はてなキーワード: 道程とは
https://www.oricon.co.jp/news/2349963/full/
NHKは、ジャニー氏のルーツや人となり、業界での歩みを深く知る人たちに1年以上かけて取材。知られざるアメリカ日系人社会での来歴や、ジャニーズ草創期における性加害の実態が、貴重な証言から浮かび上がってきた。そして、ジャニー氏を支え「放置と隠蔽(再発防止特別チーム調査報告書より)」を行ってきた姉・メリー氏の圧倒的な存在。事務所の甚大な影響力のもと、沈黙を続けたメディア。同番組ではジャニー氏とメリー氏姉弟が“アイドル帝国”を築きあげた道程を取材。ベールに包まれたその実像を紐解く。
どこまで迫れるか
トイレ付近の水飲み場でT君に声をかけると、「負けちゃいました」と呟いた。
「よくやったな。今はどうだ、悔しくないか?」と聞いたら、T君は「いや、ないです。悔しくないです」と答えたっけ。
これでいいのだ。その人が本当に努力をして、最後までやりきったとしよう。そんな時、悔いの念は湧いてこない。全力でやり切ったからだ。逆に、全力でやれてないと悔いが残る。
結果の良し悪しは関係ない。その人にとっての天命である。どう足掻こうと必然だった。だから、どんな結果であれ、挑戦は終わったのだと、それまでの自分の道程を認めることができる。
ただ、悔いの念はないけれど、人によっては……。
T君の目に涙が溜まっていた。
「先生。これ、悔し涙ですかね?」
「多分違う。そういうのはな、あの練習をしてればよかったとか、あの場面でああしてりゃよかったとか、そういう空虚なのとは違う。そうだろ?」
「T君はな。自分を認めることができたんだよ。諦めずに、走り続けてよかったって、そういう自分を認めてるんだよ。そんな自分になれたのが嬉しくって、だから今、お前は涙を流してる」
「じゃあ、先生はなんで泣いてるんですか?」
「これ? ああ、これね。これは……」
「ミキプルーンの苗木」と言いかけて俺は、「お前が凄かったから感動したんだ」と伝えた。それで、碌にT君の顔を見ずに振り返って、試合場に帰った。恥ずかしかった。
ここでまた、例の漫画(拳闘暗黒伝セスタス)の場面が脳裏に浮かんできた。確か、試合に負けたセスタスを、師匠であるザファルが鼓舞するシーンだった。おそらく序盤の方だ。未読の人の楽しみが減るから、具体的にどういう場面かは書かない。気になる人は探して読んでほしい。
T君が得たものは大きい。勝っただの負けただの、結果にそこまでの価値はない。一生懸命やって、試合で全力を出し切って、結果を受け止めたんだろ? 高校生でそこまでやれたら十分だよ。
T君よ。今は幸せにやってるかどうかわかんないけどさ。俺、君を教えることができてよかったって、マジで思ってるよ。またどこかで会えたらいいな。
ちょっと休憩してから試合場に戻ると、柔道畳のすみっコのところで、T君とN君が談笑してるのが見えた。N君の肘が、T君の腕のあたりを突いていた。どちらも、にこやかに笑っていた記憶がある。
それから、あのN君だが……周りを寄せ付けない強さで県大会優勝を果たした。手元にある当時の「全国高等学校体育連盟柔道部 研究調査報告」によると、N君は全国大会で4勝して第三位に入っている。
県大会が終わって、T君は時間に余裕があるようだった。昼に営業してる隠れたお店で飲み食いして、広島城の通りをブラブラと広島駅まで歩いて行った。T君はずっと田舎育ちらしい。目をキョロキョロさせていた。
最後に、福山行の新幹線に乗って帰途についた。T君は、親が福山駅前に迎えに来てるようだった。彼を見送ると、大会の旅程をすべて終えた。
ところで、この日のことで、もうひとつ記憶に残ってることがある。あれは福山駅の構内だった。アパートに帰ろうとして時刻表を確認すると、微妙な時間帯だった。
アパートまでは、あと二駅だった(高校のすぐ近く)。歩こうか、それともローカル線を待とうか、はたまた……今日はいい気分なので、夜になったら少し吞んでいこうかなど、いろいろ考えていた。
印象的な出来事があった。
結局、国道沿いにある居酒屋で呑もうと思って、一旦自宅に帰ることにした。福塩線のホームで電車を待っていた。すると、そこに中学生の女子がひとりで居た。制服姿だった。どこの学校かはわからない。俺、元々は広島市民だしな。ただ、部活の大会帰りなのはわかった。日曜日にスポーツバッグを持ってるのはそういうことだ。
その子、スポーツバッグにストラップを付けてた。2つ。手のひらサイズの大きいやつだ。それが気になった。リラックマのやつだった。
ちょっと声をかけてみた。「ねえ、あなた」と言って、その子がこっちを向いたところで、「それ、かわいいね!」って指さしたんだよ。その茶色い熊と、黄色い鳥のストラップを。
その子は一瞬固まってた。何言ってるかわからない、という様子だった。俺は、もう一度「それ……」と言うと、その子はストラップを見た。「かわいいね」ともう一度伝えたら、その子は目をギョッと開けて、俺の肩口の方を見てきた。顔じゃなくて。
それで、何秒間もずっと目を大きく見開いている。声は出さなかった。よほど驚いたのだろうか。
別の方から、「あの、ちょっとあなた!」という男の声が聞こえた。30くらいの男性だった。恰好はそんなに覚えてないが、ジャージ姿で恰幅があった。何かスポーツをやってそうだった。
その人が、俺に声をかけたのだ。『あーそうか、部活の引率の先生なのかな』と思い、そいつの方に歩いていった。
「俺がどうかしました?」
「いえ、うちの生徒に声をかけていたので。気になって」
「それで?」
「どういう関係かなと」
「全く知らねー間柄ですけど」
「そうですか」
「全く知らない間柄だと、声をかけたらいけないんすか?」
「いえ」
「そんな法律あるんか、オイ?」
「いえ、それは……」
「いえ、ないです……」
「じゃー、あなたの対応って失礼とちゃうんですか? 俺、これでも学校の先生だよ。私立だけど。あんたと一緒」
「えぇ、そうなんですか。すいません……全くそうは見えませんでした」
「俺、傷ついたよ。責任とってくれる?」
「いや、その。すいません」
すでに距離が近かった。声色と態度でわかる。こいつは萎縮してる。初めは語気があったが、俺が近づくと萎縮した。ビビった声色になってる。
わかるんだよな。男同士だったら。雄としての『格』の違いが。こいつは自分が格下だと認めていた。自分で言うのもなんだが、普通の男だったら俺が街中を歩いてると道を開ける。
当時、福山駅のあたりの居酒屋で、若い連中がさ。冗談で女子店員のおっぱいとか、お尻を触ったりしてたんだよ。それで、俺が「兄さん。そういうのはいかんよ」と声をかけると、途端に目を伏せて――何もなかったかのように酒を飲み始める。基本は、犬や猫だってそうだろう。強い雄には道を譲る。そういうものだ。
