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はてなキーワード: アスキーとは

2022-10-24

anond:20221024181603

アスキーではないが、バイナリーでもないってこと。

だいたい、UTF-8と思えばOKだけど、意外とBOM付きUTF16の可能性がある。

2022-08-27

Twitterアスキーがすのこタンについて書いてて

懐かしさで遠い目なっちゃった🐈すのこタン

2022-08-26

ノンバイナリーってよく分かんないよな

バイナリーじゃないならアスキーなの?

2022-08-19

スタパ齋藤のことをずっとスタバ齋藤だと勘違いしていた

デジタルガジェットレビューを書いてる人

スターバックス齋藤の略だとてっきり……

じゃあスタパってなんやねん

ペンネームの由来

スーパーさんざっぱら」の略であり、「超~」という意味造語。ただしスタパの「タ」がどこから来たのかはわからない。中学の頃にスタパ齋藤の友人数名が身内のみで使用していた言葉であった。アスキー時代に初めて記名記事入稿する際に、とりあえず付けた「スタパ齋藤」という名前が定着してしまい、現在に至るまで使用している。

なんじゃそりゃ

2022-07-24

今のひろゆきの嫌いなところ

もううまい棒食ってなさそうなところ

牛丼おかわりしてアスキーの人にブチギレられてたひろゆきはもういない

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-11

本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏

さきごろ第2弾の発売も発表されたメガドライブミニメガドラと来たら次はサターンだろうという期待も高まるのは無理からぬこと。

というわけで今回はセガサターンミニが実現すれば入るであろうソフト、入ってほしいソフトセレクトしてみた。

分析編1(メガドラミニの収録タイトルを振り返る)

anond:20220711063944

分析編2(サターンの読者レース上位ソフトを眺める)

anond:20220711064019

本編

まず便宜的にセガパブリッシャーゲーム20本、セガ以外のゲーム20本とする。メガドラミニよりはややサードパーティー比率が増えることになる。

さらに以下の縛りを設ける。

セガタイトル20
タイトル 開発 発売 発売日 ジャンル読者レース
順位 採点
備考
魔法騎士レイアースセガセガ1995年8月25日RPG 62位 9.0684 版権モノ
ばくばくアニマルセガセガ1995年11月10日パズル 344位 8.1548 ACST-V基板)から移植
バーチャファイター2 セガセガ1995年12月1日対戦格闘 45位 9.2349 ACから移植
クロックワークナイト ペパルーチョ福袋セガセガ1995年12月15日プラットフォームアクション
ガーディアンヒーローズトレジャーセガ1996年1月26日ベルトスクロールアクション 197位 8.5991
パンツァードラグーン ツヴァイセガセガ1996年3月22日3Dシューティング 48位 9.2241
ドラゴンフォースセガセガ1996年3月29日戦略シミュレーション204位 8.587 PS2移植版あり
NiGHTSセガセガ1996年7月5日アクション 49位 9.2161 PS2など移植版あり
デカスリートセガセガ1996年7月12日スポーツ 273位 8.384 ACST-V基板)から移植
サクラ大戦セガセガ1996年9月27日アドベンチャー249.3755 DC移植版あり
MR.BONES Zono セガ1996年9月30日アクション282位 8.345
ファイターズメガミックスセガセガ1996年12月21日 格闘 119位 8.8456
デイトナUSA CIRCUIT EDITIONセガ セガ1997年1月24日レース 196位 8.5991
ダイナマイト刑事セガセガ1997年1月24日ベルトスクロールアクション 370位 8.0783 PS2移植版あり
ADVANCED WORLD WAR ~千年帝国の興亡~ セガセガ1997年3月20日戦略シミュレーション289.35
ソニックR Traveller's Tales セガ1997年12月4日レース 391位 8.014 PS2移植版あり
シャイニングフォースIII 3部作キャメロットセガ1997年12月11日RPG
AZEL -パンツァードラグーンRPG-セガセガ1998年1月29日RPG179.4304
バーニングレンジャーセガセガ1998年2月26日3Dアクション109位 8.9042
せがた三四郎 真剣遊戯エコールセガ1998年10月29日ミニゲーム 577位 7.288

