はてなキーワード: 巡査とは
あんたがさー、一回、志木市まで巡査にしつっこく自転車でおいかけられて、いい運動になった日があったでしょー、あれはいつですか?
ただし、家に帰ったときは裏に自転車を置いて裏から中に入ったので
それが分からないんですよ、ただし、あまりしつこかったんでね、 シェアハウスの鍵自体を閉められていたのは 令和2年1月11日のことなのであ
れはまた違う事ではないかと思う。あの時代はまだ裏から入れるようにしてあった
あんた平成30年4月4日に、きたときに、どこのもんなら?って言われませんでしたか?公営団地のもぐらに?ハイ言われましたんですが、そこの団地にメガホンを向けたのはもう相当あとの
令和2年6月ごろになってからなので、平成30年とか令和元年のことではない
平成30年、令和元年は何をしてたんですか? 分かりませんよ、 34歳、35歳のときなんでね どうしても分からないのが ジョギングをして河川敷までいくことはできるがそのときに
くまがいのような巡査が、山賊弁当や、こってりしたものを食べるわけがないので、イケメンな人でも、山賊弁当を食べるようなツイートをすることで、
痩せて美女になろうとしているバカ女をバカにするという趣旨のツイッターだと思うのですが、いかがか。
おそらく複数人の自演で、こん令和3年に工学部を出た人は多分、山賊弁当を食べていないと思う。山賊弁当を食べるような見た目でもない
山賊弁当を食べていてああいう感じの少しも醜いところがない顔になることはない。 岸田首相の横顔のようになるはずなので、山賊弁当とか魔防豆腐であると
してからに、ゴーゴーカレーとか山賊弁当を食べると顔が引き締まらないしたるんだ感じになって心理面だも、超絶に恥ずかしい主観的になるので、田舎に住んでいるアホや
なおももって検討すると本件の事案は令和4年11月29日に被保護者が東京で生活保護を受けていて東京から帰っていていた、その際に大分地裁前で拡声器で迷惑をかけていたという
連絡を受けていた。(が、その際に被保護者が当日に、佐藤旅館に宿泊し、宿泊した時点では何らの事もできなかった点を指摘する)。ただし、佐藤旅館に宿泊している最中に、
おぺちのフォロワーと見られる20代の若者が佐藤旅館の周辺にたむろしていたことの他、
本件の宮崎県知事は河野としつぐと呼ばれる者であり、東大法学部卒で、宮崎県の県庁に出勤し稼働している者で住所は不明である。弁明書を作成したのは本件の河野である。
ところで請求人に関する別件訴訟で大分県臼杵津久見警察署の巡査を管理管轄するのは大分県知事であり、大分県知事が被告である。
確かに、おぺちが、平成30年夏ごろに、ここから先はぺちを倒してからにしておけ、と発言し、平成30年11月9日に、「胴体もげる」という言動をしたが、それ以前にあった「胴体もげた」
という発言は削除されている。ここでいう、胴体もげた、というのは、大分県知事の訴訟代理権の消滅をいうものと解されるが、平成30年11月9日に胴体がもげたわけではない。
実際に胴体がもげたのは、令和3年5月頃である(ただし、裁判長の石村智は、その頃に胴体がもげたことを判決で指摘していないし、裁判記録にも残っていない)。
宮崎県知事がデスピサロであり、巡査等が胴体であると解するとしても、少なくとも、宮崎県知事や大分県知事がデスピサロの本体であると解することはできない。なぜなら宮崎県知事の
河野はTwitterで芸能人扱いであり、その胴体やつるぎなどが、クラウンのパトカーに乗車している悪魔であるなどとは、Twitterで河野を閲覧している者が想像しうるようなことではないからである。
東大前刺傷事件で19歳男を実刑とした東京地裁判決は「無防備な被害者らを無差別に攻撃し、生命侵害の危険性が高く、非常に悪質だ」と非難し、
弁護側が求めていた保護処分は社会的に許容されないと判断した。
令和4年1月15日で、名古屋から出てきた理科3類受験生による犯行。被害者は最近の東大生で、昔の東大生ではない。最近の東大受験生の特徴として、
Yotubeに、進研模試で偏差値が45でも受かりましたという者が多い。東大生のまま警察官の女性巡査になりただのクソガキではないかという者がほとんど。
他面、令和3年から4年の間は東大生の犯罪性が高かった。そもそも東大受験生が保護に値するか?平成14年や15年の東大受験生はもういない。私の部屋に
写真があるが、最近の東大生は、平成18年、22年を前後にして質が違う。しかし検察官はこの点を考慮していない。最近の東大生に対する世間の感想として、日本語や
死んだ後でないと使えない、論外、東大卒は死体の集まりで、エロで悪人だらけで昔と違う。30代、40代の東大生はもう犯罪をした後で手遅れ。一方、現在の本郷周辺には
15年前の東大生が活躍していた名残が見られ、東大生の間には、某氏による、お前ら詐欺やないか、という怒号が響き渡っている。そのような中、犯行は、東大合格者ではなく
本件事件の判決、公開されていない、事件書類もどこにも公開されていないし、被害者がどのような者であったかも明らかではない。
事案の概要
ほとんど不明。通報者、目撃者は、とにかく、土手で叫んでいる。しかし熊谷警察官が、土手を調査したときに、相当な距離があり、拡声器の音声が届かないのではないか。
202号室は令和4年6月前から男性が住んでいたが、男性ではなく、赤ちゃんかもしれないということ。20代の巡査は男性だったと言っているが、長谷川がみたときは明らかに
赤ちゃんで肥満体の男性。203号室の人について5月1日頃からしきりに政治犯であるというようになった。志村署では202号室について男性と扱っていたが、長谷川が、
人間の形をしているだけの赤ちゃんだ、と言っていた。時間の経過で、 転園したいといううめきごえがTwitterであって203号室の人が知らない間に、転園して現在では中国人女性が
平成元年にたまたま英語教員となり、平成11年頃は廃人だったことと鼻の孔と呼ばれていたので子供から英語の授業に人気があったが、平成17年頃までにだめになり
当時はいるのかどうかも分からない人で、当時何をしていたのかも自分から語ることはない。平成19年頃に発狂して深川恵李と一緒に公務員を止めてはしゃいでいたら
平成23年頃に寝ているときに電気ショックで元に戻らされて平成27年3月の言動、何も変わっていない、進研模試?対象者がいればねといった言動、教頭からは
ギリギリ使い物になるかならないかといった微妙な言動、その後も何回かにわたり電気ショックがあったと思われるが近年は男のようになりTwitterに包丁の写真をアップし
漁船に乗り込んだりトラクターを運転しているという情報。3,4年前に母親と一緒に鍋を食べていますという写真を投稿していたが、母親が死去したため現在では検索できない。
1999年に33歳だったことから、57歳であると推測される。定年退官発令日は3年後か8年後になると思うが、息子の写真があったこと、妻は不明。一般的には巡査なので
マンションの1階の右にいたりすることはない。大阪外国語大学卒。24年前の生徒はおそらくほとんど消えていて存在していないので誰も知り合いがいないのではないかと思われる。
前田千香や田上結実子などがクラスにいたと思うが跡形も残っていないので仮に、30代40代の延岡西高校のつどいを開催しても誰も集まらない。
令和5年度
一位 くま巡査 ベテランと言われているが面倒くさい、ガタイが大きい?
