はてなキーワード: 理学部とは
学部によって事情がかなり異なると思います。法学部系であれば、地元公務員では最大派閥です。早慶なんか目じゃありません。教育学部も同じ。文学部系は学者になるのはちょっときびしいので高校の先生をめざしましょう。理学部工学部は学部の勉強では旧帝大と遜色ないカリキュラムが受けられます。しっかり勉強して東大京大の院に行く人も沢山います。駅弁大卒からノーベル賞を取った人が3人もいます。私立大卒からは一人もいません。ただ、少し前に富山の大企業社長が県内出身者は採用しないと発言して物議を醸したことがあります。地元が好きで地元に貢献したいというのは素晴らしいことですが、地元しか知らないというのでは比較対象がないので、成長に限界があります。若いうちにいろんなところに言ってみましょう。その際、東京よりも世界を見てきた方がはるかに勉強になります。東京の若者でも海外に行きたがらない人が増えているので、マウンティング仕返すことも簡単です。海外を経験して視野が広がれば学歴マウンティングなんてどうでもよくなりますけどね。
"実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。"
中高の頃は理学部で宇宙の研究をしたいと思っていたけれど、親戚と、親戚に引きづられた親の強い薦めで資格の取れる薬学部に進学した。果たして結果は、入学したはよいものの留年した上ドロップアウトしかけるなど散々なものだった。意を決して道を変える際にも強硬な反対にあったが、今は割と幸せに暮らしている。
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他の人は善意で自分に助言をしてくれるのかもしれないけど、その選択を自分が主体的に選ばない限り、たとえ成功しても自信にはならない。それに、人によっては、自分の助言に従って他人が成功したときには「私の助言があってこそ」、従わずに失敗したときには「言わんこっちゃない」、従って失敗したときには「お前の実力がないからだ」とうまく使い分けてくる。そういう人は、人が自分で人生を選び取る力を奪い取っていく。
周囲の声に耳を傾けつつ、最終的にしっかり自分の頭で下した選択なら、成功しても失敗してもそれなりの納得はできるものだ。それができるようになるには、幼い頃から自分で物事を決め、チャレンジすることこそが重要だと思う。チャレンジすると言ってもいきなり全人生をかける必要はないし、それに今の時代、失敗してもリスクのほとんどない「お試し」の機会なんていっぱいある。
大学関連ならオープンキャンパスは大学の雰囲気を肌で味わう良い機会だし、もっと踏み込んでみたければ授業に潜ったり、研究室にメールを出して見学させてもらってもいい。そういう機会は、大学に入る前から入ってからも常にある。
たとえそれに自分が向いていなかったり、やりたくないと思ったら、それはむしろ成功の部類だ。なぜなら、今後自分が行くべきでないところを避けることができるのだから。もし大学の先生や企業にメールを送って返って来なかったら?それもリスクゼロだ。返信してこない方は、迷惑でもなんでもなく、ただメールを一瞥して無視しているだけでなんの認知資源も必要としていない。そこが無理なら、他を当たればいいだけのことだ。
こういう「小さなチャレンジ」はやらなくても漫然と人生が過ぎていってしまうし、少しの勇気が必要だけれど、いきなり大学や企業を決めてそこに入ってしまうよりはずっといい。「小さく失敗しろ」という言葉をネットで見たことがある。まったくその通りで、小さい失敗を繰り返す速度が早いほど、人はよい選択ができるようになると思う。
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そして、小さなチャレンジをすることが特に必要な人がいる。それは、「やりたいことしかうまくできない」度が高いような不器用な人たちだ。私も含めて、そういう人ほど本当に自分がやりたいことを探すことが重要で、小さなチャレンジはそのために必須のプロセスなのだ。器用な人ややりたくないこともイヤイヤやってしまえる人は小さなチャレンジなんてしなくても、そこそこ好きな場所でそこそこの働きをして、そこそこの幸せを得られるが、不器用な人にそれは望めそうにない。しかし困ったことに、不器用な人ほど失敗を怖がる。彼らは、小さい頃から人より沢山失敗を繰り返さざるを得なかったし、周囲の人に理解がなければその分怒られ続けただろうから。
