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はてなキーワード: クリスチャンとは

2019-05-07

改宗しようと思って教会行ってきた

この間クリスチャンになろうと思って教会礼拝に行ってきて

聖書の話とか聞いてきた

元々興味あったし自分の専門分野の理解を深めたいって理由もあって

宗教ってつまるところみんな同じ事言ってるけど

より楽な方に改変してくのも同じなんだなって気付いて冷めた

いやむしろ醒めたかもしれない

なんか悟ったわ

我は神なり

2019-03-28

家の壁に勝手キリスト教看板が付けられたんだけど、どこに苦情言えばいいんだ?

看板には聖書から引用したのであろう言葉が書いてあるだけで連絡先とか書いてないか分からん

市役所かに言えばいいんか?

というか黒背景に白と黄色文字書いてるだけの看板とか怖いし別に何かの宗教を贔屓してる訳でもないのに家がクリスチャンだと思われたら嫌なんだが。

2019-03-24

anond:20190324231927

はいるがクリスチャンは正しく神を崇拝していないか邪教なのだ

なんでもかんでも神様って言っときいいわけじゃない

クリスチャン神様の名のもとに蛮行の限りを尽くしている

2019-03-05

anond:20190305080225

正しいような間違ってるような。

日本語英語ってすごく違う言語なわけよ。

欧米言語って、直訳どころか単語入れ換えたら通じるなんてことが多い。フラ語英語なんかも共通した単語けっこうあるし。

英語日本語文化圏そもそも違う。

last Sunday最後日曜日、なんて訳したら、なんか処刑前に猶予与えたっぽいじゃん?

クリスチャン同士で通じる話、欧米でやんわり共通する話、日本共通してるわけがないよね。

そういう文化を全部調べ直すより、そこからまれ文法整理して体系化する方が楽なのよ。逆に、体系化された文法に沿って話せば、文化圏の違う人間とのコミュニケーションも行える訳だしね。

教養のある連中はそのへんキチンとしゃべるし、逆にない連中は英語圏でもメチャクチャよ。

フィリピンはまともな教育受けた人間は実にキレイに話すけど、そうでもない人間はタガログと英語とスペ語を混ぜたような無茶苦茶なしゃべり方をする。

整理してから学ぶ方が絶対楽やで。

2019-02-22

キリスト教教会に行きたいんだけど、どうしたらいいん?

俺は普段神社で働いてる。

宗教施設で働く者としてキリスト教勉強もしたいんだけど、いかんせん周りにクリスチャンがいないからどうしていいかからない。

神社仏閣みたいにいつでも空いてるもんなのか、アポイントとったほうがいいのか、多神教信者だけど受け入れてくれるのかとか色々不安

前、インターネット牧師と喋ったことあるんだけど「キリスト教を信じない者は救われない」とか言われて排他的宗教なのかな?って思ってる。だから怖い。

でもちゃんキリスト教勉強がしたくて、牧師と会って喋りたいんだけど、どうしたらいいんだろう?

anond:20190222155735

あのなあ、聖書の「最も原本」って何?本文批評とか二資料仮説(これは黙示録とは関係ないが)とか聞いたこともないんだろうと思うけど、原本がどこかにぽん、とあるような代物じゃないんだよ、聖書は。手による筆写に筆写を重ねた代物で、その原典なんて研究者の中でも誰も見たことがないんだ。その中で、どのようにして少しでもオリジナルに近い文を探すか……ということの為に多くの研究者が膨大な時間と手間をかけて検討を続けているわけよ。

あと聖書英語訳だ日本語訳だ言ってるけど、何種類あるのか知ってるの?どれの話をしているわけ?英語だけでも欽定訳から新世界訳聖書(まっとうなクリスチャンから見たらクソだけどな)までたくさんあるし、皆カラーが違う。日本語だって去年新しい共同訳聖書が出たばかりで、それ以前の文語訳、口語訳、新共同訳、新改訳、他にも新世界訳(まっとうなクリスチャンから見たらクソだけどな)、フランシスコ会訳とか、なんぼもあるんだよ。

