はてなキーワード: 心理学者とは
私はトランスジェンダーで、「性自認って結局何?」とよく聞かれるから、私の理解する限りで書いてみる。と言っても、専門家でも何でもない当事者の一人が本を読んだりして考えたことなので、正確性は保証できない。
まず「性自認」はgender identityの訳語だ。identityは「自己同一性」と訳したり「アイデンティティ」とカタカナで書いたりするが、高校現代文のキーワードとしてお馴染みだからよく知られてる言葉だと思う。もともとはエリクソンという心理学者が提唱した概念。エリクソンは難しくてちゃんと読めてないけど、解説とかを見ると、要は安定して持続的な「自分はこういう存在だ」という意識のことらしい。
アイデンティティの確立は青年期の課題だとエリクソンは考えていた。思春期に自分は何者なのかという課題に向き合い、それを乗り越えるなかで自分のアイデンティティを確立していく。それがうまくいかないと同一性拡散という自分が何者なのかわからない崩壊状態になり、様々な精神的な疾患を生じさせる。
このアイデンティティだが、単に個人の内で完結するものではなく、社会との相互交流の中で、社会に自分自身を位置付けるようにして形成される面も大きい。それは例えば、自分自身を特定の言語と結び付けるとか、特定の国と結び付けるとかして、「自分はこの国の人間だ」というアイデンティティを形成する場合などに起きる。性別もこの関連で扱われる。
この社会には主に二つの性別グループがあって、良し悪しはともかくとしてそれぞれ違う扱いを受け、違う行動傾向を育んでいる。思春期の体の変化に気持ちが追いつかず、いきなり「男」や「女」を期待されて苦痛を覚えた人は多いと思うけれど、そうした人はアイデンティティの確立が始まる時期にまさに自分と性別グループの結び付けという課題の解決に困難を覚えていたのだろう。でも多くの人は思春期を過ごす中で遅かれ早かれ少しずつこの課題を乗り越え、安定した仕方で自分と特定の性別グループを関連付け、その性別の人間としてのアイデンティティを確立する。
gender identityというのはこの話だ。多くの人は青年期にアイデンティティを確立する過程の一部として、葛藤を乗り越えながら自分と特定の性別とを結び付ける自己理解を発現させ、それで心理を安定させる。
性別に関してややこしいのは、こうした青年期の課題としてのアイデンティティの確立とは別に、子供の頃に決められ、周りからの識別に使われるラベルとしても性別が機能している点だ。だから、gender identityの確立は単にアイデンティティを安定させるだけでなく、すでに与えられているラベルに即したアイデンティティ形成を期待されるという面もある。多くの人は多少の葛藤はあれど、これらをいずれも遂行していく。こうして人はシスジェンダーに育っていく。シスジェンダーの中にも葛藤が他の人より長引いたり強かったりする人もいて、そうした人は性別違和に似た感覚を覚えたことのあるシスジェンダーになるのだろう。
けれど、ごく稀に何らかの理由でそれがどうしてもできない人がいる。つまり、性別に関してあらかじめ与えられたラベルに従おうとするといつまで経ってもアイデンティティが拡散し続け、心理的な症状を生じさせる人だ。言い換えると、性別違和を感じる人だ。そうした人の中には、周りから期待される性別と異なる性別に自己を結び付けて初めてアイデンティティが安定する人もいる。ただ、その場合でもそのままでは周囲がそのアイデンティティを承認してくれず、社会と摩擦が生じ続けるし、自分のアイデンティティもその都度疑われて安定しづらくなる。だから、摩擦が生じないように見た目を自分と結びついている性別の人間として周囲に承認されやすいものに変えていくことがある。これがトランスジェンダーだ。
中には、どちらの性別グループとも安定した結び付きを形成できない人もいる。そうした人たちの中には、ノンバイナリーという新しいグループの一員として自己を理解したらアイデンティティが安定する人もいる。
