「社会心理学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 社会心理学とは

2015-12-03

トラウマ恋愛映画入門 町山 智浩

インベーダー・サマー (ソノラマ文庫ネクスト) 菊地 秀行

まっすぐにいこう。 全15巻セット (集英社文庫コミック版) きら

詩羽のいる街 (角川文庫) 山本

コミュニケイションのレッスン 鴻上 尚史

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節世界帝国 (集英社文庫) 若桑 みどり

現代金融入門 [新版] (ちくま新書) 池尾 和人

日露戦争資金調達の戦い―高橋是清欧米バンカーたち (新潮選書) 板谷 敏彦

山本五十六 (下) (新潮文庫 (あ-3-4)) 阿川 弘之

井上成美 (新潮文庫) 阿川 弘之

米内光政 (新潮文庫) 阿川 弘之

心の力の魔術―驚くほどの富と幸福が得られる成功法則 ダビッド・J. シュワルツ

食卓から経済学―ニュービジネスのヒントは「食欲」にあり (ノン・ブック―先見サラリーマンシリーズ) 日下 公人

もろい青少年の心―自己愛障害 発達臨床心理学考察 (シリーズ 荒れる青少年の心) 上地 雄一郎

自己分析 ハインツコフート

死にたい気持ちをほぐしてくれるシネセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画 高橋祥友

キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書) 久松 達央

数学のまなび方 (ちくま学芸文庫) 彌永 昌吉

エロゲー文化研究概論 宮本直毅

野口英世ザベル・R. プレセット

モテないのではない モテたくないのだ! ! (アクションコミックス) カラスサトシ

遠回りまみれの青春タイプの人 福満 しげゆき

もっと! Vol.4 2013年11月号 (増刊Eleganceイブ) 水沢悦子

音楽の基礎 (岩波新書) 芥川 也寸志

ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉 アドルフ・ヒトラー

しろうと理論日常性の社会心理学 アドリアンフランク ファーンハム

AKB商法とは何だったのか さやわか

ヒトラーを支持したドイツ国民 ロバート・ジェラテリー

グランヴァカンス―廃園天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA) 飛 浩隆

ドイツフランス共通歴史教科書現代史】 (世界教科書シリーズ) ペーター ガイス

ドイツ歴史現代史】 (世界教科書シリーズ) ヴォルフガング イェーガー

大学生社会人のための言語技術トレーニング森ゆりか

ポストモラトリアム時代若者たち (社会的排除を超えて) 村澤 和多里

言葉にして伝える技術――ソムリエ表現力(祥伝社新書214) 田崎真也

滅びの風 (ハヤカワ文庫JA) 栗本 薫

大日本サムライガール (星海社FICTIONS) 至道 流星

少女マンガ表現機構―ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫岩下 朋世

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫) イタロ・カルヴィーノ

和解する脳 池谷 裕二

スティーブ・ジョブズ(1) (KCデラックス Kiss) ヤマザキ マリ

カリガリからヒットラーまで (1971年) ジークフリート・クラカウアー

さよならタマちゃん (イブニングKC) 武田 一義

物語体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫) 大塚 英志

プロ経営者」の条件 折口 雅博

資本主義という謎 (NHK出版新書 400) 水野 和夫

行動分析学入門 杉山 尚子

ここは退屈迎えに来て 山内 マリ

ウェブ炎上ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書) 荻上 チキ

統計学が最強の学問である 西内 啓

☆行動変容法入門 レイモンド・G.ミルテンバーガー

図説 イギリス歴史 (ふくろうの本) 指 昭博

アメリカ中学教科書英語を学ぶ―ジュニアハイテキストから英語が見えてくる (CD book) 林 功

☆☆「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか 鈴木 涼美

ぬばたま (新潮文庫) あさの あつこ

果てしなき渇き 深町 秋生

去年はいい年になるだろう 山本

日本人英語 (岩波新書) マークピーターセン

兵器戦術世界史 (中公文庫) 金子 常規

あなたを苦しめる過去から自由になる本 石井希尚

レジンキャストミルク (電撃文庫) 藤原

スペインユダヤ人 (世界史リブレット) 関 哲行

キリスト教歴史 (講談社学術文庫) 小田垣 雅也

帰ってきたヒトラーティムール ヴェルメシュ

社会福祉思想歴史魔女裁判から福祉国家の選択まで (MINERVA福祉ライブラリー) 朴 光駿

☆ザ・フェデラリスト (岩波文庫) A.ハミルトン

インフォメーション―情報技術人類史 ジェイムズ グリック

アメリカ文学史のキーワード (講談社現代新書) 巽 孝之

異端審問 (講談社現代新書) 渡辺 昌美

シルバー事件 アスキー

絶対に解けない受験世界史 (大学入試問題問題シリーズ) 稲田義智

筋と義理を通せば人生はうまくいく 高須 克弥

99歳ユダヤスーパー実業家が孫に伝えた 無一文から大きなお金成功を手に入れる習慣 矢吹 紘子

女子マネージャーの誕生とメディアスポーツ文化におけるジェンダー形成 高井 昌吏

世界一即戦力な男――引きこもり非モテ青年音速で優良企業から内定をゲットした話 菊池

愛についての感じ 海猫沢 めろん

借金底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター借金1億2千万円、利息24%から生還記 金森 重樹

猫背を伸ばして 新装版 (フレックスコミックス) 押切蓮介

こんな上司が部下を追いつめる―産業医ファイルから (文春文庫) 荒井 千暁

棟梁―技を伝え、人を育てる (文春文庫) 小川 三夫

石井直方筋肉まるわかり大事石井 直方

フルーツ果汁100% 第1巻 (白泉社文庫 お 3-1) 岡野 史佳

☆「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット) 土井 隆義

読書の方法―なにを、どう読むか 吉本 隆明

予備校なんてぶっ潰そうぜ。 花房 孟胤

海洋堂創世記 樫原 辰郎

世界堂書店 (文春文庫) 米澤 穂信

コーディングを支える技術 ~成り立ちから学ぶプログラミング作法 (WEB+DB PRESS plus) 西尾 泰和

☆九月、東京路上1923年関東大震災ジェノサイド残響 加藤 直樹

大東亜戦争の実相 (PHP文庫) 瀬島 龍三

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶 グードルン・パウゼヴァン

クリスマス少女は還る (創元推理文庫) キャロル オコンネル

江戸のハローワーク (双葉新書) 山本 眞吾

Three Essays on the State of Economic Science Tjalling C. Koopmans

The Elements of Style, Fourth Edition William Strunk Jr.

ザ・フォール/落下の王国 特別版 [DVD] リー・ペイス

アメリカめっちゃスゴい女性たち 町山 智浩

☆船に乗れ!〈1〉合奏と協奏 藤谷 治

ちょー美女と野獣 (コバルト文庫) 野梨原 花南

11/22/63 上 スティーヴン キング

システム×デザイン思考世界を変える 慶應SDM「イノベーションのつくり方」 前野隆司

追われ者―こうしてボクは上場企業社長の座を追い落とされた 松島

劣化国家 ニーアル ファーガソン

ブラック企業経営者本音 (扶桑社新書) 秋山 謙一郎

創価学会研究 (講談社現代新書) 玉野 和志

グロースハック 予算ゼロビジネスを急成長させるエンジン 梅木 雄平

女のカラダ、悩みの9割は眉唾 (講談社+α新書) 宋 美玄

To Repair the World: Paul Farmer Speaks to the Next Generation (California Series in Public Anthropology) Bill Clinton

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書) 小坂井 敏晶

Making the Modern World: Materials and Dematerialization Vaclav Smil

高校教育アイデンティティー総合制と学校づくりの課題 (「教育」別冊 (9)) 小島 昌夫

☆名作はこのように始まる〈1〉 (ミネルヴァ評論叢書・文学の在り処) 千葉 一幹

グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ] ニコラス サリバン

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス) 池谷 裕二

天涯武士幕臣小栗上野介 (1之巻) (SPコミックス時代劇画) 木村 直巳

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫) 中島岳志

ぐいぐいジョーはもういない (講談社BOX) 樺 薫

LEAN IN(リーン・イン) 女性仕事リーダーへの意欲 シェリル・サンドバーグ

鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! 村崎 百郎

男性学の新展開 (青弓社ライブラリー) 田中 俊之

闘争領域の拡大 ミシェル ウエルベック

実録 ドイツ決闘した日本人 (集英社新書) 菅野 瑞治

男性ECCE HOMO (文春新書 934) ヤマザキ マリ





正統と異端 - ヨーロッパ精神の底流 (中公文庫) 堀米 庸三

魔女狩り (「知の再発見」) ジャン・ミシェル サルマン

図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界歴史) 黒川 正剛

魔女狩り (岩波新書) 森島 恒雄

異端審問 (文庫クセジュ) ギー・テスタス

剣豪将軍義輝〈上〉鳳雛太刀 (徳間文庫) 宮本 昌孝

2015-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20151019063108

 

元増田へのコメント見ても、当人気質問題帰結させようとする人が見受けられるけど、ぶっちゃけノンキなもんだなあと思いますわ。貧富の格差が広がってきてるのに富の再分配が適切に実施されていない社会では、元増田のようなメンタリティの人が増えていく―自分他人にも社会にも優しくされたことなんてないから自分他人社会に優しくする義理はない!って風潮が蔓延していくんだぜ?

電車つながりで思い出したけど、隣に座った見知らぬ乗客に突然殴られたって話が少し前あったじゃん。あれは極端にしても、そういう殺伐とした社会の実現へと着実に向かってるのが今の状況でしょ。妊婦だのベビーカーだのが公共交通機関を利用するのはどんどんハイリスクになっていくかもしれない。少なくとも、車内でウトウトする乗客なんつー牧歌的な情景は、今後10年で見られなくなるかもしれないわな。

 

けっきょく”あいつらの性根が腐ってるから”って切断処理したんじゃ済まないんだよ。”あいつら”と同じ社会に生きていく以上”俺ら”の問題なわけ。

貧困層犯罪者予備軍扱いすると左巻きのはてなー激怒するかもしれんけど、置かれた状況や立場が人の衝動や行動を左右することは社会心理学なんかでもうわかりきってて、そりゃ個々人で見れば己の良心で踏みとどまる奴もいるだろうけど、総体としては貧すれば鈍ず人々なのですよ。そしてもはや、社会互助やら道徳やら説くだけでは、そんな人々の行動を変えることはできないわけでしょ。”あいつらの性根が腐ってるから”って糺すポーズ自分品位の高さアピールして悦に入ってる場合じゃないだろっていう。事態は既に、社会福祉orモヒカンって状況よ?社会互助を尊ぶ人々こそ”あいつら”をどう救済するのか考えないと、社会互助が成り立たなくなる時代がすぐそこまできてるんだって危機感を持てよ。

 

いや、俺が知らないだけで、もしかたらみんな既にゲーテッドコミュニティに移り住んでるのか、それともトゲ付き肩パッドの準備が万端なのかもしれないけど、そのいずれでもない連中が元増田に石投げてるんだとするとホントにノンキだなとしか思えなかったからさ。

2015-08-23

アメリカ万歳は許せて日本万歳フィクションでも許せない人たち

自衛隊アニメGATE」は右翼的なのか 兵器で敵を蹂躙して美少女ゲット

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20150820/E1439867935066.html


社会心理学者「高史明氏」アニメGATE』について「自衛隊が村を焼いたアニメ」等とデマを流す→謝罪までまとめ - GATE(ゲート)

http://cupo.cc/archives/27966


篠房六郎アニメGATE」ヘリでの出撃で自衛隊が「ワルキューレの騎行」を流すパロディネタ批判

http://togetter.com/li/858113


アニメGATE』に登場する自衛隊サイコパス軍団?「PTSDにならないのはおかしリアリティがない」と話題

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1848180.html


GATE』は2chまとめサイト鵜呑みにしたような世界観政治観がきつい

http://togetter.com/li/851078


アニメGATE』が見てて辛い

http://anond.hatelabo.jp/20150717111517


アニメGATE』の描写は「正しい」か?

http://togetter.com/li/850772


GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』の、せまい世界観段取り不足

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20150711/1436645467



米軍エイリアンと戦ってもここに書いてあることを指摘する人たちはいないだろう。基本的日本が嫌いで、自衛隊が嫌いで、どうしようもないからフィクションでも自分の考えとは違うものが出たら、わざわざ嫌いなものをみて、批判して、わざわざネットに書いて、ストレスを溜めている。で、自分の中で整合性をつけるためにデマまででっちあげて批判すると。


素晴らしいことだこと。

2015-08-14

プロデザイナー存在意義って……

私は大昔に美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、デジタル以前から現在まで、デザインで飯を食ってきたが、

つの時代でもデザイナーというのは(就業人口の少なさという意味で)マイナーなので、

一般からは業務の実際を知られていないなあと思う。

オリンピックエンブレム問題から派生した諸問題に、周囲のデザイナー界隈は今、みんなウンザリしている。

そんな中で、とある記事ブコメ典型的な「普通の人」の意見を見つけ、

ああ、残念だなあと思った。

曰く、「デザインという感性世界作品に、コンペで優劣を付けることが可能か?」

私の答えは「はい。優劣の評価は可能です。点数を付けることだってできます

ただし、一定得点を越えると”感性”の差ではなく、一種の”政治的判断”で得点が変わります。」となる。

デザイン感性みたいなふわっとした物言いに、とても違和感がある。

感性」とは置き換えればカッコイイ・美しい・訴求力があるものの選択能力だが、

商業デザインプロは、それらを理論化・数値化・データ化して考えるものなんだ。

プレゼンに勝つためにもね。

上記のブコメのような質問は、プロフェッショナル否定論につながる。

コンペで好き嫌い当落を決めてたら、

審査員がただのどシロウトということになるし、

好き嫌い選考されるものに応募するデザイナーはいなくなる。

デザインを構築する要素の大部分は、実は厳密な理論や、歴史から学んだハック、

あるいはマーケティングから得られたデータであって、

わりと理系寄りな教養トレーニングの積み重ねがないとプロになれない。

また、そうでなければ、安定した職業として成り立たない。

例えば、話題多摩美術大学の、2014年度履修科目の中から『共通基礎教育科目』を見てみるといい。

絵ばっかり描いているわけじゃないのだ。

一部抜き出すと、

心理学芸術心理学/造形心理学歴史学日本文化史論/文学美学概論/美学考古学文化人類学民俗学芸術科学/図学/日本美術史概論/東洋美術史概論/西洋美術史概論/宗教学人間工学/色彩論/芸術材料学/近代デザイン史/染織史/文様史/写真論/社会心理学マスコミ心理学映像メディア論情報論/情報工学演習(コンピュータ基礎、情報機器操作3DCG)/総合講座デザイン論/現代工芸論/服飾文化

