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2024-05-14

声優雑誌ソースに話をしたら

声優雑誌なんてキレイゴトばかりだろ、そんな記事信じてるとかおめでたいヤツだな」と言われた

おめでたくて結構だが

2024-05-12

剥がせるテープ

なんか雑誌とかこれでとめてあるけど、漫画雑誌とかだと表紙ペラペラからやぶれちゃうんだよな。

ほんまイライラする。

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

anond:20240512003820

まんがはカンブリア爆発並みに何でもありで、低予算で作れるんだなーアニメ化ゲーム(≒ソシャゲ)は予算が桁違いなんだなーというのがわかる

訳あってきらら系(雑誌)を何十冊か読んだが「ジャンル」でくぎると元増田の視界に入っていない作品があった

Youtuber・・・ 街歩き・街の意外な〇〇発見レポート配信する系Youtuber美少女キャラクター数人 メイン配信者とリアクションキャラクター達)

 多いのはファンタジー系(魔王妖怪サキュバス…) ファンタジーものは出尽くしたのでサブ要素が差別化になってる

 魔物×コンビニ店員とか異世界×サウナ

 あと多いのは飲食系 カレー作り部×二次元美少女群 パン屋さん×二次元美少女

増田の指摘のうちのサブジャンルとしては

 絵描き学生ものの中の「エロ絵追及特化もの

比較的珍しいものでは

オタ婚活まんが「結婚3次元でもできるんですか?」

クトゥルー×2次元美少女群「SAN値直葬 闇バイト

スポーツチャンバラ×二次元美少女群 なんていうのもあった

2024-05-11

台所で過ごしたい。料理を楽しみたいとかそういうものの例えじゃなく、マジで広い台所生活空間として利用してくつろぎたい。 押し入れを秘密基地にしようとする欲求に近い。

テレビでも置いてダラダラと映画観たり、ダイニングチェア腰掛けギターでも弾いたり音楽かけながら雑誌を読んだりしたい。

映画に出てくる古き良きアメリカ白人家庭の母親昭和団地のプロパガンダ映像に出てくるサザエさんみたいな専業主婦にように台所で過ごしたい。

学生生活下宿先を探してた時、妙に気になる物件があった。1Kっつったら大体ワンルーム廊下の間に仕切りがあるか無いか問題しかないけど、そこはキッチンがえらい広く取られててなんか妙に魅力的に見えた。そこでくつろいで過ごす姿がぱっと思い浮かんだ。SUUMO情報なんか全くアテにならないから入居は出来なかったけど。

今思えば要するに1DKと呼ぶのが適切な物件が1Kの検索結果に紛れ込んでいたのだろうけど、未だになんか憧れがあるぜ。

はてなーに「食の多様性」はまだ早いらしい

例の漫画ブコメを読んでゾッとした。

その中でも象徴的なのがコレ。

現実にこの量食う女、鈴木もぐらみたいな体型で体臭が油の酸化した生臭い匂いになってる上に吹き出物が多そう。

現実にこれぐらいの量を食っていてスリムフードファイター達がいるのは知っているだろうに、それを完全に無視

ギャル曽根クラスファイターはある種の消化器不全が疑われているのは事実だが、それでも彼女たちにとっての「現実」として「物凄い量を食べてるけど太らない」いうのが確かにあるのに。

自分の考える「常識的食生活」に全ての人類を引きずり込み個々人の食生活をそのせまくるしい価値観で断ずる異常性に気づくこともない。

ドカ食いよりもお前らの価値観と見識の狭さの方が間違いなく異常だよ。

「こんなに食べて太らない人とかいない」だっておwwwwwww

珍しいだけで実在してますけど、この人達フィクションなんですかね?

陰謀論的な考えのもとに「テレビ雑誌が作ったフェイクまみれのリアリティショー」だとでも思ってらっしゃる

実際に大食い大会を見に行った人は幻覚剤を投与されて偽の記憶を植え付けられていたとでも???

まじでさ、お前の勝手に決めた体質のストライクゾーンに入ってない全てを勝手フィクション断じてるんじゃねえよ。

生理が重いから体育休んでる女子は仮病、鬱病は甘え、地毛が茶髪日本人はいない、そうやって勝手な押しつけを繰り返してきた歴史をまだ続けるのか?

