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はてなキーワード: メディア論とは

2019-11-09

anond:20191108005832

あと、セーラームーンプリキュアは5〜10才くらいの女児向けにアニメ化されたであろう作品なのに、なぜ成人男性に刺さる んだろう?そういうメディア論みたいな記事とか論文とか無いのかな。

2018-10-04

メディア論詳しくないけど、新潮45ヤフー個人AERASPAサイゾー系まとめメディアどれがましか記事にする人出てこないか

2017-07-06

https://anond.hatelabo.jp/20170706232447

蹴鞠おじさん」騒動あたりから勘違いしてるなって感じだったし、

炎上してはてブ信者手のひら返し始めるのも時間問題だなと思ってた。

あの騒動の時にヨッピーマクルーハンっていうメディア論の基礎の基礎も知らないってことがわかったじゃん。

彼は「なんか自分面白いってことやってそれを面白がってみんながバズればOKっしょ?」というぐらいの考えでやってることが露呈した。

コンプライアンスに雁字搦めで炎上とバズの境目が曖昧で、

かつWELQのような劣悪キュレーション簡単蔓延ちゃう脆さのある今のWEBで、

webライティングを牽引していくかもしれない人物言動としてあれじゃ拙すぎるんじゃないかと思った。

いずれ上手くいかなくなるんじゃないかなと。

それ以前に自分自分と近しい人物が、知らない・理解し難いものを「旧来俄然として変革を妨げる悪」とし、

解ろうと努めることを放棄したり拒絶することを正当化するスタンスに幻滅だった。

そんなヨッピーを「高慢インテリぶった業界人の鼻を折るヨッピーさん痺れる憧れる〜」と褒めそやす信者たちにも違和感を抱いた。

話は変わるけど、PR記事中心に活動シフトしてからも自前のブログツイッターコンスタント更新してたでしょあの人。

有名人がああい個人的メディア持っちゃうとき臭いトラブルに巻き込まれやすいんだから

削除するまで出ないにせよ、更新は告知程度に留めておくべきなんだよ。

それが更新やめないどころか、特定個人揶揄するようなトーンでブログ論とかそういうのを増やしちゃうんだからさあ。

自分から嫌われにいってるようにしか見えないよね。

はてブ信者がたむろってるから確認できなかったけど、僕はここ最近になってアンチ結構増えてきたんじゃないかと感じてたわ。

2016-11-11

http://b.hatena.ne.jp/entry/yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014

はてなブックマーク - テクノロジー - ネイティブ広告ハンドブックと広告業界の「蹴鞠おじさん」について - ヨッピーブログ

マーシャルマクルーハンは「メディアメッセージである」「人間拡張」「メディア法則」といった今日に至るメディア論の基礎となる理論提唱した批評家、そして英文学である

彼の著作である人間拡張原理」「メディア法則」は、ヴァルターベンヤミンの「複製技術時代芸術」やウォルターリップマンの「世論」とならぶメディア論重要文献であり、彼らはメディア研究に関する学部所属する学生がまず初めに名前を拝見することとなる人物である

知らずにメディアを語るのは恥ずかしいが知っていても決して自慢にはならない、マクルーハンはそんな存在である

強いていえば日本プロ野球界における長嶋茂雄だろうか。

ちなみにアニーホールに出てるんだって


メディアメッセージである

メディアというと僕らはついマスメディア連想してしまうが、ここでいうメディアは「媒体である

マクルーハンメディア論媒体、つまり直接関係のない複数事物を繋いで作用させるもの全般に関する論理なのだ

それまでメディア運送ダンボールのようなものでそれ自体意味はないとされていた。

メディアという容れ物に収められた内容にばかり注目していたのである

しかマクルーハンメディアのものから人は情報を読み取ることを指摘した。

中に入っているものが同じでもAmazonダンボールみかん箱かで印象が変わるように、

同じメッセージでも発信元が違えば意味合いが変わってきたりするということだ。

人間拡張

ざっくりいうと人間五感認知運動能力メディアの力によって拡張されるということ。

例えば新幹線という交通媒体を使えば3時間半で東京から大阪まで移動できるし、

こうしてweb増田を使えば駄文をとてつもない数の人々に晒すことができる。

それもこれも生身の人間だけでは不可能なことであり、メディアによって拡張されているからこそ為せる技なのだ

しか拡張をすれば元々使っていた身体機能活動に関与する度合いが低くなり終いには身体機能を切断(抑圧)つまり麻痺させてしまうという所までがマクルーハンの持論。

メディア法則

拡充

そのメディアは、社会人間生活のどの側面を促進したり拡充するのか。

衰退

そのメディアの出現前に支持されていた(あるいは傑出していた)どの側面をかげらしたり衰退させたりするのか。

回復

そのメディアは何を衰退の影から回復させたり再び脚光を当てたりするのか。

逆転

そのメディア自然に消えたり可能性の限界まで開発されたりするときに、何に逆転したりひっくり返ったりするのか。

http://mediaresearch.blog.jp/archives/1807983.html



もうマクルーハンという名前なんて何年も聞いたことないような人間が寝ぼけ眼で書いたものなので突っ込みは勘弁ください。

2016-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20160104230205

「街場のメディア論」(光文社新書)をおすすめするよ。

第一講だけでも読むといいよ、って言って渡すよ。

2015-11-12

ブコメブクマされてたのでその返し

メールボックス漁ったらコール来てて、見てみたらブクマけっこう付いてた。全然意図が伝わってなかったので意見を述べる。

 

ブクマした元記事ブコメした内容。

難民侮辱イラストを描いた漫画家はすみとしこ「シリア難民問題に関する最悪の7人」に選出される | BUZZAP!(バザップ!)

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/268764398/comment/Gakkuri-Kanabun_09

人知れず消えるはずだった日本語のしょぼい風刺画が、反差別派の方々の活躍により見事世界7強の仲間入りを果たしました。

世界中の人々を不快にさせ、関係者にわざわざ知らせてまで掴んだ勝利おめでとうございます

 

憎悪表現グロ動画拡散したり関係者に見せるっておかしくね?

アイドルアンチコメントをわざわざ拡散したり、アイドル本人に知らせたりするファンやマネージャーはおらん。

ISISの処刑映像をわざわざ拡散したり、遺族に見せようとする奴らはISISの協力者とすら思う。

多くの人を悲しませる上に、攻撃者の思う壺だからね。

 

しかし今回の騒動では、差別的であるから問題だという風刺画を、FaceBookが削除しないからといって、

圧力をかけるために世界中拡散する人が居て、深く傷つくかもしれない関係者に報告までしたという。

しかもその行為リベラルな人々に支持されていた。

 

なんと狂っていることか!

本当に混乱させられて、かなりきつく皮肉いたことを書かずにはいられなかった。

それが問題ブコメというわけ。

 

批判風刺本来文脈と異なる文脈に持ち込むべきではない

ドイツ海岸に流れ着いた子供の亡骸が報道されたことで、一気に世論の流れが変わり難民受け入れをすることになったんだけど、

そういう世論熱狂に流されて重大な政策を進めるのって危険だし、まさしく戦後日本が恐れてきた空気って奴だと思う。

 

なので、いかにも同情を惹き、社会扇動しそうな画像を、あえて空気を読まないでおちょくるってのは、

風刺画の正当な表現だし、なすべき使命だ。

民主主義を大切に思うなら基本的には、強い自制心を持って意識的賞賛しなければならない表現だ。

 

もっと言えば、画像おちょくる風刺画を見て「悲しいけど、そういう意見もあるか。」と受け止めるのではなく、

可哀想少女悪人として描いている!許せない!世界中から同調者を集めて圧力かけよう!」となったのであれば、

その人は同調圧力のものであり空気と一体化したと言える。

 

反差別信条とする人でも空気に飲まれ軽率な行動に走ったり、同調圧力を発する側になる。

普通と言えば普通だが、それを見せつけてくれたことが風刺画の最大の成果だと個人的に思っている。

 

とにかく、問題風刺画にはそういう批判精神を見出すこともできる。

でもそれは、「マスコミ扇動には乗らないぞ!」っていう意識文脈を共有していないと分からないことであり、

文脈の外では良くてただの嫌味な絵、最悪の場合には憎悪暴力を誘発する絵になってしまう。

 

風刺画が公開された当初、日本国内にとどまっていた状況では、

よくある難民支援への協力を求めるお涙ちょうだいの少女画像に対する皮肉あるいは、

ドイツ難民受け入れ決定への批判ドイツにならおうとする国内の勢力への警告

という意味合いが強かっただろうと推測できる。難民の全部が全部、金をせびりに来た者だと作者も思ってなかろう。

 

では、風刺画世界中拡散して難民本人が見るようになったとき風刺画意味合いはどう変わるだろうか?

上で述べたようなメディア論政策論的な意味合いは消え失せてしまい、難民個人を中傷する要素が強くなってしまう。

少なくとも難民受け入れ国で難民に対して見せつけて喧嘩にならない表現ではないだろう。

 

誰が風刺画中傷画にしたのだろうか?誰が難民に対して酷い表現を投げつけたのだろうか?

拡散という行為がどういう結果をもたらすのか少し考えてほしい。

難民少女とその関係者を大切に思うなら、今回の風刺画騒動日本国内で決着をつけなければならなかった。

 

風刺画自体はろくでもない

適当に書いた作品世界レベル拡散されるとは誰も思うまい。その点は同情する。

しかし、熟慮して書かれたものではないのに、見た人の思慮深さを試す内容になっている。

無礼だと思う。

2015-10-06

松永寛和「ライトノベルの著者近影論」

本発表ではライトノベルの著者近影を一〇〇〇枚以上取集した調査の結果を報告すると共に、その変遷の意味を論じる。

著者近影は読者に対し著者をいかに提示するのか、という点において大きな役割果たしている。

我々は漱石や太宰といった作家達の顔を簡単に思い浮かべることが出来る。

その知識、記憶テクストを統括する人格存在を暗示する。

著者近影は近代文学においては作家主義を補強する機能果たしてきた。

しかし、ライトノベルの著者近影は現在近代文学のそれとはかけ離れたものとなっている。

その変遷には作品作家、読者との関係がいかに変化していったのかが表れている。

収集したサンプルは以下の通りに分類した。

1、顔が鮮明に映っている。

2、サングラスや手、帽子などにより風貌を隠している。

3、自分身の回りのモノの写真

4、イラストを使用している。

これらを年代順に並べることによりライトノベルの著者近影がどのような変遷を辿ってきたかが明らかになる。

一九九二年以前は、ライトノベルの著者近影も近代文学と同じように著者の顔をはっきりと映していた。

けれど、一九九三年、神坂一が著者近影にイラストを使用したのを一つの契機として、同様の例が増え始める。

その後、二〇〇〇年に時雨沢恵一がモノの写真を使用したことから、身近なモノの写真が著者近影に使用されるようになる。

現在ではライトノベルの著者近影はイラストかモノの写真にほぼ大別される。

メディア論重要批評家であるヴァルター・ベンヤミン肖像写真と接する時、人々は唯一性、一回性ばかりに注目してしまうと論じている。

近代文学はそのような写真の力に依拠し、著者近影によって作家性を強調していた。

しかし、ライトノベルの著者近影はイラスト、あるいは身近なモノの写真へと移り変わった。

ライトノベルは著者を特別主体としてではなく、どこにでもいる、大衆に埋没するような存在として提示している。

http://amjls.web.fc2.com/PDF2015/P06-25_123.pdf

2015-08-14

プロデザイナー存在意義って……

私は大昔に美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、デジタル以前から現在まで、デザインで飯を食ってきたが、