基礎学問を学んだ上で、自分の手を動かして作品を作る実践授業を受ける。

特に「造形心理学」「色彩論」あたりは、自分が学んだ頃よりずっと進化している学問分野だろう。)

すると、おのずと他人作品を見て、「こういう背景をふまえて、こういう意図で作ったな」という

コンテキスト、というか文脈が透けて見えるようになる。

かかってる予算すら、読めてしまう。

プロなら分かる」って、どこの分野でも同じだろう。

プログラマならコードを見ればわかる。八百屋なら野菜を見ればわかる。

でも「何をどうわかってるか」を他人に伝えるには、膨大な説明が必要になる。

しかもいざ説明しようとすると「長い、3行で」となって聞いてくれない。

多くのデザイン関係者が今でも「オリンピックエンブレム盗作に当たらない」と断じているのは

まさに上記のような、職業人としての訓練の結果(及び法的手続きの結果)だが、

ネットでそれを言うと、手斧を持ったモヒカンが大挙して襲って来るよね。

何でもかんでもポジショントークに見えてしまうんだろうね。

その様子を見ていて、「多数決文化を殺す」って感じるよね。

2015-07-20

ミニマリストやぞ!

うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!

魔女狩り』を警告してる記事が、

魔女狩り』に遭っちゃったぁぁぁぁああああああ!!!!!

なーんちゃって。

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/A/A1riron/20150720/20150720001914.jpg" alt="f:id:A1riron:20150720001914j:image" title="f:id:A1riron:20150720001914j:image">

結果発表します!

もし『魔女狩り(魔男狩り?)』に遭ったとしてもコメント欄を閉じていた場合ネガコメ数は、、、、

たった1つだけです。

しかも前にもコメントしたことある人)

ネガコメ大歓迎!!!

と本文中に書いていても1つだけ!!!

他のコメントはやっぱり『いつものブロガーからコメントばっかりww

これでわかったと思います

やっぱり『ネガコメ』は単なる

同調現象

だったということです。

同調現象 - Wikipedia

同調現象が起きると、異論は歓迎されない。ただ、「みんな」の意見を補強する意見のみが歓迎される。そして、異論に対しては、論理反論するのではなく、個人攻撃・人身攻撃反論され、沈黙強制される(同調圧力)。

はぴらきさん、ありがとうございます


これを証明するための『実験』でしたw

(あ、今からネガコメ』つけてもらってもいいですけどw)

いやー、わざわざミニマリズムカテゴリに入るために『ミニマリズム』『ミニマリスト』両方の単語タイトルに埋め込んだかいがありました。

昨日の「バズってどうする!?」も思わせぶりだったでしょ??w

『いつものブロガー』ははてなブログアプリtwitterブログ更新つぶやきからブログを読んでそのまま『B!』アイコンからコメントするから、他のはてブコメントを見ることはほとんどない。

から自分の頭で考えたオリジナル意見感想を言っている。

逆に『ネガコメ』する人は▼他のネガティブコメントを読んだうえで、それに影響されたコメントを書く。

人間の体は『食べたモノ』で出来ている。人間の心は『読んだモノ』で出来ている。 - A1理論ミニマリスト

なので、はてなブロガー自分記事に『ネガコメ』が多くついた時に、

「こんな多くの人から批判される自分はなんて悪い人間なんだ、、、」

自分を責めがちですが、、、

単なる社会心理学の『同調現象』です。本当にありがとうございました

あ、これは『スタンピード』とも言います

勉強になりましたね!w


これで理解できたと思います

ミニマリストブロガーは是非是非、コメント欄閉鎖を!

そして、

怪しいtwitterアカウントも即ブロックです!!


▼『ダメな人の国』の住民と関わる人生の貴重な時間もったいないです!人生は有限!!

実際の世界にはもう一つ『ダメな人の国』があるんじゃないだろうか?絵本ペンギンの国のクジャク』 - A1理論ミニマリスト

あ、いつものマザーテレサ言葉を今回も置いておきます

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

もう少し詳しく言うと世間で言われている『はてな村』は、

はてなブックマーク村』

と、

はてなブログ村

に分かれます


まず『はてなブックマーク村』の住民ブログを書いておらず、単なる『同調現象』『スタンピード』でネガコメ書いているだけ、これはコメント欄閉鎖で対応

はてなブログ村』には強烈な「反ミニマリストブロガー」が5人ほどいるかな、と思ってます。その記事が『魔女狩り』の起点になる。

その人たちはおそらく半永久的に「反ミニマリスト」「魔女狩り」な記事を書き続けるでしょうけど、これは完全に無視です。関わってはいけません。

現実世界でもいきなり道端で命令口調で突っかかってくる人と仲良くしたいでしょうか?したくないですよね??

クレーマーと同じです、相手にするから余計にややこしくなるのです。

テクニカルに処理しましょう。

結局、嫌いな人どうしは分かり合えません。

いや、こっちが分かり合おうとしても、向こうがこっちを嫌いなんだから分かり合えるわけないじゃんww

からこっちからはなにも反論しません。

付き合う『コミュニティ』を分けるしかない。

これ、「普通の考え方」ですよね???

クラス全員と仲良くすることなんて、原理的にも時間的にも無理でしょ。

ましてやいきなり命令口調で突っかかってくる人なんて足切りです。情報処理試験でいうところの『午前1問題』で足切り

からお互いの為に付き合う『コミュニティ』を分けるほうが賢明

ま、しかし今回の『魔女狩り』騒動で、一般のはてなブロガーの中にも反『魔女狩りブロガーも出てきつつあります

いつまでも世間から気持ち悪いブログサービス』と思われたままでも、ねぇ、ってことなんじゃないかな?まぁどうでもいいけどw

で、今回の目的はもう一つあった。

それは、今日札幌で行われていた、

第3回ミニマリストオフ会参加メンバーから目を逸らさせるため!!

今回は過去最高の人数&人気ミニマリストブロガーが全国から大集結なんです!!


こんな大事な日に札幌オフ会メンバーを『魔女狩り』させてたまるかよ!!!ww

今までバラバラな地域活動していた日本ミニマリスト達が、

今日、がっちりとひとつになった!!

から今日は、なんとしてもつつがなく、オフ会成功させないとダメだったんだ!!

レポート見る限りはどうやら大成功したようでなによりです!!

後日、北海道新聞にも載るようです!!

で、ミニマリストブロガーは、こういう

優しく行動力のあるミニマリストの方々

と今後も末永くお付き合いしていけばいいんだよねぇ?


いちいち突っかかってきたり、言葉の揚げ足とって炎上させる『はてな村』の人たちと関わるためにブログを書いてるわけじゃないよねぇ???

で、さらにもう一つ目的が。

それは、とれいCさんを元気づけるため。

今日札幌オフ会が3次会、4次会まであったとしても、完全に終わるまでこの記事を書けないと思っていたので、日中はとれいCさんをずっとくだらないネタで笑わせてましたw

「ね、炎上中でもたいしたことないでしょ?ポジティブでいられるでしょ?」

という感じで。

炎上しようが、退職しようが、そんなことはたいしたことではないんです。

人間が心身ともに健康で、ポジティブに生きていくこと以上に大事なことはないんです。

彼女、だいぶ元気になってきたのでゆとりオフ会の皆さんはじめ、また皆さん仲良くしてあげてください♪


ちなみにいろいろ細かいご報告をば。

炎上してもPVは若干増えましたが、アドセンス収入ほとんど変わりませんでした。

まぁ単なる炎上バズですからね。

なのでやっぱりはてブコメント欄は閉じるべき!

けど、twitterフォロワーが少し増えました。

やっぱり▼『自分意見』を言うと反対する人もいるけど、賛成してくれる人もいるということですね。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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自分の中に毒を持て―あなたは“常識人

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そういう少数の人たちと▼『ドラクエ4』的人生を送っていくのが僕がブログを書く最大の目的ですw

『持たない幸福論』を最速読破した「今、苦しんでいる人」へ絶対オススメするブログを使った『ドラクエ4的人生』。 - A1理論ミニマリスト

あと、もしこれを株式会社はてな中の人が見てたら是非是非、

過去記事はてブコメントも1クリック非表示にできる機能

を追加していただけるよう、是非是非お願いします。

現在特に危ない20代女性の方には手動で1記事ずつ過去記事コメント欄非表示にしてもらっていますが、かなり時間がかかっています

是非、機能改善をよろしくお願いいたします。

2015-06-15

http://togetter.com/li/834710

つい最近隣接分野でこんなやりとりがあったけど結局真摯に文献提示しても「気にいらねーから読まない」って態度とるのはなんなんですかね。

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150208/p1

このエントリで触れた、同性愛病理化の歴史についての主なソースは、風間孝&川口和也著『同性愛異性愛』(岩波新書)です。平易で、かつ情報盛りだくさんで、いい本ですよ。おすすめ

http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150209/1423489280

文献に関してですが、トランスジェンダーの方の意見ブクマにありました。

はてなブックマーク - 「どこかの同性愛コミュニティからノーマル差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記

岩波新書同性愛異性愛を推奨みたいだけど、あれはひどかった http://blog.goo.ne.jp/kuborie/e/0bf72de60958fb338400532e9a3d73e9 読む価値まりなし。少なくとも絶対に読み返さないと思って、無償で人にあげた

またこういう意見もありました。

はてなブックマーク - LGBTの方に質問です。「異性愛ノーマルと呼ぶこと」及び「同人

LGBTの方に質問です」ってところでカチンとくる炎上案件。十把一絡げにすんな/言葉でいちいち目くじら立てないけど、この質問の仕方はダメよ。まず、Tの人はノンケだってことに留意すべきですねー。

この質問にT、トランスジェンダーが含まれているのは

「どこかの同性愛コミュニティからノーマル差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記

ノーマルカップリング」「ノマカプ」「NL」などの語について、ブログだってTwitterだって批判しているLGBT当事者はいっぱいいるよ。id:kyoumoeさんの特殊アイに、そういう意見を極力見ないようにする回避機能がついてるだけなんじゃねえの。

という意見確認のためですが、それでも批判が出てきます

LGBT」という表記一つでこれほどの意見の相違が出てきます

考え方というのは千差万別であり、ある1つの意見が必ずしも全員にとって有益なわけではないのです。

ということで文献に関してはこちらで適当なのに触れることにします。

議論踏み台として提示された文献を自分吟味もせず他人書評に乗っかって価値が無いと切捨てて見せてるわけですよ。

これは個別問題ではないと思うなあ。

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150210/p1

最後に、同性愛イシューLGBTイシューを本当に「わかりたい」と思っていらっしゃる方々のために、おすすめ書籍リストを挙げておきます。カーリル | 日本最大の図書館蔵書検索サイト等で探してみられてはいかがでしょう。本は怒らないし冷静だし、情報量も多くて、うちのブログなんかよりよっぽど有益ですよ。

同性愛異性愛』(風間孝&川口和也岩波書店)(レビュー

『図解雑学 ジェンダー』(加藤秀一 他、ナツメ社)(レビュー

『<同性愛嫌悪ホモフォビア)>を知る事典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)(レビュー

LGBTってなんだろう?--からだの性・こころの性・好きになる性』(藥師実芳 他、合同出版)(レビュー

ステレオタイプ社会心理学 偏見の解消に向けて』(上瀬由美子、サイエンス社

セクシュアリティ多様性を踏みにじる暴力虐待』(アムネスティ・インターナショナル編、現代人文社)

同性愛者における他者からの拒絶と受容』(石丸径一郎、ミネルヴァ書房

差別共生社会学』(井上俊 他、岩波書店

差別論 偏見理論批判』(佐藤裕、 明石書店

『Biological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural Diversity』(Bruce Bagemihl、St. Martin's Press)(レビュー

『Homosexual Behaviour in Animals: An Evolutionary Perspective』(Sommer, V. &amp; Vasey, P. L. 編著, Camblidge University Press)(レビュー

It Gets Better: Coming Out, Overcoming Bullying, and Creating a Life Worth Living』(Dan Savage &amp; Terry Millor [編]、Dutton)(レビュー

※上記おすすめ書籍リストは今後随時更新していきます。(最終更新日2015年4月11日

2015-04-04

Ingressを通じて生じる憎悪が予想以上に恐ろしい

Ingressプレイしていて、自身が作り出す、面識のないプレイヤーに対する憎悪や敵意に戸惑い、驚いている。なぜならば、他のオンラインゲームでは感じたことがない程に強い憎悪や敵意が生じるからだ。

@kosugitti 身近に敵を含めたゲーミング仲間がいないと実感しにくいのかもしれません.インスタントに作られた「敵」に感じる憎悪がこれほどのものとは思いませんでした.

