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はてなキーワード: 封書とは

2020-10-19

25歳ニートなんだけどあと5年で30歳になるんだけどヤバくね?

恐ろしい速度で歳だけ取ってるんだけど

18歳から引きこもって感覚的にはまだ3年くらいなのに

30歳が目前に迫ってるのに未だ何の準備も整っていない焦燥感と虚無感

どうすんだどうすんだこれ

もう若者じゃないのに若者陰キャと同程度の経験しか搭載してない人材未来はあるのか?

ぶっちゃけ俺がこれまでろくに働けてこなかったのは恐れていたからなんだよな

引きニートに対する実社会から評価に直面するのを恐れていた

決して高望みなんてしてないんだよ

都内正規手取り13~16賞与無しで妥協できるわって2,3年前から言ってる

ただ面接が嫌なんだよ それに履歴書を書くのもつらい

実際俺みたいな理由高望みしてなくても働けてない引きニートってたくさんいると思うわ

要するに自分から一歩を踏み出せないのね

例えばの話だけど、行政から引きニートしてる者たちに宛てて「こういう求人があってこういう企業あなた採用したいと考えていますよ」って封書とか届くシステムがあったら健康な引きニートの大半はサラリーマンになると思うよ

みんな怖いだけなんだよ実社会とのファーストコンタクト

そこを行政サポートしてくれたらだいぶ違ってくると思うよ

これ当事者からの貴重な意見

ちょっと脱線してるけど脱線ついでに俺が日頃から思っていることを開陳させていただきたい

個人主義とか自由主義って引きニート就活と相性悪くない?」

繰り返しになるけどニートは実社会自分からアクセスすることが怖いのよ、及び腰なのよ

だけど現代日本って自己決定権とか個人情報の取り扱いとか凄い厳正なルールでガッチガチ基本的には個人意思尊重されるよね

例えば生活保護なんかも適用されるレベル生活してる生活困窮者がいても彼らが自分から役所申請しないとそもそも許認可の審査がされないでしょ?

こういうのって個人意思尊重してて大変人道的なシステムだと思うんだけど、引きニート就活にそれを当てはめると途端に非人道的スパルタシステムになるんだよ

再三になるけど引きニート自分からアクセスすることに忌避感を持ってる人が多いんだよ

自分から就職したいというシグナルを発信することが出来ない人に対して

「お前が就職したいというシグナルを発信してこいよ」というのは鬼ですよ鬼

からさぁ、そこらへん上手いこと調整してさぁ、仕事が向こうから引きニートに舞いこんでくるシステム作ってほしいんだよね

そしたら俺なんてとっくにそこらのサラリーマンだったからね

あああああああああああああああああああああああああああああああああ

こんなくだらないこと書いてる間に時は無慈悲に時は通過していくぅぅぅぅぅぅぅ

マジで異能力とか目覚めねーかな

関係ないけど最近創作物って炎タイプキャラの扱い悪いこと多くね?主人公属性やぞ

全国の引きニートに幸あれ

2020-09-06

10年かけて父は死んでいった

私が30歳の時に両親が離婚した。

その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか

両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金借家更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。

そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。

私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつ飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。

大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由アルバイトを辞めた。

就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態かいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟けがあった。

私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。

父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。

それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。

10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単ものだった。

ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初メッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。

次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。

次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。

2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしかさない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。

父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。

最初コンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。

そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってから再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要書類を集めて回り、家庭裁判所相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。

相続放棄の申立は無事受理された。

父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから

父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。

家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。

長くなりました。読んでくださってありがとうございます

2020-08-24

anond:20200824192059

事実からなぁ。コロナ騒動事実だろ?封筒はうけとっていないが、封筒を送りましたという封筒はうけとった。封書の到着率が100%だとは知らなかった。

2020-07-30

[]2020年7月29日水曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0013422428167.461.5
0110215941156.346.5
02628646139.549
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101651421586.238
112062034498.851
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1415817620111.538.5
151761623492.244.5
162602385491.744
1718523064124.743
182011479873.634
191831299471.028
20133992274.633
2118722607120.934
2217017035100.233.5
2314320578143.954
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2020-07-29

特別定額給付金の勧奨の封書が届いた

例の10万円の給付金、「使うことで経済を回す意味があるので、コロナで困窮していなくても受け取ろう!」とか言われているけど、自分場合は貰っても使う気がない(経済に貢献する気がない)ので、それならお役所の人の手間を一人分減らしたほうがマシだろうとほっといていた(申請書出すのがめんどいという身も蓋もない理由もある)

そしたら今日になって、「申請書(勧奨用)」と書かれた、改めて申請を促す封筒が来た。

使う気がない人が貰ってなにか意味あるのだろうか

2020-07-24

anond:20200724200314

実は俺もまだ手続きどころか封書がどこかに行ってしまってダラダラしてんだよ

めんどくさいけどレトルトシチューは旨いんだよ

2020-05-22

anond:20200521200340

 話が違う。一行目は半ば真実で、理由は四つ。

プログラムによる既存業務効率化は目に見え易いので、非効率だった多数の人材自分匹敵する能力を持っていると勘違いやすい点。

オブジェクト指向プログラミング自体事象抽象化や細分化、項目化といった思考必要で、物事数学的把握が必要な点。

効率化によって職を失う人間はこの先も増えるが、自分達の仕事は減らないだろうという漠然とした思い込み

定量的数学的把握は説明がしやすく、業務プレゼンへの応用は楽だが、数値から漏れた部分や把握できないイレギュラー無視しがちである点。

4つ目は敢えて言うなら文系素養必要で、これを持っている人間が一流。プログラムにできない(し辛い)部分を把握するプログラマー自分仕事無意味さを認める事になるが、これを抱えたまま仕事をするのはメンタルの面からも大変。他に挙げるとすれば、専門用語が多く仲間内で親交をする傾向が高いので外部からの目に気付き辛い点、一種官僚化だろうか。

