はてなキーワード: 意見とは
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他のコメント見ていると、「注意された時に理由を説明すべきでない」って意見が多くてなんか意外だわ。
自分だったら「すみません…xxxした方が効率が良いと思ったのですが、仰る通りyyyの視点が足りていませんでした」みたいに言うなぁ。
俺はどちらかというと指導する側なんだけど、何でもyesで済ます奴より、何でそうしたのか説明してくれる奴の方が改善点を明らかにしやすいしそいつの考え方を理解しやすい。
「服は着られれば何でもいい」と思ってやってきたから、どういう基準で選んでいいのか分かんないから、何も判断することができなくて、服屋で服を選んで買うのが苦痛だったんだよね。
このまま生きてても良いんだけど、なんか嫌だなと思ったんで、50代だけど本読んでYouTube観てメンズ・ファッションの勉強してみたの。
まずは黒いズボンを買えばいいってことが分かったの。
少し前だとピタッとした「スキニー」が良かったらしい。でもスキニーが流行りすぎてダサくなっちゃったから今は違うらしい。
今のトレンドはワイドなんだけど「50代はワイドパンツが似合わないから、無理してトレンドを追わずテーパード(太ももから裾に細くなる)で」っていうYouTuberがいたのね。その人の発信が良かったので「よし、ワイドは避けて、テーパードでいこう」と思ったの。
でも、別のYouTuberが「トレンドを追わないからおじさん化する。おじさんもワイドパンツをはけ」って言うの。「そうなのかな」と思ったのね。
どっちが正解なのか分かんないんだよね。
「試着して自分で良いと思う方を履けばいいだろ」と思うだろうけど、「これが自分には似合うんだ」って判断ができたら50代まで適当な服着てないよ。そこが分かんないからYouTube観てるのに。
だから試着して、本当に似合ってるか分かんなくても判断留保して、YouTuberが勧めるアイテムで良さそうなのそのまま買ってんだよね。(そしてそれでオシャレに確かになってるようだ。)
なのに「そうかテーパードか」と思ってるところに「ワイドだよ」って言われちゃうと、もう何を買っていいか分かんない。
意見が別れるYouTuber同士で議論してもらって、どっちが正解か決めて欲しい。
本当に何も知らない分野だと、何を基準に考えていいのか分かんないよね。
「こっちかな」と思ったら、「あっちだよ」って言う人も出てくるし。
それで迷った末に決めたらさ「何それ、ダッセ」って言われたりしたら嫌になるよ。
厳しい意見が多くて意外
原作者をつけていて、しかもその原作者に作品完結の実績がある違い?
「立花に騙される兵庫県民。日本崩壊の危機」みたいな一側面しか見ていない語り口ばかり見るから、現地民の意見が読めてよかった。こういうのが一番知りたかった。
全体的にわかる〜!と思った。
まず、中立的に判断したくて情報収集しても、どっちサイドも吹き上がった人が多くてなかなかちゃんとしたソースにたどり着けないんだよね。
今回だったら百条委員会の報告書が一番フラットなデータだったと思うけど、そこに一般人が辿り着いてちゃんと中身読んで……ってかなり難しい。実際今「百条委員会 報告書 兵庫県」でググってみると、上からニュース記事、ニュース記事、兵庫県のあげているアンケート回答のpdf、ニュース記事、文書問題調査特別委員会のページ、って感じ。最後のページが見たかった資料に繋がっているわけだけど、検索したときに出てくるタイトルや概要がわかりにくいし、もう少し上の方にヒットしてほしい感もある。それくらい調べられるようになれよと言われたらそれまでだが、国民の多数にそれを求めるのは酷ではないかとも思う。多くの人は、選挙にそこまでの労力をかけられないから。
それから、他の候補が微妙ってのもよくわかる。現職にうわ〜と思っていても、それ未満のもっと微妙な人しかいなくて、結局現職に投票したことがある。選挙はマシな人選びと言うが、それにしたってもう少しまともな候補者いないのか、と思っていた。自分の県で同じことが起きたら、現職に投票しちゃうかもな……と思う。