2014/09/16 20:49:46

社会心理学者「Ingressヤバイ」 | Ingress(イングレス)速報]

Ingressの最大の難点は、プレイヤーの間に「憎しみ(ヘイト)」が産まれかねないこと。疑似戦争のようなゲームリアルワールドを巻き込んで繰り広げられる。

【買い物山脈】ライター後藤弘茂がIngressにはまったワケ(下) - PC Watch

この憎悪対象が必ずしも相手側プレイヤーだけではなく、味方プレイヤーにも向けられることもある。

例えば、地元近くではプレイヤー xxxxxxxx がわざわざ遠征してきて味方プレイヤー yyyyyyyy のポータル破壊して巨大なコントロールフィールドを作って実績稼ぎをしたときのやりとりだ。

02:41AM xxxxxxxx: @yyyyyyyy ○○○○を反転させていただきました。事後報告となり、申し訳ございません。

03:05AM xxxxxxxx: @yyyyyyyy ご計画の途中でしたか、本当申し訳ないです。。追い込みを掛けておりました。もし明日以降もお邪魔になっていたら反転していただければありがたいですm(__)m

03:19AM xxxxxxxx: @yyyyyyyy ありがとうございます。反転は慎みます( ;´Д`)

このやりとりが不快なのは

  1. 自分の実績稼ぎのために味方のポータルを無断で破壊する
  2. xxxxxxxx は「反転して」と書いているが、プレイヤー yyyyyyyy に自身レアアイテムを使用して反転しろと図々しい申し出をしている
  3. しかも、翌日の夜に xxxxxxxx が持つ複垢でもう一度実績稼ぎに来ている

そもそも Ingress には味方に害を及ぼすプレイが禁じられているわけではないので、味方のポータル破壊するのはルール範囲内だということは理解できるが、それを目の当たりにしたとき感情は別のものだ。xxxxxxxx の行動は交通事故を起こして半身不随になれと夢想するほどに不快な反面、そんなことを思う自分が嫌になる。

また、先月実施された Heliosイベントでは、敵味方関係なくイベントに参加しているプレイヤーによって地元ポータル破壊され尽くされた時の衝撃と怒りは筆舌に尽くしがたい…。

(先週実施された Shonin イベントの巻き添えで、ポータルを敵味方に破壊された京都プレイヤーに同情する)

インプレス記事を書かれた後藤さんは憎悪を和らげるために、クロスファクションなどを通じて互いに交流をして面識を持てば……と書かれているが、私自身は難しいのではないかと思う。そもそもゲームシステムが、憎悪を生み出す仕組みが内包されている。

2014-09-29

リア充爆発しろはそろそろ卒業しよう

リア充爆発しろって言葉有害から撲滅すべき。そろそろシャレにならんぞ。リア充を見るたびに爆発しろって言うのは、非リア充が互いを非リア党の党員として認め合う儀式なんだろ。

それをネタっぽくすることで免罪符にしてるだけで本質ネタと見せかけて本音が多かれ少なかれ含まれてる。リア充が「ウェーイ」言うのを非リアどもは毛嫌いするがおかしな話なんだよね。同じこと自分らもやってるんだから

「ウェーイ」は別に他人迷惑をかけてるわけじゃない。あの明るさが暗さを抱えた人間を傷つけるのだ等と言った所で被害妄想しかない。

一方「爆発しろ」は直接的にリア充の足を引っ張ろうとしてるでしょ?そりゃ有害性では圧倒的に爆発しろに軍配があがるというものだろう。

よく非リア人間は「リア充無自覚に我々非リア人間を傷つけてる」なんて言うが逆だよ。非リアこそ徒党を組んで無自覚ネットリア充弾圧してるじゃないか?社会的弱者からって許されるものではないよ。


常々私が主張していることだが、嫉妬というのは制度なんだよね。こういう場面では嫉妬しないといけませんよって暗黙の社会制度があるわけ。お前らが好きな言葉で言えば同調圧力な。

いや嫉妬は万人が持つ感情だろって思うかもしれんけど、嫉妬制度がなかったら嫉妬なんて感情はそもそも出てこないよ。あのねえ、そもそも嫉妬感情生物学的にビルトインされてるわけじゃない。情動生理学とか勉強すれば分かるけど。

社会心理学では個人の意見もいかに社会的文脈に支配されてるかってことをしきりに主張するでしょ?世論形成なんて研究テーマがあるけどさ。それと同じで個人の感情ってのも社会的文脈に強く支配されてるのは当然と思わない?

で、確かに嫉妬は万人が有するが文化によって嫉妬深いとか嫉妬深くないとか違ってきそうなものでしょ?逆に嫉妬深さに文化差がないほうが不自然だって感情社会の暗黙制度の強い支配を受けてるんだから


我々現代日本人はちょっと嫉妬深い文化形成させすぎたのではないか?と最近ますます思うのである最近も話に聞いて驚いたのが街でカップルが抱き合ってると怒り狂う人がいるらしい。

それをネタっぽく話してるわけだが全然笑えないよ怖いよ。そんなにすぐ苛ついてたら生きるの大変だろうなと思う。

まだ同じ嫉妬でも仲良しカップル見て「羨ましい」と思うなら分からないでもない。羨ましいっていうのは自分もそうなりたいと思ってるわけで向上心が見える。

ところがいわゆる非リアってのは羨ましいってレベルを遙かに通り越して「爆発しろ」という破壊衝動に至るらしい。自分がなれるとは到底思ってないんだよね。少しは近づけるかもしれないのに努力しない。

努力しようとすると現実と向き合わないといけないから辛いんだろうな。そして怠惰自分正当化するため「ただしイケメンに限る」という言葉を多用し、羨望を思い描きつつ自分を磨いている人間は「意識高い系」として揶揄する。

結局のところ、「自分たち社会的弱者で可愛そうな人間努力しても報われないから努力しなくていい」っていう病的盲信をお互い確かめ合うための同病者の集い。それが「非リア充」の中身だということが最近分かってきた。

ここまで見てくると、「爆発しろ」と思うのはちゃんと自分人生経験を積み重ねて自分の頭でものを考えて弾き出した結論なんかではなくて、周りがそう言ってるからそう思うだけなのがよく分かるだろう?


そういう悪しき社会制度に1人1人の人間がNO!!を突きつけていかないとどんどんおかしな世の中になるよ。どうかエゴを捨てて、安心して街中でカップルが仲良くできない今の世の中のおかしさを考えてほしい。地球未来心配してほしい。

みんなで幸福人間を受け入れようではないか。パソコンデスクトップ画像にして憧れようではないか。許しの心を持たないから自分も相手も両方傷つけていると気づくのです。

ほんのちょっとのことで嫉妬するような人間最近出てきたが彼ら彼女らは嫉妬対象自分も近づくためのほんのちょっと努力もしたくないということなんだろう。

それって楽しいの?何がしたいの?楽しくないからって殻にこもらずに努力すればよいのにと思う。努力せずに無理と決めつけてるのがもう「洗脳されてるなあこいつら」と思うわけ。

悪しき社会制度洗脳されずに自分でやらないといかん。とことん試行錯誤していろいろ経験し関連知識もたくさんつけて自分の頭で考える。その上でほんとに嫉妬という感情自分生き方として正しいか考えてみたらいいのに。

2014-08-30

いじめ人間習性なので

コミュニケーション能力ってなんでそんなに大事なんですか? - 考えたことについて書いていくにて、コミュニケーション不足がいじめに発展する件が載ってました。やりきれない内容ではありますが、基本的には人間習性なので、こりゃ仕方ないねーと思ってますので、自分の思うメカニズムを記載。誰か学術的に解明して、改善BUG-FIXか、Workaround)してくれ。

社会心理学上の人間習性

 人間特権を持つと、その特権行使したがる習性があります。これは、脳みそに刻まれたBIOSみたいなもんですので、いわば人間仕様です

コミュニケーションが未達だといじめに発展するメカニズム

 コミュニケーションが未達だと、まわりと効率的情報を伝達できない、あるいは、集団として有利な地位を手に入れることが難しくなります。そもそも情報戦って、力や武力を越える程の実行力を持てると考えています。このような状態になると、コミュニケーション未達の人は情報収拾/活用において大変なハンディを背負うことになり、コミュニケーション優位な人はますますコミュニケーション未達な人に比べて圧倒的に優位に立てます。これが、コミュニケーション未達な人に対して、コミュニケーション優位な人が特権を持つ状況を生みます

(最悪なのはコミュニケーション未達な方は、状況を変える為に必要情報すらも得られなくなってしま場合があります。こうなると、不利な状況から逃げ出す事もできなくなります。これはコミュニケーション優位な人に圧倒的な特権を与える事につながります

 で、ここで、人間習性であるところの、特権行使したがるという人間仕様が発動し、コミュニケーション優位な方は、道徳などの規律を越え、本能特権行使します。これがいじめなどの形で現れると考えています

まとめ

 道徳は理性で悪い事を抑制する考え方ですが、そもそも本能(BIOS)に抗うことを損得抜きに自分に強いる事になるので、実行力に疑問がありますもっと他の規則ゲームルール社会ルール)などを活用して、今回のケースでうっかり特権行使すると、行使した当人に明確に不利益になる仕組みを作り上げ、本能による作用抑制することが必要かと思ってます

参考

まあ、これがパワハラとか、セクハラに関する法律とかの社会的仕組みの1つなんだろうけどね。もうちょっと法律以外に、しくみで解決できんのかなーと思った。

2013-09-01

言葉を奪われ、意志捏造される

※以下で記述されるものは第一に愚痴であり、第二におそらく特殊な事例です。一般化して生活の知恵とすることはできないのではないかと私は思っているので、時間無駄にしたくない向きや面白おかし楽しい記事を読みたい向きはアレしてください。

※一応申し上げておきます表現規制方面とはなんの関係もないです。


私は今日8月31日)、ディナーとしてお好み焼きを食しました。母が心をこめて拵えたもので、大変おいしゅうございました。

ただ、その大きさが私の腹具合に対してある意味威圧的であり、私はお好み焼きの傍らに鎮座する白米をなかったことにしました(単純に食べなかったということです)。

食事後、麦茶を飲みながら家族バレー女子ワールドグランプリを観戦していた折、父がおもむろに戸棚からせんべいを引っ張り出してきて、母と私に勧めてきました。

これに母、「おせんべいを食べられるならご飯も食べられるでしょう」と反応。御意にござります。食わざるもの食うべからず(Google検索結果 5件)。

次の瞬間発された、母に対する父の言葉こそ、私から言葉を奪ってそのまま姿を消した、犯人です。

「そういう言い方をされたら、『じゃあいらない』と言いたくなってしまうよ」


まず前提として、父がせんべいを持ってきた時点で、私にせんべいを食べる気はありませんでした。私のぽんぽはお好み焼きで満たされており、満腹中枢は「いや本気出せばいけるよ?いけるけどねー、今ちょっとそのタイミングじゃないと思うんだよねー」とのたまう体たらくだったのです。

思い返せばそのときにいらないと言えばよかったのですが、TVデュースを告げており、正直せんべいどころではなかったので生返事をしてしまったのです。そこへ母です。

おせんべいを食べられるならご飯も食べられるでしょう」発言には、口ぶりに冗談ニュアンスも含まれてはおり、「そもそもすでにお腹いっぱいです」と応えれば意地っ張り感はまだあまり出さずにせんべいとお別れすることができたでしょう。しかし相手国のセットポイントに気を取られた私に隙はありまくりでした。

次の父の発言「そういう言い方をされたら、『じゃあいらない』と言いたくなってしまうよ」に対しては、もう打つ手はないように思います。これに乗っかってせんべい不要論を唱えても、その言葉に信ぴょう性は与えられず、両親に私が意固地になっていると思われることは必至です。もちろん、どちらかあるいは両方とも食べるという選択もありえません。お腹いっぱいなのですから

最も良くないことは、ここで私が何も言わないことによって、両親の心に「私はせんべいを食べたかったのだ」という認識帰結してしまうおそれが十分にあったことです。

この状況では、私はどうあがいても、またあがくことをしないでも、せんべいが食べたかったことにされうるのです。私の意志を置き去りにしたままで。


以上が今宵(31日)私の身に起きた大きな悲劇です。ここまで読んでくださった方には、労りと感謝の念を着払いでお届け致します。

もし上記の愚痴の内容に関わりのある、またはまさにそのものを説明している社会心理学その他学問的な文献などご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひお教えいただきたいです。と思っているのですが、増田ではそういうことは基本的になされないのですかね。はてな勝手がわかりません。でもクレクレ文は書いておきます

2013-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20130507124650

Naoki Takahashi

うーん、やっぱわざとみたいだな。ますだってほんと2chレベルだなあ。

https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/331573785444630529

https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/331573391985344512

http://anond.hatelabo.jp/20130506204926

 

「俺は」君の発言を誤読していないのでよろしくね

その増田すり替えなのか誤読かは知らんけども、意味を取り違えているようだったか

ちゃんと訂正しておいてあげたぞw

http://anond.hatelabo.jp/20130507124650

 

 

俺や他の増田はてサだろうがフェミだろうがシロクマだろうが

はてな2ch並みに低レベルだろうが

主張の正否や論理正当性にはまったく影響しない

科学の徒であり論理の徒であるならこれは基本中の基本のはずだな?

