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2017-08-15

ニュー乳Newジェネレーション

卯月握手会。ニュージェネで握手会したんです」

愛海「あたしも行ったよ」

卯月「愛海ちゃんその同僚のアイドル握手会にお客さん側で参加する技なんなんです?」

愛海「765プロダクションの人に教えていだいたんだ」

卯月「で、そのときの話なんですけど、一人のお客さんが遅刻されたんです」

愛海「うわーかわいそー。下世話な話だけど、割とするもんね」

卯月「そうですね。私にそれだけの価値があるのかないのかは兎も角、割とします」

愛海「でも入場でスタッフさんに止められるでしょ」

卯月はい。でも、あの時の会場はたまたまそのやりとりが見えるんです。

それで…… スタッフさんがもう時間が過ぎてるからダメだよって伝えたんですけど」

愛海「こればっかりはね」

卯月はい。仕方ないんですけど、そのことが楽屋話題になったんです」

愛海「ニュージェネの三人で?」

卯月「未央ちゃんが少しぐらいサービスしてあげればいいのにと入れてあげるべきだと主張しました。

凛ちゃんはそれを言いだすと後五分もう十分とキリがなくなるから仕方ないと言っていました」

愛海「らしいなあ。それで、卯月さんは?」

卯月「えーっと、愛海ちゃんならどうします?」

愛海「そんなの認められないよ、認められないかアドレス交換だけして後からファンの子のお山をうっひひひっ」

卯月冗談じゃなくて」

愛海「未央さん派かなあ。設営と後片付けがあるからスタッフさんの意見尊重しないといけないから、そうするか否かはあたしが決めることじゃないけど、

あたしの気持ちはできるだけ多くの人に来て欲しいから」

卯月「らしいですね」

愛海「それで?」

卯月「私は演者である私たちにそれを考えさせないで欲しい、と思いました」

愛海「それは…… どうなんだろう」

卯月だって、私のワガママでお客さんを一人後から入れたせいで、スケジュールがどんどん後ろ倒しになるのは嫌ですし、

かといって私の目の前でお客さんが落胆するのを見るのも嫌ですもん」

愛海「そうだけど、そうだけども…… でも、そうだなあ、あたしもしたいことやりたいことが全部できるわけでないしなあ」

卯月「結局、アイドルといっても、プロデューサーといっても、自分で出来ることって少ないですね。

私は演者しかなくて、ステージの上やその場にしか携われないから、全部を管理する立場じゃないんですもん」

愛海「そうだね、それはすごく思うよ。ステージの上でお客さんが見るのって全体の1割ぐらいしかないんじゃないかな」

卯月「でも、お客さんにとっては、それが全てもあるわけで。

最後私たち演者アウトプットだけを見るわけです」

愛海「なるほどね。だからこそ、あの入場のゴタゴタをアイドルに見せるのは不要インプットであり、本来アイドルの考える仕事じゃないってことかな」

卯月はいプロフェッショナルとして、私の仕事じゃない部分はそうだと認めて、他のプロに任せるべきです」

愛海「それで、それをプロデューサーはなんて言ったの?」

卯月「まだ聞いてません」

愛海「うーん、どう答えるだろうね」

卯月「他のアイドルのみんなの意見も知りたいですね。

はい、というわけで、ネタコーナーです」

愛海「ええええ!?!? ちょ、ちょっと待って、これ真面目な話じゃないの?」

卯月「前振りです」

愛海「えー、時間もうないよ」

卯月「三つだけなので大丈夫です。

ラジオネーム雷句誠自尊心安野モヨコの性欲の狭間で」さんから頂いた、握手会遅刻したファンへの対応

『多少のビーングレイトは承知の上。ってか余裕じゃね?』」

愛海「意識高い系英語使う系は別じゃない?」

卯月ラスト二。ラジオネーム「私と手塚るみ子どっちが好きなのよ! と世迷言をほざく竹熊健太郎」さんのメール

光画部時間から! ほらカメラ光画部時間から! ほらカメラ!』」

愛海「ウサミンも世代じゃないよその漫画

卯月ラストラジオネーム大高忍 個人撮影ワード検索したあと再生時間ソートしても三十分以上の動画がでてこないよ!? なんでなの!?』さんの、握手会遅刻したファンへの対応

私たちは今ここにいて。

それぞれ目標も考え方も違ってて、それでもこの握手会のためにみんな集まったの。

それが今なんだよ。

誰か一人でも欠けちゃったら次のステージへは行けない。

しかしたら、もっといい方法があるのかもだけど。

でも私は松田亜利沙から

私は今このメンバーリーダーだけど、

その前にやっぱり私だから

全員で走り抜きたい!

今の全部でこの握手会成功させたいの!

と、天海春香さんの名演説を完コピする松田亜利沙』」

愛海「握手会への熱に実感がこもってそう」

卯月「というわけで、今週もニュー」

愛海「乳」

卯月「Newジェネレーション!」

2017-08-12

「おいかぼちゃコロッケ作れ」

「揚げ物にどんだけ集中力要るか分かってんの家の仕事これ以上増やさないでよ」

「おいかぼちゃコロッケ作れ」

スーパープロフェッショナルがいるでしょ」

「おいかぼちゃコロッケ

2017-08-03

PR表記どうこう以前にWebメディアコンテンツってしょうもないよな

PR記事タイトルPR表記をつけるか否かで盛り上がっているけど、それ以前の問題としてみんなそんなにWeb記事を楽しめているの?っていう。

Web記事ってあれでしょ、どこどこ行ってきた、とかなになにやってみた、っていうのを写真で羅列して美味しかったです、とか、最高の街です、みたいなの。あるいは「●●をやる5つの方法」みたいな。

いや、昔は俺も読んでいたよ。好きなブログもあったしね。でも、今から思えばそれはほかに選択肢がなかったからなんだよな。

ちょっとお金出せば映画雑誌も読める状態で、みんなそんなにWebメディア記事を求めているの?

こっちはAmazon映画見るのに忙しいし、Dマガジン雑誌も読まなくちゃいけないし、Web記事にまで手が回らないよ。というか、映画雑誌に比べるとやっぱWeb記事ってしょぼいよね。タランティーノ映画が流れている横で「ライターの俺がパン食べましたよ〜」とか言われても「どうでもいいわw」っていう。「お前なんでそんなんでトラボルタと同じ土俵に立とうと思ったんだよw」っていう。

PR表記どうこう以前で揉めているのを見ても、なんというか「子ども世界」だよね。少ない予算でしょぼい企画をこねくり回して、それをフォロワー数多いライターに告知してもらってなんとかお金にしているという。なんというか、貧乏くさいよね。

Webメディアに「これから良いコンテンツって何かを考えて作ります!」とか言われても、「いやいや、もうあるからさ?」って感じなんだよね。「ハリウッドでめちゃくちゃ作られてるからさ?」「邪魔からさ、同じ土俵に並べないで?」っていう。

傍らじゃ100倍、1000倍の予算をかけて作られたプロフェッショナルコンテンツが数百円でいくらでも見れるのにさ。

そんなしょうもないものを苦労して「なんで作っているの?」、読者には「なんで見ているの?」というのが正直な印象。

2017-07-29

今日豆知識

ゴキブリは垂直のステンレスにも糞をする

油染み野菜屑のこびりつきだと思っていたもの

実際のところゴキブリの糞で

爪を立てて削ると落ちる糞なのだ

やつらゴキブリと言うのはどこにでも糞をする平面を見出すプロフェッショナルなのか

もともと落ち葉湿原暮らし続けたのかもしれない動物に踏まれづらい生存を之手来た昆虫であるだろうから

今や我々のキッチン落ち葉湿原と化したのだ

キッチンの引き出しの木箱両脇にもびしりと糞が溜まりゴキブリの狭小空隙が至る所に存在しているし

目止めと言う名のガムテープを数箇所張りブカブカになり剥がれ目になったキッチン収納のベニヤ部をガムテープで縦横に補強し

ぽつぽつと視点が細かくなった僕らは

ゴキブリの糞の丸天井を知る

しょうがないのでゴキブリ専用スプレーを隙間にノズルで注入するようにスプレーするもの

糞を分解する化学物質で拭き取ったほうが早いのではないか

何故なら糞をするだけの安心感が得られる場所徘徊するのが昆虫であっても性であるとすると

糞の場を糞の道を

しかし僕らもまた下水に物申し流す糞人類であり

僕らにはまたがありゴキブリにも共食いするほどまたがある

昆虫の股などよく見ていないが

僕らは彼ら昆虫死ぬ速度を知らない

2017-07-23

アリエルに恋をした

先日、数年ぶりに友達に誘われて東京ディズニーシーに行った。

最後に行ったのは数年前の夏前か、関東ITソフトウェア保険組合福利厚生の一環で安くディズニーに行けたので毎年行っていた。

今は転職しているので、それ以来行っていなかった。

自分東京出身東京育ちなので、物心ついた頃からよく家族ディズニーに行っていた。初めて彼女が出来た時に行ったのもディズニーだった。

そんなわけでディズニーランドもシーも両方それなりに行ってきたのでアトラクションは制覇していると思っていたが、唯一シーで行っていない場所があった。リトルマーメイドテーマにした『マーメイドラグーン』の『アンダー・ザ・シー』である

