「献身」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 献身とは

2022-05-18

anond:20220518133606

人間危険兵器になる可能性がでてきた時点で、

じゃあまとめて処分しちゃいましょうかってゼットン起動したのが、一般ウルトラ星人の基本的な行動原理でしょ。

人間を含む未開人が住む宇宙のあちこちの星々に監視員派遣して、ヤバくなったら処分する。

ただの派遣社員だったウルトラマンは、神永が子供を助ける場面に出くわして、

もしかして人間適当処分していい存在では無いのではないか

ウルトラ星人はもっと人間のことを知ったほうが良いのではないか

という気付きを得た。

そして神永になることで、バディたる長澤まさみや同僚から人間について理解を深めていった。

その結果として、あの献身があるわけだが、政府は相変わらず政治利用しか考えておらず、

不穏な空気を漂わせることで次回作へのつなぎとした。

んだと思った。

シン・ウルトラマン、そんなに面白いか?

以下ネタバレを含む。

タイトルに反しているようだが、基本的には面白かった。制作陣のウルトラマンに対する愛情もよくわかった。途中の展開も興味深い。

とんでもない労力と手間をかけたB級作品。あるいはウルトラマンのもの再構成した物語という印象で、観て損したという気持ちにはまったくならないし、好きな人がハマるのもよくわかる。

ただ、ウルトラマンあいはいったいなんなんだ、という想いがどうしてもぬぐえない。特にラスト

味方の行動原理も、敵の行動原理もよく分かるし、ある程度は納得できる中で、ウルトラマン一人だけが理解を拒むような行動原理を貫いているように見えた。

それは人類にとっては非常にありがたく、この先の糧となるものだが、そこまでする理屈理由果たしてウルトラマンにあっただろうか。

この辺、かなり説明不足だと思う。

無理に予想を飛躍させるのであれば、物語の冒頭、神永が子供を助けた衝動が、そのまま人間と融合したウルトラマンにも引き継がれた。神永がほとんど反射的に、無条件かつ命がけで子供を助けに向かったように、神永と融合したウルトラマンも無条件かつ命がけで人類を助けようとした、と考えることもできる。

ただこれ、ウルトラマン視点人類は「助けるべき無力な子供」だったということになる。

どうも自分の中でしっくりこない。

この辺りの違和感を補強するのが、ウルトラマン以外の知性ある禍威獣、登場人物たちで、彼らの心情や行動原理はわかりやすいし納得もできる。別の言い方をすれば、非常に俗っぽいし、人間味のあるキャラクターだ。

からこそ、ウルトラマン最後決断が、己の命を捨てても人間一人を助ける高潔さが、どうにも浮き上がっているように見えた。

繰り返すが、基本的には面白かったし楽しめた。

ただ、最後ウルトラマン献身理解できなかったし、あの世界の人類がその献身を受け止められるかどうかも疑問だった。

いまだにウルトラマン依存から抜け出しているかどうかも怪しい。禍威獣特設対策室の面々は脱却できていても、政府レベルではグダグダで、頼るべきものがあれば縋りつく形は変わっていないのではないか

まり、形だけはハッピーエンドに見せかけて、実は直近の破滅回避しただけの、バッドエンドへの舗装が引かれているように見えた。

2022-04-27

弱者男性扶養バイト主夫になる方法

大手結婚相談所に入ろう

マッチングアプリパーティーも行ったが、結婚相手を探す一番の近道は結婚相談所である個人経営のところ、地元自治体から委託を受けてるようなところは駄目。ゼク◯ィのように全国展開してる大手格安年収条件のない結婚相談所に入ること。「女性側の居住地に転居可。女性側の転勤に合わせた生活可能」とプロフに書き、遠方の女にもアプローチする。

非正規フリーランスを名乗れ

アルバイト体裁が悪い。男性年収を気にしない女性でも目的意識のないフリーターは嫌という人が多い。

俺は予備校講師アルバイトだったが、相談登録前に副業オンライン家庭教師仕事を始めた。収入ほとんど変わってないが「非常勤予備校講師をしつつフリーランス教育関係仕事をしてます」とプロフに書ける。

35歳前後が狙い目

結婚相談所では女で32歳越えるとお見合いが減るため、32歳以上が狙い目である40歳を越えると子どもを諦めてる女性も多く、その場合主夫を養うメリットがないため厳しい。

自身子どもが欲しかったので33歳~38歳の女性アプローチをしていた。32歳以下でもバツイチシングルマザー、太っているなどのマイナス要因がある場合積極的アプローチした。

婚活時間お金を作る

お見合いは断られるのが普通。ひたすら数をこなすこと。週に3、4件はアポデートを入れて豆に連絡をする。初回お見合い費用男性の奢りというマナーがある。初回お茶代と交通費だけでも弱者男性にとってはキツいが必要な軍資金。ちなみに俺は2回目からは割勘にしてた。

結婚相談所には仮交際というシステムがある。仮交際は、同時に複数の異性と交際する期間。仮交際から真剣交際に進むときは、本命以外と別れるシステム

交際中の相手複数の異性と同時進行してるので、すぐに切られることを想定して複数人とデートしたりお見合い入れないといけない。忙しい。

主夫を目指して婚活するなら仕事が忙しい女性に合わせることが大事仕事が忙しくて婚活が続かず婚期を逃した女性も多い。

彼女残業でいつ終わるか分からないって時は彼女会社の近くまで行って「カフェ勉強しながら待ってるよ」くらいの献身をしないといけない。

専門職公務員より大手企業総合職国家公務員

男性側に主夫希望公言する女性は少ないため、その素質がある人を見極めてお見合いアポを取る。看護師薬剤師は意外と難しい。なぜから彼女たちは結婚出産で離職しても簡単再就職でき、資格を生かして柔軟な

働き方ができるため、男性側が仕事をやめることを求めない場合が多い。地方公務員のように女性が働きやす職場も同様である

そこで「民間企業総合職で忙しく働き、子どもを強く希望している女性」が狙い目である

長期に育休が取りにくい、時短勤務や子どもの都合で休みにくい、休んだら昇進に響く、転勤があるなどのキャリア女性の方が主夫を求めている。転勤ありの国家公務員総合職なども良い。

「僕が仕事制限しながら子育てをやるのはどうだろうか。そうしたら保育所が見つからなくても産後すぐに復帰できるし、保育園から呼び出されても僕が対応する。子どもの転勤があるならついていける。仕事を続けやすいように名字を君に合わせても良い。予備校家庭教師仕事は好きだがキャリアにこだわりはない。料理家事も好き。他人の子どもより自分の子もの教育に関わりたい。家計を助ける範囲バイトをしながら育児家事をやる。」みたいな感じでアプローチした。

相手メリット提示すること

結婚等価交換原理で成立している。自分主夫になるメリット相手提示すること。そのメリットを求めてる女性を見つけることが重要である

2022-04-08

NTRについて

前置き

最近NTR界隈も一時期のピークを乗り越えて、さらなる円熟味を増している。

王道と呼ばれる流れを汲むものから一発ネタに走ったものまで幅のある様々な作品が日々生まれる中、改めてNTRについて考えてみたい。

しかし、NTRという単語はかなり広い範囲意味合いを含む言葉となってしまったため(NTRとさえ付いていれば何でも好きだという好事家は少ないのではないか)、今回は個人的にその肝だと感じる部分を、登場人物性質という視点から考えてみる。

本文

広く浅くインターネットを眺めていると、NTRというジャンルへの罵倒を見かける機会は割と多いように思う。

NTR好きは頭がどうかしている」だとか、「ただただ不快」、「経験の少ない童貞向け」、「他ジャンルから流入があっただけ」などなど、これらの指摘が本当に的を射ているのかはともかく、各所のランキングで人気人気と持ち上げられる割に、NTRはかなり好き嫌いの分かれるジャンルだ。

