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2021-04-04

雑誌映画秘宝』の記憶(39)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.14)

 「毎回、長い」と言われたので、引用は細切れでいこうと思います

 出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p124]

(中略)

 柳下ホモといえば『ロード・オブ・ザ・リング』も怖いですよ。イアン・マッケランクリストファー・リーがお稚児さんを奪い合う話だもん。

 町山:ホモといえば、こないだ『ターミネーター3』の取材シュワルツェネッガーオフィスに入れてもらったんだけど、入り口のドアにいきなり全裸の男の尻が浮き彫りになってるの。

 柳下:それはシュワがボディビルダーからでしょ。彼は女好きで有名だもん。

 町山:でもさあ、そこらじゅう裸の筋肉男の彫刻だらけってのは異常。

 柳下:『スパルタカス』(60年)に出てきたホモローマ貴族屋敷みたいな(笑)

(初出『映画秘宝』03年vol.43)

感想

 「異常」呼ばわり。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

2021-03-18

私は元からオタクじゃなかったかもしれん

20歳になって、いつも通り生活してたら気づいた

自分オタクじゃなかったかもしれん

(ここでいうオタクアニメとか漫画ゲームにハマるオタクってことです)

から色々とアニメ漫画を見てたりしてたけど全然長続きしなかった。そんなことよりもお絵描きでした。ずーっとずーっと自分の考えた物語を延々と描いて楽しんでいた。ゲームやっても直ぐに飽きてお絵描きしてた。

読んでいても遊んでいても「自分が求めているものではないな」と思うことがすごく増えた。

美術館絵画彫刻を見ている方が楽しかった。

中学になってアニメ漫画も程々に楽しんでいたが、そのどれもが大体すぐ飽きてた。中身を読んで、「自分の求めていたものじゃない」って思って大体積むことが増えた。高校になったらもう積むこともせず漫画なんて買わなくなった。アニメも「全然見ない」から「全く見なくなった」に変わった。

そんで自分が納得できる作品を描きたくてずっと一次創作していた。

よくジジババがいう「最近漫画はみんな同じに見える」という言葉にふと共感してしまった瞬間自分絶望してしまった…。

Twitterやってて、絵も投稿してたけど段々漫画アニメ情報が流れてくることすら苦痛になった。前まで流し見してたけど色んなアニメ漫画ゲーム情報毎日流れてくる上に学級会まで流れてくるしもう色々疲れてきた。Twitter向いてねーからそのうちやめる。

まじで就職して金稼いで将来は広い部屋にテレビ無しでひたすら音楽流しながら時には外に出て美術館巡りしつつ漫画を描く生活を送りたい。

支離滅裂文章になったけど普段感情を出すのが苦手な自分気持ちを書き散らしてみた。

そういうわけでした。

2021-03-06

朝美絢氏の横顔

今まで気が付いてなかったけど今回のブリネクでやっと気がつきました。望海氏に負けず劣らず彫刻顔。鼻、高い。

画像検索してみたけどあまり出てこない。


ロックオン真琴コメント面白かった。ブリネクも面白い(ブリドリはまだ雪組に慣れてなかったのかなという印象)。


さっき携帯写真整理してて出てきたロングインタビュー時の「(宝塚とは)人生を [3秒] すべて [3秒] かけて [4秒] も [2秒] いいと思える場所」と、考えながら一言ずつ確信を持って選んで答えるさまもよい。


今回のブリネクでもうひとつ気がついたのは、肩が華奢なこと。fffで望海氏と並んだ時、望海氏より背が高いようにも見えたけど、なぜか背が小さい印象がある。たまたまブリネク見た後にiafaのステージドアを見てしまったけど改めて珠城氏の男役として恵まれた肩幅を認識


圧倒的に美しい顔だけど、それだけではタカラジェンヌとして足りなくて、がむしゃらにもがき続ける姿。自分時間がかかる人間から周りは気にせずに時間をかけてがんばりたい、みたいなこと言ってたっけ。彼女のジェンヌ人生を見届けたいと思う(ショレがあまりによかったかかわいいおっさん専科になってほしいという気持ちもある)。

2021-03-02

人には人の発達段階

大学時代意気投合した彼氏と3年の交際を経て結婚、今年で2年目になる。

なんだかんだと延期になりつつ来月結婚式を迎えるので記念に自分のことを書き出してみる。



私は典型的機能不全家族に生まれ、家では適当に殴られていれば良かったものの、外での振る舞い方が全く分からなかった。

小中のころは道でウンコをしたり机の天板で彫刻作品制作したり消しゴムを食べたりなどの奇行が目立ち、バチボコいじめられていた。

が、ガサツでメンタルが強く、とにかく勉強が出来たため県内トップ公立高校に進学することとなった。



こうして擬似アスペモンスター状態高校入学したわけだが、場所県内トップ校だ。真面目で育ちの悪くない学生に囲まれ、ここで初めて「人間として話しかけられる」経験をする。


コミュニケーション”はものすごい情報量だった。

恋愛青春ごっこに手を出しては失敗し、たまに上手くいき、親友恋人が出来ては絶縁した。

成績はみるみる落ちていった。


常にお金がなかったためバイト先を転々とした。JKカフェ喧嘩で退店した直後にその店が摘発されたこともあったし、レンタル彼女円光もとりあえずやってみた。


そうこうして卒業を迎えるのだが父が女の大学進学を認めるはずもなく、高校就業する学生は1人もいなかったため、まず金銭的に自立すべきと考えて浪人という名目キャバクラ勤務で生計を立てることにした。



これも本当に面白かった。面と向かって酔ったおっさんにブス!ガキ!乳首見せろ!と詰られる日々だがそこは鋼のメンタルで乗り越えた。

客の心をつかめばめちゃくちゃ嬉しそうにはしゃいでくれ、売り上げも伴う。他人に対して情のようなものを感じたのは初めてだった。自分の心は金で動くと知った。


酒での失敗は本当に多かった。記憶飛ばして先輩嬢の客にキスしたり、アフター先で眠って客に店まで届けてもらったり、気に入った客をホテルに誘ったはいいがチンコが臭すぎると爆笑して何もせずそのまま帰ったこともあるらしい。


その後人に迷惑をかけ貯めたお金で入った大学を即中退し今の夫と付き合い始め、キャバ勤務を再開、遊び回っていたところ、ひょんな縁から今の会社就職することとなった。



大学時代教授が知り合いの社長に私を紹介してくださったのだ。「誰か勢いのある奴はいいか」と聞かれて私が思い浮かんだらしい。


上司セクハラに困った時期もあったが、毎度舌打ちしていたら直った。

残業は多いが仕事内容は全く難しくなく、家事帰宅の早い夫がほとんど済ませてくれるためストレスがない。

年収は私550・夫400と24にしては文句のない程度でのびのび過ごしている。



ときどき、どうやってこの快適な生活を手に入れたのだろうかと不思議に思うことがある。


大きな決断自分で下してきたというのもあるが、なにより巡り合わせとタイミングだと思う。

小中で友達がいなかったからこそ大量の読書が出来たし、高校キャバクラ経験が無ければ一般企業で働けるほどの人間性は間に合わなかったし、就職タイミングが少し違えば結婚することもなかっただろう。


間違いなく今の私には余裕があるので、このタイミング感謝気持ちを改めようと思う。迷惑をかけた方々に対しての自省の念を添えつつ。


こんな私を愛してくれるあたたか宝石みたいな存在絶対幸せします。

それが最もシンプル感謝表現方法だと思うので。

2021-02-10

音楽史17世紀から始まるのは何故なんだぜ?