だから、これを読んで失敗を怖がっているような若い人がいたら、ぜひ失敗を責めるような人から(少なくとも精神的には)離れる方法を見つけて、小さなチャレンジをしてほしい。もし大人になってしまった人が読んでいても、まだ遅くはない。大きなチャレンジはリスクが大きいけど、小さなチャレンジは生活を壊さずにトライできる。そして、自分の子供が不器用なら、「どんどん失敗しなさい、けれどいきなり全てを賭けるのではなく、小さく試しなさい」と教えてあげてほしい。
理学部目指してるっていう噂だったけど、まだ受け続けているのかな。
私は、2012年にマスタ卒業生の新しい卒業生によってNTT研究センターに入り、それは6年の間世話の下にあった。
それは、研究センターで同じ年、より優れ、ジュニア、およびボスに恵まれて、私は本と主題を読み、勉強されて、パワーが完全に節約されて、外での祝福で、また場所で外部の発表によって組み立てない経験をすることが可能であった。
どうもありがとう。
あなたが、会社の中のNTTで私がしていたことについて言うことができる何かがすべて出力される。従って、私はここで意図的に触れない。
NTTがセンターを客観的に研究するのを見る時には、それが、それがどうであるかであるかが説明されている。
とにかく、それは人に恵まれている。彼は採用の拡大のために、高価なものも持ち、グーズベリーのエリートは神秘的なパワーによって可能性を確かめて、豊富な学生入力から雇用される。すばらしい男が同じ年を見て、あなたが、見て、理解する必要はない時に表情のためここにある時および私が話す 私は 納得できる能力を持っている。ボスは観察エリアの失敗のほとんどどの話も聞かず、私だけが言った時には、それはいつもよいボスに恵まれていた。おお、私が見回った時には、私は永久に他を中傷し続けて、また毒を散乱させる声の大きい人があった…。
研究と予算の機器が豊富であること(国 相対的 で)少量、会社、私が危険を冒す時に、驚いた市場価格である製品の中、研究のために雷が鳴り、私は倒れて、あなたは、それらに、他のものが外に行くことができない研究をさせることができる。, また、外でソフトウェア開発パワーに注文をし、個人によりされえないパワーを示すことが、操作上の契約によって可能である の、持っている that 必要 時。
それは研究のために普通である 考え方のその2語の言葉 また、「そして、どのようにするかがそれによってするか 利益お金 ?」によってonにおいて目が密接に疑われる 。それが柔軟で、一般に私が企業の研究を言う時 NTT研究センターの場合のもの 「私は、どのように得るかを考えていないけれども、それは、これを持つこのフィールドの中で最も速く世界であるかもしれない。」 。「一番上の学究的なミーティングは通過する。」 壊れ、金格言が、すべて (それはまた、部門に依存する。)直ちに気にする 自由に から 勉強できて 重労働の重要性を理解している感謝している組織 ことなしでのあなたが、フラッシュするための何かを求めることができる時 。もしたとえ「私達は未来を5年遅くしている。」と言い続けているセクションがありさえしてもあなたが望むならば。1年、未来4年遅れ「作られている」、それが変わらないことが美しいこととして その間中 毎年 、およびそれ 通った。
例えば、また、もちろん、結果、様々、主題とビジネス製品としてのものの判断が見られる 重要な寄与 そのような形(イベントおよび技術的な訴えによってプラットフォームに行く)による活動は、また、寄与と思われる。
私は、いつも、最初はいつも私がめざす結果を見るだけではなく、研究は、その注意も、そのプロセスによって外に出て、考慮する副産物に変える暖かな組織である。