なんなら、毛嫌いしている人の方が多い気もする。往々にして、毒づく発言反論する人は少ない。「素質あるよ」だけでは、いかんせん受け身にすぎるきらいがある。

無論、俺苦手だわという人の意見には頷ける部分も多々あったりするのだが、個人的にはこのNTRというジャンルがとても好みに合っているのだ。

妙に捗ること以外にも人気となるだけの良さがあると思っているので、あまりにひどい言われようを目にするとそれなりに悲しくなる。

なので、このジャンルの良さがどの部分にあるのか、少しでも説明できればと思ってつらつらと文章を書いてみることにした。

また当然のことながらこの良さとは、一切現実とは関係のない、妄想の詰まった袋の内をたゆたう上での良さである

まず結論から書けば、個人的に感じるNTRの良さとは、登場人物心理描写の中に存在する。

より正確には、物語の進行に応じて生じる彼氏彼女負の感情、その濃淡によって否応なく生まれるすれ違い、それらに強く打ちひしがれながらもぎりぎり薄氷を踏み割らないで関係を維持し続けようとする、登場人物の心境そのものの強度に依る部分が大きいと思う。

まりNTRの勘所というものは、寝取られたその結果にあるのではなく、寝取られさなかのその過程の内にあるのだと。

これは例えば、床に落としたガラス割れる瞬間を想像した上で、その数フレームからぎりぎりまでスローモーションカメラでじっと眺め続けていたいという願望に近いところがあるかもしれない。

言うならば自分は、ガラス割れる瞬間を見たいわけではないのだ。いや最終的には見たいのだが、その決定的な瞬間に至ってしまえば、あとはガラスの破片が飛び散るだけにすぎなくなる。

もちろんその光景は派手だし、うるさい音もなるし、人目を引きつける力は言うまでもなく強い。このガラス割れる瞬間こそが、NTRにおいては俗に言う堕ちた瞬間であり、そうした場面の押し出しの強さがこのジャンルの人気の一因とされることに異論はない。

ただその一方で、「おしとやかな彼女あんなにあられもない表情を」という描写の裏側にあるもの、その下支えとして連綿と存在する物語の持続性を無視することはできないように感じている。

いやむしろここで言う数フレーム連続性のさなか、張り詰めた緊張感がかろうじてほどけないまま維持される状態こそが、実はどんなNTRにも通じる本質なのではないか

言い換えれば、わざと直ちに解決させないこの煮えきらなさを楽しめるかどうかがNTRというジャンル全体を楽しめるかどうかにつながる、というのが今回自分の伝えたいことである

果たして、あらゆるNTRの設定はこの独特な緊張感を演出しつつ、できるだけ長く持続させるためだけに存在すると言ってもよいかもしれない(これは言いすぎかもしれない)。

ときNTR基本的登場人物を考えると、その多くは男二女一の組み合わせであり、一組の男女に対して間男が登場するという設定が王道だと思う。

そして自分が目にする限り、男二人に関して言えば、あからさまなほどこの両者は対比的な描写が目立つようだ。

性的な部分ではもちろんのこと、例えば彼氏役の男が年若く、彼女に対して奥手であり、女性の扱いに慣れていないような描写をされるのならば、間男側は女性に対して積極的、またはその扱いに手慣れているいわゆるチャラ男系であったり、社会的地位があるようなやたらと人生経験を積んだ人物像が設定される(たまにNTR好きのチャラ男信仰はなんなんだという発言を見ることがあるが、たぶんその理由はここにある)。

逆に間男が汚っさんと呼ばれるようなマイナス寄りの描写をされるのであれば、彼氏側はそれなりにまともな人格女性関係を維持できるだけの人柄を持つ人物描写になる。

取りも直さず、一つの作品の中で彼氏間男は相反する、対立する要素を持つ間柄として広く理解されているところがある。つまり両者の引きつった関係NTRNTRらしくする要素と見なせそうである

思えば、この両者が作品内で直接ぶつかり合うことは少ない。極論、顔を合わせる機会すらないこともあるが、そうであるからこそ、二人の対立的な関係性は最初から最後までほとんど変わらずに維持され続け、効力を持ち続ける。

あるいは彼女役の女性に関して言えば、多くの場合規範的な性質を持たされることになるだろう。よほどのことがない限り、性に奔放な性格付けはなされない。

その性質上、彼女彼氏への秘密を極限まで隠し通そうと行動することになるし、間男はそうした女性の動きに応じて、薄皮をはぐようにその秘密を明らかにしたがる。間男は常に女性意識の逆側を突く。

この両者の行動方針には、やはり対立的な要素が見て取れる。男二人の関係性と同じく、この対立には緊張感を生み出してNTRNTRらしくする効果がある。

一方でこの関係には相互駆け引きが避けられない以上、必ず終わりが見え隠れするという点で、先の例と異なることには注意が必要だ。

物語は畢竟、いつしか終わるものであるが、NTRの終わりは基本的に誰かの性質が変化すること、もしくはそのきっかけが見えたところで幕が引かれる。

幕を引く役割を担うのは主に女性である場合が多いが、その理由はここの違いにあると思われる。

本来ならここでもっと多様な例を挙げて自分意見を補強する材料とするべきだろうが、自分の力ではこれ以上書いても枝葉末節しかならない気もする。

NTRについて肯定的に受け止める感想をあまりたことがなかったのでなんとかここまで書いてみたが、同じ好事家がいればまた異なる視点があるはずなのでぜひ誰か書いてくれたら幸いだ。

・・・

ちなみに、もともと自分おねショタ好きだったが、あまり一方的献身が続く関係性にいつしか疑問を持つようになり、その答えとしてNTR見出したいわば闇落ち勢である

まさか自分がこうした好みを持つようになるとは夢にも思わなかったが、NTRの沼は思いもよらぬところで口を開けて待っているものだ。

2022-03-22

天安門」元リーダーNYで惨殺…犯人女性中国の“刺客”説が浮

フェミの正体みたりって感じだな

被害者の方はご冥福をお祈りいたしま

あなたたちの求めて戦った民主の力は我々日本台湾欧州アメリカオーストラリアインドが引き継ぎます

天安門」元リーダーNYで惨殺…犯人女性中国の“刺客”説が浮上

天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進Photo: 対話中国(Dialogue China Think Tank

天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進

Photo: 対話中国(Dialogue China Think Tank

画像ギャラリー

田中淳

田中淳

Text by Jun Tanaka

1989年の「天安門事件」につながる民主化運動の中で学生リーダーのひとりだった弁護士が白昼のニューヨークで惨殺された。犯人の女は現行犯逮捕されたが、不可解な動機言動から北京から刺客としてニューヨークへ放たれたのではないかと疑う者も多い。

22ヵ月間投獄され、亡命

天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進(リィ・ジンジン米国ジム・リー、66)が、3月14日正午前、米ニューヨーククイーンズ区・フラッシング39番街にあるビル4階の事務所で刺殺された。享年66だった。

当日、李進進の事務所には、3日前に来訪したばかりの中国女性・張暁寧(ヂャン・シァオニン、25)がケーキを持参し訪れた。11時44分ごろ張は突然、「今日法律の用件で来たわけではない」と言いつつ李の背後から彼の首を片腕で強くロックし、コートの内ポケットから素早くナイフを取り出して、ためらい無く李の頸動脈を一撃。続けて頸部、胸部、腹部をメッタ刺しにした。

目撃者によると、張は素早くナイフを取り出しためらい無く頸動脈を一撃したことから、相応の訓練を受けたとみられる。

瀕死の李はニューヨークプレスティリアン・クイーンズ病院搬送されたが、12時8分に出血多量で死亡が確認された。

湖北省武漢市生まれの李進進は1970年、15歳で中国人民解放軍に入隊し、除隊後、文民警察組織中華人民共和国人民警察に勤務。1979年湖北経学院(現・中南財経政法大学)に入学し、のち北京大学博士課程で学ぶ。

1989年の「天安門事件」期間中デモ重要役割を果たした労働者団体北京工人自治連合会法律顧問を務めた。同年6月4日人民解放軍天安門広場のデモ隊を虐殺したあとは故郷武漢へ逃げ帰るが、人民煽動した容疑で逮捕され、22ヵ月間投獄される。

釈放後は起訴を免れ、1993年に渡米。コロンビア大学ウィスコンシン大学で学び、レストラン下働きしつつ法学博士号を取得。卒業後、ニューヨーク州で弁護士資格を取得した。

北京警官レイプされ無一文と訴え

犯人の張暁寧は現行犯逮捕された。張は1997年河北省邯鄲市生まれで、北京大学で学び、2021年8月下旬にF-1学生ビザ米国入国。渡米直後の2021年9月14日国連通常総会の開会日当日に張は、国連本部の外でプラカードを持ち、北京市内の精神病院強制入院させられたことを非難し、彼女レイプした北京市公安局の警官厳罰に処すよう訴えるデモンストレーションを繰り返した。