音楽ってすげえ原始的芸術で、

たぶん言葉が生まれるより前から人類は歌ってたと思うんだけど、

それなのに音楽史の説明がだいたい17世紀から始まるのはどうしてだろう。

いやもちろん音楽自体は連綿と続いてきているんだろうけど、古代中世のことはほとんど語られないよな。

ちょっと詳しい説明でもせいぜいルネサンス以降じゃん。

絵画しろ彫刻しろ詩にしろ小説しろ演劇しろ

その芸術歴史を書こうと思ったら、

だいたい古代ギリシャか古代ローマか古代中国から始まるし、

その当時の代表作がいまでも知られていたりするよな。

でも、音楽でそういう「古典」の位置にいるのはバッハヘンデルで、彼らは17世紀に生まれ人物だ。

バッハなんて、あんな貫禄のある顔をしておいて、松尾芭蕉近松門左衛門より年下なんだぜ。

なんで音楽だけこんなに新しいんだろ?

2021-02-07

ヴィーガンボディービルダー

ヴィーガンマッスル動画を見ることにハマっている。

・目がキラキラしてる(漫画みたい)

・肌がなんかテカテカしてなくてツヤなし家電みたいな感じ

・なんか笑顔が多い

女性エロさというよりこうごうしさ・美しさを感じる

バストがでかくて彫刻のような体型

・なんか肌がきれい

よくみる黒くてテカテカした人工的なビルダーより、ふつくしい・・・という感じで気に入っている。

なんか人類進化形という感じがしている。

https://www.youtube.com/watch?v=rliTWoAlLTM

https://www.youtube.com/watch?v=KNUm1Ed6UJ8

https://www.youtube.com/watch?v=PGi6i-PX9wk

なんか意外とブックマークついたので返信

ほんまに他のボディービルダーと違うんかいな。

テカテカ!フェロモンむわ~んムキッ!ジャングルッ!野生!

みたいな感じじゃなく、鋼というかコンクリートのような静的な強靭さがかんじられる。しらんけど。

大豆ってすごいんだなあ

すごいよ 肉とかチーズのかわりとか大抵大豆

大変無礼だけどたんぱく質問題をどうやってクリアするかだよな

勘違いしてるかもしれんがムキムキに肉は不要

テストステロンとかは動物くったほうがでるんじゃね?と思う。しらんけど。

ヴィーガンプロテインとかあるし、お金さえあれば余裕なのかしら。

食費は肉好きな人の半分になると思う。

肉がいかエンゲル係数かってことだよな。

https://www.cosmopolitan.com/jp/entertainment/celebrity/g20107912/vegan-celebrities/

2021-02-05

比較的恵まれているただの16歳女子死にたいというだけの話

私はここのルールをあまり知らない。

とりあえず思っとことをつらつらと書いていこうと思う。

ここ最近死にたいと思うことが多くなった。

少し、いや長いかもしれないが本題から逸れて私の今までについて書こう。

軽い鬱だと診断されたのは1年と少し前だ。

でも鬱なんて半年くらいで治っていたと思う。実際それくらいの時期から前向きな考えも増えたし行動も起こせるようになった。他の人から見れば些細な1歩でしかないが。

こうなれば大抵はまた「普通」と呼ばれる生活へと戻っていくのだろう。

でも私は違った。

新しく何かを始めてもすぐにまたできなくなってしまう。技術的なことではなく、気持ち問題で。要するに甘えだ。

バイトを始めてみても1週間と続かなかった。

自分で言うのもなんだが物覚えは悪くない方だ。仕事も大体覚えた。働いた時間から給料計算するのも楽しかった。疲れて飛び込む風呂は最高だった。読書なんかしちゃったり。

人と接するのは嫌いではない。お客さんの中に年配の方がいると祖父を思い出して自然と笑みが零れた。

働く前の私が想像していた「充実した生活」がそこにはあった。

でも嫌になった。

理由は分からない。

シフトが早い訳でも遅い訳でもない。

やり甲斐というものを感じていたし、新しい自分に生まれ変われたよう。家族と同じ方向を向けたのかなぁなんて嬉しくなったりもした。

結局体調も崩すようになって、バイト先には貧乏くじを引かせることになってしまたことを申し訳なく思う。ここで謝ったところでという話だ。

これはただの甘え。

せっかく高い学費を払って転校させてもらったのに結局辞めることになった。

これは別に死にたい理由ではない。

親の気持ちを考えると死にたくもなるがそこまでではなく。

バイトと同じく、というか時系列的にはこちらの方が先だけれど(この話を最初にすれば良かった。)少し通ってはみたものの、肌に合わなかった。いや、それだと我儘過ぎるか......結局のところ我儘でしかないので別にこれでいいか理由はそれにしよう。お察しの通り私にもよく分かっていないので。

自分のことが分からないのは如何なものか。笑える。今どき感を出すのなら草が生えているのだろう。草。果たして使い方は合っているのか。

失礼。話が逸れてしまった。

学校に関しては特に後悔はない。

所謂高認」にも受かったし、専門学校を目指している。高校すら通えないやつが行けるのかと思われるかもしれない。私もそう思う。やってみなきゃ分かんないよね精神なので触れないでいただきたい。私立学校に何百万もかけるくらいなら専門学校に使って貰えた方が意味のある金になると思ったのだ。

これも甘え。

でも高認は1週間程度の勉強で9科目1発合格だった。我ながらすごいと思う。そう思わないとやっていられない。

勉強は嫌いではない。

楽器も絵もそれなりにできるし料理もできる。運動は苦手だけれど。あ、でも縄跳びは得意だ。

死にたいということ以外ならなんでも話せる友達もいる。両親は優しい。ニートすれすれの娘を追い出さないでくれている。親として見たら当たり前とか言われるのかもしれないが人として見たら素晴らしいだろう。

