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はてなキーワード: 多数決とは

2023-05-31

anond:20230531004921

自分は選んでないか関係ないお前らのせいだと言ったら、それは投票結果を否定することになるから民主主義否定になるのでは?

それは民主主義否定でなく多数決否定だろ

2023-05-22

anond:20230522114623

今どうでもいい多数決にこだわってるのはまさにシーライオニングだが?別に1/3は少なくないし

anond:20230522113211

多数決に勝たなくてどう核廃絶するんだよ。軍隊世界征服でもすんの?

 

で、シーライオニングとかい単語つかってみるけど、該当しないしwwwwwwwwwwww

ネットに毒された老人のくせに、ネット用語間違えんなよwwwwwwww

anond:20230522111835

別に多数決取ってるわけじゃないか過半数以下でも問題ないぞ。そもそも2年前にできた条約だぞ。もう反論できないかシーライオニングしかできんのね

2023-05-20

杉並区議会議長選出の件だけど、あれを民主主義と呼ぶのは都合がよすぎる

多数決民主主義じゃないっていってるでしょ、普段

特に野党支持者は

実際、国政では多数決で決められることでも与野党協議があって与党野党妥協していて、与野党妥協があってこそ立憲民主党自身が反対野党じゃないと主張が出来た

少し前のLGBT法案で立憲が協議反故にしたのはそこが問題で、協議しても0か1かなら協議意味がないし、意味がないなら多数決になってしま

杉並区議会議長選出に関して細かいことがわからないけれど、クーデターと呼ぶ人がいるのであれば、事前に話し合いをしなかったのかもしれない(伸晃はしたって書いてるけど)

区長派が議長を選出できたことを考えると、クーデターというよりも翼賛体制的なものに乗せられたようにもみえ

何が言いたいかっていうと、多数決民主主義プロセスではないってこと

都合のいい時だけ多数決民主主義と呼ぶことは止めて欲しいってこと

結果に対して別に文句はないけど、プロセスとそれを民主主義と呼ぶことには疑問しかない

2023-05-16

anond:20230516124540

シス女性トランス排除すると決めても、それが妥当な決定か判断する必要があるやろ

当事者だけの多数決でなんでも決められるなら少数者は排除され続けるだけじゃん?

2023-05-15

どうして日本外国人に対するあれこれを制限しないといけないのか

多数決日本人と諸外国の全員なんて構図になったらまず日本人意見通らなくなるだろ 日本国なのに

2023-05-13

anond:20230506214841

安定したクラスがまじめでいい子の犠牲の上に成り立っているってやつなんだろうな。

元増田は間違いなく「鈴木先生」で言うところの「手がかからない子ども」だったんだろうな。

教師は全会一致の理想を振りかざし、その実は元増田に委ねられる。

元増田も「全会一致無理でーす」と投げればよかったんだけれど、天性のまじめさがそれを許さなかったんだろうな。

まあ、俺も子供のころはそっち側の人間で、一人で全部抱え込んでたし、俺がその立場なら元増田と同じく全員を説得して回っただろう。

...まあ、教師はみんなが納得して全会一致してくれていると一人妄想していたのかもしれないが、その実、全体主義に人々を走らせていたという。

これって一見いいことをやっているように見えて、実のところ、反対意見を言うやつは消せって発想になるから危険なんだけど、歴史教師なのにそれを知らないとは。

歴史教師歴史知らずって感じ。

そういう不幸の歴史を作らないために人が作った発明民主主義であり、多数決なんだと思うんだけどね。

多数決って多数派が少数派を切り捨てるみたいに見えるかもしれないけれど、その実は少数の自分とは違う思想をする人を許すって発想だからな。

考えてもみなよ。全会一致しか認めないなら、少数の反対派は消さないと一致しなくなるだろ?それでもって、元増田も少数の反対派を消しにかかったわけだろ?

ちなみに、どこの組織だったか忘れたが、全会一致だと自動的に否決みたいな組織もあった気がする。

全会一致するということはリスクなどを考えず、妄信的に動いているので危ないみたいな発想からだったと思う。

閑話休題

元増田は変な教師に当たって不幸だったなと思うけれどさ、もう、自由になってもいいんじゃない

今、自分の思うままに生きていないとしたら、それは増田が決めたことだよ。

たとえその先生との時間が今の増田をその性格にしたとしても、反対意見を言わないという選択を実際にしているのは増田だよ。

先生とはもうずっと前に切れてるんだから先生の亡霊におびえ、先生のせいにし続けて反対をしないというのを選び続けているのはもはや増田自身なんだよ。

まり増田自分で進んで反対してないってだけだから。反対したいときは反対していいんだよ。

2023-05-12

anond:20230506214841

途中で挫折したけど「多数決で決める。先生異論却下する。先生が反対した場合は授業をボイコットする」って最初に全会一致で決めればよかったのでは?

