心いやされる半面、この子たちもいつか飼い主より先に死んじゃうんだろうなあと思うと、胸が締め付けられる。
とある過疎地の有料道路が無料化されると同時に、沿線の観光スポットが大賑わいになった
当方のプロフィール。高校までアニオタ。大学入って空手始める。とにかく強くなろうと努力する。5kgのパワーリスト付けて突き300回とか。腕立て伏せ、拳立て伏せ、手首立て伏せとか。いろいろやった。というか、いろいろやれた。
そんときのモチベーションってのが、「自分は元オタだから、死ぬほど努力しなきゃダメ。自分の全時間を費やして、強くならないといけない」 彼女? 作ってる暇ないし(というより、ちょうどCLANNAD全盛期だったこともある、それと便座カバー
とにかく、「武道に強くなる = 自分のすべての時間を武道に捧げる(トレーニング、基礎体力の強化、などなど)だと思って、ひたすら練習やりーの、空いてる時間は筋トレやりーの、ランニングやりーの。だったわけで。
で、そうこうするうちに社会人になり。思うように練習に時間が取れなくなり。練習しなけりゃ弱くなるんじゃ、と心配になり。
そんなときに手に取ったのがタフ(at Bookoff)死天王編。喜一が苦戦してた。しかも相手は、公務員。例え地の利があるにしろ、言ってみりゃ一般人。9時5時で市役所働いてる、一般人。それが、キー坊を、圧倒している。
もちろんフィクションです。とはいっても、この平和なご時世。武道だけじゃ食っていけない。別の仕事やりつつ、武道も続けなくちゃ。むしろ、それでも強くなれる。
読んでいて意外だったのは。自分の一生を武道に捧げなくても、強くなれるということ。タフではがその辺の市役所のオッサンが主人公追い詰め、軍鶏ではその辺のマイホームパパのくせに主人公が教えを乞うほどの武器術を身に着け。あるいは、一見関係ないように見えても、その実鍛錬になっているのかもしれない。
「練習できないから弱い」ってのはもちろん未熟。「練習できないから、時間を作る」まだまだ。「自分の行動すべてを、武道に結びつける」なんだろうな、と思う今日のこのごろ。
個人的に、ゲームで今でもさほどストレスなく遊べるグラフィックの水準はSFC後期とかGBAぐらいなんだけど(ジャンルにもよるけど)、やっぱり人によってはそれ以上でなきゃプレイする気が失せるとかあるのかな
別に最近の美麗グラフィックが嫌いなわけじゃないんだけど、ここまできれいじゃなくても普通に遊べるなー、と
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1148246596
こことか。
新世界訳聖書とか「洞察」の本第二巻1130P?とかに言及があるみたいですが、そのような物はご存じないのですか?
下でいろいろ全部読んでこい、と言ってるからにはこの辺りの物も全て読んだことはあるのだと思いますが。
それとも、ここの書かれている様な事は嘘なのでしょうか?
他にもいくつかつらつら見ていく中で、その様に後から付け加えられたものだ、という物はいくつか見ました。
これ自体が「偽」であるとは解釈されているようですが、そのような物が出回ったのは事実なのでは?
単なるイエスのキャラを知った上でのジョークに過ぎない、という話がありましたが、
それとも、この時代に既にできていた「ジョーク」だという意味だったんでしょうか?
なんでそんな上から目線なのか分からないけど、別にそこまでしてわざわざ話をしてくれなくても結構です。
単に、ちょっと疑問に思ったことを気軽に聞いただけです。
間違いなら間違いを訂正してくれれば認めます。単に知らなかっただけなので。
またggrksならそれでいいので。
この辺りについてはちょっとググった程度ですが、そういうものなのかということは分かりましたので。
これは当たり前のことだと思いますが?
特に、宗教なんかは途中で論理が飛んでる所があるわけで、そこは解釈の問題でしかありません。
キリスト教自体もそれだけ分裂してることがそれを表していますし、お互いの主張が明らかに矛盾していることもあるかと思います。
逆に、矛盾してたり確かでないものを無理やり信心によって解釈しなおし、自分を落ち着かせるのもまた宗教だと思います。
それは別に悪いことと言ってるわけではなくて、宗教じゃなくても自分を無理やり納得させることはありますので。
そのような状況を、外から見て、「こういう時はどう解釈してる?」「もしこうならそれはどう解釈してる?」と聞くのは間違ってないと思いますが。単純な疑問として。
http://anond.hatelabo.jp/20130830202223(最初のトラバ先)
http://anond.hatelabo.jp/20130831142238(自分の記事)
元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。
(実は若くなかったら申し訳ない)
念のために書いておくけれど、僕は最近のラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。
実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)
教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格の人達で、しかも扱う分野が本来主観的なものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。
それに、最近のラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。
そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。
(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベが流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)
だから、専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コストで賢明な判断だと言える。
しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない。
特に3番目の問題、
でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?