それから6つ目(笑)と言ってもいいかもしれないが、プログラムその物の社会的意義まで頭の回っていない人間が多い印象はある。業務効率化による収益増は当然、自分給料に反映されるが、そこから漏れた部分の責をプログラマは問われない。

 一例を挙げれば、(文書に限り)郵便事業が縮小による情報伝達の効率化という恩恵は万人が受け、効率化に伴う収益電子化業者郵便事業者と分け合ってきたろうと推測されるが、電子化業務従事者は封書葉書印刷業者や納品業者インク製造業製紙業界までに頭を回す事が出来ない。もっと言えばパルプの精製や原料の輸出入にも関わり、産業としてはまさしく革命が起きていると言っても良いが、それを自分仕事に係わる物だと捉えているプログラマーはまずいまい。

負の側面として電子文書は膨大な労力をかけてフォントや外字の整理を今も強いられ、ファイルフォーマットや送受信データ形式の細かな不整合放置したまま進んできたが、それに関して電子化業務から社会への問いかけといった視点はなきに等しい。加えて、数値化不能な(文書に限る)郵便業務の益は、配達員顧客コミュニケーション地域事情の把握、高齢者福祉に関わる面にまで及ぶのであり、それをモニターの前にいるプログラマが担うのは不可能である


 二行目に関しては特権意識とは全く関係がなく、言語による思考を行っていない人間言語で話しかけるのが間違っているのではないか、と考える。

絵描き作曲家の例を挙げれば理解は容易である。これらは頭を使っている、いない、の問題ではなく使い方が違うだけの話だ。

 そもそも、頭を使うの対義は身体を使う、になるのかしれんが、ヒトがどちらか一方だけを使うなど有り得ないし、その活動比重が脳に偏っていれば偉い、と言うのは思い上がりである

2020-04-27

ラジオさらっと失言するくらい想像力のない人に芸能界にいてほしくない

岡村のクソ発言

飲み屋一般人のおじさんたちがこういうことを言うくらいには問題ない。

私がもしそういうシチュエーションでそういう下品な話を盗み聞きしたら「うっわ、きっしょ」くらい思って終わる

でも岡村芸能人から。注目されない一般人とは違う

今回の発言で、私は「こんなやつにTVにでてほしくない。事務所クビになれ」って思った

コロナのせいで会社つぶれそうで大変な思いしてる人達がいるのになんなんだよ。

岡村芸能人からTVに出て来て、うっかり私の視界に入ってしま可能性があるし、芸能人から影響力あるしもう芸能活動してほしくないし、こんな気持ち悪い人間が人前にでてお金稼ぎするのはクソ過ぎるだろ

岡村所属事務所調べて、電話をかけたり封書を送ったりして「大変なときあんなこといううんこ野郎芸能界必要ないんで解雇してくれ」っていうメッセージを送りたくなった

私がしなくてももう苦情を送っている一般人たちはいるはずだ

どうか岡村芸能界から追放してくれ

もう二度とどこのメディアにもでないでくれ

謝罪会見したって

きっとTVで顔見るたびきもち悪くなる

それくらいこんかいのは胸糞発言過ぎた

胸糞中の胸糞だよ

消えてくれ

2020-04-08

信書を送れるのは郵便局だけ

ヤマト佐川等の運送業手紙等の信書を送ることができない。

独占禁止法があるのに政府郵便局の独占を許してるよなと思って調べたんだけど

全国にポストを置かないと信書を送ってはいけないとかルールがあるみたい?

郵便局みたいに日本全国にどこでも信書を受け付ける施設がないと信書の送付を取り扱ってはダメなんだよみたいなルールがあるっぽい?

佐川ヤマト日本全国にポストを置く予算を出せるはずがない

それで運送業信書配送を取り扱えないらしいんだけど

では、もし佐川ヤマトが現状で信書を送れるようになったとすると郵便局封書の郵送料の売り上げが減るから郵送料をさらに値上げしなければならなくなる。

郵便局信書の郵送を独占しているのは誰でも安く郵便物を送れるようにするためらしい。なるほど。

独占禁止法のことを考えたらヤマト佐川福山通運でも手紙配送やらせてあげてよって思うけど

貧乏な人でも郵便物を安く送れるようにするためのシステムが今の郵便局の独占状態なんだね。

考えてみれば

たとえば私が東京から東京の住所にはがきを送っても

沖縄から北海道の住所にはがきを送っても

どちらも63円なの

人件費、郵送コスト全然ちがうのに同じ63円なの

これって当たり前だけどすごいことだったんだなぁ。

郵便局の郵送料高いなーって思うときもあるけれど、それでも庶民に向けてギリギリのお値段でやってるのかな?

昔は封書が62円で送れたのに今84円ってずいぶん値上げしたなぁと思うけどしょうがないのか。ゆうパックとかは荷物の重さや送り先で値段変わるけど

信書とか手紙とかの郵送は大きさと重さだけで送り先は関係なく一律の料金で届けてくれる。

これってすごいことだったんだなぁ

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-20

日本年金機構からクソみたいな手紙が届いた

事情年金事務所に届出書を出さなければいけなくなって手続きしていた。

提出したのは「二以上事業所勤務届」。事前に記入したもの社労士健保組合に見せて記入内容に問題がないかチェックしてもらっていた。

しばらくして日本年金機構から封書が届いたので、てっきり書類受理された通知かと思ったら、

なんと提出した書類が返送されてきた。

「この度ご提出いただきました届書申請書・請求書)につきまして、下記の理由のため返戻いたします。

なお、ご不明な点がございましたら、担当者までお問い合わせください。

署名

1 健康保険厚生年金保険 被保険者 所属選択・二以上事業所勤務届 1枚

返戻理由

1 通信欄をご参照ください。

通信

個人番号でご提出の場合は、添付書類必要となります。添付書類につきましては、別紙の見本をご参照してください。再提出については、お返しした二以上事業所勤務届と添付書類を併せてご提出してください。