私だったら何もせずただ蛆虫のように飯を食い潰すやつを家に置いておきたくはない。

ちゃんと叱ってくれる兄もいる。

不自由ことなんて何一つない。

なんだか嫌味ったらしく聞こえてしまうかな。

家族のことは大好きだ。これを読んで私の家族おかしいと感じさせてしまったのならそれは、私の文章力貴方の読解力が上手く噛み合わなかったのだろう。

まあとにかく。

まれているのだ。生まれからずっと。

それなのに何故死にたいのか。

どれだけ考えようと答えなんてものはない。

そもそも生きたい理由が無いんだから死にたい理由もないだろう。何となく生きてて何となく死にたいのだ。

個人意見だが、生と死の関連性なんてほとんどないと思っている。生まれたら死ぬというのは分かる。そりゃそうだ。でもそれは両極端に見た時の話であって、生まれたその瞬間から死ぬまでの間を見れば極端なものよりも曖昧ものの方が多いだろう。

漠然とした考えだから例を出せと言われても無理だが伝わるだろうか。伝わってくれていたら嬉しい。ニュアンスの話だからからなかったら忘れて欲しい。

ここに来てくれた人が何を求めて来てくれたのは分からない。多分応えることは出来ない。私が死にたい理由を知らないから。

理由なんて付けなくてもいい、とも思ったが、なんだか気持ちが悪いのでこの場を借りて考えてみよう。

そうだな、スマホ電池が切れそうだとか、月がものすごく綺麗だとか。あとはトイレットペーパーが切れてしまった時とか。案外とんでもなく小さなことで死にたくなってしまものだ。

大層な理由なんて思いつかない。

そんな壮大な人生なんて知らないから。

では逆に、死なない理由を考えてみよう。

向こうにいる祖父に怒られてしまうかな。

祖父の住む家には飼っていた犬が、魚が、鳥が草木が、沢山居るのだろう。私はそこには入れない。頑固オヤジと有名だった祖父に追い返されるだろう。そして路頭に迷うのだ。

でも死にたい

母が腹を痛めて産んでくれた。

命懸けだっただろう。

頼んでいないのになんて言うつもりは毛頭ない。少なくとも10年間は楽しく過ごせたのだ。産んでくれてありがとう

でもやっぱり死にたい

まだ親に何も返せていない。

私が死ね家族は悲しむ。

でも死にたい

あらびっくり。

死なない理由を探してもそれ以上に死にたいが勝ってしまうのだ。

なのに何故私は生きているのだろう。

早く死ねればいいのになぁなんて思いながら、自分死ぬのが怖いのだ。

どこまでも甘えが無くならない。

前に1度、手首を切った。

近くにあった彫刻刀で。

刃を当てて引くだけなのに思っていたより躊躇して。

出来た傷はとても浅かった。

なんだこんなものか、大して痛くないじゃないかと思ったのに、風呂に入ると沁みて痛かった。傷に対して代償は大きい。

バイトも出来ない家のことも手伝えない。

挙句の果てに自分死ぬことまで出来ないときたもんだ。早く死ねよと思う。思ってもらった方が合っている。

できない自分を見る度に、中学時代を思い出す。

部活大会に出れば成功。家に帰れば抱きしめて褒められ、テストでいい点を取れば欲しいものを買って貰えた。高校受験で合格すればもちろん祝われる。

褒められなくなったのはいからだろう、なんで考えてしまえばあとはもう死にたいまで一直線だ。

何も出来ない自分が嫌で、家のことをやってみた。

溜まっていた食器を片付けたり、洗濯機を回したり。どれも小学生だってできることだ。

綺麗になったシンクを見ると、なんだかまた新しいことを始められそうな気がした。

遅くまで働いて疲れている兄に夕飯の支度をしてみた。

たとえ死にたいと思っていても感謝されたら嬉しい。

起きて動いていたらそれだけで嬉しいと父が言ってくれた。

死にたくなった。

そんなことを言わせてしまうくらい、私という人間レベルが低くなったのだ。

1度できたことが出来なくなるのは怖い。

前はできたのに、それが自分をどんどん追い詰めていくのだと思う。

社会不適合者とはよく言ったものだ。

私にピッタリの言葉

適合していると思い込んでいたお粗末な人間の末路には何があるのだろう。

動画サイトコメント欄で、自分よりも辛い思いをしている人を沢山見つけた。

それでも死にたい気持ちは変わらない。

自分より過酷な状況に置かれた人を見て考え方を変えるなんて、下を見て胡座をかいているように感じてしまたから。生きたい人がいるのにと言われても死にたい人もここにいる。できることから私の臓器でも使えばいい。どんな人が死ぬかなんて、別に管理されている訳でもないのだからいいだろう。死にたくたって。

なんだか何を書きたかったのかわからなくなってしまったが、そもそも死にたいということ自体が小さなことだ。絵本の1ページにも余る議題だろう。

結論なんてものは無い。

私の脳内整理のために書かれた文章だ。

死にたい話なんて中身が無いくせに長くなる。

読み返すつもりもないか日本語おかしいだろう。

子供のような我儘に満たされた私の死にたい欲求

死にたい自分他人事のように見ている私が「私」に向き合える日は来るのだろうか。

少なくとも、自分のことで泣けるようにはなったのだから、1歩近づいている。

いつか、自分で死ななくても消えて無くなることが出来ればいいのになぁ、なんてファンタジーを考えながら、

私は今日も、死にたい

比較的恵まれているただの16歳女子死にたいという我儘を言うだけの話

2021-01-27

TVチャンピオン菓子職人全員絵が上手い

お菓子を作るのも彫刻を作るのも服を作るのもすべてはデッサンから始まる。

何かものを作ろうと思ったら美大予備校に通って美大合格するほどの覚悟がいるんだな。でないと何をやっても偽物にしかならない。

2021-01-16

エヴァンリンの操縦って意外と難しいんだな

業務の都合で

エヴァンゲリオンをレンタルして

ナイアガラの滝の裏側に

おさるのジョージ彫刻を彫るっていう

作業をしたんだけど

なれるまで思うようにエヴァを操縦できなくて焦ったわ

なんとか日が昇る前に終わったけど

昔乗ってたボルトガンダムよりだいぶ扱いづらかった

2020-12-09

ミスコンルッキズムは繋げられるべきか

何故ミスコン問題視されているのか。とある記事を見てふと思ったことをここにつらつらと書き連ねておこうと思う。

元来見た目の美しさは望んで得るためにはあまりにも失うものの多いものであり、もって生まれた人々はそれを活かして何が悪い作家が本を出して賞を貰うのと本質的には変わらないのではないか、というのが私の基本的意見である。大体美しい人々はその見た目を誇り努力も重ねているのではないか