レイアース』はキャラゲーながら、SSの初期において最も評判の良かったRPGひとつであるキャラゲーも収録できることはメガドラミニ証明されているため、今回のリストに加えた。『ばくばくアニマル』は落ち物パズル枠。サターン互換基板のST-Vで動いていたアーケードから移植作。『バーチャ2』はSSローンチタイトルであるバーチャ1』と迷ったが、セガ初の国内ミリオンセラー樹立という記念碑的なタイトルであり、1995年年末商戦におけるSSのひととき勝利を牽引した存在でもある。『クロックワークナイト』は既発売の上下分作をまとめたもの。収録されている『クロックワークナイト ~ペパルーチョの大冒険・上巻~』はローンチではないものハード発売から2週間後に発売されたというハード初期に強い印象を残したタイトル。『ガーディアンヒーローズ』はトレジャー枠。Xbox 360HD版が配信されたが、プレイできる環境はさほど多くない。『NiGHTS』はソニックチームが開発したSS代表する新規IP。でもこれ入れるならコントローラーマルコ必須になるね。『デカスリート』は気楽に遊べるゲーム枠。アーケード版はST-V基板。コンビニ専売だった『MR.BONES』は洋ゲー枠。『ファイターズメガミックス』は移植作ではないSS独自格闘ゲームということでリストアップ。『デイトナUSA CE』は出来のよろしくなかった無印版とは違い、SS版『セガラリー・チャンピオンシップ』のスタッフが手掛けた再移植+追加要素版。権利関係問題ない場合セガラリー』でも良い。『ダイナマイト刑事』はこちらもアーケード版はST-V基板。『ソニックR』はSSでは貴重なソニック枠であり、洋ゲー枠でもある。『AZEL』は既に『ツヴァイ』もリストアップしてるパンツァードラグーンシリーズの一作だが、ジャンルが違うから入れてもいいだろう……と判断。これまで移植もされておらず、サターンミニを出すならまず入るでしょ。『バーニングレンジャー』はソニックチーム開発の3Dアクション。この時期の3Dアクションは正直現在やると相当厳しいと思うが、このタイトルプレイする手段SS以外にない。『せがた三四郎 真剣遊戯』はハードシンボル存在であるせがた三四郎ゲームであり、また気楽にプレイできるミニゲーム集でもあり、さらエコール開発という微妙デス様成分もある。

セガ以外のタイトル20
真・女神転生 デビルサマナーアトラスアトラス1995年12月25日RPG 116位 8.8619 PSP移植版あり
ヴァンパイアハンターカプコンカプコン1996年2月23日 格闘 91位 8.9486 PS2移植版あり
ポリスノーツコナミコナミ1996年9月13日アドベンチャー 36位 9.3107 PSから移植
デジタルピンボール ネクロノミコン KAZe KAZe 1996年11月15日ピンボール 53位 9.1655
エネミー・ゼロワープワープ1996年12月13日アドベンチャー284位 8.3337
悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲コナミコナミ1997年3月20日アクションRPG202位 8.5902 PSから移植
心霊呪殺師 太郎丸タイムワーナーインタラクティブタイムワーナーインタラクティブ1997年1月17日プラットフォームアクション 320位 8.2328
だいな❤あいらん ゲームアーツ ゲームアーツ 1997年2月14日アドベンチャー 49位 9.2769
GROOVE ON FIGHTアトラスアトラス1997年5月16日 格闘 195位 8.6027 ACから移植
バルクスラッシュCAプロダクションハドソン 1997年7月11日3Dシューティング 71位 9.0344
七ツ風の島物語 ギブロ エニックス1997年11月27日アドベンチャー 140位 8.7689
プリンセスクラウンアトラスアトラス1997年12月11日アクションRPG 16位 9.439 PSP移植版あり
グランディアゲームアーツ ESP1997年12月18日RPG 2位 9.4847 PS移植版あり
ソロクライシスクインテットクインテット1998年1月22日シミュレーション170位 8.6567
センチメンタルグラフティNECインターチャネルNECインターチャネル1998年1月22日アドベンチャー 594位 7.2022 PS移植版あり
仙窟活龍大カオスシードネバーランドカンパニーESP1998年1月29日シミュレーション 15位 9.4424SFCからリメイク移植
ガングリフォンII ゲームアーツ ゲームアーツ 1998年4月23日3Dシューティング 41位 9.253
リンダキューブ 完全版 アルファシステムアスキー1998年6月18日RPG 8位 9.463 PSから移植
ラングリッサーV キャリアソフトメサイヤ1998年6月18日シミュレーションRPG 3位 9.4844 PS移植版あり
レイディアントシルバーガントレジャーESP 1998年7月23日シューティング 37位 9.3031 XBLA移植版あり

