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はてなキーワード: ファミリーマートとは

2019-02-19

セブンイレブンも早くQRコード決済を導入しろ

最近コンビニファミリーマートローソンでの買い物が多くなった。理由として最近流行っている QRコード決済が導入されている店舗からだ。

QRコード決済の代表としてPayPay、LINE Payなどがある。どちらも今キャンペーンシェアを争っていて使用者に対して最大20%の還元保証している。

要するに実質20%OFFで買い物できるわけだ。

から便利なのだが、一つ不満がある。私の家から最寄りのコンビニが2件があるのだが2件ともセブンイレブンなのである

しかもそのうち一件のセブンは歩いて30秒のところにあるので非常に便利だ。

しかしそのセブンイレブンなのだが、何よりも残念なのは QRコード決済(PayPay、LINE Pay)に対応してないということである

から無理をしてまで私は徒歩10分の場所にある最寄りのファミリーマートまで歩いて買い物をしなければならない。

これは非常に面倒くさいこである

そもそも全国に2万点以上あるコンビニ業界大手セブンイレブンがそのようなQRコード決済に対応していないということ自体おかしいことだと思う。

どうやらセブンイレブン独自に、新しいQRコード決済「セブンペイ」なるものを、今夏に導入しようと考えているらしい。

はっきり言ってその頃になるとPayPayでも LINE Payでもすでに国民に十分浸透し主流となっている思う。

今更夏になって独自QR決済導入してもあまり利用者が増えないと思われる。そんなんなら今でも遅くないからPayPayになりLINE Payなりさっさと導入するべきだと思う。