ブサイクコンテスト」のような見た目で人を貶めましょうというコンテストというわけではなく、持って生まれ努力した人が自分努力や美しさという才能を評価されたい、つまり自分を更に好きになりたいという願望の現れが「ミスコンなのだから、いいじゃないか、べつに。どこがダメなんだろうか。「お金持ちは必ず募金をしなさい」くらい違和感がある。

そもそも人という生き物は、美しい見た目をしている方がより社会適応やすい。例えば、就職活動だとか、友達作りだとか。

就職活動に関しては「容姿端麗」を必要とする仕事も多くあるし、目立つ人と友達になりたいという気持ちは割と多くの人が持っているものなので、それも不健全とは言い難い。

見た目の話をする上で、美術作品がよい例えになると私は思う。

ミケランジェロの「サンピエトロピエタ」という作品を皆さんはご存知だろうか。

とても美しい彫刻作品で、私は初めて見た時に本当に衝撃を受けた。

今までは全く興味を持っていなかったのに、私はピエタを知って初めて彫刻について調べたのであるピエタがどうやって作られ、なぜ作られたのかを。

美しいと思わなければ調べようとは思わなかっただろう。見ても数十秒後には忘れて、きっと別のことを考えていた。

この人類の長いようで短い歴史の中で何回も言われていることだろうが、結局見た目、最初の印象で心惹かれなければその人のことを知ろうとは思いにくい。ふとした時にその人が持つ良さなんかを何かで知って興味を持つことはあるけれど、見た目が100%好みの人間のことの方が知りたくなりやすい、と私は思っている。そう、これはどう足掻いても拗らせた高校生の拗らせた思想の切れ端で、ここまで読んだ方はお気づきだろうが、私は美しさとは程遠い見た目をしており、美しい人々に尊敬の念を抱いている。

多くの人間にとって相手の見た目というものは、相手判断する大きな材料である

最初に述べたように、所謂ルッキズムのようにそれで差別され、不利益を被るのならそれはもちろん是正されるべきである

しかし、誰もマイナスにならない、一部の人間がプラスになる、というのであれば別にそのままで良いのではないだろうか。

その人がもって生まれ長所たまたま見た目だったというだけで、その長所がなかった事にされては気の毒だろう。長所はどのようなものであれ平等評価されるべきである

2020-11-13

絵は下手でもいいのか

絵は下手でもいいです、自分世界観好きな人はきっといます技術的なことは二の次でいいのです。

んなわけねーだろバーカ なーんだよそのファンア〜ト 創作 絵画 アニメ 彫刻 なに描いてあるかわかんね〜 首折れてるけど!?首折れてる人フェチですか!?キュビズム模倣ですか!?背景曲がってるけどこの世は曲がってるという意味ですか!?

つまんねー つまんねーやつって大体絵下手だしコンセプトもクソ 見てもどうしょうもねーよ どうせ見るなら上手い絵や立体または映像のほうがいいだろ なにそのへったくそ人間 風景 機械 犬コロ はいはいあーなんか現代アートいね個性的

2020-11-09

夢を見た。私は何かの芸術家で、オーダーを受けて客の望むものを作り上げている。

その日の客は女性だった。30代くらいだろうか。オーダーに際し妙に言葉を濁し、頻りに「見ればわかるから」と言っていた。彼女の用意していた資料材料を見れば、ということなのだろう。

更に彼女は、制作過程や完成品もあまり人目に晒せない、というような事を言っていた。どうも彼女は私に依頼する前は自分で作っていたようだ。

訝る気持ちを抱えつつ言われるままに彼女の依頼を受けて、そこで私は理解した。彼女が作ってほしいものが男性期を模した彫刻であることと、夢の中の自分がちんぽソムリエであることを。

用意された資料を見て口を衝いて出た言葉は「あ、これ○○のちんぽ?」だった。彼女は驚く。どうして分かるんですか?私にも分からない。

だが、確固たる自信だけはあった。彼女の望むものを作り上げられるという自信が。不安げだった彼女も私の様子を見て安心したように笑ってくれた。そこで目が覚めた。ちんぽソムリエってなんだよ。

2020-11-02

手塚治虫ブッダ」とおっぱい20世紀おっぱい

ラーマヤーナ」ではインドラの火とも伝えているがね

特に理由はないのだが、最近通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインド旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカ台詞では長母音場所が間違っている、みたいな話にもなった。

それはさておき、「ラーマーヤナ」である英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代地域によっては必ずしも自明ではないのだ。

また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。

「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上宝石の装飾品をつけて輝いている」

この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インド東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である

女神ガンガー

女神パールヴァティ

しかし、近現代インド叙事詩を描いた絵画では、上半身普通に覆っている。

追放されたシーター姫

シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図

それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫性的空想だったのだろうか?

頼むぞグーグル先生

そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。

In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略

ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀20世紀初頭の南インド先住民女性の間では普通のことであった……(以下略)。

そういうわけで、古代インド女性おっぱい丸出しだった。手塚治虫変態だったかもしれないが、古代インドの服飾史については、嘘をついていなかった。

また、「古代インド おっぱい」と日本語検索すると、次のようなツイートが見つかった。

https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378

古代インドに詳しい方が日本語情報発信をしてくださると、大変助かる。

よく、東洋舞台とした作品ブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。

実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代クレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本海女さんもかつては上半身裸が普通であった。

おっぱい税、巨乳税、その非人道性

ところで、英語版ウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。

The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.

乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カーストシュードラ)と不可触選民ダリット)に属するヒンドゥー教徒女性が、公共の場乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人女性乳房の大きさによって額を決めていた。

なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性苦痛いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。

これについて日本語資料が見つからいかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。

古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマ公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。

ナショナルジオグラフィック誌の姿勢、僕の姿勢

そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式謝罪した。国内有色人種無視していたし、外国文化過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。

とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米日本オリエント人間を過度にセクシャル表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。

それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手価値観や服飾文化破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものデファクトグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。

シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖文化伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。

今後の研究課題

今回は古代インドではトップレス普通であったことを示した。また、乳房隠蔽キリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。

今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタ乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人守護聖人であったが、いまでは乳がん守護聖人ともなっている。また、戦時中日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房母性記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味露出することもある。私の身体は私のもので、勝手意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。

加えて、世界各地ではどのような形の乳房理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。

実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインド彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである

このあたりは西洋絵画からたどるのがいいかもしれないが、芸術個人自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。

また、逆にトップレス世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教キリスト教イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。