既出だが、反論できなくなったから、人身攻撃や増田はてな攻撃で遁走しているのでなければ

ぜひとも指摘されている点に誠実に答えてもらいたい

 

 

Naoki Takahashi

社会反映論的な読み方をあえてベタにやるなら、陵辱マンガオタクいじめ

オタク蔑視オタク抑圧を割と素直に露骨に反映してきたものからね。ひねりもなにもない。

https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/283096322192588800

 

この主張に実証データはあるや否や

社会心理学的に反証可能性のある論拠は存在するのか

「俺は反証不可能な主張になってると気づかされたら恥じ入るわ。科学の徒として

https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/331568441737748481」という発言は真実であるのか

 

はてな村ネットのみんなが君の行いを見ているぞ

いま、試される科学の徒高橋直樹

http://anond.hatelabo.jp/20130506204926

まだ続いてるのかよっw

ほんとNaokiTakahashiくんって負けず嫌いで墓穴掘る性格だよなw

 

じゃあまぁ、俺もレスちゃうけど

NaokiTakahashiくんのいう「俺の発言はデータなわけじゃん」

これは、NaokiTakahashiくんのツイート(http://anond.hatelabo.jp/20130504192147)をデータとして使って

陵辱マンガエロゲを消費するオタクの心理について論じることができるお!

って話だと思うのね。(と書こうとしたら本人もツイッターで説明していたね。)

そして、これは「NaokiTakahashiくん個人のメンタリティについて語るとすれば」正しい

 

 

だけどね。彼の個人的経験をもってして

 

Naoki Takahashi

社会反映論的な読み方をあえてベタにやるなら、陵辱マンガオタクいじめ

オタク蔑視オタク抑圧を割と素直に露骨に反映してきたものからね。ひねりもなにもない。

 

この結論は絶対に導き出せないんだよね

「俺はオタクイジメオタク蔑視が原因で陵辱マンガ愉悦とするようになりました」

「陵辱マンガは、オタクイジメオタク蔑視という、社会における問題が反映されて成立した作品です」

とは、まったくちがうはなしだからねw

前者はただの自分語り。そして後者を主張するなら社会学的なデータ必要

今のところどう考えても

「実証データに基づいている/反証可能な主張を構成している科学的発言」とは言えないやね

 

 

俺は、反証可能性がどうのこうのくだらねえ

疑似社会論・社会心理学論でもおもしろけりゃあいいじゃんw

って思ってる人間だけど、NaokiTakahashiくんはそうはおもわないらしいので

自らの厳正なルールに従って、何事にも実証データを用意し、反証可能な科学的発言のみを行うべきだと思うね

シロクマにだけ厳しいルール押しつけてドヤ顔とか誰も納得しないでしょw

 

Naoki Takahashi

俺の意見も論拠いい加減なの結構あると思うよそりゃ。それ以前に適当書き飛ばしが多いけどもさ。

一般論に見せかけた自分語りも確かに多い。でもまあ、俺は突っ込まれて論拠が間違ってると思ったら撤回するからねえ。

反証不可能な主張になってると気づかされたら恥じ入るわ。科学の徒として。

 

うむ。じゃ、さっそく恥じ入ってくれ

あるいは「陵辱マンガオタクいじめオタク蔑視オタク抑圧を割と素直に露骨に反映してきた」論拠を

実証データとしてビシッと提出するか、どっちかだろ。さあやれw

 

それとな。「つっこまれないかぎり俺は正しい」というのは論理的におかしいからな

それは、たまたま運よく反証可能性データの有無について突っ込むやつがいなかっただけで

「何事にも客観的に認められうる実証データを抱えて発言してる」わけじゃないんだから

シロクマをこき下ろす資格なんかないだろうがw

俺ならそこを恥じ入るわ。科学の徒でなくとも

 

 

ひとことで言うと

自分を棚に上げてドヤ顔してるんじゃネーヨ

反証可能性よりダブルスタンダードの可能性を考えてから発言しろよ何事にもwww

ってことだよネ!

2013-04-05

結論ありきでしか思考できない馬鹿ども

最近ようやく仮説思考が新常識として浸透してきた感があるが、お前らちょっと待ってほしい。

仮説思考を結論ありきで思考することと混同してないか

本来仮説思考とは、確からしいと推測される仮説を「複数」立てて、それぞれの仮説を検証した上で、最も妥当な仮説を決定するというプロセスのはずであって。

最初から1つの仮説しか念頭にないのでは単なる決めつけと同じ。馬鹿丸出しもいいとこである

経営コンサルでありビジネスにおける意志決定の開拓者の一人でもある飯久保廣嗣さんは「複数思考」ということをしきりに言っている。

シンプルイズベストは真理だが、複数思考を経ないシンプル思考はただの思い込み。馬鹿丸出しということである

最近ではラテラルシンキングということも言われる。水平思考

君はGoogle面接で「ロジカルシンキングだけでは何が駄目なのか?」と問われたら何と答えるかね?

模範解答は「ロジカルシンキングでは仮説を立てることができません。ですから先入観で立てた仮説に縛られてしまます。」である

厳密には統計分析を駆使すればロジカルシンキングで仮説を立てることは出来なくもない。

だが基本的には仮説を立てるのは科学者の「感性である

将棋棋士感覚でまず仮説を立てる。味の良さげな筋をいくつか「第一感」で捉えて、それを「読み」と言って詳しく調べていくのだ。

複数思考には感性は欠かせない。

感性もその人の偏見だろ!思い込みと一緒じゃないか!と怒り狂う奴がいそうだが、少し違うのだよ。

思い込みは本人の願望。そうであってほしいという欲があるから、決めつけが発生してしまう。これでは複数思考じゃなく単一思考にしかならない。

感性というのは願望だけでは決まらない広がりのある世界。だから複数思考が可能になる。

ラテラルシンキングを育てるのに、「ウミガメのスープ」というゲームがあるが、俺はこのやり方には断固反対だ。

確かにいろんな可能性を考える力が育つ。だけど実践的ではない。なぜなら人間の仮説立案には、先ほども述べたように願望に強く引きずられる性質があるから

社会心理学における帰属のことを思い出してもらえると、このことがよく分かるだろう。

ウミガメのスープフィクションお話なので自分に直接利害のない話ばかりであり、願望に引きずられずに仮説立案する力が育たないのだ!!

結局のところ、ウミガメのスープは頭のよい人達現実人生で行っている思考プロセスを誰でも再現できるように生ぬるくしたものに過ぎない。

いまめまぐるしいネット社会なので不特定多数と短文でコミュニケートするのが常識になっている。リアル社会においてもその傾向は少しずつ加速している。

そんな時代においてシンプル思考が重んじられるのは当然のなりゆきであるが、

複数思考がないがしろになってシンプル思考だったはずのものが単なる決めつけに堕してしまてゐるのもまた事実である

シンプルな主張は、それをバックアップする論理構造事実確認、それから事実を幅広く見渡す視野があって初めて価値がある。

結論ありきの単一思考しか出来ない馬鹿は、そうした思考過程を丸ごとすっ飛ばして主張するから始末におえない。

複数の仮説を比較するという発想がまるまる欠けている。

彼らがもし対立する仮説を提示された時には、公平に比較する代わりに、相手が間違っていると最初から決めてかかって難癖をつける。あしらう。

確かに、短文コミュニケーションが主体の現在ネット社会では、それがスマートなやり方と言える。

しかし、人生全体を考えた場合には、バカもバカ、大バカである

ネットのノリで結論ありきで排他的に何もかも丸め込むようなやり方でしか思考できなくなったらもう重症2chねらー

残念ながらここ数年、リアル人間を見ていてそういう2chねらーが急速に増えてきた。

向こう数年、人類が正常な進化を遂げるには、正しい仮説思考の普及が危急される。

賢い人はどうしてるか?賢い人は、ネットでは結論ありきの態度でいるが、それは演技であって頭の中ではちゃんと思考しているのだ。

それが可能なのは、賢く現実問題を解決できる分、色んなことを考える余裕があるからなんだよ。

バカどもはとにかく余裕がない。余裕がないから短絡思考が当たり前になる。

結局さ、頭のスペックは変えようがないんだから、悩む必要のないことを沢山悩んでることに気付くしかないんだよ。

2013-02-22

ヘイトスピーチするネット弁慶ボランティア行け」がイラつく理由

イラつくよな。俺もイラつく。

まあヘイトスピーカーやネトウヨイラつくのは当然だろとしか言えないが、そうでないのにイラつく。

NHK_PRの発言ツイート単体は説教がましいとはいえ、イラつくものでは無いと思う。

ヘイトスピーチをするネット弁慶ボランティア行け」の裏にある文脈があって、それにイラつくんだ。

裏の文脈について文章化してみよう。

まずは、マジカルバナナ風に連想してみる。

ヘイトスピーチ

…と言ったら「ボランティアもしないネット弁慶

…と言ったら「ニート内弁慶

…と言ったら「ひきこもりネット依存症」

…と言ったら「非コミュ友達ゼロコミュ障

…と言ったら「非モテ童貞キモオタ

…と言ったら「学校でも孤立してたぼっち

こんなところか。

これはNHK_PRツイートだけ読んだときにも感じたが、被害妄想の行き過ぎと思い自省した。

NHK_PR東北についての発言だと補注したし、考えすぎというものだ。

でも日経ビジネスオンラインの記事で書かれた絵を見て、被害妄想ではないとわかったね。

しろ、この「ネット弁慶」は間違いなく上で連想した文脈に依っていると思った。

というよりNHK_PRの補注を理解すれば東北の話だし、お門違いだが、ネットでの受容のされ方の一部、日経オンラインビジネスの記事とかが、被害妄想ではないと思った。

ただネットで威張りちらす人という意味で「ネット弁慶」と語ったのかもしれない。

だけどそれは前都知事シナシナと呼べばいいじゃないかと語る時、その裏には差別の文脈があるのと同じ構図だ。

というか、証拠がある。

日経ビジネスオンラインの記事付属していた絵が、上での連想を裏付けている。

http://cdn-ak.b.st-hatena.com/entryimage/133730370-1361466019_l.jpg

内弁慶 内定もなく泣いている 親のスネこそ泣きどころなれ』

ヘイトスピーチをするような輩は「ネット弁慶無い内定」「ニートで親のスネ齧り」と言ってるわけだ。

ネット上でヘイトスピーチしてないでニートは働け、ボランティアに行け、ということだろう。



なにをいってるんだ?

これを「よく言った!」「これが批判されるなら日本おかしい」と称賛してる人、おかしいとは思わないのか。



ヘイトスピーチネット弁慶ニートは何の関係も無いだろ。

ヘイトスピーチをする人間は《…》のような立場にあるからヘイトスピーチをするんだ」

とでも主張したいのだろうか。

あるいは「ヘイトスピーカーはルサンチマンを抱いているから」とでも言うのかな。

まあ社会心理学がそういうならそうなんだろう。

社会不安定化すれば、ナショナリズムが高揚する。貧困層が増え失業者が増える。「内定もなく泣いている」人間も増えるだろうし、ニートひきこもりも増える。

このまえ話題になっていたひきこもり支援サイトも、ひきこもりには愛国的な人間中国韓国を異様に嫌う人間が多い…などと書かれていた。とはい事実なのか偏見なのかわからないが。

その程度の関連性はあるだろうよ。でもヘイトスピーチと、それらを結びつけちゃいけない。

ニートネット弁慶だけじゃない。その背後にある文脈に並べ置かれた言葉

ニートひきこもりぼっち。友人ゼロ非コミュコミュ障キモオタetc...

これらは包括するような属性、たとえばコミュ弱者とか、そういったものがあることは感じるが、明瞭な言語化は難しい。概念がない。

ある種の叩きやす属性だとは思う。

キャラとして成立している。

それでも、単独で差別者と成立する属性ではない。

なのに、ヘイトスピーカーを批判するときに、これらの属性が持ち出される。

ルサンチマンを抱いているからヘイトスピーカーになるわけでもない。

ヘイトスピーチを口にするその時まで、ヘイトスピーカーじゃない。

偏見差別から逃れられない人間の性はあれども、悪しと思い言葉を飲み込む。よくあることだ。

どうして「ヘイトスピーチから悪い」と言えないのか。

まるでヘイトスピーチだけでなく、性格、置かれた立場まで悪いかのような語り口だ。

それって差別偏見じゃないの?