2023-05-11

anond:20230511091346

ここもそうだけど、住人からまれると通報連打でバンされるよ。マジ個人権利とか皆無だから多数決個人を潰せるサービス(笑)

2023-05-08

結婚して子供を産むのが正しいの、生まないのが正しいのでケンカしてる光景インターネットでザラだ。

そんなもの正しいと思ってる人には正しいし、そうでない人にはそうでないだけの話で。意味があると思ってる人にはあるし、無いと思ってる人には無いだけ。

当然の話で、人が生きるのも、社会に参加するのも、生物が種を残すのも、理詰めで言えば何の意味もない。存在の話ではなく当為のそれなんだから

大人義務責任?どこから湧いた?生産性?何の為の?社会の維持?何の為に?人権思想?何の為に?生きるため?なぜ?

子供を作る事に限らず、人の営みはリンゴが上から下に落ちていくのと本質的には何も変わらない。

現実的議論としては、人権思想公理であり土台となっていて、そこで一旦は打ち切られる訳だけど。それにこれはあくまで「お気持ち」や「主観から離れた場合理屈だ。

まあ人権という公理から導き出される規範一義的ものではなくて、それぞれの解釈が対等だからまた言い合いになるんだけど。

その対等な言い争いは民主主義と呼ばれて割と尊重される。しか人権を認めるのであれば、人に結婚出産をするな、しろ強要できる道理はどこにもない。

そもそも社会を生き長らえさせる意義を感じていない人間に対して、子供を持つ事がいか社会の持続に必要かを説いても無駄

人生に先立った苦しみなどなく、行い次第で如何様にも幸せになれる。と信じている人間に対して、辛く苦しいだけの生を生み出す残酷さを熱弁するのも然り。

前提が揃っていない段階で話をしてもボタンの掛け違いになっている。

共通認識を揃え、対等な異なる意見を持ち寄って考えを深める事はあっても、最終的にどちらに転ぶかは自分の納得の問題だ。

全ては無意味、と言うとすぐ冷笑と抜かす人間がいる。無意味開き直りさら他人を巻き込もうとすればそうかもしれない

しか規範において、理詰めで言えば無意味である事実は変わらない。

それを歪めるのは不誠実な物の考え方ではなかろうか。いくら生活の為にはある程度の忘却思考停止必要と言ったって。

ともかく、無意味はいっても自分の中で実感や確信に基づいて意義を見出す事は可能だし、多くの人がそうしてきて、今もそうしてる。

そもそも意味などを問う以前に、まず生きる事そのもの価値のある、というよりあまりにも当たり前のものだと思っている人も少なくないんだろう。

しろその方が多いかもしれない。もっともそれにしたって、意識的であれ無意識であれ生を肯定する規範信仰、納得を持っている訳だけど。

世界に元々用意された意義なくて、そこに「正解」を用意したらそれは宗教だ。

別に宗教が悪いとは1ミリも思わないけれど、それを押し付けるのがいかグロテスクかは歴史を見れば明らかで。

他者生き方に口出しをしてかくあるべしというのは、自分選択に腹の底から納得できていないじゃなかろうか。これは理屈の話と言うよりは邪推だけれど。

一度きりの人生自分選択が、価値観が「間違い」だなんて思いたくはない。そんな疑問が浮かびもしないほどの実感と納得がある生き方をしたいもんだ。

でもそう強い人ばかりでもない。自分選択に自信がないが、自分の中に納得の源泉がない。だから外部にそれを求める。他人肯定してもらいたい。

同じ意見を持つ人間と集まって、互いに肯定し合う。あるいは単純化した二項対立の上、自分の対岸にいる者を「間違い」だと断罪し、そして自分は正しいんだと思う。

そうした正当化健全か不健全かは知る由も無い。が、考えの異なる者同士、互いに説教罵倒を受ける道理は無い。

視野狭窄知識が足りていないように見える人間に対して「こういう見方もあるよ」と助言する事はあるかもしれない。教育とは、学びとはそういうものだ。

しかしそれが強く押しつけがましく攻撃的で否定的、あるいは過剰に肯定的なものですらも、そこには自分と同じでない他人への苛立ちがあるのかもしれない。

多数決安心したい、人と一緒でいたい、と。

社会の利害調整を問うなら互いに言い分もあるだろうけれど、生き方問題に口を出すのはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)だ。