屋内に色んな小型アトラクションが入っていて、まるで海の底のような演出がされている。

いつも、立ち寄って「ふーん」という程度に思ってそのまま他のところに行っていたのだが、

「そういえば、マーメイドラグーンシアターとかいうのあるよね?あれって行ったこと無いんだけど」と言って

「じゃあぜひ行くべきだ」と言われたので並んで参加してみた。

3Dメガネとかかけてリトルマーメイドキャラクターとかが踊ったりするんだろうかと思っていたが、そういうものは渡されず、スクリーンも無くかなり広く、天井ものすごく高い円柱型のホールになっていた。

上演が始まった時、リトルマーメイドの2匹のキャラクターがやってきた。皆が知ってる黄色い魚のフレンズとカニのフレンズフランダーとセバスチャン……のパペットである

映像かなにかかと思いきや、人形を持った黒子が走ってやってきて、喋りに合わせて人形の手足を動かしている。イメージとしては阿波人形浄瑠璃が近い。

セバスチャン

「本番なのにアリエルが居ない、やべえ」的なことを騒いでいる。正確にはセバスチャンパペットが。

「なめとんのか」素直にそのときそう思った。

そしてアリエルがやってきた。曲が始まる。

アリエルは上からやってきた。ワイヤーに吊るされて。

海底を模した場所なので、自分の頭上でワイヤーに吊るされて文字通りホール内を縦横無尽に魚のように舞い、回転し、歌っている。さすがに歌と音声は別撮りだが。

随分精巧オーディオアニマトロニクスだなと思い、こっちに飛んできたアリエルを見て気がついた。

違う、生身の人間だ。

生身の人間がワイヤーに下がって魚のように勢い良く縦横無尽に飛び回っている。

人魚なので両足ではなくヒレを使い、自由自在に宙返りもしている。

そう、自分想像していたのは映像の中でキャラクターが動き回るようなものだと思っていたが、これは最初から最後まで生身の人間によるショーなのである(一部を除く)

そう、フランダーもセバスチャンも、下の人(中の人)が必死になりきっている。いやなりきってるのではない、もう完全に魚とカニである下の人も歌ってるし。捕獲すれば下の人も一緒に食えるだろう。

それがわかった瞬間、自分に電撃が走った。ディズニーアトラクションでここまで衝撃を受けたのは初めてだ。

この人達ものすごい熟練者だ。自分たちはとんでもない熟練職人の技を目の前で見せつけられている。

皆は手を振ったりしているが、自分はそのあまりにすごいプロフェッショナルぶりに心からリスペクトでもってひれ伏したくなるぐらいだった。このショーだけ別料金でいいんじゃないのか。そう思った。

歌っている間、俺は

「きっとアリエルは良いものを見せたいという思いでものすごい血の滲むような練習トレーニングを重ねてきてるんだろうな、土日も頑張ってるんだろうな、高所作業手当とか出るのかな、ちゃんとご飯食べてるかな、寝れてるかな」と考えていた。

そう考えている中、誰もが知ってる曲「アンダー・ザ・シー」に乗ってアリエルが飛んできた。

飛んできたアリエルから2,3メートルぐらい真下で座っていた俺の目が合った。

アリエルが俺に手を笑顔で振った。控えめに言って美人だった。

俺はその瞬間、アリエルに恋をした。

俺はただ、控えめに照れ気味に手を振ることしかできなかった。

終わった後、本当に凄いものを見た時や、美味しいものを食べた後のなんとも言葉には表せられない圧倒された気持ちと、

なぜ今までこのアトラクション敬遠してきたのかという後悔の念や、

ただ手を振ることしかできなかったという一種の敗北感というか失恋に似た気持ちになりつつ、一緒に居た友達

「すごかった。次はおひねり投げたい。ダメだろうか、ダメだよね」と言うことしかできなかった。

俺達はその後、ファストパス時間が来たセンター・オブ・ジ・アースに向かった。

センター・オブ・ジ・アースシステム調整だった。

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-07-06

50,60歳代のオヤジがうざい

「誰もが通る道だ」とか、「みんなそうして大きくなった」とか、

「昔はもっと大変だった」とか、「子育て自分育て」とか、知らんがな。

お前が言うな。ろくに子育てもしてないくせに。

こっちは、無能なお前らのおかげで、夫を(無駄な)仕事に取られ、

仕事から帰ってクタクタの身で、半ば1人で子育てしてるんですけど。

お前の妻は、お家でお前を支えることが主な仕事で、

そんなプロフェッショナルと比べられても、条件が違い過ぎる。

2017-06-19

ミッキーに例えると

テレビプロフェッショナルみたいな番組に「45年間ディズニーランドミッキーとして活躍した男」みたいな美談形式中の人が取り上げられるのが気持ち悪いって話。

から、例のアイドル処女だろうがビッチだろうが関係ない。結婚報告を美談にしてるのが気に入らねぇ。そのアイドルファンじゃないやつが怒ってるのはそこ。

2017-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20170617024529

HTMLファイルをよくわからんCMSテンプレートとして当て込むだけ」のプロフェッショナルになるのだからそれが5年10年後なくならないならそのまま極めていける

たぶん心配はいらない

2017-06-15

首相演説(平成29年6月5日)

日本に行ってみたい、自分もSociety5.0をつくりたい。

そう思う若者たちプロフェッショナルたちに世界からどしどし来てもらえるよう、今年の4月、新しい仕組みをつくり出しました。

一定ポイントを上回る人なら、日本でたった1年働けば、即座にグリーンカード申請できますスピードにして世界高水準です。

http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0605speech.html

って言ってるけど、ニュースになってたっけ?

