はてなキーワード: 盲目とは
毎クールのように大量のアニメがTV放映される時代だけど、やはり気になるのはその「出来映え」。様々な制作スタジオが請けているので、当然だがバラツキがあるわけで。
特に緊張するのは、生粋のアニオタではなく別ジャンルのオタが、「推している作品 (原作) がアニメ化したので観る」場合。
その作品を知らない人がアニメを観る場合はまだマシなんだ、アニメ自体が面白ければいいから。問題は原作ファンが観る場合で、「媒体の差」によって良さがオミットされたり、そうでなくとも「思ってたのとは違う」みたいな感想を抱きがち。
もちろん、媒体が違うんだから出力を見て感じる印象は別だし、「絵が動く」というインパクトはアニメなど映像媒体じゃないと味わえないものではある。前述したように「その作品を知らない人」への入り口として機能するのも良い。
ただ、オタクってやつは「良さがオミット」される部分について敏感になりがち。だから盲目的に「原作そのままで」と叫ばれるわけだけど、そうもいかない要因の筆頭に来るのは……恐らく「1クールアニメとしての尺」。
2クールアニメが (そのクールに放映されるアニメの量に対して) 稀になっている現代だと、「30分×12~13話」というフォーマットに収まりきらないものは実質的に「アニメ化できない」。じゃあどうするかというと、シナリオを削ったり改変したりまとめたりして、そのフォーマットに収まる分をアニメ化することになる。
まあ、漫画や小説の原作だったらまだいいんだ、「1巻」「2巻」という単位で区切れるから。問題なのはゲームのアニメ化で、ノベルゲーにせよソシャゲーにせよ、「原作」の尺をそのままアニメに落とし込むと2クールあってもキツかったりする。「30分×12~13話」は要するに「6時間~6時間半」ってことだけど、「短いからすぐ終わるよ」と言われるノベルゲーのプレイ時間目安が「10時間」とかだったりするからね、どうしても編集が入る。
だから思った、「じゃあ1クールアニメにこだわる必要ないじゃん」って。原作全部アニメ化するのは無茶だけど、例えば序盤の……ノベルゲーで例えると「OPに入るまで」みたいな、区切りの良い位置までアニメ化したOVAにすればいいんじゃないかって。こうすることで、「原作から変に改変されて良さが削られた」とか「1クール分尺を確保するために大部分がアニオリです」とかがなくなっていいと思う。
昔だったらいざ知らず、今ならネット配信という媒体があるから、宣伝すれば観てもらいやすいはず。1クールアニメよりコストは掛からないし、悪くないプランだと思うんだけどな……。
追記:昨今だと「クラウドファンディングでお金を集めて5分アニメで1クール放映します」ってプロジェクトもあるよね。嫌いじゃないけど、5分アニメって実質2.5分しか本編ないし、5×12=60分ってことは、通常の (30分の) アニメを2話分、きっかりOVAとして組めば良くない??
40手前になってもバカみてえなポエムを書き、200万の借金を嘆く手取り20万前後の童貞こどおじ
新卒採用後半年で複数回転職しているくせに自分の評価が異常に高いバカ
沖縄に行ってみたり、母親の手料理を食べたり、仕事をさぼってみたり、とにかく幸せそうなのだ
私は毎日朝起きて飯を食い、仕事に行き帰宅し風呂に入り飯を食い寝るだけ
休日は妻と出かけたりするが、幸せかどうかと言われると、うーん・・・。と考えてしまう
妻とケンカすることもある、友人との飲み会が楽しい日もある、子供が出来た、と聞き父親としての自覚を持たなければいけない、と思った日もある
幸せかどうか、何かに満足しているか、というのは上を見ても下を見てもキリがない、置かれた場所で咲きなさい、というのが私の信条だ
幸せかどうかは他人を羨むかどうかであり、比べるまでもなく自分が幸せだと思えばそれで良いのだ
確かにそうだな、と膝を打った
ただ、置かれた場所で咲いているのだ
幅広い層の他人と接するために公立中学に通わせよう、とかやるのは親の勝手だけど、実際何も実らんとは思うよ。
違う人間と接して分かるのは相容れないってことだけで、結局性質が近い生徒同士で固まっている。それどころか違いすぎて互いに理不尽を経験することもある。
それらを経て何か大人になってメリットがあるかと言われれば、そんなものはない。どうせ近い人間同士で固まって仕事してるんだから。
模写するほど絵柄に惚れ込んでいた。
とあるイラストに目立たないレベルで「AI学習禁止」というウォーターマークがあったのを見かけた。
イラストの色味的に拡大してやっと分かるレベルのウォーターマークで拡大するまで気づけなかった。
気づきたくなかった。
でもLoRAなどで個人に学習されないようにと警告する意味で付けたんだろうと思い込むには整合性が取れなくてモヤモヤしている。
なんで目立たないようにつけた?