ひるがえって俺は、またその子に声をかけた。
「ビビらせてごめんな。それがかわいいなって、それだけ言いたかった」
「どこまで帰るの?」
「川野辺まで」※よく聞こえなかった
「へー。俺はそれより前の駅だと思う」
「そうなんですか?」
「もし今度、あの先生がいない時にどこかで会ったら、話とかしない?」
「いいですよ!」
「約束な」
その子と一緒の電車の車両に乗ったけど、喋りかけたりはしなかった。空気を読んだ。
アパート付近にある駅で降りると、家でちょっと支度をして、夜になると自転車に乗って遠くの国道沿いにある飲み屋街に出た。書いてるうちに思い出してきた。あれはサンキューランドだっけ。
当時は、お酒を飲んで自転車に乗るのはセーフだった。そういえば、毎年18才の大学新入生が歓迎会でお酒飲み過ぎて、毎年死んでたっけな。そういう時代だった。
それから、その子と会うことはなかった。確率的にありえないとわかっていたが、ニアミスくらいはしてるかもしれない。
中学生で思い出した。今これを読んでいるあなたが男か女かはわからないが……中学生とセックスをしたことはあるだろうか? 俺はある。
あれは、まだ中学二年生の時だった。ひとつ年上の、女子柔道部の先輩がいた。柔道にひたむきな人で、めちゃくちゃ強くてさ。小学生の頃の俺はまったく敵わなかった。中学に上がってからはガチの柔道部に入ったので、男女で組み合うことはなくなった。
そんな彼女は、全国中学校柔道大会でベスト8に入って、広島市内にある公立の名門高校にスポーツ推薦で合格してた。
子どもの頃から柔道が好きだった。朝鮮学校じゃなくて、一般の中学校を選んだのもそれが理由だ。その中学校は柔道部が強かった。ハーフの俺でも入部を断ったりしなかった。それが理由だ。朝鮮学校の柔道部の方が強かったら、そっちを選んでいた。
その先輩のことが、俺は好きだった。だって、自分の道に真剣なんだぜ。ほかの中学生と比べて大人だった。52kg級で背丈は小さいけど、当時の俺だって油断したら投げられてた。
その先輩が中学を卒業する年、俺の家に来ることがあった。学校帰りだった。
その日、家族はまだ帰ってなかった。俺の部屋の中で座って、コーヒー飲んだり、マンガの話をしたり(幽遊白書……電影少女……BOY……まだ実家の本棚にあるだろうか)、くだらない話をしてた。詳しくは覚えてない。
ある瞬間だった。先輩が、俺の制服の奥襟をふざけて握ったのだ。俺も反動で、奥襟を握り返した(反応するのが癖になってた)。それで、グイっと手を引いたら、先輩の顔が近くにあった。それで……思わず抱きしめてしまった。
先輩は縮こまってたけど、やがて俺の肩を押した。抵抗してた。「先輩、好きです」と言ったけど、「彼氏いるから」だってさ。すると、先輩が無理やり立ち上がって、部屋を出て行こうとした。
まっすぐ追いかけて、先輩が部屋を出る前に腕を捕まえた。ヨイショッと体全体を掴んで、そのまますくい投げのように抱きかかえて、ベッドにまで運んで転がした。
そして、上に乗っかって、先輩の顔を見詰めていた。どんな表情だったかは覚えてない。「好きだ!」と大声で叫んだのは間違いない。
先輩は固まってた。俺は覆いかぶさって、そのままキスをした。手首とか指を掴んで、そこからはアッという間だった。先輩も抵抗はしなかった。ただ、ずっと受け入れていた。最後までいった。
最後までやった後、ベッドの中で先輩の体を抱きかかえて、「彼氏と別れろ!!」って求めた。何度も。何度も。三度は言ったと思う。先輩は悩んでたけど、最後には「はい」って返してくれた。それから口づけをして、ずっと体をくっつけ合っていた。あれは、あの瞬間だけは、本当に受け入れてくれたんだと今でも信じてる。
それから、何度か食事をして、デートにも行った。本当に数回だけど。子どものうちって、こんなもんだよな。
残念ながら、先輩が高校に進んでからは柔道の試合会場でしか会うことがなかった(当時、携帯電話は大人の嗜好品だった。子どもが持つものではなかった)。試合場で俺が声をかけると、前と同じように笑ってくれた。
高校からは、柔道をやってる男女の距離は離れてしまう。物理的にも、精神的にも。まるで違う存在になったみたいだ。先輩も俺も、柔道の名門高校に進んだこともあって疎遠になった。でも、どっかでまた告白しようと思っていた。
あれは、先輩が高三になる年の、大会名までは覚えていないが……先輩は、規模の大きいローカル大会に出場していた。全国から有名校が集まってくる。俺も出場していた。
その日先輩は、団体戦の時に、投げられた拍子に首から柔道畳に突っ込んでしまった。それでひどいことになった。
そのシーンを見ていた。相手の選手は、先輩を背負いで投げる時に、もうちょっとで投げられるって思ったんだろうな。自分の頭を柔道畳にダイビングさせて、その勢いで先輩を垂直に転がそうとした。しかし、最初に畳についたのは先輩の頭だった。それで、頸部を痛めて試合中に意識を失った。
先輩は、頸椎損傷で意識不明の重体になった。あれは今でも覚えてる。救急隊員がタンカを運んできて、柔道場から大急ぎで先輩の体を運び出していくのを。
意識は戻ったが、先輩の体は動かなくなった。脊髄がやられたらしい。もうすぐ高三になるタイミングだった。
柔道はできなくなったし、学校にも通えなくなった。先輩は、公立高校にスポーツ推薦で入学していた。柔道できないとなったら肩身が狭いだろうし、そもそも卒業できるか怪しかった。
結局、卒業はできなかったんだっけ。病院から出られないんじゃ、しょうがないけど。俺、その頃は高二だったけど、先輩の病室に月に一度は音連れた。
今の状態のこと、いろいろ話したっけ。首から下の感覚がなくて、手足がまったく動かせないわけじゃないけど、お風呂に入っても温度とか感じないんだってさ。
俺が高三になる頃には、病院から出て車椅子で生活できるようになっていた。自宅で療養してたけど、脊髄以外にも問題があるようだった。合併症で、呼吸とか循環とか消化とか、そういう機能にも。
大学進学で東京に出たら、先輩には会えなくなったけど、メールはしていた。今でいうガラケーである。当時は最新鋭の機器だった。中高生が見るようなバラエティ番組で、ケータイやPHSのコマーシャルが流れていた。先輩とのメール内容は思い出したくない。少しは覚えてるけど。
大学の長期休みの帰省時、先輩に会いに行っていた。先輩、いつも普段着で、オシャレができないのを気にしてたっけ。俺はもちろん、そんなことは気にならなかった。ずっと先輩に会いに行っていた。
