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2021-06-10

FINDERSの記事

この前薬物検出ストロー記事ロケットニュースの焼き直しだったので、アスキー古川さんのインタビューもまた焼き直しかなと身構える。

2021-02-11

最近、「ゲーミング片手キーボード」が流行ってるらしいけど、昔アスキーグリップってあったよね。ダビスタとかを片手でやるための。

2021-02-04

1900年代のアスキーの256倍シリーズ文法ですでに存在してた気がするけど…

2020-11-14

素晴らしくなるはずだった今日

 私は非常に気分を損ねていた。

 帰りついた自宅の駐車場に車を停めて、運転席の背もたれをうんと倒し、不貞腐れて仰向けに寝転がっていた。

 朝、私は今日を素晴らしい日にしてやろうと息巻いていた。

 喫茶店サンドイッチを食べ、たっぷりコーヒーをちびちびと舐めながら、窓際で日向ぼっこをしよう。その為にもお気に入り目玉焼きシャツを着て、人に会う予定もないのに化粧をして、車通りの少ない道をゆっくり走っていこう……。そうやって幸せの逆算をしながら、あらゆる準備を嬉々として行っていた。

 目当てだった喫茶店は混んでいたので諦めたが、いくらか離れた元酒屋のそこは空いていた。カフェスペースに先客はおらず、そっと床板を軋ませるのは、なんとも言えない優越感があった。注文が届いてからマスクを外す。なんともいい匂いだ。ピザトーストは分厚くもっちりとして、確かな食べごたえでもって私を満足させた。

 ナイフフォークを用いてピザトーストを切り分けている間、三人連れの女性客が入ってきた。やや離れた席に座った彼女たちは主婦友達らしく、子どもの話やなんかで盛り上がっている。店内のラジオと合さって、程よい午後の気だるさを演出していた。

 デザートコーヒーが運ばれてくると、プリンは直径10cmほどのボウルにたっぷりと入っていて驚いた。甘くざらついて飴がけになったそれもまた、なかなか気に入った。

 半分ほど残したコーヒーを冷める前に飲んでしまうべきか、時間をかけて舐めているべきかで悩んでいると、今度は三人連れの若い男性客が入ってきた。灰皿はないか店員に声をかけて、禁煙から外でどうぞ、マスク飲食が始まるまで外さないようになんて言われている。

 彼らは私の隣の席に座ってお喋りを始め、もう向こうの主婦の声も、ラジオの音も聞こえなかった。許容できない距離人間が増えたのが不快で、私はマスクをつけた。こうなってはのんびりとコーヒーを啜っているより、さっさと飲みきって、それから自分世界に閉じこもってしまうのがいい。そう思って一度つけたマスクをずらし、コーヒーを飲み切る。マスクを戻して背もたれに体重をかけた。

 若い男性客が言った。

一口飲む間だけマスクをずらして、すぐに戻す人はこの辺りじゃ初めて見た」

 私は眉を寄せ、それから絶望した。なんだこの躾のできていない男は。こんな人間のたった一言で、素晴らしくなるはずだった私の一日は台無しにされなければならないのか!

 男性客たちをひと睨みするが、気にした様子もない。うんざりして頭を抱える。ほんの一分、もしかしたら十五秒、忘れようと目を瞑ったがとても無理だった。不機嫌なまま立ち上がり、ごつんつんと踵を響かせてカフェスペースを出る。会計をしたが、そのまま店を出ていくのは悔しかった。

 酒屋と雑貨屋の合わさったようになったスペースをぐるりと回って、何かいものがないか探し出す。地下にワイン蔵があるのは知っていたが、ワインはあまり飲まないので降りていくのはやめた。ウイスキーと迷ったが、冷蔵ケースに珍しいビールが並んでいたので、二種類選んで買った。今日ではないがそのうち、餃子つまみにこれで晩酌をしようと決めた。その瞬間ばかりは心が晴れたが、すぐに曇ってしまった。