その点、受け売り胡散臭い政治思想アイデンティティ価値観が悪魔合体している人は非常に厄介という事になる。

まあ上から目線説教する道理もなかろうけど、なかった所で誹謗中傷やらにならない範疇批判をするのも勝手だ。

よしんば中傷じみた人格攻撃でも、そんなもんネットに溢れてるし、それで捕まるのも稀だ。という事を踏まえて平気でやる人間がいるのも事実としてある。

悲しいね

等しく無意味人生価値を見出せるのは自分だけだ。上手い飯を食うでも、芸術を愛でるでも、ギャンブルに狂うでも、何だっていい。

愛に囲まれ他者から存在肯定してもらうのも、神様を信じてみるのもいい。それは一見外部の他者価値を与えてくれるように見える。

しかし結局それによって得た納得が湧き出るのは自分の心の中だ。

「敵」を罵り「仲間」と慰め合って拵えた後ろ向きの納得よりも、内から発される声に対して真摯に耳を傾け、それに従った方が良い、ような気がする。私は。

まあ私だってきっと自分の考えに腹の底から納得できていないから、こんなサイトに長々と文章を書いているのかもしれない。

勿論意味など最初から問わない、忘却するという選択だって大いにあり得る。今際の際に蓋していたものが頭を過るのが怖くて私は出来ないが。

人をブチ殺して回りたい、それが私の納得する生き甲斐だ。こう思うのだって非難される、というか過剰に誹られる謂れはない。

なんなら思うだけではなく、法だの人権だのがいくら殺人ダメと言った所で、別に実行する事は可能なのだ。現に殺人事件は一定的に発生している。

出来るからやって良いなどとは言っておらず、可能事実があると言っているだけですからね。

当然我々が恩恵を受ける司法人権思想のもと、社会によってしばかれるだけだが。バレなきゃしばかれないけど。

茨の道が待っていると知った上で尚もその納得、価値観を手放さないというのなら、私は敬意すら覚える。当然自分が殺されるのは御免で、それはまた別の話だが。

個人主義民主主義社会範疇における多様性とはそういう事なんだろう。

お気持ちがどうとか主観がどうとかいった言葉を使って何か言った気になってる人がいるけど、事実でなく規範を語るなら感情論で当然なんだよね。

絶対的な真理、善、正義を信じる本質主義者なんで、と言われたらそれまでだけど。

金持ちネオリベかぶれるのも貧乏人がその逆になるのも当然だろうし、いくら事実論理を積んだ所で最終的には感情論

勿論ノブレスブリージュを語る金持ちも、支配者への忠義大事だと思う貧乏だっているかもしれない。

それもまた価値観や納得に基づいたものであって、どちらに転ぶか、必然性はない。

それに人を説得しようという時に必要なのは論理だけじゃない。

ブーメラン」はロジカルを自負するインターネットマンの口癖だけど、言行不一致は理屈ではなく感情問題だ。

殺人犯が「人殺しダメ」と言ったらどの口が言うかって話だけど、言ってる事は間違ってない。

でもやっぱりコミュニケーションにおいて心象というもの無視できないので、お気持ちのない、ポジショントークでない意見など神様しか言えない。

あいくら社会性に則った無難な話をした所で、「こういうヤツ、バカですw」みたいな強い言葉を使った話にばかり注目が集まるのも悲しい事ですね。

2023-05-07

Steamで圧倒的高評価ゲームを買ったが個人的には70点ぐらいだった

『良い/悪い』の二択でつけるなら『良い』ではあるが……

正直期待外れだったと言わざるをえない。

圧倒的高評価で平均点数10/10ゲームだったので気持ちの中のハードルが上がりすぎていた。

じゃあもういっそ低評価でいいじゃないかって話なんだが、なんというかゲーム構成的に「ここで最後プレイヤーが低評価を入れて終わり」というのは凄くシックリこない。

なんだろうな……体験をハックされているような感覚がある。

そこに乗っからないで終わるといよいよこのゲームをやった意味が薄れてしまうように思えて勿体ない。

からSteam評価もせずにここで愚痴ることにした。

そもそもSteam評価ってどういうゲームなんだ?

https://store.steampowered.com/search/?sort_by=Reviews_DESC&category1=998&ndl=1

というわけでSteamユーザーレビュー順でソートしてみた。

今一番トップに有るのは謎のギャルゲーだ。

ストアページの説明文を読んで見る「『千恋*万花』は2016年に、日本美少女ゲームブランドゆずソフト(Yuzusoft)より発売された和風恋愛アドベンチャーゲームです。この作品萌えゲーアワード2016年度に準大賞とGethu美少女ゲーム大賞総合部門一位を獲得した、高い人気を誇るゲーム作品です。」

なるほど。

5年ぐらい前の超人ギャルゲーSteam移植らしい。

なんかもうこの時点で「そもそもそのゲームを買おうとした時点で高評価入れる未来が確定していたゲームほど有利」という法則が見えてくる。

ちょっと下を見ると『Ib』がある。

10年前に話題になったフリーホラゲの有料版か。

ああなんかもう傾向が見えてきたわ。

ラーっと下を見ていくと上から50番目ぐらいのところに『クッキークリッカー』の有料版もいた。

うんまあそういうことね。

他人評価他人評価

当たり前のことなんだけど、忙しい時代に生きていると忘れそうになる。

とにかく今どきはレビューをチェックしてからじゃないとコンテンツにすぐに飛びつけなくなってきている。

なんでもかんでも味わうには時間が足らない。

試しにSteam検索の並び替えソートリリース日にしてみると、1日にリリースされるゲームの量が1日にプレイ可能ゲームの量を超えているのは明白だ。

そもそも全部買うほどの金があるのかって話はあるが、それ以上に時間がねえ。

興味があって評価が高いゲーム以外はやってられん。

そうなるとやはり他人レビュー点数というのはこの短い人生の中を少しでも良く生きるための光となる。

こういった感情に漬け込まれステマが日々繰り広げられているのは知っているが、それでもある程度のユーザーレビューが積み重なればステマだけで全てを埋め尽くしきれないはずだ。

