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2022-06-17

歴代ノーベル文学賞受賞者と、受賞理由

https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。

日本人

1968年 川端康成 (1899 – 1972)

日本人の心の真髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えたため

受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC

1994年大江健三郎 (1935 – )

詩趣に富む表現力を持ち、現実虚構が一体となった世界創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

2017年 カズオ・イシグロ (1954 – )

壮大な感情の力を持った小説を通し、幻想的な世界とのつながりの感覚の下にある深淵発見した

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1901年 シュリ・プリュドム(仏)

高尚な理想主義芸術的完成度の形跡、心情と知性の両方の資質の珍しい組み合わせを与える、詩的な構成物に対して

1902年 テオドールモムゼン(独)

彼の記念碑著作"ローマ史"を代表作として、存命中歴史著作家の中では最大の巨匠であること

モムゼン ローマ歴史I―ローマの成立―

1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー

その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して

アルネ

1904年 フレデリックミストラル(同時受賞)(仏)

プロヴァンス言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して


1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン

独創的で個性的手法スペイン演劇の偉大な伝統を復活させた、数多くの鮮やかな構成物に対して


1905年 ヘンリク・シェンキェヴィチ(ポーランド

叙事詩作家としての顕著な功績に対して

1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)

念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギースタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して

1907年 ラドヤード・キプリング(英)

この世界的に有名な作家創作を特徴づける、観察力、想像力独創性、発想の意欲と、叙情非凡な才能に対して

ジャングル・ブック

1908年 ルドルフ・クリストフ・オイケン(独)

真実のための本格的検索思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生理想主義哲学実証したこと

1909年 セルマ・ラーゲルレーヴスウェーデン

その著作を特徴付ける崇高な理想主義生気溢れる想像力精神性の認識を称えて

ニルスのふしぎな旅

1910年 パウル・フォン・ハイゼ(独)

叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して

1911年 モーリス・メーテルリンクベルギー

多岐にわたる文学活動特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする

青い鳥

1912年 ゲアハルト・ハウプトマン(独)

主に、演劇の分野での豊饒で多様、且つ顕著な功績に対して


1913年 ラビンドラナート・タゴール(印)

西洋文学一角なす英語思考表現された、至極の技巧による彼の深く敏感な、鮮やかで美しい韻文に対して

1914年該当者なし

1915年 ロマン・ロラン(仏)

彼の文学活動の高尚な理想主義に、人類の異なるタイプ描写した思いやりと真の慈愛に、敬意を表して

ジャン・クリストフ

1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン

我々の文学における新時代を率先的に代表する者としての重要性を認めて

1917年 カール・ギェレルプ(同時受賞(デンマーク))

崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して

1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク

デンマーク現代生活の本格的な描写に対して

1918年該当者なし

1919年 カール・シュピッテラースイス

1920年代

1920年 クヌート・ハムスン(ノルウェー

彼の記念碑著作"土地の成長"に対して

ヴィクトリア (岩波文庫)

1921年 アナトール・フランス(仏)

格調高い様式人類への深い共感優美さ、真なるガリア人気質からなる作風による、文学上の輝かしい功績が認められた。

神々は渇く

1922年 ハシント・ベナベンテ(スペイン

スペイン演劇の輝かしい伝統継承する、幸福手法に対して

1923年 ウィリアム・バトラー・イェイツアイルランド

芸術性が高く精妙な詩歌によって国民全体の精神表現した貢献に対し

1924年 ヴワディスワフ・レイモント(波)

彼の偉大なる国民叙事詩"農民"に対して

1925年 ジョージ・バーナード・ショーアイルランド

他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した事に対して


1926年 グラツィア・デレッダ(伊)

まれ故郷の島での生活人間一般的問題を深く人工的に明快に描写した、理想的な天来の著作に対して

1927年 アンリベルクソン(仏)

彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して

時間自由

1928年 シグリ・ウンセット(ノルウェー

主に、中世北欧生活についての力強い著述に対して

1929年 トーマス・マン(独)

主に現代古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンブローク家の人々』に対して

ブッデンブローク家の人びと

魔の山

1930年 シンクレアルイス(米)

活き活きとした写実的描写技術および機智とユーモアを伴った、新しいタイプ人物を造形する能力に対して

本町通り

1931年 エリクアクセルカールフェルトスウェーデン

エリクアクセルカールフェルトの詩に対して

1932年 ジョン・ゴールズワージー(英)

"フォーサイト物語"で頂点を極めた、優れた物語芸術に対して

林檎の樹

1933年 イヴァンブーニンソ連

散文によって古典的なロシア伝統継承した厳格な芸術に対して

呪われた日々、チェーホフのこと

1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)

劇的且つ美しい芸術を、大胆且つ独創的に復活させたこ

月を見つけた

1935年該当者なし

1936年 ユージン・オニール(米)

悲劇の独創的な概念を具現化する、彼の戯曲の力強さ、誠実的さ、深い感情に対して

楡の木陰の欲望

1937年 ロジェ・マルタン・デュ・ガール(仏)

"チボー家の人々"で、現代生活のいくつかの基本的な側面のみならず、人間葛藤を描いた芸術の力と真実に対して

チボー家の人々

1938年 パール・S・バック(米)

中国での農民生活の豊かで真に叙事詩的な記述と、彼女の伝記の傑作のために。

1939年 フランス・エーミルシランペー(フィンランド

1940年代

1940年該当者なし

1941年該当者なし

1942年該当者なし

1943年該当者なし

1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク

広い視野知的好奇心と大胆で新鮮な創造スタイルに結びつけられた、彼の詩的想像力の類稀なる強さと豊かさに対して

1945年 ガブリエラミストラルチリ

その力強い動機に触発された抒情詩によって、彼女の名が全ラテンアメリカ世界理想主義的な願望の象徴と化したこと

1946年 ヘルマン・ヘッセスイス

古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して

車輪の下

1947年 アンドレジッド(仏)

人間問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的芸術的重要著作に対して

狭き門

1948年 T・S・エリオット(英)

今日(こんにち)の詩文学への卓越した貢献に対して

1949年 ウィリアム・フォークナー(米)

アメリカ現代小説に対する、強力かつ独創的な貢献に対して


1950年代

1950年 バートランド・ラッセル(英)

人道的理想思想の自由尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰して

哲学入門

1951年 ペール・ラーゲルクヴィスト(スウェーデン

人類が直面する永遠課題に対し詩作により解を探ろうと試みる芸術的活力と真の意味での精神的自立に対して

バラ

1952年 フランソワ・モーリアック(仏)

彼の小説人間生活ドラマに浸透した、深い精神的な洞察力と芸術的な強さに対して

テレーズ・デスケル

1953年 ウィンストンチャーチル(英)

歴史や伝記の記述熟達に加え、高揚した人間価値についての雄弁な庇護であること

第二次世界大戦

1954年 アーネスト・ヘミングウェイ(米)

"老人と海"に代表される、叙述の芸術への熟達と、現代ストーリーテリング形式に及ぼした影響に対して

老人と海

1955年 ハルドルラクスネスアイスランド

アイスランドの偉大な物語芸術革新した、彼の鮮やかで壮大な力に対して

1956年 フアン・ラモン・ヒメネス(西)

高邁な精神芸術的純度の一例を構成する、スペイン語による彼の叙情的な詩に対して

1957年 アルベール・カミュ(仏)

この時代における人類道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要文学創作活動に対して

1958年 ボリス・L・パステルナークソ連

現代風の叙情的な詩、および大ロシア歴史伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して

ドクトル・ジバゴ

1959年 サルヴァトーレ・クァジモド(伊)

古典的な火で現代生活悲劇的な経験を照らし出す、叙情的な詩に対して

1960年代

1960年 サン=ジョン・ペルス(仏)

我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して

1961年 イヴォ・アンドリッチユーゴスラビア

自国歴史主題人間運命を叙述した、彼の偉大な力量に対して

宰相の象の物語

1962年 ジョン・スタインベック(米)

優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して

怒りの葡萄

1963年 イオゴス・セフェリス(希)

ヘレネ世界観への深い感情から着想を得た、優れた詩作に対して

1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)

