はてなキーワード: 洋書とは
素人で調べたところだと、
こんな感じで普通の人が知るのは難しそうだ。
あー難しい。洋書なんか読めねーよ。
ネットに出回ってる入門と謳う詐欺的pdfなんて教育的配慮がなさすぎて読めたもんじゃねー。
いきなり断りなくハミルトニアンとか波動関数とか使うんじゃねーよ。全然納得感がなくてこれじゃただの暗記になってしまう。
なんでその局面でそういう難しい概念を使おうと言う発想になるのかから説明してほしい。なぜその概念が正しく利用できることについてもたとえ厳密でなくてもいいからなるほどと思える説明してほしいものだ。
式が単なる記号の羅列でははなく意味をもって立ち現れてくるような説明をしてほしいんだよね。
イーマン物理物理のカギしっぽ学研だかがやってる高校からの理論物理みたいな解説が理想なんだが結晶学や固体物理学についてはそういうとこの理念が宿ったサイトが全然ねえ
条件はとくになし。
流行っていても、流行っていなくてもいいし、古くても新しくてもいい。
ちなみに僕は魍魎の匣が好き。
【追記】
3件くらいは来たかな〜と開いたらトップページに自分の記事があってびっくりした。
「貫井徳郎とかも好きだと思う」って書いてくれてた人がいたけど、症候群3部作は読んだよ。貴志祐介も小林泰三も好きです。鋭いね。
恩田陸のネクロポリスや、長江俊和の出版禁止なんかも好きだよ。
あと別に「おすすめの本」は聞いてないから価値がないとか怒らないでね。「あなたは何が好きなのか」を聞いてるだけです。
好きな本教えて貰って好き勝手読ませてもらおうと思ってたら深読みしてる人が多くて困惑だよ。深い意図はないよ…。
他の人が書いてくれた作品もリスト化して徐々に手をつけていくつもり。洋書も大好きなので書き忘れたものがあればガンガン教えてください。アルジャーノンいいよね。
あと魍魎の匣のせいか腰据えて読むような作品あげてくれてる人多いけど、ラノベもキャラ文芸も児童書もなんでも読むのでぜひ好き勝手コメントしてね。メディアワークスとか青い鳥文庫、ケータイ小説までわりとなんでもありです。
ラーン・ガイトーン・プラトゥーナム[Raan Kaithong Pratunam]
https://www.bangkoknavi.com › food
www.bangkoknavi.com からのガイトーンプラトゥーナム
2011/06/10 — ラーン・ガイトーン・プラトゥーナム[Raan Kaithong Pratunam]。「カオマンガイ」で有名なプラトゥナーム交差点近くにあるお店。
http://www.yglpc.com › uploads › 2018/08
今回取り上げる日本ガイダント事件(東京高. 判平成19年6月28日・判時1985号23頁)は,匿. 名組合に基づく分配金に係る租税条約上の所得.
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僕がまだ大学生だった頃に先生と出会った。先生と言っても大学や学校の教師ではない。私がそう呼んでるだけだ。ど田舎の裕福な家に生まれた僕は故郷の親や教師、同級生たちの俗物さに呆れ、期待を抱いて大学に進んだ。父は「息子が大学に進んだ」という誇らしさと「学問をやらせると小難しくなってろくなことがない」という相反する思いを抱えていたようだ。期待して進んだ大学でもまた学生や教師たちの俗物さに呆れていた。夏休み、やることもなくて鎌倉でぶらぶらしていた時に先生と出会い、そこから交流が始まった。
先生は私と同じ大学の卒業生だった。生まれが資産家の家らしく、30代前半だったが仕事はせずに洋書や論文を読んでブラブラしていた。先生の家には奥さんとお手伝いさんがいた。奥さんは先生よりもかなり年下で、裕福ではないものの、しっかりと躾られてきたお嬢様だった。2人に子供はいなかった。先生は学問に造詣が深く、俗っぽさもなく、僕は先生と共に人生最後のモラトリアムを過ごした。
大学の卒業が決まる頃に先生が若くして亡くなり、故郷の父も病気で亡くなった。
僕は父の財産と、遺言により先生の財産も相続した。大学の教授と友人の伝手で官吏の職に就き、若くして未亡人となった先生の奥さんと結婚し俗物な役人として暮らしている。
東京駅の八重洲南口と、地元の西日本某県庁所在地との間を往復しているやつ。前日の夕方に地元を出発して、一晩かけて東京駅に到着する頃には、ちょうど東京駅は朝の通勤ラッシュの時間帯。都会の人波に圧倒されながら、立ち食いそばで朝食を済ませる。
東京での用事を済ませたら、東京駅の地下街で晩御飯として、普段暮らしている地元では見たことが無いようなお洒落っぽいサンドイッチとかを買い込み、夕方の八重洲南口でバスに乗り込む。発車したら、窓の外をゆっくりと流れ去る夕暮れのビル街を眺めながら、晩御飯を食べ始める。都心を離れたバスが高速道路上で本格的に高速走行をし始める頃には、他の乗客たちは三々五々、毛布に包まって眠りにつき始める。車内も照明を落として暗くする。そんな中で、俺はインスタントコーヒーを飲みながら、前方の席で夜ふかしして、何をするでもなく、ただオレンジ色の照明に染まった高速道路が、前から後ろに流れていくのを飽きずに眺め続けた。
