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はてなキーワード: 蕎麦とは

2018-11-12

業務スーパー

クレジットカードの使える店舗

98円のが108円だったり

298円のが328円だったり

1割ほど高いよね

野菜とかうどん蕎麦はそうでもないけど

手数料相当なのかな

anond:20181112114655 11:53修正しました

意義あり!焼き蕎麦パンは脂分と炭水化物の過剰摂取で胃に負担をかけます

消化のよいものをすすめるべきです!

栄養とるにはヤキソバパンもいいぞ

増田職人の朝は早い……しかし、なぜ伸びないこの時間に、わざわざ書き込むのだろうか?

我々の取材に対して、増田氏はこう答える。

蕎麦を打つのと一緒で、朝から理屈をこねないとブクマカ様に提供できないんですよ…」

プロの一端を、垣間見た気がしたーーー

2018-11-09

反比例

ボスが昼は立食い蕎麦一択だろ!と言ってた。金貰ってるなら良いモン食えよダセーなと思ったが、先日課長になったら、忙しくて立食い蕎麦専門。まだミニカツ丼食えてる分だけマシかと思う我が社は、ブラックカンパニー

2018-11-08

面倒くさくても戻してほしい

コンビニ蕎麦

汁をあとからかけるタイプのほうが美味い

2018-11-04

カキがこわい

カキフライあるじゃんカキフライ

なんでカキフライフライになるの?ハマグリとかアサリフライじゃだめなの?

カキフライ貝類たちを押しのけて「じゃ、俺フライってくるんで」とか正月除夜の鐘を聞きながら蕎麦啜ってる時に言うんだよ、ドヤ顔で。

ゆるせないよ。こわい。

2018-10-23

コンビニバイト始めて半年経ったがいまだに袋詰めの要領がよくわからない時がある

客「おい、卵を袋の下に入れるな。割れるだろ」店員「下に入れた方が割れにくいんですけど…」正しいのはどちら?→様々な意見が挙がる

https://togetter.com/li/1279454

・まあ卵は迷ったら別の袋に入れればいいんだけど。

・でもしばしば袋を別けると怒る客がいるのが面倒くさい

・そういう客は勿論袋の底に卵を入れると高確率で怒るので、しょうがいから一番上に載せて、動かないように袋のあの縛る部分?をしっかりテープで留めて固定するんだが

・袋の口をテープで留めるのさえそんな事はしなくていいと怒り出す人には

・帰るまでに卵が全部割れ呪いをかけておきます

・それより地味に悩ましいのは、お蕎麦と500mlのペットボトルをお買上のお客様が「(袋は)いっしょでいい」と仰有った時で、

・渋々言うこと聞いて一緒に入れると、

・お蕎麦の上に置いたペットボトルが、袋を持ち上げた瞬間転がってお蕎麦のパックのサイドに落ち、

・更に袋の底に転げて

・結果、お蕎麦が縦になること。

2018-10-09

ランチタイム、○なまるうどんが大行列になってる、この数週間。

例の定期券販売されて、うどん一杯に付き天ぷら一品無料の影響。

そこから少し離れた ○で太郎は、随分と空いている。

○なまるうどんに客を持ってかれた形じゃないだろうか、気の毒だな。

○で太郎は日替わりのランチメニューで、セットメニューを500円で提供していたが、

無理が祟ったせいか550円に値上げしたことも影響しているかもしれない。

蕎麦好きとしては ○で太郎推しているが、いつもより更に昼飯代を押えられるとなれば、

この定期券有効な期間は、好きでも無い ○なまるうどんに行かざるを得ない。

平日毎日 ○なまるうどんを食べるとお腹が緩々になるが、それはしょうがない。

定期券の期間が終わったら、この大行列はいつも程度の行列に戻るはずだ。

その時俺も ○でたろうに また戻るだろう。

都会のオフィス街ランチタイムとはいえいかに皆が安いランチを目指しているかが良く分かったよ。

2018-10-06

anond:20181005163007

半額の天ぷらと麺つゆと蕎麦ネギを買うよりましだと思う

2018-10-01

インド料理富士そばか迷う増田住まう夜間カバ素地府仮うょ里鈍意(回文

オスカル、君がいると助かる!

ベルサイユのばらで一番好きな台詞です。

おはようございます

月が変わっちゃったわね!