三位 赤塚福祉事務所、 延岡市福祉課が記録している医療ケース診断会議記録表
ワースト 一位 戸田緑地帯 令和元年度は通路があって中を散歩できたが全て封鎖されている
戸田橋花火大会設置場所 昔からくそ 寒いしくそだしろくでもない
3位 パトカー ゴミ。 5月25日に、地域課の2名の警官がパトカーに向けて猟銃を発射されている
4位
令和4年3月7日 一位 立野先生 昔はいいぬまで人殺しではないかと思われていたが、まるくなった
令和元年度 一位 村山マンションの1階の横のすきま 超絶最強
2位 柴内です
平成29年、30年時点?
2位 〃 薄井真由子
とうすけ辰哉
令和元年8月22日頃から拡声器で迷惑をうけているという主張は失当である。理由は次のとおりである。まず、距離の問題であるが、荒川ゴルフ場からマンションまでは優に
1キロはあり、当時使用していた拡声器は、商品の紹介に到達距離が書いていないため、その音声が到達していたのかどうか疑わしい。本件で被害者が加害者の場所に出てきたのは
令和3年8月4日のことであり、その際に、3年前から聞いているという言動があったが、3年前ではなく2年前である。3年前となると、平成30年8月22日になるがその当時は
そこにいない。次にこの建物が、人が住んでいる建物という、ものであるかどうかであるが、この建物は、対岸から見ると明かりがついており相当数の人間が住んでいるようにみえるが、
川岸からみると全く外観が違うものであり、しかも不審な動きをする住人が多い。その他に、この建物の付近に住んでいる者にも不審な出方をする者が多い。警察官の中には、
「向こうに誰が人間が住んでいますか」という言動をした者もいるが、はるか昔のことで記録がない。加害者が冒頭の日時にこの場所に出て来るようになったがそれより以前の経緯は不明、
最初に男性警官が、8月22日に、舟渡の堤防で、GLAYを歌っていた、現認して、感動した、でも迷惑だから帰りましょうという言動、あなたがしていることは弱い者いじめだ、向こうの
建物には声が出ない人もいるうんぬんという言動を発した。その当時は、警官が、GLAY好き?自分もコンサートに行ったんだけどと言っていたがそれ以外の言動はなかった。また、令和元年8月22日
より前の経緯となぜそこに出て来るようになったかの動機も不明、9月4日にパソコンの音楽を流していたので後ろから見ていた警官が任意同行したが始末書を書いただけ。担当の警部補は
和光晴生に似ている、発言は、始末書を書くこと、今度話を聞く、だけ、拡声器を預かったかどうかは記録にない。それ以来も令和2年に入ってからも被害を受けているというが、
365日毎日ではなく、3か月程度、全く出てこない日もある。昔からいたわけではない。舟渡2丁目の状況。8月5日に花火大会のときに観光協会が蘇生させて一戸建てに家族が
食事をするために出ている風景とか、透析患者が花火を見ているところを、巡査の熊谷が現認したが、みせているだけではないか?普段は誰もいない、明らかに誰も住んでいないが、
8月5日だけ蘇生されてみんなで出て来るといった状況。しかしそれ以外の364日の夜間帯には誰もいない。富澤が住んでいる墨田区5丁目のような一戸建ても舟渡2丁目に
大量に点在しているが人がすんでいるのかどうか分からない。外から見るだけであれば通常の外勤の巡査でもみることはできると思うが誰もいないと思う。絶対に誰も出てこないので意味不明。
だからあんたがー、土手に来るようになった経緯や動機とか、日時は何も分からないんですね
大体さー、あんた、志村署で、任意調べを受けたときにそこに誰が座っていた? 和光晴生に似た警部補でした、あれはなんですか?
