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2024-03-09

漫画賞の賞金の変わりなさ

訃報を受けて鳥山明漫画家デビュー時の鉄板である無職の時に賞金100万円につられて漫画賞に応募」というエピソードニュースで取り上げられていた。

鳥山明漫画賞に応募したのは1978年最低賃金が300円台の時代から100万円は非常に夢のある金額だっただろう。

から鳥山明のようにイラストレーターとしてどこにでも再就職できるだろう才能も漫画に集まったのだ。

そこから2024年まで40年間以上、漫画賞の賞金額はずっっと変わらず100万円維持。

今は出版社不景気から仕方ないけど、ジャンプ黄金期90年代前半も100万円から変わってなかった気がする。

90年代前半と言えば、アスキーツクール作品コンクールで1000万円という破格の賞金をつけていた時代でもあったのに。

2024-02-20

Groqについて

数年前は、TSP(Tensor Streaming Processor)と呼んでいたが、LPU(language processing unit)と名前を変えた?

数年前のチップをそのまま使い続けているかからないが、同じならアーキテクチャは4年前のユーチューブを見るか、アスキーあたりの記事にある。

https://youtu.be/UNG70W8mKbA?si=9VFeopAiPAdn08i_

要は、コインパイラで変換が必要。なので提供されているLLMモデルが限られている。


SRAMを240MB(230MB?)しかない。

PCIeボードが400万くらいらしいが、SRAMの容量が小さすぎて1ボードでは動かない。

DRAMレイテンシSRAMではないので早いのだ、という意見も見られてたが、

1チップSRAM容量が小さすぎるので、チップチップ間、ボードボード間の通信レイテンシは必ずあるはず。

(数ヶ月前から性能上がっているのは、このあたりのチューニングのはず)

DRAMレイテンシというが、これも今どきはレイテンシ気にしないように隠蔽するはず。

チームが小さすぎてハード作れなかった可能性もあるが・・・。DMACでチューニングしているか


ボードにでかいDRAMが載せられるのであれば、そちらの方がボードボード間の通信時間より減るのでは?


グローバルファウンドリ14nmで既に1ボード250Wほど。

GF使ったのは、おそらくAMD設計者が居たからでは。デザインルールどこ破れば性能でるかある程度わかってたとか。1GHzくらいなのは知見なしでやってるとそれくらいで上限くるのはそうだと思う。

チップ世代更新するかはわからないが、兎にも角にも電力下げて、チップ大量に載せて、チップチップ間の通信時間を下げられるか。

2024-02-04

フェミニストには人権インターネット理解できないらしい

フェミニストはまず怒ることより、証拠根拠もなく、人権侵害とか加害者とか言いすぎ。そんなもの人権でもないし怒りでもないし、正当でもない。

さらにどこかもわからないところに通報しすぎ。釣りであってほしいですが……

りんご

@chuka33333

この2匹が日本の癌で加害者で間違いないので、インターネット上層部の知り合いに報告しました。

人権を大切にしたい人はブロック推奨

@bakanihakaten35

@mdriiiii333333

https://archive.md/N5aC8

すがやみつる

@msugaya

インターネット上層部」という言葉寡聞にして知らなかったので、突然に知って驚いています

 日本インターネットにおける人間関係フラットでないのは、結局は、日本社会構造がそのまま持ち込まれいるからなんでしょうね。日本では、パソコン通信が始まった頃、これが民主化切り札になると期待した人も多くいましたが、結局は、民主化どころか閉塞化と断絶化が進んでいる感じです。

 添付した画像1986年上梓した『実戦! パソコン通信』という本に書いた文章です(アスキーの「MSXマガジン」に連載していた文章を中心にまとめたもの)。のどかだったといえばのどかでした。ユーザーも少なかったので。

 まだネットワークに夢を見られた時代だったのかもしれません。でも、ネット生活が4月で40年目に入りますが、新しいテクノロジーが次々と登場してくるので、いまだにワクワクしていますよ。

 ちなみに『実戦!パソコン通信』は、マンガ図書館Zで無料で読めますマンガも入っていますので、よろしければお読みになってみてください。Amazon Kindle読み放題などにも入っています

https://x.com/msugaya/status/1753976438758490373?s=20

疑惑が大きい

からさん⭐D𝕏-MEN

@karasan_itips

2月3日

ハーバード大学法学部卒の友人

オックスフォード大学で教鞭を執るアメリカ在住の先輩

銀座超高層ビル50階の一流レストラン

インターネット上層部の知り合い ←🆕

流石にここまで来ると

ツッコミ待ち釣りなのか?)

