はてなキーワード: 自己暗示とは
それは勝負強さ。
東大合格者数ランキング全国トップ10に入るような超難関進学校だと、中1~高3夏まで遊び尽くして一切の勉強を放棄したせいで、気づけば同世代間で下位レベルの学力にまで落ちぶれた(共通テスト主要3教科で7割弱とか)ような奴でも
みたい客観性皆無のエリート意識で受験本番を迎えて、マジで早稲田社学とか所沢とか慶応文とかSFCとか、たった1個だけ都合よく引っかかる奴が多い。
こういう自己暗示で大番狂わせ起こせる奴が難関進学校底辺層には多すぎる。
東大数人以下の自称進学校だと早慶A判定連発で全滅して立教行きの子とかめちゃくちゃ多いのに。勝負弱い。
で、都合良く行かなかった難関進学校の底辺層は当然浪人するわけだけど、恐ろしいことに彼らはチンタラとサボりながら1年過ごしても一橋とか早稲田政経とか慶應経済とかに受かる。
彼らは6年間ですっかり落ちこぼれたくせに自分が勉強できると思い込んでるから、
基礎スっ飛ばして何も知らないような状態からいきなり問題集を解きまくるという自惚れムーブをしがちだ。
当然、めっちゃ賢い中学1年生がいきなり難関大の過去問演習しているようなもんなので結果は伴わない。模試の判定はほぼE。
でもこいつらは受かる。
他によく見られる特徴としては
・共通テスト本番で都合良く自己最高点を叩き出す(マーク模試や過去問演習で7科目73%が自己最高だったのに本番は86%とか)
・1回もC判定以上出したことがない東工大や東大にギリッギリで受かる(ちなみに東大は数学0完で受かる例が多い)。
高校1年から東大を意識して基礎を大事にコツコツ勉強を積み重ね、
高校3年時や浪人期に猛勉強、模試の結果もB判定安定とかだったのに遂に東大に受かれなかった
みたいな子がとにかく多い自称進学校でよくある例とどうしても比べてしまう。
「受かったけどぶっちゃけちゃんと理解してない。酸化還元反応分かってないもん」
と言っていた。
問題を見て正解答案を作ることはできるけど、現象自体は全く理解してないらしい。
「なんらかの組織に帰属して、自分が人の役に立っている」感覚が無いと、人は一瞬で壊れる。
老害が生まれるのも、定年退職後に有り余る時間の中で「自分は役立たずだ」と強制的に自己認識させられるからだ。
「は?自分は平気だけど(意訳)」と宣ってるブコメが大勢居るが、以下のどれかに該当するだけだと思う。
・体験したのが堅牢な心理的安全性が担保され、なおかつ期限付きの孤独だった。
(親元かつ20代前半以下、手に職が有り次がいつでも決まる状況での数ヶ月程度の息抜き離職、育児期間による離職など。)
・自分を孤独だと認定する閾値がおかしい。(俺・私は人付き合い苦手だし〜→普通に彼氏彼女居る、みたいな。)
・平均より知能が低い。(オタク趣味があれば平気!とか言ってるタイプ。障害者が作業所で延々と単調な軽作業してても狂わないのと同じ理屈。)
・強がり・虚勢。(大半がコレ。狂わない為の自己暗示。そもそも孤独が至高ならば、SNSの類なぞめんどくてやらないし、コメントも書かない。)
妻に抱きしめられ、労いの言葉を掛けられたが、もう何も感情は沸かなかった。
子どもが生まれてから何度も衝突を繰り返し、そのたびにヒスを起こす妻を宥め、仲直りしてきたと思っていたが。
そうか自分の中では全く消化していなかったんだなと。
自分を変えたいと言った妻には申し訳ないが、先に限界が来てしまった。
心からの繋がりやパートナーシップをついに築くことはできず、俺は妻の専属カウンセラーとなった。
妻が嬉しければ俺も嬉しいことや、妻が悲しければ俺も悲しいことを妻は理解できない。
妻は異常なほど献身的だ。外から見れば良妻だ。俺には居心地が悪い。
子どもは可愛い。愛している。でも親権はとれないんだろうな。俺が男だから。
今日が妻の誕生日。愛している、これからもよろしくと綴った手紙は先週書いた。1時間掛けて。どうしようこれ。
とにかく「嫌いな人」を作りたくねえな、と思っていて、どんな人でもいい点にばっか目を向けて悪いところから目を背けている
一回嫌いになってしまうともう止められねえな、となんとなく思うから
自己暗示みたいに、実際そこそこイヤなやつなんじゃねえか?と思う人に対しても、いやいや、いいとこもあるし、悪い人じゃねえよなと思うようにしている
おかげで現状、「嫌いな人」は周りにひとりもいねー
性格が合わなくても、趣味なり仕事なりで尊敬できるところは絶対あるんで、そこに着目して、リスペクト方向にもっていく そうしている
そうしているんだが、飲み会なんかで周りの話をきくと、結構人間関係がドロドロしてんですよ