国連本部の外で通常総会当日にプラカードを持ちデモンストレーションをする張

国連本部の外で通常総会当日にプラカードを持ちデモンストレーションをする張

Photo: 美国之声粵語網(VOA Cantonese

その後、李の存在を知った張は、李が法的な手助けをしてくれるものと期待し、3月11日、李の事務所を訪れた。

李の親友弁護士・朱偉は「後の祭りだが、李進進はあの女に関わるべきではなかった。11日に事務所に来た女は泣きながら、数日前に米国移民帰化局(BCIS)の移民面接に落ち、貧しく無一文同然で、中国警官レイプをされたと訴え、庇護を求めた。李は心優しい男。彼女無償で助けるつもりでいた。あとで女は李に、自分から受信したメールを全部削除しろ要求したが、彼は削除しなかったようだ」と悔しがった。

李進進弁護士事務所かい保険会社職員11日の凶行について、「たまたま開いていたドアから事務所内を見たところ、女性が興奮して、物凄い形相で李弁護士に詰め寄っていた。李弁護士はとても物腰の柔らかな紳士で、事務所女性職員が慌てて、興奮している女性を彼から引き離した」

「李弁護士が静かにオフィスで騒がないで。必要なら一緒に警察へ行ってあげましょう』と話すと、女性はその3倍を言い返していた。暴力的な態度で大騒ぎするのを見かねた職員警察通報したため、警官が2人来た。李弁護士警官に、大丈夫から彼女逮捕しないでと言うと、女性はそのまま逃げるように事務所を立ち去った」

天安門事件が起きた1989年当時、中国人民解放軍女性記者だった江林 Photo: The New York Times天安門事件から30年目の初証言──元「人民解放軍女性記者」が見た“地獄

カメラの前で逆上

張暁寧は殺人罪起訴され、3月14日19時37分、警察官によってニューヨーク警察109分署から勾留先に移送された。その際、「なぜ殺したのか?」「悔いてはいないのか?」などメディアから中国語で問われた張は激昂しながら、叫んだ。

「後悔なんかしてねーーわッ!」

「後悔しているとしたらお前らの裏切りだ! 中国人なのに反共産主義者を叫びやがって!」

最後に後悔するのはお前ら裏切り者だ!」

おまえらは無数の学生を傷つけてきたのに、まだ学生を傷つけるのか!」

【#中国

米国に住む中国出身女性、张晓宁 が、天安門学生運動の指導者であった李进进氏(66歳)をナイフ殺害女性は「おまえら中国人でありながら、中国共産党に背いている!」と叫んでいる。

米国に住んでいてもこれか。共産党洗脳、恐ろしすぎる…????

pic.twitter.com/o9MS0fTa8x

— NEKO????‍⬛????????????????‍⬛????????????????‍⬛ (@usapepe) March 16, 2022

暴言を吐きながら連行される張

在米華人メディアへの敵視発言から、張暁寧が中国共産党の熱烈な支持者ということが明らかになった。そして留学生である自身は、思うような庇護が与えられない被害者というスタンスだ。

だが、計画的に成人男性を刺殺するような根性の据わった女が、自身レイプしたという中国警官ではなく、たった一度しか会ったことのない弁護士を刺し殺すというのは説得力に欠ける。

張は学生ビザで渡米したが、これまで一度も通学した形跡が無い。そもそも新型コロナウイルス蔓延している時期に、中国当局は一般人民の出国許可は出さない。

張は李進進の前に、在米民主団体中国民主人権連盟に、中国ニューヨーク総領事館から警告があり、圧力を受けていると語り、庇護を求めたという。

殺人罪銃刀法違反起訴された張暁寧は3月18日クイーンズ区刑事裁判所に初出廷する予定だったが、精神不安定理由に出廷を拒否した。地元紙によると、最高25年の実刑判決終身刑が科される可能性があるという。

李進進はこれまで、中国政府に迫害されて来た多くの中国人を助けて来た。経済的に困窮している移民からはいかなる代金も受け取らなかったという。筆者にはこの李自身同胞への献身が命取りの引き金になったような気がする。

北京中央美術学院学生によって天安門広場に建てられた「民主女神」像(1989年6月1日撮影天安門事件を風化させたい中国共産党─追悼日直前に香港の記念館が休館した背景とは

反腐敗運動邪魔者

李進進は、「天網行動」「猟狐行動」(海外逃亡中の知能犯経済犯の逮捕不正取得された資産没収する中国政府の特別捜査キャンペーン)のターゲットになったり、指名手配されたりした人民米国での法的保護提供してきた。

特権を利用して実際に不正蓄財収賄した党員公務員汚職事件容疑者などの国外逃亡者逮捕されるのはともかく、「天網行動」「猟狐行動」は、中国政府の意に沿わない経営者弁護士学者研究者作家ジャーナリストNGO非政府組織関係者アーティストなどの罪をでっちあげて中国強制送還する口実にも使われているからだ。李もたびたび「『天網~』『猟狐~』は反腐敗運動ではなく、反体制弾圧手段」と批判してきた。

李進進は、2008年中国当局に香港逮捕され、金融詐欺罪起訴された「天安門事件」の学生リーダーのひとり、周永潤(ヂョウ・ヨンルン、55)の弁護を担当した。

また、中国政府が政敵逮捕するために、 国際刑事警察機構インターポール)が加盟国申請に応じて発行する国際手配書「レッド・ノーティス」を濫用することに反対していた。

中国逮捕状が出ている被疑者などについて人物特定し、海外発見し次第、中国強制送還するよう要請できるものからだ。

「李進進が“天安門”の元リーダーから殺された」という憶測的外れだろう。今年は「天安門事件から33年。当時、民主化へのうねりを作った学生運動リーダーたちは既に政治的影響力を持たず、中国共産党の脅威ではない。

今になって李進進が「消された」とすれば、「33年前のリーダー」だったからではなく、習近平政権が本気で取り組んでいるキャンペーン「天網行動」「猟狐行動」を邪魔する存在とされたからにほかならないからだろう。

在米弁護士仲間は、李が弁護活動中に得た中国共産党の特務(諜報・謀略・秘密機関)の活動資料米連邦捜査局FBI)に提出するのを阻止するために殺したと疑っている。

李進進が惨殺された2日後の3月16日、米司法省は、中国情報機関国家安全部の指示を受けて米国在住反体制中国人に監視嫌がらせを行っていたスパイ容疑で王書軍、劉藩、林啓明、孫強、マシュー・ツブリスの5人を逮捕し、起訴したと発表した。

暗殺犯の張暁寧は、北京で特務の訓練を受けた捨て駒刺客だろう。渡米後の反中パフォーマンステレビカメラの前の支離滅裂な絶叫は、精神に異常があることを印象づけるための演技と思われる。

李進進の葬儀事務所近くのチュンフック葬儀場で27日午後に挙行される。関係者は既に、FBIに対し、李殺害事件捜査要請した。FBI捜査によって、李進進が「消された」真相は明らかになるのだろうか。(Text By Jun Tanaka)

2022-03-14

父親となって6年経った

まだまだ自分の中の「子供」を抑えきれないという自覚はあるものの、妻と子を想うこの感覚が幼い頃に自分が見ていた親父なのかと最近理解できるようになってきた。
あぁなるほど、これが保守的になる、頑固になる、理解のない大人となるって感覚なのか。

それと同時に愛や恋を理解した気になっていた1020代自分が凄く恥ずかしいものに思えてくる。当時に戻れるのならば「まだまだだぞ」と言ってやりたいが、これもそう言えば親父や年上の上司、先輩から言われ口うるさいなと流していたような気もする。
あぁなるほど、あれは青臭い自分自身過去へ向かって言ってたのか。

いまウクライナ情報が耳へ入るたび同じ父親戦場へ立つことの意味覚悟共感し、胸が締め付けられる思いだ。
同じ立場なら1分1秒でも妻と子へ銃弾が届くのを遅らせるため戦場に立つという選択をするだろう。遅らせればもしかしたら運良く銃弾が止むかもしれないしと。

