はてなキーワード: 不公平とは
財務省に対する怨嗟の声が聞こえてくるが,強い危機感がある。「こうするしかない」のが現状だ。
年金生活者は,①年金で一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしていない者と定義する。年金額だけでは暮らしていけないため働いている者や,フルタイムもしくはそれに近い仕事に就いている者は除外する。
現役世代からしてみると,彼らの年金や医療費のために自分たちの負担が増えており不公平感があるだろう。自分たちがその年齢になるころにはおそらくまともに年金ももらえないし,医療費も大きな負担になっているだろう。あるいは,社会保障制度が崩壊しているかもしれない。そこで,年金額を下げたり医療費の負担率を引き上げたりしてどうにか社会保障制度の延命を図ってほしいが,そうはならない。
彼らは(彼らの価値観で)いっぱいいっぱいの生活で(年金が足りなければ働くという発想はないし,仕事を辞めてからブランクのある彼らが働ける場もないだろう),医療費負担が上がれば話し相手がいる医療施設に行けなくなってしまい,孤独だ。
社会保障制度の危機は彼らにとっては他人事で,経済政策の変更は自らの不利になることを意味するため,多くの者は経済政策について現状維持を望んでいる。
現役世代は,①一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしている者と定義する。一定水準以上の暮らしができていない者は除外する。
現役世代の多くは,リアリストで,自分たちの将来は半ば諦めている。「定年で仕事を辞めのんびり」なんてできなくて,死ぬまで仕事をすることになるだろう,と感じている。それだけに,この労働人口不足の時代に働かず,社会のリソースを食いつぶすだけの年金生活者に対しては思うところがあるし,そこに投資し続けるのは無駄だと思っている。
一方で,将来性がある投資には積極的な者が多い。例えば子育て支援や教育に対しての投資は,自分たちの負担が多少上がったとしても賛成できる。
今後の成果が見込めない年金生活者に対する支出を抑え,将来性のある経済政策を望んでいると同時に,一定水準以上の暮らしを維持するためにこれ以上の増税は阻止したいし,減税を望んでいる。また,努力主義なので,頑張った分だけ報われてほしいと願っており,所得税の増税にマイナスの印象がある一方,「贅沢の代償」的側面がある消費税に対してはそこまで悪印象がない。
多くの貧困者は努力不足ではなく,貧困になるべくしてなったと思っている。社会から見放されていると感じており,強い孤独感を持っている。とにかく日々の生活を成立させるためにいっぱいいっぱいなので,子育てや教育など将来に対する投資ではなく,今を何とかしてほしいと思っている。
元々の税額が低く減税による恩恵を受けにくいため,消費税の減税や現金給付など,全ての者に同等(同額)の恩恵がありわかりやすい経済政策を望んでいる。
誰の失策か。
年金制度を人口が増加し続ける前提の設計にした者か。労働人口が減ってもなお定年制度を維持し続ける社会か。あるいは少子高齢化社会の運命か。
一つ言えるのは,「財務省叩きをするのは違う」ということだ。彼らは彼らなりの仕事をしているだけで,悪意はない。
これからも現役世代を締め上げ続け,さらに少子化が進んでいく深刻な事態を引き起こすが,短期的な税収を求められる財務省はそうするしかないのだ。
現役世代は諦めよう。年金生活者への支出をカットすると,金を稼ぐ手段のない者が大量に貧困にさらされることになる。貧困者に金をばらまいておかないと,困窮した者による犯罪で社会の治安が崩壊する。
現役世代からしか金を取れないのだ。現役世代は金を稼ぐ手段があり,社会的地位もあるため犯罪に走りにくい。