分かりません。だって令和元年9月4日ですよ、正式な任意同行は その時代の事はまさに古文書で残っていないんですよ 不起訴記録も何も残っていない
その後に志村署でも何度もトラブルがありましたので。お前みたいな小せえ奴なんか知らねーよ帰れと何回か言われました
警部と呼ばれる人間に会ったのは、 坂下交番ではないか? 令和2年5月11日に、けつなあなから、拡声器の電池を持っていかれたので、その後に抗議してるんですが
その時代には警部という人がいて、原か梅津かにも連絡を入れていた。 2月22日に土手で意味不明なことを言っていると。
けつなあなは、5月11日に拡声器を叩き落として、電池を抜き取って、6月10日に、こうぼうだかんな、と言ってるわけです、これが、けつなあなと呼ばれる巡査で井上修二に似ている
どーもあんたが、 でも富澤が、あんたに注意のメールを入れてるのは、 平成31年2月頃で、佳代子が、拡声器でなんかやっているっていうんですが、なんでそのときに拡声器があったんでしょ
あんたが蓮根の歩道橋のところにいって何か言っていたときもあったんですが、基本的に、リュックにそれを入れて歩道橋までいくことはないので
警察の世界にフェルマー予想など存在しないというか知らないゴミクズしかいないので、ここで、宮岡洋一先生というのは、もう詐欺師なので、1970年代頃の話じゃないですか
後日になって、佐藤もぐらが照らしてきた時に、斎藤秀司というのはもう何も出来なくなている人で、宮岡洋一の方はガキに切られたって映像になってるんですが
20代の巡査が、レインボーロードからのこぎりを一緒にババアを台車に乗せて落としたら、下にいた、宮岡と毒ババアが切られたって書いてありますがこれは、夫妻のことでいいんですか
平成23年10月23、25日に、2回にわたり、警察官を殺害する趣旨の文章を、2ちゃんねるから送信した。 通信司令部から指令を受けて埼玉県内にマップを敷いて大きな
警戒活動をした巡査は明らかに、バクサイにいる警察官で、自作自演だった(当時の印象)
事件は、そのバクサイにいた警察官が決めつけることを先にありきで手続きが進行した。ウィステリア桜小路に9時に入ってきて、0時に、延岡簡裁から令状が出るまでにテレビの前に座り込んでいた
巡査部長は、仲良くしたいなあと思っているという言動があったが、0時に逮捕令状が出ると、和光晴生がうれしそうな顔をして、令状が出たと発言し、晴生に似た、奥秋という警部補が捕縄して
強引にウィステリア桜小路から外に出した。当時のバクサイでは、警察の自作自演乙などという書き込みが大量にあったので、巡査の自作自演であることは明らかであった。
春日部警察署につくと、黒羽刑務所の刑務官のような、ときわさとしに似たような老人の男性警察が迎えるように入って行ったが、取り調べはおぺちが担当、前田の方はあばれる。パソコン
を操作するおぺちに対して暴れる。若造の警官が、仕事だからといってバンで越谷署に深夜移送するが、ときは、平成24年1月12日、春日部署から越谷署の間の道路は真っ暗で公営アパート
が見える、車両の中で、若造の警官が、この辺は無店舗型風俗営業が多いんだよなあとこぼす。
さいたま県内の運営本部のボスである書記官の羽賀秀博は、運営の機械を用いて、決めつけること先にありき。偽計業務妨害の故意は存するという検察の意見で手続きが進行していった。
面会にきたのは古城英俊。面会室では、運営は決めつけようとしているので、それを消すような作戦を考えているという言動があり、裁判はかなり悪質な様相を呈していた。
主任弁護人は最終的に、次のような弁論を書いて裁判官に採用させた。
被告人は、2ちゃんねるを、多くの虚偽情報も含まれる種種雑多な事柄が大量に書き込まれるインターネット上の掲示板と認識している上、被告人が本件の各書き込みをしたのは、
2ちゃんねるのスレッドを伸ばすことにあったのであるから、被告人は、本件の各書き込みで警察の業務が妨害されるおそれがあることを知らなかった。
本件各被告豚は延岡の50代に多い豚男(現在では58歳前後に最も多い)。たいてい同じ高校を卒業している同級生という例が多く会社や行政組織の管理職や弁護士など。昭和時代に立派な偉人(折小野市長や早生市長)の支配者に締め上げられた復讐心と平成の若者至上主義時代、最近の女子供至上主義時代への嫉妬心から平成に入って締まりが無くなり次第に自尊心と犯罪性ばかり肥え太り、平成26年現在はその極致。自分自身は何一つ社会に有益な物は生産できないくせに同じく豚の親と警察と連繋して銃と暴力と脅しで子供や若者を脅迫して昼間の一定時間学校等に監禁し弱みを握りつくしてあらゆる犯罪をやりたい放題(他県ではその犯罪に耐え切れず始業式前に自殺した中2生まで出ており、8月31日に延岡の川で流され死亡した小2児童も自殺と思われ、間接的殺人まで犯していてもはや洒落にならないレベル)。むろん教育や秩序維持なんて全くしていない。豚の自分は偉そうな地位におさまって無能無産のくせに優越感に浸ってる超絶勘違い凶悪犯罪者。人生終了し脳が真っ黒で既に健全に生きている人間にすら害を及ぼすようにまでなっている組織の末期ガン(最終ステージまで進行しており既に手遅れ、自殺というご臨終も目前、健全者に致命的な害が及ぶ前に切除した方が合理的)、社会的には立派な凶悪犯罪者で、警察の暴力をはじめあらゆる弱みを握って形だけの文書を作る高学歴文筆家を組織の下部で奴隷として隷従させており自分の意見に反することは一切言わせないように脅す方法で豚に都合のよいだけの社会の安全を作り出している。本質的には警察の豚巡査と豚警部補の持ってる銃若しくは組織的暴力で逆らうと殺すぞと脅しているため誰も逆らえないだけで(だからこの形だけの秩序が確実にあるだけで)、工場などで健全に働いてる他人が必死こいて作ったものやアイデアを盗み放題で何不自由なくぬくぬくと暮らし自分は何一つ悪くないと思っている、むしろそれらを自分が作ったと妄想している、なぜなら老獪な悪知恵と銃と暴力(たいてい悪知恵と暴力が用いられるため子供から老人まで誰も逆らえないが、豚に都合のいい安全を確保している究極的最終的要素は銃)がこの豚集団の本質だから。豚の家はたいてい高級マンションで贅沢な盗品が揃っているのが通常。昭和の人間が憎いのですみれ団地など賃料の安い公共住宅で昭和人間が住んでいるところに「危険」という看板を取り付け、昭和の清き人間を侮蔑までしているその犯罪性は極まっている。刑法に列挙されてる犯罪は既にやり尽くしており、自らが奴隷としている者らに盗品から幾らかの利益を与え、形だけ人間であるかのように家畜として育て上げ、相当数の者を生存させており、一時期は被害者らの好きなようにさせていた時期があったとしても、本件各被告豚が被害者らの尊厳に対して与え続けてきた損害は甚大なものであり、間接的殺人も相当数含まれていること、被害者に好きにさせていたり、利益を与えていたといってもそれは気まぐれの慈悲心若しくは自らの好みによるところが大きく、本質的には一定のガス抜き及び将来自らの奴隷として使用に耐えるようにするためであったと推認されることを考慮すると、本件各被告豚が被害者らに与えた利益は結局のところそのほとんどが本件被告豚の利益に帰するものであって、量刑を減じるに値するものではなく、本件各被告豚が被害者らに幾ばくかの利益を与え、たとい家畜であるとしても長年飼育し育て上げては来ているので死刑ではなく無期懲役を望むとする上告代理人の見解はとうてい採用できず、本件各被告豚に対しては極刑をもって臨むほかは無く、原審の判断である死刑の科刑は、当裁判所も是認せざるを得ない。