アイデアに富み、自由精神真実の探求に満ちた彼の作品が、私たち時代に広範囲な影響を与えてきたことに対して

嘔吐 

1965年ハイル・ショーロホフ(ソ連

彼の「ドン」の叙事詩によって、ロシアの人々の生活歴史的な段階を表現した芸術の力と整合性に対して

静かなドン

1966年 シュムエル・アグノン(同時受賞)(イスラエル

ユダヤ人の人々の生活モチーフにした、深遠に個性的な叙述の芸術に対して

1966年 ネリー・ザックス(同時受賞)(スウェーデン

イスラエル運命を伝える優れた詩と劇作に対して

1967年 ミゲル・アンヘル・アストゥリアスグアテマラ

ラテンアメリカ原住民伝統国民性に深く根ざした、鮮やかな文学的業績に対して

マヤの三つの太陽

1968年 川端康成日本

日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現世界の人々に深い感銘を与えたため

雪国

1969年 サミュエルベケットアイルランド

小説戯曲の新たな形式の中で、現代人の悲惨を描き、その芸術的な偉業を果たした彼の作品に対して

ゴドーを待ちながら

1970年代

1970年 アレクサンドル・ソルジェニーツィンソ連

ロシア文学の不可欠な伝統を追求したその倫理的な力に対して

収容所群島

1971年 パブロ・ネルーダチリ

一国の大陸運命と、多くの人々の夢に生気を与える源となった、力強い詩的作品に対して

1972年 ハインリヒ・ベル(西独)

時代への幅広い眺望と鋭い描写によって、ドイツ文学刷新に貢献した

1973年 パトリックホワイト(豪)

文学新大陸を導入した、叙事詩心理的叙述の芸術に対して

ヴォス―オーストラリア探険家の物語

1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン

地域および各時代俯瞰しつつ自由のために奉仕する語りの技法に対して

1974年 ハリーマーティンソン(同時受賞)(スウェーデン

露のひとしずくを捉えて宇宙を映し出す作品群に対して

ニアーラ

1975年 エウジェーニオ・モンターレ(伊)

2022-03-08

anond:20220308150638

はい増田君に宿題です。

以下のリスト全てに、「先に仕掛けたほうが負けた」かどうか回答しなさい。

1904年1905年 - 日露戦争

1911年1912年 - 伊土戦争

1912年 - 第一バルカン戦争

1913年 - 第二次バルカン戦争

1914年1918年 - 第一次世界大戦

1917年1922年 - ロシア内戦

1917年1921年 - ウクライナソビエト戦争

1918年1919年 - ウクライナポーランド戦争

1918年1919年 - ハンガリールーマニア戦争

1919年1921年 - アイルランド独立戦争

1919年1921年 - ポーランドソビエト戦争

1919年 - 第三次アフガン戦争

1919年1922年 - 希土戦争

1921年 - コト戦争

1922年1923年 - アイルランド内戦

1926年1949年 - 国共内戦

1931年1933年 - 満州事変

1932年1938年 - チャコ戦争

1934年 - サウジイエメン戦争

1935年1936年 - 第二次エチオピア戦争

1936年1939年 - スペイン内戦

1937年1945年 - 日中戦争

1938年 - 張鼓峰事件

1939年 - ノモンハン事件

1939年1945年 - 第二次世界大戦

1939年1940年 - 冬戦争

1941年1944年 - 継続戦争

1941年1945年 - 独ソ戦

1941年1945年 - 太平洋戦争

1945年1949年 - インドネシア独立戦争

1945年1954年 - 第一次インドシナ戦争

1946年1949年 - ギリシャ内戦

1948年1971年 - 印パ戦争

1947年1949年 - 第一次印パ戦争

1965年1966年 - 第二次印パ戦争

1971年 - 第三次印パ戦争

1948年 - 第一次中東戦争

1956年 - 第二次中東戦争

1967年 - 第三次中東戦争

1973年 - 第四次中東戦争

1948年~(継続) - パレスチナ紛争

1948年~(継続) - ミャンマー紛争

1949年~(継続) - 東トルキスタン紛争

1950年1951年 - チベット紛争

1950年~(継続[1])- 朝鮮戦争

1954年1962年 - アルジェリア戦争

1955年1972年 - 第一スーダン内戦

1956年 - ハンガリー動乱

1959年 - チベット動乱

1959年1962年 - 中印国境紛争

1959年1975年 - ラオス内戦

1960年1965年 - コンゴ動乱

1960年1996年 - グアテマラ内戦

1960年1975年 - ベトナム戦争

1961年 - ピッグス湾事件

1961年 - ゴア併合

1961年1962年 - 西イリア紛争

1962年1969年 - 北イエメン内戦

1962年1963年 - ベネズエラの反乱

1963年1968年 - アルジェリアモロッコ国境紛争

1963年1964年 - キプロス内戦

1963年1966年 - インドネシアマレーシア紛争

1964年~(継続) - コロンビア紛争

1965年 - ドミニカ内戦

1965年1979年 - ローデシア紛争

1965年1984年 - チャド内戦

1967年1970年 - ビアフラ戦争

1968年 - プラハの春チェコ事件

1969年 - 中ソ国境紛争

1969年 - サッカー戦争

1969年1998年 - 北アイルランド紛争

1969年~(継続) - フィリピン紛争

1970年 - ヨルダン内戦

1971年1992年 - カンボジア内戦

1971年~(継続) - カシミール紛争

1973年 第四次中東戦争

1974年 - キプロス紛争

1975年1989年 - ナミビア独立戦争

1975年1990年 - レバノン内戦

1975年 - インドネシア東ティモール侵攻

1975年2002年 - アンゴラ内戦

1976年~(継続) - 西サハラ紛争

1977年1979年 - ウガンダタンザニア戦争

1978年1988年 - オガデン戦争

1979年 - 中越戦争

1979年1989年 - ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻

1979年1990年 - ニカラグア内戦

1980年1992年 - エルサルバドル内戦

1980年1988年 - イランイラク戦争

1980年~(継続) - ペルー紛争

1982年 - フォークランド紛争

1983年2004年 - 第二次スーダン内戦

1983年 - グレナダ侵攻

1983年2009年 - スリランカ内戦

1979年1990年 - 中越国境紛争

1986年1987年 - トヨタ戦争

1987年~(継続) - ブルンジ内戦

1988年1994年 - ナゴルノ・カラバフ戦争

1989年2001年 - アフガニスタン内戦

1989年1992年 - 第一南オセチア紛争

1989年 - パナマ侵攻

1989年1990年 - エチオピア内戦

1989年1996年 - リベリア内戦

1990年1994年 - ルワンダ紛争

1990年1991年 - 湾岸戦争

1991年2001年 - シエラレオネ紛争

1991年2000年 - ユーゴスラビア紛争

1991年 - 十日間戦争

1991年1995年 - クロアチア戦

1992年1995年 - ボスニア紛争

1999年2000年 - コソボ紛争

2001年 - マケドニア紛争

1991年2001年 - ジブチ内戦

1991年2002年 - アルジェリア内戦

1991年~(継続) - ソマリア内戦

1991年~(継続) - カザマン紛争

1992年 - オセチアイングーシ紛争

1992年1994年 - アブハジア紛争

1994年 - イエメン内戦

1994年1996年 - 第一次チェチェン紛争

1995年1998年 - ハニーシュ群島紛争

1996年1998年 - 第一コンゴ戦争

1998年2000年 - エチオピア・エリトリア国境紛争

1998年2002年 - 第二次コンゴ戦争

1998年2001年 - ポソ宗教戦争

1999年2009年 - 第二次チェチェン紛争

1999年 - 東ティモール紛争

1999年 - カルギル紛争

2000年~(継続) - インドネシア紛争

2001年~(継続) - パキスタン紛争

2002年2003年 - コートジボワール内戦

2003年 - リベリア内戦

2003年2011年 - イラク戦争・Category:イラク戦争

2003年~(継続) - ダルフール紛争

2004年~(継続) - サリン紛争

2004年~(継続) - タイ紛争

2004年~(継続) - ワジリスタン紛争

2006年 - 東ティモール内乱

2006年 - イスラエルガザ侵攻・レバノン侵攻

2006年 - エチオピアソマリア侵攻

2006年2009年 - スリランカ内戦

2008年 - 第二次南オセチア紛争グルジア紛争

2008年2009年 - イスラエルガザ紛争

2011年 - シナ紛争

2011年 - リビア内戦

2011年~(継続) - シリア内戦

2012年~(継続) - マリ北部紛争

2013年 - スールー王国軍によるラハダトゥ侵攻

2014年 - ISISによるイラク内戦

2014年 - イスラエルガザ侵攻

2014年〜(継続) - クリミア危機ウクライナ東部紛争

2014年2020年 -2014年リビア内戦

2015年〜(継続) - 2015年イエメン内戦

2017年 - マラウィの戦い

2020年 - 2020年ナゴルノ・カラバフ紛争

2021年 - パンシール紛争

2022年 - 2022年ロシアウクライナ侵攻

2022-02-11

なぜ「スラローム」を「回転」と訳してしまったのか?