だが実際にはユーザーレビューは結局は他人感性による評価しかなく、アテにならない事も多いようだ。

少なくとも、多数決で良いが圧倒的多数であることがそのまま神ゲー意味することはないらしい。

既知の体験にどう評価を下すか

個々人のゲーム評価が変わっていく理由において「趣向」「得手不得手」と同時に重要ものが「別のゲームで似たような体験をしたか」があるはずだ。

それは状況によってプラスにもマイナスにもなり、たとえばSTGゲームなんかは「お約束テンポよくやってくる」ことが高く評価されることが多い一方で、そのジャンル精通していない人からは「難しいのに説明もなく不親切」とされることがある。

ここで説明が過剰になるとそのジャンルをやりこんでいるプレイヤーは退屈な時間を過ごすことになる。

あらゆるゲームがあらゆる要素でこの「適度な難しさ」の調整と戦っている。

そもそもゲームというコンテンツ自体が、既知と未知の中間にある程よい攻略対象提供することそのもの商品としている部分が非常に強い。

中でもアドベンチャーゲームはこのバランス調整が最もシビアだ。

全くプレイヤー経験したこと無いものを解かせようとすればゲーム側が全ての答を誘導する必要が出てくるが、それはもうだただの作業だ。

逆にそういった体験を積み重ねたプレイヤーからすれば、ゲームの側がヒントをロクに出してこなくても知っているパターンのどれに当てはまるのかを推理するだけの作業となる。

それらが作業となってなおプレイヤーが楽しめるように調整されている場合と、もしもそれが作業になれば体験の没入度が大幅に目減りする場合がある。

まあつまり、今回私がガッカリしたゲームはその後者だったわけだ。

知っていたんだな。

ゲームが最大の売りとしているギミックを。

ゲーム世界でも何度も何度も体験していた。

からその先を期待したんだ。

でも無かったんだよ。

圧倒的高評価ゲームならその向こうを教えてくれると思っていたんだが、どうもそうじゃなかったようだ。

かに「ああいった展開」をゲームとして良い感じにまとめていたし、同一ギミックをいくつも味わってきたからこそ「これはその中ではかなり上手くやっているほうだぞ」というのはわかった。

から出来の良し悪しで評価するなら「良い」を入れたくなるんだよ。

でも自分があのゲームに期待していたのは既存の展開を上手くやることじゃなくてもっと凄い先を見せてくれることだった。

しかにさ、ある意味ずっと昔から世界のそこで脈々と受け継がれてきた演出ではあるんだが、それを人生最初に見たのがあのゲームだった人はいると思うんだよな。

その人からしたら凄い体験だったのかも知れん。

から誰かがあれを「超すごかった」と表現するのを咎めても仕方がないんだよ。

しかしたら、今まで多くの人達が「良い」しかさなかったのは、こうやってモヤモヤした俺みたいのが「悪い」を押すのは流石にどうかと迷った結果なんだろうか。

かにな、あの演出はまさに精通するというよりも精通のものというか、それが起きた前と後で世界の広さが少しだけ変わる。

その体験舞台としては「良い」ものなのかもな。

中途半端場所精通を迎えるぐらいなら、あそこで精通してほしいものだとは確かに思うよ。

そう考えると「良い」ゲームだったんだろう……そうは思えるが……俺が「圧倒的好評価」を前に期待していたものではなかった……。

よくあることなんだがな

2023-05-06

私が反対意見を言うのをためらうのは、多数決を嫌った教師のせい

私が中学一年生とき教師は、多数決を嫌う人だった。

クラスで何かを決めるときは、全員が納得しないと進めてはいけないというルールだった。

から、一人でも反対意見を出すと、彼は却下の意を示した。

その結果、全員に納得が得られるまで、何回も同じことでクラス会を開くことになる。

しかし、学活(学級活動)の時間は週に一回しかない。

から、そのクラス会は放課後に開かれることになるわけで、その教師の頃はしばしば、

うちのクラスだけ放課後に、全員でクラス会を開いて帰りが遅くなるということがあった。

これが、生徒の迷惑も考えず遅くまで残しやがって、本当に面倒な教師だったなぁ…

というひとつの思い出で終わればよいのだが、そのクラスの中でも、私だけは違う感情を持っている。

というのは、私は当時、クラス委員だったのだ。

まり私は、むしろ主体的に、クラス全員を遅くまで残してしまっていたのであり、

どちらといえば、そのことを責める側ではなく、責められる側だったのだ。

そのことは当時、本当に苦しかった。

その教師理想は美しかったし、否定したいとは今も全く思わないのだが、

残念なことに、その実現コストは、クラス委員である私ともう一人に丸投げだった。

放課後クラス会には教師は居なかったのだ。

から、居残りで顰蹙を買うのは私たちだった。

クラス全員から見れば、放課後に居残りさせる主体は、教師じゃなく、私たちクラス委員だったのだ。

いや、苦々しい思いをしたのはそれだけではない。

教師自身は、クラス全体の意見をまとめあげようともしなかった。

自分却下の意を示すだけで、その調整は生徒に丸投げだった。

それは当然、クラス委員である私たちに丸投げということになる。

私も、授業合間の休憩時間を潰して説得に回ったりした。

なんで、私だけがそんなことをしなくてはいけなかったのか。

教師は一応、生徒自身が決めるというプロセス大事なので自分は介在しないのだ、みたいなことを言っていたが、

その美しい理想の代償を、クラス委員という特定の生徒に押し付けるのは違うだろうと毎回思っていた。

誰もが納得できる意見の実現という理想をさも美しく語るたびに、その実現方法を具体的に示せよ!