敵兵にも父親が居るだろう妻と子が居るだろう。
でもそんなこと知ったこっちゃない。極限まで自身エゴイズムの発露、自分を含め誰かを犠牲にしてでも妻と子だけは生かす、国なんかどうでも良い、妻と子だけはどうにか守るんだとエゴを通すために従軍する。なんて身勝手なんだろうか。

エゴを通す父親の頑固さとは救いがたいものがある。
救われなくたって良いという開き直りすらしていて、ウクライナ父親たちは従軍しているんだろう。わかるわかってしまう。

恋人が出来ても結婚してもこんな感情を知ることはなかった。
なんなら子供が生まれた直後ですらまだこんな感情は持っていなかった。

結婚当初よりも妻は老けて、生まれときよりも子は成長した。
そして年々大きくなる自分の中の夫や父親という属性。男はいくつになっても変わらないと言うが、そんなのは嘘だ。

父親の先輩方へ言いたい「みなさん心の中の“コレ”を隠してますね?」と。若いうちはまったく気付きませんでした。
そして「確かに“コレ”は人前では見せちゃいけない。下手をすると人を殺すものだ」と同意したく思います

愛は光り輝くもの、もしくはドス黒いもの、そんな理解じゃ浅すぎました。
愛は献身、もしくは欲望、そんな理解じゃ浅すぎました。

これを心の中に押し留めて、普通に生活している父親の先輩方に頭が下がる思いです。
経験では、気付くまでは、何を言っても伝わらないものだと若造へ伝えてこなかったのはこういうことなのですね。

私も自制しつつ精進していく所存です。

2022-03-05

夫や彼氏献身的サポートにより偉業を成し遂げた女性を教えてほしい

パラリンピックスノボ代表の人がTVに出てたんよ。事故脊髄損傷、右足麻痺だったんだけど妻の献身的サポートにより回復パラリンピックに出られるまでになった。よくあるストーリー

だがここで思ったのよ。怪我したのが妻で、献身的サポートをする夫のおかげでパラリンピックとかなんでもいい、偉業を成し遂げたみたいな人。全然知らないよなあと

糟糠の妻という言葉があっても糟糠の夫とは言わないわけでさ。

もしかして男性による献身は透明化されやすいのか?と不安になって、そういう人を知ってるか聞きたくなったんよ

はてサウクライナ人献身は素晴らしい」

はてサ自己犠牲になるかどうかはウクライナ人が決めることだ」

はてサの中では、逃げ出したいウクライナ人男性はいないことになっているのだろうね。

はてサの中では戦争犠牲者は女と子どもだけなのだ

2022-02-08

anond:20220208173043

差別とみせかけて、まあ結局は、そういうことを心から信じて献身に徹するのが一番幸福を感じられる方法なのよ。

 

楽に利益のために自分のために生きてたら、結局幸せっていう感情に到達はできないんだ。

あくまでも感情の話だがね。

2022-02-01

これ、地域医師献身があれば防げた死だったのではないか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20220131/1000075970.html

地域診療で様々な患者さんの家を訪問して回るこころのお医者さんがいれば、上手く介入して防げたかもしれない。

こころのお医者さんなら、きっと難しい患者さんとも正面から向き合える。

2022-01-19

anond:20220119153100

謙虚なように見えてその実、

褒めてくれる人の褒める気持ちを受け取ろうとしない独り善がりな献身だな

2021-12-24

発達障害女だけど欲しいのは"嫁"で、そして"嫁"は得られない

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい

https://anond.hatelabo.jp/20190519110033

これを投稿して2年半経つけど、私が欲しいのは"マネージャー"ってより"嫁"。

 

発達障害には”嫁”が必要

https://blog.tinect.jp/?p=74368

この記事言葉選びが炎上しているけど、"嫁"という単語を選んだことはわかる。

私が書いた記事に「面倒見の良い男性もいるよ」って返信が多かったけど、私は一人も出会えてない。

投稿後も別の男性交際して2ヶ月で別れた。

私が必要としてるのは母親か、中学時代女友達か、総務部女性。全員女性

私は女です。

 

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい」を投稿したときは未診断だったけど、

診断おりました。ADHDコンサータ服用してる。

タスク漏れが多いならメモ取れとかタスク管理アプリ使えとか、散々言われてきた。

使うんだけど、全タスク登録することが絶対できなかった。

書いたり書かなかったり、登録したり登録しなかったり。それでタスクリスト無意味化してしまう。

あとメモは無理。紙はなくす。

コンサータによって、スマホタスクをもれなく登録するということが、かろうじてできるようになって。

物を無くさなくなって。薬の力でなんとか「発達障害ライフハック」の実践土俵に上がれて、実践が続くようになって。

そんなとき総務部女性退職した。

総務部女性の夫の父親地方中小企業経営者)が体調を崩したから、

夫が地元に帰って社長を継ぐことになり、妻もそれについていくという形で退職してしまった。

総務部女性はいなくなってしまったけど、私にはコンサータがある。

コンサータがなければまた鬱再発して退職引きこもりルートだったかもしれないけど、

今はなんとか働けている。"嫁"がいない状態でもコンサータがある。

 

診断おりて、コンサータ服用するようになって、

「ややうっかり気味なところがあるけど健常者風に働けている人」になることができて。

元々、頭の回転と企画と人当たりは強みで、年収は上がった。

父親年収は高かった。前の記事投稿したときは生きてたけど、もう死んだ。肺癌

相続行政書士に全部やってもらおうとしたけど、母と私が確認しなきゃいけないこと、

書かなきゃいけないものも多かった。父の死よりそれがキツかった、私はそういう人間だ。

母親は、私が発達障害であることを認めなかった。

増子ちゃんは賢くて優秀だ、と言い張る。

そう思っていないと自分育児献身価値が下がるようで、耐えられないのかもしれない。

私の能力が大幅に劣るために起きた様々なことを保護者として見てきたし、補填してきたくせに。

私が通院して薬を服用していることも母はよく思っていない。

「薬などに頼らず自然にしているべきだ」と母は言う。

薬に頼る必要がないように、産まれられたら良かったんですが。

でも私にはコンサータがある。

 

発達障害には"嫁"が必要かもしれないけど、"嫁"をあてがうのは違う。

現実的ではない、再現性がない、信頼性がない、人権がない。

人間人間から総務部女性が夫の地元についていきたいなら、それは自由から

私が短命でなければ、私より先に母は死ぬだろうから

人間はあてにしちゃいけない。あてにするのは良くないし、あては外れるものだという両方の意味で。

シロクマ先生発達障害者に生きる希望を与えようとしてあん記事を書いたんだろうか?

いつかお前ら障害者にも"嫁"が与えられますよって?

そんな希望が持てる世の中になるべきだって

"嫁"役って報われないから、せめて誰の"嫁"になるかは"嫁"自身が決めるんだよ。

"嫁"は経済的強者男性を選ぶ確率が高い。それは事実じゃん。

"嫁"適性の高い人は、資本主義制度内では稼ぐ力が弱いことが多いから。

金と嫁業の交換はwin-winになっていることが既に多い。

これ以上何もない。

 

シロクマ先生の言ってること、なんか気持ち悪いんだよ。

当事者からすると不愉快理想主義だ。

昔は問題にならなかった発達障害が、今の世の中で問題になっているのは、

発達障害特性」が時代遅れな特徴になったからでは?