そのような事を踏まえ、斎藤のこの対応は事実を確かめない拙速過ぎるものであり、独裁者が反対者を粛清するのと同じ、や、斎藤にとって耳の痛い都合の悪い話でも告発者を責めず、利害関係のない第三者や有識者による精査を行うべきだった、またそもそも告発文書には前述のように法的に保護されるべき公益通報が含まれている可能性があり、それを一部だけ取り上げて否定した斎藤やその政権高官らの対応は公益通報者保護法に違反している、といったように批判され、自分への告発者を「公務員失格」等と呼んだ事はいわば公開パワハラであるとの意見もある[9]。
地方自治体の独裁者
独裁者が存在するのは必ずしも国家だけではなく、地方公共団体等国の内部の組織でも独裁者ないしはそれに準じる権力者が出現する事例も存在する。例えば近年では日本の兵庫県の知事である斎藤元彦はしばしば独裁者であると批判される。斎藤は以前からパワハラ等で批判され、内部告発を受けて彼に対する百条委員会が設置される等議会との対立を深めていたが、当人は告発内容が事実ではないとして受け入れず、告発した者を停職3ヶ月の懲戒処分を下すといった強権的な手法で応じた。しかし本来は公益通報者保護法で告発者への不利益な扱いは禁じられており、同時に真実と信じるに足りる相当の理由等がある場合には報道機関等外部への通報も保護の対象となる。そのような事を踏まえ、斎藤のこの対応は事実を確かめない拙速過ぎるものであり、独裁者が反対者を粛清するのと同じ、や、斎藤にとって耳の痛い都合の悪い話でも告発者を責めず、利害関係のない第三者や有識者による精査を行うべきだった、またそもそも告発文書には前述のように法的に保護されるべき公益通報が含まれている可能性があり、それを一部だけ取り上げて否定した斎藤やその政権高官らの対応は公益通報者保護法に違反している、といったように批判され、自分への告発者を「公務員失格」等と呼んだ事はいわば公開パワハラであるとの意見もある[9]。なおこのような事例は決して日本や斎藤に限った事ではなく、内部告発をされた側が告発者に対して示す反応の一つの典型的なパターンである。その内容としては特に本質的で重要な不正を告発した告発者に対して一部虚偽や誇張を織り交ぜた人格攻撃を加え、同人を悪魔化して悲惨な末路を押し付け、見せしめにするのである。これはまさに独裁者に立ち向かう事は自身の破滅に繋がるという運命をでっち上げる事で告発を抑止する典型的な恐怖政治であり、これは前述したように独裁者の粛清の構図であり[10]、実際に斎藤を告発した職員が2人自殺に追い込まれており、これらも斎藤のパワハラが原因だと言われているためこれが事実ならば彼らは斎藤によって粛清されたに等しい[11]。
結局斎藤は百条委員会の不信任決議により失職。しかしその後の2024年兵庫県知事選挙では再当選を果たした。その理由としてはSNSでの斎藤の人気があげられ、兵庫県議会への敵意を煽る斎藤の主張が拡散され、街頭演説では斎藤支持者による「斎藤」コールも発生。その中には自殺した告発者を非難する発言や、斎藤は議会に嵌められた、斎藤の対立候補であった稲村和美は外国人参政権を推進している等と言った陰謀論も数多く存在した[12]。このように対立者や外国人・他民族をスケープゴートにして敵意を煽り、権力者の独裁を確固たるものとする手法はかつてのナチス・ドイツの独裁者であったアドルフ・ヒトラーが用いた手法と同じである[13]。また斎藤当選後には涙を流して喜ぶ高校生等の有権者もおり[14]、これは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の独裁者金正日が死亡した時に同国国民が号泣したのと似ており、個人崇拝が行われている事を示している[15]。
玉木の不倫で「誰かが不倫したところで私たちには影響ないから騒ぐことじゃないよん」と
なぜそう判断するのか。
私は会社員をやっているが、インボイスが導入されたところで全く問題ないが?
保険証の又貸しが出来なくなる?もうマイナンバーカード持ってるし自分には関係ないが?
ていうかこれが問題ない→「不倫しても仕事をまともにしてればいいんだ」とおっさんが解釈
→望まない妊娠が増える
てことも考えられるんだが?
