はてなキーワード: 矜持とは
PCの中だけは自由にできるので、音源とか映像でデータ購入できるものは全て買ってる。
そういうオタク結構いると思うんだけど、もうぜんぶデータを販売してくれないかな、ってすごく思ってる。
特に映像。アマプラとかで購入できるのはごく一部。レンタルしかないのはやむなく見たいときに都度レンタルしてる。
意味分かんないのが、ブルーレイって「個人消費のためでも」円盤からリッピングすること自体が違法化されてんのよ。
こちとらオタクの矜持として、払えるもんは払うし違法行為には一切手を出さないポリシーでやってる。
音楽はCDからリッピングとかコピーするのは(個人消費に限り)レンタルだろうと友人から借りたのだろうと合法なので
ちなみに正当に対価を払いたい欲があるので、できるだけ新品購入してるよ。すぐ手放しちゃうの悲しいけどな。
ブルーレイだとリッピングそれ自体が違法だからこの方法が使えない。
もう本当に価格とかどうでもいいから(円盤と同等かむしろ高くてもいい)データで売ってくれよ。
データで売ってくれたら絶対に配布したりできないようにセキュリティかけたっていい。
CDとブルーレイでルール違うのおかしいだろ、って騒ぐと、じゃあどっちも違法に揃えるかってなりそう。クソだわ。
いちばんクソなのは違法アップロードしたりそれを見たりしてる奴らなのは知ってる。
個人消費のリッピングまでガチガチに法でガードする前に、そいつらを厳しく取り締まれよ。
YouTubeを小一時間くらい漁れば死ぬほど検挙案件あるぞ。
国家権力はそっちを頑張って善良オタクの楽しみを守ってくれよ。
それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来を否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態に政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。
NTRの宿る瞳は風景を革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外の住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日を完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。
ある休日、幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。
世界がすうっと冷えて遠のいていく。
そのデパートは毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。
そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたのカードも、存在しないものとされるだろう。
もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地のベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚にあなたは襲われる。
開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。
だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。
営業再開初日の朝一番にあなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなたは礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。
あなたが知っているかはわからないが、あんパンはパンのなかでもっとも官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋の象徴であるパンと出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたはあんことパンを咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山でモーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。
能動と受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつの言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態を自然にすることで、わたしたちは今ある景色を転覆できる。
NTRという言葉の両義性に想いを馳せるとき、わたしは菅井の顔を思い出す。
九十年代の善き日々に、わたしはフリーランスでいわゆるNTRビデオレターのディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジションで助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。
あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターをヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手の制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。
だが、わたしのいた現場はみな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るものの矜持があり、寝取られるほうには寝取られるものの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。
独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手に発注できないような貧乏な若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。
菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークルの飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろいものがある」とVHSテープを取り出した。
それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中に寝取られる女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。
そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。
だが、菅井はそうでなかった。
それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語的表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。
押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井は酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井はサークルで、なんとなくアンタッチャブルな存在になった。
サークルの他の人間たちとは逆に、わたしは菅井に興味を抱いた。
当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。
菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちらから話しかけると意外に愛想良く応じてくれた。
彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンル、ゲームチェンジャーとなった名作の存在、業界構造まで、事細かに、しかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。
あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたとき、わたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」
菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。
部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。
男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。
ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想の夫婦といった趣に見えた。夫婦で菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。
その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井が高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。
しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバムの場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真が消失しているのに気づいた。
菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。
菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。
微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。
そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。
伯父の訃報を聞いたのは、菅井が大学の下宿へ引っ越した直後だった。自殺だった。
わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。
初日からスタオべ、中日でもスタオベ、千秋楽でもお約束の如くスタオベ…
今日の芝居は本当に立ち上がって拍手するほど良かったか?推しくんの芝居、立ち上がるほどここ一番の仕上がりだったか?本当に心の底から感動して立ち上がってしまったか?ノロノロノロノロ周り見て空気読んで波みたいに立ち上がる雰囲気、滑稽だよね
私は今日『周りが立ち上がってステージ見えなくなっちゃったから』立って拍手した。本当に心のないスタオベでゴメンね、でも関係ないか。
観客が立ってる景色、誉れだよね。板の上の人たちは何も惡くないよ。でも特別今日の芝居が最高でも無かったのに立ち上がって拍手しててごめんね。本当、顔が見えなかったから立っただけ。
一番に立ち上がった奴、自分の意志で立ち上がった奴が悪いんじゃないよ、私みたいな周りが立って見えないなってノロノロノロノロと立ち上がる奴が悪いっていうか邪魔に邪魔を重ねた結果だよ。誰に何を謝りたいのかもわからないけど、心無いスタオベしてゴメン、心込めて作った作品に心無いスタオベで応えてゴメン。
この、毎日毎公演スタオベが起こるの、2.5だけ?なんでみんな立ち上がるの?そんな立ち上がっちゃうほど最高の芝居、なかなか出会えるもんじゃなくない?じゃあ立たなきゃいいじゃん!そう!でもステージ見えないの、見えないから立っちゃうの、それだけ!ただの愚痴!矜持のない私のスタンディングがダメなの、それはわかってる!でもさ〜見えねーんだよ、ステージが!