大学三年生の終わり頃だった。先輩が自宅で亡くなってから、携帯電話とか、誕生日プレゼントとか、一緒に撮った写真とか、先輩との思い出ごとゴミに出した。今では取っといた方がよかったと思うこともあるが、やはり捨てといてよかったと思い直す。
せっかくの機会なのでメールを思い出してみるが、本当に部分的である。脈絡なくて意味不明だし、記憶の改ざんが起こってる可能性大である。お許し願いたい。
いつも大体、俺からメールを送信していた。先輩とのメールは何十回も見返したから記憶にこびり付いてる。
「東京ばな奈」
「あれ、前も食べなかった?」
「また食べたい」
「リハビリとかしてるの」
「してない」
「どうして?」
「無駄だし」
「体が動かない。自分でどうにもできない」
「車いすで動くのは? また一緒に外に行こうよ」
「恥ずかしい。あれで外出たくない」
「やったじゃん」
「次の決勝リーグで負けたけど」
「一年生でそれならすごいじゃん」
「次は勝ちたい。俺がレギュラーなったら、試合見に来てくれる?」
「え。親がお金出してくれるかな」
「出してくれるよ、きっと。だめでも説得する」
「 くんは彼女いるでしょ?」
「いないよ。できたことない」
「うそ」
「嘘じゃない」
「今年の春、私に結婚したいって言ったの覚えてる?」
「うん」
「約束守れる?」
「うん。自活できるようになったら迎えにいく」
「じゃまだからやめた方がいいよ」
「邪魔じゃない」
「じゃまだよ」
「俺と結婚するの嫌?」
「ううん。 くんと結婚したい」
「俺の力だけだと、どうにもなんないけど笑」
「 くん。体がイタイ…」
「大丈夫?」
「うん。痛い。けどがんばれるかな」
「できるよ」
「呼吸も苦しい」
「電話する?」
「できない。息ができない」
「今度の春休みに会いに行く」
「きてほしくないかも」
「なんで?」
「どうしても」
「歩けるようになりたい」
「なれるよ。絶対」
「なれるかな」
「うん」
「ありがとうね」
「 。今、何をしたい?」
「さわりたい」
「何に?」
「 くんに」
「俺も にさわりたい」
「ほんとうに?」
「本当だよ」
先輩は自宅で亡くなった。先輩の両親は言わなかったけど、後に自殺だということがわかった。
その時分、大学三年生だった俺は、国内でも国際でも大きい大会があったから、お通夜にも葬儀にも行けなかった。納棺日に間に合わなかった。お骨も拾えなかった。
それから今に至るまで、本当に好きな人っていうのができたことはない。年齢を重ねることで、恋愛する能力が落ちているだけかもしれないが
お墓参りはずっと行ってたけど、近年は行ってない。夢の中に先輩が出てきて、「もう来なくていいよ」と言われたのだ。夢の中だったけど、信じることにした。朝起きたら、涙が出ていた。
ありがとう先輩。先輩のこと覚えてる人間、俺が人類で最後になれるよう祈っててほしい。
次です(最後)
https://anond.hatelabo.jp/20241002004712
広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。
三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。
広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。
「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」
「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。
曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。
玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。
描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。
「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。
「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、
「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。
静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。
「また苦しくなったようですね」
女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。
「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。
絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。
三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。
「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」
先週は平日睡眠バランスが崩れて平均3~4時間しか眠れていなかった。
土曜日は1日中家の中でゴロゴロして寝たり起きたりを繰り返して過ごした。
日曜の朝方に目が覚めて、脳も体もなにかを欲してるような感覚があった。こういう時はとにかく外に出てしまったほうがいいと経験で分かっている。
スマホだけ持って外に出ると朝焼けが建物の間から見える。夜の名残で空気はまだ少しひんやりしている。
たくさん寝たせいで体が少し軽く感じる。ジョギングに向かうおじさんや、仕事に向かうらしい人とすれ違う。
コンビニの前を通った時、店内で60代くらいのおばさんが棚の整理をしてるのが見えた。あのおばさんのシフトは夜勤なんだろうか。
珍しい時間帯の風景が好きだ。新宿で夜間働いていた頃、夜中ビルの隅っこに座りこんで一人で弁当を食べていたホストの男を思い出す。
ボサボサの髪でのり弁を食べていた彼はその後ホストとして成功したんだろうか、それともまったく違う仕事をしてるんだろうか。
早朝は働く人間の足跡が見えやすい。人の少なさが眠ってる人の多さを想像させる。どんな人間でも眠っていると想像するとなんとなく人間がかわいく思えて好きだ。
配送のトラックが走ってる。ナンバープレートを見てその道程を想像する。
空を見上げるときれいな虹が出ていた。雨なんて降っていたんだろうか?