つの時代でもデザイナーというのは(就業人口の少なさという意味で)マイナーなので、

一般からは業務の実際を知られていないなあと思う。

オリンピックエンブレム問題から派生した諸問題に、周囲のデザイナー界隈は今、みんなウンザリしている。

そんな中で、とある記事ブコメ典型的な「普通の人」の意見を見つけ、

ああ、残念だなあと思った。

曰く、「デザインという感性世界作品に、コンペで優劣を付けることが可能か?」

私の答えは「はい。優劣の評価は可能です。点数を付けることだってできます

ただし、一定得点を越えると”感性”の差ではなく、一種の”政治的判断”で得点が変わります。」となる。

デザイン感性みたいなふわっとした物言いに、とても違和感がある。

感性」とは置き換えればカッコイイ・美しい・訴求力があるものの選択能力だが、

商業デザインプロは、それらを理論化・数値化・データ化して考えるものなんだ。

プレゼンに勝つためにもね。

上記のブコメのような質問は、プロフェッショナル否定論につながる。

コンペで好き嫌い当落を決めてたら、

審査員がただのどシロウトということになるし、

好き嫌い選考されるものに応募するデザイナーはいなくなる。

デザインを構築する要素の大部分は、実は厳密な理論や、歴史から学んだハック、

あるいはマーケティングから得られたデータであって、

わりと理系寄りな教養トレーニングの積み重ねがないとプロになれない。

また、そうでなければ、安定した職業として成り立たない。

例えば、話題多摩美術大学の、2014年度履修科目の中から『共通基礎教育科目』を見てみるといい。

絵ばっかり描いているわけじゃないのだ。

一部抜き出すと、

心理学芸術心理学/造形心理学歴史学日本文化史論/文学美学概論/美学考古学文化人類学民俗学芸術科学/図学/日本美術史概論/東洋美術史概論/西洋美術史概論/宗教学人間工学/色彩論/芸術材料学/近代デザイン史/染織史/文様史/写真論/社会心理学マスコミ心理学映像メディア論情報論/情報工学演習(コンピュータ基礎、情報機器操作3DCG)/総合講座デザイン論/現代工芸論/服飾文化

基礎学問を学んだ上で、自分の手を動かして作品を作る実践授業を受ける。

特に「造形心理学」「色彩論」あたりは、自分が学んだ頃よりずっと進化している学問分野だろう。)

すると、おのずと他人作品を見て、「こういう背景をふまえて、こういう意図で作ったな」という

コンテキスト、というか文脈が透けて見えるようになる。

かかってる予算すら、読めてしまう。

プロなら分かる」って、どこの分野でも同じだろう。

プログラマならコードを見ればわかる。八百屋なら野菜を見ればわかる。

でも「何をどうわかってるか」を他人に伝えるには、膨大な説明が必要になる。

しかもいざ説明しようとすると「長い、3行で」となって聞いてくれない。

多くのデザイン関係者が今でも「オリンピックエンブレム盗作に当たらない」と断じているのは

まさに上記のような、職業人としての訓練の結果(及び法的手続きの結果)だが、

ネットでそれを言うと、手斧を持ったモヒカンが大挙して襲って来るよね。

何でもかんでもポジショントークに見えてしまうんだろうね。

その様子を見ていて、「多数決文化を殺す」って感じるよね。

2013-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20130701115041

本人がブログで謝罪したようです。

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/07/01/220257

個人的に今までの書き込みを読む限りではこの程度のぺらぺらな謝罪で何かが変わるとも思えません。

北日本の人々や韓国に対するヘイトスピーチについての言及が謝罪文にないこと。

それらについては「魔が差した」とか「含みのある表現」というレベルを超えていること。

この増田が書かれた後にも何回もヘイトをツイートし、ツイッターIDをコロコロ変更したりブログを非公開にしたことを考えれば、反省しているとは到底思えないので。

メディア論を学んでいるだけあって謝罪の早さだけが一人前で、むしろただただ醜く狡猾だとしか思えませんね。

2012-12-26

SmartNewsが叩かれてしまった たった一つの理由

ニュースアプリリーダー「SmartNews」をめぐる議論

http://togetter.com/li/425926

SmartNewsが叩かれる発端となったIT戦士こと岡田有花(@yukatan)さんの発言日時に注目して欲しい。12月20日である。これが何を意味するのか。netwatherならもうおわかりだろうが、一応以下のサイトを見て頂きたい。

IT戦士ゆかたんクリスマスの思い出

http://okadayuka.com/

まりまとめると、今年もロンリークリスマスを過ごす事が決定的となったIT戦士ゆかたんイライラの矛先になってしまったという仮説である著作権とかビジネスの問題とかメディア論とかキャッシュの問題とかクローラー挙動とか全くの無関係だったのだ。

http://anond.hatelabo.jp/20121226010035

2011-11-25

大学生のうちに読んでおくべき新書50冊

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書) 堤 未果

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書) 堤 未果

貧困(岩波新書) 湯浅

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) 福岡 伸一

科学する麻雀 (講談社現代新書) とつげき東北

不機嫌な職場 (講談社現代新書) 河合 太介、高橋 克徳、永田 稔、渡部

「分かりやすい説明」の技術 (ブルーバックス) 藤沢 晃治

学問のすすめ (ちくま新書) 福澤 諭吉斎藤

ウェブ進化論 (ちくま新書) 梅田 望夫

日本人の誇り (文春新書) 藤原 正彦

決断できない日本 (文春新書) ケビン・メア

臆病者のための株入門 (文春新書) 橘 玲

拒否できない日本 (文春新書) 関岡 英之

官僚責任 (PHP新書) 古賀 茂明

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書) 竹田 恒泰

お金の流れが変わった! (PHP新書) 大前 研一

わかったつもり (光文社新書) 西林 克彦

若者はなぜ3年で辞めるのか? (光文社新書) 城 繁幸

街場のメディア論 (光文社新書) 内田

行動経済学 (光文社新書) 友野 典男

日本世界5位の農業大国 (講談社+α新書) 浅川 芳裕

キリスト教は邪教です! (講談社+α新書) ニーチェ

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書) 岡田 斗司夫

とてつもない日本 (新潮新書) 麻生 太郎

武士の家計簿 (新潮新書) 磯田 道史

死の壁 (新潮新書) 養老 孟司

バカの壁 (新潮新書) 養老 孟司

不動心 (新潮新書) 松井 秀喜

世界日本人ジョーク集 (中公新書ラクレ) 早坂 隆

決断力 (角川oneテーマ21) 羽生 善治

ツイてる! (角川oneテーマ21) 斎藤 一人

リクルートDNA (角川oneテーマ21) 江副 浩正

脳に悪い7つの習慣 (幻冬舎新書) 林 成之

宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書) 村山

レバレッジ時間術 (幻冬舎新書) 本田 直之

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書) 上杉

日本10新宗教 (幻冬舎新書) 島田 裕巳

日本を貶めた10人の売国政治家 (幻冬舎新書) 小林 よしの

伝える力 (PHPビジネス新書) 池上

即戦力の磨き方 (PHPビジネス新書) 大前 研一

脳が冴える15の習慣 (生活人新書) 築山 節

フリーズする脳 (生活人新書) 築山 節

世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書) 岡田 斗司夫

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書) 藤原 正彦、 小川 洋子

多読術 (ちくまプリマー新書) 松岡 正剛

包帯クラブ (ちくまプリマー新書) 天童 荒太

原発ウソ (扶桑社新書) 小出 裕章

TPP日本を壊す (扶桑社新書) 廣宮 孝信、 青木 文鷹

「未納が増えると年金破綻する」って誰が言った? (扶桑社新書) 細野 真宏

怒らないこと (サンガ新書) アルボムッレ スマナサーラ

2011-09-30

ネトウヨについて

ネトウヨについて僕が考えていることを書こうと思う。

 

この文章は割と長い。これはネトウヨに読んでもらうためにはあきらかにマイナスだ。

(1)長い文章が読めない→(2)見出しだけで内容を判断する→(3)的外れコメントをする

ご存じのとおり、これがネトウヨの黄金パターンだ。

ネトウヨの大部分は長い文章を読めない。

いや、正確には、長い文章を読めない者がネトウヨになる割合が多いのだ。

その理由は、この文章を最後まで読んでもらえばわかると思いたい。

では、なぜ僕は読まれないのに長い文章を書くのか。

それも、最後まで読んでもらえればわかると思う。

とりあえず、文章が長いというクレームは受け付けない。

ビートタケシが言うように、嫌ならただ、見なければいいのだ。

 

最初に、「ネトウヨ」という呼称を使う理由について説明したい。

 

ここでは主に、ネット上にて

反韓デモ扇動したり在日差別を行うやたらと排他主義的な人物

自分は国にろくな貢献もしていないくせにやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者

といった人物を指してネトウヨとしている。また、これらの人物の特徴としては

・やたらとネット上での声がでかい

・短文かコピペしか自分意見を表明できない

自分の主張を正当化させたり他人の正論を貶めるためには平気でデマを流す

無知ゆえに存在しない陰謀と戦っており、自分のみが真実を得ていると思い込んでいる

などがある。

こういった人々は基本的にネトウヨと呼ばれるのを嫌う。なぜ嫌うのかはよくわからない。

しかしたらバカにされていることに薄々感づいているのかもしれない。

でも、この文章の中ではネトウヨと呼ばせてもらう。

決してネトウヨを怒らせたいからでなく、ただ他の呼称適当ものがみつからいからだ。

 

では、まず説明したいのは、ネトウヨいか情報に踊らされているかということだ。

 

ネトウヨは言う。「メディア韓国電通民主党コントロールされている」と。

まあ、当然だが現実にそんなことはない。

そういうことを言うバカがいて、ネトウヨは簡単にそいつらに踊らされる。

メディアについて、専門家が正しく解説している文章はネット上にいくらでもあるが、ネトウヨはそういう自分たちに都合の悪いものはまず読まない。

そして、家から出たこともないような引きこもり想像で書いた落書きや、自称事情通の友人が書いた落書きだけを「真実だ」と信じ込む。

でも、残念だけど、陰謀論というのは無知人間の間からしか発生しない。無知人間の浅い想像ルサンチマンが、くだらない陰謀論を生む。

例えば、だれか国際金融マーケットに立つ一流のトレーダーで、ロスチャイルド家世界経済コントロールしているなんて陰謀論を信じている奴が一人でもいるだろうか。

一方で、「少年ジャンプ印刷部数は集英社コントロールしている」という事実は、集英社社長に聞いても、大日本印刷社長に聞いても間違いないだろう。

ある事象陰謀論事実なのかは、十分な知識をもった専門家がどのように考えているかを調べれば簡単にわかる。

もちろん、大勢の言うことがいつも正しいというわけではない。しかし、大勢の専門家が言うことは大抵の場合正しい。

これまでの歴史を振り返ってみて決して例外がないわけではないが、やはり大抵の場合専門家意見が正しい。

それを違うと思うなら、素人想像ストーリー鵜呑みにするのではなく、まずは自分の頭で考えることだ。

でも、大抵の人間はそれができない。ネトウヨになんてできるわけがない。

真実だと言い張る、嘘で耳になじみの良い、自分たちだけしか知らない(と思い込んだ)、バカみたいな情報に騙される。

から、それなら専門家の言うことを信じていた方が無難だよとアドバイスしてやりたい。

専門家並みの知見を得られないのなら、専門家の言うことをだまって信じていればよいのだ。

 

では、話が戻ってメディアコントロールの話だが、これはありえないとメディア業界が長い僕が断言する。

そして、業界のまともな人間なら、みんながみんな、「特定の団体がメディアコントロールするなんてありえない」と言うだろう。

でも、そんな現場ではだれもが知っていることが、噂話による想像しか状況を思い描けないネトウヨには理解できないらしい。

ネトウヨにもわかるようにコミケを例にしてみよう。

仮の話だが、ここ5年、販売される同人誌をすべて分析してみた結果、登場するキャラクター巨乳率が有意に大型化していることを発見したとしよう。

2006年は平均Cカップ弱程度だったのに、07年にはCカップ、09年にはDカップ11年においては平均がなんとEカップものサイズになっていた。

この事実を、コミケのことを詳しく知らない人物が分析し、理由づけしたところ、

「婚期を逃した女性たちが結託して、ロリコンを撲滅し、豊満な肉体を持つ熟女の魅力を刷りこむために行っている、つまり犯人2ch喪女だ(喪女犯人説)」

という結論に達したとする。

くだらないので例は書かないが、いくら反論されても論理的に説明できるだろう。

いざとなれば1番胸の大きい同人誌を書いている女性を連れて来たら、そんなものを書いている女性の多くは喪女だろうから、簡単に証明成功だ。

もちろん、その1番胸の大きい同人誌を書いているの女性が既婚なら、2番でも3番でもいい。

でも、そんな喪女犯人説がナンセンスなのはコミケに参加したことがある人ならだれでもわかるはずだ。

もしも同人誌の絵の胸が年々大きくなっているとすれば、それはそういう絵が流行りで、そういう絵が求められているからだ。

熟女の魅力を刷りこむなんて無駄努力のために、全作家巨乳を書くように頼んでまわるバカなんているわけがない。

仮に存在したとしても、作家がそんなことに協力するわけがない。この陰謀論はまったくもってバカらしい。

メディアコントロールされているなんてのもまったく同様だ。

どうやって全メディアに偏った報道をするように頼んでまわれるというのだ。

そんなことに協力するメディアもいるわけがない。

もちろんネトウヨは可能だと言うだろう。だが、喪女犯人だって同様に可能なのだ。

あらゆる可能性は存在するが、だからといってあらゆる真実存在するわけではない。

喪女犯人説と同様に、現代日本メディアコントロール説は明らかにナンセンスだと断言できる。

 