何よりも私みたいに最寄りがセブンイレブンコンビニの人が大勢いるであろうそういう人のためにさっさと導入するのを切に願うのであった。

2019-02-10

バイトテロ未来への希望

ブラックで有名な以下企業バイトが一斉にテロを起こすべき。

ワタミ

すき家

セブンイレブン

ファミリーマート

ローソン

マクドナルド

すかいらーくグループ

とかで起これば、最低賃金は引き上げられる。

そうすれば実質賃金は上昇して、消費は増え景気は回復する。

2019-02-06

ファミリーマートこども食堂について

こども食堂」って言葉から子供貧困」を連想すると見誤るところがあると思う

あれで主に支援されるのは親(保護者)だと思うんだ

ファミマホームページを見てもらえば分かるけど、ファミマこども食堂保護者の同伴が原則で、子供一人で来る場合保護者承認必要なんだそうだ

この時点でメインターゲットは子供自身じゃなくて親でしょ

まあ保護者中学生以上ってなってるから中学生の子が弟や妹を連れて参加するケースもあるだろうけど、基本的には親がついてくるのが前提になってる

んで、ちょっとした職業体験イベントもついてくる

要はこれって子育て世代ターゲットにした、色々とお得なプチイベントなんだよね

定員が10名ってとこから考えても、事前に応募して、参加希望者が多かったら抽選って感じになるんじゃないだろうか

家に食べ物が無くてお腹ぺこぺこな子や、ネグレクトされてて食事を満足に与えられてない子が、ふらっとファミマにやってきて食事を取れるというものではない

おそらく開催頻度もそんなに高くないんじゃないかと思う

店舗にもよるだろうけど、多くても週二回くらいなんじゃないかな(でないと品出しなどの業務に響くから

多分、ファミマこども食堂子供貧困対策って意味ではそこまで機能しないと思う

それはファミマ本部も分かってやってるとも思う

じゃあファミマこども食堂意味が無いのか? って言ってたらそんな事は無い

子育て支援って意味では凄く効果があると思う

子供の面倒見ながら食事を作るのってすっごく大変だから

俺は子供どころか配偶者の影すら無いけど、従姉妹の子供をうちの家で預かる事がたまにあるから多少はその苦労が分かる

惣菜や冷食なんかで回すのにも限界があるしね

定員があるから利用できないケースもあるだろうけど、それでも子育て世代には結構ありがたいサービスだと思う

子供貧困へも直接的には弱いとしても、間接的な支援には十分なると思うしね

あとファミマの側にしてもメリット結構あると思う

賛否両論あるにせよ、全体的にはイメージアップになるのは間違いない

個人的には商品開発にも役立てたいって思惑があるんじゃないかと思ってる

味や風味はもちろん、子供が食べやすい容器などを考える上でも、実際に子供が食べてるところを直に見れるって大きいと思う

弁当やお惣菜場合、そういう機会って意外と少ないんだよね

多分、本部の方でこども食堂専用のスタッフを用意して、その人達巡回して各店舗支援しつつデータも集めるって感じなんじゃないか

フミコさんが試算を出しててくれてたけど、話題になってことでの宣伝効果などを含めると、ファミマにとってそこまで大損ではないのかもしれない

個人的には企業のやることとして考えるなら慈善事業一辺倒よりも、全体として見ればメリットの方が勝るという判断であって欲しい

その方が営利企業としては健全だと思うから

2019-02-02

ドコモ契約回線で「ログアウトいたしました。再度ログインしてください」とエラーが出てしま場合spモードでの接続必要なので注意!【d払い】ファミリーマートで先着100万杯限定プレゼントキャンペーン

d払いがWiFi接続オンリーで使えなくなった

決済情報モバイル空間統計と組み合わせようってことなのかな

2019-01-22

ファミリーマート「成人向け雑誌」の販売中止を決定 「取り扱いをやめる方針はない」から夜明け一転

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1901/22/news106.html

セブン-イレブン」および「ローソン」が相次いで成人誌の取り扱いを中止する発表を行う中、1月21日時点では「取り扱いをやめる方針はありません」との回答をしていたユニー・ファミリーマートホールディングス

1月22日に決定したという販売中止の理由については、「2018年4月から直営店を含む国内約2000店で取り扱いを中止しておりますが、これをさらに拡大いたします」女性やお子さまのお客さまに、安心してお買い物をしていただける店舗づくりをさらに進めるとともに、2020年オリンピックパラリンピック2025年大阪万博等の開催を控え訪日外国人の大幅に増加していること等を踏まえ、中止することといたしました」と明かしています

 あと残ってるのはどこだ……?

2019-01-01

買って良かったもの2018

無印良品スプーン

商品名不詳。カレー用の奴より一回り小さくて先端のカーブが緩いやつ。縁がなめらかに作られていて一般的スプーンよりも口当たりと手に持った感じが良い。確か300〜500円くらい。

プリングルスポテトチップス

商品名不詳。チーズバーガー味。オレンジ色パッケージファミリーマートしか売っているのを見たことがない。しかサイズは小のみ。マジで恐ろしいくらチーズバーガーの味がする。確か200円くらい。

DAHONのroute

ほんのチョット良い折りたたみ自転車タイヤが小径の自転車20インチ。なめらかに漕げる、進む。運転楽しい。買ったのは4年以上前だが消耗品以外の故障なし。確か40000円くらい。

2018-12-08

ATM検索

手数料無料検索できるようにしてほしい

あと

土曜14時以降に手数料108円が216円になる一部のファミリーマートも赤枠で注意表示が出るようにしてくれ

2018-12-05

anond:20181205155130

ビックヤマダファミリーマート業界シェア3割以上はカバーするように布陣しているくさいので、選択肢は減っているけど選べないほどじゃないってのがミソやろな。

2018-12-03

(ファミチキをください……)

(近くにファミリーマートが無いんです…)

(通勤途中にも無いんです……)

(ファミチキとLチキ、ナナチキを比べてみたいんです…)


(くだしあ…)

