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2018-02-19

ヴィジュアル系バンド自称ドSヴァンパイア様」と会った話

普通にブログに書ける話じゃないから、こういう所に書く。

当時大学生だった私は、ヴィジュアル系バンド男性と「出会い系」で知り合った。

自慢話が鼻につくこともあったが、話は面白く、歌が上手で

フェチでMな私はどんどん惹かれていった。

最近の女は足が棒のようで嫌いだ。お前は丁度良い」という評価を貰い

「お前はきっとフェ○上手だと思うから今度やってみて」とか

「俺のテクニックでイかせてやるよ」とか言われたりしていた。

なんだろうね、恋に飢えていて盲目だった。

彼はノンスタイル井上さんのような顔をしていた。

ヴァンパイア休日」というタイトルノーメイク写真を送ってきたりした。

顔の前に手をもっていき、全部の指で鼻をつまもうとするかのような変なポーズ

なんていったら良いんだろう。イケメンしか許されないポーズをしたりしていた。

「俺って王様から」という言葉を繰り返し「女は俺についてくればいい」

「俺程度にならないと歌えないから」っていう台詞を吐いたりしてた。

そういう自信たっぷりなところも少し惹かれてた。

結局会ってみたときには自己中心的

自称ドS」な「我侭俺様」だった。確かにある意味王様だった。

初めて会うのに3時間程度待たせ謝罪無し、その後家では「マッサージしろ」との王様っぷり。

会社の女社長から求められて困る」とか「俺は転職したらすぐ次見つかっちゃうからな~w」とか。

一周回ってとても面白い人だった。ノンスタイル井上さんみたいな感じだったけど。

今でも、そのヴィジュアル系バンド活動しているようだ。

私がヴィジュアル系バンドに疎かったから知らなかったのかもしれないけど

カラオケに行ったら30曲くらいあったように思う。

ノーメイクだったら絶対に分からない自信があるけど、

実際に聞いた歌声は本人のものだった。良いのか出会い系なんかやってて。

ヴァンパイア王様あなた面白い画像はしっかり保存してます

彼氏はそのことを言ってあり、彼がポーズを真似して笑わせてきます

貴方の事がネタなっちゃってごめんね!

結婚してないだろうけどお幸せに!

2018-02-15

友人の家で食べたカレーが明らかにうんこだった。

大学時代の友人に子供が産まれたと連絡を受け、お祝いがてら友人宅にお邪魔した時のことである

友人の結婚式以来なので、奥方も交えつつお互いの近況報告や思い出話などに花を咲かせていたら晩御飯時間になり、そろそろお暇します、いやいや食べていってよ、というやり取りを繰り返した末、半ば強引に食卓につかされてしまった。

聞くと今日カレーだという。あくまで固辞の姿勢を崩すまいとしていた私の心はその一言で大きく揺らいでしまった。私はカレーが大の好物なのである

冷蔵庫から奥方が一晩寝かしたと思われる鍋を取り出し、レンジにかけるのを眺めながらそろそろ私も結婚しようかなと当てもない決意を固めていると、熱された鍋からカレー匂いが漂ってくる。

筈であった。

大便の匂いがする。大便以外に例えようのない匂いキッチンを満たす。カレーと聞いて刺激された食欲が急速に萎んでいく。リビングの向こうから赤子の泣き声が聞こえる。この状況に対する動揺を訴えようと友人を見ると、友人は幸せそうに奥方エプロン姿に目を細めつつ、泣き始めた赤子をあやしに席を立ってしまった。

恋は盲目というが視覚だけではなく嗅覚麻痺させるのかもしれない。

そんなことを考えていると逃げる間も無く、皿に盛られた白米および大便、否、カレーが目の前に出された。まさかと私は目を疑ったが、茶色いそれは匂いだけでなく外観も大便であった。挽肉と人参の微塵切りが入ったドライカレーと信じたいが見た目は体調の良い時の大便をペースト状にしたものと相違なく、匂いもその感覚を補強して余りある

「変わってるだろ、うちのカレーちょっとした隠し味を使ってるんだ」友人が赤子を抱き抱えながら自慢気に話す。

まさかそれは…」流石に奥方もいる前で大便などと口走ることは出来ず私は言葉に詰まる。ぐつぐつとカレーの煮える音がやけに大きく聞こえる。

「あら、あなたの分のルゥがなくなってしまったわ。ちょっと出してこないといけないかも。お客さんがくるならもっと用意しておいたのに〜」奥方の不穏な発言に私の動悸が激しくなる。出して…?

「いや、俺のが確か冷凍してあるからそれ使ったらいいよ」

「ぼくのをつかっていいよ」赤子が急に自らの足で立ち上がりオムツを外そうとする。

「いやいや、ご馳走されてばかりでは申し訳ない。一飯のお礼になるかは分からないが私のを使って欲しい。これも出産祝いということで」

私はすくっと立ち上がるとトイレに駆け込んだ。

という夢を見てうんこを漏らした。しばらくカレーは食べられそうにない。

2018-02-11

人狼TLPTカウントダウンイベント

1年以上経ってもスッキリしないか

ちょっと吐き出す

2016年2017年の年越し

新宿LIVEで行われた人狼TLPTのカウントダウンイベントでの話です

舞台上にいる役者ですよね?


これ。この一言につきます

人狼TLPTは役者集団です。プロです。

私達は、彼らのイベントお金を出しました。

当日の進行は、押して押して。延長しました。(その事もちょっと私は不満だったのですが、その事情は横に置いておいて)

⚪⚪は帰りました、アナウンス


デイジーとメイソンです。

そんなアナウンス、事前にありましたっけ??

私は彼ら2人が推しではないですが。

帰りましたって。

言われたファンの中には「え?じゃあ、私も帰りたい」って人いたんじゃないですかね?(時間、相当押してましたし)

しか理由が。

メイソンの理由が。

「遊びに行くから

お金を貰ってるプロなんじゃないの???

その時から、私はメイソンが役者として。好きになれなくなりました。

メイソンらしい!って盲目に支持できるような、信者じゃないんで。

デイジーに至っては、よくわからん

仕事仕事と考えられない人なんでしょう。

時間が遅いからどうこう言うなら、最初から出なきゃ良いんじゃないの?現に、出てない人気俳優さん居たんだし。

明らかにやる気下がってるよね?