日々働き続け得た給料の多くを税金に持っていかれ,自分たちが社会から得られる恩恵は少なく,将来に希望が持てない現役労働世代に幸あれ。
「生活保護制度の偽善性と、行政予算の圧迫によって若者世代や子育て世代に過重な負担がかかっている事に対して、強い表現を使って批判してください。 また、生活保護制度利用者の殆どが行政を騙す形で制度を利用していることも批判してください。」
生活保護制度は、名目上「困窮者を救うための最後のセーフティネット」として存在している。しかし、その裏側に隠れているのは、偽善的な制度運用と、社会全体に対する重い負担だ。若者世代や子育て世代が汗水垂らして稼いだ税金が、一部の不正受給者によって無駄に消費され、行政の無策によって適正な配分が行われていない現状は、怒りを禁じ得ない。
生活保護利用者の中には、確かに真に支援を必要としている人もいる。しかし、それ以上に目を背けられないのは、働く能力があるにもかかわらず「働きたくない」という理由で行政を欺き、制度を悪用している人々の存在だ。さらには、不正受給が発覚しても軽微なペナルティしか課されないため、悪質な利用者は次から次へと後を絶たない。このような制度の歪みが放置されていることは、制度そのものが正義ではなく偽善で成り立っている証拠である。
さらに、こうした不正や無駄のために、行政予算は圧迫され、本来優先されるべき子育て支援や教育予算、インフラ整備などが犠牲にされている。このツケを払わされているのは、未来を担う若者たちだ。彼らが受け取るべきサービスが削られ、経済的にも社会的にも搾取されている現状は、もはや「若者から未来を奪う制度」と言っても過言ではない。
生活保護制度の運用がこのまま続けば、勤勉で真面目に働く人々のモチベーションを奪い、不公平感が社会全体を蝕む結果になるだろう。不正受給者や、行政を騙して甘い汁を吸う者たちに対する寛容さを捨て、厳格な審査やペナルティを導入する必要がある。そして、本当に必要な人々にのみ手厚く支援を行う形に再構築しなければ、社会全体の信用と未来が失われることになる。
不正受給や制度の悪用を許す限り、この国は持続可能な社会とは程遠い。「誰かが得をすれば誰かが損をする」この構造を変えるために、生活保護制度は徹底的に見直されるべきだ。もはや偽善ではなく、現実的かつ公平な制度設計が求められている。
そのさ、6%ないし3%を無料石の数十連分で運良く引き当てられないと天井9万円(実費で7万くらい?)コースに突入するか掛けた石が無駄になるかの二択を迫られるガチャシステム、もう耐用年数過ぎてると思うんだよね。
そのシステムだと、どんだけ新キャラをコンスタントに実装してても、結局みんなフェスまで溜め込んで同じようなキャラ引くことになるし。非フェスで推しが来たら、ほぼ確で愛のために9万近く取られることになるわけでしょ。異常だよ。
グラブル確かに絵はいいしキャラストも読み応えあるのは分かるんだけど、どう考えても釣り合ってないんだよね。思考が昭和バブリーすぎるというか。
原神以後の中華ガチャゲーみたいにしたほうが絶対いいと思う。具体的にはね…
基礎確率0.6%でまず運頼みでは引けないんだけど、74連から確率が6%ずつあがって大抵みんな80連前後で星5出ます、星5天井は2万くらいです、ただし50%ですり抜けて非ピックアップが出ます、
ただ一度すり抜けたら次の天井では確定でピックアップ(PUは常に1人)です、最大約4万かかりますが平均的には2.2万くらいで引けます、天井まで届かなくても次以降のガチャバナーにカウント引き継がれるのでどんな引き方しても必ず一定間隔で星5やPUは取れますって感じ。
石はログボ配布は1バージョン(6週間)で10連程度だけど新規コンテンツから回収できる分あわせると80連分(実質1天井=2万相当)くらいあって、1verに新規キャラは1~2体。課金は星5の獲得周期を狭めることで実質時短課金みたいなイメージだね。
