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はてなキーワード: 棟梁とは

2020-02-23

[]anond:20200223191324

ある日、京の中御門宗教から上月城書状が届いた。

その内容は、明石海賊から大江山山賊への手紙のようなもので、なんともわけがからなかった。

その二ヶ月後、また宗教から書状が届いて、

「先日の手紙の返事がないので、そちらに九重姫を送ったがやはり音沙汰がない、姫は到着したかとある

鹿之助は驚き、明石海賊九重姫をさらたかと合点して、その退治に出かけることとなった。

船頭を雇い、海に出てしばらく進むと、向こうから来るのはまさしく海賊の船だと船頭が言う。

鹿之助がその船に乗り込むと、なんと船底より大谷古猪之助・早川鮎之助・横道兵庫之助が現れた。

古猪之助が語るところによると、まず事の発端は大江山山賊宗教卿の手紙を奪ったこである

それを読んだ山賊は、鹿之助から使者なりすまし九重姫を誘い出し、そのままねぐらに連れ帰ってしまった。

古猪之助は、鹿之助が尼子家に仕官したという噂を聞いて、

約束を果たそうと播州へ向かう途中、大江山山賊に捕まりその手下として働いていた。

そこで九重姫と出会って事情を聞き、姫をつづらに入れて逃げ出したところ、

今度は舞子の浜の宿でつづらを海賊に奪われたのだと言う。

さら兵庫之助によると、大坂の店に送ったはずの浮舟が、

まもなく兵庫之助を慕って追いかけてきたので困っていたところ、

九重姫と共に浮舟も海賊さらわれてしまったので、同じ宿に泊まっていた古猪之助と協力して救い出そうとした。

二人して海賊棟梁に襲いかかったところ、その棟梁というのが実は鮎之助であり、

同じく鹿之助の家臣であることが判明したのだと言う。

鮎之助はと言うと、やはり鹿之助のもとへ向かう途中で海賊に襲われたので、その棟梁返り討ちにしてやった。

そうして棟梁に成り代わっていたところ、他の二人と出会ったのだと言う。

鹿之助は納得して、この三豪傑を連れて帰って尼子義久に紹介し、また九重姫と正式結婚をしたのだった。

2019-06-24

anond:20190624173710

棟梁をおもいだした。

ぐっさんはよ病気なおしてもどってこないかな・・

2017-10-02

[]望月ミネタロウ漫画), 山本五郎原作)「ちいさこべえ

火事親分をなくした大工の若棟梁

火事で行き場を失ったみなしごたちと若棟梁のおさななじみの女

同居することになっていろいろある話


じわっと涙が出たなあ最後らへんは

それにしてもすごく読みやす

原作っぽいモノローグもありながらも絵と間で読ませる部分もあって、漫画ならではの表現できててすごいと思う

女の子がこれまたかわいいんだ

生意気でかわいくないガキのデザインうまい

もう結構年いってるのに、萌えではなく昔よりもめちゃくちゃかわいくてエロイ線がかける、稀有作家のひとりだと思う

シンプルな線でトーンを使ってるわけじゃないのに、なぜか肉感的に感じてしまう絵ってほんとすごいと思う

2017-10-01

古代[ソース編集]

日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲建御名方神タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲起源とされている。

人間同士の相撲で最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまいとらしむ・スマヰ」または「すまい・スマヰ」と訓す)での戦いがある(これは柔道起源ともされている)。この中で「朕聞 當麻蹶速者天下之力士也」「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」とあり、試合展開は主に蹴り技の応酬であり、最後宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速に踏み付けで加撃して腰骨を踏み折り、絶命させたとされる。これらの記述から、当時の相撲は打撃を主とする格闘技であり、既に勝敗が決した相手トドメの一撃を加えて命までをも奪った上、しかもそれが賞賛される出来事であった事から見ても、少なくとも現代相撲とはルール意識も異なるもので、武芸武術であったことは明確である[2]。宿禰・蹶速は相撲の始祖として祭られている[3]。

さらに『古事記』の垂仁記には、

ここをもちて軍士の中の力士の軽く捷きを選り聚めて、宣りたまひしく、その御子を取らむ時、すなわちその母王をも掠取れ。髪にもあれ手にもあれ、取り穫む隨に、掬みて控き出すべし。とのりたまひき。ここにその后、かねてかその情を知らしめして、悉にその髪を剃り、髪もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐して、三重に手に纏かし、また酒もちてその御衣を腐し、全き衣の如服しき。かく設け備へて、その御子を抱きて、城の外にさし出したまひき。ここにもの力士等、その御子を取りて、すなはちその御祖を握りき。ここにその御髪を握れば、御髪自ら落ち、その御手を握れば、玉の緒また絶え、その御衣を握れば、御衣すなはち破れつ。

とあり、初めて「力士」(ちからひと・すまひひと と訓す)の文字が現れる。以降の記紀六国史においても、相撲に関する記述散見される。

相撲節会」を参照

奈良時代から平安時代にかけて、宮中行事の一つとして相撲節会が毎年7月頃に行われるようになる。毎年40人ほどの強者近衛府により選抜され、宮中で天覧相撲をとった。最初の記録は天平6年(734年)のものであるが[4]、節会を統括する相撲司の初見養老3年(719年)であることから8世紀初頭に定着したものと思われる。相撲節会は当初は七夕宮中行事の余興としての位置づけであったが、後に健児の制が始まると宮中警護人の選抜意味を持つようになる[5]。時代が下るにしたがって相撲節会重要宮中行事となり、先例が積み重なるとともに華やかさを増した。然し同時に、健児選抜という本来趣旨は次第に忘れられていった。12世紀に入ると律令制の衰退、都の政情不安定とともに相撲節会は滞るようになり、承安4年(1174年)を最後に廃絶となる[6][7]。

神事相撲」を参照

一方、神社における祭事として相撲をとる風習が生まれた。これを神事相撲という。農作物の豊凶を占い、五穀豊穣を祈り、神々の加護感謝するための農耕儀礼であり、これは一貫して現代にまで続いている[8]。

中世[ソース編集]

武家相撲」を参照

相撲節会に求められていた実践的な意味での相撲は、組み打ちの鍛錬として、封建制を成立させた武士の下で広まった。これを武家相撲という。武士棟梁となった源頼朝特に相撲を好み、鎌倉を中心に相撲が盛んに行われた[9]。

日本礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年

土地相撲」を参照

続く足利幕府は、相撲奨励には消極的であったが、戦国大名は熱心に相撲人の養成に力を注いだ。また、応仁の乱以降都落ちをした貴族とともに京都相撲文化地方に伝わり、民衆の間に相撲が定着、相撲生業とするものが現れる。これを土地相撲、または「草相撲」という。[10]。

近世[ソース編集]

「勧進相撲」を参照

江戸時代に入ると武家相撲はその存在意義を失い、土地相撲興行化して民衆一般に広がる。興行主はこれを神事相撲の「勧進」にことよせて勧進相撲と称し、また武家相撲力士大名の抱えとすることでその名残をとどめた[11]。

近代[ソース編集]

相撲を取る皇太子時代昭和天皇

大相撲」を参照

明治文明開化相撲をはじめとする伝統芸能は軒並み危機に陥るが、明治天皇の天覧相撲が繰り返されるなどによりその命脈を保つ。大正14年1925年)には幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯が下賜され、また東京相撲大阪相撲合併することにより日本相撲協会誕生、勧進相撲大相撲に一本化された。

平成に入って、日本ビーチ相撲連盟というアマチュア組織が結成された。また、義務教育武道必修化の必修科目として、相撲剣道柔道の三種を基本として加味された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/相撲

兎に角臭そうなので相撲は撲滅するべき

殺人競技ルーツにする相撲人権違反で即刻廃止するべき

そう言う事を言いだしたらオリンピック競技殺人競技ルーツにする種目がたくさんあるのでオリンピックを即刻廃止するべき

2017-08-18

食べ物がないことが一番怖い

東京下町で生まれ育った祖母大工棟梁の娘だった。

若い衆をたくさん養っていたので、毎食ご飯を炊いておかずを用意する。残り物で済ませるということがない。

祖母は「冷や飯を食べたことがない」「(祖母認識ではおかずがないときに作るものから味噌汁食わず嫌い」なことを自慢していた。

若い衆たちが配給の権利を残したまま出征したことと、若い衆の実家(近隣の農家から食べ物をわけてもらえたことで、戦争中食べ物に困ったことはないらしい。

話を盛るタイプ祖母だったので、どこまで本当かわからないのだが、食べ物に苦労したことがないことだけは本当なんだと思う。

そんな祖母の語る東京大空襲は、死体が浮いた川の水を飲んだみたいな定番エピソードも出てくるのにまったく真に迫らずのんきなものなのだ

よく気を付けて聞いてみると彼女自身生死の境をさまよっているのだが。

食糧不足いかに人の精神を圧迫するのか、逆説的に実感した。

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-03-04

男が萌えコンテンツとかアイドルとかに耽溺するのは男の強さか弱さか

萌えコンテンツとかアイドルコンテンツとかエロコンテンツとかにしても

そういうのが大好きな男が棟梁跋扈してる昨今でありまして、

まあその手のコンテンツが公に滲み出たりしてて、まあ、フェミとかの方々からその度批判を浴びることもあるじゃあないですか。

(全てがそうとは言わんけど)オタクコンテンツには、まあ性的に媚びたりだとか、処女性があったりだとかで、

まあ旧来的な男尊女卑価値観内面化されてることが度々あり、それが批判の的となるわけなんですよね。

要するにそこら辺の女性性的消費する辺りが「男の強さ」の発露である、と。

でもね、その一方でね、昨今はもはやオタク男は何かしら縋るような形で、萌えコンテンツアイドルにはまらざるを得ない、ということもあると思うんですよね。

萌えアニメを見ながら泣くような。

これは、男女平等とか言われつつも相も変わらず「男は女を養って一人前」「男らしくない男は情けない」

学校にしても仕事にしても家庭にしても、相も変わらずコミュニケーション労働によるマチズモ蔓延しまくっています

そのような何ともやるせないどうしようもない気持ちによって縋らざるを得ない所は絶対にあるのです。

…そういう「男の弱さ」の発露の面もあるんじゃないか?と思うんですよね。


いや、別に萌えコンテンツアイドル批判するのは不当だ!とか言う気はないですよ。

ただ、そういうもののにハマることに関して「男の強さ」でまとめることは些か乱暴ではないか、と思うのですよね。

何かしら「男の弱さ」からそういうものにハマることを考えなくてはならんのでしょうか?

これは男尊女卑的だからそういう趣味を持つのは止めろ!で済む話なのでしょうか?

そういうものにハマるバックボーン考慮しない限り、解決せねばならん問題解決できんと、私は思うわけです。

私は男が萌えコンテンツアイドルにハマる感情は男の強さと男の弱さが混ざりに混ざりまくった何とも言えないモチベーションから来るものだ…と思う。

2016-07-23

[]

今回はやわらかスピリッツ

ダンジョンほとりの宿屋の親父

それにしても、宿屋の親父の言葉遣い荒いよなあ。

気持ち若いというか、周りの奴らの人格がアレだから必然的にああなっちゃうんかね。

オチが惨いな……あそこまでされて帰ってくる棟梁も大概だが。

というか、そもそも棟梁が生きて帰ってこない可能性もあっただろうに、それだと酒場自体ができなかったんだが、そこまで考えていたのだろうか。

咲いたコスモス コスモス咲いた 第1話

新連載。

男女が放課後勉強というシチュエーションを、コメディ色強めで描いていく感じの漫画なのかな。

各話ごとに取り入れられるエキセントリック勉強法が、妙なフェティシズムを感じ取らせるわけね。

特筆して絵が上手いわけでも書き込まれているわけでもないけれど、「ココ!」ってところはしっかり描いていて、ツボは押さえている。

まあ、毒っけもないから軽い心持ちで読めるし、今後も読んでいこうかな(感想書くかはともかく)。

世界は優しさで溢れている 第10

服の捨て時って、まあ悩むよなあ。

使い捨てとして考えると、服はあまり安いモノではないし。

あと、何をしているか訊ねられたときのおじさんのキョドっりぷりよ。

他人に訊ねられるとバツが悪いことって、体のいい話を用意しとくものなのかもしれないけれども、なぜか用意していない人多いよね。

仮に用意していても、そのテの話をすることに不慣れだったり内容とかに後ろめたさがあると、不器用な人はどうしても不自然になりがちだし。

まあ、そういうことをスラスラと話せるような人を尊敬するかといわれれば、正直なんともいえないけれども。

能力JK成毛川さん 第10

今回は新キャラ登場。

で、やっぱりこの人も妖怪だったと。

というか人間キャラ、今のところ里中くんだけだが。

この漫画登場人物妖怪比率がやたらと多いんだけれども、設定的にもかなりの数いるんだろうか。

で、ラブコメとかの男子特有の「変なところで善良」なのが発揮されて、また知らない間にフラグがたっていくと。

それにしても、、今回出た妖怪は音や姿は消せても、匂いは消せないのか。

自分自身匂いに対しては鈍感になりがちだけれども、多少気を使っても「人の匂い」ってするからね(臭いとかそういうことじゃなくて)。

ましてや、自分の部屋だったらなお更、そういう違和には気づきやすい。

アイアムアヒーロー in NAGASAKI 第5話

加川の言動倫理観がまるでないけれども、合理的価値観も備えているのか(現状を自分本位に利用しているのは変わらないけれども)。

見た目も言葉遣いもお世辞にも知的ではないけれども、バカではない。

加川のある意味フラット価値観に触れて思うところがあったのか、主人公自分人間不信になった原因を払拭しようとする。

だが、やはりそう簡単いかない模様。

主人公人間不信って、単なる被害妄想という風に描写されてきたけれども、ここにきてちょっと雰囲気が変わってきたな。

さて、ラスト人間不信は変わらないが心境の変化を匂わせる描写だが、どう展開するのか。

2015-12-03

レジンキャストミルク (電撃文庫) 藤原

スペインユダヤ人 (世界史リブレット) 関 哲行

キリスト教歴史 (講談社学術文庫) 小田垣 雅也

帰ってきたヒトラーティムール ヴェルメシュ

社会福祉思想歴史魔女裁判から福祉国家の選択まで (MINERVA福祉ライブラリー) 朴 光駿

☆ザ・フェデラリスト (岩波文庫) A.ハミルトン

インフォメーション―情報技術人類史 ジェイムズ グリック

アメリカ文学史のキーワード (講談社現代新書) 巽 孝之

異端審問 (講談社現代新書) 渡辺 昌美

シルバー事件 アスキー

絶対に解けない受験世界史 (大学入試問題問題シリーズ) 稲田義智

筋と義理を通せば人生はうまくいく 高須 克弥

99歳ユダヤスーパー実業家が孫に伝えた 無一文から大きなお金成功を手に入れる習慣 矢吹 紘子

女子マネージャーの誕生とメディアスポーツ文化におけるジェンダー形成 高井 昌吏

世界一即戦力な男――引きこもり非モテ青年音速で優良企業から内定をゲットした話 菊池

愛についての感じ 海猫沢 めろん

借金底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター借金1億2千万円、利息24%から生還記 金森 重樹

猫背を伸ばして 新装版 (フレックスコミックス) 押切蓮介

こんな上司が部下を追いつめる―産業医ファイルから (文春文庫) 荒井 千暁

棟梁―技を伝え、人を育てる (文春文庫) 小川 三夫

石井直方筋肉まるわかり大事石井 直方

フルーツ果汁100% 第1巻 (白泉社文庫 お 3-1) 岡野 史佳

☆「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット) 土井 隆義

読書の方法―なにを、どう読むか 吉本 隆明

予備校なんてぶっ潰そうぜ。 花房 孟胤

海洋堂創世記 樫原 辰郎

世界堂書店 (文春文庫) 米澤 穂信

コーディングを支える技術 ~成り立ちから学ぶプログラミング作法 (WEB+DB PRESS plus) 西尾 泰和

☆九月、東京路上1923年関東大震災ジェノサイド残響 加藤 直樹

大東亜戦争の実相 (PHP文庫) 瀬島 龍三

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶 グードルン・パウゼヴァン

クリスマス少女は還る (創元推理文庫) キャロル オコンネル

江戸のハローワーク (双葉新書) 山本 眞吾

Three Essays on the State of Economic Science Tjalling C. Koopmans

The Elements of Style, Fourth Edition William Strunk Jr.

ザ・フォール/落下の王国 特別版 [DVD] リー・ペイス

アメリカめっちゃスゴい女性たち 町山 智浩

☆船に乗れ!〈1〉合奏と協奏 藤谷 治

ちょー美女と野獣 (コバルト文庫) 野梨原 花南

11/22/63 上 スティーヴン キング

システム×デザイン思考世界を変える 慶應SDM「イノベーションのつくり方」 前野隆司

追われ者―こうしてボクは上場企業社長の座を追い落とされた 松島

劣化国家 ニーアル ファーガソン

ブラック企業経営者本音 (扶桑社新書) 秋山 謙一郎

創価学会研究 (講談社現代新書) 玉野 和志

グロースハック 予算ゼロビジネスを急成長させるエンジン 梅木 雄平

女のカラダ、悩みの9割は眉唾 (講談社+α新書) 宋 美玄

To Repair the World: Paul Farmer Speaks to the Next Generation (California Series in Public Anthropology) Bill Clinton

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書) 小坂井 敏晶

Making the Modern World: Materials and Dematerialization Vaclav Smil

高校教育アイデンティティー総合制と学校づくりの課題 (「教育」別冊 (9)) 小島 昌夫

☆名作はこのように始まる〈1〉 (ミネルヴァ評論叢書・文学の在り処) 千葉 一幹

グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ] ニコラス サリバン

単純な脳、複雑な「私」 (ブルーバックス) 池谷 裕二

天涯武士幕臣小栗上野介 (1之巻) (SPコミックス時代劇画) 木村 直巳

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日文庫) 中島岳志

ぐいぐいジョーはもういない (講談社BOX) 樺 薫

LEAN IN(リーン・イン) 女性仕事リーダーへの意欲 シェリル・サンドバーグ

鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! 村崎 百郎

男性学の新展開 (青弓社ライブラリー) 田中 俊之

闘争領域の拡大 ミシェル ウエルベック

実録 ドイツ決闘した日本人 (集英社新書) 菅野 瑞治

男性ECCE HOMO (文春新書 934) ヤマザキ マリ





正統と異端 - ヨーロッパ精神の底流 (中公文庫) 堀米 庸三

魔女狩り (「知の再発見」) ジャン・ミシェル サルマン

図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界歴史) 黒川 正剛

魔女狩り (岩波新書) 森島 恒雄

異端審問 (文庫クセジュ) ギー・テスタス

剣豪将軍義輝〈上〉鳳雛太刀 (徳間文庫) 宮本 昌孝

2014-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20140409233703

元増田です。親切な対応ありがとうございます

たぶんそのOBのかたも中高一貫校だったのだと思います

そうなんです。本当に、なんというか居る実感がないんです。

データ上は当然存在してて、たくさんいるはずなのに。

棟梁工務店のあんちゃんだと、まず高卒だな。中には中卒も。また、工事監督だと高専卒が多い。注文住宅の営業(歩合給)も高卒が多い」

これは結構びっくりです。大卒じゃないと棟梁や営業の人は居ないと思っていました。

http://anond.hatelabo.jp/20140409132955

東大総合不動産会社に入った通りがかりだが。

うちの会社は、利益の過半は都心部ビル賃貸事業だが、同時に注文住宅事業とかリフォーム事業とかもやっているから、

大工棟梁とか、工務店のあんちゃんとかとも付き合いがある。

棟梁工務店のあんちゃんだと、まず高卒だな。中には中卒も。

また、工事監督だと高専卒が多い。

注文住宅の営業(歩合給)も高卒が多い。

で、東大卒が○○支店長という肩書で、棟梁連中と慰労会で酒を混み交わしたり、部内旅行とか行ったりする。

自分入社数年目で住宅営業の現場に出されたから、結構高卒の人と一緒に飲んだりしたけどな。

ただ、元増田趣旨も、わからなくもない。

自分の友人で「高卒って、世の中に存在するの?」と真顔で聞いてきた東大OBがいたからなあ。

2013-12-17

家業継ぐってそんなに悪くないんじゃないの

書店に限らず個人商店町工場後継者問題

http://anond.hatelabo.jp/20131216185706

★個人経営商店主が鬼籍に入ったあとに後継するプレーヤーがいない業界が一番問題。

 日本中小企業メーカーの大半は、経営者鬼籍に入ったら廃業に追い込まれる。日本のモノ作りの基礎体力が低下する(モノ作りインフラ崩壊

自分関係する住宅業界の隠れた課題、最大の課題はこれ。

 いわゆる「棟梁」「工務店」の後継者が不足している。このままでは「家を作りたくても、建てる人がいない」ということになりかねない



高度成長期はきっと、こんな田舎でチマチマした商売やるより

ウチの息子は外に討って出てどーんと一発当ててこい!よしきた、とーちゃん!って空気

その後オイルショックバブルがあって、ジャパニーズゴールドラッシュを夢見る人は減ったけど

それでも、ジリ貧家業を継ぐより大企業就職したほうが良いって空気

その後、就職氷河期もそういう空気が続いたというか

生き残るには大企業就職という蜘蛛の糸を掴むしかない!というもっと切実な感じになってきた

でも、自分の周りみてみると、進学校行って、いい大学入って、そのまま一流企業残ってるって

いるにはいるけど、かなり少ない、大学院アカポス不安定なやつ

そこそこの企業入ったけど続かず、転職続きのやつ

一方、高卒地元のそれなりの大学出て家業継いだやつのが安定してる率が高く見える

サンプル少ないのは重々承知だが、いまどき家業を継ぐという選択は

職種によってはそんなに悪くない

銀行から聞いた話で、経営健全なんだけど

単に後継車不在で売りに出てる町工場とかがぽつぽつあるらしい

2013-12-16

街の零細書店は、アマゾン侵食されなくても、高齢化後継者難で、どのみち潰れる運命だった。

【10月27日の自分ツイート転載

★「Amazonのせいで街の零細本屋が潰れた」という「分かりやすい説明」が受けるが、

 街の零細本屋Amazonが伸びなくても早晩廃業してた筈。個人経営主が高齢化して後継者いないか

 /“なぜ、Amazonで本を買わないの?” http://htn.to/xz9JM5

★@sutannex 多分本屋業界に限らず日本の個人小売業共通。

 高度成長期に創業した個人商店主が丁度リタイア時期。

 子供が継がなければそのまま廃業。早晩廃業する予定だから、売上アップにシャカリキにならない。

 Amazonの普及は個人商店、個人経営商店の廃業を体よく後押ししただけ

高度成長期に成立した社会システムは、次世代が継がない限り、団塊世代鬼籍入りと共にフェードアウトする。

 個人経営商店、個人経営工場、個人経営工務店という存在も、あと10年もしたら後継者難で激減する

★「日本人書籍離れ、Amazonの普及が街の本屋を壊滅させた」という論調は皮相的。

 Amazonが普及しなくても、経営者高齢化して後継者がいない街の本屋の減少トレンドは変わらなかっただろう。

★むしろ、個人経営商店インフラ後継者として「Amazonという書籍流インフラ」が出現した書籍業界は「恵まれた方」だ

★個人経営商店主が鬼籍に入ったあとに後継するプレーヤーがいない業界が一番問題。

 日本中小企業メーカーの大半は、経営者鬼籍に入ったら廃業に追い込まれる。日本のモノ作りの基礎体力が低下する(モノ作りインフラ崩壊

自分関係する住宅業界の隠れた課題、最大の課題はこれ。

 いわゆる「棟梁」「工務店」の後継者が不足している。このままでは「家を作りたくても、建てる人がいない」ということになりかねない

宮脇書店とか、地方でも法人組織書店は生き残ってる。

 零細本屋廃業理由は、「本が売れないから」というより、「後継者問題をクリアできない個人商店限界」だと思う

  / “なぜ、Amazonで本を買わないの? - 琥珀色の戯言” http://htn.to/xSRrTp

★たとえば、個人経営が多い「そば・うどん屋」って、ものすごい勢いで廃業してる。

 しかしその理由を「日本人のそば・うどん離れ」とか「丸亀製麺のせい」と分析するのはトンチンカン

 「零細本屋が潰れるのはAmazonのせい」と言うのは、それと同じくらいトンチンカン

★まあ丸亀製麺が伸びたのは、個人経営のそば・うどん屋が激減してると言う供給プレーヤーの変化を巧く捉えた、と言う面もある

駅前不動産屋とか、そろそろ創業者が70代でリタイア時期。多分、大手仲介会社が伸びるんだろうな

★いわゆる「街の電器屋さん」も、そろそろ代がわりの時期。ヤマダ電機が伸びなくても、早晩廃業する運命にあった

★今の団塊世代までは、実家の大半は農家だった訳。農家は一種の個人事業主で、組織人じゃない。

 「個人事業主ネイティブ」な団塊世代は、高度成長期結構個人商店開業した

しか団塊ジュニア世代になると、企業勤めがポピュラーになり「組織ネイティブ」になってくる。

 そうなると成人しても創業あまりしないし、のみならず個人商店の息子も跡を継がずに組織に入ったりする

後継者不足問題が一番深刻なのは間違いなく農業日本農業はTPPなんかには関係なく、後継者難で失速する

★「低い低い」と問題視される日本カロリーベース自給率だが、曲がりなりに40%程度を維持してるのは、

 昭和一桁な高齢農業者が頑張ってコメ作ってるから。彼らが鬼籍入りしたら、TPPに関係なく自給率は更に激減する

2013-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20130903093931

現業職で稼ぐっていう選択肢と、上流(この言葉プログラマにおける上流工程、下流工程と同じ意味で取って欲しい)

設計士や建築士で稼ぐ選択肢があって、専門学校は下流工程や実務工程に特化した教育機関ってことでいいのかな?

勿論、ある程度はあると思うけどそのまま全部が当てはまるものでもないんじゃない?

基本的に、どの職場でも下流工程を得た後で上流でまとめて指示出したりする立場に行くわけで。

大工場合大工の中で棟梁が居るでしょう。

棟梁一級建築士はそういった上流、下流工程、と言う立場ともまた違った立場だと思うんだけど。



基本的に一定以上の学力があれば今の時代普通大学に行くでしょ。

そちらの方が選択肢が圧倒的に増えるから

専門学校に行けばほぼその道で決定だから。(なんか専門学校なのにその道1%しかいかないとかいう似非専門学校もあるみたいだけど)

だけど、ある程度までの学力なら、専門学校に行って、すごい高収入になる、ってのはよっぽどのことが無いと難しいけど、

下手な大学行って下手な職場に行ってやりたくないことやってるよりはよっぽどいいんじゃん?

2012-10-28

肉体労働を続けているような底辺労働者たち

数ヶ月間日雇いだけで生活していたことがある。あの空間は異常だった。

時間勤務で八千円程度の仕事を二連続、下手したら三連続とか入れる癖に、

パチンコ千円札突っ込み続けることを全く疑問と思っていない人たちが居た。

そしてタバコを日に一箱吸い、酒を飲み、一食(コンビニ)で千円使うことを何とも思わない。

そして宿がないため派遣事務所の床で寝る。

将来に対してまともな計画を持っている人間は一人もいなかった。

 

 

肉体労働者が必要なのはわかる。

ビル解体したとき瓦礫を運ぶ人間が、必要なのはわかる。

高層マンション内装を、一階から階段で上げる仕事など普通内装屋がやるわけがない。

日に三件も回らなければいけない引っ越し屋が、社員だけですべてを回していくのは不可能だろう。

広大な倉庫で、無数の商品を、一つ一つ宛先に合わせて詰める作業は、未だ機械が代わってくれるものではない。

一晩で設営しなければならないイベント会場で、深夜働きづめでスケジュールを合わせるには人手が必要だ。

 

それら全ては、現実的にも誰かがやらねばいけない仕事だ。

そしてそれらは、今現在日雇い派遣労働者によって支えられている。

 

だがそんな劣悪な環境に慣れてしまった底辺労働者たちは、境遇改善などを求めていない。

意外に思われるかもしれない。

他人から見たら底辺の彼らが望むもの、それは目先の一万円だ。

その金で安い風俗に行くのだ。それしか望んでいない。

本気で境遇を脱したかったら、半年離脱できる道はある。

 

今、日雇い派遣規制するなんて案が出ている。

下らない。

だいたい二重派遣なんてどこでもやっている。

それに何か規制したところで誰かがやらなければいけない仕事だ。

まだ現実的に移民には任せられ無いだろう。いろんな意味で。

 

そして、ネットカフェ難民などという単語発明された。

確かにそういった人間は居る。

だが俺の居た事務所ではネットカフェではなく派遣事務所に泊まっている輩の方が多かった。

ネットカフェには、シャワーだけ浴びに行くのだと言っていた。

 

そして俺は数ヶ月間一緒に働いて、こいつらを救う金など必要ないと思った。

教育に回すべきだと、思った。

こういう、大人なのに馬鹿人間たちが生まれないために、教育に金を回すべきだと、強く思った。

 

本来、肉体労働派遣がやらなければならない仕事ではないはずだ。

正社員の作業内容が肉体労働で何の問題があるのか。

大工棟梁、鳶といった人間肉体労働をしているという点で派遣たちと同じだが、

彼らは正社員というステータスを持っている。

 

今、派遣肉体労働を続けているような人間社会の底辺だ。

コレは断言しても良い。彼らはモラルも低く、犯罪者すれすれの存在だ。

事実軽犯罪ならほとんど毎日日常茶飯事だ。

だが、そんな彼らも、「正社員」という肩書きと、ピンハネされないだけの給与を得られればきっと何の不満もない。

そして緩く雇用され、一定の自由な時間があれば、彼ら屑は屑なりに自分のために時間を使うのだ。

もとより週五日八時間勤務に耐えられないような人間たちだから、そこは仕方がない。

彼らが屑たる所以だ。「ダルい」だけで翌日の仕事キャンセルするような人間だ。

 

思うに、正社員もっと緩く雇用できる制度があればよいのかもしれない。

正社員、というカテゴリに当たらない枠が必要なのかもしれない。そこはわからない。

だが、日雇い派遣労働者必要だし、そこに企業は決して安くないコストを支払っている。

ならば、いっそもっと公的な機関が今の派遣会社役割を担ってしまうのでも良いのではないか

ハローワーク日雇い派遣斡旋も扱えば、ある意味健全だと思うのだが。

 

 

俺が日雇い派遣で働いた理由は、ガチで「社会経験の一環」だった事を、何故か思い出した。

2012-01-30

ハシシタ君の許せない所

1. テレビで見当違いのアジテーションをしたこと (90%)

犯罪弁護人は、世界で全員を敵に回そうとも被告人の味方であることを求められる。こんな厳しい仕事を進んでやる人が一人でもいるから、裁判正当性が担保されるのだ。それを理解していない筈はない。単純にポピュリズムというか、衆愚主義にのっかって(群集の快感原理に訴えかけて) 弁護士会への懲戒請求を煽る。

こんな人権意識人間首長なんかやらせられるか馬鹿もの

2. 思い込みで教育を左右できると思っているところ (10%)

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/28/kiji/K20120128002522420.html にもあるが、結局の所教育問題ってのは誰でも口をはさみたくなるが故に、しばしば間違っていることであっても「正しい」という信念のもとに正当化される。しかし、教育を左右するというのは国の基礎を左右している、という責任感はあるのだろうか(私には全く感じられない)。建っている建物の基礎を変更するんだからドラスティックに変更したら、いくら設計図が正しくても工程管理ミスで家が引っくり返ることがある。ましてや、その棟梁選挙で選ばれる(すなわち、継続性が保証されない)政治家だと言う。

短期的に見ればミクロ世代間格差や想定していない副作用おかしなことになるだろうし、長期的に見れば右に左にゆさぶられた教育現場がぐだぐだになるだろう。教育改革は1つのサイクルすら5年、10年という長丁場の覚悟がないと、本来は為しえない難事業なのだ。どうしてもドラスティックに変えたければ、特区や特定校指定などといった「離れ」でまず実験をすべき。これは、別に教育に限った話ではなく、生きているシステムは全てそうだ。

2010-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20101230234930

プログラム書けなくても社交性のある大学生ならプログラミングできる人を友達に携えてるよね。

鬱病という危険をうまく回避してる。まるで前線に出ない武士団の棟梁たいだ。

2010-02-01

a. で、与太。 おめえァ、 なぜ仕事イ 出てこねェんだ。

b. それが、 あのね、 ゥゥ… 、棟梁の前だけども、 おれ、 は、 は、 働けなくなっちゃったの。

a. 体の具合でも悪いのか?

b. や、 か、 体の具合は悪くねえん。 マンガ読み始めちゃったら止まらなくなって。

a. よせよ、 おい、 こんちきしょ。 そんなものァな、おれが燃やしちゃってやらあ。

  ここえ、出しねえ、

b. 「雑誌界の傾奇者!?ケータイ雑誌創刊!」

http://www.coamix.co.jp/2009/11/post-6.html

a. なに、携帯じゃねえいけい、 えっー、

b. 「ガンガンONLINE

http://www.square-enix.com/jp/magazine/ganganonline/

  「クラブサンデー

http://club.shogakukan.co.jp/

a. なにィー、無料だってイ。 そりゃ、 だめだ。 おい、

b. 「ソク読み

http://sokuyomi.jp/

a. え、-、おい、こんなものまで、こんなところで読めるのかー、

b. 「PlayStation Store

http://www.jp.playstation.com/psn/store/comics/index_00.html

a. ゲームじゃねえのかい、ほーお。

b. まだ、 まだ、 無料

http://enchanting.cside.com/service/freecomic.html

a. えっー、おい、 どう なってんだい。

2009-11-04

身内同士で甘えているからエンジニアサービスは大きくならない

はてな界隈でちょっと名の知れたエンジニアが作ったサービスって必ず話題になる。

でもそれだけ。

話題になるだけ。

 

「~~さんが作ったサービス!面白い!」といろんな人が宣伝しまくるからはてブ数は飛躍的に伸びる。

でもそれだけ。

はてブ数が伸びるだけ。

 

 

結局身内同士で称賛しあってるだけで実際のサービスの質で勝負できてないんじゃないかな?同じ個人エンジニアが作ったからすごい!って言ってるだけで別にサービスの中身がすごいわけじゃないから数か月もすればすっかり使われなくなる。あるいはサービス不具合や使いづらい点があったとしても「~~さんが個人でやってるから仕方ない」と周りが甘い目で見ちゃう。だからいつまでも改善されないし低レベルなままのサービスレベル放置される。

実例を挙げると2007年2008年頃のロケットスタートがわかりやすいのではなかろうか。ロケスタの棟梁id:kensuuさんといえば はてなでも屈指の人気ユーザーなので彼が作ったサービスは必ず話題になる。多くの人がブログtwitter勝手宣伝する。でもそれだけ。ユーザーの生活になじむようなサービスにはならない。あくまでネタサイトに過ぎない。

応援してくれるユーザー達がいるのは大いに結構。しかしそれって身内甘えにもつながるんだよね。どんなにくだらないサイト作っても話題にしてくれたり、多少使いづらくても大目にみてくれたりってのは、メリットでもあるけれど長い目で見ればデメリットにもなる。つまり開発者の心の甘えにつながる。それが日本の(個人の)エンジニアサービスが全く大きくならない最大の理由。ヌクヌク温室育ちのサービスなんて大きくなりっこない。

 

海外はそういう馴れ合いみたいなのが少ない。あっちは思ったことをはっきりと言う文化だからウンコサービスにはボロクソなコメントが投げかけられる。特に英語圏は「国内の暗黙の了解」みたいなのが通用しないんだよな。アメリカ発のサービス世界中で使われるから、国内の暗黙の了解なんてものは通用しないわけ。開発者の個人的な事情なんてどうでもいい。サービスの質が純粋に問われる。そういう世界。当たり前っちゃ当たり前だけどな。

だから日本と違って英語圏では一国の経済政治に影響を与えるようなwebサービスが生まれる。facebookは20代前半の学生が作ったサービスだが世間はそんなものは一切考慮せずに純粋SNSとしての価値のみを評価して利用したし、開発者が20代前半だからといって大目に見ないで改善要求は厳しくした。また開発者側もそれを望んだ。結果として今や日本web企業が束になってもかなわない規模に発展した。

 

今年に入ってロケスタは変わった。しょーもないネタサイトユーザーの慣れ合いに頼ってリリースするのではなく、ギーク層を飛び越えて一般層の生活に馴染むようなサービスを作り出した。nanapiなんてその最たる例だよ。あれは間違いなく大きくなる。コンセプト、デザインユーザーフェイス管理体制などすべてにおいて今までのロケスタ発サービスの中で群を抜いて素晴らしい。kensuuさんの意識が変わったのだろう。ブログにもそれっぽいことを書いてた気がする。探したけれど見つからなかった(汗)

 

なんかいい加減一部のwebエンジニア同士の慣れ合いっつーか甘えっつーか擁護のオンパレードみたいなのは無くなってほしいね。そうすればもっと日本webも楽しくなるし、すげーサービスも個人エンジニアから生まれやすい土壌になるよ。今のwebエンジニア同士の排他的身内擁護な空気嫌悪感抱いてる人多いんじゃない?でもそれをtwitterはてなで言っちゃうとそいつらがドドーッとイナゴのように押し寄せるから言わないだけで。あれはどうにかしたほうがいいよ。

 

そんな甘い土壌でヌクヌクしてるサービス海外に行って通用するわきゃない。わきゃない。でも「海外に通用するようになりたい!」という決意表明だけで日本ユーザーは称賛するんだよね。実際には何もやってないのに、海外で通用させたい(キリッ)と言うだけで称賛されちゃう。それってどうなのよ。

 

じゃ、おやすみ☆ミ

2008-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20080903121151

そんな君には、職人オススメ

大工なんてどうかな。

親方・棟梁になれば、営業的素養が必要だけど、一職人としてなら

人付き合いが下手であろうが内向的であろうが、技術さえあれば認められる。

黙々と仕事をこなすだけだし、IT業界のようなデスマーチも無い。

金銭的にも困らないくらいは稼げるし、向いているんじゃなかろうか。

2008-06-17

数ヶ月間日雇いだけで生活していたことがある。あの空間は異常だった。

時間勤務で八千円程度の仕事を二連続、下手したら三連続とか入れる癖に、

パチンコ千円札突っ込み続けることを全く疑問と思っていない人たちが居た。

そしてタバコを日に一箱吸い、酒を飲み、一食(コンビニ)で千円使うことを何とも思わない。

そして宿がないため派遣事務所の床で寝る。

将来に対してまともな計画を持っている人間は一人もいなかった。

 

 

肉体労働者が必要なのはわかる。

ビル解体したときの瓦礫を運ぶ人間が、必要なのはわかる。

高層マンション内装を、一階から階段で上げる仕事など普通内装屋がやるわけがない。

日に三件も回らなければいけない引っ越し屋が、社員だけですべてを回していくのは不可能だろう。

広大な倉庫で、無数の商品を、一つ一つ宛先に合わせて詰める作業は、未だ機械が代わってくれるものではない。

一晩で設営しなければならないイベント会場で、深夜働きづめでスケジュールを合わせるには人手が必要だ。

 

それら全ては、現実的にも誰かがやらねばいけない仕事だ。

そしてそれらは、今現在日雇い派遣労働者によって支えられている。

 

だがそんな劣悪な環境に慣れてしまった底辺労働者たちは、境遇の改善などを求めていない。

意外に思われるかもしれない。

他人から見たら底辺の彼らが望むもの、それは目先の一万円だ。

その金で安い風俗に行くのだ。それしか望んでいない。

本気で境遇を脱したかったら、半年で離脱できる道はある。

 

今、日雇い派遣規制するなんて案が出ている。

下らない。

だいたい二重派遣なんてどこでもやっている。

それに何か規制したところで誰かがやらなければいけない仕事だ。

まだ現実的に移民には任せられ無いだろう。いろんな意味で。

 

そして、ネットカフェ難民などという単語も発明された。

確かにそういった人間は居る。

だが俺の居た事務所ではネットカフェではなく派遣事務所に泊まっている輩の方が多かった。

ネットカフェには、シャワーだけ浴びに行くのだと言っていた。

 

そして俺は数ヶ月間一緒に働いて、こいつらを救う金など必要ないと思った。

教育に回すべきだと、思った。

こういう、大人なのに馬鹿人間たちが生まれないために、教育に金を回すべきだと、強く思った。

 

本来、肉体労働派遣がやらなければならない仕事ではないはずだ。

正社員の作業内容が肉体労働で何の問題があるのか。

大工棟梁、鳶といった人間肉体労働をしているという点で派遣たちと同じだが、

彼らは正社員というステータスを持っている。

 

今、派遣肉体労働を続けているような人間社会の底辺だ。

コレは断言しても良い。彼らはモラルも低く、犯罪者すれすれの存在だ。

事実軽犯罪ならほとんど毎日、日常茶飯事だ。

だが、そんな彼らも、「正社員」という肩書きと、ピンハネされないだけの給与を得られればきっと何の不満もない。

そして緩く雇用され、一定の自由な時間があれば、彼ら屑は屑なりに自分のために時間を使うのだ。

もとより週五日八時間勤務に耐えられないような人間たちだから、そこは仕方がない。

彼らが屑たる所以だ。「ダルい」だけで翌日の仕事キャンセルするような人間だ。

 

思うに、正社員をもっと緩く雇用できる制度があればよいのかもしれない。

正社員、というカテゴリに当たらない枠が必要なのかもしれない。そこはわからない。

だが、日雇い派遣労働者は必要だし、そこに企業は決して安くないコストを支払っている。

ならば、いっそもっと公的な機関が今の派遣会社の役割を担ってしまうのでも良いのではないか。

ハローワーク日雇い派遣の斡旋も扱えば、ある意味健全だと思うのだが。

 

 

俺が日雇い派遣で働いた理由は、ガチで「社会経験の一環」だった事を、何故か思い出した。

 
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