※尚、個人番号マイナンバー)を二重線で削除し、基礎年金番号で届出されますと添付書類は省略できます。」

とのことだった。

なんという無駄文書なのだろう。

提出した書類には確かに

個人番号(または基礎年金番号)」という欄がある。

個人番号で記入した場合に追加の添付書類マイナンバーカードまたは身分証明書の控え)が必要になるなんてどこにも書いてない。むしろ基礎年金番号のほうが括弧つきだから補助扱いじゃないか

必要になる添付書類の取り扱いが変わるんだったらちゃんとそう書いてくれないとたいていのひとはどっちでも同じだと勘違いするだろう。

だいたい、マイナンバーで記入するならマイナンバーカードの控えも提出してもらいます、ってそれじゃあいったいなんのためのマイナンバー制度なのかわからない。

本当に無駄な手間がかかった。

2020-01-18

anond:20200118145044

知り合いに封書を託すってとこからむしろ退化しすぎ

頭が

2020-01-08

結婚前なので実家との関係性を考え直したい

8年付き合った彼と今年結婚することにした。

プロポーズなんてものはなかったが、3年前に私の両親に紹介、2年前に先方のご両親に挨拶、去年両家顔合わせを実施した。

顔合わせでもやもやしていることがある。私の母がこなかったことだ。

我々カップル東京拠点があり(同居はしていない)、先方は東北、私の実家関西にあるため、顔合わせは彼と話し合った結果東京で開催された。

先方のご両親+ご兄弟は予定をあわせて訪ねてきてくれた。お父様は半身不随の体で来てくれておめでとうの言葉をくださった。

私の家は父しか来なかった。母は「めんどくさい」「犬の世話がある」と来てくれなかった。

その理由をそのまま先方には説明できないので「母は体調不良で欠席です」と伝えたが、めちゃくちゃ恐縮しながら伝えてしまったためウソだということはばれていると思う。

実際先方のお母さまはあとで彼に「××さんのお母さんは結婚を反対しているから来ないの?」と聞いてきたそうだ。鋭いお母さまでなによりだ。東京までの距離がめんどくさいのと15歳の犬(どこも不健康なところはなく若いころと変わらず毎日餌を食べ毎日散歩している)の介護(1日2回の餌やり)があるので冠婚葬祭は参加できないと言い張ってるだけだ。

そう、母は他にもいろいろな行事をすっぽかしている。

名古屋で行われる自分の親の法事四国単身赴任した父が入院したとき手続き&見舞い。全部私が一人で行った。東京に住んでいて正社員ブラック企業毎日8時から23時ぐらいまで働いている身にはすべての手続きは本当に大変だったが家族の為なら仕方がない。

結婚に対しておめでとうの言葉はなく、祝福されてもいない。

毎日20通ぐらいLINEがくるが話題は「犬の抜け毛」「父の薬代が月4000円もかかって迷惑」「犬のおしっこ」の3つのうちどれかである専業主婦日記帳みたいな内容に私はどういうコメントを求められているか全くわからず寝る前に「はい」と返信することにしている。最近自動化して夜10時ぐらいに「はい」とポストされるようになった。

先方のお母さまがたまにコメ野菜などを送ってくださる。電話してお礼を言う。

私の母からは月1で封書がくる。犬の抜け毛が入っている。電話はしないでLINEで犬の抜け毛が届いたことを感謝する。

私は結婚する。今は30万円の手取りから8万円母に仕送りをしている。年間96万円。それを9年。大学生の時はバイト代をそのまま実家に入れていた。高校から大学にかけての学費は全額免除だったので親に迷惑をかけていない。父は現役だが老後の資金を貯めたいのだそうだ。

でもお礼を言われたことないし使途は不明だ。実家にはSWITCHソーダストリームヘルシオオーブンや4Kのテレビなどが鎮座ましましている。世間には「ためておいてあげたお金だよ」と今まで仕送りしたお金結婚するときに渡してくれる親がいるそうだ。大人なのでお金管理ぐらい自分でさせればいいし大変なおせっかいだと思っているが、私の母にはそういう心は期待できない。もしかしたら父がリタイアしたあとの離婚資金になるかもしれないとまで思っている。

結婚したら私の稼ぎは私だけの稼ぎではなくなる。8万円の仕送りをやめたい。

いろいろ書いたが結局この2点に尽きる。

結婚を祝福してくれる母が欲しかった

仕送りやめたい

疲れた最近自転車で走っているときに「はやくしにたい!」と叫んでしまう。そのうち不審者情報に乗るかもしれない。

2019-12-29

事務方10年目。振り返りと来年抱負

仕事の振り返り

しばらく事務方を続けてきて思うのは、事務仕事なんてしょせん雑務の塊に過ぎないということ。これを軽視したがるやつの気持ちもよく分かる。でも、仕事アイデンティティを求めたくない自分にとっては(たいていは専門資格技能もつ人が職業アイデンティティを強く持っていると思う)、この名も無き仕事が適職だったとも実感している。

いやー本当に20年前に想像した通りだった。もっとも当時は、事務職のような「日陰職」を淡々とやるのが自分に向いているという程度の理解だったのだけど。

から自分的にはもういつ辞めてもいいとさえ思っている。ふだんから情熱やりがいも充実感も満足感もないが、だから辞めたいというのではない(むしろ事務方にはそんなものは一切必要ないと思っているくらいだ)。