メディアが偏っていると憤慨しているやつは、コミケの話で言えば貧乳派だ。

とにかく巨乳同人誌が目立つのが気に入らない。

から文句を言いたいし、自分の周りはみんな貧乳派だから巨乳派が多数だなんて認められない。

でも、コミケで年々胸が大きくなるのが流行りだったように、その報道の偏りも、いわばただの流行りなのだ。

麻生が字を間違えたことばかりあんなに大きく報道したのに、民主党の○○はまったく報道されていない」

なんて言うやつがいるが、たんに麻生が字を間違えたことを多くの視聴者は見たがった。ただそれだけだ。

いや、見たくなかったなんて言うやつもいるかもしれないが、そういうやつこそ苦々しい顔をして繰り返し見ているものなのだ。

「私が見ていないから、みんなが見たくないはずだ」なんて思うのはばかげてる。

「私の周りはみんな見ていないから、ほとんどの人が見ていないはずだ」なんてのはナンセンスの極みだ。

ご存じのとおり、日本メディアはそのほとんどが営利企業だ。最大多数の人が求めるものを最優先で提供するのだ。

これはメディア論で最も重要な前提知識と言っていい。

そして、断言してもいい。日本で最も強い組織は日本政府だ。

日本メディアコントロールできるなら、確実に政府与党によってコントロールされているはずである

可能ならば、以前なら自民党、今は民主党自分たちの都合の良いようにコントロールしているはずである

しか現実では、今のテレビ新聞民主党の悪口だらけなのは言うまでもない。

 

結局のところ、メディアが偏っていると騒ぐやつらは、自分たちの望むように偏らせたいと願うやつらなのだ。

自分たちが大切だと思うニュースを、大多数が見たいニュースより目立たせろと言うバカなのだ。

重要かどうかを決めるのはお前たちではないのだ。それぞれのメディア専門家がいて、その責を持った者が決めるのだ。

「あのデモを取り上げなかった」「あの失言を取り上げなかった」

それを取り上げたとすれば、それこそが一般的には偏向報道なのだ。

それが、狭い世界にいて、自分けがすべて、ネットにいる仲間たちだけがすべてだったら、理解することができないのだ。。

貧乳派が貧乳派だけで集まり必然的に情報は偏り、制限される。

ネット貧乳派のコミュニティを覗いて、貧乳派の声が圧倒的に大きいと感じる。

から自分たちは正義だと思い、巨乳が増加するコミケを批判し、原因をねつ造する。

正確にはどっかのバカが想像で書いたフィクション真実なのだと信じ込む。今やっているのはつまり、そういうことなのだ。

しかし、残念ながら世の中の多数派は巨乳派なのだ。

まり、世の中の大多数にとって、そのデモはどうでもいいのだ。そのデモの記事なんて読みたくないのだ。

メディア中の人間は、それがよくわかっているから、この結果になるのだ。

それが情報の制限されたネトウヨには理解できないからこそ、ネトウヨ真実にたどりつくことが決してないのだ。

 

と、ここまで勢いよく書いたが、上記に一点だけ付け加えたい。

メディアコントロールできる唯一のものとして、そのメディア自身がある。つまり、「自社に直接関係する事件」はかなりの割合がなんらかの形でコントロールされる。

もちろん、自社に関係するといっても、報道媒体が「スポンサーが」なんて言うことは仕組み的にありえない。社員逮捕とか、自社の粉飾決算とか、そういう話だ。

しかし、それは民間企業として当たり前である当事者性の観点からも、裁判が終わり事実が確定するまで自社では報道すべきではないともいえる。

そして、日本ではまったく別資本メディアが無数にあるので、これを陰謀論の根拠とすることは不可能だ。

ちなみに、新聞社同士、テレビ局同士は仲間ではなくライバルだ。足を引っ張れるなら引っ張りたいとお互いに思いあっている関係だ。互いに擁護することなんてまずないだろう。

以上は蛇足だったとは思うが、僕は正直者なので念のため。

 

次に、なぜネトウヨはやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者なのかについて考察したい。

 

結論から言うと、彼らは他に誇るものがないからなのだ。

何かをなしとげたわけでもなく、だれかに認められた経験もない。

まりネトウヨとは、自らのアイデンティティ確立することに失敗した人間たちではないかと僕は考えている。

そういった実績や経験は年を重ねて初めて身につけられることが多い。例えば、小学生で明らかな実績や経験を誇れる人間は一握りだろう。大多数の子どもは何ももっていない。

からなのだ。

小学生から中学生の頃、親が社長だとか、親戚が芸能人だとか、自分が得たものではなく与えられたものについて、やたらと自慢する鼻つまみ者が存在したのは。

自分自身が何者でもないなら、自分自身以外から自分アイデンティティ証明するものを持ってくるしかない。

もちろん、他所から持ってきた「自分が特別(他の人とは違う)だという証明」は、自分自身で積み重ねたものに劣る。

からほとんどの人は年を重ねるにつれ、自分自身のアイデンティティを、自ら積み重ねたもの証明するようになる。

それは学校名だったり、職場名だったり、能力だったり、経験だったりするわけだ。

しかし、ネトウヨは何も持たない。正確には、何も持たないと自分で思っている者がネトウヨになりやすい。

ネトウヨ自分自身を卑下している。彼らにとって胸を張って他人に対して誇れる自分の「証明」が存在しないのだ。

 

そんなどうしようもない人物が、唯一手にすることができるのが「日本人」だということなのだ。

彼らはおそらくこう思っている。日本人西洋人には劣るが、他のアジア人よりは優秀だと。西洋人には劣ると考えているため、西洋人に認められることをすごく喜ぶ。

親日的な西洋人ネタ2chまとめブログでも人気の記事だ。一方で、アジア人(特に中国韓国人)のことを見下しているため、アジア人に対してはまずバカにしてかかる。

しかし、残念ながら本来人種に優劣などないので、人口土地の広い中国には必然的に抜かれそうになる。

その他新興国だって、遅れながらも成長をはじめ、先行した日本の地位を脅かし始める。

まあ社会が成長する過程において当然のことだし、まっとうな日本人なら、今の日本の発展を維持するか、今以上に成長させる方法を考える。

しかネトウヨはそんなことは考えられない。そもそもそんなことを考える立場にもいない。それなのに、今のアジア人を見下す立場だけは死守したい。

それだけが自分存在価値であり、人生において人を見下せる唯一の武器からだ。

そうなると必然的にネトウヨアジア人を叩く。とくに国際的な立場日本に迫りつつある中国人韓国人を叩く。自分たち自身を伸ばせないなら叩くしかない。

もちろんネトウヨがいくらわめいたところで現実は何も変わらない。でも、ネトウヨはそれしかできないからそうするしかない。

ネトウヨアジア各国は劣っていると思いたい。日本はすばらしい優秀な国だと思いたい。

しかし、本当の愛国者は、自分の国が優秀だから愛するのではない。自分の生まれ育った国だから愛するのだ。

自分の国が優秀だから愛するのが愛国者なら、失敗国家愛国者などいるはずがない。

愛国とは、親を愛する、子を愛するのと同じなのだ。ダメな親でも、ダメな子でも愛するように、愛国者自分の国を愛するものなのだ。

親の悪口を言うことも、子の愚痴を言うことがあっても親子は愛し合うように、自分の国に対し批判的な意見を言っても愛国者だということは十分にありうるのだ。

ネトウヨはなぜ違うか。なぜ自分の国が優秀だと言い張り、日本の行動や歴史を批判する日本人がいれば必要以上に叩くのか。

それはネトウヨ日本を愛しているからではなく、ネトウヨにとって日本自分アイデンティティ証明するための道具にすぎないからだ。

道具の価値を下げられそうになれば抵抗する。それはネトウヨの気持ちになれば確かに理解できる行動だ。ただし、それが健全な行動だとは言い難い。そんなものが新の愛国者なはずがない。

 

最後に、ネトウヨが内包する矛盾について語ろうと思う。

 

ワンピースという漫画がある。

どんな漫画でも映画でも小説でもなんでもよいのだが、今最も売れている漫画として、とりあえずワンピースを例にあげる。

ワンピースでは、主人公ルフィの血のつながらない兄として「エース」がいる。エースは大犯罪者の息子だ。そのために物心ついたころから差別されて育ってきた。生まれて来なければよかったと言われ、多くの人に憎まれた。

物語が進み、エースは白ひげという海賊出会う。エースを憎むスクアードという海賊に白ひげは言う。

「親の罪を子に晴らすなんて滑稽だ。エースがお前に何をした?仲良くやんな、みんなおれの家族だぜ」

で、ここで多くの人が感動したと思う。

ワンピース差別問題を積極的に扱っている。その差別問題のエピソードで打ち出されるメッセージはいつも「差別はよくない」だ。

ワンピース以外でも差別問題を扱った物語はいくらでもある。

よく思い出してほしい。差別されていじめられる子が登場する物語を。いつもその物語から打ち出されるメッセージは「差別はよくない」だったはずだ。

なぜ、メッセージはいつも「差別はよくない」なのか。

まあ、「差別しようぜ」というメッセージはかなりとがった媒体でもないと表現できないという理由もある。

しかし、それ以上に「差別はよくない」というのが僕らのモラル、そして常識と合致するからだ。だから多くの人が感動するのだ。

差別された悲劇に涙し、差別に打ち勝った勇気に打ち震えるのだ。それなのにネトウヨアジア人差別する。

では、彼らはワンピースに感動しないのだろうか。

いや、そんなことはない。もちろんネトウヨも人の子だ。ワンピースはともかく、なんらかの差別問題を扱ったストーリーに感銘を覚えた経験はあるはずだ。

少なくとも、ネトウヨ差別を肯定的にとらえているほど積極的に思考している人間は少ないだろう。

ここでネトウヨにおける最大の矛盾が顔を現す。

差別はいけないことであり、差別を克服する物語に感動するのに、なぜ彼らはアジア人差別するのかということだ。

まず、単純だが愚かな反論として、「差別ではなく劣っているから指摘しているだけだ」というのがある。

まあ、「それが差別だ」との一言でおわる反論だが、あえて詳しく説明しよう。

・エースは大犯罪者の血をひいているだけあり、かなりの暴れ者だった。

米国黒人犯罪を犯す可能性は白人よりもはるかに高い。

・一流の数学者科学者の大多数は男性だ。

それでも親の罪を子に晴らすなんて滑稽だし、黒人犯罪者予備軍扱いしてはならないし、女性が学びの道に進むことを阻害してはならないのだ。

なぜなら、人には人権があり、差別されず正当に生きる権利があるからだ。一部のアジア人不正おかしたからといって、「あんな国は亡びればいい」だとか「あいつらは劣等民族だ」なんて言うことは明らかに誤りである

2chネトウヨ跋扈しているスレッドでは、目を覆うような罵詈雑言が「すべての」中国人韓国人に投げつけられている。

彼らはワンピースに感動し、差別はよくないとうなずきながら、その手は差別用語を打ち続けるのだ。どうしてそのようなことがおこるのか。

続く→

http://anond.hatelabo.jp/20110930005852

2011-08-28

ネトウヨについて

ネトウヨについて僕が考えていることを書こうと思う。

 

この文章は割と長い。これはネトウヨに読んでもらうためにはあきらかにマイナスだ。

(1)長い文章が読めない→(2)見出しだけで内容を判断する→(3)的外れコメントをする

ご存じのとおり、これがネトウヨの黄金パターンだ。

ネトウヨの大部分は長い文章を読めない。

いや、正確には、長い文章を読めない者がネトウヨになる割合が多いのだ。

その理由は、この文章を最後まで読んでもらえばわかると思いたい。

では、なぜ僕は読まれないのに長い文章を書くのか。

それも、最後まで読んでもらえればわかると思う。

とりあえず、文章が長いというクレームは受け付けない。

ビートタケシが言うように、嫌ならただ、見なければいいのだ。

 

最初に、「ネトウヨ」という呼称を使う理由について説明したい。

 