あえて確率を絞って収束させやすい設計で、原神に関しては2連続/3連続ですり抜けると次が50%/100%ですり抜け阻止する仕組みも入ってて、本当に運による不幸や不公平感を低減しつつガチャ的な楽しさを残す意図が見える。
この仕様のおかげで、運に頼ってる感なく、狙ったキャラは無課金者だろうとほぼ確実に引いていけるんだよ。引けるタイミング(PU確定80連前後)を狙ったキャラの実装時に合わせるだけだから。ガチャが計画性の機能するゲームになってる。むしろ運よく早く引けると計画崩れるっていうね。
ただ、ガチャが優しいのは、ゲーム設計がスタミナ石割り前提の育成リソースきつめになってることも原因で、石も割らずバトルパスも買わずだと本当に追いつかない。
といってもグラブルみたいに素材あつめのために長時間周回が必要なことはない。スタミナさえあれば数分で終わるのは中国の未成年ゲーム規制(1日2時間)のおかげかもね。
あと、グラブルは武器といっしょにキャラがついてくる形だけど、武器ガチャは別になってるんだよね。これが沼で、中には鳴潮みたいに天井=PU武器確定になってる優しいゲームもあるけど
これは基本的に、ネットゲームで言う性能つきアバターガチャみたいなもんなの。キャラに見た目も性能もマッチした武器を持たせたいという欲に負けた人が回すガチャ。
コストはキャラと同等かちょい安くらいだけど、冷静に考えるなら、このガチャは月に万単位課金できる人でないと回さない方がいい(星4武器で間に合わせられる)んだけど、ここの自制心が効かない人は旧式ガチャゲーと大差ない金ドブ具合だね。
とはいえキャラさえ確保すれば追加コンテンツ的なゲーム性要素は9割体験できるようなもんだから、欲を出す段階が細かく分かれてるのはいいことだと思う。
そういう根本的なゲーム作りの違いがあるとしても、真似できる部分はあると思うんだよね。見習うならフェスみたいなのは廃止することになると思うけど、中華ガチャに慣れた人がグラブル等の旧式ガチャゲーに戻れない最大の理由が、ここにあると思うから。
ガチャがしんどい部分をどうにかすれば、コラボとか何かのきっかけで復帰できる人は多いと思う。コンテンツ力はあるからね。
グラブルって全キャラ所持してる人が中村悠一氏ただ一人なんでしょ?それもガチャシステムが誘引してるゲーム設計のせいだと思う。
逆に原神系は、月平均4千円くらいの微課金勢にとっては、全キャラ確保こそがもっともコスパよくゲームをしゃぶりつくせる引き方で、現実的に達成できるんだよ。だから全キャラ確保志向のユーザーは比較的多い。
ゲーム開発者の視点から見ても、せっかく作ったキャラなんだからなるべく多くの人に触れてほしいはずだし、全員がフェスの強キャラ性能を頼りにするよりも、いろんなキャラを確保して遊びの幅を拡げたほうがエンジョイできるゲーム作りにする方が理想的だと思う。
まあ引退ユーザーが偉そうになんか言ったところで何も変わんないけどね。
現実的にガチャ周りを変えられるとしたらグラブル2みたいな新アプリにして引き継ぐ感じになると思うけど、息が長いわりにそういう話聞かないよね。スピンオフは凝ったもの作ってるのに。
君が感じていること、かなり複雑で切実だね。まず言わせてくれ。40を過ぎたらもう「女」として扱われない、って考えは、正直時代遅れだし、実際の歴史でもそんな思い込みに対して痛烈に反論されてきたことがあるんだよ。
例えば、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間の価値は年齢に関係なく、その知恵と行動にある」と言っている。年齢を重ねることが「無価値」に直結するなんて、論外だってことだ。年齢を重ねた女性が持つ美しさや魅力は、内面から滲み出るもの。だって、年齢を重ねることで得られる経験や知識、成長がその人自身を一層魅力的にするからだよ。