どのような葛藤を抱えていたのだろう。
ある日突然イラストに「AI学習禁止」のウォーターマークをつけ始めた。
もしかして反AIの言うことをまんま信じてしまって、全く意味のない対策をし始めた?
ウォーターマークはなんのためにつけるべきで、アカウント名などのサインを入れる意味を理解した上で、あえて目立たないようにしている?
AIに学習されたくないならもっと目立たせていいんじゃないの。
ウォーターマークって目立たせてなんぼじゃないの?
むしろ素材サイトのSAMPLEレベルで全画面に埋め尽くすべきだと思う、ウォーターマークってそのためにあるはずで。
そのくらいした方が学習妨害になれるだろうくらい目立たせれば理解はできた。
目立たないようにウォーターマークをつけて何をしたいの?
形だけでも対策して自分は学習されないだろうと安心したいだけ?
そうだとしたら反AIに踊らされているだけに見えて滑稽だ。
ウォーターマークをつける行為そのものが憧れの先生が嘲笑の対象にされるかもしれないという恐怖心を植え付けるには十分だった。
反AIになった漫画家やイラストレーターを見て他人事のように眺めていれたのは心から尊敬していたり、惚れ込んでいた人がたまたまいなかっただけなんだと痛感した。
というよりこれ以上争うのを見たくなかった。
これ以上疑って自分も傷つくのが嫌だった。
そんなことしなくてもSNSから離ればええやんってのはそうなんだよな、今は見てないんだけど…。
反AIは反ワクだったり陰謀論と同じ思考停止の一種だから触れないようにしてた。
これが海賊版とかで注意喚起していたら自分も手を出さないようにとか気をつけてたと思う、何故なら違法であることを知ってしまったから。
しかし学習すること自体は法律的に違法ではないのであれば自分には関係ないからどうでもいい。
やけに騙される漫画家やイラストレーターが多いな、クリエイターってそんなもんかくらいに思っていた。
そうやって自分には関係ないことだしどうでもいいやとスルーしていたのはよくないことだと今回思い知られた。
クリエイターはそういうものだと甘やかしてきたツケが今一気に回ってきただけだった。
無知な漫画家が嘲笑の対象にされて一番嫌な思いをするのは本人だけじゃない、ファンもなんだ。
そのことに気づいた時にはもう手遅れだった。
反AIのやっていることは無知な漫画家やイラストレーターを炙り出して嘲笑の対象にしているだけなんだ。
新しい技術を嫌うだけで法律や技術に歩み寄ることなど一切しない。
きちんと歩み寄ってくれるなら赤松先生の話も聞いていただろう。
漫画家もイラストレーターもSNSの相手が誰かもわからんポストを見て盲信できるのか分からない。
ファンが指摘しても全て「気に入らないからブロックする」と言い出す。
社会に適合出来ないからとか、理解力や読解力がないことを免罪符にしていい問題じゃない。
金をもらって仕事している以上そんな甘ったれた狭い常識は通用しない。
でも自分はあなたのしたことをいつまでも忘れることができない。
某漫画家の脱税問題だってそう、あの先生の関連作品を見るたびに嫌でも出てくる。
そうやって先生の身勝手な行動で呪いをかけられて一生背負わなければいけない。
自分はその覚悟を持って先生をこれからも好きでいれるか自信がなくなった。
先生のやることなすこと全てに盲目でいれるファンになることはできなかった。
自分もリプライや引用みたいに「素晴らしい、好きです」と言えたらどれだけよかっただろう。