2020-10-10

日本の街並みが汚いのは無宗教国家から

大手町八重洲ビル
ビルはどれもこれも直線と平面で構成された無機質なものばかり。コスト効率オフィス環境としての利便性機能はおそらく優れた建築物なんだろう。

だがそれらには建築美が存在しない。美が存在しない。
何故か。
日本人の大半が無宗教から、というのが自論。

欧米の美しい建築物には曲線が多い。天使悪魔彫刻もついていたり、様々なギミックが石造りの建物についていて、見ていて面白いし、その建物無人だったとしても、「何かがそこにいるような」雰囲気を感じる。
日本欧米建築美の差は何か考えると、それは宗教の規模であると思っている。はっきり説明できる根拠データは無いが、自分直感がそう言っている。

日本宗教というとクレイジーカルトとか、目に見えない何か霊的なものを崇め奉ってる狂った精神病患者がたくさんいるところだろ、と返事が返ってくることが多い。宗教信者精神簿弱、メンヘラだと言わんばかりに。
俺も昔はそう思っていたし、ファッション宗教やっている人も多いだろうとは思うが、それは宗教本質じゃないと思っている。

じゃあ宗教本質とは何か。

それは、美を追求する精神美学ではないかフランスカトリック教会の美しい建築を見ると、本当にそう思う。美しさとは何か、を考えに考え抜いた結果できあがった建築物教会であると思う。聖書経典なども美がその基礎にあると思う。現実は醜く、苦しく、辛いものだ。そんな辛く苦しい地獄のような現世に美を見出すこと、その行為自体宗教であり、最上美=神を信じるということでは無いだろうか。

この観点から言えば、一神教多神教の争いは宗教精神から大きく外れた本質でない争いだ。異教徒存在や、自分以外の人間自分と同じ宗教信仰しないなどといったことは宗教美学であるという観点からはどうでもいい話だ。
そう考えると、宗教の捉え方も人それぞれであって宗教美学だと思わない輩も大勢いるのだろうと思う。権力欲のために宗教を利用する輩も存在するだろう。大金で豪遊したり、少年少女性的虐待するようなクソ野郎いるかもしれない。
だが、それらは宗教本質とは無関係事象であると思う。

無宗教人間は死後の世界存在しないと思っているし、神も存在しないと思っている。自分が死んだら世界消滅しておしまい
かたや宗教、神を信じている信徒は死後も世界存在すると信じている。
死後に世界消滅すると信じているというのは、言い換えれば自分が死んだ後のことなどどうでも良いと考えているということではないか

そういう人たちが、後世に美しい建築物や街並みを残そうと思ったり、200年、300年の都市計画国家計画を推進できるだろうか。いやできない。
この国の街並みの汚さは、そういう死んだ後のことはどうでもいいと考える人達があまりに多かったからだと俺は思っている。

2020-10-02

スウェーデン若者に絡まれwww

追記すみません。あるブログ転載です  

  

スウェーデンの夜を覚えている。2月スウェーデン坂道を歩く。サーブフォルクスワーゲントヨタ、表情豊かな車が路肩に並び、眠っている。不思議とどの車もくすんだ色になる。

  

北欧の夜には不思議な静寂がある。凍ったアスファルトが音を吸いとってしまうのかもしれない。街灯の光子彫刻のように止まっている。

  

あの冬、仕事北欧にいた。同業者と一緒に北欧を回る出張だった。みな、巡礼者のように、同じような黒のダウンジャケットに身をつつんでいる。凍った道に足を取られないよう、歩幅を狭くして、冷気で化粧した街を歩く。

ペリカン」という名のレストランに入ったのは、北欧に着いてから何度目かの夜だった。タイル張りの床、チークの壁、スカンジナビア特有の、あのとろけたような飴色の照明。ビアホールスタイルペリカンレストランダンスフロアのように広く、笑い声とグラスを打ちつける音に溢れている。今までに見たどのレストランよりも薄暗いが、しかし、今まで見たどのレストランよりも客の顔が明るい。

  

僕らは4つのテーブルをくっつけた一角に座る大所帯で、めいめいが好きなビールを、あるいはワインを、ぶっきらぼう英語で注文した。テーブルろうそくが子熊のダンスのようにゆらめく。人の瞳を大きく見せる、不思議な炎だった。スウェーデンで覚えた「スコール!」の掛け声とともに、琥珀色の液体を冷えた胃に流し込む。

  

ざらざらとした紙のメニューは、スウェーデン語と英語の2つが印刷されていた。チーズ、魚、マッシュポテト、そして子猫の頭ほどの大きさがあるミートボールテーブルに並ぶ。肉厚な白磁の上で、てらてらと光る料理を見ていると、夢と現実境界曖昧になる。メニューに刻まれた”smaklig spis!”の文字が滲んでいく。

  

ふと隣のテーブルを見ると、やけに騒がしい。スウェーデン若者が盛り上がっている。年の頃は20代テーブルではしゃぐ8人全員が屈強な男たちだ。不思議なことに、全員が純白のナプキンを頭にかぶせている。ナプキンの四隅を結び、帽子のようにして。

  

水夫のようだ、と思った。彼らはだいだい色の髭と睫毛をろうそくの光に透かし、歌を歌い始めた。樽いっぱいの勇ましさに、ひとさじの寂しさを混ぜたような合唱。なぜかその歌と、その力強い瞳と拳とは、バイキングを思い出させた。

  

アルコールの助けもあるのだろう、バイキングのひとりが、僕らに話しかけてきた。君たちはどこから来たのか?トウキョウだと答える。すばらしい!乾杯!と男が叫ぶ。テーブルでできた国境曖昧になって、アジアスカンジナビアが溶け合った。トウキョウの明かりは闇を削る。北欧の光は、闇をぼかすようなやわらかさがあった。

  

日本の歌を聞かせてくれ!——スウェーデン若者テーブルの向かいから叫んだ。僕らは困り果ててしまった。この異国の地で、ここにいる日本人が詰まらず歌えて、しか日本代表するような歌……それは一体なんだろうか?