今回はすでに公益通報としての審議にかかっていたにも関わらず、別口で知事が特定と処分を急いだことが問題とされている。
①公益通報者にあたらないので、②通報者を特定し、独立した委員会の処分が下される前に懲戒していい、というのは斎藤知事の主張。
ただ、公益通報者保護法の専門家の多数意見は①については分かれる、②についてはダメというもの。
百条委員会は途中だったが、専門家の意見に基づいて知事はアカンという結論を出している。パワハラの存否については結論だしてない。
この意見にはいくつかの妥当性がある一方で、議論の対象や主張の文脈によっては問題点や誤解を招く可能性もあります。以下に分けて分析します。
• 妥当性:
投票の非合理性を議論すること自体は、民主主義や選挙制度を深く考える上で有益です。例えば、「個々人の1票が選挙結果に与える影響は極めて小さい」という点を議論することは、制度改革や新しい民主主義の形を模索するきっかけになり得ます。
• 問題点:
この議論を広める際に、「だから投票する意味がない」という結論に直結してしまうと、民主主義の基盤である選挙制度が軽視される可能性があります。選挙は単に個々人の直接的な影響力だけでなく、社会的な意思表示や民主主義のプロセスそのものを支える役割を果たしているため、非合理性の議論が投票離れを助長することには慎重であるべきです。
2. 「投票には行かない方が良い」という主張について
• 妥当性:
投票に行かないことを勧める意見も、思想・表現の自由として保障されています。特にその主張が「投票は現行の制度を正当化するだけだ」「選挙以外の方法で意思を示すべきだ」という考えに基づく場合、これ自体は意見として認められるべきです。
• 問題点:
「投票に行かない方が良い」という主張が広がることで、社会全体の政治参加意識が低下する可能性があります。特に、特定の層(若者や低所得者など)の投票率が下がると、結果的にその層の意見が政治に反映されにくくなり、さらなる政治的不平等を招くリスクがあります。
• 妥当性:
他人に「選挙に行かない方が良い」と勧める行為自体は、基本的に思想・表現の自由の範疇です。強制力が伴わない限り、個人の選挙権そのものを直接侵害する行為には該当しません。
• 限界:
強制や脅迫が伴う場合や、虚偽の情報を用いて特定の行動を促す場合には、選挙の自由を妨害する行為として公職選挙法違反となる可能性があります。また、倫理的には、民主主義社会における「投票権を行使する自由」を軽視するような発言は批判の対象となるでしょう。
4. 全体的なまとめ
• 投票の非合理性を議論すること自体は、制度改革や政治のあり方を考える上で重要である。
• 「選挙に行かない方が良い」という主張や、「選挙に行くな」と勧める行為は、思想・表現の自由の範囲内で許容される。
• 投票行動を軽視する主張が広まることで、政治参加が低下し、特定層の意見が反映されにくくなるリスクがある。
• 主張が他者の選挙権行使を実質的に妨害する形になる場合は、法的または倫理的問題を引き起こす可能性がある。
まぁ毎回トンチキなので文章が読めないと同様に尋ねても無駄感はあるが
それから会話が成り立つ要件って、主義主張・価値観ではなくて、
宗教の人ではなく、批判的思考を持つこと、嘘をつかないことだと思ってる(弥助と東京オリンピックで気付けた)
増田にはそれがない
信条は、どんなことを言われても揺るがないのはフツーのことだと思います
ただ、人物や作品、制度や政策、科学などについて、常に肯定的な意見しか言わないのは、信仰と言います
人物や作品、制度や政策、科学などについて、常に肯定的な意見しか言わないのは、信仰と言います
信仰は揺るがないので、一般的に会話は難しいと思いますが、雑談も同様に難しいです。信仰は揺るがないからです
感情の共有、たとえば対象が『好き』という気持ちについて共感することだけなら可能だと思いますが、
雑談は、感情の共有だけではなく、意見交換の要素も含むからです (信仰ですから、疑は挟めません)
また、潤滑的な話題として、通常信仰をテーマにしません。信者に対応する人は気を使い疲れます
会話 (Conversation)
|
├── 目的別会話 (Informative, Opinion exchange, etc.)