いや、これこそが差別偏見だね。


差別を批判する言葉、その横から滲み出た偏見、これこそ差別だね。



ヘイトスピーチは悪い」「レイシストは悪い」本来はこれだけで良いはずだ。

でも、反差別を声高に主張したい。力強く語りたい。

正義立場言葉の力みが、自らの抱く無自覚の偏見を漏出させる。

ヘイトスピーチをするネット弁慶ニートボランティアに行け!」

ニートには何の罪もないし、ネット弁慶もまあ、イタいだろうけど罪は無い。

それでも罪があるとしたら、ヘイトスピーチとは違うレイヤーでの罪だ。


「あっ、レイシストだ。批判してやろう。どうせお前らは《…》なんだろう。友達もいなくてルサンチマンがあるから人種差別してんだろ。見え透いてるぞ?」

見え透いてるのはそっちだよ。お前らの持つ偏見

お前らだよ。具体的に言うと、差別を批判するとき差別者以外を、叩きやす属性を巻き込むお前ら。

そういうお前らだよ。

何を差別するのは良くて、何は良くないか

差別抵触しない差別

自分正義の側に立っていると思ってるから口が滑る

みんな見ているぞ。

お前ら良識ぶった人間イラつかれている。

差別を語る美辞麗句の横から漏れでた差別言葉が、淀みとして溜まっている。

お前ら良識ぶった人間の語る反差別の枠組みがイラつかれている。

良識を語る口をよそに、こちらを見る偏見視線が、お前らの語る反差別への信頼性を損なわせる。


@NHK_PRは、ネット弁慶ヘイトスピーチを向けている」という、身も蓋もない反論はイタいけども、まさに象徴的だと思った。

良識ぶったお前らが偏見の発信者なんだよ。

誰がなにを嗜好するかにまで道徳瑕疵見出し飽きたらず、生まれ付きの属性をもってして、社会構造の抑圧者であることを自覚せよと原罪を見出し断罪する。

まあ、こういう告発者は極端だが。

そのような差別告発者が、うっかり漏らした偏見差別

加速スイングバイして、ただの偏見よりダメージ増加だ。


ま、ヘイトスピーカーそれ自体より、ネット弁慶を批判したいよね。

ヘイトスピーカーはネット弁慶ということにしたいよね。

ニートとかコミュ障であってほしいよね。

猫大好きゆうちゃんも、キモオタフェイスだしね。

ゆうちゃんみたいな奴だってことにしとけば予定調和だよね。

批判しやすい、叩きやすい、ゆうちゃんみたいな、ネット弁慶を矢面に立たせたいですよね。

差別への信頼性が損なわれたから、差別主義者が増えた、新大久保で跳梁跋扈したとは言わないよ。

差別に陥る輩には、そんなもん関係ないだろうし。

だが、イラつくわけだ。

そのイラつきをどこに向けたらいいか

別の弱者に向けたら本物のヘイトスピーカーだ。

それなら、偏見の発信者たる良識ぶったお前らに返すしか無い。

お前らは楽しげに「奴等はルサンチマンを抱いてるから」「《…》だから」とヘイトスピーカーやレイシストを批判する。

自分がどれだけ幸せで良識あるかをアピールするために、他人のルサンチマンや、世間様に叩かれている無関係属性を出汁に使う。

関係属性は、相手に図星だろ?と思わせたいから使うんだよな。

ようするに、その属性は弱いってことだ。

強い属性なら「オウ、わしは都知事やで?凄いやろ。おまけにあいつは弁護士や!」としかならんわな。

新大久保のヘイトスピーカーに対して「お前巻舌の得意なヤンキーコミュ強者なんだろ?」という指摘もあまりみない。

動画を見る限りこちらのが適確だと思うんだけど、何故かネットの殻を破ったネット弁慶滑舌が悪いという言葉が似合いそうなヒキニート、元ぼっちだとかキモオタ、彼は学校孤立していましたなどが槍玉に上げられる不思議

別にヤンキーキモオタどちらが事実なのかはどうでもいい。

事実はお前らはヘイトスピーカーに、叩きやす属性見出したいということだ。

差別の枠組みには抵触しないが、偏見を向けて許される弱い属性

往々にして世間様にも叩かれている弱い属性

それを反差別の出汁に使う。

言葉に勢いを持たせたいだけに、差別者に図星と思わせたいだけに、無関係な弱い属性を出汁に使う。


それがお前らの視線イラつくわけだ。それを丁重にお返しした。

丁重にお返しできなかった人は、本物のヘイトスピーカーになる。

丁重差別を批判できなかった人が、他所誤爆してるんだから、似たもの同士とも言える。

これでもまだ範囲が広いけど「嫌サヨク」に留まっている人はまだ理性的だね。

チョンだシナだの言うのは、イラつきが明後日の方向に暴発した、本物のヘイトスピーカーだ。

それはお前らの影の実体化だと思うよ。

似たもの同士、仲良くしとけばいいさ。


差別を語る人に「私は差別と黒人が嫌いだ」をやめろとは言わないよ。

それは原理的に不可能なのはわかってる。

でも、せめて「私は差別差別主義者が嫌いだ」くらいにはして貰いたいね

2012-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20120712233733

そんなあなた


確証バイアス(かくしょうバイアス英: Confirmation bias)とは社会心理学における用語で、個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己先入観を補強するという現象である


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9


一般的に女の方が陰湿なのは事実から仕方がない

男のほうが直接的だから

一般的に~とは何をもってそう主張しているのかわからないが

竹を割ったような性格女性もいれば、陰湿で腹黒い男もいる

要するに男女共に対した差はない

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.5

【vol.4「恐怖心の喚起」】はこちら。

規範意識を変容させる集団

 これまで、「宗教経験」、「恐怖心の喚起」について述べさせていただきました。次に、これらを基礎とする思想に沿うように個人の規範意識を変容させ、常識から逸脱した思考や行動をさせる集団の作用について補足致します。

 オウムにおいては、集団の作用によって、教団の規範客観現実性が付与され、さらに、信徒規範意識が変容したと思われます

 オウム信徒の多くは、教義どおりの宗教経験をしていました。そのため、次のように、宗教経験のものの「個人性現実性」に「社会的現実性」も加わり、信徒は個人的な非現実宗教経験客観現実であるかのように認識していました。

 現実性とは、当該の所信の内容が客観現実としてあたか存在しているような感覚の程度であり、個人的現実性とは社会的現実性の二つを仮定する。個人的現実性とは、当該の所信の内容が直接知覚や論理的推論といった個人的経験を通して客観現実としてあたか存在しているような感覚の程度である社会的現実性とは、当該の所信の内容が他者の経験や他者によって合意されているといった間接的経験を通して客観現実としてあたか存在しているような感覚の程度である

西田公昭 一九八八 所信の形成と変化の機制についての研究(1) 実験社会心理学研究、二八、六五-七一

 そして、オウムにおいては、信徒たちが客観現実として認識していた宗教経験を根拠とする行動規範が定められていました。ですから信徒にとっては、その規範現実的だったのです。

 たとえば、殺人を救済、すなわち「善」とする規範は、前述(本文三十一頁)のように、輪廻転生、麻原の救済能力、および現代人の苦界への転生などに係わる宗教経験に基づいていました。一般的な社会通念は「命は地球より重い」ということですが、それが「この世の一生限りの命」などの日常経験に基づいているのと同様です。

 ところがオウムでは、日常経験のほうは、宗教経験によって幻影とみなされ、無意味化されていました。そのために、宗教経験に基づく行動規範が一般社会のものに取って代わっていたのです。

 実際、信徒は教団独特の規範に従い、麻原の指示であれば殺人まで犯しました。信徒見地からは、教義の世界が幻覚的経験によって現実として知覚され、加えて、周囲の人たちもその世界観合致した思考や行動をしていたため、教団の規範現実的に映っていたのです。つまり、教団内では教義そのもの世界が実現しており、信徒はその中に没入している状態でした。

 以上のように、オウムにおいては、信徒規範意識が教団で通用しているものに変容し、信徒常識から逸脱した思考・行動をしました。集団のこのような作用について、次のことがいわれています

 そもそも人はいろんな信念を抱いている。その中には善悪規範基準になる信念も含まれる。これらの信念は親、教師、友人、知人、などと相互作用を行いながら獲得され、社会的な共通性ができあがっている。しかし形成された信念がどうして「良い」とか「悪い」といえるかの判断基準は、所属する社会における暗黙の価値観に左右されるものであり、個人が所属意識をもって参照する社会集団によって左右される。

西田公昭 静岡県立大学大学院准教授作成広瀬健一に関する「意見書」)

 カリスマグループでは、集団凝縮力(全員を集団に従事させ続ける影響力)、共有信念、変容意識行為の基準、およびリーダーの魅力の影響は、公然の強制がなくても、行動の服従を強い、感情を変化させる作用をする。

 バイオンやエズリエルのような集団心理の理論家は、個々の構成員の意志にかかわらず、避けられない問題が集団においては現れることを指摘してきた。不可解な個人の行動を彼らは説明するが、それは依存的傾向や闘争―逃避パターンのような、集団につきものテーマの現われかもしれない。この点については、集団が構成員をあたかも一つの集合体に変えるようなものである

(前出 引用英語で分からず。)

 そのほか、カリスマグループ規範が、全員の本能的要求の表出や行動を統制することが報告されています。(本文四十三から四十四頁の引用)。

 以上のように、集団には個人の規範意識を規定する作用があるとされています。したがって、集団に係わる場合、それが全員の規範意識を一般社会のものと異なるように変容させないか確認すべきだと思います

 まず、集団の全員が共有する「ビリーフ」が適切に合理化されている必要があるでしょう。たとえば宗教では、教典自体には非現実的な表現が見られることがまれではありません。しかし通常は、そのような表現は、信仰日常生活の間に摩擦が生じないように、合理的に解釈されています。集団の全員と会話をしたときに、なぜその人の「ビリーフ」が形成されたのか理解に苦しむ場面があるならば、その集団は「ビリーフ」の合理化がされておらず、全員の価値観規範意識を不適切に変容させる可能性があります

 項目の選択に偏りがあるかもしれませんが、次の点の確認も必要でしょう。

 

 

指導者や教えへの服従がないか

 その服従が、たとえば宗教上の指導におけることのように、範囲が限定されているように見えても要注意です。実質的には、それが生活全般に及んでいることがありますいかなる状況においても、全員個人の判断が尊重されている必要があります。また、教えに疑念を抱くことや脱会が制限される場合は問題です。

 

 

○過度に厳しい規制がないか

 思考や行動に関する道徳的規則が、社会通念と比較して過度に厳しい場合は、一般社会における生活がしにくくなります。その結果、社会から離脱が促進されることもあります。また、規制違反に対して、過度の恐怖が喚起される場合は問題です。

 

 

自己を否定されないか

 自己を否定されると、指導者に服従する結果になりますオウムにおいては、信徒煩悩を有している。(本文二十頁)ために正しい判断ができず、それが可能なのは最終解脱である麻原だけだとされていました。

 そして、それは私にとって、体験的にも事実と思われました。私は自身が悪業(カルマ)で汚れていること、また、麻原だけがそれを浄化できることを感じていたからです。(本文二十八頁)。

 結局私は、それまでの人生煩悩や悪業を増大させるだけのものだったことを認めざるを得ず、自身の経験や知識を信頼できなくなりました。これは、私が愚かにも麻原に従った原因の一つです。

 

 

○会員が一般社会から離れ、集団生活に入る傾向がないか

 一般社会を非合理的に否定する教えを説き(本文二十七頁)、全員をそれから離し、集団生活に誘導する集団は問題です。全員の価値観規範意識は相当程度変容していると考えられます。集団生活に入った後は、さら規範意識の変容が深まり違法行為に及ぶ可能性もあります

 

 

 次の内容は、麻原が信徒出家を訴えていた昭和六十三年十一月(本文二十七から二十九頁)の彼の指示です。「人材をぬきとる」など、人材を集める強い意志が感じられます。これは教団の大師(解説・悟りを認められた高弟)のメモで、一般信徒には明らかにされていませんでした。

六十三年一一月五日は黙示録予言を麻原が七つの予言その後世界戦争、二〇〇〇年まであろ一二しかない

滅亡の日の出版しろと

一五日、オウム方向性旧約聖書によるとオウム時間はあと七年、石油になってハルマゲドン、ソ、米、日本世界大戦

デザイン編集プロパガンダマシン完璧に成りきること(人材経済力のためでもある)

一、新信徒の獲得

二、人材ハンター(ブレーンハンター)(信徒の中から選ぶ)

三、大学理教化学人材をぬきとる

四、ドクター医学)を集める

五、美人を集める(看板

六、経済的センスを持っている人間プロパガンダ広報

七、法律専門家

八、大師(一人で二~三億)が五〇〇〇人

九、建築班一〇〇〇人

一〇、七年後大師だけで一四五〇〇億

 なお、右のように、麻原は理系人材の獲得を重視していますが、それは当時既に、科学技術を用いた大量殺人である「ヴァジラヤーナの救済」を意図していたためと思われます。実際、昭和六三年十月二十八日、麻原は出家者に対して次の説法をしていますが―在家信徒がこの説法を聞くことは禁じられていました―、「ヴァジラヤーナの救済」を宣言した説法(本文三十二から三十三頁)においても、「残すべき者以外はポアする」旨説いていました。

 近ごろ私は心が少しずつ変わってきている。動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことが私の役割かもしれないなと。


【vol.6「まとめ」】へ続く。

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.2

【vol.1「カルトに係わる契機」】はこちら。

宗教経験

 カルトの「超越的世界観」によって、現実世界においては解決の困難な問題が解決することと述べました。他方、この類の世界観は非現実であるために、受容が困難なのも事実です。ところが、「神秘体験」、「超越体験」などと呼ばれる幻想的な宗教経験は、その受容を著しく促進します。

 オウムにおいても、教義の妥当性の根拠は、その種の宗教経験でした。つまり、多くの信徒は教義の世界を幻覚的に経験しており、その世界現実として認識していたのです。地下鉄サリン事件への関与は誠に愚かであり、心から後悔しておりますが、この事件についても、宗教経験から、私は教義上の「救済」と認識して行いました。

 このように、宗教経験は、「殺人」を肯定する非現実的な教義さえ受容させる原因となります。したがって、宗教経験を根拠とする思想やこれを起こす技術の使用には注意すべきです。

 以下、宗教経験検討のために、私の経験を述べさせていただきたく思います

 前述のように、高校三年生ときに、私は、「生きる意味」の問題を意識するようになりました。しかし、その後、私は目を引いた本を読んだり、簡単な瞑想指導する団体に入会したものの、その問題は棚上げ状態でした。大学で学ぶことが将来の職業に直結するので、学業や学費のためにアルバイト忙殺されていたのです。

 そのようなとき、偶然、私は書店で麻原の著書を見かけたのです。昭和六十三年二月ごろ、大学院一年ときでした。その後、関連書を何冊か読みましたが、彼の説く解脱悟りが気になりました。

 最終的な解脱悟りは、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の境地であり、本来、私たちはその状態に安住していたにもかかわらず、煩悩にとらわれたために、輪廻して苦界をさまよい続けているとされていました。ここで、絶対自由とは、カルマ(業。転生する原因)から解放され、どの世界に転生するのも、最終解脱の状態に安住するのも自由という意味でした。絶対幸福とは、金、名誉など自分以外の外的存在を必要としない幸福という意味でした。絶対歓喜とは、自己存在しているだけで歓喜状態にあるという意味でした。