 予定よりも早く店を出て、帰路を辿る。本当なら服屋にも寄りたかったが、もうすっかり気持ち萎えしまって向かう気になれなかった。

 いつまでも腹が立って、悔しかった。全く不躾な男だ。あんなやつは新型の病気とは言わないから、インフルエンザにでもかかって一ヶ月ばかり寝込んでしまえ。そして金輪際喫茶店になんて近寄らず、自宅で駄菓子つまみ発泡酒でも飲んでいればいい(私は普段そうやって酒を飲むことが多いので、別にそれが粗悪だなんて思ってはいないが)。なぜ笑われなければならないのだ。なぜあんなしょうのないことが気になって仕方ないのだ。どうしてこんなに打ちのめされなければならないのだ!

 どこか公園にでも寄ろうかと思ったがやはり気が向かず、結局帰ってきてしまった。家に入る気にもなれずに、車の中に寝転がる。この空間には私一人だけだ。私をおびやかすものは何もない。本当はそういう安心感を、どこか外の世界で味わいたかった。孤独や悲しさが溢れて流れていった。

 このままで今日を終えるなんてとてもできない私は、日記を書くことにした。この自分勝手で、被害妄想的で、矮小で、傷ついた気持ちを、どこか遠くに追いやりたかった。それはそう、どこか私小説と呼ばれる物に似ている気がした。

 日記を書き終えると、ずいぶん心が穏やかになっていた。今日という日が私の頭を離れて、このたかだか二千字足らずに収まっている。この出来事はもう、私から切り離された私以外の何かで、私の興味を引くに値しないものだった。

 しかし、ここまで真面目に書いたら誰かに見てもらいたい。閲覧数がいくらかついたら報われるし、私を擁護してくれる人がいるかもなんてスケベ心も湧いてくる。くだらないと言われれば古より伝わる「嫌なら見るな」のアスキーアートを心の中に貼り付けよう。そう考えて、私は投稿ボタンを押した。

 蛇足ながら、今日という日は結局、素晴らしくもなければ最低でもなかった。スマホいじって寝ますありがとう

2020-11-04

anond:20201104193525

さすがに何かのオフ会でもないのにリアル世間職場や街中で

2ちゃん用語をしゃべる奴はそうそういなかったと思うよ

俺の書き方が悪かったが、ネット世間2ちゃんマネ全盛だったのは

正確には2001~2005年ごろだな

1フロア100人ぐらい働いてる少し大きめのIT企業に出向してたが

IT企業なら20~30代社員職場内の日常会話で平然と2ちゃん用語使うし

インプレスアスキーなんかがやってた建前上は真面目なネットニュースも

隙あらば平然と2ちゃん用語AAを織りまぜて内輪ウケを狙ってたし

2001年にひろゆき2ちゃん経営赤字だと大ウソをついて

オークションサイトの「ビッダーズ」に運営権を出品して

あとから出品は「ネタ」でしたと明かしたとき

なぜかほとんど批判する奴はおらず

ネタなんだから引っかかる方がバカと言う方が頭がよい人みたいな空気だった

……いや俺も2ちゃんの一部のスレは楽しんでたけどさ

ここまで2ちゃん万歳一切無批判みたいな空気はさすがに変じゃないかと思ったよ

別に2ちゃん自体がどうのこうのというより、ネット世論の中心が1つの媒体

固定されてて、SNSがまだ多種多様化してなかったゆえの息苦しさだ

皆が同じ物を楽しんでた時代を懐かしむ人もいるし、それを全否定はしないが

個人としては適度に分散住み分け意見対立してる方が健全に思える

2020-10-27

都心周辺で育った貧乏人だけど、地方出身貧乏人は不利(追記あり

追記ここから

ごめんね、わかりづらかったね。

推敲全然足りなかった、反省してる。

  • 私は裕福でない家庭に生まれたため、ある種のハンデがあった。
  • しかし、都心周辺に育ったために、ありあまる恩恵を受けた。
  • 都心近くの町で育っていなかったら、たいして勉強で突出した能力を持っていない私の人生もっと違ったものになっていたと考えている。