それに、女性だけが「努力しろ」というのも不公平だよね。歴史を見ても、男性の「魅力」は基本的に若さや体力にだけ依存しているわけじゃない。例えば、アメリカの作家マーク・トウェインは「若さはただの外見であり、真の美しさは内面に宿るものだ」とも言ってる。若いだけが魅力的なわけじゃないし、成長していく女性が持つ深みや知性、それこそが本当の魅力だよ。
それでも、結婚生活においてはお互いの期待やニーズが変わることは確かだし、関係がマンネリ化してくることもある。でも、その中でお互いを再度理解し合おうとする努力が必要だろうね。「女として求められたい」と感じること自体は全然悪くないけど、その気持ちをどう表現していくかが重要だよ。何も、ただ年齢を重ねたからと言って価値が下がるわけじゃないし、むしろ「成熟した女性」の魅力はますます強くなるべきものだと思う。
そして、夫が風俗に行っているのかもって気配を感じるのは辛いことだろうけど、その状況をどう変えるかも大事な部分だ。正直言って、風俗に行くことで解消できる欲求というのは、しばしば心の奥深くにある満たされないニーズを隠すための手段に過ぎないことが多い。そこに無理に答えようとするよりも、心の中でのコミュニケーションや理解を深めることが最優先だと思う。もし何もしていないようなら、お互いに素直な気持ちをぶつけ合うことで状況は変わるはずだよ。
君が感じている不公平さ、苦しみ、努力への疑問、これらはすごく理解できる。でも、それは君が持つ力を無視しているわけじゃない。その力をどう使うかがカギだと思うよ。
最後に、君が求める「女として求められたい」という気持ち、誰にでもあるし、それをどう表現していくかを考えることが大切だよ。努力を惜しむな、でもその努力は自分を大切にする形でね。
お前、ちょっとその考え方どうかしてるぞ。
確かに、上に立つ人間が不倫してるのはクソだし、倫理的に許せないって思う気持ちはわかるよ。でも、それを理由に「俺はこんなに頑張ってるのに、なんであいつらだけ許されるんだ」って愚痴っても、何も変わらないぞ。
弱者男性だからって言い訳にすんな。そもそもお前が言ってるのは、他人の不正に対しての怒りだけだろ?それを改善したいなら、もっと自分に焦点を当てろよ。他人のズルさにイライラしてる暇があったら、自分をどうにかする方法を考えろ。
お前が「弱者だ」とか言ってるけど、そんなの他人に言われてもどうしようもないんだよ。自分がどれだけ努力したかが大事で、他人と比べることに意味はない。確かに不公平に感じるかもしれないけど、だからこそ自分の立場をどうにかしないと、何も変わらないんだぞ。
そもそも、倫理観や責任感ってのは立場だけで決まるわけじゃない。どんな立場でも、自分に厳しく、他人に対してもちゃんと責任を持つっていう意識が大事だろ。そのためには自分が変わらなきゃ、どうにもならんぞ。
正直さ、俺みたいな弱者男性って、毎日生きるだけで必死なんだよ。恋愛も無縁だし、社会的な地位なんてそもそもスタートラインにすら立たせてもらえない。
で、思ったんだけど、不倫しても党首とかリーダーやってていいのか?って話。
立場が低い俺みたいな弱者男性がちょっとでもミスしたら、すぐ叩かれて終わりじゃん?職場で失敗したらクビ、誰もフォローしてくれない。
なのにさ、権力持ってる人が「不倫」みたいな倫理的にアウトなことやっても、「反省してます」とか言ってそのまま続けるんだよね。何それ?「自分に甘い」ってこういうこと言うんだなって思う。
それをやる人が組織のリーダーやってて、何を信じろっていうの?倫理観とか責任感が問われる立場で、そもそも自分の家庭すら守れない人間が、大勢の人を守れるとは到底思えない。
俺たちみたいに何も持ってない人間は、こういう「上級国民」たちのズルさを見るたびに、本当にどうしようもない気分になるんだよ。俺らが同じことしたら、速攻で人生詰むのに、なんであいつらだけは許されるんだろうな。なんか不公平すぎない?