ヴァンパイアハンター』はヴァンパイアシリーズの2作目。本作と近い時期にPSでは前作『ヴァンパイア』が移植されたのだが、その出来は散々なものであり、当時SSユーザーはそれらを較べてSSの優位性をこれでもかと誇っていたのだった。『ダークセイバー』はメガドラミニにも収録された『レディストーカー』の精神的続編。『ポリスノーツ』はPSなどでも発売されたタイトルだが、最後に発売されたSS版は追加要素を加えた完全版である。『ネクロノミコン』は、高品質デジタルピンボールSSにおいて存在感を見せたKAZeの代表作のひとつ。『エネミー・ゼロ』は『リアルサウンド風のリグレット~』と迷った。ゲームとしての評価は分かれるが、飯野賢治は当時のSSユーザーメディアのとってのアイドルだった。『月下の夜想曲』はPS版より後に発売されたため追加要素が加えられている。『心霊呪殺師 太郎丸』はカルト的な人気があるプレミアソフト。『グルーヴ・オン・ファイト』は豪血寺一族シリーズの中の一作。最近表現上の理由によりシリーズの復刻が断念されたが、問題(とされる)シリーズキャラは本作には登場していない。ついでにアトラス枠。『バルクスラッシュ』は元テクノソフトスタッフが手掛ける3D箱庭アクションシューティングマイナーだがSSユーザーから評価は高い。『七ツ風の島物語』はエニックスSS参入第一弾。こだわり抜いた世界観グラフィックが特徴のアドベンチャーだが、現在までSS以外に遊ぶ手段がない。『グランディア』はPSにも移植されているものの、やはりSSRPGのと言えばこれだろうことで選出。『ソロクライシス』は同じクインテットの『アクトレイザー』のシミュレーションパートを膨らませたようなゲームミニにはこういうマイナーゲーが一つくらい入ると予想。『センチメンタルグラフティ』は発売前に一大旋風を巻き起こした恋愛アドベンチャーSSの一大勢力だったギャルゲーが不足気味なのでここで補充したい。『リンダキューブ 完全版』はPS版より後発だったおかげで完全版として発売された。『レイディアントシルバーガン』はトレジャーの傑作シューティングだが、実機以外では『ガーディアンヒーローズ』と同じくXBLAでの配信にとどまる。

『街』、『クロス探偵物語』、『カルドセプト』、『ソウルハッカーズ』、『サンダーフォースV』、『シルエットミラージュ』はPS版にバージョンアップ(諸説あり)を含む移植版が発売されたため優先度が大幅に低くなる。

実現は難しいけど実現したら嬉しいタイトル

だいたいは権利関係で面倒くさそうなやつ。『セガラリー・チャンピオンシップ』はセガ公式サイト掲載されているアーケード版のプレイ画像Castrolロゴにボカシがかけられている。 → https://sega.jp/history/arcade/uploads/2019-01-03_ss01_segarally-1-1.jpg 。でもPS2には移植されてる。

バーチャコップ』はブラウン管ではないため再現不可能

2021-11-12

anond:20211111183136

93年のカラープリンタなら多分まだ熱転写方式だったか写真プリントアウトするには画質的に無理だったでしょうね。あれは書類資料を作る時に使うもので、色分けした図やグラフを出すためのものにすぎなかった。