そうであるなら自分は先生のファンになる資格なんてなかったのかもしれない。
数日後、何ヶ月後、何年後か分からないいつか、この気持ちに整理がついて先生の作品を心の底から楽しんで読める日が来るのだろうか。
某漫画家でさえ最初は反AI仕草だったのに今や反AIに向かって「馬鹿なことしてんじゃない!」と怒るほどに色んな知識をつけてきた。
自分の好きだった漫画家やイラストレーターが反AIになった時自分はどうするのが正解なんだろう。
かわいそうに、学習されたくないよねと寄り添うだけじゃ甘やかされるだけなのと変わらない。
先生を恨むことも、反AIを恨むことも、作品ごとを恨むことも間違っている。
恨んだところで憧れだった先生はきちんと勉強しようってならないから。
でも自分のような有象無象が先生に「やっていることは間違ってますよ」と指摘しにいくのも難しい。
実際そうして先生は考えを改めてくれるのだろうか?
そうしてくれるならこんな馬鹿げたことに騙されることはないはずで。
どうすればよかったんだろう。
自分にできることは先生がかけた呪いを自力でどうにか割り切るしかない。
何のために法律があるのか、モラルを求めるのか、ルールが作られるのか自分はずっと考えていかなければいけない。
今もまだ混乱していて気持ちの整理がついてない。
たかがAI学習禁止のウォーターマークをイラストに載せただけで?と笑う人がいるかもしれない。
小さなきっかけでその信頼が一瞬で崩れるんだってことを知ってほしかった。
作品に罪などない、先生の絵柄だから買った、作品ごと惚れ込んだファンだからこそこの気持ちをどう受け止めればいいかわからない。
こんなスラムみたいなところで投稿しても笑われるか見向きもされないだろう。
このやりきれない気持ちを言語化しなければ先生を恨むかもしれない。
嫌いになるのも嫌だ、先生を好きなままでいさせてほしい、ずっとずっと憧れの先生でいたかった。
実際書く前はとても苦しかった。
書いてみて先生のことがどれだけ好きだったか、何故こんなにつらいのか少しだけわかってきた。
学習されたくない気持ちはわかったよ、ウォーターマークをつけることは気にしないよ。
あなたの綺麗なイラストがその意味のないウォーターマークのせいで心の底から楽しめなかった。
それがとても悔しくてすごく悲しかったんだ。
きっと自分のように同じ呪いをかけられたファンはたくさんいると思う。
どうやって割り切ったんだろう。
嫌いになったり、恨んだり、作品を見るのをやめることで割り切れた?
それとも自分だけがそうなだけでみんなはそこまで気にならない?
この苦しみもつらさも共有することすら許されない?
片想いしている同級生のこと友達に相談しつつ振り返ってみたら、ただの同級生としてしか思われてないように感じて勝手にメンタルだだ下がりだよ~
イキ告して失敗したわけでもないのにすごくショックを受けている。書いててアホらしって思うけどすごくショックを受けている。
反動で食欲も失せてきているし......
同級生として接してもらえてるのはそれはそれでうれしいけど、こっちは異性としても見て欲しいんだよ......悔しい......
やっぱり友達の言うとおり、日頃から好き好きってカジュアルに言いまくるべきやったんか???
どうすれば良かったのかと考えてしまって余計メンタルに来てる。
友達に彼女出来やんの多分メンタルが弱いからって言われたけど、じゃあどうすれば強くなるねん!!!!!!!!!