2017-06-12

働き始めてから5年間ずっと同じ仕事

働き始めてから5年間ずっと同じ部署営業をしている。

そろそろ新しいことがやりたいととてもモヤモヤしている。

正直今の職場に条件的な不満はない。あるとしたら異動が少ないことだけだ。

給料も満足できる額をもらっている。

チームもいい人が多い。仕事はそれなりにできるようになってきて、面白みもある。

でも、このままでいいのだろうか。

上司も好きだ。厳しい人だけど最近やっと認めてもらえるようになってきた。

意見を言っても聞いてもらえる。

だけど上司にしてみれば、やっと戦力になってきた私を手放したくないのではないか

周りよりも私に重い仕事を振ってもらったり、期待されているのを感じる。

でも今の仕事より、新しいチャレンジをしたいという気持ちが強い。

会社風土的になかなか異動は難しい。

でも自分希望するポジションに空きがあれば異動は可能と言われている。

過去一度異動を希望し、向こうの部署からOKが出て動きかけたこともあるが、結局ポジションがなくなりダメになってしまった。

一番強力な手段は、退職する覚悟で、転職先を確保した上で異動のお願いをすることだ。

でも、そこまでの覚悟がない。

会社は好きだからできればやめたくない、でも新しいことがしたい。

ずっと矛盾した気持ちを抱えて半年くらい過ごしている。

自分会社は、同じ仕事をずっと続けてプロフェッショナルとして進んでいく人が多い。

これまでのおじさん世代ほとんどがそうだ。

その反面、若い人は転職したり、異動をしたり、30代を境にキャリアに対する考え方が違うのを感じる。

私の部署はおじさん世代が多く、彼らはこれまで安定して働いてきているため、異動したいと焦る私の気持ちはあまり理解されないと思う。

しかも、今の部署会社の中でも安定している部署だ。

外に出るということはこれ以上に大変になる。

・・・とはわかっていても、今のままの自分でいいのか、というモヤモヤは晴れない。

自分自身が女で、今年で27になるので30前の焦りというのもある。

ライフイベントとして結婚出産、を考えるなら、今のうちに新しいチャレンジをしないと、

子供ができてからでは難しいと思う。

しばらく前に経産省の若手が作ったパワポ話題になったが、

自分が”昭和人生タンすごろく”を順調にこなしていくことになりそうで怖い。

もちろん働き続けるつもりだから専業主婦ルートではないけど、

同じ会社に定年までいることになったらまさに昭和人生なのかもしれない。

ここまでグタグタ書いても何をやりたい、という具体的なことがあまり出てこないもの問題なんだと思う。

何かやりたいことがあればすぐ動くはずだ。

でもできてない。ということは覚悟気合も足りない。

優柔不断モヤモヤした気持ちだと思う。

考えが甘いのも十分わかっている。

でも、このままでいいのかというモヤモヤした気持ちはどうしたらいいのだろう。

2017-06-11

実は毎日NHK観てる

19時〜と21時〜はほぼ間違いなくニュースやってるし

クローズアップ現代とかNHKスペシャルとかプロフェッショナルとか番組名忘れたけどどこかに3日間密着してみるドキュメンタリーとか全部録画してあとから見てるし

NHK教育…今はEテレか…もいいよね

うちは野球サッカーの中継やスポーツニュース観てるくらいなら近所の小学校卒業式とか地域の連絡事項ひたすら流し続けるチャンネル観てたほうがマシってレベルスポーツに興味ないか

どこもスポーツニュースしかやってない時間クラシックコンサートとか流してくれるのすげー有り難いよ

あと多分再放送なんだろうけど

モーガン・フリーマンかいうオッサンが出てる番組

あれもよく録画して観てる

そんなこんなで

とりあえずテレビつけたらNHK観てるんだよ

民放2局かNHKしか選択肢がない田舎者にとってはNHKの安定したラインナップとクオリティにはすごく助けられてるんだよ

でも、申し訳ないけど

受信料は払ってないんだよなー

わざわざ夜中に徴収に来てるのにいつも居留守使ってごめんね

NHKに限らずアポなしの訪問は全部居留守使ってるんだけどさ)

毎日NHK観てるけど受信料払ってまで観たいかといわれるとそうじゃないんだよなー

受信料払うくらいならうちの部屋だけ地上波含めて一切テレビ映らなくしてくれても構わないし

俺のテレビ番組に求めるものって

テレビ東京ビジネスオンデマンド(月額500円)とかでも満たせちゃうから

月何千円払うくらいならそっちに課金するかなーってね(「課金」の本来意味については突っ込まないでください)

めっちゃ勝手なこと言うけど

受信料わずNHK観てるっていう罪悪感はあるんだよ

から別にテレビ映るなら強制徴収のままでいいからさ

映る番組絞る代わりに月数百円のプラン作ってくれないかなあ

そうすれば気持ちよくお金払って思う存分NHK観れるから

2017-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20170604003013

ある商品サービス販売するとき

値段を高く設定すれば少ない人に売れる。

値段を低く設定すれば多くの人に売れる。

 

要は、どちらの戦略を取るべきかという話なのだ

 

しか消費者にそうとは気づかせないように、その両方を同時に行う方法もあり、私達の周りにはそういった手法が溢れている。

たとえば、「プロフェッショナル」版の商品

たとえば、クーポン券。

たとえば、平日の映画料金割引。

2017-05-31

滑落

せっかく、発達障害があるなりに、頑張って頑張ってどうにか社会に紛れ込んで、10年ほどは一応人並っぽいところまでたどり着いて、頑張っていたのだけれど。

やむなく環境を大きく変えるタイミングで、このままだと新環境では自分特性からいろんな不具合が噴出しそうなことがもう予測できているのに、

医者から「お前まだ破滅してないから投薬はしない」と言われる絶望感、なかなか強いものがある。

薬に期待しすぎ。副作用だってある。わかってはいるつもりだ。

しかし、これまでずっと工夫や努力では出来るようにならなくて、今後それを必要とされることがほぼ確実で、

実際に必要とされればノータイムで困るだろうことが分かっている部分を、特に改善できる可能性があるのなら、

どうせ多少時間のかかる調整作業必要なのだ、少しでも早めに手を打ち始めておくことはそれほどまでに悪手なのだろうか。

今まで何年か付き合いもあって、プロフェッショナル視点から投薬は不要判断されて言われたはずなのに、

医師言葉を「お前のような出来損ないは貧困の底で溺れながらさっさと死ね。」と言われたようにしか受け止められなかった自分も嫌になる。

これまでかなり無理をして登ってきた道だ。

限界がきて、多少引き返すのは仕方ないにしても、薬の力を借りれば八合目ぐらいで踏みとどまって今後も普通の人に混じってやっていけるような可能性も十分ありそうなのに。

足を踏み外しかかっていて、まあまず間違いなく落ちるだろうという段階では足りず、一旦底まで落ちてこれまで積み上げたものをみんな失わないとダメなのか。

それでは、自分は今まで、一体何のために頑張ってきたのだろうと考えてしまう。

そして果たして落ちたあと、もう一度登るだけのエネルギー自分には残っているのだろうか。

自分エネルギーがあっても、単純に登るのに失敗することだって、大いにありえるのに。

なんで、こんなプレイングで十分避けられそうなデカリスクを、今になって背負わなければいけないんだ……。

2017-05-26

英単語は暗記してはいけない

さて、今回は私の英語学習法の核心、「英単語の暗記をしない」ということについて語ってみたい。

英単語を覚えた」とはどういう状態

http://anond.hatelabo.jp/20170524213622

ここで前回リスニングについて語った内容には、凄まじい反響があった。私は1500というブクマ数にoverwhelmされてしまった。

いきなり何を言ってるのか、と思われるだろうが、私の感覚の中では、1500ブクマという気分を一番表せるのは、日本語の「圧倒された」ではなく、英語の"overwhelm"だ。

この単語はただ「圧倒された」だけでなく、「圧倒的な力に晒されて、疲弊してしまった」という感覚がある。もしこれが増田でなく普通ブログだったら、プレッシャーで何も書けなくなっていたかもしれない。

他にも、前回の「英語をあるがままに受け入れなければならない」という結論の部分は、最初は「英語をあるがままにembraceしなければならない」と書いてあったのだが、伝わらなさそうなので書き直した。embraceは「抱擁するように受け入れる」というような感覚だが、日本語で書くと何のことやらわからない。

英単語を覚えるということは、こういった単語に伴う感覚を一つ一つ身につけていくことだ。そうすれば英単語自分のものなり、ライティングスピーキングでも自然単語が湧いてきて、自由に使うことができるようになる。

英単語それぞれに固有であるこの感覚をどう身につけるのか、というのがここで語りたい話題である

日本語訳語を覚えるのは有効

英語学習世界で良く出て来るスローガンに「英語英語のままに理解しなさい」「日本語に訳して理解してはいけません」というのがある。

しかし「英語英語のままで理解しろ」と言われても、初心者には何のことか分からず、何か魔術的な、自分には絶対にできない思考法によってしか英語理解できないのではないか、という気にさせられてしまう。私も高校生の頃に、このスローガンを聞いて、そんな絶望感に襲われたことがある。

日本語しかできない日本人にとって、言語思考する際に使える唯一のツール日本語だ。英単語意味を知りたいなら、日本語訳語なり、日本語で書かれた説明によって理解するしかない。

日本語訳語を当てはめ、文法ルールに従って語順を並び替えて、並び替えた日本語から文意をつかむ。ノンネイティブである学習者はそこからスタートするしかない。そして大学受験レベルになっても、難関校を受験するのでなければ、その方法論で通用するだろう。

そのレベル英語力が欲しいならば、訳語を覚えることは有効だ。

ただ、「英単語を覚えるぞ!」と単語帳を開き、そこに記された訳語や例文を見たり、書いたり、発音したりしてみても、それで記憶できるのは記憶力がいい人だけで、普通は無理だ。

そしてそのレベルの、日本語訳語並べ替えるような英語力では、現実世界にあるほとんどの英文は読めず、あまり役に立たない。日本語英語はあまりにも違いすぎるので、逐語訳、直訳はほとんど通用せず、日本語訳語をそのまま適用しても英文理解することは出来ない。