|
└── 雑談 (Small talk)
├── 軽い話題 (Casual topics)
├── 社会的潤滑油 (Social lubrication)
├── 感情の緩和 (Emotional relief)
└── 軽い意見交換 (Casual opinion exchange)
周りに、支配的な人がいたり、やたら語気が強い人がいると、
自分の意見を最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなものを否定されがちになったりするので、
批判に過剰反応しがちになる人が存在することは理解したいと思います
ただ、抑圧されてきた配慮すべき事情がある人物なのか、差別的な宗教の人(信仰対象と信者は何をしても良いと考えている)なのかは、
上から目線でアドバイスするなら ①イスに座ってるほうが勃つという男性は結構いる(普段PCデスクでオナってる)②童貞はゴムをつけるとしぼむので、最初は安全日に生、くらいの覚悟が必要 ➂へたくそなフェラは萎えるのでやめとけ ④ スケスケフリルとメイドブリムは万能(個人の意見) くらいかな 男はどんな女性でも性行為は可能だよ。
近頃、オールドメディアとネットにおける情報性について取り沙汰されている。
マスコミの偏向報道は事実として連綿と繰り広げられてきたわけだが、
では逆にネットで正しい情報が得られるかといえば、甚だ疑問だと思う。
例えばオールドメディアが受動的な情報発信であるのに対して、ネットであれば自分から能動的に情報を取得しにいくため、そこで真偽を見極められるという意見はあると思う。
だが、実際には検索エンジンにはアルゴリズムというものが存在し、検索にヒットしやすい情報とそうでない情報が存在する。
それこそ、このアルゴリズムを逆手にとれば、目立たせたい情報だけが検索されるようにすることもできるし、それらはお金を使って操作することもできる。
SNSや動画サービスに関しても同様で、おすすめ表示などはアルゴリズムによって決定されるし、情報を配信する側もよりPVが得られやすい情報に偏りやすい。
そうなると、正しい情報がPVが得られにくいものだった場合に、やはり埋もれてしまい探すことが難しくなってしまう。
ネットで「正しい情報」を得た、とおっしゃっている方々のどれくらいの割合が、この状況を知った上で情報を得ているのだろうか。
おそらくは、99%の人が、そこまで考えずに目に触れた情報だけを拾っているのではないかと思われる。
そうなれば、情報を広く集める上でのリテラシーが欠如している状態だと思う。
民主主義が正しく履行されるためには、下記のような条件が整っている必要がある。
有権者が正しい判断を下すためには、次の条件が整っている必要があります:
有権者が情報を正しく理解し評価する能力を持つことも重要です。
またリテラシーが欠如している状況が続けばどのような結果を招くかというと、このようになる。
これは、まさに今回の兵庫県知事選挙の結果だと言えると思う。
兵庫県知事選の結果を受けて、テレビ・新聞などのマスメディアは vs SNSの構図を作ろうと躍起になっているように見受けられる。
SNSはデマが多く信頼性が低い上、エコーチェンバー現象により偏った意見に染まってしまうリスクもあるとする一方で、
マスメディアの報道は裏取りを行った上で公平性に重点を置いているため、信頼性が高いと主張しているのだ。
しかし、世間の多くにとって見ればマスメディアもまた、報道の自由を盾に偏った報道を行ったり、不十分な取材により誤報を流したりすることが当たり前のものだと思われているのではないだろうか。
事実、某キー局が放送している朝の情報番組や関西の某局から全国へ放送されているニュース番組で語られる上記の主張に対するSNSの反応は、ほとんどが否定的なものである。
もはやマスメディアこそが偏向報道の元凶であり、そこで報道されない部分にこそ真実があるという主張が市民権を得つつあるのだ。
さて、このような世間からの逆風に晒されているマスメディアが信頼を取り戻すためにはどんな方法が残されているのだろうか。
私はメディアがメディアの監視装置になることこそがその唯一の方法だと考える。
ネットや一部の雑誌のみがカウンターメディアとしての役割を果たす現状を打破し、マスメディア自身が互いのカウンターメディアとなることを通して
自らの存在意義を再定義することこそが市民に信頼される報道機関としての地位を取り戻すことができるのではないだろうか。
もちろんそこには大きな痛みを伴う。先の衆議院選挙ではまるで事前に打ち合わせをしたかのようにどの局でも一部の自民党の候補者の名前の横に「裏金バッチ」を付けるという方法を取っていたが、
それはあくまで自民党の候補者に対してのみであり、過去に巨額の裏金が指摘された野党候補者に対する同様のバッチはついていなかった。