多くの人が勢いというけれど、世の中がいうスピード感と自分の中のスピード感が不一致で、自分の中ではかなりスピーディーにしているようでも月日をみればかなりゆったりとしている。
じゃあ速くしなきゃってガツガツすると次は盲目的になって自分を一方的に相手へ押しつけてしまう。
どうすればええねん。
勇気を出してご飯に誘うことが出来ても次に繋がらない、誘えてもみんなで一緒に行こうねって言われて2人でいけない。
2人で行くことが出来ても、2回目のデートへと誘えない。
とにかく何度挑戦しても。いろんな人にアプローチを掛けても。ある程度いい感じのところまでしかいかない。
もっと聞き上手になるべきなのか?内面を見つめ直すべきなのか?それとももっと世の中に興味を持つべきなのか?
どうすればええねん。
友達からのアドバイスを時間を掛けつつも受け入れて、眉毛整えたり、髪型変えたりして、久々にあった別の友人からおしゃれになったねとかスタイリッシュだねとか清潔感あっていいねって言われて身だしなみもかなり清潔感あるものになってきたのに上手くいかない。話してて楽しいとか面白いねって言われるけど上手くいかない。
やっぱり内面を磨くべきか???それとも所作・仕草を直すべきか???
いい人止まりなのを脱したい。
どうすればええねん。
これで安彦氏は失敗してアニメから撤退しちゃうらしいんだけど、作画はいいし、なんだろう…
リアルな戦闘車両とか登場する割に、物語がどこか幼い子供向けというか、絵とかキャラとか設定に対して対象年齢が低すぎるというか、
たしか、安彦氏が児童書に描いたのが元になったような話を聞いた気もするし、
あと、ゴーグだけじゃなくて、他の作品も、特に近年のククルスドアンもそうだけど、正直言ってなんかどっか面白くない、つまらない
理由として何と表現していいのか分からないけど、意外と理詰めで作ってない?という気がする
なんかビビッと来ることは誰にでもあるんだけど、その直感に盲目的に狂信的に従って行動するのって難しいわけだよ
例えば、宗教家というか、例えが悪いけどイエスだってそうかもしれないわけだよ
ジャンヌダルクだって病気だったからかもしれないけど、てんかんとはいえ、見た幻覚を信じ切って行動するって難しいと思うんだよね
妄信的、狂信的、どこか狂ってないといけない
でも、安彦氏は良くも悪くも真人間なんだよな、ヤマトの西崎なんて基地外レベルなわけだけど、あれぐらい狂ってたから一度はヤマトを成功させた、二度はなかったわけだけど…
そう考えると、安彦氏に足りないもの、クリエイターに必要なものは一種の狂気なんだろうけど、
そういうのは狂人のふりしてたら狂人になれる、なんてことは実際はそうはなくて、本物の狂人には敵わないと思うんだよね
巨神ゴーグ、すごくいいんだけどね
ボックスが出るたびに、買おうかどうか迷って、でも自分ももう歳だし、金もないし、ボックス買って繰り返し見るかというと疑問だし、
パッと部屋の中を見渡してみても、イクサー1とかゼオライマーのDVDがあったり、ガイナックスの帰りマンとかヤマタノオロチとかあるけど、まあ観ないよね
エヴァの限定ボックスもあるな、でも、あんまり観ないんだよな、寧ろ、ひとり上映会やって断捨離しないとなぁ…😟
話がズレたけど、ほんとゴーグおしいよなぁ
子供の頃、ボンボンとか読んでて、マノンさんのゴーグとか、いかにも悪役というか、サイコガンダムっぽくて、たしかキャノン付いてて、好きだったんだけど、
安彦さんの絵は大好きなんだけどね、なんで物語になると微妙になっちゃうんだろうね
まあ、浦沢直樹もそうなんだけどね
あのさ、政党ってプロ野球球団じゃないんだから、贔屓チームみたいに一度決めたらずっと応援しなきゃいけないなんてルールないんだよ?
