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2017-06-18

ラップ

1.

《名》競走路の一周。また、競泳プールの一往復。

lap

2.

《名・ス他》食品を包む薄くて透明なフィルム。また、それで包むこと。

▷ wrap

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翻訳とその他の定義

ラップ - Wikipedia

https://ja.m.wikipedia.orgwikiラップ

ラップrap、またはリズミング(rhyming)、スピッティング(spitting)、エムシーイング( ... 心霊現象ひとつであるラップ現象ラップ音)はこの意味 である俗語としてはさまざまな意味に ...

概要 · ‎語源 · ‎歴史 · ‎日本におけるラップ

2017-05-20

オウム真理教があった時代を生きていた人が羨ましい

俺の誕生日1995年3月20日地下鉄サリン事件の日だ。

実家上九一色村に隣接する市町村にある(今は平成の大合併で同じ市町村になってしまった)。

そういう生い立ちがあるので中学生くらいの頃からオウム真理教について興味があって、オウムについてよく調べていた。

俺の世代は、上九一色村の隣だからって特別オウムに詳しい人なんて居なかった。オウムについて調べていたのなんて俺くらいだ。別に信仰に興味があるわけではない。起こした事件活動について興味があるのだ。

こう言うと不謹慎かもしれないが、オウム真理教ロマンを感じてしまう。麻原彰晃の不気味な感じとか、バイオテロ化学テロをそこらじゅうで起こしていたこととか、宗教団体なのにパソコン屋や飲食店経営していたこととか、隣の村に不気味な施設を建てていたこととか、薄暗くて、どことなく惹かれるところがある。ほかの人が心霊現象とか超常現象に惹かれるのと似たようなもので、俺はオウム真理教ロマンを感じる。

しかし、残念なのはあの時代をもう経験できないことだ。

オウム真理教経営してるパソコンショップがそこらじゅうにあっていつでも行けた時代ビートたけし麻原彰晃テレビで対談していた時代。隣の村にサリン工場があった時代テレビアーナンダが水中クンバカをしていた時代エリート胡散臭い宗教を大真面目に信仰していた時代。あの歪んだ平成一桁を、俺はもう経験することが出来ない。1日でいいからあの時代の空気経験してみたかった。

あの時代経験したあなた達が羨ましい。

2016-08-18

おばけ嫌いをいつの間にか克服していた

幼少の頃、おばけが死を考えることよりも怖かった。

人並み以上には心霊体験もしたし、怖しい夢に眠りを奪われるのはざらだった。

人の言うところの霊感とはこのことなのかと喉の奥においやり、心霊スポットには目を伏せ神仏氏神様に足を向けることもなかった。

ところがしばらく忙しさに時を忘れていると、いつのまにか過剰なまでの恐怖心が身体に残されていないことに気付いた。

それまではどれだけ子供だましだろうとも、心霊という情報が脳に入り込むだけで、呼び起こされる記憶によって一瞬にして背筋から緊張が走り出てしまっていた。

それなのに、今は子供だましを子供だましと落ち着いて見られるようになっていたのだ。

多感な頃に比べれば確かに心霊現象わたしを恐怖させるようなこと稀になった。

相変わらず悪夢が時折わたし現実へとはじき出すことはあるが、それを目覚めて尚心身が恐怖するようなことはなくなった。

なぜだろう。

世の中がわたしを恐怖させようとする度、それに屈しない自分をしばらくの間不思議に考えていた。

そうして辿り着いた結論は2つだった。

多感なころは欲求に突き動かされるままに数多くの必要悪生活をともにしていた。

目的のために傷つく人がいることは摂理と考えていたし、生物運命を掌握できることは人間権利だと信じていた。

それがそうでないということと、そうしなくても生きられるだけの知識経験が身についたことで、知らぬ間に必要悪に頼る必要のない生活を送っていた。

まり心霊わたしを襲う正当性解決していたのだ。

そしてもう一つの理由は、心霊なんかよりももっと、背筋から熱を奪う存在が身近に寄り添っていることに気がついたことだろう。

時を忘れるほどの忙しさは、同時に我をも忘れさせていた。

一体何年の間、光の差さな下水の中を行き先もわからないまま手探りで這い進むような生活を続けてきたのだろうか。

人間しからぬ生活わたし精神から人間らしい部分を削り落とし、人間しからぬ精神わたし身体から人間としての営みに必要な部分を奪い去ろうとしていた。

ただでさえ朦朧とした記憶曖昧になっていく中で、一体いつまでわたしわたしわたしと感じていられるのだろうか。

怖いものを怖いと感じるわたしが失われていく怖さでさえも、もうまもなく失われてしまうのだろう。

2016-06-07

幽霊気合で追い払える

前にTwitterでいわくつき物件で怒りまくったら心霊現象がなくなったって漫画読んだけどあれまじホント

今の家に引っ越しから何度かひどい金縛りにあったけど、翌朝早いときにかかったとき「てめぇまじふざけんなぶっ殺すぞ」とか他のストレスもあって叫んだら

それ以来全くかからなくなった。

みんなでいわくつき物件に住んで怒りまくればストレス解消と除霊一石二鳥だ!