一人の当事者に過ぎない非専門家の素人意見だけど、性自認というのはこういうものだと私は考えている。
この考え方だと、反トランスの右派がトランスを攻撃する中で持ち出してくる「トランスエイジも認めないとならないのか」という議論の馬鹿らしさも見て取れる。特定の年齢や年代であることというのは常に流動的で、青年期における安定したアイデンティティ確立の課題には関わりようがなく、例えば18歳としてのアイデンティティを葛藤を乗り越えて獲得するなどといったことはなされない。なので、そもそもアイデンティティには年齢という要素は入っておらず、それゆえ割り当てられた年齢と年齢自認のギャップなどというものは生じない。性自認を単なる自称に貶めるためのレトリックに過ぎない。
トランスレイスも反トランスのレトリックで頻繁に持ち出されるけど、こちらについては人種アイデンティティのことに詳しくないからよくわからない。ただ、人種が養子とかでなければ多くの場合で親から子へと引き継がれるがゆえに、その家庭の人間としてアイデンティティを形成することとその家庭の人間にはない人種の持ち主としてアイデンティティを形成することが矛盾し、安定したアイデンティティに向かわないとかはあるかもしれない。そうすると、性別の場合と違ってトランスが、不可能かはわからないけどかなり困難になるだろう。
ダニング=クルーガー効果は、オンラインの議論で他人の考えを信用できないと判断するためによく引き合いに出される。
この効果は、あるトピックについて最も知識の少ない人がそのトピックについて最も自信過剰になるのに対し、最も知識のある人は自己評価においてより謙虚で正確になる傾向があるとしている。
直感的に正しいように思われ、自分の意見や議論を「絶対的な確信」を持って提示する人を弱める方法となることが多い。
唯一の問題は、ダニング=クルーガー効果自体が間違っていることだ。
ダニング=クルーガー効果に関する議論は、ブログ投稿への反応としてオンラインで表面化した。
そのブログ投稿では、あるブロガーがジョージ・メイソン大学の統計に詳しい心理学者、パトリック・マックナイトに連絡を取り、この効果に対する最近の批判について検討した。
彼らがこの問題に取り組んだ方法は、心理学研究について私たちが知っていると思っていることをどのように確認するかについて多くのことを明らかにしている。
まず、ダニング=クルーガー効果がなぜ信じられるようになったかを考えてみよう。
このテーマに関する古典的な研究では、人々に知能や社会技能のさまざまなテストで自分がどの程度の成績を収めるか判断してもらい、それらのテストでの実際の成績を同僚と比較する。
最も成績が悪かった人は、自分の成績を他の人よりもずっと高く見積もっているとされた。
このことから、心理学者のダニングとクルーガーは、あまり知らない人の方が、よく知っている人よりも自信過剰であると考えた。
しかし、他の科学ではよく行われる次のステップは、効果の根底にあるプロセスを数学的に具体的に記述することですが、心理学研究の多くの分野ではほとんど行われていない。これがモデルと呼ばれる。
モデルを使用すると、起こっていると思われることを書き出すことで、すべての部分がどのように組み合わさるかを正確に把握できる単純化された世界を作成できる。
目標は、このプロセスの説明が収集した実際のデータにどれだけ適合するかを確認することである。
モデルから取得した偽のデータが、実際に人々を測定したときに表示される実際のデータに似ている場合、モデルが正しいとある程度確信できる。
ダニング=クルーガー効果をめぐる論争は、最も成績の悪い人々が自分のスキル レベルについてそれほど間違っていなかったというモデルから、ダニング=クルーガー効果によく似たものを作成できることをマックナイトが発見したことに基づいている。
人々は単にランダムに間違っており、そのパターンはダニングとクルーガーが最初に発表したものに似ていた。
その後、これを改良したものが、スコットランドのダンディー大学のベンジャミン ヴィンセントによって投稿された。