ここでは主に、ネット上にて

反韓デモを扇動したり在日差別を行うやたらと排他主義的な人物

自分は国にろくな貢献もしていないくせにやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者

といった人物を指してネトウヨとしている。また、これらの人物の特徴としては

・やたらとネット上での声がでかい

・短文かコピペしか自分意見を表明できない

自分の主張を正当化させたり他人の正論を貶めるためには平気でデマを流す

無知ゆえに存在しない陰謀と戦っており、自分のみが真実を得ていると思い込んでいる

などがある。

こういった人々は基本的にネトウヨと呼ばれるのを嫌う。なぜ嫌うのかはよくわからない。

しかしたらバカにされていることに薄々感づいているのかもしれない。

でも、この文章の中ではネトウヨと呼ばせてもらう。

決してネトウヨを怒らせたいからでなく、ただ他の呼称適当ものがみつからいからだ。

 

では、まず説明したいのは、ネトウヨいか情報に踊らされているかということだ。

 

ネトウヨは言う。「メディア韓国電通民主党コントロールされている」と。

まあ、当然だが現実にそんなことはない。

そういうことを言うバカがいて、ネトウヨは簡単にそいつらに踊らされる。

メディアについて、専門家が正しく解説している文章はネット上にいくらでもあるが、ネトウヨはそういう自分たちに都合の悪いものはまず読まない。

そして、家から出たこともないような引きこもり想像で書いた落書きや、自称事情通の友人が書いた落書きだけを「真実だ」と信じ込む。

でも、残念だけど、陰謀論というのは無知人間の間からしか発生しない。無知人間の浅い想像ルサンチマンが、くだらない陰謀論を生む。

例えば、だれか国際金融マーケットに立つ一流のトレーダーで、ロスチャイルド家世界経済コントロールしているなんて陰謀論を信じている奴が一人でもいるだろうか。

一方で、「少年ジャンプ印刷部数は集英社コントロールしている」という事実は、集英社社長に聞いても、大日本印刷社長に聞いても間違いないだろう。

ある事象陰謀論事実なのかは、十分な知識をもった専門家がどのように考えているかを調べれば簡単にわかる。

もちろん、大勢の言うことがいつも正しいというわけではない。しかし、大勢の専門家が言うことは大抵の場合正しい。

これまでの歴史を振り返ってみて決して例外がないわけではないが、やはり大抵の場合専門家意見が正しい。

それを違うと思うなら、素人想像ストーリー鵜呑みにするのではなく、まずは自分の頭で考えることだ。

でも、大抵の人間はそれができない。ネトウヨになんてできるわけがない。

真実だと言い張る、嘘で耳になじみの良い、自分たちだけしか知らない(と思い込んだ)、バカみたいな情報に騙される。

から、それなら専門家の言うことを信じていた方が無難だよとアドバイスしてやりたい。

専門家並みの知見を得られないのなら、専門家の言うことをだまって信じていればよいのだ。

 

では、話が戻ってメディアコントロールの話だが、これはありえないとメディア業界が長い僕が断言する。

そして、業界のまともな人間なら、みんながみんな、「特定の団体がメディアコントロールするなんてありえない」と言うだろう。

でも、そんな現場ではだれもが知っていることが、噂話による想像しか状況を思い描けないネトウヨには理解できないらしい。

ネトウヨにもわかるようにコミケを例にしてみよう。

仮の話だが、ここ5年、販売される同人誌をすべて分析してみた結果、登場するキャラクター巨乳率が有意に大型化していることを発見したとしよう。

2006年は平均Cカップ弱程度だったのに、07年にはCカップ、09年にはDカップ11年においては平均がなんとEカップものサイズになっていた。

この事実を、コミケのことを詳しく知らない人物が分析し、理由づけしたところ、

「婚期を逃した女性たちが結託して、ロリコンを撲滅し、豊満な肉体を持つ熟女の魅力を刷りこむために行っている、つまり犯人2ch喪女だ(喪女犯人説)」

という結論に達したとする。

くだらないので例は書かないが、いくら反論されても論理的に説明できるだろう。

いざとなれば1番胸の大きい同人誌を書いている女性を連れて来たら、そんなものを書いている女性の多くは喪女だろうから、簡単に証明成功だ。

もちろん、その1番胸の大きい同人誌を書いているの女性が既婚なら、2番でも3番でもいい。

でも、そんな喪女犯人説がナンセンスなのはコミケに参加したことがある人ならだれでもわかるはずだ。

もしも同人誌の絵の胸が年々大きくなっているとすれば、それはそういう絵が流行りで、そういう絵が求められているからだ。

熟女の魅力を刷りこむなんて無駄努力のために、全作家巨乳を書くように頼んでまわるバカなんているわけがない。

仮に存在したとしても、作家がそんなことに協力するわけがない。この陰謀論はまったくもってバカらしい。

メディアコントロールされているなんてのもまったく同様だ。

どうやって全メディアに偏った報道をするように頼んでまわれるというのだ。

そんなことに協力するメディアもいるわけがない。

もちろんネトウヨは可能だと言うだろう。だが、喪女犯人だって同様に可能なのだ。

あらゆる可能性は存在するが、だからといってあらゆる真実存在するわけではない。

喪女犯人説と同様に、現代日本メディアコントロール説は明らかにナンセンスだと断言できる。

 

メディアが偏っていると憤慨しているやつは、コミケの話で言えば貧乳派だ。

とにかく巨乳同人誌が目立つのが気に入らない。

から文句を言いたいし、自分の周りはみんな貧乳派だから巨乳派が多数だなんて認められない。

でも、コミケで年々胸が大きくなるのが流行りだったように、その報道の偏りも、いわばただの流行りなのだ。

麻生が字を間違えたことばかりあんなに大きく報道したのに、民主党の○○はまったく報道されていない」

なんて言うやつがいるが、たんに麻生が字を間違えたことを多くの視聴者は見たがった。ただそれだけだ。

いや、見たくなかったなんて言うやつもいるかもしれないが、そういうやつこそ苦々しい顔をして繰り返し見ているものなのだ。

「私が見ていないから、みんなが見たくないはずだ」なんて思うのはばかげてる。

「私の周りはみんな見ていないから、ほとんどの人が見ていないはずだ」なんてのはナンセンスの極みだ。

ご存じのとおり、日本メディアはそのほとんどが営利企業だ。最大多数の人が求めるものを最優先で提供するのだ。

これはメディア論で最も重要な前提知識と言っていい。

そして、断言してもいい。日本で最も強い組織は日本政府だ。

日本メディアコントロールできるなら、確実に政府与党によってコントロールされているはずである

可能ならば、以前なら自民党、今は民主党自分たちの都合の良いようにコントロールしているはずである

しか現実では、今のテレビ新聞民主党の悪口だらけなのは言うまでもない。

 

結局のところ、メディアが偏っていると騒ぐやつらは、自分たちの望むように偏らせたいと願うやつらなのだ。

自分たちが大切だと思うニュースを、大多数が見たいニュースより目立たせろと言うバカなのだ。

重要かどうかを決めるのはお前たちではないのだ。それぞれのメディア専門家がいて、その責を持った者が決めるのだ。

「あのデモを取り上げなかった」「あの失言を取り上げなかった」

それを取り上げたとすれば、それこそが一般的には偏向報道なのだ。

それが、狭い世界にいて、自分けがすべて、ネットにいる仲間たちだけがすべてだったら、理解することができないのだ。。

貧乳派が貧乳派だけで集まり必然的に情報は偏り、制限される。

ネット貧乳派のコミュニティを覗いて、貧乳派の声が圧倒的に大きいと感じる。

から自分たちは正義だと思い、巨乳が増加するコミケを批判し、原因をねつ造する。

正確にはどっかのバカが想像で書いたフィクション真実なのだと信じ込む。今やっているのはつまり、そういうことなのだ。

しかし、残念ながら世の中の多数派は巨乳派なのだ。

まり、世の中の大多数にとって、そのデモはどうでもいいのだ。そのデモの記事なんて読みたくないのだ。

メディア中の人間は、それがよくわかっているから、この結果になるのだ。

それが情報の制限されたネトウヨには理解できないからこそ、ネトウヨ真実にたどりつくことが決してないのだ。

 

と、ここまで勢いよく書いたが、上記に一点だけ付け加えたい。

メディアコントロールできる唯一のものとして、そのメディア自身がある。つまり、「自社に直接関係する事件」はかなりの割合がなんらかの形でコントロールされる。

もちろん、自社に関係するといっても、報道媒体が「スポンサーが」なんて言うことは仕組み的にありえない。社員逮捕とか、自社の粉飾決算とか、そういう話だ。

しかし、それは民間企業として当たり前である当事者性の観点からも、裁判が終わり事実が確定するまで自社では報道すべきではないともいえる。

そして、日本ではまったく別資本メディアが無数にあるので、これを陰謀論の根拠とすることは不可能だ。

ちなみに、新聞社同士、テレビ局同士は仲間ではなくライバルだ。足を引っ張れるなら引っ張りたいとお互いに思いあっている関係だ。互いに擁護することなんてまずないだろう。

以上は蛇足だったとは思うが、僕は正直者なので念のため。

 

次に、なぜネトウヨはやたら無根拠に自国を誇るエセ愛国者なのかについて考察したい。

 

結論から言うと、彼らは他に誇るものがないからなのだ。

何かをなしとげたわけでもなく、だれかに認められた経験もない。

まりネトウヨとは、自らのアイデンティティ確立することに失敗した人間たちではないかと僕は考えている。

そういった実績や経験は年を重ねて初めて身につけられることが多い。例えば、小学生で明らかな実績や経験を誇れる人間は一握りだろう。大多数の子どもは何ももっていない。

からなのだ。

小学生から中学生の頃、親が社長だとか、親戚が芸能人だとか、自分が得たものではなく与えられたものについて、やたらと自慢する鼻つまみ者が存在したのは。

自分自身が何者でもないなら、自分自身以外から自分アイデンティティ証明するものを持ってくるしかない。

もちろん、他所から持ってきた「自分が特別(他の人とは違う)だという証明」は、自分自身で積み重ねたものに劣る。

からほとんどの人は年を重ねるにつれ、自分自身のアイデンティティを、自ら積み重ねたもの証明するようになる。

それは学校名だったり、職場名だったり、能力だったり、経験だったりするわけだ。

しかし、ネトウヨは何も持たない。正確には、何も持たないと自分で思っている者がネトウヨになりやすい。

ネトウヨ自分自身を卑下している。彼らにとって胸を張って他人に対して誇れる自分の「証明」が存在しないのだ。

 

そんなどうしようもない人物が、唯一手にすることができるのが「日本人」だということなのだ。

彼らはおそらくこう思っている。日本人西洋人には劣るが、他のアジア人よりは優秀だと。西洋人には劣ると考えているため、西洋人に認められることをすごく喜ぶ。

親日的な西洋人ネタ2chまとめブログでも人気の記事だ。一方で、アジア人(特に中国韓国人)のことを見下しているため、アジア人に対してはまずバカにしてかかる。

しかし、残念ながら本来人種に優劣などないので、人口土地の広い中国には必然的に抜かれそうになる。

その他新興国だって、遅れながらも成長をはじめ、先行した日本の地位を脅かし始める。

まあ社会が成長する過程において当然のことだし、まっとうな日本人なら、今の日本の発展を維持するか、今以上に成長させる方法を考える。

しかネトウヨはそんなことは考えられない。そもそもそんなことを考える立場にもいない。それなのに、今のアジア人を見下す立場だけは死守したい。

それだけが自分存在価値であり、人生において人を見下せる唯一の武器からだ。

そうなると必然的にネトウヨアジア人を叩く。とくに国際的な立場日本に迫りつつある中国人韓国人を叩く。自分たち自身を伸ばせないなら叩くしかない。

もちろんネトウヨがいくらわめいたところで現実は何も変わらない。でも、ネトウヨはそれしかできないからそうするしかない。

ネトウヨアジア各国は劣っていると思いたい。日本はすばらしい優秀な国だと思いたい。

しかし、本当の愛国者は、自分の国が優秀だから愛するのではない。自分の生まれ育った国だから愛するのだ。

自分の国が優秀だから愛するのが愛国者なら、失敗国家愛国者などいるはずがない。

愛国とは、親を愛する、子を愛するのと同じなのだ。ダメな親でも、ダメな子でも愛するように、愛国者自分の国を愛するものなのだ。

親の悪口を言うことも、子の愚痴を言うことがあっても親子は愛し合うように、自分の国に対し批判的な意見を言っても愛国者だということは十分にありうるのだ。

ネトウヨはなぜ違うか。なぜ自分の国が優秀だと言い張り、日本の行動や歴史を批判する日本人がいれば必要以上に叩くのか。

それはネトウヨ日本を愛しているからではなく、ネトウヨにとって日本自分アイデンティティ証明するための道具にすぎないからだ。

道具の価値を下げられそうになれば抵抗する。それはネトウヨの気持ちになれば確かに理解できる行動だ。ただし、それが健全な行動だとは言い難い。そんなものが新の愛国者なはずがない。