合法な意識が少し高くそんなにであることとスタッフがきついと感じていること、およびもの by which even 夜遅く FURETTSUの開発のまわりの残業zanmaiのための保持される労働 次に軽い すでにおとぎ話の世界について話すために来る でさえ。今すぐすぐ私がそのような話に出会うケースを全然持ちさえしない。完全な状況が全然ない時には、深夜勤はまた起こらず、たとえそれが起こっても、遅い夜勤手当は堅く支払われる。数倍、もしあなたが、時々労働組合をうろつくことを好んでいて 中の驚きによる職場 22時 ならば、夜遅くツトムを静かにしている人がないかどうかにかかわらず確認し、私に参加しすぎるけれども、私は偶然そのような場所で一度も出席しない。もしまた、もちろん、物が可能ではなく 錆バランス 、, 後で支払いがグルーピー から により検出されて、支払われる でするならば that 。もしそれらが最近はであったならば、私達は、また、週末および仕事(メール答え)においてそれが会社のシステムと接続されることが、「休日の仕事」とみなされているべきであると仮定し 少し実行された 、それは過去の年間の数のレコードと比較された、そして、それは会社の中で大幅に再考されて、私はトラブル似の意味によって重大な経験を持っていたけれども、これは、合法な意識が作り上げられうる仕事でもある。
研究員のほとんどは柔軟な作動時間システムであり、私が、結果、私がオフィスに来る時間を見さえする時について尋ねない、たとえそして、残業説示がまたすたれなくあり続けていても、そして、1番目の平均的な勤務時間が大きい7.5時間より低く、最もよいものは、それが問題ではないことである。私も持ち、それらは朝に弱く、基本的に、1人の人がプロジェクトであり、毎月の残業は、出席夕食時計外の近くで正午にマイナスの40時間についてであった、しかし、その原因を全然作らなかった給料カットを全然持たない。
店頭売りの本と主題は、また、基本的に、研究環境として読み、それは、静かに読むために、場所によって並みはずれて、また祝福する(入手可能な部屋)。コンピュータが、予算においてあなたが望むのと同じくらい多く強い何かも供給できて、私が住んでいた コアi7 8700+64GBメモリー+2 GTX 1080+30インチディスプレイ としてLinuxを贅沢な環境に含めている。
お金についての承認と不賛成があるけれども、悪くない支払いは支払われる。きちんと働く時に、日本の大学院大学を卒業した同じ世代の平均的な給料が超過であること、および賃貸、あなたにおける生活により補助金も借りられたかもしれない時。課長クラスに昇る時には、年間収入10,000,000超過はZARAにおいて出る。従って、貧しい教授よりそれが理学部の上昇ルートとして祝福したといわれていることができる。仕事はもちろん容易ではないようである。
NTTと呼ばれるパブリシティ価値は、また強く、私は自己紹介についてトラブルに遭っていない。なぜなら、国だけでなく外国の国でさえ、まわりで、ビジネスに関係する日本および深い国におおよそ通じているからである。それが親世代から見た時には、「私の子孫はNTTのために働く。」と言うことが、数度まで強力で、それは、また、それがそう歓迎したことを議論するために、彼らがtheに何かであらせると伝えていた、私は、もちろん議論するための何かを持っている。)
NTT研究センターで、義務を、そのような感覚によって、打ち明け話を持つ同じフィールドに必要な自身のほとんどと人に提案することが可能である、そして、私は、私が、大きく勉強し、名前をアカデミックに吠えさせたい人の代わりをしたい就職先を推奨する。それは奇妙に高い拡大を持ち、それは研究プレゼンテーションによってインタビューである。従って、化学によって落ちる物もあるかもしれない、しかし、私は、新しい卒業生がすべての人々であると思う 試験を受けている記念であり、あなたに入ってほしい 。入力座席の手書きはまた不要である。従って、私はアレルギーで手書きに救われる。
いつ なぜするか あなた 言う 私 そのような祝福された環境からそれを辞任する ?
