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2024-11-14

エーミール少年の日の思い出を語る

 正しい人でありなさい。

 それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。

 幼い頃から、僕は常に「先生の家の子であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。

 今思えば、僕は他人眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。

 友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。

 そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用どんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。

 だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。

 あの頃の僕たちにとって、蝶の収集最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。

 はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。

 だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。

 それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずはいられなかった。

 ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。

 十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。

 彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。

 不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。

 彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこ感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。

 それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日コムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。

 箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。

 せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまたことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快もの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。

 僕は、彼のコムラサキ欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。

 紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。

 違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――

 僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。

 彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。

 勉強友達付き合いに割く時間限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。

 僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。

 時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。

 季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。

 そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭からクジャクママユが羽化したのだ。クジャクママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。

 何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。

 千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。

 僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。

 常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり大勢少年たちがクジャクママユを見せてくれと押しかけてきた。

 僕は彼らの頼みを「完璧状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。

 僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感クジャクママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。

 その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクママユだった。

 翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。

 どうして。何で。誰が。どうすれば。

 絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。

 日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。

 そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。

 僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。

 僕はクジャクママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。

 僕は耳を疑った。意味がわからなかった。彼が、これを?

 僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクママユがつぶれてしまっていたこと。

 彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。

「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」

 そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。

 彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。

 僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。

 僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事クジャクママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識ゆっくりと沈んでいった。

 次の日、僕は級友たちに、不手際クジャクママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。

 そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。

 彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。

 あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかい基準から外れた場所あるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。

 思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧優等生はいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。

 結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることな不可能だということを悟り自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

 彼とは、学校卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。

 それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ

2024-11-10

ファッションも30代半ばになると着飾ってマウントしても薄っぺらくて頭脳収入勝負した方がいいし、クジャクみたいにメス呼び寄せるための効果必要なくなってくるし

結局軽さと機能モンベルばかり着るようになった

2024-11-06

女にヒジャブ着せるのって、女の害悪性を消すための措置だったのかなあ?

女にヒジャブ着せるのは、女性性への弾圧だ!って声があるが。

現代社会は、女性がやたら見た目ばっかり取りつくろって、「見た目が悪い男清潔感がない害悪だ!」と言いまくる。

女性誌とかで勝手にやってるならいいが、興味のない男性にも見た目で差別してくるのはおかしいだろ。

  

ヒジャブ着せてたのは、こういう女の害悪性を消すための措置だったのかもしれないなあと思った。

女の、この見た目という、クジャクの羽レベル無意味ものに関する異常な性癖ブロックするっていう賢い手法だったのかもなあ。

  

女は、見た目のことで他人を捌くのは、風俗とかキャバクラみたいなとこだけで通用する話だって理解してくれ。

理解できる脳みそは無いのかもしれないが、孔雀の羽に文句言う異常者みたいな、そういうもんだと思ってくれ。

2024-11-02

anond:20241102125716

流石に意味不明な難癖

mutinomuti クジャクのオスをファッション感度がいいとか思ってそう

動物の羽はファッションじゃないよ、進化

2024-10-27

自分のための食事

自分のための食事

コンビニスーパーの出来合いご飯

なぜか連続で食べると消耗する。

なので私は自炊が好き。

自炊ハードルがある人に、自炊の良さを伝えるとき障壁となる事象がある。

それは「見栄」

本当は鶏肉適当にきったものフライパン適当にいれて、ザクザクにきった白菜をわーっといれた後料理酒か余ったお酒をいれ、蓋したご飯が美味しいと言いたいのに「ピェンロー」を勧めてしまうとか

本当はご飯にすし酢かけてスーパーふるさと納税仕入れた魚のサクをひたすら刺し身にして丼に好きなだけ入れて、とびっこを満足するほどふりかけ大葉ときゅうりも適当にごちゃごちゃいれて、卵と納豆わさびたっぷりいれて思いっきり混ぜて(めんつゆとか白だしも欠かせない)ワシャワシャ食べる丼が好きなのに「親子丼」美味しいよね!と言ってしまうとか

あの見栄は、なんで生まれしまうんだろう

虚無メシが流行理由もすごくわかる。

外で丼を買うと「もう少し肉が欲しかった」「味が少し好きじゃなかった」「ご飯あと一口いらなかった」とか

調整ができないのがすごく嫌(無理矢理お腹が空いていないのに食べるのが嫌い)

あと別に今は玉ねぎいらないとか

それが勝手にできるのが自炊

そういうとき値引き半額セールで買った牛肉すじ肉をただフライパンに転がしてすき焼きっぽい味付けで煮込んで放置 しょうがにんにくも一緒に煮込みながらしょうゆとみりんと、しょうがのいい匂いが漂う