そうではなくて、私が思うに、事務方仕事は属人化したままにしてはいけない。自分がいなくても問題なく回るよう、過不足なく引き継がれないといけない。

どんなことにも当てはまると思うけど、モノでも人でも永いこと関わっていれば、初めはどんなにシンプルでも、細かいかいノウハウがツタのように絡まりついていく。気づいたときには、いったいどこをどう解きほぐしたものだか分からなくなっている。それをもって、斯界にその人あり、なんてキレイにまとめるのは簡単だけど、じゃあそれ他の人にどうやって手渡していくんですか、って話。それって結局、仕事ぶりとしては二流三流ということなんじゃないの。

そういう、外目から見ればカッコいいけど内輪から言わせればタイガイな人だったみたいな評判を残すことを想像すると、じわりと嫌な気分になる。別に、いい人だったと言われたいというのではない(そりゃ、言われるに越したことはないんだけど)。トータルで見て、自分迷惑をかける存在だったと思いたくないんだ。

から先の言い方は「いつ辞めてもいい」というより、「いつ辞めてもいいようにしたい」というのがより正確だ。

「立つ鳥跡を濁さず」。まさにこの一言に尽きる。

あるいは、大学院担当教授が言っていたセリフ。「その人がカウンセリング必要としなくなった日には、カウンセラーのことも忘れてしまっているのが理想です」。

性格の振り返り

なんだかんだで少しずつ役職が付いてきて、立ち回りできる職務範囲も変わってきた。最近だと、社内規約表記方法に口を出したくなってきている。ただ一方で、ここにきて何か違和感がある。なんというか、やりすぎ、枝葉末節に過ぎるような気もする。

そんなとき(というか昨日)、一通の封書が「宛先不明」として返送されてきた。差出人は恐らく、このあいだ開設した分署のスタッフだ。本署の住所が印字された窓付封筒のその余白に、分署の住所をハサミで切り貼りしていた。

もーなんなのこれ。自分とこの住所が載った窓付きが欲しいってなんで言わんの。

…と、それを持ってきてくれた後輩の子にグチって、はたと気づいた。

オレ、ものすごく細かいことにこだわる性格持ちだったことを完全に忘れてた。

小学2年生のころだったか教室掃除で、皆の机を並べなおすときにユキミちゃんが机を割と適当に並べているのが気になった。「これはここじゃないの、その後ろはこれくらい離さないと」といちいち口も手も出し始めたのだ。彼女ものすごーく嫌な顔をして、「じゃああんたが勝手に並べたらよかたい。私は手伝わんけん」とそっぽを向いてしまった。私は(ああ、こういうことをやってはいけないんだ)としぼんで、人には極力干渉しないようにしようと思ったのだった。

以来、その性格が完全に封印されたわけではなかったが、優先順位を組み立てることができない以上、この性格を全面に押し出すべきではないと思って、なるべく無視するようにしてきた。

それに、あんまり器用な性格ではなかったので、そういう似たような「封印」を自分に幾つもかけるという対応ばかり採ってきた。その結果として、大学卒業も間近という頃には、見事なウスノロになっていたというわけだ。そして尻に火が付くのにさら10年。対策を打つのに、そろそろ20年…。

来年抱負

話が長くなった。

封印」は少しずつ解けてきているけど、同時に老化も、有無を言わさずやってきている。今年は「なるはや」で仕事をするようにしてきたが、これからはそうもいかないだろう。これからはより一層、局面も読むことが求められるはずだ。すこしずつシフトチェンジし、最後はきっちりケツをまくれるように準備していきたい。

もちろん、身につけないといけない専門知識はまだまだあるし、より専門家ぽくなっておく職域もある。しか事務方に就いている以上わたしは、スペシャリストとして振る舞う機会は少ないだろう。というかそんな振る舞いをした時点で、事務方は保身を図る老害とほぼ同じだと思う。

できるだけジェネラリストっぽく。それが、来年抱負

2019-12-03

anond:20191202161801

好きにすればいいのさ。

御中に直すもよし、そのままでもよし。

他人がどうするかなんて気にしなければいい。

その集積が新しい習慣を作っていく。

紙のハガキ封書なんて時代遅れもいいところなんだからメールでもLINEでも電報でも返しておけばいいんじゃない

2019-09-21

赤ちゃん誕生のご挨拶

年賀状はがきで「赤ちゃんが生まれました♪」という報告をするというアレ

うちは年賀状をしてないので、郵送物で出産報告するならハガキor封書になる。

実母が「やりなさい!」とうるさい。私側の親戚は直接赤ちゃんに会いにきてくれるだろうから郵送物で赤ちゃん写真を送ったらくどいし

おじおばなんか、自分たちの孫が一番可愛いからの子供なんか正直どうでもいいだろうよ。

母親は周りのみんなが私達に興味津々だと思っているけど親戚とはいえ、それほど仲良しじゃないしそんなに感心ないから!母親にとっては重要おめでたいことかもしれないけど他人にとっては他人事だから

夫側の親戚は遠方に住んでるから挨拶手紙でも出すかな?と考えていたけど普段会わなくて交流もしてない他人から赤ちゃん写真を送られてきても、「ふーん」くらいのリアクションだと思う。子供好き人は少しはテンション上がるかもしれないけど、所詮他人なんだよなぁ。夫側の親戚ほとんど付き合いない…

赤ちゃんが産まれたことは義母が親戚に報告してくれるだろうし

それなら夫側の親戚にわざわざ手紙はがきを送る必要もないか

ネットには夫側の親戚に出産報告はがきを送ったのに返事が何もなかった、無視された、と嘆いていた人がいたけどこういうのは自己満足前提で送るんだっていうことを肝に銘じておかないと。