過去はそれでも生きていけたけど、未来には必要とされない特徴なんだよ。

私が期待するのは医療進歩であって、発達障害者と"嫁"のマッチングじゃない。

"嫁"が奴隷みたいにされるだけだから

私は医療必要水準に達してないから"嫁"が欲しいのであって、

本当の望みは"嫁"を必要とする発達障害者でいたくなくて、お互いに自立した状態でありたい。

「一人前の個人」という考え方を貶す懐古主義は嫌いだ。

 

父が死んでくれて助かった。口を開けば私への嫌味だったからだ。

私は発達障害者やコミュニケーションに難のある人間特性をむきだしにしてありのまま生きられる世の中を望んでない。

これを社会的要請内面化だと憐れまれるかもしれないが、勝手に憐れんでいろ。

憐れみたいだけだろう。内面化だと解釈したいだけだろう。

懐古は不愉快だ。

2021-11-30

anond:20211130134238

かめ、その時代平成と共に過ぎたのだ。

 

令和は再び共同体とか献身とかがテーマになっていく。

anond:20211130132434

文章が女っぽいので嘘松ではないかと思うが、一応本物だという前提でマジレスしておくと、

 

自分利益だけ考えるようなさもしい人間になるんじゃないよ。

男とか女とか以前の問題

恋人結婚したいんだったら、それくらい叶えてやれや。

相手への献身が愛ってもんだろ。

2021-11-20

優劣をつけることと同族意識

人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。

肉体的スポーツに限らず、デジタルアナログわずテーブルゲーム手遊び東西紅白善悪正邪、二元論対立でなくとも、プロアマわず複数からなるチーム対抗戦、地域国家思想就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科部活委員学内地域血液型星座誕生日、好きな食べ物フェティッシュ方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。

自分で戦えない場合は時に相手罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。

何にしろ、単に自分他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特にまれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任分散しつつ比較安全から敵を攻撃できるからだ。

本気で対決せずとも二項の対立状況自体面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。

例えば、競合する商品サービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。

まり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。

現実的には、個人資産費用限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか

詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認証明、『相手攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間そもそも外部の野次馬であって、失うもの最初から無かったりもするものだけれど。責任分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものからね。

誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである

元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤー気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。

ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単クリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。

当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒思考回路なのだ

決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。

そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に普通コミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ

現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。

そして上の人間主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通コミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナス経験した後での逃げ道として用意された幸福から、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。

実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ

その通り、厄介な事に、物理集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。

さっき言った様に、集団主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。

論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。

逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。

まあ、普通暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくま言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為可能さ。

そもそも属性集団属性言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手結構いるものなのだ

どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。

2021-11-12

https://www.sankei.com/article/20211111-VQRC4U5XI5LCZMK3WHEZVCP6NU/

技能実習生制度は実習とは名ばかりの、労働者として地域企業献身する制度

このような実習生境遇理解を示すリベラル派の市長からこそ、実習生制度実態を正面から追認し、一時的なお客さんではなく地域住民として彼らに政治的権利付与することができる。

2021-11-08

女が男を大事にしたらだめ?

恋愛関連の記事では、男は女を追いたい本能があるから女は男に先回りして与えちゃだめだ、というのが定説なのですが、むず過ぎない?

過ぎたるは及ばざるが如しレベルまで行っちゃだめなのはわかるけど、好きな人には喜んでほしいし、男側は女に献身して大丈夫どころかアプローチになるのに、女側はやっちゃだめって…ずるい!

思考停止

2021-09-20

[]9月20日

ご飯

朝:フォッカッチャのチーズトーストトマトキュウリ切ったやつ。スクランブルエッグおやつハバネロ味のスナック。昼:カイワレ大根ピーマン塩焼きそば。夜:豚肉キャベツシメジニンジンうどん味噌炒め。おやつフルーツゼリー

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみーとぱい。

グランブルーファンタジー

今週末は休日出勤なので、今のうちにウィークリーミッションと復刻イベ周回を終わらせておいた。

ウマ娘

ウマ娘アグネスデジタル実装されました。

さっそく引いてシナリオを読んできました。

芝、ダートを問わず強かった史実を、推しウマ娘を拝むためにどっちも走るというコメディ要素で消化しきらず、ウマ娘スポ根部分や史実天皇賞出場枠などとも絡めてうまく表現されていたいいシナリオでした。

ウマ娘が好きなウマ娘という特異性を描くために、オペラオーの王道を行く強さ、メイショウドトウの地道な努力の難しさ、キングヘイローの苦悩、エアシャカール貪欲さ、アグネスタキオンの鋭さ、そしてウマ娘ゲーム内では名前が呼べないあの競走馬、そんな数々のウマ娘デジタル関係性がたくさん登場するシナリオでした。

ウマ娘と、それを通じて競馬を調べるようになったからこそ、楽しめるエピソードがいっぱいです。

特に天皇賞秋の出場枠を巡るエピソードがよかったです。

デジタル推しウマ娘のためならなんでもするその献身さを見てきたからこそ、胸にきました。

しろこの、出場枠にまつわるエピソードから逆算してウマ娘オタクの設定にしたんじゃないかってぐらい、設定と史実とデジたんの情緒絶妙に絡まって素晴らしかったです。

推しウマ娘のことは観測効果を恐れ、アドバイスすらも烏龍がましいと遠慮するデジタルが、自身勝利の裏には負けるウマ娘がいることを知り、そして出場枠の都合でそもそもレースに出れなくなる子まであらわれる。

そんな、推しウマ娘の苦難を自分ごとのように悩み苦しむデジタルは、競走馬という史実を肉付けして物語に仕立てるウマ娘というフィクションのものの構図と似ているところをかんじました。

史実史実でそこにはわかりやすストーリーはなくただただ現実があるだけなんですが、それらの事実をうまく繋ぎ合わせて情緒演出することでウマ娘は成り立っています

(アニメ二期のツインターボトウカイテイオーのアレが典型的ですね)

色々なキャラの苦悩という情緒に寄り添い共感するデジタル姿勢は、まさに史実という現実を繋いでそこに情緒を見出すウマ娘のものなんです。

ゲーム開始前からうまよんで表現されてたデジたんの推しへの気持ち

ゲーム開始後に個別シナリオ実装で掘り下げられたキングやドトウといった苦悩するキャラ達の魅力、

そしてウマ娘がこれからも長く続けば名前の呼べない子もいつか実装されるんじゃないかって期待、

そういうウマ娘の今までの歴史全部だけじゃなくて、これからの楽しみまで内包する、そんないいシナリオでした。

天皇賞秋後のデジタルの「それから今日は出られなかったですけど、推し後輩ちゃん! いつかあの子と走りたいっ、ダートで。」というセリフは、まさにウマ娘過去と今だけじゃなく、未来を感じさせられました。

ありがとうCygamesありがとうウマ娘、大好きですアグネスデジタル

(いやまあ現実問題実装できる/できないは知らんけどね)

2021-09-14

家族介護ヤングケアラーとして長きを過ごし、30代近くになったときには学歴なし職歴なし、ご飯ミキサーしか食べられないという方がいた。彼のような方々こそ献身体現であり、そして福祉に是非とも救われてほしい人たちである。そのような方々に「でも童貞でしょ?」などと言える輩はいないだろう。

そういう意味で、ヤングケアラーキリスト教よりよっぽど献身的だ。人類を救うとのたまう宗教はその一切を福祉人員に供出、寄付して欲しい。

2021-09-11

鴻巣友季子の時評は何が問題だったのか

 『文學界2021年9月号に掲載された桜庭一樹少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。

 この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者見解掲載された。

 この記事では総括として、両者の見解検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリー仕様URL掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。

見解検討

 両者の主張は、以下のように整理できるだろう。

桜庭文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。

鴻巣文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。

 桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈自由〟を奪」うことを挙げている。

 一方で鴻巣自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。

 では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである

 鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である文学解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないである解釈批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである

 鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。

 繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ私小説フィクションからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。

 ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。

 この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授日比嘉高モデル小説研究フロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在人物モデルに』と事実立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実事実」の問題を切り分けている。

(強調は引用者。これは桜庭が声をあげた最初ツイートだ)

(強調は引用者)

 桜庭実存にとって「現実事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭あくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家動機ではなく、作家根拠フォーカスするべきであるこの記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。

 とはいえ桜庭見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。 

文芸時評というジャンル

 今回の一件に際して、文芸時評不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭ツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣見解において「批評」という言葉を用いている。

 だが、文芸時評批評しかないのだろうか? 文芸時評英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル特性があるのではないか

新聞というメディア

 文芸時評新聞という巨大メディア掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。

 文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷鳥取で一人暮らす実在老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実現象レベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか

 以上の論点を踏まえて、時評担当者見解検討することもできるだろう。

書いてあればよいのか

 桜庭見解は冒頭、「私の自伝的な小説少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家藤田直哉が端的に指摘しているのでツイート引用しよう。

 つまりあらすじに書いてよいのは、「作中の事実であるべきではないか 今回であれば、あくまで一人の人物視点に立って、「私の自伝的な小説少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列テクストに書いてあるとはいえ中人物の「主観的解釈なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか

 あるいは、そもそも事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分幸せだと信じ込みながらオンラインサロン主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せ生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せ事実ではなく評価からだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか

参考になりそうな文献

 最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート4

墓場を超えた親族利他主義

交易需要供給時間的にも場所的にも一致することは稀であり、現在当たり前のように行われている交易交易に基づく経済制度ほとんどが存在し得ないほどであった。さらに、新しい家族形成、死、犯罪戦争勝敗など、親族集団にとっての重大な出来事需要供給が3回も重なることは、もっとあり得ないことであった。後述するように、一族個人は、これらのイベントの際にタイムリーに富を移転することで大きな利益を得ていた。このような富の移動は、消耗品や他の目的のために作られた道具よりも、より耐久性のある一般的な富の貯蔵庫の移動であれば、より無駄のないものであった。したがって、これらの制度使用するための耐久性のある一般的な富の貯蔵に対する需要は、貿易のものよりもさらに切実なものであった。さらに、結婚相続紛争解決、貢ぎ物などの制度は、部族間の交易よりも先に行われていた可能性があり、ほとんどの部族では交易よりも大きな富の移動が行われていた。このように、貿易よりもこれらの制度の方が、初期の原始的貨幣動機付けと育成に役立ったのである

ほとんどの狩猟採集民の部族では、この富は、とんでもなく裕福な現代人には些細なものしか思えないような形でもたらされていた。たとえば、木の道具、火打ち石や骨の道具や武器、紐につけられた貝殻、おそらく小屋寒い地域では汚れた毛皮などのコレクションである。時にはそれらをすべて身につけていたこともあった。とはいえ、これらの雑多な品々は、我々にとっての不動産株式債券と同様に、狩猟採集民にとっての富であった。狩猟採集民にとって、生きていくためには道具や、時には防寒着も必要であった。その中には、飢えに備えたり、仲間を買ったり、戦争敗戦の際に虐殺や飢えの代わりになるような、価値の高い収集品も多くあった。生き残るための資本を子孫に移すことができるのも、ホモ・サピエンスサピエンスがそれまでの動物に対して持っていた利点であるさらに、熟練した部族一族は、余った消耗品耐久性のある財産特に収集品)と交換することで、時折ではあるが生涯にわたって累積的に余剰の富を蓄積することができた。一時的な体力の優位性は、子孫のためのより永続的な体力の優位性に変換することができる。

考古学からは見えない別の富の形として、役職名があった。多くの狩猟採集民の文化では、このような社会的地位は、有形の富よりも価値があった。例えば、一族リーダー戦争部隊リーダー狩猟部隊リーダー、(近隣の一族部族特定人物との)長期的な交易パートナーシップメンバー助産師宗教的なヒーラーなどが挙げられる。収集品は富の象徴であるだけでなく、一族責任ある特権的地位称号を表すニーモニック役割果たしていた。死後、秩序を維持するためには、そのような地位継承者を迅速かつ明確に決定する必要があった。それが遅れれば悪質な争いを生むことになる。そのため、一般的行事として、安置の宴が行われた。この宴では、故人を歓待するとともに、慣習や一族の決定権者、あるいは故人の遺言によって決定された有形・無形の財産が子孫に分配された。

マルセル・モースをはじめとする人類学者が指摘しているように、近代以前の文化では他の種類の無料贈与は非常に稀であった。一見すると無償の贈り物は、実は受け取る側に暗黙の義務を課していたのである契約法が制定される以前は、この「贈り物」の暗黙の義務と、暗黙の義務が果たされなかった場合に続くコミュニティ不名誉や罰が、おそらく遅延交換における最も一般的互恵動機であり、今でも我々がお互いに行う様々な非公式好意共通している。相続やその他の親族利他主義は、現代人が「適切な贈与」と呼ぶもの、つまり受取人に義務を課さない贈与の唯一の形として広く行われていた。

初期の西洋商人宣教師は、原住民子供のような原始人と見なし、貢ぎ物の支払いを「ギフト」、取引を「ギフト交換」と呼ぶことがあった。これは、大人契約納税の義務というよりも、西洋の子供たちのクリスマス誕生日プレゼント交換に似ているかのようである。これは、偏見によるものもあるが、当時の西洋では、義務原住民が持っていない文字によって形式化されるのが普通だったという事実もある。そのため西洋人は、先住民が交換制度権利義務を表す豊富言葉を「ギフト」と訳していたのである17世紀アメリカに入植したフランス人は、より多くのインディアン部族の中に薄く散らばっていたため、これらの部族に貢ぎ物をしていたことがよくあった。それを「贈与」と呼ぶことで、そのような必要性に迫られていない他のヨーロッパ人との面目を保ち、それを臆病だと感じていたのである

モースや現代人類学者は、残念ながらこの用語を使い続けている。未開の人間子供のようなものだが、今では子供のように無邪気で、我々のような卑劣で冷酷な経済取引に身を投じることのない、道徳的に優れた生き物であるしかし、西洋では、特に取引に関する法律で使われる公式用語では、「贈与」とは義務を負わない譲渡のことを指す。現代人類学者は、我々が現代的に使っている「ギフト」という言葉の中で一般的言及している無料または非公式ギフトを全く意味していない。現代人類学者は、現代の我々がよく使う「贈り物」という言葉の中で、自由非公式な贈り物を指しているのではなく、むしろ、富の移転に関わる多種多様権利義務システムを指しているのである先史時代文化において、現代の「贈与」に似た唯一の主要な取引は、それ自体が広く認識された義務ではなく、受取人に何の義務も課されていないという点で、親や母方の親族子供の世話をしたり、相続をしたりすることであった。(例外として、地位相続すると、その地位責任特権相続人に課せられることがあった。)

ある種の家宝相続は、何世代にもわたって途切れることなく続くかもしれないが、それだけでは収集品の移動の閉ざされたループ形成することはできない。家宝は最終的に何かに使われて初めて価値を持つ。家宝は、しばしば一族間の結婚取引に使われ、収集品の閉ループサイクルを形成していた。

家庭内取引

収集品によって可能になった小さなループ取引ネットワークの初期の重要な例は、霊長類に比べて人間が子孫を育てるために行う投資はるかに大きいことと、それに関連する人間結婚制度に関するものである一族の間で取り決められた交配と子育てのための長期的な組み合わせと、富の移転を組み合わせた結婚は、人類普遍的ものであり、おそらく最初ホモ・サピエンスサピエンスにまでさかのぼることができる。

親の投資は長期的で、ほとんど一回限りのものであり、繰り返し交流する時間はない。怠慢な父親浮気をした妻との離婚は、浮気をされた側にとっては、遺伝的適性の観点から、数年分の時間無駄にすることになるのが普通である子供への忠誠と献身は、主に義理家族、つまり一族によって強制された。結婚一族間の契約であり、その中には通常、このような貞節献身約束に加えて、富の移転も含まれていた。

男性女性結婚生活にもたらす貢献度が同じであることはほとんどない。結婚相手選択氏族によって大きく左右され、氏族リーダーが選ぶことのできる人口が非常に少なかった時代には、なおさらそうであった。最も一般的には、女性の方が価値があると考えられ、花婿の一族花嫁一族花嫁代金を支払いた。それに比べて非常に珍しいのが、花嫁一族が新しいカップルに支払う「持参金」である。これは主に中世ヨーロッパインド一夫一婦制でありながら格差の大きい社会上流階級で行われていたもので、最終的には上流階級の娘よりも上流階級の息子の方が繁殖能力はるかに高いことが動機となっていた。文学は主に上流階級について書かれていたので、ヨーロッパ伝統的な物語では持参金がよく登場する。これは、人類文化圏における持参金の実際の頻度を反映したものではなく、非常に稀なものであった。

一族間の結婚は、収集品の閉ざされたサイクルを形成する可能性がある。実際、2つの氏族パートナーを交換しても、花嫁が交互に来る傾向がある限り、閉ループを維持するのに十分である。一方の氏族が他の種類の譲渡によって収集品がより豊かになった場合、その氏族はより多くの息子をより良い花嫁結婚させるか(一夫一婦制社会場合)、より多くの花嫁結婚させるか(多夫一婦制社会場合)する。結婚だけのループでは、原始的貨幣は、生殖資源の偏った移転の間に長い期間にわたって一族間の記憶と信頼を必要とすることを置き換える役割を果たすだけである

相続訴訟、貢ぎ物のように、結婚にはイベント(この場合結婚)と需要供給の3つの一致が必要である譲渡可能耐久性のある価値の蓄えがなければ、新郎一族新婦一族現在欲求を、新郎新婦間の価値ミスマッチを埋め合わせるのに十分な大きさで、しか政治的恋愛的な制約を満足させることができるかどうかは、かなり微妙なところであった。一つの解決策は、新郎またはその一族から新婦一族への継続的奉仕義務を課すことである。これは既知の文化の約15%で行われている。それよりもはるかに多い67%の文化では、新郎または新郎一族新婦一族にかなりの額の富を支払う。この花嫁代金の一部は、結婚の祝宴のために収穫された植物屠殺された動物など、すぐに使える消費物で支払われる。牧畜社会農業社会では、花嫁の対価の多くは長期的な富である家畜で支払われる。残りの部分、つまり家畜を持たない文化では通常、最も価値のある部分は、最も希少で高価で耐久性のあるペンダント指輪などの家宝で支払われる。花婿が花嫁指輪を贈り、求婚者が乙女に他の種類の宝石を贈るという西洋の習慣は、かつては実質的な富の移転であり、他の多くの文化一般的であった。約23%の文化(主に現代文化)では、実質的な富の交換はない。約6%の文化では、新郎新婦一族間で実質的な富の相互交換が行われている。花嫁一族が新婚カップルに持参金を支払う文化は約2%しかない。

残念なことに、一部の富の移転は、相続財産の贈与のような利他主義結婚の喜びとは程遠いものであった。貢ぎ物の場合は全く逆である

2021-08-23

他人献身する職業」ほど他人を見てなくて「他人搾取する職業」ほど他人を見ているというパラドックス

マッチングアプリやその他さまざまな場所で、女性と話したり交際することが増えた。

そんな中で気付いた事がある。看護師サービス業人間ほど人を見てなくて、営業職とか何かを売りつける仕事をしている人ほど人を見ているという事だ。

看護師の人は凄く献身的で、こっちが喜びそうな事を沢山やってくれる。食事代も出してくれるし、セックスもしてくれる事が多いし、話も沢山してくれる。いい人が多いのである

一方で彼女らの男性遍歴を聞くと、あまり幸せそうじゃないものが多い。何故か。

彼女らは「自分を伝える事にしか興味が無い」のである彼女らは楽しそうに過去の遍歴を話し、仕事の話をし、旅行の話をし、自分が話をすると「早く終わらないかなぁ」みたいな顔をする。こっちが好意を示すと、その好意を多い隠すかのように好意を伝えてくる。

彼女らの献身を受けると、次第に自分が何を感じ、何を言いたいのか分からなくなってくる。彼女を愛しているのか?自分は好きなのか?考える暇も無く、次々と愛が到着してくる。

彼女らは素晴らしい人間だと思う。病人は口を聞けない。動けない。そんな人にとって彼女らの献身必要なのだしか自分は立ち歩く事が出来る。自己犠牲依存してる彼女からはまともな人間は離れていき、搾取思考自分みたいな人間しか残らない。

しかしその搾取思考すら埋まっていき、最後に残るのは王様か異常者くらいだろう。彼女らは自分彼氏の良い所を挙げる事はできない。しか自分が好きと言う感情は挙げる事が出来る。

対して営業職の女子は、基本的性格が屑である彼女らは「相手から伝わる事」にしか興味が無い。相手が楽しそうに過去の遍歴を話し、仕事の話をし、旅行の話をしないと自信を失っていく。こちらが好意を示すと、どうしたらその好意もっと引き出せるか駆け引きをして来る。多大なサンクスコスト裏付けされた男の好意は次第に相手に重くなり、去っていく。男はいくらでも女の良い所を挙げられるが、相手自分の事を好きだったという確証はない。

2021-08-13

anond:20210813174452

友達の居ない女を支えてあげている彼くんかもしれないな。献身頑張ってね。

2021-08-11

犯罪事件があったとき世間ネットを見て思うこと。

事件があると、ネットで色々言葉が飛び交いますよね。

その度に、自分の事を話さない上でちょこちょこその反応に言及する事があります

いやあの、本当に言葉問題が難しすぎる。

定期的に犯罪関連でニュースは賑わうし、割と火を使われてる事が多いんで、もうその度に「オワーーーそうか〜…」って世間というかTwitter上での世間を眺めるんですよね。

自分を傷つける方法他人を傷つける手段の話は、出来れば共有しないで欲しいなってツイートをしたんだけど、あまりうまく言えなかった。

現在hotなものだと、サラダ油に引火するかしないかとかの話ですね。

ぶっちゃけうちの父は私が6歳の時に、職場の懇親会で上司からガソリンをかけられてバーベキューのコンロに引火させられて亡くなってて、死因が全身の火傷だからだったんですけど(亡骸が酷すぎたのでお葬式も顔を隠されてて見せてもらえなかった。父方の叔母の旦那さんは病室から出て泣き崩れてた)

全身火傷だったけど、18時間くらい生きてたからね…痛かっただろうな。

弟と私も取り残されたけど、加害者本人に助けられて生きてる。私はちょっと顔を火傷したくらいだったけど弟は一歳なのに右手結構大きく火傷してしばらく右手は包帯ぐるぐるしてたよ。

2歳の妹は先に母と逃げてたけど、火傷しなかったから良いって話ではなかった。

なので、私はなんか弟が大きくなったって感じる弟の誕生日の方が、あの頃から経った時間をより感じるんだよね。

あの時の事件を覚えてるの、私と母と父の職場の人だけなんだよね。

共有できる人で会えるのは母しかいないし、その後の母から虐待関係が難しい事になってるので、誰にも分かち合えないんよね。

まあなので、まずそういう、火を使う犯行を聞くのが珍しくないのがしんどいポイント1なんすよ。

なんで人を燃やそうとするんかねぇ。熱いんだぞ

どういうことをしようとしたのか、事の大きさ考えて…

んで、これは二つ目で、私と同じように施設出身の友人がいてよく話してるんですけど、その子のご友人(その子もまた施設出身)が、所謂具体的な自死方法看護師さんから聞いちゃったらしく、その子状態の危うさで衝動が起こった時に、方法を知っていたが故に実行しちゃったんですよ。

父の加害者の方も、お酒で酔ってたが故にストッパーがなかった。線を超える時のきっかけって、衝動が多いんですよ。

まあなので、敢えて自分他人を傷つける方法って書き方をした訳だよね…。

別に、その話をしないでねって事では無いんよ。

私にとっては火っていうのは怖い存在だし、思い出す一つのトリガーになる事もあるけど、ぶっちゃけ私の記憶力ってかなり細かくて、きっかけがあろうとなかろうといつもいるにはいるんですよ。(この記憶とかはPTSDの影響あるだろうけど、その前の記憶から結構覚えてたり、やたら覚えが良いねって褒められていたのでおそらく元々良い方ではある。)

20年も経ってるので、もうパニックかにはならないけれども。

なので、私が思い出して怖いからやめて〜って言うより、「どういう流れの中で、どういうつもりで言ってる?」っていう話なんですよね。

もし、その事件文脈で気をつけてねってお話をするのであれば「もし火がつくものがあっても、こういう行動すれば抑えられるよ」みたいなものが受け入れやすものになるし、しかもそれって渦中の出来事で緊張が漂ってる時を選ばない方がいいと思うんだよ。

少なくとも、「火がつく時はこういう原理でこれの方が燃えます」ってのは、ちょっとどの範囲の話でそれ言ってるのかな?となるんよね。

だって心が不安で揺れてる時に、危険性の話をメインにするのは危ないもん。

日常の中に危険が含まれてるから、その話を避けてはいけないとかそういう話でもなくて、本当に今それをしなきゃいけないお話かな?ということを言いたいんよ。

そういう時それについて調べる人って、事件の件でサーチかけてる人ばかりじゃない?って思うし、そういう人が安定してる可能性がどのくらいなのかって話じゃん。

私、Twitter検索開いてトレンドにいるだけでちょっと暗い気持ちになるよね。

今のところ経験者の割に楽しい事も含めて生きてはいるけどさ。

悪意がある人が手段として用いようとしたケースがあった時に、不慮の事故場合の話をするのであればかなり厳重に問題を分けて整理してから話した方が良いし、そういう特殊が起こってピリピリしてるときに、日常にも危険が潜んでいるという話をするのが本当にベターかな?