なので、受験関係ない大人にとって、日本語訳語による英語理解は、目指すべき目標にはなりえない。

英英辞典を引くのは有効

「『英語英語のままに理解しなさい』か。ならば英英辞典を使って英語意味を覚えよう!」と考えるのは自然な発想だ。しかし、これもうまくいかない。

日本語を介して英語理解する段階を超えるには、英単語の持つ固有の感覚を覚える必要がある。

英単語から日本語訳語が想起されるようではいけない。それと同様に、英英辞典に書いてある語の定義が想起されるのも、その隣に書いてある同意語が想起されるのもアウトだ。そういった余計なものが出て来るようでは、リスニングはできるはずもないし、リーディングにも苦労を伴うことになる。

日本人にとっては、日本語単語が持っている感覚を想起するのは容易い。一方、英語から感覚を想起するのは難しい。英単語感覚を結びつけるという意味では、日本語訳語を介したほうが早い。

しかし、日本語訳語英単語では、意味に違いがある。日本語訳語を介して英単語理解しても、不正確な理解しかならない。しかしそれは、英英辞典に書いてある定義にしても、同意語にしても同じことだ。同意語といっても、単語が違う以上はニュアンスの違いがあり、辞典の短い説明でそれを完全に言い表すことは出来ない。

なので、単語を覚えるために英英辞典を使うべきではない。(*1)

英単語の本当の意味

英和辞典英英辞典では、英単語が持っている本当の感覚を掴むことはできない。

英単語の本当の意味は、その単語が実際に使われたシチュエーションの中にあり、その中にしかない。その単語を発した人の感情であったり、伝えたいメッセージがその単語の中に込められる。それを感じ取ることが出来れば、その単語の本当に意味するところが伝わってくる。

もちろん人によって、単語に込める意味には多少の違いがあるし、一度や二度その単語出会っただけで、その感覚を本当に自分のものに出来るかはわからない。その単語に何度も出会い修正を重ねながら、感覚を確かなものにしていく必要がある。

いずれにしても、実際にその単語が使われている生の英語を、深く理解し、言葉を発した人物気持ちシチュエーションをしっかりと読み取ることで、そこに出てきた単語の本当の意味を掴むことが出来る。辞書定義や、ぶつ切りにされた例文からでは分からない。

小説映画を介して英単語を学ぶ意味

小説映画シチュエーションを深く感じ取って理解し、記憶の中に蓄積していくことで、そこで出てきた英単語イディオムといった英語表現意味を、実感を伴って理解することが出来る。やがてその英語表現自分身体の中に染み込んで、感覚的に使いこなすことができるようになる。

http://anond.hatelabo.jp/20170522214348

私が以前ここに書いた学習法では、「辞書を引きながら小説を読む、映画英語字幕を一時停止しながら解釈する」といった事が勧められている。それは小説映画が、人物の心情があり、シチュエーションがある生の英語の塊だからだ。そして「自分が楽しめるものを見る」ことを勧めているのは、そうでないと登場人物の心情に寄り添ったり、シチュエーションハラハラすることが難しくなり、英語感覚的に深く読み取ることができないために、著しく学習効果が落ちてしまうからだ。

ここで使う辞書はもちろん英和で構わない。ただし辞書記述はヒント程度にとどめ、単語の本当の意味作品の中から感じ取ることが重要だ。辞書から単語感覚理解することは出来ず、実際に使用されたシチュエーションを蓄積することでしか単語自分のものとすることは出来ない。

英語英語のまま理解する

単語イディオム等、全ての英語表現は、小説映画実体験などから記憶の中にその表現使用されたシチュエーションが蓄積されることで、その表現に固有の感覚が醸成されていく。

そのシチュエーションが印象深いほどに、感覚はより明確になり、記憶への定着率も上がる。そしてシチュエーションの数が増えるほどに、感覚はより正確に、記憶はより強固になっていく。

シチュエーション自体は時とともに忘れてしま場合が多い。しかしその表現に染み付いた感覚は、シチュエーションを忘れた後も残っている。

そして英語表現からその感覚が直接想起されるようになれば、日本語を介さず「英語英語のまま理解する」状態に至ることができる。その状態に至れば、その英語表現感覚的に理解し、適切な時に適切な形でアウトプットすることも出来るようになる。

作品を味わうために必要英語

そうはいっても、「私の英語力では小説映画もとても歯が立たない。それは語彙力が足りないからだ。まず単語を覚えなければ」と考える人は多い。

そして単語学習のあまりのつまらなさ、記憶の定着しなさに絶望して諦めてしまうというという人が後を絶たない。しかしそれは根本が間違っている。

辞書というものがある以上、英語解釈するのに語彙力は必須ではない。テスト問題を解くためには、辞書なしで英語を読み解く力が必要かも知れないが、小説映画を味わうために必須ものではない。

単語を調べるためにいちいち辞書を引いていたら、話が先に進まず、読書体験がぶつ切りになるので楽しめない」という考え方もあるだろう。しかし私は「辞書を引きながら頑張って読んだからこそ、心に深く残る読書体験になる」と考えている。

通常の母国語読書では、立ち止まり辞書を引き、文法構造を考え、熟考しながら読み解くというような作業はまず行わない。学習者が文章理解するために行うそれらの作業は、文章を深く読むことにも役立っている。

最初に読んだ一冊、私の場合は"There's a Boy in the Girls' Bathroom"という児童書だったが、当時の私には非常に難しく、何度も立ち止まり辞書を引き、検索し、英文法に立ち返り、悪戦苦闘した。ただ、これは本当に素晴らしい本で、読む価値があると思えたから頑張ることができた。登場人物の心情に寄り添い、シチュエーションハラハラしながら、苦しいながらも素晴らしい読書体験をすることが出来た。

一冊目を終えれば二冊目はずっと簡単に読めた。三冊、四冊と進むに連れて英語力がぐんぐんと増していき、読書から苦が減り喜びが増していった。やがて「ゲームの達人」のような大人向けにも手が出せるようになり、刑事ハリーボッシュシリーズにハマる頃には映画英語字幕で存分に楽しめるようになっていた。

そして今はKindleがある。単語を長押しすれば辞書が引ける、検索も直ぐに出来る、洋書はなんでも安くダウンロードでき、スマホに入れて持ち運べる。これは英語学習のために存在するような素晴らしいツールだ。

Kindleがあれば語彙力は読書障害にはなりえない。ただし、児童書レベルでも英文を読むためには、ある程度の文法力が必要だ。そのためには受験参考書活用してほしい。日本受験英語界には素晴らしい文法解説がたくさんある。

日本語訳使用してもよいのか

日本語を介してしまうと英語を深く感じ取れないため、基本的日本語訳は使うべきではないと考えている。

ただ、どうしても理解できない英文出会うことはある。いくら時間を費やしても理解できない、そういう時には、日本語訳を見る。日本語字幕であったり、訳書であったりだ。プロフェッショナルの訳からは、独習では得難いものが得られることも多い。

作品から単語を覚えるのは非効率ではないか

世の本屋には「基本単語1000」とか「TOEIC必須単語3000」といったような、頻出単語とその意味を並べた参考書が大量に並んでいる。

英文に登場する単語の90%は1000語に含まれる、だからこの基本語をまず暗記して、それから英文を読むのが効率的だ」などと言う人もいる。しかしこれはほとんどデタラメである

英文に登場する単語の大半が基本語なのは確かだ。しかし500ページそこそこの参考書に1000個も意味が書けるほど、基本語の内容は浅くない。私は今でも日常的に、基本語を辞書で引いている。そしてその単語のさまざまな使い方を見て、基本語の奥深さを噛み締めている。

英語は読むにしても、書くにしても、聞くにしても、話すにしても、基本語は身体の一部になるぐらいまで深く理解する必要がある。実際の英語の中で気が遠くなるほど何度も遭遇し、使用シチュエーションを蓄積し、自分でも使ってみる、そういった積み重ねの中でしか、その本当に意味するところは分からない。参考書レベルで基本語を分かった気になっても、少し派生的な意味で登場しただけで分からなくなるのがオチだろう。

そして英語の語彙の中で特に難しいのは、基本語の組み合わせによって発生する熟語イディオムであるイディオム意味単語意味するものから大きくかけ離れていることが多く、故にイディオムと呼ばれるわけだが、この知識参考書ではほとんど得られない。このように、90%とされる基本語の中にも、参考書に含まれていないものが大量にある。