赤ちゃん写真を送って喜んでくれるのは両親、祖父母まで。あとはきょうだいかな?きょうだいでも仲が良くないと写真を送られても何だかなってなる。

母親写真入りはがきを送れとギャンギャンうるさいんだけど無視するわ。

うちの親は馬鹿なんだ。年賀状自分で作れないくせに子供年賀状を作らせてでも毎年何とかして年賀状を送ろうとするんだわ。

昔みたいに表裏手書き年賀状作ったらどうなの?って思うw年賀状作成方法勉強する気もないくせに年賀状送りたがるなよ。

今年は子供写真入り年賀状を作ろうとするだろうけど、カメラのキタムラとか写真屋に金払って頼むしかないんだろうね。

2019-08-12

はがき使わないね

年賀状やめたら、喪中はがきも出す必要もなく。お金浮きます

実家で未使用はがき(切手に交換できる)や切手をたくさん見つけたのでお手紙を書きたい欲がすごい沸いてくる。

しかし、封書ときどき送るのにはがき全然送らないね

はがきで参加する懸賞とか興味あるけど興味はあっても懸賞はがきさないや。

暑中見舞い寒中見舞いも送らないのではがきを使うときがない。全然ない。

お仕事関係営業はがきを送ることはあっても、プライベート年賀状喪中以外ではがきを頻繁に送るような人って少ないよね。手紙好きな筆まめとかファンレター書くのが好きな人だよね。しかも、手紙ファンレターを出すのが好きな人が、短文しか書けないはがきを出すシチュエーションってだいぶ限られるよね。あ、ラジオのなんかのリクエストはがきを出すとか?

年賀状をやめたら私のなかではがきという存在がビミョーになってしまった。郵便物好きだからはがきも使いたいのに……

でも、はがきを使うシチュエーションがない。しかはがきを使いたい~はがきが63円に値上がりしたら交換してみようかな。

お仕事関係なくはがきプライベートで頻繁に送りますという人の話を聞きたい。

2019-06-29

郵政民営化ってアメリカのためだったんだ

郵政民営化国民あんまり利益を得られていないことに今さらショック受けた。

利益がない寂れた郵便局が潰れて経費削減できたのがいいことかな?

でも、郵便局って国営時代税金なしで運営していたらしいし。

封書はがきをなんで郵便局が独占してるんだ。他の運送業者封書はがきを送れるようになってくれ。

一部の運送業はすでに書類が入った紙袋を運んでるけどね。

2019-06-27

郵便局はがき封書の独占をやめてほしい

今日郵便局に行って荷物を送ったんだけど送料高いって思った。

荷物を運ぶのにも郵送費、人件費がかかってるからしょうがないかって思った。

郵便局販売されてるかわいいデザイン切手を見ながら、ヤマト佐川急便はがき封書が送れるように法律が変わったら荷物の送料はもっと安くなるかもしれないし、切手の種類も今以上に多様化するんだろうなって思った。

ヤマト佐川急便は今は荷物を運ぶだけで手一杯かもしれないけど、封書はがきも送れるようになったら便利だし価格競争が起きて、私たち消費者が得するかもしれない。

政府携帯電話販売会社には値下げするように、二年縛りをやめるように通告するのに、郵便局独占販売をやめるようには言わないんだね!民営化してるのに!

からはがきも値上げし放題なんだ!もう年賀状はやめちゃいますお金無駄から

昔と違って税金高くなったし、月々の支払いが多いか年賀状代払うの馬鹿馬鹿しい。

あんまり出費がなかった昔ならはがきを買ってきて書いて送って年賀状を楽しむ余裕があったけど

年賀状に払うお金もったいないからやめちゃいます

郵便局封書はがきの独占をやめてくれませんか?

Steamグランプリイベント

封書エントリーする方法存在することに気付いた

アメリカ法律では賞品のあるイベントをやる際には必ずオフラインでのエントリーを受け付けなければいけないみたいな決まりでもあるのだろうか

To manually enter the Steam Grand Prix 2019, each eligible entrant must print their name, address, city, state, country, postal code, email address, Steam account name, and telephone number, as well as the day of the Steam Grand Prix 2019 that the entry is for, on a self-addressed 4”x6” note card and mail the completed card to: Valve Corporation, P.O. Box 1688, Bellevue, WA 98009-1688.

2019-06-10

1000円分の切手はてブアラフォーでも分からないわ

でも切手を使っていた世代から

1000円分?ハガキ封書か、それとも何かの支払い用なのか?という返しの質問はできる

若い世代だとこの返しの質問は出てこない、疑問すら湧かないというのはあるんだな

若い世代だと窓口で「1000円分の切手下さい」と言って、いくら切手を何枚ですか、と聞き返されて初めて認識するのかもなあ

2019-06-05

限りなくブラックに近いグレーのインターンシップ

 33歳の正社員介護士ですが、Web業界転職したくて、約1年、専門学校に通って、有休(14日)も使って6ヶ月(36日間)、時給1000円でWeb中小企業(以下T社)でインターンシップしたら酷かった話し。

面接1(不採用について)

 インターン開始から4ヶ月半が経った日の夕方社長に呼ばれて会議室に入ると、1対1の面談で、雇用の延長はできないと言われました。

社長は「Web課は赤字なんだ、他の課の黒字赤字補填しているんだ」と言って、僕に簡単損益計算書を見せてくれました。

有休が発生するから社労士と話をして、君は最長で半年までしか雇えない」と言われました。

 僕は社長の話しを聞きながら、同じ部屋で、先ほどまで行われていた3人(全員20代)のリクルートスーツを着た若者面接を思い出しました。3人同時に面接をしたのではなく、1人ずつ別々に3回、面接しました。皆、顔見知りではないです。3人とも、あと2人が同じ日に面接をしていたことは知らないでしょう。僕は、今日特に多いなと思いました。社長は毎週のように面接していましたが、これまでは1日に2人までしか面接したところを見たことがなかったからです。

 僕は2018年12月上旬からハローワーク経由でインターンシップとしてT社で働き始めましたが、それから6ヶ月で、僕を除いて、計7人の新入社員がいました。T社は社員13名(社長、僕含む、外部委託5名は含まない)なのに大量採用、大量解雇なのです。8人の新入社員のうち、僕で3人目の離職者です。離職率は37.5%(中途入社で8人採用、6ヶ月の間に3人が離職)です。