新しい月よ。

と言うか今月は既にもう2回も東京出張の予定があって、

ランチインド料理屋さん巡りか富士そば巡りかに迷ってます

んふんふんふん♪

せっかくなのでインド料理屋さん探してチェックしておきたいかな。

バングラデシュ料理東京にならあるみたいだし、

それでもいいかしら?

でもさ

富士そばも捨てがたいのよね!

私の住んでいる周りには、

ああなかなかみずみずしい蕎麦は食べれないので、

からてやんでーばかやろーこんちくしょうめ!って意気込みで蕎麦いっちゃいたい感じなのよね。

浅草富士そばのお店なんか

またすぐ隣にそば屋があるもんだから

富士そば食べて出たそば

また隣に入っちゃうぐらい蕎麦も好きなのよね~。

出張面倒くさいけど

こうやって楽しい予定もかませておけば楽しくなるわよね!

もう行ったら秒で仕事終わらちゃおう!

うふふ。


今日朝ご飯

昨日の台風大丈夫だったかしら?

私は西に行ってたので、

台風に追われるように帰ってきたわ。

地図を見てるとどんどん高速が通行止めになってきてるのが、

迫り来る恐怖感あってなんかただならぬ雰囲気だったわよ。

なんかデイアフタートモローを地で行く感じかしらね

その台風のおかげでお店にはおにぎりサンドイッチが陳列されてなくて残念。

すっからかんで買えなかったわよ。

デトックスウォーター

巨峰ウォーラーしました。

風味はちょっと不動の葡萄風味なのがいいです。

一度種なしを買っちゃうと、

種ありには戻れないわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-09-30

知る食うロードが終わってしまった…

BSジャパン放送していた「知る食うロード発見!食の景観~」が終わってしまった…

http://www.bs-j.co.jp/official/shirukuuroad/

最初から見てたわけじゃないけど好奇心に溢れていてマニアックで、でもわかりやすくて

喩えれば笑いの要素を除いたDPZみたいなコンパクト面白い番組だった

芸能人が出てきて騒ぎ立てるわけでも口に入れた途端おいしーい!と言うわけでも

大げさな喩え話で食べものを褒め讃えるわけでもこの県民は全員がこれを愛していますよー!と言うわけでも

スタジオで大試食会が行われるでもゲームの結果誰かが食べたり食べられなかったりするわけでもなんでもなく、

ただただ淡々と一人の案内人地域食文化ピックアップして紹介するすごく静かで

でも時々ものすごくマニアックもの出会った時のその案内人の脳が痺れるような興奮度合いというもの

画面のこちらにも伝わってきて(出雲の釜あげ蕎麦の回など顕著でこちらもおおっとなった)、

これを食べてみたいという気持ち知的好奇心旅行に行きたくなる心も同時に煽られてしま番組ですごく好きだった

孤独のグルメ」を見てるとき気持ちにもちょっと近くて飽くまでその食べ物食文化に焦点があたっていて

もしこの番組DVD化されたら一人で食事をするときに観ながら食べたい そんな感じの番組だった

2018-09-29

寒天の美味いまずい

近所にちょいちょい行列のできる甘味処があって、せっかく近所なので並んでないときにちょくちょく通っている。

基本はあんみつ、夏はかき氷、冬はぜんざいも出る。

ここのあんみつは入ってるもの全部が美味しいんだけど、特に寒天が美味しいと思っている。いくら美味しかろうと所詮寒天なので寒天として美味しいというだけなのだけど、ここで食べるまで寒天が美味しいと思ったことが一度もなかった。

子供の頃は和菓子より断然洋菓子派だったので、「昔の日本人は豆を甘くして喜ぶしか能がなかった」とバカにしていたし、寒天も「ゼリーがないか海藻を固めて味も無いのに喜んでいる」と思っていた。

寒天なんてゼリー代用品だと思っていたのだが、この店で初めて寒天が美味しいと感じたのである

先日祖母が遊びに来たのでこの店に連れて行ったら祖母も美味しいと喜んだ。地元福岡なのだが「福岡ではあんみつの真似をしているだけで本物を知らないで作っている」と語る祖母。「そもそも福岡寒天は柔らか過ぎる」とのこと。たしかに、地元で美味しいあんみつを食べたことが無いからずっと寒天バカにしていたのである。この店の寒天絶妙な歯触りで、味はしないんだけど黒蜜とかアイスと一緒に食べると凄く美味しい。