「それでも、頻出単語基本的意味だけでも抑えておくのは重要ではないか小説などでランダムに出て来るのに任せたら、時間がどれだけかかるかわからない」そう思う人もいるだろう。

しかし、頻出語は頻出するから頻出語と言われる。基本単語1000ぐらいなら、小説を1冊読む頃には否応なく頭に染み付いているはずだ。それも単語参考書で得たものとは違って、単語から想起される感覚を伴った、生きた英単語として身についている。

TOEIC3000語も、何の本でも数冊読めばほぼ頭に入っているはずだ。3000語を感覚的に理解できるようになれば、その3000語で構成された文は、日本語を介さず感覚的に理解できるようになり、「英語英語のままで」理解できるようになる。そうなれば読書スムーズに進むようになり、インプットスピードが上がり、それが英語の上達を加速させる好循環に入ることができる。成長の実感は英語学習モチベーションを高め、それがさらに成長を加速させる。3000語を感覚理解できる頃には、英語学習にドハマリして抜け出せなくなっているはずだ。

高難度の単語

高難度の単語は出現頻度が低くなるので、そういった単語網羅的に学習するのは、小説映画ばかりを偏って見ているノンネイティブには難しいかもしれない。英語上達完全マップによると、多読などの自然方法に任せると二万五千~七千程度で語彙力は伸びなくなるという。

現在私の語彙は2万5千~7千と思われますが、多読などの自然ボキャビルにまかせると、この当たりで語彙の伸びは止まるようで、ここ10年くらい同じレベルにとどまっていますhttp://mutuno.o.oo7.jp/05_training/05_training06.html

それ以上の高難度の単語網羅的に学習したい場合は、単語参考書を使うのは有効だろう。高難度の単語なら基本語のように意味派生したりイディオムになったりということは少なく、参考書レベル理解でもなんとかなるかもしれない。

ただ、参考書による単語学習はやっても覚えられないので、私はやらない。無数にある見たことのない単語の予習に励むより、知らない単語が出てきても、話を追い続ける力を磨いたほうが現実的だと考えている。

自分がやるべき学習法とは

何の学習法でも言えることだが、自分が今やるべきでない学習法、自分に合ってない学習法は、やってみると身体本能的に拒否する。そういう学習法は、無理にやっても身が入らないのでやらないほうが良い(もちろん私の勧めている学習法も含めて)。

気持ちよくて、クタクタに疲れられる学習法と出会ったら、それをやるべきだ。疲れているということは脳が働いているということで、気持ち良ければずっと続けられる。

そのうちに慣れると疲れなくなってくる。トレーニングしても疲れていない場合、上達は見込めない。そうなったら学習法をアレンジし、負荷を上げて、気持ちよく疲れられるところまで調節する。誰かに教わった学習法でも、こうして自分の今のレベルに合った形にアレンジすることで、効果を高めることが出来る。

追記:

長くなりすぎてしまった。ここまで読んでくれてありがとう

 *1 しか英英辞典自体は、それを使いこなせる英語力が身についた後ならば、英語学習の強力な武器になる。
 私は普段オックスフォード英英辞典を使っている。グーグル使用言語英語にして単語ググると、一番上にオックスフォード記述が出てくるので、まずこれを見る(出てこない場合検索語にdefinitionを加える)。Kindle無料でついてくる英英辞典オックスフォードだ。
 オックスフォードでは、英単語をより難しい英単語説明している。その単語辞書で引くことで、際限なく難しい単語出会えるため、いくらでも語彙を増やすことが出来る。単語定義も難解で味わい深く、その文章に触れること自体英語力を向上させてくれる。

2017-05-19

校正の極意

昔、とある会社サイト掲載されていたのに知らない間にページが無くなっていた。

この極意を肝に銘じ仕事をしていたのに残念。

4,5,6条が素晴らしい。

【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

【第7条:文字パニックにご注意】

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

第9条:日々是情報収集

【第10条:校正の極意】

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【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

校正マンは何も信じてはいけません。一番信じてはいけないものは「自分」のこと。

校正には知識必要です。だから校正マンである自分仕事関係上、それなりに努力もしているので知識を持っていると思っている人が多いようです。そして自分知識に自信を持っている人も多い。そういう人は、校正マンとして不向き!

自分知識に間違いはないと信じて、いちいち調べて確認することを怠った者は、アシをすくわれてスッ転ぶだけ。知っていることも、いちいち確認するのは面倒な作業ですが、自分知識を信じることなく、確認する労力を惜しまない人が、確認作業プロフェッショナルなのです。

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

校正仕事は、常に「疑う目」で見ることが必要不可欠。まずは、第1条で述べた通り、自分自身を疑うべし。そして確認するための工程使用するアイテムも「疑う眼」で見なければなりません。国語辞典出版社によって、編纂者によって、辞典の大きさによって(小事典・中辞典・大辞典)も内容が違います。どれを使っても大同小異ほとんど同じだと思っている時点で確認プロフェッショナルではありません。同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることを念頭においておかなければなりません。インターネットでの検索も「疑う眼」で確認すること。情報が多く便利なアイテムですが、情報が多すぎることが問題ひとつ。ふたつ目の問題は、間違った情報も多いという点。確かな情報源を手に入れるまでに、情報の海に溺れてしまう時もあります。常に「疑う眼」で見ることを忘れずに付き合っていると、情報の海で土左衛門になる前にインターネット情報の拠りどころとして使えるようになってきます。紙媒体インターネット等、拠りどころは多いにこしたことはない!数値のデータは、最新のデータの方が良いし、旬の時事ネタを調べる場合にも、印刷物書籍など)よりもインターネットの方が断然便利です。インターネット情報を得る場合には、必ず複数データ調査し、公式サイトなどのデータ確認します。校正大切なことは、信頼できる情報確認すること!疑わしい情報確認しても、それって確認作業にになってないし…(汗)。

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

職種によっては「慣れ」ることにでより技術に磨きがかかり熟練工としてして匠と称される場合も多々ありますが、校正プロフェッショナルとしては「慣れ」は大敵でもあります校正のコツを身につけ、経験を生かして間違いを予想して校正することもありますが、この場合細心の注意が必要です。「慣れ」は「思い込み」を生み出すきっかけとなるから…「思い込み」は校正マンの目を曇らせ、ミスを見落とすという最悪の結果を招きます。常に初心を忘れず「思い込み」を全て捨て去り“無心”の状態校正に挑むのが、確認作業プロフェッショナルとしての基本です。

「慣れ」と「思い込み」は命とり…これを肝に銘じて、集中力と根気をもって最初から最後まで校正することが何よりも大切です!

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

校正お仕事は、その結果100点満点が当たり前!満点をとっても誰にも褒められることはまずないという、ちょっぴり寂しいお仕事でもあります。全てのミスを見つけ出すことがお仕事なのですから、当然といえば当然です(…が、たまには褒めてもらえるとうれしいのです。ブタもおだてりゃ木に登るぅ~ってな感じで、次回の校正への励みになりますし…)。満点以外の校正は、言葉が悪くお下品ですが(詫)、“クソ”と同じ…そんな校正なら、しない方がマシ(!?)時間無駄使いをしてしまったと落ち込みます。致命的なミス発見できれば、少々の校正ミス(=モレ)があっても実質的な損害を与えることにはなりはしませんが、お客様からの信頼は確実に減少するのは免れることはできません。校正の精度が疑われるような校正結果では、お客様安心していただくことができません。皆さんも経験があると思いますが、試験100点をとるために何度も見直して「完璧!」と提出した答案が、返却された時の点数は98点…なんてことはザラにあります100点満点を目指すなら、200点目標確認作業をしてトントン校正マンは、200点を目指して、120点を目標として常に全力投球します。その結果の100点なので、満点で当たり前というわけです。

校正業務を開始する際に、体調などに左右されることも。なかなか集中できない場合もありますが〆切は待ってはくれません。どのような状況でも集中できる体制を即座に整えることができる…これがプロフェッショナルです。満点以外の校正はクソですが、集中力を欠いた校正作業はクソ以前の問題です…全身全霊をもって集中して校正に挑んでも、校正ミス可能性はなくならないのですから

校正作業完了し、全責任を担うべく校正紙にサインをした後は、ヘトヘトになり暫しの間放心状態になります校正は毎回が真剣勝負、全力投球ですから当然です…“この一球に悔いなし”!