 

最後に、ネトウヨが内包する矛盾について語ろうと思う。

 

ワンピースという漫画がある。

どんな漫画でも映画でも小説でもなんでもよいのだが、今最も売れている漫画として、とりあえずワンピースを例にあげる。

ワンピースでは、主人公ルフィの血のつながらない兄として「エース」がいる。エースは大犯罪者の息子だ。そのために物心ついたころから差別されて育ってきた。生まれて来なければよかったと言われ、多くの人に憎まれた。

物語が進み、エースは白ひげという海賊出会う。エースを憎むスクアードという海賊に白ひげは言う。

「親の罪を子に晴らすなんて滑稽だ。エースがお前に何をした?仲良くやんな、みんなおれの家族だぜ」

で、ここで多くの人が感動したと思う。

ワンピース差別問題を積極的に扱っている。その差別問題のエピソードで打ち出されるメッセージはいつも「差別はよくない」だ。

ワンピース以外でも差別問題を扱った物語はいくらでもある。

よく思い出してほしい。差別されていじめられる子が登場する物語を。いつもその物語から打ち出されるメッセージは「差別はよくない」だったはずだ。

なぜ、メッセージはいつも「差別はよくない」なのか。

まあ、「差別しようぜ」というメッセージはかなりとがった媒体でもないと表現できないという理由もある。

しかし、それ以上に「差別はよくない」というのが僕らのモラル、そして常識と合致するからだ。だから多くの人が感動するのだ。

差別された悲劇に涙し、差別に打ち勝った勇気に打ち震えるのだ。それなのにネトウヨアジア人差別する。

では、彼らはワンピースに感動しないのだろうか。

いや、そんなことはない。もちろんネトウヨも人の子だ。ワンピースはともかく、なんらかの差別問題を扱ったストーリーに感銘を覚えた経験はあるはずだ。

少なくとも、ネトウヨ差別を肯定的にとらえているほど積極的に思考している人間は少ないだろう。

ここでネトウヨにおける最大の矛盾が顔を現す。

差別はいけないことであり、差別を克服する物語に感動するのに、なぜ彼らはアジア人差別するのかということだ。

まず、単純だが愚かな反論として、「差別ではなく劣っているから指摘しているだけだ」というのがある。

まあ、「それが差別だ」との一言でおわる反論だが、あえて詳しく説明しよう。

・エースは大犯罪者の血をひいているだけあり、かなりの暴れ者だった。

米国黒人犯罪を犯す可能性は白人よりもはるかに高い。

・一流の数学者科学者の大多数は男性だ。

それでも親の罪を子に晴らすなんて滑稽だし、黒人犯罪者予備軍扱いしてはならないし、女性が学びの道に進むことを阻害してはならないのだ。

なぜなら、人には人権があり、差別されず正当に生きる権利があるからだ。一部のアジア人不正おかしたからといって、「あんな国は亡びればいい」だとか「あいつらは劣等民族だ」なんて言うことは明らかに誤りである

2chネトウヨ跋扈しているスレッドでは、目を覆うような罵詈雑言が「すべての」中国人韓国人に投げつけられている。

彼らはワンピースに感動し、差別はよくないとうなずきながら、その手は差別用語を打ち続けるのだ。どうしてそのようなことがおこるのか。

続く→

http://anond.hatelabo.jp/20110828151605

2011-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20110816094811

増田で出てくるのは常にメディア論ウヨサヨ論であって韓流はダシ。

韓流自体が話題になってるのは見たことないよ。


韓国コンテンツの中での特定の誰かの芸だとかについて

熱く分析して賞賛する人やいや違うという人が現れたら

あなたの言う「流行ってるもの賛否両論」という状態だけど、

そういうのが現れたことはない。


さらに、

これが本題だけど、

はてな匿名ダイアリー毎日話題になる=世間で流行してる」は無理すぎるよ!

そんな恐ろしい論理が通るなら

世間で流行ってるものって「童貞論、社蓄論、統合失調症」になるけど、そんな世間嫌だよ!

2011-07-19

初音ミクLAライブ外国人感想その13

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミクLAライブについて、各所で話題になっていたマサチューセッツ工科大サイト感想翻訳してみた。初音ミク現象を基に、情報を巡る様々な活動の基盤となるメディアプラットフォームのあり方について考えたもので、書き手はミクが市民主導のメディア作りをするうえで参考になると考えているようだ。残念ながら一ヶ所、fro-ducerなる意味の分からない用語があったのでそこは翻訳していない。意味を知っている人がいたらご教授願いたい。

 urlは以下の通り。

http://civic.mit.edu/blog/condry/miku-japans-virtual-idol-and-media-platform

+++++以下勝手翻訳+++++

ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

 7月2日土曜日、私は普通じゃないライブショー、日本から来たヴァーチャルアイドル米国デビューを見に行った。彼女市民メディアについて私たちに何かを伝えられる存在だと思う。

 初音ミクアニメエキスポにおける催しの一つとして、ロサンゼルスノキア・シアターで公演した。完売したコンサートには、多くがコスチュームに身を包んだ4000人を超えるファンが訪れ、ステージ上で生の演奏家の横に投影された「人間サイズ」の映像であるミクが床からせり出してくると、彼らは叫びケミカルライトを振った。

 ミクは甘く歌い、幅20フィートある放物線状の鏡に沿って跳びはね、大半は熱狂的なテクノダンス・ポップな曲目を駆け抜ける間、決して汗をかかなかった。ステージの脇には彼女と他のバンドメンバークローズアップした映像スクリーンに映し出されていた。彼女はちょっとしたおしゃべりもした。「はじめまして初音ミクです」。そしてバンドギターベースキーボードドラム)と6人の弦楽器奏者たちを紹介した。私たちは彼女拍手を送り続けた。

 「あたしたちは歴史を作っているのよ」と、私の隣に座った若い女性友達に話しかけていた。たしかにそんな気がした。そして政治ポピュラー音楽について私が知っていると考えていることについて、改めて考え直した。

 誰もが喝采しているが、何に対して? ステージ上、私たちの注目が集まる場所には誰もいない。単に仮想アバター存在するだけだ。何のアバター? 一体誰の? それは私たちの。

 大衆文化政治と同様、しばしばステージ上の(あるいはスクリーンに映された)リーダーを前提としているように見えるが、その影響力や、しばしば創造性そのものが、どう転んでもより幅広い分散型の集団行動から生まれてくることを、ミクは示している。ミクは未開拓の可能性を孕む世界クラウドソースな動員モデル、そして一部はソフト技術ボーカロイド)、一部は文化的なアイデア(ミクというキャラからなるメディアプラットフォームに関する有益な事例について、言外にほのめかしているのだ。

 ミクはYAMAHAが開発し2004年から販売を始めたボーカロイドと呼ばれる音楽合成ソフトウエアパッケージの声として作られた。ボーカロイドガレージバンド音楽制作ソフト]同様、演奏用の道具として音楽を作ることができるが、その際にメロディーと同じく歌詞を書けるという特徴も持っている。別の企業クリプトンフューチャーエンターテインメントママ]が2007年漫画風の画像と経歴設定(16歳、身長体重、その他)と一緒に、追加音声であるミクを発売した。

http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01_us.jsp

 重要なことに、クリプトン画像に対する著作権を強く主張しない方針を定め、キャラクター彼女自身の生命、より正確に言えば私たち自身の生命を持てるよう制限を解いた。いわば私たち誰もがレディー・ガガのために音楽を作り、それを彼女が私たちのために演じてくれるようなものだ。ミクがリアルじゃないってことが問題だって? それじゃレディー・ガガはどのくらい「リアル」なんだい?

 ファンはそれにこたえ、さまざまな共通の服装及び像(たとえばネギ)を共有しながら数百数千の音楽ビデオオンライン投稿した。以来、日本動画シェアサイトニコニコ動画への投稿及びコメントを通じて増幅されたファンの取り組みのおかげで、ミクはスターの座へ駆け上がった。いわゆる「Nicodo」[ニコ動]はユーチューブと似ているが、動画を見ていると利用者のコメントスクロールしていくところが違っており、それによって参加者の視点というレイヤーが追加されている。

 今日ではミクのP(『プロデューサー』)は彼らの作品をオンラインで販売し、日本カラオケスポットでは好きなミクの歌をダウンロードして歌うことができる。クリプトンは、彼ら曰くクリエイティブ・コモンズの模倣であるPiaproというオンラインサイトを持ち、連携促進とライセンス供与をするシステムを作っている。ファンの作品は他の販売経路を通じても売られている。2010年11月東京池袋で開かれ私を含めた7000人の参加者を集めた完売のファン・コンベンションでは、集められた500のファングループボーカロイド関連の音楽ポスターDVDイラスト本、テレビゲーム、装飾品その他を販売した。

http://ketto.com/tvm/

 こうしたファンの興奮ぶりを踏まえると、ビッグビジネスが仲間に加わろうとするのも不思議はない。2009年以来、SEGAProject Divaというタイトル名でミクの携帯機及びアーケード向けゲーム作成している。トヨタも今や広告シリーズでミクを使っており、彼らはミクのロサンゼルスデビューの前にCMを公開したほどだ(いくらかの非難も浴びたが、おそらくは善意に基づいて作られていた)。とはいえ究極のところミクはファンの取り組みによって命を吹き込まれており、ミクが商業主義世界に足を踏み入れるのを見るのが興味深いのもそれこそが理由だろう。

 ミクは、以前から知られていた市民メディアのための教訓のいくつかを補強する存在だ。人々が参加するには本当の開放性が感じられることが必要であり、共有と対話がコミュニティー形成のカギになる。管理された知的財産権システムよりも自由な文化の方がより何かを生み出す力があり、新規参入商業主義化は、特に人気が高まった場合は常にリスクとなる。

 だがミクは分散型の創造性について、ウィキペディアとも人間セレブとも異なる特殊な図式を提示している。ミクにはバックグラウンドが欠けている。彼女には予め定められた人格はない。彼女は唯一の完成した空想世界存在しているのではない。このウィキセレブは、将来がプラットフォームに在る時代において、昔ながらの人間セレブ白物家電のように見せてしまう。

 この事実民主主義と参加についての考え方にも別の道筋を提供するのだろうか? 行動と人気を生み出すのがリーダーたち以外の社会的現実だとしたら、メディアに関する問いは表現される内容よりも、プラットフォームのあり方、それがどれほど開放的であり、それが許す創造性の形式がどんなものであるかに振り向けられるだろう。

 クリプトン社長伊藤博之2011年10月、ミクと計画されている英語版を含む関連プロジェクトについて議論するため[MITの]比較メディア論を訪れる。彼はこの現象を、エンターテインメント産業について再考する機会だとみている。「これは普通ではない形の創造です」と、コンサート前にLAで短時間出会った際に彼は言った。「私たちはコンテンツ作成する過程を作り変えているのです」。ミクが機能するのは分散型のファン=製作グループの関与があるからだ。おそらくこれはプロ=シューマー[生産消費者]の終焉であり、fro-ducer[残念ながら意味不明]の台頭なのだ。

 大衆文化は、市民メディアを分析・設計する際に利用できる社会的力学を照らし出すものだ、と私は信じている。大衆文化政治的参加のための媒体になり得るのみならず、特に人々に行動を促すという観点からどのようにアイデアが流れ影響をもたらすかについて把握するモデル提供してくれる。

 アニメに関する研究において、私は仮想のキャラクターがそれ独自で生成力のある創造性のプラットフォームになっているとの結論に達した。そこからより多くの種類のプラットフォームが出てきそうであり、創造され、築かれ、共有され、分配され、リミックスされ拡張されるのを待っていることを、ミクは明白に示した。ミクについて考えることで、私たちが未来において行動するコミュニティー創造するための新たなアプローチについて思い描けるようになること、それが私の望みだ。

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-04-14

twitterはバカ発見器なの?脊椎反射で書き込むから

ツイッターで石原当選に不満を漏らす有名人たち:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

マンガゲーム業界では有名な人もこんな発言をしているようだし…

  