ノエルのことです。

最後ビンゴゲーム中。

あの時、必死で盛り上げようと見えたのは、

ランステイラーダンカンパンジー

ノエル、姿が無かった(居たのかもしれないけど、本当に存在感出してなかった)

そして、エンディングで眠そうに出てくる。

ノエルって、人狼TLPTのことを考えていて。次世代を担う、みたいな事を自分でも言ってたし。

でも、このカウントダウンイベント見て、次世代ノエルだと終末が見えてるわって思ってしまった。

失敗だったと思う

大人しく、年またぎ人狼ゲームでもしておきゃ良かったんじゃないのかな?

カラオケ大会?も。一部の客だけ盛り上がって、しら~~って感じだったし。

あのイベント、楽しかったのかな?

楽しくなかったな。

それを伝える場はないので、こんなとこで愚痴を言ってるわけですが。

元々、信者以外NGみたいな風潮があるので。信者じゃない私にとっては、嫌いと好きが両方相まってるようなコンテンツですが。

これから応援はしていきたいと思ってます

2018-02-08

anond:20180207190919

自分の理性を、素朴な解答を、あなた自身懐疑的すぎるきらいがある

「私の考えは独りよがりな考えではないか

これがまず極めて盲目的な反知性主義であることを自覚しなさい

自分の信じる正しさを証明するようなものは外部には一切存在しない

あなたの信じる正しさを保証するものは、あなた自身の知性と心以外に他ならない

六法全書を読んで自分の考えや思考が正しいかの答え合わせをしたり、

哀れな老人の気持ちを汲み取り、理解したつもりになって、自分の正しさの答え合わせをする

それのどこに正しさが在る?

単に自分の持つ正義感に対して、自分責任を取れない故に、いわば他人自己責任論を押し当てて無関心になっているだけだ

俺は自分以外の80億人、100億人、1000億人から間違っていると指摘されても

正しいと心から信じているのならば最後までその正しさを主張する

お前が心から正しいと思い実行できるということは、

それほどのリスクや外部から評価を得てしてもなお揺るぎないほどの価値観がそこに存在するから

もっと簡単理屈を言おう

罪なき子どもを殺してもいいか

全力で俺はNOと答える

正統化される理由が欲しいか

例えば、地球宇宙人支配されて毎日生贄に子ども差しさなければ人類が滅びるとする

それでも俺はNOと答える

子どもを生贄にしなければ生き残れない種になったのであれば、全滅し、それ以上の犠牲者を作らないことが善だと判断する

子ども犠牲の上に生き延びたところで何の価値もない

エイリアン侵略された時点で滅びる運命だった

死は恐れることが当然だといったな

だが理性はその当然な事実から真正からぶつかりにいける勇気も生み出す

勇気がなければ怒りでもいい

人間感情は悲観や諦めだけではない

死地に面した人間が誰しもが悲観にくれ絶望してきたわけではない

自分の死を理解し受け入れる心構えができた人間

例えそれが狂気であったとしても人間は自らの手で死を選ぶことができる

問題は、死に対して恐怖があるかどうかではない

死という恐怖と衝突する際に人間らしい姿勢でいられるかどうかだ

人間尊厳を守るとは、人間人間として、本人の平時に思い描く理想的な死の形を実現することだ

困窮し、緊急であり、非常な人間性で、本来望んでいた形を迎えられないからこそ、死の準備が必要である

死の準備を怠った老人は見難く、哀れで、同情する隙間に溢れているだろう。

あなた未来あなたに同情せずに済むようにそういった動物として自然な反応を示す老人で良いと思わない方が、

あなた人生最後はより穏やかで幸福ものになる。

何事にも準備を怠るな。

なぜ昔は栄養失調からの衰弱死が老衰と呼ばれ本人も周りも受け入れたのに、

今は枯れ木のような体に電気ショック心臓マッサージを試し瞳孔にライトを当てなければいけなくなったのか

よく考えて欲しい

死の恐怖自然だというのに生物として自然な死に方を選べないのは不自然ではないのか

動物自分の死に場所を選ぶのに知性のある人間がそれができないのは動物以下ではないのか

2018-02-07

推しを手放しで褒められない

私のせいで推しが嫌われてしまったらどうしようと思うと、「推しのこういうところが好き」というのも躊躇われてしまう。

おたくなんて推し盲目であって然るべきだし「推し最高!!」と叫ぶことに他意などないし誰もそこに他意があることを邪推なんかするはずもないのに、「推し最高!!と言うことで他の何かを二番以下に落としてしまう罪悪感とか、そうすることで他のおたくから推し自体が嫌われてしまうんじゃないかとか思ってしまって怖い。

正直おたく客観的評価ほど当てにならないものはないし結局主観まみれで推しのこと露骨に贔屓してしまっているのが外から見たらモロバレだから最悪で、そんなしょうもないこといちいち書くくらいなら主観オンリーで「推し世界いちばんかわいい!!!!!!」と言っている方がよほど有意義他人不快にはしないことはわかるんだけど。

私の推し技術はちっとも足りていないタイプなのだと思う。主観に基づいた判断なので自信はないが一応おたくの間ではそういうことになっているしそういうものなのだろう)なのに一番人気で、私としては推しの何がよくてその位置にいるのか本当に分からない。私も推しのことは好きだけど、なんで推してるかわかんないし。なんで推してるかわかんないとかいう気の狂ったおたくが数人いるのは別にわかるんだけど、一番人気ってまあまあおたくがいるわけで、何が良いのか聞いて回りたいくらい。

まあ結局推しは、運営からの推されなんだよね。運営から推されるからそれなりに露出も多くて人気が出ているだけっていうか。いや本当はもっと人気な理由があるのかもしれないけれど。

ももう私は私に「客観的」という呪いをかけてしまっているから、もはや客観的判断できなくて、「自分が思うより推しはだめなんだろう」と思う事しか出来なくてつらい。

自分主観現実だと認識できなくて、上手く推しの一挙手一投足を飲み込めずにいる。そして客観的呪いにかかっていない二推しの話ばかりしてしまったりする。でも私が何よりも大好きなのは推しなんだ……。