 僕より前に辞めた2人は女性請負になった1人も女性でした。

 1人目のYさん(20代)は約3週間で辞めました。社長仕事の経過についての面談をした後、皆がいる中で「おい、何度も言わせるなよ、ったく」と軽く罵倒されました。社長がYさんに頼んだFileMaker(ソフトウェア)を使った仕事ができなかったからだそうです。それはそうでしょう。触り始めて1ヶ月も経っていないんだから、難しいに決まっています契約期間は残っていたのに、僕はその後Yさんを1度も見かけませんでした。

 Sさん(20代)は、請負になり、自宅でプログラミング仕事をすることになりました。

 2人目の(Kさん,20代)は1日で辞めました。社長の知り合いの紹介で可愛らしい新卒女性でした。僕の、次の出勤日に、別の社員が席に座っていたので「あそこはKさんの席じゃないんですか」と聞くと「Kさんは1日で辞めた」と言われました。それで終わりでした。他の社員は皆慣れているようでした。僕は仕事を1日で辞めた人を初めて知ったのでとても驚きました。

 そして、僕が辞めることになりました。

 それに、当たり前ですが、誰も新規には雇われないというわけでもありません。僕に業務を教えてくれるSさん(パート女性,30代)はすでに10ヶ月間働いています。「ここに来る前は失業者だった」と昼食時に話してくれました。ハローワーク求人サイト経由で働き続けられる人もいます

面接2(仕事について)

 僕は「68件も月次レポート等を作成したんですよ(うち2件は単価6万円)」と社長に話しました。それに対して、社長は「例えば、封書に入れて、郵便局に持っていくような仕事だ」と答えました。つまり、誰にでもできるレポート作成ということです。何十通作成しても、社長にとっては仕事のうちには入らないのでしょう。

 これは社内失業者のための仕事という意味です。「郵便物宅急便を出す[1]」以外にも「ネットサーフィンをして面白そうな記事があったら週一回、上司メールで報告する[2]」「データDVDに焼く[3]」「自社と競合他社の商品勉強するために、他の家具メーカーホームページを見る[4]」などがあります

 問題は、こういった仕事は、下積みとは違って将来の大きな仕事にはつながらないのです。

 "下積みは、長期間わたり計画的に行われる社員教育の一部である。確かに入社当初に任されるのは、経理処理や採用サポートであり、地味な作業が中心かもしれない。しかし、その作業は最終的には大きな仕事遂行するために必要知識経験を得るためのものなのだ。(中略)一方、社内失業者は、就業時間ほとんどを仕事を与えられずに放置される。与えられることがあっても極めて少量の雑用に過ぎない[5]。"

 そして、2つ目の問題は上の世代から見ると、こういった仕事は、自分若い頃の下積みに見えるということです。

 "課長相談したことがあります40代後半ぐらい。仕事がない状態を伝えて、なんとかしてもらおうと、わりと顔を見るたびに相談してたんですよ。

 そうすると、課長の"お説教スイッチ"が入っちゃうんですよね。別室に連れて行かれて2時間も3時間

「これは君の為に言ってるんだけど、僕はね、社会人最初会社でこうやって教えてもらって、鍛えてもらって、よかったからね。仕事自分で探すものから。僕はそうしてきた。仕事がないと思ってるかもしれないけど、探せばある[6]」"

 そして、自分仕事が将来の大きな仕事にはつながらず、社内失業状態だと気づいた社員からやる気が低下[7]して、転職活動を始める。でもそれもうまくいかないことが多い。

 以前の前向きだった自分はどこに行っちゃったんだろうって思いますね。仕事にたいしてやる気が出ない。ちょっとした用事も、めんどくさくてしょうがない。封筒書類を入れて宛て名を書くだけなのに、30分ぐらいかかることもあります命令された雑用を「ハイハイ」ってやるだけ。小学生でも教えればできますよ。こんな状態転職して、はたしてちゃんと働けるのか、それは自分でも心配です」

 実は多くの社内失業者が転職視野に入れている。にもかかわらず、なかなか転職できない現状がある。

 なぜなら、雑用ばかりを担当させられ、まともな業務経験が積めないために、履歴書に書くことがない、面接で話すことがない、自分PRできない状態からだ。郵便局毎日行って郵便物を出していましたなんてことを、あなた履歴書に書けるだろうか?[8]

面接3(建て前と本音)

 僕は「Googleアナティクスもスプレッドシートデータポータルも使えるようになったじゃないですか」と社長に言うと「Googleアナティクスだけじゃダメだよ」と言われました。

「じゃあ、僕はどうすればよかったんですか。FileMakerも使えるようになればよかったんですか」と聞くと、

FileMakerを使えるようになっても、雇えるかどうかは分からない」と言われました。

 そして、最後にこう言われました。「雇用は延長できないけれど、FileMaker仕事の請け負いなら頼んでもいいよ。でも、その仕事責任を持てるか」「Web仕事は相当頑張らないとダメだよ。今の仕事は辞めたらどうだ。俺たちは、今でも帰宅してから深夜1,2時まで頑張って勉強しているんだ」

 僕は「じゃあ、僕にもそうしろって言うんですか。残業はさせられないけれど、1日3,4時間勉強しろと」

 社長は「今はそう言うことは大っぴらには言えない。働き方改革からね。だけど君は自宅でほとんど勉強していないだろう」

そんなことはない。自宅でだって勉強しているけれど、それは正社員介護職をした後で、ここでインターンをした後の話しだ。ダブルワークで有休を使ってまで働いているのに、そういう側面は見ない。そして社長はそれを分かって言っているのだ。

「君は未経験からね」「最初の段階で来るべきじゃなかった」「会社に貢献していない」「基本レベルに達していない」

 残業をして、Web勉強をしようとしたこともありました。でも、マネージャーから

"T社では原則定刻以降の残業を認めていません。

規定時間以内に求められる成果・結果を出すことを重視する。」為です。

長い時間仕事をする事に価値を求めたり、評価する事はしません。"