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-21

[] #65-4「短くて長い一日」

穴を通り抜け、最初に目に映ったのは同じ景色

いや、“同じような景色”だというべきか。

決定的な違いはすぐに分かった。

俺たちが先ほどいた場所は、ガイド居候である家屋前。

人通りの少ない場所に古臭い一軒家がポツリとあるはずだが、それがなかった。

「シロクロの家がないね……」

シロクロってのは色の話じゃなくて、家主の名前のことだ。

そいつガイドとは別の意味不思議人間で、ひょんなことからこの町に住み着いている流れ者のはず、なのだが……。

「別の次元からね。可能性ってのは個々人の選択因果が複雑に結びついている。それらがどこかで少しでも変われば、こういうことになるのさ」

シロクロの人格は、有り体に言ってしまえば社会不適合者のソレに近い。

不憫に思った弟とその仲間たちは、そこで一計を案じる。

「シロクロは『アレコレ病』だ」と思いつきの精神病を吹聴したんだ。

それが巡り巡って嘘から出た真となり、シロクロは市民権を得ることができた。

そんなシロクロの住んでいるはずの家が、ここには、この世界にはない。

「シロクロのやつ、どこにいるんだろう……」

そう呟く弟の声が、どことなもの悲しく聴こえる。

いるはずの仲間がいないのだから当前だ。

「この世界では、そもそもシロクロはここに来ていないのかもな。或いは別のところに移り住んだか……」

可能性は色々と考えられるが、考えたところで意味がない。

そんなの分かりようがないし、分かったところで所詮は別次元での話だからだ。


…………

それから様々な場所を練り歩いた。

「向かいに住んでいるはずのムカイさんも、ここにはいないのか」

どこも見慣れた景色のようで、どこかが違うと感じさせる。

「ああ、近所のコンビニも違う。エイト・テンじゃなくて、サブファミリーマートになってる」

中華料理のところはケーキ屋になってる。なのに、その隣に建ってるケーキ屋は同じなのか……」

市長も違う人だね」

「まあ、それはどうでもいいんだが」

パッと見は自分たちのいる町と同じなのに、何ともいえない違和感

サイバーパンクというほど独特な世界ってわけでもなくて、なんというか……洋ゲーとかで出てくるニッポンみたいな感じだ。

今、まさに別次元世界を歩いているという実感と共に、居心地の悪さも俺たち兄弟に与えてくる。

「何か気持ち悪くなってきた……」

弟はそのせいで酔ってしまったらしく、足元がフラついている。

今にも倒れそうなほど弱っているように見えたので、俺は後ろから背中を支えてやった。

「あ、ありがとう……」

弟は申し訳なさそうに縮こまった。

何だか奇妙だ。

強い違和感が押し寄せてくる。

この世界もそうだが、弟もいつもと様子が違う。

ガイドに対しての態度もそうだが、何より俺に対して随分と殊勝だ。

まさか次元の弟なんじゃないかと疑ってしまうほどである

この次元突入する際は弟と一緒に入ったので、そんなわけがないのだが。

まあ恐らく、慣れない環境に緊張して疲れている、といったところなのだろう。

こいつは大雑把に見えて、変なところで繊細だからな。

ちょっと休むか」

「だ、大丈夫ありがとう、兄ちゃん

しかし俺の突拍子もない発想は、その一言でいきなり現実味を帯びてしまった。

「……“兄ちゃん”って言ったのか?」

弟は俺のことを「兄貴」と呼ぶ。

それは弟が物心つく頃から、ずっと変わっていない。

「お前、俺の弟じゃないな?」

(#65-5へ続く)