2014-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20140216104832

そういう場で、いえ特に旦那に不満はないですとか言ったら猛烈に浮く。

女性の会話は同意して共感することでしか成り立たないことが多い。

幸せな話はイコール自慢ととられ、ウケが悪い。

女性の妬みは怖い。心霊現象なんてかわいいものだ。

いいわよねあなた平和から私達みたいなくだらない愚痴はわからないでしょうけど、みたいな。

本心で話せるのはよっぽどの親友だけ。集団での会話にはそれはあり得ない。

女に生まれてこのめんどくささを知らない奴なんていない。

からそれを本心で言ってると思わずに、話半分どころか二割くらいで聞いといたらいい。

2013-12-19

数年前の話。

運転中、前方の車両交差点に進入しかけ、黄色信号に変わりかけのタイミングだった為か一時停止して、そしてまた前進して、また停止した。

車列は十分以上に渡りおよそ平均時速60km位の速さで流れていて、真後ろの車両を運転していた自分は疲れもあり、とっさの対応が遅れた。

追突を避ける為に無人の歩道に突っ込もうとしたものの間に合わず、結局は前方車両の左後方に追突。

その時はただ、相手ドライバーにも駆けつけてきた警察にもただ平謝りするばかりで、状況のおかしさにも気付かなかったのだが。

相手も無傷で、示談で済んだことにも安堵するばかりだったが。

事故後しばらくして改めて当時を振り返り、その異常性に気付いた。

前方車両の不審な挙動

警察の到着が異常に早かった事。

ドライバー若い女性警察官二人、両者に共通する、何かを飲み込んでいるかのような態度。

まあ事故るのもしょうがないよね、みたいな納得気味の態度。

警察の不自然な、“事実よりも20メートル後方よりブレーキを踏んだ事にさせよう”推し。

まあ要するに、

前方車両が止まったり進んだり止まったりと変な挙動を繰り返していたのは、自分から見て死角にあたる左斜め前方に“アレ”がいたかららしい。

からこそ、事故現場への到着が早いのも当然の話だし、

“アレの存在を感知した事が前方車両の妙な挙動引き起こした”と理解していたから、警察被害者もそのどちらも、事故ったことに対して納得気味だった…という事らしい。

自分ひとりがアレの存在に気付いていなかったわけだ。で、これ幸いと何も説明もせずに事故処理を進めたのだろう。

ブレーキを早めに踏んだ事にさせたのも、アレを事故原因と関連付けられる線を断ち切っておきたかたから、なのだろうか?

まあどちらにしても警察はアレについて説明する義務もないし、仮に説明されたところでこちらの過失割合が変わるわけでもない。

――と、こういう書き方をするといかにも事故原因が心霊現象か何かに思えるだろうが全然そんな事はなくて、

数ヵ月後、また同じ場所で同じアレをしていたためにようやく気付く事ができた。

鼠捕りはあまり暗くならないうちにもう少し安全なところで決して隠れずにやって下さいね、山〇県警さん。

2013-10-30

anond:20131030094105

何かを信じるだけでは「宗教」じゃないです。

初詣おみくじもお守りも、もちろん、幽霊心霊現象占い迷信ジンクスなども、宗教とは関係ないです。

2013-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20130521130446

どうせサンタ信じられない年になっても

心霊現象とかノストラダムスとかに引っかかるようになるんで

十代のころくらいまではフィクション世界に生きているものだと考えればいいんでは。

2013-02-25

オカルト板でよく見るコピペ名所

SS 雫石・慰霊の森

S+ 常紋トンネル

S 旧旧吹上トンネル 旧善波トンネル しとどの巌 新三郷トンネル名称不明) 