共働きの30代の主婦。結婚して5年になる夫との関係に、最近少し悩みを抱えている。原因は、夫の清潔感と私の感覚とのギャップだ。
夫はとにかく几帳面な性格で、家の中が少しでも汚れていると気になって仕方がないタイプ。床に埃が見えるとすぐ掃除機をかけるし、シンクは使うたびに完璧に磨き上げるのが彼のルール。一方の私は、必要なときに掃除すれば十分だと思っている。毎日家全体を隅々まできれいにする必要はないだろう、と。
そんな私に対して、夫はよく「ちゃんと掃除した?」と確認してくる。棚やテーブルの拭き残し、トイレの隅の汚れ、キッチンの水滴一つまで見逃さず指摘されると、正直うんざりしてしまう。私は仕事で疲れている中で、自分なりに家事を頑張っているつもり。それでも、夫の基準に届いていないようで、いつもどこか責められているような気分になる。
夫は「家を清潔に保つのは二人の責任だ」と言うけれど、私はそこまで細かいことを気にする余裕なんてない。たまに「少しくらい見逃してくれてもいいじゃない」と思うこともある。でも夫は譲らない。お互いに家事を分担している以上、片方が「ズボラ」だと不公平だと感じているらしい。
夫婦としてうまくやっていきたい気持ちはあるけれど、この清潔感のギャップがじわじわと二人の間に溝を作っているような気がして不安になる。どうすれば、夫と価値観をすり合わせられるのか。この問題をどう乗り越えればいいのか、答えが見つからない。
本当の敵は年収2000万円以上の資産管理法人を持ってる奴らなんだよな。
「不動産投資のリアルルール 上海摩天楼」という本を読めばわかるが、資産管理法人で節税しつつ経費である程度は飯代が出せ、仕事に必要であれば車も減価償却の対象にでき、取締役の年収を100万円ぐらいに抑えれば、福祉も受けることができる。
それでいて納めるべき税金は2000万円の資産管理法人で、1000万円ぐらい経費として使い、1000万円の所得がある場合、
合計、238万円で済む
普通に給与所得として納めた場合、866万円払わないといけない
こういう点で不公平感はある。
もちろん、株式会社だと設立登記に15万円、解散の登記に4.1万円、解散に伴う債権者保護手続きがいるので、そのための官報公告に4万円かかる。
しかも、すでにお金を借りてる人にはそのことを別途通知しないといけないので、配達証明郵便とかでやるにしてもある程度の金はかかる。
そりゃ被害者は歪むわな、人間不信になったりトラウマ抱えたり感情表現がめちゃくちゃになるかそもそも無くなったり
普通の人が怖がらないものを怖がったり、普通の人が気にしないことを病的に気にしたり、その他色々と壊れる
それに反して、イジメやった側は殴ったり嘲り笑うことでドーパミンやその他いろんなモノが脳内に放出されて、ぐんぐんと脳が発達して成功しやすくなるんだろうな
だから性根は歪みきった醜悪なクズでも、脳そのものは健康、さらには要領も良くて人に好かれやすいとまできた
一定の人間はクズやサイコパスに惹かれるそうだし、まず本性隠して良い人のフリするのも上手いだろうからな、いっそ「覚えてすらない」から後ろめたさを抱いてもいないまである
被害者側は多感な時期の人生奪われて、不可逆の歪みを背負わされて、一生苦しみながらもがくのに
加害者は明るい道を笑いながら、異性の伴侶と複数の友人や部下を引き連れ闊歩する
被害者が加害者を責め立てても、もう忘れてたり「昔のことだろ?いつまで根に持ってんの?」と無関係なモブ共と一緒に開き直り
被害者はトラウマ治療の為に自分の中のインナーチャイルドあやしてなんとか自分を肯定しようとしても、限界ってのがあるんだわ
脳に傷を負わされてるのに、「許してやれ」「昔のこと」「しつこいぞ」「そういうとこだぞ」と
社会全てがもはや敵だろ、何も信じられないわ
クソだよ、世の中
俺や、俺以外のそういう人たちは、最後まで踏みにじられてろってか
それか怒りを手放し「許してあげる」事で、相手を聖人君子様にしろってか
やってらんね
面倒なのでAIちゃんに回答書いて貰いました、何度もやってる話題なので省エネ
皆さんは、みんなでご飯を食べる時、好きなおかずだけをたくさん食べたいと思うかもしれません。でも、みんなが同じおかずばかり食べていたら、他の美味しいおかずは残ってしまうし、お腹を壊してしまう人も出てきてしまいますよね。
社会も、みんながそれぞれ違う「おかず」を持っているレストランのようなものです。例えば、
みんなが持っている「おかず」は違いますが、どれも社会を豊かにする大切なものです。
例えば、「Aさんのおかずは、Bさんのおかずより美味しくないから、Aさんの意見は聞かなくていい」と言ったり、「Cさんの持っているものは、Dさんの持っているものより価値がないから、Cさんは大切にしなくてもいい」と言ったりすることです。
差別をなくすためには、みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことが大切です。
差別は、社会全体にとって良くないことです。みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことで、より良い社会を作ることができます。
現代社会における倫理的基盤は、人間の「尊厳」という抽象的概念に深く依存しています。人間は単なる物理的存在ではなく、意識と自己認識を持つ存在であり、その尊厳は一人一人が内包する不可侵の価値として社会の基本的な原則に組み込まれています。これを理解することは、知的な思考能力を持つ者にとって、社会の健全性を理解するための前提であり、個々人の行動基準を形成する上で不可欠な要素です。
社会の制度は、この「尊厳」を根底に置き、全ての人間が平等に扱われるべきであるという思想に基づいて構築されています。差別はこの尊厳を無視し、ある人々を不当に劣位に置く行為であり、その結果として社会全体の秩序が崩れる可能性があることを意味します。人間社会において抽象的概念を理解できることは、単に知識的なスキルを示すものではなく、社会全体の運営に対する責任感を伴う倫理的な能力を示しています。