支持先を変えるのに罪悪感なんて感じる必要ないってこと。だってさ、政治家や政党なんて政策や理念が変わるたびに風見鶏みたいにコロコロ言うこと変えるんだよ?そんな連中に忠誠心を持つ方がバカバカしいってもんだろ。
「でも、ブレるのは良くない」とか言う奴もいるけど、そもそも政党自体がブレまくりじゃん?
選挙のときだけ都合の良い公約並べて、当選したら平気で裏切る。そんな奴らに片思いしてどうするよ?政治はファンダムじゃなくて、冷静な取引でしょ。「あ、この政党は今回いい感じだな」と思ったら支持して、「あ、こいつらもうダメだな」と思ったらさっさと見限る。それが普通の対応だっての。
それに、応援するチームが優勝できなくてもファンでいるのが美徳とか言うけど、政党が失政を繰り返しても盲目的に支持し続けるのはただの馬鹿だよ。「長年応援してるから」なんて理由で、自分の生活や社会の未来を犠牲にする価値がどこにあるのか教えてほしいね。
結局さ、政党支持ってのは契約と同じで、信頼できるかどうかが全て。それがダメなら即、契約解除。浮気?いやいや、むしろ賢い戦略的判断ってやつでしょ?
広告代理店のインターンキツすぎもう無理……みたいなツイートを見かけて、クリエイティブを全面に出しているような文化部でもゴリゴリの体育会系なノリってあるよなぁ、と思った
どっちも似たようなものではあるけど個人的には微妙に違うと思っていて、語弊を恐れずに言うなら吹奏楽部は集団主義の極北にある存在、演劇部は強烈な個人主義を盲目的な大義(show must go onみたいなの)で束ねた集団
こういう文化部にある“体育会性”って、いわゆる「コッカラッス!」とか飲み会全裸芸みたいな豪放磊落なものではなく、とにかくねちっこいし陰湿
師弟関係に似た上下関係の強さとか、パワハラ紛いの精神論や根性論が創作美学/哲学の名の下肯定されていることとか
運動部も先輩後輩の上下関係はしっかり叩き込まれるけど、それはどちらかといえばヤンキーの支配構造に近いものであって、基本的には年功序列に従うと思う
一方文化部の上下関係の場合、年次の大小は元より、センスや才能というような個々人の実力差も力学の決定に大きく関わっていると感じる だからよく拗れる
エンタメやメディア系の企業は概してこの側面を有しているので(とはいえ広告代理店の営業部門なんかは単純に体力勝負だとは思う)、合わん人にはとことん合わん文化だろうな
「死がふたりを分かつまで」という漫画に盲目の剣士が出てくる
以前これ( https://anond.hatelabo.jp/20240926223848 )を書いてから、また思うことというか……完全にグループとしては推せなくなったなと感じたのでまた愚痴をこぼさせて欲しい。
上記のものは別に読まなくていい、今回の愚痴は転生前のアカウントを今も積極的に動かしている子へのものではないので。(個人活動の方は今もファンに言ってないんじゃないかな。配信見てないから知らんけど。今度の個人ライブ成功するといいですね)
どこにも吐き出せない呪詛のようなものなので長いのは容赦してください。
デビューしてからまだ半年弱、グループ内では初めての誕生日を迎えた子で「いつも歌を届けてくれてありがとう!デビューしてくれてありがとう!」と素直に嬉しかった。だって推しだもん。
カウントダウン配信だとか、誕生日当日にその子の個人配信が予定されていたりだとか、盛りだくさんで本当に嬉しかった!
カウントダウンの時にみんなにプレゼントがあるよー、と言われて何かと思えば個人配信枠にメンバー全員がお祝いに来るという内容で、つまり公式配信と同じってこと?と思わなくもなかったが推しがメンバーから祝われる瞬間を見れるのはファンとして嬉しいので喜んでいた。
問題はその当日配信。メンバーそれぞれから誕生日プレゼントを持ち寄って、本人のリアクションを見ていくようなもの。
誕生日の子に寄り添ったプレゼントを渡す子も居れば得意分野のプレゼントを贈る子も居て、らしいなーと途中までニコニコしながら観ていたけれど。
全部で3つあると言った彼が用意していたのは、ひとつは普通に物のプレゼント。もうふたつは彼が最近カバーした曲と同じものを歌った動画と、手描きのサムネイル。
グループ内には絵が上手い子と作詞作曲が出来る子が居るのに、被るとか考えなかったのかな……とか考えもしたけど、その辺は気にしないこともあるか?ととりあえず配信を観ていた。
せっかくプレゼントだからと動画を配信で流してくれたけど、ネタ要素のひとつも無い、普通の歌ってみた動画。
大困惑。
え、これあなたの個人枠でもなければ誕生日の子を祝うための枠なんですが?
流れ終わったあと、「この間の歌みたがすごく良かったからそれを聴きながら撮りました」「本当は最後のところにずっと一緒だよーってセリフ入れるつもりだったのに、MIX師さんにそのデータ送るの忘れてて普通の歌みたになっちゃった」と弁明はしていたけど……正直何言ってるのかさっぱりわからん。
私が穿った見方をしているからだとは思うが、誕生日の子だって反応に困ってた気がする……。
極めつけは配信終盤。
プレゼントを全部受け取り終わったあとの軽い雑談のときの、「◯◯の歌をずっと聴きながら撮ってたからだんだん苦しかった、そろそろもう……いいやみたいな気持ちになった」って発言。
それ、要らなくない?なんでメンバーの誕生日にそんな下げるような事を言うの?
誕生日の子はムードメーカー的存在で、弄られやすいキャラっていうのは理解してる。でもさっきの発言をした子からの当たりが特に最近強いなと感じていて、正直なところ不愉快寄りではあった。そこに燃料を投下された気分だ。
いじり方がコイツならどんな弄りをしてもいいってイキってる学生みたいで、見ててもキツいしされている方はすり減ってくばっかりだろって怒りも湧いてくる。
他の配信でも失言が多いし、コラボ配信では失言のせいでアーカイブが非公開になってるものもあるし。自覚も意識もないんだろうなと言うのがひしひしと伝わる振る舞い、メンバーのお祝い配信ですらやらかすのかコイツ、と思ってしまった。
デビューしたての頃はかわいいな、この子が推しになるかもな、と思っていたのにどんどんヘイトが溜まっている。
配信者としての設定された誕生日かもしれないけど、それでもファンからしたらその日が推しの誕生日で、それも初めての日で。もっと大事にして欲しかった。
推しの誕生日くらい、ずっと嬉しい気持ちで終わりたかったなー。
ひとりはタレントとして有り得ない人間性とプロ意識の無さが透けて見える言動が多くて、ひとりはファンに対して誠実でなくて、こんなんじゃ箱推しはもうできないので。
エネルギーがガクッと落ちる感じ、まるで重いレンガにぶつかったみたいな感じ、経験したことない?
あるある。
何か走りに行くとか、ジムに行くべきなんじゃないかって思うんだけど。
うん。
でも、自分を限界まで追い込むって考えただけで、そのエネルギーダウンがもっとひどくなる。
わかる。
もし今、頷いてるなら、信じて。ここがまさにあなたの居場所だよ。
この深掘りは、スタミナを上げたいけど、「痛みなくして得るものなし」みたいな考えはやめたい人のためなんだ。
完全に同感。
今日は、厳しいフィットネスアドバイスを捨てて、ランニングについてちょっと新しい視点で見ていこうと思うんだ。
すごく面白いブログ記事を見つけたから、それを参考にしてみよう。
おお。
興味ある!
彼の話は本当にすごいんだよ。
教えて!
彼は、40代で自己申告の「ソファーに座るだけの男」から、マラソンやトライアスロンをやるようになったんだ。
そのブログが面白いのは、それがただの超人的な意思の力とかではないんだよね。
なるほど。
このブロガーが強調しているのは、非常に大事なポイントなんだ。
どんなポイント?
持続的な変化を求めるなら、従来の考え方を捨てる必要がある、ってこと。
ああ、なるほど。
その通り。
この人はデスクワークの生活をしていて、常に疲れてるって感じてたんだ。これ、誰かに覚えがある話だよね。
でも、彼はそれをどうにかして完全に変えたんだ。
すごい!
今では、以前よりもエネルギーに満ちているって言ってるんだ。
走ることを楽しむ方法を見つけたおかげでね。
へえ、すごいな。どうやってそんなことができるの?
そう、そんなことが本当に可能なの?
まるで夢みたいに聞こえるけど、実際にこういう変化は可能なんだよ。
彼のアプローチは、どうやってそれを実現するか、つまり持続可能な変化の道を作る方法を理解することに焦点を当ててるんだ。
OK。
なるほど。
でも、どうやって彼はゼロからマラソンランナーになったんだろう?
それを解き明かしていこう。彼が発見したことの中には、私たちが知っていることを覆すようなものがあるんだ。
本当?
完全に常識を壊す感じで。
その内容がとても新鮮で、解放感があるかもしれない。ランニングの厳しいトレーニングプランを嫌う人にとっては特にね。
じゃあ、最初の神話。「成果を出すには、少なくとも週3回走らなければならない」。
ああ、それはよく聞く話だね。
そう、ランニングの黄金律みたいなもの。でも、このブロガーは実は全く逆を推奨しているんだ。
なんと?
彼は最初は、週1回が限度だと言っているんだよ。
何事も無理は禁物だという考えなんだ。
それ、いいね。
自分の体に合わせるってことだよね。無理に型にはめるんじゃなくて。
その通り。だってみんな、それぞれのフィットネスレベルから始めるわけだからね。
本当にそうだね。これ、実は運動科学にもぴったり合ってるんだ。
OK。
一貫して管理可能な運動をすることが、最初は激しい運動を sporadic にやるよりも重要なんだ。
持続可能なルーチンを作ることが大切で、初日からスプリントで勝とうとする必要はないんだよ。
なるほど。週に何回も走らなければというプレッシャーを捨てることが、すでに大きな変化だね。
聞いてくれ。彼は、決まったトレーニングプランを盲目的に追うことにも反対しているんだ。
わかる。
たとえば、短期間でマラソンの準備ができると約束するようなプランがあるよね。
そういうのは、ちょっと威圧感があるよね。初心者じゃなくても。
そう。彼によると、その理由があるんだよ。
OK。
それって逆効果だよね、バーンアウトやケガにつながりやすいから。
本当にそうだね。みんな同じプランに飛び込んで、体がついてくることを期待するなんて無理がある。
その通り。その一般的なプランは、個々のフィットネスレベルや回復の必要性を無視してしまうんだ。それが、彼が強調している大事なポイントなんだよ。
回復について言うと、このブロガーは特に最初の頃、スピードや距離を無理に伸ばすよりも、休息を優先すべきだと言ってるんだ。
興味深いね。
限界を常に押し続けると、走ることが嫌いになってしまう可能性がある。そうなると、持続可能な習慣を築く目的に反するよね。
その通りだね。
ブログで面白い表現があるんだ。彼は「ほんの少しでも息が切れる感じがするなら、それはやりすぎ」だって言ってるんだ。
驚きだね。
エネルギーがガクッと落ちる感じ、まるで重いレンガにぶつかったみたいな感じ、経験したことない?
あるある。
何か走りに行くとか、ジムに行くべきなんじゃないかって思うんだけど。
うん。
でも、自分を限界まで追い込むって考えただけで、そのエネルギーダウンがもっとひどくなる。
わかる。
もし今、頷いてるなら、信じて。ここがまさにあなたの居場所だよ。
この深掘りは、スタミナを上げたいけど、「痛みなくして得るものなし」みたいな考えはやめたい人のためなんだ。
完全に同感。
今日は、厳しいフィットネスアドバイスを捨てて、ランニングについてちょっと新しい視点で見ていこうと思うんだ。
すごく面白いブログ記事を見つけたから、それを参考にしてみよう。
おお。
興味ある!
彼の話は本当にすごいんだよ。
教えて!
彼は、40代で自己申告の「ソファーに座るだけの男」から、マラソンやトライアスロンをやるようになったんだ。
そのブログが面白いのは、それがただの超人的な意思の力とかではないんだよね。
なるほど。
このブロガーが強調しているのは、非常に大事なポイントなんだ。
どんなポイント?
持続的な変化を求めるなら、従来の考え方を捨てる必要がある、ってこと。
ああ、なるほど。
その通り。
この人はデスクワークの生活をしていて、常に疲れてるって感じてたんだ。これ、誰かに覚えがある話だよね。
でも、彼はそれをどうにかして完全に変えたんだ。
すごい!
今では、以前よりもエネルギーに満ちているって言ってるんだ。
走ることを楽しむ方法を見つけたおかげでね。
へえ、すごいな。どうやってそんなことができるの?
そう、そんなことが本当に可能なの?
まるで夢みたいに聞こえるけど、実際にこういう変化は可能なんだよ。
彼のアプローチは、どうやってそれを実現するか、つまり持続可能な変化の道を作る方法を理解することに焦点を当ててるんだ。
OK。
なるほど。
でも、どうやって彼はゼロからマラソンランナーになったんだろう?
それを解き明かしていこう。彼が発見したことの中には、私たちが知っていることを覆すようなものがあるんだ。
本当?
完全に常識を壊す感じで。
その内容がとても新鮮で、解放感があるかもしれない。ランニングの厳しいトレーニングプランを嫌う人にとっては特にね。
じゃあ、最初の神話。「成果を出すには、少なくとも週3回走らなければならない」。
ああ、それはよく聞く話だね。
そう、ランニングの黄金律みたいなもの。でも、このブロガーは実は全く逆を推奨しているんだ。
なんと?
彼は最初は、週1回が限度だと言っているんだよ。
何事も無理は禁物だという考えなんだ。
それ、いいね。
自分の体に合わせるってことだよね。無理に型にはめるんじゃなくて。
その通り。だってみんな、それぞれのフィットネスレベルから始めるわけだからね。
本当にそうだね。これ、実は運動科学にもぴったり合ってるんだ。
OK。
一貫して管理可能な運動をすることが、最初は激しい運動を sporadic にやるよりも重要なんだ。
持続可能なルーチンを作ることが大切で、初日からスプリントで勝とうとする必要はないんだよ。
なるほど。週に何回も走らなければというプレッシャーを捨てることが、すでに大きな変化だね。
聞いてくれ。彼は、決まったトレーニングプランを盲目的に追うことにも反対しているんだ。
わかる。
たとえば、短期間でマラソンの準備ができると約束するようなプランがあるよね。
そういうのは、ちょっと威圧感があるよね。初心者じゃなくても。
そう。彼によると、その理由があるんだよ。
OK。
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本当にそうだね。みんな同じプランに飛び込んで、体がついてくることを期待するなんて無理がある。
その通り。その一般的なプランは、個々のフィットネスレベルや回復の必要性を無視してしまうんだ。それが、彼が強調している大事なポイントなんだよ。
回復について言うと、このブロガーは特に最初の頃、スピードや距離を無理に伸ばすよりも、休息を優先すべきだと言ってるんだ。
興味深いね。
限界を常に押し続けると、走ることが嫌いになってしまう可能性がある。そうなると、持続可能な習慣を築く目的に反するよね。
その通りだね。
ブログで面白い表現があるんだ。彼は「ほんの少しでも息が切れる感じがするなら、それはやりすぎ」だって言ってるんだ。
驚きだね。