社会科教師なんだから、その歴史からなんかヒントをくれよ!と思っていた。

(そう、その影響で、個人的には、歴史の授業(というより、「歴史」という概念自体)が大嫌いだった。

その教師が教えた「歴史」というものが、困っていた私にはなんの役にも立たなかったからだ。

しろ、「歴史」を扱う教師が私を困らせていたのだ。

から、「歴史」を学ぶことで、人を困らせてしまう何かが生じるんだとさえ思っていた。)

いや、その理想押し付けで一番許せなかったことは、まだ別にある。

それは未だに、私の意志みたいなものを歪めてしまっている。

それは、反対意見を封じるのはいつも私の役目だった、という罪の意識を与えたことだ。

その教師としては、長々とした話し合いにより、賛成でも反対でもない第三の素晴らしい意見が生まれるとでも思ったのだろうが、

私には、反対意見をしっかり聞いた上で「それでもみんなが言うから…」と言うだけの拙いやり方しかできなかった。

それはもちろん、私に意見の調整能力が無かったのが一番悪かったのだが、それを上手くまとめるヒントみたいなものは、教師からちゃんと示してほしかった。

そのせいで、「なんで、意見を無理やり押し込めるようなことしかできなかったのだろう」といった罪の意識が残ってしまったのだ。

その相手には、私の拙さで、意見をないがしろしたことを未だに申し訳なく思う。

そして、その意識が今度は、私に反対意見を言うことをためらわせてしまうわけだ。

かつてはそれを無理やり妨げた方の人間である私が、それを言っていいのだろうかという意識

また、先述のとおり、反対意見を調整する人間にかかるコストを考えることで、さらに反対意見をためらってしまう。

といった感じで、多数決ではない方法論や調整方法指導しなかった教師のことを思い出すと、未だに腹がたってしまう。

社会教師でもあるので、そのような社会理想を持つのは構わないし、今の私はそれが正しいことだと理解できるわけだが、

その思想の実現によるコストを、特定の生徒に押し付けるべきではなかったと思う。

その結果、自分が反対意見を言おうとすると過去の罪やそのコストを考えてしまい、ためらってしまうようになった、というお話でした。

2023-05-04

性癖」の誤解は解けてきたけど「少女趣味」の誤解は解けてないよな

何故これらのことが起きるのかについてちょっと考えてみた。

どうも「守備範囲ストライクゾーン)を共有している部分がある」というのが問題根深くさせているらしい。

性癖」というのは本来あらゆる趣味嗜好や言動をひっくるめて表現するものなので、現在使われている意味での「性癖」を指して使っても問題はない。

この場合ストライクゾーンの共有というよりも、内包と言ったほうが正しいのかもしれない。

まり現在のような狭い使い方の「性癖」が蔓延るより前の時代においても、「性癖」という言葉を使って性に対しての嗜好を表現した文章があったとして何もおかしくないのである

現在の「性癖」という言葉が指すストライクゾーンは、元々の「性癖」が有していたストライクゾーンに完全に飲み込まれているわけである

少女趣味」の場合は被らない部分があるストライクゾーンの共有だ。

一部のロリコン少女連想させるものに対して興奮する異常な性癖を持っており、一般によく知られる例をあげるとすれば「ランドセル」「黄色帽子」といった具合だろう。

もちろんこれらは多くの少女にとって単に野暮ったい類の制服しかなく憧れるようなものではないので、本来の「少女趣味」としてストライクゾーンに入ってくるものではない。

だがこれが「ガーリーファッション」になってくると、一部のロリコンはそれらの衣装によって興奮してしまう。

この部分に、本来の「少女趣味」と誤用としての「少女趣味」におけるストライクゾーンの共有が発生しているのだ。

まりフリルを多用した服装を指して、「少女趣味」を喚起させると表現した時、それが甘い夢の世界からやってきたものだと感じたのか歪な欲情の餌食とされそうだと感じたのかは、それ以外の文脈を通して初めて決定されるということだ。

そもそもこういった勘違い最初に起きたとき何が発生したのだろうか?

誰が最初に「少女趣味ロリータコンプレックスの言い換えだ」と言い出したのだろうか?

これは「共有したストライクゾーンをめがけて投げられたボールが、そもそもどこから放たれたかの逆算における失敗」から生じたものだろう。

初めて聞いた言葉、聞き慣れない言葉に対して文脈によって理解したふりをした気になり、それを確かめもせずに自分が言う側に回ったのだ。

これは流行語ビジネス語においてよくある話だ。

よく意味は分からないが周りが使っているのでなんとなく自分も使っているうちに、その意味社会の中で決定され、最後多数決のような決まり方がされる。

つまる所、言葉というのは最終的に「その集団多数決によって決めた意味」こそこそが最も重要視されるので、「性癖」はもはや「性に関する癖」という意味言葉に置き換わったと考えるべきなのだ

言葉ってそういうものじゃないだろうと思った人はウィトゲンシュタインを読んで欲しい。

彼がまさにこういう話をしている。

2023-05-03

anond:20230502231506

これさ、実物見た事ないんだけど主催者が出てきて宣言する感じなの?