インターネット上で見られる反石原の言論というと、青少年条例新銀行東京築地移転オリンピック招致、天罰発言ばかりが目に付いた。とくに青少年条例

私も青少年条例は間違っていると思う。以前から反対のメールを出したり、メディア論の本を読んだりした。というか、つい先月までマンガ大好きのteenagerだった。だからこそ、父権温情主義的な青少年条例は大嫌いだ。

けれども、都知事を選ぶに際して「青少年条例」のただ一点だけを基準とするのはばかげている。都の将来の財政は決して明るいものはない。都民の4人に1人が高齢者、という時代も目前。国もお金がないから「都の財布に手を突っ込む」ようなことが今後もあるかもしれない。

こうした状況を踏まえれば、石原に票が集まって当然じゃないの。

2010-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20100302233406

思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観

といっているけれど、それなら義務教育課程できちんと性教育すりゃいいのに。

それとも俺が知らないだけでちゃんとやっているのかな。

  

科学データも根拠もなしに規制できる、というのならメディア論の方向からではどうしようもないかも。

2010-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20100217080131

俺も「メディアの影響」と断言する切り口には賛同しないし、そもそもイデオロギー管理メディアに託せと

主張する元増田の主張には全く賛同出来ないんだけど。(それ、めっちゃ危ないし)

だからこの文章は議論のための議論、お遊び。だからネタ元は申し訳ないけどググって欲しい。

でも、UFOに関しては実はそれ結構有名な研究素材だったりする。

えーと、誰だったかな。昔、UFOっていう存在が生まれてくる前、「UFO」的な存在ってのは

「空を行く船」だったんですよ。「俺んちの上を船がギコギコとんでったんだよー」って目撃証言が結構ある。

それが、第二次世界大戦最中「フー・ファイター」に化けた。

ドイツの新型爆撃機だったり、あるいは日本の新兵器だと言われたりした。

そしてその次に来たのが、ケネスアーノルド事件。空飛ぶ円盤誕生となった事件。

これの面白いのは、ケネスUFOの「飛び方」を表現するために、フライングソーサーという言葉を使ったんだよね。

決して、物体の「形状」を表現するために使ったんじゃない。

でも、この時代のメディアで「空飛ぶ円盤」と表現されたため、一気に「円盤」の目撃例がこの後増えるわけです。

恐らく元増田ロズウェル事件とケネスアーノルド事件を混同してるんだろうけれど、

メディアがある種のものをイデオロギー化して蔓延させるって面ではケネスアーノルド事件ほどわかりやすいサンプルはないでしょう。

まるで、UFOの如く表れまるで実在論的な存在として日本社会に居ついた「恋愛」のようにね。

日本の「恋愛」はツルゲーネフの影響が地味に大きかったりもする、何故なら日本に「恋愛」を持ち込んだ奴らの聖書がこれだったから。

そーいうわけで、ケネス事件ってのはある種のイデオロギーメディアによって実在化するっていうのの例示として、

割りと有名なモノだったりする。これ、専門書も一杯出てるから読んでみると面白い。「恋愛」と非常に似通う。

そして、「家制度解体」のような社会の変化とメディアが一体化したって面でも一致が見られて、

この時代UFOは「冷戦」を背景にその存在をより実在的なものとして現したわけなんですよ。ソ連秘密兵器だー、って。

その辺はもうこの辺りの議論として使い古された定型なので、そんなに厳密にデータ出させる必要はないかな、と思う。

そして、「犯罪率」

これに関しては、一時サカキバラ事件のあたりに「若者犯罪率がヤベエ!」みたいなデータが出てきたときのもの。

これ、確かに一時「キレる若者」とあいまって、非常に社会に浸透した。

それはもちろん五年スパンで見れば確かに上昇してたんだけど、30年スパンで見ると半分以下に減っていた、っていう

最近の若者は」論に対するカウンターとして、現在では有名になっている。

「正しい統計を使って嘘をつく方法」としても有名。

現在でも、インチキ統計議論に関して非常に頻出するイシューだったり。ただ、これに関しては

インターネットメディアの逆襲もあって「一番犯罪率高いの団塊じゃねえかwww」って結論が

現在では割りとネットにもリアルにも根付いてる気がする。

ボクシング殺人に関してはぼく知らないけどね。

でも、この二つに関しては理論語の定義をしなくても、ある種のメディア理論として定型化してるので

十分議論の俎上に上げられるかなぁ。社会背景との複合性も含めて、「決め付けによる印象論」とは

切り捨てられない論題にまで熟成しちゃってると思う。だって、ちょいと検索すれば全部出るもの。

特に恋愛UFOの現象的類似性は、十分語れると思うなぁ。

まぁ、ロズウェルとケネスを混同するのは良くないけど。(ロズウェルはケネスほど、明らかに「メディアの影響」と腑分けできない。ケネスは、「円盤」っていうのがあったからメディア論の格好の素材になったわけで)

恋愛」って日本人にとってUFOみたいなモンなんですよね。

冷戦」の社会背景は「戦後」になるし、突然現れて「実在する真実」みたいな色合いを持った点も共通するし。

するってーと、やっぱそのコンテクストの集合点になっている「恋愛」が、メディアの流布したものだって点は

やっぱり見逃せないんじゃないかと思うなぁ。俺は元増田のように、「恋愛ドラマ」が原因だとは思わないけど。

どう考えてもツルゲーネフを持ち込んだ奴らが悪いと思うw

2009-10-12

私が池田先生を好かないたったひとつの理由

Twitterにおける池田信夫への罵詈雑言が酷すぎる件

http://anond.hatelabo.jp/20091011164125

これを読んで、思ったことをつらつらと。

まず、池田先生ネットに対する姿勢がよく表れている、この記事引用させていただく。

ひろゆきは「賠償金を取る方法はない」と高をくくっているようだが、バブルの処理のときは、同様に開き直る不動産業者を警察は「競売妨害」などの罪で大量に投獄した。要は「あいつは悪い奴だ」というコンセンサスができるかどうかが問題で、そういう「国策」があれば犯罪は(よしあしはともかく)いくらでもつくれるのだ。ライブドアWinnyには擁護論が高まったが、2ちゃんねるが閉鎖されても同情する人はほとんどいないだろう。

前にも書いたように、排泄物を見れば健康状態がわかるという意味では、2ちゃんねるにもいくらかの意味はあるかもしれません。異様な匿名志向の強さは、「表」の生活で彼らが強く抑圧されて「本音」を押し殺していることを示しています。ふだんはおとなしくて礼儀正しい日本人の「裏」の顔が、実はこんなにおどろおどろしいというのは、まぁ他では知ることのできない貴重な情報でしょう。


端的に言わせていただく。池田先生は、下品である。

刑事犯でもない人間犯罪者がごとく扱い、呼び捨てにする。亀井大臣を、「亀」などといった明らかに侮蔑をこめた呼称で呼び、「あいつはヤクザとつるんでいる」などと公の場で言う(仮に事実だとしても、確たる証拠もないのに言うのはちと問題。ちなみに私だって亀井大臣の政策は大反対だし、正直早々に辞めてほしいとは思っている。その上で言っている)。公の場で人をクズ呼ばわりする。twitter罵倒してきた人間をわざわざ晒し、わざわざ「こいつをブロックしてやった」と宣言する。2chを排泄物に例えるなど、あまり上品とは言えない例を平気で出す(「便所の落書き」というのは自嘲ネタであって、外部の者がそれを踏まえて揶揄するにしては、いささか下品すぎる)。

2ch経験もまったくない人のために少し基礎的すぎることから話すけれども、2chヘビーユーザーIEFirefoxといったwebブラウザで閲覧・書き込みをすることはめったになく、Jane Doe Style(余談だがJane Doeとは「山田花子」的なありふれた名前、つまり事実上の「名無しの権兵衛」を指す。2chの名無し文化を象徴しているセンスのあるソフト名である)などといった「専用ブラウザ」を用いている。これが非常に便利で、自分が好かない言葉を表示させないようにしたり、気に食わない人間IDを指定してその日の彼(彼女)の発言をすべて抹殺することができる。これを「あぼ~ん」というのだが、世の中にはいちいち「てめぇなんてあぼんしてやったからwwww」とばかりに対象のレスが消えた状態を相手に見せつけてくる趣味の悪い輩がいる。

これと、池田先生の「twitterブロック宣言」(参照1)(参照2)(参照3)(参照4)は同じなのだ。いわゆるネット弁慶ねらーとやっていることは大して変わらない。私は池田先生のそういった幼稚なところが一人の人間として大嫌いなのだ。本質的には池田先生と彼の発言をいちいち取り上げて「ネットいじめ」に近いことをしている連中は、同じ穴の狢なのである。

ここで、「名無し」と実名でやってる学者を対等に語るなという批判はもちろんある。さきほど挙げたブログにも、コメント欄にこんな氏の発言がある。

2ちゃんねるに対する評価は、そこに書かれる可能性のある(名前の知られた)人とそうでない人とでは、まったく違うと思います。事実無根の悪口を書かれる不快感は、そういう経験のない人にはわからない。他人に対する想像力もない人が「お前はわかってない」などと説教するのはやめてほしいものです。

なるほどなるほど、正論、と私は思う。

そもそも何故匿名が叩かれるのかといえば、攻撃の一方向性にあるのだと私は考えている。反論する場所を与えられていないのは、苦痛だ。言われっぱなしはつらい。学校職場における1対多数のいじめが何故いけないのかというのも、ここにある。殴り返す相手もいないまま、自分だけボロボロになっていく。これは卑怯だ。事実私も、はてブホッテントリ池田先生自転車云々の発言が載っていたのを見て、ドン引きした。これはひどいよなと思った。これ以上アクセス数を伸ばすことに加担するのはよくないと思ったので、ブコメは読んだものの私は登録しなかった(したらますます上に上がるから)。

話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。

それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。

匿名の集団による叩きは卑怯である。じゃあ実名正義か。そんなわけないだろう。

池田先生の発言は公ですべきものとはとてもじゃないが言えない。2ch煽りに「お前、じゃあそれ俺と面と向かっても言えるんだな?」と返している人をたまに見かけるが、それに対し「ああ、言えるさ」と平然と答える人間は私は軽蔑する。反撃される覚悟を以てして言ってるからいいのだ。そんなわけないだろう。路上で一方的に殴っていようが殴り合っていようがおまわりさんが見かけたら怒られるに決まってる。一方通行煽りは、卑怯だ。でも双方向ならいいかっていうと、それは違うでしょ。

そして、暴露してしまうと、実は池田先生は正々堂々としているかというと、そうでもないのである。

何故なら罵倒してきた人間クズ呼ばわりして、公衆の面前に晒しておいて、そこで「あぼん」をしたからである。「あぼん」された側は以降池田先生に反論ができない。クズ呼ばわりされた弁解もできない。一方通行罵倒で終了である。本来、ブロックにせよあぼんにせよ黙って各自が勝手にするのがスマートというか、マナーだとは思う。捨て台詞吐いてフタを閉めてるようじゃ、2chの卑怯者とやらとなんら変わらない。

私は以前からそれを池田先生に対し実名アカウント等で直接本人に何度も言ってきた。無論、反応はない。先生多忙なのだからそれに対しては文句は言わない。一人の人間としてそれはどうかと思ったから、一人の人間として抗議というか忠言というか、そういうのをしたまでだ。学者先生とか、そういう肩書の問題じゃあない。メディア論を語る人として、ネットの言論を引っ張っていくアルファブロガーとして、そういったレベルぐらいはちゃんとしようよ、ということだ。私から言わせれば先生、あなたの罵詈雑言こそがネットノイズなんだよ。そういうことなんですよ。

というわけで実名でも匿名でもネット空間活用してる一小市民の私が、池田先生に対する反感を代弁してみた。多分、いわゆるネットイナゴ的な動機で騒いでいる人だって多いだろう。ただ、私のように「てめぇだって卑怯じゃねぇか」と思った上で抗議している人間が存在することも池田先生は分かってほしい。

ちなみに今回は、増田が「匿名」でしたので、私も「匿名」でトラバを送らせていただいております。繰り返すけど実名でも抗議はしてますけどね。

追記

そこそこの反響があったので、追記。ブコメで「なげぇよ」といったのがあったので、上の論点もまとめとく。

一方通行で殴るのは卑怯

・だから匿名は卑怯

・でも実名でも罵倒しておいてその後にブロックしたら双方向性がないよね

コンテンツS/N比をしばしば説いてる先生糞スレチェッカーにひっかかるような単語を用いるってどうよ

・あ、増田に対する返答だから今は自分増田だけど、実は実名でも文句言ってます

別に私自身匿名でも実名でもそんなにお上品ではないんですけどね。実況板で「見えたっ!」とか言ってるアホですしね。でもまぁ、事実無根の中傷とか、本当の意味で下劣なことは好かないんですよね。本当に何度も繰り返しちゃうけど、S/N比が高まることを望むなら、イナゴが沸かないような言葉回しを覚えることも必要だと思うんですね。池田先生の著書は一般向けに面白く書かれているものもあるし、アゴラといった活動も応援しています。だからこそ「ネット上での私語は、居酒屋オヤジとやってる時の私語ほどフリーダムであってはならない」ということを自覚してほしい。聞いてる人の数が問題なんですよと言えばいいのかな。

以下、ブコメにいくつかコメント

正直に相手にしてくれないことが悔しいと書け

嫌う必要がない。嫉妬では?