俺は、俺はみんな好きなんだっつうの
みんな好きだってことにしてんだよ
実際、「嫌い」って感情が湧きそうになった瞬間にそこにフタをして全力でカバーしてるので、「ホントは嫌いだけど好きだと装っている」みたいなことはない
実際好きなんだ
そういうのを聞くと危ないんですってば
睡眠薬をやめた。5年に渡って飲み続けて、かなり助けてもらったけれども、断薬にこぎつけた。その過程の記録です。
医師から処方されているのだから、医師や薬剤師と減薬についての相談をし、その上で行うべきです。その点を念頭に読んでほしい。
①飲んでいた薬
②やめようと思った理由
まずはこの3つについて、それぞれ書いていく。
私は3種類の睡眠薬を処方してもらっていた。3つの薬を飲んで、なんとか眠っていた。薬の効果は「寝付き」を良くするものを複数処方されていた。
あえて薬品名については書かないことにする。本当は具体的な薬品名を書いた方がいいのだろうけど、むやみに名指しで断薬した薬について書くことは、誤解や不安を招く可能性があるからだ。とりあえず、ここでは「寝付きを良くするタイプの睡眠薬」とだけ。
薬を飲むと問題なく眠れていた。しかし、気になる副作用や他の医師の意見で、減らす決断をした。
以下のA~Eにまとめた。
A 次の日の午前中の眠気
D 悪夢の頻度が増えた
A 次の日の午前中の眠気
副作用で、朝布団から起き上がるのがひどく苦しかった。それはみんな同じだろうが……ただ、その眠気は本当に強かった。起き上がって数時間経っても眠気は取れず、ぼーっとしてしまい、6時間寝てもすっきりと起きられず、そのまま昼前まで眠ってしまうのは日常茶飯事だった。
人は大抵、朝7時に起きれば、深夜0時には眠気を感じるものだろうけども、その感覚が5年にわたってなかった。
薬を飲むと、その15分後には強烈な眠気、というよりも気絶に近い感覚で眠っていたので、「眠いな~」と思うよりも、「薬を飲んでスイッチオフして寝る」という状態だった。
0時になった。眠くなってきたな~ →寝る という通常の感覚が失われ
そろそろ0時だ。薬飲んで寝るスイッチを入れる →シャットダウンしたように眠る という状態。
これって結構、異常だと思う。メラトニンが分泌されているのか不安になった。
これは最もひどいものだった。眠いというよりかは、無気力になってしまっていた。例えば、「本を読もうとしても開けない」「テレビを観ていても疲れる」「ゲームや娯楽を楽しめない」など、とにかく行動を起こすことも、行動を持続することも困難になった。うつ病に近かったのかもしれない。
中途覚醒とは、深夜に目覚めてしまうことだ。私は3時位に目覚めてしまい、布団であぐらをかいてぼーっと座ってることもあった。眠気はあるので、もう一度布団にくるまると眠れたが、これも地味に眠った感覚が薄くなり、苦しい副作用だった。
D 悪夢の頻度が増えた
睡眠に入りやすくなる薬を処方されていたが、その副作用で「夢が増える」というのがあった。要するに、入眠しやすくなる代わりに、眠りが浅くなるということだ。人は眠りの浅い時に夢を見るわけだけども、その浅い状態が増える。
5年に渡って薬に頼っていたので、その副作用自体にもなれてしまって、常態化してしまっていた。断薬してから、A~Dは、もしかしたら副作用だったのだろうか? と気づくことができた。
私はセカンドオピニオンをつけた。
「実は、この薬を処方されているんですが、これってどうなんでしょうか?」
『普通は、そういう処方はしない。薬の副作用が強まるし、第一、規定量以上を処方されている』
とのことだった。2年に渡って、規定量以上の薬を処方されていたようだ。
私が処方されていた薬は、短時間だけ脳の働きを落とし寝付きを良くするタイプの薬だったが、徐々に耐性が付いたり、ストレスで眠れなくなったりして、追加で薬を処方された。その量が本来のキャパシティをオーバーしていたのだ。
おそらく、Cに書いた健忘やひどい眠気も、そのキャパシティをオーバーしたことで起きた副作用だったのかもしれない。
しかし、飲まないと眠れないので、なかなか減薬を出来ないままずるずると生活していた。
これに尽きる。自己判断でやめたり減らしたりはするべきではない。人によって、減らすことができる薬なのか、そうでないのかが違うからだ。
また、睡眠薬の作用はどれもそれなりに強いので、依存性があると薬剤師から説明される。実際、過去に急に断薬しようとしたところ、
・明け方になっても眠れない、一睡もできない
・悪夢を見続けて、眠りがひどく浅い
など、それなりに強い症状が出た。そのこともあり、医師と相談しながら、段階的に断薬することにした。