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

自分のことを「賢い」と思っている人は、大バカ野郎!逆に、自分を「アホ」だと思っている人は、自分のことを「賢い」と思っている人に比べれば「賢い」人です。自分は「アホ」だから、間違うかもしれない!という思いを常に心の隅に常駐させつつ、そんな自分他人様の制作したものに対して間違いを探したり、ミスを指摘したりするなんて恐れ多いコト…と、謙虚姿勢校正に対するのが、確認作業プロフェッショナルです。その謙虚姿勢が、いちいち確認する面倒な作業を怠ることを防ぐための防波堤役割を担ってくれる上、確認する労力の源となるので、自らの間違いやミスの発生率が極端に減少するわけです。自分のことを「賢い」と驕っている校正マンは、いつか取り返しのつかないドツボに填まることになるので、今すぐに校正マン廃業した方が賢明(…!?)です。

なお、自分は「アホ」だという自覚を持っているのにもかかわらず“あほミス(注)”をしてしまったら、それは本当の「アホ」…目も当てられない状態です。そんな状態に陥った「アホ」は、即効で校正マン廃業すべし。

(注)あほミス…「アホちゃう!?」と叫びたくなるような“あほ”みたいなミスのこと。知識能力の不足ではなく、不注意による誤り。SETでは「あほミス」と言いますが、一般用語では「ケアレスミス」のことになりますかね。ちなみに「ケアレスミス」は、careless mistakeの略語です。

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

校正お仕事は、実に意地の悪いお仕事です。制作者もプライドを持って全力で業務に勤しんでいます。「完璧だっ!」と渾身の制作物を校正するのですから、その作品の粗探しをする校正マンは、疎ましい存在なのでは…(涙)。しかしながら、ミスや間違いを発見するのが校正マンの使命ですから、そこのところは一歩も譲ることな任務を全うすべし!粗探しという、一見、意地の悪い作業に誇りをもって、全力で挑まねば制作者に対しても失礼にあたります制作社は、作品ケチをつけられたらカチンときたり、ミスを指摘されたら「クソォ~」と悔しがるのが当たり前。そんな感情が湧かない方がおかしい…湧かない場合は、制作作業に対して手抜きしてるからでは?ミスの指摘を受けて悔しがらない制作者は、問題あり…なので、そんな場合には一言苦言申し奉ります。「ミス校正で見つけてもらったらいいや~」などという怠惰な態度は、校正マンに対する冒涜制作者も、常に100%の完成度と誇りをもって全力で校正マンに挑んでいただきたい。分野は違えど、制作校正プロフェッショナル同士の真剣勝負なのですから

【第7条:文字パニックにご注意】

校正(笑)一種に「文字パニック」という症状があります日常の全てにおいて目にする文字がすべて疑わしくなる病気(!?)です。校正業務ではない日常生活においても、辞書等で確認せずにはいられなくなる…それは読めない漢字意味がわからない用語でなく、通常に使用している簡単漢字であっても。その上、一度確認してもまた同じ文字が出てくるたびに辞書を引っぱり出している自分がいる。やめたいのにやめられない、辞書等で確認しないと落ち着かなくてパニくる…これが「文字パニック」。治療方法としては、休養することしかなく、目と体、そして心を休め落ち着いて回復を待つこと。あわてないことが重要で、確認作業プロフェッショナルなら一度はかかる通過儀礼のようなものなので、自覚症状があらわれた際には、校正マンとして一人前になったのかなぁ~と喜ぶべき病気(!?)ということで、お赤飯でも炊いてお祝いしてください(笑)

文字パニックとは別に校正マンがかかりやす病気として「本が読めなくなる病」もあります活字とにらめっこしている時間が多いため、もう活字は見たくないという原因をもつ場合と、本を読んでいても、無意識誤植を探していて内容を楽しむことができなくなる場合の2種類があり、この病にも特効薬はありません。本人の意思時間の経過により、体力と気力が回復すればそのうち治るでしょう。でも、貧乏ゆすりと同じでクセになってしまったら、なかなか治りません。私の場合子供学校からもらってきた学級便りやお知らせのプリントに朱入れしてしてしまう始末。町内の回覧板広報誌やフリーペーパー等々、印刷物を目にするとダメですね。インターネットの画面では今のところ症状は抑えられますが、サイト情報プリントアウトすると、誤植探しをし、数値を重複確認してしまっている自分に気付く今日この頃です(汗)。

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

何事にも興味を持ち、広く知識習得すべく心を開放しておくこと。自分には関係のない分野の話も、小耳にはさむ程度でもいいので気に留める寛容さが必要です。ひょんなことで、その知識が役立つことがあるからです。校正は、自分知識確認することはなく、調べて確認する作業です。この調べるという作業で、広く知識がある人とそうでない人との差があらわれます校正ではさまざまなジャンル文章校正するため、歴史社会自然科学技術産業芸術など広い分野の知識必要とされます。全ての分野で専門知識をもっているスーパーマンになることは、並大抵の努力では不可能です。用語の大よその意味理解できていたり、見当がついていれば、調べるときに大変助かります校正に費やせる時間無限ではありません。校正マンは、校正だけできればそれでよいというものではなく、定められた納期を守って校正できることもプロフェッショナルとして当然のビジネスマナーです。限られた時間で、どれだけ正しい情報にたどりつけるか…校正マンとしての力量が問われるところです。

第9条:日々是情報収集

前条と内容が重なりますが、ジャンルを問わず知識習得するための心得をもうひとつ友達との何気ない会話、家族との日常職場で流れているラジオテレビ番組CM…等々、日々の生活情報収集に事欠くことがありません。しかしながら、ただただ聞き流してしまうのか、ちょっと意識を持って聞いているかの違いで、情報収集の機会は雲泥の差を生み出してしまます。「さぁ~情報収集だっ!」と意気込んで調べものをすることもありですが、日々の生活でのチャンスを逃す手はありません!いちいちメモして資料を残すなんてことは大変ですので、少し意識を変えるだけで充分です。人間の脳ミソは全く知らないコトを思い出すことは不可能ですが、一度でも耳にしたことは思い出せる可能性が0%ではありません。また、必要に迫られた場合や、自分が興味のある事柄は自ら情報収集することができますが、自分の頭の片隅にもないような事柄についての情報収集することはできませんよね。不特定多数対象情報提供してくるラジオテレビ、街中での雑談や目にする様々な媒体ちょっと意識するだけで、情報収集きっかけは生まれるのです。

校正時での「疑問出し(注)」の巧拙に、期せずして校正マン能力があらわれてしまます。とんでもない見当違いの疑問出しをした場合校正マンは赤っ恥をかくだけでは済まされず、校正の精度そのものに疑いがかかり「この校正マン大丈夫?」という状況を引き起こししまうのです。「これで大丈夫ですか?」と指摘したのに、「オマエこそ大丈夫かい?」という展開に…(涙)そんな事態を招かないためにも、日々是情報収集は、プロフェッショナルとしての日常のあり方です。

(注)疑問出し…原稿の間違いや不備ではないかと考えられるが、調査してもはっきりとは間違いだと判断できない箇所を「これで大丈夫ですか?」と、制作者や先方様に確認するために校正紙に校正マン鉛筆で書き込んでおくこと。

【第10条:校正の極意】

校正に極意はありません。ただ「無心」で校正に対するのみ…

しかするとソレこそが、校正の極意なのかも!?