時間平均が、7番目の年の間入口で6,530,000円の私の年間収入が会社員の支払いとして最初に書かれたこととしての数値として注意を引き付けることができるよりうまく、上に暖めることの多くをけなすために(すべてを含むボーナスと使用料補助金)。それは、それがよく、私が、ライフのためにそれがここから熱心に上がるかどうかを一方では言う時に私が管理プロモーションとして小さいゲートを通り抜けない限り8,000,000円であるかどうかにかかわらず、私がラインについてぐらつき続けていることである。
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ライフ計画1を達成するために、現在収入に固執して以来、考慮する 悔いだけの老齢と会うためになる危険の自覚は保持されている。
TOまたはもしそれについて話しているならば、ニュースは適時に、すぐに外に出て、NTT研究センターが取り扱い改良に努力をするように思われる。
私は見て、NTT側は苦く、彼らは、才能で、GAFAにより侵害されているNTTであると思うようである(Google、アップル、Facebook、アマゾン)。
サワダ大統領は、研究において人的資源の足止め計画としてそれを特別なものとして認めさせていたプロフェッショナルな人的資源に高価な報酬を与えるために、会計年度19に賃金制度の程度が改良されると断言した。215,060円の大学卒業はマスタのコース仕上げであり、上述の会社の研究開発仕事の初任給は、237,870円である。
これはもちろん歓迎されるけれども、この調子では 根本的な解決策に来ないthat which 下問題である。
リストの1番目に近づく絶望が、セキュリティ環境であり、NTTが、日本ICTテクノロジーが前提として導かれる観点であるので、たとえ私が誤りをし、犯しても、私が、セキュリティ小紛争を引き起こす理由に行かないという決定がある。私が特にオリンピックについて言う時に、私が金パートナーでもある および。
大規模なセキュリティ出来事が起こった時には、損害額の見積りは無形の損害を物質的に測定し、知られず、数千億のユニットが登られるかどうかも知らない。また、もちろんの実行されたセキュリティ方針A be何か厳密なガード そのスケールの損害を避ける 、および思われない計画が果たし 理由においてとりわけ次々に与える 、それは、会社の中で、 管理ゾーン(の「全体の研究はオリンピックにセキュリティ方針の理由のためのRAREに停止するかもしれない」 Ote-machiを呼んだ。に従っておよびたとえ実際、それがそうであっても、どうぞ私 驚かない でささやいてください。
研究員は、しばしば、NTT研究センターの研究員が販売の会社とひどくそれぞれ使うコンピュータも調整し、供給し、研究員は、設立されて、助けなしで例外なしの手によって供給したコンピュータにセキュリティのセットアップのシリーズをする必要がある、そして、私は決めて、リテラシーのためのあるの一日中それには静かにかかる(私は、NTT研究センターの人々の多くが、「 1日に終わらないDARO w」とTSUKKOMIを、これが書かれる時に入れていると思う。)またさらに 人 低い理由でもない研究員によっていつもLinuxの動作に入ることは見て ように 私および供給品 マシン 、会社のWindowsまたはシステムとの関係に独立して進み VM 、それはMacだけから使われうる、そう、増加にてほしくなりなさい。会社のシステムの更新および労働環境での再考は繰り返されて、それは見て、それは現進歩的form.のため残酷なポジションに完全に変わる
私は、制限が厳しいこれであると思う 別々に、ほとんどすべて 日本の大企業が見回る所でどこでも私が自身と似ていたことを議論する何か を持っている 。
そのようなセキュリティ方針、自身、する意思、それが釣り合いがとれたこと、状況 that ITリテラシー 十分なけれども である人 下のレベルのこの多く それが本当のパワーを把握し、管理判断をしているより多く への絶望的なもの、私は退職し、それについてとどまり、いくつかの動機であった。