元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校の体験入学ごときで解決してしまった気分になっていることだ。
僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。
そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。
おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人からの客観的な添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。
また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジやオックスフォードもあるかもしれない。
そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。
文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。
下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。
さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?
それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。
だからといって、先人がそれを教育の世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。
どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。
「文章作法を学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。
「作文」の価値を捉え直した、文章表現の入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのものの価値を再発見している。
大学の講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。
だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。
前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。
レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論・記号論の観点から再評価した名著。
なぜ直喩が隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。
大江健三郎による文学論。そもそも小説や文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。
それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。
文章読本は色々あるが、その中でももっとも実践的と言われる丸谷才一の本だ。
歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。
(しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)
E.M.フォースターによる文学理論。Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店で1000円で入手できた。
「ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。
小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。
新装版が出るんだ……。
芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイックに小説を書き続けている作家の文学指南書。
テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。
ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソンが大英博物館で一気呵成に書き上げた文芸評論書。
「アウトサイダー」というキーワードのもと、文学・美術・舞踏・哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。
本気で読むと人生が狂う。
先の記事で書いた。全日本人が読むべき。
なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している。
偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞で名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。
しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性は結構あるつもりだ。
教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。
失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。
そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOS・エディタ・コンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。
ってこれだけじゃ芸がないので何点か気になったこと(ちょっとネタバレ有)
総じてTS社と安土城まわりの人々の話、比重を半端にTS社側に持ってきちゃったのがちょっと違和感があったかな。シリーズ通してみてるから嬉しい点でもあるけどね。
色々書きましたが面白かったのは間違いないですし、有名無名問わず役者さんがんばってくださってて(沢嶋さんカミカミなのはいつものことなので…)個人的に抑えてた竹山さんとめっさ表情豊かに演じてた上島さんが素敵でしたので、興味がある方はぜひ映画館へどうぞ
1(二)スペースインベーダー
2(遊)バブルボブル
3(中)レイフォース
5(一)奇々怪界
6(右)アルカノイド
7(左)ニンジャウォーリアーズ
8(捕)メタルブラック
9(投)ナイトストライカー
少なくとも、あなたの書き方はがっかりした、ではなく、相手を中傷している内容ですので、そのあたりはもう一度再認識し直したほうが良いと思います。
宗教とか以前の問題です。
それ以上きちんと学びたいと思えば誰が答えるかわからない所で真意を聞く意味はありません。
ネットでちょっと調べて分かる事以上のことなんて出て来ないんですから。
どちらかというと、どう思ってるのか?とかそういったことをちょっと聞いてみたかっただけなんですけど、
聞いた内容を訂正されれば素直にこちらも間違いを認めてますが、
自分がこのツリーで最初に「キリストは何故石を投げたか?」と聞いたり、
そっちは違うや。
見た目分からないからこちらも説明してる人の中でも単に馬鹿にする人と説明してくれてる人とごちゃまぜになってる所はあるので、一応区別して
こちらもちゃんと答えてくれたものには間違いを認めるし、変な返答は控えてるつもりだけども。
難しいところですね。
ティッシュすら水圧で飛ばせなかったのか
いつものようによっこらおっしこしたら、おちんちん近辺に鋭い痛みが(´;ω;`)
亀頭部分にティッシュ的なものが貼りついてたせいでおしっこがでていかず破裂しそうになった模様。
とっさに元栓閉めたんで事なきを得たが、気づかずこのまま出していたら…
皆、おしっこ前にはティッシュ確認しよう(´;ω;`)
どもども。通りすがりのお兄さん、お姉さん、おっさん、おばちゃん、学生さん。今日も酔っ払ってるんだけどさぁ、昨日に続いてあたしの愚痴にお暇なら突き合ってくだせぇ。
あたしは昨日「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」ってエントリを書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20130901015011
何日か前に、「低学歴と高学歴の世界の溝」って増田がホットエントリしたじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
今日の昼間にコーヒー飲みながら足りない頭で考えて思いついたんだけど、私が彼に萎えて別れた原因って、この溝を自覚しちゃったからじゃないかな、って。
彼のスペックが高いのは昨日書いたとおりなんだけど、彼の一家・親戚も高スペック。父親は某旧帝国大学の大学院卒で某有名企業勤務、母親も県立の教育大学卒で学校の先生。彼の親戚もハイスペックで、従兄弟に某大学准教授がいるって言ってたし、彼氏と同じ高校(つまり地域で一番の進学校ね)・彼氏と同じ大学(つまり某旧帝国大学ね)に親戚のお兄さん・お姉さんも通ってて、高校・大学選択、受験のときに、親戚の人たちからいろいろ情報教えてもらった、とか。彼いわく「兄はあんまり成績良くなくて、浪人するか迷っだけど、現役で東京理科大行ったんだー」って!
あたしは人口数万人の町の外れでコメ作っている両親の下で育って短大まで行ったけど弟は同じ高校出て専門学校卒。半数近くが就職して、残りは専門学校、短大・四大に行くのは20パーセント以下って感じのあたしの高校の基準からすると東京理科大なんて過去の卒業生で何人いたんだよってレベル。それを「あんまり頭が良くない」と。
彼氏は高学歴の世界で生きてきた人だから、私のレベルの世界を知らなかったと思う。彼氏の親戚も友だちもみんな高学歴の世界。対する私は低学歴の世界。高校卒業した時に地元で親戚のおっちゃんがやっている同族経営の小さい会社で働く?って話あったけど、断って短大行ったし、今も「地元戻ってウチで働かない?」って言われる。社長のおっちゃんは叩き上げで働き者で、良い人だけど、学歴なんていらんって人間。あたしの親戚はそんな人たち。
エリート一家で育ち、エリート教育を施されてきた彼氏が、ごくごく普通に披露する感覚に、越えられない溝を感じたの。
・旧帝大、早稲田、慶応クラスの大学に行くのは当たり前(←「え、女子が短大行くのはありかもしれないけど、男で高卒の人ってほとんどいないでしょ?」って真顔で信じている)。
・英語は読み書きできるのが当たり前(←彼氏は英語の勉強なんだって言ってイギリスのニュースサイトを毎日見てた。しかも普通に辞書なしであたしに要点を解説してくれてた)。
・歴史上に名前を残すような有名作家が書いた有名どころの作品を読んでいるのは当たり前(←ごめんよ、サリンジャーの名前自体知らなかった)。
・日本史や世界史の知識があって当たり前(←生類憐れみの令をうろ覚えだったあたしが馬鹿なだけ?)。
・近代日本の主要な政策とその政策を実施した首相くらい知ってて当たり前(←田中角栄の日本列島改造論知らなかったあたしが馬鹿なだけ?)。
・30歳くらいで安くても年収500万円くらいは貰えて当たり前(←彼氏の大学、大学院の友だちとの基準)。
彼氏は「え、だれでも努力すればこのレベルに到達できるよ」なんて言ってたけど、彼氏が披露する「普通」の基準があたしに無理すぎた。低学歴の世界の住人である私が高学歴の世界の住人の世界をちょっとだけ垣間見た経験として大事に取っておくよ。彼氏には同じ世界の女が似合うと思う。
私の都合で別れたのは本当に申し訳なくて、彼氏が「え、オレなんかダメなところあった?ごめん、気付かなくて。悪いところあったら言ってよ、直すから」なんて涙が出るような嬉しいセリフ言われたけど、低学歴の世界を知らない彼氏にはこの感覚を理解できないと思うし、理解しなくてもいいと思う。セックスのときにフェラしてあげたら「フェラは女性に奉仕させて女性を下に見ている感じがあるから好きじゃない」なんて紳士的なセリフを言う男なんてきっと金輪際現れないだろうが、あたしも自分にあった男を探すのが一番だね。
その辺りは俺じゃなくキリスト教徒の人と直接やりあった方がいいだろうから、多くは言わない。
ただ1点だけ。
君が「只管人を馬鹿にするようなことしか言わないキリスト教徒が出てきた」と言ってるのはこれ(http://anond.hatelabo.jp/20130831214635)のことだろう。
確かにこれは煽りが入ってる。
ただ、この人はこれの前にも君の疑問に対して解説をしてる(http://anond.hatelabo.jp/20130831121916)。こちらは煽りもなく丁寧な文章だ。
ところが、その記事に対しては、
説明した気分になってるところが怖い
というトラバがついた。これを君が書いたのかどうかは知らない。
ただ、親切心から労をとってわざわざ解説したものに対してこのような無礼な反応をされれば、以後の対応が険悪なものになったとしてもある程度仕方がないだろうと俺は思う。特に増田ではその無礼な奴と君とが同一人物であるという可能性を否定できないわけだし。
キリスト教徒の人との対話にあたっては、その点を心に留めておくといい。
なお、キリスト教徒の人が書いた2記事については1つ前(http://anond.hatelabo.jp/20130901192206)ですでに紹介しているのでリンク外した。