 不明な点が多いものの、何らかの絶対的に幸福な境地の存在事実であれば、その追求は「生きる意味」に値するのではないかと思いました。

 また、麻原は修行を完成させて最終解脱の境地にあり、弟子指導して彼らをも解脱させているとのことでした。麻原や弟子たちの体験談を読むと、解脱への確かな道が存在しているように思えました。彼らの体験には普遍性が感じられたからです。さらに、麻原は自身の体験の妥当性を、ダライ・ラマ十四世をはじめとするチベット仏教インドの聖者たちと交流して確認したとのことでした。

 前述の解脱のような教義の話だけならフィクションを読んでいるようなものでしたが、このような実証的な姿勢は理解できることでした。この点は、私がそれまでに接した斯界のものとは違っていると思いました。

 しかし、事はそう簡単に運びませんでした。麻原が主宰するのは、宗教団体オウム真理教」だったのです。(なお、当時、オウムほとんど無名の団体でした。)

 私は新宗教に対して拒絶反応が起こるのを禁じ得ませんでした。「輸血拒否事件」、「霊感商法」…新宗教に関するマスコミ報道は、決まって言いようのない不快感を催すものでした。とりわけ、「輸血拒否事件」は、高校三年生ときに話を聞いた団体のことだったので、新宗教に対する問題意識が高まりました。

 この事件の報道では、事故に遭った子供が「生きたい」と言っていたのにかかわらず、両親が教義に従い、輸血を拒否したとされていました。この団体の聖書解釈が正しいという保証はないのだから―私にはほかの解釈も可能に思えました―、そのような不確実なことに基づいて命を犠牲にすることが信じられませんでした。ですから、この事件で、私の新宗教に対する不信は決定的なものになっていました。

 このようなわけで、私は本を読む以上にオウムに近づけなかったのです。

 ところが、本を読み始めた一週間後くらいから、不可解なことが起こりました。修行もしていないのに、本に書かれていた、修行過程で起こる体験が、私の身体に現れたのです。そして、約一ヶ月後の、昭和六十三年三月八日深夜のことでした。

 眠りの静寂を破り、突然、私の内部で爆発音が鳴り響きました。それは、幼いころに山奥で聞いたことのある、発破のような音でした。音は体の内部で生じた感覚があったものの、はるか遠くで鳴ったような、奇妙な立体感がありました。

クンダリニー覚醒―」

 意識を戻した私は、直ちに事態を理解しました。爆発音と共にクンダリニー覚醒した―読んでいたオウムの本の記述が脳裏に閃いたからです。クンダリニーとは、ヨガで「生命エネルギー」などとも呼ばれるもので、解脱するためにはこれを覚醒させる、つまり活動する状態にさせることが不可欠とされていました。

 続いて、粘性のある温かい液体のようなものが尾底骨から溶け出してきました。本によると、クンダリニーは尾底骨から生じる熱いエネルギーのことでした。そして、それはゆっくり背骨に沿って体を上昇してきました。腰の位置までくると、体の前面の腹部にパッと広がりました。経験したことのない、この世のものとは思えない感覚でした。

 「クンダリニーの動きが正しくないと、くも膜下出血を起こす」、「指導者なしの覚醒危険だ」―オウムの本の記述別世界の話でしたが、今や、我が身に起こりつつある現実でした。私はクンダリニーの動きを止めようと試みました。しかし、意志に反して、クンダリニーは上昇を続けました。

 クンダリニーは、胸まで上昇すると、胸いっぱいに広がりました。ヨガでいうチャクラ(体内の霊的器官とされる)の位置にくると広がるようでした。クンダリニーが喉の下まで達すると、熱の上昇を感じなくなりました。代わりに、熱くない気体のようなものが上昇しました。これが頭頂まで達すると圧迫感が生じ、頭蓋がククッときしむ音がしました。それでも、私は身体を硬くして耐えるしかなす術がありませんでした。

 突然の出来事に、どうなることかと思いましたが、それをピークに一連の現象は収束しました。どうやら、無事に済んだようでした。

オウム真実だ」

 オウム宗教世界観が、一挙にリアリティを帯びて感じられました。麻原をグル修行指導する師)として、解脱悟りを目指すことが私の「生きる意味である確信しました。麻原の著書を読み始めて以来相次いだ体験に、彼に強い「縁」を感じていたからです。クンダリニー自然覚醒したのは、前世グルの著書を読んだために、修行者だった私の前世記憶が甦ったからだと思いました。

 このように、急激に宗教観念を受容して、思考体系が一変する心理現象は、「突然の宗教的回心」と呼ばれています。これと漸進的な宗教観念の受容との違いについて、研究論文には次のように述べられています

 突然の回心は、被験者のものが全く変えられるように思われる経験として定義した。つまり、その変化は、被験者が生じさせるのではなく、彼にもたらされるように思われた。また、その変化は、被験者の生活様式、道徳的特性を形成する態度におけるものだった。

 漸進的な宗教的発達は、上で説明したような回心経験がないという特徴のもので、そして被験者が自身を無信仰と識別したことがないものである

 すべての回心者は、疑いの余地なく、無信仰の状態から信仰深い状態になった。

 二つの集団の特色をかなりよく示す、二つの自伝を下に引用する。一人の突然の回心者は、彼の経験を次のように記述した。

 この経験は、私が一四歳の秋に起きた。私は畑を耕して働いていた。突然、嵐が近づいたように思われ、そしてあたかも私の周りの全てが止まったようだった―私は神の存在を感じた。馬たちは完全に止まった状態になった。真っ黒な空がとどろいたので、私は祈った。嵐はすぐに通り過ぎたが、この瞬間だった、―私は祈りながら―主が望むならば、クリスチャンになり、主に仕える決心をしたのは。

 漸進的な宗教的発達をした集団の一員は、彼の経験を次のように記述した。

 私が信仰深いと自覚したときを説明するのは難しい。それに対し、何年か前に私は十ポンドで生まれ、そして現在はそれよりかなり重いという事実を説明するのは、全く簡単だろう。この成長には、出来事の印象がないわけではない。しかし、少なくとも回想では、そのプロセスはあまりに完全に連続したように霞んでいる。だから、私が自身の認識に現れた時点を思い出せる以上に、私は“信心深く”なった時点を分離できない。私はその二つの出来事はほとんど同時に違いないと思う。

引用英語で分からず。)

 このような宗教的回心は、人が葛藤状態にあるときに、幻覚的な超越体験と共に起こることがあり、このとき葛藤が解決するとされています。また、突然の宗教的回心においては、常識から非常に逸脱したビリーフ・システム(思考体系)が受容される場合があるとされています。そして、「カリスマグループの一つの注目せざるを得ない特徴は、入会の特徴がしばしば劇的な回心の経験であることだ」といわれています

引用英語で分からず。)

 私の場合、「生きる意味」に係わる葛藤のために、回心が起き、オウムの教義体系が受容されました。このように、非現実的な世界観が突然現実として感じられ、それが受容されることがあるので、超越体験に基づく世界観には要注意でしょう。後述のように、それが日常生活との間に摩擦を生じる場合は問題が起こるからです。

 オウム宗教世界観現実となった私に、入信以外の選択はありませんでした。また、新宗教うんぬんといっていられる状況ではありませんでした。クンダリニー覚醒した以上、指導者は不可欠だったからです。私はクンダリニーコントロールできず、頭蓋がきしんでも、なす術がなかったのです。この状況について、ある共犯者は「広瀬君は、本を読んだだけでクンダリニー覚醒して、困って教団に相談に行ったと言っていた。ある種の困惑広瀬から感じた。」と法廷証言しています

 こうして、オウム真理教在家信徒としての生活が始まりました。在家信徒は、社会生活しながら、教義の学習、守戒など教義の実践ヨガの行法、奉仕などの修行をすることが基本でした。

 オウムの教義と修行目的について、あとの話の理解のために必要な部分のみ説明致します。

 教義において、修行の究極の目的は前述の最終解脱をすること、つまり輪廻から解放されることでした。なぜ解脱しなければならなのか―それは、輪廻から解放されない限り苦が生じるからだ、と説かれていました。これは、今は幸福でも、幸福でいられる善業が尽きてしまえば、これまでに為してきた悪業が優住になり、苦しみの世界に転生するということでした。特に地獄餓鬼動物の三つの世界三悪趣と呼ばれ、信徒の最も恐れる苦界でした。

 それに対して、解脱はすべての束縛から解放された崇高な境地でした。解脱に至るには、次のように、私たちが本来の最終解脱の状態から落下していった原因を除去していくことが必要と説かれていました。

 私たちは自己存在するためだけで完全な状態にあったにもかかわらず、他の存在に対する執着が生じたために輪廻転生を始めたとされていました。それ以来、私たちは煩悩(私たちを苦しみの世界に結びつける執着)と悪業を増大させ、それに応じた世界に転生して肉体を持ち、苦しみ続けているとのことでした。たとえば、殺生や嫌悪の念は地獄、盗みや貧りの心は餓鬼快楽を求めることや真理(精神を高める教え=オウムの教義)を知らないことは動物に、それぞれ転生する原因になるとされていました。

 これらの煩悩行為過去世のものも含め、情報として私たちの内部に蓄積しているとのことでした。この蓄積された情報が「カルマ(業)」でした。そして、「悪業に応じた世界に転生する」というように、自己カルマが身の上に返ってくることを「カルマ法則」といい、これも重要な教義でした。

 カルマ法則から考えると、解脱、つまり輪廻からの開放に必要なのは、転生の原因となるカルマを消滅(浄化)することになります。ですからオウムにおいては、カルマの浄化が重視され、修行はそのためのものでした。

 [なお、前述の「殺生」は、虫を殺すことも含みます。ですから、そのほかに挙げた行為もそうですが、一般人日常的な行為ほとんどが悪業となります。したがって、信徒についても、入信前は悪業を為してきたことになり、それらを浄化しない限り苦界に転生することになります。だから信徒たちは必死修行していました。また、家族など周囲の非信徒たちは苦界への転生が避けられないことになり、それを信徒たちは案じていました。後述しますが、日常生活と相容れないこの教義のために、一般社会は苦界への転生に至らせる世界とみなされました。そのために、信徒は一般社会を離れて出家していきました。さらに、苦界へ転生する現代人を救済する目的で、殺人まで犯すことになりました。]

 また、オウムの教義において、麻原は「神」といえる存在でした。それは、最終解脱者であり、様ざまな「神通力」を有するとされていたからです。特に麻原は、人を解脱させたり、高い世界幸福世界)に転生させたりする力があると主張していました。私たちに「エネルギー」を移入して最終解脱の状態の情報を与え、代わりに、苦界に転生する原因となる悪業を引き受ける―「カルマを背負う」といっていました―と説いていたのです。カルマを浄化していないと苦界に転生するのですからカルマを背負ってくれる麻原は、まさに「救済者=神」でした。

 麻原の指示が絶対だったのも、そのような「救済」の能力を有するためでした。オウム世界観においては、苦界への転生の防止が最優先であるところ、麻原の指示の目的は、苦界へ転生する人類の救済とされていたのです。

 回心による教義の受容の後、入信後は、私の身の上に個々の教義の体験が現われ、教義の世界観に対するリアリティがますますまりました。たとえば、入信の一週間後に、麻原の「エネルギー」を込めたとされる石に触れたところ、気体のようなものが私の身体に入ってきました。そして、胸いっぱいに広がり、倒れそうになったのです。そのときは、ハッカを吸ったような感覚がして、私は自身の悪業が浄化されたと思いました。

 その後も様ざまな形でこのような体験を重ねたので、私にとって、麻原が「カルマを背負う」能力を有することは現実でした。そのために、麻原は「神」であり、その指示は絶対だったのです。

 なお、現在は、この種の経験は暗示の機制による幻覚と理解しています。つまり、以前に接していた「エネルギーを移入してカルマを浄化する」という教義(二十一頁)が暗示になり、「エネルギーを込めた」とされる石に触れたところ、教義どおりの幻覚が現れたものと思います。(このように、回心後は幻覚的経験が極めて起きやすい状態になっていました。)

 なぜあの男が―麻原の地位が教団内で絶対だったことに対する疑問の声をよく聞きます。その理由の一つは、私と同様に、信徒にとっては麻原を「神」とする教義の世界観現実だったことでしょう。ヨガの行法によって、多くの信徒が教義どおりの宗教経験をしていたのです。

 現役の信徒は、今も、麻原の力でカルマが浄化されると感じる経験をしているようです。だから、麻原が法廷でどんなに見るに堪えない振る舞いをしても、彼は「神」であり続けているのです。私もそうでしたが、信徒帰依しているのは生身の麻原ではなく、宗教経験によって知覚した麻原です。「現実」よりも「宗教経験」のほうがリアリティがあるのです。

 このような宗教経験作用について、文献には次のように述べられています

 アメリカで(そしてしばしば国際的に)現在見られる多くのカルト様のビリーフ・システム概観することは、臨床医が特定のセクトを正しく評価するにあたり役に立つ。ビリーフ・システムは、一般に部外者を困惑させるもので、多くは超越体験や神秘体験に基づいている。あるものは、なじみのない東洋伝統から得ている。あるものは、教義を再構築する程度にまで、既存宗教を粉飾する。

 超越体験あるいは神秘体験は、回心のプロセスにおいてしばしば重要だが、このことはジェイムズフロイトが注目した。葛藤の解決における超越体験は、非精神病者精神病者の両方に急性の幻覚的エピソードが起こる程だが、この重要性も強調されてきた。これらの経験はまた、カリスマセクトの多くの全員にとって、グループの全員をを続けされる総体である。これらの出来事は、類似した現象を経験したことのある他の人たちとの友好関係を、最高潮に高める強力な感情的経験になる。