東京での本来の用事の合間に買い物に行って入手した、輸入盤CDとか洋書を携えていて少し心の中では小躍りしつつ、でも、地元に戻らねばならないから寂しくて憂鬱な気持ちもある、夜行バスの復路の夜の時間。
今では夜行バスを利用しなくなったが、時々ふと思い出す。
自由な時間がないから僕は行けないよ,お金のないことは言うまでもなく
言うまでもなく、ライトは仕様を変更したほうがずっとよいので、この件に関してご理解をいただきたいと思います。
御社から欠陥品を受け取ったのは今まででこれが初めてで、言うまでもなく驚いています。
英語は言うまでもなく
メニューを作成する時、英語は言うまでもなく、中国語も中国人スタッフに確認するようにしております。
言うまでもなく彼の成績はどんどん下がっていった。
言うまでもなく、この水は飲料水としては適していません。
好奇の視線と、若干の殺意のこもった視線・・・言うまでもなく居心地が悪いことこの上ない。
彼女は英語は言うまでもなく、フランス語やドイツ語も話すことができる。
彼は贅沢品は言うまでもなく、日用品を買うのにも事欠く。
学がある人はそつなくこなしているのだろうが、学がないので困っている。
洋書を読めと言われるけど、Amazonで新書で表示すると、玉石混交になる。
コメントが当てにならなくなっているのは英語のAmazonでも変わらない。
米国の大学の授業で取り上げられた書籍はとりあえず当たっている。
中国語に翻訳された洋書は、中国で必要だと判断されたものだと思って、元の洋書を当たるって方法もやっている。
Twitterの日本語圏では話題にならない。中国語書籍もネットで調べられるが、こちらもどれが良いのかわからん。
コメントを読むと印刷品質を問題にしていて、内容がどうだとかは一番始めに出て来ない
洋書だとわりと顕著かも
Harry Potter and the Philosopher's Stone
Harry Potter and the Chamber of Secrets
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban
とか
ダレンシャン
Cirque du Freak: A Living Nightmare
Cirque du Freak: The Vampire's Assistant
Tunnels of Blood: The Saga of Cirque du Freak
とか
A Wizard of Earthsea: The Earthsea Cycle
The Tombs of Atuan: The Earthsea Cycle
とか
三体シリーズ
The Three-Body Problem
The Dark Forest
Death's End
とか
東京神田の神保町は日本随一の本屋街として知られていて、それぞれに専門分野を持った古書店が集まっている。
ちょっと昔の東京ガイドブックを見ると、日本の知がここに集まるなんて紹介の仕方がされていたものだ。
そんな神保町も、さまざまな変化のせいで、どうやら専門書街ではなくなりつつあるという話。
かつて神保町には洋書の専門店がたくさんあった。とくに目抜き通りの靖国通り沿いには、神保町を象徴するかのような老舗の洋書専門店がある。けど最近の神保町では、洋書専門店は絶滅危惧種だ。
そのうちの一件は、今年になってから金土日のみの営業になった。「コロナ禍による人員削減」と貼り紙が表にしてある。
もう一件の洋書店は、建物は壮麗だが、実態はもう洋書店ではなくなりつつある。店に入ると一階は児童書コーナーを兼ねたカフェになっている。洋書コーナーは2階にあるが、店内から直接行くことはできず、脇の小道から上がるようになっている。
やっとのことで入り口を探し当て、2階の小さな洋書コーナーに行くと、さまざまな本が分類もメチャクチャなまま棚に押し込めてあり、まともには探すことができない。ひと昔前に比べると、本を売ろうとする意志が感じられない。この部屋で場所をとっているのは、店舗用のディスプレイ向けに売っている古い洋書だ。つまり、読むための本ではなくて飾るための本を売っている。
かつては英語書籍の専門店だった別の店の跡地には、骨董品と古本を一緒に売る店が入った。ヴィレバンのおじいちゃん版みたいな店だ。この手の店が神保町で増えている。本だけでは食べていけないのだろう。
神保町が今のような状態になったのは、つい最近のことじゃない。何年もかけて続いてきたプロセスにコロナ禍で拍車がかかったと言えばいいのだろうか。
それにしてもなんだか寂しくなったなという気はする。かくいう自分も、英語の専門書を読むときは海外の大学の図書館にアクセスして電子書籍で読んでいる。自分みたいなやつが増えたから神保町がこんなになったのだろうか。久しぶりに洋書を買おうと思ったら肩透かしを食らったような気がしながら神保町を後にした。