A 畑トンネル 八柱霊園(第、7、13区画、芝生霊園) 幽霊ペンション 八王子城址

B 千駄ヶ谷トンネル 伊勢トンネル 旧野木病院 新吹上トンネル 小美玉小川脳病院

C 犬鳴トンネル 厚木恵心病院 ホテル望洋

D 多良崎城址 中村精神病院 明通トンネル 人穴

E 虹の大橋 京急横須賀中央駅 東京湾観音 池島

行ってはならない。入ると呪われる殺される、自殺、謎の事故死、らしい、という、話がある、耳にする・・・等。

殆ど都市伝説の域を出ないデマ恐山東尋坊のように元々神聖化された空間ならいざ知らず。

例えばトンネル笹子トンネル事故でも有名な、単なる老朽化による崩落事故とか暴走族ヤクザの住処といったありきたりな事に尾びれを付けたもの殆ど

そもそも“出る”というのも口コミ程度でソースがはっきりしない。そんなにすごい名所なら十中八九新聞に載るものだけど、当時のニュースソースを取り上げての話がないし

あくまで噂レベルの話だったりする。

次に多い病院ホテルなどの施設類に至っては、殺人医療ミスによる二次被害経営破たん後耕作放棄地の如く捨てられただけ、または明治大正期の洋物ブーム~戦後の高級団地ブームなど時代ごとの流行が年月を経て廃れて廃墟化したという今でもよくある倒産事情によるもの

島や穴は万葉集にも載ってる大陸半島から渡ってきた技術者伝道師が移り住んだ土地であったり、ポットホールなど地理学術的に証明された自然や人工による産物殆ど

それに尾びれが付いたのが、かの有名な桃太郎だったりする。

駅については、飛び降り自殺や酔っ払うなどして誤って落ちて死んだ事故や事件に尾びれが付いただけ。実際事故や事件の記事が出ても心霊スポットになってるというのは噂程度にしかない。

慰霊の森や霊園は戦没者を埋葬してるのでむやみに騒ぎ立ててはいけない。樹海も同様。なぜならあそこには生身のおくりびといるから。

冷やかしで入って行方不明になったり死んだりするのはそこを守っている守人、つまり狂信的な団体・組織の人に殺されただけ。何も不思議はない。

心霊スポットっていうのは人間の思い込みが原因で作り出された虚構。幽霊がいない事はマスコミ心霊現象懐疑的になってきた事も証明してる。何を隠そう心霊スポットの出所は全部マスコミなのだから。嘘を嘘で塗り固めると傍目に見ても通常は嘘と見抜けないように、誰かが付いた嘘に別の誰かが賛同したらあたか事実であるように誤認する。

人間の悲しい性よ。

この止揚もない性質で本質が見極められずやたら自分や他人を傷付けてるのだから

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.2

【vol.1「カルトに係わる契機」】はこちら。

宗教経験

 カルトの「超越的世界観」によって、現実世界においては解決の困難な問題が解決することと述べました。他方、この類の世界観は非現実であるために、受容が困難なのも事実です。ところが、「神秘体験」、「超越体験」などと呼ばれる幻想的な宗教経験は、その受容を著しく促進します。

 オウムにおいても、教義の妥当性の根拠は、その種の宗教経験でした。つまり、多くの信徒は教義の世界を幻覚的に経験しており、その世界現実として認識していたのです。地下鉄サリン事件への関与は誠に愚かであり、心から後悔しておりますが、この事件についても、宗教経験から、私は教義上の「救済」と認識して行いました。

 このように、宗教経験は、「殺人」を肯定する非現実的な教義さえ受容させる原因となります。したがって、宗教経験を根拠とする思想やこれを起こす技術の使用には注意すべきです。

 以下、宗教経験検討のために、私の経験を述べさせていただきたく思います

 前述のように、高校三年生ときに、私は、「生きる意味」の問題を意識するようになりました。しかし、その後、私は目を引いた本を読んだり、簡単な瞑想指導する団体に入会したものの、その問題は棚上げ状態でした。大学で学ぶことが将来の職業に直結するので、学業や学費のためにアルバイト忙殺されていたのです。

 そのようなとき、偶然、私は書店で麻原の著書を見かけたのです。昭和六十三年二月ごろ、大学院一年ときでした。その後、関連書を何冊か読みましたが、彼の説く解脱悟りが気になりました。

 最終的な解脱悟りは、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の境地であり、本来、私たちはその状態に安住していたにもかかわらず、煩悩にとらわれたために、輪廻して苦界をさまよい続けているとされていました。ここで、絶対自由とは、カルマ(業。転生する原因)から解放され、どの世界に転生するのも、最終解脱の状態に安住するのも自由という意味でした。絶対幸福とは、金、名誉など自分以外の外的存在を必要としない幸福という意味でした。絶対歓喜とは、自己存在しているだけで歓喜状態にあるという意味でした。

