろうとしたら「また妹ちゃん寝返りしてるー」って四歳姉の声。振り返ったらもう寝返りしてる赤ちゃんの姿。せっかく元に戻したのにお前一瞬で元通りだね……。今はかろうじて首上げてるけど、また一分も経たない内に泣き出すんでしょ。知ってます。
あーもう本当に赤ちゃん可愛い。少し面倒だけど何度でも仰向けに戻してあげるね。早く成長するんだよ。ずっと赤ちゃんでいてほしくもあるけれど。