ここで殴り書きしているのはそんな話。

ついでに言えば、地元から身一つで出てきている人たち尊敬している。

本来持っている能力を皆が発揮できるような世界に少しでも近づけていけたらいいな、と心から思っている。

追記ここまで】

 

私は裕福でない家庭に生まれ横浜の片隅にある ちょっとお上品な町で育った。

都心近くに育った私から見ても、やはり地方出身(と貧乏人)は不利だと思う。

 

環境

 今でも私の家系には大学出身者がいない。私が唯一の例外だ。

 一般的に身近に大学出身者がいないことは、その人の人生に不利に働くもの

 だが、横浜の片隅にあり、比較的裕福な家庭の多く住む新興住宅地で幼少期を過ごしたことは、明らかに私の人生に良い影響を与えた。

  • 育った町

 小学校クラスは40名の大所帯。

 そのうち、上位5名ほどは中学受験をする人たちで、彼らは周りからちょっと浮いた存在だった。

 クラスの上位ではあるものの学年トップグループというわけでもない、少し勉強のできる目立たないグループに私は所属していた。

 

■町から受けた良い影響

ずば抜けて勉強ができたわけでもない私が、この町から受けた良い影響を列挙してみる。

 

習い事

 

学習教材

 

平和空気

 

パソコンマイコン)のブーム

※当時はマイコンと呼ばれていた。

 熱心なコンピュータファン小学生お年玉をはたいてエントリーモデル(7~8万円)を買い、

 裕福な家の小学生は親にビジネスにも使える標準機(一式で50~60万円)がプレゼントされた。

 

大卒ロールモデル

アスキーに載っていた先駆者たちの話に影響を受けた。AppleMicrosoftASCII創業の話など。

 プログラムかいて、大学中退して、会社を興すような人生にあこがれていた

 

結論

町の環境は、私の人生に良い影響を与えた。

 

■余談(大学卒業就職のあと20年経過して)

私は特別優秀な人間ではなかったが、町の人、家族、友人に恵まれていた。

家庭を作らない人生を選んだこともあり、今は親族の子どもたちの進学や就職支援している。

 

また仕事においては、IT業界中途半端マネージャーとして、

 - 技術は優秀だが、アピールが下手なITエンジニアたちの支援

 - 学習の機会に恵まれなかったITエンジニアトレーニング

 - 彼らが悪い境遇に陥ることがない程度に収益をあげる

といったことに精を出している。

うちのITエンジニアが「この会社にいてよかった」と思ってくれるような場所を作ることが、私の生きがいとなりそう。

 

私のような者にとっては、授かった幸運、受けた恩を周囲に返していく生き方は悪くない道のはずだと考えている

anond:20201027093705

2020-06-26

ガジェットメディア仕事捗る系の記事サラリーマン業務にあっている人いるの?

ITmediaインプレスアスキー日経、その他のメディアで、仕事捗るといった記事がある。

iPadスマホWebサービス使うといった記事だ。

フリーランスの人はいいかもしれないが、サラリーマンだと利用できなくないだろうか。


一例をあげると、DeepLが優秀だからといって少し利用したいといってもできないよね。

2020-06-19

75年生まれの俺を作ったゲーム10本を全力で紹介する

そういうわけで、1975年まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。

それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。

パックランド1984/AC/ナムコ

俺にとっては、ヴィデオゲーム魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。

結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。

今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。

カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク大学生たち)でひしめきあい

当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。

忍び込むようにして入ったこゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。

パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。

キャラクターBGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。

消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。

それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。

ポートピア連続殺人事件(1985/FC/エニックス

もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、

ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、

中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。

犯人はヤ●」は、個人的にはたいした問題じゃない。

推理小説よりもゲームブックよりも面白い推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。

シナリオ堀井雄二/制作チュンソフトゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。

本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。

けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である

ドラゴンクエスト(1986/FC/エニックス

ポートピアと初代ドラクエ記憶が地続きになっている。

子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。

プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。

作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体UIポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。