何かがひとつであるかのように簡単に言わんといてくれ。

2019-02-08

anond:20190208124417

相手に寄り添うことは顧客の為にはなるんだが、結婚式場ってリピーターっていないのね。勿論悪評が立ったら困るわけだが、たとえばある結婚式場が良かったとして、友達かにガンガンそこ紹介して、皆そこを使う……という状況は、あまりあるとも思われない。だから相手が食いついてくれるようなマテリアルを少しでも多く提示して、目前の客に少しでも多く金使ってもらおう、って、そういう態度になるんじゃないのかねえ。それがいいとは思わないし、もし私だったらそんなやり方はしないけどね。

しかし、結婚式場ってお金かかるよねえ。私はクリスチャンなので教会だったけど、教会はいいですよ。費用安いし、信徒でなくてもやってもらえます。まあ披露宴というかパーティーというか……は考えないといけなくなるから、全部ワンパックの方がお金あれば楽だろうけどね。

2019-02-06

anond:20190206114159

聖書子供は鞭で躾けろって書いてる。

一般的クリスチャンはそこは比喩的なもんだろうと解釈するが、エホバ原理主義的なので鞭を使うのが良いことだと解釈している。

2019-02-05

聖書っておもしろい?

最近読んだ小説聖書が多々引用されてたので興味持ったんだけど、やっぱり頭から通して読んだほうがおもしろいのかなって

なおクリスチャンでもなんでもない

2019-02-03

アイドルとは、「偶像」を意味する言葉だ。常識だと思っていた。

自分応援するアイドルが、「アイドル」という言葉は好きではないと言った。「偶像」になっても仕方ない、リアルを見せたい、と。

別にアイドルのもの否定したわけではない。

言葉が好きではないのだと、そうはっきり言っていたし、必要以上に重く受け止めることはなかった。

発言をしたアイドルは、クリスチャンだ。キリスト教において偶像崇拝が否定されていることも、常識だと思っていた。実はかねてより、懸念……とまではいかないものの、気にはなっていたのだ。あの人は「偶像」をどう思っているのだろう、と。一生答えは出ないと思っていたが、本人の口からその断片を聞くことが出来てすっきりした、とすら思っていた。

だけど、世間は案外そうじゃないらしい。

ショックを受けるファンが多くいた。

繰り返すが、あの人は言葉が好きではないと言っただけであって、アイドルのもの否定したわけではない。そこを理解していない人が多すぎる。

(発言意味文字通り理解した上でどう捉えるかは自分の知ったことではない。そこは自由にすればいい、と思っている)

アイドル偶像であることすら、あまり分かっていないと思われる声も目にした。

アイドルって中国語では偶像って言うらしいですよ! って、中国語どうこう以前の問題じゃないのか……(件のアイドル台湾とのハーフで、中国語も話せる)

から何って話じゃないが、自分常識世間じゃちっとも常識ではないし、識字と識文は全くの別物なのだと実感した話。

anond:20190203132601

そうですね。それは本当にそう思います。私は件の子供には一通り説明したんですけどね。クリスチャンにとってのクリスマスは「家族で過ごす日」だとか。でもその子にとっては、ディズニーの魅力に比べると、「家族で一同に会して食卓を囲み話をする」という時間価値は何も感じられないようで、そのことも悲しい記憶だったりします。

anond:20190203132048

あれは宗教的祭事ではないので、クリスチャンかどうかと行くかどうかは関係ないんでしょうね。ちなみにアナハイムディズニーランドでもイースターにはイベントをやるそうで、観光ガイドなどを見ると、その時期は馬鹿みたいに混むので避けるのが賢明、なんて書いてあったりします。ちなみにイースターの翌日辺りに終えるそうで、日本みたいに6月までイースターなんて意味不明なことにはなっていないようですね。

anond:20190203131419

うーん。それは違うかなあ。そもそも貧困生活云々とか書いていないので、オッサンに関してのみ書きますが……先に書いたように、私が観たのは昭和30年代の映像でしたけど、それを観たときには「こういうのも幸せからいいね」って思ったんですよ。あの後、お土産ぶらさげてあの映像オッサンは帰ったんでしょうけど、それはそれでいいように思うんです。実は今でも、クリスマスイブには教会カップル酔っ払いとか来るんですね。でも、彼らが何か騒ぎを起こすことはまずないし、帰るときの様子を見ていると、クリスチャンでなかったとしても、それはそれで何かよかったなあ、って感じなのです。

かわいそう?