と疑ってしまう😅

https://x.com/karasan_itips/status/1753623015114621217

Akso de la Malbono

@Cryolite

2月3日

インターネット上層部(ここが壊れると「インターネットが壊れたの!!」になるもの)一覧

ふき【「生きる意味の正体」の解説サイト運営中です】

@FKI_I

2月3日

★『インターネット上層部』というトレンドを見て、「世界を牛耳る巨大権力のような名称だけど、実際はプロトコル階層とかの事なんやろな😉」と元ツイ見に行ったら、本気で「世界を牛耳る巨大権力」のような使い方をしてる真性だったので背筋が凍る…😱

これが『ツイフェミ』の脳のレベルか…🤔

フェミニスト全員です。一人の例外もいません。

🦙🦙藤原@かみら🦙(アルパカ社長)

@Racer_Kamira

19時間

インターネット上層部

ああ、たぶん権威DNSサーバだよ

ここを管理している人に連絡したんじゃないか

https://nic.ad.jp/ja/basics/beginners/dns.html

あそこで拒否されるとドメイン名引けなくなるから

とは言え、その知り合いに報告した所で「それはAPに言ってもろていい?」言われて終わりだと思うけど

2023-12-12

アスキーwebサイトで生成AIを褒めまくる記事たくさん書いてるデジハリ大の先生、思い切り生徒の進路狭めてるんじゃないか

2023-09-12

[] そのななひゃくはちじゅうさん

アスキーッス

 

本日日本においては宇宙の日、とっとり県民の日、秋のメープルもみじの日、水路記念日クイズの日となっております

クイズの日からといってクイズを出せる程器用な生き方をしておりませんが

ですがクイズに悩みながら解答していると脳の使ってない部分が動いてるような気にもなっていいかもなぁと思わなくもないです。

まぁ勿論、そういうのはめんどくさいのでやめてほしいという人が居るのも理解しております

クイズ番組よりも現実の方が答えの無いクイズを出題され続けますね。

勝手にそう勘違いしてるだけかもしれませんし、答えもどこかに明示されてるかもしれませんし、そうやって明示された答えから目を逸らしてるだけかもしれませんが。

 

ということで本日は【手紙確認いか】でいきたいと思います

手紙確認いか手紙確認ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-04-01

4月オールラッキーデイズ

毎年6月24日8月6日不謹慎だ叫ぶ人々や、3月11日を「何らかの記念日だし普通の日とすべき」と書かれたアンサイクロペディア、これら全てに怒りを感じたので増田は何ならそういう日の幸福な側面を扱ってやるというリスト作りました

それがオールラッキーデイズ(All lucky days)です

4月

他の日付

最後

  • ヒント

今日は何の日か分かってるよナ

本番は翌日に発表するゼ

2022-10-24

anond:20221024181603

アスキーではないが、バイナリーでもないってこと。

だいたい、UTF-8と思えばOKだけど、意外とBOM付きUTF16の可能性がある。

2022-08-27

Twitterアスキーがすのこタンについて書いてて

懐かしさで遠い目なっちゃった🐈すのこタン

2022-08-26

ノンバイナリーってよく分かんないよな

バイナリーじゃないならアスキーなの?

2022-08-19

スタパ齋藤のことをずっとスタバ齋藤だと勘違いしていた

デジタルガジェットレビューを書いてる人

スターバックス齋藤の略だとてっきり……

じゃあスタパってなんやねん

ペンネームの由来

スーパーさんざっぱら」の略であり、「超~」という意味造語。ただしスタパの「タ」がどこから来たのかはわからない。中学の頃にスタパ齋藤の友人数名が身内のみで使用していた言葉であった。アスキー時代に初めて記名記事入稿する際に、とりあえず付けた「スタパ齋藤」という名前が定着してしまい、現在に至るまで使用している。

なんじゃそりゃ

2022-07-24

今のひろゆきの嫌いなところ

もううまい棒食ってなさそうなところ

牛丼おかわりしてアスキーの人にブチギレられてたひろゆきはもういない

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

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