 不明な点が多いものの、何らかの絶対的に幸福な境地の存在事実であれば、その追求は「生きる意味」に値するのではないかと思いました。

 また、麻原は修行を完成させて最終解脱の境地にあり、弟子指導して彼らをも解脱させているとのことでした。麻原や弟子たちの体験談を読むと、解脱への確かな道が存在しているように思えました。彼らの体験には普遍性が感じられたからです。さらに、麻原は自身の体験の妥当性を、ダライ・ラマ十四世をはじめとするチベット仏教インドの聖者たちと交流して確認したとのことでした。

 前述の解脱のような教義の話だけならフィクションを読んでいるようなものでしたが、このような実証的な姿勢は理解できることでした。この点は、私がそれまでに接した斯界のものとは違っていると思いました。

 しかし、事はそう簡単に運びませんでした。麻原が主宰するのは、宗教団体オウム真理教」だったのです。(なお、当時、オウムほとんど無名の団体でした。)

 私は新宗教に対して拒絶反応が起こるのを禁じ得ませんでした。「輸血拒否事件」、「霊感商法」…新宗教に関するマスコミ報道は、決まって言いようのない不快感を催すものでした。とりわけ、「輸血拒否事件」は、高校三年生ときに話を聞いた団体のことだったので、新宗教に対する問題意識が高まりました。

 この事件の報道では、事故に遭った子供が「生きたい」と言っていたのにかかわらず、両親が教義に従い、輸血を拒否したとされていました。この団体の聖書解釈が正しいという保証はないのだから―私にはほかの解釈も可能に思えました―、そのような不確実なことに基づいて命を犠牲にすることが信じられませんでした。ですから、この事件で、私の新宗教に対する不信は決定的なものになっていました。

 このようなわけで、私は本を読む以上にオウムに近づけなかったのです。

 ところが、本を読み始めた一週間後くらいから、不可解なことが起こりました。修行もしていないのに、本に書かれていた、修行過程で起こる体験が、私の身体に現れたのです。そして、約一ヶ月後の、昭和六十三年三月八日深夜のことでした。

 眠りの静寂を破り、突然、私の内部で爆発音が鳴り響きました。それは、幼いころに山奥で聞いたことのある、発破のような音でした。音は体の内部で生じた感覚があったものの、はるか遠くで鳴ったような、奇妙な立体感がありました。

クンダリニー覚醒―」

 意識を戻した私は、直ちに事態を理解しました。爆発音と共にクンダリニー覚醒した―読んでいたオウムの本の記述が脳裏に閃いたからです。クンダリニーとは、ヨガで「生命エネルギー」などとも呼ばれるもので、解脱するためにはこれを覚醒させる、つまり活動する状態にさせることが不可欠とされていました。

 続いて、粘性のある温かい液体のようなものが尾底骨から溶け出してきました。本によると、クンダリニーは尾底骨から生じる熱いエネルギーのことでした。そして、それはゆっくり背骨に沿って体を上昇してきました。腰の位置までくると、体の前面の腹部にパッと広がりました。経験したことのない、この世のものとは思えない感覚でした。

 「クンダリニーの動きが正しくないと、くも膜下出血を起こす」、「指導者なしの覚醒危険だ」―オウムの本の記述別世界の話でしたが、今や、我が身に起こりつつある現実でした。私はクンダリニーの動きを止めようと試みました。しかし、意志に反して、クンダリニーは上昇を続けました。

 クンダリニーは、胸まで上昇すると、胸いっぱいに広がりました。ヨガでいうチャクラ(体内の霊的器官とされる)の位置にくると広がるようでした。クンダリニーが喉の下まで達すると、熱の上昇を感じなくなりました。代わりに、熱くない気体のようなものが上昇しました。これが頭頂まで達すると圧迫感が生じ、頭蓋がククッときしむ音がしました。それでも、私は身体を硬くして耐えるしかなす術がありませんでした。

 突然の出来事に、どうなることかと思いましたが、それをピークに一連の現象は収束しました。どうやら、無事に済んだようでした。

オウム真実だ」

 オウム宗教世界観が、一挙にリアリティを帯びて感じられました。麻原をグル修行指導する師)として、解脱悟りを目指すことが私の「生きる意味である確信しました。麻原の著書を読み始めて以来相次いだ体験に、彼に強い「縁」を感じていたからです。クンダリニー自然覚醒したのは、前世グルの著書を読んだために、修行者だった私の前世記憶が甦ったからだと思いました。