  

君が代。いや、堅すぎる。「翼をください」はどうだろう?しっくりこない。誰かが言った。「『ふるさと』だ」

  

そして僕らは、声を揃えて歌った。

  

兎追いしかの山……小鮒釣りしかの川……夢は今も巡りて……忘れ難き故郷……

  

北欧の地においても、当然ながら僕らは日本語でコミュニケーションをしていた。でもそれ以上に、「ふるさと」は日本語で話していることを意識づける歌だった。

  

8000キロ離れたスウェーデンの地で、この歌の持つ郷愁は凄まじいものがあった。僕らは住んだこともない日本原風景を思い浮かべて、目頭を熱くした。バイキング若者たちはその大きな手で拍手する。ペリカンレストランの客にとって、「兎」や「小鮒」からかぶイメージは、僕らのものと随分違っていただろうが、歌の持つなにかは伝わった。

  

そして彼らは返歌とばかりに、彼らの故郷の歌を歌った。いや、実際は故郷の歌ではなかったかもしれない。けれど、僕らが言葉メロディ故郷表現したことを、彼らは彼らなりに感じとって、故郷の歌を口ずさんだのではないかと思う。そう思いたいだけだ。独りよがりかもしれないけれど、ペリカンレストランの光は、そう思わせるに十分な魔力を持っていた。

  

歌の交換が終わり、場が落ち着いて、ひととおり肉と魚とアルコールを胃におさめた後、僕らは三本締めを派手に決めてやった。これもスウェーデンにはないものだ。隣のバイキングに威勢を張るため……あるいは、友好の意を示すため、僕らは目配せし合いながら手を掲げた。「イヨォーオ!」という掛け声とともに掌を打ち付ける。スウェーデン若者がワッと歓声をあげる。「俺にもやらせてくれ!」誰かがスウェーデン語で叫んだ。「よし!」日本語が応える。片言の「イヨーオッ!」、それに呼応する柏手。そして都合3回の三本締めを終え、スウェーデンの夜はふけた。

  

あれは夢だった、と言われても信じてしまうくらい、全てが出来すぎた夜だった。

  

ホテルに戻り、ベッドに倒れ込む。

  

頭の中に、凍りついた道と、白い息と、温かなテーブルと、チョコレートのようなミートボール、人懐っこいスウェーデンの男のきらきらした眉毛がこびりついている。

anond:20201002115422

絵に書いたり彫刻にしたりしても肖像権はあるんだぞ

なんでパソコンつかったら違うとおもったの?

2020-09-26

一次創作の方が容易いと思う

二次創作している人に「一次はムリ!」と言われることがある。

二次創作した方が同好の士を集めやすいってのはあるだろう。

けど、どれだけ頑張っても原作に近づけなくない?

いくら精確に解釈しようとしても他人が作ったものなんだから限界があるし、連載が重ねられて立ち位置や状況は変化する。

また大きく心を動かされた、という点から創作したくなるのはわかるが、隣を見れば違うところで大きく心を動かされた人々がいる。

その点一次創作は楽で、自分感情自分漫画なり文章なり彫刻なり書なり詩なりあるいは身体表現で顕せばよい。

原作の源は自分なんだからそこになるべく寄せていけば良い。もちろんこれも限界があるし変化するのだろうけど、他者自己との距離を比べるとグッと自己の方が近い。

ま、これじゃ交流なんかはできないし読まれたい、シェアされたいという欲は満たされないんだろうけど。

でも作るなら一次創作の方が絶対楽だと思うよ。

2020-09-20

anond:20200920124440

ワイはKKOやけど人間の造形は男性の方が美しい気がするけどなあ。昔のギリシャ彫刻とか男性の方に美を感じる。

人それぞれじゃないの?

2020-09-16

医学の道に進みたかった

中学は、地域複数小学校卒業した者で構成されていた。

学生数の多い小学校もある。どうしてもその割合は均一とは行かなかった。

結果、私はマイナー小学校卒業生として中学入学する事になった。

医学を志した私は保健委員になりたかった。しかし、同時に手を挙げた者がおり、メジャー小学校出身である彼女は元メジャー小学生の推薦を得て保健委員となった。

ここで私の自信は打ち砕かれた。小学生時代学級委員を努めた功績は、全く何の役にも立たなかった。

仕方無く空いた枠に入る。良い人を演じる為に。その空いた枠に収まった委員何だかんだで三年続ける事になった。

結局、中学の三年間で保健委員になれた事は一度だってない。

そこには選択の自由なんてなかった。

文化系部活根暗オタク揶揄され居場所を奪われる。皆こぞって運動部へ入部届を提出した。

野球部テニス部学生顧問の格好の的だった。

グラウンドを広く使えたのはサッカー部。人気だったのは剣道部

専用の部室があったからだ。

ノーコンシュートに加えやる気のないGKのお陰で、球があちこちへ飛んで行く。

顔面で受けた事もある。また、ある生徒は一階から飛び降り足を怪我したという。

美術時間など恐ろしい。彫刻刀など凶器に近かった。

「強くなりてえ」と両腕、両足に重りを付けていた生徒もいた。

彼は通常の学生鞄でなく、白い斜め掛けバッグで登校していた。田舎の私達の学校にとって、余所から来たそういう出で立ちは珍しくかなり印象に残っている。

いずれにせよ、成績は優秀だったかも知れないが私が夢を諦めたのはあの時だ。なりたい仕事は皆席が埋まっている。数と言う名の暴力に屈服させられて、その自由は奪われるのだとあの時知った。

2020-08-25

彼女できない彼氏できないとか結婚相手や付き合ってる人が酷い辛いっていう増田見てて思うんだけど

増田の言ってる華々しい学歴エンジニア歴とか年収が本当にあるのであれば

彼氏彼女がいないのなら、自分でも余裕で主導権握れそうなくらい極限まで相手に求めるスペック下げたら、0.5秒くらいで彼女彼氏くらいできるだろうと思う

女なら中卒とか高卒の頭悪そうなホスト崩れやマイルドヤンキーとか、高卒警察官の下っ端とか自衛隊の下っ端とかみたいに世間あんまり知らん奴金で釣って得意の年収800万ちらつかせてたら余裕でギリシャ彫刻の様な肉体の若いイケメン乙女ゲー並の逆ハーレムで付き合えるんじゃないの?

男なら得意の定時帰宅フレックス年収800万のエンジニアっていう肩書が本当なら高卒年収200万前半くらいの貧困女子とか年収スペック学歴ちらつかせたら若い女がダース単位甲斐甲斐しく尽くしてくれるだろ、コスプレイヤーとかアキバメイドさんとかさ

付き合ってたり結婚したりしてることに愚痴増田の言うスペックが本当なら、そんな古谷実の鬱漫画みたいな拗らせ切った恋愛相手結婚相手なんて奴なんて選ばないし結婚しないだろうし、というかそんなのになったらパソコン買い換えるみたいにとっとと捨ててふさわしい相手結婚したり付き合えばいいじゃん、そんだけの収入社会的地位があるってんなら

なのに何でできないとかいって社会思想憎悪をぶつけてんだ?顔が昆虫スケッチ図みたいにキモいとか、話しただけで回りから人が50mは退避しそうな変態性癖あるとか、努力したけど家は親父がヤ〇ザでおふくろは立〇んぼみたいな毒親家庭を越えた毒親家庭出身からマトモな人間が付き合ってくれないそういう事情とかでもないんじゃろ?