という全社員向けのメールがきました。

 結局、答えは始めから決まっていたのだと思います。僕は平均的な求職者だと思います。でも本当に残したい優秀な人材ではありません。でも、だからと言って法的に解雇していいほど無能人材でもない[9]。だから有期雇用使い捨てる。問題は、会社がそれを元から織り込んでいることです。元々Web業界にいる人材ならこの中小企業は選びません。だから、未経験からWeb業界転職したい求職者ハローワーク転職サイト経由で最低賃金採用します。でも、実際には、彼らは平均的な人材から長くて半年までしか雇われません。それ以上雇うと、企業雇用責任が生じるからです。社長からしてみれば、彼らが1日で辞めても構いません。もちろんSさんのように雇われ続ける社員もいますが、それは例外です。

 自社の新規事業簡単レポート業務などを、常時3,4名のアルバイト(パート)を雇って大量生産させる。上司がチェックして、顧客提供しますが、顧客が作り手のアルバイト(パート)の顔を見ることはありません。

 社長は「新規事業調子はどうだ、依頼はあるか」と社員に聞きます。そのレポート作成しているのは、僕とアルバイト(パート)の女性2人なのです。2,3ヶ月経って、引きが少なければ事業から撤退して、...ということなのでしょう。

 TVゲーム風に言えば、"ノーマル(正社員)モード"だと思っていたら、2ヶ月働いて、"ハード(非正規社員)モード"だと分かった。それでも構わないと思いながら働き続けたら4ヶ月半経った頃に"無理ゲー(はじめからうつもりはない)"だと分かった、という感じです。

 最初面接の時に、社長は「できるだけ長く勤めてほしい」「はじめは「半年間で」と言ったが、2,3年はかかる」「介護仕事は辞めないで、働いてほしい」というものでした。僕は、ここで頑張ろうと思いました。でも、それは幻想でした。

 本当なら、その時に、Web課の損益計算書を見せてもらうべきでした。そうすれば、僕は当たり前の疑問「どうして赤字なのに求人票を出しているんですか」と聞いて、入社しなかったと思います

 最初から無理ゲーだと分かっていたら、僕でなくても、誰もゲームを始めないと思います

 でも、そう言ったら、最低賃金で働いてくれるアルバイト(パート)が集まりません。だから、はじめは馬(僕のような未経験求職者)の鼻先に人参(Web業界正社員雇用)をぶら下げるのです。それが実際には存在しない雇用だったとしても。

 ハローワーク求人票を掲載している一般的中小企業は、書類審査面接で応募者をフィルタリングしてから短期雇用インターンシップ契約を結びます目的正規雇用するためです。

 でも、T社は違います。考え方が逆なのです。「Web課が赤字だ」とすれば、本来ならば、少しずつ仕事量や社員を減らす必要があるのに、そうしない。将来につながる赤字なら問題はありません。先行投資からです。でも、この赤字はただのしがらみなのです。

 だから赤字部署仕事を、できる限り人件費をかけずに維持する必要があります。そのためにハローワークから最低賃金労働力調達するのです。

 本来ならハローワークは「国民に安定した雇用機会を確保することを目的として国(厚生労働省)が設置する行政機関[10]」なのに、T社は、経営を維持するために短期雇用者を供給する行政機関と割り切っているのです。これは雇用の調整弁ですらない。解雇することを前提として雇うのですから。一番重要なのは、長期雇用(正社員)に雇用転換しないことです。人件費負担が増えたら、部署赤字幅がより大きくなるからです。

 つまり、T社の採用戦略は、長期的な顧客との関係を維持するために、短期的な求職者との関係犠牲にするというものなのです。そのためにハローワークは利用されているのです。はじめはこんな風ではなかったのだろうと思います。でも人件費抑制には中毒性があるし、毎週のように求職者面接に来る。だから少しずつハマっていったんだと思います

 ロスト・ジェネレーション世代(僕は違いますが)は、自分たちより上の世代簡単には信じません。雇用契約で苦い思いをした経験があるからです。雇用者側の言うこととやることが違って、しわ寄せは、全て若い世代(自分)が被る。

 僕の場合で言えば、美しい建て前は団塊世代より少し下の社長マネージャー厚生労働省(雇用形態:正社員)のもの、醜い現実若い世代(ロストジェネレーション以降)と社内失業者(非正規社員)のもの、というところです。そして、僕から見ると、ロストジェネレーション世代は、子どもをつくらないという消極的な形で復讐をしているように見えることです。どのような形の復讐かはご想像にお任せします。

 元々転職活動を始めたのは、介護士の低い年収だと、結婚もできないし、子どもも育てられないと思ったからでした。転職をするとしたら、35歳が一つの壁になります。だからそうなる前にWebの専門スクールに1年間通いました。Webデザインの基礎とJavaScript,PHP,WordPressを学んでホームページ作成しました。それからハローワークにも通いました。介護士と同程度の給料でも構わない。パートでもいいかWeb業界で働きたいというのが希望でした。

面談4(東京しごとセンター(ハローワーク)の担当アドバイザーとの話し)

 僕がインターンシップ経験を話すと、アドバイザーは「T社は助成金目当てのロクでもない企業だね。確信犯だね」と話してくれました。

それに対して、僕は「令和になってから、現状が変わらなくても大丈夫でしょうか。女性高齢者非正規労働市場に参入してきた[11][12]から低賃金労働可能でしたけれど、令和には限界がくるんじゃないでしょうか」と聞きました。

 アドバイザーは「だから外国から(労働者を)入れているんだろうね」と話しました。僕は「なるほど」と相槌を打ちました。そう言われればそうだ。僕の職場(介護)でも外国労働者が3人いますフィリピン人女性2名、韓国人男性1名(日本人15名)です。