すぐには減薬をすることはできなかった。前述の通り、睡眠薬にはそれなりに依存性があるからだ。
なので、体に「自然な眠気」を取り戻してもらうためのトレーニングをした。
朝起きたら、少し白湯を飲み、軽く散歩をした。太陽の光を浴びつつ、軽い運動をすることで、体内リズムが正常化する。あまりにもTVや雑誌で言ってることだが、これは相当大事なトレーニングだと思う。
私は朝5時に起き、20分程度の散歩をしている。ついでにスマホのポケモンGOとかピクミンとかで遊んでいる。
朝歩けばいい、といっても、結構ハードルは高いだろうが、10分くらい先のコンビニや24時間のスーパーや自販機に行き、コーヒーを買って帰るだけで十分だ。そういう小さな目的を作り、歩くことがその日の安眠につながる。前日のうちに、外出する時の服をまとめて、すぐ着れるようにしておくのがおすすめだ。あと、散歩の前に白湯とか飲むといいと思う。
就寝の1~2時間前に部屋を暗くし、間接照明で活動する。スマホ、テレビなどは避けるか、ブルーライトを使う。
スマホのブルーライトは特に至近距離で見るので、私の体感でも相当眠りを妨げられる。ブルーライトカットのアプリなどを使うのもいいが、そもそも寝る1時間前には「使わない」という選択肢が望ましいだろう。私はスマホを寝室から離れた場所に充電スペースを作り、就寝前にはそこに置くことにしている。
加えて、就寝20分前ににストレッチと瞑想(座って目をつぶり、ゆっくりと呼吸を整える)をし、眠るためのリズムを作る。
夕食はは就寝の2時間前には済ませる。残業などで遅い夕飯になった場合は、軽めの消化の良い食事にする。揚げ物や炒めもの、焼き肉などの消化に時間のかかる重いものは、胃腸への負担が大きいため、眠りを妨げるようだ。寝る前の夜食や、深酒も控えるべきだ。
これらを就寝ルーティンとして定着させる。以下のはある日の一例だ。
20:00 夕食を済ませ、部屋を暗くし、暖色系の間接照明にする。
21:00 風呂に入る テレビやゲームは10時くらいには切る。スマホはアラームをセットして遠くに置く。
23:00 就寝
5:30 起床
薬の量によるが、段階的なプランを立てて断薬に望んだ。飲んでいた薬を順番に減らしていった。
飲んでいた3種の薬の中で、「頓服」として処方されていたものを、まずは減らして行くことにした。これは人によって処方が違うので、どれからなら減らせそうかは医師や薬剤師と相談する。
減薬をする場合、少なく飲んだ日は少し寝付きにくいことや、深夜に目が覚めたり、うなされたりすることがあった。頭痛や、体がこわばるなどの副作用も感じられた。しかし、それを乗り越えるとかなりすんなりと自然な眠りを取り戻すことができた。以下は実際のスケジュール。
飲んでいた薬のうち一つを半分に割って飲んだ。
錠剤は、ものによっては割れ目が付いていて、そこから手で割れるものもある。ないものは、ハサミやニッパーなどで割った。また、処方の際にはじめから、細かい量を処方してもらった。
例えば、ある薬は10mg, 20mg, 最大で30mgと処方できるので、
30mg × 3週間
と処方されていたものを
10mg と 20mg をそれぞれ×3週間分 (トータルでは量は変わらない)
という注文で処方してもらった。これで、眠れそうなときは20mgで眠り、眠れないときだけ10mgを追加で飲んで眠ることができるようになった。
少しずつ慣らしていくことで、眠れない日や、眠りの浅い日、うなされる日もあったが、眠りのリズムは取り戻しつつあった。
ここでは無理な減薬をせず、時間をかけて様子を見るのが大切だと思う。
同様に、徐々に減薬をすすめていった。3週目には、飲んでいた薬のうち、1種類だけで眠れるようになった。
この時点で、列挙していた副作用がほぼ全てなくなった。かなり眠りが深く、目覚めのキレが段違いで良くなった。服薬していた頃は、たくさん悪夢を観たが、それも少なくなった。だらだら布団で二度寝してしまうということもなくなった。朝起きてすぐ、参考書などを読むことができるくらい頭が冴えていた。
薬を、一番少ない10mgだけを飲んでいたが、それもハサミで半分にカットし、実質5mg以下で服用した。
5年も薬を服用してから飲む生活を続けていたので、飲まないで寝床に入ることにすこし不安感があった。とりあえずハイチオールCとか、整腸剤を「睡眠薬のつもり」と自己暗示して服用して眠った。
結果的には、飲んでいた薬のすべてを断薬することができた。自然な寝付きで、眠りは深く、朝は問題なく起床できている。