 宗教経験コンテクストにおける精神病様超越現象が生じることを説明できるモデルは、まだ開発されていない。しかし、注目すべきなのは、かなり注意を引く知覚現象を、これらのセクトの全員が普通に報告することである。たとえば、一つのグループの百十九人の全員のうちの三十パーセントが、瞑想中に幻覚様経験を報告した。明らかに、このような現象は、心理学者が正常な精神プロセスのみならず病的プロセスを理解するのにもかなりの影響があるはずだ。それらはたぶん、精神病といわれる人に幻覚状態を起こすあるコンテクストの性質を、心理学的に理解する助けになるだろう。

(前出 引用英語で分からず。)

 (A教団は)夢さえも「お父様(教祖)の夢を見ますよ」などと暗示を与えて教祖の夢を見やすいように誘導したりする。それらのプライミングの結果、信者は身辺でおきる現象がすべて神やサタンといった心霊現象ととらえることになっていると思われる。さらに、こうした経験西田のいう個人的現実性を高める。つまり体験や推論が教義と整合しているという認知を与え、ビリーフは強化される。

西田公昭 一九九五年 ビリーフの形成と変化の機制についての研究(4) 社会心理学研究、一一、一八-二九

プライミング―特定の情報に接触させることによって、人間情報処理一定の方向に誘導すること)

 瞑想のより高い段階は多くの経験を含む。これは、伝統的な文献によく載っており、明るい光のヴィジョン、身心の喜びに満ちた陶酔感、静けさ、明晰な知覚、および愛や献身感情を様ざまに含む。“超意識”、“超越体験”、“神秘体験”、あるいは“クンダリニー覚醒”と名付けられており、これらの状態は、人を引き込む影響を及ぼす。この影響は、瞑想伝統によれば、非常に深刻になるものだ。

引用英語で分からず。)

 また、宗教経験が起こる状態においては、世俗的なことに対する関心が薄れるという報告があります

引用英語で分からず。)

 以上のように、宗教経験およびそれが起こる状態は、非現実的な教義の受容や日常生活から離脱を促進するようです。


※「輸血拒否事件」1985年6月神奈川県川崎市高津区で起こった事件。ダンプカーにひかれた当時小学5年生の男の子が、両親の輸血拒否にあい、約5時間後に死亡。「大ちゃん事件」とも。

【vol.3「宗教的経験(後半)」】へ続く。

2011-08-20

「いい男」は稼ぎが少ない 米国カナダ研究で結論

職場で同僚から好かれる「いい人」は稼ぎが少ない――。

米国カナダ研究チームがそんな調査結果を社会心理学学会誌に発表した。

調査は、米ノートルダム大学と米コーネル大学、加ウェスタンオンタリオ大学

研究者実施した。その結果、男性場合協調性が高いという意味での

「いい人」は同僚に好かれるなどの利点もあるものの、

収入所得にとってはマイナスになる」と結論付けた。

協調性の高い男性はそれがあだとなって「給与明細反動が出る」といい、

協調性という点での人の良さは、給与には直結しないようだ」としている。

一方、女性場合協調性のない態度が男性のようなメリットには

結びつかないことも分かったという。

この研究は各国で反響を呼び、例えば、オーストラリアシドニーから

企業社会では無情になる必要がある。弱い所を見せれば付け込まれる。

それが現実だ」との声が寄せられた。

http://www.cnn.co.jp/fringe/30003709.html

2011-08-09

血液型性格診断はなぜ社会に浸透したのか


類型化

他人にレッテルを貼りパターン化することで、人付き合いを単純にしたい

例)B型わがまま
 自分勝手な振る舞いをされても「あいつはB型からな」と諦められる
バーナム効果

抽象的・一般的な特徴は誰にでも当てはまる

例)B型マイペース
 誰もが自分の信念に基づいて行動しているときは、他人の意見に耳を貸さない
自己暗示

通説として言われている特徴に自分を近づけようとする

例)B型リーダー気質
 リーダーシップを発揮できるように仕事を頑張り、結果、リーダーになる

このような論考をする学問社会心理学と言うらしい。

それらの先行研究にまったく触れたことのない僕が、勝手に自説を唱えてみた。

2011-04-09

日本復興への課題3/3

http://anond.hatelabo.jp/20110409170039からの続き)

安心と不安
情報統制という妄想

上杉や広瀬は、政府東電対応についてこうも批判している。

事故発生当初から「東電は事故に関して隠している、嘘を言っている」、「政府は騙されている。メディア記者クラブは、東電が最大の広告主、クライアントだから遠慮して言えないのではないか」と、自分の出演しているメディアラジオ番組で言い続けていました

いま再び、70年前(太平洋戦争末期)の大本営発表と同じことが、起こっているんだなと思います歴史教科書をみて「こんなことがあるわけないだろう」と思っていたことが、実際に、目の前で起こったことに、びっくりしています。まさか自分がそんなことの当事者になるとは思わなかったので(苦笑)。

日本人は小さい頃から新聞テレビは正しい。雑誌インターネットは嘘ばかりだ。と思い込まされているんですよ。ただ、新聞テレビ情報は、政府の発表を記者クラブとしてそのまま報じる。彼らが独自に取材した情報と内容が違っていたとしても政府の発表を採用する。だから新聞テレビは正しいと思っている国民は常にその情報を信じるから、今回も同様の洗脳が起こっている。ただ、これまでとちょっと違うのは、若い人たちを中心にインターネットを通じて「あれ、何か違うんじゃないか?」とわかって来ていること。私のツイッタータイムラインも今朝ぐらいから「新聞テレビの言っていることと事実が違うぞ!」と結構大変なことになっています。まるで、エジプトとかチュニジアたいに。明らかにそこが変化して来ていますね。

大本営発表の再来という誇大妄想と、自分が時代を動かすんだという自己陶酔で完全に正気を失っている。

だが、科学誌『Nature』は上杉などと全く逆の見解を示している。

JS: 〔…〕私としては、現在データの量と質は、満足できるものだと思います。でも、ご質問のとおり、計測方法なんかの情報が抜けてたりして、データ解釈かしずらいのは事実です。これは、ひょっとしたら、翻訳の問題なのかもしれません。もしかしたら、日本語データレポートは、もっと関連情報がしっかり網羅されてるのかもしれません。

JS: 私もGeoffと同感です。難しい状況を鑑みても、日本側のデータ収拾の努力を批判するのはどうかと思います

GB: 私がひとつ言いたいのは、報道側がこの危機をどう報道していったかは、結構問題だったと思います報道は、最大値ばっかりをレポートする傾向にあります。とくに、放射能汚染の場合は、最大値じゃなくて、ある一定の時間内での積算値が問題なわけで、最大値は、それだけじゃ、あんまり関係ないわけです。実際、低レベル放射線長期間続くほうが、ほんの瞬間の最大値よりもあぶなかったりするわけで。

すでに紹介した早野龍五と辰巳創一も、これを支持している。

また、辰巳はこうも呟く。

さきほどのツイートに関連して,こうした抑制的,かつ整理された情報発信を日本の信頼出来る科学コミュニティーから出来なかったことは,今回の本当に大きな反省点だと思う.少しこんな話をするのは早いけど,望まぬ”次”が来た時,きちんと役割を果たせる体制を作ることは我々の世代の使命だと思う.

門外漢ながらこれには同感。今回の震災で、日本の学会学会誌は何とも頼りない。下手に東電を擁護しようものなら石を投げられそうな現状には同情するが、それでもバカなマスメディアとバカなネットユーザーに好き勝手させず、学会や有志が連名で声明を出すくらいのことはして欲しい。

煽られる不安

TBSの松原耕二は、震災発生当日から報道特番で「政府不都合な真実を隠しているんじゃないでしょうか」と明言し、「「念のための避難命令」という政府の説明はどうも納得できませんね」と連呼していた。

僕らは不安であっていいんだ。それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめいでいる。その不安は僕らのものだ。警報を切ってはいけない。

不安を増幅してはいけない、というのは、政府既存権力が望むことだ。なぜなら、不安は人々を駆り立て、秩序を破壊することがある。けれども、今、政府が恐れていることは、人々がどこかに殺到して怪我人や死者が出ることではない。暴動が起きることでもない。そうではなくて、原発政策が根本的に覆されることだ。今すぐ原発を止めろ、という人が増殖することだ。彼らは事故に寝るヒマもなく対応しながらも、今もそこを必死に守ろうとしている。

不安を煽るということを許さない自警的感情は、すぐに不安であることを許さない、という事態につながっていく。しかし、全員の心をそのように一つに塗り込めていくことは危険である不安は自然であり、この危機に不安を持たないことは不自然である不安はない、ということを強制すれば、その感情はいずれなんらかの形で暴発する。あるいは一人一人の心がこわれ、あるいは集団的な行動を誘発する。

どこかの気持ち悪い物書きの文章。

風評被害」というのは「悪いことでも異常なこともなく」、情報不足した時に起こる「正常な人間社会活動」ということです。だから、風評被害をなくすには、一にも二人も人間自分を守りたいという本能に適した「正確な情報を提供する」ということなです

中部大の気持ち悪い教授の文章。

最近、このような主張が散見される。その理由はきっとこうだ。「政府東電原発行政を守るために偽りの安全を強調するに決まっている。だから安全だと強調されればされるほど不安になるのは当然だ」と。

では、何故不安を煽ってはいけないのか。それは、人は不安になると冷静な判断ができなくなり、誤った衝動に駆られるからだ。注意を促すことはよいが、不安を煽ることは絶対にすべきでない。

また、正確かつ十分な情報を人は必ず判断できる、ということもまた大いなる幻想だ。「自分が安心できないのは政府東電からの情報が不十分だからだ。何故そうだと分かるかと言うと、それは自分不安いるからだ。自分不安でいる理由は、それ以外に考えられない」。このような自己欺瞞責任転嫁はもう止めてもらいたい

群衆の行動や心理について詳しい新潟青陵大大学院の碓井真史教授社会心理学)は「現在自分が普段と違う心理状態だと自覚する必要がある。一部の極端な行動で多くの人が脅かされる。そういうことを皆が理解し、協力しようとすれば、パニックは避けられる」とアドバイスする。

「落ち着いてください」「安心してください」と言われれば言われるほど落ち着かず不安になるのは、政府東電が悪いのでない。それはそうなる人の心理が異常を来たしているのだ。「情報や説明が不十分不正確だ」と思うのは、ただそう思い込んでいるからではないだろうか。

東電魔女狩り

人災論批判

東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスク考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す。

震災の発生以後、殊に原発事故の発生以後、「1000年に1度の大地震を想定していなかったのは怠慢だ」「これは天災でなく人災だ」という声がよく聞かれる。こういった東電非難の意見が、私にはよく分からない。

もし国や地方自治体東電以外の企業などがすべて1000年に1度の大地震を想定していたのならば、今回の原発事故は人災と言ってよい。だが、そんなものを想定していた団体はどこにも見当たらない。東電だけを非難するのは全く不公平だろう。

仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生アパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。

仙台への大津波を警告していた郷土史家もいたが、その本人のアパートでさえ津波で甚大な被害を受けるほどの、つまり想定以上の大津波だった。

WSJ:東電は甘かった?

米倉氏:甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電全然、甘くはない。

GB: 原発は、すべて、ある程度のリスクはこえられるように設計されてます。ここで留意しておきたいのは、福島原発は、設計段階で考えられていた最大の災害よりも何段階も上を行く大災害にみまわれたにもかかわらず、一応は、破壊されずに、まだ残っているわけです

今回の震災では、2万数千人が大津波の犠牲になった。筆舌に尽し難い被害だ。しかしこの被害について、「国や地方自治体が1000年に1度の大津波を想定し、沿岸から数km圏内の住民に立ち退きを命じていれば2万数千人は死なずに済んだ。だからこれは天災でなく人災だ」と非難する人は誰もいない。沿岸に原発は造っちゃいけないが人間は住まわせてもよい、などということにはならないだろう。

しかも今回の原発事故では、将来を悲観して自殺した農家を除いて、まだ誰も死んでいない。これは事実だ。まだ誰も死なせていない原発事故は2万数千人の津波被害と比べて軽微だ、などと言うつもりは毛頭ない。原発事故によって多くの福島県民の生活が破壊されたことも、また事実だ。しかし、東電のみを非難して国や地方自治体を非難しないのはどう考えても不公平だ。

「津波が想定を大きく超えた」という。早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。天災が暴いた人災である

東電に「地球や自然への畏敬(いけい)が足り」なかったのであれば、庁舎ごと津波に飲み込まれた南三陸町なども同然なのではないか

ここぞとばかりに反原発を唱えてる人へ

警鐘を鳴らしていた(キリッとか知った事言ってるけど

今回の津波は日本最高新記録なんだけど予想できたの?

あ、予想してた?