スキー(とスノーボード)には「回転」「大回転」「スーパー大回転」という頭の悪そうな名前の種目がある。

それぞれ「Slalom」「Giant Slalom」「Super Giant Slalom」の訳である

しかし「スラローム」というと、普通は「蛇行」と訳されるものではないか

スーパー大回転」などと聞くと個人的には、

ジャンプして空中でぐるぐると回転しているところを想像してしまうのだが、

実際の競技は、立てられたポールやゲートのあいだを蛇行しながら滑り降りていく競技である

それなら「蛇行」「大蛇行」「スーパー大蛇行」ではないか

いったい誰がこんな訳にしたのか?

遡ってみると、1923年第一全日本スキー選手権大会では、

スラローム」はそのまま「スラローム」と呼ばれていたらしい。

http://www.ski-japan.or.jp/3786/

第三回以降にいったん「スラローム」は姿を消すが、

1937年の第十五回大会アルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。

http://www.ski-japan.or.jp/3791/

おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。

しか第一大会に「スラローム」という競技があったとおり、

その当時「スラローム」という言葉がまったく使われていなかったわけではない。

当時のスキー教本などにも「スラローム」という表記で載っている。

スラロームと云ふ言葉はノルウエー語で痕跡の輪廓を描くと云ふ意味ださうである。其の廻轉の姿勢クリスチアニアウイングであるとかテレマークウイングであるとか其他種々の姿勢であると云ふ事、並びに杖の使用使用と云うふようなことには全然無關係である

スキーイング初歩 - Google Books

スラロームは右、左のスヰングを自由にやりうる人のみが描きうる曲線の美しさである。スヰングとは體の振方とスキーの角付とによつて滑降中徐々に或は急激に方向を變じ或は停止する技で、外觀上の美のみでなく實用上缺く可からざる動作である

スキーとスケート - Google Books

クリスチャニア回轉又はテレマーク回轉を連續的に行って、雪の上に大きくの字を描きながら滑り降るのを、それぞれクリスチャニアスラロームテレマークスラロームと呼ぶ。“スラローム" Slalom は恐らくノールウェイ語であらう。

外来語研究 - Google ブックス

注目すべきは、ここで「回転(廻轉・回轉)」と訳されているのは「スウィング」や「ターン」のほうだった、という点だ。

「ターン」を「回転」と訳すのは、バレエなどでも同じであり、それほど違和感は無いだろう。

上記文章では、はっきりと「スラローム」と「回転」区別されており、明らかに異なる用語として広まっていたことがわかる。

まり全日本スキー選手権大会(かどうかは分からないが)も、

スラローム」と「回転」の違いは承知していたはずで、

それで後からスラローム」の訳語「回転」と決めたとは考えづらい。

単にアルペン種目を新設するにあたって「スラローム」という横文字を嫌い、

「回転を繰り返して滑り降りる競技なんだからそのまま『回転』と呼んだほうが分かりやすくね?」

みたいな感じで競技名を決めただけなのではないか

それが後に「ジャイアントスラローム」が登場してやむなく「大回転」と訳すことになり、

「回転」がターンを表すのはまだしも「大回転」はもう違う言葉だよなあ)

さらに「スーパージャイアントスラローム」が登場するに至って

もはやパチンコの売り文句みたいにせざるを得なくなったということだろう。

また「ターン」を「回転」と呼ぶことも少なくなり、

今となっては競技名としての知名度のほうが遥かに高くなったので、

まるで「スラローム」の訳語「回転」であるかのようになってしまった、

ということなのではないか

言っても一般人にとっては冬季オリンピックくらいでしか耳にしない単語ではあるし、

えいやで「スラローム」「Gスラローム」「SGスラローム」とかに変更しちゃっていいと思うんですけどね。

それか本当に「蛇行」「大蛇行」「スーパー大蛇行」でもイインダヨ。

2022-01-20

和文タイプしてて使ったことない記号 anond:20220115103032



1923年に初めて作られたカナ文字タイプライター配列は、現在JISキーボード配列にかなり近かったが、今は無い小文字のフ、ワ、ホが打てるようになっていた。

これ豆なw

2021-02-17

バイデン井戸に毒を入れた」の差別対象バイデンまたは日本人

バイデン井戸に毒を入れた」という冗談が、一部の人には「朝鮮人に対する」差別煽動投稿に見えるらしい。驚いた。

これが「朝鮮人に対する」差別だと主張する模範的文書を、藤崎剛人がコラムとして公開している。(差別煽動投稿だと最初に断じた津田大介が、これが「朝鮮人に対する」差別煽動と述べているかどうかは確認していない。)

https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/02/post-3_1.php]

井戸に毒」というのは藤崎も指摘するとおり「1923年関東大震災での流言飛語連想させる」フレーズとして選択されている。つまり、ここで連想されるのは、井戸に毒を入れる行為ではなく、「流言飛語」つまりデマという評価である

井戸に毒」から朝鮮人連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。

もし関東大震災時のデマを知らずに「井戸に毒を入れた」を真に受ける人間がいたならば、彼は毒を入れたのはバイデンだと考える他なく、「井戸に毒」が朝鮮人と結びつくことはない。(そして、バイデン日本に居らずテロリストでも無いのだから殆どは「井戸に毒」が嘘であることに気付くだろう。加えて、バイデン大統領なら、「バイデン井戸に毒を入れた」と信じる狂人が居たとしても危険は及ばない。)

朝鮮人連想は、デマによる虐殺というエピソードを前提にして初めてもたらされる。

もし朝鮮人差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。

したがって、「バイデン井戸に毒を入れた」という文字列は、流言飛語朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起させ悪質なデマに惑わされないための注意喚起諧謔とともに表現したものと読むほか無い。朝鮮人に対する差別煽動と読む余地は無い。

ところが藤崎はなぜか、「バイデン井戸に毒を入れた」という文字列から流言飛語朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起し、悪質なデマに惑わされないための注意喚起をしようと考えたようだ。

藤崎は、「バイデン井戸に毒を入れた」が「井戸に毒」をネタ化したものであるとした上で、次のように述べる。

我々は、我々の社会がかつて行ってしまった民族ジェノサイドに対してどのように向き合うのかについて改めて問われている。こうした状況のもとで、「井戸に毒」をネタとして消費してしまうことは、ジェノサイドという事象の軽視であり、それは論理必然的差別扇動となるのだ。

しかし、ここでネタ化されているのは「井戸に毒」ではなく「「井戸に毒」というデマである

ここで揶揄されているのは、荒唐無稽デマに惑わされて愚かな行動に出たかつての日本人に他ならない。

我々の社会がかつて行ってしまった民族ジェノサイドに対してどのように向き合うのか

愚かな行為であったと反省し反芻し定着させることが、歴史に学ぶということである

「「井戸に毒」デマ」をネタとして消費する行為は、愚かな歴史省みる優れた手段の一つである

2021-01-27

2020年ゲーム履歴

別に2020年に発売されたゲームというわけではない。というか、大抵はSteamセールで買った奴。

Endless Space 2

ターン制のSci-Fi 4Xストラテジーゲーム

Endless Spaceが良かったことを覚えていたので買った。

買ったのは良いのだが、1と違って2はいまいちハマれていない。理由は良くわかっていないのだが、一応インストールは続けているので暇を見て遊び直すつもりだ。

Transport Fever 2

鉄道網を中心とした交通会社運営シミュレーションゲーム

A列車を知っている人間に対して言うが、TpF2で複雑怪奇ダイヤを組むことは出来ない。それどころかダイヤを組むことすら実質的には出来ない。というのも、このゲーム1850年から現代までを網羅する都合上、ゲームスピード結構早く、隣町に辿り着くまでに数ヶ月かかるみたいな事が起こる。なので、ダイヤに拘るならA列車に拘るしかない。