私は子供の頃からクリスチャンで、今も毎週教会に行っています日本ではクリスチャンが自らそれを公言することってあまりないように思うのだけど、私は知人連中にも職場の同僚にも公言しています。で……あるとき、知り合いの家に行ったら、そこの子供が東京ディズニーランドディズニークリスマスがどうとかいう話をしだしたんですね。で、当然のように聞かれたわけですよ。

クリスマスってどうしてるの?」

クリスマスはね、教会に行って、その後は家族食事しながら色々話をするの。だからディズニーランドとかには行かないなあ」

そう話したら、その子、何て言ったと思います? 私の方に向き直って、こう言ったんですよ。

「かわいそぉ〜」

……私は何か、こう、悲しくなってしまって。別に人がどうクリスマス過ごそうが勝手なのかもしれませんけれど、あるひとつのかたちだけが正しい、って、一体この子どんだけ傲慢なんだろう、そう思ったわけです。この子がどうっていうよりも、そうやってキリスト教宗教的祭事商業アイテムにされて、そちらの方が正統扱いされるんじゃたまらないよなあ……って、まあこれは昔っから言われてる話ですけどね。でも、昭和30年代のニュースフィルムで、クリスマスイブの銀座クラブから三角帽に鼻眼鏡で上機嫌に出てくるオッサン映像を観ても何とも思わないのに、この子の「かわいそぉ〜」は妙に堪えたんですよね。

いや、何故この時期にそんなこと書くかっていうと、次にやってくるイースターの件です。イエスの復活を祝うこの日、今年は4月21日なんですが、もう早速東と西で手ぐすねひいて待ってるわけなんですね。

東京ディズニーリゾートイースター

2019年4月4日(木)~6月2日(日)

東京ディズニーシー東京ディズニーランドでは、2019年4月4日(木)から6月2日(日)までの60日間、ヘンテコ楽しい春のスペシャルイベントディズニーイースター」を開催します。今年は2年ぶりに2つのパークで、それぞれテーマの異なる「ディズニーイースター」を開催するほか、ディズニーホテルやディズニーリゾートラインでも心躍るイースタースペシャルイベント実施します。

https://www.tokyodisneyresort.jp/blog/pr190116/ から引用

UNIVERSAL EASTER CELEBRATION

ミニオン・パークに、イースター初登場!

つのエリアで、“かわいい春”を楽しもう!

https://www.usj.co.jp/spring2019/easter/ から引用

こういうのが何年も続くとどうなるのか……おそらくこんな感じでしょう。子供イースターの話をされて、やれうさぎガー、たまごガー、って言われて、それに対して「イースター教会に行って、それから卵を貰ったり交換したりして家に帰るの」って返答すると……「かわいそぉ〜」。いや、かわいそうなのアンタラから、とか言いたくなりますけど、それは我慢しているわけです。でも。宗教的祭事宗教的祭事なので、あなたたちが馬鹿騒ぎするのを止めはしないけれど、それが「正しい」なんて思うのも、言うのも、お願いだからやめてくれませんか。ずーっとこうやってお祝いしているのに、私達は。

2019-01-27

屍臭の記憶

これを読まれている方の中で、屍臭というものを実際に嗅がれた方がどれ位おられるのか、ちょっと予想ができない。家族、友人等の死を経験し、その遺体荼毘に付されるまで傍におられた方は複数おられるだろうと思う。しかし、そこに屍臭を意識させるような手抜きの仕事を、この国の葬祭業の方々がするとも思えない。だから実際のところ、そのような経験があっても、そこで屍臭を感じられた方はおられなかろうと思うわけだ。

私はこれまでに二度、強烈に屍臭を経験することがあった。あの臭いは、間違いなく、経験した者にとって一生忘れ難いものだ。不快だし、そう何度も体験したいものではない。そのことは体験する前から今に至るまで変わりはないのだけど、その臭いの向こう側にあるものまで体験すると、屍臭に向かう姿勢とでもいうのか……そういうものが確実に変わったような、そんな気がするのだ。人生観が変わった、などと大袈裟なことを言うつもりはないけれど、そのときの話を記録がてら書いておこうと思う。

初めてそれを感じたのは、高校に通っていた頃のことだった。私の通っていた高校は、太平洋戦争末期に空襲で焼かれるまで天守閣が建っていた場所で、四方を崖に囲まれた、自然要塞のような高台に建てられている。登校するときには、深い谷にかけられた橋を渡ってすぐの正門を通るのだけど、学校の周囲の崖のあちこちに獣道のような抜け道があるので、授業時間中や放課後時間には、その道を通って麓のコンビニに買い物に行ったりするのが日常だった。

時々、鉄道の駅まで出る必要があったのだが、本来ルートで行くと毎回かなりの回り道で、友人に面倒だとこぼすと、グラウンドネットの破れ目から崖を斜行して下の道に出る抜け道を教えてくれた。春先でまだ雑草も深く繁茂しておらず、これは便利な道を教えてもらった、と、毎回のようにそこを通って駅に抜けていたのだった。

そして、夏が近付いてきたある日。一週間ぶりにその抜け道を通ると、何とも言えない厭な臭いがしたのだ。蛋白質の分解された臭い。それも、肉だけでなく、皮や毛や、通常なかなか分解されないものまで分解された挙句のような尋常ならざる臭いが、崖の獣道に立ち籠めている。雑草結構な高さに繁茂していて、辺りにその源らしきものは見えない。日が経つ毎にその臭いはどんどん濃くなって、私の服や髪に染み付いてしまうのではないかというような粘着性すら感じさせる。私は確信したのだ。辺りの何処かの草に隠れて、何かの骸が転がっているに違いない。しかし、とにかく質・量共にそれまで一度も体験したことのない、凄まじい臭いだったので、小さな動物……鼠とか蛇とか……がただ死んでいるだけとは到底思われなかった。

道を教えてくれた友人にもこの話をしたのだが、彼は笑って取り合ってくれなかった。それに、と彼は言う。俺最近あそこ全然使わないからさ、調べる機会もないんで、まあそんなに気になるなら自分で調べればいいじゃん。ひどい奴だと思ったけれど、まあ自分からわざわざ積極的に屍臭の源を探しに行く奴もいないだろうから、彼を責めても仕方ないだろう。

もう季節は真夏になっていた。熱風と熱線が渦巻くような崖の獣道を通る度に、私は時々、わざわざ道沿いの茂みに踏み込んでみたりもした。しかし源は見当たらない。ただ、その酷い臭いけが常に辺りに立ち籠めている。その臭い我慢して近道をするか、遠回りして臭い回避するか……その選択がある時点で逆転し、私はまた遠回りして駅に出るようになった。しかし、その源が何なのか、ということが、私の頭から消えることはなかった。

私は疑っていたのだ。その源が人間ではないかと。受験意識する時期だったので、公営図書館勉強室にこもることが増えていたのだが、休憩を取ろうと勉強室の外に出ると各種新聞の閲覧スペースがある。行方不明者等の情報が出ていたりしないかと、必ず地方欄に目を通すことが習慣になった。成人だったら、あれ位では済まないかもしれない。女性の方が体は小さいだろうが、女性脂肪組織が多い分屍臭もきついという話を何処かで読んだ。ということは、あれは子供なのではあるまいか……図書館で休憩する度に、私は新聞子供行方不明記事を探している。我ながら何をやっているんだろうと思ったけれど、もう新聞の陳列を見る度にあの臭いを思い出し、記事を探さずにおれなかった。

そして季節は晩秋になった。駅に出る日に、いつもよりも学校を出るのが遅くなった。ちょっと考えた。もう夏も過ぎたし、あの臭いも薄れているかもしれない。グラウンドネットの破れ目は何も変わっておらず、そこをくぐって崖に出ると、あれ程繁茂していた雑草も、盛りのときの半分もない程に枯れてしまっている。私は崖の獣道を進んでいった。傾斜のきつい崖なので、スキーの斜滑降のような進路になるように道は形成されている。ターンする角に来て、ふと何気なく、いつもと違う進路の正反対、崖を斜め上に見上げるような向きに目を向けたとき視野に初めて、あの屍臭の源が飛び込んできた。

それは一頭の犬だった。もう骨に皮が少し被っただけという外観で、その周囲には蛆なども見当たらなかった。大きな犬で、おそらくドーベルマンとかレトリーバーとか……それ位の大きさの骸だった。ドーベルマンレトリーバー全然違うだろう、とか言われそうだが、変色して干涸びたその骸からは、それ以上のことは分からなかったのだ。もう臭いはあまりしていない。私は急いでいたのも忘れてそこにしばらく立ち尽した。あの夏の頃、臭いの源を発見したら大声で叫んでしまうに違いないと思っていた。しかし、今のこの落ち着きは何なのだろう。本当に、自分でも驚く程に、心は静かだった。ああ、人じゃなかったんだ、それはそれで良かったけれど、こいつ、どうしてここに骸を晒していなければならなかったんだろう。野良犬というのもほとんど見ないようになった頃で、こんな大きな犬がそこらをそううろうろしているとも思えなかった。ひょっとしたら、飼い犬が亡くなった誰かが処置に困ってここに骸を捨てたのだろうか。死を看取るまで犬を飼っていた人がそんなことをするというのも変な話なのだけど、他に説得力のある理由を思いつかなかった。

あの臭いがし始めた頃から、こいつはここにあった。そして、あの燃えるような夏の間、道を外れて鬱蒼と草に覆われた中、あの強烈な屍臭を放ち、蛆等に組織をついばまれながら時間が過ぎていった。そしてその臭いも薄められ、ここにこいつはまだある。本当は埋めてやりたかったが、手元にその用意もないし、そのときにようやく自分が急いでいたことを思い出した。クリスチャンの私は十字を切り、天の国で平安と安息のうちにありますように、とだけ祈ってそこを去った。何日かして再びそこを通ってみたら、もう骸はなかった。誰かが気付いて、埋めるか他に持っていくかしたのだろうか。そこまでやってやれなかったことが心残りだったが、せめて祈ることができただけでも、少しはましだったか、と今も思う。

そして二度目。それは、ある自動車関連企業のお膝元である某県の地方都市に住んでいたときのことだった。私は単身者複数入居している安アパートに住んでいた。よくあるプレハブ二階建の長屋みたいな造りで、外の階段で二階の並びに上がるような、室内は6畳とユニットバスみたいな、そんなアパートである。私にとってそこは家というよりただ寝る為だけの場所で、仕事が終わるとそこに入って寝て、朝はシャワーを浴びてそこを出る……そんな毎日を過ごしていた。おそらく、他の部屋に暮していた人々も、私と同じような日常を過ごしていたに違いあるまい。

そんなある日。部屋を出たときに、ふと厭な臭いがした。ゴミのせいか……と最初は考えた。私の部屋は一番階段に近い二階の部屋で、階段真下のスペースがゴミ置き場になっていた。仮に凄まじい悪臭を放つゴミが捨てられていたら、そういう臭いを部屋のドアの前で感じることもあるかもしれない。鍵を締めて階段を降り、ゴミ置き場の前に立ってみたけれど、そもそもその日はゴミ収集日ではなかった。そこまで行く経路上に、ゴミから出た汁等がこぼれたような形跡もなかった。気のせいか、あるいは自分臭いの源なのか……服などをチェックしてみたけれど、どうも自分ではなさそうだ。

