はてなキーワード: 屁理屈とは
➤トルドーの愚息は、悪魔がピエニアツカ虐殺の実行犯であることを識っていた
「トリュドーの小倅がカナダをシュワブランドに平気に変えようとしている無邪気さは、小倅に帰属意識の薄弱児ぶりを伝えて歇まないが、罪悪感が極めて薄いこともあまりにも危険であるだろう。この小倅は高校教師時代に女子生徒に行なった淫行についても否認し、廿カ国会合でバーラト首班に叱られたことについても否認し、専用機にコカインを持ち運んでいることも、三つの侮辱があるが無自覚である。否認することにより被害者への侮辱、叱られたことへの反発のみという国際会議のルールへの侮辱、そして自らを選んだ有権者へカナダ人への侮辱。そして、どこにもひっつかない屁理屈の〝謝罪〟はバンデラ主義者にナチ協力者に拍手を送って申し訳ないと抜かす、ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人への再度の侮辱である。すべてが白昼堂々と行われ議場全員が拍手喝采を送った映像は削除できない。識っていたか不察らなかったなど事実の前にはなんの意味もない。歴史と記憶への侮辱、自身への親への祖父母への侮辱も重ねられた。こうした取り返しのつかない仕出かしについて、所謂、TGeneration Me、Psychosocial Moratorium、Failed New Agersのデミグラシー世界では責任の取り方が存在しない。従って責任の取り方がない。侮辱は次々と重ねられ、自己破壊へと近づいて行くのみだけだ。そしてこの小倅にも、議場全員、カナダ人による最大の侮辱、誰にも憚っていない犯罪的侮辱を挙げる。それはロシア人を虐殺することは罪ではなく正義であるという当然視だ。小倅は〝ユダヤ人、ポーランド人、ロマ、そのほか〟が〝つらいこと〟と自分から離れた自分から話して見せた。自己愛性人間の所謂多重人格を常に現す習性から。だがロシア人には触れない。1千4百万の民間人を含む2千7百万は〝そのほか〟にも入ってもいない。ナチの残虐行為でソ連に匹敵する犠牲者を出し災厄を被った欧州諸国は一国も存在しない。それはホロコーストと呼んで差し支えない。もう一度なんと言ったかを採録しよう。『きょうこの議場には、第二次世界大戦でウクライナの独立のためにロシア軍と戦い、98歳を迎えられた現在も支援し続けておられる、ウクライナ系カナダ人の退役軍人がいらっしゃっておられます。彼はウクライナの英雄であり、カナダの英雄であり、私たち一同は、彼のすべての献身に感謝しています。ありがとうございます』。これが、事前式次第にも〝彼が何者か識らなかった〟と称する演説だ。簡単なことだ。国際社会への手前、〝不察らなかった〟と事後訂正すれば十分だと嘯ける危険より、彼らはそれ以上に亢奮し、喋りたい、ひけらかしたいことがあった。それはこの事変勃発から彼らが興奮してきたこと。ロシア人を皆殺しにして構わないと小倅が再三言ってきた最高潮を欲したのであった。ポーランド人、チェコスロヴェンスコ人を屠殺したことは強引にも引き剥がし、ロシア人を殺し続けたことを褒め称えたかった。それに興奮する自分が、自分たちが、それを行なっている正義の覚せい剤をみんなで射ちたかった。毋慮2千7百万の絶滅に加担した者を喝采したことは、2千7百万の犠牲者を侮辱し、ロシア民族を侮辱した。その小倅もおもいも不察らないところに鈍く煜る眼光がちらついていることを不察らない。或る国のある狂信主義派が暗殺を示唆した。そしてその一派が嘘ではない、その実力を見せてやると通告して数分後にカナダ軍通信網を不通にさせた。小倅暗殺は捷報されるかも察れない。子どもはどこまでやったら、どうなるかを泣いて理解する。だがそうしたことを体で分別することを知らないまオトナになってしまった者は、もう手遅れだ。不具者になるか落命するかだ」 -0-
「カナダ議会、政府筋は、議長も首班府も全てを識っていたと述べた。招かれた当人が寸前までWebサイトを持ち、ナチズムを礼賛、自らが加わっていたナチ親衛隊部隊の悪業を喧伝していた。ことにこの悪魔は、1944年、フタ・ピエニアツカで子ども、女性、老人1千のポーランド人村民を生きたまま焼き殺した一員である。ワルシャワは正式に身柄引き渡しをカナダ政府に要請する手続きを行っている。だがカナダ政府はこれまで一貫して、戦争犯罪者の引き渡しに応じたことはない。特にナチ関係者は、カナダの地域ナショナリズムに巧く入り込んでいるため、戦争犯罪追求は、寝た子を起こしかねないとの黙契がカナダを紐帯している。だが事実は却々もって、カナダが世界的にも危険な国家であることを浮かび上がらせている」 -0-
「欧州でもカナダ・ナチ事件の影響は拡がっている。オランダのテレビ放送は『第二次世界大戦の禍根に苦しむ欧州において、これは前代未聞の異常事態だ』と報じ、英でも欧州史研究家らが、『こんにちのウクライナ民族主義者の犯罪を相対化しようとすることは、必ずカナダで起きた事態を招かざるを得なくなることは明らかだった。独元大統領の言葉ではないが、対ロ対決にウクライナの現実に眼をつぶることが自然視されたのは、欧州にも世界にもナチズムが再来できる意識状態が生じていたからだ。悪魔の擁護者は徘徊したままだ』と重大な警告」 -0-
https://anond.hatelabo.jp/20230929005624
神の定義を確認して、どこが間違っているかを教えてあげましょう。
「神がいるなら私の目の前に連れて来て」と聞いてみましょう。