Cities: Skylines - Industries

C: SのDLC。確かボイロ実況を見ながら買った。

このDLCの要素は、まだやってない。

Project Hospital

確かゆっくり実況を見ながら買った。いや、お薬ボイロ実況だっただろうか? どっちでもいいか

Project Hospitalは2018年に出た病院経営ゲームだ。同年に出たTwo Point HospitalがTheme Hospitalの精神を継いでコミカル方面に振っているのに対して、Project Hospitalの方はリアル方面に振っている。ただし、狂犬病は治る。あと、米国保険システムベースにしているので、日本とはちょっと違っていて、もちろんゲーム的な味付けはあるのだろうけど、契約した保険会社が客を送ってくるし、基本的には保険会社によって客単価――患者単価が変わってくる。あと最初契約するのは保険無し。つまり……君達に500$とか請求するけど、破産しないよね? ということだ。

さて、Project Hospitalが何かというと、患者死ぬ前に全ての処置を行えるように専門処置室を設置し、医師技師看護師を配置し、患者の命を繋ぎ止めていって大金をせしめるゲームだ。

まず、動線が悪かったら患者死ぬ必要な診察室がなくて何の病気かわからなくても患者死ぬキャパオーバーしていて充分早く診察が行えなくても患者死ぬ。そして、それら全てをクリアしてどの病気かわかったとしても、治療が間に合わなかったら患者死ぬ

ゲーム最初はそんなにシビアじゃない。総合診療科基本的には軽い病気しか扱わないからだ。しかし、新たな診療科開業していくに連れて難易度は上がっていく。

俺は最初病院で、総合診療科の次にうっかり内科開業させてしまった。数多の患者が肺に水を溜めて死に、病院経営悪化し、新たな施設投資夢物語となり、そして、数多の患者が肺に水を溜めて死んだ。

俺はその病院放棄し、別の病院開業することにした。今度は整形外科から作ると誓ってな。

航空事故が血によって航空機安全を確保してきたように、このゲームもまた、架空世界患者の命を犠牲にすることで、より良い医療体制を追求する事ができる。

そして思うのだ。あぁ、ゲームで良かった、と。

Yakuza Kiwami (龍が如く極)

理由はよく判らんが何故か買った。多分セールかなにかだったんだろう。Steamは魔境だ。セールと言うだけで特に遊ぶわけでもないジャンルゲームライブラリに増えている。怖い!

長寿シリーズの高評価リメイクだけあって俺が何かを言う必要も無いほどに良い。

一つだけ気にくわなかったのは龍が如く7のおま国だったが、無事解除される事になったので特に言うことはない。

と終わろうとしたが一つだけあったわ。どこでも真島のせいで真島さんのストーリーでの立ち位置意味不明になってない?

Cities: Skylines - Sunset Harbor, Concerts, Campus

C: SのDLC。確かボイロ実況を見ながら買ったが、その実況でこのDLCが使われているわけではなかった。

このDLCの要素は、まだやってない。

Steel Division 2

Wargameシリーズや、更に遡るとRUSEを開発していたEugen SystemsのWW2 RTS

Wargameのように一定制限の元にデッキを作り、デッキを使って戦うゲームだ。

さて、そのデッキを組むのがちょっと面倒だ。まず、Steel Division 2では東部戦線舞台になるのだが、その中の師団(一部旅団じゃね? って気がするのもある)から1つ選んで、デッキを組むことになる。各師団戦車師団であったり歩兵師団であったりして、それに応じて戦車が強かったり、歩兵が強かったり、砲兵が強かったり、航空戦力が強かったりする。あと、資源の増え方が師団によって異なる。だが、それを師団名とちょろっとある説明でわかるというのは難しくない? とは思うし、何よりどのユニットが良いのかわからん。俺はV号戦車IV戦車より強いのは知っていても、T-34-85こそが当時の万能戦車であることは知っていても、ナントカ歩兵がホゲホゲ歩兵より強いのかは知らないのだ。結局、俺はYoutubeを参考にお手軽デッキを組み、それから歩兵を減らして偵察を増やした。

ちなみに、パン偵(Aufklärungspanzer V――アウフクラルングスパンツァー フュンフ)は個人的結構良いユニットなのではないかと思っている。

さて、デッキを組んだのでスカーミッシュに繰り出すわけだが、CPU結構手強い。

俺みたいな弱者戦車師団を元にした戦車デッキじゃないと勝つことが出来ないくらいには強い(どの難易度CPUを選んだかは忘れた。Easyだった可能性はあるが、Normalなのだった気もする)。

いや、ほんと歩兵師団でどう上手く立ち回るんだろうと思いながら別ゲーに逃避している。

theHunter: Call of the Wild

大自然の中で狩りをするゲーム

Netflixミート・イーターを見ていたらやりたくなって買った。

俺には合わなかった。

代わりに高い肉を買ってきた焼いた。

美味かったが、大自然の風味はしなかった。

Naval Action

大航海時代っぽい奴。面白そうと思って買ったみたは良いが、そこそこ近くでも移動するのに30分掛かり、さらに別の港までは逆風で60分ほど掛かったのでプレイ継続を断念した。

好きな奴は好きだし、ハマる奴はハマるゲームではある。

Little Witch Nobeta

まだやってない。

SUPER ROBOT WARS V

しかPS4で買ったのだが、PS4は弟に譲ったので買い直した。

スパロボスパロボだが、ヤマト2199が出て来るという点で異色か。

でも楽しいし、ヤマト2199は好きなのでOKです。

版権問題で難しいとは思うのだが、αやZシリーズPC移植してくれないかな。

Satisfactory

3DFactorio表現したくなるような奴だが、Factorioと違って原住生物の襲撃がないのがちょっと物足りない。

しかし、工場を立体的に構築するという点についてはFactorioとは違った面白さがある。

Farming Simulator 19

これは前からセイギャラ実況動画で知っていたのだが、ETS2以外にのんびりするゲームが欲しいなと思った時にセールで買った。

石灰を撒き、肥料を撒き、耕して種を植えてから肥料を撒き、除草剤を撒き、もう一回除草剤を撒き、そして収穫する。これらを全て違う農機を駆使して行う農機シミュレーター

かつては農業シミュレーターと呼んでいたのだが、サクナヒメが出てからは農機シミュレーターの方が合ってるなと思って俺の中での呼び方を変えた。

ボーッとゲームをしたいときにするゲームの1つ(もう1つはETS2)。

一応ハンコンにも対応しているのだが、あまり合わない気がする。

Cooking Simulator - Cakes and Cookies, Cooking with Food Network

クッキングする系ゲームだが、プロパン爆破ゲーム勘違いされている気がしなくもない。

まぁ、ケーキクッキーを作れるようなDLCを買ったのは良いのだが、現実でやらんタイプ料理コイツでしてもなんか面白くないなと思って結局本体だけやってる。

X4: Foundations, Split Vendetta

教授動画を見て買った。

教授動画のようにMODを増やしていくことで経済面が充実していくので楽しいのだが、今はE:Dに回帰してしまった。

City Game Studio

この表現が正しいかどうかはわからないが、これはカイロソフトの『ゲーム開発途上国』の系譜にあるゲーム開発会社運営ゲームであると言って良いと思う。

似たようなゲームとして『Mad Games Tycoon』や『Game Dev Tycoon』がある。『Software Inc.』なども類似性があると言えるかもしれない。

City Game Studioは、複数スタジオ運営できたりと、この系譜の現時点での完成形と言っても良いと思っていたのだが、『Mad Games Tycoon 2』が出ていたのでその判断差し止めて置く。

ただMad~Tycoonのグラフィック結構人を選ぶタイプなんだよなとは思う。

Overcrowd: A Commute 'Em Up

地下鉄駅のネットワーク営業するシミュレーションゲーム

どうもロンドンチューブベースとしているらしく、東京雪崩相手にする必要は無い(そっちは多分STATIONflowがそんなのなのでは?)。

Youtubers Life

これはとあるYoutuberの実況を見て買った。

俺は捻くれているので、実況とは違って音楽系U-Tuberになることにしたのだが、あまりクオリティが高いとは言えない音ゲーが挟まるのがストレスポイントになって終了した。