よって、裁判官俺の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。なお、裁判官俺の補足意見は、次のとおりである。本件各被告豚による各犯行は、歴史上まれにみる極めて巧妙、老獪かつ悪質なものであり、組織的犯罪の手口も徹底を極めていて、とりわけ自らが不都合とする女子供に対する殺意は強固なものであり、女子供は見つけ次第、強姦するか殺害していたものであって、悪質極まりないというほかない。自らの復讐心と欲望のためには、他人の尊厳もものともしない極めて強固かつ必死な意思は、言語を絶するものがあって、最終的には支配の必要と気まぐれの慈悲心から特別に手をかけていた高学歴文筆家奴隷も、犯罪目的達成のため、すべて殺害しており、50代豚それ自身の生存のためにあらん限りの悪知恵を生み出し、実行を貫徹する意思にはおよそ人間性など微塵も感じ取ることが出来ない。本件各被告豚は、供述調書及び公判廷において、組織的行動の目的は女子供の中の悪を殺すという正義であったと主張しているのであるが、最初期に気まぐれでそのようなことをしていただけで、最終的には女子供の中の心優しい子も悪質な子もどうにでもなれという考えになり、とりわけ心優しい子を野放しにして悪質な子供に苛められて自殺に追い込まれるかもしれないがそれでもよい、もう何が何でもよいという考えへと変遷しており、最初期に壮大な正義を掲げておいて多くの者を騙して付き従わせ、結局は気まぐれから従わせた者全員を殺害して何らの反省もせず、盗品を集めてぬくぬく暮らしているという態様を考慮すると、要するに本件各被告豚の全犯行には何ら正義の要素はなく、究極的には偉人に対する復讐と女子供の殺害という犯罪を遂げる目的しかなかったのであって、本件各被告豚に対しては死刑以外には選択の余地がなく、法廷意見に強く同調するものである。
平成26年9月3日
ソフト日向の利用回数および当時の対応が概して次のようになるからだろ
一番最初に行った日時、店舗の存在を発見した理由、動機等は不明だが、 MMK、MHに関しては最初から知っていたわけでなく偶発的なもので、タトゥーの入ったMKという人もいたが
その当時運営の存在も知らなかったし、おそらく運営側も記録していないと思う。
MMK 多分一番最初 ラベンダー利用時 ラベンダーには2ちゃんねる運営がいる。
モア利用時
みく 不明 言動 クソに成ればいいの? だからそういう雰囲気出していこうよ その後、店を止めたので不明
とわ ラベンダーにヤクザが出張していた時代に出てきたが、すぐに帰って行った
MMK 旭ヶ丘に行こうとしていた時に、ママから、今日は出血で出勤できなくなりましたという電話が入ったことがあった 日時不明
令和3年12月17日
令和3年12月31日 多分、MHちゃん
2月28日 かよこが早く出ていくように言う。 池袋のアメジストに一泊してから帰省?
令和4年6月2日 門川 MH?
令和4年6月12日 保安の け が出動
令和4年9月 に入ってようやく ANERA M水着
令和4年12月1日 門川で MH
令和5年5月3日 猪股辰之が窃盗で調べ
5月27日、6月1日、6月3日に、室内で拡声器をしている 金光が通告文を作成 6月9日に母親にも送付
これを読んでいた時に、佐藤が、晴生が、きよ子を暗殺する夢を流す
7月15日 かつとしが大失敗をして人を殺した夢を、佐藤がみせる
令和5年8月23日、9月2日、9月13日、15日、22日 門川でMH ※ 9月10日は、プリンスに行っているが 店舗名は不明
9月26日 帰還 大分駅前交番の女性巡査を通じて通信指令本部から、 晴生が平成24年に野田町に行ったら子供が食い殺されていた
過激な夢を見せる
9月27日 もぐらが、おだまりんに3万円を貸すように指令
10月10日
10月27日 須佐医局長の診察 手帳の病名は、 アスペルガー障害、 感情平板化、
12月1日 健康管理士の小島が来る予定 ※ 小島は、 医局長との話などを事務所で詳細に記録しているが本人から記録内容を詳細に
話すことはない。
お前の名前は佐藤もしくは下坂です、私があなたをみたのは平成29年3月29日に新宿寮にいたときです。確か教務部学務チームの男性がみせるから見せたんです。
そのときあなたは私が、あー検察官、と言っていました。あなたはー、そういう自作自演を地方でも大量にしてきたわけですね。あなたはー私が座っている横を歩いて
お帰りくださいと言ったんです、それ以来みていないんですー、なーんであんたはそんなにしつこいんですか?あんたのしつこさは異常なんです。
それとーあなたはー、私に生活保護を出すとき、あの人は何もいいことがなかったんですよ、と言った後に、私立学校のヴェルス学園の校長ですね、東大法学部卒という審査を
落としましたね、そして、あなたをどうにかする方法は1つしかないんです、あなたも頭がいいんだから分かると思いますが、あなたのしていることをどういうする もの として
大人しくなったわけではない。全盛期のまーさんというが、まーさんがあの場所に出散らかすようになったのは令和元年8月22日、27日頃ではないかと志村警察署の警部が把握している。
まえーさんに全盛期というものはない。令和4年11月から、Magical worldが始まって、その後は継続的に、Precious Loveなどが増えているが。
今年の夏は気が付いたら朝の4時になっていた時代が多かったんだよ。そもそも最近は警察官自体が近づかないから。今年の6月1日には、ステージの向こうの舗装道路で、くまが立っていたことが
あった。
まーさんの福祉事務所での扱いがやや酷くなっている。令和2年2月10日の医療ケース診断会議は開催したんだけど担当者の宮脇か中谷が記録してなかったんだよね。それで所内で大騒ぎ
になって、開催自体はしたらしいんだけど記録していないから記録が出てこない。最終的に返還金額決定処分に至ったのは、令和2年12月10日なんだけど、まえーさんが、11月27日に
大分県で保護されて延岡に帰っている途中にやっているから。ケース診断会議は、令和2年10月1日にしたとあるんだけど、令和2年の春頃は東京都とかなりもめていた。
まーさんの全盛期っていうのは、令和元年8月22日頃からでそれより前は確かないんですよね。まーさんが発展を開始したのは令和2年に入ってからで、舟渡のAZAの前でやるようになってから
全盛期になった。ただし2月17日に草むらの中に住んでいるホームレスに制止されているけどね。令和2年6月10日にはマンションの屋上で歌い過ぎて警官を呼ばれている。
だからまーさんの全盛期がどこなのか分からんのよ。それでまーさんは巡査としての活動はよくやっているし いかんせん法律の技術的な側面とか技術的な助言があまり理解できないので
わたしは、いま黒羽刑務所の30年史を読んでいるんですがー、この976番っていうのはあなたですかー? あなたが工場勤務の終了を刑務官から告知されたのは
いつですかー?