ヴィンセントのバージョンでは、人々は偏りがあったが、最もよく知っている人と最も知らない人の間に違いはなかった。
自分の能力に少し自信過剰だっただけで、レベルは関係なかった。
これは、観察されたデータと見事に一致した。
今年発表された論文の中で、ジル・ジニャックとマルチン・ザジェンコウスキーは、ダニング=クルーガー効果は次の 2 つの要因の組み合わせによってより適切に説明できると主張している。
さらに、彼らは、ダニング=クルーガー効果が、ある分野について知識がほとんどない人が、自分がどれだけ知らないかを知らないということであるならば、実際のデータには見られない他の統計パターンが予想されると主張している。
代わりに、彼らは 929 人の IQ テストのスコアのサンプルを使用して、結果が典型的なダニング=クルーガー効果のように見えることを示しているが、実際には、誰もが自信過剰であり、通常の統計誤差があるという方がうまく説明できる。
ダニング=クルーガーのデータは、実際には誰もが少し自信過剰になっていることを示しているだけである。
この論争は、心理学をどのように改革するのが最善かという最近の議論の中心となる点を浮き彫りにしている。
一方では、改革者は、発表する効果が再現可能であることを確認する必要があると示唆している。
そうしないと、単なる偶然だったかもしれないデータのパターンについて結論を導き出す危険がある。
他方では、数理心理学やモデリングコミュニティの改革者は、どのような結果が期待できるかを決める前に、モデルから始めて、プロセスがどのように機能するかを検討することから始める必要があると示唆している。
彼らは、ダニング=クルーガー効果のように一貫して再現される結果であっても、その結果に至るプロセスについて立ち止まって考えなければ、何が起こっているのかを適切に説明できない可能性があると主張するだろう。
2020年12月のダニング=クルーガー論争は、心理学改革が研究の再現を確実にする以上のことを行う必要がある理由を非常に明確に示している。
だから、もし誰かがオンラインで、議論している相手が愚かすぎて自分が間違っていることに気づいていないと辛辣なことを言ったら、その人にこの投稿を教えてあげればいい。
訴訟系Youtuber暇空茜は「公金不正追求」の名目で集めた1億5千万円のうち1億を溶かすも特に今のところ不正を見つけていない
当初槍玉にあげていたcolaboから特に不正が出てこないので、公金関係は諦めて資金流用しての一般人相手への訴訟を乱発して敗訴が続いている
1億円が流れていった先の弁護団の一人であるの渥美陽子は2023年12月に豪勢なカニを食べる写真を掲載し
その際の渥美のコメントは「ぐんたいガニがあらわれた!」 https://archive.md/Lzax6
カニいじりのツイートに対し、「エルフの地方議員」という名前でTwitterをやっている者が、渥美のカニ写真を転載しながらこう発言した
「リーガル弁護団はネット上の誹謗中傷に悩む人々に施ししとる可能性もあるやんけ!あんまりケチつけるようなら、ぐんたいガニけしかけるで!」
https://pbs.twimg.com/media/GVvd2YDXMAALO8T.jpg
渥美はこのツイートでカニ写真の著作権侵害をされたとして、エルフに開示請求を行った
暇空は「お前もひどい発言をしているから相殺」「お前は嘘つきで発言に信憑性がない」「錯誤ではなく悪意を持って事実を捻じ曲げている」と敗訴判決文で書かれており、
訴訟は原告(暇空)のいる東京だけでなく被告のいる地方で起こすことも可能なため、近ごろの暇空は東京地裁を避けて地方のプロパイダの書き込みをピックアップして開示請求をしていたが、
悪名が轟いていなくてもそもそも訴えに無理があるため地方でも開示の段階でほとんどつまずいていた
そこで、弁護士関係の書き込みを弁護士名義で開示請求させ、個人情報を買い取って暇空が訴えるのに使うという作戦に出たのだろう
以前に暇空の弁護士の松永成高は「草生えた」の一文だけで開示請求する通称「草開示」を30件ほど起こしたが、