セキュリティ4GBおよびそのような非人道的な環境およびここにある証拠に、セクションを押している仕事があっただけでなく、研究センターを除いた位置でソフトウェアを開発するために、メモリー静かがHDDを使った。私がIMADOKIのエンジニアである時にメモリー4GBがブラウザだけにより完全に使い果たされることけれども従って、スワップが食を起こさないこととソフトウェアを送ることとではないこと、および環境起動だけのためそれに贅沢な時間かかるという事実。メモリーとSSDの数万円、排水溝の数百万円のために、彼がMM操作をやめるかどうかにかかわらず、可能性 that 自覚を持つことができない人 がありさえし、方向をけちくさくしている。魅力的ものが、「メモリーが128MBの世界であったので、管理のゾーンのアクティブな世代の時のPCは、現在、4GB、およびルートなしで、莫大な容量が、発言が発情するのを見るものであるかもしれない。」と言うという事実によって。別の眺めとして、私が見る 私が確信する それは企業似なので、大きいかもしれず、私は来た。
そのような話は、一般に、労使関係の間で最もよさをめざして協議されるべき問題であり、私は労働組合の机を通して適切に不満を言うべきである。そう、日本でさえ、一番上のクラスのため、私がこの効果"を大きい労働組合の机に請願した場所によって無遠慮に拒絶された 私は、ソフトウェアエンジニアだけを非常によく扱う理由に行かなかった。協会が、契約社員 あなたが相対的に冷たく扱ったおよび の取り扱い改良を通じて車隊システムによって全体の改良の計画を立てていた 有限な雇用と再雇用の人 現在 。もしソフトウェアエンジニアの職場が改善されたならば、投資と貸付金のための財政資金が少なく、全体は改善できなかった。」もし私が会社の利益についてパートナーの労働効率に依存するというアイデアのすべてが廃棄されるならば通過する理由、およびaのためそれが見たことによってパートナー すべてのメンバー について口論せずに独立なイベントとして起こる投資のための財政資金と貸付金を共有する組織の最高の提案、私が見る 私が確信する それは企業似なので、大きいかもしれず、私は来た( 1つの手段方法の2番目の時間)。
さらに、私が様々に言いたいケースがあるけれども、組織理論とNTT方法が様々に複雑であることおよび漠然としている愛玩用の理論混乱という事実。従って、実際会ういつでさえ私が尋ねたい。
そのような感覚のため、お金、夢、およびプライド(それは個人の主体であった。)出発NTT研究センターを失ったkumagi。
Googleでは、今月、変わる宛先が5番目から検索のチームに関与した。それは、次に出力することを予定した。従って、どうぞ注意してください。
私は君たちが豊かな文系教養科目を受講できていることを羨ましく思う。
自分たちまでの世代は文系教養科目というと、オーソドックスで最高の座学か、“学士号しかないのに都の西北で教授になった金髪の胡散臭いインターネット昔話”くらいしかなかった。
ああ、悪魔祓いの話をしてくれるオタク蔑視のクレイジージャーニーもいた。
彼は文化人類学が専門らしいが、弊学のオタクたちの情緒は理解できなかったのかな。
あれほどまでに他者と向き合ってきた学者もオタクとなると未成熟なヒトとしか捉えられないらしい。
さて2016年以降入学の聡明な学生諸氏においては、最近の立看板や張り紙など学費値上げに関連した様々な活動を展開されているようで大いに結構である。
しかし2016年以降入学の学生がリベラルアーツ教育で無限の教養を手に入れているというのは自分の誤解であったのか、もしくはあの素晴らしいリベラルアーツ教育ではあまり社会学に触れる機会がなかったのか、はっきりとはわからないが、ここはひとつ「景観」という概念について述べたい。
学生諸氏が知らないのはNHKニュースおじさんが教えてくれなかったのが悪いのだが、「景観」というのは社会的に共有される財産の一つである。
景観とは誰もが参加しうる実体に関わる価値であるために、スワンボートやまことちゃんハウスは批判されていたのだ。
そもそも大学のキャンパスというのは実際には難しい公共的な立場にある。
完全に公共に開かれた場所ではなく、指定国立大学法人の管理する土地である。
しかしその法人の性質上、ある程度まで公共に開かれて地域に貢献することが望ましい。
また近隣住民が銀杏を拾っているだけで烈火のごとく怒り出す理学部の教授と、自転車走行禁止区域の傘さし子連れ自転車マダムを調停するのも大学法人の責任ではないかと思うが、その問題自体はここでは無関係である。
ここで大学のキャンパスには上記のような公共性が求められているということがわかるだろうか。
つまり学内だから地域社会とは独立である、もしく国立大学なので自由に市民が利用できる、という言説はどちらも間違っていて、端的に不寛容な価値観だと言わざるを得ない。
このような状況の中で「景観」について考えると、大学の中にあってもその景観を破壊することが何を意味するのか。
ここから明らかなように、景観を破壊することはそれを共有する全ての人々の財産を破壊しているということになる。