 このように、急激に宗教観念を受容して、思考体系が一変する心理現象は、「突然の宗教的回心」と呼ばれています。これと漸進的な宗教観念の受容との違いについて、研究論文には次のように述べられています

 突然の回心は、被験者のものが全く変えられるように思われる経験として定義した。つまり、その変化は、被験者が生じさせるのではなく、彼にもたらされるように思われた。また、その変化は、被験者の生活様式、道徳的特性を形成する態度におけるものだった。

 漸進的な宗教的発達は、上で説明したような回心経験がないという特徴のもので、そして被験者が自身を無信仰と識別したことがないものである

 すべての回心者は、疑いの余地なく、無信仰の状態から信仰深い状態になった。

 二つの集団の特色をかなりよく示す、二つの自伝を下に引用する。一人の突然の回心者は、彼の経験を次のように記述した。

 この経験は、私が一四歳の秋に起きた。私は畑を耕して働いていた。突然、嵐が近づいたように思われ、そしてあたかも私の周りの全てが止まったようだった―私は神の存在を感じた。馬たちは完全に止まった状態になった。真っ黒な空がとどろいたので、私は祈った。嵐はすぐに通り過ぎたが、この瞬間だった、―私は祈りながら―主が望むならば、クリスチャンになり、主に仕える決心をしたのは。

 漸進的な宗教的発達をした集団の一員は、彼の経験を次のように記述した。

 私が信仰深いと自覚したときを説明するのは難しい。それに対し、何年か前に私は十ポンドで生まれ、そして現在はそれよりかなり重いという事実を説明するのは、全く簡単だろう。この成長には、出来事の印象がないわけではない。しかし、少なくとも回想では、そのプロセスはあまりに完全に連続したように霞んでいる。だから、私が自身の認識に現れた時点を思い出せる以上に、私は“信心深く”なった時点を分離できない。私はその二つの出来事はほとんど同時に違いないと思う。

引用英語で分からず。)

 このような宗教的回心は、人が葛藤状態にあるときに、幻覚的な超越体験と共に起こることがあり、このとき葛藤が解決するとされています。また、突然の宗教的回心においては、常識から非常に逸脱したビリーフ・システム(思考体系)が受容される場合があるとされています。そして、「カリスマグループの一つの注目せざるを得ない特徴は、入会の特徴がしばしば劇的な回心の経験であることだ」といわれています

引用英語で分からず。)

 私の場合、「生きる意味」に係わる葛藤のために、回心が起き、オウムの教義体系が受容されました。このように、非現実的な世界観が突然現実として感じられ、それが受容されることがあるので、超越体験に基づく世界観には要注意でしょう。後述のように、それが日常生活との間に摩擦を生じる場合は問題が起こるからです。

 オウム宗教世界観現実となった私に、入信以外の選択はありませんでした。また、新宗教うんぬんといっていられる状況ではありませんでした。クンダリニー覚醒した以上、指導者は不可欠だったからです。私はクンダリニーコントロールできず、頭蓋がきしんでも、なす術がなかったのです。この状況について、ある共犯者は「広瀬君は、本を読んだだけでクンダリニー覚醒して、困って教団に相談に行ったと言っていた。ある種の困惑広瀬から感じた。」と法廷証言しています

 こうして、オウム真理教在家信徒としての生活が始まりました。在家信徒は、社会生活しながら、教義の学習、守戒など教義の実践ヨガの行法、奉仕などの修行をすることが基本でした。

 オウムの教義と修行目的について、あとの話の理解のために必要な部分のみ説明致します。

 教義において、修行の究極の目的は前述の最終解脱をすること、つまり輪廻から解放されることでした。なぜ解脱しなければならなのか―それは、輪廻から解放されない限り苦が生じるからだ、と説かれていました。これは、今は幸福でも、幸福でいられる善業が尽きてしまえば、これまでに為してきた悪業が優住になり、苦しみの世界に転生するということでした。特に地獄餓鬼動物の三つの世界三悪趣と呼ばれ、信徒の最も恐れる苦界でした。

 それに対して、解脱はすべての束縛から解放された崇高な境地でした。解脱に至るには、次のように、私たちが本来の最終解脱の状態から落下していった原因を除去していくことが必要と説かれていました。

 私たちは自己存在するためだけで完全な状態にあったにもかかわらず、他の存在に対する執着が生じたために輪廻転生を始めたとされていました。それ以来、私たちは煩悩(私たちを苦しみの世界に結びつける執着)と悪業を増大させ、それに応じた世界に転生して肉体を持ち、苦しみ続けているとのことでした。たとえば、殺生や嫌悪の念は地獄、盗みや貧りの心は餓鬼快楽を求めることや真理(精神を高める教え=オウムの教義)を知らないことは動物に、それぞれ転生する原因になるとされていました。