こういうのを読むとなんだかなぁ、と思う。一方向性と双方向性について書いて、「前者は卑怯だ、でも後者でも品はよくないよね、しかも池田先生って前者を否定してる割には実は双方向性がないよね」と説いてみたわけなんだが、私の書き方が悪かったのかしら。「みんながみんなノリで騒いでるわけじゃないんだよ」ということを知ってほしかったから書いたまでであって、タイトルが示す通りこれは価値の問題です。結局、正誤は問えん。嫉妬なのかなぁと一応まじめにしばし考えたけれど、そういう感情はないな。

あと、他の増田さん(参照)にこんなのがあった。

池田信夫の場合は最初から、自分が傲慢に振舞うことを恐れていない。

だから考えながら読む必要があまり無い。言葉の裏を読む労を閲覧者に強いていない分、やさしいよ。

だから読者が多いんだと思うよ。

人と仲が悪くなることを恐れて書くブログって、すげーつまんないから。

これは同意かな。mixiで昔はすっげーはっちゃけ日記書いてた人がいたんだけど、知名度あがったら「ライブやります☆」みたいな宣伝日記とか「ファンの皆さんに感謝です♪」とかなんの面白みもない言葉しか書けなくなった人がいて、あれは残念だった。池田先生もキレがあるから池田先生なのかもしれない。でも、やっぱり、さきに述べたようなことは少しは改善してほしいな。

キッチンにゴキブリのエサを自分で撒いてどうする。

匿名側は、三振したら別人を装って直後に打席に立つことが出来てしまい、ホームランを打ったときだけ、その記録(例えば、はてブなど)が残せてしまう。やっぱり、アンフェアだよ。

トラバ参照)より。

そうね、これも同意。双方向性に欠けるだけじゃなく、発言の蓄積がない者が急に正論めいたことを言ってもな、というのはある。属人的な考えだけど、否定はできないな。

2009-06-24

Perfumeあ~ちゃんインタビュー騒動に見る、ブログメディアであるという意識の低さ

Perfumeファンの妄想日記騒動で思ったんだけど

気になったのは

Jcastみたいなメディアが取りあげたのが悪い。私は個人だから勝手妄想で書いてるだけで悪くない

みたいに言ってる事。でもさぁ、ブログメディアじゃん?

32歳SEならそのへんわかれよ。mixi馬鹿学生かよおまえは

ブログメディアである以上、対等に語られるべきだし、責任も等しくあるべきなんだよね

人気のないブログだから何言っても赦されるなんてこと無いわけで

それがインターネットの力であり怖いところ。でも文明ってそういうもんだろ。

いつまで旧来型のメディア論で片付けようとしてるんだろう

はてブもこの人に同情的で、そのくせ悪いのはJカスだ、ロキノンだ、とか言ってて

はてなユーザーもこの程度かとガッカリした。

責任取りたくないならチラシの裏にでも書いてろ。

2009-02-25

勉強をサボって頭が悪い人は頭がよい人に玩ばれるだけなんだろうな

id:magician-of-posthumanが仕掛けた罠とは何だったのかについて一考した。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131

 id:gerlingは、何の技も会得せずに、「メディア論」という一つの学問分野に対して「道場破り」を挑んできた。しかし学術の道場では、何の技も会得していない雑魚と同じ「土俵」に立つような真似はしない。雑魚は「門前払い」だ。しかしながら、メディア論の道場では、「門前払い」になった雑魚を<踏み台>にすることによって、より高き土俵を造ることが可能なのである。

 どういうことか?今id:gerlingが陥っているパラドクスは、自らの反論が何ら相手にされずに、反論対象を好都合にしてしまっているというパラドクスなのである。id:gerlingがメディア論に反論しても、メディア論の必要性を助長させてしまうのだ。

増田的には注目度は低かった「科学的な議論」ではあったが、この議論は最初から茶番だった。

 

id:gerlingの反論が非科学的な反論(笑)であったために、

id:magician-of-posthumanはそれを都合よく「利用」したってことだ。

 

id:gerlingは、最初から手のひらの上だったのだろう。

  

 

議論の流れはこうなる。

 

1.id:gerlingは、id:magician-of-posthumanの「メディア論」を「ミクロ権力論」と混同して反論(笑)した。

 

2.だが、id:magician-of-posthumanは、「メディア論」がシステム理論の「コミュニケーションメディア論」と

  フランクフルト学派の「メディア論」的転回関係し、「ミクロ権力論」とは全く違うと言う事を説明した。

  http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

  客観的に第三者視点からみても、この時点でid:gerlingの敗北は決定的。

 

3.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

  同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

  証明する事にあったが、id:gerlingは「論旨のずらし」によって不当に応戦した。

 

4.id:gerlingは、システム理論の「コミュニケーションメディア論」を完全スルーしたまま、

  システム理論を「観念論・形而上学精神分析学」だと決め付けてかかった。

 

5.だがid:magician-of-posthumanは、形式とメディア理論オートポイエーシスシステム論を説明し、

  システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」とは全く別物である事を完璧に論証した。

 

6.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

  同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

  証明する事にあり、

  かつ、システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」と同じだと言う事を

  形式とメディア理論オートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、

  id:gerlingはまた「論旨のずらし」によって不当に応戦した。

 

7.http://anond.hatelabo.jp/20090222172805増田が言っていたが、

  id:gerlingは、「コミュニケーション人間的な単位還元する事は不可能」だという

  システム理論の主張を完全スルーしたまま、

  「メディア論はガキくさい」から「id:magician-of-posthumanはガキくさい」へと

  「論旨のずらし」を行った。

 

8.だがid:gerlingのこの「論旨のずらし」だと、

  http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798を全く言い負かす事も

  できないまま主張してしまうために、全く全然具の骨頂な「論旨のずらし」になってしまった。

 

9.id:magician-of-posthumanは、追い討ちをかけるかのごとく、

  id:gerlingの「孫引き」=他者が引用した文章をそのまま引用する不正行為を行っている事、

  id:gerlingがルーマンの文献を読まずにルーマン理論に反論している事の調査不足さ、

  id:gerlingがボルツの文献を読まずにボルツを馬鹿呼ばわりしている事を指摘した。

 

10.id:gerlingは、このid:magician-of-posthumanの追い討ちを受けて、

   やっとルーマンの文献を一冊だけ(←ここポイント)読んで、

   id:magician-of-posthumanのシステム理論が誤読だと反論した。

   実はこの誤読だという反論も、客観的に見れば「論旨のずらし」だとわかる。

   id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

   同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

   証明する事にあり、

   かつ、システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」と同じだと言う事を

   形式とメディア理論オートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、

   id:gerlingはこれらの説明責任の論旨を「id:magician-of-posthumanのシステム理論」へと

   ずらす事で、id:magician-of-posthumanの波状攻撃になんとか対応しようとしたって事だ。

 

11.しかしid:magician-of-posthumanは、id:gerlingが罠に落ちたと言う。

   id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの

  「id:magician-of-posthumanのシステム理論は誤読だ」という主張を、

   これまた正確に反証している。

   id:gerlingは、ルーマン理論が神経や意識を「一度も」説明していないというが、

   id:gerlingが読んだ事のあるルーマン本は、「一冊だけ」だった。

   id:magician-of-posthumanはこれに向かって、

   神経や意識を取り上げているルーマン本を数十冊取り上げ、その頁数まで正確に記載して、

   id:gerlingの「知ったかぶり」を説明した。

 

12.さらにid:magician-of-posthumanは、id:gerlingこそがシステム理論を誤読していると説明する。

   形式とメディア理論オートポイエーシス自己言及と外部言及、システム環境の差異、構成主義認識論、

   コミュニケーションメディア論間テクスト性パラドクス化と脱パラドクス化。

   数多くのシステム理論概念を取り上げ、

   id:gerlingが自分自身の「調査不足」の責任を相手の「説明不足」へと転嫁していると説明する。

 

13.1-12までのながれをみると、どうも客観的な立場の第三者からみると、

   id:magician-of-posthumanがid:gerlingの相手をする理由がないように思えてくるのは気のせいだろうか?

   id:magician-of-posthumanが言うように、id:gerlingは議論の入り口に立ててない。

 

14.しかしid:magician-of-posthumanは、「メディア論」に反論(笑)してくるid:gerlingを

   最初から相手にならない無害な素人と見做し、「メディア論」の必要性を高める為に、

   好都合に利用していたのである。

   詰まり、id:gerlingの「メディア論」批判が「メディア論」に栄養を与えていたってことになる。

 

15.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「孫引き」が知のデザインだという。

。「孫引き」を行なったid:gerlingは、これらの引用記事を読んではいない。読んだ上で言及するならば、最初から正確に引用であることを記したはずだからだ。したがってid:gerlingは、引用記事を読まずに「孫引き」した上で、引用されている記事のバックグラウンドに無学なまま反論(笑)を成し遂げていたと言うことになる。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131

 

16.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「論旨のずらし」も知のデザインだという。

   増田が批判していたが、magician-of-posthumanは肯定的に取り入れているっという事になる。

 「論旨のずらし」は、今現在顕在化している論旨では到底勝つことができないという惨めな気持ちを埋め合わせるために形式化されているのである。言うなれば、「論旨のずらし」とは、既存の論旨に反論したいけれども反論(笑)になってしまうというパラドクスを、別様の「形式」と「メディア」の区別を構成することによって、脱パラドクス化しているのである。つまり、「論旨のずらし」とは現状無害化による問題の隠蔽なのだ。しかし脱パラドクス化はそれ自体がパラドクシカルである。パラドクスの隠蔽はパラドクス発見を伴わせる。だからこそ今現在id:gerlingは、稚拙バックグラウンドのままメディア論に反論(笑)することが、逆にメディア論の必要性を助長するというパラドクスに向き合わざるを得ないのだ。

 

17.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンの文献を読むように誘導していた。

   案の定id:gerlingは、ルーマンの本を「一冊だけ」(←ここポイント)読み、誤読し、自爆した。

   誘導していたid:magician-of-posthumanにとって、ここまで計算どおりだったってことなのである。

   id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンを付け焼き刃で論じても、100%誤読すると

   確信していたんだろう。

   id:magician-of-posthumanは、システム理論完璧に説明し、id:gerlingのルーマン読解を完璧に反証して、

圧倒的な調査不足に基づいた反論(笑)は、まさしく<知のデザイン>である。

   と言っていた。確信犯以外の何者でもない。

 

 

 

こうしてid:gerlingは、id:magician-of-posthumanの手のひらの上で転がされていたんだ。

とくに、id:magician-of-posthumanがわざと「id:gerlingがルーマンの本を読むように誘導」し、「案の定誤読した」ところを

知のデザインの要素として好都合に動員したあたりは、実にしたたか。

今までトニオは周囲から煙たがれるだけの存在だったが、これほど真正面から「利用」されてしまったのは

おそらく初めてではないだろうか?

 

だが僕らには、id:magician-of-posthumanのしたたかさにネガコメを突きつける資格があるのだろうか?