あーそれは、平成26年4月10日頃ですね、ちょっと手記を見ないと分かりませんが、黒羽では、今日も勤務があるだろうなと思わせておいて
それでその後に寮に移って花見会があったので弁当が出ましたねそれはどうしましたか? なんか唐揚げ弁当が出た気がします。食べたのかどうか分からない。記録を見れば
分かると思いますが。郁子から手紙でルートインが7000円だから泊まって帰ってこいとか
出所すすために舎房には、長谷川ではなくそれに似た刑務官が来て、窓から、すみませんでしたと言っていたが形式で、信用できなかった。
出所は4月24日で、 4月21日からいわゆる、出所前入浴というのがあって特別な風呂で入浴がある。
ところでこの、なんか、東京武蔵野病院の棚に置いてある本で、ダウン症と知的障碍者の親子っていう表紙の本があるんですが、このダウン症の方と言われているような顔だったので
男になった人が多かったといった話がありましたがもうみても分からないしかなりの人が既に、出生時にダウン症のような顔だったので、刑務官や警察官になったという話も昔はあったが
思い出せない。
1 事案の概要
本件は、東京都板橋区前野町5-38-2所在の村山マンションでルームシェア
事業を営んでいる原告の富澤佳代子およびその父が、平成30年3月中旬頃に、被
告Aが、原告がインターネットの「ルームシェアジャパン」(http://roomshare.jp/)
という、シェアハウス等の紹介を目的とした掲示板サイトに自己の物件について紹
介をしていたのを見つけ、Aから同サイト掲載のメールアドレス宛てに、「今すぐ
‐2‐
住みたいんですが住めますか」というメールがあり、富澤が当初、「他に内見希望
者がいるのでその人が辞退すれば住めます」と返信し、Aが様子を見ていたところ、
原告が、「内見希望者が辞退したので内見可能になりました」というメールをAに
送り、Aがルームシェア契約ができる可能性が高まったものと考えて、平成30年
3月28日に板橋区前野町所在の村山マンションに行ってそのまま原告と契約し、
207号室でルームシェア契約をしたが、原告は、契約当時、被告の外観上、特に
問題のないような人であり、危険性や精神疾患を抱えている者ではないと判断した
ため、契約してしまったが、後日になって、Aが同シェアハウス内で様々なトラブ
ルを起こしたり、精神疾患を抱えているような様子が分かるようになったが、そも
そも自己が管理する物件が、賃料さえ払ってもらえれば多少のルール違反には目を
つぶって事業をしていたため、被告Aに対しては、形式的なことを言って居住させ
ていたが、被告Aが、夜中に隣室の者に対して「(生活騒音が)うるせえんだよ、
ぶっ殺すぞコラ」と大声を出したり、Aが隣室の者の生活騒音を抑えるために条例
に基づいて警察官を呼んだりした件について、営業妨害であると考えて、当該事件
が起きた4月中旬の時点で、「あなたはうちは無理だから出て行ってちょうだい」
と強く申し向けて退去を要請したこと、これに対してAが丁寧な謝罪を重ねて、も
う二度としないから何とか住まわせてもらえないかと電話で言ったため、原告がこ
れを憐れんで同情し、「分かった、でも次警察を呼んだら出て行ってもらうからね」
と言って、Aを同所に継続して住まわせることとしたが、6月頃に、Aが205号
室の者が出す生活騒音に激怒して「ガタガタうるせえんだよお前、次やったらぶっ
殺すからな、覚えとけよボケが」などと怒鳴り散らした件で、205号室に居住の
細川真作および204号室の者が同時に原告に苦情を行い、原告がAに注意のメー
‐3‐
ルをしたものの、その時は、Aの怒声があまりにも強く、205号室の細川及び2
04号室の者、および原告とその父が恐怖を覚えたため、形式的な注意のメールを
しただけで終わった。しかし、6月中旬頃に、Aが、同シェアハウスに志村警察署
の警察官を呼んで、このシェアハウスの住人は生活騒音がうるさいからどうにかし
てくれ、と言って警察官に指導を要請した件で、同シェアハウスの多くの者から原
告に苦情のメールが入り、先日Aが激怒して怒鳴り散らした件も含めて、原告が遂
に堪忍袋の緒が切れてAに対し電話をし、「また警察を呼んだよね?もう出て行っ
てくんない?」と言われたことから、Aが強気に出て「205号室の者がわざとこ
っちに嫌がらせしてくるんでこっちも我慢の限界なんですよ」などと反駁したとこ
ろ、原告が、自分ではAを説き伏すことができないと考えて、同所の実質的なオー
ナーである父親に電話を交代し、父親が「お前何モンや?うちは安いところやから
多少生活騒音があっても許しとるんや。それが嫌なんやったら出て行けやオンド
レ。」「出て行かんのやったらワシが今からお前のところに行って追い出すぞ」など
とAに言ったことから、Aと喧嘩になった。しかし最終的に、「もう警察は呼ばな
いな?男同士の約束だぞ」ということで、紛争は納まり、Aは引き続き同所に居住
することとなった。 平成30年9月4日にはじゅりちゃん、9月20日には延岡のサンタナでトラブルがあった。
しかし、平成30年11月に、209号室に住む篠原直樹との間で口論があり、
篠原が振るった暴行等の件で、Aが前野町交番に通報したため、前野町交番の巡査
がオーナーである原告に電話で色々と事情聴取をしたことで、原告である富澤が個
人的なストレスを抱えるようになり、パニックに陥って、仮にAが篠原から犯罪被
害を受けたにせよ何にせよ、Aが同シェアハウスに入居したせいで様々な混乱が起
きており、Aが邪魔だと考えて、原告は、父親と相談してAを追い出すことに決め、
るのは当然であり、契約を解除した上、被告を同シェアハウスから退去させられる