それはさておき、あの頃の月刊アスキーレビュー記事は良かったね。僕は91年に熱転写カラープリンタ製品比較記事の載ったアスキーを買って機種選びに役立てたのを思い出したよ。

2021-08-21

anond:20210821145940

rifle emojiで検索しても単体絵文字はなかったがAA(そういえば二バイト文字アスキー文字列に含まれないのでは・・・?) https://emojicombos.com/assault-rifle があった

─╤╦︻👴

よく出来ている


猟銃にスコープがあるのはおかしいと思ったので変更しました

2021-06-10

FINDERSの記事

この前薬物検出ストロー記事ロケットニュースの焼き直しだったので、アスキー古川さんのインタビューもまた焼き直しかなと身構える。

2021-02-11

最近、「ゲーミング片手キーボード」が流行ってるらしいけど、昔アスキーグリップってあったよね。ダビスタとかを片手でやるための。

2021-02-04

1900年代のアスキーの256倍シリーズ文法ですでに存在してた気がするけど…

2020-11-14

素晴らしくなるはずだった今日

 私は非常に気分を損ねていた。

 帰りついた自宅の駐車場に車を停めて、運転席の背もたれをうんと倒し、不貞腐れて仰向けに寝転がっていた。

 朝、私は今日を素晴らしい日にしてやろうと息巻いていた。

 喫茶店サンドイッチを食べ、たっぷりコーヒーをちびちびと舐めながら、窓際で日向ぼっこをしよう。その為にもお気に入り目玉焼きシャツを着て、人に会う予定もないのに化粧をして、車通りの少ない道をゆっくり走っていこう……。そうやって幸せの逆算をしながら、あらゆる準備を嬉々として行っていた。

 目当てだった喫茶店は混んでいたので諦めたが、いくらか離れた元酒屋のそこは空いていた。カフェスペースに先客はおらず、そっと床板を軋ませるのは、なんとも言えない優越感があった。注文が届いてからマスクを外す。なんともいい匂いだ。ピザトーストは分厚くもっちりとして、確かな食べごたえでもって私を満足させた。

 ナイフフォークを用いてピザトーストを切り分けている間、三人連れの女性客が入ってきた。やや離れた席に座った彼女たちは主婦友達らしく、子どもの話やなんかで盛り上がっている。店内のラジオと合さって、程よい午後の気だるさを演出していた。

 デザートコーヒーが運ばれてくると、プリンは直径10cmほどのボウルにたっぷりと入っていて驚いた。甘くざらついて飴がけになったそれもまた、なかなか気に入った。

 半分ほど残したコーヒーを冷める前に飲んでしまうべきか、時間をかけて舐めているべきかで悩んでいると、今度は三人連れの若い男性客が入ってきた。灰皿はないか店員に声をかけて、禁煙から外でどうぞ、マスク飲食が始まるまで外さないようになんて言われている。

 彼らは私の隣の席に座ってお喋りを始め、もう向こうの主婦の声も、ラジオの音も聞こえなかった。許容できない距離人間が増えたのが不快で、私はマスクをつけた。こうなってはのんびりとコーヒーを啜っているより、さっさと飲みきって、それから自分世界に閉じこもってしまうのがいい。そう思って一度つけたマスクをずらし、コーヒーを飲み切る。マスクを戻して背もたれに体重をかけた。

 若い男性客が言った。

一口飲む間だけマスクをずらして、すぐに戻す人はこの辺りじゃ初めて見た」

 私は眉を寄せ、それから絶望した。なんだこの躾のできていない男は。こんな人間のたった一言で、素晴らしくなるはずだった私の一日は台無しにされなければならないのか!