実際問題、id:gerlingの「メディア論」批判が十分な調査不足と正確な反証だったなら、

こんな事は起こらなかっただろう。「メディア論」の必要性を助長させてしまう「メディア論」への反論(笑)

書いて、付け焼き刃の知識と「論旨のずらし」や「孫引き」を繰り返して非科学的な反論をしてしまった

id:gerlingにも、問題はあっただろう。

 

たぶん僕らが教訓として言えるのは、

普段から努力をサボってる奴には、努力した者だけが参加できるハイレベルな議論に

参加する事が許されないってことなんだろう。サボりは悪い。

2009-02-22

論旨をずらして反論(笑)すると、勝手に「一人堂々巡り」にハマル

トニオに激怒したのは久しぶりだな

トニオとポマえもんの議論からスゴイ事発見しちゃった増田が通りますよ

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090217/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090221/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090221/1235173303

アンチ・トニオの増田から物申す

  

議論を一通り読んで疑問に思ったんだが

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」というのが

ポマえもんのシステム論的な主張のひとつなんだよな?(そういえば宮台も言ってた気がする

で、反論する立場のid:gerlingは、

システム論の文献をひとつも読解しないまま

知ったか → 孫引き → 論旨のずらし

を繰り返す事で反論(笑)していたんだろ。

 

その反論(笑)の内容が

メディア論ミクロ権力論・観念論・形而上学と同じでガキ臭いから止めてしまえ」だったんだろ?

 

でもポマえもんはシステム論のコミュニケーションメディア理論

フランクフルトの「メディア論」的展開を例証する事で

ポマえもんの「メディア論」が「ミクロ権力論・観念論・形而上学」とは全然違うと

説明したんだろ?

 

id:gerlingはトニオ戦法(知ったか → 孫引き → 論旨のずらし)しかできないから

システム論のコミュニケーションメディア理論にも

フランクフルトの「メディア論」的展開にも

反論する事ができないでいたんだろ?

 

要するにこの時

メディア論ミクロ権力論・観念論・形而上学と同じでガキ臭いから止めてしまえ」と反論する立場の

id:gerlingは、トニオだし、

もう議論の敗者になったってことだ。

 

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」という

システム論的な分析も、当然反論できてないよな?

 

じゃあなんでid:gerlingは

ポマえもん自身をガキ臭いって反論(笑)してんだ?

 

論旨をずらすのはトニオ戦法なんだしもう見慣れていたけど

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」

という主張を反論できないからといって

メディア論はガキ臭い」 → 「ポマえもんはガキ臭い」という

トニオお得意の論旨のずらしは通用しないんじゃないのか?

 

なぜなら、この論旨のずらしは

id:gerlingを敗北者にした議論というコミュニケーション

「ポマえもんという人間」に還元しようとしているからだ。

 

つまりid:gerlingが「メディア論はガキ臭い」という論旨を

「ポマえもんはガキ臭い」という論旨にずらしたいならば

まず「コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」を

完璧に反論して間違っている事を証明しないとならない。

 

id:gerlingは

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」

という主張を反論できないからこそ「ポマえもんはガキ臭い」という論旨へとずらそうと

しているんだろうが、

その論旨へとずらすためには、まずid:gerlingがどうしても反論できていない

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」というポマえもんの主張を

反論しなければならない。

 

なにこの一人堂々巡り

論旨をずらして反論(笑)すると、勝手に一人堂々巡りにハマッテしまうんだなww

 

(追伸)

待てよ、これがポマえもんが仕掛けた魔術なのか?www

2009-02-21

トニオに激怒したのは久しぶりだな

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090217/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090221/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090221/1235173303

アンチ・トニオの増田から物申す

 

社会科学では特に、先行研究概観する事は不可欠になっている。主題や論旨の方向性を合わせないと、話が噛み合わないからな。オーソドックスなのは、課題や論題を設定して、二次データになる既存の資料(=先行研究)を概観して、調査対象や調査方法を選定していく。そんでまた集計や分析をして結果を考察するプロセスを進めていく。といっても、ここは基本的に匿名ネット上だから、課題や論題の設定から二次データとなる既存の資料(=先行研究)を概観して、あとは結果を考察するくらいのプロセスになるだろう。匿名空間で匿名のままリサーチ結果を提起しても信憑性が無いし、ウィキペディアでも「検証可能なもの」しか学術的に主張する事はできないからな。

 

なんにせよ二次データとなる既存の資料を概観するのは、今のお前=トニオ=id:gerling=id:DoYouLikeWorms=id:VanDykeParks2=id:みたいに一つの学問領域を「ガキくさい」ものとして根底から覆そうとする奴にとっては不可欠なんだ。

 

だがトニオは

 他の部分はめんどくさいからいいや。読むほど暇じゃない。くりぃむナントカの見てなかった回の動画があるんだ。

とアホくさい事言っちゃってる。

これがメディア論という一つの学問領域の根底を覆そうとする人間の態度か?こんなものはアインシュタインの文献をなんら参照せずに相対性理論非科学的だと主張しているようなもんだ。その辺の勘違いした疑似科学批判者と同類だろ。おまえは昔からそうだったな。社会科学を誤解している。

「ぼくは貴方に現代ドイツ哲学講義なんか聞きたいわけではないし(そもそもぼくは言ったとおりボルツを単なる馬鹿だと思ってるし)、形式だけで内容のない哲学の話をしたいんじゃない。どうだろう、形式はもう十分だから、そろそろ本論に移ってくれないだろうか?」

お前が現代ドイツ哲学講義を受けているのは、おまえ自身が現代ドイツ哲学の文献をなんら参照せずに喧嘩を吹っかけているからだろ。調査不足を指摘されてるのはそのため。一つの学問領域に喧嘩売るなら、それ相応の準備をして来いってことだ。

 

 

メディア論肯定派postなんとかのスタンスは安定している。

 

・突然喧嘩を吹っかけられた側

・先行研究概観を済ませている

・論旨は明快。

 フランクフルト学派(第一世代の否定主義→第二世代の相互主観転回→第三世代の承認論的転回→第四世代の「メディア論」的転回

 社会システム論(形式と「メディア」の法則コミュニケーションメディア論

・先行研究概観しないトニオの存在を軽視し、なんか楽してる観はある

IDが長い

 

メディア論否定派は悲惨。かわいそう

 

・トニオである時点で根本的に駄目だろ

・突然喧嘩を吹っかけた側

ルーマンやボルツを読まずに、ボルツを馬鹿呼ばわり。先行研究概観していない

引用先の文献を読まずに、相手が引用した文章をそのまま引用するいわゆる孫引き行為に走っているhttp://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090220/1235087264

・論旨をズラして自己満に浸るだけ

 フランクフルト学派の「メディア論」的転回が「ミクロ権力論」と同じだって?アホか

 ルーマンを全く読んでいないのに、何故か社会システム論と観念論をこじつけようとする。ほんと言われてる通りの知ったかだな

自分から反論し始めたくせに、その反論が駄目な理由を詳細に語られると、「現代ドイツ哲学講義なんて聞きたいわけではない」論旨をズラして自己満に浸るだけ

Id変え過ぎ 

 

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

この時点でもう決着が付いてる。いや、勝負になってないんだ。

 

あと、postに命令。踏み台とかいって何企んでんだか知らんがもうこいつの相手すんな。トニオが調子付くだけだから。自称村長kanose逆鱗に触れるぞ→ http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060330/tonio

2009-01-12

本の受け売り

ululunがmagician-of-posthumanの中の人に、

「彼の言説は本の受け売りなんだけど反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」

http://twitter.com/ululun/status/1080329440

という発言をした。

これに対するmagician-of-posthumanの人の反論。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090107/1231288998

この文章を読んでみたが、素人不快にさせるほどの「難解な専門用語」や「長文」が多用されており、「馬鹿よけ」として非常に効率的に機能しており、何が書いてあるか非常に難解である。

だが、如何に私が愚かとは言え、これだけの文章から何も読み取れないとすると、かなりの時間を費やしてしまって読んでしまった事が勿体無い。

前半部分の不条理のお話は、今回は割愛し、「本の受け売り」について考えてみた。

本の受け売りなんて存在しない


読者は本の通りに物事を観察することができない

私がmagician-of-posthumanの文章を読んで、わかったような気になって受け売りで話をしてるつもりになっていても、「そんな低レベルの話なんてしていない。受け売りって言うな」と言われるのは納得なお話

読むことは発見である

私がmagician-of-posthumanの文章を読んで、そのまま理解することなど、不可能だ。原文を読んで、切り分けて、細かい断片にして咀嚼しなければならない。その過程で意味見出し、その意味に命名し、取り消して、また命名する。これは飽く事のない近似化であって、原文の一つの意味を忘れても、それを過失と取ることはできない。誤読なき読解は無く、あるのは発見なのである、という立場から本の受け売りは存在しないというお話

本の受け売りじゃないものなんて存在しない


世界偉人達が考え付かなかったことなどない

連続しているにも拘らず微分できない曲線」を発見して自信満々に発表したとしても、この曲線はヴァイアシュトラース曲線として発見されていたりする。そういう例は枚挙に暇がない。どんだけ本を読んでないか知らないが、読めば読むほど自分無知を知ることになりますよというお話

本の受け売りじゃない発想しかクリエイティブでないという発想すら本の受け売り

本の否定が「本の否定」に関する本を生み出すというパラドクスも、メディア論の間では既に自明となっているらしく、ブーメランが飛んでくるというお話

結論:こういう風につぶやくべきだった


これらの事を考えると、なるほど、ululunの最初の発言は不適当に思える。

「彼の言説は本の受け売りなんだけど反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」

「彼の言説は本の受け売りのように私には見えるが、本の受け売りという発想自体が本の受け売りで、本の受け売りなんてものは本当は存在しないんだけど、彼の言説は素人不快にさせるほどの「難解な専門用語」や「長文」が多用されており、「馬鹿よけ」として非常に効率的に機能しており、反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」

とつぶやくべきであった。というお話

http://anond.hatelabo.jp/20090110145639

2009-01-10

はてなの愚衆は本を読め的な事を思った

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090107/1231288998id:ululunがボコボコにされている件で、id:pbhが絡んで撃沈してた。

この人、暴言を吐くdis芸人というイメージを持っていたけど、本質的id:AntiSepticだな。つhttp://anond.hatelabo.jp/20090106070647

無学な馬鹿が「本で得た知識」を否定すると、逆に「本で得た知識」の有効性が高まる。熱心に読書した上で「本で得た知識」を批判している論者から観ると、こいつらは足手纏いだ。 - はっはっは

<本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>と<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>とを、混同して貰いたくはない。後者の卓越された批判者から観れば、前者は足手纏いです。

 <本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>を繰り返していくと、学術的に何の価値もないゴミのような記事がウェブ上に溢れてしまいます。その結果、「情報氾濫」という馴染みのある言説で、インターネットの学術的な言説空間が批判されてしまうでしょう。すると、どうなるか。「結局本から得られる情報や知識の方が確からしいじゃないか」という意見を後押しすることになってしまいます。

 これはパラドクスです。無学な皆さんが「本で得た知識」を批判すると、逆に「本で得た知識」の有効性を高めてしまうのですから。そしてこのパラドクスは、<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>に挑戦している論者からすれば、邪魔ですね。

なるほど。たしかに。

甘えるな」というメッセージがヒシヒシと伝わってくる。

システム論をメディア論に応用するなんてのは斬新でかなり読み応えがあった。

たしかにシステム論では、データというメディア情報という形式を、情報というメディアと知識という形式をそれぞれ異化するから、

本の受け売り等成り立たないし、引用コピペも区別される。

だがそうなると、学システム盲点を前提にして作動していく事になる。なぜなら観察者は、データから情報フィルタリングする過程、

情報から知識をフィルタリングする課程で、大量のデータ情報を見落とすから。

となると、疑問が生じる。パラドクスだな。つまり、なんで真・非真のコードで作動していく学システムが、

盲点盲点のままほったらかしで作動していくの?って事。

かしこの学システムパラドクスは、学システム自らで脱パラドクス化されてしまう。

つまり、学的コミュニケーションについての学的コミュニケーションという構成要素を新たに創発させる事で、

事前のパラドクス隠滅するって事。

しかしそれゆえにこそ学システムは不確定性にぶつかって行くんだな。

だから近代の学システムは、盲目的に作動していく機能システムのひとつってわけね。

ヘーゲルの一体のものをパラドクスとして考えるシステム論ならではの発想。

ま、機能分化した近代社会だと、一体のものは分裂してるってのが通説でして、理性は多面的なの。

人間」は何かしらの機能システムから疎外されてる。

んで、今回学システムから疎外されてんのが、id:ululunid:pbhってわけね。

id:ululunid:pbhも、自分から首突っ込んでおいて相手が振り向いたらダンマリか。カッコワル

別にさー、システム論なんて社会理論のひとつだよ?少し本読めばわかんのに何でおまえらわからんの?

ホント、おまえらには学問科学を語ってほしくないと思ったよ。

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