必要書類が入っていなかったり、他の人のところに複数部書類が重複して入っていたり事務能力がまず異常に低く開示されたという報告はないまま終わった
松永は中高生のころに2回警察に捕まっており、犯行の背景が特異なことから心理学者に克明に生い立ちを論文に書かれたことがある
心理学者をプライバシー侵害で訴えるも最高裁まで争って敗訴に終わっている
端的に言えば「キレやすい人」なので暇空とは関係なく松永個人が怒りに駆られるまま勝手に草開示したかと思われていたが、
蟹開示の情報を暇空が共有しており、先日の文鳥開示も暇空から発表しているので、弁護士による開示は暇空の命令だろう
知恵は、非常に多くのことを包含しているため定義するのが難しい資質の 1 つである。
心理学者は、知恵には知識、経験、深い理解の統合、そして人生の不確実性に対する寛容さが含まれるという点で同意する傾向がある。
賢明な人は一般的に、人生の問題は解決できるという楽観主義を共有し、難しい決断に直面してもある程度の平静さを感じる。
知恵には知性が必要かもしれないが、それだけでは十分ではない。
全体像を把握する能力、バランス感覚、知的謙虚さ、そしてかなりの内省も知恵の発達に貢献する。
知恵は経験を通じてのみ獲得できるが、経験自体が自動的に知恵を与えるわけではない。
知恵を測定およびモデル化しようとする理論が数多く登場している。
心理学者のポール・バルテスらが開発した有力な理論では、知恵を「複雑で不確実な事柄について優れた洞察、判断、助言を可能にする、生活の基本的な実用性に関する専門知識」と定義している。
これには、豊富な手続き知識、豊富な事実知識、さまざまな生活環境の理解、価値観と優先順位の相対性に対する認識、不確実性を認識して管理する能力という 5 つの主要な要素が含まれる。
これらの基準は、仮想シナリオを提示し、参加者がそのような状況で何を考え、何をするかを評価することで測定される。
社会学者のモニカ・アーデルトは、個人は反省、思いやり、真実の追求を含む性格特性として知恵を発達させると考えている。
心理学者のロバート・スターンバーグは、知恵とは自分と他人の間のバランスであり、行動が共通の利益に向けられることだと理解している。
知恵には、知識や経験などの認知的要素、状況や自分自身を分析する能力である反省的要素、そして慈悲や思いやりを意味する向社会的要素が含まれる。
知恵は、視点の転換、心の広さ、知的謙虚さなどの能力にも関連している。
賢明な人は過去の観察や意見をより微妙な思考スタイルに取り入れ、白か黒かの選択肢ではなく複数の視点を考慮する。
新しい考え方にオープンであること、つまり現状に挑戦することは、知恵の特徴であり、知恵を培うのに役立つ。
賢明な人は一般的に公益のために行動するが、同時に自分自身のニーズも満たされるようにし、競合する要求や目標の間で調和を図る。
また、賢明な人は他人の行動を単に判断するのではなく、他人の動機を理解しようとする。
他人への理解と尊敬を育むことに加えて、知恵は充実した目的意識をもたらす。
仕事上の重大な決断を下したり、辛い人間関係の葛藤を解決したりするなどの経験を積むことで、より多くの知識が得られる。
また、教育の場で批判的に考え、視野を広げることを学ぶことで、スキルを磨くこともできる。
決断を下す際、偏見を持たず、客観的な視点を持ち、知的謙虚さを持つことは、すべて適切な結論に到達するのに役立つ。
これらの特徴により、全体像が生まれ、特定の状況の要求と、さまざまな状況に対処する方法に関する知識との適合性を判断するのに役立つ文脈的要因が明らかになる。
江戸しぐさをアカデミズムが全力で否定したなんてない。そんなことがあれば、サラリーマンの俺が頑張ることはなかったんだ。原田先生も俺も手弁当だよ https://t.co/sjyXeutnHj— とこよのベアー (@tautauyama24) July 19, 2024
もしや他の偽史も同じような感じなんじゃ思って調べてみたら
・渥美陽子
監査している団体「キッズライン」は監査が飾りだけで機能しておらず、公金不正受給2690万円が認定され返金命令