そしてエンディングスタッフロールでは母親の前で号泣した。

そういえば、ここに挙げたゲーム殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。

それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲーム凄さによるものだったのかは知らん。

ウィザードリィ(1987/FC/アスキー

通称ウィズ」。

ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。

RPG」というジャンル/概念意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。

種族職業キャラメイク、鑑定しなければ不明アイテム

「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか

もろ鳥山明ドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター末弥純デザイン)たちに慄いた。

寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。

ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。

おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。

あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、

バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律羽田氏ならでは。

タイトル画面、カント寺院キャンプBGM永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。

MYST(1994/SS/サンソフト

当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。

当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードファミマバイトして購入した。

膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。

トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。

インターネットなき時代に本作を自力クリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。

ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。

ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。

風来のシレン(1995/SFC/チュンソフト

つい最近まで「自分ローグライクゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。

が、結局、初代シレンが好きだったのだという結論に落ち着く。

当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。

タクティクスオウガドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、

朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲーム自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。

後期SFCらしい完璧ドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作UIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、

ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。

手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。

フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。

中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜

moon(1997/PS/アスキー

思うところありすぎて、何を書けば良いのか困ってしまう。

「昨年ついにSwitch配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから絶対やっとけ!!!

それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。

数多の熱狂ファン批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。

俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である

あるいはクラブカルチャーサブカル世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM

本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。

人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物

でも、だからこそ『moon』はゲーム以外の何ものでもない。

もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。

すまん、自分でも何言ってるかわからんくなってきた。

CONTINUEYES.

ゼルダの伝説 時のオカリナ(1998/N64/任天堂

世代的にゼルダディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。

神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。

正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。

あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからクローズドワールド結構

時オカだけが俺にとってとくべつなゼルダである

なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームから

BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。

エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。

夕暮れ時、ロンロン牧場マロンちゃんオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。

L.O.L(Lack of love)(2000/DC/アスキー

moonディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。

moon』が作り出したうずたか第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。

エンディングはいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後ゲーム)。

坂本教授BGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。

内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。

ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)

おまけにリメイクアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。

だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲーム趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。

とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。

しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。

スプラトゥーン(2015/WiiU/任天堂

本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。

本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。

そしてそのアオハルは俺を(おそらく)最後に「再構成」した。

それまでスタンドアローンしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘しか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。

その体験は視界を塗り替え、時間感覚刷新し、現実異化した。

これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMSしか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。

『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。

あの頃、夢中になって1日中プレイしてたイカ中毒者なら、

汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。

※※※※※※※※※※

俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝

何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。

※※※※※※※※※※

追記

まさかホッテントリ入りしてたので追記

ブコメ全部読みました。

こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事ゲームの思い出とか括りでは語れない気持ち排除するみたいで、

あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、

ブコメで多くの世代の皆さんを作ったゲームを知れて(知らなかったゲーム、やりたかったゲームがたくさんあった。やる)、

思いきって書いて良かったと思えた。心から感謝

剣呑な現世界だけど、みなさんと俺がこれから面白いゲーム出会える世界でありますように。

2019-10-26

anond:20191025153925

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88

ワンダビットは、アスキー出版(現エンターブレイン)より刊行パソコンゲーム雑誌ログイン』に連載されていた漫画家島本和彦漫画短編集。全4巻。自称『熱血SF短編集』。

”『これが正義だ!!』

悪の組織「グッドラック」によって、とある科学者が殺された。しかし、その息子は「燃える正義バーニンガイ」に改造されたおかげで生き残り、怪人ホウカミキリを倒す。「両親の敵は必ず討つ!」そう宣言したガイの前に、別の正義ヒーロージャングルJ」が現れ、「個人復讐で『正義』を名乗るな」と言い放つ。やがて、それぞれの動機と敵を持った正義ヒーローが次々と現れ、『正義』の定義が揺らぎ始めるのだった……。”

https://ameblo.jp/blueniceday/entry-10832934203.html

2019-02-25

anond:20190223234827

水玉 蛍之丞「こんなもんいかがっすかぁ まるごと! 」

雑誌ネットワーカー」「EYE-COM」に掲載されたイラストを多数新規収録します。

▼収録内容

1990年代パソコン情報誌アイコン」に連載したイラストエッセイ1990年代、各会社ごとにOS全然別だったり、ハードディスク外付けが贅沢品だったり、MSXX68KやTOWNSやAmigaレイトレなどなど、今から見れば「夢のような?」パソコンあるあるネタパロディ交えて描く、当時の文化を知る上でも重要資料。全256ページ、そのうちカラー28ページの豪華仕様