 男性客たちをひと睨みするが、気にした様子もない。うんざりして頭を抱える。ほんの一分、もしかしたら十五秒、忘れようと目を瞑ったがとても無理だった。不機嫌なまま立ち上がり、ごつんつんと踵を響かせてカフェスペースを出る。会計をしたが、そのまま店を出ていくのは悔しかった。

 酒屋と雑貨屋の合わさったようになったスペースをぐるりと回って、何かいものがないか探し出す。地下にワイン蔵があるのは知っていたが、ワインはあまり飲まないので降りていくのはやめた。ウイスキーと迷ったが、冷蔵ケースに珍しいビールが並んでいたので、二種類選んで買った。今日ではないがそのうち、餃子つまみにこれで晩酌をしようと決めた。その瞬間ばかりは心が晴れたが、すぐに曇ってしまった。

 予定よりも早く店を出て、帰路を辿る。本当なら服屋にも寄りたかったが、もうすっかり気持ち萎えしまって向かう気になれなかった。

 いつまでも腹が立って、悔しかった。全く不躾な男だ。あんなやつは新型の病気とは言わないから、インフルエンザにでもかかって一ヶ月ばかり寝込んでしまえ。そして金輪際喫茶店になんて近寄らず、自宅で駄菓子つまみ発泡酒でも飲んでいればいい(私は普段そうやって酒を飲むことが多いので、別にそれが粗悪だなんて思ってはいないが)。なぜ笑われなければならないのだ。なぜあんなしょうのないことが気になって仕方ないのだ。どうしてこんなに打ちのめされなければならないのだ!

 どこか公園にでも寄ろうかと思ったがやはり気が向かず、結局帰ってきてしまった。家に入る気にもなれずに、車の中に寝転がる。この空間には私一人だけだ。私をおびやかすものは何もない。本当はそういう安心感を、どこか外の世界で味わいたかった。孤独や悲しさが溢れて流れていった。

 このままで今日を終えるなんてとてもできない私は、日記を書くことにした。この自分勝手で、被害妄想的で、矮小で、傷ついた気持ちを、どこか遠くに追いやりたかった。それはそう、どこか私小説と呼ばれる物に似ている気がした。

 日記を書き終えると、ずいぶん心が穏やかになっていた。今日という日が私の頭を離れて、このたかだか二千字足らずに収まっている。この出来事はもう、私から切り離された私以外の何かで、私の興味を引くに値しないものだった。

 しかし、ここまで真面目に書いたら誰かに見てもらいたい。閲覧数がいくらかついたら報われるし、私を擁護してくれる人がいるかもなんてスケベ心も湧いてくる。くだらないと言われれば古より伝わる「嫌なら見るな」のアスキーアートを心の中に貼り付けよう。そう考えて、私は投稿ボタンを押した。

 蛇足ながら、今日という日は結局、素晴らしくもなければ最低でもなかった。スマホいじって寝ますありがとう

2020-11-04

anond:20201104193525

さすがに何かのオフ会でもないのにリアル世間職場や街中で

2ちゃん用語をしゃべる奴はそうそういなかったと思うよ

俺の書き方が悪かったが、ネット世間2ちゃんマネ全盛だったのは

正確には2001~2005年ごろだな

1フロア100人ぐらい働いてる少し大きめのIT企業に出向してたが

IT企業なら20~30代社員職場内の日常会話で平然と2ちゃん用語使うし

インプレスアスキーなんかがやってた建前上は真面目なネットニュースも

隙あらば平然と2ちゃん用語AAを織りまぜて内輪ウケを狙ってたし

2001年にひろゆき2ちゃん経営赤字だと大ウソをついて

オークションサイトの「ビッダーズ」に運営権を出品して

あとから出品は「ネタ」でしたと明かしたとき

なぜかほとんど批判する奴はおらず

ネタなんだから引っかかる方がバカと言う方が頭がよい人みたいな空気だった

……いや俺も2ちゃんの一部のスレは楽しんでたけどさ

ここまで2ちゃん万歳一切無批判みたいな空気はさすがに変じゃないかと思ったよ

別に2ちゃん自体がどうのこうのというより、ネット世論の中心が1つの媒体

固定されてて、SNSがまだ多種多様化してなかったゆえの息苦しさだ

皆が同じ物を楽しんでた時代を懐かしむ人もいるし、それを全否定はしないが

個人としては適度に分散住み分け意見対立してる方が健全に思える

2020-10-27

都心周辺で育った貧乏人だけど、地方出身貧乏人は不利(追記あり

追記ここから

ごめんね、わかりづらかったね。

推敲全然足りなかった、反省してる。

  • 私は裕福でない家庭に生まれたため、ある種のハンデがあった。
  • しかし、都心周辺に育ったために、ありあまる恩恵を受けた。
  • 都心近くの町で育っていなかったら、たいして勉強で突出した能力を持っていない私の人生もっと違ったものになっていたと考えている。