「自己暗示」というと怪しい響きだが、それなりに侮れない。ハイチオールCでも整腸剤でもなんでもいいが、これは薬で飲むと寝れるのだ、と暗示をかけてみるのも試してみてほしい。「薬を飲んだ→寝る」というルーティンで生活していたので、それがなくなると不安になるのかもしれない。
この長く読みにくい文章を最後まで読んだ人は、おそらく私と同じように服薬して眠っている人だろう。繰り返すようだが、しっかりとかかりつけ医と薬剤師に相談し、その上で減薬をするのに適切かを判断してほしい。減らしてはいけない薬を勝手に減らすと、悪い作用を起こしたりするかもしれないので。
「睡眠薬で十分に眠れて、日常生活を送れているならば、それでいいだろう」
その理屈はわかるものの、正直な気持ちとしては、飲まないで眠れるならばそれに越したことはない、と思ってしまった。
また、医師は眠れない人に薬を処方するが、薬が必要なくなるトレーニングについては余り関心がないように思えた。「不眠」という病気に対しての解決策としての処方なので、仕方のないことかもしれないが。
私の場合は、断薬することで、仕事や勉強、趣味にかけるエネルギーを取り戻していった。もし同じように薬を飲んでいて、どこか不具合やひっかかりを感じている人がいたら、医師に相談してみるのもいいと思う。お互い健康でがんばろう。
深夜、本日の会議で報告するパワポ資料が全く出来上がっていない。
なぜか。
時間は十分にあった。
期限はいったん昨日と決めてあった。
しかしやりたくない、ひたすら直面することが嫌で
PowerPointを起動することすら避けてきた。
こんなやる気の無さだが直前にエンジンかかるだろうと高を括っていた。
3割できていることの方が驚きだ。
ひたすらやりたくない。
少し取り組もうとしては現実逃避。
直面するのが嫌
アドバイスをもらうが根本解決しているわけではない、ループしてしまう。
良いアドバイスもあるのだが、課題に直面するところまで行けない。
どれも直面する原動力にはならない。
なんでこれほどまで避けたいのだろう。
内容を整理しきれていないし恐らく情報収集が足りていない。自分の無能が晒される。
そもそもこの報告に意味がない。事業のなかで些末な部分過ぎる。
じゃあやらなければいいのではというと、自分に振られたタスクなので
1ページの資料をつくるのに、これまで調査したこととは別のカテゴリの調査をしないと
妥当な内容にならないのを薄々気づいている。このまま作業してもしょうもない落書きを作るだけだ。
ああ、たぶん、これが原因だ。
全く興味がないカテゴリの本来のタスクではない調査をしないといけないのが苦痛、なのかもしれない。
そこは調べないってページの冒頭に書いてしまうか。
少しやる気でてきた。
小島一志という格闘技ライターがいる。格闘技と言ってもほぼ極真専門といっていい。
詳細はWikipediaやコジ苑というアンチwiki、Amazonの著作レビューでをご覧いただきたい。
外部から眺めている彼らより少し近い場所にいたので、そんな立場から見た彼を語りたい。
家高泰彦というライターがいる。
『極真大乱』という著書をあらわし、何よりも小島の大学時代の同級生で一時期は仕事も一緒にしていた人物である(現在は絶縁)。
小島と直接関わりを持つきっかけをわたし自身を例として回想してみてもその印象は同じである。
しかもそのスイッチがわからない。だから彼との会話は地雷原を歩くようなものだ。
「俺を侮辱するな!」「俺を疑うな!」
小島は怒ると大抵こういう風に言った。
しかし第三者として見てもどこが侮辱なのか、どこが疑いなのかさっぱりわからない。当然怒られている当人にはわからなかっただろう。
小島は何でもない一言を過度に悪く拡大解釈し、しかも当人が言っていないことまで「言った」などと述べるのだ。
怒った時の小島はきわめて横暴で独裁的、まさしく暴君の言動であった。
そんな人間と長く関係が続くはずもない。あるものは自ら去り、あるものは切り捨てられた。
わたしの時も同じであった。再三、理解不能な怒りを買ったあげくに切り捨てられたのである。
彼の会社である夢現舎には現在スタッフはおらず、息子との間でさえ険悪な仲のようであるが、それも当然であろう。
その場に居合わせたわけでもなく、録音テープがあるわけでもないのに、あるシーンのやりとりや長台詞、心情、仕草まで詳細に記述するからである。
アンチはこれを称して作話、捏造の根拠のひとつとする場合が多い。
彼のYouTubeチャンネルを見てほしい。大山倍達、芦原英幸の語りを再現する時の様子を。
すっかり本人になりきっていると思わないだろうか?