こんな津波来るって予想できたなら

先に堤防が無い町に警鐘を鳴らしてやってくれ

放射能汚染は元に戻るまで長い年月が掛かるから次元が違う、という意見もあるかも知れない。しかしそれだったら、犠牲者の埋葬は1年も掛からないから大したことはない、ということにならないか。死者はもう二度と元には戻らない。

そして、妻は自分にいい聞かせるように、こういった。「これは天災だからね。天災に勝てる者はいないよ」

ただし、「私は東電を許します」という発言は記事に見られないので、そこは印象操作かも知れない。

東電への迫害

上記のような東電非難を口にする人は、そもそも原発が嫌いな人が少なくない。また原発いでなくとも、こういった大災害では誰もが怒りや悲しみの捌け口を求める。東電は格好の悪玉候補だった。しか理不尽不公平な非難は決してよい結果を生まない。

原発事故処理最前線は如何に苛酷な環境かが報道されても、聞かれるのは「やっぱり東電は酷い企業だ」「国はちゃんと東電監督しろ」といった非難ばかり。「現場作業員のために、みんなで食料や寝袋を送ろう」なんて応援活動は全く聞こえてこない。

激励慰問の手紙を送ったアメリカ小学生の方が、人としてよほど真っ当だと思うのは私だけだろうか。

危険な状態が続く東京電力福島第一原子力発電所国民不安といらだちが募る中、東電社員への苦情や脅迫嫌がらせが目立ち始めた。東電社員の安全を守るため、社員寮の表札から社名を消した警視庁も警戒を強める。

護憲反核薬害問題に対する活動をしている女性・星アカリさんが、インターネットコミュニケーションサイトTwitterで「東京電力社員子供を全員がボイコットしなさい」などの発言をし、インターネット上で炎上状態となっている。

社員やその家族が身の危険を感じるほどの東電叩き。なのに流石は糞っ垂れのガジェット通信

果たして現在国民政府東電を正しく冷静に評価することが出来ているだろうか。

今、国民がすべきこと

冷酷な減点法からの脱却

こうした政府対応について、災害時の心理に詳しい広瀬弘忠東京女子大教授災害リスク心理学)は、「パニックを恐れて、余計な情報は出さないという心理が透けてみえる」と話した避難指示の範囲が拡大された理由の説明も遅れた。広瀬氏は「わかること、わからないことをはっきりさせて、説明するのが危機管理の基本だ。大変なことが起きているのは、すでに皆がわかっている。私たちのリスク観はもっと成熟しているのにバカにしている」と批判した

週刊現代も同様のバカ記事を書いている。

政府東電対応情報公開に問題があることは事実だ。これらの記事は、不適切な対応情報公開はすべて故意や怠慢によるものだと決め付けている。だが、このような冷酷な減点法こそが不適切だろう。

1000年に1度の大震災が発生した時点で、すでに満点の対応を期待することは出来なくなった。譬えるなら、100点満点のテストマイナス数十点のハンデ付きで受験するようなものだ。政府東電さえしっかりしていれば何も問題は起こらなかった、などという仮定は成立しない。

しかも、政府東電もまた被災者だ。負傷者がより深刻な負傷者を手当てしているようなものなのだから、対応に不備があったからと言って叱責するのは余りに冷酷で不当だ。

原発内にいる人達は、みんな命懸けです。きっと、報道されてること以上にやってることもあると思うし、報道されてほしいことが報道されてなくてってこともあると思う。私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない。誰も悪くないんだよって思う。色々な批判や、文句がある。でも今も寝ずに国民の安全の為に、一生懸命原発内で戦ってる東電作業員がいることを忘れないでほしいと思います

WSJ:当局への不信が国民にみられる。東電責任問題情報公開問題はどうか?

米倉氏:一生懸命やっている。考えられていないが、東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている。

これらを関係者による身内贔屓などと切り捨てるべきでない。

GB: 〔…〕あと、付け足しておきたいのは、今の状況は、計測するにしても、かなり難しい状態だ、ということです。日本側の行っている計測やサンプリングいちゃもんつけるのは簡単なことですし、まあ、そうやって、批判的に事態を見つめていくことも、大切だと思います。でも、特に震災の直後は、計測用の計器もままならなかったし、交通網もやられて、原発の周辺へ近づくことも、簡単ではなかったんです

政府東電とも一つに

震災以前において、菅政権を信頼することは明らかに狂気の沙汰だった。それは同意しよう。私も数年前から一貫して、民主党などに投票するのは狂気の沙汰だと考えてきた。しか震災以後、政府はかなりよくやっている。完璧ではないが、それでも国民から糾弾されるべきほどには酷くはない。

サッカー試合で観客がすべきことは、「ドリブルで繋げ」「ディフェンスを上げろ」などと指示を飛ばすことでない。そんなことをしても大歓声で掻き消されてしまい、監督選手たちの耳には届かない。たとえ届いたとしても、観客一人ひとりの指示に従っていたら試合を戦うことは出来なくなる。また、味方の監督選手たちにブーイングを飛ばすことはもっと間違っている。もし味方のチームに勝って欲しいなら、観客は声援を送るべきだ。それが選手たちの士気を高め、勝利を引き寄せることになる。

現在の日本には、政権交代どころか、与野党国会で議論している余裕すらない。国民はもっと政府を信頼すべきだ。政府東電を信頼し、激励し、慰藉すべきだ。それが問題解決の何よりの手助けとなるだろう。

また、マスメディアは徒に政府への不信や不満を煽ってはならない。政府東電の説明に不十分なところがあれば、その意を酌んで誤解のないよう報道しなければならない。政府東電を叩いて足れりとするような報道は厳に慎むべきだ。

政府は日本の政府であり、東電は日本の電力企業だ。日本が一つになって頑張るために、今は政府東電とも一つになって頑張ることが求められている。文句があるなら試合が終わってから伝えればいい。

2011-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20110327083446

雑多に。

・(全般)論文の書き方:すべての基本。高校生までは起承転結(四段階)だが大学生以降は序破急(三段階)が普通になっていくので慣れていくこと。

・(全般)プログラミング:すべての基本。言語学論理学と密接な関係があるので、体得すれば実は論文の書き方に強力に役立つ。

・(全般)健康管理健康を壊すと普通勉強ができなくなる。体力と相談してがんばれるだけがんばる。


・(教養学部教養東大の特殊なところは、1、2年は教養学部というところに所属するところ。

ここで、広く、できるだけ深く、何でも雑食にガリガリ吸収して、自分なりの知の体系を、藁葺き小屋でもいいから作ることが求められている。多分。


・(文1・法学部政治学:集団的意思決定に関すること。生臭いが、体得すると選挙住民運動の時に、偏見に凝り固まった勢力から自由になって、自分意見を持てるようになる。

・(文1・法学部行政学公務員はどう働くか。知らなきゃ公務員になった時にしぬ。公務員になりたいわけではなくとも、学者になったら役所と取引することになるので、彼らの行動様式を弁えておくのも大事。

・(文1・法学部法学公務員は何を守って働くか、倫理とはどう違うかなど。知らなきゃ公務員になる以前に試験の段階でしぬ。以下略


・(文2・経済学部経済学:財・サービスの一般的な流れに関すること。何で自民党無駄公共事業をやったかというと、彼らも決して馬鹿だったわけではなく、ケインズ経済学という思想的根拠があったことが分かる。これだけでも日本では重要

・(文2・経済学部経営学お仕事の要素が入った組織をどう正確に効率よく運営するか。どこの組織に行くにも絶大な力になる。個人で生きていくなら別だが、事業を起こすなら必須。


・(文3・文学部心理学記憶連想が切り離せないこと、情動感情)や動機付け(欲求)のあり方をわきまえておくと、勉強ときに障害を取り除ける。

すなわち、沢山勉強して沢山思い出して連想することが知識になること、感情や欲求を適切に駆動し、不必要なら安定させること。

いでに、生命反応や身体や神経や脳から、どのように心が生じるか学ぶのも悪い経験はない(先に言っとくけど、心と身体の関係について論じる、いわゆる心身問題はまだ結論が出ていないので、深入りは禁物)。

・(文3・文学部言語学教養学部でやる外国語文学部でやる言語学がある(正確には違うけど)。

外国バリバリ働くビジネス目的と、論文を発表する・資料を原著で読む目的とがある。

長期的にどっちをやりたいかということと合致させた方がいいが、計画的に東大に入った入学者でなければ、よく分からいまま選択して二年間ババ引く可能性が高い。東大システムの疑問点だが、何か意味があるのかも知れない。何でこうなってるんだろう。

・(文3・文学部社会心理学社会学:人が集まるとどう振舞うかを理解するのは、ミクロ(個人)とマクロ社会・集団)の関係をわきまえておくときに有意義。

・(文3・文学部文化人類学歴史学:昔の人の好みとトラウマ、成功と失敗を学んでおくことが大事。民族歴史というものもあるので、「あー、日本人災害時はこう振舞うのか、ではこうすればいいのか?」みたいなことができる。

・(文3・文学部倫理学:いわゆる道徳倫理を扱う倫理学はいろんな学派があるが、それほど倫理学のフォローする領域は広い。

要するに集団のルールというのはどうやって決まるかということを、いろんな出発点(個人主義、生活、健康生殖エロスプライバシーコミュニケーション権威助け合い暴力などなど)から積み上げているからだろう。

どれも集団生活を可能・不可能にする大事な本質には違いないので、広く浅く吸収していくとよい。(集団主義的なことを言うとあそこでは嫌がられるだろうけど、俺はそういう結論になっちゃった

・(文3・文学部哲学など:人間の脳の構造でいろんなものを筋立てして考える。倫理学もそうだが哲学となると広すぎてちょっと大変。しいて言えば科学哲学とかやってみるといい経験になりそう。


・(文3・教育学部教育学教育学部に行く人以外関係なさそうだが、親になりたきゃちょっとかじっておくと後々いい感じになる。


・(理全般、特に理1・理学部数学物理化学地学生物文系でも「物質から生命反応が生じる」ということを了解しておくのは悪い体験ではない。


・(理1・工学部工学:「社会のためにどう計画する?」ということは常に考えておいた方がよい。


・(理2・農学部農学:別に農学部行く人以外は関係なさそうだが、安く安全に飯が食えるということは大事ですよ。TPP問題とかやりたくなったらどうぞ。


・(理2・薬学部薬学農薬や医薬をやりたい人以外には関係なさそうだが有害物質問題とかやりたくなったらどうぞ。


・(理3・医学部医学普通学生は「ものみんた(誰だ)の野郎! 健康について適当なこと言いやがって! 俺は気をつけよう」というときにのみ有意義。

理3の学生がまじめにやる分にはすごくハードなのでがんばって。

そうでなくても理3は超頭のいい人が入るところだから超人的な世界超人的に頑張ることを余儀なくされる。


(2011.03.27 18:37 追記)

twitterで指摘がありましたが、私は文3・文学部卒でして、文3・文学部についてながながと書きすぎました。確かに今読み返すと配分がおかしいね。

2011-03-26

楽観論者が「認知的不協和」を起こしていないことを祈る

認知的不協和」とは?

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C7%A7%C3%CE%C5%AA%C9%D4%B6%A8%CF%C2

心理学の用語。

1975年アメリカ社会心理学フェスティンガーが提唱

>人は何らかの物事に遭遇した場合認知)、

>それが自分が持っている「認知」と相容れない場合(不協和)、

>その「不協和」を解消しようとすること。(不協和の逓減)

>不協和の逓減には以下の3つがある。

>「認知」を変える(現実を変えたり、考えを変える)

>「認知」の重要性を低くする(事実を軽視したり、無視する)

>新しい認知」を追加する(屁理屈や問題のすりかえ)

>1や2のように、「変化」をさせたり「否定」をすることはコストが高いため、

>実際には、3が選択されることが多い。

【意訳】

楽観論者が何らかの物事(=原発事故)に遭遇した場合認知)、

それが自分が持っている「認知」(=原発安全神話)と相容れない場合(不協和)、

その「不協和」を解消しようとすること。(不協和の逓減)

協和の逓減には以下の3つがある。

認知」を変える(現実を変えたり(=避難行動)、考えを変える(=反対派の言論も一定程度許容する))

認知」の重要性を低くする(事実を軽視したり、無視する(=放射性物質はただちに健康に影響しない))

しい認知」を追加する(屁理屈や問題のすりかえ(=放射能よりタバコの方が有害))

2010-04-08

メタブログは高いレイヤーである

メタブログは誰でも参入できる。

何故なら予備知識がいらないから。

ある程度の論理的思考力さえあれば参入できる。

誰でも出来る分、玉石混合であり、荒れやすい。

なので、下克上を目指すならもってこいなのだが、

アクセス増などの目的がない人間は控えるべきだろう。

火傷をする危険性が高い。

本当に研究したいのなら、

もうちょっと低いレイヤーをやるべきだ。

社会心理学とか、そういうやつ。

高いレイヤーであるメタブログの文章を書くのは簡単だが、

諸刃の剣である。

コンピュータ技術にも同じことがいえる。

JavaScriptPerlなどでWebアプリケーションを開発するのは、

高いレイヤーである。

誰でも参入できるが、潰しがききにくい。

もうちょっと低いレイヤー

つまりOSの内部構造アルゴリズムなどを勉強した方が、

長期的にみると安定するものだ。

2010-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20100401162223

自分日記自分トラバ

春だからきっと許されるよね。

 

でも正直浮かれた気分で気合注入してたら想定外ケンカになって困った。

というのはエイプリルフールなうそで、そんなに困ってない、匿名だし。

 

http://anond.hatelabo.jp/20100401163528

自分社会学徒でしたがあれって信じられるんですかね・・・

統計データ出されて「だから人間の心理はこうだ!」って

学生時代からそこはかとなく違和感を感じていた。

専攻ではなかったので社会心理学医学的なアプローチも込めてたのならすみませんが。

 

http://anond.hatelabo.jp/20100401163443

え?まじで無い内定ぇー?

無い内定が許されるのは氷河期世代までだよね。

と思うのは心の中だけですので言いません。

がんばってください。

 

や、でも正直な話職業を選んだ結果の無い内定なら

ある程度あれだ、自己責任(苦笑)ともいえるかもしれないね。

希望業界もしくは企業に対して力不足や社風に合わないと判断されたのなら

しょうがないじゃないの。

 

ただ一つだけ言わせていただきたい

増田の文章を見ているとどうも無い内定のまま卒業=不幸せ、のような気持ちが

読み取れるけど、それはやめようぜ。

だって自分を貫き通した結果の無い内定だろう。

ならばその結果をも背負って、

スキルアップを図ってからチャレンジするのも道じゃないのかな。

少なくとも卒業してすぐに就職したけど、楽しくないぜ、あまり(四月で二年目)

回り道したっていいんじゃない

 

 

 

 

という意見未満な戯言もエイプリルフールネタとしよう!

うそつき放題だなんてなんという素敵な日でしょう。

課長にもウソをついて帰宅しようかな。

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