ここで殴り書きしているのはそんな話。

ついでに言えば、地元から身一つで出てきている人たち尊敬している。

本来持っている能力を皆が発揮できるような世界に少しでも近づけていけたらいいな、と心から思っている。

追記ここまで】

 

私は裕福でない家庭に生まれ横浜の片隅にある ちょっとお上品な町で育った。

都心近くに育った私から見ても、やはり地方出身(と貧乏人)は不利だと思う。

 

環境

 今でも私の家系には大学出身者がいない。私が唯一の例外だ。

 一般的に身近に大学出身者がいないことは、その人の人生に不利に働くもの

 だが、横浜の片隅にあり、比較的裕福な家庭の多く住む新興住宅地で幼少期を過ごしたことは、明らかに私の人生に良い影響を与えた。

  • 育った町

 小学校クラスは40名の大所帯。

 そのうち、上位5名ほどは中学受験をする人たちで、彼らは周りからちょっと浮いた存在だった。

 クラスの上位ではあるものの学年トップグループというわけでもない、少し勉強のできる目立たないグループに私は所属していた。

 

■町から受けた良い影響

ずば抜けて勉強ができたわけでもない私が、この町から受けた良い影響を列挙してみる。

 

習い事

 

学習教材

 

平和空気

 

パソコンマイコン)のブーム

※当時はマイコンと呼ばれていた。

 熱心なコンピュータファン小学生お年玉をはたいてエントリーモデル(7~8万円)を買い、

 裕福な家の小学生は親にビジネスにも使える標準機(一式で50~60万円)がプレゼントされた。

 

大卒ロールモデル

アスキーに載っていた先駆者たちの話に影響を受けた。AppleMicrosoftASCII創業の話など。

 プログラムかいて、大学中退して、会社を興すような人生にあこがれていた

 

結論

町の環境は、私の人生に良い影響を与えた。

 

■余談(大学卒業就職のあと20年経過して)

私は特別優秀な人間ではなかったが、町の人、家族、友人に恵まれていた。

家庭を作らない人生を選んだこともあり、今は親族の子どもたちの進学や就職支援している。

 

また仕事においては、IT業界中途半端マネージャーとして、

 - 技術は優秀だが、アピールが下手なITエンジニアたちの支援

 - 学習の機会に恵まれなかったITエンジニアトレーニング

 - 彼らが悪い境遇に陥ることがない程度に収益をあげる

といったことに精を出している。

うちのITエンジニアが「この会社にいてよかった」と思ってくれるような場所を作ることが、私の生きがいとなりそう。

 

私のような者にとっては、授かった幸運、受けた恩を周囲に返していく生き方は悪くない道のはずだと考えている

anond:20201027093705

2020-06-26

ガジェットメディア仕事捗る系の記事サラリーマン業務にあっている人いるの?

ITmediaインプレスアスキー日経、その他のメディアで、仕事捗るといった記事がある。

iPadスマホWebサービス使うといった記事だ。

フリーランスの人はいいかもしれないが、サラリーマンだと利用できなくないだろうか。


一例をあげると、DeepLが優秀だからといって少し利用したいといってもできないよね。

2020-06-19

75年生まれの俺を作ったゲーム10本を全力で紹介する

そういうわけで、1975年まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。

それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。

パックランド1984/AC/ナムコ

俺にとっては、ヴィデオゲーム魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。

結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。

今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。

カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク大学生たち)でひしめきあい

当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。

忍び込むようにして入ったこゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。

パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。

キャラクターBGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。

消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。

それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。

ポートピア連続殺人事件(1985/FC/エニックス

もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、

ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、

中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。

犯人はヤ●」は、個人的にはたいした問題じゃない。

推理小説よりもゲームブックよりも面白い推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。

シナリオ堀井雄二/制作チュンソフトゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。

本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。

けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である

ドラゴンクエスト(1986/FC/エニックス

ポートピアと初代ドラクエ記憶が地続きになっている。

子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。

プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。

作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体UIポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。