 だから人手不足なのに、賃金上昇は起こらないのでしょう。(1997~2017年民間部門時給の変動率は主要国で日本だけマイナス[13])

 当然ですが、僕にだって個人的問題があります。「新卒入社しなかった」「介護経験が7年目だからWeb業界転職できない」「人間性や人柄に問題がある」のかもしれません。

 今、僕が案じているのはT社で働いている5人の新入社員です。例えば、Fさん(3~40代)は「下の子体調不良のために、来たばかりですが早退します」と言って、子どもを迎えに行くようなパート女性です。Fさんが早退した10分後に会議室社長マネージャーの笑い声がしました。

 Kさん(60代)は病気で通院するために休みを取るようなパート高齢男性です。

 この文章からは、僕が社長悪者扱いしているように見えるかもしれませんが、それは違います。初めての面接の時から、僕は社長尊敬していたし、責任感が強いと思っていました。それは今も変わりません。中小企業経営していくことがどれほど大変か。経営本質が問われるのは、赤字が続いている時期であって、黒字の時ではありません。部署全体が赤字ならば、決断をするのは大変でしょう。社長の口癖は「うちは技術屋でね」ですし、「20経営していて、この規模じゃいけないと思うんだよね」と話したこともあります

 社長サイコパスっぽくなるのも、よく分かりますハローワーク転職サイト経由のあの社員は1日で辞めました。2日で辞めました。1日も来ませんでした。そして今度はインターンはてな匿名ダイアリーに書いていますとなれば、それは誰だってムカつきますよね。でも社長だって雇用契約書どころか、労働条件通知書を4ヶ月分しか渡してくれませんでしたよね。僕のことを完全に忘れていましたよね。

面談5(欲しい人材)

5月下旬面接の際には、欲しい人材は「コンテンツができて、一人でやりきれて、一回(仕事内容を)話せば通じて、CVを上げられる人」と言っていました。僕も100%

2019-05-14

anond:20190514103941

殺害予告児童クラブ補助員を逮捕2015年6月兵庫県西脇市役所や市内の保育園に「子どもを殺す」などと記した封書を郵送し、業務妨害した疑いで、加古川市臨時職員児童クラブ補助員(女性、50歳、姫路市)が11月22日までに逮捕された(威力業務妨害容疑)。容疑を認めている。差出人に自分の両親の名前を使っており、「子どもを狙い、両親に迷惑をかけようと思った」と話している。2014年10月2016年8月に、県内家庭裁判所飲食店などにも脅迫文書を送ったという。(時事、11月22日

この件の威力業務妨害は「子どもを殺す」などと記した封書を郵送」にかかっており、「ペドフィリアである」ということではない

園児強制わいせつ疑い、元保育士の男逮捕保護者相談携帯電話から動画も 愛知

「行動に出た」から逮捕された。「ペドフィリアであった」から逮捕されたわけじゃないぞ?

ガチクズ日常的に女児へのわいせつ行為を繰り返しツイッターで自慢していた男性保育士発見される

同上。

実際に私が治療にあたった100名を超える小児性犯罪者の中には、小学校先生もいれば保育士スポーツインストラクターもいる。

ある保育士はすでにベテラン領域に達する年齢だった。様々な保育所での勤務経験があり、その各所で小児性犯罪を繰り返してきたが、彼の特徴は女の子にも男の子にもそうした性暴力を繰り返していたことだった。

彼はトイレ問題行動に及ぶのだが、子どもたちを連れ込む口実を「トイレトレーニング」と称していた。

同上。

欲望消せない人間欲望を強く惹起される環境にいるとやって良いこととやって悪いことの区別だんだんわかんなくなるんだね

そりゃ欲望が「ある」と口にした時点で首にしといたほうがいいわ

これは君の妄想であり、なんらエビデンスのあるものではない。差別の口実としても下の下だな。

君が列挙した判例はすべて「行動」にかかってるんだよ。

性的少数者である」ということはなんの罪でもない。それが罪なのは差別主義者の脳内だけだ。

anond:20190514103336

威力業務妨害保育園の例

 http://daycaresafety.org/news_2016.html

殺害予告児童クラブ補助員を逮捕2015年6月兵庫県西脇市役所や市内の保育園に「子どもを殺す」などと記した封書を郵送し、業務妨害した疑いで、加古川市臨時職員児童クラブ補助員(女性、50歳、姫路市)が11月22日までに逮捕された(威力業務妨害容疑)。容疑を認めている。差出人に自分の両親の名前を使っており、「子どもを狙い、両親に迷惑をかけようと思った」と話している。2014年10月2016年8月に、県内家庭裁判所飲食店などにも脅迫文書を送ったという。(時事、11月22日


https://www.sankei.com/west/news/180913/wst1809130029-n1.html

園児強制わいせつ疑い、元保育士の男逮捕保護者相談携帯電話から動画も 愛知

 

http://jin115.com/archives/52178450.html

ガチクズ日常的に女児へのわいせつ行為を繰り返しツイッターで自慢していた男性保育士発見される

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56389?page=3

実際に私が治療にあたった100名を超える小児性犯罪者の中には、小学校先生もいれば保育士スポーツインストラクターもいる。

ある保育士はすでにベテラン領域に達する年齢だった。様々な保育所での勤務経験があり、その各所で小児性犯罪を繰り返してきたが、彼の特徴は女の子にも男の子にもそうした性暴力を繰り返していたことだった。

彼はトイレ問題行動に及ぶのだが、子どもたちを連れ込む口実を「トイレトレーニング」と称していた。

 

欲望消せない人間欲望を強く惹起される環境にいるとやって良いこととやって悪いことの区別だんだんわかんなくなるんだね

そりゃ欲望が「ある」と口にした時点で首にしといたほうがいいわ、本人のためにも

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