虹を見たのは3年ぶりくらいかもしれない。3年前心のバランスを崩して仕事を辞めていった同僚と、久しぶりに会った待ち合わせの駅で見た虹以来だった。
あの時は夕方でたくさんの人が虹の写真を撮っていた。僕らは二人とも写真すら撮らなかった。
今日の虹は誰も見ていない。さっきのコンビニのおばさんに虹が出てますよと教えたくなった。それくらいきれいな虹だった。
色の境界はあるのかないのか分からないようなグラデーションで、でもハッキリとオレンジから紫まで色の帯が感じられる。
色が溶けているとしか言いようがなく、曖昧と明瞭が同時に存在してるような不思議さがある。
子供の頃、水たまりに油膜が張っているのを見てこれが虹の最初だと思ったことがある。
それは汚水かなにかだと思うけど油膜が虹色になっていたから、どこかに大きな水たまりがあって、そこから虹は伸びていくんだなと思っていた。
思い返すと、そういった事を大人に話さない子供だった。バカにされると思っていたわけではない。誰に話す必要もないと思っていたんだと思う。
でもそういう事を話してれば大人はかわいいと思ってくれたのかもしれない。そういう意味ではちょっと損したかもしれない。
自然の景色は子どもの頃見たのとまったく変わっていない。自分がどうであろうと虹は勝手に出たり消えたりし続ける。
美しいと思うならどうぞご勝手に、と言われてるような気がして、それがなおさら美しいと感じられる。おお人間は哀れなり。
お腹が空いてる気がしたので吉野家に入って朝定を食べた。店には朝帰りっぽい女の子が一人いた。
少し崩れたアイラインと牛丼の組み合わせが妙に色っぽく見えた。
その後店を出てセブンでアイスコーヒーを買って飲みながら家に帰った。
自分は生きていて、こういうなんでもない時間になにかよくわからないものが染み渡っていき、心を豊かにしてくれるという実感がある。
仏教の根本概念である「空性」は、あらゆる現象が固有の実体を持たず、相互依存的に存在することを説く。この空性の世界は、無限の可能性を内包する量子の海のようなものだ。我々の認識する現実は、その海面に一瞬だけ浮かび上がる泡沫に過ぎない。
空性の海は、常に揺らぎ、無数の可能性を生成消滅させている。この絶え間ない生滅の過程は、仏教で説く「諸行無常」の原理そのものだ。観察という行為は、この無常の流れの中から一瞬の「常」を切り取る営みと言える。
仏教の「縁起」の教えは、全ての現象が相互に依存して生じることを説く。観察という行為は、この縁起の原理が顕現する瞬間である。無限の可能性の海から特定の現実を引き出す神秘的な過程だ。
縁起の網の目の中で、観察者と観察対象は複雑に絡み合っている。観察という行為は、この網の目の一点に触れることで、全体に波紋を広げる。この波紋が、混沌から秩序を生み出し、無定形の可能性を具体的な形へと結晶化させる。
仏教の「無我」の教えは、固定的な自己の存在を否定する。観察者と観察対象は、互いに独立した存在ではなく、深い次元で結びついている。観察という行為自体が現実を創造するのだ。
無我の視点から見れば、観察者は宇宙の一部であり、宇宙もまた観察者の一部だ。この相互浸透的な関係性の中で、観察行為は宇宙が自己を認識する過程とも言える。我々の意識は、無限の可能性の海に投げ込まれた石のように、現実という波紋を生み出す。
仏教の「刹那滅」の思想は、全ての現象が瞬間ごとに生滅を繰り返すという考えだ。我々の意識は、無数の可能性が交差する点に位置し、刹那ごとに新たな現実を選択している。
この刹那滅の過程は、無数の平行世界が絶えず分岐と融合を繰り返す様子とも解釈できる。観察という行為は、これらの無数の世界線の中から一つを顕在化させる。しかし、選ばれなかった可能性は消滅するのではなく、別の次元で実現し続ける。
「如来蔵」の思想は、全ての衆生に仏性が内在することを説く。物質の本質も、固定的なものではなく、むしろ可能性の集合体だ。観察されるまで、物質は明確な形を持たない。
如来蔵は、全ての可能性を内包する根源的な「場」とも解釈できる。観察という行為は、この無限の可能性を秘めた如来蔵から、特定の現実を引き出す過程だ。この過程で、混沌としたエントロピーの高い状態から、秩序立ったエントロピーの低い状態への移行が起こる。
仏教の「般若智」は、現象の本質を直観的に把握する智慧を指す。観察という行為は、この般若智が宇宙の根源と交感する瞬間だ。それは、無限の可能性の海から特定の現実を引き出す神秘的な過程であり、混沌から秩序を生み出す創造的な営みである。
般若智による観察は、単なる物理的な測定ではない。それは、観察者の意識が宇宙の根源的な創造性に直接参与する霊的な行為だ。この過程で、宇宙の無秩序は一時的に減少し、意味ある秩序が生まれる。
仏教の「中道」の思想は、極端を避け、調和のとれた道を歩むことを説く。観察という行為も、この中道の原理に従っている。それは、完全な無秩序(高エントロピー)と完全な秩序(低エントロピー)の間の均衡点を見出す過程だ。
観察によるエントロピーの減少は、この中道的な均衡への移行と解釈できる。それは、混沌と秩序、可能性と現実性、無と有の間の微妙なバランスを取る営みなのだ。
仏教的視点から見れば、観察という行為は単なる科学的プロセスではない。それは、悟りへの道程そのものだ。観察を通じて、我々は空性の海に触れ、縁起の網の目を認識し、無我の真理を体験する。それは、刹那滅の流れの中で如来蔵の無限の可能性に目覚め、般若智によって宇宙の根源と交感する営みなのだ。
この解釈において、量子観測によるエントロピーの減少は、混沌から秩序への移行、無明から智慧への覚醒を表現している。それは、科学と宗教、物質と精神の二元論を超越し、存在の根源的な一元性を示唆するものだ。
我々の一瞬一瞬の意識的な観察が、宇宙の秩序を生み出し、現実を形作っている。そしてその過程こそが、悟りへの道筋なのかもしれない。観察という行為を通じて、我々は宇宙の創造に直接参与し、同時に自己の本質を悟っていく。それは、科学的探究と霊的覚醒が一つに融合する、深遠な悟りの道なのだ。
ある子が卒業を発表した
というか卒業は確定事項であり、そこまでの道程のやりとりがアイドルの要素のひとつだと思う
そろそろ卒業なのかな、というのは察せてしまうというか、最後に走り抜けようとしているんだってのを感じたりする
アイドルは卒業前にいちばん輝くんだよみたいなことをなんか聞いたような気がするけど、走り抜けようとしてる時って確かにそんな感じがする
その時に立ち会う時に思うのは「もうすぐ卒業なのかな…?」みたいな推測やら心配やら邪推めいた事はやめようという事
それは心がザワザワするし苦しいけれど、正直こちらに出来る事は見守る事しか無いと自分は思う
だからその瞬間瞬間をみつめて積み上げていきたい
1日時間が経てば1日が積み上がるだけで1:1の比例関係は崩れないわけで、日々の出来事が増加していくだけなのだから真正面から三角形を形作っていきたい
そんなことを考えてる折、仰角が1°だけ大きいんだったな と思い出した
推してるとか、応援してるとか、見守ってるとか表現は何を当てはまるかは何もピンとこないけど、きっと崩れる事なく進んでいく人生が出会えた事で少しずつ大きな三角形になっていくんだと思う
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押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。
だから押す側はだいぶ神経使う。重いし。
繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。
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例えば、人混みを通らなければならないとき。
介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、
乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。
そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。
大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。
で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。
それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、
そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味だから、受け取り方が違うよ!」と慰めた。
そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。
よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。
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金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、
『身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。