※本作品は、1992年アスキーから刊行された『こんなもんいかがっすかぁ』と、1994年アスペクトから刊行された上・下巻を底本に、新規イラストを加え、新編纂した新装版です。

雑誌ネットワーカーじゃなく「Networks」だったような💦

2019-02-08

アスキー提灯記事でできている

アスキー編集長の書いたnote燃えている。

記事はもう読めなくなっているけど、魚拓があった。

https://megalodon.jp/2019-0207-1339-15/https://note.mu:443/ibisaotani/n/n51035d4cf948

この人がどんな記事を書いているか調べたら、これ書いた人らしい。

http://ascii.jp/elem/000/001/738/1738515/

Webメディア広告予算を使う気もない会社しかニュースバリューも低い会社取材する義理はない」のだそうだ。

要するにカネがない会社のことは書いてやんないよん、ってこと。

え?ユーザーメディア自分の味方だと思っているから、メディアを信用するんだよね。

でもこの人みたいに企業の側だけ見て記事を書いていたら、メディアはいらないし、実際そうなってきているよね。

技術情報ならQiitaとか、暇つぶしならそれこそnoteを読めばいいわけで。

誰も読まない自称メディア編集長に「金持ってるなら記事にしてやるよ」なんて上から目線で言われて喜ぶ人なんているんだろうか。

からツイッターで「これはメディアの死」だって書いてあったけど、むしろ自殺だと思う。

2018-12-25

anond:20181225211030

趣味だと模型系はモデルグラフィックスグランドパワーとか、自転車関係はサイスポとバイクラ。

PC周りだとDOS/Vマガジンとかパワレポとか。スーパーアスキーも読んでたかな。あとCGWORLDとか。

昔は雑誌読まないと本当に情報が手に入らなかったんだよ。

2018-12-11

Beep音の思いで

古いPC対応アプリケーション製作中、Beep音を出力する必要に迫られた。

アスキーコード0x07を出力するだけなのだが、鳴らない。

1発じゃ短すぎてならないのかと思って、何発も出力してみたが鳴らない。

デバッグがここで止まってしまった。

幾らソース見直してみても、理論的に間違っているところは勿論、エラーが見つからない。

サウンドカードインストールされていないPCだが、Beep音だけは出力できる仕様であることは確認済みだ。

暫くすると、しょうがいかBeep音無し、メッセージのみで良い事になってしまった。

それでこのアプリ製作は終了した。

ハードウェアパフォーマンスの低さにソフトウェア仕様を合わせた形になった。

とても悔しかった。

恐らく、なんでもないちょっとした使い方の問題のはずなのだが、どうしても解決できない。

その時はハードウェアの不良や故障は考える余地はなかった。

月日は経ち、古いPCの事は忘れてしまっていたのだが、或る時中古ショップでそれと同等のPCを見かけた。

それを見て愕然とした。

Beep音の音量を調整するボリュームつまみ発見たからだ。

フレームの端の方に小さなボリュームつまみが格納されていた。

ギザ十の様な、ローレット加工された円筒形の一部だけが露出されたつまみが、

外部からは見えづらい位置に取り付けられている。

「これが有ったのかー!?