ア 原告、富澤佳代子は、板橋区前野町に所在する淑徳大学の児童発達障害に関す
る研究を行っている大学教員であり、これと同時に、板橋区前野町5-38-2所
在の昭和49年建築の村山マンションの2階に存在する部屋を8室にパーテーシ
ョンし、また、共同ベランダ、キッチン、トイレ、個室シャワールームなどを完備
し、ルームシェア事業を実施しており、他にも、足立区の西新井など数か所にもマ 西新井にいったのは結局令和元年8月17日である
ンションを購入しており、同様にルームシェア事業を行っている。
記載内容は、部屋の写真などがついていて、家賃は38000円であり、「ベッドあえい」という記載もあるなど、諧謔に富むが、一
オ 被告は、e ルーム自体は、賃料も安価で、インターネットも利用でき、ビル外に4分100円の個室シャワーもあり、コインランドリーも近く、都心部にあるため、周辺にスーパーがたくさんあり買い物には事欠かず、白山まで歩けばすき家もあるため、朝食にも困らないし、2か月に一度振り込まれる障害基礎年金の16万円があれば、そこでも生活していけると考えたものの、床が硬く、寝ると腰が痛くなることや、入居当初日の3月はじめ、同ルームでそのまま横たわって寝たところ、空調があまり質が良くなく、厳寒期なのに対して室内が極寒だったことから寒さで震えて起きてしまい、空調があまりに酷いと考えたため、最初は上野にあるニトリエクスプレスで適当な寝具を買おうと思い立ち、山手線で上野のニトリに行ったものの、高級布団しかなく、寝袋は売っていなかったので、適当に秋葉原の方面へ歩いて行ったところ、たまたまドンキホーテがあり、店員に聞いたら1500円の寝袋があることを知ったので、この寝袋とパソコンを置く台を購入して、e ルームに帰宅した。
ケ 被告は、そもそもシェアハウスでは生活保護は無理だという頭があったので、はてなブログのコメント欄に書いていた「えごいすた」という者と連絡を取り合い、匿名チャットなどで談合し、生活保護を受けるために居候させてくれないか、などと話を持ちかけていたが、えごいすたから、今は実家に親がいるから無理だから、一旦帰郷してまた東京にきたときに、マンションを買うから居候の件はそのときに考えてくれないか、ということでその話は終わった。
シ そのまま、2階に上がり、207号室に案内されて、契約書を受け取ったが、契約書記載の、身分証明書のコピーの提示は要求されず、初月家賃の支払いとサインを求められただけで、その他は、共有ワイファイの暗証番号などが伝えられた。その後のメールでも、契約書は渡したが、うちのハウスには特にルールはないから適当にやってほしいといった趣旨のメール返信があり、また、「えと」こと富澤も、被告において極めて上品で淑徳な印象を受けたので、安心できる人物と信頼し、しばらく同ハウスで日数が過ぎた。
ス 被告は、3月28日に入居したときから、隣室の者が、やけにうるさく、床に物を置いたりして、ガタガタと生活騒音を立て、その回数も相当数に上ったため、次第にイライラを募らせるようになり、4月中旬に、遂に我慢できずに、夜中に目が覚めて、隣室の方に向けて、「うるせえんだよ、ぶっ殺すぞボケが」と叫んでしまった。被告は、4月中旬に、隣室の者の出す音が、東京都の迷惑条例に違反している
と考えて、志村警察署の警察官を呼んで指導してもらったところ、隣室の者が卑怯にも居留守を使って警察官の対応に応じず、部屋に閉じこもってオーナーの富澤に苦情を入れ、これを聞いた富澤が、被告が警官を呼んだ行為を営業妨害ととらえて、直ちに被告の携帯に電話し、「警察を呼ぶなら今月末で出て行ってくんない?」などと言われたため、被告において、富澤が、淑徳で大人しい女性ではなく、面前で会うときの態度と、裏での日常生活で、人格を使い分けるタイプの精神障害者であることが分かって裏切られたとの感を抱いたものの、散々インターネットを検索した挙句に同ハウスを見つけた矢先に、同所を追い出されると、実質的には他にいくところがなかったため、富澤に精神疾患がある点については言及せず、富澤が分かるような穏やかな口調で「もう二度としませんからなんとかここに住ませてもらえないでしょうか」「お願いします」などと繰り返し説得し、富澤の怒りを鎮め果せて、富澤から「分かった。でも今度警察を呼んだらそのときは出て行ってもらうからね」と言われて、事なきを得た。また、富澤が、被告の説得を聞いて憐憫の情を抱いたのか、被告に対して、「206号室が開いたから移る?」などと持ちかけ、
被告がこれに応じて、転居を決定し
ソ 被告は、そのまま206号室で生活を開始したが、今度は205号室に居住する細川真作が、激しい音を立てて居室のドアを閉める、ガサツで他人の迷惑も気にしない男であり、また、部屋でも、壁が薄いのに壁に物をぶつけるなどする行為が、相当回数に及んだために、被告がイライラを募らせ、6月頃に、被告が激怒して、「ガタガタうるせえんだよ、次やったらぶっ殺すからなこのクソガキが」などと叫
んでしまったことと、被告が、細川及び同シェアハウスの他の生活騒音がうるさい者に報復をするために、スピーカーで大音量で音楽を流していた件で、細川と204号室の者が個人的に嫌気を感じたために、富澤に、迷惑をしているといった電話を入れた件で、富澤が、被告に注意のメールをした。
タ 被告は、6月頃に、同ハウスの多くの者が、あまりにも節度がなく、ドアの開
け閉めの音、床を歩く音の大きさ、室内で出す生活騒音があまりにもうるさく、ス
トレスが蓄積して、志村警察署に相談し、警察官を呼んで生活指導をしてもらうこ
とを企図したが、ハウスに来た警察官が形式的にしか仕事をしなかったうえ、同ハ