もちろん大学のキャンパスの中では大学の許可があれば自由に看板を建てられるし、百年記念館の素晴らしい扉にポエムを書きつけることだってできる。
しかしそのような行為によって景観を破壊することは高等教育を受けているような知性の持ち主に要求される倫理において当然許されることではない。
そもそもあの立看板は無許可であったのだが、それは今回述べたこととはあまり関係ない上に、この大学で学生による自治の概念が絶望的に欠落していることと文化的に京都大学を経由していることによって私の語りうるところではない。
ちなみに社会工学科の人は、川喜田二郎によって弊学の学生運動が懐柔させられたという噂の真偽をコメントしてほしい。
話が脱線したが、大学において求められる景観について十分に説明できただろうか。
私は景観とは都市的な文脈の中で位置付けられるものであると考えており、そのため京都大学に立看板を立てることを問題視する立場にはない。
この大学の景観を良いとは言えないが周辺の住宅地は幾分マシな方である。
端的に言おう。
特に百年記念館の扉にダサいポエムを貼ったり、80周年記念館の壁に「ここは80周年記念館です」などと意味不明のダサい案内を貼るのはやめてほしい。
ダサさが問題なのではない。
それがどれだけ格好良くとも、周囲と調和が取れておらず景観を破壊しているのが問題なのである。
施設管理課の人間がどれほどの教育を受けた人間なのかは知る由もないが、おおよそ高等教育を受けた人間のすべきことではないので中卒だと思う。
意図せず大学批判になってしまったが、この日記の目的は2016年以降入学の聡明な学生に景観について考えてほしいということである。
今や街にアニメキャラクターの巨大な広告があってもそれほど問題にはならなくなったことや秋葉原ではそもそも問題ではなかったことを思い出してほしい。
大学教育というものについてよく理解できていない人間が多いようだが、大学は教育を受ける機会を与えるのみである。
「〜を教えてくれないのはおかしい」や「〜を教えるな」など批判にもならないような意味をなさないヒステリーをtwitterに書き殴るのも本当はやめたほうがいい。
そもそも現在行われているようなリベラルアーツ教育が意味をなしていないのは学生に教養が足りていないからである。
高等学校までで教わるような基礎的な知識をロクに覚えてもいないから、議論をしても無が展開されるのみであるのだ。
文系科目を雑に批判して自らの無教養を醜く晒すのではなく高校の教科書などを読むとよろしいかと思う。
確かにクレイジージャーニーやNHKニュースおじさんの施策は最悪だが、大学という場所は自分で勉強することができる場所でもある。
anond:20180906170906 ←「消えた2時間 」を最初に読むと良いデス。
2018年秋の国会で、なし崩し的に成立してしまった日本サマータイム法への対応は、
遅々として進んでいなかった。
2019年6月のサマータイム導入テストは、延期に延期を重ねて、遂に年内に実行されることは無かった。
対応させるべき機器があまりにも多く、対応済み機器と未対応機器との間の膨大な組合せ数の通信テストは計画段階で既に5年掛かると予想された。
つまり・・・ピンチはチャンスとの森会長の言葉も虚しく、ピンチはピンチのままだったのである。
2020年1月 首相官邸 では、サマータイム実施の無期限延期について最終決断をするべく議論が続いている中、
サマータイムを強行に進めたい議員の一人が、京都大学理学部の年老いた教授を連れてきた。
その教授の名は秋月伸治郎といい、半世紀にわたって宇宙時間物理学を研究しているその分野の権威とのことだった。
秋月教授の提案は、常人の理解と想像を遥かに超えたものであり、日本列島全体を特殊なエネルギー場で覆い、
日本列島全体の時間の進む速度そのものを速めたり遅くすることで、サマータイムの時刻調整を実現するのだという。
「サマータイム推進派の切り札が、こんなオカルトとはね・・・。笑」
その場にいた誰もが笑い出し、教授を連れてきた議員は顔を真っ赤にして怒りともあきらめともとれる複雑な表情で固まっていた。
秋月教授は気にすることもなく、一言、「論より証拠。見ればわかるから…」とつぶやいて、
助手たちに指示して部屋の片隅に3本の白いポールを設置させた。
2つの懐中時計の時刻が一致していることを皆に確認させたのち、1つを3本のポールの真ん中に置いた。
ポールに繋がったコントロール装置を教授が操作して1分ほど経ったが、何も起こらなかった。
本当に何も起こらなかった…としか思えなかったのだが、改めて、2つの懐中時計を調べてみると、
きっちり12秒差のズレが生じていた。