2018-10-15

[] 【9】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181015000834





予言


ホテルの日々が素晴らしいものだったとは言え、そのまま10時間まりラウンジでぼうっとするのも退屈だ。

昨日訪れたH.I.Sのホーチミン支店にまた行って、素っ気ない日本人スタッフに勧められたお土産バインミーラスクを買おう。

ホテルを出て地図確認すると、残り少ない旅のタスク、チェーを食べられる店がすぐ近くだった。

そうだ、行けるなら行っておこう。

店のあるベンタイン市場を再び訪れた。


広大で複雑なベンタイン市場で、目当ての店を見つけられず、別のお店のお姉さんにスマホを見せて尋ねると、すぐ背後を指さされた。

あ、これか

店のおばさんにメニューを手渡され、指差し注文すると、おじさんに手招きされて、プラスチックの赤いベンチを指さされた。

座ってまてという事らしい。

いい歳をして、疲れて来ると頬に掌をあてて首を傾げる癖があるのだが、おじさんはそれを観てマネして笑った。

こっちも笑う。

程なくカラフルなチェーが運ばれてきた。

その場で食べる場所はあったのだが、歩いて食べたかった。

チェーを片手に、ホテル正面の公園に戻る。

スプーンですくうと、ココナツミルクの中からグミの様に色取り取りな正体の分からないものが出てきた。

一口すると、色彩のドリーミングさに反して甘さは上品だった。

やはり、ホーチミン美食の街だ。


大した苦労もなく辿り着いたH.I.Sのラウンジ一休みしながらこの旅行記を書いていると、ベトナム人スタッフ若い日本人スタッフが近づいて、なにやらレクチャーを始めた。

「すいません」の使い所に関する話らしい。

かに日本人象徴する様でいて、いろんな場面でそれぞれ違う運用をされるよく分からないフレーズだ。

結構長い間話は続いたが、ベトナム人スタッフはしっかり腹落ちしてない様だった。


まあまあ一息つけたし、旅行記を書いていると時間も過ぎて行ったので、バインミーラスクと、追加で缶入りクッキーを買ってホテルに戻る事にした。

途中、昨日スマホしか撮れなかった中央郵便局サイゴン大教会 with マリア様カメラで撮る。

ホテルへの道すがら、ホーチミンでもう一つの近代商業ビルビンコムセンターを覗いてみる。

テナントのH & M のシャツは429,000ドン

日見サイゴンセンターシャツよりはお安いが、ホーチミンにおいてはファストファッションの値段ではない。

そう言えば、平日の昼だというのに、地べたに座った若者が辺りにはいて、一度は声をかけられた。

新卒一括採用などきっとないベトナムだ。

若者失業率は高いのかも知れなかった。


本屋を物色したのち、もう少し気になる建物もあったが、海外一人旅で軽々しく予定を変えないというのは鉄則だ。

16:00頃に戻るという約束通りホテルに向かう事にした。

失業率はともかく、異国のユースカルチャーは気になる。

ファミリーマートで運よく見つけた雑誌を買い、ホテルに戻った。


約束通りホテルに戻った後、朝に教えられた2Fのラウンジに向かう。

一瞬止められるかと思ったが、そんな事はなかった。

ただ、2Fに行ってもラウンジはない。

あるのは、スパジム、そしてプール

そう言えばスパが利用できるという様なことを言われたが、荷物をどうしようとか、湯冷めしそうとか思って、プールサイドに行くことにした。


プールサイドバーでは、お兄さんとお姉さんが笑顔で迎えてくれる。

バーカウンター前のテーブルに陣取り、マンゴー香りづけされたグリーンティを頼んだ。

フレーバーについてお兄さんが念押ししたのは、自分日本人だと分かったからかも知れない。

問題ない。

そういうのが良かったから。

プールでは5歳ほどの少女が遊んでいる。

とうとう雨には当たらなかったな。

これは勝ったのか負けたのか。


勝敗は意外な事にすぐ明らかになった。

ファミマで買ってきた雑誌を眺めていると、プールの水面に幾つもの同心円が広がる。

すぐに雨足が強くなり始めた。

What a thing!

なんて事だ!

ベトナムの事など大して知らなかった時からあった、あのビジョンそのままに、俺は今、お茶を飲みながら雨の水面を観ている!