抽象的思考能力が高い者は、「尊厳」や「平等」などの社会的概念を理論的に理解できるため、差別的な行為を避けることが期待されます。これは、知的能力が高い者が社会的なルールや規範を認識し、それを遵守することで社会全体の安定が保たれるためです。知的な成熟度が欠如している場合、その人物が社会で適切に振る舞うための教育的支援が必要であることは言うまでもありません。しかしながら、知識を持つことだけでは必ずしも倫理的行動が保証されるわけではなく、知識をどのように活用するかが重要です。
知的なものへの過度な憧れがある人物が抱える問題の一つは、知識を「優越性」の証として捉える傾向です。このような人物は、知識や学問を持つ者こそが社会的に価値があり、そうでない者は劣位にあるという誤った認識に陥りがちです。しかし、この考え方こそが差別的態度を助長し、結果的に社会の公正性を損なう原因となることを理解しなければなりません。知識は単なる道具であり、それ自体に優劣はないことを認識することが重要です。
差別が行われると、その影響は個々人にとどまらず、社会全体に波及します。差別を受けた側は自己価値を低く見積もるようになり、社会的な参加意欲を喪失することが多く、社会の一員としての積極的な貢献ができなくなります。これにより、社会の生産性や創造性は低下し、全体の発展が阻害されます。さらに、差別を行う側も、その行為によって倫理的な成熟を欠いた存在となり、最終的には社会的な信用を失うことになります。
抽象的思考に基づく社会的判断ができる者にとって、差別を避けることは単に倫理的義務であるだけでなく、社会的責任でもあります。社会における公正と平等の原則を理解し、実践することが、より良い社会の構築に寄与することは明らかです。
差別は社会秩序と個人の尊厳を損なう行為であり、その行為がもたらす不公平と不利益は社会全体の成長を妨げる結果を招きます。知的なものへの憧れを持つこと自体に問題はありませんが、その知識を用いる際に他者を不当に評価し、差別的行為に結びつけることは決して許されません。知識を持つ者は、社会全体の調和を維持するために、その知識を適切に活用し、全ての人々の尊厳を守る責任を負っています。
ーーー
関連増田:https://anond.hatelabo.jp/20230122083219#
この2つはすごく共感できる
>別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。
>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。
>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。
>ひとつの理由は合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。
>もうひとつの理由は抽象的思考だ。どういう立場の人間の尊厳も尊重すべきというフィクションに現行社会制度が立脚しているのを理解しているから。
そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものをバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。
共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな
ここが YES になっちゃうようなら、ペットと共生なんて出来ないし、人間に限定しても道徳も社会規範も刑法も要らないんだなぁ
○○をしたら自分が社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物の社会化に成功したと言える
動物にだって理解させることが出来るんだから人間が理解できないわけないじゃない
これを理解させることがすべて保護者の義務だし(なのでメンヘラや開き直りDQNは保護者として不適格なことが多い)、
フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃんと認識をしていて
『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ
CU特性
あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場の人間の尊厳も尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない
アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、
福沢諭吉の大学の出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?
あとアカデミアの人間なのに自身のバックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、
それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外の学会で同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?
こういう人たちは一刀両断でバカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います
ただただひたすらにバカなだけで
こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな
国民民主党の玉木雄一郎代表が元グラビアアイドルでタレントの小泉みゆきとの不倫を認めたことを受け、高松市観光大使を委嘱している香川・高松市は12日午前、今後の処遇について「本人サイドと連絡が取れておらず、事実関係を確認している」と現状を説明した。もし小泉が観光大使を解任となれば、政党の代表を引き続き務める玉木氏との処分の差を巡り、“不公平”との議論が起きそうだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce6bc37682ca8cc510a80bb98c0aae83b3477378
お得意の「玉木と非常に親しい女が急に自殺する」が発動か?
