はてなキーワード: すり替えとは
この増田、すごい…
論点のすり替えと誇張表現と矮小化表現を巧みに繰り返して問題を有耶無耶にした挙句、なぜか全く関係ない車旅行に終着してる…とんだ怪文だ
特に前半の、遅刻を許さない人を異常者に見立てる表現は素晴らしい
個人的に整理したくなったので書く
崖の例えはおいといて、遅刻者が時間を奪っているのは事実のはず。
そのため、遅刻に対して恐怖、というか怒りを覚える人は多いのは妥当。自分の物を大した理由なく奪われたらそりゃね。
ここでは、遅刻した側の背景や理由を一切無視して、遅刻される人の感じ方に問題があるのではないか、とあまりに大胆に論点をすり替えている。
清々しい。
誇張表現
遅刻を死と直接結びつけて考えてる人はいないし、罪という表現も大袈裟。
崖の例えはあくまで、早い分にはいいけど遅れるとまずいよねっていうデッドラインの考え方のために出された例え話。
なのに、遅刻と死を無理矢理結びつけて「遅刻を許さない人は遅刻によって命を脅かされていると感じている。そのため、遅刻する人に断罪的」と、遅刻を許さない人を異常者に見立てている。
この後に続く矮小表現との落差を出すことで、馬鹿馬鹿しくもある意味説得力が出ている。美しい。
一方で、それ以外の時間にシビアでない待合せでも数分の遅れを許せず、機嫌が悪くなったりする場合、遅刻フォビアの害が表れてしまっているといえる。
誰も明確な数字を出していないことをいい事に、増田は勝手に遅刻ラインを数分に設定し、遅刻を許さない人間を「数分の遅刻も許さない心の狭い奴」に仕立てている。
遅刻を許さない人をここまで不当に徹底的に貶めておいて、「みんなもう少し寛容になろう」は草
しかし、増田が言いたかったことは、(おそらく増田の趣味である)車旅行の話である。
恐れ入った。
正直に言って滅茶苦茶に嫌だ。
RTした後感想呟いてくれる他の人はみんな私の推しカプのここが可愛い!とか、他にも絵のここが好きだとか色使いとかそういう「私の絵」をちゃんと見て感想をくれる。それはとても嬉しい。
けれどその人だけは「私の推しカプ」についても絵についても全然触れずに全部「自分の推しカプ」の話にすり替える。
例えばバックハグしてる二人の絵を描けば「自カプにもバックハグやってほしい~~~」「自カプでこれやったらこうなると思う~~」と言った感じだ。
あなたが見てるのは多分「私の絵」じゃなくて「自分の推しカプの妄想に使えるネタ」なんだと思う。
それが嫌だ。私はあなたの推しカプの妄想の幅を広げるためにこの絵を描いたのではない。
私は私の絵を好きだと言ってくれる人や私が愛を込めて描いた推しカプの絵をきちんと見てくれる人が好きだ。多分あなたはそうじゃないんだろう。
お前じゃん
破綻した「安っすいドラマ」をバカが無理に擁護するとこんな惨状になるんだなあ
すでにまともな回答があるならぜひ読ませてくれ
自分で言い出したことの説明を放り出して「一点だけ答えてみ」ってどのツラ下げて言ってるんだ?
お前が言い出した「一貫性」と「単一機能」の一点だけでもこっちは具体的にお前のデタラメぶりを指摘してるんだから
つまみ食いだけで言い返せてないって言うなら、まずはその理由を自分の言葉で説明してみ?
まあ無理だから「ザコ」だの「単語のつまみ食い」だのとレッテル貼りして説明放棄してるんだろうけど
で、なんか「人間の行動が首尾一貫しないように見える」の定義にこだわってるけど
仮にそれを矛盾と呼ばないと結論づけたとして、今まで書いてきた
要所要所で前に言ったことと後に言ったこととが一致しない行動を取っていて、その動機が説明されていない
主人公の要所要所の行動に説明が付けられないってのは「人間理解の観点でもドラマツルギーの文脈でも何の意味もない」シナリオだと思うけどねえ?
こういう指摘になんか影響あるのか?どれだけ言い方を変えてもシナリオの欠陥は変わらないだろ?
なぜ「仕方なく契約結婚して、でもなぜか子供を作りたくなり、でもなぜか育児は花江に投げる主人公」がいてはならないのだろうか?