ウスがあまりにも無法地帯であることから、被告がパニックを起こして一時騒然と
なり、同ハウスの者が、自分たちに都合のいい野放図な生活を、被告が警察を使っ
て邪魔しており不都合と考えて、一斉に富澤に苦情を言った件で、実態としてはそ
の当時、同ハウスを安い賃料で多くの者に利用させ、その代わりに特にルールを設
定せず無法地帯を許していた富澤およびその父が、同ハウスに警察を入れられると、
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退去者が出るのではないか、営業妨害であると思料して、被告に電話をし、「また
警察を呼んだね?もう出て行って」などと言ったが、たまたまその時は被告も強気
に出て「こっちもこのハウスの色々な者から迷惑を受けている。生活騒音がうるさ
くて仕方がない、生活できない」と反駁したことから、富澤が、自分の力では被告
を説き伏すことができないと考え、通常は高度のパニック障害と精神疾患を抱え、
日頃から発狂しているため、同ハウスの者には正体をさらしていなかった真の管理
者である富澤の父親に電話を交代し、父親が「お前何モンやコラ」「うちは安い賃
料で貸してるから多少の生活騒音は見逃しとるんや」「嫌なんやったら出て行けや」
「出て行かんのやったら今からワシがお前のところにいって追い出すぞ」などと、
滅茶苦茶なことを言い、被告とヤクザ者同然の喧嘩となったが、最終的には「もう
警察は呼ばないな?男同士の約束だぞ」などといって決着して、以降も被告は同所
に住めることとなった。
チ その後も、205号室の細川は、相当回数生活騒音を立て、204号室の者もうるさかったが、被告は、警察沙汰になると退去しろと言われるし、裁判所が機能していないから訴えたところで無駄であると考えて8月の夏までは我慢して生活し、東京での生活が一段落したことから、宮崎県の実家で暮らしている母や祖母が病気なのでその様子を見に行くと言って、ケースワーカーに、帰省の要請をして、
9月5日に、新幹線で延岡市に帰省した。帰省後、富澤に、帰省していて部屋を使っていないから、家賃をまけてもらえないかとメールをしたら「共益費の8000円だけサービスできます」との返信があり、被告は9月分の家賃を実家の最寄りの郵便局から富澤の口座に振り込んだ。
ツ 被告は、10月10日まで延岡市で過ごした後、同ハウスに戻った。一か月、田舎に帰省していたことから、同ハウスでのストレスも和らいでいたため、205号室の細川に対し、ドアの開け閉めや生活騒音を出さないようにすることを狙って、「以前は怒鳴り散らして申し訳ありませんでした」云々といった手紙と共に2000円を封筒に入れて、細川の部屋のドアに挟んでおいた。細川は素直にこれを受け
テ 10月中は特に何もなかったが、富澤親子の気が代わり、玄関先にルール表が貼付され、生活騒音を出さないことなどに関して注意書きが設けられた。
ト 11月6日に、被告が洗濯をするためベランダに出ていたところ、被告が同ハウスで自分に喧嘩を売っていたことなど、かねてより積年の恨みつらみを募らせていた209号室の篠原直樹が、被告が共同ベランダにいて人目につかない場所にいるのをいいことに、「おい、ドアの開け方がうるせえんだよ」などと因縁をつけて喧嘩となり、もともと会社などで上司などからいじめを受け、ストレスを抱えてお
り、そのストレスを被告に当たり散らそうとした篠原がこれに激して、被告がして
いた洗濯の洗濯機のスイッチを止めて被告を突き飛ばし、「お前は気持ち悪い」「こ
のシェアハウスのみんなから嫌われている」「キッチンのゴミ、片づけていなかっ
たのお前だろ」「ぶっ飛ばすぞ」「さっさとこの家から出て行けや」などと、諸般の
実質ないし形式的な因縁をつけて、被告の服を破り、暴行、器物損壊、脅迫、侮辱
の犯罪行為を行った。その後も、篠原が被告を玄関に誘導し、ルール表を手に取っ
てこれを被告の首元につきつけ、「このルールはお前のためにできたもんだぞ、音
楽をかけるときはイヤホン使えや、ねえならヘッドホンを買えや」などといって暴
行を行った。
ナ 被告は、上記犯罪行為を受けたことから、前野町交番に110番したが、かけ
つけた警察官が形式的にしか仕事をしなかったために、現行犯逮捕に至らず、篠原
も居留守を使ったために、警察も対処ができなかった。その後も、被告は、本件に
関する予想判決文を作成して、セブンイレブンの印刷機で印刷し、これをもって志
村警察署や前野町交番に何度か足を運んで、どうにかしてくれと言ったが、いずれ
の警官も、なお形式的にしか対応しなかったため、捜査は進展しなかった。
ニ 前野町交番の地域2係の巡査が、被告からオーナーの電話番号を聞いていたた
め、巡査とオーナーが電話でやり取りをした件で、富澤も次第にストレスを募らせ
るようになり、確かに被告が篠原から犯罪被害を受けたが、富澤親子は、同ハウス
は安い賃料で売り上げを上げたいし、ハウス内については細かいルールを設けず、
今時の若者の好き勝手に任せておけばいい程度に考えていたため、法律やルールに
やかましい被告が同ハウスに入ったせいで、様々なトラブルが起きており、被告を
邪魔だと感じるようになったため、かねてより被告に精神疾患があって神経質だと
思っていたことから、ルームシェア契約書の条項を利用して、被告と契約を解除す
ることにした。
様々な事件
平成19年1月 渋谷区で、姉というものが、警察官志望の若造の弟に、おまえ先ないじゃんという言葉を適用され、若造が激怒、姉を殺して死体損壊
平成21年1月 文京区の中央大学で見た目の事でゼミを落とされた理由で教授をトイレで惨殺