そしてエンディングスタッフロールでは母親の前で号泣した。

そういえば、ここに挙げたゲーム殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。

それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲーム凄さによるものだったのかは知らん。

ウィザードリィ(1987/FC/アスキー

通称ウィズ」。

ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。

RPG」というジャンル/概念意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。

種族職業キャラメイク、鑑定しなければ不明アイテム

「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか

もろ鳥山明ドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター末弥純デザイン)たちに慄いた。

寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。

ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。

おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。

あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、

バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律羽田氏ならでは。

タイトル画面、カント寺院キャンプBGM永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。

MYST(1994/SS/サンソフト

当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。

当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードファミマバイトして購入した。

膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。

トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。

インターネットなき時代に本作を自力クリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。

ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。

ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。

風来のシレン(1995/SFC/チュンソフト

つい最近まで「自分ローグライクゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。

が、結局、初代シレンが好きだったのだという結論に落ち着く。

当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。

タクティクスオウガドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、

朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲーム自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。

後期SFCらしい完璧ドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作UIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、

ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。

手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。

フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。

中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜

moon(1997/PS/アスキー

思うところありすぎて、何を書けば良いのか困ってしまう。

「昨年ついにSwitch配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから絶対やっとけ!!!

それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。

数多の熱狂ファン批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。

俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である

あるいはクラブカルチャーサブカル世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM

本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。

人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物

でも、だからこそ『moon』はゲーム以外の何ものでもない。

もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。

すまん、自分でも何言ってるかわからんくなってきた。

CONTINUEYES.

ゼルダの伝説 時のオカリナ(1998/N64/任天堂

世代的にゼルダディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。

神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。

正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。

あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからクローズドワールド結構

時オカだけが俺にとってとくべつなゼルダである

なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームから

BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。

エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。

夕暮れ時、ロンロン牧場マロンちゃんオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。

L.O.L(Lack of love)(2000/DC/アスキー

moonディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。

moon』が作り出したうずたか第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。

エンディングはいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後ゲーム)。

坂本教授BGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。

内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。

ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)

おまけにリメイクアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。

だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲーム趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。

とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。

しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。

スプラトゥーン(2015/WiiU/任天堂

本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。

本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。

そしてそのアオハルは俺を(おそらく)最後に「再構成」した。

それまでスタンドアローンしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘しか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。

その体験は視界を塗り替え、時間感覚刷新し、現実異化した。

これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMSしか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。

『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。

あの頃、夢中になって1日中プレイしてたイカ中毒者なら、

汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。

※※※※※※※※※※

俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝

何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。

※※※※※※※※※※

追記

まさかホッテントリ入りしてたので追記

ブコメ全部読みました。

こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事ゲームの思い出とか括りでは語れない気持ち排除するみたいで、

あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、

ブコメで多くの世代の皆さんを作ったゲームを知れて(知らなかったゲーム、やりたかったゲームがたくさんあった。やる)、

思いきって書いて良かったと思えた。心から感謝

剣呑な現世界だけど、みなさんと俺がこれから面白いゲーム出会える世界でありますように。

2019-10-26

anond:20191025153925

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88

ワンダビットは、アスキー出版(現エンターブレイン)より刊行パソコンゲーム雑誌ログイン』に連載されていた漫画家島本和彦漫画短編集。全4巻。自称『熱血SF短編集』。

”『これが正義だ!!』

悪の組織「グッドラック」によって、とある科学者が殺された。しかし、その息子は「燃える正義バーニンガイ」に改造されたおかげで生き残り、怪人ホウカミキリを倒す。「両親の敵は必ず討つ!」そう宣言したガイの前に、別の正義ヒーロージャングルJ」が現れ、「個人復讐で『正義』を名乗るな」と言い放つ。やがて、それぞれの動機と敵を持った正義ヒーローが次々と現れ、『正義』の定義が揺らぎ始めるのだった……。”