"

引用http://www.set-inter.com/creator/kotomi-t

2017-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20170516195850

さんまとか所ジョージも外の番組に出てトークすると、それほど頭が良いわけではないんだなと思うことが多い。お笑いバラエティに特化したプロフェッショナルから当たり前なんだけど、がっかりする。

ビートたけしはそれなりに勉強してるだけあってそれほどボロを出さない。

2017-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20170503114057

あれほど政治的正しさプロフェッショナルとして棍棒を所構わずふりまわすはてなー任天堂には甘くなるのは不思議である

まあ、その辺りが遅れてるのは任天堂に限った話じゃなくて日本企業ならどこもそんな感じだろうけど。

2017-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20170421115303

話はずれるんだけど、女性向の風俗は一応あるにはあるみたいなんだよね。messyとかに体験記が載ってたのを読んだことがある。

でも評判は良くないね

ただ気持ちよくして貰う為に金払ったのにレイプされそうになったとかそんなんばっか。

でも想像なんだけど、それって必ずしも詐欺悪徳業者所業って訳でもないと思うんだ。

男性風俗のやり方でやったらレイプだと受け取られたのではないかと。

男性向け風俗なら、風俗嬢容貌サービスがヘボで客がイかなかったから仕方なく本番でお茶を濁すという事はよくある。ほんとは違法だけど客も嬢も一々問題になんかしないし、暗黙の了解なとこあるよね。

だが女性風俗ではそれが通用しない訳だ。女性妊娠とか性病とかのリスクが高いからどうしても性行為には慎重になる。また、女性男性買春歴史が浅いので、遊び馴れていないのであり、むやみに風俗男(風俗嬢男性版って何て言えばいいのだ)への要求理想が高いのだろう。

行為というのは人間であれば誰でもする事と人々から思われてる節があって、マンコがあれば、あるいはチンコがあれば、誰でも出来んだろと、そう簡単に考えられがちであるが、そういうもんではない。やっぱりそれで金を取るというのはとても難しい事だ。

ただの主婦主夫自分ちにおける家事経験だけで家政婦やクリーニング屋や保育士などになって上手くやる事は出来ないというのと一緒。

風俗だって、ただセックスが出来るだけでは勤まらない。

が、現状、ただ股を開くだけしか能が無い女が続々風俗業に参入し続けては打ち破れていくという事がずーっと続いていて、客の方もそれについては諦め割り切っている。本物のプロフェッショナル当たったらそれはラッキーな事なのだと。

風俗男にしても、風俗嬢と同じでおそらく志望者や現役者の殆んどは低レベルでどうしようもない者達だろうが、それを受け入れて遊ぶ女性客はほぼいないだろう。

所詮女でも男でも、風俗業は一時の小遣い稼ぎにはなってもそれで生計を立てるのは中々難しいのだ。

1本当たりの報酬は昼職の時給よりは良いからってことで、目が眩み金銭感覚が狂うだけで、風俗に勤める事にはあまりメリットは無かろう。

[][][]日本学生必要知識は「商売の基本」

はてなブックマークを見ていたら、悲惨な話を見かけたので、ちょっとコメント

世の中、知らなくて損していることって、いっぱいあるね?

元ネタ

解決

日本学生には、商売知識お金起業)の知識必要です。

本来義務教育で教えるべき常識ですが、学校は優秀な社畜牧場歯車工場なので、カリキュラムにはありません。(残念)

教科書

MBAなど難しい話は後回しにして、基本的知識を迅速に得てください。

おすすめの本を挙げます。(良い本があれば、理由とともに皆さんもご紹介ください。)

 

(1) マインドセット「やればできる! 」の研究 | キャロル・S・ドゥエック https://www.amazon.co.jp/dp/4794221789

最初に、勉強仕事スムーズに進めるための考え方(しなやかマインドセット)を身につけてください。

(2) 1万円起業 文庫版 | クリス・ギレボー https://www.amazon.co.jp/dp/4864104042

(p.38)「ビジネスを始めるには、製品またはサービス、代金を支払う意欲のある人びと、そして支払いを受ける手段の3つが必要だ。その他のものはすべて、あってもなくてもかまわない」 

(3) はじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術 | マイケル・E. ガーバー https://www.amazon.co.jp/dp/4418036016

事業には、(1)起業家企画)、(2)職人技術)、(3)マネージャー販売宣伝)、の3つが必要です。

(4) ストックビジネス教科書 プロフェッショナル | 大竹 啓裕 https://www.amazon.co.jp/dp/459115243X

商品サービス販売形態は、自転車操業の「フロー型」よりも、継続的かつ自動的利益を生み出す「ストック型」を目指します。

 

 

 

(5) デザインスプリントプロダクトを成功に導く短期集中実践ガイド | Richard Banfield https://www.amazon.co.jp/dp/4873117801

Googleベンチャーで行われていた事業創出の手法です。プロトタイプ(試作品)を素早く作ることが秘訣です。

(6) スイッチ! ──「変われない」を変える方法 | チップ ハース https://www.amazon.co.jp/dp/4150504784

→ やる気がない人、落ち込んでいる人は、こちらも参考にしてください。

 

人間は、お金よりも時間大事です。

読書自分への投資なので、とにかく勉強してください。

お金がなければ、立ち読み図書館でも読めます。)

 

人生の早い時期に商売の基本を学べば、マイクロビジネス(小規模な商売)は誰でも可能です。

お金で苦労する学生が減り、日本人幸せになることを願います

2017-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20170418135701

ジャップ民族は右に倣え国家からお上であるアベがPTAやめろってしないと変化ないか

自分たちで変えられる素質があるなら平成終わりまでこんな問題組織残ってないっちゅーねんバカかおめーは

同じ様にNHK受信料みたいな化石みたいな法律も手つかずで残ってるわけないし

東電も何のお咎めもなし身銭切らずにヌクヌク電力利用料上げられるわけがない

個人で変化できないってのは歴史証明してるしこの先未来永劫個人で変えられることはない

そういう人は日本を出て行ってる

増田もお前も俺も日本から出れなかった負け犬なんだから負け犬同士マウント取ろうとせず大人しく黙ってろ

全ての批判お上に集中するからこそ日本人お上の言う事に従って1億総火の玉になれるんだよ

でなきゃこんな狭い国で個人で主張激しくしてみろ

摩擦熱ですぐに日本劣等民族メルトダウンしちまうっつーーーーーーーーの!

なんで日本黒人差別宗教八百万()なのか考えたことあんのか

日本お上憎しで一致団結するしお上の言うことなら仕方ないな…で団結する超法規国家なんだよ

ポリコレではなくお上が全て悪いという主張の元他の権利保障され自由が守られる国体をやってんだよ

それが黄金ウンコ・ジャッポンだろいい加減分かれ

ここは言ってしまえば究極の個人主義たちが凍り付いた人間関係を構築してる国だぞ

そんな中で出る杭になって何ができるっていうの?

出る杭を否定することが基板の文化形態で出る杭を推奨するのは自殺幇助と同じだぞ

お前がこれから出す例の日本人でありながら出る杭になったプロフェッショナルたちなんて

所詮小物だし小さい界隈のなかで社会全体の変革を担ったわけでもないのに過大評価されてるやつは

ファッション出る杭、ファッション出る杭だよマイルドヤンキーだよ

真なら既に海外に出てしまった人材からそいつらを引っ張ってきて個人主張の成功結果だというならやっぱりお前はバカバカバカバカカバだよ

本当に世界変えるってのはマイクロソフトのことだバッカ

我慢美徳既得権益アナル舐めが美徳の国で個人主張が成功するわけねーーーーーーーっつお

2017-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20170409024610

この前、テレビ

最期食事を作るプロフェッショナルの紹介をやっててそこで

「かつて働いていた今はもうない喫茶店が用意してくれていた、賄い用のもっさりしたスパゲティが食べたい」

という要求になんとか応えたというエピソードがあったのを思い出した。

2017-04-03

ソニー株式会社退職しました

表題の通り、数年勤めたソニー株式会社退職しました。

個別具体退職理由はいろいろあってそれらは後述しますが、退職を決めた基本的理由は、個人的キャリアパス設計会社方針ミスマッチ労働観のミスマッチ技術投資の考え方のミスマッチの三点に集約できると思っています

キャリアパス設計会社方針ミスマッチ

私はソニーソフトウェアエンジニアとして働いていました。

ソフトウェアエンジニア(を目指す人間)にとってソニーと言えば、"自由闊達理想工場"、エンジニア自由活躍できる会社日本メーカーなのにソフトウェアもちゃんとつくれる会社、などのイメージがあるかと思います。私もそう思っていました。

実際会社説明会などでそういった説明しましたし、そういったイメージを前提に私はソニーを選び、「エンジニアとしてプロフェッショナルになる。品質が高く、お客の求める体験を作り出せる人間になる」というふわっとしたゴールを設定し、いわゆる"プログラマ 35 歳定年説"をガン無視した一生エンジニアキャリアパスを描いていました。

しかし、会社の求める人材像、少なくとも自分が配属された事業部で求められる人材像、キャリアパスは、上記と全く異なるものでした。

昇進の段階としては、現場業務(エンジニア)は基本的に常にマネジメント業務(中間管理職)に対して格下に位置得付けられており、一部オーバーラップする部分があるものの、昇進する = エンジニアをやめてマネージャーになるという状態でした。退職の原因になった上司からも「君は優秀なんだからプログラミングみたいな低俗なことは早く辞めて人を動かせるようになれ。私が引っぱりあげてやる」(意訳)といったようなことを言われ、自身の「エンジニアとして生きる」というキャリア設計との相違は明らかでした。