いい加減にしろよ。

言い方ちょっとふざけてるけど、割とマジでキレてますからね。

常識の押しつけってのは要するに不当な差別なんだよ。

女性性的消費が~て言うけど

女性向け雑誌で胸元あけたイケメン同士がボディタッチしてるのは性的消費じゃないのか?ってのはいっつも思う。それを見たって女は性犯罪模倣をしない、すぐに模倣して現実の女に性加害をする男とは全く違うと言われれば、誠心誠意謝罪はするけど。

さがしています

90年代終盤から00年代の前半くらいまでだとおもうのだけど、美術作品現代アートで、クマぬいぐるみからイヤホンを表皮の全体に生やして、中に何個かのラジオを仕込んで、それぞれ全て異なる放送局に選局しておく、普段は雑多な放送内容が相互邪魔してノイズのようにしか聴きとれないが、時報の瞬間だけは音が揃う…

てな仕組みの作品情報を捜しています

当時、実際に展覧会に観に行ったような、それとも美術雑誌か展示予定チラシの解説で知ったのか、もう忘れてしまいましたが、その外観写真のなかなか強烈な印象は今でもときどき思い出すことがあるくらいです

どなたか御存知ありませんでしょうか?

2024-05-10

Web広告業者が滅びたらインターネットはもう少し平和になると思う

テレビCM雑誌広告にはたまに見たい広告があるけどweb広告を見て嬉しいと思ったことなんて一度もないんだが

どうにかできんかな

2024-05-08

anond:20240508232503

でもピーター・「ゲイブリエルで統一したら『ピーガブ』っていう洋楽雑誌での伝統的な略称が通じませんよね?

anond:20240508131638

男の裸体をかっこよく・美しく描いて商業性を持たせるの難しそう

と思ったけど男性アイドル半裸になって筋肉見せてる雑誌の表紙とかいくらでもあったわ

リアルの方がいいだけだな

anond:20240508130438

僕が下着売り場のマネキン食品雑誌広告と同じ熱量で眺めてても不審に思わないなら君の言う事も一理あるかもしれない

2024-05-06

漫画が完結まで読めない

いやまあ別にいいんだけど、なぜかマンガが完結まで読めない。

直近で読んだのはゴールデンカムイくらい。

これは期間限定無料だったから「この日までに読まないと!」ってのがあったからみんなとフィナーレを迎えられた。

完結を見届けたマンガホントに少ない。

いつか最終巻を買わなくちゃな…って義務みたいに思ったまま何年も経ってもう本屋で見つからない、みたいなのが続いてクセになったのか、電子書籍使い出しても治らない。

実際、お金もないしな。同じお金使うなら新しいマンガ読みたい。

単行本発行部数ってどんどん下がっていくものみたいだからオタクじゃない一般の読者なんて割とそんなもんなんだろうけど。

雑誌時代自動的最終回がきてたから良かったなぁー。

自分の手で作品を「終わらせる」のもなーんかイヤというか尻込みしてしまうんだよな。気合いが必要っていうか…キャラたちとお別れするのが寂しいのか?

からなのか「ガラスの仮面はよ完結してくれ!!」みたいなのもイマイチ共感できないでいる。

もちろんベルセルクみたいに未完で作者が亡くなったら悲しいけど、それは作者が志半ばでさぞ無念だったろうなっていう種類の悲しさで、続きが読めない!!っていうのとはちょっと違う気がする。

彼は何年かに一度誌面を大幅リニューアルし、古い読者の「卒業」を促すのだとおっしゃっていました。

そうしないと専門誌のコミュニティは閉鎖的な「村」になってしまって、あたらしい読者が入ってこなくなる。

あたらしい編集部員も育たず、やがて雑誌全体が小言めいた年寄りの集まりになって衰退の一途をたどる。

2024-05-05

「虎に翼」で昭和初期の女性ビールを飲むのはおかしいという論評

「虎に翼」はパルワールドポリコレアフロディズニーみたいにいくら火付けしても表自が怒らない作品

昭和10年女子は本当に「ビールを飲んでいた」のか…朝ドラ『虎に翼』の根幹につながる「違和感

>4/27(土) 9:02配信

>第16話、ヒロイン寅子が大学の本科に進んだのをお祝いして、家で祝杯を挙げていた。

>寅子の母もビールを飲んで少し酔っているようだった。

>はて。

昭和10年に、男たちと同じように女性が酔うほどビールを飲むだろうか。

>はて。はて。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3f7838613cba09c314c67667d21f40e034684fb2?page=1