完璧だ。

でも全然呆然とはしていない。

レインシートの下で雨に濡れてはいないのに、目が濡れてきた。

こっちの勝手な感動をよそに、雨足はますます強くなり、スコール様相を呈してきて、これは言い訳できないくらい完全な夕立だ。

夕立もきっと来るだろう」

予言はまたしても実現する事になった。

激しい雨にお兄さんはもっと奥の席を案内する。

移動しながら大声で笑った。

もう予言の書を確かめしかない。

スマホMV再生するとやはり涙が溢れて来る。

海辺の砂浜に一人寝転がる4,000年に一度の美少女は、イントロでビーチパラソルの下から立ち上がる。

場面が変わって様々な仲間が次々に現れ、共に歌い、踊る。

画面の中ではやがて曲も終盤に差し掛かり、片や画面の外では雨足が弱くなり始める。

画面に目を戻すと、アウトロで、長い黒髪予言者はまた独り、青空の下、晴れやかな表情でフレームの外に駆け出して行った。

完敗だ。


【10】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 4-5|ありのまま、恋と愛、バインミー へ >>

2018-09-05

自転車での環島(台湾1周)でのあれこれ

環島っていうのはこれ↓

https://taiwanisshu.asia/taiwanisshu-web/

台湾では自転車でやるのが流行っているらしい。

環島用のルートが制定されていることもあって、日本から観光客もやっている人が多いが

本やブログでは「自分頑張った!」的な内容ばかりで、よくわからないことだらけだったので参考になればいいなと思いメモ

ちなみに行ったのは先月。

トラブル等もあったので8日間くらいかけて踏破(ただし、2日間は電車になってしまった)

あくまでも真夏ベース情報なので、ご了承いただきたい。

あと、個人の感想なので、信用しすぎないでほしい。

なんだかんだでものすごく悩まされたのが天気。

現地のテレビ天気予報を見ても、晴れと曇りと雨と雷のマークが1カ所の中に全部出ているなんてこともあり全部役に立たない。

あっちは南国なので、毎日スコールだと思ってほしい。

対処方法としては、「朝早くスタートして、夕方前にはゴールしている」ようなスケジューリングを組むこと。

朝は比較的天気が安定しているけど、夕方になると毎日のように激しい夕立がある。

暗くて大雨よりは明るくて小雨の方がまだマシ。

自転車道といっても車道のサイドに自転車専用レーンがついているだけなので、夜の雨は怖すぎる(そして気分も落ちる)。

ブログとか読んでいると「毎日快適に走れました!」みたいなことを書いているけど、思ったより…

台湾北側台北新竹台中高雄など大都市が集中しているので、信号が多い。

郊外はまだ我慢できるけど、町の中心部はただただイラつく。

自転車用の停止線はあるけど、原付も共用だから原付に思いっきり囲まれる。

(で、たまに檳榔カスを吐かれてますますイラつく。)

台北から反時計回りで出発したんだけど、初めは川沿いの完全な自転車道だったから快適だった。

その自転車道を出た後はなかなかひどい。

台中過ぎるまでは町の中心部はひたすら我慢

南側北側に比べるとかなり走りやすい。

環島用の道路基本的には標識があるので迷うことはないんだけど、ごく稀に工事をしていて通れない。

そして、回り道がどこなのかが書いていないことが多い。

(書いてあるのかもしれないけど、地図はなく文字だけなのでわからない)

また、三貂角灯塔近辺の道は環島用の標識のとおりに行くと、漁村へ寄り道するだけなので

googleマップ等で最短ルート確認しておいた方がいい。

  • 電車と並行して走っているが故に…

線路を跨がなければいけないところは立体交差になっていることが多く無駄な坂が発生。

荷物をいっぱい積んで走っている身としては辛い。

時間節約を考えるとコンビニが一番。

毎日毎日セブンイレブンファミリーマートハイライフ台湾コンビニチェーン)にお世話になっていた。

日本コンビニと違い、イートイン文化が発達している。

トイレも貸してくれるし、疲れたならアミノバイタルを買えばいい。

塩分タブレットも売ってたし、場所によっては空気入れを貸してくれる。

何よりいいのが、コンビニ基本的にはガラス張りなので自転車盗難を見張れること。

町の食堂は「台湾きたな!」っていう気分にはなるけど、牛肉麺ばかりなので飽きる(偏見かも)。

これ以外だと50嵐やCOCO都可のようなドリンクスタンドにもお世話になっていた。

環島の自転車道と並行して電車が走っているので、どうしても疲れるようであれば電車に乗ればいい。

輪行バッグなしでも電車に入れられるけど、対応している電車が日に数本しかないので事前に調べておいた方がいい。

(ググれば詳しく書いてあるブログに行き着くはず)

自転車留めが車両の中にあるタイプ自転車を詰める貨物車があるタイプ一般車両にそのまま入れるタイプ自転車留めはない)など様々。

予約時に自転車があることを事前に言えればいいが、言えなかった場合でもどうにかなった。

環島用道路近辺のホテル自転車の扱いに慣れているのか、みんな室内に停めさせてくれた。

ダメ場合もあるかもしれないので、あくまでも参考程度に)

長期で行っていると、汚れ物がたまる

(雨でぐしょぐしょになっていることも多いし)

それなりに大きな都市24時間営業コインランドリーがあるから、そこまで衣類の予備は必要ない。

洗濯30分+乾燥機毎日ピカピカ!荷物の重量節約

  • 現地の人に声をかけられる

環島用道路を大荷物乗せて走っていると声をかけられることがある。

ただ、日本人だと思われていないので、魔法言葉「我是日本人(Wǒ shì rìběn rén)=私は日本人です」を唱えるといい。

英語日本語が話せる人は言語を変えて話してくれる。

また、対向車などに「加油(Jiāyóu)=ファイト!」と言われたり、サムアップされたりする。

台湾の方々はとても人懐っこく、親切。

ものすごく助けられた。

個人旅行で行っていたのだが、某G社がサポートする環島用のツアーに参加している人とかち合うことが多かった。

傍目から見て、「とても甘やかされていて、こんなので1周したと言えるのか…?」といった様相

まず、彼らは荷物を持たない。

着替えなどはサポートカーに積んでいるし、そもそも自転車のリペアグッズとは無縁。

自転車がトラブった場合はG社のメカニックが直してくれる。

大雨が降れば、自転車に乗らずサポートカーが適度な位置まで運んでくれる。

疲れた時も同様、運んでもらって進めばいいじゃない!という感じ。

そして、観光スポットで記念撮影

ある程度のロングライドができる体力があり、パンク交換などリペアの最低限の知識があるのであればツアーでなくても問題なし。

宿はBookingなどで予約すればいいし、地図標識googleマップでどうにかなる。

致し方ない車体トラブルが起きれば駅まで徒歩で行き、電車に乗って大都市自転車屋さんに行けば済む。

ツアーは体力がない、ウェブリテラシーがない、だけど「環島したよ!」って自慢したい人が参加するものだと思う。

ちなみに、ツアーに参加すると太るらしい。

1日8時間自転車に乗ると約2000kcal、基礎代謝が1500kcalだとすると1日3500kcal以上摂取してやっと太ることになるのだが…察してほしい

(肉が筋肉に変換されたら太るけど、それを差し引いても…)

楽しいことは楽しいです。

それは他の人の記事ブログを読んで感じてみてください。

サイクリストで時間がある人は是非!

2018-09-02

ファミリーマートに行ったら

感謝状があってお年寄りオレオレ詐欺にあって被害を受けるのを防いだとのこと。

また子供たちの塗り絵が飾ってあった。

ファミリーマートファミリーマートやったんだ。

2018-08-13

三大ウザいCM コカコーラファミマハズキルーペ

「ほら笑って世界はきっと〜」

聴いてて不快になるハーモニー


ファミマ焼き鳥すげぇ美味い」

香取の落ちぶれ感が悲しい


「世の中の文字は小さすぎて見えない!!!」を刷り込みすぎ


ドコモ殿堂入り

2018-07-26

独り身なのでファミリーマートに入るのは気が引ける

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