要所要所で前に言ったことと後に言ったこととが一致しない行動を取っていて、その動機が説明されていない
お前の言葉を使えば「あるべきシナリオの流れというものが主体としてあって」
登場人物はそれに従って歩いていくだけの「安っすいドラマ」だろ
しかし救いようがないな
「一貫性」と「単一機能」の違いは行動の動機の問題だと説明しても
懲りもせずに「平板な機能キャラが上手から下手に歩いていくだけ」と動機を無視した説明にすり替えて逃げるし
お前から持ち出したドラマツルギーの文脈においてどんな意義があるのかと聞いても
「一貫性」と「単一機能」のすり替えの後は「フェミ風味が気に入らないんだろ」みたいなレッテル貼りの人格攻撃を急に始めるし
相反する行動を作劇の中で成り立たせる例として葛藤や止揚を出したら、理論通りじゃないからダメとかいう主張に変換されてるし
主人公の要所要所の行動に説明が付けられないってのは「人間理解の観点でもドラマツルギーの文脈でも何の意味もない」シナリオだと思うけどねえ?
女性は二言目には女性差別だし、共産党も批判されたら反共の一点張りだし
一度弱者ポジション得た奴があらゆる批判を「属性に対する攻撃」にすり替えて逃げようとするの、ユダ公に限った話じゃないんだけど
もしかして今まで寝ていたんだろうか
まず転売ヤーはAmazon.co.jp上の在庫が底を尽きてプレ値でマーケットスクエアで吊り上げ放題になる商品を狙う
↓
在庫の底を尽きるまで買い尽くす
↓
↓
定価以上で買った相手に発送先をすり替えて堂々とAmazon.co.jpから発送させる
↓
売れなかったり在庫が尽きそうにない場合には決済を失敗させるなどしてキャンセルをする
という手はずを取る。
このキャンセルが発生することを見越して在庫数以上の予約をAmazon.co.jpは受け付けてることを繰り返していたのだろう。
技術者倫理を主張する多くの方が「技術者倫理として間違っている」と指摘をしたり何かしらの団体・個人を糾弾する風景をよく見かける。
技術者倫理をもしも重んじるのであれば、組織や誰かを糾弾するのではなく、業界が発展するように働きかけるべきではないだろうか。
起きている問題を内部にいる人間にすり替えて、外部からそれを煽る人たちを集めて叩く行為は何ら発展を生みださない。ただただ多くの負の感情がデジタルタトゥーとして残り、見ている側を不快にするだけである。
技術者倫理の根幹は技術の発展や技術者に対する信頼性の向上、社会の課題解決だ。組織や個人の誰かを糾弾したり、それに賛同している人たちに技術者倫理を語る資格はあるのか。それはその組織や個人がどんなに倫理に外れた行動をしていてもである。
それは自分の正義が否定されたから武力で行使するといった行動そのものでしかなく、技術者倫理を真っ向から否定する行動じゃないのか。
ITエンジニア界隈、こういうやつが多くて本当にクソだなって思っているよ。仕事でもう関わりたくないね。俺はもう仕事辞めるから、あとはよろしく。
アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並みな結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん(実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。
漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。「それだけ」で充分だった。それをしなくなったのは、子供の事情ではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合だ。
「選択的夫婦別姓」別にどっちでもよくない?って人がきっと多数だと思うんだ。どうでもいいから賛成派も増えてると思う。
けど、なんでそんな「選択的夫婦別姓」を推進しようとすんの?って疑問を持ってる人もいるんじゃないだろうか。
ごくごく個人的で極めて特殊なケースだと自覚した上で、ちょっと俺の身の上話を聞いてってくれ。すまんが長くなる。
俺:39歳、自営業
もう2年付き合ってて今3年目。彼女はもともと結婚願望が強かった。中学の頃からの夢は「お嫁さんになること」だったそうだ。
しかし、たまたま特に30代以降、男運がなかった。あるいは、男を見る目がなかったのかもしれない。だからか、ひょんなことから俺と出会ってしまい、お互い好きになってしまった。
お互い惹かれたのは事実だが、俺には結婚の意志は基本的にはないこと(将来どうかはわからないとも伝えた)、また特に自らの遺伝子による子どもを持つ意志はないことを事前に明示していたこともあって、彼女は非常に躊躇した。
しかし、俺からの押しに負けた形で、付き合うことになった(彼女も当時を振り返った時にそう述べているが、他方でもちろん最終的には自分の意志で俺を選んだとも言っている)。