 これらの煩悩行為過去世のものも含め、情報として私たちの内部に蓄積しているとのことでした。この蓄積された情報が「カルマ(業)」でした。そして、「悪業に応じた世界に転生する」というように、自己カルマが身の上に返ってくることを「カルマ法則」といい、これも重要な教義でした。

 カルマ法則から考えると、解脱、つまり輪廻からの開放に必要なのは、転生の原因となるカルマを消滅(浄化)することになります。ですからオウムにおいては、カルマの浄化が重視され、修行はそのためのものでした。

 [なお、前述の「殺生」は、虫を殺すことも含みます。ですから、そのほかに挙げた行為もそうですが、一般人日常的な行為ほとんどが悪業となります。したがって、信徒についても、入信前は悪業を為してきたことになり、それらを浄化しない限り苦界に転生することになります。だから信徒たちは必死修行していました。また、家族など周囲の非信徒たちは苦界への転生が避けられないことになり、それを信徒たちは案じていました。後述しますが、日常生活と相容れないこの教義のために、一般社会は苦界への転生に至らせる世界とみなされました。そのために、信徒は一般社会を離れて出家していきました。さらに、苦界へ転生する現代人を救済する目的で、殺人まで犯すことになりました。]

 また、オウムの教義において、麻原は「神」といえる存在でした。それは、最終解脱者であり、様ざまな「神通力」を有するとされていたからです。特に麻原は、人を解脱させたり、高い世界幸福世界)に転生させたりする力があると主張していました。私たちに「エネルギー」を移入して最終解脱の状態の情報を与え、代わりに、苦界に転生する原因となる悪業を引き受ける―「カルマを背負う」といっていました―と説いていたのです。カルマを浄化していないと苦界に転生するのですからカルマを背負ってくれる麻原は、まさに「救済者=神」でした。

 麻原の指示が絶対だったのも、そのような「救済」の能力を有するためでした。オウム世界観においては、苦界への転生の防止が最優先であるところ、麻原の指示の目的は、苦界へ転生する人類の救済とされていたのです。

 回心による教義の受容の後、入信後は、私の身の上に個々の教義の体験が現われ、教義の世界観に対するリアリティがますますまりました。たとえば、入信の一週間後に、麻原の「エネルギー」を込めたとされる石に触れたところ、気体のようなものが私の身体に入ってきました。そして、胸いっぱいに広がり、倒れそうになったのです。そのときは、ハッカを吸ったような感覚がして、私は自身の悪業が浄化されたと思いました。

 その後も様ざまな形でこのような体験を重ねたので、私にとって、麻原が「カルマを背負う」能力を有することは現実でした。そのために、麻原は「神」であり、その指示は絶対だったのです。

 なお、現在は、この種の経験は暗示の機制による幻覚と理解しています。つまり、以前に接していた「エネルギーを移入してカルマを浄化する」という教義(二十一頁)が暗示になり、「エネルギーを込めた」とされる石に触れたところ、教義どおりの幻覚が現れたものと思います。(このように、回心後は幻覚的経験が極めて起きやすい状態になっていました。)

 なぜあの男が―麻原の地位が教団内で絶対だったことに対する疑問の声をよく聞きます。その理由の一つは、私と同様に、信徒にとっては麻原を「神」とする教義の世界観現実だったことでしょう。ヨガの行法によって、多くの信徒が教義どおりの宗教経験をしていたのです。

 現役の信徒は、今も、麻原の力でカルマが浄化されると感じる経験をしているようです。だから、麻原が法廷でどんなに見るに堪えない振る舞いをしても、彼は「神」であり続けているのです。私もそうでしたが、信徒帰依しているのは生身の麻原ではなく、宗教経験によって知覚した麻原です。「現実」よりも「宗教経験」のほうがリアリティがあるのです。

 このような宗教経験作用について、文献には次のように述べられています

 アメリカで(そしてしばしば国際的に)現在見られる多くのカルト様のビリーフ・システム概観することは、臨床医が特定のセクトを正しく評価するにあたり役に立つ。ビリーフ・システムは、一般に部外者を困惑させるもので、多くは超越体験や神秘体験に基づいている。あるものは、なじみのない東洋伝統から得ている。あるものは、教義を再構築する程度にまで、既存宗教を粉飾する。