ビールを愛した近代日本の人々

雑誌制作息抜きビールを嗜んだ女性解放運動家・平塚らいてう

>(ひらつか らいちょう)1886-1971/東京都出身

彼女らは打ち合わせや仕事のあとに、息抜きとしてしばしばビール洋酒を楽しんだ。珍しい洋酒を一目見たいという好奇心からバービアホールへ出かけることもあったという。そして、そこで供される黄金色にきらめくビールや、比重の違う5種類の洋酒によってグラスに色とりどりの層をつくる「五色の酒」などに目を輝かせた。こうした色鮮やかな西洋の酒の中に、新時代空気を感じ取っていたのかもしれない。

https://museum.kirinholdings.com/person/kindai/26.html

明治女性はすでにビールを飲んでいる

女性向けっぽい作品に対しては急に表現の自由適用されなくなり火付けするなと普段騒いでいる人たちが見て見ぬふりをする

虎に翼もそういう枠に入っちゃってる

2024-05-03

anond:20240503104614

本屋で本が売られていた時代には、その手のテク解説するエロ雑誌が溢れていた気がする。

FPG雑誌を出品することに決めました

俺はネット単行本派には配慮しない。雑誌が発売された時点でそれは公開情報だと思う。なんだけど単行本派の人には全然通用しないのよねえ。目の前の知り合いには配慮するけど、ネット他人にまで配慮はできない

ネタバレ全く気にならん派なので殴られた方に感情移入してしまうが、ここまで気持ちは分かる派がいるのはびっくりだー。もう誰かと映画とかの話するのやめとこ。。殴られたらたまらんわ

2024-05-01

anond:20240429155635

パイリーナは、グラビアアイドルタレントとして活動している日本芸能人鈴木ふみの愛称です。彼女は、グラビアアイドルとして魅力的なバストラインで知られており、その愛称もそこに由来しています

鈴木ふみは、グラビア雑誌DVD活躍し、セクシーで魅力的なイメージで人気を博しました。彼女はまた、女優としても活動し、テレビドラマ映画に出演しています。明るくて親しみやす性格と、グラビアアイドルとしてのセクシーな魅力で、多くのファンに愛されています

鈴木ふみは、2018年結婚を発表し、グラビアアイドルとしての活動を一時休止しました。しかし、その後もタレント女優として活動を続けており、母親になった後もセクシーで魅力的なイメージを維持しています

どうしてこんなの生成されるんだろう

2024-04-30

「模魂ちゃん#70② てっきゅうプロモデラー計画 アニキ総統辛口批評

プロを目指す人の作品プロによる批評評価するという回だけど、プロがどういう理屈プロと呼ばれてるのかがわかる回

プロはここでいうと雑誌作例のプロ

大昔のガンダムセンチネルで「送り手は読者が作れないのに作れるという見せ方も、作れるのに作れないとつよがることもできたけど、僕たちはあなた達にはできないことをやってることを公言することのかわりに本当にできないことをやったの」という流れで最後に誰でもできるシリーズでほんの少しネタバレしたような感じがあった

最終的にプロを目指す人に課題があって、それは1年間改造なしで説明書通りにキットを作ることということで

ようは完成見本を作れるところが雑誌作例プロとしてのスタートラインですよという話

昨今はネットのおかげでものすごく技術センスも全体として急上昇してる流れであえてプロになるって本当に厳しいね

2024-04-28

anond:20240426232311

弱音吐く母をお前が受け入れるのか受け入れない(我慢してるけど聞きたくない)のかで話が違う

弱音を吐かない母に戻って欲しい、つまり他人を変えたいと言うなら、それは「母のため」と思い込んだ「自分のため」だよ

まぁ、一言「そういう話やめてくれ」と言えばそれ以降一切お前に愚痴こぼしたりしなくなるよ

そうでないなら話聞くくらいしてやれ

なんかしたいなら家事手伝いしろオススメは米や水といった重量物の運搬、新聞雑誌ダンボールの紐掛け&ゴミ出し、洗濯物干し、掃除機かけ、洗いカゴの食器戻し、皿洗い、風呂掃除電球の交換あたり

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