もちろん、組織としてスケールするために、エンジニア経験を活かしてマネジメントに移行することは否定されることではありません。ですが端からエンジニアリングマネジメントになるための踏み台として"しょうがなくやるもの"として扱うことには強い違和感嫌悪感がありました。

退職の際の送別会で、部署の中でもエンジニアとしてレベルが高いと感じていた40代の先輩が、「ソニーではエンジニアリング評価されない。俺はその方向に進んだけれど、給料最近下がる一方だよ。君はい選択をした」と言っていたのが、未だに記憶に残っています

労働観のミスマッチ

はいわゆるライトオタクで、アニメゲームが好きでコンテンツを消化する時間無限に足りないと感じていたり、自分で何かを考えてものを作るという絶望的に時間を食う行為も好きだったりして、ともかく余暇時間の確保が人生重要課題です。

うご推察されたことと思いますが、ソニーでの私の労働時間はそれなりに長かったです。企画ビジネスユニット主導のスケジュールに開発部隊は圧殺されて、長時間労働常態化していました。私も残業時間が 90 〜 100 時間程度の月が 3 ヶ月ほど続いたこともありました。部署の先輩には、残業時間の"平均"が100時間という方もいましたし、月の半ばで法規制が許す残業時間を"使い切ってしまう"ため月の中盤以降は"定時に帰ったことになっている"デバイス系の同期もいました。正直に告白すれば、私もチームリーダーに「打刻してから席に戻ってこい」と言われたことがあり、そのチームリーダーは次の日悔恨の表情で「昨日言ったことは忘れてくれ」と言っていましたが、数カ月後に突然辞めました。

前述の通り、趣味時間人生の意義になっていた私にとって、これは体力的だけでなく精神的にも非常にダメージの大きいものでした。上司からの「君のチームが他のチームに比べて残業時間が少ないので、(労使交渉で通常の上限の)60時間まで残業時間を埋めてほしい」という指示が決定打となり、退職を決意するに至りました。

技術投資の考え方のミスマッチ

昨今の、シャープ東芝等のニュースで明らかになっているとおり、大企業から安泰ということはもう過去の話です。そのため、自分市場価値を高めておく必要があると私は強く感じています

しかし、会社エンジニアリング軽視であり、またその昇進先であるマネジメントについてもお世辞にもプロ仕事とは呼べないものであり(残業100時間を続けないといけないマネジメントとはなんでしょうか?)、ソニーで働き続けることは私の「労働市場自分市場価値を高める」という方針にとってリスクしかありませんでした。

人事担当者に、現在キャリアパスについて不安があるという相談をしたときにも「増田さんがソニーで(定年まで)働き続けることを考えると〜」のような発言をしており、会社がなくなる / 現状の待遇が維持されなくなるというリスクは全く考慮されておらず、いかにただただ嵐が過ぎるのを耐えるかという発想しかありませんでした。

エンジニアリングについても、昨今の汎用チップスペック的に見劣りする高額のカスタムチップの開発、そのカスタムチップを使いこなすための C / アセンブラによる手動の最適化といった"職人芸"に対する信仰、大量のテスターを雇っての人力テストなど、エンジニアとしてのセンスとしてやや疑問符がつく、ともすればレガシーな開発手法がまかり通っていたりと、この技術職場適応したとして、その人物一般的問題対応できるだろうか?その人物市場評価するだろうか?という疑問が拭えませんでした。

また、業務時間がまるで足りないからとコードレビューすらろくにできないので知見がたまらない、時間がないので勉強もできない(しない)、もちろん職場で最新の技術に対するディスカッションどころか雑談すら成り立たない、という状況で、私がこのような職場業務忙殺されている間にも、世界エンジニア勉強技術力を高めているのかと思うと、相対的自分市場価値を毀損されていると感じ、焦燥感にはちきれんばかりの思いでした。

転職

こういった不安・不満があり、また会社の期待にも応えることが難しいということで、先ごろ無事ソニー退職し、新しい職場で働き始めています。新しい職場は上記の 3 要件についてよくマッチしていると感じており、心穏やかに働けています。幸い年収も多少増える結果となりました。

色々書きましたが、これらはソニーが悪い会社だと言う話ではなくミスマッチだと思っています。上記の内容はすべて私の価値観を元にした一面から評価になっており、他方でここで挙げたような会社の考え方(マネジメント優先・仕事優先・安定優先)に同調・納得できる方もいると思います。残念ながら私とはミスマッチだったというまでです。

また、あくまでこれらはソニーという(さらに言えば自分の配属された事業部という)組織に対する評価であり、尊敬できる先輩・同期もたくさんいましたし、そういった方々と出会えた、幸いにして現在も仲良くしていただいているということは、本当にありがたいことです。

みんながしあわせになるといいな。

おもしろ案件お気持ち表明

ここからは単なるおもしろ案件共有コーナーです。

内定もらった時の風景は今でも覚えていて、友人と一緒に出かけていた先で内定通知の電話がかかってきて、本当に2人で喜んで、とても嬉しかったのを覚えている。どうしてこうなっちゃったんだろうなぁ。

ものつくりの現場で、エンジニアリングバカにされたのは悲しかったなぁ。私がいる間だけでも、ものが作れなくなっていってるのが感じられたのも悲しかった。

2017-04-01

キラキラ女子起業家に思うこと

近年キラキラ女子ブランディング材料とし、キラキラ女子であることを前面に押し出し起業家というのを見かける。アレは、たぶんプロフェッショナルではないなと思ったのが、つい今しがたのことだ。

起業家女子でいてはいけないと言いたいのではない。ブランディングという面で失敗しているという意味だ。

もしXという商品を扱っている起業家が二人いるとして、ひとりは、キラキラ女子起業家のAさん。もう一人は、Xを扱っているということをブランディングしているBさん。

実力が同じで、扱っているXが、依頼を検討している商品なら、僕はBさんに依頼するだろう。もし僕がAさんに依頼するとしたらその理由は、せいぜい「鼻の下を伸ばした」に過ぎない。

不思議な事に、Bさんが「自立した立派な女性」であった場合、その女性性は、隠していてもにじみ出る。僕の知人起業家の、Mさんがその典型例だ。どれだけ女性に見られて男性の下心を避けようと思っていても、Mさん可愛い(過去には女性らしさを完全に消そうと思っていたそうだが、そういう服装が、全然似合わなかったそうだ。)

キラキラ女子というのは「自分は魅力的なのだ」と、精力的にアピールする女性のことだ。往々にして、彼女らがアピールする「女性」というのは、女性社会が作り出した「輝いている女性」のステレオタイプのものだ。それは、男尊女卑社会の中で「抑圧された女性」に対するアンチテーゼのようなものであろうが、周りから見ればバカキャバ嬢か、よくてチャラい女の集団かなにかと、同じような集団しか見えない。(キャバ嬢馬鹿にしているわけではない。風俗産業出身ということでブランディングし、それで活躍している女性はたくさんいる。そういう女性女性の憧れの対象になっている場合が多いし、男性からしてみれば、おいそれとは手を出せない、不思議な「魔女」だ。格の違いというか、この場で言う「バカキャバ嬢」とは別の人種だ。ちなみに、バカキャバ嬢のうち「キャバ嬢は誇りです」みたいなことを言い出す人たちは、この魔女に憧れているか自分魔女と同種の人間勘違いしていると思う。)

さて、魅力的な女性起業家というのは(男性もそうだけど)、「キラキラ女子」みたいな、わざとらしい主張じみた行為をしなくても、その魅力は滲み出るものである。恐らくなりたい自分表現した姿が「キラキラ女子なのだろうけど、そういうものになることではなく「プロフェッショナル」を目指すだけで、勝手に「なりたい自分」になっていくものだと思う。「キラキラ女子」を目指して起業活動をしている時点で、彼女らは、自分自身の過ちに気付くまで、一生「なりたい自分」にも「プロフェッショナル」にもなりようがない。そもそも、彼女らの表現している「キラキラ女子」というものは、8割がた彼女らの憧れの姿であって、おそらく「その人自身の本当の姿」ではない。本当の自分の魅力を認めることを、彼女らは恐れているのだ。

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