キッズラインはベビーシッター派遣サービスであり、シッターの男が複数の乳児に強制性交したことで懲役20年になった曰くつきでもある
はっきり言ってこんな奴が弁護団のリーダーやってる時点で暇空の「公金不正受給許せねえ」という主張はポーズでしかない
なんでお飾り監査になっているといえば、女性の役員率を名目上釣りあげるために監査役に適当に女性タレントとかつける流れがあり渥美もそれ
渥美陽子は投資家で資産数百億を持つ村上世彰に寵愛されており、村上が大株主をやっている大豊建設などの複数の企業で役員をしている
村上はコスモ石油の役員も渥美にやらせろと迫ったが、「渥美は企業利益のためではなく村上個人のためにしか動かないだろう」「知識を問うため送った手紙に返信もできない」「面会すら拒絶する」と批判され
反対票多数で落とされ、怒った村上がコスモ石油の株を手放す一幕もあった
それだけ村上に愛されているのに法律事務所の売れ行きが芳しくなく、事務所を畳んで父親の事務所でイソ弁やっていた時期に暇空と出会い、再独立
都心のキラキラオフィスをカンパ金チューチューで維持することしか考えてない
・松永成高
5ちゃんねる暇空スレの「草生えた」というだけのレスなど50件ほどを開示請求するも全部棄却されている人
暇空もその件は把握しておらず、暇空に異常に感情移入した結果勝手に松永がやってる
他の人あての書類が混入していたりと、報告される書類の扱いがかなり杜撰で弁護士としての能力には疑問しかない
彼は少年期に祖母や父への粗暴行為が問題になり、家庭外でも事件を起こして2回の保護歴がある(大人なら逮捕)
その際にカウンセリングにあたった心理学者に深刻な事例の一つとして論文を書かれ、訴えるが最高裁まで争って敗訴している
暇空は誹謗中傷を飛ばした末に、壊れてしまった相手に「いっそ殺したい」などと言われており、「殺害予告が怖いから裁判に行けない」などと言ってるが
口だけの壊れた相手なんかより、実際の事件歴があり、論文の中で事件化していない多数の問題行動、女性に対する行動も書かれている松永の方がよっぽど怖い
特に係争相手が女性の場合は、松永を理由にして出廷拒否する供述出せるだろというレベル
「粗暴行為をされる恐れがあるから怖い!」を暇空がやりたいなら真っ先に外すべきだった
・垣鍔晶
カルピスと名乗ってネット上でアンフェ活動して仁藤の容姿中傷、朝鮮人認定などしていた人
係争相手への誹謗中傷をやっていた奴を弁護団に迎えるのはどう考えても悪手
アカウント分けて裏垢作る知恵すらなく、最初は普通に本名名乗っていたアカウントを転用して匿名アンフェ垢にして全部バレるとかネットリテラシー皆無
間違いなく、ネット事件を多数やる依頼人が頼ってはいけない相手
・小沢一仁
暇空と関わる前は、山梨県女児行方不明事件で遺族弁護士になり誹謗中傷を見て泣いたとツイートするなど人情派路線だった
今ではネトウヨまとめサイトを引用しながら「オールドメディアはだめだ」とつぶやくよくあるおっさんに
4人の中では一番実力があるネットに強い弁護士だが、「確実に50万取れる書き込みだけに絞った」と太鼓判を押して多数の訴訟を起こしながら、
目先の依頼料ほしさに「確実に何十万金取れる」とおだてる弁護士はだいぶ悪質
先日の小沢担当訴訟では期日までに書類提出が間に合わず延期になっている
他害性が高まるのをヤバいというなら、女性30代のそれは入り口かもしれん。もっとヤバいのは40歳前後で定職についてない人だと思っている。実家にそこそこ金があったり、親の価値観が古く女は結婚が当たり前で必死で働かなくても良いとされたりして、いわゆる家事手伝いか、バイト程度の拘束時間の仕事しかしてこなかった女。
若い時に少し美人とか、文系学歴が少しあったり、家が少し立派とか、何か周りよりちょっと上の意識がある。でもぬるま湯の中で何も苦労せずに40まで来てしまった。そういう女が、アイドルではなく微妙にアクセスできるマイナー著名人、著者や学者などにハマる。そしてSNSで何かを勘違いし相手に好意を持たれていると思い込み(時には1回寝ていることも)、講演会や学会に現れてトラブルを起こす。ストーカー化する。何らかの病気だろうと思うが、社会的繋がりが少なく、親も高齢で対応ができない。
ある意味かわいそうな『天人唐草』のキェエェェ女系統だが、他害するところが恐ろしい。もっとも、こういうのは10年ほど前に某心理学者某政治学者某金融系作家某学会某マイナー作曲家などの周りで起きていたことであり、時代と世代が変われば状況も少し変わってくるかもしれない。
なんどもいうが、ネットで科学や学問について語る必要性などない。
はっきりいえば、お前の言っていることのおかしな点を見つけて暇つぶしをしているだけだ。
全く関係のない話を比喩で説明した気になって楽しいか?これについては「お前の中ではそうなんだろう」としか言えないな。それこそ反証不可能だろ。
君が万に一つ億に一つアインシュタインのような常人を越える天才で、心理が見えていても、それを普遍的な言葉にできないのなら取り扱いようもない。
俺が知ってる「普遍性」ってのは、物理法則とか数理構造とか、そういう言葉を操るだけでは変えられない客観的存在のことだ。
その意味で、心理学者でさえ心理の普遍性など説明できないだろう。なぜなら物理法則ほどの普遍性が心理にあるかは不明だからだ。
しかし心理学者は、それを取り扱う方法を模索しているし、例えば表情から感情を読み取ったり、発言から性格を予測する程度なら、普遍的ではないにしろ、可能だろう。
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
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2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
暇空茜最強弁護団
・垣鍔(かきつば)
最初は本名で運用していたアカウントを途中から匿名の叩き垢「カルピス」へ転用
仁藤を朝鮮人認定して容姿への誹謗中傷をしていたが初期の頃は同期弁護士と本名で呼び合っていたため普通にバレる
これを揶揄して「カルピス」を名乗る暇空ウォッチアカウント群「カルピス軍団」が発生する
のりこえねっと裁判で敗訴
・渥美(あつみ)
ロリ弁護士だと自認しており自らを歳を取らないフリーレンと重ねている
32歳で独立し事務所を立ち上げた敏腕だが3年で失敗して父親の事務所へ合流
キリトのモデルである暇空が探し求めていたアスナかもしれない存在
・松永
弁護団の中で一番空気だと目されていたが実はもっとも哀しき過去を背負う
15歳と17歳の時にわけあって行政保護され、後に東大合格できるほどの知性と発達障害によるアンバランスさを調査官の心理学者に論文にされる
類似事例と合わせて「発達障害と少年非行」の題で出版され、その分野の教科書に
出版社を訴えて最高裁まで争うも敗訴 論文の許可を出した国へ国家賠償請求するも敗訴
・小沢
暇空を批判する人々を大量に開示している
他の事件では正義や倫理を見せ、中傷被害者を思って泣いたりしていた
名指ししないが依頼人や協力関係にある他の弁護士に困らされているらしく愚痴をこぼす
和 1 年(受)第 877 号、令和 1 年(受)第 878 号
父親は幼少期に、他国から父母など同胞集団と共に来日し、帰化した。
多子家庭で育つも経済環境には恵まれ、大学院にまで進学(中退)、自営業で成功を収める。
客として訪れた父親と結婚するも、精神的に不安定な面が強く離婚、母子家庭でAを育てる。
Aは祖母に引き取られた。
後に偏差値70の学部へ進学するほどAは学業優秀であるが、小学生の頃はやる気にムラがあり評価は良くなかった。
祖母はAに体罰を行い喧嘩をすることがよくあったが、Aが中学生になると敵わなくなり、Aは父親に引き取られた。
Aは私立の中学校に通っていたが、そこでも粗暴な行動が目立った。
教師には、一見すると真面目そうで勉強もよく出来るが心の教育ができていないと評された。
父親はAと仲良くしたい、一緒に遊んだりしたいと干渉していたが、Aは父親を嫌悪して遠ざけようとしていた。
Aの粗暴行為が目立つため、中学2年生時のキャンプで、学校側はAを強制的に不参加にした。
キャンプに行けなかったことはAにとって非常に強い屈辱であり、その後の人生につきまとう出来事になった。
中学3年生の時、Aは同級生に嫌味を言われたと憤り、塾帰りの同級生が歩く夜道で待ち伏せし、ゴルフクラブを振り回しながら追いかけた。
暴行する意図はなく、驚かせて悔い改めさせようとしただけだが、Aは保護され、保護観察処分となった。
父親は心配してAを病院に通わせ、そこで初めてAに高機能自閉症があるとわかった。
本人には自閉症のことは知らされなかった。
中学卒業後、保護観察や通院などの関係で1年遅れて、Aは高偏差値の高校へ進学した。
小中では知的欲求を満たされないことで教師を侮蔑する態度の強かったAだが、高校では勉強に熱中し、徹夜して好きで勉強することもあった。
しかし体育教師に対しては粗暴な振る舞いをし、「そんな態度なら授業に出るな」と言われ、Aは体育に出なくなった。
出席日数不足のため進級できないと学校側に勧告され、父親は自閉症のことを明かし、Aも知るところとなった。
Aは自閉症のことなど調べるうちに、キャンプの件が理由でPTSDになっているのだという結論に達し、警察に被害を訴えに行くも取り合われなかった。
中学校を訴えてほしいと父親に頼むも、父親ははぐらかすばかりで一向に行動に出なかった。
Aは同級生の中傷文を校内で流布したり、女子生徒に執拗に求愛することでもしばしば問題となった。
17歳の時、Aは町中で行列に並んでいた際に、後ろの者にリュックをさわられたと怒り、通報して警察官を呼び出した。
警察官が事情聴取しリュックも調べると、中には刃渡り8cmの刃物があり、銃刀法違反でAは保護された。
調査官に対しAは様々な不満を漏らした。
父親は仕事の都合でたびたび祖国に戻り家を空ける一方で、居る時にはAに対し過干渉でAの寝所は仕切りがなくプライバシーがなかった。
調査官は仕切りをつくってあげるようにするなど父親にアドバイスをした。
Aは父親をひどく嫌っており、母親の自殺目撃について特に心傷はないが、そのせいで父親と暮らさなければいけないことが不服であると語った。
キャンプに行けなかったことはAの心の傷であり、当然の権利が奪われた、権利回復のために今からでもキャンプに参加させよと主張した。
18歳の青年が中学生に混じってキャンプに行くのはおかしいと調査官に言われても、Aはこだわり続けた。
合法的にキャンプに混じれないのならば非合法な方法でもいいからと、中学校に脅迫めいた手紙を送ることもあった。
高校卒業後、Aは偏差値70の名門大学に入り、弁護士になるために学ぶようになった。
AのIQは140ほどある。
最優域知能と発達障害による特性に学術的興味を持ち、調査官は国の許可を得た上でAについての論文を発表した。
書籍発売から何年も経った後で、調査官に書籍のことを話され、Aは初めて書籍について知った。
Aはプライバシー侵害として、調査官と出版社を訴え、国家賠償請求も行った。
Aは今年に入ってから、現在では大学教授である元調査官が書籍を心理学の教科書扱いして頒布しているとして、再び元調査官を訴えた。
ある心理学者が正常な認知の調査を行うのに以下のような実験を行った。
2種類のスロットマシンがある。一方は目押しができない確率機、もう一方は目押しができる確率制御のないスロットマシン。健常者のグループととうつ病患者のグループに2つのスロットマシンをプレイさせ、感想と攻略方法を聞いた。
健常者は、押す順番や、プレイ時間で確率が変動するなど各自で自分なりの攻略方法を見出したがどれも現実とは食い違ったものだった。
しかし、うつ病患者は、片方は思い通りに止まらず、片方は目押しが可能であることを見抜いた。
見抜けないうつ病患者もいたが、どちらも運次第だという回答だった。
この結果を得て、心理学者はうつ病患者のほうこそ現実を正常に認知できる人間の自然な状態であり、健常者のほうが過度にポジティブな妄想癖のある精神異常者であると結論を下した。
人生に必要なものの99%くらいはお金では買えないが、増田はガチャに勝利し既にそれを持っている
これで終わる話なのである
いや、俺の親は経済的に太くねーし、一般的に責務と言われることをこなさないどころか俺に負担掛けますけど?かも知れないが、
世の中には、『親が既に死んでいて物理的に対話が不可』とか、『親が文字通りのガチ犯罪者でどうにもならない』とか、
『一般的な責務はすべて果たしているが微塵も子どものことを愛していない』とか、『子どもを文字通りの意味でペットか道具としか思っていない』とか、
ポンコツで、金なくて、ぶっちゃけ経済的成功の役に立つどころか足枷にしかならなくても、
無条件で自分のことを愛してくれて、その上まだ生きていて、ベストな形ではなくてもとりあえず対話が出来るのは、極めて幸運なことだ
あとこれもめちゃくちゃ共感するんですけど、
今思えばガキの頃に感謝するべき人たちがたくさんいた。水泳を辞めたときも、初めてのバイトを辞めたときも、高校を卒業したときも、俺程度の人間に色紙をくれた人たちがいた。
逆にいえば、誰にも親切にされたことがない人は、他人の善性を信じることが出来ない
他人の善性を信じることが出来ない人は素直になれないし、素直になれない人は他人から親切にされにくいという無限の悪循環なのである
増田は環境ガチャかキャラクターガチャで勝利したラッキーな人で終わる話である
それから、数値化できない財産についても触れておかなきゃいけない
頼りになる親類、友人、農業・狩猟技術、DIY技術、学歴 (税知識・法知識・マーケ知識・語学など)ほか、
所得としての数値には現れないが、あらゆるものの金銭の発生をゼロに、あるいは超低コストに抑えることができる人たち
彼・彼女らは選択的にその生活を送っており、なおかつなんら困窮しておらず、増田の所得水準であっても『貧困状態(弱者男性)では無い』と思います
別にそういう数値化できない財産いっさいないが?なら、もしかして増田は金銭の受け取りを無意識的に拒否しちゃってるかも知れない
数値化できない財産を持ってるわけでは無いのなら、無駄な贅沢はしなくていいけど、安全や快適を買える程度のお金はあった方がいいです
日本はお金に対する考え方がおかしいとか金持ちに対する偏見ガーとか言うけれど、『お金は汚い』と言う考え方は割と普遍的な考え方で
(サイコパスほど金持ちになりやすいと言う事実と、財産の引き継ぎにより強力な金持ちになり独占していくと言う現実があるのだから仕方がない)
アメリカには、Financial Psychology と書くが、投資心理ではなく、自身の不合理なお金の信念に気付き/手放し、お金との付き合い方を健全化しましょうという主旨のセラピストもいたりなんかする。
それらの創設に携わったブラッド・クロンツ博士の日本語でのざっくりとした紹介はこちら ↓
「金ですべて解決できる」なら億万長者に悩みはないはず?|大富豪ばかり相手にする心理学者の洞察|クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/87220/?ate_cookie=1569731540
・お金の回避
(教育レベルが高い人/福祉系に人にありがち。十分な報酬を受け取らない。むしろ無意識的に拒否する)
・お金の崇拝
(そのまま。稼げば稼ぐほど幸せになると信じており、それと同時に自分は充分な額を稼げないと信じている。高額商品を購入したり買い物依存症だったりする傾向が強い)
・マネーステータス
(自己資本や年収と自己価値をイコールで結び付ける)
・ドケチまたは病的な貯蓄屋
(お金に対し異常な警戒心を持っている。いくら貯蓄しても永久に安心出来ない)
などがあるそうな
不正利用されたら支払え無い枠があるクレカ持ってまさかのドヤ顔したりしている。
(まぁ不景気だからクレヒスが良好ならグーレドも枠も年収関わらず上がるのが実際のところなんだけども、年収の証明として自己満足してる)追記:2023年の現在はデビットに切り替えなんとなくお金残せるようになりました