どうやってセックスしないで出るか考える方が楽しそうだな

ちょっと考えてたんだけどさ、主催者は人にsexさせて何が楽しいんだろ?

そんな設備までつくる動機が見えない

ひょっとして主催者参加者の一人なんじゃないか

犯人はこの中にいる・・・

というわけで多数決で怪しいやつ一人ずつ吊るしていこうぜ

《こうして人狼ゲームが幕を開ける》

2023-04-29

オタクコンテンツは終わりです、残念でした

オタクコンテンツは終わりです、残念でした…

…とだけ書いて終わるのは雑なので、個人的偏見等を込みで色々思うところを書いていく。

おそらくここで語るもの陳腐凡庸面白みのないものであろう、しかしもし興味を持っていただけたら読んでもらえると幸いである。

オタクコンテンツ一般化とその弊害

オタクコンテンツはみなさんご存知の通り一般化した、街中にはアニメVtuberなどとコラボした商品散見され、街中でアニソンが流れていたりする。

アニメ漫画の話をしても嫌がられないし、むしろそのような話を積極的にしてくる人もいる。

オタクコンテンツ一般に広まったせいで過度に一般化してしまったと私は思っている(これはあくま偏見である)

というのもまずは売れるかどうかという数値が前提にくるからである

もちろんこれらは"商品"であるため、売れるのがいいというのは間違いがないし企業としては売れなければ価値がないというのは間違いないであろう。

そこで問題にしたいのはオタクコンテンツ精神性というふわっとしたものになる。

これらコンテンツ個人的偏見等込みではあるが迫害歴史であったと私は思っている。話をすればキモがられ、売っている場所隔離されるそのようなものであった。

しかしそのような状態であってもコンテンツを作り続けた人たちがいた、彼らは自身の溢れ出るもの解放させコンテンツを作り続けた結果今のように市民権を得ることができた。

このようなコンテンツ最初はごく一部の人間が面白がり小さいコミュニティ、もしくは執着に近い発掘欲を持つ人間にの評価されていた。

また自身面白いと思うコンテンツ他者に知らせたいものでさまざまな機会で、さまざまなツール面白いと思う感情を広げていった。

そして一般層にまで広がり市民権を得たということだ。

問題はここからで私は一般層はもの評価する能力がない、もしくはあったとしてもそこまで高くないと思っている。

動物悲劇があれば泣くし、子供が頑張れば感動する。弱者サクセスストーリで涙し、悪徳企業に怒り、永遠の愛でしんみりする。

しかしわかりやすい感動にしか反応しない、もっと正確にいうならばわかりやす感情の変化にしか反応しないのだ。

感動というものはさまざまなものがあるが大きくまとめれば感情の変化であろう。

感情の変化というものは各人のセンス知識経験依存するものだ。感動するという行為にも才能と経験必要になる。

例えばよくピカソの絵を見て誰でも描けるとかこれが芸術なんだとかい人間がいる。しかピカソ写実的な絵も描くことができ、キュビズム本来なら同じ平面上に存在しないものを写実性を捨て記号化することにより同時に存在させるようにしようとした試みであることを知ればそれは難しいことがわかる。

知識がなければピカソの絵を見ても評価できないのである

コンテンツというのは歴史の流れがあり新しい評価基準表現感性を探求するという性質がある。

しかしそれらを評価するためには今までのコンテンツへの理解などが必要になる。

一般層の人間はこの知識経験がない、そのため評価基準他者依存することになるかもしくはわかりやすものしか評価できなくなる。

さてさまざまなコンテンツの多くは営利活動の結果生まれ産物である営利活動評価を行う際に基準となるもの収益であろう。

当然のことではあるが収益性のみを考えた場合、新しいコンテンツ評価するようなオタクコミュニティ(ここではこのような人やコミュニティをまとめてオタクコミュニティと呼ぶことにする)と一般層、どちらの方が人口が多いであろうか。

考えるまでもなく後者だ、そして後者はわかりやすものしか評価できない。

ではどうなるか

企業としての答えは明白だ、わかりやすものを作れば良い。

ただ、わかりやすすぎるとそれはそれで消費者が怒る。

なので1手先しか考えていないようなわかりやす一見深そうで薄いコンテンツ生産されていく。

コンテンツ生産者の話

また、クリエイター視点に立ってみよう。

間違いなくオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター一般層に評価はされないだろう、わかりづらい作品を作るので歓迎されることはないだろう。

では誰がコンテンツを作るようになるか、これは間違いなく一般層のクリエイターになる。

というのも感情が近いので作りやすいのだ、またオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター比較して、コンテンツ自体に執着が薄い(無いわけではないし一部の方はとても強いと理解しているが集合として見た時の話である)ので仕事と割り切れたりするという強みもある。

企業からすると一般層のクリエイター収益も産みやすく優秀な金の卵であるが、オタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイター収益を産まない腐った卵であろう。どちらが優遇されるかは明白である

このようにしてクリエイターの層が更新されていく(新陳代謝といえばそうかも知れない)

クリエイターが変わっていくとコンテンツ自体オタクコミュニティー向けのものから一般層向けのものへと大部分がシフトしていき、そのうち入れ替わる。

そうしてオタク向けのコンテンツ一般向けのコンテンツへと狂気希釈されていく。(私はこれを一般層の文化的侵略だと呼んでいる)

そのような状況であってもオタクコミュニティー向けのコンテンツを作る人は作るだろう、しか評価はされづらくなる。

もしくはそのようなクリエイター時代の変化などさまざまな要因で一般層向けのものを作ることもあるだろう、映画などにある細かいネタや裏設定はそのようなクリエイターの少しばかりの一般層への反乱ではないかと思えて仕方ない。

企業から観点を考える

さてオタク向けのコンテンツオタクコミュニティから一般層向けのコンテンツへと変わっていくという話をした。

ここで一般層の評価基軸をもう一度説明すると他社が評価しているか、わかりやすい感動かという軸で評価している。

後者と比べ前者は容易にハックすることができる評価基準である資本マーケティング勝負に落とせるからだ。

まり一般層のコンテンツは、芽が出そうなものに対して資本という栄養剤を投与することで完成する、そして一般層に収穫され消費されるのだ。

私は最近コンテンツ話題になる期間が短いのはこのような背景があるからではと思っている。短くしないと次のコンテンツを消費できなくなるからだ。

ここで一つ誤解を解く必要があるが、私はこのような企業行為に対して悪だと断罪するつもりはないし、営利活動を行う団体として収益を上げるのは正しい行為だと考えている。

ただその商品ターゲットが変わっただけである

最後

このようにしてオタクコンテンツは終わっていくし、すでにアニメ漫画などは終わっていると私は考えている。終わっていなかったとしても一般層にリーチしないのでそのようなコンテンツを知り得る人はごく僅かであろう。

これが悪いのかどうかと言われるとそうではなくただ集団の行動の結果であるしかいえない。

しかし、間違いなく言えることは一般層がオタクコンテンツに入ってきた瞬間にそれは終わるということだ。

もっと正確にいうならば物事評価できないもの多数決という言葉に負け評価基準を渡してはならない。

その先に待っているのはコンテンツ破滅であると私は考える。

ここまで長々と書いたが私の本心最後に書いておこう。

推しの子あんまりきじゃない、

2023-04-26

anond:20230426134243

多数派がこうするべきだと決めたら諦めるのが民主主義

こういう、多数決民主主義程度の雑な認識で偉そうに語る奴ってなんなんだろうね

小学生じゃないんだから

2023-04-21

帝王切開語源のややこしさの話

普段から由来やどうでもいい知識を調べるのが好きなのだが、帝王切開語源(由来)については何度も調べて分かった気になって2日後には忘れて再度調べる、というのをすでに8億回くらい繰り返している。それほどこの帝王切開という言葉語源について複雑、かついろんな説が出回っており、その説すべてで「この説が正しい。他は間違い」というスタンスなのでわかりにくい事この上ないのである

なので自分なりにわかやすくまとめたものをここに置いておく。ソースウィキペディアやどこかの医学系のサイトなど複数から取ってきて多数決を取った。同じ疑問を持つ人の目に止まれば幸いである。

これが本当に正しいかどうかは知らない。

Q 帝王切開妊婦お腹を切開して赤ちゃんを取り出す術式)ってなんで帝王っていうの?

A ざっくりこんな流れっぽい

フランス語opération césarienne」(切開する術式、的な意味でこう呼ぼう)

ラテン語「sectio caesarea」(切除して取り出す、的な意味。ここのcaesareaには帝王というニュアンスが無いことに注意。古代ローマのcaedere(切り取る)に由来。)

③並行してcaesareaには「分家」という意味があり、これがカエサルさんが有名になったことで後世では「皇帝帝王」という意味を持つことになる。同時に切り離す的なニュアンスが薄れていく※

ドイツ語「Kaiserschnitt」(Caesareaってなんや皇帝?まあ適当に直訳すればええやろ。schnitt(切開)も付けとくか)

日本語帝王切開」(Kaiserってついてるから帝王って意味やろな。直訳して帝王切開でええやろ)

Q つまり誰が悪いの?

A しいて言えば「意味を深く考えず直訳した適当単語を作ったドイツと、それを勝手単語バラバラにして安易に直訳した日本である

  でも"Kaiserschnitt"を訳せと言われたら"帝王切開"以外に訳しようがないのも事実

  一番の元凶はcaesareaが皇帝という意味を持ってしまたこである。これがすべてをややこしくしている。つまり誰も悪くない。

Q ドイツ人がcaesareaをKaiser(皇帝)に間違えたんじゃないの?

A 間違えたというよりcaesareaを訳せと言われたらKaiserとしか訳せなかったのであろう。

Q ドイツ語kaiserには「切り分ける」という意味もあるので日本が間違えたのでは?

A これはデマ現代ドイツ語にそんな意味はない。

Q 結局どういうこと?

A そもそも誰も「誤訳」や「間違い」なんてしていないのだ。歴史言語翻弄されただけである。彼らは忠実に訳していっただけ。

Q カエサルさんが帝王切開で生まれたんだよね?

A これはめちゃくちゃデマ

Q 帝王切開にはハサミを使うからシザー→シーザー、なのでは?