俺には双極性障害と発達障害を患っている10歳上の兄がいる。社会生活は送れていない。
うちは家庭環境も当時は良くなく、父はアル中で酔ってキレる暴れるはよくあったし、酔ってなくてもしつけとして何か些細な間違いや過ちを犯すと体罰を躊躇しないクソ野郎だった。
というよりも父の幼い頃の家庭環境も最悪で、父自身も病気ではあった。その上で結婚して子どもを持つと選択した以上、それが免罪符になると俺は思っていないが。
どちらが先だったか今となってはわからないが、兄は病気に加えて父の暴力へのトラウマも強く、病気も悪化した。
その上、兄は昔から非常に嫉妬深く、人格もそこそこ破綻しており、特に昔は母や俺に辛くあたった。
比較的要領の良かった俺が、両親とくに母親の愛を独り占めしているという強迫観念を幼い頃から持ち続け、それは49歳になった今も持ち続けている。
確かに「世話のかからないできた弟」というポジションだったのだが、俺からの見え方は、兄に手がかかりすぎたため家庭内では俺は放置気味だったと思う。だから外では好き勝手やってしまってはいた。
表面的には、当時のことを兄は悪いとも思っているのだが、薬の効果が切れたり、何かちょっとでも気に食わないことがあるとその嫉妬を炸裂させ、たいていはその矛先として老いた母を今現在もなじり続けている。
兄自身も自分の罪深さから死ぬほど苦しんでいるが、自殺するほど強くもなく弱くもないため、死ぬに死ねないでいる。
こうした事情があったため、絶対に遺伝子を残したく俺にとって、子どもは論外だ。結婚もかつては論外だったが、しかし今、愛する彼女をとても苦しめてしまっている。彼女の夢は結婚して普通の家庭を持つことで、俺と付き合ってしまったばかりにその夢が叶わず、自分の選択に苦しんでもいる。
だとすればさっさと別れて別の男と結婚すればいいと思うだろうが、これは自惚れではなく、結婚以外の点では、お互いに愛し合っているため、彼女自身もそれを決断することができずにいる。そして俺も別れたくない。
そのため結婚だけはしようと考えたのだが、ここでまた問題が起きた。
まず、自分の家系に誰かを招き入れることはできない。自分の家系は呪われた業のようなものだと思っている。だいぶ端折ったが、今も兄を巡る地獄のような日々をうちの家族は送っている。
そのため彼女に重荷を背負わせすぎてしまうし、何より俺がどうしても自分の家系を増やしてその業を背負わせることを許せない。
そこで自分は彼女の家に嫁ぐ形にしようとも思ったが、嫉妬深い兄のことだ、俺だけが姓を捨ててしまえば「おまえだけ逃げ出した、おまえだけが俺を見捨てて幸せになろうとしている」とまた怒り狂い、彼の苦しみや怒りを今以上に増幅させることも想像に難くない。
というよりも、兄以外の家族全員、実際にそうなるだろうという意見で一致している。
その上で両親は気にしなくていいとも口にするが、それが本心ではないことも俺は知っている。
俺が結婚して彼女の姓に変えたら、兄のより一層の憎しみは結局、両親に一番強く向くことになるからだ。特に、母はこれ以上はもう耐えられそうにない。
そのため、自分は今の日本の制度では、結婚することができない。
「それはどこまでいってもおまえの都合だろう」「わたしの婚期を逃させて縛り続けていい理由にはならない」と彼女は何度も泣いて俺を責める。彼女の言う通りである。彼女に一切の非はなく、俺と俺の家の都合でしかない。俺の都合で彼女を不幸にしている。
それもわかった上で、お互いを愛してもいる。これが辛い。彼女は最近、冗談めかして「一緒に死ぬ?」と口にすることがある。彼女は将来設計については非常に計画的で現実的であるため、自ら死ぬようなことは絶対にないとお互いわかってもいるが、それを口にさせてしまうほど今のこの状況が彼女を引き裂いてしまっていることも俺はわかっている。
夫婦別姓が採用されたら、今すぐ結婚したい。彼女にも実際、夫婦別姓が導入されるまで待ってほしいと伝えている。彼女は納得していない。「わたしはもうすぐ40になってしまうのにあと何年待てばいいの?」。本当に、彼女の言う通りである。
「それはさぞ大変だ、じゃあおまえも『夫婦別姓を選べない制度は違憲だ』として国に裁判を起こしているメンバーの一人なのか?」と思うかもしれない。
申し訳ない、それも違う。夫婦別姓の導入には俺と彼女の命運もかかっているし、裁判の行方をとても気にかけてはいるが、正直俺は仕事も生活もカツカツで、自分も裁判を起こせる余裕がない。
このブログもずっと書こう書こうと思っていて、ようやく仕事の合間を縫って書けたところだ。
矢面に立って社会を変革しようとする人たちを本当に立派だと思いつつ、俺は陰ながら応援することしかできない便乗野郎でしかない。Xで実名で主張することもできない卑怯者だ。
恥ずかしい話だが俺には学がないため、そもそもそんな裁判を起こせることを、今回の集団訴訟で初めて知ったくらいだ。国を相手どって合憲か違憲かを問う集団訴訟は今回で3回目だそうだ。