最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。
周囲だって、毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。
でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。
傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。
本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん「申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。
「自分の要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。
つまり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、
「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安、
それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初の言動そのものになってるのかなと思った。
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いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。
だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。
これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。
外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。
でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。
だから多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。
車椅子用トイレが使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。
ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。
いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。
もしかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。
かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレでセックスをするアホもいたりするからな…。
健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。
車椅子の人だって介助者だって別に、自分に関係なければ許せるかもしれない。
そういうありもしない未来・過去がそのたびに去来し空しくなる。
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他の例だと、地方の美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。
外出の選択肢として楽なのはアウトレット。舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。
海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。
エスカレーターも階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。
エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。
一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。
見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。
降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。
実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。
障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。
若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。
とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。
エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。
(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)
施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。
でもまあそれは「平等なサービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。
美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから。
コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。
たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。
本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分はパイプ椅子…なんてこともあった。
クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。
「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。
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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。
自分が車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。
望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分がいるから存分に楽しめなかったりする。そもそも、自分の行動や欲求に付き合わせている。
そういった事実によって生まれた葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。
そういう立場を体験していない自分が、その感情を否定することはできない。
ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。
身内の気持ちは身内にしかわからないから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。
当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。
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社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。
人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離でコミュニケーションをとる。
これは最近のトランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。
自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。
平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。
だからまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、
なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。
色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。
無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。
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そういうわけで(?)
車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。
助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。
舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。
こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。
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おまけ
テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。
「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。
いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。
確かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。
でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルがそもそも高い。そこに行くまでの道程のハードルも高い。
立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。
そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェスを非難してるわけではない。
「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子だから無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。
介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。
こんな無力なこと、ある?
自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。
身内はこの先あの景色を体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。
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女オタクがカップリングの受け攻めや地雷という解釈違いに激しく怒り、被害者感情を燃え上がらせてクレーム突撃することから、自衛のためルールが細かくなったという投稿。
https://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5
腐女子に限らず、ジャニオタの同担拒否だとか、ホスクラや地下アイドルの被り拒否等、とにかく枚挙に暇がない。
もちろん男オタクにも解釈違いで円盤をたたき割ったり反転アンチになるような輩はいるが、絶対数として女オタクの多さには敵わないだろう。
以上が正しいという前提で、なぜ男女でこうも違いが出るのかという分析をしたいと思う。
結論から言うと、男はほぼ全数がインターネット上で怪しいエロサイトを徘徊した経験があり、そこには想像を絶する程に騙し広告や詐欺へ誘導・コンテンツの詐称が多いため、必然と地雷耐性がついたという話だ。
多くの女子は知らないだろうが、男が見るエロサイトのカオスさは完全に常軌を逸している。
インターネットという広大な地に降り立った際、多くの男は最初に興味を持つのはエロだろう。開き直るようで本当に申し訳ないが、こればかりは仕方ない。
興味を持つ歳からして、幼く、金もなく、決済手段も無い少年リンクがたどり着くのは、AVを転載している海外の違法サイトだったりする。
こうしたサイト、あるいはサイトにたどり着くまでの道程として、とにかく騙しや詐欺が多い。
この動画を観たければこのリンクに飛び、そこからまた飛び、飛び、飛び、飛んだ先に何もないやん等というのは当たり前である。ただサイトのPV稼ぎや広告のインプレッション稼ぎに使われるだけで、エロに駆られた少年の期待を打ち砕くひどい仕打ちだ。
動画広告においても、YouTubeの「動画を見たければ広告スキップ」なんてもんじゃない、動画を再生しようにもそもそも画面におけるその動画エリア全体が動画に見せかけた1枚の広告そのものであり、クリックした瞬間3つも4つもアホみたいなとんでもないウインドウが飛び出てくる。
なんなら、そもそも動画そのものに中国語の広告が編集されてぶっこまれている。再生したら「あひょんづーちぃまよォ!」(適当)などとわけわからん音声を聞かせられるし、そうした誘導の行きつく先がまた更なる広告の入り口でしかなかったりする。無限ループはこんなにも身近にある。
更に、数々の騙しの海を搔い潜って得た動画が、おい全然サムネイルと違うやんけというのは日常茶飯事だ。
というかサムネイル通りの動画などほぼ無い。騙されるのがベースである。
想像してみてくれ。ただ動画を再生しようとしただけなのに、会員登録が完了したぞ住所も把握したぞ解約したければ9万払えさもなくば家にエロ封筒送ってやるからな!と脅された少年の気分を。
こう言っちゃ悪いが、カップリングの前後がどうとかの地雷のレベルじゃない。その時は死だ。死の気分を味わう地雷だ。
他責しようにも転嫁する場所が無い。恥ずかしいものを観ようとして騙され、そもそも金を払った客でもないし、なんなら18歳未満禁止の柵を超えたのは愚かな自分自身だ。そもそも、クレームを入れようにもサイトが外国語だぞっつー世界だ。
そうした経験を以て、男は広いハイラルの世界に解き放たれていく。
こうした、騙しだらけの世界を掻い潜りながら目的のコンテンツにたどり着くという経験を日常的に送り、その延長線上にインターネット人生が広がっているならば、チンポの1本や2本や3本ごときでクレームを入れる人間に育つことがあろうか。
他を燃やすな、自を育め。お前はお客様ではない。広大な地で自分で選び集め拾い戦う、勇者だ。早くハイラルに来い、女オタク達。
カバニーリェーッス
本日は日本において妹の日、ホシヅルの日、あとはクロレラの日や鹿児島黒牛黒豚の日、カラスの日、松崎しげるの日、黒の日、クレームの日、キョロちゃんの日など、9と6の語呂合わせに因んだ記念日がございます。
さて、7が三つ並んでゾロ目になるほど朝礼をしてきたようですが
まぁできるだけ逸脱しすぎないようにやってきただけせいか、地味な道程であることは確かです。
こういう時期が一番怖いんですよね、停滞を感じてしまって突飛なことを仕掛けてしまいそうになる時期。
ですがやっぱり堅実に進めるのが一番です。
というかスリーセブンでフィーバーだ、ってのもそのゾロ目を当てるまで着実に投資し続けたからフィーバーするだけであって、少ない投資で大きな返還とか、そういうのは基本的に夢物語ですね。
少ない投資でちっちゃく稼ぐを積み重ねていくのがいいですよ、きっとね。
今派手に見えてるものも、その後ろで大きな負債があるからこそ派手に振る舞えるだけかも知れませんからね。
堅実さ、大事です。
基本を忘れないようにしておきましょう。
ということで本日は【基本的な動作よいか】でいきたいと思います。
フェミニズムは、男性にとって労働の代替物である。結局のところ。
フェミニズムに関わる女性が何を求めているかと言えば、それは、男女双方にとって住みよい社会――ではない。
あらゆる社会運動において言えることだが、その運動の究極目的やイデアールな理想像が運動の開始とともに即座に達成されることは無い。それらが達成されるのは、多くの場合その運動が開始されてから長い年月を経た後である。
その限りで、運動への参加者は時にその理想よりも、その理想を達成するまでの過程に惹きつけられる。目標達成へと浮き沈みしながら向かっていく運動そのものを、社会運動の参加者は求めるようになるのである。
特にフェミニズムという社会運動に関わる人々は、自分の行動や自分の自意識が、よりよく社会を変えていくという実感を求めているのではないかと思われる。あるいは、仮にその運動が目的達成に寄与しなくても、自分が社会をよりよく変えるための運動に従事しているという実感を得ることを、運動の参加者は求めている場合が多いのではないだろうか。社会生活を送る上での女性ならではの苦しみ、自意識、そして女性ならではの努力、そういうものが、個人の中で閉じて完結してしまうのではなく、社会の(よき)変化へと繋がっていること、その理想へと向かう道程に属していること。それこそが、社会運動に関わる人間が往々にして求めていることである。社会運動を行う限りで、そのような実感を求めていない人間はまずいないだろう。
(勿論、そのような社会運動に参加するていでいながら、実際には特定の人間を攻撃したり嗜虐的な感情を満たしたりすることを求めている人間もいる。しかし今回はこのような人々を「フェミニズムに参画する人々」からは除くことにした)
また、そのような運動に従事するもの同士での連帯感を味わうことも、社会運動に参画する人間にとっての滋味である。自分が現実社会のプラクティカルな文脈に含まれ、自分の自意識や思考や行動が、現実社会などのプラクティカルな実体と連続し、相互の作用を与えあっているという実感、また、運動に関わる他のメンバーとも連続しているという実感。それらの実感を、社会運動に参加している人間は求めるものなのだ。理想的な社会というものがすぐには手に入らない以上、運動の参加者は往々にして、そのような魅力的な過程に愛着を抱くものである。
して、男性にとってそのような実感を得る機会はあるのだろうか?