平成24年6月 団藤重光死去。 家入レオが、「Bless you」を発表。
8月
平成30年4月12日 19歳巡査、 41歳警部補射殺 板橋区で佳代子と篠原が色々なことをしていた時期
6月26日 交番40代警官30回刺殺、強奪拳銃で学校警備者射殺 実質的な、晴生殺し
令和元年6月16日 千里山交番襲撃 高等裁判所で心神喪失で無罪
令和元年8月17日 俺が戸田市から西新井に迷い込み、川口相互タクシーに自転車を置いてタクシーで帰宅、 4500円
8月18日 赤羽岩淵駅から西新井まで行って歩いて自転車を取りに行く。
令和2年5月11日 井上修二から、こうぼうだかんな、などと言いながら、暴力を用いる。前野町5丁目の一戸建ての窓から、にんかいの姿が出現し、周囲の主婦が拍手をする。
7月17日 佐藤が生活保護費から40万円を抜き取るがCWの偽計によりなぜか減少しない。
令和3年11月1日 東京地検で取り調べ
令和4年1月15日 東大生殺傷事件 名古屋?から出てきた遊び人の理科3類受験生が最近の東大生の蛮行に激怒、 発作的に刺傷
令和4年7月8日 安倍晋三、狙われる
7月??日 霞が関の法務省で法務大臣が発狂、 悔しさ紛れに、加藤智大の死刑執行
令和5年1月19日 帰宅
1月20日~4月30日 ぺこらいぶ on 荒川ゴルフ場土手 GLAY ラルクアンシエル
令和5年5月3日
6月 ユナイテッド不動産の金光の策動が始まるが何を考えているのか分からない。
7月15日 もぐらが、勝利が致命的な失敗をしたという映像を流す
たかとしの知り合いの小田まりんに3万円を貸すが返ってこない。
10月13日 志村副Ⓢ事務所で健康管理士の小島をみる。再審請求棄却決定 (越谷支部)
10月19日 ぺこらいぶ中止
板橋区志村は、自演の町なので、しかも、平成19年に志村警察署の巡査の自殺事件が出たことの他、色々あるがこのような状況下で、志村第4中学校の場合、
この建物自体が延岡市のおおぬきにあったかどうかはおくとしても、延岡市の陸上競技場が死ぬほど盛り上がっていた60年前に、晴生が盛り上がっていたときに、
暗に、板橋区の志村第4中学校の建物も最盛期だった。しかしその当時の者が生きているわけがない上いたとしてもほとんど高齢者ばかり。
黒羽刑務所は、警備隊が、40代の犯罪者のオヤジばかり、苗字はほとんど宮武、周辺は田んぼばかりで、裁判官は間違いだらけで話にならない。自演であったり何らかの手段で
運営していたとしても、平成25年の最悪な大混乱事情は否定できない。30代の職員の殺人や犯罪が存在した刑務所であること、何の価値もないことが考慮され閉鎖された。
法務大臣は苦渋の決断、一時代が終わるとして黒羽を閉鎖したが、論外かどうかは分からない。古すぎるというのであれば、川越少年刑務所の閉鎖が検討されていない時点で
おかしい。建物自体はさいたま拘置所が論外、中身は、黒羽が論外。
志村第4中学校の建物は、出来上がっているもののシンボル、非常に誇らしく歴史的意義のある構造となっている。これを、見た目のデザインだけのつまらん建物に建て替えた場合の損害は
甚大なものがある。問題は建物ではなくそこの施設の職員であって、その職員を処分するならまだしも、建物を取り壊しても意味がない。
誰が?まえこうの友人の38歳が? 最初に仕向けられたときにへびがいるようにみえて段々男が3人に見えてしつこく追いかけてくるのですが私が巡査のくまがいにみえたらしくて
手は出せなかったというか。それでやな、その西階の38歳っていう奴が、まえこうと一緒に64やっていた野地町の奴かどうか分からないんだよね。似ていただけだから。
それにそういう発言がなかったから分かるわけがない。もちろん、佐藤の計算機命令で仕向けてるんだけど、まえこうは、バカで大して何も考えてなかったんで病死したっていう夢が流れた
んだけど、あれはどうやって製作してんだよ。次に、事実として、俺は、長谷川と森脇がいた10工場の中でやっていたことがそのまま塀の外に出ているだけという認識で動いているから
分からないっていってんだろうが。
わてくしは、志村警察署に勤務している、熊谷という50代のじいさんが6月に出てきたときに、熊谷が、 ほぁ、こいつは大したことがねーやつだ、帰れ帰れと申し向けるので喧嘩になったが
熊谷は坂下交番の部屋に隠れていくので実物は卑怯なじいさんであるが、私が巡査として活動するとき、嫌々ながら、熊谷か、山本を使わせてもらってるが、
PB坂下の専務幹部はほとんど自分なのでミラー対称性があるので、きもとは、裁判所の事務官で、近くに、由記子という名前の女性がいるんだけども、法律は重い議論なので
きついから捨ててあってなんで平成の人が法律がでけなくなったかというと、法律は老いてるしでかいし百害あって一利もないので裁判官とかなりたくない人が多すぎて
のびおかで保護されつときに、実際に車両から降りてきたのと保健所の主任技師は、おぺちだと思うんだけど、仲がいいと思ってるのはお前の方だけだからなというのが実現して
めっちゃ喧嘩して、保護室の前でブタが、 むーりー、っていうんだけどそれがおぺちのはずがなくて、一部はおぺちだと思うんだけど、実際に、85%の円弧のおぺちは東京武蔵野病院の医局長の
須佐で、須佐の命令が降りてくる夜間当直は、円弧として5%くらいしか入ってないと思うんだけど
小島は、志村福祉事務所が創設した 昭和43年生まれで、55歳だけど、腕に毛が生えていて その辺の全部を PDFにしてうぷろだに投下したんすね。
シムラエフは 平成5年に移転してきたんだけど、資料は何も残っていないし、昔からどんな変遷をしてきたかは確認のしようがない。