それからの数時間は、腕時計、目覚まし時計、ストップウォッチ、メトロノーム等々、時間が測れる道具での検証大会となった。
その結果、コントロール装置の設定次第で、ポールに囲まれたエリアだけ1分に付き12秒速く時間が進んだり、逆に12秒ほど遅れさせることが可能であると誰もが認めざるを得なくなった。
秋月教授は、再びサマータイムの実現方法について説明を始めた。
・このポールを大型化したものを日本国内18か所に設置して日本全土をカバーする
・サマータイム開始日/終了日の夜に10時間かけて2時間分の時差を生じさせる
・夜寝て、朝起きると国内の全ての時計が2時間ずれるのでサマータイムによる時刻調整は不要
・早起きする必要が無いので、睡眠不足による健康被害などは起こらない
秋月教授の提案に異を唱える者はおらず、諸々の検討会を経たのち、国会にて全会一致で実施が決まった。
ポールが設置される地域での説明会でも、秋月教授が難解な言葉で煙を巻くようなことはせずに、
分かりやすい言葉で教え諭すように説明されたので、全てが計画通りにスムーズに進行していった。
・時間の進み方に差がでるのは、本質的にはウラシマ効果によるもの(だから健康に影響は無い)
・ポールは虚数空間と呼ばれるある種の亜空間からタキオン粒子を取り出して見えない壁を作り出している
・タキオン粒子は、実空間上の物質には一切干渉せず、数時間で消失する(だから健康に影響は無い)
・タキオン粒子の壁は毎分12秒程度の時間差であれば、魚介類も含めてどんな生物も問題無く通過できる(だから漁場に影響は無い)
・タキオン粒子の見えない壁に包まれた空間は、人間の暮らす実空間上では静止しているが、虚数空間内では高速で移動している
・タキオン粒子の振動数を変えることで移動速度が変わり、その結果、空間内の時間の進む速さも変わる
・移動速度がプラスであれば、時間はゆっくり流れ、マイナスであれば、時間は速く流れる
というものだった。
これらを正確に理解するには、宇宙ダイミュラー時空間における時間平面の扱いを超複素時間と再定義して理論拡張した500ページほどの論文を読めばよいと秋月教授は話していたが、同時に、この論文が理解できる専門家は著者である私しか居ないのが寂しいところだと嘆いていたのが印象的だった。
やがて、すべての装置が設置完了し、個別の作動テストも問題無く終えて遂にサマータイム開始日前日を迎えた。
日本中、それどころか世界中がこの強制サマータイム装置とも呼べる装置の挙動に注目している中、
時刻修正を体験するためだけに来日した観光客も多く、彼らは刻一刻と海外と日本の時間に差が生じる様子に歓喜した。
白物家電メーカーは、時間の遅延現象(≒ほぼ時間凍結)を利用して冷凍庫の代わりにできないかと小型化について相談しているそうだ。
某国軍事部門では、10年掛かる軍用開発を1年で済ませられないか?と日本政府に交渉しているという噂もある。
強制サマータイム装置の原理がもたらす経済効果は予想外に大きく、サマータイム推進を強行した政治家たちはホクホク顔で
夜2時を過ぎると、通信衛星との電波が激しく混信したのち、一切の通信ができなくなった。
「タキオン粒子の壁は、理論上、内と外の時間速度差に応じて光子の一部を反射するが、今の時間速度差では電波をほとんど遮断しないはずなんだが…。天候が曇ってるせいなのか…。また新たな研究課題が見つかったかな」と秋月教授は話していた。
数時間程度の不便は我慢すべきだし、朝になれば復旧するだろうと考える者も多く、大きな騒ぎにはならなかった。
その後も様々な報告が続いた。
・ホットラインが繋がらない
世界に何か異変が起きている。だが、その異変の正体が分からない。
そんな不安が広まりつつある中で、昼過ぎに明石天文台で行われた記者会見は驚くべきものだった。
明石天文台の星野研究員は、計算値に10倍程度の誤差が見込まれると何度もしつこく繰り返し前置きした上で、
「今朝の惑星や恒星の位置関係を観測した結果、一晩で10万年が経過したと思われます」
と報告した。
星野研究員は、恒星間距離による時代推定の原理や、より正確な推定をするには、1日以上、
できれば地球が公転する1年間は観測が必要だと説明を続けていたが、多くの者は上の空で聞いていなかっただろう。
その後、政府は隣国に自衛隊航空機を飛ばしたり調査隊を送り出すことで、速やかな状況把握に努めた。
・新種の動植物が多数みつかる
・宇宙や他の惑星にヒトが移住したという証拠は見つかっていない
さまざまな状況証拠から、一晩のうちに、1万年か10万年かそれ以上の月日が流れていたのは間違いなかった。
食料自給率40%、石油自給率0.4%の日本が諸外国の助け無しにどうやって生き延びるか?