肉が柔らかくなってきたらできあがり。それを御飯の上に乗せて、食べる

味付けは自分好みの甘じょっぱい系

ピタッと味がハマるとこの上ない幸福

この適当感を虚無メシはレシピにしてくれており、効率よく幸せになれる 一度作ってみて、そこから水菜入れちゃおうか」とか体力によって展開できるのも良い。

最低限の基本の方というか

味噌汁も、レシピ本にすると応用技に見えちゃってハードルがあるように見える

ピタッとハマった牛すじ煮込みを飽きたるまで肉とご飯を堪能したあと、ちょっと野菜が食べたくなったらきゅうり浅漬とかミニトマトとかをつまむ。結構レタスをただいためてスパイスの素をふりかけるだけでもジャクジャク食べれてみずみずしくて美味しい。

献立を一度に考えると言うより

本当に食べたいもの真剣に考えて、一瞬出てきた本当の身体から聞こえたリクエストいかに答えていくかが楽しい

出た答えが「熱々の噛んだらパキッというウィンナー」でも、そこからご飯パンかどちらがいいか、もう少し寒いから味噌汁とかスープがほしいとか、最近野菜たべてないかインスタントトマトスープにするとか

展開する時間が悩ましくも楽しみ

家族のための食事だと、自分のためではないから疲れてしまう。

ただ家族に全て自分のための食事を一任するのは私は嫌。自分の今本当に食べたいものの正解から離れてしまうとがっかりする。

から私は毎度台所に立ってしまうんだなと思う。

2024-10-21

anond:20241021211224

クジャクなんかは雄が派手で女性は地味だよね

日本で行われてるような女性だけ性を売るという状況は自然でも本能的でもないわな

2024-10-07

anond:20241007064031

「辞める辞めないは自由だけど、辞めるなら『君はその程度の奴だったんだな』と今後認識していきます」と言われ「え、おれクジャクママユ盗んだ??」と思った回

2024-09-15

美少女が吐く暴言からしか接種できない栄養

を多く含むマンガ

かにもあったら教えてくれ

2024-09-14

[]どっ缶冷凍みかん

地元祭りに出かけたが、祭り用に設置されたゴミ捨て場缶詰みかんの缶がやたらと多いのが気になった。

そして、屋台にて「どっ缶冷凍みかん」ののれん発見した。

ゴミ捨て場にあった缶はこれなのか、と思う。

今日9月中旬なのに最高気温35度の快晴暑かったのでこれを買うことにした。

その時はたしか午後2時頃だったと思う。

「どっ缶冷凍みかん」はシロップ漬けのみかん缶詰を凍らせただけの代物だ。

凍っていてふたを開けるのに力が必要なのか、冷たくて直接触れることができないのか、店員軍手を着用して仰々しいペンチで開封していた。

これにプラスチックスプーンが付いてくるだけで500円だ。

スーパーで120円くらいで売っているような400グラムみかん缶を凍らせただけで500円だ。

他の屋台の店が鉄板焼きそばイカベビーカステラを焼いて汗を流してあくせくしているのに比べたらずいぶんと楽してるのではないか、と思った。

持ち運ぶ際、スプーンを缶の中に入れようとしたが、内容物がガチガチに凍っていてスプーンが刺さらなかった。

しかも、あまりにも冷たいので、持ち運んでいる最中左手から右手へ、そしてまた右手から左手へと何回も持ち替えた。

おかげで、熱かった体を冷ますことができてよかったけれども。

そして、気温と体温とで缶詰の周囲が解け始めると、ようやくシロップが飲めるようになった。

とはいえ最初に溶けるのは水なのであまり甘くはなかったけれども。

すると、缶の中に隙間ができてスプーンを入れる余地ができるので、少しずつ削って食べられるようになったのである

そのうちに缶の中は氷からシャーベットへと次第に変化していくので、スプーンがジャクジャクと入るようになってどんどんと食べられるようになっていく。

ガチガチのカチワリ氷からシャリシャリシャーベットへと変化していくのを楽しみながら味わったのだ。

しかも、みかんの果汁も果肉もたっぷりだ。

そのうちに、暑さでフラフラだった体も頭もすっかり冷えてきて、気持ちもシャキッとしてきた。

ああ、うまかった!

ただし、この「どっ缶冷凍みかん」をうまいと思うには、炎天下の屋外であることが条件だろう。

エアコンの効いた屋内でこんなにも冷たくて量の多いものは、とてもじゃないが食べられたものじゃないだろう。

ゆえに、私はこの「どっ缶冷凍みかん」を人生で初めて食べてとても気に入ったけれども、今年はもう「どっ缶冷凍みかん」を食べることができなくて残念だ。

ああ、早くも来年の夏が待ち遠しい。

屋台食べ物でこんなにも心奪われるとは思いもしなかった。

2024-08-29

anond:20240828204833

あくまクジャクの話です」…高校舞台に、生物学生態学)の知識人間関係のあつれきを解消しようとするもすったもんだする話

「決してマネしないでください」…理系知識面白披露する漫画、全3巻でとっつきやす

なんか自分はこういう「現実科学知識で話をまわしていく」ジャンルが好きみたいだ

 

なろう&韓国系から

 

「悪役令嬢の中の人

…なろうの中では作画が頭一つ抜けている。特に顔芸のバリエーションが魅力的でそこだけで推せる。

ここしばらく続く悪役令嬢モノブーム、

個人的には悪役といいつつ蓋を開けると善人だらけなのが不満だったんだが、

この作品主人公が(設定どおりの)極悪人のままなのが良い。

ただし自分の心を救済した聖女(善性振り切りすぎて心が折れた)のエミュに徹すると決めており、

悪事はもっぱら敵に対してのみ、隠密な陰謀で陥れるのみと読者にストレスのないつくり。

「愛した聖女がそれでも世界平和を望むから世界平和のために粉骨砕身するだけで、

 もし聖女世界破滅を望んでいたなら罪悪感なしに世界をぶっ潰そうとするだろう」

という性格設定が良い。

原作は恐ろしく低い文章力でひたすら「ざまぁみろ!」 をだらだら綴るだけ、

下品個人的感情を延々つきつけられてめまいがするC級小説未満のうえ結末も面白くはないが、

SS作画を引き当てて最近推す人が多い作品昇華された。

 

「チー付与

正式タイトルは「追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフ謳歌する」かな

なろうの原作者が「小説版と漫画版は99割内容が違う」とかなんとかいうほど内容が違い、

ほぼコミカライズ作者のオリジナル作品

原作に居ないキャラ大勢原作にないストーリーで大活躍する。

しかしそれはそれとして面白い、理由は主に2点、

・起伏と緊張感のあるバトルや表面だけなぞっても楽しめるやり取りの中に知っている人ならわかる遠大な哲学的いかけがまれていたりする、

・バトル描写はHunterxHunterや呪術好きな人にはたいへん推せる

 

韓国もの

「ENEAD」

古代ナイルを舞台とした神々のBLエジプト神話を多少知っているだけでも楽しめる。

とにかくヒキが強いの教科書に載せたいぐらいで、

BL耐性がない人間でも読めば「え…これ…続き…どうなっちゃうの?!」と気になって仕方がなくなるところで無料部分が終わる。

anond:20240829104328

一般的生物はメスがオスを選ぶよ

どの様なオスを選ぶかは種族により異なる

例えば、クジャク尻尾が大きいオスが選ばれやすいとかね

性淘汰って言うんだけど勉強してね

オスがメスを選ぶのはコオロギ一種ぐらい

2024-08-10

女がイケメンしか選ばないならクジャクのオスメスみたいに男女の容姿レベルはかけ離れて男ばっか美しくなってたと思うし

そのへんの道を行く男性諸君じゃがいものような顔ばかりということ自体が女が言うほど男を顔で選んでないことの証拠から

どうせタダイケなんだろっていじけなくていいんやで

「なんであんな地味なメスどもに俺がジャッジされないといけないんだ」と怒りに燃える弱者オスのクジャクもやっぱりいるのかな

2024-07-24

anond:20240724212906

とくにある日々

サチ録

首しょい勇者

追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフ謳歌する。 ~俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに『強化ポイント』を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?~

あくまクジャクの話です。 - 小出もと貴 | コミックDAYS

千年ダーリン

2年1組うちのクラス女子ヤバい

ずっと青春ぽいですよ - 矢寺圭太 | コミックDAYS

忍者殺し屋ふたりぐらし ComicWalker

廣井きくりの深酒日記 ぼっち・ざ・ろっく!外伝

あゎ菜ちゃん今日もしあわせ

限界OL霧切ギリ子

2024-07-20

anond:20240720172804

動物世界でもメスの個体が美しいと

オスに子育て邪魔される(レイプされる、子供を殺される)

のでメスは地味な色でひたすらデカ個体が残り

 

逆にオスが美しく目立つと他のオスから攻撃対象になるため

美しいオスで尚且つ生き残っているということは強いオスの証となり

クジャクみたいな結果に...

かき氷アイス炭酸水が一番ウメ!!!

色んなメーカーサイダージューススタンドを飲んできたけど、結局一番上手いのはコンビニで買えるカップかき氷アイス食いながら炭酸水飲むことだわ。

かき氷をジャクジャクと齧って、ベッタリ残った甘みを強炭酸で洗い流す。

そして口の中にシュワシュワとした余韻が残ってる所に再度かき氷を投入。

ほのかに残ったシュワみが氷とぶつかって最高のハーモニー誕生する!!!

アイス炭酸水レモン味だと尚良し!

しろくまみたいなちょっと果肉も味わえるようなアイスだと尚良し!

夏!

スーパーで買ったら200円!コンビニでも300円で最高の夏がやってくる!

ヤバイ

お腹壊しそう!

半分ぐらい楽しんだら冷凍庫しまえ!

一度に全部やると最低の夏がやってくるぞ!

2024-07-06

anond:20240705210751

まだメディアミックス決まってない連載中の作品だと

ずっと青春ぽいですよ。

ねずみ初恋

平成敗残兵⭐︎すみれちゃん

税金で買った本

アフターゴッド

雷雷雷

龍と苺

星屑王子

あくまクジャクの話です

2024-05-31

anond:20240530223155

毒親育ちかつ森茉莉は『父の帽子』とあと数冊読んでるけど

まり世界が違いすぎて、ブライトネスだの苦手だのは思わなかったな

クジャク綺麗だなー」くらいの感覚

2024-04-23

anond:20240423154810

かもめかもめ

クジャクハト

ましてや

女にはなれない


あなたの望む 素直な女には

初めからなれない


研ナオコver 中島みゆき 作)

2024-04-18

古典的な美の概念

美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアルネサンス絵画建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。

イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧バランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧イメージを達成しようと努めました。あらゆる形態自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的作曲システムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定独立性を維持します。それは原始芸術無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。

古典的概念では、美しさは、比例、調和対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。

これは西洋原始的な美の概念であり、古典および新古典建築彫刻文学音楽のどこにでも体現されている。

アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。

そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)

アリストテレス示唆しているように、この見方黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。

この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書パルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。

カノンは、完璧プロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。

医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率指定していると説明している。

その論文身体のすべての対称性私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体正典と呼んだ作品でその論文裏付けた。

古典的テキストにおける「対称性」の概念は、双方向鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要

それはまた、古典的意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能比率一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。

たとえば、『ソフィスト』 では、プラトン高潔な魂を対称的である説明している。

古代ローマ建築ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的概念体現している。

建築は、ギリシャ語タクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人ディアシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人エコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます

秩序とは、作品の細部を個別バランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。

プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。

シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます

アクィナスは、典型的アリストテレス多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)

18 世紀のフランシスハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。

「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。

実際、この見解の支持者はしばしば「数学スタイルで」話す。

ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッド命題を挙げる一方で、次のような普遍的物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然熱狂的に賞賛している。

「美しさはある、と彼は言いますアイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)

美とは部分間の特定比率問題であり、したがって古典的概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちアイデア起源についての哲学的調査」で与えられている。

植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えていますリンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えていますしかし、バラリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間身体には、相互一定比率を保っていることが観察される部分がいくつかありますしかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。

2024-04-11

カレーパン賛歌から転調して悲劇の幕を開ける

(どこからともなく明るく壮大な音楽が流れ出し)

カレーパーン!それは人生(手を大きく広げ)

カレーパーン!それは出会い(抱きしめるように胸を交差させうつむき)

世界神秘パンくるみ、人々の幸せを呼ぶ!!(どこからともなくクジャクの羽を背負ったダンサーが現れ)

カレーーーーパーーーーーーン!!(シュパッ、と紙吹雪が発射)

(暗転・音楽が止まる)

だけど、だけど僕は、僕は(バチーンとスポットライトがあたる)

ぼくは、今・・・今ッ(ピアノダダーン)

カレーパンを迎えるだけの、財力がないのです(床に崩れ落ち)

嗚呼愛しの揚げたての君よ(明後日の方向に手を差し出し)

僕以外の誰かの口にはいっても、幸せを作り出しておくれ(差し出した手を落とし崩れ去る)

(暗転)

(暗転している間に、紙吹雪などを撤去し、ミラーボールスポットライトを片付ける)

(店内ライト復帰)

すくっと立ち上がって

「あっ、今日はいいっす」と言う

素人はまず最後だけでも許す。段々とできる事を増やして行こう

おはよう

おはます

今日は待ちに待ったペット自慢

わくわく

てかてか

エントリーNo.1 オカメインコのピヨさん

エントリーNo.2 ダンボールに入りたい猫さん

エントリーNo.3 鳥の餌を狙うリスさん

そしてラストはーーー

エントリーNo.4 木にしか見えないクジャクさん

🌳🦚🌳

素晴らしい!ブラボー!恐るべき擬態力!

お見事ですわ!

2024-03-06

おはよう

おはます

ねぎちゃんおはよー

鳥さんたちもおはよーっ

    🦚

あら?クジャクさんだけですの?

🦆🦅🦉🦚🦃🦤🐓

羽の後ろに隠れていたのね!

よかった!

そして雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。

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