どうも不思議なんだよな、実はほんとはそんな経歴や年収じゃないとか?

追記

でも増田「最低で年収800万」が自称じゃん、1000万超えとか単独で稼げるようになれば

若くて金に困ってる相手に付け込んで金で釣れば、何でも言うこと聞いてくれる若いイケメン若い女幾らでも作れるじゃろ

「もう金とかの問題じゃない」ってレベル相手が嫌って反乱を起こすほどであるのならば、それはもう増田の方に全面的問題があるだろ

2020-08-22

Twitterフェミニストとして活動されている方のツイートを見た腐女子

 最初結論を書くと、私には今Twitterに見られる殆どの「フェミニズム」はその実、自身の「復讐」のことを述べているように感じられてならないという話です。

 私がこのところ観測した、Twitter上でフェミニストとして声を上げる方々の多くは何らかの性犯罪を受けたか男性嫌悪をお持ちです。

ですが被害にあったことは、復讐をする権利を与えられたことにはなりません。

ましてや、加害した訳でもない男性怨嗟を向け続けている状況は、はっきり言って異常に思います

専門家ではない一般人としての意見になりますが、法律とは罪を裁くためのものであり、被害者の心を満足させるためのものでは無いと考えます。同時に、被害者が加害者を許さないことはどこまでも自由です。加害者が罪に問われるのは「貴方」を害したからではなく、罪に問われる行為をしたからです。

男性をはじめとした「貴方」にとって不快もの排除した、「貴方」が満足する世界を生きたいという欲求表現フェミニズムという単語を使うことは、本来フェミニズムに反することではないでしょうか。「貴方」が「自分」に害をなした人々を憎む心を、フェミニズムという耳障りのいい言葉で包んではいませんか。

フェミニズムは万能の剣ではありません。一人一人異なる考え方を持つなかで、フェミニズムが全てを解決するわけでも、全て正しいわけでもありません。

 さて、この文章を書いている私はゴリゴリオタク腐女子です。主にBLエログロなんでも好む私は、二次元において好きなように女体や男体を弄んでいます二次創作においては既存キャラクターを用いて妄想しています。彼らはいわゆる「客体化された」女性男性です。

Twitterで見受けられるフェミニズムは、私のこれらの行動を排除したいということなのかと疑問に思い、キーボードを打っています

 お伺いしますが、あなた方はこのような行動を一切しないということでしょうか。

そもそも実在人間表象を持つことを「客体化」と表現するならば、「客体化されていない」キャラクター存在するのでしょうか。

それではシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』はどうでしょうミケランジェロダ・ヴィンチ作品どうでしょう。今まで人間を客体化し、好きに描いてきたあらゆる作品は、Twitter上で批判される作品たちと何が違うのでしょうか。

名作だから違う?芸術から違う?価値があるとされているから違う?「貴方」が思う「萌え」がないから違う?今そんな話はしていない?

ジブリ作品について言及しているツイートもありましたので、「今はそんな話はしていない」は通用しませんね。

答えは、「同じ」です。アニメ漫画彫刻文学作品絵画も、あらゆる作品は誰かの手によって生み出されたものなのですから

これらの作品非難されていないのは「創作物であるあなた方が認識しているから」でしょう。

では、宇崎ちゃんジャンプなどの物語を、創作物でありながら非難するのは何故ですか。

 作品を見たときに感じる貴方主観は何も間違っていません。

作品とは、ある人から見ればかけがえのないものであり、ある人から見ればただのゴミになります嫌悪を感じる人もいれば、好んで鑑賞する人もいます。生きる糧となる人もいれば、一生関わらないで生きてゆく人もいます。その自由な態度を咎められることもありません。

誰かがある作品批判たからといって、その作品を好む人にはなんら問題はありません。

時代によって許容される表現文化は異なり、時には焚書などの弾圧を受けた歴史があり、そして日本に生きる私たちは「表現自由」を手にしています

では何故、サブカルチャーには自由な態度が許されないのでしょう。

常に何かしらの「正しさ」が求められるのでしょう。

 一つの理由として「多種多様な人々が目に触れる機会が増えた」ためだと考えています。自ら探しに行かなければ分からないアングラ世界からインターネットの普及などによりサブカルチャーが身近にある状態へとシフトしました。同時にコンテンツのほうも、典型的オタク向け作品からポップでライト作品まで裾野が広がり、様々な人が様々にサブカルチャーを楽しんでいます

同時に、Twitterのようなツールが普及したことで、受け入れがたいものを目にしたとしても、完全に情報排除することが困難になりました。「私が正しくない・面白くないと思うもの」を検索すればこんなに情報が出てきてしまう、「私が正しくない・面白くないと思うもの」を好きな人がこんなにいる……。自分が楽しめないものを多くの人が楽しんでいると感じると、まるで楽しめない自分が悪いのだと「錯覚」し、悪感情を増幅させてしまうことは私も身に覚えがあります。一方で、自分と同じ感情を抱く人のことも探すことができます

その結果、「これだけの人が嫌だと考えているのだから、この作品を嫌だと考えることは正しい」という自身の考えを補強すると同時に、「この作品好きな人おかしい」という着地をしてしまう。

それがいわゆるロリ巨乳が登場する作品だったりすれば、「私たち女性勝手に客体化しているこれは正しくない、やめろ」ということになる。

 私がTwitter上で「女性を客体化するな」と訴える方々に特に伺いたいのは、客体化されない存在とは何か、ということです。

客体化されているのは女性だけではありません。男性、犬や猫、車、あらゆるもの客体化されて表現されています自由な「客体化」を封じた場合表現の場に残るものは何でしょうか。女性のみが女性について表現できる世界が、あなた方が目指す世界なのですか。

類似した案件において、「全てを消せなんて求めていない」という意見も見ました。ではその消す消さないの判断基準は何ですか。「フェミニスト」を掲げる「あなた方」ではないですか。「フェミニスト」に憎まれる、あるいは傷つけかねない表現を消していった先に、全ての表現が消える創造をすることは誇大妄想でしょうか。

その問題重要さを、日々表現規制を求める方々は本当に立ち返ってお考えになりましたか

 昨今話題になった献血JAポスターについて「公共の福祉」を挙げて問題視している方々もいらっしゃいましたが、「公共の福祉」とは「多くの人を不快にしない」ことを言い換えたものではありません。例えばポスターにおいて個人情報を載せたり、特定人物誹謗中傷したときに初めて問題になります

性器が丸出しなど、無関係かつ過度に性的イラストであれば公序良俗の面から問題になると思います

 話は逸れますが、ゾーニング問題ももっと議論されるべきだと思いますTwitterでは、特に男性向けの18禁イラストがワンクションやゾーニングなしにアップされています女性向けではゾーニングがなされることが多いため、BLゾーニング問題に関連してしばしばやり玉に挙げられています

