はてなキーワード: 自己陶酔とは
羽生結弦が魅せた4Aへの熱意 元コーチ語る天才的「自己陶酔力」
フィギュアを始めた4歳から小2まで羽生を指導してきたスケートコーチの山田真実さん(48)は、「なんでもオーバーな感じ。
怒られたときは、ことさらうつむいてシュンとしたしぐさをする。足を痛めたときには、『痛いんだ、痛いんだ』と。実はたいしたことないのはわかっていて、練習をサボりたくて言ってるんだろうなと(笑)。
でも、自己陶酔というか、本当に大けがをした悲劇のヒーローみたいな顔して。いま思えば“かわいいな”という感じですが。日本人にはいないタイプで、今度の北京オリンピックでも、その表現力は生かされていましたね」
「インタビューを受けたときも、少女漫画の王子様が吐くようなクサいセリフを言う。
私なんか“なんで、そんな恥ずかしいことを言えるの”と思うんですが(笑)、本人は演出じゃなく、あくまで地で言ってたんですよね。
なんかヤジに見えて、すごく熱烈なラブコールに見えたので整理整頓する。
オリンピックなどの競技ではなく、アイスショーであれば演技者のファンのみを想定していると予想される(イメージとしては不特定多数の視聴者がいる紅白歌合戦と、ライブ公演のアーティストのスタンスの違い)ので、多少は驚いたりするよね
前述の通りファンしかいない。そして負けず嫌いに関してはそれが笑える点ではない
勝手に心配〜という言葉で善人を装うようで、イジろうとしている(滑稽であると演出しようとしている)が、彼の生き方自身大勢のファンが肯定しているため、空振りしている
抜粋した上記の点、こう、お笑い的にいう「イジリ」的にすることで真面目で真剣なことを「オカシイ」にしようとしてるように感じた。
「真面目に自己陶酔し、そして結果を残して演技する(そしてそれを肯定してくれるファンが多く存在する)人物が羨ましい」ような印象をうけた。
もしかしたら、羽生結弦さんに対し、ある程度考え方あるいは経験において重なる点が増田氏にはあり、今回増田氏が上記に挙げたような否定を受ける、あるいは内心で抱えていたのではないだろうか。
だから攻撃的になってしまったのかもしれないが、それで増田氏は救われるのだろうか。
内容を理解しようとするんだけど……いや彼、結局はふわっふわな事しか喋ってなくない?要約すると「俺は偉業を成し遂げてきた」「ずっと自分自身の力で乗り越えてきた」「でも、ずっとずっと孤独だったんだぜ」「こんなオレを応援してきてくれたファンの皆さん、ありがとう」「今たった一人で孤独に苛まれているアナタにも、どうか心安げる瞬間がありますように」こんな感じ。演技と演技のつなぎでずっと羽生くん本人の映像や彼のアニメーションが流れるんだよ。
ポエムといいつつ言葉を受け止めて増田氏の言葉にちゃんと消化しつつ、長いショーを見切った。それはすごいことだし、私も見たくなった。人のポエムはたのしい。増田のポエムも楽しい。
トゲトゲした言葉は吐き出すのは簡単なんだけど、どうしてそう思ったか、吐き出したあとでいいから向き合わないといけないなあ…とも自戒になった。
しらんがな
人間は人気が出たり売れたりするために生かされてる商業の道具じゃないんだし
その目線で「有望視されてた人材が…」的に惜しむやつはクズだと思うし「成功を掴みかけてたのに可哀想」という移入目線でもそこまで他人の人生に肩入れする自己陶酔感に傲慢さを感じないかといえば嘘になる
要するにファン商売で売ってる人間を惜しむようなスポーツ・芸能誌みたいなのを読んでそうな人間の感性はどうやっても俺にとっては唾棄したくなるものだし俺が初見で感じたしょっぱい顔したおっさんという印象は覆らない
誰が死のうと縁のあった人たちが心の中で追悼しとけば十分じゃないか
死を利用して業績を喧伝しようとする性根が俺は気に入らないわけで芸能人の死はそういう性質が強くなるのが気に入らん
生きてる人間が作る新しい価値観のためにスッと道を譲っていかなきゃならん
継承すべきものがあるとしたら知己の生きてる人間の中に残されたものからであるべきで
死を契機にそれまで何も知らなかった人間にまで何か刷り込んでにわか量産してくのは広告代理店がやるブーム作りと何も変わらない
史上最年少で政令指定都市である千葉市の市長になり、その後千葉県知事になった熊谷俊人という政治家がいる。
SNSを積極的に活用していて発信力があり、若くてリーダーシップのある有能な人物だと思っていた。
が、最近彼の言動に違和感を感じていて、自分の中での彼の人物評価が悪い方向に変わりつつある。
https://note.com/kumagai_chiba/n/n3a62ddf3ca1c
一見しっかりしたこと書いてるなと思いつつ、違和感を感じる部分がちらほらあった。
個人的に気になった部分はこんな感じ。
・医療の専門家でも何でもないのに、現場に過度に干渉するマイクロマネジメント的な発言
「内科や小児科などは基本的に全ての医療機関が発熱患者に対応することが原則であるべき」
「小さな診療所で物理的に動線が分けられないなどのケースは発熱患者の診察時間を分ければよく」
「幼児・小学生が事実上、マスクを常時つけ、私たち大人が当たり前のように経験してきた貴重な経験を一部、一方的に奪われ続けてきたことは日本人が永遠に十字架として背負うべきものだと考えています。」
「4月に見直せるなら、昨年の春~夏の時点で見直せたはずです。」
そして私が彼の評価を変える決定打になったのは、最近のTwitterでの小学校での黙食見直し論争である。
彼のTwitterのフォロワー数は29万人。地方のローカル局の情報番組並みの影響力はあるだろうか?
そのTwitter上で意見の異なる一般市民の発言にリプライをかまして反論し、知事に賛同するアカウントの意見をリツイートして吊るしあげのように振舞っているのは暴力的に感じてしまう。
なんていうか、意見が異なるフォロワーとの間に自ら進んで分断を作りに行っているようで、褒められたふるまいではないなと思ってしまった。
政治家である以上、意見が異なる人が出るのはやむを得ないし、公の場で論争が起きるのは当然だ。
だけど、地方自治体のトップという立場の強い存在である以上、自身のもつ暴力性には十分気を付ける必要があると思う。
例えば今回の黙食見直しの議論をSNS上でしたいのであれば、Twitterアカウントを持っている千葉県議とか、医療の専門家とかの公人同士でやるべきだったのではないだろうか?
そうすればフォロワーから見ても異なる意見についての理解が深まるし、政治家と市民の間の分断も広がることがないと思うのだけど。
ただの感想になるけど、若くして地位を得て周りから持ち上げられてしまうと、自身に対する全能感を得たり、権力の暴力性に鈍感になったりと、その辺の感覚が狂って行くのかなと思わずにはいれらなかった。
恒例の『M-1アナザーストーリー』が放送された。最低で最高だった。全然おもしろくないし、感動なんてするわけもなかった。
井口の願いは完遂された。
* * *
今年、そもそも「何を言うか」「どんな表情を見せるか」「あわよくば泣いてくれるのか」という取材班の期待以前に、井口は番組に使える素材を提供することさえ拒否した。結果、井口の“本音トーク”を担う映像の大半は、2020年の決勝初出場前に撮影されたものとなった。
井口はM-1を制覇してなお、「芸人が本音を語る」というシーンを徹底的に拒否した。それは井口自身の意地であったし、はたから見れば単なる意固地だった。「漫才」と「感動」を結びつけることを嫌う井口は、おそらく取材者から強く要望されたであろう「母との電話」というミッションさえ、正面から受け流して見せた。
生半可ではないな、と思わせるエピソードがある。
ウエストランド優勝の直後、Twitterをにぎわせたのが、盟友である三四郎・小宮の号泣動画だ。小宮が後にラジオで明かしたところによると、取材班の要望で、井口と小宮、それに同じく長年にわたって苦楽を共にしてきたモグライダー・ともしげの3人での飲み会がセッティングされたのだという。井口は過去、劇場仲間から疎んじられ、「ともしげとしか飲みに行かない3年間を過ごした」と語っていたことがある。
取材班は「いつも通りに食事をしてほしい」と要望し、3人の席から遠く離れてカメラを構えていたという。さすがにこれは、常識的に考えて、感動的な展開になりそうなシチュエーションである。
だがここで、ともしげがカメラを意識してまったく「いつも通り」ではなく、挙句の果てにカメラ目線で敬語でコメントをし始めたのだという。
ともしげといえば、同席していた小宮の号泣動画がバズったことに激しく嫉妬し、「自分も好印象の動画を撮ってほしい」と周囲に訴えかけたというエピソードも漏れ伝わってきている。まったく涙など流していないのに、「オレも撮れ、バズらせろ」と叫んだのだという。
こういう人間しか、井口は愛せなかった。すべての虚飾、すべての嘘、すべての建前をかなぐり捨てて利己的に振るまうともしげしか、信用できなかったのだ。
井口にだって、絆はあるのだろう。だが、井口が絆を結んできたのは、こういう人間だけだったのだ。ずっと井口は、アナザーストーリー的なるものに背を向けて、削ぎ落して、口汚く唾を吐きながら生きてきたのだ。そして、その『M-1』を獲ったのだ。
──ざまぁ見ろ。
井口はそう思っているに違いない。昨年、準々決勝で敗れた直後に今回の「あるなし」ネタができて、井口は「これは決勝に行ける、優勝もあり得る」と考えたのだという。その瞬間から、この日を待っていたに違いない。
思惑通りに7,000組超の漫才師の頂点に立ち、仕事が増えて2年前よりマシな部屋に帰った井口を待っていた家族はない。恋人もない。数少ない仲間も自分のことしか考えていない。どう解釈しても、「ざまぁ」を見ているのは井口のほうだ。
さや香・新山はヒロイックな絶望と自己陶酔の中にいるだろう。オズワルド・伊藤はカワイイ彼女とこれ以上なく理解を深めあっているだろう。相方・河本は愛娘を抱え上げ、優勝報告をしていたのだ。
井口には何もない。自己と状況を高度に分析して、可能性の低くない結果が出ただけだから、感動すらできない。母親もどこかそっけない。もともと3カ月前から休みがないスケジュールだったから、仕事が爆増するわけでもない。M-1獲っても人生が変わらない奴だっている。それが井口のメッセージだ。最初から覚悟の決まっていた戦士は、結果がどうなっても心が動かないのだ。覚悟とは、そういうことだ。すでにこの結果を覚え、悟っていたのだ。泣けるわけがないのだ。
情熱と才能と葛藤のるつぼのような漫才で、むき出しの人間を爆発させて頂上に上り詰めたさや香を一瞬で蹴落としたのは、人ならざる修羅となった井口だった。
もういい。泣くのは、井口が「ソルジャー」と呼ぶ彼らのラジオのリスナーだけでいい。歴代ナンバーワンにクソ面白くない『M-1アナザーストーリー』を、オレは泣きながら見た。
https://anond.hatelabo.jp/20221223210515
ともかく仁藤さんに正気に戻れみたいなことを言うのはやめろ。
確かに彼女の言動は客観的に見たらあまりにも常軌を逸しているというか
自分の正しさを全く疑わないというか
やべえ教えに目覚めて目がgrgrしてるやべーやつに見えるかもしれないが
そのくらいキマってる状態じゃないと、Cobaboみたいなしんどい仕事は無理なんだ。
Colaboは儲けてるとかなんだかでたたかれまくってるが、利益はたまたまついてきたものであって、
仁藤さんがいろんな意味でガンギマリ状態で4年間はそんなに儲からない状態でやりくりしながらやってたんだ。
最初なんかは救おうとする少女たちからも信用されず警戒されたり強く拒否されることのほうが多かっただろうに
仁藤さんからしたら怖い男ばっかりの地獄のような新宿という場所で根気強く声掛け。
そんなん「自分が物語の主人公で私の道を阻むものはすべて倒すべき敵!」くらいのガンギマリな自己陶酔感に浸ってなくてどうして続けられるもんか。
お前らは5年間同じことを続けられるなら5年後には1億円の寄付がはいってくるってわかってたらやるのか?
仁藤さんはたしかに言動がヤベー人だけど、彼女の異形な偉業は、彼女がそのくらい良い意味で狂ってるからできるのだ。
仁藤さんがまともだったらこんなことできなかったわけで、「仁藤さんの活動は応援してるけど仁藤さんの言動はなあ」って言ってるやつは何もわかってない。
仁藤さんはちょっと常人の感覚からしたらおかしい人だからここまでやれたんだ。
都合のいいところだけつまみ食いしようとしてんじゃねえよ。
人間、生きてりゃ「あの業界の奴ら嫌いだわ」って思ってるジャンルがいつつやむっつあると思うんですよね。
俺の場合は歌い手とかYoutuberとかVtuberとかのネット発アーティストみたいなのが基本的に嫌いなわけ。
そんで、そいつらが歌ってる歌がCMで流れてきたり、アニメやゲームのタイアップとかで流れてくることが最近多くて、うぜぇなあって思いがちなわけ。
でもそこで思ったんだけど、流れてきた曲を歌ってるのが嫌いな業界のタレントが歌ってるとわかった時に、とりわけイラッとするタイプの音楽と、別にそうでもないタイプの音楽がある。
具体的には、そんなに嫌じゃない音楽は、ギターロック(かつての下北系っぽいの)や、ポエトリーリーディング、王道バラード(音楽有識者からは大味で売れ線狙いと言われそうなやつ)、シューゲイザーなど。
イラだちが加速するのは、かわいこぶってるアイドルポップ、アゲアゲなパーティーっぽいクラブ音楽、マイクリレーヒップホップ、ナルシスティックなV系ロックみたいなのである。
単に増田が嫌いな音楽ジャンルじゃねえのと言われそうだがそうではない。俺はマイクリレーならニトロマイクロフォンアンダーグラウンドや梅田サイファーが好きだし、V系ならマリスミゼルやPierrot、ビジュアル系ではないがナルシス感があるバンドとしては凛として時雨も好きだ。
好きなジャンルの音楽でも、嫌いな奴らが歌ってると思うと一転して腹が立つジャンルがあるのだ。
しかし、あいつらが歌って流れてくる曲はむしろ、イラっと来るタイプの曲調が多い。
俺が思うに、嫌いな奴らが歌ってる時に腹が立ちやすい音楽ジャンルというのは、本人達(とファン)の中で盛り上がっていて閉じている感が強い曲調なのだ。
外から見れば、アイドルポップはファンサ的であり、アゲアゲ曲はパーティ参加者を想定しており、マイクリレーはMC同士でイチャイチャやっている、V系は自己陶酔とそれにうっとりするファンが見える、という感じ。
音楽というのは極論ファン向けではあるが、そうはいっても特に内輪感が強いジャンルだと思う。
にも拘わらず、ネット発アーティストがタイアップしたり、1stシングだかなんだかでYoutubeCMで流れてくるような曲は、これら内輪っぽい曲の割合が高い。
俺の場合はネット発アーティストが嫌いだからそれをやり玉にあげてるけど、これを読んでるお前が嫌いな何かのジャンルでも当てはまると思うわ。
嫌いなジャンルの奴らとそのファンが、閉じた内輪でキャイキャイ盛り上がってるだけって感じが濃厚だと、耳に入った時に不快度高いよなあ。
だから、たまにsyrup16gみたいな下北系とか志人みたいなポエトリーラップとかMISIAみたいな歌い上げとかよくわからんシューゲイザーみたいなのをやってるやつがいるとちょっと聞く気になる。
子供の頃から積み重ねられたサッカーに関わる人間への憎悪が消えない。
とにかく子供の頃から印象が悪い。Jリーグ元年辺りがほんのりと子供の頃の記憶にある年齢だが、とにかくサッカーが大嫌いだ。
プレイヤーもファン(サポーター)も、W杯の時だけバカみたいに盛り上がる民衆も、周辺の物すべてに腹が立つ。
第一にプレイヤーがいけ好かない。クラスの上澄み、カースト最上位の人間がやっていた印象が強い。
自分たちの言ったことすべてが通ると思いこんでいるクソ性根。少人数の別意見とか見えない聞こえない。陰キャには人権ないと言わんばかりの扱い。ど田舎なのでサッカー派はほぼヤンキーと同意。ソリが合わない奴のほとんどがサッカー派だった。
そういう何でも出来る奴に見下されるようなタイプだからこそ余計に苛立つ。ポールをぶつけられた事すらある(サッカープレイヤー様からすれば避けられない方が悪いことになる)
サッカー見てない、見たくないと言ったら非国民扱いされたこともある。別に日本代表で世界と戦ってくれとか頼んでねぇんだけど、応援しないと国籍すら取り上げてくるのかよ。
サッカー部は規律クソゆるで素行不良の数も多かった。近付くだけで派手な馬鹿が移りそうなのがサッカー野郎共。徒党を組んで他人を馬鹿にすることでカーストを確定させるクズども。格好いいを履き違えて派手な格好をしてるやつもサッカー部ばかりだった。社会のルールやマナーなんて存在してない世界に生きてる奴らが多すぎる。
成人したプレイヤーすらも見た目が派手で苛々する。幸い近年はマイナー寄りの扱いで中継などは少ないが、ニュースなどで目に入るとこいつ等がこんな格好してるのが諸悪の根源なんだろうと苛々する。
派手な広告塔が格好つけて見せることでそれに憧れたバカガキどもが真似をする悪循環。パフォーマンスと言う名の自己満足、自己陶酔が酷すぎる。他のスポーツでも大なり小なりあるだろうがサッカーはあまりにも鼻につく。
頭の変な紐も手首足首の変な紐(ミサンガ)もそのバサバサの髪型もスポーツには要らんだろ。たくさん走るんだから乱れる髪で格好つけはなくていいだろ。どんなスポーツも選手が必死にやってるだけで十分格好良く見えるわ。派手な見た目にしてるのはただ目立ちたいだけだろ。
サポーターも輪をかけてクソだ。サッカーが好きというだけで自分が上にいるつもりになっている勘違い共の集まり。
応援の仕方の強制は他のスポーツにもアイドルのライブにもあるが、サッカーのサポーターは常軌を逸している。サポーターの取材レポを読んだだけでも近づきたくなさ過ぎる。勝手にルールを決めて強制的に押し付けてくるのは子供の頃のサッカー野郎共とほぼ変わらない。
あと熱量が異常なサポーターの数が多すぎ。興味のない素人にまで同じ熱量を要求するし、海外はもっとやばいってどんな民度だよ。サッカーが好きなやつくらいだよ、ここまで他人に自分たちのやり方を押しつけてくるのは。
今、とあるサッカー漫画を読んでいる。読み始めたのは偶然だがとても面白くてサッカーを好きになれるかもしれないとほんの一瞬思った。
せいぜいポジションの名前と位置関係くらいしかわかってなかったのが解像度が上がって楽しくなった。
でも結局現実側は派手好きのおカッコいいサッカープレイヤー様と熱心なサポーター様共がクソでか大声を出して威嚇してるから、陰キャは入ってくんなって感じだし異様なコミュニティになってて近づきたくない。
端的に言って、新海誠の映画の中に自分が出てこなかったのが一番の不満だ。
新海誠の主人公ってのは、独り善がりと被害者意識と自己陶酔で生きてるような、普通に見れば気持ち悪いものを持っているのが魅力だった。ああいうキモさ、自分を、許容してくれるのが新海誠作品だったのだ。ほら、新海誠好きな男なんて大抵キモいだろ。俺もそうだ。
すずめの戸締まりでは、そういう気持ち悪いキャラが出てこない。ダイジンはキモかったが、見た目が猫なので許されている。あれおっさんだったらみんな勘違いストーカー野郎だと罵倒するだろ。まあ、おっさんだったらすずめにうちのこになる?なんて言われないけど。
新海誠の描く相手キャラってのは非常に都合の良い、もっと言えば自我がないキャラとして描かれるから、そうたは想定内だった。
しかし、主人公であるすずめも、きれいすぎた。被災者であり地震の悲惨さを実感しているからこそ、母の形見を取り戻すため、そうたを元に戻すために戸締まりの旅をする。なんだそのキレイすぎる推進力は!!最初イケメンだからって惹かれたところが新海誠っぽいけどな!
あと、なんだあの芹澤って男は、いいヤツすぎるだろ。メンタル化け物かよ。自分と対比したら彼岸にいるよ。
あー、もしかしたら環が芹澤と寝てれば、岡部稔のBSSで共感できていたかもしれない。それもなかったけど。
結局のところ、自分持っているものを描写してくれるのが新海誠だったのに、それがなくなってしまったのが寂しいわけ。
新海誠は俺のことわかってくれてるんだって思ってたのに、変わっちまったな誠。でも、いいんだ。俺はお前と通じ合えてた思い出を胸に、お前のいない現実を生きていくよ。誰とも分かち合えない苦しみが、お前との思い出を輝かせる。
だから、この苦しみは俺の誇りなんだ。だろ?誠。
ふぅ・・・
わかるか?新海誠。今、俺はお前の主人公より新海誠の主人公だぞ。
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まあ、それはさておき、すずめの戸締まりはそこそこ面白かった。
すずめの自己救済の話としてよくできていたと思う。
いいところは沢山あるが、どうせ沢山語られるので不満点を書き出す。
1.閉じ師の存在
はじめ、現実にあった震災をファンタジーにしてよかったのか?とも思わなくもなかったが、まあロー・ファンタジーだし、こんなもんかなという気持ちに落ち着いた。
どちらかというと、閉じ師の存在が納得いかない。あんなに大事な仕事なのに、あの映画ではそうたとその祖父しか出てこない。それこそ、各地に人員を配置していたり、東京では他の閉じ師が寄ってきてもいいはず。そうたがこういうのは知られないくらいでいい、みたいなことを言っていたが、何を舐めたこと言っているんだ。周知徹底して人員増やせ。閉じ師の必死さが全く見えてこないので、大学生がカジュアルにやってる仕事にしか見えない。あってもなくてもいい存在ってことなのか?
愛媛のシーンが中途半端すぎる。すずめはあそこで何を得た?他の土地に比べて、薄味すぎる。他で入れるとくどくなりすぎる要素をまとめて配置したようなとてっつけた感。東京に行くまでで、神戸だけじゃさみしいし、愛媛あたりでも入れとく?みたいな。みかん女の親も何家出少女を普通に受け入れてるんだ。
ただ、道中でどんどん衣服をGETして自分が変わっていくってのは面白い要素だった。東京でそうたを失ったあと、ただのすずめとして元の制服を身にまとい行動する。歩む足にはそうたの靴。いいね。
3つめ、書こうと思ってたけど、明確に出てこなかったので、これでおしまいにする。
わかってるよ、どうせ自己陶酔だよ
夜中にやってたR18とかがモンスターとかいってやってたバトルの番組くらいしか見たことなかったんだけど
呂布カルマ面白いなと思ってyoutubeでラップバトルの動画適当に見てたんだが
たまに何故か相手を褒めるみたいなやつがいて、そういうのが見てて最高に恥ずかしい気持ちになった
相手にディスられた後とかに「でもお前はマジでかっけえぇ」とか言い出したり
とか言っててなんかもう見てるこっちが顔真っ赤になる
たぶん色んな歴史だとか因縁だとかストーリーがあって、そういう文脈を理解した上でついに相手を認めやがったみたいなのもあるんだろうけど
ひょっとしてお互い褒めまくるバトルなんかも発生したりするんだろうか
客としていったいどんな顔してそれを見るんだよと思ったら客も客でそういうのに湧いたりしててオ、オウってなる
ラップバトルやるならどんだけ相手にリスペクトがあるとしてもとりあえず闘え
んで終わってから裏で認めあってくれよそのほうが粋でしょ
兄弟3人それぞれ生まれた順番も違えば、育ったときの環境も違う中で誰が一番親の世話になったかなんて簡単には推し測れない。
誰が一番負担を強いられているか、と言うことだって簡単には言えない。すべてを金額に換算できる訳でもないし。
一番上は一番上なりに親の手厚いサポートを受けてきた。親が健康なうちに20代を謳歌できた。だけど、一番年上ということもあり、親からあてにされることも多かっただろう。
二番目は高卒と同時に家を出て自力で生活をしている。だから親の手が一番かかってない。
三番目はバカだったので教育にお金がかかっている。だけど一番年下ということもあり、若いうちから親のサポートをしなければいけなくなっている。
それぞれ言い合ったところでまとまる訳ないんだから、今起きている問題に対して、それぞれができることを分担してやろうよと言いたいのに、私がすべて背負えばいいんでしょ!!と啖呵切って話し合おうともしないやつもいる。
話をする気はないと言っておきながら、話し合いを拒否していると非難すればそれを否定し
妙に癇に障る言い回しをしておきながら喧嘩する気はないと言ったり
自分だってストレートにモノを言わないくせに、言いたいことを言えと言ったり
親の性格だって、もう治らないと諦めて接しているのに、自分はこれが嫌だと理解する気も示さず、それを理由にやるべきことをつっぱね…
親にも問題があり
両者を取り持たねばならない自分は心底疲れている
連絡がくるたび鼓動が激しくなり
返事を見れば涙し、、、自分の心が壊れそう
支離滅裂できっと伝わらないだろうけど
吐き出したいだけだから