人間関係が悪化すると、いままで許せていたものが許せなくなる。
これはほとんどの人間がそうだろう。それにしても小島のそれは極端に過ぎる。
社会心理学に認知的不協和理論というものがある。精神分析学では防衛機制において「合理化」といわれている概念にほぼ等しい。
矛盾した言動や納得できない状況などに対して、それを正当化するために認知をゆがめ、自らを納得させるための理屈を作り出す。
思い込みの激しい小島の場合は、妄想の物語を作り出すという形で表れる。
だから小島自身は嘘をついているという自覚はないのではなかろうか。少なく見積もっても6割、多ければ8割ぐらいは本気で信じているように思える。
これに被害感情の強さが結びついた時、極度の人の好き嫌いが生じるわけである。
イタコ気質は生来のものであろうが、それ以外は育成環境もかなり影響しているような気がする(なんとなくそう思うだけである、明確な根拠はない)。
原田寛『最後の直弟子が語る 芦原英幸との八年間』によると芦原英幸がきわめて猜疑心の強い人物だったようだ。
そして小島は芦原に心酔している。
観ながら「すげー」って言ってれば自己暗示でそう思えてくる。
●元note
https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899
https://megalodon.jp/2021-0312-1252-48/https://anond.hatelabo.jp:443/20210312043044
●しれっと再開note
https://note.com/yasuharakenta/n/n4803628b9bdf
“ どんなに売れているミュージシャンでも、数件の低評価ボタンに傷つくはずだとずっと思ってた。今度はそれを体で理解しなくちゃいけない。心を支配された結果、称賛をモノクロに、非難をカラフルになんてしちゃいけない。
そう頭では分かっても数日は動機が止まらず、食事と睡眠が下手になった。寒くないのに震えて起きたり、かと思えば異常な寝汗をかいて起きることもあった。体に反応がくることは今まであまり経験がなかったので、どうやら緊急事態のようだった。
それでもおやすみを1週間以上続けていると、不意に鼻歌を歌えるようになったり、新しいテレビやラジオを見聞きできるようになったり、毎日書いていた詩もまた書けるようになった。一生続くかもしれないと思ってたから、一生よりずっと、早くてよかった。
どんなに売れているミュージシャンでも、数件の低評価ボタンに傷つくはずだと思ってはいるけど、その低評価ボタンではなくせないものもある。必死でエッセイを書いていた自分は、むしろえらかったと思う。
勝つためにとこだわってきたオリンピックが負けの最大要因になるとは思わなかっただろうな。
自民公明って支持者の相互不信が募りすぎて、もう選挙協力がうまい具合にやれないところが増えてると思うよ。
たぶん公明の負けが多くなると思うんだけど、選挙で票固めをするのは公明のほうが長けてる。
つまり自民は選挙協力の旨味をかろうじて得て、公明はそれを失う衆院選になる可能性が高い。
立憲民主党が何かの自爆行為をしなければ、オリンピックが呪いとなって自公を壊滅させる可能性があると思うけどね。
少なくともスガのままで選挙に勝てると思ってる与党支持者がいるとしたらお花畑としか思えないな。
追記2
ワクチンまでは別によかったんだよ。今の不足状態も政権の失策とは思わない。誰がやってもああなると思うよ。
ここまでは立憲と共産が協力しても政権交代なんて、まだ無理だと思ってたよ。
だけどオリンピック無観客の決断の遅さと西村大臣の金融機関を使った恫喝。
飲食店をいじめるだけなら自民党のやりそうなことで、恨みを買う範囲が限定されていた。
だけど影響がおよぶ範囲を銀行、酒卸、酒メーカーまで広げるというのは頭おかしいよね。
これは虐められてるという恨みが生まれるんじゃなくて、明らかな統治能力の欠如に映る。
さすがに自民党を支持してきた人たちも気持ちが折れたんじゃないかな。失策をしたのではなく無能であることを見せたんだからね。
選択肢がないと言って消極的支持と自己暗示をかけてきた人たちも不信感が決壊して溢れ出すよ。
西村大臣みたいなのがコロナ対策の司令塔を続けるって、今まで悪夢の民主党呼ばわりしてきたのは何だったんだとしか思えない。
色んな人が民主党政権時の災害への対応であいつだけは許さない発言をするのを見るんだけど、首相と西村大臣はこれからそう言われ続けるだろうね。
最近女性の自殺率が例年の数倍に跳ね上がっている、という嘆かわしいニュースを見た。
本来なら穏やかに生きていける筈だった女性が自ら命を絶つという信じられない悲劇が、最近の日本では急激に増えている。
私と一緒にニュースを見ていた母も、「幾ら何でも数倍って異常じゃない?」とこの残酷な現実に憤っていた。
このはてな匿名ダイアリーでもよく目にする、「日本人の自殺率は女性より男性の方が高い」という話題だ。
「男性の方が自殺率が高く女性は低い、なので男性の方が不幸で苦労している」という風潮を身近な人はどう思っているのか気になっていた。
母の答えは明瞭だった。「男の方が弱いから追い込まれるとすぐ自殺に逃げるんでしょ」と、ズバッと言ってくれた。
男の方が女より弱い。これは肉体的な意味ではなく、きっと精神的な意味で、という事なのだろうか。
つまり、負荷をかけられた際に耐えられる強度が女性より男性の方が低く、女性なら耐えられる事も男性なら耐えられず死を選んでしまうのだろうか?
なるほど。明確な根拠は無いけれど私より長く生きてきた母の言う事だから、確かに全てが間違っているとも思えない。
女性は出産の際に、鼻の穴からスイカを出すような激痛に耐えて子供を産むらしい。その痛みに男性は耐える事が出来ず死んでしまうそうで、女性の方が痛みに対する耐性は高いそうだ。
それに、女性は毎月自分の意思に関わりなく気分が落ち込んで体調を崩す人生を否応なく送らされている。そうやって理不尽に対して耐える能力が自然と鍛えられているのかもしれない。
私の母は妻として、仕事のストレスに耐えられず体を壊すまで酒や煙草に逃避し、家族に暴力を振るい家の外に女を作った夫を見てきた「経験」からその事を学んでいたのだろうか。
勿論この母の答えが絶対の真理と決めつけようとは思わない。
だけど「男性の方が自殺率が高いから女性は男性より恵まれている」という論法を見た時に対する受け取り方もまた少し変わってくるかもしれない。
「それは男性が女性より辛いからではなく、単純に男性が女性よりメンタルが弱いからじゃないかな?」と、こういう考え方があっても良いのだと思う。
【追記】
「男の方が女より弱いからすぐに自殺する」という言い方ではあんまりに思った男性が怒るんじゃないかな?と、私が母に尋ねると
「どんな男も母ちゃんのお腹の中で育って産んでもらって生きてるんだから偉そうな事を言わない方が良い」とこれまた明確な答えが返って来た。
全ての生き物、全ての人間は皆母親から生まれてくる。そりゃあ「母親」って強いよな…と思わずにはいられなかった。
【追記2】
コメントやトラックバックの中に↑の文章の中から正確に私の母の情報をプロファイリングしている方が何人か居て驚いた。
“男の方が女より弱い”←家父長制で虐げられてきた女性が溜飲を下げるための自己暗示では。こう思うことで主観的な辛さが軽減したとしても、構造的に不利な立場は何も変わらない、そのことがもどかしい。
どうも母は長年連れ添った夫に愛憎入り混じった感情を抱いてるようで、その姿を見て恨みも込みで「男は弱い」論者になったんじゃないか、と思っています。
増田の母世代、おそらく60代くらいの女性って自立できないから夫に何されてもただ我慢するしかなかったから増田の母はおそらく夫をはじめとした男性全般のことを嫌いなんだよ、ただそれだけだ