私は寧ろ、表現自由のためにあらゆる18禁表現作品ゾーニングを徹底すべきだと思います性的表現普通描写を一緒くたに放流していたがゆえに、普通キャラ描写まで誤解、もしくは悪意のある解釈をされている可能性はないでしょうか。

きちんとゾーニングすることで、堂々と表現自由行使した方が健全だと思います

二次創作ゾーニングしていながらめちゃくちゃエッチ商業BLほとんどゾーニングされていないのは私の中で七不思議の一つです。白塗り海苔をすれば良いってものでもないでしょうし、何より修正されていないものが見たいので出版社の方には是非ゾーニングをご検討いただきたいものです。

 話を戻しまして。

Twitter上でなされている主張は、「女性勝手に客体化するな」ではなく「女性を誤解するな」あるいは「誤解されかねない表現をするな」ということではないかと思います。そしてこの「女性」は「私」なのでしょう。「客体化」という表現を用いてしまうから語弊や誤解が生まれしまっていますが、こう言い換えると納得することができました。

客体化された女性に関する表現が、いつかそのまま受け取られて「私」を害するかもしれない。「私」もそう見られているかもしれない。あるいは、この表現は「私」がかつて嫌だったことそのものだ――。

このように「自分」が経験した不快感や被害創作物リンクして、登場する女性が「私」になる。そして「私」に加害する登場人物たち、ひいては作品を楽しむ人々へも悪感情が向けられてしまう。

何度も議論されていることだとは思いますが、やはり根本的な原因は自分と客体化された女性に対して、男性からの性被害について共通点共感を抱いてしまうことによるものといえるでしょう。これは物語に対する共感力というよりも、架空人物に対する自他境界曖昧さの問題ではないでしょうか。

この世界に「女性を客体化した」表現があること、そしてそのような作品があり楽しまれていることは、「貴方」の尊厳を傷つけること直接の関係はありません。

女性であっただけで」セクハラをされた、性被害に遭った、差別されたと訴えるのならば、「男性であっただけで」潜在的加害者であるとされることも同様に不当ではありませんか。

「まだ起きていない性犯罪」の原因を「客体化された女性像を鵜呑みにする男性であると決めつけることで、問題解決するのでしょうか。

現在も無くならない性犯罪は、むしろ表面化しないところに原因があるのではないかと私は考えます

一人一人性犯罪を起こす原因も違えば、性犯罪被害を受けた原因も違うのではないでしょうか。それなのに画一的に「表現」に原因を求めるのは、思考停止ではないですか。もしも「表現」に原因があるとするならば、同じ表現を目にしてきたにもかかわらず、問題犯罪を起こしていない圧倒的多数の方々の存在はどう説明されるのでしょうか。

オタクはよく主語が大きいと言われますね。「女性」という主語、大きくないですか?その主語は「私」ではないですか?

貴方」が被害を受けたこと、「貴方」が感じたことは、貴方自身主語にするのが適切ではないですか。たとえ同意者がいなかったとしても、貴方が感じたことは否定されるものではないはずです。

 「貴方」に害を加えた人物と、「貴方」が嫌う作品を読む人物は全くの別人です。

貴方」が嫌いな作品を読んでいる人を嫌いになることもまた、「貴方」の自由です。それだけではどうしていけないのでしょう。「貴方」が作品作品を読んでいる人を非難する際に、「気に入らない人物からそのひとが好むものを取り上げて満足したい」という感情は本当にありませんか。その感情を満足させたいがために、声を上げているところはありませんか。それは本当に「フェミニズム」でしょうか。

 私は、本来誰にでも権利があり広く議論されるべき「表現」という問題フェミニズムの名の下に一方的に敵視されていると言っても過言ではない現状が嫌すぎてこの文を書きました。

私が観測したツイート主観のみで構成されており拙いところが多々ありますが、「復讐」という感情への自戒の意を込めてここに残します。

私は推しCP小説を書くのに忙しいはずのに、あまりにもやるせなくて気づいたらこんな長文を……。何故……。

追記

つらつらと思ったことを書き連ねているだけの全くまとまっていない文章ですが、お読みいただきありがとうございます。正直こんなにコメントを頂けると思っていませんでした。

スタンス提示のため、また議論に挙げられるのが主に男性けが多いなと感じていたため腐女子という要素を盛り込みましたが、もう少し言いたいことを整理するべきですね。考えていることをできるだけ忠実に表現するということはこんなにも難しい……。

ご指摘の通り私はTwitter上でなされているフェミニズムの主張に賛同していません。ですがTwitter上でフェミニストの方々が意見が発信されていたからこうして考える契機になりましたし、文章を書き他の方に見ていただくことで自分には無かった視点を知ることができたので、良いきっかけになりました。

余談ですが、投稿する前に「普段の特徴を隠して匿名を楽しもう」とあったので意識的普段と違う書き方を頑張ってみたら「ネカマ」や「男っぽい」とのコメントがあり新鮮でした。普段と違う書き方をしてみるのも面白いですね。支部Twitter小説を上げるのが生きがいの、ただの腐女子です。

名誉男性」というコメントもありましたが、もし私がTwitter意見を述べたならば、Twitter上のフェミニストの方々は私を自分たちと同じ女性とは認めないのではないかなと想像しています穿ちすぎかな。

男女という性差個人の一要素でしかないものの、その要素が個人を占める割合が人それぞれ異なっているということがとても厄介だなと非常に感じます

このこと自体は至極当然のことなのですが、自分スタンスの違う他者のこと、ひいてはその集合体である社会のことを考えると全くもって一筋縄はいきません。

欲望を持っていい。持たなくていい。何かを好きでいい。嫌いでいい。それが私たちが持っている権利ですが、生きているからには権利行使だけではなく様々に考慮しなければいけないことがあります

ただ「嫌う」権利行使フェミニズムを掲げるのは違うのではないか?というお気持ちです。

Twitter上でなされているようなフェミニズムの主張をするならば、BLは生きていけないよな、と思いますし。正直腐フェミと呼ばれる方々はダブルスタンダードだと感じます

同時に、「好む」方々からの「嫌う」方々への無配慮無視できないので、「嫌なら見るな」で思考停止もしたくないです。

公共」と言う概念難しい……。

とりあえず、私には好きなものがたくさんあります。だからこそ考え続けたい。

発言をしないことと考えていないことはイコールではないので、この増田自己満足の代物です。

思想も偏ってますし。

もしこの増田を読んで何かお考えになったのであれば、コメント増田に何かしら書いていただけると参考になります

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