女性にはフェミニズムがそのような機会に当たり、参加者のプラクティカルな実感へと寄与する。自分の意識は社会から切り離されておらず、自分の思考や行動もまた切り離されておらず、また、自分以外の他人とも切り離されていないという実感。自分の思考や意識や行動は、社会や他人にとって大なり小なり意義を持つものなのであるという実感を得ることに、フェミニズムは大きく寄与することになる。
男性にはそのような機会――つまりフェミニズムに代わるような機会――があるのだろうか。
そのような機会は女性により独占されており、男性はそのような機会から遠ざけられ、社会やその社会に関わる人々とのプラクティカルな連続性から引き離されているのだろうか? 実際のところそうではない。
男性は、そのような実感をフェミニズムを通してではなく、労働から得るのである。労働によって、男性は社会と自分がプラクティカルに連続していて、よりよい社会に変遷していく過程の中に自分が属しており、また、そのような社会に属している他人との連続性の中にも属しているという実感を得るのである。
オレは論理的で合理的だから「お気持ち」なんかに振り回されないぜ。
じゃあ当然ニヒリストなんですよね?って思う。
不快を避け快楽を得るための経済的に充実した生活を求めて金稼ぎのスキルを磨くだなんて、そんな「お気持ち」ベースの無駄な事はしませんよね?って。
死ぬ理由もないけど、生きる理由もないですよね?そこからどうやって「お気持ち」抜きで合理的な生き方をするんですか?
意味を問うのを止め、欲の炎を吹き消して悟りでも開いたら確かに合理的と言えなくもないかもしれない。
でもそんなんしてないっしょ。
社会に資本主義経済という舞台があるのは事実だけど、そこにコミットすべきだというのは規範の話。
「である」からといって一義的に「そうあるべき」という話にはならない。
社会を維持するのは大人の義務?なんで維持しなきゃならんの?「論理」だけで正当化するのは難しい。
個々の生存と幸福追求の場を守るため?なんで幸福なんか追求すんの?
生物は生存して種の保存をしていくものだから?優秀な子孫を残すべき?
確かに今までそうしてきたけど、これからもそうしていく「べき」という意見の正当性はどこから湧いた?
規範が無からポップする事はないし、理詰めで言えば存在しないものをあると言い張るなら、それは「論理的」な人が大嫌いな宗教ですよねって。
全ての規範の土台は快不快であって、土台が無ければ論理を積み上げていく事は出来ない。
論理的「だけ」で言ったら人間なんかいてもいなくてもどっちだっていいんで。
殴ったって盗んだって殺したって、不快が蔓延するという点を除けば何の問題もない。
ニヒリズムというと脊髄反射で厨二かよと思う人もいるけれど、自然科学が台頭して宗教が相対化されて以来、誰だって最低限心にニヒリズムの影くらいはあると思う。
自覚的であれ無自覚であれニヒリズムを土台(?)にして、そこから刹那主義や実存主義や消極的ニヒリズム、あるいは宗教(人権思想や生命の尊厳だって立派で有益な宗教ですよね)への回帰なんかを選び取ってる。
「お気持ち」に従ってね。
私は大い感情論者だし、生きるとは自分の納得を追い求める事だと信じて疑わない。
そのための近道をする道具として論理を使う事はあっても、どこまでいってもそれは道具で感情に先んじるものではないと思う。
人は理屈でカレーを好きになるのではなくまず先に好き嫌いがあって、そこから遡及的に論理的な分析が始まる。
カレーとはかくある理由で美味しく、あなたが嫌いなのはそれを理解していないからだ。
「本物」を食べれば分かる、とか山岡士郎みてーな事言う奴がホラ食え、ウマいだろ?と強要したらどれほどグロテスクか。
結局は感情論だよね、という話に対する極端な反論として「感情論がイイなら人殺しをしたいって感情もオマエは受け入れるんだよな?」
みたいな話はありがちだけど、それもまた論理や規範、道徳と言うよりは快不快の均衡の話だよねって思う。
殺したいと殺されたくないは等しく無意味で対等なので、まあ多数決的に殺されたくないが優先される。
大抵の人は殺したいより殺されたくないに天秤が傾くんで。
まあ私は別に殺したくても、実行したっていいと思うけどね。突っぱねられて終わりなんで。
その考えは尊重するけど、そこから出力された刃が自分に向けられたら当然抵抗する。
他者の考えを尊重する事と、それが自分の領域に入ってきた時に突っぱねる事は全く矛盾しないんで。対等であるが故の衝突。
アフリカで何万人が死んでますって情報を聞いてもほーんとしか思わんけど、目の前で人が死ぬ所みたら素朴にイヤな気持ちにはなるだろうと思う。
そこには単純な損得勘定で片付けられない道徳や規範について何かのヒントがあるかもしれないけど、何であれ突き詰めれば快不快の問題に収束する。
自然科学的な事実でなく規範を論じるなら、快不快からは逃れられない。
イヤ利他的な行いをする人間だっているだろ、人間快不快だけで動いてない、という反論もあるかもしれない。
主体的に他者へ奉仕するにしたって、その行いが自身の中で快楽を生む、あるいは少しのコストを払ってより大きな快楽を得られるからそうしてるんじゃないって思う。
それは別に偽善でもなんでもないけど、自身の快楽を求めるために働きかける先が自分が他人かの違いでしかないんじゃない。
規範について、例えば今は結果の平等より機会の平等の方が強めに支持されてる。
じゃあその機会の平等の実践として、等しく分け与えるべきか?持たざるものにより多くを再分配すべきか?
後者は甘え、世の中弱肉強食「であるべき」なんだから努力で補え、なんてのはネトウヨにありがちな言い草だと思う。
さりとて前者が「正答」だと決めたらその時点で宗教になってしまう。
元より答えなんてないんだから「合理的に考えて」、なんてカッコつけない方が良いと思う。
私はこっちだと思います、こうこうこういう論理的な理由もありますが、根っこの部分の判断としては私の心がそう囁くからです。
って言った方が誠実だと思う。
論理的に正答が導かれるのなら、道程は違えどちゃんと学べば全員が同じ結論に辿り着くはず。
でもそうはならないはず。
こういう話をすると文章読めない人が素朴な相対主義だ!拗らせ冷笑野郎だ!死ね!ってお門違いな説教をされるんですけど。
私自身はこの話を通じて所詮は「お気持ち」だよねとは言うが、それがダメだなんて一言も言ってない。
むしろそれに自覚的である事が誠実なんじゃない?的な放言をしてるんで。悪しからず。
ふと思いついたので、テキトーに書いていく。
数年前に某プロゴルファーの「セックス依存症」の記事を見て、「あ、自分もこれだった」と思った。
本当のところ病名になるほどだったかは分からないが、記録しておく。というか一種のライティングセラピーとして、増田のためにここに記述しておく。
同じような経験をしてる人は、人生が破綻する可能性があるので、参考にしてほしい。
特にTwitter等マッチングアプリでオフパコ自慢をしている人を見ると、「真っ当な生活に戻れるのか?」と心配になる。
自分が「セックス依存症(?)」になった原因ははっきりしていて、継続的に2人以上の女性と肉体関係を持ったことだ。
特に道程で大学入学して、2〜3ヶ月で肉体関係の女性が二人もできたことが大きい。
一人は彼女。
もう一人はバイト先の先輩。
そういうサークルに入っていたわけでもなく、相手の入れ替わりはあったが、常に1〜3人程度のパートナーがおり、大学生活中は3日中2日はセックスしてた。
本当に在学中4年間は自己処理しないほどだった。
社会人になってからも会社のストレスに潰されそうになりながら、やっぱり常に1〜3人のパートナーを作りセックス三昧だった。
こういった環境に長くいると感覚がおかしくなり、以下のような症状が出てくる。
自己肯定感が自信につながり、そのためか寄ってくる女性も多くなる。
というか新しく異性に出会うと「抱けるかな?」と思ってしまう。
パートナーが1人だけだと、「俺は1人にしか相手にされない程度なのか」と自己肯定感が極端に下がる。
3日もセックスしていないと、自己肯定感はどん底状態で、抱ける女性を探し始める。
また、上記のような状態が数年続いた後、急にパートナーが0人になると禁断症状が出てくる挙句、女性は簡単に抱けると錯覚しており、最悪の状態になる。
以前ニュースで、モテそうな男子大学生が道すがら女性を襲ったという話を見たが、おそらく上記のような状態だったのだろう。
この状態から抜け出せたのは、以下のような幸運が重なったためだと思う。
色々あって結婚したが、それによって周囲のパートナーになりえそうな親しい女友達が、蜘蛛の子を散らすように増田と遊ばなくなった。
思えば真っ当な女友達ばかりだったのかも。今でも年賀状程度で交友関係は続いている。
結婚してすぐに子供が産まれ、共働きで子供の面倒を見ることにより自分の時間がなくなった。
結婚〜1人目赤ちゃん時代ははセックス禁断症状が凄く、自己肯定感の低下と欲求不満、ストレスが凄かった。
この頃、Twitterでライティングセラピーもどきを始めた。
快楽に溺れ、禁断症状に苦しみ、平穏な生活を得た今感じることは、「経験しないほうがよかったかも」だ。
違法薬物と一緒で、経験した快楽は手放し難いし、今でもその快楽を覚えている。
また、セックスに膨大なエネルギーを注ぎ、それにより失った経験も多いように感じる。
大学、社会人と彼女がいてもセックスありきの逢瀬で、旅行なんて全然行かなかった。
性欲が高まるとあの頃に戻りたいと思う時もあるが、今の生活を手放したくないという感情が、それを抑える。
経験した快楽と、それによって失ったであろう真っ当な恋愛、価値観が「経験しない方がよかったかも」を導き出す。
隣の芝生が青く見えるだけかもしれないが、学生時代にプラトニックな恋愛をし、浮気をせず、刺激の強すぎるセックスを避けた方が人は幸せなのもと、最近思い始めた。
友人も多く失った。
職場では上記のような経験を隠し、女性とも積極的に喋らないようにした。
酒のつまみになる話最新回で「引っ越し先の条件」というお題で大悟が言ったことに対し、大いに賛同する
その条件とは
「自転車屋さんが近くにあること」
正解
だと思う
でも、今自分が住んでいるところはbesv売ってくれてメンテしてくれるケッタ屋さんから3.2kmも離れている
この道程をあの重量の電アシ引きずって歩くのは苦行だ。というか無理
チェーン外れた時は仕方ないので来て貰った。今度から定期メンテに通うことにした。春になったら行こう
それはともかく、ほんとケッタ屋は近くに無いと駄目
人それぞれペースがあるだろう
べつに90歳で初婚を迎えたっていいし
そういう巡り合わせがなくとも泰然と90歳まで暮らすのも一種のペースだろう
人生に強いてやらなきゃいけない事なんて一つもないしな
逆に、あると思ってる人は他人に刷り込まれたものを受け入れすぎなんだろう
何でもそうだが誰かが執着してることは他人にとっては無関心だったりする
その認知的不協和を解消するために、他人に刷り込まれたものを自分のものとしてインストールしがち
でも人間にはそういう性質があるからこそ広告とか社会とかも成り立つわけで、抗えという訳ではないが
常識とか評判とか周囲がどうとかって認識は、他人の何かを自分事としてインストールした自分を正当化するのには便利だが、それ以上でもそれ以下でもない
こういう道を歩むならこうしといた方が合理的みたいな事はあるけど、そもそもどういう道だってとり得るんだよ
その道に正しいも間違いもなくそれを判定できる神のような存在もいないし、ただ各々にユニークな曲がりくねった道程があるだけ
そういう了見を持って過度に気にしないで済む性質の人と、そうでない人がいるというだけなんだよ
そうでない人というのは自分事としてインストールした何かや自分が見出してきた何かを他人に注ぎ込んで自分と同じような人間を作ることで安心感を得ようとしているというか
彼女は、177cmとかなり身長が高い。増田は、自分が足に軽度の障害があるため、このような、「普通と違う特徴を持って生きる」ことにかなり興味があるので注目していた。
デビュー作で、彼女は森の中で、裸足で立ってて、「私は私のやりたいことを見つけるためにAVデビューした」的な独白が続く。
これだけなら、単なるデビュー作特有の意識高い系の演出だけど、
引退作で、なんと、彼女は森の中で、裸足で立っている。「私のやりたいことは、セックスをしまくること」的な独白だ。
感動した。
そうでなければ、彼女は彼女の「物語」を僕らに教えてくれない。
増田は、いわゆる弱者男性で、女性と縁がないのだが、彼女と縁を結べたのを感じた。