DARIUSBURST CS

ピラミッドZUNTATAスマホゲームをやっているので買った。

結局スマホゲームの方ばかりやっていて、あまりしていない。

Planetary Annihilation: TITANS

RTS RTSしたRTSがしたくて買った。

こいつは古き良きRTSに近くて、ただマップが球体であり、宇宙があり、そして、他の球体がある。

俺は古のConquest: Frontier Warsがゲーム原体験なのでこの手のゲームは好きなのだが、Steel Division 2の話で気付いたように、俺は弱い。

俺は弱いのだが、Planetary Annihilation: TITANSはそんな俺でも爽快感に満ちる事が出来る。なぁに、途中の趨勢が悪かったから何だというのだ? スーパーレーザー惑星ごと破壊してしまえばこっちの勝ちだし、惑星破壊すると言うことはそれがなんであれ、最高に気持ちいいのだ。

GearCity

大和魂の人の動画を見て買った。

超細かくて楽しいことは楽しいのだが、このゲームをやっているとその時々の自動車産業史を調べたくなってしまって中々進まない。

例えば、このゲームの序盤はピックアップトラックを作って各国軍に売り込むのが初期資金を作り上げる手として有効なのだが、この時に自動車エンジン設計もすることになる。この設計をするときに、史実のこの年代だとどの程度のエンジンが開発されていたのかを参考にしたくなる。そしてそのたびに手が止まる。

そもそもピックアップトラック1900年存在しねーよとかは、まぁその通りだが(歴史上初めてのピックアップトラック1913年に作られたし、メーカー純正モデルになったのは1923年らしい)。

Stellaris - DLCまとめ買い

買ってインストールし直して起動していない。

The Witcher 3: Wild Hunt

Cyberpunk 2077が話題になっていたので買った。

まだ序盤も序盤なので感想は控えるが、雰囲気は凄く良い。

総評

なんか動画を見てゲームを買うことが多い年だったな、と思ったが、ゲームを知る経路がジャンル別のPVから実況動画に変わっただけな気もする。

そして実況動画で受けた印象とは違うプレイフィールに気付くのだ。あぁ、実況動画って繰り返し作業カットしているな、と(実際、俺も試しにYoutubeでの再生数2桁の実況動画を作ったが、1時間録画して使ったのは10分とかそう言う感じだった。序盤でそうなので、ゲームが進んで作業が増えてくると使用率は推して知るべしとなる)。

まぁ、でも2020年のメインは、PCクライアント版が投入されたピラミッドアリスギアだったんだよな。フリック回避が暴発することはあれど、大画面とXBoxコントローラーでするシューティングゲーム息抜きには丁度良かった。丁度良すぎて数時間調査に費やしたことがあったが、あれも多分息抜きだったのだと思う。

そして俺はピラミッドの思惑通りにブキヤ沼にハマり、今はFAガールが2箱、メガミが4箱、創彩少女庭園が1箱、ギガンテックアームズが1箱積まれている。多分、少ない方だと思う。

でも、予約済みのガネーシャverシタラの発売までになんとかしないとな。

2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2020-08-01

年表(近現代

関ヶ原の戦い日露戦争

1600-10-21 関ヶ原の戦い

1615-05-07 大阪城落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡

1853-05-23 アメリカ艦隊浦賀沖に来航(黒船来航)

1861-04-12 アメリカ南北戦争1865年5月9日まで)

1865-04-15 リンカーンアメリカ大統領暗殺

1867-01-30 孝明天皇崩御

1867-02-13 睦仁親王践祚

1867-11-09 大政奉還

1868-01-03 王政復古

1868-01-27 戊辰戦争1869年6月27日まで)

1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)

1868-10-23 元号慶応から明治に改められる。

1871-08-29 廃藩置県

1872-10-16 琉球処分琉球藩設置)

1875-06-28 讒謗律太政官布告)及び新聞紙条例太政官布告公布

1877-02-14 西南戦争1877年9月24日まで)

1877-05-26 木戸孝允死去

1878-05-14 紀尾井坂の変(大久保利通暗殺

1879-04-04 琉球藩廃止沖縄県設置

1888-03-09 ヴィルヘルム1世プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御

        フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1894-07-25 日清戦争1895年4月17日まで。宣戦布告1894年8月1日台湾平定終了は1895年11月30日)

1898-07-30 ビスマルク死去

1901-01-22 ヴィクトリアイギリス女王崩御

1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)

1904-02-10 日露戦争1905年9月5日まで) 

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日露戦争終結太平洋戦争勃発

1905-09-05 日露両国講和条約ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)

1909-10-26 伊藤博文暗殺

1910-08-22 韓国併合ニ関スル条約調印

1910-08-29 韓国併合ニ関スル条約発効

1912-07-30 明治天皇崩御皇太子嘉仁親王践祚元号明治から大正に改められる。

1914-07-28 第一次世界大戦1918年1111日まで)

1921-11-25 皇太子裕仁親王摂政就任

1922-02-01 山縣有朋死去

1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印

1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効

1925-04-22 治安維持法公布

1925-05-05 普通選挙公布

1926-12-25 大正天皇崩御皇太子裕仁親王摂政)が践祚元号大正から昭和に改められる。

1927-03   昭和金融恐慌

1927-04-05 鈴木商店破綻

1928-06-04 張作霖爆殺事件

1929-10-24 大恐慌

1930      昭和恐慌

1930-10-02 日本ロンドン海軍軍縮条約批准

1931-09-18 満州事変柳条湖事件に始まる)

1932-03-01 満州国建国

1932-05-15 五・一五事件

1936-01-15 日本ロンドン海軍軍縮条約を脱退

1936-02-26 二・二六事件

1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効

1937-07-07 日中戦争1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称

1939-05-11 ノモンハン事件

1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告

1939-09-01 第二次世界大戦ドイツポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)

1940-01-26 日米通商航海条約失効

1940-03-30 中国汪兆銘政権成立

1940     アメリカ、対日石油輸出を制限

1940-09   アメリカ、対日屑鉄全面禁輸

1940-09-23 北部仏印進駐

1940-09-27 日独伊三国同盟調印

1940-11   日本アメリカの各種交渉1941年12月まで)

1940-11-30 日本中華民国間基本関係ニ関スル条約日華基本条約)調印

1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達

1941-04-13 日ソ中立条約調印

1941-06-22 独ソ戦ドイツバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)

1941-07-26 アメリカ在米日本資産の凍結を実施

1941-07-28 南部仏印進駐

1941-08   アメリカ、対日石油全面禁輸

1941-08-28 近衛首相ルーズベルトアメリカ大統領に首脳会談提案(結局、沙汰止みとなる)

1941-11-26 アメリカ日本に対しハルノート提示

1941-12-08 太平洋戦争日本英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)

        1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。

1941-12-16 戦艦大和竣工

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太平洋戦争

1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲東京空襲

1942-06-05 ミッドウェー海戦

1942-07   日本軍、フィリピン全土占領

1942-08-07 米軍ソロモン諸島ガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸

        (ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)

1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官ブーゲンビル島上空で戦死海軍事件)。

1943-05-12 米軍アッツ島上陸5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。

1943-09-30 御前会議絶対国防圏構想を決定。

1943-10-01 在学徴集延期臨時特例(勅令)の公布

1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。

1943-11-22 エジプトカイロ英米首脳会談カイロ会談。26日まで)

1943-11-28 イランテヘラン英米首脳会談テヘラン会談。同年12月1日まで)

1944-03-08 日本軍、インパール作戦開始

1944-04-17 大陸打通作戦(同年1210日まで)

1944-06-19 マリアナ海戦日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋制海権制空権喪失

1944-07   ブレトン・ウッズ協定

1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。

1944-07-18 東條英機内閣総辞職

1944-07-22 小磯国昭内閣成立。

1944-08-02 テニアン島日本玉砕テニアンの戦い)

1944-08-11 グアム島日本玉砕グアムの戦い)

1944-09-11 米軍ペリリュー島上陸ペリリューの戦い

1944-10-20 米軍フィリピンレイテ島に上陸レイテ島の戦い)

1944-10-23 レイテ海戦始まる。

1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29マリアナ諸島より東京を初空襲

1944-12-10 日本軍、大陸打通作戦完了

1945-01-06 ルソン島の戦い(同年8月15日まで)

1945-02-04 クリミア半島ヤルタ英米首脳会談ヤルタ会談11日まで)

1945-02-18 硫黄島の戦い(同年3月22日まで)

1945-03-10 東京空襲

1945-04-01 沖縄戦(同年6月23日まで)

1945-04-12 ルーズベルトアメリカ大統領死去。トルーマン副大統領アメリカ大統領に就任

1945-05-02 ベルリン陥落

1945-08-06 アメリカ広島県広島市原子爆弾を投下

1945-08-08 ソ連日本に対し宣戦布告

1945-08-09 アメリカ長崎県長崎市原子爆弾を投下

1945-08-14 日本ポツダム宣言を受諾

1945-08-15 玉音放送

1945-09-02 日本政府ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争大東亜戦争終結

1945-09-09 日本政府中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結

.

戦後占領バブル崩壊

1945-09-10 国共内戦

1950-06-25 朝鮮戦争

1950-08-10 警察予備隊設置(後身は陸上自衛隊

1951-09-08 日本国との平和条約サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約

        (日米安保条約)調印

1952-04-26 海上警備隊設置(後身は海上自衛隊

1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効

        日本占領状態が終了し、独立国

1952-08-05 日本国と中華民国との間の平和条約発効

1952-10-15 警察予備隊保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1953-03-05 スターリン死去

1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催

         (於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーホテル

1954-06-01 保安隊臨時松島派遣隊編成

1954-07-01 自衛隊法施行自衛隊成立)

        陸上自衛隊保安隊から改組)、海上自衛隊海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置

1954-12   高度経済成長1973年10月まで)

1955-11-15 自由民主党成立(保守合同

1955年11月  1975年4月30日 ベトナム戦争

1956-07   昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)

1956-12-12 日ソ共同宣言発効

1956-12-18 日本国際連合に加盟

1958-08   大躍進政策

1960-06-23 新日安全保障条約発効

1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。

1962-10-15 キューバ危機

1963-11-22 ケネディアメリカ大統領暗殺

1964-08-02 トンキン湾事件8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)

1964-10-01 東海道新幹線開業

1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年1024日まで)

1966-05-16 無産階級文化大革命文化大革命)(1976年10月6日まで)

1971-01   世界経済フォーラムダボス会議を開催)設立

1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)締結

1971-07-15 ニクソン訪中宣言

1971-08-15 ドル・ショック

1971-12-18 スミソニアン協定

1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)

1972-09-29 日本政府中華人民共和国政府共同声明

1973-10-06 第四次中東戦争

         勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。

1973-10-21 日米欧三極委員会の初会合(於東京

1975-04-30 ベトナム戦争終結

1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)

1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)

1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印

1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効

1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱

1985-09-22 プラザ合意

1986-12   バブル景気1991年2月まで)

1987-10-27 1987年大韓民国国民投票

1987-12-08 中距離核戦力全廃条約INF条約)発効(2019年8月2日失効)

1989-01-07 昭和天皇崩御元号昭和から平成に改められる。

1989-04-01 消費税導入(当初は3%)

1989-06-04 六四天安門事件

1989-12-03 マルタ会談終了(冷戦終結

1989-12-29 日経平均株価取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。

1990-03-27 総量規制バブル崩壊の始まり

.

現代バブル崩壊パンデミック

1990-10-03 東西ドイツ統一

1991-01-17 湾岸戦争

1991-12-25 ソ連崩壊

1993-07   衆院選自民党が敗北し、非自民連立政権誕生する(55年体制終焉

1993-11-11 欧州連合条約マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)

1995-01-17 阪神淡路大震災

1995-03-20 オウム真理教による地下鉄サリン事件

1995-11-23 Windows95日本国内で発売される。

1996-03-23 台湾民主化総統民選となる)

1997-04-01 消費税率が3%から5%に上がる。

1997-07-01 香港返還

1997-07   アジア通貨危機

1997-11-03 三洋証券経営破綻会社更生法適用申請する)

1997-11-17 北海道拓殖銀行経営破綻公表

1997-11-24 山一證券経営破綻公表

1998-10-23 日本長期信用銀行、破産国有化

1998-12-13 日本債券信用銀行、債務超過国有化

2001-01-06 中央省庁再編

2001-09-11 アメリカ同時多発テロ事件

2003-03-20 イラク戦争201112月15日まで)

2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行

2008-09-15 リーマン・ショック

2009-09-16 鳩山由紀夫内閣総理大臣に指名される(政権

2019-08-09

甲子園出場校の「中京」が難解すぎる

愛知県の「中京」と 岐阜県の「中京」が名前を改称しあう歴史が意外と難解でびっくりした。

しかも両校のルーツは同じという。

調べててどんどん混乱してきた。

 

西暦梅村学園愛知略称安達学園岐阜略称
1923年中京商業学校 (中京商)    
1948年中京商業高等学校 (中京商)    
1963年中京商業高等学校 (中京商) 中京高等学校 (中京)
1967年中京高等学校 (中京) 中京商業高等学校 (中京商)
1995年中京大学附属中京高等学校 (中京中京) 中京商業高等学校 (中京商)
2001年中京大学附属中京高等学校 (中京中京) 中京高等学校 (中京)
2017年中京大学附属中京高等学校 (中京中京) 中京学院大学附属中京高等学校 (中京中京)
2020年中京大学附属中京高等学校 (中京中京) 中京高等学校 (中京)

2018-11-03

韓国の88歳の大学教授ハングルで書いた文章です。日本語訳します。

韓国の88歳の大学教授ハングルで書いた文章です。日本語訳します。

http://yeoksa.blog.fc2.com/page-0.html

"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。" [チェ・キホ伽耶大学客員教授]

朝鮮末期の私は1923年の生まれです。もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います

それは相当な覚悟必要です。生命危険覚悟していますしかし、これは私の使命であると信じています

私はソウルに住んでいました。 そして、時々、平壌東京に行きました。

その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。劇場に行けば映画の前に、戦争ニュースがありました。

例えばニューギニア日本が勝った映像が流れ、拍手万歳暴風雨でした。

私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。

しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。

なので「親日派」という言葉使用できません。その「使用できない言葉」を使って、先祖まで批判しています

「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。

韓国日本歴史教育比較すると、日本10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。

朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています

韓日合邦によって「教育」医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。

近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。

その実績を「日本帝国主義の侵略政策産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます

より一層「日帝民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります

民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。 近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。

韓国人は「日帝虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。 歴史真実を知っているためです。

朝鮮末期は「地獄」でした。 それは大韓帝国時代になっても同じでした。

1904年日本朝鮮惨状を救うために、財政支援決断します。

例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。

その差額は日本負担していました。 1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています

現在88才の老人の絶叫です。 どう思われますか?

2018-08-07

[]チアリーダーはかつて男しかいなかった

18世紀末に始まったチアリーディング1923年ミネソタ大学で初めて女性が参加するまで男性しかいなかった。

それ以降も女性の参加は稀で、本格的に女性チアリーディングに参加するようになるのは徴兵男性がいなくなった第二次世界大戦から

https://en.wikipedia.org/wiki/Cheerleading#Female_participation

2018-02-13

anond:20180213130959

拉致問題矮小化する為に、100年近く前の1923年関東大震災における朝鮮人虐殺を持ち出して、「お前らはその祖先からな!」と言っている訳ですが。現役の拉致関係者やその周辺に対する反論としては甚だ立場に偏りがあるし「当時差別呼ばわりしてめっちゃ協力してたし。今もそれに特に反省も何も無いじゃん!」っていう疑問はぬぐえない。

2017-11-04

かつて大惨事のあった公園

こないだ両国にある横網町公園に行った。無料で入れる普通公園なんだけど、たまたま入って見たらなんだか石垣の立派なお城のような建物が建っていて、花が供えてあったりして慰霊してる雰囲気説明書きの看板もあったけどスマホ検索したらなかなか凄かった。

横網町公園 - Wikipedia

公園は元々陸軍被服廠があったところであったが1922年赤羽現在東京都北区)に移転し、東京市(当時)が買収し公園として整備したものである工事1923年7月から始まったが、その最中9月1日関東大震災がおきた。直後、周辺の下町一帯から多くの人が、この造成中の公園を絶好の避難場所とみなして集まったが、16時ごろ、地震で発生した火災による熱風が人々を襲った。避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった。結果、横網町公園避難した人だけで38,000人が犠牲になったという。震災後、その38,000人の遺体はその場で火葬され、3メートルの高さになるほどの大量の遺骨はその場に急遽作られた仮設の慰霊堂に収容された。


火災旋風で38,000人が犠牲に」って想像を絶するけど、東日本大震災の死者が確か2万人くらいと思うと凄い事件だなと思って。(今調べると東日本大震災は死者16,000人弱の行方不明者が約2,500人だった)

関東大震災で習った事って「大きな被害」「朝鮮人井戸に毒を放り込んだというデマで殺された」くらいな気がする。東京の人はもっと詳しく習ってるのかな。

関東大震災Wikipediaを見てみたらこ火災旋風のことは直接書いてないみたい。公園に建ってた慰霊堂のことがちょっと載ってるけど。

一見長閑な公園でかつてこんな大惨事が起きていたなんてと、なんか不思議な気分だった。調べたり看板を読んだりしなかったら何も知らないままだったわけで。また東日本大震災の話になっちゃうけど、「ここから下には家を建てるな」って立て札があってそれを守ってた村?町?は被害が無かったとかいう話とかさ、奇跡の一本松を残すだの残さないだのの話とかさ、語り継いでいかないと記憶って無くなっちゃものなんだなって。

横網町公園検索すると「心霊スポット」と出てくるから少しは知られた話なのかもしれないけど。(あと今年の7月殺人事件起きてる)


(追記)

ブコメ見てURL最後スラッシュ消してWikipediaちゃんと読み直してたら関東大震災のページに横網町公園火災旋風のことしっかり記述してあった…長いんで読み飛ばしてた…

やっぱり地元の人はちゃんと教わってることとか、神奈川の「どやぁ」とか知れて面白かったので書いて良かったです。

2017-09-02

6000人虐殺論を採用すると

4県合計の12,840人の6000人が1923年9月以降に虐殺されて次の年の調査までに14000人も流入する計算になるわけで

半数近くを虐殺しながら次の年には3倍に増えるのを受け入れるってのはありえないように思える

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス-

http://synodos.jp/society/14990

ここから次の年の人数まで引用

     1923年  1924年

東京府  8,567人  13385人

埼玉県  311人   787人

千葉県  317人   707人

神奈川県 3,645人  5678人

4県計  12,840人 21,213人

https://anond.hatelabo.jp/20170902034014

2017-09-01

震災時に朝鮮人はどのくらいいたのか?

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

追悼文の問題とか、ややこしすぎてあんまり言及する気にはならないのだけれど、上記トラバ先の増田がたった一点「震災当時の東京に6000人の朝鮮人はいなかった」という点にこだわってるみたいなんで、それが妥当なのかどうかを考えてみた。

まず、根拠国勢調査ということだけど、これは大正9年震災が起こったのは大正12年。そして、震災が起こる前年、朝鮮半島から渡航規制が緩和され、一気に朝鮮から労働者が増えた。

この資料ね。

http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/42108/20160528051714670665/oer_016_4_107_145.pdf

上記資料によれば東京には1920年時点で2053人の朝鮮人が在住していたが、5年後の1925年には10818人に増加している。

さらに、こっち

http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/12347/1/003809.pdf

によれば、もともと学生が多かった東京朝鮮人だが、この増加時期にはスラム居住肉体労働者が増加しているらしい。スラム統計の把握がむずかしい地域で、他地域流入していた労働者就労場所を求めて統計外に流入していた可能性はけっこう高い(そうだという証拠まではない)。

こちらの資料によれば

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshhe1931/37/4/37_4_131/_pdf

関東大震災発生の1923年在日朝鮮人の総数は80415人。で、東京の占める割合はその数年後には13%程度というわけだから比率が大きく変化しなかったとしたら(仮に10%と低めに見積もっても)震災発生時には統計上だけでも8千人程度がいたと推定できる。

どの程度の割合殺人が行われたのかわからないけど、在住者の過半数ぐらいにも上るような大殺戮なら、非公式在住者まで含めれば6000人はあり得ないことでもないように思う。だから「ある」という話ではないよ。けど、国勢調査数字だけで「ない」というのも、けっこう根拠が薄いんじゃないの、っていうこと。要は、確実な証拠はない、ということだろうと思う。その中で関係者が「ま、このぐらいかな」と大雑把に推計した数字なんだろう。それが正確でないということは、いまさらあげつらっても仕方ないのじゃないの?

朝鮮人をめぐるデマは、どうも、この震災の数年前から労働者として朝鮮人が急増していたということが背景にあるんじゃなかろうか。「見かけない連中が増えてきた」という心理が、デマ拡散下地にあったのではないかと。このあたりは教訓にすべきかもしれないよな。

2017-08-25

関東大震災の追悼を名目にした儀式

関東大震災被害者人達は今でも追悼されているようだけど

普通に1923年に亡くなった人を知る人は既に94+10歳くらい 直接追悼されることもないだろう

もう十分すぎるくらい祈られててるんじゃないだろうか。輪廻転生しても天寿全うするくらい時が経ってるぞ。

この20年前にあった日露戦争は戦没88,429人で関東大震災並に犠牲者がいるそうだけど99.9%の人は追悼なんてしてないし

いつまで追悼を続ける気なんだろうか

2016-12-21

ブリン・フリストフ・ペトコフ(ブルガリア語: Добрин Христов Петков, ラテン文字転写例: Dobrin Khristov Petkov, 1923年8月24日 - 1987年2月10日)は、ドイツ出身ブルガリアを中心に活躍した指揮者ヴァイオリニスト

2015-12-03

レジンキャストミルク (電撃文庫) 藤原

スペインユダヤ人 (世界史リブレット) 関 哲行

キリスト教歴史 (講談社学術文庫) 小田垣 雅也

帰ってきたヒトラーティムール ヴェルメシュ

社会福祉思想歴史魔女裁判から福祉国家の選択まで (MINERVA福祉ライブラリー) 朴 光駿

☆ザ・フェデラリスト (岩波文庫) A.ハミルトン

インフォメーション―情報技術人類史 ジェイムズ グリック

アメリカ文学史のキーワード (講談社現代新書) 巽 孝之

異端審問 (講談社現代新書) 渡辺 昌美

シルバー事件 アスキー

絶対に解けない受験世界史 (大学入試問題問題シリーズ) 稲田義智

筋と義理を通せば人生はうまくいく 高須 克弥

99歳ユダヤスーパー実業家が孫に伝えた 無一文から大きなお金成功を手に入れる習慣 矢吹 紘子

女子マネージャーの誕生とメディアスポーツ文化におけるジェンダー形成 高井 昌吏

世界一即戦力な男――引きこもり非モテ青年音速で優良企業から内定をゲットした話 菊池

愛についての感じ 海猫沢 めろん

借金底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター借金1億2千万円、利息24%から生還記 金森 重樹

猫背を伸ばして 新装版 (フレックスコミックス) 押切蓮介

こんな上司が部下を追いつめる―産業医ファイルから (文春文庫) 荒井 千暁

棟梁―技を伝え、人を育てる (文春文庫) 小川 三夫

石井直方筋肉まるわかり大事石井 直方

フルーツ果汁100% 第1巻 (白泉社文庫 お 3-1) 岡野 史佳

☆「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット) 土井 隆義

読書の方法―なにを、どう読むか 吉本 隆明

予備校なんてぶっ潰そうぜ。 花房 孟胤

海洋堂創世記 樫原 辰郎

世界堂書店 (文春文庫) 米澤 穂信

コーディングを支える技術 ~成り立ちから学ぶプログラミング作法 (WEB+DB PRESS plus) 西尾 泰和

☆九月、東京路上1923年関東大震災ジェノサイド残響 加藤 直樹

大東亜戦争の実相 (PHP文庫) 瀬島 龍三

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶 グードルン・パウゼヴァン

クリスマス少女は還る (創元推理文庫) キャロル オコンネル

江戸のハローワーク (双葉新書) 山本 眞吾

Three Essays on the State of Economic Science Tjalling C. Koopmans

The Elements of Style, Fourth Edition William Strunk Jr.

ザ・フォール/落下の王国 特別版 [DVD] リー・ペイス

アメリカめっちゃスゴい女性たち 町山 智浩

☆船に乗れ!〈1〉合奏と協奏 藤谷 治

ちょー美女と野獣 (コバルト文庫) 野梨原 花南

11/22/63 上 スティーヴン キング

システム×デザイン思考世界を変える 慶應SDM「イノベーションのつくり方」 前野隆司

追われ者―こうしてボクは上場企業社長の座を追い落とされた 松島

劣化国家 ニーアル ファーガソン

ブラック企業経営者本音 (扶桑社新書) 秋山 謙一郎

創価学会研究 (講談社現代新書) 玉野 和志

グロースハック 予算ゼロビジネスを急成長させるエンジン 梅木 雄平

女のカラダ、悩みの9割は眉唾 (講談社+α新書) 宋 美玄

To Repair the World: Paul Farmer Speaks to the Next Generation (California Series in Public Anthropology) Bill Clinton

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書) 小坂井 敏晶

Making the Modern World: Materials and Dematerialization Vaclav Smil

高校教育アイデンティティー総合制と学校づくりの課題 (「教育」別冊 (9)) 小島 昌夫

☆名作はこのように始まる〈1〉 (ミネルヴァ評論叢書・文学の在り処) 千葉 一幹

グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ] ニコラス サリバン

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス) 池谷 裕二

天涯武士幕臣小栗上野介 (1之巻) (SPコミックス時代劇画) 木村 直巳

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫) 中島岳志

ぐいぐいジョーはもういない (講談社BOX) 樺 薫

LEAN IN(リーン・イン) 女性仕事リーダーへの意欲 シェリル・サンドバーグ

鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! 村崎 百郎

男性学の新展開 (青弓社ライブラリー) 田中 俊之

闘争領域の拡大 ミシェル ウエルベック

実録 ドイツ決闘した日本人 (集英社新書) 菅野 瑞治

男性ECCE HOMO (文春新書 934) ヤマザキ マリ





正統と異端 - ヨーロッパ精神の底流 (中公文庫) 堀米 庸三

魔女狩り (「知の再発見」) ジャン・ミシェル サルマン

図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界歴史) 黒川 正剛

魔女狩り (岩波新書) 森島 恒雄

異端審問 (文庫クセジュ) ギー・テスタス

剣豪将軍義輝〈上〉鳳雛太刀 (徳間文庫) 宮本 昌孝

2015-10-22

「学園」に呪縛されるライトノベルについて

なぜ物語の少年少女が「学園」に呪縛されるようになったのか - Togetterまとめ

このまとめの最初のあたりで芦辺拓氏が例に挙げている作品刊行年は以下のとおり。

小林芳雄と少年探偵

→『怪人二十面相1936年

西條八十の白ばと組

→『あらしの白ばと』1952年

高木彬光の古沢姉弟

→『覆面紳士1950年

森下雨村池上富士

→『少年探偵富士夫の冒険1923年

横溝正史の御子柴進

→『幽霊鉄仮面』1937

まず、このくらいのスパンの話だということを理解しておいてほしい。

たかだか十年前と比較するくらいの感覚で「最近ラノベ作家は楽をしたがるから」などと言っていると論点がズレてしまう。

さて、そもそも「昔は学園ものは少なかったが今は学園ものばかり」というのはラノベだけの問題なのだろうか。

Wikipediaの「学園漫画」の項には以下のように書かれている。

少年少女主人公とする作品学校を場としたりその人間関係が中心になることが多いことは当然であり、漫画以前の小説時代から学校もの存在したし、学校舞台とする漫画作品昭和30年から存在した。ただ昭和30年代には、放課後に家の手伝いをする者や中学卒業して実社会に出るものがまだ多く、学「園」ものという呼び方にはある程度の生活階層青春もの意味するイメージもあった。

結果的に、雑誌漫画において学園漫画という「分野」(市場分野?)が生じたと言われるのは、日本高度経済成長が成果を安定させて生活の向上や学歴の向上が既定路線となった1960年代半ば(昭和40年前後)からである

学園漫画で言えば『ハリスの旋風』が1965年、『夕やけ番長』が1967年、『ハレンチ学園』や『男一匹ガキ大将』が1968年である

芦辺氏と同じ論法を使えば「戦前終戦直後には学園もの少年漫画は少なかったのに今は学園漫画ばかり」とも言えそうだ。

もとより、「学園もの」増加の原因を、一足飛びに現代ラノベに求めたところで、何が分かるものでもあるまい。

同じくWikipediaから学園小説」の項。

学園小説一定の発展を見せたのは、少年雑誌よりも少女雑誌においてであるもっとも著名な作家としては『少女世界』の読者から作家デビューした吉屋信子があげられる。

1916年に連載が始まった吉屋信子の『花物語』は、当時ベストセラーとなった連作短編で、女学校舞台とした話が多い。→エス

これは「漫画以前の小説時代から学校もの存在した」「学園ものという呼び方にはある程度の生活階層青春もの意味するイメージもあった」ということの実例と言える。

こうしてみると、むしろ1960年代以前の少年向け娯楽作品において学校舞台とならなかったのは何故か」というほうが問題なのではないかと思えてくる。

そしてそれは、Wikipediaのとおり経済力理由を求めるほうが、現代青少年の心性を大仰に言い立てるよりは筋がとおっているだろう。

(もちろん他の要因もあるだろう、議論するならその点についてすべきである

最後に、筆者が最近読んだライトノベル50作品を「A. 学校が出てこない」「B. 学校は出てくるが事件が起こるのは学外である」「C. 学校が主な舞台である」で分類したところ、以下のような内訳となった。

A. 18作品 B. 16作品 C. 16作品

まり芦辺氏が言うような「全てが学校で起きる学園ものラノベ」は16/50=32%である

言うまでもなく、このサンプル数は少なすぎるし、個人の嗜好による偏りなどもあるので参考程度にお願いしたいが、

最近ライトノベルの全てが「学内で完結している」ということはありえない、とは確実に言えるはずだ。

大ヒット作だけを見ても、SAOダンまち「A」であるし、禁書目録魔法科高校は「B」に分類されるだろう。

正直なところ芦辺氏がどうして「最近ラノベは学園ものしかない」と強固に思い込んでおられるのか理解に苦しむ。

どうか賢明なる読者諸氏においては「へえ最近ラノベは学園ものばかりなんだな」などと鵜呑みにしないでいただきたい。

2015-02-22

一番良かったのは明治初期だよ

大審院歴代院長

歴代院長[編集]代 氏名 就任日 出身校及び備考

1 玉乃世履 1875年明治8年)5月12日 岩国藩代理

2 玉乃世履 1878年明治11年)9月13日

3 岸良兼養 1879年明治12年)10月25日 薩摩藩

4 玉乃世履 1881年明治14年)7月27日

5 尾崎忠治 1886年明治19年)8月12日 土佐藩

6 西成1890年明治23年)8月21日 府中藩

7 南部甕男 1891年明治24年)4月8日 土佐藩、院長心得

8 児島惟謙 1891年明治24年)5月6日 宇和島藩

9 名村泰蔵 1892年明治25年)8月24日 長崎出身、院長心得

10 三好退蔵 1893年明治26年)3月3日 慶應義塾

11 南部甕男 1896年明治29年)10月7日

12 横田国臣 1906年明治39年)7月3日 慶應義塾

13 富谷太郎 1921年大正10年)6月13日 司法省法学

14 平沼騏一郎 1921年大正10年)10月5日 帝国大学法科大学

15 横田秀雄 1923年大正12年)9月6日 帝国大学法科大学

16 牧野菊之助 1927年昭和2年)8月19日 帝国大学法科大学

17 和仁貞吉 1931年昭和6年)12月21日 帝国大学法科大学

18 林頼三郎 1935年昭和10年)5月13日 東京法学

19 池田二郎 1936年昭和11年)3月13日 東京帝国大学

20 泉二新熊 1939年昭和14年)2月15日 東京帝国大学

21 長島1941年昭和16年)1月31日 東京帝国大学

22 霜山精一 1944年昭和19年)9月15日 東京帝国大学

23 細野長良 1946年昭和21年2月8日 京都帝国大学

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

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