多分教会の人間を連れてくるだけで、唯一神の登場はありません。
彼らの言う唯一神は妄想の産物でしかなく、実際には存在していません。
神にまつわる嘘はたくさんあって「理神論」という屁理屈なども用意されています。
もしも、唯一神を実在のものと結び付けて説明したいなら、最も合理的な理論(仮説)としては、グノーシスの「神=自分」という考え方だと思います。 (グノーシスはキリスト教では異端とされています。)
グノーシスなら自分=神なので、わざわざ天国とか他所で神を探したり、会いに行ったりする必要がありませんね。
「あなたの頭の中に神がいるから、それを大切にしなさい。それ以外の神は存在しないので求める必要がありません。」とキリスト教の母親に説明してみてください。
キリスト教の歴史は、見方を変えると戦争(殺人)の歴史でもあります。
十字軍の遠征とか、イギリスのピューリタンがアメリカ大陸へ行って原住民を虐殺して土地を略奪したりとか、原爆を作って民間人を大量虐殺したりとか、枚挙に暇がありません。
なぜキリスト教が殺人を好むかと言うと、十字架にはりつけられて殺されたイエス・キリストの死を賛美しているからです。
死を賛美するのは死を肯定しているからであり、死を肯定しているので殺人をも肯定できる、という三段論法ですね。
キリスト教の人は「そんなことない」と言い訳を始めますが、キリスト教の戦争の歴史は事実です。
他人に騙されたくなければ、口先で言ってることだけでなく、実際にやってきたことも見る必要があります。
戦争を繰り返すキリスト教が戦争の道具だったことは事実であり、イエスの十字架をペンダントにして彼の死を賛美していることも事実です。
アメリカなどキリスト教国家(IN GOD WE TRUST)は戦争=殺人をやめた方が良いと、キリスト教の母親に説明してみてください。
キリスト教の間違いを理解するだけの知性がなさそうであれば、別の治療法(音楽療法)もあります。
歌が好きな母親と一緒に、ブルーハーツの歌を毎日カラオケで歌いましょう。
あるいは、電話で母親にアカペラを歌われたら、増田がアンサーソングとしてブルーハーツの「青空」を歌い返しましょう。
神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて 本気なのか?
誠実さのかけらもなく 笑ってる奴がいるよ
隠している その手を見せてみろよ
神=思考停止装置ってのは、そんなに難しい話じゃなくてさ、簡単なわけよ。
おまえがいう「神」が実在するなら、俺の目の前に連れて来いと言うだけ。
実際に連れて来れるやつは一人もいない。
まずこれが結論。
古今東西、人間は神についていろいろ考えて、神の定義や、神は存在するという屁理屈が膨大に提案されてきた。
現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉。
明治維新で担ぎ出された天皇は「生きた神」として崇め奉られた。
これなら人間の形をした神を用意できるので、上記のような詰問にも対応できる。
「神がいるというのなら、俺の目の前に連れて来いや!」
しかし、実際には天皇は人間であることには間違いない。飯を食えば糞もする。
人間を神と定義するなら、天皇以外の人間も全て神なわけ。だから日本には八百万の神がいるわけ。今の人口だと1億3000万の神々が日本にはいることになるね。
現人神と同系統のアイデアとして、「グノーシス」という思想がある。
グノーシス主義(グノーシスしゅぎ、独: Gnostizismus、英: Gnosticism)またはグノーシス(希: Γνῶσις[1])は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想である。
グノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味し、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想である。
グノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたと見られる。
グノーシスは、キリスト教などの一神教では異端(間違い)として扱われている。(キリスト教にとって都合の悪い考え方を含んでいるので)
世の中には「自分=神」という発想があって、グノーシスもその一種。
要するに、自分が神に近づいていって、自分が神になることを目指している。
しかし、自分を顧みて「自分=神か?」と自問自答すれば、(神の定義にもよるが)全知全能・永遠不滅の存在にはなれていないので、あまり自分=神という感覚は持てない。
神と自分は別物、あるいは神と人間は別物という考え方は、往々にして神が上で人間が下という上下関係を設定しがち。
これが「神」という概念を使って、人間の思考を停止させて、人間を支配する道具として使われる原因になっている。
よくいろんなカルト宗教で、信者から金を巻き上げたりいろいろ問題が起きてるでしょ。
全部これで説明できる。
面倒くさくなったから今日はここまでだけど、神について厳密に分析したい人は、圏論を道具として表現しないと無理だとアドバイスしておこう。
宗教やってるやつって何で数学に興味がないんだろうね。(数学が好きな宗教者もいるにはいるけどなぜか少数だね)
興味がある人は、日本在住なら東京の国立国会図書館で調べてみるといい。ネットで検索しても見つけられない情報がたくさんあるから。