A これもめちゃくちゃデマ

※結局②と③の因果関係が未だにはっきりしていない。卵が先か鶏が先か、みたいな話である

23/04/21:コメントをもとに追記修正

2023-04-15

やるべきことをやらず宗教団体とズブズブで弱者を虐げ続けていた状況が老人多数決選挙じゃ何も変わらなかったのは事実からなあ

anond:20230415033751

でも選挙は若年層がいくら集まっても勝てない老人多数決ですよね

2023-04-13

anond:20230413091407

実質数百人の多数決で決まると、そのうち数十名が暴力権力脅迫されると脆弱だしね

全て直接民主制にしなくても、代議士国民意見割れた時に修正できる制度必要

2023-03-30

anond:20230329234723

数が多い方の利便性安全性を優先した合理的判断でしょうよ。

休憩室までは男性も入れるケースもある様なので施設の匙加減になるけど、誤差の範囲だろう。

休憩室というより、授乳室に男性を入れない事が重要なので、カーテンの防御力と位置関係によっては休憩室も含む判断になるんでしょ、きっと。


授乳室ってのは、女がオッパイもろ出しにする為の部屋なんよ。赤ちゃんご飯あげる部屋じゃ無いんよ。

ここんとこ誤解してると男女のどっちも幸せにならないよ。

んで、よっぽどでなければ授乳室にも荷物置けるスペースあるっしょ。旦那と二人で入りたいくらいなんだから

一人でできる事の何を旦那に手伝わせるのか分かんないな。

自宅じゃ無いんだから諦めろ、そこは一人でやれ。旦那には近場で待ってもらいなよ授乳の間くらい。

何でかって、お前以外にも授乳したいママおるやろって事が優先されてるからだよ。

赤ちゃん環境変わると落ち着かなくてオッパイ飲めなくなるっていう、気の毒なケースを想定してるから、極力他人を減らすようお互い譲り合いましょうの精神なの。

あと防犯。

入る人間限定されてれば不審者の早期排除やすかろう。

そんで防御力弱いカーテンなのは産後で体調の安定しないママがぶっ倒れた場合の早期救助を想定してるからってのもあるよ。予算との兼ね合いで。


別に男性攻撃したいからじゃなくて、現実的に数が多いママの方を守ってるだけなんよ。お前を、じゃなくて複数ママをな。多数決の考え方。


で、数の少ない男性赤ちゃん連れについて。

これはもう特殊ケースなので諦めてもらって。

今、自分が利用する事じゃなくて、将来どこかのパパが楽になる為に、施設側にアンケート用紙でも出してくれよ。

ママと一緒に使うんじゃなく、パパだけが使いやすレイアウトとか、多目的トイレみたいに鍵の掛かる個室なんかを希望する形で。


で、現実的には施設店員相談しろサービス窓口とかの。

赤ちゃんミルクあげたいんだけど、他のママ赤ちゃんを怖がらせたく無いって所を訴えれば、例外対応して貰える場合があるし、その時は駄目でも困ってる客の存在が伝わるので未来に期待できる。

ミルクの間付き添ってくれたり、キッズスペースで簡易的に場所空けてくれたりしてくれる事があるよ。

完全に施設の匙加減なので過剰な期待や強要は止めて欲しいけど。

そんで対応してもらえたら大げさに感謝して気持ちよく去ってくれると、二回目も対応してもらいやすいよ。

赤ちゃん連れて出かけるなら、ママだって利用できる施設確認とかしてから出かけるんだから

より条件が厳しいとはいえパパも事前調査はしてくれ。

このケースに限らずマイノリティが面倒なのは誰でも一緒だから

それでもシステムに外れたところで受け入れる余剰は、こういうケースのほうが期待できるじゃない。

一人でミルクあげる場面になったパパは、すまんが諦めて手間かける方向に行って欲しい。

そんで増田は二人で入るのを諦めろ。

2023-03-22

心が狭くて申し訳ないんだが

性差別については半々だからまあわかる。

だがなんでジェンダー問題の優先度高くしないといけないんだ?

なんかこいつら性差別に乗っかってきてないか

可愛そうだとは多少思うけど、他にもたくさん問題があるわけで、

例えば相対的貧乏人とか日本にはジェンダー問題で苦しんでるらしい人間と比べると数多くいることはまあ間違いないだろう。

環境問題とかも将来的な不安から重要視する人間もまあそれなりにいるだろう。貧困よりは弱いと思うけど。

しかもよくわかったと思うがジェンダー問題に取り組むことによって、まあそうでない人間たちにはそれなりの損害がくるわけだ。

いや、社会的に余裕があるうちはいいと思うよ。そんな来ない気がするけど。

でも今の社会って超適当に言えば多数決で決まるんだろうになんで少数の対象の救済を優先するんだ?

戦争やら不況やら問題起きてますよ...?

なんでみんな余裕があると思ってるんだろ。

2023-03-19

anond:20230319080528

国会が空転して審議が進まないのが一番、国民にとっての利益だろ。

形の上でも審議して多数決取られたら可決されるんだから、とにかく時間を浪費させて予算法案を成立させないのが国益になるのは当たり前。

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