誰もが日本の将来を考え、苦悩する生活は、苦労の連続だが決してわるいものではない。
むしろ、核戦争からの生存に成功した我々こそ勝ち組なのではないか?と言い出す者もいた。
ちなみに、世界の探索と並行して進められていた、この事故の原因究明についての調査は難航を極めた。
10時間分のセンサーのログには何の不自然な変動も記録されておらず、
3年掛けて18本の大型ポールを細部に渡って調べ尽したが異常は一切みつからなかった。
事故から5年過ぎた頃、故障時に備えて用意されていたコールドバックアップ用の未通電の大型ポールを
偶然、別の研究者が譲り受けて、細かく分解して状態を記録した時から調査は一気に進展した。
タキオン粒子の振動数を監視するセンサーのファームウェアのCRC値が、18本の本番機の記録と一致していなかったのだ。
ファイルサイズも更新日も同じだから、不揮発性メモリの劣化による単なる読取り間違いでは?
だが、その研究者は高度に難読化されたファームウェアのコードを手作業でデコンパイル(解読)することに成功し、
ファームウェアに仕込まれた精巧なトラップの挙動を明らかにした。
・トラップの発動は、サマータイム開始日の午前2時から2時間だけ
・トラップ発動中は、センサーの入力値を無視して、過去2時間分の入力値をランダムに出力する
・発動から2時間後、ファームウェアは自分自身を正規のファームウェアに書き換えてトラップの痕跡を消す
つまり、タキオン粒子の振動数を監視するセンサーはあの日の午前2時から2時間だけ機能不全となり、
その2時間の間は振動数が制御できず、日本国内の時間はほぼ止まったまま、外の世界では10万年が経過した…。
誰がいったい何の目的で、いつどこでどうやって悪質なファームウェアを仕込んだのか?
結局、肝心なところは分からずじまいで、事故原因はセンサーの不良として報告され、調査は正式に終了した。
私がこの話を耳にした時、脳裏にふと何かがよぎった…気がした。
あれ?これって・・・?
事件の真相に繋がる何かを思い出せそうな気がしたのだが、よくわからなかった。
そんなことよりも、私は今夜の夕食のおかずを採ってこなくてはならない。
政府配給の完全食であるペーストフードだけの食事には、もう飽き飽きしているのだ。
せめて、フナの一匹でも釣れれば良いのにと思いつつ、
釣り道具片手に湖に出かけるのだった。(終
岩波は文系の観点からも非常に重要で、いわゆる「基本的な古典」はかなり岩波文庫にはいってるんだよな。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神とか、ケインズの一般理論とかの経済系もだし
「育児がなければ俺は輝けるのに」という勘違い“イクメン”研究者が語る、育児と仕事を両立させる秘訣
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52811
明治大学総合数理学部五十嵐悠紀准教授、明治大学総合数理学部の福地健太郎教授と、京都産業大学情報理工学部の平井重行准教授。みんな「任期なし」じゃないか。
仕事をセーブしてもクビにはならない安定ポストにつきながら、自分は「イクメン研究者」であって、「育児がなければ自分は輝ける」と思っている男性研究者は勘違いしているという上から目線。
任期ありだと、任期が切れれば次の職はないわけなので、育児のクオリティを下げても仕事に時間を割き、少しでも次の職を得られるようにして家計の改善に努力することが「合理的」になるんですよ。
任期なしと任期ありで全く条件が違うのに、記事中に「任期」という言葉が一回も出てこない。
で、自分たちイクメン研究者と同じようにできない他の男性研究者は「勘違い」しているというのですか。そうですか。
僕ら男性ポスドクも研究者なんですが、みんな勘違いしているというのですか。そうですか。
五十嵐悠紀先生は在学中から有名でした。東大の五十嵐健夫先生が准教授でいらっしゃったころに修士の学生として入り、素晴らしい研究業績をだして、五十嵐健夫先生と在学中にご結婚されて。
素晴らしいご研究をされていると思いますし、正直、ご本人はしがないポスドクの私より優秀だと思いますけどね、頭いいなら、独身の男性准教授と結婚することが誰にでもできることではないことぐらいわかるでしょう。
自分は分野が違うのでこの方々のポスドクになることはないですが、はっきり言って、この方々のところでは、ポスドクとして働きたくないですね。
確かにあなたたち任期なし研究者より頭悪いのかもしれませんが、私らポスドクも研究者で、この国の研究を支えているんですよ。
「自分たち安定ポストにいる人間だけが研究者で、自分たちのようにできないやつは勘違いしてるからダメなんだ」とか言ってる人たちの下で働きたくないですよ。