そっかー福岡のがまずいだけで東京で食べれば美味しいのかなとか思って今日デパートに入ってる蕎麦甘味チェーン店あんみつ食べたんだけどさ、やっぱり寒天まずいやんね。食感も近所の店に比べたら柔らかくていまいち、なによりなんか変な味がするんだよ。なんなんだろ、天草の味なのか、水の味なのか。とにかくまずかった。アイスと一緒に食べれば誤魔化せるけど単独で食べるとくそまじぃ。

やっぱり近所の店の寒天は凄く美味しいんだなぁと思いました。

自民党だろうが野党だろうが企業だろうが、

そもそも組織なんて完全に一枚岩じゃない場合ぐらいよくあるし

あの組織の中の一部分だけ利用してるだけで、その全部を肯定するわけではないなんて普通にあることだと思うんだけどなあと

天ぷらが嫌いなやつは天ぷらも売ってる蕎麦屋蕎麦だけを食うのも駄目みたいなのは理解に苦しむ。

2018-09-21

anond:20180921145425

LGBTQ自体性的志向」の多様性を示した概念なので、性的「嗜好」が入っていないと言われても、それは「入っていませんね」としかいいようがない。蕎麦屋にきて「うどんがねえじゃねえかこの差別豚!」とか叫ばれても困る。蕎麦蕎麦屋うどんうどん屋なのである


だが、蕎麦屋(LGBTQ)にうどんがない(性的「嗜好」が入っていない)ことと、うどん(様々な性的「嗜好」)を尊重すべきか否かという議論は、全く別だ。個人的には、両者を絶対区別すべきかどうかということにも依然として疑問はあるが、少なくとも、仮に両者を分けるとしても、蕎麦尊重することとうどん尊重することは普通に両立しうるので、それぞれ尊重されるべきだと考える。

ただ、蕎麦屋蕎麦尊重する(LGBTQが権利主張する)ために「私たちうどん性的嗜好)なんかとは違うんです」みたいな物言いをするとしたら、それは明らかに間違っている。時折そういう物言いを見かけるのも確かに事実ではあるし、その意味では増田が言いたいことも理解する。確認しておきたいが、両者が絶対に異なるものであると言い切れるかは定かではない。そしてまた、仮に両者が異なるものであるとしても、それで前者が貴く後者が貴くないということにはならない。誰も、権利を獲得するために他者権利を踏みつけるような真似をするべきではない。ゆえに、「自分たち権利が認められないからLGBTQの権利も認めない」といった物言いや考え方にも与して欲しくはない。うどん性的嗜好)のことが本当に大事ならば、どうすればうどん性的嗜好)が社会的尊重されるようになるか、LGBTQの事例に学ぶことが重要なのではないか

2018-09-19

anond:20180918110338

俺もそう思ってたが、友達が美味しい蕎麦屋に新蕎麦の時期に連れて行ってくれたその一回だけ香りを感じた(と思っている)。

2018-09-18

anond:20180918110338

わかる。いや蕎麦匂いわからんが。増田のいうことがわかる。

ブコメに「蕎麦屋いけば香るだろ」とか書いてあるが、香らない。

ウメン食べるのと蕎麦を食べるのの間に太さ以外の差を感じない。

でも蕎麦湯は何か美味しい。香りが好きなのかはわからないが。

anond:20180918215751

市川海老蔵さんがそばつゆを使わず蕎麦を塩とわさびと水につけて食ってるのをテレビで見て

こいつ変なヤツだなと思った

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

「ごめんあそばせ」初体験長野

一泊二日の旅行長野に来ている。渋温泉の評判のいい宿でくつろぐ予定だ。

長野駅前はそれなりに栄えていて、きれいだ。涼しい。ジメッとしていない。蕎麦も美味しかった。

温泉が良ければ最高の旅だなーと思いつつ長野電鉄長野線のきっぷを買い、改札へ向かう途中、おばさま3人組に追い抜かれた。

雑談しながら、ゆっくりと財布の中からきっぷを取り出す3人。後ろで順番を待っていると、1人のおばさまが私に向かって

「ごめんあそばせ」

と言った。

初めて生で関西弁を聞いたときのような感動があった。この言葉は現役なんだ!

昔は話す人もいたんだろうけど、現代では役割語として亡霊のようにフィクション世界彷徨っているんだと思ってた。

特急電車に乗り込み、車窓から古びた駅のホームを眺めつつ、感動に浸っていた。

温泉は近づいている。いい湯ならうれしい。

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