 超越体験あるいは神秘体験は、回心のプロセスにおいてしばしば重要だが、このことはジェイムズフロイトが注目した。葛藤の解決における超越体験は、非精神病者精神病者の両方に急性の幻覚的エピソードが起こる程だが、この重要性も強調されてきた。これらの経験はまた、カリスマセクトの多くの全員にとって、グループの全員をを続けされる総体である。これらの出来事は、類似した現象を経験したことのある他の人たちとの友好関係を、最高潮に高める強力な感情的経験になる。

 宗教経験コンテクストにおける精神病様超越現象が生じることを説明できるモデルは、まだ開発されていない。しかし、注目すべきなのは、かなり注意を引く知覚現象を、これらのセクトの全員が普通に報告することである。たとえば、一つのグループの百十九人の全員のうちの三十パーセントが、瞑想中に幻覚様経験を報告した。明らかに、このような現象は、心理学者が正常な精神プロセスのみならず病的プロセスを理解するのにもかなりの影響があるはずだ。それらはたぶん、精神病といわれる人に幻覚状態を起こすあるコンテクストの性質を、心理学的に理解する助けになるだろう。

(前出 引用英語で分からず。)

 (A教団は)夢さえも「お父様(教祖)の夢を見ますよ」などと暗示を与えて教祖の夢を見やすいように誘導したりする。それらのプライミングの結果、信者は身辺でおきる現象がすべて神やサタンといった心霊現象ととらえることになっていると思われる。さらに、こうした経験西田のいう個人的現実性を高める。つまり体験や推論が教義と整合しているという認知を与え、ビリーフは強化される。

西田公昭 一九九五年 ビリーフの形成と変化の機制についての研究(4) 社会心理学研究、一一、一八-二九

プライミング―特定の情報に接触させることによって、人間情報処理一定の方向に誘導すること)

 瞑想のより高い段階は多くの経験を含む。これは、伝統的な文献によく載っており、明るい光のヴィジョン、身心の喜びに満ちた陶酔感、静けさ、明晰な知覚、および愛や献身感情を様ざまに含む。“超意識”、“超越体験”、“神秘体験”、あるいは“クンダリニー覚醒”と名付けられており、これらの状態は、人を引き込む影響を及ぼす。この影響は、瞑想伝統によれば、非常に深刻になるものだ。

引用英語で分からず。)

 また、宗教経験が起こる状態においては、世俗的なことに対する関心が薄れるという報告があります

引用英語で分からず。)

 以上のように、宗教経験およびそれが起こる状態は、非現実的な教義の受容や日常生活から離脱を促進するようです。


※「輸血拒否事件」1985年6月神奈川県川崎市高津区で起こった事件。ダンプカーにひかれた当時小学5年生の男の子が、両親の輸血拒否にあい、約5時間後に死亡。「大ちゃん事件」とも。

【vol.3「宗教的経験(後半)」】へ続く。

2010-10-27

夫婦を悩ますイタズラの犯人を突き止めた

都会では珍しくなってきたのかもしれないが、我が地域では未だに近所付き合いが盛んだ。

休日に自宅前の掃除をしていたら、道路を挟んだ向かい側に住んでいるご主人(老人)から相談を受けた。

 老人『増田さん、おはようございます』

 増田おはようございます』

 老人『あぁ・・・増田さんにこんなご相談をするのも申し訳ないのですが、最近このあたりで不審な人物を見たりしませんでしたか?』

 増田『いえ、家内からはそんな話は聞いた覚え無いですが・・・私も朝早く仕事に行って帰ってくるのも遅いもので。何かありましたか?』

 老人『実は・・・』

ご主人の話をまとめるとこんな感じ。

・1ヶ月くらい前からイタズラを受けている。

郵便受けにお菓子の包み紙などのゴミを入れられる。

チャイムを鳴らされて外に出ても誰もいない(いわゆるピンポンダッシュ

・近くの交番相談してみたものの、何の進展もない。

・奥様(老婆)は『近所の方に嫌われてるのではないか』と気を病みすっかり元気を失ってしまった。

・イタズラは主に朝方から夕方にかけて行われる。夜にイタズラを受けたことはない。


お向かいさんには私がこの場所に新居を構えた時から色々とお世話になっているので、ぜひ真相を明らかにしたいと思った。

早速、家に戻り妻にこの件を伝えた。

2階にある妻の部屋からは老夫婦の家の玄関が見えるので、そこに家庭用のビデオカメラを設置することにした。

我が家ビデオカメラは10年近く前のテープタイプ

最大録画時間が3時間程のため、妻がパートで家をでる11時に録画ボタンを押してもらい11~14時の間を撮影することにした。

開始して3日目

仕事を終え帰宅すると『今日もイタズラ被害にあったらしい』と妻が伝えてくれた。

奥様が夕方、郵便受けを見るとゴミが入れられていたようだ。

ビデオ早送りしながら確認したが映ってはいない。悔しい。

正直自分が被害にあっているようで、「何がなんでも犯人を見つけてやる!」と謎の正義感が湧いてきた。

近所の方から何か恨みを買ったのか?