俺は生活にかまけて、制度を変えようともしてこなかった。今も彼女を苦しめて待たせ続け、自分はただ坐して待つしかできない。
どうか夫婦別姓が違憲だとして国会で審議されるか、今回の総裁選で夫婦別姓を推進する人物に当選してほしいと祈るしかできない。
身バレは困るし家族や彼女への名誉毀損にもなりかねないのでフェイクを混ぜたことは容赦いただきたい。その上で信じてほしいとは言えないが、起こっていること自体はすべて事実である。
(俺が声をあげていない以上は当然だが)目に入らないだけで、こういう人間もこの社会には存在するんだということを知ってほしい。
俺は、昨今よく言われる多様性というものは、みんなが少しずつ不幸になることなのではないかと思っている。
これまで多くの人が享受してきた幸せを、現行制度では無視されてきた少数の人のために、少しずつ犠牲にすることでしか、多様性というものは実現できない。
いくらポリコレを守っても、多様性が少しづつ実現された社会になっても、自分は幸せからどんどん遠ざかってるような感覚は、俺自身にも覚えがある。
夫婦別姓も、伝統的な家族というものによって絆を深めて寄り添いあってきた人たちがきっといるんだろう。あいにく、俺はたまたまそうではなかったというだけの話である。
けど、誰だって、時代や場所が変われば、自分がたまたま少数派になってしまうこともきっとあると思う。
俺も、自分が多数派でいる局面においては、そうではない人に自分が与えられている幸せを分け与えるように少しでも努力する。
だから、お願いします。夫婦別姓をどうかこの日本で実現させてください。
【訂正】
年齢の部分、間違えてたごめん。フェイク盛り込んだって書いた通り、身バレしないように年齢は設定変えてました。
そして色々指摘くれててありがとうございます。あとでゆっくり読む。
【追記】
こんな伸びるとは思っていなかった。読んでくれた人 and 意見くれた人ありがとう。
信じてくれなくてもいいんだけどガワは嘘なんだけど中身は事実で、変な設定だと不思議に思うだろうがそれも残念なことにただの実話で、だから俺自身も困ってもいるので批判も含めてあらゆる反応がありがたい。
そして予想外に伸びててやっぱり怖いので、数日後には消すと思う。
はてなの記法っていうものがわからないごめん。引用どうやるんだ。
>「なんで夫婦別姓結婚なら全部上手く行く想定なんだ」「夫婦別姓とか関係ない、話をすり替えてる」
たぶん一番多い反応がこれ系だと思うんだけど、俺の書き方が悪かった。全然上手くいくとは思ってない。
俺が悪いのはその通り。家族を切り捨てる勇気もない。ただ単に、一番マシな選択肢というだけ。
兄はいずれにしろ必ず俺を責めるだろうが、その中でも一番憎しみが少なそうなのが、結婚しても増田姓を名乗り続けることだという程度の意味だ。
兄の苦しみも、少ないに越したことはない。
>「家制度は終わってる」「家系に入ったということにはならない」「戸籍制度のことを何もわかってない」
これは一応、わかってはいる。結婚したら新しい戸籍をつくることになるのも。そして俺がたかだか「苗字」に縛られすぎというのも自覚はしているが、そこはもう理屈じゃない部分で忌避感がある。
この感覚は俺の家族も同じで、そういう意味では俺もみんなが指摘する通り認知が歪んでいるんだと思う。
>事実婚はどうか?
彼女からすでに断られている。彼女は普通に式を挙げて、普通に夫婦になることを望んでいる。
なので「家族には内緒にしたら良い」というアドバイスもあったが、式に夫側が家族を呼ばないという普通でない状態を彼女は納得しない。
素朴な疑問なんだけど、みんなどちらかを選んできたの?
優先順位は考えるまでもなく彼女に決まっているが、しかし俺が完全に家族を見捨ててしまったら彼らは確実に共倒れになる。
俺がいても時間の問題のようにも思うが、俺がいなければそのうち、両親のどちらかが兄を殺すか、兄が両親を殺すだろう。
それがわかっていて、家族と縁を切って、彼女と結婚しても、本当に俺と彼女は幸せになれるのだろうか。
結婚はしたいし覚悟がないわけでもない。ただどうすれば俺らはまともに幸せになれるのか、それが正直わからない。
繰り返しになるが、少なくとも現状のベターな選択肢が、別姓の状態で結婚し、兄をなんとか説得しつつなるべく彼の怒りを最小限に抑えながら、家族は家族でサポートすることだと俺は考えた。
ただ、やっぱり俺の考えが相当おかしいのだということも改めてよくわかった。
夫婦別姓を待つのではなく、なんとかして結婚する道を切り開く、そうできなかったら彼女と別れるしかないとも思うので今一度真剣に考えてみる。みんなコメントありがとう。
確かに、俺のこの詰んでる状況の根源は全く別のところにあり、計らずも選択的夫婦別姓の推進に味噌をつけてしまったのだとしたら本当にそれは申し訳ない。