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はてなキーワード: 蕎麦とは

2019-04-17

anond:20190415214455

カップに入ったチョコレートソーススパゲティをつけて食べる

ざるパスタ

しかも、そのあまりひねりのない名称から、単なるざる蕎麦スパゲティバージョンだろうと多くの客が高をくくるであろうことを見越して、つゆがそばつゆとかじゃなくて、まさかチョコレート

2019-04-16

飯の味がしない

小学校の頃、何を食べても美味しかった

半ドン父親が作った焼きそばが好物だった

外食で新しい味に出会うたび、親に世界感謝する時分だった


中学生の頃、味より量に傾き始めた

部活帰りに寄っては食べる、近所のパフェが美味しかった

身体も胃袋も大きくなって、幸せ詰まる時分だった


高校生の頃、さらに量へと傾倒した

たらふく入る胃袋抱えて、弁当学食蹂躙し尽くした

受験の前に先生の奢ってくれた立ち食い蕎麦

少し物足りなかったけれど、不思議身体が暖かくなって

今までの中で一番うまい蕎麦だった


大学生の頃、食は形式的ものになった

ただ急いで腹を満たせば良い、それだけの行為に成り果てた

9時から2時まで研究に没頭して、論文が書き終わった時にはもはや味覚なんて消え去っていて

だけれどここを抜ければ、就職できれば

またすぐに飯の味が戻るものだと思っていた


そうして、社会人になって、飯の味がしない

大学生の頃よりも総合的には楽になって

研修の中でそれなりの成績と顔を保っているのに

寮の夕飯、飲み会焼き鳥、好きだった店の天津飯

何を食べていても、砂利と変わらない


社会人になれば美味しいものを食べて笑えるあの頃に、戻れると思っていたのに

のしない飯を食む生活に、囚われるなんて微塵も思っていなかったのに

嗚呼今日もまた、飯の味がしない

2019-04-15

子供自炊入門はウドン蕎麦から始めるのがベスト

日本料理の基本であり全てである出汁の取り方、そして基本のスープの作り方を学ぶ

火加減の意味材料の大きさや入れる順序の根拠を知る

anond:20190414142109

まず「洋麺屋五右衛門」にでも行って、箸でパスタを食ってみる。あとは、他にも書いてる人何人もいるが、自分作ってみたらいいと思うぞ。料理する人間として「自分だったらこうするかな」というのを書くと、

こんなところか。

製麺機ロマン増田求めとも出すまをン麻呂の斤目伊勢回文

おはようございます

ついには製麺機を手に入れてしまいました!

そんな週末いかがお過ごしでしたでしょうか?

私って東京行ったらもう富士そばばかり食べまくってるんだけど、

その富士そばには、

最近なのかしらね押し出し製麺機で作ってる乱切り蕎麦って、

私はその乱切り蕎麦提供しているお店がわりとお気に入りで好きなのね。

で私も真似して製麺機手に入れてやってみたけど、

といってもラインを動かしたら1回でもの凄く大量に出来るのが欠点

もうこんなに食べれないよーって感じ。

それはともかく、

一度はロマン憧れる十割蕎麦

まりにも初見初回でろくすっぽにレシピも見ずに作るのは無謀すぎたわ。

一応製麺時にはちゃんと麺としたみてくれの形状を保った、

蕎麦から蕎麦らしい香りを漂わせ良い雰囲気で出てくるんだけど、

茹でて冷水でしめたら、

ぼろぼろにちぎれてまともなお蕎麦とはほど遠い感じだったのよ。

あらためて二八蕎麦は偉大だなと思ったし、

慣れるまではちゃんとつなぎを入れて蕎麦ってみるわって思ったわ。

たぶんお蕎麦製麺はかなり難易度高いんだと思うわ。

うどんとかパスタとかを試してみるわ。

あしかもこれ製麺したあとは、

ドモホルンリンクル機械みたいに1回1回全部機械分解して部品を綺麗に洗わなくちゃいけないから、

結構気合い入れて製麺機動かさないとなーって思っちゃったわ。

うどん食べたあとからパスタ食べたーいって

すぐにはできないから大変。

うどんならうどん

パスタならパスタ!ってぐあいよ。

ちょっと十割蕎麦までの道のりはローマ万里の長城かの如く遠いけど

きっと道は繋がってるはずだわ。

簡単レシピのものから腕ならし慣れていくわ!

うふふ。


今日朝ご飯

違う道歩いて行ってみたので久しぶりに寄ったパン屋さんで買った、

オムレツフィッシュフライサンドよ。

ここはオーダー受けてすぐ挟んで作ってくれるから

千切りキャベツ香りがとてもいいのよ!

店頭で回ってる自動キャベツ千切りマシーン機械はさすがに私は欲しいとは思わないけど、

ぐるぐるずっと回ってキャベツの千切りが延々と生産されていく様を見ているのは楽しいわよ。

デトックスウォーター

イチゴレモンウォーラーです。

ホールスパイスとして丸のままの黒コショウも使ってみるとまたアクセントになるわ。

もっとパンチが欲しかったら、

ちょっとコショウ潰して入れるのもポイントね。

たまにホールスパイスを加えてみるのもオススメよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-04-08

もしかして蕎麦好きの人は「押し出し製麺機」で作った蕎麦邪道

あんなの蕎麦じゃないって思ってたりするの?

美味しかったら良いじゃんと思うけど。

久々に記憶がない

もうちょっと飲もうと思って三軒目初めてのバーに入ってなんかボトラーズのウイスキー出してもらって

あーだこーだ語ってたところまでは覚えてるんだけどその後まったく記憶がないや

帰りにコンビニ蕎麦買って家帰って食って寝てるから普通に帰ったんだろうけど

2019-04-03

anond:20190403164552

もり蕎麦→皿に盛ってる

ざる蕎麦→ざるに盛ってる

せいろ蕎麦→せいろに盛ってる

「もり蕎麦」と「ざる蕎麦」と「せいろ蕎麦」の違いって何?

盛り蕎麦に付いてくるワサビの使い方が分からない

板わさみたいに、蕎麦に乗せたらいいの?

めんつゆに入れて溶いたらいいの?

いやでもめんつゆに溶いたらワサビの風味なくならない?

どうやって使うのが正解?

ちなみにカレーラースで一緒にソースを持ってきてくれたんだけど、

ソースってどうやって使うの?

まさかカレーに掛けて食べるの?

そんな食べ方???

2019-04-01

ラーメン屋で割引券もらったからもう一度行ってつけ麺食べて会計時に割引券出したら「あーこれラーメンだけなんですよw」と言われて割引券を見たら「ラーメン割引」と書いてあって俺はつけ麺ラーメンだと思ってたのでつけ麺も当然割引されると思っていたのだけどそのラーメン屋ではつけ麺ラーメンではないようで俺は悪くないのになんか俺が悪いみたいになっていてなんなのこれ。ざる蕎麦もかけ蕎麦蕎麦やろがい。つけ麺はつけラーメンやろがい。

2019-03-23

同音異句

シュロロロロッ!シュロッ!!(落語蕎麦をすする):シュロロロロッ!シュロッ!!(AVクンニをする)

2019-03-19

こんな感じで人生は終わっていく

8時半に起きて10時半まで布団の中でスマホをだらだら見た。そろそろ起きないとやばいと思って朝ごはん牛乳チーズを一切れ食べた。食べ終わったら久しぶりに買ったジャンプを読んで面白そうな漫画を探した。13時になったら昼ごはん蕎麦を茹でて食べて食後にお土産バームクーヘンを食べた。スマホゲームをやってみようかと思ってApp Storeを見てみたけど育成とか面倒だなと思ってやめた。15時くらいになったら眠くなってきたので寝たら19時になってたので夜ご飯を食べた。夜ご飯を食べ終わったら施川ユウキの「鬱ご飯」を読んだ。

2019-03-18

おい立食い蕎麦屋で飲む奴!

今日も一日お疲れ様でした。

俺も、無理矢理に今日仕事仕舞いにしたので、立食い蕎麦を食べ終わって帰るところです。

これから電車に乗って、胃の中でこなれてきたくらいに家に着くから、歯だけ磨いたらそのまま寝ちまおうと思う。

どうせ明日になったら、不思議に眼が覚めるんだし。

その立食い蕎麦屋(厳密には座れる。越後そばなので、スツールがある。)で、先客の二人組は既に酒臭かったんだが、厨房からお盆に乗って渡されたのは、まさか生ビール

立食い蕎麦でこういうのもアリなのか。知らなかった。

俺は、紅生姜天麩羅そばを受け取って食い始めると、その二人は酔いもあってか滅茶滅茶うるさい。ありがちだが、同僚や先輩の悪口を言い合って笑ってる。

「あの人、細かいことは気がつくけど、どーでもいいし、何喋ってるかわかんないし、人のことばっかり気がつくよな!自分のことは気がつかないのに。」

今の君たちじゃないのかね、それは!

かに立食いすすって帰りたかったのに、台無しでした。

という話を、ここで書いて発散したいだけ。

立食い蕎麦で、色んな発散方法があるという発見だった。

日記

週末は心穏やかだった。妻のことは言い方は悪いがお金をくれるお手伝いさんだと考えるようにすると期待以上のパフォーマンスを上げた場合にとても感謝できる。土曜日は朝から娘を病院に連れて行った後、家で妻に娘を預かってもらってる間に自分病院へ。いつもの薬を処方してもらいつつ胃カメラの予約がまた入る。前回の胃カメラと生体検査でもシロだったが先生は癌を疑っている。保険周りだけ再度確認。後は気にしても仕方ない。やれるだけやったらなるようになる。

娘の連れて行った病院アレルギー採血時に親は診察時に出されてしまう。ドア越しに娘の絶叫を聞くと自分が体を抑えたほうがいいのではとも思う。親だけは味方でいてという先生の言い分もわかるのだが後で娘に聞いたらネットでぐるぐるにされたと言っていた。それでも動くせいで手の甲から採血できずやり直しに。それと陰部の痒みがあると伝えたので当然見ることになるのだが、娘はお股を親以外に見せてはいけないと知っているので物凄く怒った。金曜の晩の風呂病院先生病気を治すために見るから特別だと言っておいたが分かっていなかったようだ。土曜の夜にもその話題が出たので再度説明する。本心かはわからないが恥ずかしいという感情理解し始めているようで成長を実感する。痒みは単純にしっかり洗えていなかったからのようだ。男親だとそのへんの加減がよくわからない。自浄作用があるから表面だけでいいと聞いたことがあったが先生曰く石鹸ちゃんと洗って流せとのことだった。軟膏ももらう。自分適当に洗わせてるだけじゃだめそうなのでしっかり洗わせる。だが石鹸が痛いと言っているので専用の石けんを探すことにする。

妻が作ってくれたオムライスを食べて娘と昼寝。すぐ起きてしまったが。その後ピアノ教室へ連れて行く。先週とは打って変わってよくできた。先生にも褒められる。風呂や本読み寝かしつけなど一連の流れをこなして就寝。

日曜は朝食を食べさせた後約束していたプリキュア映画へ。出かける頃に妻は起き出す。友人の展示を見た後映画館へ。練りきれていない脚本をなんとか形にしたような映画現場の苦労が偲ばれる。監督脚本家どっちに問題があるかわからないが作った人間性格問題がある感じ。ほかのキッズたちも不穏な空気が漂う瞬間が度々あった。ただ娘は喜んでいたのでよしとする。映画館が暑かったのか顔が真っ赤になっており体がだるいというので予定を変更し帰路につく。冷たい蕎麦が食べたいというので昼食を取り帰宅。妻はいなかった。娘を昼寝させようとするが絵本読み逃げされるだけで終わる。ポニョDVDを見せたり二人でオセロをしたりしているうちに夕飯の時間に。妻も帰ってきたので近所のファミレスに行く。妻の行き先など聞かなかったが珍しく自分から言ってきた。浅い世間話を少しして後は娘とだけ話す。妻はスマホゲームしてるので。でも洗濯とかやってくれたのでよしとする。妻と娘の会話はほとんどないがこの時はあからさまな不機嫌な様子や拒絶を見せることもなく比較的穏やかだった。娘と来週の予定を話して準備の算段を確認する。保育園も新しいクラスになるので楽しみだ。来週はクッキングもするらしい。

こちらとしては妻と距離をより置きたいが娘は母親から煙たがられているとは全く考えていないので様子を見ている。とはいえ不安ときや困ったときなどは僕のところにしか来ないので面倒を見てくれるのは誰か肌で分かっているようだ。最後に娘と妻が一緒に寝たのはいつなのかもう思い出せない。

2019-03-11

夜はお蕎麦にするかー

お肉と玉ねぎでおつゆ作って

小松菜おひたしでも乗せよう

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。実は三河武士あいだでやたらと流行っていて十人いたら七・八人は唐の頭をつけていたと言われており、というのも唐の頭を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-03-05

中華そばっちゅうか、蕎麦たべたいよね。

冷やし中か

2019-03-01

大盛りカップうどん蕎麦玉を一つ追加するだけでこんなに満腹になるなんて

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