翌日、そしてその翌日、と、その臭いは更に強くなっていく。深夜近くに帰宅して、周囲の住人の迷惑にならないように注意しながら二階の並びを歩いてみると、どうも自分の部屋から少々奥に行った辺りでその臭いが一番強くなっているような気がする。隣か、そのまた隣か……しかし、どういう生活をしていたらこんな臭いがするのか。それにしても、この臭いにはどうも心当たりが……と、そこでようやく思い当たったのだった。これは、あの臭いだ。高校の獣道で嗅いだ、あの臭いだと。明日になったら管理会社電話しようと決めて、部屋に戻って寝た。

そして翌朝。出勤の支度をしていたらチャイムが鳴って、ドアを開けると警官が立っている。

「あのー、変な臭いとか、されませんでしたか

と訊かれ、実は何日か前から……という話をして、

「あの、何かありましたか。私もここの住人なので、差し支えない範囲で教えていただけませんか」

と言うと、警官は言いづらそうに、この部屋の二つ隣で、住人の女性が亡くなられていたんです、何かご存知のことはありませんか、と言う。しかし、隣室の住人の顔もよく知らないような状況で、その更に向こうの住人のことなど知る由もなかった。

職場でその話をすると、皆さん興味本位で色々と仰る。うわー気持ちいねーもう引っ越した方がいいんじゃない?……まあ、よくあるパターンだ。そりゃあ、家の近くで人が亡くなっていたというのはそれなりにショックだったわけだけど、私は違うことを考えていたのだった。自分と同じように独りで暮していた人なのだろう。あの部屋のドアは結構密閉性が高いので、ああい臭いが出てくるまでには相応の時間がかかったに違いない。その間、その人はずっとそこに骸を晒していたわけだろう。これはその女性ではなく、自分に起きたことだったかもしれないのだ。その間にはおそらく何も違いはあるまい。ひょっとしたら、私が骸を晒し、あの臭いを発していたのかもしれないのだ。そう思ったら、興味本位の人と一緒に騒ごうなどと、考えられるはずがないのだ。

皮肉ものだ。屍臭の向こうに、かつてあった生とその現状があるのを思い知らされ、そして私がそのときたまたま傍観者だったというだけで、いつ私が骸を晒す側にならないとも限らない、ということを思い知らされたのだ。私はその晩、帰宅してからその部屋の方を向いて、あの犬のときと同じように祈った。それ位しかできなかった。調子の悪いときに出喰わすことができていたら、とも思うけれど、それはもうどうしようもない。ただ、高校とき体験に、同じ人間という更なるリアリティを裏打ちされて、私の中に今でもこのとき記憶は強烈に残っている。去年は有名人でも亡くなる人が本当に多かったわけだけど、誰かが亡くなる度に、私はこれらのことを思い出すのだ。

2019-01-09

anond:20190109231113

クリスチャン

信仰者でもないのに、勝手他者攻撃するためだけに都合よくそうやって引用するのやめてくれる?

2018-10-31

anond:20181031175802

去年あたりからついにイースターも騒ぐようになったからな

キリストの『復活』とかいう最高レベル宗教的意味を持つ行事なのに「玉子を食べる日」くらいにしか咀嚼できてない非クリスチャンは悔い改めて、どうぞ。

そのうち日本人は「ハッピーラマダン!」とお祭りしだすに違いないね

2018-10-07

増田って(増田に限らず日本インターネッツほとんどそうだけど)己の交友関係クリスチャンとかムスリムかいねえんだろうな、っていう感じの雰囲気プンプンするやつらばっかりだよな

いたらお前らみたいに宗教に対して昭和オッサンばりの偏見の塊で接するなんて発想にはならないもんな?世界への認識がせっまいせっまい空間で閉じて哀れではあるが、迷惑であることには変わらんわな

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