小学生中学生のイタズラか?

さらに2日後。

また被害にあったらしい。

今度はピンポンダッシュ

時間は12時頃。

ドキドキしながらビデオを確認してみる。

ビデオ早送りながら見てると、突然奥様が玄関から出てきた。

周囲をキョロキョロしてる。

・・・・・・あれ?

奥様が出てくるまで、道路には誰もいなかったんですが・・・。

ビデオにはチャイムの音が入ってなかったので、「ひょっとしたらイタズラは奥様の妄想では?」とも考えてしまった。

年齢的には70歳近いご夫婦。ボケが始まっていてもおかしくはない。

んー、いや、でもゴミを入れられてるのは確かだし。

あんまり信じたくないけど心霊現象的なモノなのか?

そして2日後、日曜日

玄関横で洗車をしていたら、犯行現場を見つけた。

ピンポンダッシュ犯人は・・・鳥。

急に門に向かって飛んできた鳥がチャイムボタンを押した瞬間を本当に偶然この目で見た。

10秒後くらいに奥様が玄関から出てきた。

『○○さん!犯人わかりましたー!!!!!!!』

普段大声なんか出さない自分が興奮のあまり大声を出してしまった。

さらに翌日、郵便受けの部分をズームにしてビデオカメラをセットしたら鳥が飛んできて何かを入れてる映像を録ることに成功。

帰宅してからひとりでビデオを確認していたのだが、その瞬間思わずガッツポーズをとってしまった。

夜10時くらいだったので、『夜分に失礼だよ』と妻に怒られながらも衝動を押えきれずお向いさんのお宅へ。

ビデオを見せるとご夫婦そろってとても感謝された。

『あぁ、本当によかった』と言いながら奥様はうっすらと涙をうかべてた。

ずっとつづいていたイタズラに心を痛め、そんなに悩まれてたのですね。

役に立ててよかった。

前回の犯行の際、姿がビデオに映ってなかったのは、我が家ビデオが旧式すぎて画像が鮮明じゃなかったため。

周囲全体を撮影しようと思い、ズームにしてなかったから。

あと、犯人は当然人間だと思い込んでたから、画面に映ってたかもしれない小さな影なんかに気付かなかった。

上書きしちゃってるからもう確認できないけど、もしかしたら鳥が小さく映っていたかも。

あとよくよく話を聞いたら、郵便受けに入ってたゴミチョコレートの包装だったり、プラスチック片だったりキラキラしてるものが多かったらしい。

鳥ってキラキラしたもの集める習性あるの?

なぜこの家が狙われたのかはわからない。

未だに週に1回くらいはゴミを入れられたりピンポンダッシュされてるらしい。

でも隣の奥様は笑顔だ。

ゴミは鳥からのプレゼントなの。チャイムは鳥からの挨拶だと思うことにしたわ。今ではちょっと楽しみになっているんですよ。増田さんのおかげ。』


イタズラの犯人は、いつのまにやら老夫婦の小さなアイドルになっていた。

2010-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20100502013724

アナログ」の文字は焼き付くだろうけど、黒帯は焼き付かないんじゃないか?

…と思ったが、そうでもないのか。

■ ご注意 プラズマディスプレイの焼き付き現象について

焼き付き現象についての説明

焼き付きは、表示エリアの特定の場所に周辺より輝度の高い静止画を長時間写し出すことにより発生します。明るい部分は暗い部分と比較すると発光量が多く、蛍光体の劣化が他の部分より早くなります。蛍光体が劣化することにより輝度低下を招き、周辺の劣化していない部分との輝度差が大きくなり、焼き付きとなって現れます。焼き付きは静止画を使用する限りブラウン管デイスプレイプロジェクションデイスプレイなどでも同様に発生いたします。

http://pioneer.jp/biz/support/knowhow/yakitsuki.html]

あれ?でもこの原理だとテレビを点けた時に一部が暗くなるって現象になるはず。

電源を落としてもディスプレイに跡が残ってたのは心霊現象だったんだろうか…。

 
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