手放しで褒めたって、どうせ世間から見える推しの姿から乖離してしまっているのだろうと思うと怖くて言えない。現実見えないお花畑おたくしかいないのかなとか思われたくない。推しのこと上手く見れないし推しってだめなやつなのかなとか思ってしまうけど、大好きだから推しには世間から出来る限りたくさん愛されてほしいんだ。こんなしょうもないおたくのしょうもない戯れ言で、印象を悪くしたくないんだ。印象を悪くしたくないとか言いながら、「こういうとこは良くないよね(でもかわいい!!)」みたいなことを書いてしまうと、結局良くない部分だけが他のおたくの目に入ることになってしまってだめなんだってわかってるんだけど自分に掛けた呪いが強固でどうしようもなくなってしまっている。

推しくんのこと嫌いなんですか?」と訊かれてめちゃくちゃ悲しかった。こんなに大好きだし、大好きだからちょっと足りてないとこも好きだなって思ってつい喋ってしまうんだけど、そんなの外から見たらただの悪口しかないんだなあと思うと本当に悲しくて悲しくて、やりきれない気持ちになった。

私は、おたくが愉快で楽しそうだと、「ああきっとこの人を推すと幸せになれるんだなあ、さぞかし素敵な推しさんなんだろうなあ」と思うタイプなので、自分だってそういうおたくであればいいのに、上手くできない。推し価値がわからないくせに推したって、魅力を伝えることは出来ないんだよね。まあ当たり前なんだけど。

でも本当の本当に推しはこの世でいっっっちばん幸せになってほしい人だって思ってるんだよ。本当なんだよ。

なんかもう今は推しのこと推しているおたくですって大声で叫ぶことに抵抗しかない。こんな害悪おたく今日推しのことを好きでごめん。

2018-02-06

anond:20180206160916

それを言うなら、子を愛するのが悪いとは誰も言ってない。

ただ盲目であることが子供に与える「呪い」の存在もあるよね、って言ってるだけだよね。どんなものでも与え過ぎれば毒になる。

anond:20180206142455

盲目ものが先導者を気取ってるから恐怖を感じられている、または嘲笑されてるのであって、

親が子を盲目的に愛することを否定されているわけではないどころが、むしろ少なくない親子のケースでそれは多数的なことで珍しいことではない。

anond:20180206141214

ちっちゃい子供盲目的に愛して何が悪いの?

人生で「何者でもない自分」がただただ愛される時期なんて、幼児の頃しかないのにさ

逆に言うけど「親は子供人生の先導者」ってすごい毒親臭がするわ

立派な見識を持った親が子供人生を導いてやるからついてこいってことじゃん

anond:20180205213400

”あの歌詞全部読んだけど、後半の方がゾワっと来た。前半の呪詛の方がマシ。母親と言う役割依存し、子供依存して、子育てしてる私に価値を見いだしてる感が気持ち悪い。子供にとっての人生の先導者が盲目って怖い”

[] #49-3「先輩の恋愛遍歴」

その次に出来た恋人は、バイトの同僚。

前回とは逆に積極的に行き過ぎた結果、公私をわきまえない立ち振る舞いになってしま破局

俺も同じところで働いていたので、その時のことは覚えている。

『恋は盲目』とはよく言うが、ほんとに足元を疎かにする人間を間近で見たのは初めてだった。

「俺も近くで見ていましたが、バイト中も個人的な話をしまくるのはダメですよ」

「ゆうても恋人関係なわけやん」

「それだって人間関係の一形態でしょ。完全に切り離すことはできない。地続きなんです」


「“恋愛”というものに対して、張り切りすぎなんだと思いますよ。いつも通りの自分で接してみては」

俺のこの指摘を受けて、次に出来た恋人にはとにかく平常運転でいくことにしたらしい。

だが、先輩の歯に衣着せぬ物言い逆効果であった。

個人的愚痴にすら、取ってつけたような正論否定してしまったらしい。

「不平不満だったり、個人的な話を身近な人にするときというのは、大抵は肯定してほしいんです。少なくとも否定はしてほしくないのでは」

別にワイは間違ったこと言ったつもりはないんやけどなあ……」

「是非の話ではなくて、人と人との個人的対話ですからね。杓子定規論理倫理相手感性を一蹴するのは、“恋人という個人”を尊重する気がないと受け取られるのかも」

「ええ~? マスダ、『恋愛人間関係の一形態だって言ってなかった?」

「『同じ』だとは言っていませんって。いつでもどこでも恋人相手にそんな他人行儀な接し方したら、それはもう恋人じゃないでしょ」

「……確かに

俺に言われてやっと、そのことに気づくのか。

恋愛のことになると、なぜ先輩はここまでバカになってしまうんだ。

「やや子供だましな方法ですが、とりあえずウンウン頷いてください。そして合間合間で、相手意思尊重するという、肯定する意を言葉で示すんです」

なんや、そんな簡単でいいんか」


そうして俺の言われたとおりに、恋人個人的な話にはウンウン頷いていた。

「いや、正直しんどい……心にもない相槌をうつたび、自分免疫細胞が徐々に死んでいく感覚がする」

だが、これは先輩にとってはかなりツラいものであった。

結局、そのツラさが顔に滲み出てきたあたりで破局

「あの~、カン先輩。そもそも自分恋人といて嬉しいとか楽しいとか、何らかのメリットが勝っている前提がないと、そういう関係は成り立ちにくいと思いますよ」

メリットぉ?」

「先輩は、その人のどこに魅力を感じて付き合っていたんですか」

割と普通質問をしたつもりだったのだが、カン先輩はウンウン唸って答えられない様子だった。

「いや、あったはず。確かにあったという記憶だけはあるんやけど……」

この体たらくだと、いずれにしろ長くは続かなかっただろうな。

(#49-4へ続く)

2018-02-05

anond:20180205184010

数年で興味を失うなら大丈夫じゃん。

何十年も盲目的に信奉してるならやばいけどさ。

信者化する友人がキモい

何のジャンルでもそうなんだけど

自分が興味持ったジャンルの詳しい人をみつけて信者化してしま

書籍買ったりTwitterフォローしたり

 

いや多分普通なのかもしれないけど

喩えるならなんだろう、ホリエモンイケハヤに引っかかってる感じ

危ういし、そういう話題振られても「お、おう」としか言えない

 