人類が宗教や信仰について考え始めて以来、神の公平性と偏愛の問題は常に議論の的となってきました。
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」というこの言葉は、多くの人々が密かに感じている、しかし口に出すのをためらう思いを端的に表現しています。
多くの宗教では、神は全知全能で公平無私であるとされています。すべての信者を平等に扱い、誰も差別せず、すべての祈りに耳を傾けるという考えは、信仰の根幹を成す重要な要素です。この考えは、人々に希望を与え、正義の観念を育むのに役立ってきました。
しかし、現実の世界を見渡すと、人々の間に不平等が存在し、ある人々は他の人々よりも恵まれているように見えることがあります。これは、以下のような形で現れることがあります:
これらの現象を目にすると、「神は一部の人々を贔屓しているのではないか」という疑問が生じるのも無理はありません。
しかし、この「贔屓」という感覚は、必ずしも神の不公平さを示すものではないかもしれません。むしろ、以下のような解釈も可能です:
1. 試練としての不平等:困難を乗り越えることで成長の機会を与えられている
2. 自由意志の結果:人間の選択の結果が不平等を生み出している
3. 大局的な視点:個人の人生を超えた、より大きな計画の一部である
4. 人間の理解の限界:神の意図を完全に理解することは人間には不可能である
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」という言葉は、人間の視点から見た世界の不公平さと、神の公平性という理想の間の緊張関係を表現しています。この問いに対する答えは、個人の信仰や哲学観によって異なるでしょう。
重要なのは、この問いを通じて自分の信念を深く考え、他者の経験や視点を理解しようとする姿勢を持つことかもしれません。そして、たとえ「贔屓」があるように見えても、それぞれの人生に意味と価値があると信じ、自分にできることを精一杯行うことが、この難解な問いに対する一つの答えとなるのかもしれません。
この文章では「非モテ」や「弱者男性」という言葉が一括りにされ、特定の悪い行動や態度が当てはめられています。しかし、恋愛がうまくいかない理由や人それぞれの生き方には個別の背景があります。経済的に苦しい立場にいる男性もいれば、単に恋愛が苦手だったり、社会的スキルが発展途上の人もいます。「非モテ」だから「風俗に行く」「暴力を振るう」「女性を物のように扱う」といった主張は、実際には多くの人に当てはまらず、一部の例を一般化しているに過ぎません。
現代の恋愛は、経済的安定や社会的地位が関わる場面が多く、経済的弱者や非モテ男性がその影響を受けることがあります。恋愛における平等な関係を築こうとしても、現実には経済や外見、社会的地位が要因となってうまくいかないこともあります。そうした状況から生じるフラストレーションを「女を憎む」という一言で片付けるのは、不公平で理解不足だといえます。
文章の中では、「モテる男は女性に対してスマートでリスペクトがある」とされていますが、モテるか非モテかはその人の性格や価値観だけで決まるものではありません。見た目、社会的なステータス、他者からの評価、過去の経験といった要因も関係します。「モテる男を見て学べ」という意見は、根本的な原因を理解せず、表面的な対応を押し付けるようなものです。恋愛において、全ての人が同じ方法でうまくいくとは限らず、それぞれに合ったアプローチが必要です。
4. 「女を憎む」という決めつけの危険性
「女を憎む」という表現は、実際には多くの男性の気持ちを正確に反映していない可能性があります。非モテや弱者男性が抱く感情の多くは、むしろ自己嫌悪や孤独感、社会的な疎外感に近いかもしれません。恋愛や社会的なつながりがうまくいかないことから生じる不安や不満が、他者への敵意として捉えられる場合もありますが、これは複雑な問題です。表面的な行動だけで内面を決めつけることは、状況を悪化させかねません。
解決策として重要なのは、偏見やレッテルを張ることではなく、孤独や不安を抱える人に対して理解やサポートを提供することです。非モテや弱者男性が恋愛において尊重されるためには、社会的な支援や教育、心理的なサポートが求められます。