https://ameblo.jp/blueniceday/entry-10832934203.html

2019-02-25

anond:20190223234827

水玉 蛍之丞「こんなもんいかがっすかぁ まるごと! 」

雑誌ネットワーカー」「EYE-COM」に掲載されたイラストを多数新規収録します。

▼収録内容

1990年代パソコン情報誌アイコン」に連載したイラストエッセイ1990年代、各会社ごとにOS全然別だったり、ハードディスク外付けが贅沢品だったり、MSXX68KやTOWNSやAmigaレイトレなどなど、今から見れば「夢のような?」パソコンあるあるネタパロディ交えて描く、当時の文化を知る上でも重要資料。全256ページ、そのうちカラー28ページの豪華仕様

※本作品は、1992年アスキーから刊行された『こんなもんいかがっすかぁ』と、1994年アスペクトから刊行された上・下巻を底本に、新規イラストを加え、新編纂した新装版です。

雑誌ネットワーカーじゃなく「Networks」だったような💦

2019-02-08

アスキー提灯記事でできている

アスキー編集長の書いたnote燃えている。

記事はもう読めなくなっているけど、魚拓があった。

https://megalodon.jp/2019-0207-1339-15/https://note.mu:443/ibisaotani/n/n51035d4cf948

この人がどんな記事を書いているか調べたら、これ書いた人らしい。

http://ascii.jp/elem/000/001/738/1738515/

Webメディア広告予算を使う気もない会社しかニュースバリューも低い会社取材する義理はない」のだそうだ。

要するにカネがない会社のことは書いてやんないよん、ってこと。

え?ユーザーメディア自分の味方だと思っているから、メディアを信用するんだよね。

でもこの人みたいに企業の側だけ見て記事を書いていたら、メディアはいらないし、実際そうなってきているよね。

技術情報ならQiitaとか、暇つぶしならそれこそnoteを読めばいいわけで。

誰も読まない自称メディア編集長に「金持ってるなら記事にしてやるよ」なんて上から目線で言われて喜ぶ人なんているんだろうか。

からツイッターで「これはメディアの死」だって書いてあったけど、むしろ自殺だと思う。

2018-12-11

Beep音の思いで

古いPC対応アプリケーション製作中、Beep音を出力する必要に迫られた。

アスキーコード0x07を出力するだけなのだが、鳴らない。

1発じゃ短すぎてならないのかと思って、何発も出力してみたが鳴らない。

デバッグがここで止まってしまった。

幾らソース見直してみても、理論的に間違っているところは勿論、エラーが見つからない。

サウンドカードインストールされていないPCだが、Beep音だけは出力できる仕様であることは確認済みだ。

暫くすると、しょうがいかBeep音無し、メッセージのみで良い事になってしまった。

それでこのアプリ製作は終了した。

ハードウェアパフォーマンスの低さにソフトウェア仕様を合わせた形になった。

とても悔しかった。

恐らく、なんでもないちょっとした使い方の問題のはずなのだが、どうしても解決できない。

その時はハードウェアの不良や故障は考える余地はなかった。

月日は経ち、古いPCの事は忘れてしまっていたのだが、或る時中古ショップでそれと同等のPCを見かけた。

それを見て愕然とした。

Beep音の音量を調整するボリュームつまみ発見たからだ。

フレームの端の方に小さなボリュームつまみが格納されていた。

ギザ十の様な、ローレット加工された円筒形の一部だけが露出されたつまみが、

外部からは見えづらい位置に取り付けられている。

「これが有ったのかー!?

きっとあの時PCは、「ボリュームゼロで鳴り続けてるんだってばー」と叫び続けていたに違いない。

今更どうにもならない、ハードウェア仕様もっと確認しておくべきだった。

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