きっとあの時PCは、「ボリュームゼロで鳴り続けてるんだってばー」と叫び続けていたに違いない。

今更どうにもならない、ハードウェア仕様もっと確認しておくべきだった。

2018-11-28

ネットワークRPGメーカー2000

ネットワークRPGメーカー2000なんてものがあったそうだ。RPGツクールシリーズのようなものか。

https://www.4gamer.net/review/live/nrpg.html

 ネットワークRPGというからには,作成したゲームサーバーにおく必要がある。そのサーバーはどうしたらいいのか。

 この点については心配無用発売元アスキーTECHWinが無料提供してくれる。ゲーム管理運用不要ネットワーク知識もいらない。作成したゲームはNRPGメーカーの専用コマンドを使ってサーバー側へ転送するだけでいい。

 なおロビーサーバは一つで,ゲームごとに用意されることはない(まぁ当然か)。よって実際のプレイは,この共有ロビーサーバアクセスしている不特定多数プレイヤーに対して参加を募り,メンバーが揃ったらパーティを編成,「ゲームデータマネージャ」で希望するゲームダウンロードしてそれを一緒にプレイ……という進行になる。

 ところで,制作されたRPGプレイするだけならば,NRPGメーカーソフト本体不要だ。TECHWinのWebサイトで公開される予定の無料クライアントソフトダウンロードすれば,無料で数々の珍作,名作RPGが楽しめる。

http://www.vector.co.jp/magazine/mysoft/2001/win/game/mw0458_main.html

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/1916/neto.htm

2018-11-08

アスキーすごいなあ

20年前の記事ちゃんととってある。

これからよろしくねー

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2017-11-15

週刊誌記事掲載する新聞社サイトの是非

から「それって新聞ブランド価値下げるだけじゃないの」と思ってたのだけど、新聞社サイトなどが系列週刊誌記事見出しそのままに自社のサイト掲載する行為って考え直したほうがいいと思いますね。

 

朝日新聞デジタル週刊朝日AERA記事を載せたり、毎日新聞サンデー毎日記事を載せたりする行為

ネットで一緒に掲載されていると、何のために媒体編集部を分けているんだって思ってしまう。

 

似たようなところで最近アスキーニュースサイト週刊ダイヤモンド政治記事が載って何だそりゃ???と仰天したことも。

2017-10-16

アスキーツタヤ記事を読んで

TSUTAYA最近やたら閉店している件について

http://ascii.jp/elem/000/001/567/1567589/

ウチの近所のツタヤ、ほんとに少なくなった。

ツタヤって地方本屋レコード店なんかを軒並み潰していってるわけだからツタヤ撤退したらどうなるのか。

自分が育った福岡市中心の天神は、当時何店も書店があり、小学校中学校のころなんて丸一日本めぐりをして過ごしていた。

店頭で偶然手にとって気に入ったものも多い。

そういう出会い文化を生むのかと思う。

きっと同じことはレコード店にもにも言えるのではないか

そう思いついたときに腹が立った。

これはひどい多様化喪失文化破壊だと。

自分は新しい何かに出会うチャンスを潰されている!

しかし良く考えたら、最近では自分ツタヤにすら行くことなアマゾンで買い物してる。

そして文化的出会いにも飢えていない。

なぜだ。

そんな自分が今はどんな方法で偶然の出会いをしているのだろうか?と思い返してみると、ツイッタータイムラインで偶然見かけたマンガのひとコマだったり、リンクが張ってあった筆者ブログきっかけだったり、youtubeで観たプロモーションビデオだったりとか。

なんだ。自分が気がつかないうちに出会い方が変わっていた。

本屋レコード屋が、ネットに変わっただけだ。

来年には平成も終わる。

そりゃ時代も進むよね。

変わることに不快感や不満を覚えるのではなく、新しいことにドキドキしていたいなと思う。

ツタヤ業務形態が変化しても、きっと新しいことが始まるのだと考えよう。

とりあえず、次の休み子供達と六本松の新しいツタヤ移転した少年科学館へ行こう。

きっと新しい体験が待っているはずだ。

2017-10-02

https://anond.hatelabo.jp/20171002230930

昔のアスキー(もう20年以上前になるのかな)ってそういう意味で顔出しとテキストの質のバランス取れてましたね

anond:20171002113359

美人でもないのにしゃしゃり出るライターが嫌い。アスキーのアイツとか。

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