SNS上で多くの批判が見られたこのような報道姿勢が本当に公平なものだったのかを振り返ることは多くのマスメディアに取って自分の喉元に刃物を突きつけるようなことになるだろう。
それでもオールドメディアはやらなければならない。それが彼らの唯一の生き残る道だからだ。
マスメディアの持つ"優れた"取材能力の一部を使って、他のマスメディアの報道姿勢を監視し、本当に公正な報道を行っているのかを市民に伝えること。
いつ自らが報道される側になってもそれに恥じない報道を行っているという自負を持って報道を行うこと。
これこそがマスメディアが信頼を取り戻すためには欠かせないことだと私は考える。
めちゃくちゃ怒り狂って「ムキー!」の段階超えたら今色々諦めついてこうなった。
色んな視点からの意見貰えて、「なるほどそう思うのか」「こんなカスいるんだな」「まじでこいつなんも分かってなくね」とか色々思うとこはあるし、だからこそみんなわざわざ書いてくれてサンキューって気持ちだったんだけど媚びてるように見えるのやだし不快にさせるのもやだな…ごめん…
ここまでちゃんとこのこと考えたの初めてだから今脳みそ直で吐き出しながら改めて落とし所みつけてるとこある。けど勢いで書いても良くないと思うのでもうやめます。
増田です。
わざわざ書かなかったような0から100まで全部汲み取ってくれてありがとうございます。なんかもうそれだけで充分救われました。
恋愛を楽しんでいる人がマジョリティーの世の中でどうしてもそれが無理な自分に対してのコンプレックスがあったのもあって、というのもこれから生涯独身で生きていくことに対しては受け入れていたけど、映画の中でもなんでも恋愛要素なんてどこにでも入ってくるから、映画観賞が趣味とか言っておいて理解できないんだっていうショックが大きくて(笑)
そんな中で、同じ趣味で「俺も」って言われたから勝手にマイノリティの中の同じ悩みを共有できる貴重な仲間みたいに意識しちゃったんですよね。馬鹿だなぁ。
だから本当に私のことが好きならそんな自分のことしか考えていないことするなよ、とか、勝手な理想をおしつけて勝手に失望したのは自分のせいなのは間違いなくて、私は自衛もなにも考えていなかった。
色んな人がコメントしてくれるの本当にありがたくて、私のことをフォローしてくれる優しい人も嬉しかったし、男性側の意見や、私とかつて友達だよねって言い合った人間の側を想像して意見をくれた人も私との考え方の違いが分かりやすくて参考になった。
中には分かり合えないなと思う人もいたし、だからこそ人との距離感は本当に大切だと思ったんだよね。
コミュニケーションで意思疎通できない人間はカスだと思うから力を使って向かってきたことは今でも怒っているし、そういう人間とは信頼は築けないと思う。そんな考えにも関わらず私がなんだかこのことに対してあっけらかんとしているのは今後誰かと一緒になったり異性の友人を作ったり、誰かと生きていくことを考えていないからかも。今後に期待して怒ったりするのにもう疲れてしまったのかもしれないや。
兵庫県知事問題は、議会がかえって見える化をさまたげてるよなぁ
(公益通報の)調査結果の公表内容については県財務部から百条委員会の奥谷委員長と岸口委員長に説明はあったものの、ある議員からの強い意見により県からの発表は突如延期され、正式な発表はいまだ出ていない
追記【注意】以下全て超今回この件私に限る話です.事例や意見のサンプルに加えないでください.
「抱かれる気のない男の家にあがるな」もうおっしゃる通りだと思う。
昨日色々考えてて勢いで文章打って投稿したんだけど、改めて読み直して自分の被害者意識が強いんじゃないかと思って追記を書いた。性行為をしたいと言われて抵抗はしたけど途中で諦めたし、逃げれる瞬間がなかったか?って言ったらあったと思うし、自分から避妊具をつけてほしいと言った時点でそれは同意の上での打診ともとれると思うから「レイプ」「強姦」「無理やり」みたいな単語は使わなかった。でもどうしても"裏切られた"みたいな気持ちが強かったから被害者感ある書き方したんだろうな。
本当にこれって「この道路交通量少ないからヘーキ」って左右見ずに道路渡ったら事故ったようなことだし、私個人はもうこうやって詳細話せるくらいトラウマでもないしそうやってまとめてくれるのセカンドレイプとは思わない。シンプルに例え分かりやすくて感心した。他の人にはあまり言わないほうがいいと思うけど、多分あなたはそんなことしない人だろうし大丈夫だと思う。
ついでに書くと、昨日は感情ぐちゃぐちゃだったからついくよくよした書き方もしちゃったんだけど、基本的に気は強い方だし正直ボロクソ言ってくれても大丈夫。それで気づけることもあるので。
でも自分のことを責めるなとか、正論で殴るなとか、そうやってフォローしてくれる人についても優しい人なんだなと思ってます。ありがとう。