でも数年で興味失って、別ジャンルの誰かに盲目的になる

大丈夫かなぁ

2018-02-03

ジャンルファン気持ち悪い

ジャンルに疑問を持ち始めたら一旦距離を置いた方がいいと思う。(結論

これはただ私が思ってることを書いただけの乱文長文だ。

あとコンテンツ名が分かっても言わないでほしい。私はこのコンテンツが潰れてほしい訳じゃない。そっとしておいてくれ。

私はとある女性向けコンテンツオタクをしている。そのコンテンツ流行り廃れの激しい女性向けコンテンツとしては(浮き沈みは確かにあったが)割と長いこと続いていて、私はそのコンテンツファンをして4、5年になる。

まぁ4、5年といっても学生時代を含めてなので年数に見合った貢献(グッズを買うやらライブに行くやら)はド田舎という環境も相まってほとんど出来ていなかった。

無論自由お金を使える今は「全てのグッズを箱回収!」とまではいかなくても、推しキーホルダーやらぬいぐるみやらアニメ円盤やらライブ円盤やら(ライブは全て抽選で落ちた)を少しずつ集めては自分にできる範囲公式お金を払いながらも、そのコンテンツオタクとして、ファンとして自分なりにエンジョイしていた。

……のだが、最近、いや多分最近じゃない、ずっと昔からあったのかもしれない。

このコンテンツファン気持ち悪いと感じるようになってしまった。

かくいう私もこのコンテンツファンなので気持ち悪いオタクになっているのかもしれないがそれは今回棚にあげさせてほしい。

私が気持ち悪いと思っているのは要するに『信者ファンだ。

・このコンテンツに全てを注ぐ!

ジャンル掛け持ちなんて信じられない!

という信者がまぁ多い。

別にコンテンツに全てを注ぐのは悪くない。寧ろそこまで出来る運命的なコンテンツ出会えているのは凄いことだし頑張れと思う。

でもそれを全てのファン強要させようとするのはどうなんだろうか。このコンテンツに関わっている全ての人がみんなそうなのだろうか。答えは否だ。

「このコンテンツがメインジャンルじゃないけどキャラが好きだからキャラソンは買うしライブも観に行くよ!」

アニメをみて好きになった。メイトに行ってグッズ買ってみようかな。でも原作ゲームはまだやる気しないかも……」

「ほかのソシャゲをメインでしてるからこのコンテンツソシャゲには微課金程度しかできないがちゃんと好きだ」

こういう人たちは自ジャンルファンではないと言い切れるか?

コンテンツのなにかしらが好きだったらもうファンだろう。しか上記の人たちはこのコンテンツがメインではないのに金を落としてくれてるのだ。もうファン以外の何者でもないだろう。

なのにこのコンテンツ信者たちはこの人たちをファンと認めないのだ。こうなるともう宗教だ。このコンテンツ唯一神なのかなんなのか知らないが、「御朱印集め」といって色んな神社スタンプラリー感覚で行ってる人が多いこの国で、大多数の人が八百万の神をなんとなく信じているこの国で、なぜ他ジャンルと掛け持ちしてる人たちを認めることができないのだろう。別に神様何人いてもいいじゃん。

信者ファンがやたら多いせいで新規ファンが入りにくくなり、新規が入らないので既存ファン大事にする方向で公式が動き、さら信者ファンが増え、さら新規ファンが入らない。

まさに負のスパイラルだ。

取り残された信者でもない普通に楽しんでいるファンはどうなる?純粋ファンは遅かれ早かれこのコンテンツが息苦しくなって他に住みやすコンテンツに流れてしまう。

私もこのコンテンツが息苦しくなって他ジャンルを覗いてみた。

するとみんなとても楽しそうにオタクライフ満喫していた。

驚いた。

信者ファンが大多数を占めている訳でもなく、

何かしらのコンテンツと掛け持ちしていることをみんなが理解した上で、

公式古参新規を取り込みながら、

新しいソシャゲイベントカードイラストなどでわいわいと盛り上がっているのだ。

こんな楽しいコンテンツがあるならそりゃファンも離れる訳だ。

あと、ファン信者なので、教典に書いてないことや、教典から逸れたことを公式や、まだ入りたての新規さんがするとすぐに炎上する。

炎上の速度は女性向けコンテンツでは一二を争うのではないだろうか。もう炎上しすぎて思い出せない。

ここで怖いのは教典を書いてるのは公式ではなくファン自身なのだファン教典という名の自分にとって理想公式像を創り出す。

そうするとどうなるかわかりますね。

私の教典が一番だと争い合うのだ。悲しいことに。公式教典を書けとも、信者になれとも言っていないのに。勝手信者になって理想像を創り上げ、信者同士で自分の分厚い教典の角で殴り合いだ。たまに公式に向かって自分教典を投げつける人もいる。こわい。

そうだ、思い出した。最近炎上と言うほどでもないが荒れていたのは、公式RTキャンペーンで当たった人にグッズをプレゼント!というやつで、当たった人がみんな絵師さんやら、フォロワーが多い人やらで「抽選じゃねーだろ!」となっていた気がする。あまり詳しく書くのもアレなので言わないが。

閑話休題

とにかくここまで書いて私が言いたかったのはタイトル通り、自ジャンルファン気持ち悪い、だ。他にもコンテンツ運営している会社の株を買っている人や株価社員の方などを研究しているファンもいるがまぁそこは今回は話さないでおこうと思う。

こんな盲目過激信者ばかり抱えていて新規ファンへの入り口ほとんど閉ざされているこのコンテンツは、いくら原作者がずっと続けたいと言っても何か革新的なことが起こらない限りもうすぐ終わるんだろうな。と思っている。

ここまで文句ばかり書いてきたが、私はこのコンテンツが好きだ。オタクになるきっかけがこのコンテンツだっただけに他のコンテンツにはない感情がある。

でもどうしても信者ファン気持ち悪い。

これからCD発売や様々なことが待ち構えているこのコンテンツに私はいつまでついていくことが出来るのだろうか。もうだいぶ疲れている気がする。

でも私は結局最推しのグッズしか買わないしCDも1枚ずつしか買わないから、信者さんのようにCDを何枚も積んだり、グッズを箱買いしたり、そんな風に公式お金をたくさん払っていないので、やっぱりお金を湯水の様に使ってくれる信者さんに対して優しい展開になっていくのは仕方ないのだろう。

どうしよう。

信者ほど盲目になれない自分ファンと名乗って良いのかも不安になってきた。

結局私は4、5年もコンテンツ応援し続けたなんだったのだろう。

最初に書いた通り一旦このコンテンツ距離を置くか、それかいっそ引退して他ジャンルに入ろうか。

最近そればかり考えている。

2018-02-02

腐女子に対して思うこと

腐女子に対して思うこと


1.作品の出来と人間性を分けて考えてみる


作品が素晴らしいか尊敬してる!

でも最近ジャンルに・・・とか、こういう人じゃなかったのに・・・みたいなケースを多々見る。

その人今までも推しとかコロコロ変えてない?

めちゃめちゃ承認欲求高い作家じゃない?


恋は盲目とある瞬間ショックを受ける人を多く見る



2.カップリングの同士=すぐに大親友ではない


これもよくある話。心を許したり大親友になるのが早すぎる。

で、結局似たような存在の人にも「大親友~!」って言ってて

「えっ、私とは大親友じゃなかったの?」ってショック受けるパターンね。



3.技術否定人間性否定ではない


自分は絵が上達しなくて相方は上手くなっていって・・・とか

別の上手な人と仲良くしてるのを見ると・・・とか。

語れる同士として存在しててもいいんじゃない

それでも見捨てられるならそれは腕が原因じゃなくて差別化が出来てなかったって話。



きちんと話す機会が少なかったせいか自己肯定感が乏しいせいか

女性自体の持つ「熱しやすく冷めやす友情文化」なのか、

原因はともあれ、パーソナルスペースが極端なのよ、と思う。

一歩引いて冷静に見てみるといいと思うよ。

2018-02-01

自分より評価されている他人馬鹿にせずにはいられない物書きの話

 最初に前提として私の性格を言っておこう。

 まず、プライドが高い。文才も地の頭の良さも無いのに、どうしてか自分は頭が良いと思いがちである

 そして、他人との比較による評価判断の重きを置く。

 極め付けには、「プライドが高く才能も無いのに相対評価にいつもびくびくと怖気付いている私は馬鹿なのだ」と分かりきっているようなことを考えて、まるで自分のことを本当に理解しているからこそ卑下するのだという態度を取る。

 こんな人間の戯言でも良ければ見ていってほしい。

 私は二次創作小説を書いている。ペースは1〜2週間に8千〜1万字程度の短編を一本。生活を圧迫しない程度に小話を書いて満足している、趣味には飢えていない物書きごっこ大好き遅筆人間である

 小説を書くのは楽しい。また理解出来ないようなキャラクタの心情をどうにか知ることは出来ないか考察に走ってみることも楽しい。但しその考察目的が「キャラクタを知りたい」というものである以上、その楽しみが「考察をすること」に留まってはいけないと思うし、考察によって自分が得た「キャラクタの心情」が一次のキャラクタが持つそれと同一である盲目的に信じることもいけないと思う。

 話が逸れてしまったのですぐ上で述べたことを繰り返すと、私は文章を書くことに対して喜びを感じている。元々勉強でも現代文が一番得意で、本も同年代の平均的な読書量と比べれば読んでいる方だろう。文章に対して苦手という意識は無く、文を読むこともこねくり回すことも大好きな部類の人間だ。

 だから好きなキャラクタについて文章を書くことも楽しいし、それ自体目的であり手段であるのなら「○○について話書くのたのしいな!」で思考ストップしても別に構わない。それが当然の帰結であろう。

 けれど、そこで終われないのだ。

 書き終わった後作品コミュニティサイトにアップし、どれくらいの人から良い評価を得られるかが気になってしまう。数時間おきにページを開き、通知を確認してしまう。

 その上、他人が書いた作品に付けられた評価自分作品に与えられた評価とを見比べ、一概に言えるわけもないのに「自分の方が上手い文章であるのにどうしてこの人の方が褒められるのか」と苛立ってしまう。“一概に言えるわけもないのに”という表現からも、私のプライドの高さが伺えるとは思う。

 pixivを例に挙げると(実際私が今小説投稿しているサイトpixivではないが)、pixivには閲覧者があなた作品が好きですという感想マウスをワンクリックするだけで伝えることの出来る「すき!」という評価システムがある。

 勿論閲覧してもらうこと自体嬉しいのだが、好きだと言ってもらえることはもっと嬉しい。嬉しくてたまらない。しかしその嬉しいという純粋感情は、次第に「私はこれだけ評価されている」という目を背けたくなるような慢心へと姿を変える。

 そして評価されているのは私ではなく私が書いた小説であるということにも気が付かずに、「私はこれだけ評価されている」という偉ぶった思いが、いつのまにか「他人があれだけ評価されている」という妬ましい思いにすり替わっているのである

 実際pixivではランキングという一つの評価指標のようなものがあり、そのランキングがその時の利用者の間の流行に左右されて一つのジャンルで埋まることがあるとしても、競争心のようなものが煽られているような気はしなくはない(利用者が気軽に「評価の高い≒高確率でハズレではない」作品を閲覧出来るようにという意図によって作られたのだろうけれど)。

 しかし私の利用しているサイトではランキングシステムはなく(世間様の目に触れてはいけないようなジャンルを扱う人々が作品をアップするサイトであるからかもしれない)、皆恐らくのんびりと創作に勤しんでいるはずだ。競争心を煽るようなものはどこにも見つからない。

 にも拘らず、だ。私は人様に寄せられた好意と私の作品に寄せて下さった好意とを失礼なことに比較して、剰え自分の方が優秀であるだろうなんてことを考えている。好意を寄せる人々とその“人様”とを侮辱しているようなものではないか

 まあ多分、きっと、私の文章面白くないのだ。それに今熱中しているジャンルは、本編の放送が終了してしまっている。だから離れていってしまった人も多いのだ、というのは言い訳として言わせてほしい。実際閲覧数も落ち着いてきている。

 でも、本当に面白くないのだとは心の底では思ってなどいない。そんなの認められない。認めたくないのだ。だって、私にはプライドがある。私の文章面白くないわけないじゃないか、という捨てられない最後の砦がある。

 どうしてそんなクソみたいなプライドを持ち合わせてしまたかというと、それは中高時代経験が多分にある。

 私は中学受験をして、世間からお嬢様学校と呼ばれるような学校に入った。御三家第一志望とする受験生が第二・三志望で出願するような学校で(当時の話だ。今がどうかは知らない)、毎年数人が東大に行き、学年の半数以上が早慶上智、少なくとも皆GMARCHには行くくらいのレベルのそこそこ進学校である。めちゃくちゃバレバレだが。

 小学校では中学受験をする子が周りにおらず、親も褒めて伸ばすタイプだったのが逆に悪かったのか何なのかは知らないが、いつのまにか私の中には「自分は頭が良い」という意識が生まれていった。

 しか中学に入って、私はだんだん勉強に追いついていけなくなる。100点のテストで70点しか取れなくて悔しがっていたのが、いつしか苦手科目や5教科以外の試験なら平均点や満点の半分の点数を取れればまあ良いやというようになってくる。

 初めは真面目に通っていた鉄緑会も辞めてしまい、鉄壁はその厚さにギブアップしてターゲット1900に切り替えるなど楽な方を選択して勉強もまともにしなかった為、高3では地獄を見る羽目となった。

 それは元々の私の性格である怠惰さや勉強があまり好きではないという思いから来るものであり、また自分よりも学にも芸にも秀でている友人を見ていくうちに漸く得た「なんだ、自分って大したこと無いんじゃん」という諦念の感によることだったのかもしれない。

 けれど、私は「自分は出来る子だ」というプライドを捨て切れなかった。

 夏休み課題で提出する小説で賞を貰ったこと、授業で誰一人理解することの出来なかった『こころ』の友人Kの感情自分だけ読み解けたこと、センター志望校過去問絶対現代文だけは間違えなかったこと、そういう取るに足りない誰もがきっと忘れていくような些細な物事の欠片を、歩いてきた道を振り返ってしゃがみこんで目を凝らして拾い集めた。

 誰にも自慢出来ることがなく、性格が良いわけでもなく、美人でもなければ気が利くわけでもない。友人と呼びたくとも向こうがこちらを好いていなかったらどうしようと怖くなって友達もあまり作れなかったし、部活で一緒だった数人の友達と呼べる人たちが皆国立理系コースに進む中私だけ私立文系という道を選んだ(算数嫌いが祟って数学も駄目だった)し、夢もなく何かに向かって努力たかと言えば泣きながら日本史熟語を頭に詰め込んだ時くらいだ(暗記科目が苦手なくせに受験で使った)。

 要するに救いようのないくらい臆病な馬鹿だ。出来ないことが多すぎて、常に劣等感に苛まれている。しかし臆病であるからこそ本当に自分は駄目なんだと諦めたくなくて、「自分馬鹿じゃない」と思い続けている。

 結果として大学受験センター滑り止め他志望校で躓き続け、奇跡的に第一志望だけ合格したのだから始末に負えない。世間様に馬鹿にはされない学校に入ったことで、人生設計の全く捗らない行先に少しは安心出来る要素がプラスされたくらいのくせに、私の「自分は出来るんだプライド」は強化されてしまった。

 「どうしてどうせまともに勉強もしていないようなあなた文章が、W大文学部の私が書いた文章よりも評価されるの?」

「どうしてあなたがテキトーに書いた3千文字も無い文章が私の1万字よりも評価されるの?」

「どうしてまともに『てにをは』を使えないあなた文章が私の文章より評価されるの?」

 というような泣きたいくらいの進化が遂げられてしまった。いやもう泣いてる。見ず知らずの人を絶対自分よりも下流努力していない人間と決めつけて、自分付加価値で殴ろうとしている。文章は長ければ長いほど良いと思い込んでいる。三番目は許してほしいが、信じられない愚行だ。

 まず第一勉強が出来る(=成績が良い)ことと文章面白く書けることとは全くもって関係がない。ウィット文章を書けることと教養があることとは関係があるだろうが、そちらは関係がない。

 第二に学歴文章判断するのは間違っている。学歴が無くても面白い文章は書けるし、一般大衆にウケたり賞も獲れたりする。

 まったく評価基準が間違っているとしか言いようがない。視野が狭い人間なので他にも叩ける部分はあると思うのだが、溜息しか出ない。しかもわかっているのに直せない(と思い込んでいる?)のだからどうしようもない。どうしたら良いのだろう。どうすれば良いのかわからなくて、途方に暮れている。

 嫌な人間になってしまったものだと思う。でもこの世の中は競争社会で、相対評価が当たり前で、何かしら人と比べなければ気が済まない人々に囲まれ環境に置かれればそうなってしまうのも致し方ないのではないか、と自分を庇ってしまいたくもなる。

 誤解の無いように言っておくと、他人様の文章に感動しない人間ではない。寒い部屋で鼻水垂らして泣きながら読んだ大好きな小説もあるし、してやられたと最後最後でのどんでん返しにニヤついてしまうこともある。

 しかし「人に馬鹿にされたくない」という思いと「人に評価されたい」という思いが混ざると、こんな面倒なことになってしまう。でもどちらも当たり前の感情だとも思うから、返って対処の仕方が解らない。

 作品に関しては宣伝もっと上手く出来れば閲覧数が伸びるのではないか、という指摘もあるかもしれないが、表立って書いてますとは言えないジャンル創作なので、そこの辺りは難しいのではないかと思う(一応ツイッターにそのジャンル専用の鍵アカウントを作ってあるが、相互が40人程度の小規模なアカウントだ)。

 人に賞賛される喜びが捻じ曲がって醜い嫉妬に変わり果てるのは、今私や私の小説を好きだと言って下さっている方々の思いの否定にもなりかねず心苦しい。

 今回はそういう気持ちをどこかに吐き出したいと思いチラシの裏感覚文章を書いたのだけれど、割合すっきりしたのと同時に恐らくこれからもそのような自己矛盾と付き合っていかなくてはならないのだろうな、という実感が湧いてきている。

 何があっても筆は止まらないし、折るつもりもない。文章を書く喜び、キャラクタに向き合う喜び、そして人に賞賛されるという喜び。それらの何物にも代え難い快感を知ってしまったら、もう当分心大人になりきれるまでは、ずっと苦しみ続けなければならないのだ。

anond:20180124135245

一方的監視をするのは自由だけど、それだけの情熱があっても、

絶対作家の目に映らないようにしよう!と徹底した理由が知りたい

作家一言もらえたり反応があったほうがうれしいと感じる人が多いのは自明だし、

実際この作家もまわりの反応が描くモチベーションに繋がるタイプのようだけど

作家のご機嫌とりをして喜ばせる気はないし、

作家そもそも反応なんてなくてもストイックに書き続けるべきだし、

心変わりも断じてあってはならないという

盲目的に餌を与えられるのを待つだけの雛鳥みたいな信仰心

いまでも粘着されている作家可哀想

増田自身の異常性も理解しているからこそ

このように匿名で吐き出しているのはわかるし、常識と理性のある人なんだと思うけど、

いつかどうでもよくならないかな…ではなく

今、勇気をもって監視をやめないとあなたが腐っていくだけなのでは

2018-01-31

[]目からウロコ

キリスト奇跡により盲目の男の目が見えるようになったという、

新約聖書使徒行伝』第九章の

直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」

からまれ言葉である

本来は、誤りを悟りいから覚める意味で使われていた。

目から鱗が落ちる - 語源由来辞典

宗教色なんてまったくしない・むしろ日本語っぽいのに実は違うという、なんか不思議慣用句

anond:20180131090356

ウォークマンに電源ボタンなんかいらない。電源ボタン技術的な限界ユーザーに押しつけるだけのインターフェイス。あるいは電子機器には電源ボタンという盲目的な慣例に過ぎない。

いただきます」教の功罪

職場でお昼ご飯を食べようと思って、コンビニ弁当を前に、

無意識に「いただきます」ってつぶやきながら合掌していたのだけれど、

だんだんこのルーティーンが不思議ものに思えてきた。

「合掌」は宗教的動作として、(特に外国人から見たら)なかなか強烈なヴィジュアルだと思う。

もっとも私は無宗教で、別に特定の神に対して祈りを捧げていたわけではない。

弁当調理した工場の人や、食材生産に携わった農家や、食べられるために死んだ生き物に祈ったのだろうか。

幼稚園小学校では、だいたいそんなニュアンス動作として教え込まれたような気もする。

「お残し」という戒律破りをすると、

どんな悪党でも、心のどこかで多少は彼らに対する罪悪感にさいなまれるわけで、

やはり強固な宗教的モラルとして、私たちの心に定着している。

もちろん宗教的であることと世俗的な合理性矛盾しない。

現に「いただきます」教は、いまでも食品ロス問題への効用があるはずだ。

しかしこの「いただきます」教には、少なからデメリット存在するように思う。

たとえば、

①「いただきます」教の原理主義教諭による、なかば拷問的な完食の強要

食品生産者への盲目的な礼讃により、消費者が「買わない」「食べない」という意思表示を示すことの困難(昨今のウナギ問題など)。

公教育の場で「合掌」を強要することの宗教的中立性の問題

などなど、色々思い浮かんでくる。

私たちはいま一度「いただきます」教の功罪を考えるべきかもしれない。

2018-01-29

シンデレラにはなれない。

ディズニーランドシンデレラ城には、見て回るタイプアトラクションがある。シンデレラフェアリーテイルホールというアトラクション彼氏と行った時にたまたま空いてたから入った。

そこにはシンデレラがみんなのために一般公開してた色んなものが置いてある。

色んな置物とギミック、シャンデリア、王様椅子、下を見下ろす眺め。さすがシンデレラだなと思ながらふらふら。

そして最後の部屋では、シンデレラが落としたガラスの靴が下に飾ってあり、誰でも中に足を入れられて写真を撮れるみたいな感じ。

せっかくだから私もとガラスの靴に入れてみるが、思ったより小さくて入らない。子どもなら入るのかなーって

あー。私は、シンデレラになれないんだ。こんな大人なっちゃったもんね。昔は夢見てたのにな。いつからかな。現実を見るようになったのは。 となんかしみじみ思ったり。

でも写真は撮りたかたから靴の隣に足を置いて撮る角度で履いてるように見せる大人の技を使ってなんとか撮ってここを出た。

その後もアトラクション乗ったりご飯食べたり、なんやかんや楽しかった。

そろそろ閉園だから帰ろうかーと話して、記念にシンデレラ城で写真撮って帰ろうということになってシンデレラ城へ。

シンデレラ城へ着くとなんか彼がそわそわ。

いきなり真面目な顔をして私を見つめて、

結婚してください!!!

なんか時間が止まったようだった。

私はシンデレラにはなれないけど、これで良いんだ。これで良いんだ。ってなんか涙が流れて流れて。

シャンデリアとかお城とか王様とかそんなのいらない。なれないけど幸せなんだ。

はいっ。と私は答えた。

こんなこともあったな-。って数年後の今、シンデレラトリビアを知った。

義理姉妹の目をシンデレラの両肩に止まってた白鳩がくり抜いて盲目にしてしまう。そこで当然の報いのように微笑むシンデレラ………。

シンデレラこわっ!たしかに私はシンデレラになれねぇーわ!

anond:20180128013504

今更そこを気にする?パロディ元ネタになってるゲーム漫画だって、30代40代オタクでないと分からないラインナップのオンパレードでは?そのくらいの年齢でもオタク活動を続けている作者だからこそ原作には最近ネタも混ざっているけども、作品観のベースは一昔前のネット住人的なノリであることを考えると、特に気にするようなシーンではないと思うのだが。むしろ若い子の多くはネタの大半が分からくともフィーリングで楽しんでいるようだし、そのくらいの受容性を見習った方がいいのでは?

 

増田のように、作品中に2ちゃん風やニコ動風の描写が出てくると、決まって「冷めるわー」的な反応をする人が大量にネットに湧くことを我々はもう何度となく見てきた。人はちょっと聞きかじった事があるくらいのネタなら素直に害意なく、なんなら知っている気分にすらなって楽しむことができるのに、「俺はこれをよく知っている」みたいなものに対しては、へんな自意識が働いて、「あーハイハイ陳腐なこった」みたいな思考に陥ってしまう。これははっきり言って下品だし幼稚な思考だが、みんながやっているようにみえるのでなかなか思考を改めようと思う人は少ないようだ。けれど、その「みんな」というのはほとんどが生意気盛りの子どもたちの発言の集合である率が高い、ということを考慮せねばならない。ネットの向こうの顔の見えない人間が、どれだけリアルに幼く、育ちの悪い人なのか、ということに想像力を常に働かせていないと、自分自身精神的に幼くなり、育ちの悪い人間と同様の思考回路が脳に焼き付き、人格的に落ちぶれてしまう。それくらいにネガティブ感性の伝染力は強い。そのことに無自覚で無邪気すぎるネットユーザーがあまりにも多いと私は思う。

 

また、アニメオタクに多いのだが、勝手に高すぎる期待をして、それとは違う表現制作側がすると、クソだクソだと貶す人がネットでは目立つ。もともと他人に対して多くを求めすぎるというのは日本人の悪習だと思っているが、この現象に関しては、「自分の思った通りに作ってくれないと嫌だ嫌だ」と駄々をこねる子どもとなにも変わらない。そこにクリエイティブに対するリスペクトは何もなく、自分作品でもないのに、他人がその人の価値観表現の一端として作っている作品に、自分価値観でもって勝手校正を入れようとする感性は、ただただ醜悪だ。「鑑賞」という行為に対する基本的リテラシーが欠如しているばかりでなく、人間としてあまりにも盲目で、多様な価値観を受け入れられる器を造成するだけの視野想像力が未熟であることを感じさせる。そういう人が客層として少なから存在するアニメ漫画業界において、ポプテピピックが自ら「クソ」を自称していることの意味を、よく考えるべきだと思う。

2018-01-21

anond:20180121222635

ほんと事故物件だわ

恋は盲目じゃないけど交際時は分からなかった

同棲しなかったのがダメだったか

でも本格的におかしくなったのは子供まれからなので

余裕がなくなってきて本性が現れたのかもしれん

2018-01-19

博論審査を終えて(所感、長文)

周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。

出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。

身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。


先日、博士論文審査を通過して、学位取得がほぼ確定した。

正確には、まだ微修正製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。

博論審査が終われば、いろいろと解放されると思っていた。

ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポスト任期付きだが決まっている。

結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。

しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。

それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。

まりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。

私の博士論文は、とても酷い代物だった。

「3年(あるいは5年)間の研究集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、

博論審査を通過するためだけの博論」にしてしまった。

非常にせこく、下品で、信念が無かった。

こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから

博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)

「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」

プロセスを初めて自力で行うものだ、と思う。

私は、この最初から躓いていた。

博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。

長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。

なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。

本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。

私は問題本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。

10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは

複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。

個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリー存在しない。

私には、博士3年間でこれをやりました、と言えるものが無い。

そして、この愚か者がどうしたか

分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。

つぎはぎだらけの代物に、博士論文タイトルをつけて提出したのだ。

元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。

私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。

少なくとも、「3年間の研究集大成」では決して無い。

なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。

恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。

それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。

私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。

これを誇れるだろうか。

博士号とは何だろうか?

私は博士号に値する人間になれただろうか?

博士号とは、先を行く先輩研究者たちに

自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である

と納得させて、自力で掴み取るものじゃないのか。

お情けで頂いて良いはずがない。

恥ずかしい。悔しい。

それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)

今のラボで、オーバードクターする気もない。

見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから博士号」に見合う人物になるしかない。

しかし、なれるだろうか?

私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。

いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。

少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。

私は、方向性の正誤はともかく、言い訳余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。

その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?

努力たからえらい、結果よりプロセス大事だ、なんて言えるだろうか?

私は言えない。

大人世界では、結果が全てだ。プロセスじゃない。当然だ。

覚悟していた以上に、自分は出来損ないの期待外れだった。

どんなに頑張っても、理想ハードルは超えられない。

自分の期待も、他者からの期待も、簡単に裏切ってしまう。

私は非常に、信用できない奴だ。

でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。

今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。

そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。

他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。

酷い博士論文を提出して、博士号を頂いてしまった分、

自分失望した分、他者失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。

一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。

結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。

失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。

また1つ、恥を上塗りしてしまった。

また1つ、今後の課題を増やしてしまった。

しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。

博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。

私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。

それでも、頑張る。

頑張る以外の選択肢が、最初から存在しない。


3日も泣いて寝込んだ。

明日こそは早起きして、やるべき事を地道にやっていこう。

anond:20180119034103

橋本琴絵」アカウントは9月に作成された初めのツイート以降放置され、1月になって再開。

ツイートには橋本現実活動を示すものもなく、写真もない。

 

https://www.j-cast.com/2018/01/17318910.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2018/01/17318910.html

J-CAST記事橋本取材している痕跡もなく、これで橋本本人を非難するのは軽率

アカウントツイートに対して非難するだけならわかる。

普段、Jカスと読んでるような人も、非難したい欲求かられて選択的に盲目になってるよう。

 

 

大体、再開して初めてのツイートが、若い女性を名乗るアカウントによる写真ツイートへのこれ

ぎらちゃん、こんなに可愛かったんだ!

https://twitter.com/HashimotoKotoe/status/948391507018506241

恋してないのに結婚して破綻した話

生活パートナーとして最高だと思って結婚したら、相手メンヘラ化して、それを支える原動力がなかった。

同志として一緒にやっていけると思ってた資質相手人格のほんの一部分だけであって、自分には見えてない領域があまりにも大きかった。

ちょっとたことで、一致していた趣味はズレるし、生活パターンの好みも変わる。

子どもができると、その差は広がるばかりだった。

支え合って生きていけると思っていても、相手に支える力がなくなれば、一緒に転んでしまう。

子ども自分生活を守るためにも離婚せざるを得なかった。

恋愛とか根拠のない思い込みにほだされて一緒になったほうが耐えられたかも知れない。

離婚する時に、勘違いした知人から「恋は盲目もの相手のそういうとこ見えなくて当然よね」と慰められて、そうだったらよかったのにって思った。

自分恋愛せずいわば打算で結婚たから、失敗は完全に見る目がなかった自分責任であり、その責任の重さが辛かった。

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