ってほんと救いようがないよな。俺のことなんだけど。
この歳になってくるとさ、自分の周囲の同年代の友人も結婚する/したって話を聞くこともちょっとずつ増えてきた。
もちろんそれはおめでたいし純粋に祝福するんだけど、同時に自分自身に対する焦りか、自己嫌悪か、あるいは諦観か、よくわからない感情も渦巻く。
何もないのはお前だけ。
って書くと、なんだか恋愛コンプレックスとか結婚コンプレックスみたいだよな。本来そんなんじゃないはずだったんだ。
昔からアニメ・ゲームに漬かって生きてきた典型的な陰キャオタクで、恋愛とか交際とか結婚とか、自分には全く関係ない話だと思っていた。
いや正確には、都合良い言い訳ばっかり考えて目を背けてきた。自分のことを騙してきたと言ってもいい。
「俺のこと好きになる女の子なんているわけないし、期待なんて持つだけ無駄」
「今の時代、結婚して一人前とかいう昭和な価値観ではもう無いんだし」
「好きなことして生きて行く方がいいに決まってる」
…
なんと耳触りのいい言葉だ。
もちろん、それで独身のままの人生を貫いてる人もいるし、それも立派な生き方だと思う。
でも俺にはどうやらそれを貫く意志がなかったらしい。
ただ逃げの言い訳にしていただけだったらしい。
だからこうして悶々としながら匿名ネットの片隅に言葉を吐き出しているんだな。
小中学生の頃軽いいじめに遭っていたこともあって、自分のキモさは自覚していた。
トラウマになるようなひどいいじめではなかったけど、当時の俺は女の子と話すのを避けるようになった。
なんて考えていたのを覚えている。
高校の頃はいじめなんて無かったけど、女の子とはあまり話さなかった。
結局「俺に話しかけられても迷惑だろう」って考えは抜けなかったんだ。
流行りの音楽なんかも興味持ってなかったから、共通の話題もないしね。
大学、そして就職後はもう周囲ほぼ男しかいない環境だ。もちろん女の子と会話する機会なんてものはない。
なんて言ってるうちにほら、会話すらできないモンスターの完成だ。
できるのは業務的な会話と、男オタク同士の身内ノリのじゃれ合いだけ。
三十数年生きて来て、日常会話の経験値が中学生くらいのレベルしかない。
理想の女の子が空から降って来るなら別だけど、そういうわけにもいかないので、出会いの場がないなら自分が動くしかない。その通り。
でも街コン?とかそういうのには行きたくない。正確に言うと、行くハードルがめちゃくちゃ高くてしんどい。
そもそも当たり障りのない日常会話ができないのに、何をしに行くのか。
「服を買いに行くための服が無い」ってやつだ。
どっちかというと、プレイ時間の長さで敵が強化されるゲームで、Lv1のまま時間だけ過ごしてしまって詰んだ、って状態か。
レベル上げしに行くための最低限のレベルが無ぇ。これも言い訳なんだけどね。
なんだ、あるじゃん。オフ会なら当然話も合うだろうし。なんで活かさないの。
出会い目的でオフ会来たと思われるのは嫌だったし、日常会話の練習の場にしたくもなかった。
相手からしても、趣味について語りたかったのに男に色目使われるのも嫌だろう。
趣味の話題だけで終始し、そこから何かあるなんてことは無かった。たぶん今後もない。
じゃあさ、風俗とか、あるいは健全に女の子とお喋りできるお店とか、そういうの行けよ。
金さえ払えば会話の練習なんてなんぼでもできるぞ。
そうなんだよ。でも行ったことない。
仮に練習だと割り切ったとして、何を話せば良いのかもわからない。
風俗は…なんか怖い。
いや性欲自体は人並み程度にはあると思うんだけど、それはそれとして、なんか怖い。
もうね、おしまいだよ。
変えたい、どうにかしたいのならせめて変えようと動くしかないってのもわかってる。
やらない理由ばっかり探して、自分から何もしようとせず、何者にもなれない。
このまま異常独身男性を経て俺もいずれ害悪おじさんにクラスチェンジするんだろうな。
救急救命の基礎を知ってる人なら
4. 心マや人工呼吸
5. AED
という順番はうろ覚えでもわかっているはず
救急救命は時間が勝負なのでとりあえずできることをして医者や救急車に引き継ぐのがベスト。
AEDはこの中での1番遅いんだけど、その前段階を全部すっ飛ばしてAEDだけで議論したがる人は釣りか馬鹿のどちらかだよ。
救急救命という話を根本から蔑ろにしているのがわかるから苛つくし話がおっぱい止まりなんだよ
別に女性に人工呼吸するのに助平心があるかどうかなんてのは、まあ普通あるだろう。だけど救急救命ってのはそういうのがあろうがなかろうがとりあえず命を助けることを優先している。
もちろん人の矜持や本能や恐怖心はそういう善意を砕きやすいけど、社会的にそんなことで狼狽えられるのは子供くらいだからね。
いい大人がおっぱい1つ(2つか)で怖じ気づくなよ。めんどーくせいな。周りもその程度で茶化してるんじゃね〜
約得くらいにおもってさっさと心マしとけっての。
はてぶとか見てると、心マやAEDの風景に勃起してヒューヒューほざいてるガキなおっさんしか見えない。地震や多重衝突事故とかで胸の露出した女性救出するときもお前らフルボッキして囃し立ててんだろ?
いつまで「あいつ女の胸触ってんぞ〜」とか「訴えられるぞ〜」いってんの?
クリップーッス
本日は世界ロマの日、灌仏会、日本においては出発の日、忠犬ハチ公の日、参考書の日、タイヤの日、芝の日、Get Wildの日、椿寿忌、佳桜忌でございます。
釈迦が産まれた日ということで天上天下唯我独尊という言葉が横行する日でございますね。
アレって「俺という存在だけがこの世界でめっちゃすげえ」って意味ではなく「それぞれが生きてることってすげえ価値のあることだと思ってます」って意味らしいです。
金子みすゞのやつみたいですね。
ただ唯我独尊って四字熟語は、現代語訳というか現代で誤訳されて「俺だけがめっちゃすげえと思ってるバカを指す言葉」として広まってしまいました。
ただまぁ冷静に考えれば、生まれてすぐの人がそんなプライドを持って過ごしているのなら、生まれてからしばらく経ってる人にも何ミリかぐらいはそのプライドを持ってるのだからそれを軽んじていいものか?という感じではあります。
俺もすげえしお前もすげえんやでって生まれてすぐに言われたら腹が立ちますよね。
そりゃ誤訳もしたいってもんです。
でも生まれてすぐにそういう矜持を持てるのはすごいなぁと思います。
やっぱろくなもんじゃねえわ
ということで本日は【情報の確認よいか】でいきたいと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20230330181656#
酔った勢いで匿名で書けるサイトがあると知って、今、書いている。
私は夫を心から愛している。
夫といると楽しくて、顔を見るだけでも嬉しい。
お互い好きなものを違っても尊重できていると思うし、SEXの相性も良いと思う。
何年経っても夫が好きで好きで仕方がないし、仕事が終わってご飯作るのも、
(家事ができなかった夫は努力しており、たまに忘れるがそれも許せるという意味です)
お互い年齢を重ねてはいるが、夫が世界でいちばんのイケメンに見える。
出てきたお腹ですら可愛い。でも家での健康管理は私の仕事!と思い魚と肉を交互にメインに、一汁三菜、和食中心。
結婚してから、健康診断の結果が劇的に改善したのが嬉しくて、頑張っている。
でも子供が夫に似ている部分があるのを見つけると嬉しくなるし、可愛い!となる。
腹が立ってもしんどくても頑張ろう!となる。
夫に先に死なないでほしい。私は持病があるし、数歳とはいえ、年上なので先に死にたい。
夫が先に死ぬのなんか耐えられない。
それほど夫が大好きだ。
でも夫の家族は愛せない。
人にやってもらうことを当たり前だと思っている。
嘘をつき、調子の良いことを言うのが腹が立つ。
しかし、夫はそれらを捨てられない。
孫嫁、嫁、という立場で何度も進言したけれども聞き入れてもらえない。
介護においてもそうだ。
「親戚に〜!知り合いが〜!」
で結局どうともならず、私が全て手配した。
夫のおじいさんは私が嫁いだ時に「派手だ」という一点で批判してボロクソに私を貶した。
今まで何も援助も受けてない。
今やほぼ施設に入居したお爺さんのあれやこれやを私がしている。
とか言ってたよな。私が結局してるじゃないか。
と思い、ブチギレだくもなる。
おじいさんに毎週寿司を食べさせてくれ
高い牛肉を買って、炒めて持って行ってくれ
眼科に連れて行ってくれ
通院やワクチン頼むわ
私は頑張っている。自分でも思う。
おじいさんはお年寄りだし、割り切れる。
多少我儘になるのも、理解ができる。
でも姑と弟、つまりお爺さんの娘と息子、早く死ねと思ってしまう。
後遺症も残り、信用できない。
そして全部こちらに丸投げ。早く死んでくれ。
夫を早く身寄りのない人にしてくれ。
夫を愛してるからお前達が許せない。
お前達は愛せない。
メンヘラって言われてもいい。
夫が私も子供だけ愛するようにならればいい。
私は夫を愛しているけど、お前達だけは愛せない。早く死ねば良い。
何度か別の道や上を登る事を試みた事もあるし一時期独立もした
熱意がある訳ではない
この道に適正がないわけではない
でも、秀でているわけではない
思い返しても良い思い出は少ない
邪険に扱われたり、泣かされたり、鬱になったり、死にたくなったり…今でも散々なことばかりで自尊心は常に低い
そんな醜態を横目に颯爽追い抜いていく若者を何度も見送ってきた
彼らは才能という常時成長バフでグングンと伸びて生活も生き生きしていく…きっと早々に上に登ってから壁にぶち当たるのだろう
大したことない壁に阻まれて、順調な人が目にしている壁を見ることなく死ぬのだろう
別に宇宙に行きたいとか、高級車を並べたいとかそんな大きな夢じゃなくていい
叡智や強大な人体、カリスマ性がほしいわけでもない
人生を気楽に生きるための才能でいい
才能が欲しかったな…
大谷翔平、ちいかわ相手に目をハートにしてるけど決して自分はミーハーではない。
ハンドスピナーも買ってないし、バナナジュースも飲んでないし、イカゲームも見てないし、梨泰院クラスも見てない。SPY×FAMILYはちょっと見たけど合わなかった。
愛の不時着は見て、水星の魔女は最近見て、タピオカを飲みまくってツムツムもやりまくってたけどポケモンGOもやってなかったしカヌレも食べてない。
山盛りのパクチーも食べてないけど、大谷翔平もちいかわも好き。
でもヤクルト100も飲んでないし推し燃ゆも読んでないし花束みたいな恋をしたも見てない。
ちいかわのハマり方だって、ナガノ先生にリプ送ってる奴に引いてるタイプで「ちいちゃんが怖い目に会いませんように…」とツイートもしてないしかといってキッズのイキリちい虐にはちゃんとどん引きしてる。
権力者が失敗を認めず、醜い姿を晒すことが多い。有名な例では大本営発表だが、昨今でも大学や研究機関、政府閣僚や政治家も醜い姿を晒している。
その様な醜い姿は見飽きている。あの会見でのJAXAの報道官はそれに重なって見えた。
JAXAが税金を使っている以上、国民感情をいたずらに逆撫ですることは望ましくない。目の前にあの会見の場にいた共同通信記者がいたとしても、彼も税金を支払う国民の一人だ。その記者に配慮した話し方がJAXA報道官には求められるべきもの。あれでは失敗ではないと強弁としたと思われても、仕方ない。
JAXA報道官は技術者として失敗と中止を区別したかったと思うが、それでは税金に依存するJAXAの報道官としては失格と思う。
「おっしゃる通り、当日の打ち上げは失敗した。次に活かす様に努力する。」とJAXAの報道官が言えば、ここまでこじれることはなかったし、その程度の政治的発想はJAXAの報道官として持っているべきだと思う。
JAXA報道官に聞きたいのだが、”失敗と中止を区別すること”にどれほどの違いがあるというのか。技術者の矜持の様なものを、そこまで守るべきなのか。その程度を受け流せないようでは、報道官としては失格である。
あそこまで強弁すると、いろいろ邪推もしたくなる。
例えば、最近JAXAは古川飛行士の研究不正でダメージを受けたため、なんとしてでも悪い印象を受けることを避けたかっただけではないのか?
○ご飯
○調子
あの√Letterの連なるシリーズとしてリリースされた、角川ゲームミステリーの第二弾。
怪作としか言いようのない奇妙な前作とは打って変わって、手堅く丁寧な出来のADVになっていた。
売れない映像監督の八雲マックスと、新人女優のリホの二人の視点を行き来しながら、それぞれの事件の謎を追いつつ、10年前に中断されたドラマ撮影に秘められた謎を解くというあらすじ。
全7話で、単発の事件に加えて縦筋を通す10年前のドラマ撮影中止をめぐるアレコレが挟まるので、プレイ時間こそ短いもののお腹が膨れる構成だ。
主人公の八雲マックスが映像作家であることに矜持を持っていることもあり、撮影していた映像から謎解きを始めたり、撮影の色々を応用したトリックを見抜くのが独自性があった。
とはいえミステリ部分は一般常識の範疇で、どちらかというと映像作家としての生き様が縦筋に絡んでいる感じで、熱血漢の良いやつなのがよく伝わってくる。
それだけに、最後の最後、オーラスで飾らない言葉であるキャラを説得するくだりは、その道の困難さを心配こそすれど、八雲マックス頑張れ!!! と応援したくなった。
もう一人の主人公リホについては、どうしても八雲の影に隠れがちなものの、駄洒落の拾い食いと評される戯けた言葉遊びを始め、可愛いシーンが多くこちらはこちらで楽しかった。
サブキャラ達も魅力的なキャラが多く、中でもワトスン役となる、曲ちゃんはとても良いキャラクタだった。
元ヤンで就職したてながら映像編集の技術はちゃんとしており技術面でのサポートは抜群、それだけでなくだらしない八雲に礼儀や作法を教えるシーンも多く、年下オカン系と類例でまとめるのが勿体ない程度には魅力的。
道中、彼女を疑う可能性がほんの一瞬だけ示唆されたところでは、助手が犯人の古典さからというよりは、心底彼女のことを信頼していただけにすぐ終わったのがよかった。
また、無口なカメラマン金手も、メタ的なネタを使うところが面白く、楽しいキャラだった。
どのキャラも職業人としてのプライドが高く、自身の職域の範疇であれば全力を尽くすシーンが多いのが読み応えがあった。
特に曲が、八雲のため…… ではなく、新人ながら映像編集のプロとして事件時の映像からある真実を見抜くところは格好良かった。
一般人主人公のミステリではマヌケにされがちな警察の人たちもちゃんと有能なシーンがあるのも良き。(マヌケなシーンはありはするんだけども)
ルートフィルムとしての続編は難しいかもしれないが、八雲と曲のコンビを主人公としたADVならいくらでも作れそうなのでシリーズ化期待したいが、残念ながら開発会社のあれこれがあったこともあるのか発売数年ながら音沙汰がないのが寂しい。
島根県の観光要素についても、前作よりは抑え目ながらそれなりにあるのも楽しいポイント。シリーズ恒例しまねっことの交流も可愛い。
ただ、最終章までは丁寧にまとまっている良い作品だなあと思いながらプレイしていたが、残念ながら縦筋の風呂敷の畳み方だけは文量が足りなかった。
他人を操作することに長けた巨悪の掘り下げが全くなく、証拠と証言を揃えて警察に逮捕させるだけなのは物足りない。
映像作品のありように関する思想バトルに関しても、八雲マックスのマックスさで押し切るばかりで、実際にそこをもっと見せて欲しかった。
とはいえ、ここまでの道中で八雲マックスのマックスな力強さを好きになっていたので、物足りないものの不自然さや違和感やなかった。
(1/19(木) 21:15配信)
はてな匿名ダイアリーに迷い込んだクジラの「増ちゃん」。
増田やブクマカやはてなブロガーが見守る中、増ちゃんはネットの海に還って行った。
数日もすれば、誰も増ちゃんのことを話さなくなるかもしれない。
だが、増ちゃんがはてな村に来てくれたおかげで、はてなに昔の活気が戻ったことは確かだ。
コメント(352件)
・批判コメントが多くてびっくりした。人間だろうがクジラだろうが、同じ命。名前くらいつけてもいいだろうに ☆53
・やはりネットの海に還してあげるのが一番。はてな村にいてもどうせ手斧でやられるだけだった ★☆36
・問題なのはお金。はてなも経営厳しいのにこんなクジラ一頭に予算を割いていいのか。潰れるぞ ☆25
・食べたかった…… ☆39
・クジラだけにみんなほえーる(吠える)なぁ ★2☆15