悪意と衝動トリガーな事が多いのに?

私は被害者遺族の他に施設出身っていう属性を持っていて、今のところ被害者遺族って言う理由で同じように施設に入った子には直接は会った事がないんだけど、それぞれの事情世間安心とか居場所とか落ち着け時間がない子が結構いて、そういう中で生きていく過程で張り詰めている子を何人か見ているし、私自社会で頑張らなきゃいけない間はもう少しピリピリしてた。

優しくない人の行動に嫌だなって感情向けてたりね。

一応私は昔から絶対理不尽経験理由に腐らないってのを軸に生きているので、形を変えつつも社会否定しないって手段を取っているのですよね。

お父さんは元々不良が大人になったみたいな人で、なので事件について「何か原因があったんじゃないの?」とか言われる事があって、実際そういう育ちとしては良くないかなって言われる家庭の人でもあったんだよね。

それでも、私に学が必要だって勉強を少し力入れている幼稚園に入れたり、末っ子の弟が産まれた時には母方との溝を埋めようと頑張って、自分の親にはそこは頼れないかマンションを買う時の保証人として母方の祖父に頼み込んだりさ。

稼ぎがほしくて当時仕事を割り振る加害者の方と、仕事を受けさせてほしいって事で揉めたり。

けして焼き殺されていい人ではなかったし、父がそういう悪人かどうかとか、加害者の方が小さい私を可愛がってくれていた優しい人だったとか、そういう話ではなくて、これは線を越えた加害者の人がいて、私はそれで失ったものが沢山あるから、私は相手を許せないんだよ。

悪人(に見える人)がいるというのは、誰かの加害を正当化できるものではないんだよ。

私にとって小さい頃って本当に幸せ時間で、会う人みんなが私にとって大好きな人だったんだよ。加害者の人も含めてさ。(まあなので、事件があった時に加害者人間性の話にはしてほしくはないかな。加害者が良い人だったとしても線を越した事はなくならないしね。第三者加害者デフォルメちゃうのもうーーーーんてなるかな。)

その中で私が憎悪に負けて、理不尽を与える側になったらさ、父に何て言えばいいかからないよ。

なので、私は腐らない。

善人になりたいわけではないけど、自分の心からは逃げたくない。逃げて誰かの理不尽になりたくない

それでも、相手を受け入れるだけだと、伝わらなくても相手は生きていけるときに、どうして自分はこれを貰えなかったのかなって気持ちが抑えられなくなる事もあったので、私の悲しい気持ち相手が本当に出来るものか、そもそもしなくてはいけない責任があるものかっていう所を分解しながら考えてる。

まあ大体個人個人を助けなきゃいけない理由はないし、私が傷を受ける事が正当って訳でもないか相手否定しない形で伝えるしかいかなに至る。

福祉は頑張ってくれると助かるなぁ。

父の件の後は、好きだった人たちとの関係がしんどくもなる事が沢山あったけど、大好きだった記憶は忘れられないし、それから経験した楽しい記憶もなくならなくてね。

から理不尽現実のものは憎いけど、やっぱり他人を嫌いになれないんだよね。

だってみんな大変だったし、人が起こす理不尽て大体それに至る流れがあるからさ。

その上で、(自分で言うのもアレなんですけど)これ理不尽を受けたって感じてきた子がやるには難しいんだよ。

なので、正直私は憎悪に負けてしまう人を笑えない。

自分場合は決意するきっかけがわかりやすいけど、理不尽のかたちは沢山あって、それは施設の子なんか一般家庭の人よりわかりやすいし、わかりやすくなくても世の中でいう女性故にかかえるハンデとか、結構身近に憎悪の種はある。

「この人は歳上を理不尽認識してるな」とか

「きちんと考えられない人を憎んでいるな」とか

あとは属性のものを嫌な存在として認識していたりね。

実際、生きるのが苦しい理由って、他人から受ける事情にも沢山あって、だからこそ自分自分を大切に出来た方が良いとも思うんだけど、私はそういう流れで育てられた憎悪コントロール出来ないって、自己責任だとは思えないよ。

そう言う範囲の人って、いわゆる精神障害として認定される事多くて、私は私でPTSD被虐待児症候群て診断されてる。

だって、何かが違えば世界への憎悪トリガーに取り返しがつかない事を引き起こしたかもしれない。

色々気になる事に対して、あなたが過敏だからではないかとか、「気にしない方がいいよ」って言葉をかけられる事もある。

でも、自分自身こういう経験をしてて、あとはちょっと身近な人を自死とかで亡くしてたりする。

自分だけじゃなくて、同じように施設出身の界隈の子がそういう社会での絶望とか孤独理由に命を絶とうとするみたいなのを、結構な期間ずっと聞いてる中でさ、そういう人に対する影響は考えちゃうよ。

どうしても、心の弱さで加害者被害者になり得る人へのリスクを優先してしまう。

人の悪意が起こしてしまう事ならなおさら

私は、それを経験してない人や知らない人に対して、「貴方が知らないから悪い」とは言いたくないんだよね。だって私は経験したくなかったもん。

自分がしたくなかったものを、他人に「この人は経験してないからいけないんだ」なんて言ったらさ、敵しかいなくなるし。自分経験社会的には少ない事は、多分大体の人がそう思うだろうなって感じだしね。

(苦しい気持ちに優劣はないけど、社会的な位置存在するかなとは思う。わかりやすものとわかりにくいものとかね)

例えば、火がつく原理の話を、知識を持っていれば有事の際に対応できるかもしれないとか、何か有益になるかもしれないからって人もいると思うんだ。何かしなきゃって善意からやっている心そのもの否定したら、それは混乱する理由になるよね。

じゃあどうすればいいの?ってなると思う。

そういう、傷ついてきた人にとってはズレているかもしれない善意を、否定はしたくないんだよね。

正解が見つかってないものから

でも、私が自分の為に相手と一緒に生きたいからこそ、自分の心が傷ついた時に私が経験していて、勝手に傷ついてるとも思いたくない。

向こうは善意でやってるのに、そこを理解しない自分が悪いとも、ちょっとできない。

だってそんなの、私に理由がない罰じゃん。

経験してない人と私の違いって何?私が悪かったからこんな経験してるの?っていう。

相手自分否定したくないからこそ、相手の心を否定しない言葉を頑張ってるし、「どういう事?」「なんの話?」ってなる所までは説明を頑張るけど、それを私が相手を黙らせたいからやってるとか、相手をわからせたいからやってるみたいに捉えられると、こまるんだよ。

それは私が一番やりたくない事なんだよ。

だって社会と一緒に生きたいから、なかった事にしたくないから、それが今やる事かなとか、それで追い詰められる人がいるってことは、伝えたいんだよ。

大きな理不尽になってからじゃ遅いから。

私が世界のこと好きじゃなかったら、もう少し割り切って世間馬鹿にしながら生きていたし、頑張れない人がいても私は頑張れてるから頑張れない人が悪いって切り捨てられてたよ。

理不尽そのままでも、こんなもんだよねって出来てた。

それでも私には、世界を好きにさせてくれる理由が生きてる中で沢山あったから頑張ってるので、悪意と見なされるのが本当に悲しくてどういう方法をとっていけば少しでも伝わるのかなって考えてしまうよ。

からせて否定して追い詰めたい訳じゃないんだもの

どうすれば、同意献身以外で情を示す行為に出来るのかな。

私これネットだけで感じてるものじゃないよ。むしろ現実の方が伝えられなくて難しい。

ネットだと、相手のそれまでの言葉を遡れたりするので、それが本当でも嘘でも、流れをまだ見る事が出来るんだよね。

出来てこれだから辛いんだけど。

どうしたらいいのかね。

頑張りたいからこそ、ひとりで頑張れないからこそ、ちょっとネットに書き込ませて貰いました。

読んでくれた方はありがとうございます

出来れば、これを「考えようとしない人が悪いって言葉」とは受け取らないで欲しい。

そういう事が他人の事でもしんどいなって方は、少しでも自分を大切にする方を優先して欲しいな。

考えられる方は、できれば“誰かが悪い”ではなくて、その悪い気持ちを何が生み出しているのかとか、理不尽言動を何が生み出して、どうしたら少しでも折り合いをつけられるのかを一緒に考えてくれると嬉しいな。

私も自分を大切にする方法を探しながら考えていきます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん