「非リア充」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 非リア充とは

2023-02-14

anond:20230212225936

こんなふうに、基本的非リア充オタク系のファッションは界隈にファッションに詳しい人が居ない、周りから評価されることが少ないので、スペックでオシャレを語ることになる。

また、男のファッションコスプレ化しやすい と言われるけど、これは男のファッション評価するグループというのが特殊で、かつ少数なのでそこで認められる格好となると全部似た感じになるのだ。

2022-11-10

青二才が書いた記事で一番好きな記事選手権

優勝 【悲報青二才岡田育喧嘩を売るが軽くあしらわれ自滅する

https://anond.hatelabo.jp/20140704171301

人間はここまで情けないムーブができるのかという限界に挑んだ作品。全会一致で一位。

2位 いわゆる「みんなが大好き」が好きになれない

https://tm2501.com/entry/2015/04/30/193000

一行目のインパクトが凄くていまだに時々語りたくなる。二行目以降は読む価値がないという意味でもすごい。

3位 「娘の友達」というマンガ女子高生の皮を被った天使おっさんを救済していく話でパない

https://togetter.com/li/1403314

読解力がないオタクの語るオタク語りはもはや完全に別作品になっていてたまに原作面白さを越えることがある。その実例。作者にこの感想をぜひ読んでほしい。

4位 はてブオフに行ってきたけど…準強姦に加担させられた気分で不愉快でした

https://tm2501.com/entry/2014/07/13/130323

非リア充リア充サプライズ告白イベントに参加させられてムカつく、だったら共感を得られたのに「準強姦」と言い出してひんしゅくを買うそ言語センスが凄い。俺が言われたら即名誉棄損で内容証明送る。およそ常人には到達しえない圧倒的な非モテ具合。普通人間がこんなことを言ってたら「もうここで終わってもよい」という覚悟を感じるが本人は深く考えずにノリでこのワードをチョイスしているのがすごみを増している。

5位 野球素振りの帰りに、警官20人と酔っぱらいに囲まれた話

https://togetter.com/li/1630899


一昨日スペースで友達とだべってたら5年ぶりくらいに青二才話題が出てきた。青二才の書いてた記事で一番好きなやつ紹介しようぜって話になった。 俺の知らない記事の話も聞けてすごく有意義だった。

この人一時期はめっちゃ面白かったな。最近はみんな賢くなっちゃってこういう突き抜けた人がいなくなって寂しい。

2022-10-20

ぼっち・ざ・ろっく!」が成功してもしなくてもきららは危ない

 「ぼっち・ざ・ろっく!」、通称墓石」が、アニメ作品としてヒットすれば、まんがタイムきららは危ない。ヒットしなくても危ない。

そもそも陰キャ」という言葉悪口ではないのか

 当たり前のように使われてるが、どう考えても良い言葉ではない。胸を張って「私は陰キャだ」と言える人なんて居ない。ネット上(に限らないが)で「陰キャ」という言葉が出たとき、その言葉を言われた対象賞賛の的になっていることは皆無と言っていい。明らかに陽キャ」こそ上位の存在だと見做している。「陰キャであることを短所と見做すしかなくなっている。「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公を見て、名誉ある人物だと思う人はいない。そういう風にこの主人公は作られている。

上昇意識から下降意識

 昔は「リア充」「非リア充」という言葉がよく使われていた。ネットである「俺」や「お前ら」は、まず「非リア充」の方に位置していた。しかし昔のネット民は「リア充爆発しろ」だのと攻撃的な姿勢でいた。それは冗談でもあり虚勢でもあったが、俺達こそ素晴らしいのだという感覚を得ることができた。「非リア充であることに誇りをもっていたと言ってよい。またリアルでの充実というのは、恋人の有無に限らないことであって、趣味に熱中することができるならそれもリアルでの充実と言えた。「陽/陰キャ」という言葉場合現実楽しいかという次元の話ではない。ただ人間性について判断しているのであって、いくらネット面白いことができても、趣味に熱中したところで、「陰キャ」と言われれば「陽キャ」には勝てない。現に「リア充爆発しろ」に相当する言葉をまとに見たことがない。

  「陰キャ」という言葉は、かつてインターネッツではほとんど使われていなかった。しか2015年前後から急速に当たり前の語彙となった。この言葉インターネッツ発祥言葉ではないだろう。しかし今、こうして当たり前の言葉となった原因はネット民に、ネット掲示板にある。それはなんでも実況Jが2ちゃんねるの都となってからのことだ。その時期といえば、とある炎上に関わった弁護士が大いに叩かれていた。かつてのネット民の意識であれば、「俺達は弁護士よりも上」だと言っていただろう。しかしいつしか、「弁護士は俺達よりも下」になっていた。

陰キャ」は言葉として意味を成していない

 「陰キャ」という言葉は、誰でも共感できるようになっている。

 そもそも人間性質を二つに分けることは乱暴なことだ。世の中に、完全に「陰キャ」でしかない人はほぼ存在しない。完全に「陽キャ」でしかない人もいない。人間には必ず陰と陽とがある。5対5のように、両方のバランスによって成り立っている。そのバランスは時と場合によって3対7や1対9のように変化していく。誰を相手にしているか、どの場所いるかによっても変わる。本人の気分によっても変わる。学校では無口でも家では饒舌なら、それだって本人の「陽」の側面が強まっていることになる。ネットでは強気になれるなら、それも「陽」と言っていい。ただし、そんな時にも「陰」の面はある。また、自分では「陽キャ」だと思っていても、他人からは「陰キャ」だと思われていることもある。自他の認識によって、人間性質は変わる。

 我々は、「陰キャ」という言葉を見たとき、「陰キャ」と呼ばれる人を見たとき絶対自分の中にある「陰キャ」の側面を実感している。全員が共感できるから、「陰キャ」という言葉はここまで当たり前の言葉になっている。「陰キャ」という言葉が捉える範囲があまりに拡がりすぎている。使う人のさじ加減によっても変わってくる。

 人が自分他人判断する材料が、「陰キャ」か「陽キャ」かしかないとは、短絡的なものだ。我々の人を見る目は蒙昧で貧弱なものになってしまう。

まんがタイムきららは「陰キャ」をコントロールできない

 現在まんがタイムきららでは、「陰キャ」という言葉を全面に押し出している作品が三つある(正確にはその一つの連載は終了している)。「ぼっち・ざ・ろっく!」と「ななどなどなど」と「むすんで、つないで。」のことだ。いずれも主人公が「陰キャ」と言われたり自称したりしている。しかしこの主人公三人は、同じ「陰キャであるにもかかわらず、共通点がない。「陰キャである状態が異なっている。

 「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公はまともに人と話すことができない。言葉を発すると緊張の度が過ぎて、たどたどしい滑稽な姿になる。

 「ななどなどなど」の主人公は、問題なく人と会話が出来る。ただ、自尊心が強く、気高く、高圧的に人と接してしまうため、人との不和を起こす。そういう人間性から、この彼女は「陰キャ」と呼ばれた。

 「むすんで、つないで。」の主人公は、自分のことを「陰キャ」だと思っているが、周囲からは憧れの的となっている。容姿端麗で、成績優秀だとして賞賛されている。間違っても「陰キャ」とは言われていない。このように、自己へ下す認識と、他人から与えられる認識差異がある

 「会話が困難な人」「会話は出来るが人格問題がある」「会話もできるし人格も整っているが、その人自身不安を消せないでいる」。これらは完全に別物であり、違った性格を持った人物の集まりだ。それなのにこの三人は、「陰キャ」だと一つにまとめられている。こうした乱暴な処理がなされた結果、「陰キャ」の意味は広く曖昧ものになった。

 「まんがタイムきらら」の枠に留まらず、今や日本では、人間は「陰キャ」と「陽キャ」のどちらか二つに分類されるようになった。しか人間はそこまで簡単に分類できるほど、単純に造られていない。漫画登場人物ですら、多種多様性格をもっている。繊細な性格によって表れ出ている人間の姿を、真っ二つに分けることなど、とうてい出来ない。出来るとすれば、相当に乱暴作業と言うほかない。

 ひどく曖昧意味をもっている言葉を平然と使う。普通の人が日常会話でつい使ってしまうのならまだしも、漫画家という表現者が使うのはいかがなものか。使うのであれば、考えた上でやらなければならない。考えた上で使うことが出来ている作品は、「むすんで、つないで。」しかない。

創作への妥協、怠慢

 こういう考えもあるかもしれない。「陰キャ」がもう当たり前の言葉となった以上は仕方がない。その言葉をあえて使うことで、読者の共感を得ることが容易になる。確かにぼっち・ざ・ろっく!」は、「陰キャ」という言葉によって、現代の我々の思考を写し取った作品になっている。しかし、それがまんがタイムきららにとって、いかに異質で危険なことか。それを考えなくてはならない。

 一時期のまんがタイムきららは、多くの嘲弄を受けてきた。きららからアニメ化される作品は「日常系」と呼ばれ、「中身がない」だの「美少女動物園」だの散々言われていた。

 そういった意見に間違いがないわけではないだろう。一つの正解であるとも言える。

しか面白い作品のあり方はさまざまであってよい。劇的な物語がなければ、作品として成立しないなんてことはない。キャラクター死ぬのを見れば、それは悲しいシーンとなる。涙を流すこともあるだろう。しかしその涙は、純粋な感動のためではなく、感動という暴力を受けて涙を流しているだけかもしれない。

 何気ないことに心を動かされることがある。そのことを追求したのが、過去まんがタイムきららだった。何気ない瞬間の美しさを、美少女キャラクターに託していたのだ。そのためには、細心の注意を払ってキャラクターをつくらなければならない。例外もあるとはいえ、人の死があるわけでもない、激越なバトルがあるわけでもない、何か大会で勝ち上がっていく過程もない。ただそこにはキャラクターがいる。読者の感性に訴えかけるキャラクターを描かなければならなかった。それがかつてのまんがタイムきらら様式だった。そうしてきららは、いくつもの作品を世に送り出してきて、少なから成功を収めた。

 そんなきららが、今では「陰キャ」「陽キャ」という、曖昧かつ極端な言葉にとらわれてキャラクターを作ろうとしている。これは創作妥協であり、怠慢だ。きららが今まで築いてきたもの否定している。いわゆる「なろう系」や異世界転生もののように、圧倒的な成功を得られるならまだ良い。しかし「ぼっち・ざ・ろっく!」に圧倒的な成功勝利名誉の獲得はない。

まんがタイムきらら自尊心

 きらら編集部は、人々の口に上ることの多い「陰キャ」という語を、訳もわから商機と見做して漫画に取り入れたつもりなのだろう。しかし、この「陰キャ」という言葉は、近年の「インターネッツ」の売り物の一つなのだ。「陰キャ」の隣には「ショウガイジ」があり、「すき家チーズ牛丼を注文する男性」も陳列されている。周囲を見渡せば大量の炎上コンテンツがある。「ゲイ向けのビデオ」があり、「大物YouTuber」もあり、「ネットに強い弁護士」もある。

 きらら編集部がもし「ショウガイジ」を選択していたら、問題視されただろう。しかしさすがに、きらら編集部は「ショウガイジ」がまずい意味をもっていることを知っている。だから陰キャ」を選んだというのか。特定人種差別しているわけではないと判断したためにか。「陰キャ」という語が、「ガイジ」と紙一重意味合いと動機で使われていることをきらら編集部は知らないのか。知っていてやっているなら邪悪しかない。知らないからといって、何でも認められるわけではない。「陰キャ」を使っていいのは、人の気も知らず、自分のことも顧みず、悪口でも何でも好き勝手使うネット民だけでよい。

 まんがタイムきらら編集長は、「雑誌とは社会の公器であることを認識しなければならない」という教えを守っているのだという。「常に新しいことにチャレンジする」ために、「意識的に尖った作品を多く掲載するようにしている」側面があるのだという。その「尖った作品」の第一として挙げたのが、「ぼっち・ざ・ろっく!」だった。まんがタイムきららは、尖った作品を作るために、社会の公器であるために、ネット民の小競り合い、煽り合いを利用したということだ。

 きららアニメは、今までニコニコ動画で散々「ゲイ向けビデオ」のコンテンツと共演させられてきた。きらら作品キャラクターが「ガイジ」扱いされることも多かった。きららアニメ大元であるきらら編集部は、ついに自ら「インターネッツ」の汚れた部分に浸かることを決めた。しかも「社会の公器であるから、「ガイジ」のような過激ものは使えず、なるべく穏当な「陰キャ」を手に取って、「インターネッツ」の人々と仲良くすることを選んだ。

 編集長インタビュー記事 https://www.mashiro-writer.com/interview-houbunsha70th

まんがタイムきらら明暗

 もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功すれば、今後も「陰キャ」「陽キャ」という観点キャラクターが作られるだろう。人間性質を無理にでも二極化して行くだろう。過去伝統を振り捨てて。

 もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功しなければ、新たに売れそうな漫画を作り出さなくてはならない。約五年前のように、一年に三つも四つもきらら出身アニメ放送される時代は終わっている。過去に人気を博した作品も続々と完結している。現状のまんがタイムきららに見込みがありそうな漫画は数少ないと言ってよい。アニメ化が決定した「星屑テレパス」を含めれば、あと四つほどだろうか。「ぼっち・ざ・ろっく!」はきららの最終兵器とよく呼ばれている。最終兵器とはまるで後がないかのような言い回しだ。

2022-10-07

anond:20221007131612

一般ではあるかも

リア充しかいない環境で逆に非リア充を楽しんでいるのだけど

アニメ見ている人のが多いもん

2022-09-22

うめざわしゅんのえれほん、をKindle Unlimitedで読んでいる

善き人のためのクシーノ、非リア充政権をとった仮想世界の話 いろいろ笑った

今こうやってまさに今言い争っているかのような話題も、だいぶ前に終わってた

そんな気分になる

2022-08-16

anond:20220816132513

リア充にはリア充になったことで損をしてもらう必要がある

本質的には人間平等なので、社会の中でリア充非リア充の間に立場に基づく不均衡や格差存在しているのならそれを是正していこうねってのが本来の話なんだけどね…

まりにもこの国のリア充側の自覚が乏しくて、自発的是正はもう到底不可能なっちゃってる。だからコロナ永遠に収束させることなく「外出して人との接触をしただけで割りを食う」という経験をさせるしかもう方法がない。もちろんそれは間違ってる状態からリア充に「人間的魅力に基づく格差や不均衡はおかしいことだ」という自覚させれば終了。それからようやく本当の人類平等社会が達成されると思う。

選挙権とかは本来平等なんだけど、財産家や親が政治家人間はあまりにも足場が高すぎて制度破綻してるから金持ちや親が政治家の人にはある程度割りを食ってもらった方が良いんじゃない?」という意見には結構賛同が集まるんだけど、それがリア充非リア充問題になると理解できない人が多い。

え?やっぱり理解できない?じゃあ今一度こっちの立場を味わってもらおうか。(反ワク活動で第八波を起こす準備をしながら)

2021-03-08

シンエヴァは、リア充非リア充を分断するATフィールドかも知れない

乱文雑文感想文。

作品ネタバレも含みます(流れ弾注意)

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

レバニラ

わかり手さんの予想がだいたい当たっていてすごかった。

庵野秀明はもうエヴァンゲリオンを創れない|小山晃弘|note

https://note.com/wakari_te/n/n1792bd55c379

やはり日ごろからメンヘラ人間観察しているので詳しいのだろうか。むしろわかり手氏にエヴァ作ってみてほしい。

監督はTV~旧劇場版非リア充マインドで作ったが、新劇場版リア充マインドで作った。オーディエンスは何を見せられているのだろう。監督の心情を、人生を見せられているのかな。一言でいえば旧劇場版から新劇場版にかけて非モテモテになれました。というサクセスストーリーだった。某キャラと某キャラが子づくりしてその子供が出てくる所もリア充感を加速させる。グッズ販売にぬり絵とか自由帳といった子供向けアイテムがあるのもそれに油を注ぐ(親子でエヴァを見に来る人がおるんやろか?)

そもそも破の時点でシンジくんが成長してしまってウジウジしておらず男らしくて置いてかれてしまった感してたがその路線の延長だった。「そうだよな!非リア充だよな!」つって拗らせたやつらが共感してファンを集めたTV~旧劇場版だったが。新劇場版では作品がわりとリア充になったのでリア充になれないオーディエンスは置いていかたことになる。

これはつまりぼっちコミュ障非リア充芸でガチ恋営業してファンを集めた地下アイドルVTuberが、急に恋人できて結婚して引退してファンを捨て去り置いけぼりにするような構図と重なって見える。そう、声優の「ご報告」でCDを割るやつと同じで。表では恋人いませーんムーブしておきながら水面下でちゃっかり人生を進捗させていてある日突然手のひら返しするのだ。アイドルVTuber声優監督もみんな置いていくんだ。結婚したのか俺以外のヤツと・・・

今後の後世に語り継がれるエヴァンゲリオン像は、非リア充こじらせ系と、リア充系に二極化して語られていくだろう。

昔のインターネット非リア充のすくつだったが、いまはもうリア充占拠されてしまい、いつまでもリア充になれずに拗れている者の居場所は狭まるばかりなのか・・・

これ、少しのネタバレ説明したうえで「こういったような(ろくろ回す)イメージエヴァを信じて期待していた人は、こういうネタバレがあるんで、ショック受けるので見ないことを推奨する」という熱気溢れる記事を書く人が現れるだろうね。予言キャラ愛が強すぎる人とか、二次創作するうえでのイメージ崩したくない人向けとか。

======

前半、ポカポカムードが長く続いて(どうすんだこれ..)ってなった。でもなぁ。庵野監督のことだから上げて落とすの繰り返しだしなぁ虚淵みたいに。そんでまぁまぁ期待を裏切らない感ある展開であったが、なんだかあっさりとスルーされた感があり、というかそこでシンジくんが急に大人になったターニングポイントでもあるのだがもうちょっと拗れてほしかった。

途中、ここ笑うとこ?真剣なとこ??って気持ちの緩急が激しく揺さぶられてどうしたらいいのか良くわからなかった。あと戦闘シーンでBGMが急に劇画チックな特撮みたいになるのも庵野監督ぽかった。親子喧嘩シーンまるっきりウルトラマンやね。良い。

テーマひとつに「犠牲」があるのかもしれない。色んなもの犠牲になっているし、自らを犠牲にして誰かになにか託す者もいれば、家族犠牲になった恨みもある。非リア充にはできない、リア充の肝が据わった男らしい覚悟明日世界が滅ぶとしてもすいかの種を植える。覚悟と達観と1日1日を大切に暮らす話。そのへんはシンゴジラから地震台風とか災害イメージなのかな仮設住宅が立ち並ぶところなんかまさに。無人在来線爆弾のようなものも登場する。

虛淵をイメージしているのだろうか、セリフに「円環」って何度か出てくるのまどかマギカ意識している?オマージュ?2回目を見てあらためて終盤のシンジ君のセリフよく聴いたらまるっきりまどかだった。シンジくんはアルティメットまどか。いや逆なのかな、旧劇をオマージュしたまどマギ、それををオマージュした新劇、っていうこと?そのへんの関係よくわかんないや。

xxxもyyyも大人になったのは、つまりエヴァ呪縛が解けたという意味だ。"人間"の"大人"になったということだ。非リア充のガキが、リア充大人になった話だ。たとえ金太郎飴みたいにそっくり量産型であっても、自我を持ち、成長できるのだという希望の話。就活大学生ファッション髪型なんかがしばしば"量産型"と揶揄されることへのオマージュエールかも知れない。

見ながら思ってたけどゲンドウくん喋りすぎじゃない?説明しすぎ感はあるなー。Qの反動のAなのかな。それ以外にも答え合わせ、ネタバレ、種明かしがたくさんあり、スッキリはしたけど謎が減りすぎてミステリアスさや考察二次創作余地やが減った気もする。そんな考察なんてしてないでエヴァ呪縛ダブルミーニングから解かれておまえらリア充になれ。やめやめ。解散。おしまーいみたいなメッセージなのだろうか。そんな印象も覚えた。

=====

(↓以下は自分の語彙力が不足していて、なぜダメなのかがうまく明文化できていない。より語彙力の高い人がうまいこと説明してくれるのを期待)

毎度恒例の精神世界電車ゲンドウが下車した以降の早足に一人ずつ問題解決していくパートは、なんだか雑な感じを受けてしまう。 駆け足に答え合わせ、辻褄合わせされたような...

全体の映像を通して言えるのは、ミックスが未熟な音楽を聞いているような印象を受けてしまう。シーンによって映像解像度の差が気になるというか、質感の統一感が低い箇所があるというかうまくいえない。あのリアル綾波フェイスがとくに浮いている印象がしてしまうんですが・・、斗和キセキの1000万円かけて作った生首みたいでシュールなんだ。

すごくエヴァらしい!と感動するシーンもたくさんあるんだよ、例えば前半の村でアスカシンジカロリーメイト(2400kcal)を無理やり食わせるシーンのカメラワークがすごい。フレーミング、ロール、レンズズームグリグリ動かしているような映像的にすごいし、構図もエヴァらしいと思った。

ピンク髪の人、北上だっけ?全体的にあの人のセリフ空気を悪くしてズレた感じにしてしまっているのが残念だった。でも親の仇でキレるシーンは良かった。けど、納得して脱力しての引き下がる理由とか心情の変化が良くわからんかった。

あれだ、昔の人間なら電子メールビジネス文章を書くが、ナウなヤング仕事の連絡すらLINEだったりするのでチャラくて薄くて軽い文章しか書けない、そういうTPO違いの文章のような嫌悪感なのかも知れない。最近では仕事会議や講演なんかもライブ映像配信なので、YouTubeのノリで「わくおつ~」とか新人コメントちゃうやつだ。もう俺も老害だと思うとつらい。

それ以外にも、なんだか薄ら寒いメタをちょくちょく差し込んで来るのでその度に調子が狂うというか、音ゲータイミング外してうまく演奏されなかった小節みたいな印象を受けてしまうま🦓。

先述のとおりシーン毎に気持ちの切り替えが追い付かないというか、いま笑うところ?シリアスなところ?という空気読みに苦労してしまう。これってアニメ艦これでもそうだったよね・・・

わからん睡眠不足状態で見てしまったので脳が働いてない可能性はある。

から見なおしたり、誰かの解釈を参考にしたりすると、また違った見え方もする。

あと、ゲンドウがにゃるらさんの提唱する理想郷twitter2のコンセプトみたいな話を早口気味でするのおもしろかった。差別貧富の差イジメもなんたらもかんたらもない世界みたいな。

にゃるら絵日記10話「Twitter2(だれも社会政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS)」|にゃるら|note

https://note.com/nyalra2/n/n0643876e3b49



にゃるらさんありがとう

2020-12-19

リア充爆発しろ」にリア充共感するのか

対人関係が良好な者(いわゆるリア充)に対する僻みは、我々(いわゆる非リア充)にとって、文化世代性別を超えたある種の共通言語となっている。

この文脈は、はたしてリア充と呼ばれる人々にも共感できるのだろうか?

1. 共感可能

現在リア充であっても、リア充ではない自分を想定できるし、そうなった時に自分リア充に向けるであろう目線も容易に想像できる。

2. グラデーション

リア充の中にも「リア充度」の高い者と低い者がいる。下位のリア充上位者に対し、我々と同様に僻みを抱く。上位の者ほど僻みの対象が少なくなり、共感性も薄れる。

3. 置換可能

リア充は、コミュニケーション能力などの「リア充性」に関して他人を僻むことはない。しかし、収入社会的地位容姿、才能、知名度などについて他人を僻む事はあり、その感情と置き換える事で共感可能である

4. 共感不可能

リア充は、対人関係が苦手という感覚理解できないし、それによって下される社会的評価の影響など想像もできない。

5. 人それぞれ説

はいそうですね。

2020-11-16

旅行コンプレックス

非リア充って例外を除いて旅行しないよね

相手が居ないからね

できたとしても一人旅

旅行をしないと数日間の特殊な思い出というものが少ない

それがとてもコンプレックス

これは一人旅でどうにかなるもんでもないか解決には長い道のりがある

それが苦しい

2020-06-29

anond:20200629205034

リア充のいう「「「「普通」」」」には、非リア充にはまったくもって普通じゃないことが暗黙に含まれすぎてる問題

2019-10-27

そもそも童貞話題が出ること自体が異常だ

リア充の会話において童貞に関する話がでることはない。いま彼女いる?という当然の話しからだ。彼女なくても今日の夜女と飲みに行ってくるとかそんな話が普通だ。

まり増田陰キャ非リア充オタク系が9割ということだ まさに増田社会から疎外されたところにある便所の落書き

2019-09-14

anond:20190913234932

勝ち組のガキは兵役逃れするだろ

とはいえ今のこの時代子供がいる時点でそもそも勝ち組から結婚無理非リア充勢としてはどんどん子供達を戦地へ送り出して欲しい

自分には子孫がいないから困らない

2019-06-09

anond:20190609233440

これ典型的非リア充書き込みって感じ。

まともな男からすると自分が刺されるより嫁や子供が殺される方がよっぽど辛いか

子供を殺す方が上位男への復讐になるんだよな。

2018-12-19

12月26日ぐらいに死んだら

どこかのリア充カップルから放たれた生殖細胞受精して、生命誕生が確定したタイミングと転生のタイミングが噛み合わないかな。

それで生まれ変わり先がリア充同士の子供ということになれば、コミュ障の親父の血に呪われた今生よりも遥かに充実した人生になりそうだ。

割と非リア充、ブス喪、展望のないおっさん等には福音となる手法ではないかと思う。

しかしそのカップルがもし生まれてくるのが俺だと知ったら、きっと中絶ちゃうだろうな…。

2018-11-08

友達がいるのに非リア充自称する人がいるらしい。

友達がいるにも関わらず、非リア充自称する人がいるらしい。

かに周りの友達リア充になっていくというような相談を見かける。

しかし、友達がいる時点でリア充なのではないだろうか。

想像した原因は次の通り。

1・本人言うリア充ハードルが高い(友達がいるが現状に納得していない)

2・お笑い芸人ヒロシのような自虐ネタ相談系の投稿を除く)。つまり友達がいる人だから非リア充自称しても笑い話になるのであって、本当に友達がいない人だったら笑えなくなる。

2018-10-31

強者が楽しんだ結果の尻拭いを弱者がさせられるだなんて別にリア充/非リア充に限った話ではなかろうに、

非リアへの侮蔑やら、リア充へのルサンチマンやらが絡んだのがいけなかったのか、

なんかやたらと一つのことに限定した話っていうふうになってしまってるのもどうなんだろうなあと。

弱者負担がかかりすぎてるから弱者から不満の声が上がりましたってだけの話を変に捉え過ぎなのではと。

2018-09-27

anond:20180927002839

人はみな、リア充要素と、非リア充要素を持っていて、

自分の非リア要素にばかり注目するようにできている。

から、非リアを自称する人間が圧倒的に多い。

あとキョロ充という非リア充よりもはるか不快存在もいる。

ぼっち大学生マゾヒズム

リア充がいうリア充恋人いるかどうかで、非リア充のいうリア充リアルが充実しているかどうか。

なんてことを書いてるように私は当然非リア充側。リアルが充足している感じがしない。諸々で大学1年間を棒に振った所為が大きいけど、多分それがなくてもコミュ障さと無駄プライドの高さで退屈な大学生活を送ったんだと思う。同級生恋人作ったり部活やったりバイトやったりで充実しているように見えて自分がみじめ。こちとら学部に知り合いすらほぼいないし恋人なんていないし、そもそも恋愛土俵に立つべ人間じゃないと思ってるし、受験勉強以外に大した能力があるわけでもないし、ないないづくし。サシ飲みなんてしたことない、デズニーも行ったことない、大学友達と何処かに遊びに行ったこほとんどない、宅飲みとかしてみたい、オールもやってみたい

自分がみじめで、可哀想で時々夜になると泣けてくる。(お酒片手に夜中徘徊してたけど親に止められた)でもこの状況を抜け出して、リア充だなって自分で思えるように本当になりたいのかと言えば実は違うと思う。多分、私は自分可愛さに泣いている。可哀想自分かわいいからどうしても泣けてくる。本当にどうしようもない。どうしようもないけど、きっと私はどうしようもない私がこれ以上なく好きなのかもしれない。

2018-08-06

anond:20180806092854

毎回同じ奴らが書いてるだろうし

そもそもリア充は書かないだろ。

非リア充が書くのは大抵同じことだって何故察せないんだよ馬鹿か。

2018-07-18

親しい異性ができない

異性(女)と連絡取り合ってる時、以外に

リア充だとわかった時点で、疎外感とかを

感じて急激に興味が失せる、そして連絡

しなくなる。これの繰り返し

一向に親しい異性ができない。

そして女など自分に見向きもしないと

すっぱい葡萄を信じこむ

非リア充病気にかかっている

リア充じゃないと遺伝子を残せない

じゃあ何故私は生まれてきたのか

 

仮説1,リア充から非リア充が生まれ

仮説2,「リア充じゃないと〜」は最近の話であって、過去は違う

仮説3,実は私はリア充である

2018-06-20

anond:20180619005555

その傾向は多分、地方のほうが強い

今の30~40代ネット民の多くは、1990年代末~2000年代前半、つまり2ch全盛期のころ「マスゴミは嘘ばかり、ネットで真実に目覚めた」となった世代なわけだが

そこで見識がストップして"ネットも疑う"がすっぽり抜けてる

(「も」という部分がポイントやで)

ある程度以上ネット世間すれすると"ネットも疑う"が身につくんだが、地方に行くと大部分のおっさんやおばちゃんの間ではいまだにTVの影響力がすごく強い

すると「テレビ鵜呑みにしないでネット裏情報に触れてる俺スゲー」という優越感が得られる

周囲の田舎者マスゴミを盲信してるけど俺だけ真実に目覚めてるという錯覚

これは地方非リア充のオタには本当に気持ちいい、というか唯一の救い

おそらく、アメリカでも東部西海岸大都市の間に挟まれ中西部なんかの田舎白人トランプ支持層とかそんな感じじゃねえの

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん