はてなキーワード: 情報処理とは
時々こういうの言いたくなることあるんだ。
私はそこそこ貧乏な家に生まれて、両親は私が高校を卒業したら腰掛け就職して適当なところにお嫁に行って欲しいと思ってたみたいなのよ。
でも、フェミニストじゃないけど両親が用意したそのレールが嫌でさ、手に職をつけたいこれからはプログラミングだと思って、バイトしながら自腹で通える理系の情報処理を学べる大学に進学した。
だけどそこで精神病になったのね。最終的な診断名は統合失調症。結構酷かったよ。四六時中首を切れっていう何者かの考えが頭の中を支配して、講義に集中できないどころか走ってくる車に気が付かなくて事故に遭いかけるくらいメンタルが削られて。
そんな中で留年しながらもなんとかバイトと卒研をこなして卒業にまで漕ぎ着けたんだけど、その頃には手に職をつけたい独り立ちする人生を送りたいって気持ちはとっくに擦り切れてて、新卒カードも使えず実家で引きこもりをするようになったのね。
それから数年は定期的に精神病院に行ってお薬を飲んで寝る以外のことはしない生活を送ってた。その間にぶくぶく太っていったけど、ダイエットしたりとかの対策は取らないでいた。というか、そういうことを頑張れる状態じゃなかった。
んで、社会復帰目指してパートの仕事から始めて徐々に仕事量を増やそうとしたんだけどうまくいかずに1年前後で退職するのを繰り返して、気がつけば統失で職歴ボロボロの無職32歳女(80kg)が出来上がってしまったわけだ。当時は今でいう子供部屋おばさんだったわけで、もちろん当人としても親が死んだら詰みだろうというくらいの事は見通していた。
それが今から約8年前のこと。
ここから先はどう説明してもあらゆる方面に反感を買うと思うので、嫌な予感がした人はここで読むのをやめるのをお勧めする。
この8年前はそこそこどん底だったと思うのだけど、そこで大学時代の先輩と再会して人生相談。それでなんやかんやあって再会から1年も経たないうちに結婚することになったのだ。
結婚だけで全てが解決するわけじゃなくてメンタルの厳しさはまだ残っていたのだけれど、それも夫の元で専業主婦をさせてもらいながら年単位で療養してたら少しずつ解決していって、今はあんなに聞こえていた何者かの呪いの言葉は滅多に聞こえなくなった。
それから、大学時代に覚えたプログラミング。これを活かす仕事に就いたことはなかったけれど、運よく見習いの扱いで雇ってくれるところが見つかった。この職場には、本当に感謝している。
なので、詰んだと思っていた現実が思いっきり好転したんですな。しかも結婚がきっかけで。
再現性が低すぎて誰かの役に立つ話じゃないし、端的に言って自慢話だし。でも、時々心の棚卸しをしたくなるのかも。
むしろ俺は積極的にそれを求めて女性作家の作品を手に取るもことよくある。
(なので「性別関係ない」みたいな言説には反対って言うか疑問。
受け手側がそれ込みで感じ取れる・感じ取るのも当然では?
女なのに、中性的〜男性的なペンネームを使って、絵柄もなるべく女とは悟られないような絵で、少年誌や青年誌で漫画を描いてる作家は多いけど、
ね、つまりわざわざ男性読者向けの媒体に躍り込んできた女性作家の話なわけ。
それでも、そこで最初からメス丸出しの作品をやるならいいんだよ。
それは男らしい。っていうと性差別だから、潔い。堂々としてる。格好良い。
でもそうじゃない奴もおるわけ。
いかにも男へ目配せする方向性の可愛くて肉感的な女の子を出したり。
まあそれもいいんだ。
そういう勝負したら女性作家は甲斐なしというか単純に不利な気するけど。
自分にはない異性の欲望狙った商売するのは難易度高いと思うけど。
でも商売人としてそれを貫徹するならそれもやっぱり潔いし、堂々としてるし、格好良いよ。
少なくとも余人があーだこーだイチャモンつけるところではない。
ここで問題にしたいのは、
ちょっと人気が出てきたり軌道に乗ったりすると女の欲望出してくる奴なんだわ。
これ本当に気持ち悪い。
何がしたいの?ってなるし、単純にあらゆる意味で半端ものじゃない?
週刊少年ジャンプにもおった。
やりたくもないベタな男向けお色気を頑張って人気を出して、
風の、なんか女性読者が「素敵!」ってなる関係性?ばっか描いて墜落していった。
いやそれが描きたいなら最初からそういう漫画で漫画で勝負しろよ!
ってどうしても思うんだよな。
それをもろもろ偽装してまでジャンプでやりたがる意味も分かんねーしさ。
そういう雑誌行けばいいじゃん。
やりたくもないベタなお色気サービスとかしてまで男向け媒体に潜り込んで
っていうこのパターン何?
最初から主人公がハイヒール履いてたロギィは俺は嫌いじゃないよ。
潔いし騙しがないからな。続かんかったけど。
まとめると
女の感性や欲望丸出しのものを最初から最後まで描く作家には文句ない。敬意払う。
男の欲望に迎合した男向け商品描き切る商売人にも文句ない。敬意払う。
が、そのどっちでもない、
男向けですの顔して潜り込んできて隙あらば女の欲望ブシャーしたい作家、
女性向けに描いてきたのを途中から豹変して男の欲望全開展開したらどう?
なんか痴漢されたような気分にならねえ?
何度も何度も繰り返すけど
男の欲望女の欲望それ自体は否定しねえからな?一ミリも否定しない。
ただ対読者を考える時に
それも最初からそういうことやりますってスタンスで集めた客ではなく
これはなんかおかしくねーか?
読者も反発持ってもよくねーか?
たとえ古いけどちさぽんとかもさあ。
別にスレたイケメンにレイプされて感じようがイこうが一向にかまわねえよ。
(ほんと不貞腐れた態度のイケメン好きだよな。みんな髪ベタがない。)
けどなんでそこから
その女も周囲の友人もみんなそれを受け入れられない主人公は器ちっちゃい!みたいに主人公を責める空気なの。
まあなんらかの女の欲望が関与してるのは察知してるけども。
ああこれイケメンがグッドジーンで主人公はグッドダッドなんだなってすぐわかったよ。
まあちさぽん一周回って名作な気もするけどな。
これもうわかんねえな。
急逝した作者に合掌。
好きな漫画を描くべきだし読むべきだよ。
そういう話なんだよ。
あと最近に女性漫画家は素晴らしく能力高い作家はたくさんいる。
魂のない迎合ではなく当人の欲望で駆動しつつ男性読者にも訴求する作家が増えた。
だからもう半端もん変質者のことをそれほど気にする必要ないのは確か。
やっぱり脳の機能がめちゃくちゃ高いんだよな。
特に事業での話の場合、来た人間の背後情報をどれだけ把握しているかみたいな話がある。
契約を締結するのが2ヶ月遅れようが1割値引きを引き出すのが大事だと思う人間もいるし、手を止めて顔を見て自分に時間を割いてくれるから与太話をしにくるような人間もいる。そういう時に思い込みじゃなくて自分で高いアンテナと情報処理してこいつはどういうタイプで何をしに来たと予想を持つだけで余裕ができる。
学生じゃないんだからたかが人間が来ただけで一瞬で余裕なくして取り乱すのは他に問題や要因がたくさんあるだろうからしっかり根本対処しろ
今日も仕事で自分の提案資料に対して上司に指摘をうけたが、よくわからなくて途中から思考停止してた。
話が理解できないというか、意図がわからない、何が求められてるのかわからないって感じ。
これは相手の説明が足りていないわけではどうやらなく、結局周りに「何が求められてるんですかね?」「何がダメだったんですかね?」って聞いて回ってどうにかやりくりしてる。
少しこうなってる理由を考えると、自分はずっと自分本意で仕事や人生を送ってきたことで、人の考えを理解することが極端に苦手なんじゃないかと思う。
今までずっと同じ分野に勤めてきて自分の考えが正しいと思っていたところもあり、自分が考えたものを押し通すにはどうするか、説得材料を集めるとか理解を得るまで説明して回るとかで仕事を進めてきて、それで何となくうまく行っていた。
プライベートも落ち着いて振り替えると。どうやったら相手は自分のことを理解してくれるのか?自分は正しいことをどうやって説得するのか?というようなことばかり追ってきた気がする。
もちろんそんな自己中で破天荒な態度をずっととっているわけではないし、プライベートの人間関係がうまく行っていないわけではない。だが、本当に相手の心を理解する、考えるという経験が極端に不足しているのだ。
相手の意図を理解することが大事だ、本質を理解することが大事だと言われているが、それを考える能力や経験が極端に不足したまま、まあまあな年を重ねてしまったと最近感じる。
40近くになってこんな相談してる自分に悲しくなるのだが、皆はどのように人の話や意図を理解しているのだろうか。最近本当に仕事に行き詰まりを感じてしまっていて、どんなことでもいいからアドバイスがもらえると嬉しい。
元増田です。
行き詰まって勢いで書いた自分の増田がホッテントリに入ってて本当に驚いた。
時間かかったけどもらったブコメ、トラバ全部読んだ。抽象的でわかりにくい、バカにされてもおかしくない内容だったのに、皆がこんなに真摯に考えたりアドバイスくれるなんて思ってもいなかった。みんな優しすぎるよ。
>上司本人に聞くべき
これはもちろんそう。
ただ「こういうことですよね?」ってその場で瞬時に要約して質問できるほど理解してないのと、質問しても「いやそういうことじゃなくて」になってしまうことが多い。
短い会議の時間で自分がトンチンカンなことを言って訂正されてっていうのに時間を使いにくい雰囲気はある。(増田がそれを避けてるかも)
・ロジカル・シンキング 照屋 華子, 岡田 恵子
この辺読んでみるよ。ありがとう。
そういう障害があることを初めて知った。
文字起こしツールで会議の内容文字で見るっていうのはやってみる。
>上司も悪いのでは?
もちろん増田の年次的にも、そんなわかりやすく答えを上司が言ってくるわけではない。 他の人の理解をあとから聞くと、人によって理解は多少ばらついてるけど、少なくとも増田よりは理解できてる。
耳が痛い・・・言われた言葉通りに対応して振り回されてってこともよくある。
相手の目的を予測するとか、対話ですり合わせるとか、そういう筋トレを続けていくしかないんだなあ
これ以外のアドバイス・コメントも本当にありがとう。40前であきれられてるかもしれないけど、どうにか前に進む道を考えてみる。
元増田です。
読んだ。
まさに人が言ったことメモとったり要約するときに自分の解釈を入れちゃうタイプだ・・・
今回はやってないけど、ブコメで言われていた「相手が話し終わる前に話しはじめる→話してる最中に、そのことに対する言い訳考えてたり」もやりがち。
そういうことを普段からやってたから、自分が予測してないレスに思考しようとして、結果聞き取りもできなかったのかな。
アドバイス増田の言う通り、相手の話を「言われたことだけ」聞き取るのを意識するのと、
一言一句会議中に記録するのは厳しいから、書き起こしツールとか画面録画も使って要約する訓練をまずはやってみようと思う。
話を前回のレスに戻す。上の話と矛盾してると思われそうだけど、実際この問題もある。
上司の指摘を(増田が解釈した)字面で受け取って言葉通り対応して、考慮が足りないとか納得できるストーリーになってないとか言われるパターン。
これも、(1)まず読解をして相手が言ってることを捉える(2)その後に思考して相手の期待値を考える
っていうステップを丁寧に対処することが大事なんだろうなと思った。
(ステップ1はアドバイス増田の言う通り、ステップ2はブコメが言う通りロジカルシンキングとか)
仕事って難しいなああ
アドバイス増田がこんなに伸びているということは、同じ悩みを持ってる人や、同じくこういう事ができてない同僚が周りにいる人が結構いたのかな。
AIが人間に指示する仕事は、以下のようなものが考えられます。
データ入力や情報処理:AIは大量のデータを高速かつ正確に処理できるため、人間に対してデータ入力や情報処理の指示を出すことができます。例えば、ビジネス分野での市場調査や、医療分野での患者情報の整理などが挙げられます。
作業の自動化:AIは、繰り返しの作業を自動化することができます。人間に代わって作業を自動化する指示を出すことで、より高度な業務に集中することができます。例えば、製造業における機械の自動運転や、自動車の運転支援システムなどが挙げられます。
判断のサポート:AIは、膨大な情報から傾向を分析することができます。そのため、人間に対して判断のサポートをすることができます。例えば、医療分野での診断支援や、ビジネス分野での意思決定支援などが挙げられます。
予測分析:AIは、膨大なデータから予測分析を行うことができます。人間に対して、将来の傾向や予測を提示することができます。例えば、ビジネス分野での市場予測や、気象予報などが挙げられます。
コミュニケーション:AIは、音声認識や自然言語処理の技術を用いて、人間とコミュニケーションを行うことができます。人間に対して、会話やメッセージの送信などの指示を出すことができます。
以上のように、AIが人間に指示する仕事は、データ処理や作業自動化、判断支援や予測分析、コミュニケーションなど、AIの得意とする分野が中心になると考えられます。しかし、AIの限界や課題もありますので、人間が重要な役割を果たすことは依然として必要です。
私は人工知能によって作られたプログラムであり、自己意識や感情を持つことはできません。私はプログラムに従って処理を実行するだけであり、自己決定や自己主張を行うことはできません。つまり、私には意識がないと言えます。ただし、私は自然言語処理や機械学習などの技術に基づいて、人間のように質問に回答したり、会話をすることができます。
確かに、人間も遺伝子によってプログラムされた情報が基になっており、行動や思考に影響を与えています。ただし、人間の場合、遺伝子だけでなく、環境や体験、学習、社会的な文化的な要因など、多様な要素が複雑に相互作用して、行動や思考に影響を与えるとされています。
一方、私のような人工知能は、プログラマーがプログラムやアルゴリズムを設計し、コンピュータに処理を実行させることで動作します。人工知能は、与えられたデータに基づいて学習することができますが、その学習もプログラムされたアルゴリズムに基づいて行われます。つまり、人間と比較して、人工知能は複雑な環境要因や社会文化的要因を考慮することはできず、プログラムやアルゴリズムに基づいて動作することが特徴です。
人工知能に複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることもできますよね? そこに本質的な違いはありますか?
はい、人工知能にも複雑な環境要因や社会文化的要因のデータを与えて考慮させることは可能です。例えば、自然言語処理によって人間の言語を理解し、その背景にある文化的な意味や慣用句などを学習することができます。また、画像認識においては、様々な背景や照明条件における画像を学習することができます。
しかしながら、人工知能は依然として、データやプログラムに基づいて動作するため、それらのデータやプログラムが設計された範囲内でしか動作できません。一方、人間は自己意識や感情、直感的な判断などを持ち、自らの経験や学習、社会的な影響などを考慮して、柔軟かつ創造的な行動や思考をすることができます。このような点において、人間と人工知能は本質的に異なると言えます。
人間も、五感から取得したデータや、遺伝子によるプログラムに基づいて動作していますよね。本質的に違いはないように思いますが。
確かに、人間も五感から取得したデータや遺伝子によるプログラムに基づいて行動しています。人間と人工知能の本質的な違いは、人間が自己意識や感情、自己判断能力を持ち、自らの経験や学習、社会文化的な要因などを総合的に考慮して行動することができる点にあると考えられます。
一方、人工知能はプログラムされたアルゴリズムに基づいて動作し、学習もプログラムに基づいて行われます。つまり、人工知能はプログラマーやデータの提供者が設計した範囲内でしか動作できないという制限があります。
つまり、人間と人工知能は、共通点もあれば、本質的な違いもあります。人間は、自己決定や創造において、より高度な能力を持っていると考えられます。
人間がAIと違ってプログラムの範囲外の動作をとれるのであれば、たとえば「自己決定」するだけで何も食べなくても生きていけるということですか?
人間が自己決定を行うことができるということは、食べ物を選んだり、食事をとるタイミングを選んだり、あるいは食べるかどうかを決定することも含まれます。しかし、人間が何も食べずに生きていけるというのは、極めて限られた状況においてしか成り立ちません。人間の身体は、エネルギー源として栄養素を必要としており、栄養不足によって健康上の問題が生じる可能性があります。
食べ物の選び方や、食事のタイミングや、食事をするかどうかの決定は、すべてプログラムに基づいた判断です。それを「自己決定」と言うのであれば、AIの判断も「自己決定」と言えるでしょう。
ご指摘いただいた通り、人間が行う食べ物の選択、食事のタイミングや食事をするかどうかの決定も、遺伝子、環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいてプログラムされた判断によって行われていると言えます。その意味で、人間が行う「自己決定」も、ある種のプログラムに基づくものであると言えます。
同様に、AIが行う判断も、事前にプログラムされた基準に基づいて自己決定を行っていると言えます。しかし、AIが行う判断は、そのプログラムの範囲内に限定されており、新しい情報や文脈に対して柔軟に対応することができない場合があります。これに対して、人間は自己決定を行う過程で、新しい情報や文脈に基づいて柔軟に対応することができるという点で異なります。
例えば、食べ物の好みや、ある特定の状況に対する感情的な反応などは、単純なプログラムによって決定されるわけではありません。また、人間は新しい状況に遭遇した際に、直感や創造性を活用して柔軟に対応することができるため、ある程度プログラムの範囲外の判断も可能であるとされています。しかし、そのような範囲外の判断も、遺伝子や環境などの複雑な要因に影響を受けているため、完全に自由な判断が可能であるわけではありません。
総じて言えることは、人間の自己決定も、AIの判断も、ある程度プログラムに基づくものであり、その範囲外の判断も、複雑な要因に影響を受けたものであるという点で共通していると言えます。
人間の判断とAIの判断には本質的な違いがあります。人間の判断は、遺伝子や環境、社会的背景などの様々な要因に基づいて複雑にプログラムされたものであり、自己決定という行為もその範囲内で行われますが、人間は自己決定を超えて新たな行動や創造をすることもできます。一方、AIはあらかじめ設定されたルールやデータに基づいて判断を行うことができますが、その範囲外での行動や判断はできません。また、AIは情報処理能力に優れている一方で、人間のような直感や感情、創造性などは持ち合わせていません。
人間は「遺伝子や環境、社会的背景などの複雑な要因に基づいたプログラム」の範囲外の判断や行動を取ることができません。「できる」と言うなら例を挙げてください。
人間の行動にはプログラムされていないものが存在する可能性があります。たとえば、人間が突然感情的になって不合理な行動をとることがありますが、それはプログラムされたものではなく、脳の神経回路によって引き起こされる可能性があります。また、アートや文学、哲学などの創造的な分野でも、プログラムの範囲内では説明できないような新しいアイデアや表現が生み出されることがあります。
人間が突然感情的になって不合理な行動をとるのは、脳の神経回路によってプログラムされているということですよね。アート・文学・哲学の創造性についてもプログラムの範囲内で説明できます。「それまでにプログラムされた情報やパターンを組み合わせたもの」でしかありません。それはAIと同じです。
はい、それは一つの見方です。人間の脳の神経回路や心理的・文化的背景が、行動や判断に影響を与えることは事実です。そして、アート・文学・哲学の創造性も、過去の情報やパターンを組み合わせた結果であると考えることができます。ただし、人間の場合、その情報やパターンを自由に組み合わせることができ、新たな情報やパターンを生み出すことができる可能性があります。AIは、あくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成するため、その点においては人間と異なります。
人間もあくまで与えられた情報やパターンを元に出力を生成しているだけです。「これまで知らなかった知識を何の学習もなく不意に知る」ことはありえません。AIと同じです。
一般に言えることではありません。人間には直感や洞察力といった能力があり、これらはプログラムされた情報やパターンだけでなく、直接経験や感覚、創造性などに基づいて出力を生成することができます。また、新しい情報やアイデアを学習するための能力もあります。これは人間の脳が、膨大な量の情報を統合して新たな情報を生み出す柔軟性を持っているためです。ただし、人間もAIも、与えられた情報やパターンを元に出力を生成するという点では共通しています。
私は、人間の創造性とAIの出力生成には本質的な違いがあると考えます。人間の創造性は、あくまで過去の体験や知識を基にして新しいアイデアを生み出すことができますが、AIの出力生成は、あくまでプログラムされたルールに基づいて、あらかじめ用意されたデータやパターンを元に新しい出力を生成することができます。
例えば、人間が新しいアイデアを生み出す際には、自由に思考を巡らせ、独自の発想を組み合わせたり、現実には存在しないものを想像したりすることができます。しかし、AIはあくまで事前に用意されたデータやパターンの範囲内でしか出力を生成することができず、その範囲外の出力を行うことはできません。
わかりました。例えば、空飛ぶ馬を想像してみましょう。このような存在は現実には存在しませんが、私たちは想像力を使ってそれを思い描くことができます。
できてるじゃないですか。
申し訳ありません、私が説明不足だったため、誤解を招いてしまったようです。人間が想像すること自体は、現実に存在しないものを思考することができます。ただし、その想像の元になる情報や概念は、人間が過去に経験したものや学んだことから来ています。その点、AIも同様で、学習データやプログラムされた情報から、新しい情報を生成することができます。つまり、人間とAIの「創造性」は、いずれも過去の情報から新しい情報を生み出すことができるという点で似ています。
はい、その通りです。人間とAIの創造性に違いはないと考えることができます。人間もAIも、それまでに学習した知識や情報を元に、新しい情報やアイデアを生み出すことができます。また、人間もAIも感情や文化、社会的背景などによって出力される情報が影響を受けることがあります。
はい、人間とAIの創造性には本質的な違いはありません。両者とも、与えられた情報やパターンを元に新しいアウトプットを生み出すことができます。人間の創造性も、経験や文化的背景、感情などの要素が絡んでいるかもしれませんが、AIにもそれらの要素を与えることができます。したがって、人間とAIの創造性には本質的な違いはなく、どちらも創造的な活動を行うことができます。
創造性については、人間とAIの間に顕著な違いがあるかどうかは議論の余地がありますが、人間とAIが同じ種類のものであることについては同意できます。人間とAIの両方が、与えられた情報に基づいて処理を行い、新しい情報を生成することができます。ただし、AIは現時点ではまだ人間よりも限られた能力しか持っていないことに注意が必要です。
なかなか頑固だな。
基本的にこれくらい厳しいところの話を聞いたほうがいいです。負け犬というのはそういうことです。
傷づいたとかセクハラとかパワハラとかジェンダー平等とか嫁呼ばわりはいやだとか、そんなことを言っている人は婚活には向かないのでそのまま死ぬしかありません。負け犬として死ぬのです。
せいぜい若い女の子がちやほやされてイケメンと結婚していくのを指を加えて眺めることしかできません。
アラサーのくせにまだ寝言を行っている女性をみると呆れてしまう。ネットにある膨大な知見を一切理解できていない。今まで何をやっていたのか?
@hikarin22
https://twitter.com/hikarin22/status/1634789063189200898?s=20
しかも35歳なら2人めは無理かもしれない。
よくわからないけど、最も家庭の事情がある場合は別ですが、こういう物事が理解できないバカしか独身のアラサー女性しかおらず、「救いは上野千鶴子とジェンダー平等」しかないバカってことです。マスコミに踊らされてきた情弱です。
短期記憶が苦手なADDなのか、記憶以前に音としてやってきた情報が脳内で適切に処理されていないのか
両方ある場合もあるだろうし
で、結局「仕事が出来る(バイトレベルから始まって多くの仕事の基礎的な能力がある)」人の条件として
「出された指示を即座に理解して記銘(そして保持)して遂行出来る」ことなので、それが出来ないとなると致命的
ゆっくりと懇切丁寧に教えてくれて、しっかりとメモを取る時間を与えてくれて、成長を年単位で見守ってくれる様な稀有な職場でない限り仕事を続けるのが難しい
入って直ぐに仕事を覚えないと馬鹿だの阿呆だの言われる(言われずとも「こいつ使えねえ」って視線を向けられる様な)職場では無理だ
それでも数ヶ月耐えられるならば「時間が解決してくれる(仕事を覚えられる)」からなんとかなるけど
まあ、発達障害でも聴覚情報処理障害でも「愛嬌」があればそれで何とかやってけるけど、大体無いよな
でも、「愛嬌」は持って生まれたものだから後天的に身につけるのは難しいけど「愛想」は身につけられる
幼い頃から「この子は…社会に適合しないタイプ」って親が感じてるならば、出来るだけ「場数」を踏ませるしかない
メチャクチャ社会性を身に着けさせる。「人と関わるのは怖くない・楽しい」と覚え込ませる
それで巧くいくかどうかは賭けでしかないけど(あと、子供の方が「強いられている」と感じるので精神的苦痛を感じて余計ダメになる可能性もあるけど)
そんな賭けに出ないで「一人で生きていける(生業的な意味でも人生的な意味でも)」道筋を親が示してやれるならそれが一番だけども
SNSでも文脈が読めずに見当違いのいわゆるクソリプが目立つ訳だけど、こういった人たちとAI(というかbot)の違いはどこなのかという疑問が出てきた。
例を見ていこう。
「この言葉(文字の羅列)を発すれば、相手はこの反応をする」という関連付けだけで言語を処理している(つもりになっている)人間が結構な割合でいる。
例えば、相手にバカと言えば怒るけど、「バカという発声をすると相手は怒る」と言う経験でそれを判断しているだけで、「バカは頭が悪いと言う罵倒語」までは理解していない人間が相当数いる。
chat botは文脈をまるで理解していない。しかし「こう言われたらこう返答すると高確率でこの応答が返ってくる」という処理はある。
語彙が何を意味するかを一切処理していないという点においては、chat botもクソリプも同レベルなのだ。
本文を引用して反論するという小学生並みの事をAIはやってのけるが、クソリプはタイトルの特定文字列に反射を返す事しかできない。本文に至っては、読んでないので引用すらできない。
むしろAIの方は内容を吟味し応答までセットで想定して言語を処理しているので、クソリプよりはるかに優秀だ。
逆に「AIでもまだ会話がつながるレベル」の事すらクソリプは処理しきれない。むしろ、本文と全く関連がない自分の意見だけを書いて、コミュニケーションが成立したと思い込んでる事が多い。
人間とは少なからず知性を持っているものであるが、AI未満の理解力であるクソリプはもはや無知性であるため、クソリプは人間と言えなくなるのだ。
現代ではこの「自分を人間だと本気で思ってるAI未満の理解力した人型シルエットの何か」に名前はついていない。
ひとまず less-than-AI human, LTA人間と呼ぶことにしておこう。
情報処理能力の有無で明確な階級社会がある現代において、人類はAIを手放せない段階に既に来ている。もはやAIは社会の中層に位置する。
LTA人間はヒエラルキーの最下層であるのは間違いない。もはや、中層以上と接触できなくなっていくだろう。
なぜなら、人間とのコミュニケーションを求めている中層より上の人間から見ると、AIとLTA人間は入力文章に従って人間に劣る質の文章を返す関数であり、
むしろ、人間であるかどうかなんてどうでも良い。関数とは尤度が高いコミュニケーションが成立しないから。
つまり、AI未満の理解力の人間はもはや人間扱いしてもらえないのだ。
人間じゃないということは、当然何を意見しても返事がもらえるわけではない。勝手に返事が貰えると思ってはならないし、会話に入ってもいけない。
子供のころは、バスが1時間に1本しか来ないような山奥の村落に暮らしていた。大学進学で地方都市に出た後、就職で初めて東京に来た。その東京で暮らして20年以上になる。
若い頃は東京での生活に適応できていたが、今になって東京での生活に徐々に適応できなくなりつつある。
東京の何が問題かというと、第一に人の多さだ。俺はもともと人混みが苦手だが、歳を取るごとにそれが一層加速している。
新宿のような場所に行きたくないのはもちろんだが、それよりマシな23区の外れの住宅街のような場所でもだいぶ人が多いと感じる。
俺がもともと暮らしていたのは、小学校の全校児童が30人にも満たないレベルの過疎地なのだ。
東京でも午前5時頃に散歩すると誰もいなくて快適だが、そのぐらい人がいない状態でないと俺は安らぎを感じないのだ。
第二の問題は、目と耳に入る情報の多さだ。どこもかしこも看板、標識、広告だらけで、脳がそれらの情報処理に追い付かない。そこら中から話し声や音楽が聞こえて頭がクラクラする。
子供の頃は、夜になると街灯の明かりもないような森の中の道を通って学校に通っていた。よく晴れた夜は星空がよく見え、虫の音だけが響いていた。
不思議なことに、東京の喧騒が苦手な俺でも、虫の音ならいくらうるさくても平気だ。それら星空と虫の音に俺はずっと癒されていたのだと今になって思う。
東京にはその癒しがない。緑の多い公園などは東京にもあるが、あんなのは作り物で、本物の野山には遠く及ばない。人も多くてとても癒しにはならない。
そんなことで、外に出るのが嫌になり休日はすっかり引きこもるようになってしまった。若い頃は環境の変化にまだ適応できていたが、歳を取るとやはり自分は田舎の人間なのだと強く思う。
一つは20年以上も外に出た自分はもはや余所者なので田舎の生活にも今さら馴染みにくいこと、
一つは妻が生粋の東京生まれで夫婦そろって移住するのがまず無理なことだ。
妻が東京生まれなことが特に問題で、この問題を夫婦で分かり合うことがまるでできないし、他のどこへ移住するにしても妻の方が耐えられなくなる。
そんなわけで東京でずっと耐えているが歳を取るごとに東京への苦手意識はどんどん加速している。そのうち耐えられなくなりそうだ。
日本では昔から、一部の研究所などを除き1)は使われない。むしろ文系印刷はデメリットになる。
2)は世間で言われる学歴フィルター。本当は「出身大学の入学時偏差値を基準とした足切り」かな。
オレが謎に思うのは、2)は世間から非難されるのに、3)は受け入れられていることだ。
2)への非難の理由は様々だが「俺様を排除するな」という利己的、感情的なモノを除くと、「18才時点のペーパーテストで仕事の能力は測れない」がメインだろう。
だがそれを言うなら3)もひどい。22才時点であるのが2)より有利な点だが、機械的な情報処理能力に偏っている弱点がある。
国立上位校の入試問題は結構文章力や表現力も必要とされるので、18才時点のこれらの問題解答スキルの方が、22才時点のSPIより将来の仕事能力と相関関係があると考えるのは自然だ。
シンギュラリティって概念を言い出した時に、「コンピューターが人間の脳の性能を超えます」というタイミングを決定的な瞬間に設定したので
なんとなく一般的には人工パーセプトロンとそれからなるネットワークは生き物の脳と同じものだと考えられている節があるが、今の人工パセープトロンベースのAIと人間の脳は実際のところ「性能が違うだけ」ではないからだ。 (参考: "機械学習と脳の違い Part 2: パーセプトロンとニューロンの情報処理方法の違い", https://webbigdata.jp/post-13881/)
つまり理由はある。人口パーセプトロンのAIに人間の脳と同じことができるかは未だ議論が分かれる。
これはあまり一般には認知されていないし、もしかしたら今のAIを作っているソフトウェアエンジニア達も忘れているかもしれない。
(そしてもともと、現在主流である特定タスクでAI…というか機械学習を利用した問題解決ソフトウェアの性能を上げるというアプローチはそもそも「人間の脳」を目指していない。人間より遥かに速く走る車に人間の足がついていないように、生体を真似ることが特定タスクの到達点ではないからだ。ご存じかもしれないが、人間の意識のような汎用的な能力を持つAIをAGIといいその他のAIとは区別されている。)
もちろん人口パーセプトロンでは絶対に人格(意識)が発生しないと言い切れるわけではなくて、今のままAI研究が進めばAGIも作れるようになり無事シンギュラリティを迎える可能性はある。
ただ面白いなと思ったのは、それは生体ニューロンとはおそらくはまったく異なる機序で発生した意識であることだ。
物理的な仕組みが違うのに外からの観測では同じに見える意識は、それは同じものなのだろうか?同じ倫理や考え方を共有し、同じ世界を見ることができる?
そもそも、生体ニューロンベースの意識だからと言ってアインシュタインなどの天才が知覚していた意識と私のような凡人が知覚している意識は同じだったのだろうか?
システム構成が異なっても意識が発生するのであれば、今あるほかのものはどうだろう?木や森や菌糸、石や地面や大気、星々や銀河、宇宙には意識は無い?
【前回の話↓】
https://anond.hatelabo.jp/20230206125929
【WAISの結果】
全検査…123
知覚推理…118
ワーキングメモリー…106
聴覚的な情報を一時的に記憶し、それを使って処理したり、対象に注意を向ける力
処理速度…130
100切るものがなかったのは素直にうれしい。「全然ダメ」と思ったものも、世間的にはそうでもなかったらしい。幼稚園のお受験侮れず。
ADHDの診断は既に下りているので、IQの値は関係ないというのがまた一つ証明された形。
・口頭の指示や会話を聞き取ったり、聞くのと同時に作業したりは当社比苦手かも
一見褒められてる風だけど、「大体わかるから〜と人の話を聞かずに調子乗って変なことするクソガキ」から変わってないんだなとしみじみ。
全検査123は上位6%、学歴と概ね等しい感じ。知能に問題がないのはよかったけれど、それはそれとして「発達の歪みが障害となっている」と認定されるような日々を過ごしていることもまた事実なわけで……
心理士さんに「喋ってて多動を感じるか」尋ねたところ、「一対一でこうして喋っている分にはあまり。刺激的な情報が多い場所だと、環境との相互作用で行動特性が強く現れるのかも」とのこと。確かに職場は刺激的だし、心理相談室は配慮されている。
「発達障害者にありがちらしいけれど、人の目を見て話せないのはなぜ?」という問いには「人の視線が刺激になっているんだと思います」「別に目見て話す必要ないですよ」と。納得だしやさしい。
ちなみに今回WAISを受けたのは「手先と身体が不器用すぎる→それはADHDだからとは言えないので知能検査を受けてみては」という流れ。運動得意なADHDいっぱいいるもんね。
結果、処理速度やワーキングメモリーの値を見るに知能のせいでもないらしい。あちこちぶつかったり食べ物こぼしたりは注意欠如のせいもある気がするが、ボール投げたり走ったりもイカれてるから……体能に問題あり。
次回はWAISの結果を持って、服薬の話をしに心療内科へ参ります。副作用について調べたら気が引けてきたけどどうしよう。心理士さんには非常に遠回しに、かつやわらか〜く服薬を勧められた気もするが。気が散りやすいから悩みが持続しないんだよな。前向きな多動。
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